諏訪子4



新ろだ2-244


「ねえねえ、早苗。『オールウェイズ冬眠できます』がようやく手に入ったんだ。ちょっと対戦してみようよ」
「あの、私、すみません。先約がありますので……」
「あ、さ、早苗……?」

 割とはっきり物を言う早苗も、こと非想天則の話になると妙に歯切れが悪く逃げられた。
 相変わらず遠回しに拒否されるというのは、正面切って言われるよりもはるかに辛い。いい加減慣れたと思っていたけど……。
 誰もいない境内で私はひとり、小さくため息を吐いた。今日もひとり、「練習」だ。
 もうすっかり枯れたはずの涙がまた一筋、頬を伝った。おっと、いけないね。慌てて私は袖でごしごしとこすった。

「なあ、諏訪子様。面白いゲームがあるんだけどさ、一緒にやりません?」
「いいね、ちょうど退屈してたんだ。さあ、やろうやろう」

 きっかけは○○が外から持ってきたひとつのゲームだった。東方非想天則。私が裏で活動していた非想天則をテーマにしたものだった。
 いや、ストーリーなんてこの際関係ない。どちらかというと皆でわいわい遊ぶゲームだったから。
 ひとつしかなかったこのゲームは、河童に量産されてあっという間に幻想郷中に広まった。
 中には自分が出ていないと文句を垂れる妖怪もいたけど、それでも皆何だかんだで楽しんでいたと思う。
 そしてその扱うことの出来るキャラクターの中に、私もいた。四足歩行で移動している姿がおかしくて恥ずかしかったけど、
 ○○が「何だか可愛い」と言ってくれたからちょっと嬉しかった記憶がある。もちろん、実際に四足で歩かないよ?
 だけど、

「あの、諏訪蛙だっけ? 相手をしていてあんなに疲れる奴も珍しいわよね」
「そうだな。実際に触ってみると癖も強すぎるしな、初心者向けとは言い難い。私の方がまだいいよ、マスタースパークがあるし」
「あんたも中々だと思うけどねぇ」

 早速腕試しに神社へ遊びに行くと、紅白と黒白がそんな事を言っていた。
 そりゃそうさ。伊達に神様なんてやっていないのだから、人間なんかに簡単には扱えないのさ。
 ほくそ笑みながら苦そうな顔をしている二人の会話を聞く。しかし、次の言葉に私は耳を疑った。

「正直いらないよな、こいつは。○○もとんでもないキャラを持って来たもんだぜ」
「まあねぇ。悪いとは思うけど、あいつを使おうとしている人は対戦を断ってるわ。どっと疲れるもの」

 え? あいつ? それは私の事、なの?
 私が腕試しをする前に、「私」はすでに嫌われていたから。だから今もこうしてひとり「練習」しか出来ないんだ。



◇◇◇



「諏訪子様ー。あれ? ご飯ですってよー? 諏訪子様ー?」

 どこか遠くから私を呼ぶ声がする。だけど私には返事をする余裕がなかった。
 ひとり暗い部屋でぼんやりと座っている私。手には○○が持ってきてくれたひとつのゲーム。ため息を吐いて放った。
 いくらゲームの中でとはいえ、「私」が疎まれているという事実。
 私自身が言われているわけでは無い事くらい百も承知だけど、それでも私自身が言われている気がして涙を流さずにはいられなかった。
 ただ悲しかった。まだ遊んでもいないのに、もうすっかり嫌われ者として定着していたなんて。

「諏訪子様? ああ、びっくりした。どうしたんです、明かりも点けないで……って、どうしたんですか!?」

 部屋へ入って来たのは「私」が嫌われるゲームを持ってきた張本人、○○だった。
 流れる涙を拭う事もせず、ゆっくり振り返ると彼は血相を変えて私のそばに座り込んだ。
 ああ、道理で暗いはずだ。まだ昼間だと思っていた空はすっかり暗く、どれだけ長い時間部屋で泣いていたのかを知った。
 心配そうな顔で涙を拭こうとする○○。その優しさが嬉しく、
 しかし気付けば私はその手を払い、逆に彼に噛みつくようにして掴みかかり、身勝手に叫んでいた。

「ねえ、どうして? どうして私は嫌われているの!? 何もしてないのに! 何も、してないのに……」
「ちょ、ちょっと諏訪子様、落ち着いて、ね? 何があったんですか?」
「これが落ち着いていられるわけなんてないよ! どうして、どうして○○は私が嫌われるようなゲームなんて持ってきたのさ!」
「げ、ゲーム……? あ、ああ……」

