小学校にはびこるワケのわからない規則
日本のPTA、やっぱり変です
教育の現場で見た、思考停止と性差別
瀬地山 角 :東京大学教授
2014年07月10日

小学校にはびこるワケのわからない規則

まず戸惑ったのが、わけのわからない規則の多さです。6年生の保護者会の場で、担任の先生が「シャープペンシルは認めません」と言うので、「なぜですか?」と聞くと、「正しい字を書けるようにするためです」。

「シャーペンでは正しい字が書けないという科学的な根拠があるのですか?」と聞くと、「ありません」。「根拠もないのに、なぜそういう規則を課すのですか?」「キャラクターものなどもありますから」「それはなぜダメなのですか?」「値段が高かったりして……」「ならば、図柄のないシャーペンならよいのではないですか?」。

確かに「根拠もないのに、なぜそういう規則を課すのですか?」という(この東大の一教師のモンスターペアレント的な)問いに対して「キャラクターものなどもありますから」と答えたのはまずかった。「科学的な根拠はなくても経験上小学校では鉛筆の使い方に十分習熟することから始めるべきだと考える」と直球で返せばよかったのだ。ここで人間関係をこじらせまいとしたことによりモンスター東大の教師の阿呆な追及「それはなぜダメなのですか?」を許すことになった。「値段が高かったりして……」「ならば、図柄のないシャーペンならよいのではないですか?」。そういう教師を追及して悦に入るこの東大教師は大人げないモンスターとしか言いようが無い。

もう禅問答です。「それは規則では許されません、なぜならばそれは規則だからです」という同義反復。どう考えても教師自身が、自分の頭で考えて発言しているとは思えません。

禅問答にしたのはどちらであろうか?「どう考えても教師自身が、自分の頭で考えて発言しているとは思えません。」これに科学的根拠はあるのかとこの東大教師にうかがいたいものだ。

これは子どもに向かって「ものを考えるな、黙って従え」というメッセージを発するもの。フーコーの指摘するような、思考停止をさせての規律訓練です。軍隊や刑務所がとるやり方で、学校という教育の場でこんなことをやるというのは、子どもを画一化された「工業製品」としてしか見ていないことの証左です。出る杭を打って、潰して、均(なら)していく、というのが実態と言わざるをえません。

この東大教師はこういう考え方しかできない人物だということだ。子供は規律の中でそれに反抗する術を覚えるものという見方もできる。

日本の大学生が、日本でも、海外でも、ゼミの討論のときに黙ってしまうのは、こうした思考停止と関係しています。規則や現状を追認するのではなく、「問題点に気づき、論理的に考え、言語化し、議論する」というトレーニングをさせない環境を、日本の公教育自体が作り出しているからです。これでは独創的な発想は生まれず、一歩世界に出ると、沈黙するだけです。

ほほう。おもしろい。これに「科学的根拠」があるのか聞きたいね。しっかりした科学的根拠があるのだろうね。下のツイートでも指摘されている。

お好み焼きにはカープソースをどうぞ@IshidaTsuyoshiのツイート(2014年7月10日)
大学のゼミに参加するようにまでなって、自分の頭で考えることができないことまで、小学校の先生の所為にはできないよ。それこそ、その「関係がある」って主張の科学的根拠なんて無いでしょ?

その通りだよ。論理的でたいへんよろしい。

規則というのは、金科玉条のごとく従えばよいものではありません。おかしいと思ったときに議論をして、それを変えていく力こそが、何よりも重要です。歴史に名を残した人権活動家は、ほとんどの人が当時の法律に意図的に反旗を翻し、投獄され、それでも抵抗を続けました。信念を持って規則を変えていく努力をすることは、「悪法もまた法なり」などと盲従することより、はるかに尊い作業なのです。なのに、私の見た教育現場は、それを押さえつけようとする言動ばかり。なんともはや……。

それは子供自身が行なうこと。この東大教師みたいに上から目線で「議論しよう」というのもまた強制なのであるが。
最終更新:2014年07月21日 05:04