星1



新ろだ783



「……無い」

ここは命蓮寺。最近幻想郷に現れたお寺である。

「確かに持っていたはずなのに……」

自室で青ざめる彼女の名は寅丸星。妖怪の身でありながら、毘沙門天の代理として人々の信仰を一身に受ける非常に優秀な人。いや妖怪。

しかし今、彼女の表情は狼狽一色。

「これがあの人にバレたら…うう」

そう、彼女はうっかりさんだったのだ。



「呼んだかい、ご主人」

銀髪の少女が襖を開ける。

「待っていましたよ、ナズーリン

「で、何を失くしたんだい?」

その言葉に星の顔が強張る。

「ま、まだ何も話していないのに失せ物と決め付けるのは、失礼ではありませんか?」

「おや、違ったのか。すまないご主人、私の早とちりだったようだ」

なら何用か、と問うナズーリンに、星はその…だのなんと言えば…だの言いあぐねている。

返答を促そうとした所でようやく口を開いた。

「この間、ですね。彼に…」

“彼”と言う単語から、ナズーリンは一人の男性の顔を思い浮かべた。

よく寺を訪れる青年で、名を○○という。

人外の存在であるぬえ達と仲良くする彼を寺の主である聖白蓮がいたく気に入り、時々食事に招待していた。

ナズーリン自身もいい友人と思っていたが、

「○○がどうかしたのかい?」

「それがですね…うう」

言いながら顔を赤く染める星。

「き、求愛されたんです」

顔には出さなかったが、内心ナズーリンは驚いていた。

色恋沙汰には疎そうに見えて、なかなかどうして男らしくもあるようだ。

「あ、もちろんお受けしたんですけどね」

一層赤くなる星。惚気たかっただけなのか、という言葉を飲み込んでナズーリンは話の続きを待った。

「それでですね、想いが通じ合った証と言いますか。二人の絆の証として、その、指輪を戴いたんです」

いやな予感がした。さすがにそれは無いだろうと否定しようとしたナズーリンだったが、前科があるだけに否定しきれない。

「すごく嬉しかったんです。嬉しくて、肌身離さず持っていたんです」

「失くしたのかい?」

「だ、だから失くしたなんて一言m」

「失くしたんだろう?」

沈黙。

「……はい」

ナズーリンがはぁ~っと大きなため息を一つ。眉間に手を当てつつ、

「何でそんな大事な物を……。そもそも身に付けてはいなかったのかい?」

「いや、なんと言うかもったいなくて……」

他は十二分に優秀なのに、何故こういう所だけ抜けているんだろうか。

考えていても仕方が無いので、その場から立ち上がるナズーリン。

「ナズーリン?」

星が涙目で見つめる。なんとも保護欲をそそる顔である。

「探してくるから。特徴を教えて欲しい」

「いいのですか!?」

「上司をサポートするのが部下の務めだからね」

ため息混じりの笑顔で答えるナズーリン。理由はどうあれ、頼られるのは悪い気はしない。

「ありがとうございます!それとこの事は…」

「彼や他の皆には内密に、だね。了解した」


「捜符『レアメタルディテクター』」

命蓮寺の屋根の上。愛用のペンデュラムを構え、スペルカードの名を呼ぶ。

それと同時に、空色の水晶が探し物のある方角を指し示した。

「これは…人里の方か」

方向を確認すると、上司の面目を保つべくナズーリンは空を舞った。


「……うん、聞いた特徴とも一致している。これだね」

人里を少し外れた小路。目的物を確保したナズーリンはほう、と一息ついた。

茶でも飲んでいこうかと考えたが、早めに持ち帰って上司を安心させてやろうと考え直し、踵を返す。と、

「おお、誰かと思えば寺の鼠じゃないか」

聞き覚えのある声にナズーリンが振り返ると、一番今回の件を知られてはいけないであろう存在、○○がそこに居た。

「やあ○○、こんな所で会うなんて奇遇だね」

「ちょっと野暮用でな。そっちは何か探し物か?」

「そんなところさ。もう見つかったがね」

後ろ手に指輪を隠し、なんでもないように答えるナズーリン。こういった所は、良くも悪くも実直な星よりも上手のようだ。

「ここで会ったのも何かの縁。そこで茶でも飲んでいかないか?」

「せっかくのお誘いだが、これでなかなか忙しくてね。すまないが遠慮させてもらうよ」

そう言って○○の前から去ろうとしたナズーリンだが、道に転がる小石に蹴躓きバランスを崩してしまう。

何とか体勢を立て直そうと動かした手から零れ落ちる指輪。

「おっと、大丈夫か?意外とそそっかしいんだな」

転ばずには済んだが時既に遅し。転がり落ちた指輪を○○が拾い上げてしまった。

「探し物ってのはこれか?綺麗な指輪じゃないk……」

珍しそうに指輪を眺める○○の声が唐突に途切れた。

「ナズーリン」

声の抑揚二割減。

「たった今命蓮寺に用が出来た。一緒に行こう」

「……ああ」

心の中で上司に詫びるナズーリンであった。


襖が開く音がした。

「……戻ったよ、ご主人」

「ナズーリン!見つかりま…し…」

「よう毘沙門天様」

ナズーリンと共に現れた○○を見て、一瞬安堵と喜びに緩んだ星の顔が凍りつく。

