早苗8



うpろだ1447


「お世話になりました」
 荷物をまとめ、守矢の神社の玄関でそう告げたとき、神奈子も諏訪子もなにやら怪訝そうな顔をしていた。
 視線の先を確認してみても、着慣れた服と少ない荷物をまとめたカバンがあるだけで、他に変なところはない。けれど再びあげた視線には、やはり怪訝そうな二人の顔が並んでいた。
「いや○○、あんたいいの? しばらくといわずここにいてもいいんだけど」
「そうそう、別に急に出て行くことなんてないんだよ?」
 腕を組み、考え込むように呟く神奈子と、同じく首をかしげている諏訪子。
 何故二人ともそんなことを言うのか。少し考えて、答えに思い当たった。
 心配してくれているのだ。『外の世界に帰ります』などと急に言い出した自分を。
「こっちに迷い込んでから三ヶ月近くもお世話になっちゃいましたけど。ありがとうございました。楽しかったです」
 ぺこりと一礼し、大きく息を吸う。それだけで、気持ちは穏やかになった。
 外の世界に疲れてあてもなく樹海に迷い込んだ自分。気がつくと辺りの景色は一変し、見たこともない凶暴な化け物が次々と襲い掛かってきた。恐怖でただ逃げ惑い、ついに追い詰められてしまったが、気がつくと化け物は消えていた。彼女達に救われたのだ。
 そうしてみたこともない神社に住み込むこと三ヶ月。いい経験ができたとは思っている。けれど、それももう終わりにしなければならなかった。
「一応護符も持ちましたんで、妖怪に襲われることはないと思います。……じゃ、行きますね」
 少しだけ名残惜しさを感じながら、再度二人に礼をする。
「うーん。しょうがないねぇ。せめて後一日いれば宴会開いてやれるんだけどねぇ。挨拶もまだなんじゃないか」
「何より早苗に――」
「失礼します」
 その先の言葉が発せられるより早く、カバンをひっつかんで玄関を出た。
 境内には落ち葉がつもり、時折吹き抜ける風がそれらを舞い上げている。そんな光景を見ていると、胸に僅かな痛みが走った。それは秋の風と相まった肌寒さとなって体を揺さぶってくる。けれど足は止めなかった。
 思い返せば先ほどの光景。おそらく残された二人は唖然としていることだろう。少し悪いことをしたか、そんな風に考えながら、鳥居をくぐる。
 途中、僅かにかき集められた落ち葉と、投げ捨てられた箒が目に入ったが、あえて見ぬふりをした。
「そう、思い残すことはなにもない。帰るんだ」
 誰にでもなくぽつりと呟いた言葉は、秋の空に吸い込まれて消えていく。それでも、自らの心を落ち着かせるのには十分だった。 
 誰に言うでもなく、「よし」と呟いて気合を入れる。そうして、山の反対側、幻想郷の中心とは違う方角に向かって歩いていった。


※※※

「別れよう」
 そう言った時、境内の掃除をしていた早苗は動きを止め、驚きの表情と共にこちらを見つめてきた。
 なんで、といいかけた口が途中で止まり、すぐに寂しそうな笑みに変わる。
「え、ええと……いやですねぇ○○さん。急に冗談でおかしなことをいいだすなんて……」
 冗談だと判断したのだろう。それも当然だ。急にこのようなことを言われて、真正面から受け止められる人間はそう多くない。
 けれど、それは残酷な事実だった。
「おかしなことじゃない」
「え……」
 緩みかけていた表情が、再び凍りついた。
「なん……で?」
「俺、お前のこと、好きじゃなかったんだよ」
 早苗の時間が完全に停止する。その顔から血の気が引いていくのが解ったが、引くことはできなかった。
「なんていうか、勢いでさ。ついお互いに告白しあってオーケーとかしちゃったけどさ……」
 すぅ、と息を吸い込み、一気にまくし立てる。
「間違いだったんだ。別れよう」
 その言葉は思いのほか簡単に、口から漏れていた。
 これで終わりだ。そんな事実だけがぽっかりと穴の開いた心に残り、虚しさを全身に募らせていく。
「え……あ……」
 早苗の口から、言葉にならない音が漏れた。
 次にくるのは罵倒の言葉か失望の言葉か。思わず身を硬くしたが、呆然とした早苗は、ただ口を開けたままこちらをみつめているだけだった。
 恐らく、現実を受け止められていないのだろう。
「……早苗」
 促した言葉に、早苗の体がびくりと震えた。
「いや……です」
 か細く、途切れそうな声で、拒絶の意思が返る。
「早苗……」
「嫌です!!」
 そこで、今まで溜まっていたものが全て爆発した。
 早苗の握っていた箒が、甲高い音を立てて石畳に叩きつけられる。
 普段の姿からは想像もできないほどの大声が境内に響き、思わず身を引きそうになったが、なんとか堪えた。
 ここで逃げるのはいけない。それこそ最悪である。責任は自分にあった。
「私覚えてます……貴方がきてから一ヶ月と半分の夜です! ずっと一緒にいる、って言ってくれたじゃないですか! 約束してくれたじゃないですか……」
 つっかえながらも、その思いを吐き出す早苗。だが、最後のほうは言葉になっていなかった。
 がっくりと肩を落とし、うつむいたまま小刻みに肩を揺らしている。
 できることならすぐにでも抱きしめてやりたかった。嘘だといってやりたかった。
 でも、それは許されなかった。
「……早苗、恋じゃなかったんだ」
 早苗の体がびくりと跳ねる。そのこぶしは硬く握り締められ、指がうっ血したような色に染まっている。
「俺の勘違いなんだよ……幻想郷に来て、慌ててて、ほら、吊り橋効果っていうだろ?」
 自分は慌てていたのだ。混乱していたのだ。そうジェスチャーで示し、早苗に伝える。
 それでも、早苗は目を瞑り、まるでいやいやをするかのように小刻みに頭を揺らしていた。
「なぁ……」
 辺りに沈黙が降りる。
 その問いかけから、どのくらいの時間が経っただろうか。
 急に、早苗が動いた。 
「わかり、ました……」
 虚ろな目が閉じられ、背が向けられる。
「早苗」
 思わず伸ばしそうになった手を引っ込め、搾り出すように呟く。
 その呼びかけに、今まさ歩き出そうとしていた小さな体が止まった。
「幸せに、な」
「――っ!!」
 直後、猛烈な風が境内を吹きぬけた。
 舞い上がった落ち葉が渦を巻き、完全に視界を埋め尽くす。
 その直前、駆け出す早苗の目に光るものが見えたのは気のせいだったのか。
 気がつけば舞い上がった葉は地面に落ち、石畳の上に投げ出された箒だけが悲しそうに転がっていた。


