諏訪子2

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10スレ目>>651

起.祀って見たら神が出た




「ほらよ、お土産だぜ」

 その日、友人がお土産を片手に訪ねてきた。
 彼女はまだ幻想郷に迷い込んできたばかりで、ここでの生活に馴染めずにいた俺に親切にしてくれた人物だ。

「お、サンキュー。…それで今回はどこに行ってきたんだ?」
「最近、山の中に新しく神社が出来ただろ。折角だから参拝でも行ってみようかと思ってな」
「へぇ、相変わらず物好きだな。つーか、お前って神様とか信じる口だったか?」
「そう言われると微妙だぜ。私は別にどっちでもないからな」
「まぁ、そうだろうな」

 彼女の名は霧雨魔理沙。

 曰く普通の魔法使いらしいが、妖怪退治とかをやったりする辺りすでに普通では無いと思う。
 おまけに彼女は魔法使いとしての仕事よりも、泥棒の方が熱心だから性質が悪い。
 実際俺も、何度かその被害にあっている。

「尤も、弾幕ごっこでなら私は神様にも勝てるんだぜ?」
「馬鹿を言え、お前神様に会った事あるのかよ。そう易々と神様が人前に姿を現す事なんてあるはずないだろ」
「それが意外にも出るんだよ。そうだ、今度連れて行ってやろうか?」
「遠慮しておく。新手の洗脳の実験体になるのはゴメンだ」

 そんな馬鹿なやり取りをしながら、俺達はダラダラと時間を費やしていく。
 ちなみに土産の中身はすました顔をした蛙の石像だった。魔理沙曰く、これでも霊験新たかな石像らしい。
 一瞬だけ盗品の疑いを持ったものの、それは無いだろうと思考を打ち切った。
 彼女はひねくれてはいるが、そこまで性質が悪い訳ではないからだ。

「ま、とりあえず明日辺り祀って見るか」

 それはただの気紛れだった。
 しかしまさかその気紛れが後々の俺の運命を大きく変えるとは、この時の俺は夢にも思っていなかった。





 翌日、数名の知人の協力を得て俺は小さな祠を作った。
 簡素な造りだが、里の大工の指導の下作ったのでそれなりに趣はある。

「おし、では早速祀るとしようか」

 手伝ってくれた里人達にお礼と茶菓子を振舞ってから、俺は先日貰った石像を祠に置いた。
 瓶に適当な野花を挿し、杯にお神酒を注ぎ、最後に饅頭でも置いてみる。

「…我ながら結構様になってるなぁ。もしかしたら、本当に御利益があるかも知れない」

 とは言うが、実際にはそんな事思ってもいない。
 第一神様の存在自体に確証が無いのに、どうやって信じれば良いと言うのだろう。
 現に神頼みで叶った願いが幾つあったものか。

「神よ!もしもお前が本当にいると言うのなら、その姿を見せてみろ!……なーんてな」

 ふざけて石像に向かって挑戦するかの様に指を差してみる。
 すると、何となく石像がこちらを睨んできた様な気がした。

 ……まさか、な?





コンコン… 
 夕食を済ませた俺の耳にノックの音が入ってきた。
 もしかしてまた魔理沙が来たのだろうか。彼女は基本的に気まぐれな性格なので、いつやって来るか分からない。

「ったく、宿代でも取ってやろうか」

 ブツクサと言いながら、俺は玄関に向かう。
 毎度毎度物を盗まれて、おまけに飯やら風呂やらを使われるのだから俺の生活だって苦しくなる。

 いい加減、罰則でも与えてみると良いかも知れない。
 どうも俺は自分が良いように使われている気がしてならないのだ。

ガチャ
「毎回思うんだが、お前は一体どういう神経をしているん……あれ?」

 しかし予想に反して来客は魔理沙では無く、小さな女の子だった。
 俺は握り締めた拳を解いて、出来るだけ怖がらせない様に話しかける事にした。

「あー、こんな夜中にどうしたんだい?」
「呼ばれたから来てあげたのよ」
「え?俺は君の事なんて呼んだ覚えは無いけど?」
「えー、呼ばれたよー?だって貴方昼ぐらいに私に向かって『いるなら姿を見せろ!』とか言ったじゃない」

 …今、この子は何と言った?
 もしかして俺はアルツハイマーにでもなったのだろうか?
 俺の耳が正常なら、今この子は俺が昼間ふざけて石像に向かって言った台詞を言った様な気がするが?

「よし、ちょっと待っていてくれるかな?」

 急いで祠を見に行く。しかし、祠の中に特に変化は見当たらず。
 相変わらず蛙の石像はぬぼーっとした表情でこちらを見つめてくるだけだ。

「おいおい、あの子何者だよ」

「神様」

 後ろを振り返ると、先程の子がこちらを見ている。

「私の名前は洩矢諏訪子。貴方の呼び掛けに応じてやって来たえらーい神様よ」

 そう言って、彼女はニンマリと笑った。

 そう。これが、俺と諏訪子さんとの出会いだった。





 で、そのまま立ち話もなんなので、俺は彼女を家に入れてお茶を出す事にした。
 とりあえず失礼の無い様に、結構値の張った茶葉を煎じる。

「どうぞ、粗茶ですが」
「うん、それなりの茶葉は使っているみたいね。感心感心」
「…それで、神様がこんな夜中に一体何の御用ですか?もしかして俺が何か不味い事でもしました?」
「さっきも言った通り、私はただ貴方の呼び掛けに答えただけよ。…そう言えば、貴方名前は?」
「え、ああ、俺は○○と言います……つか、どこから来たんですか?」

 もしもこの子が本当に神ならば、神様って言うのはさぞかし暇なのだろう。ただの一般市民がふざけて呼んだらやって来るぐらいなんだから。
 まぁ、最近は妖怪も暇を持て余していると言うくらいだから、神様となるとそれ以上に暇なのかもしれないが……

「守矢神社から…って言っても分からないわよね。分かりやすく言えば、ここ最近山奥に出来た神社から来たのよ」

 山奥の神社って、もしかしなくても魔理沙が行ってきたと言う神社の事か?
 だとしたら彼女が土産として俺にくれた蛙の石像って…

「貴方が奉った石像は元々私の神社の境内にあったものなの。で、神様って言うのは基本的に自分を奉ったものならば、どんな社にも姿を現せるものなのよ」
「つまり、あの石像を通じてここに来たって事ですか?」
「簡単に言えばそうなるわねー。…しかし貴方、私の神社から物を奪おうとは人間のクセに良い度胸じゃない」

 やはり俺の友人は窃盗してきていたらしい。そして俺は今まさにそのとばっちりを受けそうになっている訳だ。

 盗品を貰って時点で俺も同罪かも知れないが、このまま黙っているのも癪だ。
 なので、ちょっと反論してみる事にする。

「俺はそんな事やっていません。実際にあの蛙の石像を持ってきたのは俺の友人なんです」
「…確かに神社で貴方の姿を見た事は無いなー。それ本当でしょうね?」
「ええ、彼女は手癖の悪さで有名ですから。黒白の魔女って言えば分かります?」
「あー、なるほどあの子か。うん、それなら納得出来るわね」

 一瞬で納得される辺り、彼女の知名度は相当なものだ。
 主に負の意味でだが。

「よし、じゃあ今度少し懲らしめてやろうかな。…ところで○○だっけ? 一つ質問があるんだけど良いかな?」
「あ、どうぞ」

 すると、彼女の眼差しが少しだけ真剣なものに変わった。

「祠を作ってくれたのはありがたいんだけど、肝心の信仰心が殆ど集まっていないのは何故かしら?仮に貴方一人だとしても、少なすぎる気がするんだけど」

 なるほど、確かにあの祠に信仰心なんて欠片ほども集まっていないだろう。
 元よりオブジェとしての価値ぐらいしか無いと思っていたのだから当然の事だ。
 それに、生憎俺は彼女の願いを応えられそうに無い。

「俺、外の世界からやって来た異邦人ですから」

 神ならば彼女とて知っているだろう。
 現在の外の世界は物理、化学、数学、によって成り立っている自然科学万能の世界だ。
 全ての物質の構成は原子によって解明され、自然の現象は数式の上でその力を測られる。人々は日々利便性を求めて知識を開拓し、古の風習を捨て去って進歩していく。
 そして俺もかつてはその世界で生きていた人間だった。そんな人間が神の存在を易々と信じられる訳ないじゃないか。

「なるほど。道理で信仰心が集まらない訳ね」
「信仰心が薄くてすみません。俺、神学にはあまり興味が無いんです。とは言っても、無神論者でも無いんですけどね」

 これは事実だ。神を崇め様とは思わないだけで、その存在まで否定している訳じゃない。
 俺は、科学では解明できない物の中に神はあると思っている。


 なぜって?そりゃあ、そこにロマンがあるからに決まっているじゃないか!


「う~ん、でも折角祠を作ってくれたのにこのままじゃ勿体無いわね…」

 顎に手を当てて、しばらく彼女は何か思案する様な素振りを見せていたが、やがて何か妙案でも浮かんだのか声を上げた。

「そうだ!ここって人気が少なかったりする?」
「え? ええ、確かに人気は少ないですけど」

 俺の家は人里の端っこの方にあるので、基本的に人気は少ない。
 わざわざ自分からここに来る物好きなんて魔理沙ぐらいしかいないだろう。

「よし、決めた!この祠は今から私の分社にさせてもらうわ!!ついで神の存在についてもみっちりと説いてあげる!」
「は、はあぁ!!?別にそんな事説かなくて良いですよ!と言うか分社を作るならここじゃなくて里の中心に置いた方が良いじゃないですか!」
「ああ、この際だから説明すると、私はまだ人里に出るかどうかは審議中なの。でも、ここは人気が少ないんでしょ?だったらここは私が暇を潰すにはうってつけ場所に出来るわー」
「いや、ここにも暇潰しになる事は無いと思いますよ?」

 すると彼女は唐突に俺の事を指差した。

「貴方がいるじゃない。確かに遊ぶには物足りないけど、話し相手ぐらいにはなるでしょ?」
「…俺が他言したら終わりですよ?」
「あ、その時は間違いなく祟り殺すからね?」

 笑顔で可愛らしく小首を傾げているが、放たれた言葉には凄まじい威圧感が含まれている。
 その幼い容姿と漂わせる雰囲気の差異に俺はどこか背筋が寒くなるのを感じて、気が付けば頭を縦に振っていた。

「うんうん、素直でよろしい!さてと、それじゃあ今日はこの辺で帰ろうかな。多分また近い内に来ると思うから、その時はよろしくねー」

 彼女はそう言って、にこやかな笑顔と共に手を振ってきた。
 そして俺が気付いた時にはすでに彼女の姿は無く、空になった湯飲みだけが残されていた。

「……マジかよ」

 呆然としたまま、俺はその場にへたり込んだ。
 もしかすると、手を振って送ったのは何も無い日常に対してだったのかも知れない。

 ただ今一つだけ分かるのは、これから俺は神様が直々にその存在を説いてくる日々が始まる、と言う事だった。






承. 神との対話




 暇とは言えど仮にも彼女は神様らしいから、そんなに頻繁にやって来る事も無いだろう。
 そう思っていた俺の認識はすぐに変えさせられる事になった。

「おーい、さっそく来たよー」

 翌日の昼下がり、心地良いまどろみの中で眠っていた俺は唐突なその声で飛び上がった。
 急いで玄関の扉を開けてみると、そこには少し不満そうな顔をした昨日の少女が立っている。

「むー、少し反応が遅いよ? 近い内に来るって言ったじゃない」
「その近い内が翌日だなんて考える人は普通いませんよ」
「それは人間の感性。私は神様なんだから、そんなちっぽけな感性で量っちゃいけないよー?」
「…予想Guyデス」

 それはいつやって来るか分からない災害を予知しろ、と言っている様なものだと思うのだがどうだろう。





 俺と彼女の対話は大体こんな感じで始まる。
 
 来訪の規則性は殆ど無く、早朝にやって来る事があれば深夜になってやって来る事もある。
 幸い俺が留守の時にはやって来ないが、それでもいつやって来るか分からない客人の対応は疲れるものだ。

 一度、風呂に入っている時にやって来た時には相当ラリったものだ。
 おまけに家に入って来た(方法は不明)彼女が風呂場のドアから俺を覗き込んで、

「……若者よ、まだ君は成長できるさ」

 とか憐れむ様な目で言われた時は首を吊りたくなった。いや、割と本気で。





 当初、俺は諏訪子さんが神である事をその容姿や言動ゆえに半信半疑だった。
 しかしこの事は彼女との交友が始まって早々に撤回せざるを得なくなってしまった。

 それはある晴れた日の事。里から少し離れた所にある川辺に腰掛けている時、ふと浮かんだ疑問を彼女にぶつけたのが切っ掛けだった。

「そう言えば諏訪子さんは神様なんですよね?」
「そうだよー……って、初めて会った時からそう言っているじゃない。まだ信じていなかったの?」
「詐欺とかに引っ掛らない様にするには、これぐらいの懐疑心は必要なんですよ。そもそも貴女が神と証明出来るものが無いじゃないですか」
「えー、神話の実際とかについて色々と教えてあげてるじゃない。それは証明にならないの?」
「口でなら何とでも言えますからね」

 すると彼女は小さな掌を叩いて提案してきた。

「ならば私の力の末端を見せれば信じてくれる?」

 なるほど実にシンプルで分かりやすい証明方法だ。
 
 内容は実に簡潔。彼女が自身の力を俺に見せ、その力を俺が解明できなければ彼女が神である事を認める。それだけの事だ。

「分かりました、それで良いですよ。あ、でも俺が死ぬ様な事は勘弁してください」
「そんな事はしないわよー。だって証人が死んじゃったら意味無いじゃない。・・・それじゃあ、行くよ」

 諏訪子さんはそう言って目を閉じた。そして、そのまま両手を押し上げるようにして天に向ける。

 すると彼女の行動に準ずる様に風が周囲にそよぎ始め、快晴だった空に暗雲が立ち込め始めた。
 その劇的な変化に俺は言葉を失い、ただ呆然と目まぐるしく変わり続ける世界を見ている事しかできなかった。

「さぁ、しっかりとその目に焼き付けなさい!!」

 そして、遂に『奇蹟』は起きた…!!

ボトボトボトッ……

「……は?」

 何かの落下音、時々感じる何とも言えない感触。

 ぼんやりと落ちてきた物に目を向けると、ふいに『そいつ』と目が合った。

 テラテラとした体表を持つ『そいつ』は梅雨時の外の世界の風物詩であり、同時に人によっては忌避の対象となる生き物だ。

 その名は


「かえる?」


 「そうだ」と言わんばかりの様子で『そいつ』は「ゲコ」と一声鳴いた。
 そして気が付けば、時間と共にその数が増えていく。

 俺は唐突に気が付いた。


「ウェ○ー・リ○ートかよ!!!??」


 決して誇張表現ではない。
 暗雲に包まれた空から降ってきているのは、雨粒ではなく確かにカエルなのだ。
 
 最早どういう原理かなどと悠長に考えている余裕は無い。一刻も早くこの(色んな意味で)嫌な『奇蹟』を止めなくては。

「もう十分分かりましたから!!!お願いですから、もう止めて下さい!!」

 別にカエルが嫌いな訳ではないのだが、流石に数百匹のカエルに囲まれるのは気味が悪い。
 おまけにこの現象が局所的ではなく、辺り一帯に及んでいるとすると里の方まで被害が及ぶ。

「えー、もう良いの?折角だからもう少し見ていれば良いのに」
「怖いですから!こんなにカエルがウヨウヨいたら逆に怖いですからぁーーー!!!」

 幼い子供が見たらトラウマになる事請け合いだ。
 大人だって苦手な人には卒倒ものだろうに。

「なーんだ、つまらないなぁ…じゃあ、私が神様だって信じてくれるのね?」
「信じます、信じますからもう止めてぇーーー!!!!」

ボトボトッ…
ベシ! ポコ! ブニュ! メメタァ!!

