諏訪子5
地母に祈りを(Megalith 2012/02/05)
かぁん。
かぁん。
甲高く山中に響き渡る済んだ音に、小鳥が羽ばたき山の上へと飛び去っていく。
未だ陽の光が出て間もない時刻であるが、既に仕事は始まっていた。
直ぐの樹、未だの樹、曲がりの樹――。
多種多様なが植わっているが、使えるであろうものはそのうち一握り藻有るか無いかと言うところか。
広葉樹と針葉樹では粘りにも差が出てしまうし、大工が求めるものは部位と家ごとに理想的な木材の質だ。
それが全て同じものではないのは当然のことと理解しているし、精々間伐材では柱にすらなりはしない。
ただ、これ以上に伸びる樹もあるからこそ、適度な伐採と言うものが難しい。
妖怪の山に入りかけた場所であるが、此処に関しては立ち入って良い、と言うよりも切って良いと言うお墨付きを天狗様より頂いた場所である。
里では好き好んで山に入ろうというものはまず居ないだろうが、だからこそ俺みたいなのが仕事を出来ると言うこともあるものだ。
そも、人里の先生の所に天狗よりの依頼があったことの方が大きいだろう。
曰く、間伐もしていない状態で放置されていた場所があるから木を伐ってくれ、とのこと。
山で伐ればいいのだが、どうも山では面倒らしく里ならいい仕事になるだろう、と言う話であった。
だが悲しい事に山に立ち入る男衆など居らず、多少なりともやろうと思った俺は一人で細い丸太を転がす事になってしまった訳だ。
そして以来、俺は変な少女に付きまとわれる事となった。
「や、おはようさん。精が出るねぇ」
「ああ。あんたは」
ふと聞こえた声に頭をあげて見れば、帽子を被った少女の姿があった。
「うちの巫女にも見せたげたいもんだよ、その勤勉さ。ま、もっともあれも神奈子の事考えれば仕方ないんだろーけどねぇ」
童女のようなその姿と、まるで幾年もの年月を経た人物のような砕けた口調のギャップに半ば呆れながら答えを返す。
彼女の名前は、洩矢諏訪子と言った。
自分はその名しか知らず、当人曰くは「神」であるがこの方二十年以上生きていて神と言うものを見た事は無い。
悲しいかな、信仰心と言うものは持とうと意識すればまだ良かったのだがそもそも持つことすら考えられない時点でどうしようもなかった。
妖怪なら珍しくともなんともないのだが、それがきっと神と名乗る存在であることが一番違うところだったのだろう。
きっと彼女と同居している親族か何かなんだろうが、詳しくは自分藻知らない、また知る必要もこれまで特に感じられなかった。
「今日は朝餉は食ってきてるんだろうな」
じと、と軽く睨んでやれば素知らぬ顔をして彼女は口笛を吹く。
悪戯好きな癖老成した子供のようにしか見えないのが非常に困ったものだ。
以前、自分の持ってきていた朝餉代わりの握り飯をねだられ、その日は空腹を押さえながら作業することとなった。
無論、丸太を転がす時に力が出なかった事は言うまでもない。
「まあまあ、そう怒らない怒らない。いつものお詫び代わりに持ってきてあげたよ」
彼女はそんな事を言いながら、帽子を手に取った。
そのままごそごそ、と何か漁るようにすると巾着に包まれた箱が一つ。
「おい、何処から出した今の」
「気にしない気にしない。男が細かい事を気にしたら女は着いて行かないと神代の頃から決まってるよ」
最初会った時からでもあるが、彼女はずっとこんな調子なものだから、本当に始末に負えない。
「いや、まあ。……どっと疲れが」
「若いのに大変だね?」
誰の所為だ、と反駁するほどの余裕がない程に、身体が疲れていた事に気付いて深く息を吐いた。
意外な事に普通に食えるものだった。
それどころか、普通に美味い。
竹皮に包まれていた握り飯と、漬け物の塩気は丁度程良い甘さだった。
気が付いたら貰い物であるというのに、美味いとも言わずに食べきってしまっていた。
美味いものを食ったときは、言葉も出ずただ目の前のものを食すことだけが頭に浮かぶという事を文字通り味わった形になる。
「どうだった?」
少女は問うて、座れる程の切り株に腰掛けたままに、と笑う。
「不味くは無かった」
素直に美味かったと言うのも癪に触り、そう返せば彼女は不満そうな様子で唇を尖らせた。
「全く、そんなだから女の子が近くに来ないんだよ?」
「余計なお世話だ」
心の底から溜息一つ吐いて、軽く睨んで続けるが彼女は何処吹く風と言った様子であった。
「大体、里には俺くらいの歳の男ならあちこちに居る。そいつ等にとってもその方が良いだろう」
「解らないねぇ、人間がそんなに嫌いかい?」
彼女は言いながら肩を竦める。
「全く、何かに怯えているようじゃないか。まるで失う事を――」
「――煩い!」
怒鳴り声を上げると、目の前の少女の姿をした自称神様はびくりと身を竦ませる。
睨みつけ、水筒に入れた水を飲み干せば後はやることは一つだった。
斧を手に持ち、目星をつけて居た樹の袂に立ち、それを振り上げる。
かぁん。
かぁん。
遠く響きわたる音色が、妖怪の山を静かに揺らしていった。
「ごめん」
彼女の声に返答することなく、ただただ斧を振るい続ける。
切り株に座ったままの彼女は何するでもなく、ただただ俺に視線を向け続けていた。
はっきり言って、不快だった。
誰か見も知らぬ存在から視線を向け続けられていると言う事が非常に居心地悪い。