※※※

 昼でも太陽が届かない薄暗い小道を歩き、目的地を目指す。
 出発前、神奈子に聞いた話では、この先にある結界が薄くなっているとのことだった。
『歩いていれば自動的に向こう側にいけるでしょうよ』
 怪訝そうな表情をしたままそう呟いた神奈子の顔が脳裏に浮かび、僅かに名残惜しい気持ちになる。けれど、もう戻れなかった。
「今頃外はどうなってるかな……ひょっとしたら死亡届出されてたりして……」
 半分自殺するつもりで樹海に入った以上、捜索願が出されていても不思議ではない。もし生きてもどったらどうなるのだろうか。そんな他愛のない事を考えながら、足を進めた。
「でも、楽しかったよな」
 一歩、また一歩と足を進めると、浮かんでくるのは外の世界のことではなく、短い間だけ過ごした幻想郷のことだった。
 神奈子、諏訪子、そして早苗と過ごした忙しい日々が脳裏を走り、口元に僅かな笑みが浮かぶ。
「最初は慣れなかったんだっけな。周りは妖怪ばかりだし、あの二人も神様とか言っててどっか人間離れしてたし」
 一番最初に神社に招かれた時は、驚きと戸惑いの連続だった。
 フレンドリーに接してくる妖怪にどう接していいのかもわからなかったし、その中に神様がいると知ったときには度肝を抜かれたものだ。
 実際、取って食われるかもしれないと思っていたことは否定できない。
「でも、案外早く馴染めたよな……早苗の、おかげだ」
 だが、そんな差を埋め、間を取り持ってくれたのが早苗だった。
 おかげで多くの妖怪と話すことが出来、親しくなれたのだと思っている。彼女の協力が無ければ、たった三ヶ月で幻想郷中を見て回ることなど不可能に近かった。
「そういえば、あいつも外の人間だったんだっけな……」
 早苗もまた、外から来た人間だった。
 いつかの宴会で聞いた、幻想郷に来た理由。
『私、もっと沢山の経験をしたいなって、思ったんです』
 それは、早苗の『夢』だった。外での日常から離れ、幻想郷というまったく新しい土地で生きていくことを選んだ少女。
 神奈子も諏訪子も信仰のためだけにこちらに来たわけではない。彼女達もまた、早苗のことを大切に思っていた。だから二重の幸せがあったことだろう。
 早苗の夢は叶っていたのだ。
「俺が来るまでは」
 握り締められたこぶしが、軋んだ音を立てる。それでも、足だけは変わらずに前に進んだ。
 助けられて、一緒に生活して、いつの間にか早苗のことが好きになっていた。彼女が外の人間だったからなのかはわからない。けれど、当時はそんなことはどうでもよかった。ただ一緒にいられればよかったのだ。
 それは、早苗も同じだったらしい。結局、気がつけば一ヶ月半の後、互いに告白して付き合うことになっていた。
「でも、よくなかった」
 それが大きく変わったのは、守矢神社に外来人が住み着くようになってから早苗の生活が大きく変わったと、妖怪から聞かされた時だ。
 その妖怪に、悪気などこれっぽっちもなかっただろう。だが一連の騒動を引き起こした本人だけは、気が気でなかった。実際、早苗はべったりだったのだから。
 外来人とずっと共にいれば、その分幻想郷で自由に、多くの新しい経験をする機会は失われてしまう。
 自分がいることで、大好きな人の夢が阻まれる。
「そんなこと、許されるはずがないじゃないか」
 歩みが止まった。
 好きだった。
 嫌いになんてなるはずがなかった。
 ずっと一緒にいたかった。
 けれど、こうしなければならなかった。
 それが、彼女の――早苗のためだと誰よりも知っていたからだ。
「そうだよ……」
 拳を握り、歯を食いしばる。
「こうしなきゃいけないんだよ」
 足を踏み出す。
 一歩、また一歩と、徐々に速度を上げ、ただひたすら目的地に向けてひた走る。何も考えないように、足と手だけを動かして。
 流れた一筋の涙が、鼻筋を伝ってあごに流れる。
「ちくしょう……」
 直後にもれた嗚咽は、言葉にならないうちに潰れて消えていった。