彼の手には件の指輪が。最悪の状況に、星の頭の中は真っ白になっていた。

「ナズーリン、ちょっと外してもらえるか」

○○の言葉に無言で部屋を後にするナズーリン。

二人だけになったのを確認すると、○○は星の前で腰を降ろす。

「怒って……ますか?」

「怒っていないと言ったら嘘になるな」

せっかくプレゼントしたんだもん、と○○。

沈黙が二人を包む。星は俯いて何も言えず、○○はそんな星の言葉を待っている。

どれだけ時間が経っただろう。

水が布を打つ音がかすかに聞こえた。

「……ぐす…ごめ…なさい…」

「大事な物って想ってくれてるんだな」

「当たり前……ですよ…ううっ」

それだけ聞くと、○○は無言で星を抱きしめた。

「○…○?」

「それなら…いいんだ」

虎縞の髪を撫でながら、

「出来ればこれからは持ってるだけじゃなくて、ちゃんと指にはめてくれないか?

指輪だしさ」

「……はい」

優しく抱き返す星の顔は、涙で濡れてはいるが、笑顔だった。


「そういえば、さ」

茶を啜りながら、○○がポツリと呟いた。

「どうしたんですか?」

「初めて会った時もなくし物してたよな、星は」

星の手が止まる。

「俺が拾って持っていたのを星が探しに来たんだよな」

「あの頃から変わってないと言いたいんですか?」

それもあるが、としかめっ面の星から目を逸らす。

「そのうっかりがあったから出逢えたんだよな、俺達。寺とか興味なかったもん」

だからさ、と言葉を繋ぎ、

「完璧じゃなくてもいいから、…そのままの星でいてほしい」

「……ばか」










<蛇足>

「それがしとしたことが!」のAAはちょーかわいい。

今回結構難産でした。これは寄り道せずに旅行モノの続きを書けということか。



新ろだ820



「ナズーリン、ちょっといいですか」
「ん、何だい、ご主人?」
 <労働は君を自由にする>と書いた看板を何処に掲げようか悩んでいたナズーリンに、星が声をかける
「実はですね、相談したい事があるんです」
「……相談?」
 もしやまた何か無くしたのかと訝しむナズーリンに、星は慌てたように言葉を続ける
「ち、違いますよ?別に何か無くした訳じゃ無いんですよ!?」
 それでもなお疑問の視線を向けるナズーリンに、星は小さな声で、辺りを見回すようにした
「じ、実は……あるばいと、というものをしようと思って……」
「……パー3は少し難しいと思うよ?」
 それはアルバトロスです


   星さんのチキチキ☆アルバイト大作戦
   エピソードぜろ・星さん思い立つ


「で、なんでまたアルバイトなんて言い出したんだね、ご主人」
 ところ変わってここは命蓮寺の一室、星さんのお部屋
「あ、あのですね。実はこの間、○○にこれを貰ったんです」
 頬をうっすらと染めながら星が胸元を指す。よく見てみれば星の胸元には小さなネックレスが輝いており、小さな縞模様の宝石が自己主張している
「ほぅ、タイガーアイだね」
「そうなんです。○○さんが『星さんによく似合いそうだから』って言ってプレゼントしてくれたんですよ。私はいいですって
言ったんですけど、折角のプレゼントを断る訳にもいかないじゃないですか。それに○○さんが私の為に選んでくれた物なんですから嬉しくない訳がありません。『ずっと付けてくれると嬉しいな』なんて言われた日にはもう四六時中付けていたくなる気持ちも分かりますよね、ええ、分かりますとも。ただでさ○○さんからのプレゼントって言うだけで嬉しくて泣きそうなのに、そんな事を言われてしまったr」
「ははっ、ご主人。それくらいにしないと私のマンドリン(正式名称PPsh41)で頭に空気穴を開けてお喋りを中断させざるを得ないよ」
 うわぁこわい
「で、ですね。私も○○さんにお返しがしたいんです」
「ふむ、良い事じゃないか」
 いつの間にか出されたお茶を口に運びながら、ナズーリンが感心する
「しかし、何もアルバイトをする必要はないんじゃないかい?ご主人の能力を使えば」
「それじゃダメなんです」
 不思議そうなナズーリンとは対照的に、星の顔は至って真剣そのものだ。こと○○に関して言えば星が見せる表情と言ったら、とろけそうな笑顔かノロケ全開の笑顔か砂糖でも吐き出しそうな笑顔しかない。こんな表情は始めてだ。
「○○さんは自分の時間を割いて、お金を貯めて私にプレゼントしてくださったんです。だから私も同じようにしないと……不平等じゃないですか」
「……ご主人らしいな」
 呆れと感嘆の入り交じった溜め息を吐き出すナズーリンの顔は苦笑している。真面目で一本気、少々うっかり者な所はあるが、それはまぁ愛嬌という奴だろう。決して憎めない上司を目にして、ナズーリンはぽんと膝を打った
「よし、分かった。他ならぬご主人の頼み、この私も協力しようじゃないか」
「有り難うございます、ナズーリン!」
 星が感極まったという様子でナズーリンの両手を握り、ナズーリンも満更でもない表情で頷く。何のかんの言いながらも、この二人は堅い信頼で結ばれているのだろう

