映姫10



うpろだ1355


楽園の最高裁判長が生活する個室。
普段の厳格な態度からは想像しがたい、女の子らしい内装の部屋にファンシーな人形やら何やらが置かれた部屋。

その部屋に似つかわしくない大きな声でのお説教。そしてそれを聞かされている一人の冴えない男。

それが俺だ。

外の世界から幻想郷に流れ着いて、彼岸をうろついている所を助けられて……
閻魔である映姫様に ただの人間である俺が告白して、それが受け入れられて、一緒に仕事をするようになって……

本当に色々あった。

紛れもなく幸せだった。だが愚かにも俺は、その幸せに慣れてしまった。とても恵まれた今の状況を、当然の環境だと思ってしまった。

「 まったく、まだ善行の何たるかを理解していないようですね。いいですか? 貴方は そう――― 」

いつもと変わらないお説教。毎日説かれるお説法。
ありがたいお話も、それが優しさなのだと解ってはいても、時間が経つにつれ慣れが来て、そのありがたみを忘れてしまう。
親のお叱りを鬱陶しいと感じるように、毎日同じような話を聞かされていればさすがにウンザリするというもの。
映姫様とのお付き合いをさせてもらうようになって数ヶ月。 最初はぎこちなかった関係が徐々に慣れ始め、慣れ始めたからこそ悪い部分も見え始める。
普段ならば耳の痛い話も我慢するのだが、今日色々あった俺はすこぶる機嫌が悪かった。 だから―――

「 あぁもう! わかってますって!! 」
「 っ!? 」
「 理解しててもねぇ、俺も色々忙しいんですよ! 善行善行気にしてたら疲れるんですこっちも! 」

机を派手に叩いて大声で喚き散らす。説教に対する、 いや、映姫様に対する初めての反抗。
突然の俺の行動に、説教を止め、驚いた表情のまま黙って俺を見つめる映姫様。
―――あぁ、今の俺がこの時の自分を目の前にしたら、本気でブン殴っている所だ。

「 ……そう  ですか 」
「 う…… 」

驚いた表情が少し哀しそうな表情に変わると、そのまま俯いてしまった。
俺の為に叱ってくれていたのだと、そんな事は随分前から解っていた筈なのに。 今更「馬鹿な事をした」と思ってるのだから本当に救い様が無い。

「 貴方は……貴方だけは 」

俯いたまま俺に背中を向ける。その肩が少し震えている。
今止めないと、今こちらを向かせないと、なんだか二度と手が届かない気がする。

「 私の話を受け入れてくれると…… 思っていました …… 」

なのに何で俺は黙って背中を見つめてるんだろうか。
声をかけれない。手を伸ばせない。 すぐに素直に謝るべきだと解っているのに動揺していて動けない。
冴えてないのは顔だけではない。正真正銘のロクデナシだ。

「 ごめんなさい…… 」

部屋を出ていってしまった映姫様。
その後ろ姿が見えなくなった後、今更「しまった」と追いかける。 思い出すだけで自分の要領の悪さにイライラしてくる。
しかし外に出た時点で映姫様は飛び去ってしまった。タダの人間である俺が飛べる筈も無く、どんどん遠くなる映姫様を必死に走って追いかける。



「 っげ!? 」

その頃、三途で仕事をサボっていた死神 小野塚 小町は物凄い勢いで飛んでくる上司の姿に飛び起きた。
これはただ様子を見に来たってスピードじゃない。
寝てたのがバレて、叱り付けに来たのだろうと思った小町は、向かってくる上司の姿に無駄だと解ってて言い訳する。

「 あぁ四季様違うんですあれは少し転んでしまって痛くて立ち上がれなかっただけで決してサボって寝ていた訳では……  あ? 」

しかし上司の閻魔様は、自分を叱り付ける訳でも殴りつける訳でもなく、その頭上を飛び去ってしまった。
小町は通り過ぎた時に一瞬映った、上司の表情を見逃さなかった。

「 …… 四季様? 」

続いて後ろから息を切らしながら追ってきたこの男。
その様子を見て小町は一瞬で事態を察知した。いつかこんな事もあるだろうと予想していたから。

「 なるほどねぇ。アンタ四季様に何かやっちまったろ 」

若干小町の目が鋭くなっていたが、たぶん小町自身は気付いてない。

「 説教がいつものように始まって ……でも俺イライラしてたから、八つ当たりしちゃって …… 」
「 なーるほど。そりゃアンタが悪い 」
「 ですよね …… 」
「 四季様はね、根が真っ直ぐで人の為に成りたいって善い人生を心掛けてる、今時あっちの世界にゃ殊勝な人間だからアンタを傍に置いたんだよ。
  そりゃあ道を示してやるお説教にも熱が入るってもんさね 」
「 …… 」

彼女にはよく愚痴や相談を聞いてもらっている。人と話をするのが好きな死神さんみたいで、たとえ仕事中でも話を聞いてくれる。
その彼女に言われて、改めて後悔の念が押し寄せてくる。 理解していた筈なのに。

「 けど、そいつをあんたは否定しちまったんだよ。そりゃイライラするのは解るけど、まったく言い方ってもんがあるだろう? 」

いつもより若干声色が刺々しい気がするが、今の俺には相応しい。
先程までの自分の行為を思い出して激しい自己嫌悪に陥る。こんな自分に頑張ってくれた映姫様に申し訳が無い。

