トンデモ掛け算順序否定派(強制的なツイート集)(backup)

1. 黒木玄 Gen Kuroki ‏@genkuroki 2014年6月10日

話を掛算の話題に戻す。「掛順強制を擁護する人たちは『2個を含む塊が3つある状況や場面』と『2個を含む塊が3つあるときの全部の数』の区別が曖昧である」という事実を私は何度も指摘している。たとえば「2が3個で2×3なので、3が2個で2×3と書くと誤り」のような言い方がある。

(*)2個の固まりが3つあるときの個体の「総数」を2+2+2と計算するときの掛け算の式を(一つ分×いくつ分の流儀では)2×3とする。したがって(このとき)3×2は3+3と計算するときの掛け算の式となる。この考え方は「数学的に」まったく正しい。

クロキの指摘しているのは(*)が正しいこととは「まったく別問題」。クロキの指摘は正しいし「その区別を曖昧にした議論はハナシにならない」が、クロキの論がいつもインチキなのはそういう指摘を繰り返すうちに、いつの間にか上の(*)も間違いと主張する根拠として信じさせようとするところ。またはそう「誤って」信じそうな余地を敢えて(おそらく故意に)曖昧なまま放置する所。

現に上の発言でも「「掛順強制を擁護する人たちは『2個を含む塊が3つある状況や場面』と『2個を含む塊が3つあるときの全部の数』の区別が曖昧である」」としている。「区別が曖昧な場合が多い」とすればよいところを「区別が曖昧である」と言い切ることで、まさに「掛け算順序を強調する」ことが「論理的におかしい」かのような錯覚を起こさせようと狙っている節がある。「掛順強制」という言い方も同様である。

それに対して、「大学入試の数学の筆記試験では高校で習っていない公式を使うと減点される」という噂について証拠が示されているのを見たことがない。都市伝説ではないという証拠はあるのか?
仮にそういうクズな採点をしている人がいるならばきちんと非難する必要があると思う。で、証拠は?

何がクズな採点だ。クロキも大学で採点に携わっているから知っているはず。たとえば
 sin x/x または (sin x-x)/x^3
のx→0での極限を問われていたら(最近ではこういう単純な問題は少ないが)解き方によっては0点にする大学の教員は多いはず。この場合クズ呼ばわりされるいわれは無い。もっとも「これは高校で習わないからダメ」というのとは少し異なる。ここで「ある公式」を使うことはこの極限値を「知っている」ことと同等であるからだ。そういうのは当然0点でよい。クズな採点ではまったくない。もちろんその「ある公式」の証明も余白に書いてあったらマルだ。そして世間で「大学入試の数学の筆記試験では高校で習っていない公式を使うと減点される」というときは、このような例も含めている。これはクロキも十分承知しているはず。

また「高校で習わない公式を使っているからダメ」と平気でいう採点者(大学教員)も(数少ないが)いることはいる。そういうのは大抵ガンコなので採点中に他の採点者と採点基準で揉めることになる。証拠を出せとかほざいているがクロキもそういうことは多分知っているはずではないかと思う。

いずれにせよ、掛算の順序強制を実際にしていたり、単に高校で教えていない公式を使っているからという理由で減点したりする行為はどちらもクズであることは、特別な議論抜きに当然のことだとして問題ないと思う。そして、クズなことをやっている奴がいると言いたい人は証拠を出す責任がある。

クロキも他人の行為をクズと言う以上「クズであることを説明する」責任がある。これについては「特別な議論抜きに当然のことだとして問題ない」などいんちきも甚だしい。「特別な議論抜きに当然のこと」とするときは「町でばったりあたっときに質問されたら」「自明であること」を即座に説明できないといけない(クロキのツイートにあった)。

少なくとも私はそのような採点の仕方が正しいと述べている数学者を見たことがない。そもそも数学者は高校で何を教えているかどうかを正確には知らない場合が多い。あと自分の大学での教え子が医学部なんかを再受験する可能性があることも知っている。

教え子の医学部受験はまったく関係ない。もし大学の公式を(使う必要の無い場面で使っても)使った答案を見て「教え子の医学部受験の可能性もあるから」マルなどという採点をしていたら「それこそ公平性の観点から見て」クズな行為である。

大学の先生の中にもまともじゃない人もいる(どこにでもいる)はずなので、そういうまともじゃない困った人が困った採点の仕方をすることはあり得る。しかし、数学的に何の間違いもないのに高校までの内容にない公式を使っただけで減点する採点の仕方がクソであると断言することは可能。

「特別な議論抜きに当然のことだとして、〜がクソであると断言する」ことがクソであると断言することは可能以上に当然。

トンデモ算数教育な人たちは、子ども自身が「2×3=3×2、すなわち2×3と3×2は完全に同じものであり、片方が使える場面ではもう一方も使える」と論理的に完璧な思考をすることを妨害しようとしている。問題はトンデモ側が教育の世界で権威を持ってしまっていること。

「2×3=3×2、すなわち2×3と3×2は完全に同じものであり」これはウソ。「すなわち」という以上後半は前半の当然の帰結とみるべきだが、ぜんぜんそんなことはない。そもそも何故「2×3=3×2」を「すなわち2×3と3×2は完全に同じもの」と言い換えなければならないのだろう?「完全に同じもの」とわざわざ「完全に」とつけるところに「ごまかしで反論を封じよう」という意図が見え隠れする。
最終更新:2014年07月21日 03:42