「で、だ。ご主人、アルバイト先は決めてあるのかい?」
「それが……何分、○○に気付かれないようにするとなると探すのが大変で……」
 無理もない、とナズーリンも思う。○○は今現在、敷地内にある離れに住んでいる。二人とも同じ敷地内で生活している以上、妙な行動は直ぐバレてしまう。サプライズに拘る星としては何とか○○にバレないようにアルバイトをしたいところだ
「他のメンツは妙な干渉はしてこないだろうけど……ふむ、仕方ないな」
「ナズーリン?」
 頭の上に「?」マークを点灯させる星の目の前で、ナズーリンは懐から一冊の手帳を取り出して見せた
「いいかい、ご主人。この手帳には○○の行動パターンが網羅されている」
「な、何ですって……。ナズーリン、何時の間にそんな物を……」
 軽く驚愕の色を浮かべる星に対し、ナズーリンは意味有りげな笑みで答える
「はは……伊達にチェキストのようだとと陰口と叩かれたこの私を舐めて貰っては困るな、ご主人」
「ちぇきすと……?あぁ、あれですね!」
 不思議そうな顔で小首を傾げていた星がぱぁっと笑顔になって両手を打つ。今度はこちらが不思議な顔で首を傾げるナズーリンの目前で、星は何処からかユニオンジャックと虫眼鏡を取り出してきた
「えーと、ちぇきちぇき、っていう奴ですね!」
「はは、分かる人にしか分からないネタだね。ライミー共は嫌いだけど、彼女は結構好きだったよ」
 星は屈託のない笑顔で、ナズーリンは獲物を見つけた督戦隊のような笑顔で笑いあう。しばし笑いあった後にすっと真面目な顔に戻る
「で、だね。この手帳に記された行動パターンに沿って丁度いい日時を見計らってアルバイトに行くのさ」
「な、成る程……」
「それから、アルバイトに行く先は出来れば人里以外がいいね」
「何でですか?」
「そりゃ万が一にも○○に姿を見られない為さ。なに、人手が足りなくて困ってる所は以外と多いから心配しなくても平気だよ、ご主人」
 ほー、と感心しきりの表情で頷く星に、この人はどうやってアルバイトを捜すつもりだったんだろうと思うと少し頭が痛くなる
「よし、じゃあ早速行こうじゃないか、ご主人」
「え!?い、今からですか?」
「勿論だとも。実は既に紅魔館で人手が足りてないと言う情報を得ているからね」
 さも当然といった表情で腕を組むナズーリンに、星はただただ圧倒されるだけだ
「さぁ、いざ行かん。資本主義の走狗とならんが為に!」
「ちょ、ナズーリン!?全然誉められている気がしないんですけど!?」
 誉めてませんからね
 意気揚々と部屋を出ていくナズーリンの後ろを慌てて星が追う。誰もいなくなった星の部屋で、射命丸が撮影した○○の写真だけが二人の後ろ姿を見つめていた

 その写真の両目が僅かに光を反射している事は誰にも気付かれなかった


次回、紅魔館にアルバイトへと向かう星さんの目の前で展開されるメイド地獄
果たして星さんはこのメイド地獄を生き残り、○○の為のアルバイト代を手に入れることが出来るのか
エピソードいち・メイドる星さん



新ろだ877


「おや、来たか」

 寺まで上ってきた青年に、ナズーリンは片目を眇めた。

「どうも、こんにちは」
「やあ、ご主人がお待ちだよ。いつもの部屋にいる」

 そう言いながら、どこか粉っぽい彼を首を傾げて眺める。

「どうしたんだい、いったい」
「ああ、ちょっとお土産をと思った雑貨屋で商品が落ちてきて……匂いはしないと思うんですが」
「まあ、私は大丈夫だよ。それが土産かな?」

 彼が手に持っている二つの荷物に、ナズーリンは目を向ける。
 頷いて、彼はナズーリンに一つ荷物を渡した。

「ええ、みなさんにどうぞ」
「そちらはご主人の分か、お熱いことで」

 その言葉に、からかわないでください、と彼は顔を紅くした。

「まあ、頑張るんだね。ごゆっくり。聖以外は近寄らないようにしておくからさ」
「え、あ、ええ?」
「さて、ご主人のところに早く行ってあげなくていいのかい?」
「あ、ああ、はい、では」

 駆けていく青年を見送って、ふむ、とナズーリンは首を傾げた。

「気が付いてないみたいだね、あれは。まあいいや」

 それよりも気になるのは土産の方だ。一人で食べると村紗辺りが煩いから、とっとと持って行くことにしよう。






「星さん、こんにちは」
「あ、ああ、待っていましたよ」

 どことなく落ち着きのない星に首を傾げながらも、彼は彼女の近くに腰を下ろす。

「お土産買って来ました。甘いもの、お好きでしたよね?」
「う、うん」

 曖昧な――どこか緩慢な様子で、星は頷いた。
 どこか瞳も茫洋としていて、どう見ても様子がおかしい。

「星さん?」
「ああ、す、すみません。ちょっとぼんやりしてしまって……」
「風邪ですか? ああでも、妖怪は人間みたいな風邪は引かないんでしたっけ?」

 首を傾げながら、荷物を開く。里でも評判の菓子だ。甘いものは確か好きだったはずだが――
 そう思いながら星の方に目を向けると、彼女の瞳が何だか熱っぽいものを帯びているように見えた。
 本当に熱がありそうだ。心なしか、頬も紅潮している。