というかよく考えてみれば元より映姫様は神様、俺は何の力も無いただの人間だし、釣りあう筈も無い訳で……
俺とここで別れて、もっと相応しい相手を見つけたほうが彼女の幸せの為なんじゃないかとか、マイナスイメージばかりが浮かんでくる。
駄目だ。これ以上気分が沈んだら不味い気がする。
俺は立ち上がると、トボトボとあても無く歩み出した。

「 おーいどこいくんだ? 」
「 少し頭を冷やしてくる。一人で考えたい事があるんで…… 」
「 オイオイオイ、アンタ一人で外に出たら妖怪に ……  って人の話は最後まで聞いてけってんだよ、無粋だねぇ 」

追いかけようとした小町に突然声がかかる。

「 あらあら、何か面白い事のにおい 」
「 おや、アンタかい 」

空間が割れ、そのスキマから妖怪がひょっこりと顔を出した。

「 閻魔様と最近一緒にいた、あの人間の子……面白そうだと思ってずっと様子を伺っていたのだけど 」
「 ご苦労なことで。 実は赫々云々でねぇ 」
「 まぁ! まさかとは思ってたけど本当に恋仲だったなんて! 人間と神様の禁じられた恋……惹かれるわぁ 」
「 アンタも人間と付き合ってるじゃあないか……なぁ、アンタ。もし暇ならさ 」

「 ええ、協力してあげるわ。 私閻魔様は苦手ですけれど、面白い事には目がありませんの。例えば他人の恋路とか…… 」
「 全く……恋路の邪魔はするんじゃないよ 」
「 もちろんよ。私にかかれば恋路を無理矢理作る事だってどうという事はないわ……うふふ 」




歩き始めて随分時間が経ったようで、もう夕方だ。
一人になって実感する。寂しいなぁ と。
もう一度映姫様と他愛ない話をして笑いあいたい。もう一度、いや いつまでも映姫様と一緒にいたい。
なんでこう俺はいつも 失ってから初めて気付くんだろうか……

「 オイ、人間 」

思考を遮断される、幼くも威厳に満ちた声が後ろから聞こえる。

「 人間の餓鬼が人里を離れて一人遊びか。なるほど彼岸も近いようだが、自殺志願者というワケだ 」

従者に傘を差され、蝙蝠のような羽を生やした少女がくっくと喉を鳴らし、笑う。
俺よりも遥かに小さい少女が俺を餓鬼呼ばわり、しかしその姿は極めて威厳に溢れ、見た目にそぐわぬ圧迫感を与えてくる。
妖怪――― あぁ、今日の俺はつくづく馬鹿としか言いようが無い。
一人でこんな所をうろついている自分が極めて危険な状況にいるという事に今更気付いたのだから。

「 お前に用がある。一緒に来てもらうよ 」

ヤバイ、捕まったら食われて死ぬ。
急いで背を向けて、俺は逃

「 咲夜ッ!! 」

従者と妖怪の姿が消えたかと思うと、そこで俺の意識は途絶えた―――








「 ふぅ…… 」

人気の無い所で独り溜息を吐く楽園の閻魔様。
溜息を吐けば幸せが逃げると言うけれど、幸せが逃げたから溜息が出てしまうのだ。

「 直らないわねぇ、この癖は…… 」

自分は そう。少し話に熱が入りすぎる。 解っている筈なのに。
どうしても罪を犯しそうな者、罪を犯した者を見過ごせない。迷惑だろうと思っていても注意が長くなりすぎる。
今までも何度かそれで損をしたり、嫌われたりもしてきたのに。

「 ふぅ…… 」

しかし自分は間違った事をしたつもりも、間違っているとも思ってはいない。
地獄に落ちる前に、誰かが教えねばならないのだ。たとえ彼が私を嫌って戻ってこなかったとしても、教えを守って地獄に落とさずに済むのなら……
元より私は閻魔、彼は人間…… 違える種族が結ばれるより、人間同士で結ばれたほうが、もしかしたら彼も幸せに……


「 今日は。ご機嫌いかが? 閻魔様 」

閻魔の目の前に突然顔が現れる。しかしそれに動じる事なく、気だるそうに顔を上げる。

「 貴女ですか……申し訳ありませんが、最悪です 」
「 まぁ 」

これは失礼、とワザとらしく頭を下げるスキマ妖怪。

「 何か用ですか。貴女から私の前に現れるとは珍しい 」
「 さて、何でしょう。大した用件は無いのですけれど、大したことの無い用件なら結構あったりなんかして 」
「 ……ハッキリ言ったらどうです? 大方何があったかは知っているのでしょう。私を馬鹿にでもしにきましたか 」

再び大きく溜息をつくと、鬱陶しそうに顔を背ける。

「 うふふ、閻魔様をからかえるなんて、北斗七星が北極星を食べるまでに一回あるか無いかの機会だわぁ 」
「 馬鹿にして良いと言った覚えはありません。もう一度言いますが機嫌が悪いのです。さっさとどこへなりとお行きなさい 」
「 あら、いつものお説教は? 」
「 しつこいわね貴女は……! いいでしょう、そんなに叱られたければ望み通りに――― 」

