静葉2



新ろだ574


 ――赤とか黄とか、綺麗だな。
 自分の語彙及び表現力に軽く絶望しつつ、改めて周囲を見回す。
 色彩豊かな衣装に身を包んだ大地はその肌を見せず、天を仰げば零れる光が天然のステンドグラスを引き立てる。
 紅色、黄色、褐色、はたまた緑色。同じ木でも少しずつ濃淡が違い、立ち位置を少し変えるだけで受ける印象も変わる。
 幻想の名がつく世界だけはある、今日だけで何度感嘆の溜息が口から漏れ出たことかわからない。
 妖怪の山は今まさに紅葉が見ごろ――と聞いてやってきたのだが、どうやら大当たりだったらしい。

 しゃくり、さくり。色付いた葉っぱが足の裏で音を立て、目だけではなく耳からも風光明媚が入り込んでくる。
 あまり乱暴に踏みすぎたりしないようにゆっくりと歩いていく。景色を楽しむことが目的の一つであるから、苦にはならない。
 ふと――、赤や黄の間に新しい色が見えた。肌色の細長い棒状の物のようだ。
 その物体はよく知っているが、それゆえに猜疑心と好奇心が生まれ、自然とそちらへ足を向かせていた。
 さく、さく、さく。

「静、葉……?」

 はたして、よく知っている物体こと人型の足は、どんな紅葉よりも大きい紅葉から伸びていた。
 大きい紅葉はよく見れば紅葉を模した服だとわかる。そして、そんな紅葉の持ち主はこれまたよく知っている人物だった。
 秋静葉。秋を司る姉妹神の姉にして、何を隠そう“今まさに紅葉が見ごろ”の情報発信源である。

 うず高く集められている落ち葉の塊は、しかし自然に積もったかのように違和感なく周囲に溶け込んでいた。
 一際綺麗な葉を選んだのか、落ち葉で作られたベッドはついつい自分も寝てみたいほどの出来栄えであった。
 だが、それはできない。これは一人の少女のためだけにあるものだ。
 この光景を、どうやって例えればいいのだろうか。まるで芸術品のよう? それとも童話のお姫様のよう?
 その名の通り、静かな一枚の葉となって眠る彼女は、何人も触れてはならぬ神聖なものであるかのようだった。
 気がつけば息をしてなかった、気がつけば膝を地面に付いていた、気がつけば何かが頬を伝っていた。
 ――ああ、そうだ。確かに彼女は神なのだ。

 ざわりと体の奥底で何かが蠢き、背中を駆け上って脳天を打った。それはきっと自分自身だったのだ。
 見えない糸が腕に絡みつき、ゆらゆらと侵さざる聖域へ己を誘導していく。
 優しく、静かに、そうしないとすべてが壊れてしまいそうで――そっと、僅かに震える手のひらを少女の頬へと添える。

「綺麗だ……」

 消え入るような声で呟く。目の前にある幻想に対して、それしか言えない自分の語彙と表現力が恨めしい。
 黄葉の如く鮮やかな髪の下、薄く閉じられたまぶたはまだ開かれないようだ。
 そのことに安心したような、残念なような、不思議な気持ちを抱きながら、目線を下げていく。
 ちょこんと乗っている小さな蕾のような鼻を通り過ぎ、少しだけ開いている唇が目に入る。
 口紅などは塗ってなさそうであるが、とても瑞々しい。服は紅葉、髪は黄葉、そして口は赤い花弁が咲いている。
 注意深く耳を澄ませば、風流な秋の風、もとい愛しき少女の呼吸が聞こえてくる。

 ――ああ、そうだ。俺は彼女を愛している。
 たとえば、自分が景色を楽しみにきただけの観光者ならば、あるいは敬虔な信者であるならば。
 この神の領域に近づかず、祈りを捧げてそのまま引き返すということもあっただろう。
 しかし愛している。彼女を、神としてではなく、ただ彼女として、どうしようもなく愛している。
 山を訪れたのも紅葉を見るためだけではない。“今まさに紅葉が見ごろ”という遠回しな彼女の誘いに、密やかな期待もしていた。
 そうだ。俺は、秋静葉に狂っている。

「ん、ふ――」

 息苦しいのか、眠り姫の口から吐息が漏れる。
 残念ながら、愛しい少女をその息苦しさから救うことはできない。なぜなら、彼女の口を塞いでるのは俺の口なのだから。
 強く、けれど痛くないように、唇と唇の隙間を埋める作業を続ける。
 なんだろうか、この柔らかさは。押せば、こちらの唇が沈み込む。かと思えば張りのある弾力で押し戻してくる。
 逆に引こうと思えば、表面が吸い付いてるかのようにこちらを離そうとしない。神なのに魔性さをも感じる。
 ただ唇を合わせているだけで頭がくらくらとしてきた。彼女の魅力は何度確認しても飽き足りることはない。