「……大丈夫ですか?」
「ん……?」
「どうしました? 本当に具合が悪いんじゃ……」

 そう、手を額に当てようとした瞬間――




「……すみません、我慢が」
「はい?」




 額に手が触れるか触れないか、の辺りで、がばりと星がこちらに抱きついてきた。

「ええ、あれ、星さん?」
「……いい匂いがします」

 髪に顔を寄せて、すりすりと擦り寄ってくる。
 ……明らかに、様子がおかしい。

「あ、あの? どうしたんですか!?」
「いい匂いがして、気分が良くなって……ごめんなさい、我慢できなかった」

 そう言いながら、こちらを押し倒さんばかりの勢いで――いや実際押し倒して、ゴロゴロと猫のように擦り寄ってくる。




 ――――ねこのように?




「……あ」

 雑貨屋で被ったもの。
 上から荷物が降ってくるのに気が付かなかった自分と、手を滑らせた店員と双方の不注意ではあったのだが、結構大量に被ってしまった粉。
 そのときには、店長からは『すまんね、害はないから』とは言われていた。
 その後に『猫には好かれるかもしれんけどな』と笑いながら付け加えられて。

「…………まさか、マタタビ…………?」
「ふぁ……? なにか?」

 とろんと、酔ったような――実際、酒を飲んだときよりも酔ったような目で、星はこちらを見上げてきていた。
 きっとそうだ。こんなにくっついてくるのはかなり珍しい。

「……ええと、どうしよう」

 虎って猫科だったか、と頭の中だけで現実逃避しながら、どうにかして星を外そうと試みる。

「星さん、とりあえず、その、どいてくれないかな、って」
「いやです。こんなに気持ちがいいのに……」

 猫だったらゴロゴロと喉を鳴らしているような状態で、すりすりと擦り寄ってくる。

「いやあの、何かいろいろ拙い状態なんですが」

 体勢とかいろいろ。いつもと違う様子がいろいろなんか艶かしくて、いろいろこちらの気分もやばくなりそうだ。

「だめです。逃がしません」
「いや逃がさないって……っ!?」

 ペロ、と頬を舐められて、彼は絶句する。
 唖然とする彼に頬を寄せながら、甘えるような声で星が囁いてきた。

「何だか、とても気分がいいんです……もう少し、こうさせていてください」

 そんな言葉を好きな女性に言われて、断れる男が居るものか。
 心の中で降参のポーズをして、彼は諦めたように呟いた。

「ああ、もう、好きにしてください……」






 結局そのまま数時間拘束された上、身体の上で丸まって寝られてしまった。

「……どうするか」

 動かすと起こしてしまいそうだ。物凄く安らかな表情で眠っているので、出来れば起こしたくない。
 しかしこのままでは風邪を引いてしまいそうだ。さてどうしよう。

「ああ、まだそうしていたのかい」

 不意に、ゆっくりと戸が開いて、ナズーリンが現れた。
 上体を軽く起こして、弁解しようとする。

「どうも……あの、これは」
「ふふ、だいぶお楽しみだったようじゃないか」

 意地悪く微笑って、ぽい、と大量の毛布を放ってくれた。

「聖からだよ」
「ああ、ありがとうございま…………ちょっと待った、まさか」
「楽しく全員で聞き耳を立てさせてもらったよ。ごちそうさま」

 待て、ということはあの星の乱れようも――というとかなり語弊があるが、甘えまくる猫のような状態も知られていたということか。

「……聖さん達は何と」
「ほどほどに、だとさ」
「ちょっと待ってそれ何か誤解がっ!」
「声だけ聞いてたら、ねえ」

 くつくつとナズーリンは笑う。ああそういえば、彼女は最初から自分が何を被っていたか知っていたようだった。
 だったら真相も話しておいてくれれば良かっただろうに、この様子だと話してないようだ。