きゃあ、と可愛らしい声を上げ、身構えた紫だが

「 …… 」
「 あ、あら? 」

説教をする気分にはなれなかった。
無理もない、先程のそれが原因でこんな事になっているのだから。
顔を俯けると、再びしゃがみこんでしまった。

「 …随分としぼんでしまったわねぇ、閻魔様。いつもの威厳はどうしたのよ 」
「 …… 」

紫は映姫の様子を見ながら、「今となっては恋愛に関して、私のほうが上手みたいねぇ」 とほくそ笑んだ。

「 そうそう、彼。 今大変な事になってるみたいよ 」
「 え? 」
「 急いだほうがいいんじゃないかしらぁ 」

浄玻璃の鏡を取り出し、様子を伺う。
映ったのは紅魔館。
館へと入っていく紅い悪魔。そして付き人の従者の背中には…

「 ―――ッ! 」
「 さて、どうしましょう閻魔様 」

映姫は急いで飛び立とうとするが、紫に肩を捕まれる。

「 何ですか! いい加減に……! 」
「 入りなさい 」

縦に開かれた境界。カーテンのように靡くスキマの向こうは、紅魔館の上空へと繋がっていた。

「 この幕を一度通れば、閻魔様は舞台の主役。 ささ、王子様を助けにいきなさいな 」
「 …… 感謝します 」

映姫がスキマを潜ったのを見届けると、紫はそこから顔を覗かせ、ニヤニヤと笑い出した。

「 さぁて、観客(わたし) を楽しませてくださいな、名優の皆様方…… 」






「 演技は良い 」

壁に縛られたまま意味の解らない言葉をイキナリ投げられる。こんな唐突な言葉にどう反応を返せばいいんだ。

「 芝居の高揚は……退屈な時間を忘れさせてくれる 」

出演を今か今かと待ちわびている舞台裏の役者のように、椅子に座りながら天を仰ぐ妖怪。
どうやら俺に話しかけているのではないらしい。

「 咲夜、準備は出来ているな? 」
「 無論です 」

話が見えない。こいつらは一体何がしたいんだ。
俺は一体何の為にここに連れてこられたんだ。殴られたらしい後頭部がズキズキと痛む。

「 おい、俺をどうしたいんだ……言っておくけど俺は食っても絶対不味いぞ。健康状態が良いとは言えないし 」
「 あぁ、心配せんでもお前を食ったりはしないさ。私は崇高なる吸血鬼……肉は食わんし、何より私は少食だ。お前が死ぬほど血は飲めん 」
「 は? 」

え? 食わないのか。じゃあ一体目的は何だ。俺の血か。
疑問が浮かぶが、その疑問は館を突然襲った振動によって遮られた。

「 お嬢様、門を抜けてきたようです 」
「 ―――来たか 」

待ちわびたと言わんばかりにニタリと笑う吸血鬼。
衣服をさっと手直しすると、再びドカリと椅子に腰掛けた。

程なくして開かれた部屋の扉

映姫様だった。

「 映姫様!! 」
「 よかった……無事だったのね…… 」

こんな俺の為に、ここまで来てくれたのか。あんな酷い事をしてしまったのに―――
安堵の表情を見せた映姫様の顔に、思わず泣きそうになった。
彼女はまだ俺のことを考えてくれていたのだと。

「 これは驚いた。楽園の最高裁判長が、こんな小汚い館に何か御用かな 」

椅子に座ったまま傲慢な態度で吸血鬼が語りかける。

「 単刀直入に言いましょう。彼を帰してもらいます 」
「 話が見えんな。 外から流れ着いた人間をどうしようと、我々妖怪の勝手では無いかしら 」
「 たしかに……しかし今回は例外です。死後の管轄である「私が原因」で、人間が死ぬ事は避けねばなりません 」
「 ほう、コレがあんな所にいた原因を作ったのは、閻魔である貴女様が原因と。興味深いな、話を聞かせてもらえないか 」
「 貴女に話す必要はありません 」

吸血鬼も映姫様も、物凄い威圧感を出しながらの話し合い。
壁に縛られ遠くから眺めているだけで、小便を漏らしそうになる。

「 何、心配する事は無いよ閻魔様……何も彼を殺そうと言うのではない 」
「 どういう事です…… 」
「 なんだかこの人間が気に入ってしまったのでね……私の眷属(オモチャ)として扱おうかと 」

俺のどこが目に止まったっていうんだ。いや、止まったとしても冗談じゃない。

「 血を吸って、ですか。それは人として死ぬも同じ事…… 認める訳にはいきません 」

「 フン、素直に「大切な彼を返してくれ」 と言えば良いものを。 咲夜ッ!! 」
「 ! 」

従者が指を鳴らすと、大勢のメイドが武器を持って飛び出し、映姫様を取り囲んだ。

「 …… 」
「 お客様がお帰りだ。丁重にあの世まで送って差し上げろ 」
「 畏まりました 」

なんだか大変な事になってきた。
この空気、映姫様が危険なんじゃないのか。

「 映姫様、俺の事はいいんで逃げてください! こいつらたぶん本気ですよ!! 」

しかし映姫様は、こっちに微笑むと、「心配はいりません」 と棒を取り出した。
たしかにあの棒で殴られると痛いけど……あれでこんな人数を相手にするなんて、いくら何でも無茶すぎる。
メイド達が一斉に映姫様に飛び掛ると、すぐに埋もれて姿が見えなくなってしまった。