 言っている間にも頭やら肩やらにカエルが当る。
 弾力があるので痛みはあまり無いが、結構衝撃があるので地味に辛い。
 何よりその感触が不快だ。

「まぁ、そこまで言うのなら仕方無いかー」

パンッ!!

 彼女は溜息を一つ吐くと拍手を一回打った。
 するとどうだろう。
 先程まで空一面を覆っていた雲が見る見る晴れて、降り続けていたカエルが止んだ(で良いのか?)ではないか。
 俺にとっては、むしろこっちの方が『奇蹟』だ。

「や、止んだ…はぁ、全くもって酷い『奇蹟』もあったもんだ」
「今貴方は自分の口で私を神だと認めるって言ったんだからね。これからはちゃんと神様として信仰しなさいよ?」
「誰も信仰するとは言っていませんよ。でも本当に神様だったんだなぁ」
「ちょっとー、信じてくれるって約束したじゃない。まだそんな事言うのー?」

 そう言って諏訪子さんが膨れっ面をした。
 むしろそう言う所が神様っぽくないと言うか、

「神様と言うより普通の人間みたいだな、って思って…」

 親しみやすさ感じさせるんだよな、と俺は思う。
 勿論それは貶している訳じゃなくて、普通に好意が持てると言う意味だ。

「うーん、そうかしら?」
「ええ、俺はその方が好きになれますね。圧倒的に」
「……ばーか」

 何故かカエルを投げつけられた。
 しかも有毒(と言っても弱毒)のカエルを投げてきたので、以来数日ぐらいは顔の腫れが引かなかった。
 うーむ、まさに神罰だ。





「そう言えば、前々から思っていたんだけど」
「何ですか?」

 ある昼下がりの事。
 湯飲みを見つめたまま諏訪子さんが呟くのに、俺は茶菓子の封を切りながら答えた。
 今は丁度、本日の彼女による「神の存在について」の講釈が終わった所だ。

「もしかして茶葉の種類って毎回違う?茶菓子も毎回違うものの様な気がするんだけど…」
「あ、気が付きましたか?諏訪子さんのお察しの通り、毎回違うものにしているんですよ」

 前回は青茶(所謂ウーロン茶)を出したが、今回は白茶を淹れてみた。
 茶菓子も前回は羊羹で、今回は饅頭だ。

「随分と気が利くね。でも、面倒じゃない?毎回種類を変えるのってお金も掛かるでしょう」
「確かにお金と手間は掛かりますね。でも数少ない客人ですから、それだけ気配りする余裕もあるんですよ」

 実際、魔理沙だってそんな頻繁にやって来る訳じゃない。
 尤もあまり来られると迷惑極まりないのでお断りだが。

「あはは、随分と寂しい生活してるねー。なら私は丁度その寂しさを埋めてくれる存在って所なのかな?」
「どうだろう。割と静かなのは好きだから微妙かな…まぁ、最近はあまり退屈しませんね、諏訪子さんが来てくれますし」

 最近は超常現象とかにも慣れてきていたりする。
 何だか段々、恐怖の感覚が麻痺してきている様な気がしてならない。

「私も退屈はしないわねー。だって、○○って一々私がやる事に面白い反応してくれるし」
「あ、あははは……俺、芸人じゃないですけど…」
「ならむしろなっちゃいなさいよ。スポンサーなら私がやるからー」
「リアクション芸は長持ちしませんよ…」

 快活に笑いながら冗談を飛ばす諏訪子さんに俺は苦笑で返す。
 その笑顔と和やかな空気に、内心俺は「アットホームだなぁ」とか思っていた。

 彼女がいる時は、特に何も無いこの部屋も賑やかに感じる。

 そう、いつの間にか俺にとって彼女はただの“客人”から大事な“友人”と言える様な存在になっていたのだ。





 だからなのだろうか。

 久しぶりに我が家を訪れた(強襲とも言う)魔理沙は俺の顔を見るなり言った。

「なぁ、○○。お前、最近顔つき変わったな」

 しかも随分と真剣な表情だ。
 その不自然さに俺は違和感を持ち、適当な質問を返した。

「何だよ、急に。変なものでも食ったのか?」
「例え食ったとしても、狂うのには慣れてるぜ。んで、単刀直入に訊くが、お前ここ最近何かあったのか?」
「…あったと言えばあったな」

 諏訪子さんとか、諏訪子さんとか、諏訪子さんとか。
 つか、他には何も無い。基本的に人付き合いが苦手な俺は交友関係が結構狭いのだ。

「おお、マジか!!そりゃ気になるぜ!何だ何だ、教えてくれよ!!」
「お前に教えると、尾ビレが付きそうだからヤダ」

 本人は時々恋色の魔法使いとか自称しているが、その心はただの耳年増だ。そもそも恋色って何色だ。

「ふふふ、言っておくが私は恋についてはプロフェッショナルだぜ!?」
「ほう、ならば魔理沙の戦歴を語ってくれよ。プロなら経験豊富なんだろう?」

 やたら自信満々の様子に何となく腹が立ったので、少々意地悪をしてみる。

「う……そ、それは…」

 途端、魔理沙が真っ赤になった。
 折角なので日頃の仕返しとばかりに、もう少し弄ってみようか。

「きっとさぞかしタメになる話が聞けるんだろうなぁ。いやはや、偉大なる魔理沙大先輩の教えだ、しっかりと胸に刻まなきゃいけないな」
「う、ううう~~…○○、お前酷いヤツだ」

 とうとう涙目になってしまった。少々お遊びが過ぎてしまったらしい。
 しょうがない、この辺りで切り上げておこう。

「なーんてな、別に最初っからそんな事訊く気なんて無いさ。…ほら、とりあえずこれでも食っとけ」

 俺は本日の茶菓子であるドラ焼きを魔理沙の口に突っ込んだ。

「!?むぐ!…うむむ…あ、うまい」
「そうだろう、ついでにこっちも食っとけ」

 言って片割れを差し出してやると、魔理沙はあっという間にドラ焼きを食ってしまった。
 やっぱり甘いものは別物なのだろう。

「…あー、美味かった。いやー、馳走になったぜ○○」
「お粗末様。口に合ったのなら何よりだ」

 ニカッといつもの笑顔に戻った魔理沙に、こちらも笑みで応える。

 泣く子には甘いもの。

 悲しい時には甘いものを食うと不思議と元気が出るものなのだ。まぁ、物によっては無理なのもあるが。

「さて、腹ごしらえもしたしそろそろ私は行くぜ」
「そうか、まぁ気が向いたらまた遊びに来いよ」
「ああ、そうさせてもらうぜ。ところで○○、ドラ焼きの礼に一つ良い事教えてやる」

 帽子を被り直して玄関に立ってから、魔理沙は振り返った。

「今のお前に足りないのは“身勝手さ”だ。その辺りを上手く補えれば、今お前さんが気になる相手も落とせるだろうさ」

 そう言い残して、俺の返答も待たずに飛んで行ってしまった。

「気になる人ねぇ……」

 すぐに思い浮かんだのは諏訪子さんの笑顔だった。

「どうしてだろう、犯罪の臭いがする……」

 年齢的にはおかしくないのだろうけど、見た目がアレだからしょうがないのか。
 でもその事を本人に言ったら、烈火の如く怒られそうなので止めておこう。

「それに“身勝手さ”か…まぁ、魔理沙の言う事だし真に受けない方が良いだろうな」

 耳年増の言う事は結構当てにならない。
 からかい半分に言っているのかも知れないし。

「…諏訪子さん、今日はいつ来るんだろうな」

 すっかり静かになってしまった部屋で独り呟く。
 何だかんだで、アイツの言っていた事はあながち間違いでは無いのかも知れない。

 気が付けば彼女がいる事が、俺にとっての日常になっていたのだから。





 最近、私には新しい日課が出来た。
 と言っても正確には日課と言うよりは習慣に近いものだ。

 それは○○と言う人間の元へ遊びに行く事。

 ○○はただの人間だ。それも、どこかの巫女や魔法使いとは違って生粋の一般人でしかない。
 しかも彼はこの世界の住人では無く、かつて私がいた世界からやって来た迷い人らしい。

 力も無い、知識も無い、さらには信仰心も持っていないナイナイ人間。
 でも、彼はそれを補って余る程の寛容さと柔軟さがある。

 何より私を神だと理解してなお、普通に接してくれる。


 だからこそ、私は彼の元へ遊びに行くのだ。


「さてさて、今日はどんな事を話してあげようかな~」

 前回は日本書紀には書かれていない中央神話を解説してあげたから、今度は風土記の記述に無い様な土着神話でも語ってあげようか。

「今回はどんな反応を見せてくれるかしら」

 毎度毎度、話が終わった後の彼の反応は見ていて厭きない。
 バリエーションが豊かと言う訳ではなくて、彼は純粋に新しい見聞に対して驚いたり感心したりしてくれるのだ。
 そんな所も私が彼に好感を持つ要素の一つになっている。

「…おおっと、少し髪が跳ねているわね」

 早苗に貰った手鏡で確認しながら、跳ねている髪を寝かしつける。
 うーむ、まだ微妙に直りきっていない様な気がするけど大丈夫かしら。

「あらあら、諏訪子がそこまで粧しに気を遣うなんて珍しいわね」

 声の方を見やると、胡坐をかいた神奈子がこちらを見てニヤニヤと笑っていた。

「何よ、神ならば身嗜みに気を使うのは当然の事でしょう。別におかしな事じゃないと思うけど?」
「それはそうだけど、ここ最近の諏訪子はやけに気合が入っているじゃない。一体どういう心境の変化なのか、と思ってね」
「心境の変化?うーん、そんな事あったかな」

 環境の変化ならばあったのだけど、心境の変化は無いと思う。
 あー、でも○○に対して関心を持ったと言う点じゃ変化があったと言うべきなのだろうか。

「ふふふ、どうやら心当たりはあるみたいね。やっぱり、最近よく出向く先にいる人間が関係しているかしら?」
「何よ、覗き見?相変わらず趣味悪いわね」
「貴女の分社には私も行ける事を忘れていたのかしら?それに逢瀬を見られるのが嫌なら、繋がりを専用化すれば良いじゃない」
「別に忘れてなんかいないわよ。ただ、神奈子が普通の人間なんかに興味を持つとは思わなかったの」
「あら、それはただ先入観じゃない。私も○○って子には興味があるのよ?」

 意識を向こうに移しているのか、神奈子の目が細められた。その表情はどこか微笑んでいる様にも見える。
 ・・・神奈子は、彼を見て微笑んでいるのだろうか。

 そう思うと何故か胸の奥がモヤモヤとした。

「へー、神奈子がただの人間に興味を持つのは珍しいわね」
「私だって興味ぐらいは持つわよ。それが貴女に関係しているなら猶の事ね」

 そう言って彼女は意地の悪い笑みを浮かべた。何となく嫌な気がする。

「それに興味なら貴女の方が強いみたいじゃない。ここ最近神社をすっぽかして彼の所に入り浸っているみたいだし」

 反論の仕様が無い。

 まだ神社の機能自体には支障は無いが、暇さえあれば彼の所へ遊びに行っている訳だし。

「いやはや、実に興味深いわ。きっと○○って言う人間はさぞかし真摯な人間なんでしょうね?それこそ諏訪子が夢中になるくらいに」
「夢中って…それは流石に誇張表現だと思うけど?それに別に行かなくたってどうって事無いわ」
「へぇ、ならば明日から行くなと言ったら?」
「う……」

 宣言した矢先にそう来るとは。
 こ、これは流石に卑怯じゃないの?

「ほら、どうなのよ。早く答えて頂戴」

 言い切ってしまった手前、嫌だとは言えない。
 でもやはりそれは何となく色々と困る訳で・・・あ、あ~う~。

「それは……困るわね」

 自然と言葉が口を突いて出た。
 多分、その言葉は今の私の心情を最も端的に表していたと思う。

「やっぱり夢中じゃない」

 むぅ、偉そうな事を言って。
 そもそもそれは神奈子が言えたものじゃないでしょうに。

 でも、まぁ・・・確かに夢中と言えば夢中なのかも知れない。
 神奈子に茶化されるのは気に食わないけど、実際彼の事が気になるのは事実だもの。

「さーてと、そろそろ行こうかしら」
「お土産話、期待してるわよ」

 相変わらず絡んでくる神奈子に笑顔を向け、私は言ってやった。

「飛びっきりを聞かせてあげるわ」

 意識を分社へと集中させ、移動の準備を始める。
 さぁ、今日はどんな話をしてあげようか?





 その日も、俺と諏訪子さんはいつもの様に取留めも無い事を語り合っていた。
 ただし今回は天気が良かったので霧の湖の方まで来ている。
 普段霧の湖はその名の通り霧が立ち込めている事が多いのだが、その日は珍しく殆ど霧が立ち込めていなかった。

「……へぇ、じゃあ神様同士も戦争をするんですね。俺、神話とかは疎い方なんで全然知りませんでしたよ」
「神様の前でそう言う事を言うのはどうかと思うんだけど……まぁ、何にしてもその辺りは人も神もあまり変わらないのよ。実際、国が神話を統一しようとして神々の戦争も起こった事があるし」

 大体こんな感じの事を、俺達は語り合っていた。
 そう言えば最近知ったのだが、彼女はその昔『ミシャグジ』と言う神様を束ねて一国を築いた事もあったらしい。
 彼女自身は山の神様らしいのだが、そう言った他の神をも制御する程の力があったのだそうだ。

 それだけの力を持つと言う事はおそらく相当古参の神様なのだろう。
 彼女の博識ぶりは神話だけではなく、創世の歴史にも及んでいる。

「やはり思想の統一が目的だったんでしょうね。今もそうですけど、神に対する信仰は人を釣るのに便利ですから」
「思想の分裂は内部分裂の原因になるから、国主的にはどうしても避けたい事だっただろうねー。・・・でも滑稽だよ、人が思想の事で争えば神もまた互いに争わざるを得ないんだもん」

 皮肉を交えた諏訪子さんの笑み。
 俺は少し思考に耽ってから自分なりの答えを出した。

「それだけ人間と神は密接な関係にあったんじゃないんですか?」

 古来、人は神の力を借りて自然の驚異と戦い、神もまた人間の信仰心を糧に自らの力を高めていた。
 それはある意味切っても切れない共生関係だったのではないだろうか。

「ふーん、それって丁度今の私達の関係みたいなものかしら?」

 すると、こちらの様子を覗き込む様にして諏訪子さんが笑った。
 無邪気なその笑顔に、俺は何となく見とれていた。

「それは……そ、そう…なんでしょうか、ね?」

 思いの外短いその距離に動揺する。
 平静を装うつもりだったが、すでに声が上擦ってしまった。
 多分、今の俺は途轍もなく情けない顔をしているだろう。
 このまま弄られれば、弾みで何を言うか分からない。

「○○、私はね……ん?」

ポツッ

「……あれ、もしかして雨?」

 ふいに頬を打った冷たい雨粒によって会話は中断させられた。

 互いに物も言わずに空を見上げると、いつの間にか空は鉛色の雲に覆われていた。
 そしてその曇天の空から降り注ぐ雨は、徐々に勢いを増して行く。

ポツ…ポツポツ…ポツポツポツ…
ザアアアアアアァァァ…

「うわ、冷たっ!!諏訪子さん、行きましょう!!!」
「え、ちょ、ちょっと!?きゃ!ひ、引っ張らないでよー!」

 このままでは二人揃ってずぶ濡れになるのが落ちだ。
 そうなっては敵わないので、一刻も早くどこかで雨宿りをしなければなるまい。





 結局霧の湖周辺に良い雨宿りの場所は見つからず、俺の家に避難する事になった。
 当然良い場所が見つからなかった以上雨宿りをする事は叶わず、二人とも全身びしょ濡れだ。

「はぁはぁ……だ、大丈夫ですか、諏訪子さん」
「て、手を持って行かれるかと思ったけど、何とか大丈夫ー…」

 手、と言う言葉を聞いて、初めて俺は彼女と手を繋いでいる事に気が付いた。

「す、すみません、勝手に手なんか繋いじゃったりして」
「別に良いよ、それくらい。あー、でもそれより服が大変だわ」
「た、確かに服g」

 ずぶ濡れですね、と続けようとしてそのまま俺は硬直した。
 …まぁ、状況は言わずもがなだ。

「…どうしたの○○?」

 未だ自分の状況に気付いていないのか、諏訪子さんがポカンとした様子で訊いてくる。
 それでも視線が外せない自分はどこまでも健常な青年だ。

「いや、ですから…その、服」
「服がどうしたのって……っ!!!」
「そ、そう言う事です…」

 理性を総動員し、彼女から視線を外しながら言う。
 ふいに、彼女の方から物凄い威圧感を感じた。


「あ、あううう~~~!!!」


 無 茶 苦 茶 怒 っ て る ! ! !