「まあ、この頃ご主人もだいぶ疲れていたようだし。ゆっくりと休ませてあげてほしいな」
「ああ、それは、はい」

 自分もここしばらく忙しくてこれなかったし、それは望むところだ。
 穏やかに眠る顔を眺めていると、からかうような声が振ってきた。

「ああ、かえって疲れさせないようにね」
「何もしない! 何もしないって!」
「騒ぐと起こしてしまうよ。それではおやすみ」

 ひらひらと手を振って、ナズーリンは部屋から出て行く。
 出て行く際、部下のネズミがぺこりとお辞儀をして戸を閉めていった。

「まったく……」

 ぶつぶつ言いながら、もらった毛布を敷いたり上に被ったりしながら暖を取ることにする。

「んんぅ……」
「…………」

 まだマタタビが残っているのか、すりすりと寄ってくる星をしばらく眺めて――ふう、と微苦笑しながら息をつく。

「おやすみなさい、星さん」







「すみませんっ!!」
「いえ、こちらの不注意ですし……」

 翌朝、昨日のことを全く覚えていなかった星に朝一番に独鈷杵を食らったりしたものの、概ね状況は理解してもらった。

「星さんがマタタビで酔っ払うなんて思ってもなかったですし」
「私も思いもしなかったです……以後気をつけます……」

 ぼそぼそと俯く星の頭を軽く撫でて、さて、と立ち上がる。

「一晩お邪魔してしまいましたし、そろそろ帰らないと」
「ええ、では、お送りしましょう」
「ありがとうございます」

 少し顔を赤らめたままの星と微笑みあって、戸を開けて――そこにしゃがんで聞き耳を立てていた、一輪と水蜜と白蓮と、目が合った。

「……………………何してるんですか」
「ああ、いえ、中々起きて来ないな、と思いまして」
「あ、ご、ご飯できてますよー」

 誤魔化すような二人を差し置いて、白蓮が言葉を発した。

「一晩出てこなかったから、どうしてるかなーって思ってやってきたの」
「ちょ、聖!」
「いやだから誤解ですからね!? 星さんも……」

 誤解を解くように、と言おうとした彼は、自分の後ろに顔を真っ赤にして星が隠れてしまっているのを目にした。
 それは逆効果だと思うのですがー。







 かくして、散々からかわれる羽目になった二人を、屋根の上からナズーリンが眺めていた。

「やれやれ、進展はなしか。手間のかかる二人だ。なあ?」

 手元の――雑貨屋の店員を『たまたま』驚かせた――部下に、彼女は微笑んでみせた。


新ろだ2-137


 見渡す限りの草原。
 柔らかな草が茂る地面を僕は歩いている。
 辺りの空気は暖かくて、ついぼんやりとしてしまう。

「うわっ」

 つまずいてしまったらしく、身体が投げ出された。
 叩きつけられる痛みを予想して身を固くした僕を、予期せぬ柔らさが優しく受け止める。
 歩いている時はわからなかったが、うつ伏せに倒れこんだ地面には弾力があり、まるで餅のような感触だ。
 しかも温かくて、なんだか離れがたい。
 ……とはいえ、いつまでもこうしているわけにもいかない。

「よいしょ……あれ?」

 力を入れて立ち上がろうとしたが、身体が動かない。
 何事だろうと慌てたところで、



「――はっ」

 夢から覚めた。
 目を開けたはずなのに、何も見えない。

「んぅ……」

 頭の上で小さな声が聞こえて、星さんが僕の頭を抱え込むようにして寝ている、とようやく気づいた。
 改めてそう意識すると、寝巻越しに伝わる香りや、押しつけられる温もりと柔らかさが気持ちいい。
 このままもう一度眠ってしまいたい……けれど、少し息が苦しい。
 僕は名残を惜しみつつ、星さんを起こさないようにそっと腕の中から抜け出した。



 布団から顔を出し、頭を並べてみると、星さんは実に幸せそうな顔をしていた。
 規則正しい寝息が聞こえるので眠っているのは確かだが、よほどいい夢でも見てるのだろうか。
 ……と、その表情がどこか不安そうなものに変わった。
 布団の中で、手が何かを探すようにもそもそと動いている。
 抱えていたはずのものがなくなって、違和感を感じたのかもしれない。

「○○……」

 寂しそうにつぶやくのを聞いて居ても立ってもいられなくなった僕は、星さんを抱き寄せた。

「ぁ……」

 ほっとしたように息をついて、また幸せそうな寝顔に戻る星さん。
 金髪と黒髪の混じった虎柄の髪をくしゃくしゃと撫で、僕ももう一度眠ることにした。
 夢の続きは、さっきよりいいものになりそうだった。


Megalith 2012/03/27


 真夜中の廃寺。寺に招かれた私は一人、6畳ほどの居間に座っていた。月明かりが障子越しに差し込み、ロウソクの火も相まって、思ったよりは視野は鮮明だ。廃寺と言っても、まだ持ち主が去ってから年月はあまり立っておらず、ホコリと蜘蛛の巣と多少の軋みに目をつむれば、寝泊りには何とか堪えるだろう。
 今、この人里離れた場所にあるこの廃寺には私のほかに一人しかいない。・・・落ち着かないほど静かだ。
 余りにもなにもなくて、妙にそわそわする。私の正面には、座布団が一枚あった。いま、私はその座布団に座るあの人を待っている。・・・それにしても遅い。なにかあったのか。

 そう思った時、私の向かいの障子がゆっくりと開いた。あらわれたのは、命蓮寺の本尊、毘沙門天だった。麗々しい顔のその人が羽織る法衣は、武神を象徴する荒ぶる虎をイメージしたものだ。閉めた障子を背に直立する姿は実に神々しい。

「お待たせしました」

 武神・毘沙門天が、あぐらをかく私に会釈をしながら言った。

――ずいぶんと時間がかかったようだな。もう30分くらい待ったと思う。私がそういうと、こう答えた。

「少々、不測の出来事が起きましたので。・・・本日は、ようこそいらっしゃいました。わざわざこのような廃寺へお越しいただき、ありがとうございます」

 そう仰る本尊の表情は、実に慈悲深い仏のようだった。
 本尊の前にあぐらをかく上に、こんな馴れ馴れしい話しぶりをする私に、なんと不遜な態度だと思うものもいるだろう。しかし、私や、数少ない人は知っている。この仏の本当の姿を。

――なぜこんなに時間がかかったのか。・・・よもや、また宝塔をなくしたのか?