「 おい、吸血鬼、止めてくれ! お前の目的は俺なんだろ! 」

しかし吸血鬼は見ていて不快になる笑みを浮かべながら様子を伺うばかり。俺の話など聞いてはいない。
こいつは本当に俺の事が眼中にあるのか。
映姫様はメイド達に埋もれたまま全く反応が見えない。

「 映姫様ぁ! 」

耐え切れず叫んだ刹那、取り囲んでいたメイド軍団の間から、六つの光の羽が揚がった。
その羽の中央から大量の大弾と巨大な光線が出たかと思うと、瞬く間にメイド達が吹き飛ばされていく。

「 ギルティ・オワ・ノットギルティ……もっとも、閻魔に手をかけた時点で、結果がどちらかは決まっているけれど 」

「 映姫様…… すげぇ 」
「 心配はいらないと言った筈です 」

改めて彼女の力を目の当たりにして、唖然とする。誇らしげに ふん と鼻を鳴らす映姫様に、吸血鬼が不快な目を向ける。

「 フン、さすがは地獄の神、閻魔様と言った所かしら。 妖精共をいくら掻き集めた程度でくたばる筈も無いか 」
「 格下を嗾けても無駄な事です。これ以上無為な被害を出す必要も無し…… 腰を上げてはどうですか吸血鬼。この館の主としての誇りがあるのなら ですが 」

ビキッ という音が吸血鬼の頭から聞こえたかと思うと、その小さな体を凌駕する、巨大な紅い槍が現れる。

「 調子に乗るなよ地蔵風情が…… あの世で大人しく魂相手に裁判ごっこでもしているがいいッ!! 」
「 私の裁きは絶対です…… 何人たりとも決定を覆す事は出来ません。私の判決はごっこなどという軽々しい物ではないッ! 」

巨大な槍を悔悟の棒で受け止め、鍔迫り合いが続く。
人間の目ではとても捉えきれないようなとんでもないスピードでの戦い、何が起こってるかもよくわからない。
両者が距離を取り、動きが一瞬止まった。
映姫様は先程の六つの翼を羽ばたかせ、吸血鬼が槍を振りかぶり、投げる態勢を取ると、


「 ラストジャッジメント!! 」
「 貫けェェ! スピア・ザ・グングニルッ!! 」

両者が同時に最大の一撃を繰り出した。


「 ぬぅぅッ、うがぁぁぁぁあッ!! 」

映姫様の光線が吸血鬼の体を完全に捉え、吸血鬼は回避行動を取ったものの、光と一緒に激しく壁まで吹き飛んでいく。

「 ぐ……っ 」

しかし映姫様も、槍が左肩に突き刺さっており、無事とは言えない。

「 ちょ、大丈夫ですか! 」
「 こ、この程度の傷、すぐに直ります……しかしそれは相手も同じ事、早急にここを去りましょう 」

映姫様の言う通り、肩の傷口はみるみる塞がっていく。
棒で俺を縛っていた縄を切断すると、俺の腕を引いて手早く部屋を出ようとした。 が

「 スター・オブ・ダビデ…… 」

「 危ない! 」
「 うおぉぉ!? 」

部屋全体を網のようなレーザーが包み込み、行く手を遮られてしまう。
舞い上がる煙の中に吸血鬼の声が響く。

「 残念だけど、まだ幕を下ろすには早すぎる……今のはさすがに痛かったわよ閻魔様 」
「 お互い様です。そろそろ諦めてくれませんか……私もまだ仕事が残っていますから 」

グズグズという音を立てながら吸血鬼の傷口が塞がっていく。
とはいえ回復が間に合っていないのか足がふらついている。

「 チッ 」
「 苦しそうですね。 その様子では私と戦っても結果が見えているでしょう。大人しく退きなさい、吸血鬼 」
「 たしかに……さすがは神様といった所かな。一妖怪の私では、正面からぶつかってもさすがに厳しいみたい……けど! 」

突然俺の視界が変わる。
映姫様の隣で吸血鬼を眺めていた俺が、なぜか吸血鬼の傍で映姫様を眺めていた。

「 え、何、何が起きた!? 」
「 動かないで頂戴。死ぬわよ 」

戸惑う俺に背後から人を凍らすような冷たい声、そして喉には熱を感じない冷たいナイフが突きつけられていた。
最初に吸血鬼に会った時も傍に居たこの従者、こいつもたぶん妖怪の類だろう。
映姫様に気付かれることなく僕を瞬間移動させるなんて、普通の人間じゃ絶対出来る筈がない。

「 な……彼に何を!? 」
「 よし、そのまま押さえてろ咲夜……さぁて閻魔様、第二幕を始めましょう。 もちろん反撃したり回避したりしたら…… わかってるわよねぇ 」
「 卑怯な……! 」

どうやら俺は人質になってしまったらしい。
あぁ、本当に迷惑をかけてばかりだ。というよりこんな事になってしまったのも、元はといえば俺が原因じゃないか。
男のクセに好きな女性一人守る事が出来ず、というか守られるどころか足を引っ張っている。本当に俺は救えない奴だ。