※※※

 森を抜けた先は、小さな草原になっていた。
 ひざくらいまで伸びたススキのような草が、穏やかな風に揺られて左右に揺れている。それらが茜かかった夕日に照らされている様は絶景というにふさわしかったが、今はそんなことを気にかけている余裕はなかった。
「はぁ、はぁ、はぁー……」
 張り裂けそうなほどの鼓動が全身を叩き、視界が激しく明滅しているかのような眩暈が襲ってくる。
 思わず、やばい、と思った時には、草原の真ん中の辺りで盛大に倒れこんでいた。
 全身を震わせ、大きく息を吐く。わき目も振らずにここまで全力疾走してきたおかげで、顔は汗でいっぱいだった。それに加えて、今は涙と鼻水までついている。
「はっ、だせぇな俺も」
 考えていないようで、ずっと早苗のことを考えていた。
 何度も何度も後悔し、振り向きそうになりながら走ってきた。その結果がこれだった。
「やっぱ、だめだ。好きだよ。クソ……」
 ふらふらと立ち上がり、空を見上げる。

「俺は、早苗が、大好きなんだよぉぉ!!」

 そして、夕日に向かって思いっきり叫んだ。
 結局、最後まで嘘なんてつけなかった。
 それが情けなくて、どうしようもなかった。
「はは、だせぇ」
 草原に腰を落とし、沈み行く夕日を見つめる。
「タオル……」
 とりあえず顔をふこう。そう考え、引き寄せたカバンをさぐる。
 だが、肝心のタオルが見当たらなかった。神社に忘れてきたのかと思ったが、思えば身一つで幻想郷にやってきたのだから当然だった。
「俺……どこまでもダメだな」
 一つため息を吐き、空を見上げる。
「はいどうぞ」
 と、気がつくと、そんな掛け声とともに目の前にタオルが差し出されていた。
「お、助かった。ありがとう」
 ちょうど良かった。そんな考えが頭をよぎり、タオルを手に取る。涙と鼻水で濡れた顔をふくと、どこか懐かしいような香りが鼻腔をくすぐった。
「あれ、これ早苗の――て、おあ!?」
 見上げれば、そこに早苗がいた。まるでいつもと変わらず、笑顔を張り付かせたままで。
 一つ叫んだ後、のけぞるように倒れ、草原を転がる。それで距離は少し離れたが、混乱した頭はしばらくおさまりそうもなかった。
「な、な、なんで――」
「神奈子様に教えてもらいました。こっちの結界がゆるいと、○○さんに教えたそうで」
 そう言った早苗の顔に、神社での悲しみの色はなかった。
「い、いや、そうじゃなくて――」
 なんでここにいるのか。なんでついてきたのか。
 言いたいことは決まっていたが、訊けなかった。言葉がでなかった。
 顔が真っ赤になり、しどろもどろでわけの分からない嗚咽だけが漏れる。
「なんでここにいるか、ですか?」
「イエスイエス!」
「それは確かめたかったからですよ」
 小さく微笑んだまま、早苗が一歩、足を踏み出してくる。思わず起き上がって駆け寄りたい衝動にかられたが、すんでのところで押さえ込んだ。
「あの時、○○さんは辛そうでした。だから、本当は別の理由があるんじゃないかって」
 もう一歩。だんだんと早苗が近づいてくる。
「だ、だめだ。きちゃだめだ」
「――どうしてですか? さっき思いっきり叫んでたじゃないですか」
 どうやら完全に聞かれていたらしい。けれど、今引くわけにはいかなかった。これは早苗のためなのだ。
「お前の夢ってなんだよ。幻想郷で、外の世界で出来なかったことをやろうとしたんじゃないのか? そんな経験は、俺がいたんじゃできなくなっちまう」
 早苗の歩みが止まった。
「……○○さん。だからあんなこと――言ったんですか?」
「そうだ。お前はこの幻想郷で、新しいことを沢山経験しなきゃいけないんだ。それができるんだ!! こんなダメな男おっかけてないで――」
「ダメなんて言わないで下さい!!」
 その叫びに、全身が固まった。
「私が自分で選んで、自分で好きになった人です。ダメだなんて言わないで下さい」
「早苗……」
「確かめたかったとか、嘘です」
 今まで笑顔を保ってきた早苗の表情が、歪んだ。
「○○さんに告げられた時は悲しくて、切なくて、どうしようもなくて――でも受け入れないといけなくて」
 拳を握り締め、搾り出すように告げる。
「私は貴方と一緒にいたかった。気がついたら、追いかけてた……離れたくなかった」
「……ごめん」
「でも、私は○○さんが幻想郷を出ることを、止めたりしません」
 早苗が目をあげ、じっとこちらを見つめてくる。 

