ぬえ1
新ろだ954
「さぁ、さっさと掃除終わらせるよ」
「わかってるよ。面倒だなー」
そんなやり取りをしつつ、私はぬえと共に彼女の部屋へ向かった。
「てかなんで○○までいるのさ」
ジト目のままぬえが尋ねてくる。
「俺は自分の部屋掃除は終わって暇だったし、どうせぬえの部屋は混沌とした状態になってるんだろうし、なにより船長からもお願いされたし」
自分の部屋の掃除を終わらせ、他に手伝えることがないか船長に尋ねたところ、ぬえの部屋掃除を手伝ってあげて欲しいと言われたのだった。
「ムラサったら失礼ね。自分の部屋くらいちゃんと掃除できるから」
「でもぬえの部屋に行くのは初めてだし楽しみだよ」
これが一番の本音。
「どうせ部屋見て笑うんでしょ。『やっぱりか』って」
ふてくされた顔でぬえがつぶやく。
そう、俺は命蓮寺に住まわせて貰ってから結構経つが、いまだに恋人であるぬえの部屋に入ったことが無かったのだ。
そもそもぬえ自身自分の部屋にいることのほうが少なかった。大抵船長のところにちょっかいを出しに言ってたり、俺の部屋でごろごろしてたりしていたからだ。
そんなやり取りをしつつ、ぬえの部屋の前まで来た俺達。
「さーて。どんな惨状なのかな?オープン」
「だからそんなに酷くないってば!……多分」
……うん。思っていたよりは普通だ。物は多いが、別に足の踏み場もないような状態でもないし、さすがに「惨状」は失礼だったかな?
「……黙ってないでなんか言いなさいよ。笑いなさいよ」
おっと、沈黙が長すぎたようだ。
「あぁ、いや、思った以上に酷くはないな。変に疑ってすまないな」
とりあえず素直に謝っておこう。
と、改めて部屋を見て気づいた。
「あ、でもさ」
「なに?」
本人は気づいてないみたいだね。?マークを頭に浮かべながらこっち見てる。
こういうの灯台下暗しかな?
俺は、布団のあたりを指差しながら、
「下着くらいはちゃんとしまったほうがいいと思うよ」
「……っ!……ちょっと外で待ってて!」
はいはい。
1,2分でぬえが部屋から顔を出してきた。顔赤いぞ。
「もう大丈夫……だと思う」
「そんな、猛獣が居たわけじゃないんだから気にするなって」
「気にするよ!」
「じゃあ今度俺の部屋に自分の下着1枚置いておくからそれでチャラな」
「なんか違う気がするんだけど……」
このままじゃいつまで経っても掃除が始まらないので、ここら辺で切り替えましょうかね。
「ぬえ、あまりお喋りが過ぎると船長に怒られるからさっさと終わらせましょうぜ」
「誰のせいよ誰の」
多分ぬえのせいかもしれないが、言わないでおこう。
もともとそれほど酷い状態でもないぬえの部屋は、ちょっと真面目にやればすぐ綺麗になった。
「はい。綺麗になりました。ほーら簡単でしょ?」
「誰に向かって言ってるのよ」
「その辺は気にしないで、時間もちょうどいいしお茶にでもしようか。ちょっと取って来るよ」
「いってらっしゃーい」
手と一緒に独特の形をした羽を左右にフリフリ……あの羽絶対切味凄いでしょ……
などと考えながら台所からお茶とお茶菓子のお煎餅を取って再びぬえの部屋へ。
「はい、掃除お疲れ様です」
そういってお茶をぬえに手渡す。
「ありがと」
受け取ってすぐ飲もうとしたので、
「あ、お茶熱いz「っあ゛っづぅぃ」……遅かったか」
「熱いなら熱いって先に「言おうとしたぞ。明らかにぬえのフライングだったけどな」
そういいながら俺も飲む。はー……お茶が美味い。
遠くを見ていた俺の目の端になんか悶えてるようなぬえが見えたので、
「どした?」
ま、予想は付いたが。
「……っ……○○……火傷した」
「当然の結果だな」
「うるひゃいなぁ。仕方ないひゃない」
「ったく。今水持ってくるからちょい待ってなさいな」
そう言って再び俺は台所へ行こうとしたのだが、ぬえに服を軽く引っ張られてしまった。
「ん?」
「いい。妖怪なんだからすぐ治るよ」
「そうかい。なら……」
ぬえの隣に座りなおし、お茶をもう一口。
「ごめんね、ここで一緒に過ごすの初めてだから変に舞い上がっちゃった……」