しかし、それを気にしていては仕事にならない。
何よりも、此方も伐らなければならない目標仕事量と言うものがあるのだ。
酔狂な、自称神様の餓鬼に構っている時間などは無かった。
ただ目の前の樹に取りかかれば、ざっ、と足音が聞こえた。
視線を向けてやる義理もなければそんな気も更々起きず、ただ目の前の樹を打ち続けて居れば、餓鬼の声が一つ聞こえた。
「帰るよ。お邪魔したね」
そして一つ呼吸を整えてそいつはもう一度声を上げる。
「けど、その一つだけ。君がいつも通っている道、あそこは通らない方が良いよ。きっと良くないことが起きる」
かぁん。
かぁん。
打ち続けられる木を刻む音。
土を踏みしめるその足音が、段々と遠ざかっていく。
その足音は何処か寂しげにも聞こえたが、気のせいだと一蹴した。
八つ当たりだと言う事は解っている。
そう、解ってはいるのだ。
けれど、解っていても――。
「クソっ!」
思い切り強く斧を振り下ろすと、鈍い何かが砕けて割れるような音が聞こえ、葉が擦れて樹が断末魔の声を上げた。
「今日もようやってくれたの。しかし酷い顔じゃて」
その爺はほっほ、と笑いながら、酒瓶から注いで俺に差し出した。
「なに、まるで傷心のおなごのようじゃな」
「煩い」
妖怪の山の中腹。
自称人間の妖怪爺の庵である。
そもそもこんなところに人間が居着くわけも無ければ、住める訳も無いと解っているのだ。
そう懇々と語ってやったことが以前あったが、そいつはからからと笑いながら「それはお前さんの眼が曇ってるだけじゃて」と抜かしやがった。
ふざけた爺だ。
「なに。沈んだ顔をしているもんでな、気に障ったらすまんのう。老い先短い老人のお節介じゃよ」
「ならとっととくたばって貰いたいがね」
少なくとも、そうすればこの山でこの爺に逢って不快な思いをすることは無くなる。
心の底からそう思っているのだが、悲しいかな理解しようとする雰囲気すら見えなかった。
「さて。未だお前さんは自分を責めているみたいだが、どうもそれだけではないと儂の眼には見えるわい」
「耄碌して開かない目玉で見えるものがあるとは驚きだな」
肩を竦め、目の前の酒を一息で飲み干すとかなりの度数の酒が喉を通り抜けていった。
美味い。
「かーっ……」
芳醇な香りと、脳髄を刺激する辛さの中にほのかに覚える柔らかな甘さ。
こうしてこの爺の庵で一杯だけ飲んで帰るのが定番となっていた。
「……やれ、未だお主は納得出来て居らんようじゃな。お主が家族をすべて失ったのはただの事故だと言うに」
返すつもりすら起きない言葉を投げかけられて、一つ溜息を付いて立ち上がる。
「何じゃ。もう要らんのか」
「胸くそ悪い。あばよ」
器を叩きつけるように置いてそして席を蹴るように立ち上がれば、爺が俺の背に声をもう一度掛けてきた。
「若いの。精々悩むが良かろうよ。お前さんの悩みは、生きてるって事だからのう」
戸を閉めれば、爺の声が聞こえなくなったので一つ息を吐いた。
「クソっ」
再度呟いて、足を進めた。
元は山に近いあたりにぽつんと立っていたのが俺の家だった。
父母に妹、家族が居たのが、一度の山崩れで全て消え去ってしまった。
里に一人買い出しに出ていた俺だけが難を逃れてしまい、それ以来ずっとこうして生きてきた。
生きて来た、という表現が正しいかどうかは解らない。
ただ、一人になってしまった俺を人里の先生はよく見てくれたし、仮住まいも提供をしてくれた。
有り難いことではあった。
有り難いが、非常に迷惑な事でもあった。
どうして生きているのかが解らないままに生かされるようで。
人里から山に合法的に入り込めるのなら、いつか食われて死ぬだろうと思って手を上げた、ただそれだけのことなのだ。
「クソっ」
一人ごちて、山を降りる道へと向かう。
先程止めを差した樹は、そのまま山の平らな所に置き放しである。
枝を落とし、動かせる状態にして、更にその上で他人の力も借りてやっと下ろす。
人間が出来る事は、精々その程度のものなのだ。
庵を出てから、ざぁぁぁぁ、という鈍い音が響いて聞こえてくる。
樹に覆われた場所ですらぼたたたた、と言う音を立てながら振ってきている雨。
俺自身の身体も、とうにびしょ濡れになっていた。
そして、ふと気付けば、いつもの帰り道に通り掛かっていた。
ここを真っ直ぐ下っていけば、里へ辿り着く。
あの子供に帰り際に何かを言われた気がしたが、気にとめる程の事でもない。
「濡れちまうな、これじゃあ」
はは、と乾いた声が出たのに気付いたが、別に濡れて帰ったところで構うものではない。
そもそも、風邪を引いたところで誰かに心配される身ですら無いのだから――。
ふとそんな事を考えながら、山道を降りていくと微かに耳鳴りのような音が聞こえた。
そして、ご、と言う何かが唸るような音。
振動が足から伝わってくると、ぱらぱらと濡れた土が降り落ちてきて。
「……っ!?」
圧倒的な量の汚泥が、山道を崩し飲み込みながら俺の方へと襲いかかろうとしていた。
動けない。
足が竦み、一歩も逃げる事が出来ない。
これで俺の家族は飲み込まれたのか、と悟り、それも良いかと一瞬だけ思い、瞳を閉じた。
けれど、これで、本当に、良いのか?
一瞬だけ感じた疑問すらも、その汚泥は飲み込んで――。
ぱぁん、ぱぁんっ!