「私が、貴方の傍に行きます。幻想郷の外でも、中でも、どこまでもついていきます。それが、私の夢、望んだことなんですから」

 胸の鼓動が大きくなった。
 今まで押さえつけていた感情が怒涛の如くあふれ出し、頭と心を埋め尽くしていく。
「だから、ずっと一緒にいてください」
 そこにきて、今までずっと押しとどめていた意思の結界が、跡形もなく崩壊した。
 もう、我慢できそうもなかった。
「はは……馬鹿だな俺……結局、一人で暴走して……」
 ふらふらと立ち上がり、早苗を見つめる。
「そんな○○さんも嫌いじゃないですよ」
 早苗も、じっとこちらを見つめていた。
 ふらつく体で足を進める。
「ごめんな。酷いこと言ったし、待たせちまったし……」
「いえ、私も余計なことを言ってしまったかもしれません。でも――」
 その笑顔が、涙で歪んだ。
「少しだけ、泣かせて下さい……」
 そこから先は、互いに言葉にならなかった。
 体が動く限り全力で走り、早苗に駆け寄ってその小さな体を抱きしめる。
「早苗……ごめん……」
「○○さん、○○さん……○○さ……ん」
 泣きじゃくりながら名前を連呼してくる早苗。その暖かさを感じながら、もう二度と繰り返すことはしないと、固く心に誓った。
 彼女を幸せにすること。それが己に出来る、最善のことなのだから。

※※※

「おーおー。とんでもないバカップルだわ」
「ねー、だから言ったじゃない。問題ないって。神奈子は心配性だねぇ」
 守矢の神社、縁側。そこでお茶を飲みながら神奈子は手のひらサイズの鏡を覗き込んでいた。
 映っているのは、黄金色に染まった草原と、一組の男女。どちらも己がよく知っている人間だ。それが今、熱い抱擁を交わしている。
 なるべく意識しないようにはしようとしていたが、これだけ見せ付けられると妬けないはずもなかった。
「さて、じゃあ準備しましょうか」
 つとめて平静を装いながら、鏡を裏返す。
 すぐそばでごろごろしていた諏訪子が不思議そうに見つめてきたが、無視して次の言葉を紡いだ。
「宴会よ。早苗と○○のお祝い。まぁ間違いなく帰ってくるでしょうし」
「え? 早苗と○○のお祝い+自分の失恋パーティじゃなくて?」
「……諏訪子」
 意識しないようにしていたのに、直接指摘されると気分がよいものではない。
 とはいえここで諏訪子に弱いところを見せるのも嫌だったので、神奈子は開き直ることにした。
「そうよ。悪い? 私は○○が好きだったけど、早苗のほうが遥かに愛されてたみたいだし」
「んー、いや別に」
 ごろごろ転がった諏訪子がぴょこんと跳ね起きる。
「じゃあ、早苗と○○お祝い+二柱神残念でしたパーティだね」
「あんた……」
「じゃ、私は逃げる」
「あんたも○○のこと好きだったんじゃない!!」
 そのまま走り去る諏訪子に向けて、精一杯大声で返してから、もう一度鏡を見た。
 これからはもっと忙しくなるだろう。それでも楽しい日々が帰ってくることは間違いない。
「さて、宴会宴会」
 各方面での宣伝もかねて、天狗でも呼ぶか。そんなことを考えながら、神奈子はその場を後にする。
 最後に見た鏡の中には、いつまでも抱き合う幸せそうな二人が、確かに映っていた。

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新ろだ90


「こんちわ早苗さん。相変わらず元気そうで何より」
「はいこんにちわ、○○さん。お陰さまで。今日は一体どうしたんです?」

 早朝にも係わらず、何所からともなく俺、守矢神社に参上。まあ空からな訳だが。この神社立地条件悪すぎるんだよ……。
 飛べる理由? 無事にここまで来れる理由? 素敵マジックアイテムと早苗さんが顔を利かせてくれたおかげです。

 さて、突然の客にも礼儀正しく笑顔で挨拶してくれる早苗さん。ほんとよく出来た子だ。どこかの紅白に見習ってもらいたい。

「ちょっと早苗さんと世間話でも、とね」
「ふふっ、わざわざこんな所までありがとうございます」

 ああ、ちなみに俺と彼女の関係であるが、同年代の友人、といった感じである。
 同じ「外」出身者故、共通の話題も少なくなく、年が近いという事もあり、彼女との気楽な会話は結構楽しい。