 何となく雨以外の寒さを感じながら、俺はぼんやりと「念仏でも唱えようかな」とか思っていた。

「○○の馬鹿ーーー!!!!」

 真っ赤な顔した諏訪子さんが一瞬だけ目に入って、俺の意識は暗闇に堕ちていった。

 我が人生、一片の悔い無し!!(親指を立てて)





 私は○○の家の風呂場にいた。
 神とは言えど身体を冷やすのは良く無いので、とりあえず風呂を借りる事にしたのだ。
 無論○○はまだ部屋で伸びているので許可は貰っていないけど、これぐらいの事は許してくれるだろう。

「…はぁ、いい湯だわ~」

 火の強さを神通力でコントロールしているので湯加減は最高だ。
 こんな時は神様をやっていて良かった、と素直に思える。

「そう言えば天候くらいは私にも制御出来たなー。うーん、すっかり忘れてた」

 理由は、彼がいきなり手を繋いできたから。

 別にどうと言う事では無いはずなのに、なぜかあの瞬間とても心が温かくなった気がする。
 そしてそんな些細な事が凄く嬉しくて、気が付けば力を使う事も忘れて彼と一緒に走っていたのだ。

「…今になって見ると何だか気恥ずかしいなー。それに最後に男の人に触れたのっていつだったか覚えてないし」

 別にその手の経験が無い訳じゃない。
 でもあまりに長い年月の間そう言った経験が無かったから、少々その辺りが初心になって来ているのかも知れない。
 それに神奈子にあんな事を言われた後だから、余計意識してしまっているのかも知れないし…

「でも意外に○○ってガッシリしているんだな。細くて頼りないと思っていたけど、やっぱりそこは男なんだねー」

 流石に濡れたまま部屋に放置するほど私は非情じゃない。
 だからとりあえず彼は服を脱がせ(肌着はそのままだけど)、毛布をかけて彼の部屋(と思しき場所)のベッドに寝かせてある。

 そしてその時の光景と「身体」と言う言葉で、私はさっきの事を思い出した。

「ううう~~~……見られた」

 ブクブクと顔を湯船に沈めながら呟く。
 閉じた瞼の裏にあの時の彼の視線が脳裏に蘇えって、私は別の意味で身体が火照るのを感じた。
 そして記憶の中の彼の視線は神を見るものではなく、別のものを見るものだった事に気付く。


「…そっか、○○も男なんだよね」


 今の自分は彼にとって魅力的なのだろうか、失望されたりしていないだろうか。
 ああ、今すぐにでも彼を叩き起こして、その口から答えを聞き出したい。
 そして出来れば私が魅力的であると、言って欲しい。

 別に彼一人に何を思われようとも痛くも痒くも無いはずなのに、気が付けば私はずっとその事について考えていた。

「やっぱり○○も神奈子みたいなのが良いのかなー…男の人って胸は大きい方が良いみたいだし」

 断崖絶壁にも等しい自分の胸を見て絶望する。もしもそうだとしたら、明らかに勝ち目が無い。

「ううう…き、きっと○○なら大丈夫。私が神奈子みたいな年増に負けるはずが無いわ」

 自分も大して変わらない。

「……どうしたら○○の気を引けるのかしら」

 そう、最大の問題はそれだ。
 どうしたら彼の意識を向ける事が出来るのだろうか。
 ……ん?


「……あれ?」


 なぜ私はこんなにも彼の事で真剣になっているのだろう。


 そう言えば、ここ最近ずっと彼の事ばかり考えていた様な気がする。
 朝目が覚めれば彼の家の食卓の事を考えていたし、昼にはうたた寝をしている彼の寝顔を想像していたし、夜は密かに彼が健康である様にと功徳を授けたりしていた。


 気が付けばいつも私は彼の事を想っていた。


 そしてこの感情を、私は遠い昔に経験した事がある。

「好き、なのかな……?」

 それは遥か記憶の彼方へと消えかけていた感情。
 もう、二度と抱く事は無いと思っていた恋慕の情。

「○○が好き」

 口にした途端に、胸の奥が甘く切なく疼き始める。
 そして私は自覚した。


 私は彼の事が好きなんだ。


 穏やかで、純粋で、ちょっと理屈屋で、でも気が利いたりして、時々見せる笑顔が素敵で。

 神としてではなく、一つの人格としての私の事を見つめてくれている。


 私はそんな彼が好きなんだ。


「…よし、とりあえずいかにして○○をロ○コンにするかが今後の課題ね」

 そうと分かれば話は早い。
 こぶしを握り締めて、私は湯船から出た。
 そして同時に私の服は、最早その役割を果たさない事を思い出した。

「うーん、力を使えば何とかなるかも知れないけど…ん?」

 思案しながら周囲を見渡していると、ふいに“あるもの”が私の目に入った。
 瞬間、私の脳内に雷鳴の如く素晴らしいアイデアが駆け抜けた。

「これだわ!!!」

 “これ”なら、きっと彼も私の事を意識せざるを得ないはずだ。

「待っていなさい、○○」

 挑戦的な笑みを浮かべて、私は○○が眠る部屋の方を見やった。




「あー、身体の節々が痛い…」

 ベッドの上で俺は一人で空しく唸り声を上げた。
 服はいつの間にか脱がされていたので不快感はないが、所々に残っている痛みが地味にキツイ。

「うーん、やはり言わない方が正解だったか?でも言わないとそれはそれで悪いしなぁ…」

 最後の一瞬しか見えなかったので何とも言えないが、多分彼女は怒っていた様な気がする。
 だとしたら、さっきの事で相当嫌われたかも知れない。

「…それはちょっとショックだな。折角仲良くなれたのに」

 友人が減るのは寂しい事だ。
 もっとも、今はそれ以上の感情が働いている様な気もする。
 もしかすると、俺は諏訪子さんの事が好きのかも知れない。

「諏訪子さん……か」
「呼んだ?」
「うわああっ!!!すすす、諏訪子さん、いつから其処に!?」
「今し方だよ」

 諏訪子さんはドアを開けてこちらを窺っていた。
 しかしどういう訳か部屋に入ってくる様子は無い。

「どうしたんですか?早く中に入って下さいよ。そこは寒いでしょう?」
「えーっと、そうしたいのは山々なんだけどね。何と言うか、ちょっと恥ずかしいのよ」
「恥ずかしいって……あ」

 やっぱりさっきの事が尾を引いているのか。ここは素直に自分の非を詫びなければなるまい。

「あ、あの…その、さっきは見てはいけないものを見てしまって、本当にすみませんでした!!」
「へっ!?」

 まだ痛みの取れない身体に鞭打って何とか土下座する。こう言う時は兎に角誠意を示す事が重要だ。
 もう一発さっきの攻撃を喰らおうとも、彼女に許してもらえるのなら甘んじて受けよう。

「あ、ああ、あの事ね。…うん、今回は君のその素直さに免じて許してあげよう」
「本当に、この度は…って、許してくれるんですか!?」
「まぁ事故みたいなものだからね。でも、次やったら命の保障はしないよ~?」
「め、めめめ滅相もないです!!!」

 次が来ようものなら、俺は自分の目ん玉を抉ってでも回避してやる。
 いや、実際にそこまではしないけど。

「で、何で入って来ないんですか?…あ、野郎の部屋なんて入りたくないですよね、すみません今そっちに」
「う、ううん、そういう訳じゃないのよ。ただちょっと心の準備が必要なだけ」
「心の準備?」

 確かに二人きりと言う状況になるが、そんな事をする必要はあるのだろうか。
 むしろ、その必要性は俺にこそあると思うのだが。

「……よし、じゃあ入るよ」
「ど、どうぞ」


 そして俺はその瞬間、そこに神を見た。


「お、おお…!!」

 まさか幻想郷でこの至高の光景を見る事が出来るとは思わなかった。
 それは恐らく、この世を生きる健常なる男児達が見る夢の具現!!

「貴 女 が 神 か !!」


 裸Yシャツ!!!!


「あーうー…やっぱりこれは恥ずかしいな」

 恥じらいながら、シャツの裾を押さえるのは反則じゃないですか?
 もうすでに鼻の奥がツンとしてきたんですが!

「な、何でそんな格好を…」
「いやぁ、着替えの事忘れてお風呂借りちゃってね。それで何を着ようか考えていたら目に入ったのよー」

 間違いなく彼女が着ているのは俺のYシャツだ。
 何せ、丈が彼女に合っておらずダボダボになっているからだ。
 袖からちょっとだけはみ出ている指とか、半ばミニスカっぽくなっている裾とかが実に素晴らしい。


 まさにNice Shirt!!


「えーと、裸ワイとか言うんだっけ?ど、どうかな…その、似合ってる?」
「どうもこうも、最高にGJです。GJ過ぎて鼻血が出そうなくらいです」

 「何で神様がそんな事を知っているのか?」とかはこの際どうでも良い。
 今はただ目の前の少女に向かってサムズアップするしかない。

「それは良かった。でも、この格好って結構寒いなー…」

 この季節は雨が降っていると寒い。
 そんな状況に対して露出が激しいこの服装なので、彼女が寒がるのも無理は無いだろう。

「じゃあ、この毛布を使って下さい。俺も風呂に入ってきますから」

 俺は理性を保つ事が出来、彼女は暖を取る事が出来る一石二鳥の提案だ。
 本当はもう少し彼女の姿を拝んでいたかったりするのだが。

「あ、ゴメン火消しちゃった」
「…もう一回点けてくれませんかね?そうすれば俺も暖まれるんですけど」
「うーん、そうしてあげても良いんだけど……あ、良い事思いついた!」
「え?いや、あの諏訪子さん?」

 そう言って、少し小走り気味でこっちに寄って来る。
 そしておもむろにベッドに腰掛けると、突然毛布の中に潜り込んできた。

「うんうん、やっぱりこうした方が温いわねー」
「ちょ、諏訪子さん、アンタ今自分が 何 を や っ て い る の か 分かってるんですかーーー!!!??」
「んー?一緒に毛布を入っているだけじゃない」
「確かにそうかも知れないですけど、健全なる青少年である俺にとってこの状況は心理的に非常に危険なんですよ!!」
「あららー、こんな事されたら○○はケダモノになっちゃうのかしら?」

 そんな事を言って、彼女は楽しそうに抱きついてくる。
 俺はただ、シャツの感触と彼女の体温に身悶えするしかなかった。

 でも彼女は、きっと分かっていてやっている。

 ならば、それは何と残酷な冗談なのだろう。

「……なると言ったら?」

 だから俺もつい下手糞な冗談を返してしまう。

「……え?」


 彼女の肩が小さく跳ね、次いで抱きつく力が弱まった。


「…はは、冗談です。第一、そんな事をしたら俺はロリ○ンになっちゃうじゃないですか」

 言わなければ良かった、と後悔する。ああ、俺オワタ…

 そんな風に内心絶望に打ちひしがれていると、不意に横から声がした。


「…今はダメ、かな」


 シュルリと、小さな衣擦れの音がして彼女の頭が出てきた。
 その視線はしっかりと俺の方に向けられている。

「でも、これからどうなるかは分からないよ?」

 そう言って、どこか期待する様な眼差しと微笑みを浮かべる。

「諏訪子さん、それって…」
「さてさて、今はそれよりもお風呂に入っておいで。火の方なら私が点けてあげるから」
「あいたっ!」

 強かに背中を打たれて、俺は渋々毛布から出た。
 とりあえず言われた通り、着替えを持って脱衣所に向かう。

 思いがけない僥倖に頬が緩む。
 どうやら、まだチャンスはあるらしい。





 彼が部屋を立ち去った後、私は小さく溜息をついた。

「ふぅ、緊張した~」

 まだ胸がドキドキしている。やっぱり即席で慣れない事をするもんじゃないなぁ。

「でもちょっと嬉しかったかもー。私でもそう言う風に見てもらえるって分かったし」

 外の世界では私の様な体型は、ある種の人間に熱烈な支持を受けるらしいが彼もそうとは限らない。
 ただ今回の件を見る限り、彼にもある程度の素養はある様だ。

「…ふふふ、これから楽しくなりそうね」

 懐かしい昂揚感を抱きながら、彼のくれた毛布を羽織る。
 微かに残った彼の体温と匂いが、身体だけでなく心まで温めてくれている気がした。






コンコン…
「はいはい、今行きますよ」

 読んでいた本を閉じて玄関に向かう。

 ありふれた習慣。正確には、ここ最近新しくなった俺の日常。

ガチャ…
 扉の向こうに立っているのはいつもの彼女。
 俺より遥かに長い月日を生きた小さな神様、そして俺の憧れの人。

「えっと…お邪魔しまーす」
「いらっしゃいませー」

 言い合って、お互いに小さく笑う。

「遊びに来たよ、○○」
「待っていましたよ、諏訪子さん」

 今日も、とって置きのお茶と茶菓子を用意しよう。

 そして一服したら貴女が満足するまで語り明かそう。

 まだ想いは繋がらないけど、今はそれで良いと思っている。

 だって“今”も十分に俺には満ち足りているから。




転.結んで開いて、また結んで…




 あの日以来、諏訪子さんとの距離は徐々に縮まって行った。
 以前よりも互いの間にある空間が小さくなり、会話の内容もより深くなっていった。

 そして何より、お互いに笑顔が増えたような気がする。

「笑う門には福来る、か。彼女は神様だからあながち間違いじゃないかもな」

 今更だが、自宅に神様が訪れるって言うのは相当な事じゃないのだろうか。
 この際彼女が何の神なのかは置いておくとしても、かなり凄い事だ。

「でも、友人の盗品が出会いの切っ掛けだからなぁ……」

 どうせ出会うのなら、せめてもう少し真っ当な出会いをしたかったものだ。
 尤もそのおかげ(?)で彼女に会えたのだから、一応感謝しているが。

「…さて、そろそろ来る頃かな?」

 時計の針を確認して呟く。
 どういう訳か、ここ最近彼女は定時的に我が家を訪ねてくる。
 理由を訊いて見た事もあるが、その時は「何となく」の一言で片付けられてしまった。