「いやいや、気にするなって」
「ムラサの部屋も聖の部屋も○○の部屋もみんな綺麗だから……自分の部屋に呼び辛くて……」
「いやいや、気にするなって」
こういうときに気の利いたセリフなんて出てくるわけでもなく。
「だから「はいストーップ」っん?!」
とりあえずぬえを抱きしめておいた。
「さっきも言ったけど、そんなに酷い状態じゃないんだから気にするなって」
まぁ何か落ちていた気もするが忘れよう。
「俺としては綺麗ならこうやっていられるし、散らかってれば一緒に片付けできるし、どっちでも嬉しいんよ」
多分俺の顔真っ赤なんだろうな……普段こんなこと言わないし。
「……ばーか」
結局離れるタイミングが分からなくなり、開けっ放しだった扉から船長に見られるまで、俺は抱きしめ続けていた。
~~~~~
「ムラサのばーかばーか」
「なっ!開けっ放しだったぬえが悪いんでしょー!!」
ごめんね。最後に扉開けたの多分俺だ。
END
脳内イメージをテキストで出力する大変さを知りました。
新ろだ2-179
「雨か」
梅雨の季節は嫌だなと、○○は黒く染まった空を見ながら考えていた。
○○が人里の周りを、団子屋の親父の愚痴を呟きながら散歩している最中に、予想外の雨が突然襲いかかり、それをスタートにスプリンターさながらに走っていたら、丁度青い葉が繁る大きな木があったので、その下に逃げ込んだという顛末だ。
そこからは人里がちっさく見える。 走って行けば、多少濡れるが、まぁ、バケツの水を浴びたようにはならないだろう。
しかし、彼はここに居る。 理由としては、繁る草木の匂いを吸いながら、雨を風流として楽しむと自分らしくない行動、もう一つあるのだが、それは、
「わぁ!!」
「なんだ、多々良じゃないのか」
○○は大して驚いた様子もない、平然とした顔して、大木の裏から飛び出した少女を見ていた。
「私じゃ驚かないと言ってるの?」
肩にギリギリかからない黒髪に、黒いワンピース、黒いニーソックスと上から下まで黒い少女は首を傾げる。 そして、彼女が人間ではない証拠に奇抜な形をした羽根が生えている。
「驚かせるつもりないだろ、その姿じゃ」
「でも、声だけで驚く事あるじゃん」
「それは気付いてなかった場合だろ? 大体な、」
○○は自分と頭一個分小さい少女は横目で見る。
少女は髪を伝う雨粒を指でピッと払っているところだった。
「さっきまで、裏側に居たろ?」
「え? もしかして、気付いてたの!? じゃ~言ってくれたらいいのに。 私、さっきまで気付かなかったよ」
「俺の能力忘れたのか? 一ヶ月前まで、一緒に居たろ?」
っても、一緒に居た時間の方が短いけどな、と○○は付け加えた。
「覚えてるわ。 あれのせいで、最初に脅かした時も怖がってくれなかったからね」 「そうそう、何か、女の子がでっかい着ぐるみ着てるだったぞ。 アレ。 正直言って、なんてリアクションすればいいのか分からんかった」
「それは酷いなぁ、私意外と頑張ったんだから。 最近も○○と同じので、三人怖がらせたよ」
と言って、少女は○○の顔を覗き込む。 一瞬、少女の端正な顔立にドキッとした○○は、恥ずかしさを紛らわす為、また、このまま惰性な会話に成りそうだったので、話の車線を変える為に口を開く。
「そうか、っつかさ・・・・今、聖さんどうしてる?」
「ん?」
ぬえは腰に手をやったまま首を傾げる。
「聖さんどうしてるんだ?」
「いつもように貧相な飯を私に振る舞ってるわ。 このままじゃ、私、餓死しちゃう」
「よく言うよ。 また、誰かから盗ってんだろ?」
「封獣ぬえは誰からも、食べ物は奪った事はないよ」
と黒髪の少女―――封獣ぬえは起伏が緩い小山を自慢げに張りながら言った。
○○は本当に栄養不足なのか、心配で聞きたくなったが、言ってしまったら殴られそうなので、心の奥に仕舞い込む。
「じゃあ、その封獣ぬえさんは、私の魚を何匹盗りましたか?」
「え~と」
ぬえは、細い指を一本、一本、折る。
(両手使う程、盗られたっけ?)