「 アッハハハハハ! デーモンキングクレイドルッ!! 」
「 ……っ 」

吸血鬼が自分の体を激しく回転させ、まるで弾丸のように映姫様の腹部へと突進する。
しかし映姫様はその攻撃を全く避けようともせず、真正面から直撃を受けた。

「 うっ……ぐは……! 」

吸血鬼は映姫様の腹に体をめり込ませながら、そのまま壁へと突っ込んでいき、派手な音を立てて壁が崩れ堕ちる。

「 映姫様!! 」

呼びかけるも反応が無い。
もくもくと揚がる埃が少しずつ晴れてくると、壁にもたれるように倒れた映姫様が見えた。

「 映姫様……! くそ、おい離せよお前!! 」
「 動かないでと言ったでしょう? 」
「 痛ぇ!! 」

ズブリとナイフの先端を首に突き立て、そこから血が滲む。
絶妙な力加減でナイフを突き刺してくる。しかも俺の腕を掴んでいるこの女の手はビクともしない。とんでもない腕力だ。
どうすりゃいい……どうすりゃいい……
思考を巡らせるもまるで何も浮かばない。この女を何とかしなくては。

「 う……うう……ゲホッ 」

宙を羽で仰ぎながら、吸血鬼が笑う。

「 ふぅん、アレの直撃を受けてまだ立てるとは……まったく神様ってのはどこまで頑丈なのかしら 」
「 少なくとも……貴女に倒されるような軟な体ではありません…… 」
「 減らず口を! 」

俺が手を考えている内にも映姫様は一方的に攻撃されている。

「 ッ 映姫様、もういいです! 反撃してください! 」
「 ……出来るわけが……無いでしょう 」

なんでだ。
今日の事を思い出してくれ。俺をそこまでして助ける価値があるのか。
この人は優しすぎる。
俺が手を拱いて見ているしかない中、とうとう映姫様が倒れてしまう。

「 くぅっ……う…… 」

「 フフ、随分とお優しい事ねぇ、閻魔様…反吐が出るわ。フィナーレとしては呆気ない結末だけど、そろそろ幕と行こうかしら 」
「 そこまでだよ! 」
「 ム!? 」

唐突に聞き覚えのある声が聞こえたかと思うと、俺にナイフを突きつけていたメイドの腕に、どこからともなく銭が飛んできてナイフを弾き飛ばした。

「 くっ、何奴!? 」
「 そうさねぇ、あたいはただのウマの骨だな。 ホラあれだよ。人の恋路を邪魔するヤツぁ、ウマに蹴られて死んじまえ ってな 」

俺を庇うように大鎌を広げると、こちらに顔を向けてニッと微笑んだ。

「 こまっちゃん!! 」
「 こ……小町……? どうして貴女がここに…… 」
「 良い感じで盛り上がってるねぇ。少し下がってな 」

思わぬ助っ人の登場に心が躍る。

「私達、勝利の女神以外はお呼びじゃありませんわ。死神なんて厄病神にはさっさとお引取り願おうかしら 」
「 おっと、あたいの相手はアンタかい、メイド長 」

新しい役者の登場に若干戸惑った顔を見せる吸血鬼。

「 まったくスキマ妖怪が何かを見てると思いきや、随分と粋じゃない真似をするんだねぇ吸血鬼 」
「 アンタが来るとは聞いてなかったが……まぁいいさ、この閻魔の次はお前を始末してやるよ 」
「 そうはいかない。ウチの上司の審判は、まだ終わっちゃいないからねぇ 」

吸血鬼が映姫様を見る。しかし、最早戦うどころか立ち上がる事で精一杯だ。

「 フン、こんな状態でこいつが私に勝てるとでもいうのかい? 」
「 あぁ……四季様はそういうお方だからサ 」

おいおい何を言ってるんだこの人は。いくら映姫様でもあの状態じゃ……

「 おい 」

何か俺に出来る事はないのかと考えていた所に、小町がメイド長と睨みあいながら話かけてくる。

「 四季様の為に祈ってやんな。気休めなんかじゃない、アンタが四季様の勝利を祈ってやれば……あの人は絶対勝ってくれる 」
「 祈る……? 」
「 あぁ、そいつはアンタにしかできない事だからねぇ!! 」

そう叫ぶと、小町はメイドと激しい弾幕の競り合いを始めた。
祈れって何だよ……俺はそんな事しか出来ないのか……
だがこんな人外だらけの戦いで唯一普通の人間の俺が、戦いに出しゃばった所で何が出来るんだろうか。

「 ハハハハハ! 神を助ける為に神に祈れ、とは、 ン何とも傑作だわ! 」
「 くっ…… 」
「 おおっと、早くも傷が塞がり始めているじゃない。これ以上長引いても興が殺がれるだけだし……これでフィナーレよ!! 」

吸血鬼が映姫様との距離を詰め始める。

「 映姫様ぁぁぁぁ!! 」

小町の言う事を信じて、俺はただ、必死に祈った。


大好きな映姫様に勝ってほしい。
こんな所で別れたくない。まだ一緒にいたい。何より、今日の事を謝りたい。
俺は映姫様の事が―――


すると、映姫様の体がうっすらと光を帯び始めた。

「 こ、これは……? 」

映姫様の傷の回復が、速度を増していく。

「 力が……漲る…… 」
「 何だ…? フン、何だかよくわからんが、もうその態勢ではどうしようもあるまい! 喰らえッ ドラキュラクレイドル!! 」

膝をついた状態の映姫様に、先程よりも突進力を増し、紅いオーラを纏った吸血鬼が突っ込んでいく。
俺は思わず目を瞑った。



「 ば、馬鹿な……! 」


吸血鬼の攻撃が、映姫様の片腕で受け止められていた。

「 何だこの力は……あり得ない! 回復する前よりも力が増しているなんて……! 」
「 どうやら……彼に助けられたようですね 」
「 あそこで呆けているアレに……助けられた……!? 」