 正直そう言われると逆に気になるのだが、下手に詮索すると嫌われそうだと思ったので止めておいた。
 その時何となく、彼女が残念そうな顔をしていた様な気がするが。

「たまには味の開拓と言う事で、今日は紅茶でも淹れて見ようか。とすると、茶菓子は何が良いだろう……」

 棚からティーセット一式を取り出す。
 実は結構、こういうのが好きなのでカップとソーサーも色んな種類を持っていたりする。
 やがて俺は二組のティーカップを選んで並べた。

 俺のものは胡蝶蘭、諏訪子さんのものは黄色の水仙の柄。

 かつて外の世界の本を読んだので、俺はこの二つの花言葉の意味を知っている。

「……ま、気付かないだろうけど」

 流石に彼女が花言葉まで知っているとは思えない。ただ、この組み合わせは俺の彼女に対する心境をよく表している。そう、自分の為のちょっとしたお遊びだ。

コンコン…
「○○よ~、はやくドアをあけろ~、あけないとたたるぞ~」
「……」

 多分ふざけているのだろう。ノックの音と一緒に妙な調子の声が聴こえてきた。

 でもまぁ、彼女のこう言う所も嫌いじゃない。

「はいはい、今行きますよ」

 苦笑しながら、俺は玄関へと向かう。

 変わらない日常、始まろうとしていた。





 音を立てずに部屋に忍び込む。

 ベッドの上で眠っているのは一人の男。傍に寄り、その姿を確認してから私は小さく安堵した。

 彼と共に時間を過している間、私は常にある種の昂揚感と幸福感を感じるようになっていた。
 それは、もう二度と味わえるとは思っていなかった感覚。

「君がくれたんだよ…○○」

 眠る彼に、小さく囁く。

 昼間絶えず変わり続けていたその表情も、夜になれば一つになる。

 寝顔、おそらく最も無防備な時に見られる表情。

「…しかしこうして改めて見ると、意外と可愛いなー。母性本能くすぐられるかも」

 大よそ昼間の表情とは似ても似つかないその寝顔。
 私は小さく微笑んでから、彼を起こさないよう慎重に髪の毛に梳かした。指の間を彼の髪がすり抜けて、その感触が手に残る。それが何だか妙に愛おしい。

「うりうりー♪」
「う…んんー」

 頬を突っつくと、彼は小さく唸り声を上げて眉を寄せた。何となく面白い。
 でもこれ以上やると彼が起きてしまいそうなので止めておく事にする。

「ふふ、どんな夢を見ているのかな?」

 尤も彼は夢をあまり見ないタイプかも知れない。平素からあれだけ現実主義っぽい物言いだし。

「うーん、そう考えるとちょっと残念。ねぇ、○○知っている?私はここ最近よく夢を見るのよ」

 などと言っても聞こえるはずなど無い。だがむしろその方が好都合だ。
 逆に聞こえていたら恥ずかしさのあまりに攻撃してしまうかも知れない。

「私の夢にはね、○○。貴方が出てくるのよ」

 頬杖をついて、彼の横顔を見つめる。
 月明かりに照らされた寝顔は何となく時が止まってしまっているかの様だった。

「一緒に歴史について語ったり、ピクニックをしたり、将棋を打ったり…夢だって分かっていても凄く楽しいんだよー?」

 昼間は彼と共に気が赴くままに一緒に遊び、夜は夢の中で彼と出会う。総じて今の私は満ち足りている、はずだ。


 でも、まだ足りない。


 もっと彼と時間を共有して、同じ方向を見つめていたい。

 もっともっと互いの知らない奥深くを知り合いたい。


「…○○がもっと望んでくれれば良いのにな」


 彼は比較的無欲な人間だ。だから彼は私に対して多くを望まない。
 それはとても紳士的で素晴らしい事かも知れないが、私に言わせればそれこそが私達の関係に歯止めを掛けている様な気がしてならないのだ。

「ううん、急いじゃダメよね。まだまだ時間はあるんだから」

 彼はただの人間だから時間は有限だ。でも、まだ焦るほど時間が無い訳では無い。
 これからゆっくりと、この距離を縮めていけば良い。

「おやすみ…○○」

 彼の額にそっと口付けて、寝床から離れた。
 彼は相変わらず平穏そうな顔で眠り続けている。

「…また明日」

 小さく別れの言葉を告げて、私はその場を後にした。

 明日、また彼に会えると信じて。





 その夜、守矢の神は珍しくその顔を曇らせていた。

「……ふむ、どうもよろしくないわね」

 縁側に腰掛けて、彼女はぼんやりと独り言を呟いた。
 丁度お茶を持ってきた早苗は、同じ様に縁側に腰掛けながら神奈子に問う。

「その・・・何か至らない所でもありましたか、神奈子様?」
「うん? ああ、違うわよ。ただ一つだけ気掛かりな事があってね…」

 申し訳なさそうな顔をする早苗に、神奈子は微笑んでみせる。
 が、その微笑みも一瞬。すぐにまた何か思案する様な顔に戻る。

「気掛かり、ですか?」
「そう、気掛かり。しかも、この問題は早めに解決しなければ後々厄介になりそうなの」
「ならば早く解決してしまいましょう!私に出来る事ならば何なりと言い付けて下さい!!」

 意気込む早苗をしばらく見つめた後、神奈子は静かに首を横に振った。

「気持ちはありがたいけど、今回の件は貴女が行くと余計に拗れると思うの。だから……今回は私が直に解決する」

 神奈子の声に一切の冗談は無い。
 早苗は彼女のその様子から、今回の「問題」とやらは自分では解決出来ないものなのだと悟った。

「……分かりました。それで、いつ発つのですか?」
「…明日出発する。本当は早いに越した事は無いのだけど、こちらも相応の準備が必要だからな」

 神奈子は何気なしに空を見上げた。
 そこにあるのは美しい秋の満月。
 煌々たるその輝きとて、永遠では無いと言う自然の理。

 その理が示すものは……





コンコン…

「はいはい、今出ますよ」

 久しぶりにたらふく昼を食べてうたた寝を楽しんでいた俺は、突然のノックの音で目を覚ました。
 彼女がやって来たのだろう。

 そう思うと、眠っていた脳がすぐさま覚醒を開始して意識がはっきりとしてくる。我ながらに現金なものだ。

「いらっしゃ……え?」

 しかし、扉の向こうにいたのは見知らぬ女性だった。
 おまけにただの見知らぬ人なら兎も角、後ろにしめ縄を背負っている辺り明らかに真っ当じゃない。

「あ、あの…どちら様ですか?」

 とりあえず失礼の無い様に社交辞令してみる。
 すると、彼女はどこか品定めをする様な目で俺を見てから口を開いた。

「汝が○○と言ふ男かや?」
「ええ?ああ、はい、俺が○○ですけど…」
「我は八坂神奈子。山と湖の化身にして守矢の神なるぞ」
「神様…ですか?」

 なるほど、道理でしめ縄何て背負っている訳だ。
 しかし守矢とは、諏訪子さんが奉られているはずの神社の名のはず。もしかして彼女は諏訪子さんの関係者なのだろうか。

「然り。今日は汝に問ふ用ありて……」
「すみません、出来たら現代語で話してくれませんか?」

 こちらの言葉が分かる以上、向こうも現代語が喋れるはずなので頼んでみる。正直、古語で会話を続けられると辛い。

「…何よ、折角雰囲気を出してみたのに」
「いえ、話しについて行ける自信が無かったんで。それで何の御用でしょうか?」

 また祠の事で何か言われるのだろうか。

 しかし彼女の用件は俺の想像を超えていた。


「単刀直入に言うわ。貴方、諏訪子から身を退きなさい」


「……は?」


 思考が一瞬、停止した。


「や、藪から棒ですね。…と言うか、なぜ貴女は諏訪子さんの事を知っているんですか? 」
「私は諏訪子の友人。同じ社に奉られている神なの。だから彼女の事なら貴方よりもよっぽど知っているわ」
「友人、ですか?」
「そう、友人。だから諏訪子に何かがあれば私も黙ってはいない」

 そう言って、彼女は俺を睨んだ。俺はその凄まじい眼力に、蛇に睨まれた蛙の如く萎縮してしまった。
 しかし、このまま黙ってなどいられない。

「諏訪子さんに、何かあったんですか?」

 辛うじてそれだけ口にする。
 それだけは聞き出さなければならないと思った。

「諏訪子には何も無いわ、今の所ね…それよりも一つ答えて欲しい事があるの。貴方、諏訪子の事をどう思う?」
「ど、どうって……いきなりそんな事を言われても」

ヒュッ!! ドズンッ!!!

 瞬間、風を切る音が耳元を横切り、次いで凄まじい破砕音が後方から聴こえた。
 おそるおそる振り返れば、巨大な柱が俺のすぐ後ろにメリ込んでいる。


「答えなさい」


 その言葉は絶対者の命令だった。

 逆らえば、殺されるのは間違いない。だから俺はただ、自身の中の恐怖に屈するしかなかった。

「その・・・・・・好きです。一人の女性として」

 どう答えれば良いのか分からず、俺は馬鹿正直に本心を答えていた。
 思えばこうして彼女を「好き」だと口にしたのはこれが初めての事だ。
 だが皮肉な事にこんな状況であるから、その事実を素直に喜べない。

「そう、やはりね…」

 すると彼女の視線はさらに鋭くなった。
 そして数瞬間を空けて、唐突に彼女は非情な言葉を浴びせてきた。


「もう一度言うわ。諏訪子から身を退きなさい」


 まただ。この人は諏訪子さんの友人らしいが、あまりにも言い分が勝手だ。
 俺は、徐々に恐怖を忘れて苛立ってきた。

「何でなんですか!理不尽ですよ、理由も言わないで!!」
「理由ならあるわ」

 凛とした声が響いて、場が水を打った様に静まり返った。


「貴方が人間である以上、神とは相容れないからよ」


 俺は息を呑んだ。なぜなら彼女の放った言葉は真理だったからだ。

 真理ほど、時として人を傷つけるものは無い。それが絶対的であればある程に。


 そしてそれを知ってか知らずか、彼女は畳み掛ける様にして言葉を続ける。

「仮に貴方の想いが諏訪子に届いたとして、貴方は生涯彼女を幸せにしてあげられる自信でもあるのかしら?神と共に歩むと言う事は永遠の時を生きるのと同義、そしてその永遠と言う時間をどうして、ただの人間である貴方が生きられると言うのかしら」

 それは今まで俺の心のどこかで燻っていた問題。
 そして彼女と付き合っていく上で回避する事の出来ない命題。


 有限と無限を生きる者の間に横たわる寿命の壁。


「確かに想いが通じ合えば幸せでしょう。でもどう足掻いても貴方は諏訪子より先に逝く。 そうなれば幸せな日々の思い出はいつの日か色褪せ、涙を誘うだけの古傷になる」

 俺は反論出来なかった。


「だから……貴方の想いは諏訪子にとって重荷にしかならない」


 それは宣告だった。

「っ……」

 彼女との距離が縮まっていく過程で、俺は幾度と無くこの問題について考えた事がある。
 でも結局目の前の幸せを噛み締めている内に、そんな事はどうでも良くなってしまい、気が付けば重要な問題を忘れてしまっていた。
 そして、今まさにそのツケが回ってきたのだ。

「ついでだから言っておくわ。彼女は一度経験をしているのよ、大切な人との永遠の別れをね」
「なん…ですって?」

「諏訪子は寡なのよ。その様子だと今まで知らなかったみたいね」

 人は見かけに依らないと言うが、まさか彼女が結婚した事があるとは思いもしなかった。
 そして初めて知った事実から、俺は神奈子さんが「身を退け」と言っている意味を理解した。

「あの時は、まだ諏訪子は自力で立ち直れたわ。…でも今回もそうとは限らない」

 人は慣れる事が出来る動物だと言う。しかし、考えてみれば幾らやっても慣れない事は間々あるものだ。
 おそらく、愛しい人との別離もその類だろう。

「想いが深ければ深いほど、喪った時の反動は大きい。長年寄り添った伴侶を喪った人間が良い例でしょう?」
「……つまり俺の想いは、彼女の古傷に塩を擦り込むのと同じだと言いたいんですか」

 俺の問いに神奈子さんは答えない。しかし沈黙が肯定であると言う事は明白だった。

「最後にもう一度言っておくわ、諏訪子から身を退きなさい」

 最初と全く変わらない調子で、彼女は繰り返した。

「諏訪子の事を想うのならね」

 そしてその言葉を最後に、神奈子さんの姿は消えた。

 残された俺はただ呆然としたままその場に突っ立っている事しかできなかった。

ピシッ
「…なんだ?」

 音のした方を振り返ると、祠にあった蛙の御神体にヒビが入っている。
 急いで駆け寄り様子を見ると、気味の悪い事にヒビは脳天から垂直に地面に向かって走っていた。

「……諏訪子さん」

 見上げた空は厚い雲に覆われていた。

 まるで揺らぐ俺の想いを押し潰そうとするかの様に。





「…あっちゃー、何か一雨降りそうね」

 午前中はまるで突き抜ける様な青空だったのに、今は夕立でも来そうな空模様になっている。

「まぁ、良いか。もし降り出しちゃったら雨宿りさせてもらおう」

 雨宿り、と言う口実を使えば彼の家に長居する事が出来る。
 何だったら泊まって行こうか。でもそれはまだ気恥ずかしい気がするなぁ…

「さてと…そろそろ行こうかな」

 意識を集中して、祠へ移動する準備をする。しかし、どういう訳か意識が繋がらない。

「あれ、どうして繋がらないんだろう? 向こうで何かあったのかなー」

 別に嵐が来たり、地震があったりする訳では無いから自然倒壊は無いだろう。
 私は自然と首を傾げていた。

「うーん、祠自体に何か問題があったのか、それとも御神体に傷でも付いたのか…何にせよ、よろしくないわね」
「ああ、それは私がやったのよ」

 声の主は私の友人だった。
 急に気配が出てきたのからすると、どこかに出かけていたのだろう。

「何するのよ。おかげで○○の所に行けなくなったじゃない。…どう責任を取ってくれるつもり?」
「責任を取る必要は無いわ。これはこの神社の為であり、延いては諏訪子の為にもなる事だから」
「私の為ですって?○○を私から遠ざけて何になるのよー。別に彼は害を成せる様な人間じゃないでしょ」

 むしろ会いたい人から遠ざけて、何が私の為なのか。
 嫌がらせを正当化したいが為の口実にしか聞こえない。

「害、ね…確認しておくけど、貴女自覚は無いの?」
「自覚も何も…そもそも彼は私の事を害してなどいないわ」

 害どころか、むしろ彼は私の心に潤いを与えてくれている様な気さえする。
 何せ、忘れかけていた大切な物を思い出させてくれたのだから。

「そう……ところで諏訪子、ここ最近神社の機能がおかしくなってきている事って知っていた?」
「…そうなの?あー、それは知らなかったわ」

 つまりそれは“怠慢である”と言われている様なものだ。おまけに否定も出来ないのでバツが悪い。
 私は何となく帽子の目玉を弄ってみたりした。

「暢気に構えてられるとこっちも困るのよ。社の機能不全はそれ自体が大きな問題なんだから」
「あーうー、分かってるわよ。つまり私にもっと働けって言いたいんでしょ?」
「別に、今まで通りに働いていて良いわ。その代わり…」