 言ってしまってものすごく後悔した。○○にはまったく関係のない話だ。彼は持ってきただけで、作ったわけではないのに。
 だけど、こんなに必死に叫んだのに、○○は眉をひそめて訳がわからなさそうに困惑するばかり。私の事が好きだと言ってくれたのに。
 嬉しい事も悲しい事も二人で半分こ、って顔を赤くしながら言ってくれたのに。どうして私の悲しみは伝わらないの?
 ……これも、ゲームのせいなのだろうか。「私」が嫌われているから、○○は私さえも見限ってしまったのだろうか。
 悪い方へばかり考えが行き、がらがらと足元が崩れていくような気がして、私はその場にへたり込んで声も出せずにただ涙を流した。

「……とにかく、落ち着いて下さい諏訪子様。まあその、ゲームですから。実際に貴女が嫌われているわけではありませんから、ね?」
「そういう、ことじゃないよ……。私は『私』を使いたいのに、嫌われているから、輪に入れないんじゃない……」
「諏訪子、様……」
「皆と、あなたと、ただ普通に遊びたかった、だけなのに……」
「……神様にしては随分女々しいですね。だったら他のキャラクターを使えばいいでしょう? それなら皆喜んで遊んでくれますよ」
「やだよ、そんなの。せっかく○○が可愛いって言ってくれたのに、私は『私』を使いたいよ」

 つくづく自分が嫌になるほど身勝手な言葉だ。彼は私を拒絶しているのではないか、そう思うと怖くて顔を見ることすらできない。
 本格的に何もかもが終わった気がした。どうしてこうなってしまったのだろう、何度拭っても涙は止まらない。
 ぱちん、と場に合わない軽い音が響いた。
 頬を押さえて目を丸くする。私は頬を叩かれていた。だけど、触れられるくらい優しく。痛みなんてもちろん感じない。
 拒絶されたのに、どうしてその触れた手から温もりが伝わってくるのか。
 不安に押し潰されそうになりながら、彼の手に触れたまま恐る恐る見上げると、
 彼は今までに見た事のない、とても真剣な表情で私を見ていた。怒ってはいるようだけど、その色に拒絶なんてものは欠片もなかった。

「ねえ、諏訪子様。俺、言いましたよね? 貴女の事が好きだって。そんな俺が何を使うかなんて貴女なら言わなくてもわかりますよね?
 だから貴女の言いたい事、よくわかります。その、安っぽい同情とか思われるかもしれないけど」
「……」
「ありゃ、もしかしてわかっていらっしゃらない? そりゃあ、確かに萃香とか空の高い攻撃力には魅かれるものもありますけど」

 もちろんわかっていた。自惚れだと笑われるかもしれないけど、○○は「私」を使っていると思っていた。でも違った。
 彼が「私」を使っている所なんて一度も見た事がない。いつどこで見かけても、彼は別のキャラクターを扱っていた。
 なぜ? 私がこれ以上嫌われないため? もし、そんな事を言ってみろ。
 それはそれで嬉しいけど、私以外を使って勝率を上げている事に変わりはないのだから、末代まで祟ってやる!

「……嘘吐き。昨日はレミリアを使っていたし、その前はパチュリーを使っていたよ。それで『私』は? 『私』はいつ使ったの?」
「ああ、その、確かに別のを使っていますけど。もちろん、それは作戦で」
「『私』を使ってこれ以上『私』が嫌われないようにするため」
「あ、ええと、まあ、その」

 その通りだったのか、それとも私の台詞に感情がこもっていなかったからか。○○はひどくうろたえた。
 もちろんそれが優しさ故にという事くらいわかる。わかるけど、どうしても素直に認める事ができなかった。
 本当に勝手だけど、私だけを見ていて欲しかった。

「も、もちろん! それだけじゃありませんよ。これは作戦の第一、段階、ですけど……」
「本当に? いいよ、とりあえず聞いてあげる」
「あ、ありがとうございます、その……ええと、」
「……」