 ノックアウトされて気絶してしまわないように、そろそろと慎重に舌を突き出していく。
 己の口を抜け、少女の唇に触れた途端、背筋をぞくりと快感が走り抜ける。危ない、一瞬気が遠くなった。
 唇の合わせ目でゆっくりと左右に舌を動かし、神の唇の味というものを脳髄に焼き付ける。やばい、凄く、甘い。
 甘美な味を楽しみながら、少しずつ唇を割って入っていく。焦ってはいけない、焦っても海が割れることはない。
 唐突に、舌の進攻を止める。舌先に当たる硬い感触から、歯のあたりまで進んだのだと判断する。
 優しく、赤子の頭を撫でるように、舌で歯を軽く触れていく。なるほど、静葉の前歯はこういう感じなのか。
 歯の感触を楽しんだ後、更に奥にあるものへと舌を伸ばす。目指せ、神の舌。などと考えた瞬間――、

「むぁ?」

 意味の判別できない疑問系の呻きを響かせて、寝ぼすけの神様が目を覚ました。
 やや半目気味なのはまだ眠気に捕らわれているからなのか、それともこの状況に呆れているからなのか。
 できれば前者がいいな、と思いつつ、ばっちり目が合ってしまって、なんだか動くに動けず硬直してしまっている。
 そんなこちらを見て何を思ったのか、神の少女は半目を三日月状にしならせる。それが意地の悪い笑顔だと気付く時には、既に舌を絡み取られていた。
 くぬりくぬりと、口腔内で二匹の獣が踊る。静葉の舌は快活に跳ね、貪欲に絡み、俺の精神を犯していく。
 負けじとこちらも舌を動かすが、もはや己の意思で動かしている自信はない。あるいは、神の御意思とやらに突き動かされているのかもしれない。

 くちゅ、ちゅ、くちゃ。いやらしい音が唾液と共に落ち葉の上に重なり落ちていく。
 時折、どちらともなく喉が鳴る音も聞こえる。神の唾液は、やはり甘美で淫靡な味わいだった。
 溶けている。間違いなく、俺の舌は、口は、精神は少女と溶け合っていた。今や、俺と静葉は二人で一つの、淫らなイキモノとなっている。
 だから、わかる。彼女が少しずつ、けれど急速に高まっていってるのがわかる。
 もっと激しく求めるか、あるいは少し落ち着いて求めるか。そう迷っているのがわかる。このままでは達してしまうから、でももっと欲しいから。
 俺は、見たい。このまま彼女が昇りつめていくのを見たい。神様がそうなってしまう様を見てみたい。

「ん、んん――!」

 こちらの思いを察したのか、子供みたいにいやいやと頭を左右に振る。しかしその動きは小さいものだった。
 大きく動いて口が離れてしまうのはもっと嫌――。少女の濡れた瞳はそう語っていた。
 小さな抵抗をも断ち切るために、両手でしっかりと彼女の頭を固定し、絶対に逃げられないようにする。
 よりいっそう激しく舌で責め立てるが、それに呼応してあちらの舌も激しさを増す。あまりの快楽に舌が根元から抜け落ちるかと思った。
 舌の動きに反比例するかのように、段々と静葉の眼が焦点を失っていく。そのとろけた表情を見るだけで、こちらが果ててしまいそうである。

「あ、あ――あ――」

 少女の口から艶かしい声が漏れ出る。脳がそれを認識した時、脳内麻薬の分泌がどれほど異常な量だったのか知りたい。
 互いに興奮は覚めやることを知らず、もっともっとと激しく加速していく。だが、どうやらここが限界の地点であるようだった。
 両手を頭から背中に移動させ、静葉の体を強く、強く抱きしめる。少女の手も痛いほどにこちらの背中を掴んでいる。
 口だけではなく身体の隙間も埋める。最後は互いの鼓動を感じながら、というのが二人の暗黙の了解だ。

「――――ッッ!」

 びくんと少女の肩が、全身が、大きく痙攣する。俺しか見てはいけない顔で、俺しか聞いてはいけない声で、秋静葉は行き着くところへ行き着いた。
 歯に全力で挟まれている舌が痛いが、今の自分にとってはそれさえも快楽と幸福をもたらす要因でしかない。
 何度か続いた痙攣はやがて納まり、突っ張っていた手足から力が抜け、全身が脱力してこちらへとしなだれかかってくる。
 それでもまだ口を離していない。離せば魂まで離してしまいそうで、どちらも離そうとしない。
 噛まれた部分が裂けていたらしく、血の味が口の中に広がっていく。静葉の舌が傷に沿って踊り、ぞくぞくとした快感が走る。