 勿論最初は向こうが現人神とかいう大層な人らしいんで、愚鈍な凡人らしく畏まってみたりした。
 でもよく考えたら魑魅魍魎が跋扈する幻想郷で現人神くらい可愛いもんだ。と即断。素で応対する事を決意。
 当の早苗さんはいきなり180度変わった俺の態度に俺に数瞬面食らったようだったが、何がお気に召したのかすぐに破顔していた。
 以来紆余曲折を経て、親友以上恋人未満といった感じの交友関係を築いている。もう一歩先に行きたいと思わないでもないが。
 ああ、そうだ。今日はそのもう一歩先に進む為に此処まで来たんだっけ。

 いつも通り適当な雑談を交わし、タイミングを見計らって話しかける。

「早苗さん早苗さん、ちょっとお願いがあるんだけどいいかな」
「お願い?」
「そう。早苗さんにしか頼めないお願い」
「私にしか頼めないお願い!? お任せください○○さん! この東風谷早苗の力を以ってすれば、そこら辺の異変は即解決ですよ!」

 なんか今日の早苗さん、妙にテンション高いな……。
 最近地下に潜ったとかいう霊夢に対抗心でも燃やしてんのかね。

「いや、異変の解決じゃないよ。もっとプライバシー的な事」
「プライバシー、ですか……それでも気にしないで何でも言っちゃってください。私と○○さんの間柄じゃないですか」

 まだ何の話かも言ってないのに太陽のような笑顔で快諾する早苗さん。
 聞くだけならタダとはいえ、ホント可愛いなあオイ。
 でもこの場合、気にするのはむしろ俺の方だと思うんだ。

「じゃあお言葉に甘えて……」
「はい、どうぞ」
「早苗さんさ、学校の制服ってこっちに持ってきてる?」
「学校の制服ですか? そりゃまあ、ありますけど。それがどうかしました?
 ……あ、えっと……い、幾ら○○さんのお願いでも、公開生着替えなんかしませんよ?」

 俯きながらモジモジと指を合わせ始めた。何か盛大に勘違いしてるな。
 恐るべし天然巫女早苗さん。普通に萌える、ってそうじゃない。
 なんだよ公開生着替えって。彼女でもない人にいきなりそんな事頼む奴は変態すぎだろう。いやちょっとは見たいけどさ!

 流石は学校の通信簿に「人の話はちゃんと最後まで聞きましょう」と点けられていたらしい早苗さんだ。
 これはちょっと仕返しせねばなるまい……。

「腋見える巫女服着てるのに?」
「うっ……これは、その、ほら、アレですよ。仕事着ですから! いやらしい目で見たりしちゃいけないんです!」

 俺のちょっと意地悪な指摘に今自分がどんな格好をしているのか思い出したらしく、真っ赤になってうろたえはじめた。
 視線から隠そうと必死に腋を絞めるその姿は小動物を連想させ、否が応でも嗜虐心と保護欲を抱かせる。
 しかし慣れとは恐ろしい。今や何の抵抗もなくこの格好をしているのだから。
 今の彼女がもし「外」でこの格好のまま外に出れば、所謂「その筋の人」としてドン引きされる事請け合いだろう。某所を除けば。
 ……脱線しすぎだな。これだから天然って奴は恐ろしい! 結婚してくれ!

「もう、巫女服の事はどうでもいいじゃないですか! それで、私の制服がどうかしました?」
「着て欲しい。早苗さんとデートする時に」
「駄目っ! 幾ら○○さんの頼みでも、まだ私達(ゴニョゴニョ)だってしてないじゃないですか!
 そういうのはもっとお互いを知り合ってからじゃないと(ゴニョゴニョ)
 ……ってはい? 公開生着替えじゃないんですか?」
「早苗さんが普段俺の事をどう思ってるのか良く分かったよ。
 いや、別にいいんだけどね? うん、これっぽっちも気にしちゃいないから!」
「……め、面目ないかぎりです。で、公開生着替えじゃないなら一体なんなんです?」
「お願いだから人の話はちゃんと聞いてくれ……」

 ジト目で睨むと所在なさげに縮こまってしまった。その姿は(ry
 あと早苗さん。涙目で目を逸らさないでほしいな。かえって萌えるから。

「ふう……。だから着て欲しいんだ。制服。早苗さんの。早苗さんとデートする時に」
「…………」

 無言。あれ、地雷踏んだ? マジで? 呆然とこっち見てるんだけど!
 くそっ! 時期尚早だったか!

「……で」
「……早苗さん?」
「で、ででっでででデートでででですか!? わわわわわわ私と!? くぁwせdrftgyふじこlp」

 ……うわあ。
 なんか凄いテンパってる。

「あー、早苗さん?」
「……デート。私と、デート? ○○さんと……?」
「駄目かな?」
「(ええはいいつでもなんでもばっちこいですよ制服着用なのがちょっと気になりますがまあこの大事の前に服装など瑣末な問題に過ぎません
 っていうか私は貴方と初めて会った時からこの時が来るのを今か今かと待ち続けてたんですよまさしく一日千秋ってやつですね
 にもかかわらず○○さんったら私が幾らモーションかけてもまったく反応してくれやがらないもんですからね泣きますよ
 それとなく胸当てた時完全スルーされたのは女の矜持とかプライドとかなんとか砕かれちゃって三日はご飯が喉を通りませんでしたとも
 最近は○○さんは男色の気でもあるんじゃないかと心配になってた所ですああでもやっぱりいざこうやって誘われると凄く嬉しいです○○さんありがとうございます)いえ、私なんかでよければ喜んで!」

 凄い気迫でOKされた。
 素直に嬉しいのでここは喜んでおこうと思う。







 ……いやっほおおおおおおおおおおおおおうう!!!!!!!!