 必死に言葉を選んでいる○○。何を言おうとしているのかなんて大体わかっている。
 ご機嫌取りでも何でもいいから、早く言いなさいよ。
 もはや誰に対して何を思っているのかわからなくなった私はそっぽを向き、彼の言い訳を待った。
 もういいや。わざわざ辛いを思いをしてゲームをする必要なんてない。そうだ、嫌ならやめてしまえばいい。
 腑に落ちない話ではあるけど、これが一番気が楽でいいのかもしれない。やめた所で死ぬわけではないんだ。
 全部諦めると何だか少し肩の荷が降りた気がして、軽く息を吐くと○○はいきなり背中から私を抱きしめた。
 どきり、とした。こんな戦法で来るなんてつくづく卑怯な人間だ。卑怯なのに、その暖かさが目に染みる。

「諏訪子。『貴女』は飛び抜けて嫌われ者だ。これはもう周知の事実だから仕方が無い事だと思う。残念だけど……」
「……」
「俺だってそうだった。貴女を使おうとするだけで嫌な顔をされ、その戦い方が汚いと一方的に口汚く罵られる事も沢山あった。
 例え貴女自身を言っているのではなくても、貴女が罵られた事に、俺は耐えられなかった。
 だから逃げるように他を選んだ。それについては本当に、……ごめん」
「○○……」

 ぎゅ、と抱きしめる手に力がこもった。……震えている? もしかして○○も泣いているのだろうか。
 何だか申し訳ない気持ちになり、思わず振り返ろうとすると止められた。

「だから調べたんだ。なぜ『貴女』が嫌われるのか。それなら嫌われないためにはどうすればいいのか」

 嫌われる原因で、一番多いのは「私」を扱う人間の程度の低さ。
 だけど私はもうそんな事なんてどうでもよかった。嫌われていても、○○だけは「私」を使ってくれる。
 私の事が好きだと言ってくれた貴方だけさえ「私」を使ってくれたら、それだけで満足だ。

「だから一から研究して、嫌われない戦い方や礼儀を身につけて、強くなってから出て行こうと思ったんだ。
 でも、ふふ、諏訪子様がこんな感じだから、あんまり悠長に『練習』している暇はなさそうだ」

 練習。○○はそこを強調して言った。そうだ、彼も私とあまり対戦してくれなかった。いつも断られていた。
 もしかして、その「練習」に時間を費やしていたから? だからなの?

「もう諏訪子様が泣いてる姿なんて見たくないから、とにかく練習はもうやめにする。これからは貴女だけを使うよ、約束する」
「……ふふ、約束、ね。○○は約束だけはちゃんと守る人だから、……でも、いいの、無理しないで」
「いいや、俺はやりますよ。もう決めたんです。貴女が嫌われるような扱い方をする奴がいるせいで、『貴女』は嫌われた。
 もちろんそれだけじゃないでしょう。だけど一生貴女のそばにいると誓った俺には、『諏訪子』の名誉を挽回する義務があるんです」
「あーうー……、そんな真面目な顔で恥ずかしい事言わないでよ。こっちまで恥ずかしくなっちゃうよ」
「は、恥ずかしい事を言わせているのは誰だと思ってるんですか!
 と、とにかく、俺は貴女だけを使います。誰に何を言われたって使ってやるんだ!」

 振り向くと真っ赤な顔で力説している○○。私は一瞬呆気に取られて、思わず笑ってしまった。
 まったく、今まで泣いていたのが馬鹿みたいだよ。そんな私を見て○○はニッと笑った。
 いつもの照れ隠しに見せる意地の悪い笑み。だけど不思議だ。この笑みを見ると不安や悲しみなんて消し飛んでしまうから。

「でも、いいの? 最近勝率が上がってるって聞いたよ? 『私』はその、癖だって強いし、その」
「慣れない内は下がりまくって最下層まで落ちるんじゃないか。って? いいじゃないですか、ランクが下がると死ぬわけでもないし」
「ば、馬鹿だねぇ。こういう対戦モノは、勝つからこそ楽しいんじゃない」
「そうですかー? 俺は接戦が出来れば負けても楽しいけどなぁ。まあ、一方的な敗北はさすがに泣きそうになりますけどね」
「……」
「諏訪子様?」
「……そうだったね、○○は変態だから、負けて悦ぶんだったね」
「……ひどい言われようです」

 気付けば再び涙が流れていた。もちろん、悲しいから流しているわけではない。
 嬉しかった。私のためにそこまでしてくれる○○が。もちろん彼にだけそんな茨の道を歩ませるなんて事はしない、隣には私も。
 私の事が好きだから。嫌われてもめげずに頑張って、「私」が嫌われなくなるように頑張る。
 そんな決意に満ちた笑顔を向ける○○を見て、私はすごく励まされた。
 やれやれ、本当に不思議な人だ。そんな無理難題、彼なら本当にやってのけそうな気がしたから。