丁度、二本目が開かれたところで、
「確か、12匹!!」
ぬえは顔をピカッと嬉しそうにして言った。 まるで、クイズ番組での早押しクイズのようだ。
○○は呆れた顔をして、
「そこは、嬉しそうに言うところじゃないよ」
「そっかな?」
「そうだぞ」
「ふ~ん。 ○○? あのさ、」
○○は何気なく、遠くを見る。
雨は降り続いており、見渡すばかり、自分達以外誰もいない事が、別の次元に迷い込んだようで不思議な気持ちに感じられる。
雨音はとても、心地良く感じられた。
「私は○○とまだ居たかったなって思う」
「え?」
「あ、え、さ、さっきのは違う!! わ、私も、私も一緒に居たかったなって、勿論、聖も言って、たよ。 うん」
ぬえが顔を自分の大きな赤い目のように真っ赤にして、横に頭を振っている。
不意打ちに動揺しながら、○○は口開く。
「ふ~ん、じゃあ、聖さん」
「うん」
「俺の事、何か言ってなかった?」
○○は癖で頬を掻く。
「え、いや・・・・その・・・分からない」
嘘をついた為か、他の要因か、ぬえの顔からは笑みや顔の赤みが引く。
嘘なんかつかなくても、バカみたい、私、とぬえは自分をなじった。
聖が毎日のように溜め息をつく原因は○○という事を知っていたからだ。
口癖も『帰って来ないかしら、○○さん』に変更しているのにも気付いてる。
聖は口にしてはいないけど、結局、○○を好きなのだ。
そう考えると、何だか心苦しくなる。
「そう、か」
○○は遠くを眺める。 それを見るのは、○○が聖を探してるように感じられて嫌だった。
私だって、○○を探してるのに。
気付いたら、心の何処かで探してる。
今日は偶然だった。
雨宿りしていたら、たまたま居た。
それだけで、嬉しかったような、嬉しくなかったような、変な気持ちにぬえは陥る。
「あのさ、俺、バカだよな?」
「何が? ○○がバカなのは知ってるよ」
「いやさ、自分から人里に移ったのに、気になるってさ」
え? とぬえの口から無意識に声が漏れる。
「気になるってのはさ、好きって意味じゃなく! あれだ、やっぱり飯食わせてもらった人じゃん。 やっぱり、今どうしてるか、気になんだよ」
○○は恥ずかしくなり、ぬえから顔を逸す。
顔から火が出そうだった。
(結局、好きって言ってるようなものだろ。本当、バカだな俺!! 勘違いすんじゃん!!)