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新ろだ142


じゅーじゅー…ぐつぐつ…
肉の焼けるにおいが香ばしい。
あめ色に変わる野菜の煮える音が心を躍らせる。

秋も深まる守矢神社、その居間にて。
そこにはテキパキと調理する巫女を尻目に鍋を覗き込んですっかりアホの子になる一人と二柱がいた。

そう、今日の晩御飯は早苗謹製のすき焼きだ!


最も、俺たちがここまではしゃぐのには訳がある。
俺たちにとって、なんと牛肉を食べるのは一月ぶりなのだ。
なぜなら、この守矢神社の経済状況は非常に厳しい。
まあ、こんな妖怪の山の上まで人間が賽銭を入れに来るはずがないので当然である。
そしてこの幻想郷において、牛肉はあまりメジャーな食材ではなく、とても高価な食材である。
山の妖怪達に信仰が広がりつつあるとはいえ、供物は魚や野菜、穀類ばかり、稀に野鳥類の肉があるくらいだ。
結果、毎日の食事はメタボリックの欠片もねえヘルシーさを誇っていた。

…いや、そりゃ早苗の料理は美味いよ、美味いけどな…?
でも外来人かつ健康な若い男性である俺はたまには肉の塊に齧り付きたくなるわけで…
そんなわけで、俺は鍋を前に小躍りせん勢いだった。

最もそれは肉食獣の神様二柱も同じようで…

「早苗~まだ~?」
「もう少し待ってくださいね、諏訪子様」
「あーうー、この香り、待ちきれないよう」

すっかり臨戦態勢に入った諏訪子様の構えた箸が鍋の上を旋回している。

確かに、すき焼きのこの香りは殺人的だと思う。
かくゆう俺ももう我慢の限界である。
今にも鍋に襲い掛からんとする箸がうずく。

「ちょっと諏訪子、はしたないわよ」

そういいつつ鍋をずらす神奈子様。
鍋が諏訪子様の箸の射程から外れた。

「そんなにがっつかないで少しは落ち着きなさい」

そういって窘める神奈子様だが、何気に鍋を自分の方に引き寄せてないっすか?
しかも妙ににやついてるような気が…

「そうそう諏訪子様、フライングは厳禁だぜ。神奈子様も」

そうはさせじと釘を刺す俺。
平静を装って鍋を真ん中に戻す。
いまチッとか聞こえたような気がしたがきっと気のせいだ。

「でもそういう○○も人のこといえないんじゃない?」

すっかり見透かしたような諏訪子様が突っ込んでくる。

「もう我慢の限界って顔してるけどなあ?」

そういって隣からしなだれかかってくる諏訪子様。
そのいたずらっぽい視線に俺は察した。
これはあれか、乗っかれということだな…!

「ああ、俺はもうこの欲望を抑えきれない」

ずっと右手を押さえつけていた理性がもはや限界に達しようとしている。
俺は諏訪子様をじっと見つめて言った。

「○○…」

諏訪子様もそんな俺を熱っぽい眼で見つめる。

「○○…そんなに食べたいんだったら…私は、いいよ…?」

いつも陽気な諏訪子様がはにかみながら、上目遣いでかすれる様にささやく。
…その様子に、枷は砕け散った。

「ああっ、女神さまっ!」

鎖から解き放たれた獣となった俺は、がおぉぉと諏訪子様に襲い掛かった。

「きゃー、○○にたーべーらーれーるー!」

あくまでも悪乗りして嬌声をあげる諏訪子様。
すき焼きを散々お預けを喰らって欲望の権化と化した我が右手は、そこにある『肉』を貪り尽くさんとし…

ごぅっ!!

その瞬間、室内のはずなのに確かに風が吹いた。
一瞬にして固まる俺と諏訪子様。

ギギギと首だけで振り返ると、そこには全身から気流を渦巻かせた早苗がいた。

「お 行 儀 が 悪 い で す よ お 二 人 と も」

「は、はひ、ごめんなさい…」
「や、やだな早苗、冗談だよぅあはは…あははは…」

こ、怖えぇ…
乾いた声で返事をし、すごすごとコタツに戻る俺たち。

うん、早苗を怒らすのはヤバイ。
素敵な守矢神社ライフを送るために必須な教訓が、また一つ俺の心に刻まれた。

「もう…ほら○○さん、出来ましたよ」
「おっ、ありがとう」

早苗がため息をつきつつ椀に取り分けてくれる。
肉を溶き卵につけ、いざ今こそ口へ…!


ブッラボオオオォォォォ!!  こいつはすばらしいぞぉぉぉぉ!!!!