「な、ななな、なんで分かったんですか!?」

 私の一言に、慈悲深い仏の仮面が脆くも砕け、彼女は急に顔を真っ赤にした。違いますよ!と最初は大慌てで否定するが、私にはすべてお見通しだ。じっと彼女の眼を凝視してると、やがて彼女はさらに赤面して大人しくなり、終いにはうつむいてしまった。

「その・・・そのとおりです。いやあ、うっかりさんですね、私は」

 恥じらいを振り払おうと、笑ってごまかそうとする彼女は、毘沙門天の代理を1000年以上勤め上げた女性、寅丸星と言った。


 ******************


「先ほどは取り乱して、失礼しました」

 星は、私の正面の座布団に正座した。何事もなかったかのように、仏の表情に戻ろうとするも、まだ顔が真っ赤だ。

――それで、宝塔は結局みつかったのだろうか。

「失礼な。見つけましたよ。・・・ちょっと時間はかかりましたが」

 彼女は袂から宝塔を取出し、私にみせびらかした。・・・心なしか、表情が得意げである。そんな彼女に、この前に会ったときは、爪切りを無くしてたね、と言ってやったら、

「あれは無くしてません! ちょっとどこかへ行ってしまっただけです!」

 だそうだ。もっといじめてやろうかと思ったが、そんな私の下心を察したらしい。お茶を出すからと、さっさと立ち上がってふすまの向こうへ去ってしまった。去り際に見せた横顔が、ふくれっ面でちょっと可愛らしかった。


 ******************


 彼女とは、私が雨宿りで命蓮寺へ転がり込んだ時に出会った。
 私が初めて寅丸星に会ったとき、思わずその威厳に近寄りがたさを感じた。女とはいえ、力強い虎の妖怪が、軍神の装束に身を固め、毘沙門天としてこの現世に鎮座しておられるのだ。しかし、そんな近寄りがたさも、彼女と話し始めるまでだった。彼女が私に最初に発した一言は、今でもしっかり覚えている。

「わわ、私の下着なんて盗むに値しませんよ!!」

 ・・・どうやら彼女は、私を下着泥棒と勘違いしていたようだ。顔を真っ赤にして私を引っかこうとした彼女だったが、私が必死に状況を説明したら、彼女は顔を真っ赤にして平謝りしてくれた。
 そんな馴れ初めだったが、彼女は私のような庶民が土足で踏み入るべきではない御仏の崇高なイメージを(いい意味でも悪い意味でも)打ち砕いてくれた。
話してみると、寅丸星はとても親しみやすい女性だった。いつも笑顔を絶やさず、慈悲深く(これは仏の務めの一つだと思っていたが、素の性格のようだ)、私に手厚くもてなすように、他の命蓮寺の住人に言ってくれた。
 そして彼女は結構なうっかりさんである。先ほどのように物を無くしたり、公共料金の振り込み忘れ、免許の更新忘れ、塩と砂糖の入れ間違いの常習犯。かなり抜けている性格のようだ。
 でも、そんな隙のある性格のおかげで、本来庶民の手には届かないご本尊を立派に勤め上げる彼女に、これ以上ないほどの親近感を与えている気がしてならない。現に命蓮寺が建立してから里の仏への理解が深まったのは、住職のカリスマ性だけでは説明がつかない。仏本人の魅力もあってこそだ。もっとも、あまりに不注意ばかりだと仏の威厳にかかわると、彼女の部下はよく私に愚痴をこぼしているが。

 そんな彼女を、私は命蓮寺の家族の一員として受け入れてもらってから、ずっと見ていた。・・・いつしか私は、彼女を仏ではなく、一人の女性としてみるようになっていた。だって、仏は私のような男がうっかり彼女の入浴中に風呂場へ入ってしまった時に、あんなに赤面して体を隠して慌てふためくとは思えない。あのときの彼女はとても可愛らしく、そして美しかった。・・・本当に、スレンダーで美しい体をしていた。

「お待たせしました」

 丁度私が助平な回想をしているとき、彼女は戻ってきた。手にするお盆には急須と湯呑が二つ。あなたに初めて会った時のことを思い出したよ、と言ってみたら、案の定体中が一気に真っ赤に沸騰してしまった。忘れてください! と反射的に叫ぶ星が持つお盆がガチャっと大きく揺れる。危なっかしい。

 ちょっと拗ねた様子で、彼女は再び座布団に戻り、いそいそと私の湯呑にお茶を汲んでくれた。汲み終えると、急須を置いて、両手で湯呑を持とうとする。触った瞬間「熱ッ!」と両手が電撃のようにはじき飛んだ。大丈夫か?