え、俺?
吸血鬼の腕を掴んだまま、完全に傷が回復した映姫様が、僕を見て微笑む。
俺はただ、映姫様の為に祈る事しか出来なかったんだけど……


「 お嬢様! 」
「 スキありィ! 」

小町が主の方に気を取られたメイドを距離を操り引き寄せると、大鎌を首に突きつけた。

「 ……! 」
「 大人しくしな。今ならアンタが『時を止める』よりも早く、その首跳ね飛ばせるよ 」

ニタリと笑う死神。メイドは口惜しそうに抵抗を止める。
時を止める……そんな事が出来るなんて、本当に幻想郷ってのは何でもアリだ。


「 万策尽きたようですねレミリア・スカーレット……貴女の負けです 」
「 何なの一体……その力は…… 」
「 ――― 『信仰』です 」
「 信仰……? 」
「 神は人や妖怪の信仰から力を得る事が出来る……彼が私の為に祈ってくれたお陰で、助かりましたよ 」

悔悟の棒を喉元に突きつけ、降伏を迫る。

「 信仰……映姫様に祈るだけで、力になる事が出来たのか…… 」
「 ええ…… 貴方の想いがとても強かったお陰で……もう私の体も何ともありません 」

映姫様の体の傷は完治しただけでなく、何だかさっきまでよりも力強く感じる。

「 さて、死後の管理者という立場上、私は命を奪う事はしません。が、閻魔に歯向かった罪…… 卑劣にも人質を取った罪…… まだ罪を重ねるおつもりか? 」
「 ……ッチ、 私の負けだ……降参よ 」

吸血鬼がその場に尻餅を付くように倒れこむ。
吸血鬼と閻魔の戦いが、ようやく幕を下ろした。





「 いやぁ、危ない所だったねぇ 」
「 ほんとだよ、あの時来てくれなかったらどうなってたやら…… 」
「 ありがとう、小町。本当に助かったわ… 」

珍しく褒められて、照れくさそうに頭を掻く。

「 あ~、ホラ。あたいの事は置いといて さ 」

二人を交互に見渡す小町。
俺と映姫様の目が合う。 少しの間を置いて、映姫様が突然俺に抱きついてきた。

「 え、えーき様? 」
「 ……無事で良かった……本当に…… 」

あれだけ傷を負ったのだ。こっちが無事かと聞きたいくらいなのに、この人は自分よりも人の事ばかりを気にしている。
俺は殆ど何もしていなかったようなもの、っていうか、俺が原因でこうなってしまったのに。

「 怪我は、怪我はありませんか? 」

慌しく体を気にしてくるその姿は…… 神とかそんなんじゃなく、普通の女の子だった。
その姿が本当に可愛らしくて、俺が人間だろうが彼女が神だろうがそんな事はどうでもよくなって……

俺も映姫様を抱きしめた。

「 わお 」

小町は背中を向ける。

「 あ……あの 」

珍しく顔を紅くする映姫様。

「 今日は……本当にすみませんでした。映姫様が俺の為に叱ってくれているって解っていた筈なのに……それに、こんな大変な事になってしまって 」
「 ……いえ、私の方こそ、貴方への配慮が足りなかったんです 」

顔を見合わせ、微笑みあう。
良い雰囲気になってきた所で、余計な声が入ってきた。


「 あらぁ、めでたしめでたしといった所かしら? 」

空を見上げると、パックリ開いたスキマから、八雲 紫が顔を覗かせていた。

「 神様と人間の恋…… 素敵だわぁ、憧れちゃう 」
「 貴女も人間と付き合っているでしょう…… 」

大げさに体をくねらせるスキマ妖怪に、苦笑する。

「 ええ。妖怪は人間を恐れさせる事が善行……しかし、共に歩む事が罪な訳ではない……そう私に説いてくれたのは貴女ですもの、閻魔様 」
「 ……そんな事もありましたね 」
「 人間と神様、結構な関係じゃない。神様と人間も、互いに助け合ってるって今回解ったんだから 」

信仰。
神様と人間、神様と妖怪を結ぶ力。
神とて、人や妖怪と共に歩むからこそ存在できるのだ。

「 そうですね……種族というものに、いつの間にか私も捕らわれていたのかもしれません。 …貴女に説教をされるとは思ってなかったわ 」
「 うふふ、たまには良いじゃない。今日は良い見世物を見させてもらったわぁ 」

今夜をお楽しみに、とスキマ妖怪がからかうと、映姫様は顔を真っ赤にして棒を振り回す。

「 なんだかんだで上手く寄りを戻してくれたねぇ。こういった点はさすがだよあの妖怪 」
「 ん? 何? 」
「 いんや、別に 」


頭にコブを作った紫と小町が、幸せそうな二人の姿を遠めに眺めていた。


「 いやぁ、しかし驚いたね。信仰の力はすげーってのは知ってたけれど、たった一人の人間の信仰程度で、あんなに神様は強くなれんのかい 」
「 そんなワケないじゃない 」
「 え? 」
「 信仰ってのはね、想いの強さにも影響するのよ。それは畏れだったり、酒を飲みあう遊び程度の小さな関係だったり 色々よ 」