「ねぇ? ○○は」
「ん?」
ぬえが○○の裾をグイッと引く。
「聖の事、好きなの?」
雨音が二人の間に数秒滑り込む。
そして、
「おまっ、何言ってんだよ!! べ、別に好きってわけじゃないけどよ、なんつーか、分からねえ・・・」
心臓か打ち上げられた魚さながらにバクバクと脈打っていた。
嫌いな訳ない。
それどころか、好きな部類に入る。
それが、友達として好きなのか、異性として好きなのかは本当に分からない。
「・・・・・・」
喋らないといけないのは分かっていたが、喉に雨雲がつまったように言葉が出てこようとしない。
雨の雫が落ちるのが、長く感じてしまう。
「じょ、冗談だよ!!」
ぬえは木の影からステップを踏むように飛び出して、雨に打れる。
「おい、ぬえ!! 風邪ひくぞ!!」
黒いワンピースが更に色濃くし、下に着ている下着や、聖と違い起伏が緩い体躯をはっきりとさせる。
「大丈夫!! 妖怪だし、それと・・・・バカだし」
「・・・・、」
また、声が出ない。
「雨ってさ、いつ止むの・・・・かな?」
突然、ぬえはゆっくりとした歩調になり、○○の裏、大木を挟んで丁度反対に回った。
「ねぇ、○○?」
ぬえは返事を聞かずに、 続ける。
「・・・・・」
「止まない雨はないのなら、雲がかからない空もないよね。 でも、私の心に雨なんて、一生降らなくてもいいのに・・・・そしたら、いつも晴れだわ」
○○は数秒考え、喉の詰りの隙間から、声を出す。
「・・・・・雨降らないと地面は乾燥してひび割れるだろ? それと同じでさ、多分、雨が降らないとカサカサになって、結局、心も割れると思うぞ」
「じゃあ、じゃあさ。 私は今、良い事してるの? こんなに嫌な気持ちなのに? 理由は?」
「俺じゃ、わか――――」
「――――理由ぐらい、分かってるわよ!! ○○が聖を好きな事が嫌なの!!」
ぬえの声が、巨人の胴程に太い樹越しに聞こえる。
「だって、聖と話してる時は私と違って、嬉しそうにして!! 美味しそうにご飯食べて、今日だって!!」
○○は唇を噛む。 なんだよ、まるでぬえが俺の事――――
「私も、私も・・・・」
ぬえの声が弱くなり、ついには雨音に負けた。 ○○には届かない。
「・・・・あのさ、ぬえ」
○○は太陽光を遮る厚い雲を一瞥して、重い足で歩き出す。
「楽しい時は楽しいし、美味しい時は美味しい顔するのが俺なんだ。 俺は天の邪鬼じゃないからな。 別に特別じゃない、ただお前には特別に見えただけだ。 お前は背が俺より、聖さんより低いからさ、多分、顔をちゃんと見れなかっただけだぞ」
トンッと肩を叩かれた気がして、樹に向かってしゃがみ込んでいたぬえは振り返る。
「だから、塞ぎ込むなよ」
○○は手を差し延べていた。
彼は良く分からないまま手を差し延べていた。
友達として差し延べているのか、また、想い人に差し延べているのか。
でも、
と○○は思う。
どちらにしても、塞ぎ込んでいるぬえに手を差し延べないと駄目なのだ。
優しさとか崇高なものではなく、座ってた奴を手を引いて立たせてやるぐらいなものだ。
「○○・・・」
ぬえの目から、雨の雫より濃い大きな雫が、傷口から血が流れるように零れ落ちていた。 さっきまでも、泣いていたのだろう、目を紅く腫らしてる。
「まぁ、そう言う事」
誰に言うわけでもなく、話にピリオドを打つように○○は言葉を放ち、終わるが、
「私」
ぬえはうつむいたまま、独り言のように言う。
「私・・・○○の事、好きだと思う・・・・」
言葉が無くなり、ザァァと雨が一段と強くなる。
「え?・・・い、いや、」
突然、バッ!!と○○の手をぬえは弾き、
「う、嘘だから!! 気にしないで!!」
と言って、泣きそうだけど、何処か恥ずかしそうな顔をしたぬえが逃げ去ろうとするが、
