2010年11月18日木曜日 掛け算の順序論争について


にあった正しいコメント。



呑み助2014年1月5日 22:46
こちらも再投稿。

追記として、ブログ主に敬意を表してブログ主の意見にコメントする。

1)順序にこだわるのはナンセンス。

こだわるという日本語をどういう意味でお使いかな?本来問題としなくてもよい場面でも気にかける。という文字通りの意味ならもちろんことばの定義上「こだわるのはナンセンス」である。しかしながら「掛ける数」と「掛けられる数」の区別がある場面で「気にする」ことは「無論」ナンセンスどころかマストであろう。

2)「掛ける数」と「掛けられる数」との違いを理解させるべき、という意見には一理ある。

当然のこと。一理あるとお認めであるように「掛ける数」と「掛けられる数」との違いは厳然として存在する場面がある。そこでは「掛ける数」と「掛けられる数」との違いを認識せねばならぬ。それを何処まで児童に認識させるべきかは教育上の問題。そこを(半分故意に)混乱させて「同時に」「並列的に」論じる連中が多いようだ。

3)しかし「掛ける数と掛けられる数との違いに関する理解」にこだわるのであれば、むしろ単位を重視すべきであり、やはり順序にこだわるのはナンセンス。

論理的に言っている事がおかしい。「むしろ単位を重視すべきであり、」ということから「やはり順序にこだわるのはナンセンス。」は帰結されない。帰結されるのは「単位を無視して順序のみにこだわるのはナンセンス」ということだ。正確に述べていただきたい。なお「掛け算に順序は不要」と主張する連中の多くはこの手の論理飛躍を積み重ねているように見える。

4)しつこい様だが、式の順序を「正しく」書いているかどうかで理解度は測れない。「正しい」順序で立式している子の中にも理解が不十分な子は居るだろうし「間違った」順序で立式した子の中にも理解している子は居る筈だから。

これは教育上の問題でありまして「数学上の問題」を「正しく」認識してから論じるべきである。小生が現今の「掛け算に順序は不要」との主張で問題とするのは「(そもそも数学上)掛け算に順序は(どの場面でも)ない」との主張である。これは(ブログ主は正しく御認識のように(*))マチガイである。そして合わせて問題とするのは、これが数学上のマチガイであるのを分からないのか分かっていて敢えてそうするのか「分かっていない」トーシロの連中の意見を正そうとせずにむしろ彼等の指摘を無条件で持ち上げて大騒ぎする大学教員の連中の姿勢である。ときとして威勢がよすぎるがkikulogはまだ誠実な姿勢を見せているようである。

(*)採録者注:このコメントに対するブログ主の返答を見れば、nomisuke氏のこの記述はまちがいである可能性が高い。ブログ主は「正しく認識」していないばかりか、「掛け算に順序はない」という自説に凝り固まって思考停止に陥り聞く耳を持たぬようである。医者の端くれが「算数くらい得意だった」と思った成れの果てであろう。
最終更新:2014年07月21日 02:24