不意に強く掌を打つ音が聞こえて、瞳を開ける。
もう目の前に来ているはずの泥の塊が、降り注いでいない。
飲み込まれて居らず、何か眩しいものが見えたかと思うとそれが収まっていった。
目の前には巨大な岩盤。
そして、掌を合わせて立つ一人の少女の姿。
諏訪子だった。
地にしっかりと足を踏みしめて彼女は全身に力を漲らせたように、土砂からも眼を逸らさない。
彼女の目の前の岩盤以外が全て薙ぎ倒されていくのに、彼女自身はそれを何でも無いことのように見向きもせずただ何かを祈るようにすることに集中していた。
耳鳴りが少しずつ収まっていくのを聞けば、彼女の横顔は安堵したようなそれになっていた。
……ああ、なるほど、確かに彼女は人間ではない、それ以外の何かなのだ、とようやっと理解した。
「……大丈夫?」
泥と水と岩の流れが収まり、静かになる。
そんな中、彼女が振り返ると首を傾げた。
「何してやがる、お前……!」
目の前に居る、件の少女に声を荒げれば彼女はに、と微かに笑みを浮かべた。
「全く、神様の名前くらい覚えた方が良いよ。洩矢諏訪子、忘れられた神様だ、って言わなかった?」
何故だ。
何故。
「どうして」
「君の性格上、この道を通るだろう事は予想が付いたからね。言ったところで聞くような性格じゃないだろうから」
彼女は笑いながら続ける。
「此処はね、雨が来たら崩れそうな道だったのさ。解っては居たし、君以外はほとんど通らないから良いかと思ったんだけどねぇ。参拝客は此方の道は通らないし」
違う、それが聞きたいんじゃない、そんなものを聞いた所でどうしようもない。
首を横に振って息を吐いてから、更にもう一つ付け加えたように少女は口を開く。
「何よりも君は回り道は嫌いでしょ? 読めたんだよ」
くすくすと笑いながら彼女は訪ねる。
「ほら、神様だって言ったよね? これで信じてくれたかな」
「何故」
言葉にしたのはそれだった。
まだ疑問があるのか、という様子で彼女が首を傾げる。
――刹那、俺の中で限界になっていた感情が、爆発した。
「何故そのまま死なせてくれなかったんだよ!?」
死なせてくれれば、少なくとも悩む事など何も無かったのだ。
此処で死んでいた方がきっと幸せだったのだ。
目の前の間の抜けたような帽子を睨めば、彼女は眉を顰めた。
「馬鹿な事を言うねえ君も」
嘆息した彼女は、とっ、と俺の目の前に降り立つ。
ぱしん、と頬を引っ叩かれたのに気付いた。
頬に感じるじんじんとした熱さが痛みに変わるが、それも些細な事だった。
それ以上の変化が目の前にあったのだから。
「甘えるな」
俺の肩に手を置いた諏訪子の声は震えていた。
目の前の少女のものとしては低く、いくつもの絶望に直面しすり切れた女性の声だった。
掠れ果てたそれに、背筋がぞくりと震える。
目の前の存在が、何なのかというのが途端に解らなくなってくる。
「私は、無為に命を捨てる存在を認めない。捧げるでもなく、生きたいと思うでもなく、ただ命を使い果たして消えるだけの命を」
雨が降り注ぐ。
降り注いだ雨は、俺も彼女も隔てなく濡らしていった。
「命は巡るもの。例え死したとしても血肉となり、魂は輪廻する」
その口調は凄絶なもので、言葉を口にすることが出来ない。
「その命を君に否定する事はさせない。……死ぬまで、生きろ。生きなさい。生きて、生き続けて、その上で、命を使い果たすんだよ……!」
痛い程に彼女は手に力を込める。
「っ……」
ぎり、と歯を噛みしめた。
眼に熱いものが溜まるような気がしたが、雨のせいでもう解らなくなってしまっている。
絶望したかのように、降り注ぐ雨は強くなっていった。
「一人で、生きて生き続けろって言うのかよ、お前はっ!」
「一人で、なんて言ってないよ」
彼女はに、と笑った。
「君に教えてあげようか」
言うが早いが、そっと顔をこちらに寄せてくる彼女。
唇が触れ合うと、暖かな柔らかさが伝わってくる。
「……ん、っ」
驚愕している内心と、彼女の口づけを受け入れてる自身との差に微かな戸惑いを覚える。
けれど、彼女が寄せてきた身体は暖かかった。
身体を抱き留めるようにしてやれば、濡れた服が張り付いた身体を彼女は此方に寄せてくる。
何かを求めていた事に気付かされた。
その何かは表現出来なかったけど、この暖かさは、求めていたそれのきっと一つなのだろう。
唇がそっと離れる。
眼からこみあげるそれが、止まる所を知らなかった。
嬉しいからでは無く、かといって悲しいからではなく、ただ涙を流す。
「無理はしない方が良いよ」
「うぁあ、うあああああああああああああああっ」
情けない男だと思うのだろうか。
「っ、あぐ、うぁぁっ、う、っ、ああああっ、うああああああっ!!!」
泥に膝をついて、目の前の少女にすがりつくようにして情けなく涙を流していた。
「……よし、よし」
その少女は、笑いながら俺の頭を包むようにかき抱く。
気が済むまで、彼女はずっとそうしてくれていた――。
かっかっかっかっかっ、と小刻みに響く音色。
枝を落とし、丸太にして運べる状態にする。
やれ、あれだけ雨に打たれたのに風邪を引かなかったのは偶然としか思えない。
あるいは神様の思し召しか。
最後の枝を落とせば、ざっ、と言う足音が聞こえてきた。
「や、精が出るね。風邪も引かなかったみたいで何より」
「……また来たのか」
一つ溜息を付いて、立ち上がる。
ちょうど時間は昼飯時。
「いや、ね? きちんと仕事してるかを見たくてね」
「見ての通りだ」
嘆息して立ち上がると、諏訪子が此方に歩いてくるのが見える。
「弁当。食うか?」
初めて二人分作った自前の弁当。
ただの握り飯だけれど、それだけできっと良い。
「うんっ!」