 私の冗談交じりの言葉に、顔色を変えず神奈子は言った。


「今後、一切彼には関わらないで」


「なんですって?」

 開いた口が塞がらない。

「ちょ、ちょっと待ってよー。確かに神社に支障が出てきているのは彼に感け過ぎたからかも知れないけど、何もそこまで言う事無いんじゃない?」
「自制が利くのは今のうちだけよ。だからこそ、今の段階で止めておかなくてはいけない」
「随分と横暴なのね。第一、第三者の神奈子がどうして私と彼との関係に介入するのよ。何より、会ってはいけない理由は無いでしょう?」

 少しだけ語気を強めて反論する私を見て、神奈子は深い溜息をついた。

「諏訪子、貴女また同じ悲しみを味わいたいの?それともあの悲しみを忘れてしまったのかしら?」
「っ!それは……」

 神奈子の言葉が、記憶の闇を呼び覚ます。

「憶えてない訳無いじゃない。…今だって時々夢に出るくらいなんだから」


 忘れるはずが無い。

 かつて味わった幸せな日々の記憶の影には、喪った日の哀悼が眠っている。今も時折、私はその日の事を夢に見てうなされる事がある。

 言わばそれは傷痕だ。


「なら、私が言う事は間違っていないでしょう?」
「それは……そうだけど」

 頭では分かっていても、心が納得しない。

「それに考えても見なさい。人間は脆弱よ…身体だけではなく、心すらもね」

 神奈子の言葉に、私はある人物の存在を思い出した。


 霧雨魔理沙。


 ○○の友人であり、恐らくは彼が最も親しみを持っているだろう少女。

 そう言えば彼女は私の所に訪れた事があった。
 彼女はとても強引で、それでも一緒にいると楽しい気分になれる人物だったと記憶している。

 直線的だが常に何事にも全力でぶつかって行く彼女は、同姓である私の目から見ても魅力的に見える。
 おそらく彼が彼女に気があると考えても何もおかしくはない。

「いつぞやここにやって来た魔法使いの少女も、彼の事が気になるみたいだけど?」
「え…それって」

 神奈子の言葉に嫌な想像が脳裏を過ぎった。

「そう…もし、○○も彼女に気が合ったら両想い。そうだとしたら割とお似合いかも知れないわ。何より彼女は人間ですもの」
「……っ!!」


 神である私は、永遠の時を経ても年老いない。否、死なない。


 “永遠の美”と言えば聞こえが良いが、その実態はただの異端でしかない。

 人が異端を恐れるものならば、いずれ彼も永遠に姿の変わらない私を恐れだすかも知れない。
 もしもそうなった時、私は平静を保っていられるだろうか。

「普通に恋をして、普通に結ばれて、普通に愛を育み、そして普通に絶えていく。彼女にはそれが出来る。でも諏訪子、貴女にはそれが出来ない」

 もしも彼が私と結ばれれば、間違いなく彼は普通ではいられない。

 そうなれば彼は何を思うだろう。

「少し頭を冷やしなさい。目先にあるものだけに囚われていると、いずれ何もかも喪うわよ」

 結局、私の想いはエゴでしかないのかも知れない。

 つまりは身を退く事が正しい事なのだろう。

 件の魔法使いの為、何よりも大切な○○の為にも。

「…ねぇ、神奈子。一つだけお願いがあるんだけど良い?」
「何かしら?」

 尤も、嫌と答えても力ずくで通すつもりだ。例え彼女が何と言おうとも、これだけは譲る気など無い。

「彼の元に行かせてくれない?最後に、もう一度だけ」

 せめて、せめて最後に一度だけ彼に会いたい。

 この愛しい気持ちを封じてしまう前に。





 机に腰を降ろして、俺はいつもの様にお茶を飲んでいた。
 結局、彼女の友人を名乗る人の来訪したあの日、彼女はやって来なかった。そして今日もまだ、彼女は訪れない。

「……俺の家って、結構広かったんだな」

 彼女のいない我が家は、どうしてかいつもより広く感じられた。
 空気も、心なし澱んでいる様に思えた。

 暖かいお茶を口に含む。身体は暖かくなったが、心は暖まらない。
 それどころか逆に冷え込んだ様な気さえする。

「諏訪子さん…」

コンコン…

 思いが通じたのか、ドアを叩く音がした。
 俺はすぐに縋る様な気持ちで玄関に向かう。

「……諏訪子さん」

 そこに立っていたのは、果たして待ち続けた人だった。でもその顔は俯いていて見えない。

「諏訪子さん!今日h」
「さよならだよ、○○」
「え…?」

 遮った彼女の言葉を、俺は受け入れたくなかった。
 耳がおかしくなったのだ、とか根拠の無い事で自分を安心させてみる。

「じょ、冗談ですよね?」

 何も言わず、彼女は首を横に振った。

「ど、どう…して……?」

 すると彼女は俯いたまま言葉を紡いだ。


「迷惑なの…」


 言葉が刃物の様に、心を抉り取る。

「これ以上君と関わっていると、うちの神社が迷惑を被るの……だから、しばらくの間君とは会えない」
「そん…な…」

 もう彼女には会えないのか。もう二度と、あの暖かい空気を味わえないと言うのか。

 絶望にも似た悲しみが俺の心を空白にしていく。

「で、でも大丈夫!それもしばらくの間の事だから!しばらくしたら、また…また会えるから……」


 嘘だ。


 それなら何で目に涙を溜めているんですか!何でそんなに悲しそうな顔をしているんですか!!

「諏訪子さん、俺はっ!!」


「……さようなら、○○」


 必死で伸ばした腕は、空しく空を掴んだだけだった。

「……あ」

 大きな喪失感だけを残して、大切な人は消えてしまった。

「あ、ああ…あああ」

 喪ってしまったと言う現実が、全ての温もりを奪って行く。もう会えないと言う絶望が、足元を崩して行く。


 気が付けば俺はそのまま地面に崩れ落ちて、声が枯れるまで泣き続けていた。





「……」
「別れの挨拶は済んだのかしら?」

 友人の言葉に、私は視線だけ向けた。
 別に彼女が悪いのでは無いのだけど、どうしても今だけは構わないで欲しかった。

「…そう、もう良いのね」

 少しだけ惜しむ様な顔をして、神奈子が彼の家の祠との縁を切った。
 それは私と彼との縁を切る事の暗喩の様にも見えた。

「自棄になっちゃダメよ。そんな事をしても彼は喜ばないんだから」
「分かってるわよ、そんな事!!」

 早速自棄になっている自分が笑える。土着神の頂点たる自分が、たった一人の人間を失っただけでここまで苛立つとは。

「…分かっていればそれで良いわ。じゃあ、私は少し用事があるから出てくるわね」

 八つ当たりを咎める事も無く神奈子は姿を消した。友人の大人な態度に、私はただ自己嫌悪感を募らせる事しか出来なかった。

 モヤモヤした気持ちを払おうとして、境内をゆっくりと見て回る。しかしやがてそれにも疲れた私は適当な場所に腰を降ろした。

「○○…どうしてるかな。もしかして泣いてるかな、あはは…」

 別れ際の彼の顔は、とても悲痛なものだった。

 今頃、どうしているか心配だ。

「でも、これで彼は普通の幸せを掴む事が出来るはず。これが最良の選択だったんだわ」

 そう、少なくとも私と共にあるよりは幸せになれるはずだ。大切な彼が幸せになれるのだから、喜んでやらねばなるまい。

 でもなぜだろう。


「あはは…涙が、止まらないや」


 次から次へと、透明な雫は溢れて零れて流れ出る。止めようとしても、堰を切った様に涙は止まらない。

「こらこら、神様(わたし)が泣いてちゃ人間(かれ)が幸せになれないじゃない。ちゃ、ちゃんと笑顔でいなくっちゃ…」

 鏡を取り出して、いつもの笑顔を浮かべようとする。

「う…ぐすっ……笑顔で、いなく…ちゃ……だめ、なのにぃ…」

 幾らやっても上手く笑顔が作れない。ただぐしゃぐしゃの泣き顔が鏡に映るだけだ。


「…っう……ぐす……笑えないよぉ…」


 声を押し殺して、私は泣いた。

 もうこの際、涙を止めようとするのはよそう。むしろ流れるだけ流して枯れさせてしまえば良い。

 そうすればきっと、彼の事を諦められるはずだから。





 彼女から突然の別れを告げられてから数日が過ぎた。
 激しい悲しみに乱れていた心も時間と共に平静を取り戻し、今では幾らか落ち着きを取り戻していた。

 俺はなぜ彼女が突然あのような事を言い出したのか考えていた。

 そしてその果てに、一つの結論に辿り着いた。

「諏訪子さんも、神奈子さんの言っていた事に気が付いたんだ」

 所詮俺は人間だ。人間はこの世界を生きる物の中で最も脆い。だからすぐに失われてしまう。それこそ硝子の様に。
 そして情が深ければ深いほど喪失の悲しみが深くなるとすれば、やはり俺の存在は彼女にとっての重荷にしかならないのだろう。

「だから『さようなら』か……ならば、俺も受け入れなくちゃいけないな…彼女を苦しませない為にも」

 彼女の為になるのなら俺はそれに従おう。何も出来ない俺が彼女にしてやれる事なんて、それ位しかないのだから。

「で、お前は本当にそれで良いのか、○○?」

 再び眠りにつこうとする俺の耳に、聞き慣れた声が入ってきた。

「魔理沙、か…どこから入ってきたんだよ」
「普通に玄関から入ってきた。何度もノックしたのに出ないから、勝手にお邪魔したぜ」
「勝手に入ってくるなよ。…ま、何はともあれこんな調子だから、今日は帰ってくれないか?」

 そう言って、俺は今の自分のやつれっぷりとアピールする。出来ればもう暫くの間独りにしておいて欲しい。
 幾らかマシになったとは言え、まだ気持ちの整理が完全についた訳ではないのだ。

「ならなおの事帰れないな。生憎私は落ち込んでいる知り合いを放置する様な性格じゃないんだ」
「余計なお世話だよ。これくらい飽きるほど寝ていれば何とかなる」
「そのまま永眠でもされたら困るぜ。お前が死んだら私もそれなりに悲しいからな。…で、お前は本当にそれで良いのか?」
「…何がだよ」

 すると魔理沙は「困ったもんだ」とでも言いたげに頭を振った。

「今更トボけるのか?…私は諏訪子の事を本気で諦めるのかって聞いているんだよ」
「…待て、なんでお前がその事を知っているんだ?」
「忘れたか?私は一度守矢神社に行っているんだぜ」

 得意げに魔理沙は笑った。

 だが内心俺はそれ以上に、彼女がすでに俺の想いに気付いている事に素直に驚いていた。
 尤もこの際そんな事はどうでも良いので、あえて俺は開き直る事にした。

「……諦める以外に選択肢は無いだろう。俺が想いは諏訪子さんにとってはただの迷惑にしかならないんだから。俺は自分の勝手で彼女を苦しませたくなんて無い」

 今し方そう結論付けたばかりだ。どんなに辛くてもきっとこれが最良の選択のはずなのだから。

 しかし魔理沙はふむふむと小さく頷いてから、つまらなさそうな顔で言った。


「それで?お前の気持ちはどこに行ったんだ?」


 冷然と、さも「下らない」と言った様子で彼女は俺を見下ろしている。

「…だから諦める事が最善d」
「そこにお前の気持ちなんて無いだろ?私は「○○はどうしたいんだ?」と聞いているんだぜ」
「どうしたいんだって言われても…」

 俺はただ彼女が苦しまない様にしてやりたいと思っているので、自分のエゴを押し留めているだけだ。

「…ったく、自分にまで嘘を吐くのかよ、お前は。よーし、なら分かりやすく言ってやる。お前は諏訪子からいきなり『さよなら』を言われて納得出来たのか?その決断はお前の心の底からのものなのか?」
「それは……」

 本心を言えば納得などしていない。そもそも納得していたらこんなにやつれやしないだろう。
 だが、嫌でも納得しなければ彼女を苦しめてしまうのだからしょうがない。

「ほらみろ、やっぱり本心じゃそんな事思っていないじゃないか」

 呆れた様な魔理沙の表情と言葉に、俺は何も言葉を返せなかった。だが意外な事に、彼女はそんな俺の様子を見てどこか安心している様だった。

「ま、それで良いんだ。もしここまで言っても自分に嘘を吐くようなら、問答無用でマスタースパークをぶっ放していたからな」
「おま…俺が死んだら悲しいんじゃないのかよ」

 きっと彼女なりに俺を元気付けようとして出た冗談なのだろう。その小さな優しさに俺は少しだけ心が温まった気がした。

「まぁ、その話は置いといて、だ。本当の所○○はどうしたいんだ?」
「そりゃ…やっぱり会いたいさ。でも俺の存在、想いが彼女を傷付けるなら、俺は彼女の所には行きたくない」
「おいおい、話が矛盾しているぜ?会いに行きたいなら何で会いに行かないんだよ」
「いや、普通そんな身勝手な事しないだろ。相手の気持ちを考えないで恋愛なんて出来るはずないじゃないか」

 が、魔理沙はそんな俺に向かってチッチッチッと指を振った。

「甘いな。そんなんじゃ女の子の心は掴めないぜ。少なくとも私はそう言う奴なんてお断りだ」
「じゃあ、どうしろって言うんだよ。まさか相手の心を平気で傷付けられる様になれって言うのか?」
「馬鹿を言え、そんな野郎はもっとお断りだぜ」

 これだから女の子の気持ちは分からない。きっとどんな偉人が研究しても、女の子の心と言うのは解明出来ないだろう。
 女心と秋の空とか、昔からよく言われているものくらいだし。

「ただ、まぁ…○○の場合は特に分かりにくいだろうな。お前は人に優しくしようとするタイプっぽいし」
「それはいけない事なのか?」

 昔から俺はそうやって生きてきた。だから「情けは人の為ならず」と言う言葉は俺の信念でもある。

「いや、悪いとは言わないぜ。ただ、少しぐらい強引に求めて欲しい時もあるんだよ、女の子ってのはな」

 悪戯っぽく魔理沙が笑った。それが本心だと、彼女は笑顔で語っている様な気がする。


「だから言ったろ?お前はもう少し“我儘”になるべきだってさ」

「我儘に、なる……?」


 それは、いつだったか彼女がふざけて俺に向かって言った言葉だった。てっきりただの冗談だと思っていたのだが、どうやら彼女は本気だったらしい。

「そう、お前は些か相手の気持ちを優先し過ぎてるんだ。第一、よく考えて見ろ。お前は諏訪子本人の口からその言葉を聞いた訳じゃないんだろう?」
「た、確かにそうだけど、友人の言葉に嘘を混ぜる様な外道なんてそうそういないだろ。 何より神様が嘘をついてどうするんだ」

 諏訪子さんから直に聞いた言葉は「さよなら」だけ。魔理沙の言葉通り、俺に彼女の事情について語ったのは神奈子さんだ。
 でも、神奈子さんは神だ。人間の信仰を糧とする神が人の信用を損ねる様な嘘をつくはずがない。

「お前一人に嘘をついても、人間全体から信仰が失われる訳じゃないだろ?」
「……」

 なるほど確かに俺一人が不信感を募らせても、彼女にとっては何の損失にもなるまい。
 何より友人の絶対量が少ない俺がどんなに喚いても、おそらく里人達の大半は耳を貸さないだろう。