「○○は偉い子だね、感心感心。それで? 格好よく言ったからには名誉挽回の方法もばっちりなんでしょ?」
「もちろんですよ。まずはですね、適当に違うキャラで挑んで、その次におもむろに諏訪子様を選択……あいたっ」
「馬鹿○○。そんなことしたらますます嫌われちゃうでしょうが。本当、○○は最低だね。悪い子を通り過ぎた悪い子だよ」
「そんな、偉い子って言ってくれたのに! だけどまあ、その通りですよね……ううむ、先は長いなぁ」

 長くてもいいよ。私は彼に聞こえないようにぽつりと呟いた。
 ○○がいれば、○○さえいてくれれば。どれだけ時間がかかっても、きっと皆にわかってもらえる日が来ると思えた。
 もちろん、そんなにうまく行くとは思えない。色んなプレイスタイルを持つ人間や妖怪で幻想郷はあふれている。
 今以上に私が嫌われる原因を作る輩だって出てくるだろう。
 それでも○○なら、「○○くらいなら戦ってやってもいい」と言われる日が来るかもしれない。いや、来て欲しい。
 そんな事を考えて、私は相変わらず子供のように涙を流しながら○○の温もりを肌で感じていた。





「た、大変です、神奈子様! ○○さんが泣いて嫌がっている諏訪子様に無理やり……!」
「えっ、ちょ、誤解……!」

 御柱発動中……。



新ろだ2-291



「ちーっす」
「お、今日も参拝かい、精が出るね」
「ま、安全な道も教えてもらったし、これくらいは」

 守矢神社の境内。階段を上った先に、今日も諏訪子さんがいた。

「はい、わらびもち。来るまでに温くなってると思うから冷やすといいと思う」
「お、気が利くね」

 にこにこと諏訪子さんが微笑う。土産を渡して、俺は本殿に向かう。
 お参りをして賽銭箱に賽銭を放る。もう日課に近くなっていることだった。



 幻想郷にやってきてしばらくして、こっちに来た神社があると知った。
 ふらっと来れる距離ではなかったからかなり気合を入れてやってきた。
 そこで、俺は守矢の神々に出会ったのだ。
 外からやってきたという神様達は、俺の話を聞いてくれたし、神様達の話もしてくれた。
 宴会に呼ばれるようになったり、参拝に来たりしているうちに、仲良くなった。

 そして、俺は諏訪子さんに惚れた。
 何でかはわからない。たぶん、一目惚れではない。
 けれども、何度も何度も神社に来るようになって、会話しているうちに、この人に逢いたくて来ていることに気が付いた。
 周りには「正気か」だの「相手は神様だって理解してる?」だの「実はロリコンだったか」だの言われた。
 最後の奴には拳骨も落としておいた。



 実は、もう告白はしている。
 だが、その告白のときも、諏訪子さんは驚いたような顔をした後、首を傾げた。

『嬉しいよ。でも、まだ足りないね』

 そして、少しはにかんだような顔で言ったのだ。

『もし、こんな言い方をしてもまだ私を好きだと言ってくれるのなら、だけど――』

 その一言が、俺を決意させた。

『私を、心底惚れさせられるような、いい男になってよ』



 何をすれば良いのか、なんて、わからなかった。
 いろんな人に相談した。それこそ神奈子さんや早苗さんにまで相談した。
 結局、俺が今出来ているのは、この世界で精一杯生きる、ということと、諏訪子さんに出来るだけ逢いに行くことだけだった。
 諏訪子さんのことを知りたい。俺のことも知って欲しい。
 そうして、少しずつだけれど、話す時間も長くなってきてる、と思う。
 ……楽しい時間はすぐに過ぎるから性質が悪い。本当に。




「最近、だいぶ頑張ってるみたいだね」
「ん、ああ。頑張ってるのかな、みんなに頑張ってるって言われるんならそうなんだろうけれど」

 仕事をもらって、一生懸命に働く、ということを俺はこっちで覚えた。
 外では学生だったし、それでもバイト程度だったから、生きるために働く、というのは初めてだった。
 でも、それも悪くない生き方だと、今は思ってる。