諏訪子が綻ばせた笑顔を見て、その確信を強く持った日の事だった。
地母に祈りを 2(うpろだ0014)
「起きろ、起きろ、けーろけろ。起きなきゃ顔に水飛ぶぞー」
珍妙な歌が耳に響き意識を覚醒させれば、あまり見たくない顔があまり見たくないような行動をとりながらこちらの顔を覗き込んでいるのに気付いた。
何せ朝から、部屋の中であるにも関わらず目玉のついた変な帽子を被っている少女が水が汲まれた桶を抱えて居るのだ。
「起きた? 起きたね、おはようさん。顔洗っておいで?」
「……どうしてここに入り込んできた、朝から」
軽くくらりとする己の額を押さえつつ問えば、彼女はこう言ったのだ。
「朝起きたら『おはようございます』でしょう? このくらい妖怪ですら言えるのに君と言ったらねぇ」
やれやれと肩を竦める彼女の様子に悪びれたものはない。
「おはよう諏訪子。とっとと出てけ」
俺は、親指で家の外を指し示したのだった。
――刹那、桶の中の水が俺の顔に炸裂した。
「全く酷いものだね、仮にも神様に向かった出てけって」
「一日の始まりからヒト様の顔面に水をぶちまける輩を神様とは言わねえよ」
「顔を洗う手伝いだよ、大丈夫大丈夫。良かったねぇー、神様が顔を洗うのを手伝ってあげるなんて光栄の極みだよ?」
「そう言うこたぁ布団を見てから言え」
水でぐちゃぐちゃになった布団を見てため息を吐いた。
激昂しなかったのは恩義があったからに他ならないが、この悪びれた様子の全く無いのはどうしてくれようか。
今日は小雨が降る悪天候。
越すに越されぬ田原坂――と言う訳ではないが、布団を干すに干せないような状態である。
いっそ、今日は諦めて山の中の避難場所で寝るのもありなのかもしれない。
「ごめんごめん。あまり不機嫌にならないでおくれよ。代わりにウチに来て休めば良いからさ」
「ウチってお前」
しれ、と諏訪子は言うのだが、そう簡単に他人の家にご厄介になる訳にも行くまい。
それにこの自称神様の餓鬼の言う事である。
現地に行ってから騙された、と言う冗談みたいな事態は避けたい所だ。
「山ん中で休めば良いだろうに」
どうせ己は山に入って樹を切る人間であるため、しれ、と返せば諏訪子は肩を竦める。
「この時期、天狗から山への立ち入りは止めろと言われてないかい?」
そう言えば、先日たまに見かける白狼天狗から言われていたのだ。
『この月は山への立ち入りを禁じます。月が終わりましたら戻っていただいて構いません。後、今月伐れない分の代金も前以て支払います』
月初にそう言われて、ほぼ一ヶ月分の樹の卸値を含めた金子を受け取っているもので特にやることがない。
知人の畑を手伝ったり人里の先生の手伝いくらいはしたが概ね暇なので、何処からか自宅を聞きつけた諏訪子に遊ばれたり、里の外れに済んでる得体のしれない輩と酒を酌み交わしたりなどしていたのだ。
「ああ、そう言えば」
「忘れてたでしょう。奴ら、そう言う盟約には厳しいよ」
諏訪子が呆れたようにやれやれと首を横に振る。
「だからウチに泊まりに来れば良いよ。幸い君の寝床くらいの余裕はあるからさ。あそこは山だけれど治外法権だからね」
に、と笑みを浮かべるのだがその前に布団くらい近隣で借りれば良いのではないか、と思わないではない。
「ってか何で俺を呼びたがるお前」
「本当に不遜だねぇ人間。構わないけどさ。たまには神様らしいところを見せてあげようって思っただけだよ」
「そもそも神様は人の布団を使えない状態にしねえよ」
「理不尽さも何もかも、全てひっくるめての神様なのさ」
悪気がないのは百も承知だがあまりに食えなさすぎる。
と言うか少しは反省しろ。
「……仕方ねえなぁ」
身体を起こし、立ち上がれば諏訪子もそれに続いた。
「よし、決まりだね? じゃあ行こうか。君とペースを合わせたら昼過ぎくらいまで掛かるからね」
そして俺は、彼女の家に――後で知ったのだが、守矢神社と言う山の上の社に赴く事となったのだ。
「っ、遠っ、まだかよ……」
「あははっ、樵って割には鍛えてないねぇ」
早速の後悔である。
普段通っている山の道筋より傾斜は緩いが、とかく長い。
山の上の神社の話は聞いた事があるが、話をする人間片っ端から行ったことが無いと言った理由がよく解った。
この道は面倒だし、山の巫女は空を飛んで帰るものだから後を追えないのだろう。
ああいや、一人だけ行った事があると言った変わり者が居たな、そう言えば――。
「まあ、こっちの道は遠い道だからね」
「先に近道教えろよ!」
しれっと言った事に対して反射的に怒鳴り返せば、諏訪子はまた肩を竦める。
「天狗が立ち入り禁止にしてるのさ。山に立ち入るなって言った理由だよ」
そう言いながら諏訪子はひょいひょいと岩を跳ね上がっていく。
まるで蛙が飛び跳ねるような勢いで行くものだから、着いてくのも大変だ。
「後はここの石段を越えるだけさね。頑張れ若人、期待してるよ若人」
「くっそガキっ……!」
岩にかじり付くようにしながら登れば、目の前にそびえ立つ数えるのも阿呆になるような石段。
「ほら。手貸して?」
諏訪子が小さな手を差し出してくる。
「……ああ」
その手を掴み、石の上に立てば諏訪子は手を握ったまま向かうように足を進める。
子供に手を引かれるようで癪だが、足も殆ど動かないのだから仕方あるまい。
事実、時間はかなり掛かり、昼過ぎどころか日も傾き始めてきた。
幸いにして干飯だけは持っていたから昼食は諏訪子と簡易に済ませたが、何せ腹が減るのは変わらない。
干飯も二食分減っているから今度作らんとならんなぁ、と思いながら諏訪子の手を引いて石段へと向かえば、彼女は不思議そうな顔をする。
「……あまり厭じゃなさそうだねこの石段」
