文責:gg?

黒木玄 Gen Kuroki ‏@genkuroki 2014年5月12日
#掛算
続き。
https://twitter.com/sekibunnteisuu/status/465165969896116224
https://twitter.com/genkuroki/status/465662711192236032
の図の使い方とこのツイートに添付したぼくが描いた図を比較してみてください。
pic.twitter.com/86RCIUseGx

黒木玄 Gen Kuroki@genkuroki 23:46 - 2013年11月25日
#掛算
掛算の交換法則が一般的に成立する理由をしっかり説明してしまったら、文章題だけで一つ分の数が決まってしまうという思い込みは完全崩壊してしまいます。おそらく今の算数では掛算の交換法則の意味をしっかり教えていないのだと思う。 pic.twitter.com/86RCIUseGx

この「ぼくが描いた図」で黒木はそれとなくゴマカシを行っている。

アレイ図に並べれば一つ分と幾つ分は見方で変わる。タテの並び,ヨコの並びのどちらを一つ分とみなすべきかの基準はない。赤字で書かれているように

一つ分と幾つ分の考え方のもとで,かけ算の交換法則は一つ分と幾つ分の数の立場をいつでも交換できることを意味している。

そして

アレイ図でそれが証明出来る

ということだ。この上に赤字で「一つ分と幾つ分の数の立場を交換可能」として,その下に小さく

注意:算数教育業界の流儀ではこの部分をしっかり教えようとしていないように見える。

と書いてあるが,これは黒木の偏見による都合の良い観察だ。アレイ図で交換法則を説明することは指導要領にも書いてある。実際の現場でどう教えているのかは分からないが,黒木の注意では「算数教育業界の流儀では」となっているので「流儀」に基づいて判断すれば十分であろう。そのとき「この部分をしっかり教えようとしていない」というのは何処から導かれるのだろう。「しっかり」というのが「黒木の思う通りに」という意味でしかないようだ。客観的な注意ではない。あくまで主観的注意に過ぎない。

また最下部には黒字で小さく次のような注意がある。

注意:一つ分と幾つ分の立場をいつでも交換できることを理解してしまうと、算数教育業界標準の一つ分×幾つ分の順序でかけ残の式を書くというルールは実質的に無意味になってしまう。

先ず「実質的に無意味になってしまう」とはどういうことだろう。はっきりさせていないようだが,要するにそのようなルールに従う意味は無いということだろう。果たしてそうだろうか?確かにアレイ図に並べた白丸の総数を求めるのであれば4×3でも3×4でもよいだろう。しかし

饅頭3個が乗った皿が4皿あるとき,一皿ずつ饅頭の数を数えていったときの饅頭の総数

ではどうだろう?一つ分は饅頭3個で幾つ分は4である。このとき一つ分と幾つ分の数の立場は交換できない。饅頭を箱に詰めて(アレイ図に並べて)はじめて一つ分と幾つ分の数の立場が交換できる。このように,黒木の言うように

一つ分と幾つ分の数の立場を交換可能

なのは

アレイ図を考えた場合(または類似の操作をした場合)に限る

のである。さらに言えば,アレイ図を考えてもタテとヨコの並びを区別すれば,一つ分と幾つ分が区別される場合もある。たとえば

縦に4個饅頭が3列並べてある。一列ずつ饅頭の数を数えていったときの饅頭の総数はいくらか。

という場合だ。この場合は「一つ分と幾つ分の数の立場を交換可能」ではない。ただしこの点がインチキだとは言わない。「ぼくが描いた図」でインチキなのはすべてアレイ図で説明しておきながら,さらっと

注意:一つ分と幾つ分の立場をいつでも交換できることを理解してしまうと、算数教育業界標準の一つ分×幾つ分の順序でかけ残の式を書くというルールは実質的に無意味になってしまう。

という主張を論理的根拠なく滑り込ませているところ。騙されてはいけない。「饅頭3個が乗った皿が4皿あるとき」その総数を求めるのにアレイ図を考える必然性はまったくないのだ。(アレイ図で考えてもよい。大事なのは、考えなければならない訳ではないということ。)
最終更新:2014年07月21日 00:53