「いやいや、いい顔になったよ。本当だ」
「少しは見直してもらえたのかな」
「少しは、かな」
「んじゃ、一歩前進だ。頑張るよ」

 こうして、出来る限り時間を作って、神社に顔を出せるようにしている。
 まあ、完璧に出来てるわけじゃなくて、二日に一度しか来れない事もある。
 大抵は毎日来れるようにはしているのだけど、忙しいときはどうしうようもない。
 それでも、足腰も鍛えられてきたのか、最初に来たときと比べて辿り着くまでの時間も短くなってきた。

「……お茶でもあげよう。ちょっと此処で待ってて」
「ああ、うん」

 頷き返すと、軽やかに身を翻して諏訪子さんは行ってしまった。
 やっぱり、ああいう動作の一つ一つが綺麗だなあ、とか思いながら本殿の階段に座っていると、あら、と声がした。

「こんにちは。やっぱりいらっしゃってたのですね」
「ああ、こんちは、早苗さん。やっぱり、ってどういうことっすか?」

 俺が来てたのがわかっていたのだろうか。そう思って早苗さんに尋ね返すと、意外な返事が返ってきた。

「ふふ、諏訪子様がご機嫌でしたから、きっといらっしゃってると思ったのですが」
「へ?」
「ご存じなかったのですか? 諏訪子様、貴方が来るのを楽しみにされてるんですよ」
「え、諏訪子さん、そんな素振りなかったけれど」
「あら、そうなのですか?」

 早苗さんは意味ありげな表情を浮かべている。どういうことだ、少しは脈ありってことなのか。

「こら、早苗、あまりからかうもんじゃないよ」
「ああ、諏訪子様。すみません。では、お勤めに戻りますね。それではまた」

 微笑んで、早苗さんは行ってしまった。
 いつ見ても、何かデジャヴあるんだよな、早苗さんの笑顔。何だろう。

「おや、どうした、早苗見つめて。心変わりでもした?」
「冗談きついって。俺は諏訪子さん一筋だ」
「あはは、からかいすぎたかね」

 よく冷えた麦茶のグラスを渡してくれながら、諏訪子さんは笑った。

「おお、冷えてる冷えてる」
「暑い中ご苦労だからね、毎度毎度」
「いやまあ、それは、ここに来るためだし」

 逢いに来るためとまでいえない自分が情けない。誤魔化すようにくいと麦茶を喉に流し込む。
 冷えた感覚が、身体中に行き渡るようで、とても心地良かった。




「そういえばさ、転生っていうもんは知ってるかい?」

 二人並んでお茶を飲みながら話していると、ふと、諏訪子さんがそんなことを尋ねてきた。

「ん、ああ。何か閻魔様が言ってた奴か。信じてなかったけれど、本物にあると言われたらなあ」
「ふふふ。それでね、転生っていうのは、条件満たせばどれだけ昔のでも転生するんだよねえ」
「……まさか。諏訪子さんの昔の旦那ってのも、転生するかもしれないと?」
「ふふふふふ、どうだろうねえ」

 怪しげな笑みを浮かべて、諏訪子さんは俺の頭を撫でた。まるっきり子供扱いだ。無理もないかもしれないが。

「……諏訪子さんは、旦那が転生してきたら、どうするんだ?」
「さあてね」

 本心を見せない笑みだった。それはそのかつての旦那に惚れるかもしれないってことか。
 いやいや、それで負けるのは悔しいぞ。俺だって諏訪子さんのこと好きなわけだし。
 ここは明言しておくべきだ。うん、きっとそうだ。