「ここまでが地獄で大した段にならねぇし、それ以上に引き返すのが嫌だ」
肩を竦めれば、諏訪子は微かに笑みを浮かべたのだ。
「ま、ご尤もだね。諦めが悪いのは大切だよ。じゃあ、行こうか」
「帰るのを諦めたってんだよ今日!」
阿呆なやりとりをしながら、荒い息で石段の上を昇り終えると、鳥居の先に社が見える。
なるほど、見れば解る通りの神社だ。
立派なものだな、と印象を覚えながら周囲を見回し、境内が綺麗に掃除されているのを見直す。
そして境内で箒を掃いている少女の姿が見えると、彼女は此方に気付いたかのように大きく一礼した。
「お帰りなさい、諏訪子さま!」
「ただいま早苗。良い子にしてたかい?」
自分より大きな少女をまるで子供のように扱う諏訪子の様子と、それを慕うような早苗と呼ばれた少女の様子はもうずいぶんと年季の入ったものに見えた。
そして、不意に二人が此方を見やる。
「この方は?」
戸惑い気味に巫女服だかよく解らない白青の服を着た少女が問えば。
「仕事の無くなった樵。暇だったみたいだから連れて来たのさ」
諏訪子はしれっとそんなことを言って肩を竦めた。
「ちょっと待て」
このガキ今しれっと大事な事を言わずに流したぞ。
「何だい、小さい事をまだ気にしているのかい?」
「せめて俺の布団水浸しにした事を言えよ」
「些事じゃないかい、そう言う事はさ」
暖簾に腕押し糠に釘、受け流すだけで取り合う気すら見せない諏訪子は本当に食えない。
少しも悪びれた様子が見られないから非常に困るのだ。
すると今のやりとりで何を想像したか、早苗と呼ばれた少女は口元を押さえながら妙な事を言ったのだ。
「あの。……もしかして、諏訪子様の、イイ人」
「いやぁ、甲斐性無いよコレも」
諏訪子がざっくりそれをぶった斬る。
挙げ句に責任は此方に転嫁する非道っぷりであった。
「ですよねぇ」
人の顔をまじまじと見ながら青白はぬけぬけとそんなことを言いやがる。
「おいコラ」
「あ。そう言えばご挨拶を。私は東風谷早苗と言います。守矢神社へようこそ」
調子を狂わされっぱなしでこの間の抜けた挨拶も正直好きではない。
簡単に名を名乗り挨拶しておいてから息を吐けば、諏訪子がにやにやと笑みを浮かべたのだ。
「鼻の下伸びてるよ? 全く、君も男の子だねぇ」
「変な事考えないで下さいよ!」
「伸びてねぇし考えてねぇよ!」
自称神様の突拍子もない発言に些か過剰反応気味の答えを返す早苗。
それに対して答えを返す自分の口調もまた過剰反応気味であった。
何故布団を借りる羽目になった挙げ句に弄られなければならないのか、非常に納得が行かなかった。
「はははっ、そりゃあ災難だったわね。諏訪子、少しは自重しな?」
「そんなに酷い事した覚えはないんだけれどねぇ」
その場にいたもう一人の神様、八坂神奈子と言ったか――が、呆れたように諏訪子に視線をやれば、諏訪子は諏訪子で唇を尖らせる。
座布団に座り込み、机を囲んで茶を出されるが飲む気になれなかった。
大体誰のせいでこんな場所まで登る羽目になったと思っていやがる。
「まあ、気にはしないわよ。別に居候の一人二人増えるくらいならこの社も余裕があるからね」
「実際此処に居ましたからねぇ。もう里に出てしまいましたが」
早苗が思い出すように唇に指を当てれば、諏訪子がにやり、と笑みを浮かべてこちらを見た。
「ほら見ただろう。君が此処にいて貰う事に、私らの中で嫌がるのは居ないのさ」
「こっちの意志ちったぁ考えてもらえやしませんかね神サマ。ついでに何時までも世話になる気はねーよ」
「お、神様だって認めたね? おーおー、さっきまで鬱陶しいガキ扱いだったのにさ」
「皮肉を皮肉と知れよテメェ!」
全くもって、暖簾に腕押しである。
話を聞きやがらないわ、言ってもしれっと流されるわ。
「何だか懐かしいわね。諏訪子?」
八坂の神と名乗った彼女が視線をやれば、諏訪子が不意に視線を上げる。
「……うん、まあ、ね」
何処か憂いの帯びた表情。
普段の表情からは想像もできない程、その様子は大人びていて。
一瞬だけ、本当に一瞬だけ見惚れた自分に気付かされる。
「諏訪――」
「さ、ご飯作らないとですね。手伝って下さいますか?」
早苗が立ち上がると、なぜか俺の方を見やる。
「あ? 何で俺」
「尊敬する神様方にお願いする訳には行かないじゃないですか」
にこり、と彼女は笑い、俺の首元を引きずるようにして台所と思しき場所へと向かっていく。
正直痛い、と言うか痛いどころの騒ぎではない。この女化け物か。それとも妖怪か。
「おいコラ放せつってんだろ!?」
ともかく、初対面にも関わらずロクでもない扱いだった。
台所の大きさは人数人が入れそうな大きさのものだった。やはり三人では広いだろうし、これを一人で動き回るとなるとそれ相応に疲れそうなものである。
だが、自分にとってはそんなことはどうでも良い。いい加減こっちも何も説明もされずに、容赦なく引きずり込まれてこのザマは何だと不平不満の一つも言いたくなる。
「……テメェな」
手はもう離されていた。強引ながらも引きずり出されてはついて行くしかない。
本来ならこれだけ広ければ男子立ち入るべからずの台所のはずだが、どうも構いすらないらしい。
「……すみません。無理言って」
早苗が振り返り、一度深く頭を下げる。
本当に申し訳のなさそうな様子だったが、なぜ彼女がこんな表情を浮かべているのか解らない。
「ったく、何だってんだよ一体。俺ァこんな所まで来て飯作る羽目になるたぁ思わなかったんだがな」
睨むと、早苗は顔を上げてこちらの瞳をじ、と見た。
何処か不安に感じるような様子を見せている事に、やはり違和感を抱く。
何を、考えている?