「つまり、お前は諏訪子の友人の言葉を額面通りに受け止めていただけで、本人の本当の気持ちを聞いた訳じゃないって事だ」

 「違うか?」と、いつもの様な笑顔と一緒に問いかけてくる。あまりにも理に適った物言いに、俺は言葉一つ返す事も出来なかった。

 すると、沈黙を肯定と受け取った魔理沙が二の句を継いだ。

「で、どうするんだ○○。お前はずっとそうやって膝を抱えているつもりか?」

 試す様な彼女の視線。最早言い逃れの言葉など無い。

「でも俺は……俺には彼女を幸せに出来る様な素養なんて、無い…」

 それでも神奈子さんの件で臆病になっていた俺は、陳腐すぎる言葉で言い逃れようとしていた。

 すると急に脳天に凄まじい衝撃が走って、激痛と共にベッドに顔を埋める事になった。

「うぐっ…!!」
「まだ寝惚けているみたいだな。何だったらもう一発くれてやろうか?」

 ズキズキと痛む頭を押さえて視線を上げると、箒を片手に持った魔理沙が仁王立ちしていた。その顔には明らかな憤怒の表情。

「魔理沙……いきなり何を」
「目覚ましだ。もしもお前がまだそんな下らない戯言を抜かす様なら、何度でもやってやる」
「でも俺は…」
「いい加減にしろっ!!!」

 怒声が鼓膜を振るわせ、俺は身を竦ませた。

「いつまでそうやって詰まらん屁理屈を捏ねている気だ!お前は人を幸せにする素養とやらがなけりゃ、誰かに恋しちゃいけないって言うのか!?」

 魔理沙の言葉が、胸に突き刺さる。そして反論を許さないように彼女は言葉を続けた。


「そんなの違うね!!大切なものは資質とか素養とか、そんなもんじゃない。本当に大切な事は全力で相手を幸せにしようとする“覚悟”だ!!! 」


「……覚悟」

「今のお前はその覚悟が無いから逃げようとしているだけだ!違うかよ、○○!!」

 ああ、全く以って彼女の言う通りだ。

 結局俺が今まで言ってきた事は全て逃避だったんだ。俺は諏訪子さんが永遠に生き続けると言われただけで、自分は彼女に相応しくないと決め付けていたのだから。

「…ありがとう、魔理沙。おかげで目が覚めたみたいだ」

 仮にそれが事実でも、まだ彼女の口で俺の想いを否定された訳じゃない。そう、まだ終わる前に始まってすらいないのだから。

 ならば、俺にはまだやらなければならない事がある。

「……ふぅ、全く世話を掛けやがって。この貸しは高くつくぜ?」
「覚悟しておくよ。ただ、その前に一仕事頼んでも良いか?ちょっと行きたい場所があるんだ」

 その言葉に魔理沙はニヤリと笑って箒を叩いた。その笑顔はまさに“恋色魔法使い”の笑顔だった。

「任せておけ。初めての友人の頼みだ、今だったら音速で送ってやるぜ」





 ふいに、風の向きが変わった。そして新たな流れに従う様に曇天の空が裂けて、青白い満月が姿を現した。

「…ほう、どうやらまだ諦めていないようだね。ま、それぐらいで無いとこちらも面白くない」

 何が面白いのか、縁側に腰掛けた神奈子はクツクツと笑った。その様子を、早苗は心底不思議そうな顔で見ている。

「あの…神奈子様、諦めていないと言うのは一体何の事なんですか?」

 堪え切れなくなったのか、早苗が神奈子に声を掛ける。神奈子はその様子を見やって唇の端を吊り上げた。

「例の問題の元凶の事だよ。どうやら向こうさんはなかなかしぶといみたいでね、今こっちに向かっているみたいなのよ。この調子だとそろそろこっちに着くんじゃないかしら?」
「…って!そんな悠長に構えていて良いんですか!?例の問題って、放置しておくと大変な事になるんじゃ…!!」
「ええ、確かに大変な事になるでしょうね。だから、タダでは済まさない……」

 瞬間、早苗は見た。神奈子の周りの空間がグンニョリと湾曲したのを。恐らくは、彼女の強大な力が瞬間的に空間を歪めたのだろう。

「向こうはどうやら正面から来るみたいね。…ならば、こちらも正々堂々と正面から当るとしようか。早苗、準備は出来ている?」
「…あっ、はい!いつでも行けます!!」

 早苗の言葉を聞いて、神奈子は再び虚空に視線を向けた。遥か遠方には、青い夜空を切り裂いて飛んでくる黒い影が見える。

「今宵は楽しい夜になりそうね…さて、人間。あなたの覚悟の程を見せてもらうわよ」





 風を切る音をBGMに、俺と魔理沙は空を飛んでいた。

 目指す場所は、守矢神社の本殿。

「よーし、神社が見えてきた。あと少しだぜ、○○!!」
「……あ、ああ!」

 あまりのスピードに魔理沙にしがみ付きながら答える。と言うか箒の二人乗りって相当危険な行為じゃなかろうか。

「本殿まではもう少し時間がかかるか。このままの速度だとここの連中に見つかっちまうし…しょうがない、しっかり掴まってろよ!」
「お、おい!!魔理沙、まさかおま……ううわあぁぁぁああ!!!!」

 顔面に強力なGが掛かるほどの加速に、俺は反射的に魔理沙にしがみ付いた。風の音がさらに大きくなって、背景の流れる速度も倍以上になる。

 急激な加速によって恐怖心も一層強くなったが、何のこれしきと気合を入れて姿勢を戻そうとする。
 不思議な事に空気抵抗は感じなかったので、意外と体勢は楽に戻す事が出来た。

 そして若干の余裕を持った俺はある事に気が付く。


「魔理沙、後ろから何か来てる!!!」


 何者かが俺達の後ろを追ってくる。スピードはこちらに及ばないが、この状況で攻撃をされれば回避は難しい。

「ちっ、向こうもタダじゃ通してくれないみたいだな」

 小さく舌打ちをして、魔理沙が後方を見やる。そして目を細めて相手の姿を確認してから彼女は言った。

「…悪い○○、どうやらあっちも本気みたいだ。一旦高度を落とすから、ここから先はお前の足で行ってくれ」
「いや、十分だ。むしろここまで運んでくれただけでも感謝しているよ」

 言葉通り、魔理沙は徐々に減速しながら本殿に続く道へと急降下し始める。俺は手頃な高さになるのを見計らって、箒から飛び降りた。

 と、ふいに一枚の札が俺の目の前に落ちてきた。

「…これは?」
「餞別だ、友人がくれたもんだが持っていけ。多分、役に立つだろうからな」

 上を見ると八卦炉を片手に魔理沙がこちらを見ていた。


「真っ直ぐ自分の気持ちをぶつけて来い。泣くのは当って砕けてからで良い」


 それは最高の笑顔と声援。俺はその瞬間、目頭に熱いものを感じた。

 だが、今はまだその時では無い。だから、俺も最高の笑顔でアイツに応える。


「ありがとう。恋の魔法使い」


 そう言って、全力で駆け出す。瞬間、後方から爆発音がして戦闘が始まったのだと理解した。

 無論、振り返るつもりは無い。それは俺をここまで連れて来てくれた彼女に対する侮辱になるからだ。

「…本当にありがとう、魔理沙」

 俺は良い友人を持ったと思う。もしもアイツがいなければ、俺はここに来ようとすら思わなかっただろう。
 本当に幾ら感謝してもし切れない位だ。

 だから、この感謝の気持ちを行動で示して見せよう。

「……待っていて下さいよ、諏訪子さん!!」

 俺は、例え何があろうとも、彼女にこの想いを伝えてみせる!!





「……こうして戦うのは二度目ね」
「そうだな。もっともあの時は私の圧勝だったが」

 青年が本殿へと向かうのを眼下に見ながら少女達は向かい合っていた。
 片や普通の魔法使い、霧雨魔理沙。片や現人神の末裔、東風谷早苗。
 両者とも、睨み合ったまま微動だにしない。

「しかし、相手が私だと分かってなお逃げないのは見上げたもんだ。修行でもつけてもらったのか?」
「神の御許に仕える者なら精進するのは当然の事。今回はいつぞやの様には行かないわよ」
「へぇ、随分と自信をつけたな。それなりに楽しめそうで安心したぜ」

 魔理沙の八卦炉に灯が灯り、早苗の周囲に風が渦巻き始める。

「…でも彼を一人で行かせて良かったのかしら。貴女が私を倒す事が出来ても、彼が倒れたんじゃ本末転倒になるんじゃない?」

 しかし早苗の脅しは魔理沙に通用しないようだった。それどころか真面目腐った早苗の言葉に笑い声を上げる始末だ。

「あははは!!確かにその通りだな。…だが、そんな事は最初っから分かっているんだよ」
「何ですって?じゃあ、貴女は分かっていて彼を降ろしたと言うの!?」

 つまり見殺しと同じ行為では無いか。早苗はこの時ばかりは青年に同情した。

「可哀相に……骨が残っていたらしっかりと供養してあげなきゃ」
「おいおい、それじゃ私があたかも薄情者みたいじゃないか。これは信頼ゆえの事なんだぜ?」
「どこが信頼なのよ。貴女にとっての信頼は、あえて危険な場所に友人を放り出す事を指すのかしら?」

 すると魔理沙は「いいや」と言って首を横に振った。


「やり遂げてくれると信じているんだよ」


 魔理沙の笑みには確信があった。

「だから私はアイツを単独で行かせたんだぜ。……まぁ、この先は当人同士の問題だってのもあるけどな」
「…彼と神奈子様の間に何かあると言うの?」
「何だ、お前は何も知らされていないのか?……ああ、なるほどお前の性格から考えれば妥当な判断だな」
「ちょ、ちょっと一体何の話をしているのよ!!?私にも分かる様に」


 そう言った刹那、早苗の真横をレーザーが通って行った。


「なぁに、お前は何も知らないで良いんだ。それよかしっかり私の相手をしてくれよ?」

 魔理沙の笑みが深くなって八卦炉の輝きが急激に強くなっていく。どうやらもうこれ以上話す気は無いらしい。

「…っ!!こうなったら力尽くでも聞き出してあげるわ!」
「そうこなくっちゃな!さぁ、楽しい弾幕ごっこと洒落込もうか!!」

 神の風と魔法の光が空中で炸裂し、闘いの火蓋は切って落とされた。互いに持てる技と力を使って相手を潰しにかかる。

 そして同時に、青年の闘いもまた幕を上げようとしていた。





 走る、走る。月明かりに照らされた道をただひたすらに。
 道の行く先に目的地があるのかどうかは分からないが、なぜだかこの先にある気がしてならない。

「はぁはぁはぁ……」

 もうどれくらい走っただろう。時折見える鳥居の数は優に50は超えたのではないだろうか。
 それでもまだ、目的の場所は見えない。

「いや、こっちにあるはずだ」

 そろそろ道を間違えたと言う線を疑っても良い頃合だが、俺は諦めずに走り続けた。

 そしてそれに応えるかの様に、やがて眼前に巨大な社が見えてきた。

「見えたぞ、あれが本殿か!……ならばあの中にはきっと」

 魔理沙曰く諏訪子さんは本来この神社の裏方で、表の守矢神社から少し離れた場所にある本殿で神社の機能を維持する仕事をしているらしい。

 つまり、諏訪子さんは本殿にいる可能性が高いのだ。

「諏訪子さん、今度こそ…」
「そうは問屋が卸さないわよ」
「っ!!!」

 ふいに、何者かの気配と共に声が聞こえた。俺はこの声に聞き覚えがある。

 そいつは諏訪子さんの友人にして、俺に彼女から手を退く様に勧めた人物。

「八坂神奈子……」
「あら、私を呼び捨てにするとは…ちょっと見ない間に随分と気が大きくなったみたいね」

 果たしてそこには、この神社の表の神様が立っていた。

「ちゃんと事情は説明したはずだけど?もしかして、私の言った事が理解できなかったのかしら?」
「理解ならしましたよ。でもそれは貴女の言葉であって、彼女の言葉じゃない。だから彼女の気持ちを直に聞きに来たんです」
「とんだ屁理屈ね。言っている事が子供の駄々と同レベルじゃない」

 目の前の神様はそう言って苦笑した。しかしすぐにその笑みも消え、まさに神らしい冷たく、荘厳な様子で言葉を続ける。

「まぁ、この際そんな事はどうでもいいわ。…“理解した”のなら、貴方は今自分が何をしようとしているのか分かっているのよね?」
「当然d」

バシュン

 言葉の途中で、腹部に凄まじい衝撃と痛みが走った。
 当然、何の構えもとっていなかった俺はモロに衝撃を喰らって吹き飛び、受身を取る暇も無く敷石の上に背中を打った後、そのまま二転三転してからようやく止まる。

「ぐはっ…!!ごほ…かは、かは…!!!」

 肺の空気が一気に無くなり、痛みが全身を駆け抜ける。何とか意識を保って視線を上げると、そこには掌をこちらに向けている神奈子さんの姿があった。
 どうやら、俺は彼女の放った弾幕の直撃を貰ったらしい。

「何が『当然』よ。お前は私の言葉を欠片ほども理解していないだろうに」

 虫ケラでも見る様な目で、彼女はこちらを見下ろしている。

「私は『諏訪子は一度喪う苦しみを味わった』と言ったはず。だのにその真意を未だに理解出来ないのか、人の子よ」

 憐れむ様な、蔑む様な、嘲笑う様な視線が俺に注がれる。

 俺は痛みに何とか耐えながら、口を開いた。

「理解なら……した。要は…俺の、想いは……彼女をより深い悲しみに、沈める、って事だろ……?」
「ならばなぜ想うのを諦めない。愛しい者の幸せを願うのは、人として当然の性じゃないの?」

 その言葉に、俺は思わず笑みを浮かべていた。
 何せ、彼女の言葉はかつての俺の言葉そのものだったからだ。


「我儘……だからだ」


 それは友がくれた言葉。

 彼女の事を想うゆえに、全ての可能性を否定していた俺に勇気をくれた言葉。

 今の俺を、支えてくれている魔法の言葉。


「戯言を。己の都合を相手に擦り付ける事を美徳とするのか?」

 神は、そんな俺を見て再び嗤った。

「外の世ではお前の様な輩が多いから、互いの意思を通そうとして争いが生まれ続けている。しかし、その事実に気が付いても人は誰もそれを咎めようとはしない。…やはり人など愚かな生類でしかないようだな」

 しかし、俺もまた彼女の言葉を嗤った。

「ごほ…ならば、アンタ達だって愚かだ。何せ……神が起こさせている戦争だって、あるんだから、な…」

バシュン

 二度目の衝撃が、俺の身を襲った。今度はさっきよりも威力が増している。

「ごはっ!!!……うっ、ぐぅ…げほ、ごほ……!!」

 何とか受身を取る事は出来たが、それでも衝撃を殺しきる事は出来ずに地面を転がる。

「口の利き方に気をつけなさい。殺そうと思えば、お前などいつでも殺せるのだから」
「…ぐっ…ごほ、ごほっ……がは…」

 どうやら今のは内臓にもダメージが行ったらしく、むず痒さに吐いた痰は真っ赤になっていた。損傷箇所は食道か、胃の辺りか。どちらにせよ、あまりよろしい状況とは言えない。
 もっとも、これぐらいの事でへこたれるつもりなど無いが。