 ちら、と少女の目が一瞬だけ下方を向いた。気のせいか、ただでさえ上気した頬が余計に赤くなったように思える。
 すわ物の怪か、などと思いつつ視線の先を追ってみれば、なんと己自身というケダモノがいきり立っていた。
 なるほど、確かに俺は静葉と一緒に昇ることはできなかった。少しだけ申し訳なく思う。
 その気持ちは向こうも同じなのか。言葉には出さず、恥ずかしげに上目遣いだけで聞いてきた。

 ――する?

 断れる道理があると思うのか。天地神明に誓ってそれはない。何より、今更止まれる自分なんて存在するはずもない。
 それに確か、『紅葉乱れる中で乱れたい』とかいう願望を前に酒の席で聞き出した覚えがある。なんとおあつらえ向きか。
 口づけを続けたまま、体勢と位置を変えようと足を踏み出して、

 ぐに。

 奇妙な感触を得た。

「…………」

 つい口を離して下を見てしまった。寂しさの象徴でもある神様が秋を飛ばして冬が来たみたいな顔をするが、そちらに顔が戻らないように努力する。
 足の下にはまた足があった。正確には、誰かの足を踏んづけているということになる。足は落ち葉のベッドの中に埋もれていた。
 ちょっと、いや本当にちょっとだけ血の気の引く音が聞こえた気がする。少々乱雑に落ち葉をどかす。
 はたして現れた物体は、またしても俺のよく知っている物体であり、やっぱり神様だった。
 秋穣子。秋を司る姉妹神の妹にして、将来は義妹になるのかなあとか思っている少女だ。
 死んではいないし、怪我も見当たらない。気絶というか、どうも寝ているだけのようだ。その寝顔は穏やかとは言い難いものではあったが。

 ふと、愛しき恋人の方を振り向く。眩しいほどの笑顔に目が潰れそうだった。以前にもあんな表情を見たことがある。
 どうやら今回の姉妹喧嘩の勝者は姉であったらしい。だからといって妹をベッドのスプリング、あるいは焼き芋未遂に仕立て上げるのはどうかと思うが。
 なんとなく気が抜けてしまった。とりあえずこのまま将来の妹を放っておくわけにもいかまい。
 そう思って穣子を担ごうとすると、

「んむっ――」

 また口を塞がれた上に、落ち葉のベッドの上に押し倒されてしまった。上に跨る静葉の顔は、今までにないぐらい扇情的だ。
 ……そういえば、聞き出した願望には『妹が寝てる横でしてみたい』とかいう倒錯的なものもあったような……。
 べろんべろんに酔わせた上でのことなので、さすがに本気ではないだろうと思っていたが、ばっちりしっかり秘めた野心があったらしい。
 ひょっとして、すべて最初からそのために仕掛けてあったんじゃないだろうか。あの“今まさに紅葉が見ごろ”の台詞から。
 もっと直接的に誘ってくれればいいのにと思いつつも、そんなところが静葉っぽくてたまらなく可愛いとも思う。
 そうして、互いに互いのボタンに手をかけて外そうとし、

「オヲトシハーベスター!」

 どっかん、と吹き飛んだ。芋娘がいつのまにか復活していたようである。
 いきなりスペルカードはやめてくれ、と言いたいが、姉の仕打ちを考えたら言葉に出して言うことはできない。

「狂いの落葉!」

 愛しい愛しい少女も、即座にスペルカードで応戦する。その弾幕の展開の仕方はいつも以上に容赦がない。

 どこん、どかん、どーん。

 紅葉以上に色とりどりの破壊物体が飛び交い、風情とかそんな感じの言葉と一緒に葉っぱを吹き飛ばしていく。
 見慣れた光景ではあるが、無性に虚しさを感じるのはなぜだろうか。あー、ついに落ち葉のベッドが崩壊した。
 穣子はともかく、静葉は普段はもっと静かで大人しいんだがなあ……。まあ、原因を考えると頬のにやけが止まらないのは否定できないが。
 やれやれ、こうなってしまうと収まるまで少し時間がかかる。紅葉の代わりに姉妹の踊りを見て、目の保養とするとしようか。



 ――その後、結局夢の情事がなされることはなく、仲直りの焼き芋パーティーが催されましたとさ。
 ま、仲良きことは紅葉よりも美しきかな、ということで。どっとはらい。


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最終更新:2010年06月24日 20:46