「……あの、諏訪子様をお願いしたくて、その」
早苗がどう表現したらいいのか解らない、と言った様子で口を開く。
「お願いって何の事だ。大体だな、俺にゃガキに付き纏われる甲斐性もねぇよ」
かなり我ながら粗暴な口調になっているのを自覚する。
だが、早苗の目は真摯な様子で――。
「違います。別に、あなたに何かをして欲しいんじゃない」
きっぱりと言い切って、言葉を続けた。
「諏訪子様を、お願いします」
「だから解んねぇって言ってんだろうが……」
己の頭をぼりぼりと掻いて、続ける。
「大体だな、何で俺なんだ。諏訪子が絡んだのも解らねぇけど、そいつは当人に聞きゃ良いしお前が知ってるとも思ってない。けれどな、何でそいつはお前等じゃ駄目なんだよ」
この守矢神社と言う場所の面々は、どうも言葉が不足している。
それは、掛ける言葉が不足していると言うよりも何処か互いに線を引いているような、そんな印象を受けるのだ。
「……解りません。解らないんですけれど、私じゃ駄目なような気がして、不安で、仕方なくて」
彼女は視線を迷わせながら、どう口にしたらいいのだろうかと思い悩むような様子も見せている。
自分自身が納得するかしないか、なのだろうか、結局のところ。
「……あーもう。良く解らん。解らねぇけど」
自分は面倒臭いことは考えるのが嫌いだ。
「とりあえず、解った。諏訪子には一応救われた義理もある」
そう――少し前の事になるが、地崩れに襲われかけた。
自暴自棄で、いっそそのまま死んでしまっても良いと思った所で彼女に救われた。
ただ、それだけの関係だ。
だからこそ、義理だけは果たさないと自分の中で納得できない。
「良かった」
花の咲くような笑みを浮かべた早苗が、ぽん、と手を叩く。
「じゃあ、晩ご飯作るの手伝って下さいますよね」
「おいコラお前今までの内容と何の脈絡もねーだろうがそれ」
諏訪子も大概だったのだが、こ、コイツも食えねぇ……。
内心呟いて、やる気のない返事を上げて作業を手伝い始める。
……ちっくしょう。
「いやー、美味しかった美味しかった。どうだい、うちに来て早苗の婿にでもなるのは」
諏訪子がケラケラと笑いながら酒を煽る。
目の前には空になった食器ばかりで、あらかたこの神様どもは食い尽くした。
「嫌ですよ、こんな甲斐性無しは。私だって人を選ぶ権利くらいあります!」
「テメェも大概他人の扱い酷ェなこのクソアマ!?」
料理を真面目に手伝ったら甲斐性無し扱いである。
たらい回しにも程があるんではないか流石に。
「まあでも、諏訪子も早苗も最近何かつっかえていたところがあったみたいだから良かったわよ。私からも礼を言わせて頂戴」
と、神奈子が視線をこちらにやり笑みを浮かべる。
「お、なんだい、神奈子がちょっかい掛けるのかい? 良いねぇ、青春だねぇー、何千年ぶりだいその初恋?」
けらけらと諏訪子が笑い続ける。
完全に出来上がってやがるこのガキ。
「ちょっと諏訪子表出ようか」
「嫌ーなこった嫌なこったー♪ 蛙はゲロゲロみぴょこぴょこー♪」
ついでに神奈子の額に青筋が浮かんだ。
何千年って言う様子には見えやしないが、諏訪子は諏訪子でそれだけ生きているのだろうか。
言葉を聞く限りではそう聞こえるが、当人たち流の冗談だと思えばたいした事ではないように思える。
「まぁまぁ、神奈子さまも落ち着いて下さいな。お泊まりになるならお風呂に入ってしまって下さい。お疲れでしょうし」
「お前等へのツッコミでな」
早苗が不意に視線を逸らす。
何なのコイツ等、何なのコイツ等。
ただまぁ、滅多に入れない風呂ならそれはそれで浴びる価値があるやもしれない。
「……ま、別に言っても仕方ねぇか。本当に先に入っちまってもいいんだな」
「ええ。私は構いませんよ?」
「別に気にしてもねぇ、そんなの」
「そうそう、お言葉に甘えとくもんだよ客人」
守矢三柱が、各の意見を述べた所で自分は頷く。確認さえしておけば、たいした問題はない。
「……うお、広」
脱衣所で服を脱ぎ、湯気の中に入って見回せば、二人以上が十分に体を伸ばせそうな湯船に源泉が掛け流されている。
湯屋よりは小さいが、芋で芋を洗うような事になりかねない場所と比べてこの場所を三人でしか使っていないとか最早里の女子連中に怒鳴り込まれても仕方ないと思う。