「本当ならば今すぐにでも殺してやりたいが、諏訪子がいる手前それは出来ない。…もっとも、お前の言葉次第ではどうなるかは保障しない」

 彼女のその言葉で諏訪子さんが本殿にいるのは確定的となった。
 今はそれだけでもありがたい。ここまで来たのは徒労ではなかったと分かったのだから。

「…でも流石に私も無慈悲じゃないからね。今この場で貴方が諏訪子の事を諦めると言うのなら、全ての傷を治して家に帰してあげるわ」

 それはまさに神の慈悲か。彼女の後ろに後光が見える様な気さえする。

 だが俺は…


「……断る!」


 はっきりと、拒否の意志を神奈子さんに叩きつけた。

「あら…」

 神奈子さんはそんな俺を見てしばらくポカンとしていたが、やがて好戦的な笑顔を浮かべて言った。

「命が惜しくないのかしら。今ならまだ無事に帰してあげても良いと言っているのよ?」

 言葉と共に、おびただしい量の弾幕が現れる。ざっと見でもその数は優に3桁後半近くはありそうだ。
 なるほど、あれを全て喰らえば間違いなくあの世に逝けるだろう。

 だがそれがどうした。

「俺は彼女に会いに来た…この想いを伝えに来た……だから、まだ帰る訳にはいかない。…それに、分かってるんじゃないのか?どうせ何を言っても無駄だって事ぐらい、さ……」
「……その心意気は感嘆に値する。だが、折角の話を蹴った以上こちらも容赦はしない」

 一瞬、笑みを濃くしてから彼女はこちらに掌を向けた。弾幕の波が、俺を飲み込む様にして向かってくる。


「神が如何なるものか、その身を以って知るが良い。神に恋した愚かな人の子よ」


 破壊の波が俺の身体と意識を押し潰す。

 薄れゆく意識と拡がってゆく激痛の最中で、俺は心の中で自分の想いを叫んでいた。


「愛しているよ、諏訪子」





 果てしない暗闇の中、懐かしい声が聴こえた様な気がした。

 意識の水面に波紋が生まれて、俄かに心が動き出す。

「……神奈子かしら」

 いや、違う。神奈子の声にしては低すぎる。

「ならば…彼?」

 だとしたらついに私は彼を想うあまり幻聴を聴くようになったのか。


『愛しているよ、諏訪子』


 ふいに聞こえた声。それはもう聞くことも無いと思っていた彼の声。

「えっ!?」

 幻聴では無い。今の彼の声は、私の脳裏に直接響いてくる。
 おそらくこれは一種のテレパシーの様なものだ。

 だとすれば、多分今の彼の声は『信仰』にも似た『想い』が形となったものなのだろう。

 強い『想い』は強い『信仰』にも似ている。そして信仰の声は私達神の耳に届く。

『例え永遠になれなくても、いつかこの想いが貴女を傷付けてしまおうとも……俺は貴女の事を愛し続けたい…だって、この心はどうしようもないくらいに貴女を求めるから』
「○○……」


 『想い』は直に心に届くもの。


 彼の強い『想い』が冷え切った心と身体を心地良く温めていく。

 気が付けば、私は涙を流していた。

 突然別れの言葉を言って姿を消した私を、ここまで想い続けてくれている。

 その事実が、どうしようもなくありがたく、同時に愛おしかった。

『偉く迷惑で、身勝手な想いかも知れない…でも、これが俺の最初で最後の我儘……だから、絶対諦めませんよ…』

 どこが我儘なものか。

 私はずっとその言葉を待っていた。


「私も、もう自分を抑えない。…だから私を本気にさせた責任、取ってもらうからね」


 ならばもうこの気持ちを抑える必要も無い。

 こうしちゃいられない、と私は立ち上がった。意識を集中させて、彼の居場所を探り出す。


「○○っ!!」


 力の限りに愛しい人の名を叫ぶ。

 瞬間、暗闇の中で光が弾けた。





「……ほう、これだけ喰らっても原型を留めているか。人間の癖になかなかに頑丈ね」
「…が…………ぐ……ごぼ…」

 一瞬きの間に一体何発被弾したのかも分からず、気が付くと俺は地面に倒れ伏していた。その次の瞬間に肌に冷たい石の感触がして、口の中に咽返る程の錆の味を感じる。
 俺は見るまでも無く自分の状態を理解出来た。

「ふむ、微弱だが結界を展開している様ね……成る程、何か御守りでも身に付けているのか」

 朦朧とする意識の最中で、神奈子さんがそんな事を言っているのを聞いていた。咄嗟に、先程魔理沙がくれた『餞別』の存在を思い出す。
 なるほど、確かに彼女の言う通りこの『餞別』は役に立ってくれた。

「…まぁ、良いわ。次で確実に止めを刺してあげる。それこそ、痛みを感じる間も無くね」

 軋む身体で何とか顔を上に向けると、神奈子さんが俺を見下ろしていた。その手には、俺の頭ほどの大きさの光球が形成され始めている。

「……最期に一つ訊いておく。なぜそこまでして諏訪子の事を想い続けるの?寿命、存在、観点、あらゆる意味で神と人とは相容れないと言うのに。いずれそれが悲劇を生むのは間違いないと言うのに」

 すでに幾つか骨が逝っているであろう腕で何とか上体を起こす。
 そして悲鳴を上げる肺で目一杯息を吸い込み、最高の笑顔を浮かべて言ってやった。


「理屈なんて……無い…………ただ…俺は…彼女を、愛している…それだけだ……」


 理論の世界で生きてきた俺がこんな事を言うのは可笑しいかも知れない。

 でも、今ならはっきりと確信を持って断言出来る。



 理屈で抑えられるほど、心は簡単では無いのだと。



「そう、それが貴方の答えなのね」

 彼女の笑みが深くなって、光球の輝きが増していく。一撃で仕留めると言った以上、狙いは恐らく頭部だろう。

「さようなら、人の子。貴方の事、割と嫌いじゃなかったわ」


 放たれた光球が迫ってくる。

 時間がやけに遅く感じる。

 これが所謂『最期の瞬間』と言うものなのだろう。

 どうやら、俺の命はここまでらしい。


「結局、届けられなかったか……」


 白く染まる視界の中で、想いを伝えられなかったと言う哀しみを味わう。

 そして遂に光球が目と鼻の先ぐらいまで迫り、俺の意識は…


「ちゃんと届いたよ、○○」

「…え」


 凶弾の軌道が急に反れ、目の前が真っ暗になった。

 そして感じるどこか懐かしい温もり。


「諏訪子……?」
「だから今、こうして君の前にいる」


 温もりが離れて、視界がクリアになる。

 そこに映っていたのは、会いたいと願っていた想い人の姿。

「そこをどいてくれないかしら。事件の元凶を退治出来ないのだけど」

 後ろから、冷たい声が聞こえた。その声に諏訪子さんは滲み出る怒気を隠そうともせずに振り返った。

「悪いけどそれは出来ないわ。神奈子の判断は正しいのだろうけど、今回ばかりは従えない」
「はぁ…貴女も相当彼に毒されているみたいね」
「ええ、初めて彼に会った日からずっとだもの。相当根が深いわよ」

 そう言いながら、諏訪子さんは一枚の札を取り出した。あれは……スペルカード?

「だから今回は負けられない…悪いけど、最初から全力で行かせてもらうわ」
「まぁ、二人の繋がりがそこまで深いなら……って、ちょっと諏訪子!?」


崇符『ミシャグジさま』


 発動と共に途方も無いくらいの量の弾幕が波状に広がり、神奈子さんの方へと向かって飛んで行く。
 神奈子さんは何かを言おうとしていたようだが、スペルカードによる弾幕は止む事無く彼女を覆いつくした。

「ま、待ちなさい!!人の話を最後まで聞…くぁwせdrftgyふじこ!!!!!」

 凄まじい爆発音と閃光がして、弾幕の嵐が爆ぜた。
 そして爆風が過ぎ去った後に残ったのは、消し炭のごとく真っ黒になった神様らしきもの。


「……終わった、のか?」


 呆然と、俺は呟いた。しかしその問いに答えてくれるものはいない。
 ただ見上げた先の諏訪子さんの後姿がやけに大きく見えた。いや、本当に。

 そんな事を考えていると、急に身体から力が抜けた。同時に気を失いかねない程の激痛が戻ってきて、必然俺はその場に崩れ落ちる。

「○○っ!?」
「…ぐ……あ……あ、あれ……今まで平気、だったのにな……でも大丈夫、この程度では死にません、よ…」

 多分、極度の興奮状態によって出ていた過剰量のアドレナリンが、麻酔様の作用を示していたんだろう。
 で、緊張の糸が解けてこんなザマ、という訳か。

「酷い傷……待ってて、今治療を…って○○、何を!?」
「このぐらい大丈夫です……それよりも貴女に…うぐ…言わなきゃならない事があるんです」

 手足の一、二本ぐらいは折れているだろうが、そんな事は些細な事だ。今はそれ以上にやらなければいけない事がある。

「馬鹿!!今はそんな事を言っている場合じゃないでしょ!」
「馬鹿…か。ははは……そりゃあ言い得て妙ですね」
「ちょ、ちょっと○○!!?」

 残された僅かな力を使って、彼女を抱き寄せる。


「ねぇ、知っていますか?恋愛って、二人で馬鹿になる事なんだそうです」


 彼女が言う様に、確かに俺は馬鹿になってしまっているのだろう。何せ、自分の我儘を正当化すると言う道理に適わない事をやっているのだから。

 もっとも彼女への想いが俺を馬鹿にしたと言うのならそれでも構わない。ただ、欲を言わせてもらえるのなら、俺は今の自分をただの馬鹿で終わらせたくない。


「だから…もし良かったら、一緒に馬鹿になってくれませんか?」


 それが俺の精一杯の告白。

 万感の想いを込めて、両の腕で彼女を抱きしめる。


「……よくもまぁ、こんな状況でそんな事言えるね」
「馬鹿ですから…」
「自慢するな、この大馬鹿者」


 言葉と裏腹に、彼女の腕はゆっくりと俺の背に回されていた。


「でも……君一人じゃ可哀想だから私も馬鹿になる。…一緒に馬鹿になってあげる」


 肯定の言葉と共に、回された腕に力が篭る。

「……ありがとう、諏訪子さん」
「さんづけは禁止…さっきみたいに呼び捨てで呼んでよ」
「あ…すみません、諏訪子さん」
「…もう、直ってないじゃない」

 一時の間そうやって抱き合って、やがて俺達は向かい合った。

 そして電極のSとNの如く、互いの影が近付いて行く。


「諏訪子……」
「○○……ん」


 影が重なって、誓いが交わされる。

 もう二度と離れぬ様にと。

 青白い月は重なり合った想いを祝福する様に、夜空で明るく輝いていた。






結.そして素敵な縁結び




   文文。新聞 第○○号

 衝撃!! 守矢の神 洩矢諏訪子 熱愛発覚!!!

  ×の月△の日 ハレ
 先日、守矢神社の神とされる洩矢諏訪子氏がとある人間の男性と懇意である、と言う未確認情報を入手。
 同日、真偽の程を確かめるべく危険を承知で強行取材を敢行した。

 すると本人はこの事実を全面的に認めており、同時に否定するつもりないと明言。
 しかし詳細については残念ながら詳らかにしてくれなかった。

 ただ『近い内にもっと大きな事をする』と明らかにしており、その事には噂の男性が関わると断言している。
 ところで彼女は『ミシャグジ』と言う神を統率する力があるらしい。
 この事から、件の『大きな事』とはこの力を用いたものであると当記者は推している。

 これらの推論については現在調査中であり、詳細が明らかになり次第報告しようと思う。





「……何コレ?」

 空から舞い降りてきた朝刊を読み終わった早苗は呆然としたまま呟いた。上空では鴉が馬鹿にする様な鳴声を上げながら飛んでいる。

「…って、いけない、早く八坂様に報告しなきゃ!!八坂様ーーー!!!」

 新聞紙を握り締めて神社の方へと駆けて行く。

「あら、どうしたの?随分と朝から慌ただしいじゃない」

 程無くして、声と共に神奈子が姿を現して不思議そうな顔をする。

「どうしたの?じゃ、ありませんよ!見て下さい、この記事を!!」
「ふむ、どれどれ……」
「これは…忌々しき事態です。このままでは諏訪子様があの災厄の元凶と…」
「ふぅん、諏訪子ったらもう表明しちゃったのね。うん、まぁ良いんじゃないかな?」

「…へ、今なんて?」

「だから良いんじゃない?別に諏訪子が彼とくっついたって」

 何を今更、とでも言いたげな表情で神奈子が繰り返す。
 早苗はしばらく唖然としていたが、やがて状況が飲み込めたらしく驚愕の声を上げた。

「ちょ、ちょっと待って下さい!確か彼は神奈子様が仰った問題の元凶なんですよね!?ならば何故その元凶を放置しておくのですか!!」

 半ば叫ぶ様に捲くし立てる早苗に、神奈子は「何だ、そんな事」と返す。

「あの問題はとっくに解決しているわ。だから今更彼が諏訪子に近付こうがナニをしようが知ったこっちゃない」
「え……?だって、確か神奈子様は『彼が問題だ』って仰っていたはずじゃ…」

「おーい、遊びに来たぜー……って、どうしたんだ?」

 いつもの如く箒に乗ってやって来た魔理沙は、頭上に『?』を大量に浮かべている早苗を見て首を捻った。

「ああ、丁度良い所に来たわね。あの件の事、早苗に話してあげてくれる?」
「おいおい、まだ話してなかったのかよ。…と言うか、それくらい自分で説明したら良いじゃないか」

 面倒臭そうに頼んでくる神奈子に魔理沙は苦笑を浮かべた。しかし、何だかんだでも説明してやるつもりらしくすぐに早苗の方を見やる。

「簡単に言うと『問題』って言うのは、あの二人の仲の事だったんだ」
「お二人の…仲?」
「ほら、諏訪子と○○は存在の格が違うだろ。だから今のままで行くと、必ずしも幸せになれるとは言えない。そこで、敢えて引き裂いて見て二人の想いの深さを調べようとしたってわけさ」

 「ちなみに発案者は神奈子だぜ?」と付け加える。

「じゃ、じゃあ彼が諏訪子様と懇意になる事は、最初から容認していたって事なの?」
「そうなるな。…しかし、最初は驚いたぜ。えらく真剣な顔で訪ねて来たと思ったら『諏訪子と人間の男をくっつけるから協力してくれ』とか言い出すんだからな。おまけに人間の男が○○だと分かって驚きが二倍だったぜ」
「ちょっと、余計な裏話までしないで良いでしょ?」

 ケラケラと可笑しそうに笑う魔理沙に、神奈子が少し気恥ずかし気な声を上げる。どうやら神奈子は照れているらしかった。

「ははは、良いじゃないか。折角お前の言う様に動いてやったんだから、これぐらいは自由にさせろ」
「ほ、報酬ならもう上げたじゃない!だから勝手な発言は許さないわ」
「じゃあ、発言の自由を行使させてもらうとするぜ!!」

 賑やかな二人の様子を見ながら、早苗は彼女達の言葉を咀嚼していた。

 やがて自分なりに結論を導き出したのか、彼女はゆっくりと唇を開いた。


「つまり神奈子様はわざと二人の間を裂く様な事を言って引き離し、その上で二人がどう行動に出るかを見定めていた。…つまり『時の氏神』を演じていらっしゃった、と言う事ですね」