小町は少し考え込んだあと、上司の背中を見てひらめいた。

「 ははぁ、なるほどね…… 想いの力が神の力になるってんなら、それほど強い信仰もあるまいよ 」
「 そういう事。 良いものねぇ 『愛』 って 」


たとえ人間同士でなくたって、心が通じ合うならば共に歩む事が出来る筈だ。
それは神や妖怪だって例外ではない。 幻想郷は今日も平和である。
お互いがお互いを必要としているからこそ、妖怪も人間も神様も、この世界で存在出来るのだから。







おまけ





「 ふー、ご苦労だった。咲夜 」
「 お嬢様、演出過剰です……館の破損が酷い事になってますわ 」
「 いいじゃない別に。門なら毎日修理してるんだから、部屋の一つ二つ修理が増えた所で大して変わらないじゃない 」

メイド長が深く溜息をつくと、木の板を運ぶ作業へと戻っていく。


「 お疲れ様、名女優さん 」
「 観客がノックも無しに控え室に入るんじゃあないよ 」
「 あら失礼。ドアも壁もメチャクチャになっててどこから控え室なのか解らなかったわ 」
「 どうせスキマから湧いて出る癖に。 どう? ご要望通りの演出を催したつもりだけど、ご満足頂けたかしら 」
「 ええ、最高の舞台だったわ。あの二人、自分の事より相手の事ばっかり気にしてたからねぇ、見てらんないわ 」

大げさに溜息をつくスキマ妖怪。

「 私にいきなり『舞台の大役を任せたい』 なんて何ごとかと思ったわよ。アンタがこんなお人よしだったとはねぇ 」
「 それにしても意外だわ。貴女にお芝居の趣味があるなんて 」
「 モケーレムベンベの一件以降、なんだか面白くなってきてねぇ。中々悪役も様になってたろう。本当は人質なんてプライドが許さないんだから 」
「 も、もけ? 何? というか貴女もともと悪役ってキャラしてるじゃない 」
「 どうでもいいじゃないそんな事。 けど次は出来れば正義のダークヒーローを演じたいわ。紅き仮面の吸血鬼、スカーレットマスク! 」
「 はいはい素敵素敵。 ……しかし閻魔様相手によくもまぁ物怖じせずにあそこまでやれたもんだわ。結構本気だったでしょ、アレ 」
「 神様相手に手加減なんて出来るわけないじゃない。あっちは事情を知らないんだから。 というかあの死神は何だったのよ、予定外よあれは 」
「 観客席に居たいっていうから一緒に見ていたんだけど、途中のノリで飛び出していっちゃってねぇ。多分あの死神もよくわかってなかったんでしょうけど結果的に良い演出だったわ 」
「 まったく、結構焦って顔に出ちゃったんだから 」

あぁ、と呟き、今何かを思い出したのか吸血鬼に尋ねる。

「 そういえば。アナタあそこで死神が出ていかなかったら勝っちゃってたんじゃないの? 一体あの後どうするつもりだったのよ 」
「 ん~、死神がこなくてもあの人間が祈るなりなんなりしてたと思うわよ 」
「 適当な脚本ねぇ。演出家がそんなんじゃ脚本を任せる訳にはいかないわ 」
「 お前……私の能力を何だと思ってるんだ? 展開が多少変わっても、一度決まった舞台の結末までは絶対に変わらないよ 」

「 あぁなるほど……『運命を操る程度の力』。 ……貴女、ほんとにそんな力あるのかしら 」
「 私が結果に適当に話をあわせてるだけとでも思っているのか? なら、私の力をもう少し使ってやろうか 」
「 あら、何を見せてくれるのかしら 」
「 見せんじゃなく見るんだよ。 あの人間と閻魔の運命…… どうやら今回の件で互いの道が重なり始めてるようだねぇ。死ぬまで、いや、死んでも幸せにやってるだろうさ 」
「 まぁ。名悪役にして紅き運命のキューピッド。素敵だわ 」
「 名前のセンスないわねぇ。それにしてもなんでアンタがあの閻魔の恋路を助けようと思ったんだい 」
「 貴女に言われたくない……昔に少し借りがあっただけよ 」

スキマ妖怪が小指を立てる。

「 あァ、男か 」
「 そゆこと。私のお相手のあの人も、可愛らしくてねぇ、毎日退屈しないわ 」
「 …… ふぅん 」
「 じゃ、私もそろそろ愛しの恋人の所へ戻ろうかしらね。今日は楽しかったわ、名女優さん 」

スキマ妖怪がノロケを残して姿を消す。
今日の閻魔を思い出す。 人間なんぞの為に神があそこまで必死になって。

恋ってなんだか楽しそうだなぁ。

「 咲夜 」
「 ここに 」
「 私も恋人が欲しいぞ咲夜 」
「 お言葉ですがお嬢様、その役目は不肖ながらこの私、十六夜 咲夜が 」
「 もういい、下がれ 」





楽園の最高裁判長が生活する個室。
普段の厳格な態度からは想像しがたい、女の子らしい内装の部屋にファンシーな人形やら何やらが置かれた部屋。

その部屋に似つかわしくない大きな声のお説教。そしてそれを聞かされている一人の冴えない男。


「 まったく、まだ善行の何たるかを理解していないようですね。いいですか? 貴方は そう――― 」
「 いやァ、人生って難しいねぇ。これからも道案内よろしく頼むよ、映姫 」