縁へ向かい、湯を掬えば微かに熱く、けれど心地よい暖かさが体を焼く。
湯気を思い切り吸い込み吐き出せば、肺腑に温泉の香りが広がる。
「すげぇなぁ、これは」
あまり他人に言う事はないが、湯に浸かるのはかなり好きだったりする。
芋洗いも良いところの湯屋であったとしても、十分にその目的は果たされる。
湯を掬い、体にかければ汗が洗い流されて行く。
少し熱く、けれど疲れた体の重さを全て濯いで行くかのような感覚に身を任せ、汗も汚れも拭い去るかのように二度三度と体を洗う。
そして、足を湯の水面に入れて呟く。
「うぁー……沁みるなこれは」
些か年寄り臭い言葉な気はするが、本当に体に沁みていくようなものだから仕方がない。
これを何も言わずに入れるような鈍感な輩は居るのだろうか。
「あー……」
天井を仰ぎ目を緩く閉じる。
色々な事があった、と振り返りながら思うが、それでも解らない事が多い。
早苗も、諏訪子も。
神奈子はまぁ話をしても表裏があまり無いのだが――。
思考にふけりながら暫し過ごすこと、五分くらいだろうか。
がらり、と戸が合く音が響き、身体が硬直する。
ここに入り込むのなど、あの三名以外に居る訳もない。
「湯加減はどうだい、熱くないかい?」
諏訪子の声が反響して風呂場の中に良く響き渡る。
が、自分自身はそれに構っている暇は無い、って言うか悠長にしていられない。
「おまっ、何だよ!?」
立ち上がり掛けるが、次の言葉を聞いて身体が完全に凍り付く。
湯の中であるにも関わらず、だ。
「何、汗を流すついでにご一緒させて貰おうかと思ってさ」
微かな衣擦れの音。
「おい待てコラ!?」
「やー、待つと私も流石に寒いのさ、寒さに弱い蛙だからね。まぁ、そこまで気張らずに浸かってなよ」
反射的に飛び出したら、丁度服を脱いだ所の諏訪子と遭遇する事になる、それは拙い。
かと言って逃げなければ、この湯煙の中に風呂に入る姿の諏訪子が飛び込んでくる、それも宜しくない。
「待て、入って来るなって」
抑止の声を上げるも、聞き入れられる見込みがない。
「別に見たところで減るもんじゃないだろう? 私はあまりプロポーション良くないから見る所無いけれどさ」
「お前そう言う問題じゃねぇだろそれは!?」
「男の癖に度胸が無いねぇ、本当に」
金色の髪が湯煙の先に覗いた瞬間、反射的に天井を見上げ、天井の木目を見上げる。
一、二、三、四ーー。
ぴしゃん、と戸が閉められる。
「何見上げてるんだい?」
自分の前方向から声を掛けられるが、その方は見ない、見ないと決めている、見るつもりは絶対に無い。
「すぐ出てく、出てくからちょっと離れてろお前!」
「案外うぶなんだねぇ、君は……」
心底呆れた、とでも言うような諏訪子の声が帰ってきて。
どぽんっ、と湯に何かが飛び込んだかのような鈍い音が響いた。
「お前体を洗ってから――」
反射的に、つい反射的にその方を見やり、一瞬だけ見えた全身の白い肌の色にまた必死で自分は上を見上げ、何も見ないように努める。
「……入れってんだろう」
確かにあまり恵まれた体ではなかった。
冷静なところで自分の思考はそう理解するが、それとこれとは話が違う。
それとこれとは全く話が違っている、別に感情を抱かないのではなくて。
「大丈夫大丈夫。別に汚れはしないし私もこれは専門さ」
言葉だけのやりとり、諏訪子の表情は見えないし今は見ないように努力するしかない。
そもそもこれとは何の事か自分には全く検討が付かない。
「ふぃいー、いい湯だねぇ。私に感謝するんだよ?」
「何でまたお前に」
「ほら。そりゃ私がここの神様だからさ」
彼女の答えは答えになっていない。
「どーゆーこった」
「間接的にゃ私達が原因してるからねこれは」
変わらない、答えになっていないということは。
けれど、疑問と言えば良いか、不思議と思える事が頭に浮かぶ。
彼女は、何故。
「……何故、俺にここまでする?」
正直、十分以上の厚待遇だとは思っている、思っているが。
彼女達の遊びも鬱陶しいが嫌がる程のものではない。
ならば、余計に、何故。
「理由かい? 君は、神様に愛されているからね」
諏訪子のころころとした笑い声が聞こえる――とともに、息が熱くなっているのを自分の中に感じる。
神様に、愛されている……?