 彼女の言葉に魔理沙は笑顔を返し、神奈子は相変わらず困った様な顔を見せた。

「ま、そういう事だ。私とお前はその為に色々と踊らされていたんだよ」

 相変わらず何が楽しいのか魔理沙は笑いながら、

「黙っていてごめんなさいね。でも早苗は嘘を吐けるタイプじゃないからこうするより他になかったのよ」

 神奈子はバツが悪そうな顔で言った。

 しかし早苗は二人の言葉に首を振ってから、優しい笑顔を浮かべた。

「別に構いませんよ。むしろ私なんかがお役に立てて嬉しいくらいですから。…そうだ、立ち話も何ですしちょっとお茶を淹れて来ますね」

 と、だけ言い残して早苗は足早に神社の方へと向かった。その足取りはどことなく弾んでいるように見える。

「随分とご機嫌だな。よっぽどお前の役に立てたのが嬉しかったと見たぜ」
「まぁ、あの子は基本的に良い子だからね。それに、自分が諏訪子と彼との橋渡しを出来たって言うのもあるんでしょう。……それより、貴女には辛い事をさせたわね」
「何だ、いきなり。私は自分の意思でお前の言葉に従ったんだぜ?」


「…知らないとでも思っているの?貴女、彼に気があったんじゃない?」


 すると魔理沙は帽子のつばを弄びながら答えた。

「どうかな?生憎まだハッキリとしていないんだ。…ただ一つ言えるのは、もう数ヶ月遅かったらどう答えていたか分からなかったって事だぜ」
「やはり貴女は……」
「あー…その先は言うな、未練がましくなる」

 振り返った魔理沙の笑顔はどこまでも晴れやかで、同時にどこか寂しげでもあった。その笑顔が神奈子には辛かった。
 しかし、すぐに魔理沙は次の言葉を繋いだ。


「ただ、この先もこのままかどうかは分からない。もしかしたら、今度は私がアイツ等の敵になるかも知れないぜ」


 欲しいものは奪い取る。なるほど彼女らしいやり方だ。その愚直さが何となく、神奈子には羨ましく思えた。

「…強いわね、貴女は」
「恋する乙女は最強だぜ!!」

 そう言って、サムズアップして見せる。言っている事はアレなのだが、そこまで開き直られると逆に爽快だ。

 神奈子は諏訪子の幸せを奪うものは片っ端から潰す気だったのだが、なぜだか彼女に対してはその様な考えが浮かばなかった。
 それは彼女の人柄からか、同情からか、或いはまた別の感情があったからか。

 突き抜けるような蒼天の下、二人分の笑い声が響き渡った。




 俺はあの後の事をよく覚えていない。
 とりあえず諏訪子さ…いや、諏訪子と誓いを交わしたのは確かなのだが、その後が定かでないのだ。

 ただ、気が付いたら俺は自分の家で寝ていて、目を覚ました俺の視界には涙を目に溜めた彼女が映っていた。
 そして遂に泣き出してしまった彼女に抱きつかれて、俺は初めて自分がまだ生きていると言う事を理解出来た。
 そしたら俺も嬉しくなって、気が付けば一緒になって泣いていた。

 謝罪しに来た時に初めて知ったのだが、どうやら神奈子さんは俺達の事を試していたらしい。
 やはり神と人間が一緒になる事は色々と大変らしく、その為に想いの深さを見ておきたかったのだと言う。
 諏訪子は「やりすぎだ」と言っていたが、俺としてはありがたかったと思っている。
 おかげで、彼女への想いが一層強くなった気がするから。




「ねぇ、○○」
「何?」
「ううん、何でもない。何となく呼んでみただけだよ」
「…そっか」

 ソファでお茶を飲みながら、俺達は何をするでもなく一緒にいた。
 彼女は俺のすぐ横に腰掛けている。以前よりももっと近付いたこの距離が、今の俺達の関係を表していた。
 あと口調も変えてみた。もっともこれは彼女の要望あっての事だが…

「しかし○○が淹れるお茶はおいしいねー。何か日に日に磨きが掛かっていってない?」
「そうかな?まぁ、思えば結構淹れているから、その分だけ上達したのかもね。…でもお茶淹れが上手いって何か微妙だな」
「えー、そんな事無いよ。少なくとも私は良いと思うもん」

 彼女はそう言ってくれるが、所詮職場のお茶汲み係的なスキルでしかないので何だか微妙な気分だ。
 でも、彼女が喜んでくれるならそれもまた良いかも知れない。

「そうだ、私も○○にお茶の淹れ方でも習おうかなー。とりあえず何かコツみたいなのはあるの?」

 人間にお茶汲みを習う神様…外の連中が聞いたら卒倒しそうな話だ。でも今俺の横いる神様は平気でそんな事を訊いてくる。
 何となくそれが可笑しくて、俺は小さく苦笑してから彼女の問いに答えた。

「やっぱり面倒臭がらずに、手間隙掛ける事だと思うよ。あとは……そうだな、ちょっとしたおまじないかな?」
「おまじない?へぇ、お茶淹れるのにおまじないなんてするんだー。で、で?それってどんな魔法なの?」
「魔法って程じゃないと思うけど……ただ『諏訪子が美味しいと言ってくれますように』って願掛けするだけさ」

 よく料理は愛情とか言われるし、それに肖ろうと思ってやっているのだ。もっとも、殆どゴシップなので根拠などまるで無い。それでも何となく気分的に続けてしまうのはこの想いゆえか。
 すると隣にいた諏訪子は、感極まった様な顔でこちらを見つめてきた。

「うう~、何と言うかこう…ぐっと来るような事をしてくれるじゃない~」
「そうかな……っておいおい、諏訪子!?」

 急に体重(+力)を掛けられて、そのままソファに押し倒される。幸いお茶はテーブルにあるので被害は無かったが、この体勢は色々とマズイ。

「ああ、もう可愛いな~♪このまま食べちゃいたいー」
「いやいやいや、まだ昼間ですから!幾らなんでもそれはマズイですからー!!」

 明らかな危険発言から俺は必死で逃れようと足掻く。もっとも、内心『それも良いかな』と思っている辺りやはり俺はどこまでも健常な青年のようだ。

 そんな馬鹿げた事を考えていると、ふいに彼女が妖艶な笑みを浮かべてこちらを見つめてきた。

「じゃあ3時の“おやつ”なら……良いよね?」
「いや、おやつにしたってまだ早――んむっ!!!?」

 瞬間、彼女の顔が視界一杯に広がってブラックアウトする。

 そして、唇に感じる温度と感触。

 唇を抉じ開け、滑り込む様にして彼女の舌が這入り込んで来る。
 そして俺が目を白黒させている間に舌先を絡ませ、より深く繋がりと求めるように強く抱きついてきた。

 流石にここまでされて黙っている事など出来ない。猛る気持ちに抗う事無く、彼女に応える為に自分からも舌先を絡める。


 くぐもった吐息、縺れ合う身体、高まっていく体温。


 現実をより鮮明に理解させる為か、諏訪子はやたら派手な水音を立てて吸い付いてくる。啄ばむ様な、されど食い付く様なキスが脳の奥深くまで蕩かしてゆく。

 そしてどれほどの時間が流れたか。どちらからとも無く俺達は唇を離した。互いの動きがやけに緩慢に感じたのは名残惜しさの為か、それともただの錯覚か。


 荒い息遣い、潤んだ瞳、上気した白い頬。


 彼女の全てが俺の中の理性と言う名の居城を崩し、情欲と言う名の油に火を放っていく。
 幼い少女に欲情する、と言う事実が背徳の炎に勢いをつける。
 そして俺の中で何かが切れそうになる寸前、タイミングを計った様に彼女は艶やかな唇を開いた。

「ごちそうさま。美味しかったよ、○○の唇」

 自分の唇に人差し指に当てて、彼女は悪戯っぽく笑った。なるほど、そう言う事か…

「ふふ…なーに、その顔?真っ昼間からお盛んは駄目だったんじゃ無かったのかなー?」
「……そりゃそうだけど、恋人にここまでされて無碍に出来る男なんてそういないと思うぞ?」
「私は最初からこれだけのつもりだったよー?それってただ○○が期待してただけなんじゃないのかな?」

 事実だけに否定出来ない。もっとも、そう言う彼女も未だに頬が赤らんでいるので人の事は言えないと思うが。
 でも何となく彼女の余裕が悔しくて、気が付けば俺は彼女を思いっきり抱き寄せていた。

「じゃあ、素直に期待していたと言っておくよ」

 腕の中にすっぽりと納まった諏訪子はしばらくキョトンとしていたが、やがて俺のやろうとする事を予測したのかまた少し顔を赤らめた。

「…えっと、その、本気?」
「さぁ、どうだろう。ただ、俺のこの先の行動は諏訪子に一存しているからね」
「あ、あーうー……」

 おどけた口調で言ってやると、困ったような顔をして見上げてきた。頻りに俺の服をカリカリと弄っている辺り、結構本気で動じているのが分かる。
 何だかこのままでは流石に可哀相なので、俺は助け舟を出してやる事にした。

「なーんてね、ただの冗談だよ。ちょっと意地悪してみたくなっただけださ」
「え、え?冗談だった…の?」

 しばらくの諏訪子は間面白いくらいに間抜けな顔をしていたが、徐々に事の真相が理解出来てきたのか頬を膨らませて睨んできた。

「ううう~~…私の純情を弄んだな~。ちくしょう、祟ってやるーー!!」
「え?ちょ、諏訪子それあの時スペkくぁwせdfrtgふじこ!!!!!!!」



  ―少女祟リ殺シ中―



「………………」
「ふふん、参ったかー!!これに懲りたら私をからかおうなんてしない事よ!」
「………………」
「あ、あれ…○○?」
「………………」
「え、ちょっと○○!!?うそ、うそだよね!??」
「……いたた、大丈夫まだ死んでないから」

 ぼんやりとする意識で彼女の声に応える。どうやら気をやっていたらしい。

「あ…その、ごめんね?」
「いや、俺にも非があるから良いよ。あー、しかし頭がガンガンするな」

 すると、ペチペチと彼女が自分の膝を叩いて手招きしてきた。…これって、もしかして。

「良いのか?俺の自業自得なのに」
「それでもやり過ぎたのは私の非だもの。…あと一度やってみたかったんだよね、膝枕♪」
「じゃあお願いしようかな。でも重かったら言ってくれよ?」
「大丈夫大丈夫、私神様だもの」

 それとこれとは関係無いのではないかと思ったが、それを言うのは無粋な気がしたので黙って諏訪子の膝に頭を乗せる。勿論仰向けで。

「えへへ~何だか幸せな気分だな。ね、○○はどう?」
「俺も幸せだ。つか、膝枕ってこんなに気持ち良いものだったんだな…」
「このぉ、愛いやつめー。うりうり~~♪」

 グニグニと俺の頬を引っ張って諏訪子が笑う。その笑顔を見て、俺もまた自然と笑う。

 それは何て幸せな時間。でも、それは同時に必ず終わりが訪れるもの。

 だからなのか、

「……この瞬間が永遠に続けば良いのにな」

 諏訪子がこんな寂しい事を言い出したのは。


「諏訪子…」
「ねえ、○○。私はね、さっきの続きをしても良いと思っているんだよ?」
「……それは“俺がいた証”を作る為か?」

 刹那と永久は相容れないと言う残酷な真理。

 だから刹那は“その存在を証明する物”を残して去ってゆく。

 彼女の言葉が意味するのは、つまりそう言う事だろう。

「それもあるかな…でもそれ以上に○○と生きている今を、この身体に強く刻み込みたいんだよ。どんなに時が経っても色褪せない様に」

 儚げな微笑みを唇に貼り付けて、抱え込む様に俺を抱きしめる。暖かな体温と心音が愛おしくて、切ない。

「そうだな。人はどんな法を以ってしても永遠にはなれない。いずれ必ず終わりを迎え、彼岸の彼方で新しく生まれ変わる。……でも、もし人で無くなる法があるのなら、俺も永遠になる事が出来るかも知れないな」

 俺達はそれを承知の上で恋人になった。でもだからと言って事実に対して諦観し切れている訳じゃない。
 今でも、自分が“永遠にはなれない”と言う事実が忌々しく感じる事だってある。

 だが俺の言葉を聞いた諏訪子は、なぜか一瞬の間の後急に顔を輝かせた。

「それよ、○○!!その手があったわ!」
「え?その手って、一体どんな手さ」
「人で無くなる法の事!そうか、最初っから人間と言う存在に固執しなければ良かったんだ!!」

 つまりそれって「俺は人間をやめるぞ!!」とか言って石で出来た仮面を被れ、って事なのだろうか。流石にそれは嫌だなぁ…

「あの…でも人を止めるにしても、そうなったら俺は何になるんだ?怪物然とした人外になるのは勘弁してもらいたいんだが…」
「○○をそんなグロイものになんてしないよー。ただ、少し修行を積んで“仙人”になってもらおうと思ったの」
「仙人…そんなもの本当にいるのか?いや、仮にいたとしても俺如きがなれるものなのか?」
「仙人はいるよー。もっとも、私も知ったのは最近なんだけどね」
「へぇ、それで仙人って言うのはどんなものなんだ?」

 すると諏訪子は人差し指をピンと立てて、自慢げに説明し始めた。

「仙人って言うのは修行を積んだりして人外の力を身につけた人間の事を指すの。イメージとしては外の世界の本とかに載っているのを想像してくれると良いかな。で、仙人は平均的寿命が数千歳近くまであるから相当長生き出来る。…もっとも、その分リスクもあるけどねー」
「凄いな、本当に仙人っていたんだ。ところでリスクって例えばどんなものがあるんだ?」
「単刀直入に言うと、妖怪に狙われる、地獄の使者から狙われる。前者の理由は仙人の肉は妖怪にとって格を高めるために最適だから。後者の理由は長寿自体が本来は罪だから」

 あれ、それってもしかして…

「俺、常に危険に晒される事になるんじゃないのか?」

 イメージのまま考えると、仙人になったら人里から離れる事になるだろう。でもそうなれば俺はどこで生活する事になるのだろうか。

「守矢神社で生活すれば良いじゃない。遅かれ早かれいずれそうなるだろうしー」
「……それって、そう言う事なのか?」
「そーいう事♪」
「…そ、そうかい」

 満面の笑顔と共に紡がれた言葉に、思わず顔が熱くなる。何と言うか、普通に幸せの絶頂って感じなんですけど。

「ともあれ、仙人は長寿だけど危険が多い。でもね、更にここから不老不死の法を得て“天人”になると話は逆になる。天人の肉は妖怪には食べられないし、不死化している以上地獄の使者も連れて行けないのよ」
「つまり、完全な“永遠”になれるって事か?」

 ご名答、と言う様子で諏訪子が頷く。

「じゃ、じゃあそうなれば俺と諏訪子はずっと一緒にいられるんだな!?」
「…でも○○は本当に良いの?そもそもが人間を辞める事が前提の話しだし、もしかしたら一生掛かっても仙人になれないかも知れないんだよ?」

 そう言って顔を曇らせる。だが、それがどうした。

「諏訪子とずっと一緒にいられるようになるのなら人生を棒に振るう価値は十分あるさ。……それにきっと何とかなると思う。俺はそう信じてる」
「○○……」
「だって諏訪子は俺の恋人にして、唯一信じている神様なんだから」

 そう言えば最近、俺はようやく『信仰』とはどう言うものなのかが分かった。


 ただ、そこにあるものを疑う事無く一途に信じる事。


 多分それこそが『信仰』の本態なのだろう。


「……ありがとう、○○。愛してる」
「俺も、愛している。だからずっと一緒にいよう」
「…うん」


 穏やかな彼女の笑顔を見上げながら思う。


 きっと幻想郷だって全ての願いが叶う世界では無いだろう。


 でも、彼女と一緒ならば願いを叶えられる気がしてくる。


 だから俺は『信仰』していこうと思う。




 最愛の、彼女の事を。


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最終更新:2010年05月10日 23:54