「くそ、絶対旦那よりもいい男になって振り向かせてやるからなっ!」
「あはははは、楽しみにしてるよ」

 俺の勇気を振り絞った決意も、諏訪子さんには簡単に受け流されてしまったようだった。
 けれど、まだチャンスは残ってるはずだ。諦めは悪いんだ。

「……諦めないから。俺、諏訪子さんのこと、好きだから」
「ん」

 嬉しそうにはにかんでくれる表情に、胸が大きく鳴る。ああくそ、やっぱり好きなんだな、俺は。

「……本当に、楽しみにしてるからね」

 その小さな呟きは、胸を軽く叩いて動悸を鎮めようとしている俺には届いていなかった。




「んでは、帰るよ」
「そうだね、まあ、日が落ちるまでには里にも着くだろう」

 鳥居を潜ったところまで、諏訪子さんは送ってくれる。いつものことだった。

「また、明日来る」
「無理はしないようにね」
「うん」

 頷いて、帰ろうと踵を返そうとして――俺は、諏訪子さんに向き直った。
 いつもならこのまま帰る俺が向き直ったのを、不思議がるような表情で見ている。

「な、諏訪子さん」
「何だい?」
「昔の旦那のこと、忘れられないのかもしれないけどさ」

 ああ、くそう。こんなこと言いたいわけじゃないのに。

「でも、旦那に負けないくらい、俺、佳い奴になろうと思うから」
「…………」
「……振り向かせるの、頑張らせてくれないか」

 何か言ってること滅茶苦茶になった。こういうのじゃなくて、もっとこう、スマートな言い方したかったんだが。
 こんなことを何故言ったのかもわからない。転生の話とか、聞いてしまったからかもしれない。
 何を言われるか、呆れられるだろうか、と、俺は地面を見つめていた。

「……ん、待ってるよ」

 その言葉に、顔を上げると、諏訪子さんは嬉しそうに、本当に綺麗に、笑っていた。
 顔が紅く見えるのは……それはさすがに、夕焼けの所為だろう。

「……遅くなるね。少しお呪いをかけてあげよう」
「え、あ」
「目を閉じて」

 どこか大人びたような諏訪子さんにどぎまぎしながら、言われたように目を閉じる。

「……気を付けて帰るんだよ」

 額に柔らかいものが当たった感触がして、俺は慌てて目を開けた。

「す、諏訪子さん!?」
「ふふ、お呪いだよ。さ、日が暮れる。気を付けてね」
「あ、ああ……また」
「うん、またね」

 諏訪子さんの顔を直視できず、ばたばたと俺は階段を降りる。
 顔が熱い。ああ、くそ、これだけのことでこんなにも嬉しいなんて。
 途中で振り返って、思い切り手を振った。階段に腰掛けて、手を振り返してくれるのが遠く見えた。
 再び走り出す。身体が不思議なほど軽い気がした。
 うん、恋は人を単純にする。明日からもまた頑張ろうと、俺はぐっと拳を握り締めた。





 遠くなる影を見ながら、立ち上がって諏訪子は何かに声をかける。

「道中、護ってやっておくれ」

 しゅる、と、その声に応じるように背後や足元で何かが蠢くのを、諏訪子は確認せずに本殿に足を向けた。




 機嫌良さそうに鼻歌を歌いながら歩く諏訪子に、後ろから声がかかった。

「諏訪子、ご機嫌だね」
「ああ、神奈子か。まあね」
「またあいつが来てたのかい?」
「そうだよ。もう帰ったけれどね。また来るって言ってた」

 楽しげに、諏訪子は神奈子に応じる。神奈子も、諏訪子に並んで歩き出した。

「随分お気に入りだな」
「うん、どんどん佳い顔になってきた」
「……やれやれ、面影でもあるのかい?」

 あれが、そうなんだろう? と神奈子は視線だけで問うていた。

「……そうだね、少しは面影もあるかな。それでも、同じなのは廻ってきた魂くらいだよ」
「ほとんど別人だと?」
「そうだね」

 頷きながら、諏訪子はくるりと回転する。本当にご機嫌だな、と神奈子は呆れていた。

「言ってやらないのかい? あいつに、あいつがお前の伴侶の転生したものだって」
「言わないよ。最後にサプライズしてやるんだ」
「性格の悪い」

 肩を竦めた神奈子に、諏訪子は神妙な声で呟いた。

「ねえ神奈子。私はね、あの人が転生して、他の人と添い遂げたとしても、それは新しい生なのだからいいと思ってた」
「そうだね。それは正しいと思うよ」
「でも、また私を好きだと言ってくれた。それが純粋に嬉しいんだよ」
「魂でも忘れ得ぬ記憶というものがあるのかね……でもそうなら、何故応えてやらないんだい?」
「だって、まだ佳い男になってないもの。そうなったときにね」
「見込みはありそう……いや、あるんだな」
「勿論。私が惚れた相手だよ」

 諏訪子の言葉に、神奈子は一瞬虚を突かれた様な顔をし、ついで苦笑して首を振った。

「やれやれ、惚気は十分だよ」
「ふふ、そのうちもっと惚気てやるよ」

 そう言いながら、諏訪子は彼が帰っていった方向を眺めた。





 さあ、私をもっと惚れさせておくれ。
 祟り神として畏れられていた私に、諦めず愛を囁いてくれたように。
 懸命に、誰かを愛することを教えてくれたように。
 もっともっと、私を好きにさせておくれ――




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最終更新:2010年10月16日 23:23