俺の魂が絶叫を上げる。
俺は思わずPKを決めたサッカー選手のように天を仰いでガッツポーズをしていた。

「ちょ、ちょっと○○さんどうしたんですか…?」

早苗が驚いて尋ねてくるが、俺はそれどころではない。

脂の甘み、肉の旨み…
ああ牛肉…これが夢にまで見た一月ぶりの牛肉だ…!

「あぁ…ありがとう早苗。ありがとうやっぱり早苗は料理の天才だ…」

自分でも何を言ってるか分からないがとにかくあふれ出る感謝の心をぶちまけながら次々と口に運ぶ。
早苗が若干引いてるような気がするがそんなの関係ねぇ!
あっという間に椀を空にしてしまった。

「早苗、おかわり!」

椀を天高く突き上げる俺に呆れながらも受け取る早苗。

「もう、そんなにがっついちゃお行儀が悪いです」
「いやぁ、早苗のすき焼きが余りに美味いからつい…」
「そんなこと言っても何も出ませんよ…? でも喜んでもらえてよかったです」

苦笑しながらもまんざらではなさそうな早苗。
頬がかすかに染まってるのがくそう可愛いぞこいつめ!

「そんなに焦らなくてもお鍋は逃げませんから…あら?」

新たによそってくれる早苗だが、戸惑いの声と共に止まってしまった。

???

俺もつられて鍋の中を覗き込んでみる。
するとそこには

…白菜…ネギ…豆腐…人参…シイタケ…しらたき…

……あれ?

肉 が な い ッ ッ !

な、なぜだ?
さっき俺が鍋に大量に肉を投入したはずだ。
そんなにすぐになくなるはずが…

「いやー…もぐもぐ…やっぱり早苗の…ぱくり…すき焼きは最高だねえ…はぐはぐ…いくらでも食べれちゃうよ…もぐもぐ…」

ふと左隣を見ればその椀にうず高く積まれたあめ色の恋人。


あ ん た の せ い か ッ!!


俺の殺意ギンギンの視線に気付いたのか、諏訪子様がニヤリと笑った。

「おや~? ○○も食べたいのかなぁ? 仕方ないなあ、食べさせてあげよう」

そういって口に牛肉を半分くわえ、こっちにほれほれ~と突き出してきた。

……

OH! なんて甘美な誘惑…!
今にもむしゃぶりつきたい気分だぜ!

…でもな諏訪子様、学習はしたほうがいいと思うんだぜ?

「す わ こ さ ま? ○ ○ さ ん?」

ホラネー?
…って俺もですか!?
いや俺は今回は誘惑に耐えましたよ!
俺はいつも早苗ひとすじd

…………

アッー!

そして愛しの緑の容赦ない怒りが俺と諏訪子様に炸裂するのだった…トホホ…


5分後、やっと俺と諏訪子様は早苗のお説教から解放された。
くそぅ…俺は何も悪くないのに…

まあここは気を取り直してすき焼きを堪能せねば。
鍋に肉を投入しようとして大皿に箸を伸ばす俺たちだが、カツンという音と共に皿に箸が弾き返される。

あれ…?

思わず顔を見合わせる俺と諏訪子様。
そして再び視線を大皿へ向け…

「ああっ!」

その悲痛な声を上げたのは果たして俺か諏訪子様か。

も う 肉 が な い ッ ッ !!!

ば、ばかな…!?
さっき見たときはまだ大量に肉があったはずだ…!

ハッとして神奈子様を見ると、そこには楊枝を手に茶を飲むお姿が。

「久しぶりのすき焼きは最高ね。堪能したわ」

……

て め え の せ い か あ ッ ッ!!!


俺たちの殺意MAXの視線に気付いたのか、神奈子様がニヤリと笑った。

「あら? 貴方達は楽しめなかったのかしら? こんなに美味しかったのに」

ええ、おかげさまでね。

その言葉に俺の怒りの波動が噴出せんとするが、その前に諏訪子様が臨海を突破したようだ。

「神奈子みたいな年増はそんなに脂を摂らないほうがいいんじゃないの? 肉よりも野菜のほうが身体にいいと思うけど?」

きゅうしょにあたった! こうかはばつぐんだ!

諏訪子様の強烈なボディーブローが神奈子様に激しくめり込んだ。
しかし神奈子様も負けてはいない。
仰け反りながらもクロスカウンターを繰り出す。

「…確かに諏訪子は色々と肉が必要のようねぇ。でも必要のない所ばかり膨らんでるんじゃない? そんな事だから早苗にとられるのよ」

かなこくんの強烈なボレーシュート! おおっと! すわこくん吹き飛んだぁぁぁー!!
…ってか最後のはどういう意味だろう。

「ほう…面白いことを言ってくれるじゃない神奈子」

俺が最後の言葉の意味を考えてる間に諏訪子様が怒気を立ち昇らせながらゆらりと立ち上がった。

「あら、久しぶりにやるのかしら? 確かに食後に運動は必要ねえ。健康的な体型を維持するためにも」

神奈子様も挑発しながら立ち上がる。

ぴっきいいぃぃぃん!

