Twitterやblogで開陳された役に立つ論点集(コピー)
1 レシート見本の意味するところ
黒木玄 Gen Kuroki @genkuroki 4月22日
たとえば添付の画像のレシート見本では「数量×単価」という日本の「算数教育ワールド」(仮称)では減点されたりすることのある順序が使われており、さらに順序に頼らなくても誤解しないような表記になている。
pic.twitter.com/r4jEqZSXUH
良い例である。この例を用いて「掛け算順序」についてちょっと考えてみよう。(ツイッター発言の誘導にのらないよう注意)。
上の画像でも確認できるように
1枚のレシートにおいて「数量×単価」と「単価×数量」の2つの書き方を混在させて使ってはいない。
つまり文字通りどちらでもよいわけではないです。 小学校のテストでも同じ。一続きの問題で「一つ分×いくつ分」「いくつ分×一つ分」を混在させて書いていたら、明らかにまちがい。たとえば
一方がバツなのではなく、全体としてバツでもよいでしょう。
授業の単元の一貫(解析的延長(近世数学史談参照))として考えれば「教科書の書き方に従って」片方だけ、すなわち「一つ分×いくつ分」のみをマルにすることもあり得る話し。
どちらにしてもバツにされた保護者が「どっちでもいい」だろうと「先生方がおかしい」とこれ見よがしに画像を貼付けたツイッターを見かけますが、肝心のそこのところが分かっているのかどうかたいへん疑問。分かっていないで「「先生方がおかしい」とこれ見よがしに画像を貼付けた」としたらモンスターペアレント的行動の一種と断じてよいと思う。(たいていは分かっていない)。
2 議論が捩れる
黒木玄 Gen Kuroki @genkuroki 2013年11月17日
算数の教科書では「同じ個数を含むまとまりが複数個あるときの総数」というイメージで掛算を導入します。そのこと自体に反対している掛順こだわり教育批判者はいないとここで断言しておきます。問題は「同じ個数a個を含むまとまりがb個あるとき総数をa×bと書く」という(genkuroki 2013-11-17 23:44:51)
スタイルで掛算を導入し、さらに九九をやって、交換法則についてもしっかり教えた後(小2で交換法則を教える)であっても、「6人に4個ずつ配るときの総数を6×4と書く」ことを禁止し続けることによって生じています。トランプ配りの考え方を知っていると少なくとも(genkuroki 2013-11-17 23:47:29)
二重にひどいことをやっている。「同じ個数を含むまとまりが幾つかある状況ではかけ算で総数を求められる」「かけ算の順序にはこだわる必要はない」(小2で交換法則を習った!)という組み合わせを小学校のあいだは絶対に許したくな困った人達が実在するわけです。しかも(genkuroki 2013-11-17 23:50:14)
算数教育に熱心な先生だったり、場合によっては校長先生になっていたりするわけです。そして、「かけ算の導入時の意味」=「同じ個数を含むまとまりが幾つかあればかけ算で総数を求められること」ではなく、(genkuroki 2013-11-17 23:52:16)
「一つ分×幾つ分の順序で掛算の式を書くこと」にこだわり、実際には「答と同じ単位(実際には単位ではなく助数詞)と同じ単位が付いている文章題中に出て来る数をかけ算では左に書くこと」にこだわり続けることを小学校を卒業するまで強制したがっているのです。(genkuroki 2013-11-17 23:54:48)
「同じ個数を含むまとまりが幾つかあるとみなせる場合には総数をかけ算で求められること」を教えることには誰も反対していません。かけ算の順序にこだわることを止めて欲しいと言っているのです。校長先生になるような人にはこの手の常識ある考えをすることが求められると思います。(genkuroki 2013-11-17 23:58:17)
この連ツイをはじめから読むと黒木の主張では
「同じ個数a個を含むまとまりがb個あるとき総数をa×bと書く」というスタイルで掛算を導入する
ことには反対でないようです。当たり前。反対したら数学者の沽券に拘る。 その上で
「さらに九九をやって、交換法則についてもしっかり教えた後」
その後になっても(つまり小学校3年生以降でも)
「一つ分×幾つ分の順序で掛算の式を書くこと」にこだわる
ことだけが問題だと言っていることがわかる。ところがその問題点をはっきり書かずに、いつのまにか(最後の方では)
「同じ個数を含むまとまりが幾つかあるとみなせる場合には総数をかけ算で求められること」を教えることには誰も反対していません。
として「「同じ個数a個を含むまとまりがb個あるとき総数をa×bと書く」というスタイルで掛算を導入する」ことまでも問題としているかのような書き方に変えているのだ。
騙されてはいけない。こうやって黒木は
「同じ個数を含むまとまりが幾つかある状況ではかけ算で総数を求められる」「かけ算の順序にはこだわる必要はない」という組み合わせを小学校のあいだは絶対に許したくない困った人達(先生方)