「ふふっ、ちょっと焦りすぎましたね。大丈夫ですよ」

 そんなわけないだろう。ちょっと手を見せてよ。私がそう言ったのは半ば反射的な反応だった。一瞬戸惑う彼女に言葉を発する暇も与えず、私は強引に彼女の右手を奪った。

「ほ、本当に大丈夫ですから・・・」

 いいところを見せようと思ったが、強引過ぎたか。・・・確かに特に火傷をしたわけではないようだ。
 ・・・きれいな手だった。女性とはいえ、虎の妖怪なだけに体格も手も大きめだったが、白く美しい肌の手は、驚くほど細く繊細だった。ちょっと捻れば指は折れてしまいそうだ。親指の付け根あたりの肉がふにふにして柔らかい。このスベスベの手の甲も一度撫でてみたかったんだ・・・

「ちょっと、ちょっと!?」

 星の叫びで我に返った。どうやらずっと彼女の手を弄んでいたようだ。ただ彼女は私に右手を奪われたまま、その場で固まって何もできずにいた。私が右手を離すと(少々名残惜しかったが)、半ば呆然としながら、私につかまれていた右手を左手で庇い、両の手を胸に当てる。少々やり過ぎた。なんとなく気まずい。

「・・・あの、と、とにかく、ほら! お茶が冷めてしまいます。さあどうぞ」

 改めて星が私に湯呑を渡してくれた。私もとにかく空気を切り替えようと、勤めて明るく礼を言い、お茶をすすった。なかなかおいしい。彼女を見る。お茶がおいしい、と口に出さずとも顔に書いてあった。

――そういえば、私のお茶はかなり熱いが、貴女のは湯気が全く出ていないな。

「ほら、私、猫舌ですから。・・・虎だけに」

 彼女はちょっと舌をだしておどけてみせた。自分のお茶だけはあらかじめ氷を入れていたらしい。

――名だたる四天王に数えられる仏も、アツアツのお茶には敵わないようだね。

 そんなギャップがちょっと滑稽に思えたので、彼女にそう言ってみた。彼女は笑ってくれるだろうと思ったが、意外にも表情が若干こわばっていた。何かまずいことでも言ってしまったのか? 一人で内心焦る私をよそに、彼女は語り始めた。

「私は、法衣を脱げば本性は一匹のメス虎です。仏に猫舌なんてないかもしれませんが、私は所詮は虎なのです」


 ******************


「私はかつて、一匹の虎として、山で暮らしていました。そんなうす汚い獣が、ある日法衣を着せられて仏になったのです。なんだか自分でもビックリするような成り上がりですが・・・」

 星の目線がうつろになり、湯呑の水面に落ち込む。

「・・・そうですね。私は、他の仲間とは違う存在になってしまったのです。人は、苦しいときは仏に救いを求めます。でも、私にはそれができません。・・・だって私は仏ですから。私情を他に漏らすわけにはいかないのです。・・・私は、仏になるには器が小さすぎるのかもしれませんね」

 ほとんど独り言のようにつぶやく彼女の背負うものは、私には想像もつかないほど巨大なものなのだろう。あまりにも大きすぎて、まったくイメージがつかない。ただぼんやりと茶に移る自分をみている彼女。いま彼女は苦しいのだろうか。辛いのだろうか。それが分からない自分が歯がゆい。

「あ、でも!」

 重苦しい間をそう叫んで引き裂く彼女。私の戸惑った様子を察して、あわてて顔を上げて私を見つめる。

「仏になったことを後悔したことは一度もありません!誓って。 確かに、このお寺の住職様の推薦があって、私は本尊になりましたが、最終的に決めたのは自分です。これは私が決めた道です。私は、仏を立派に勤め上げて見せます」

 仏を勤め上げる。その言葉に私は彼女の鋼の意志をみていた。
 私は以前、妖怪の山の盗賊に誘拐されたことがあった。妖怪の山では軍神様(こちらは本尊などではない、本物の神様だ)が妖怪たちを総べている。そんな一歩間違えたら私の命のみならず、人と妖怪の山での大きな軋轢となりかねない問題に立ち向かったのが彼女だった。
 盗賊のアジトに乗り込んだ時の彼女は、外道極まる賊に天界から馳せ参じ、自ら容赦なく罰を下す怒れる四天王そのものだった。武神の咆哮は山を揺さぶり、槍の一振りは岩を砕き、宝塔の威光で賊どもはひれ伏した。その時になってようやく、私は彼女を仏と再確認し、そして畏れた。
 そして仏として、神である妖怪の山の指導者と会談した。常日頃から星は仏として、そして一人の妖怪として、卓越した人心掌握術(とうっかりによる愛嬌)により神と下々の妖怪の信頼を得ていた彼女は、この問題のわだかまりを残さず、逆に人里と妖怪の山の妖怪たちとの関係を強化することに成功した。
 いつものぽわぽわした彼女とは似もつかない姿だったと彼女の部下に話したら、「そりゃあ、私が1000年以上慕ってきたお方だから」と当然のように返されてしまった。

――貴女は間違いなく、優秀な本尊として、その使命を全うしてきた。私が証人だ。そう言ったら、彼女は「ありがとう」と少し嬉しそうに返してくれた。

「この仕事を紹介してくださった聖には、感謝してもしきれません。私は、自分の立場に誇りを持っています。・・・ただ・・・」

 とまた言葉から力を失う。ただ・・・。また彼女は湯呑に視線を落としてしまった。言葉に詰まっているのか。ただ・・・なんだろう。彼女はなんと言いたいのか。

 私の知っている精いっぱいの彼女を想像した。いつも笑顔で、親切で、ドジをかまして、家族とじゃれ合い、そして笑顔で。ただ・・・、そうだ。なにか彼女の笑顔には引っかかるものがあったのだ。そう、ただ・・・

――ただ・・・寂しいの?