いつもと変わらないお説教。毎日説かれるお説法。
閻魔が人間にお説教。普通は避けたいシチュエーション。
だがその二人の様子は、とても幸せそうな恋人同士のようであったそうな。


新ろだ472


中有の道は地獄を卒業するために、魂たちが必死に商売をしている。
「金を稼ぐ」という行為が、即善行につながるため、これが満足に出来れば転生できる、というわけだ。
ここの魂たちは皆現世に転生しようと必死だ。つまり、商魂逞しくなる。
「安いよ安いよ! 遺書がなんと2割引!」
「人魂掬い、3匹取れば1匹サービス!」
夜は妖怪が多く来る。必然的に呼び込みも多くなり、人も多くなる。
そんな人ごみだが、今は自然とある二人組みのために道を明けている。
幻想郷の地獄の閻魔である四季映姫・ヤマザナドゥと地獄の住人○○。
肩を並べて歩く姿は地獄の間では「お熱いカップル」としてすでに有名なものとなっている。
しかし、普段仲のよい空気をかもし出している二人は、今は何か違う空気を放っていた――





四季様……いや映姫は、オレの隣で黙って歩いている。
俺も黙って歩いている。
終始無言。
無言でいると、昔のことを思い出す。
昔、俺と映姫が会ったばっかりのときは、俺は話ばっかりしていた。
どんな小さなチャンスでも、必ず話を仕掛ける。話の話題がなくても、だ。
黙っていたら映姫が離れてしまう……俺はそう思っていた。
しかし、俺が勇気を出して告白し、それが受け入れられてからしばらくすると、会話は無くなっていった。
会話をしなくても、映姫は離れない。いつでもそばにいる。
ソレが嬉しくかった。
「わかって来たようですね」と映姫が話してくれたことは忘れない。
でも、今回の黙り方は違った。理由はわかっている。
――唇に残る、唇の感触。舌に残る、舌の感触。

今日、俺と映姫は初めてのキスをした。

お互いファーストキスだった。
無縁塚の紫色の桜、その下で、俺たち二人は唇を合わせた。
そのときの感触は未だに残っている。

普段なら少しくらい口にする言葉もあるんだろうが、唇の感触を離したくない、そう思って唇を動かすのが億劫になるのだ。
……でも、これから先も、キスぐらいなら出来る。
「映姫」
「○○」
お互いにそう思っていたようで、同時に口を開いた。
「……先にお言いなさい」
「いや、映姫から先でいいよ」
「そうは言いますが……」
「わかった、えーと……」
改めて言おうとすると恥ずかしくなる。
「あー、コホン……初めての、感想は?」
向き合っている映姫の顔が真顔になり、数秒後真っ赤に染まる。
「わ、わわわわわ、私も、今、ソレを聞こうと思っていたところです……」
「そ、そうか……で、感想はわッ?!」
「……周りが聞いてます」
気づけば、魂たちも皆こぞってこっちのほうを向いている。
<○><○>
こっちみんな。
「では、少し行ってきますか……」
説教となると、恋愛ムードもなくなってしまうのが少しさびしいが、それが映姫の魅力でもある。

「皆聞きなさい。あなたたちは立派に商売をすることこそが善行のはず、そもそも色恋沙汰とは……」

少し、自分のことを棚にあげている気もしないではないが……


中有の道を抜け、今は誰もいない道を通っている。
説教のおかげですっかり時間が遅くなってしまった。俺も映姫も、仕事が待っている。
「小町に怒られないかな……」
「あの子も私たちが付き合ってから真面目になっちゃいましたからね……」
急いでいることもあってか、俺たちは先ほど行った行為を忘れかけていた。
そして、三途の川岸が見えてきた頃に、映姫が振り向いて、つぶやいた。
「……とても、良かったですよ、○○」
「え?」
「さっきの答えです。私がずっとずっと思い描いていた以上の、最高の……キスでした。あなたは……どうでしたか?」
「あぁ、俺もだ……また、したいな」
「えぇ。でもここからは『四季様』ですよ」
「あぁ……そうですね、四季様」
俺たちは素敵な初体験の思い出をお互いに心の内にしまいつつ、三途の川の小町の元に向かった。


新ろだ777



「映姫」
「――何ですか?」
「そろそろ夕餉が出来る」
「そうですか。これを書き上げたら行きますね」
「承知した。待っている」



「御馳走様です」
「御粗末様だ」
「お茶、おかわり貰えますか?」
「承知した。待っていろ」



「風呂はどうする」
「差し支えなければ私が先に」
「承知した」
「あ、覗かないで下さいね?」
「――承知、した」



「あら、もうこんな時間ですか」
「十一時か」
「そろそろ寝ましょうか」
「そうだな。――どうした」

「……」
「……」
「……だっこ。」
「――承知した。……これでいいか?」
「……はい♪」


最終更新:2010年07月30日 23:30