を批判するのに「問題となる点」を拡大させて「数学的にも問題である」かのように見えるようにツイートしているのだ。数学者の沽券に拘ることから「掛け算を一つ分×いくつ分として導入する(定義する)ことはおかしいことで3×4も4×3も同じ」という言い方はゼッタイしない。しかしこの後半部「3×4も4×3も同じ」という言い方はおそらくしている。ゴマ化しが利くからである。
困った人達を批判するのは構わない。場合によってはそのとおりだと思う。しかし手段は目的によって正当化されない。正しい言説を心掛けるべきだろう。
3 掛け算を累加で定義するのはいいとして・・・
掛け算を累加で定義するのはいいとして、・・・ 投稿者:積分定数 2014年 5月11日(日)00時51分41秒
掛け算を累加で導入するのは構わないと思う。
遠山啓は、掛け算を累加で導入すると、分数のかけ算などで躓くから、累加で導入すべきじゃない、というようなことを言っているが、伝言ゲームの結果なのか、数教協系の人は「かけ算は累加ではない」と思っているようでようで、1あたり量だの内包量・外延量だの、訳の分からない迷路にはまり込んでいる。
それにくらべれば、累加で導入するのはシンプルで分かりやすいと思うのだが、・・・・
従って
5×12=5+5+5+5+5+5+5+5+5+5+5+5
12×5=12+12+12
で、この2つは量は等しくても定義はちがう。つまりちがうもの。
4 賛否を明確に述べてもらいたい
黒木玄 Gen Kuroki@genkuroki 2013年11月19日
#掛算
【再】掛算の順序にこだわる教え方を擁護するような人達には画像のような教え方(実在!)を小学校六年生相手にすることへの賛否を明確に述べてもらいたいです。この情報の拡散と賛否を明らかにさせる方向への誘導に御協力をお願い致します。
pic.twitter.com/mxBd2Pn6K1
掛け算の順序に関わるのは,画像の文章中
「ただし,x×8 が 8×x になっている場合は,「8円のノートが x 冊」という意味になってしまうので問題文とは合わない。」
という部分のみ。「掛算の順序にこだわる教え方を擁護する」人達でも黒木の挑発に乗って,それ以外の部分について「「画像のような教え方を小学校六年生相手にすることへの賛否を」述べる必要は無い。 掛け算順序憎しから「怪しからん」「おかしい」と言いたくなった人達には「どの部分がそうなのか」を明確に述べてもらいたいです。
なお当ブログ筆者は,関数関係を y=f(x) と書く事が慣例となっていることから
y=x×8 を推奨したい。
しかし「画像にもはっきり書かれているとおり」x×8=y でも y=x×8 でもよいだろう。
あと、黒木ちゃんにも下のような教え方(架空!)を小学校六年生相手にすることへの賛否を明確に述べてもらいたいです。
数量関係を表す式を立てるとき,左辺と右辺が反対になっている児童がよくいる。それを正しいと考えている児童もいれば,間違いだと考えている児童もいるため,その扱いにきちんと触れておきたい。1のアでいえば,x×8=y でも y=x×8 でも正しいが,「1冊 x 円のノートを 8 冊買い,代金が y 円であるときの関係式」という文章の流れからいけば,x×8=y を推奨したい。また x+x+x では x が一つ分,3 がいくつ分にあたるため,それを x×3と表しても 3×x と表しても同じであるから, 8×x=y でも y=8×x でも正しい。したがって,1冊 x 円のノートを 8 冊,1冊 y 円のノートを 3 冊買ったときの代金を z 円として,x と y と z の関係を式に表すときは
z=x×8+3×y
も文句なく非の打ち所が無い式と考えるべきである。
5 nomisuke氏のていねいな解説
nomisuke 2014年6月10日(「石田のヲモツタコト」より)
ほとんどダァレも読んどらんことなど疾うに承知。
ただ御奇特な小学校のお母様方が読むかもしれんからね。石田君のトンデモに洗脳されんよう「真理」を書いている。
ホントは先生方にも読んで「正しく理解」していただきたいが「石田君の報告によると」「学習指導要領どおりに教える」ことに汲々としとるらしいからアンマリ期待できんと思うとるのだよ。
本題。
以下は「この類いの主張」をする連中の典型的なもののひとつ。
小学校で習う掛算において「3+3+3+3+3 は 3×5 でもあるし 5×3 でもある」と言える例を示しておきます。3+3+3+3+3 を下のように図示します。
●●●●●
●●●●●
●●●●●
これを 3×5 と 5×3 のどちらで式に表しても、まったく間違っていません。
さすがに、これを「3×5 でなければバツだ」と主張される小学校の先生は、居ないか、居ても極めてまれでしょう。
(石田君の文章。原文のまま。)
石田君はじめこの類いのロンパーの連中の好きそうなコトバで言えば、この主張のキモは
「3+3+3+3+3 を下のように図示します。
●●●●●
●●●●●
●●●●●
これを 3×5 と 5×3 のどちらで式に表しても、まったく間違っていません。」
であろう。
問題だけ出しておく。
1)式を図示するとはどういうことか?
2)図を式で表すとはどういうことか?
3)それによって何が得られるのか?