「別に私が、と言うだけのお話じゃあないさ。選ばれていると言う訳でもない」
「じゃあ、何で」
「君の生き方のためだよ。君の生き方は、神様に愛される生き方なんだ」 その言葉を聞きながら思考を巡らせようとする。
けれど、考える余裕は自分にはなかった。
体が熱い。
ぐにゃり、と視界が歪み、身体がぐらりと揺れた。
「おおい」
揺れた世界に、見えたのは金色の髪の少女の心配そうな表情。
肌の色がほの赤く染まっているのは、きっと彼女の身体も温まっているからに違いない。
「大丈夫、かい」
その声を最後に、意識が。
「――」
暗転する――。
『――私は』
誰の声だろうか、耳に聞こえる声は何処か優しくて、何処か悲しそうで。
『もう、何も出来ない。出来なく、なってしまう』
告白、それはか細い悲鳴のようにも聞こえた。
『せめて、せめて最後に――』
ぼう――と浮かぶ姿、稲穂のような金色の髪を長く伸ばした女性。
傍らに微笑む青年、あれは――。
『幸せだった、記憶を抱いて――』
世界を、闇が覆い隠す。
「……ぁ……」
視界が明るくなって行くと、視界の端に光源が見えた。
あの明かりは、蝋燭の明かりか、目の前の人物の横顔を橙色に照らしている。
金色の髪、肩より少し長くて、普段の髪飾りや帽子が無い姿。格子に見える服の模様は、浴衣だろうか。
それにしても逆向きに見えるのは何故だろう。
頭には軽い鈍痛が響いて止まない、水が足りなくなったせいなのだろうか。
「あ、目を覚ましたみたいだね」
諏訪子は目を瞬かせて、ぽんぽん、と自分の頭に手を置く。
「ここ、は」
「湯当たりしてたんだよ、君は」
その時不意に気付いた、自分がどんな状態であるかという事に。
諏訪子に膝枕されているのだ。
柔らかい膝の感触、服装からすると諏訪子も浴衣だろう。
麻布一枚越しにすら感じられる滑らかな肌の暖かさを、もう少しだけ味わいたいと一瞬だけ血迷いかける。
「……すまん、迷惑かけたってか迷惑かけられた」
「いや、私もちょっと早苗に絞られたよ、ごめん」
ぺろり、と舌を出す諏訪子にあまり反省した様子は見られない。
暖簾に腕押しとはこの事だろう。
「起きれるかい?」
「ああ」
少しだけ鈍痛が酷くなるが、何時までもこうしている訳にもいかない。
「水、置いといてあげたよ。ゆっくりお飲み」
体を起こし、くい、と煽れば諏訪子から飛んでくる呆れた声。
「足りない?」
「いや」
ふぅ、と干してから一つ息を吐く。
どうも自分は布団の上に寝かされて居たらしいが、此処は諏訪子の部屋だろうか。
「って、ああ。すまない、客間って何処だ?」
「ん? 此処さ此処」
聞けば、諏訪子は自分の座っている布団を指さす。
悠々と布団に転がっているようだからてっきり諏訪子の部屋なのかとも勘違いしたが、どうも違うらしい。
「……ああなるほど、じゃあ、俺はもう寝るから」
「そう、じゃあ火を消そうか」
これでやっと落ち着ける、そう思って一つ息を吐いたところで不意に明かりが消えた。
「おい」
「ん? どうしたんだい」
そして、ぼすん、と何かが布団に転がる音、どう考えても一人しかいない。
「諏訪子。お前、此処で寝る気か」
「いやほら、一人で寝るのも寂しいだろうしねぇ」
声に半分くらい怒気を込めてやるが、見事なまでの柳に風。
「……お前なぁ」
「別に私が傍らで寝ていても、何とも思わないだろう?」
深い溜息、とはいえ今から別の部屋を貸せと言うのも億劫だし失礼だ。
薄ら差し込む月明かりに照らされて見える、布団へと足を進める。
諏訪子はちゃっかり毛布を被って頭だけ出していやがった。
堂々としているにも程がある。
「それにほら。二人の方が暖かいからね」
「そう言う問題じゃねぇよ……」
身体が疲労を訴える、頭が微かにくらくらと揺れる。
目が霞みかけているのも、行程に身体がくたくたになった証拠だ。
「……で」
身体を布団に横たえながら、薄れ掛けている思考回路で問うてやる。
寝ていた訳ではないから、疲労だけは身体にずっしりとのしかかってきているのだ。
身体が触れない程度に同じ布団に横になる、諏訪子との距離。
けれど、何処か暖かいのはきっと気のせいではないだろう。
「ありゃどういう意味だ、お前」
「何がさ」
身体を横たえている諏訪子の瞳は、何処かとても優しいもののように見えて。
黒に近い程に深緑の瞳は、自分を捉えて離さない。
それは、捉えていると言うよりも、何処か抱きしめられているようにも思えて少しこそばゆい。
「……いや、良い」
それが少しだけ心地よくて、言葉を続けるのを止めた。
今聞かずとも良いし、別に焦って話すものでもない。
だから自分は、ゆっくりと、ゆっくりと目を閉じていく。
「もう少し暖かくなりたいんだ。そっちへ寄っても良いかい」
「……ああ」
思考も言葉も、溶けていく。
同時に身体を何者かに――おそらくは諏訪子に抱かれて、胸に包まれたようにも覚えて。
これは、何時の事だろうか、とうに亡い母に抱かれて、眠りについていた子供のころだっただろうか。
思い出すことは出来ないし、息を吐いている認識も消えてしまう。
すべてが失われていく暗闇の中へ、自分は埋没していくのだ。
――けれど、どこかその暗闇を暖かく感じた気がしたのは、きっと気のせいだっただろうか。
避難所>>28
諏訪子「○○~おんぶして!」
○○「いいよ」
ピョンッ
諏訪子「○○の背中おっきい…」
○○「諏訪子ちゃんって神様なのにこういうとこ子供っぽいよね」
諏訪子「あーうー…神様を背負うんだよ?光栄に思え~」
○○「はいはい」
避難所>>900
幾千の矢にて射たるを以て 屠れりと嗤うなかれ
果て知らぬ愛の内には 死すらも死する定めなれば
諏訪子「ど?」
○○「いやパクったでしょう。宇宙由来の邪神さん辺りから」
諏訪子「とーんでもねぇ、あたしゃナ○ノ県由来の土着神様だぁよ」
諏訪子「……そいで、○○は私の大事な伴侶」
ぎゅ
○○「…………ええ」
諏訪子「ずっと一緒だよ」
○○「ええ」
早苗「そろそろお夕飯ですが――」
神奈子「もうちょっとそっとしといてやるか」
最終更新:2024年08月25日 23:02