あ、やばいこれは空気が変わった。
おろおろする早苗を尻目に二柱の視線が交錯し…

…決闘準備(Border Of Duel)…

開始(Start)!!

次の瞬間、二人が障子を吹き飛ばして庭に飛び出し、いつもの弾幕ごっこが始まったのだった。

居間に残され、呆気にとられる俺たち。
庭から爆音が響いてくる。
山坂と湖の権化 VS 土着神の頂点
かつて神話に唄われた、諏訪大戦が今ここに再現しているのだ。

…ただしその原因はすき焼きの肉が原因だが。
うわっ! アホらしい!

あまりのスケールの小ささに悲しくなっていると、横で早苗がはぁぁぁぁと海よりも深いため息をついた。いや、幻想郷に海はないけどな?
それにしても早苗には苦労かけるねぇ。
…まあほとんどの原因は俺と諏訪子様だがそれは内緒だ。

「…お二人はもう放って置いて私たちはお鍋の続きを食べましょう」

早苗はそういって再び鍋に火を入れる。

「あれ、でももう肉は残ってないんじゃ…?」

そう、そういえば結局俺は最初の一杯分しか肉が食えなかったのだ。
冷静に思い返すと再び絶望の悲しみに包まれる。

そうしていると、早苗がコタツの脇から包みを取り出した。

「うふふ…こんなこともあろうかと少し残してありました。じゃん!」

早苗がいたずらっぽく微笑みながら包みを開く。そこには…!

「うおおおぉぉっ! 肉っ! お肉ッッ!!」

宝石のように赤く輝く牛肉が鎮座していた。

「ほら、落ち着いてください…。今焼きますから」

アホのようにはしゃぎまわる俺を苦笑しつつなだめつつ、早苗は肉を焼き始めた。
そう、もう邪魔者(?)はいない。ここからは俺と早苗のターンだ!
そうして、俺は早苗のすき焼きを心行くまで満喫したのだった。


「ふぃーー ああ喰った喰った。ご馳走様」
「はい、お粗末さまでした」

すき焼きのあとのうどんは最高だと思いますはい。
これを喰ってこそ最後が締められるというものだ。

「はい、どうぞ○○さん」

早苗が茶を注いでくれる。
うーん、気がきくぜ流石は早苗。

ごくごくごく、ぷはーと一気に飲み干す。
うむ、我ながらおっさんくさいぜ。

それにしても、今更といえば今更だが俺には一つ疑問に思っていた事があった。

「なあ、早苗」
「はい、なんですか?」
「今月、結構家計厳しいんじゃなかったっけ? なんで今日はこんなに奮発を?」

そう、先ほど言ったとおり守矢神社の家計は非常に厳しい。
俺が里の行事の手伝いに行ったり、早苗が神事を執り行ったりするものの、今月は依頼が少なかったのだ。
早苗が家計簿を眺めて眉をしかめる姿を見るの珍しいことではなかった。

「そ、それは…」

何故か早苗は言いづらそうだ。
こちらをちらちらと上目遣いに見ながら頬を染めている…?

「それはですね…今日は○○さんが私たちと暮らし始めてからちょうど一年だからです…」

そう言われて思い出す。
そういえば、去年、俺が幻想郷に迷い込んだのは紅葉の綺麗な秋だった。
そして、守矢神社に辿り着き、紆余曲折あって早苗たちと一緒に住む様になったのはこれくらいの頃だったはずだ。
そうか、あれからもう1年が経ったのか。
それにしても、俺自身がすっかり忘れていたのに早苗はちゃんと覚えていてくれたんだな…
すっかり感慨深い気持ちになる。

「○○さん、これからもずっと私と一緒に居てくれますか…?」

そんな俺を見上げてはにかみながら問いかける早苗。

あ、うんこれはキた。

「きゃっ!」

驚きの悲鳴を上げる早苗。
俺は自分でも無意識のうちに早苗を思いっきり抱きしめ、押し倒していた。
目の前に真っ赤になった早苗の顔がある。

「もちろんだ。ずっと一緒に生きよう、早苗」

この一年間、早苗たちと過ごした毎日は輝かんばかりに素敵な日々だった。
俺は、これからもこの腕の中の大切な人と人生を送って行きたいと心から思った。

顔を近づけると、早苗が瞳を閉じる。
俺も眼を閉じ、唇を近づけ…


「すとおおおおおおおぉぉぉっぷ!! そこまではまだ許してないわよッッッッ!!!」


無粋な神奈子様の声に遮られた。

「どうどう、お父さん落ち着いて」
「誰がお父さんかっ!」

なだめようとする諏訪子様にヒートアップする神奈子様。
俺たちはすっかり興を殺がれ、顔を見合わせて苦笑した。

そうだ、早苗とキスできなかったのは心残りだが、それはまた後でいくらでもできる。
俺たちはこれからもずっと一緒に暮らしていくんだからな。

…まあ、まずは暴れ狂う神奈子様を何とかせねば…
俺は早苗の手を握ると、二人で神奈子様を鎮めにかかった。

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最終更新:2011年03月30日 22:04