石田君は斯様な根本的問題を(それと気付かず)放置したまま「証明できた」あるいは「説明できた」あるいは「ロンパした」(笑)などと思い込んどるだけ。児戯である。
編集者注)たしかに石田氏の論拠はトンデモな主張だ。笑。
6 nomisuke氏の明快な結論(上の続き)
nomisuke 2014年6月10日(「石田のヲモツタコト」より)
(上の続きのコメント)
最後の3行「さすがに、これを」の「これ」は黒饅頭図
●●●●●
●●●●●
●●●●●
のことらしい。
せっかくだから石田君の問い掛けにお答えして進ぜよう。
「さすがに、これ(上記黒饅頭図)を「3×5 でなければバツだ」と主張される小学校の先生は、居ないか、居ても極めてまれでしょう。」残念だね。正しい態度は
【3×5 と 5×3 のどちらかでないとバツ。】
だよ。であるから「これを 3×5 と 5×3 のどちらで式に表しても、まったく間違っていません。」というのは定義に依るし、どちらかが「まったく間違っていなければ」もう一方は「まったく間違っている」ことになるのだよ。
何度も同じこと言うとる。笑。
7 yoshitake-h 2014年6月21日
yoshitake-h@yoshitakeh 6月21日
『式の意味』は『作者や登場人物の気持ち』と同程度の概念なんじゃないか。#掛算
『式の意味』は『作者や登場人物の気持ち』と同程度に大切に考えるべき「意味を持つ概念」なんじゃないか、だから唯一の正解はないが「明らかなまちがい」はあり得る、ということ。
そのとおり。
(言いたいことをカンチガイしてリツイートしてる阿呆もいる。)
8 おかしなことを言っている人達に妥協してはならない
黒木玄 Gen Kuroki @genkuroki 2014年7月17日
#掛算の順序強制に反対するときに注意するべきなのは
、おかしなことを言っている人達に妥協してしまって自分自身も変なことを言ってしまわないようにすること。これがまた実に多い。ぼく自身もやっていた。特に「もしも~ならば一理あるが、~」という言い方で変な意見を述べる人は実に多い。
さすが黒木大先生。的確なご指摘。
おかしなことを言っている人達に妥協してしまって自分自身も変なことを言ってしまわないようにすること。
「掛け算順序否定派」の連中の皆さんは我が身を省みざるを得ないでしょう。「おかしなことを言っている人達」に入ってないかどうかってことな。で。みなさん
おかしなことを言ってしまった自分に妥協してしまって重ねて変なことを言ってしまわないようにすること。
お気をつけ為さい。
石田のヲモツタコト「学習指導要領に書いてある」2013.11.08
1)通りすがり
いっそのこと学習指導要領の説明に非アーベル群を盛り込むしか・・・視野の狭さを解決できないのでは
2)nomisuke(2013.06.11)
非アーベル群などまったく関係無い。
アーベル群の基本もろくすっぽ知りもせんのに斯様に揶揄して喜ぶバカには困ったもんだ。大抵の連中がこの類いだが。
3)nomisuke(2013.06.11)
長方形の面積を求める時に、縦横の可換を否定する教員はゼロに近いと思っています。
私が前のコメントで言いたかったのは・・・
教師が「ひとつ分×いくつ分 という順番で書くこと」を強制した時に、生徒が「教師の望んでいる式とは逆順の式」を書いても間違いにはできない・・ということです。
これは強制してはイケナイということを言いたいのではなく、たとえ強制を受け入れても生徒が「教師の望んでいる式とは逆順の式を書く可能性」はあるし、教師はその式を「間違いと断定する理論的な根拠」が無いということです。(おおくぼ)
ちと古いコメントだが偶々目にとまったんで。
「強制する」とは物騒な言葉遣いが好きだねえ。アンタたちは。それを言うなら数学の約束事は全て強制だよ。
掛け算を「一つ分×幾つ分」と書くことにするというのは(その反対でも構わんけどね)強制でもなんでもない。約束事のもとに考えるという当たり前のこと。
ある約束事に従って考えを述べなさいというときに、その約束事に反した書き方をしたらバツにされて「も」当然だろう。
4)nomisuke(2013.06.11)
訳が分からないのですが、教える側が「a×bはaをb個足す」と導入するのはあり、ということです。
このように導入しても、a×bとb×aは同じことで「4人に3個ずつ蜜柑を配る場合の蜜柑の総数」を4×3としてもまったく正しいですよ。
教える側が、順序を意識して教えるのは構わない。しかしどう教えようが、掛け算に順序はない。
これだけのことですよ。(積分呆数)
相変わらずトンデモを吹聴しとる。笑。
何が「導入するのはアリ」だ。笑。もしその導入が数学的に正しければ順序が生ずるではないか。!。大笑。然様であるのに「このように導入しても、a×bとb×aは同じことで」というのは訳が分からんが、トンデモ故当然か。
「教える側が、順序を意識して教えるのは構わない。しかしどう教えようが、掛け算に順序はない。」トンデモは兎も角、これは数学教師として無責任である。「掛け算に順序はない」のが「唯一」正しい考え方であれば、「掛け算で順序を考える」ことは誤りだろう。しかるにこの御仁は「順序を意識して教えるのは構わない。」と宣う。無責任此処に極まれりである。
最終更新:2014年07月28日 07:38