 私がそういうと、ハッと顔を上げて私を見つめてくれた。目が心なしか輝いて見えた。

「・・・そうですね。 やっぱり、どこかでさびしいのかもしれません」

 彼女はそっと手にしていた湯呑を盆にもどす。

「贅沢ですよね。こんなに素敵な家族に囲まれて、愛されているというのに。それで寂しい、だなんて」

 星は、両の手を胸に当て、そっと目を閉じた。頬が少し赤らめている。その姿は本尊ではない。法衣をまとった女性、寅丸星だ。その素肌、唇、目にまつ毛、うなじに髪、手足に乳房・・・すべてが愛おしかった。

「こんな話、聖のほかには、あなたにしかお話したことはありません。・・・不思議です。あなたになら、どんな話もできるような気がしたんです」

 ああ、なんとか弱いことだろう。彼女は今、気高い法衣の下にずっと隠してきた自らの弱く脆い心の行き場を求めている。雨の中路頭に迷う子猫と同じだ。そしてこの愛らしい子猫は、私の下へ雨宿りに、暖を取りに行こうとしている。ここで彼女を突き放す理由などあろうか。・・・私だって彼女を守ってやりたい。でも、私にそれができるのだろうか。

「ところで、このお寺。なぜこんなところにあなたをお呼びしたか、わかりますか?」

 突然彼女が話題を変えた。不意を突かれた私だが、私もその理由は気にはなっていた。ただ彼女の言われるがままにここにやってきたわけだ。

「ここは、聖を救出する前、1000年間私が住んでいたお寺なのです。ここを守るのは、本当に大変でした。私にとって思い入れのある地ですから・・・」

 そういうことだったのか。思い入れのある地を意中の男性にも見せてあげたい、か。なかなか可愛げのある話ではないか。・・・自分で「意中の男性」などというのも自意識過剰といったものだが。そんなことを考えていると、星は立ち上がり、付いてくるように私に言った。私も立ち上がり、部屋の外に出る。
 案内されたのはこの廃寺の本堂だった。かなりだだっ広い部屋で、何もまつられてはいない。かつては彼女自身がこの寺の本尊だったわけだから、当然ではあるが。星は、その部屋にある大きな柱の隣に立った。このお寺の大黒柱のようだ。「1000年もの間、私の住居として私を守ってくださった立派な柱です」彼女はそっと、太くたくましい木の柱に白い手を添えた。「この寺を去った今でも、この柱には感謝しきれません」

 本当に彼女の苦労は想像もつかないほど大きかろう。私は彼女の隣に立つ。・・・そろそろ私も腹をくくろう。

――星! 

 私は彼女の両肩を鷲掴みした。

――私に、この柱の代わりに、貴女の大黒柱を務めさせてはくれないだろうか?

 星は仰天し、まんまるの目をぱちくりして私を見た。

――私はこの大黒柱のように逞しくはないかもしれない。私では無力かもしれない。でも、貴女のそばにいることならできる。

――私の前では、仏の仮面は脱ぎ捨ててくれ。私の前では一匹の虎に、一人の女性に戻って欲しい!

 恥ずかしくて死にそうな気持だが、ぐっと彼女の瞳を見続けた。もはや彼女は全身が熔鉄のように真っ赤だったが、たぶん私も似たようなものだろう。じっと彼女を見つめて返事を待っていたが、彼女はだんだんとこうべを垂らす。彼女の体は震えていた。そして微かに、だが確かにこういった。

「・・・はい」

 そして星は、私の胸に飛び込んできた。

「ありがとうございます・・・ありがとう・・・」


 ******************


 え?
 気が付くと私は、背中が床に吸い寄せられていた。そのまま背中を畳にぶつけ、痛みで少し呻いてしまった。状況が飲めない。あおむけになった私に、星が馬乗りになっていた。ようやく私は、星が私を押し倒したことを理解した。

「・・・私の本性は、一匹のメス虎です」

 今気づいたが、私の両腕はすでに彼女に抑えられていた。なんて力だ・・・身動きが取れない。彼女は荒い息を私に吐きながら、鼻と鼻がくっつかんばかりに私に顔を近づけた。彼女のギラギラ光る目は、虎が獲物を捕らえるそれだ。

「虎は、獲物を得るためにどこまでも獰猛になります。それは、恋愛もまた然り。あなたの前では一匹の虎に戻ってよいと仰いましたよね?」

 星は、無理やり私の唇を奪う。あんまりに荒っぽいものだから、口をふさがれて息が苦しくなる。

「いまは、私とあなたで二人きり。・・・覚悟はよろしいですね?」

 これは参ったな。私は所詮人間。虎に食われるがままになってしまうだろう。・・・だがそれも悪くない。こんなに魅力的な虎に食われるなら本望だ。
 夜はまだまだ続きそうだ。




星ちゃんは
カッコイイ&カワイイ&美しい&強い&愛嬌たっぷり&健気&うっかりさん
こんなに素晴らしい女性なのです。



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最終更新:2012年07月10日 23:18