グイッと、何かの力で彼女の一歩を止めた。
「別に」
○○は開いている左手で頬を掻く。
「ぬえが嘘をついているかついてないかなんて、バカで、団子をろくに作れない俺でも分かるぞ」
振り切れる程、○○の力は緩んでいるだが、ぬえは呆然と彼の顔を見ていた。
「まだ、俺はバカだから自分の事とか良く分からなくて、答えとか、色々、出せないけどさ。 でも、でもさ。 単純に好きって言ってくれた事は普通に嬉しかったぞ」
「・・・・」
「だからさ、これからも、友達でいいと思う。 もし、好き同士になったら、そん時は付き合えば良いじゃん。 何言ってんだ、俺。 くっそ、恥ずかしいな。ん? ぬえどうした?」
濡れた髪が頬につくのがうっとおしく感じながらぬえは○○の紅い顔を見上げ、
「・・・○○のバカ」
爪先立ちになる。
Megalith 2011/12/31
「…ん。こんなもんだな」
氷のように冷える土間に立ち、竈の大鍋に向き合いながら一つ頷く。
川魚の煮干しを代用した出汁というのも、慣れてくれば中々に悪くはない。
あとは檀家さんから頂いてきた蕎麦を茹でれば、すぐにでも振る舞える手筈だ。
竹から切り出した椀も十分な数を用意してある。抜かりは無いだろう。
「あらまぁ、いい匂い」
後ろから掛けられた声に振り返れば、やはり見慣れた姿が視界に入る。
胸元などに施された独特の意匠が特徴的な、黒を基調とした布地のドレス。
本人は「魔法使いらしさを法衣に入れてみました」と笑顔で言っていたが、
仏教の知識に疎い俺ですら、それはどこかおかしいのではないかと言いたくなる。
檀家さん達が何も気にしないことも含めて、まだ俺の感覚はこの地に馴染んではいないらしい。
特徴的である腰を過ぎるあたりまでの長髪は緩やかな曲線を描き、
その圧倒的な量とは反比例した、空気のような軽やかさを思わせる。
頭頂から伸びた艶やかな紫の髪は、後頭部を越えたあたりで一変し、稲穂のような黄金色を放つ。
柔らかな笑顔と慈しむような眼差しから放たれる雰囲気は、慈母や女神・菩薩と言った表現が相応しい。
締まる箇所と豊かな場所の緩急は芸術品の域。完成された、女性としての"美"の形そのもの。
世話になっている命蓮寺の美人住職、ゆるふわ愛され系僧侶、聖白蓮さんの姿がそこにあった。
「今ちょうど仕上がったところですよ。味見されますか?」
「そうね、では…」
差し出したつゆの小皿を受け取る姿すら、品と美しさに満ち満ちている。
仕草のどれを切り取っても、これほどまでに大和撫子という言葉が似合う姿など他に無いだろう。
「うん、お出汁が利いてて美味しいです」
「良かった。すぐにでも蕎麦を茹でて、配るとします」
「ふふ、お願いしますね」
柔らかな破顔と共に掛けられる優しい言葉。
その組み合わせが一体どれだけの男性を魅了してきたのか、彼女は気づいているのだろうか。
再び竈へと向き直り、蕎麦の束を湯へと放りながらそんなことを考える。
と。
突如として訪れた軽い衝撃と、温もりを持った柔らかな感触が作業に小休止を挟み込む。
「…やはり、だいぶ冷えてしまっていますね」
「まぁ火を使っていようと、結局は土間ですから。致し方ありません」
ゆっくりと胸元へ伸ばされたのは、背後から回された両腕。
乾布を擦るよう音を伴いつつ、背中から特別柔らかな物の感触を覚えた。
なんとも扇情的で、官能的で、魅力的な行為ではあるが、そろそろ後ろの彼女に一言告げるべきだろう。
「それで? いつまで続ける気だ…"ぬえ"」
「あら酷い。これだけ女性が意を表しているのを、貴方は悪戯と受け取るのですか…?」
「とぼけてんな。抹香の香りが全くしない僧侶がどこにいる、このアホ」
「………なんだよ、もぅ」
ふてくされた調子の言葉は、先ほどまでの白蓮さんの声とは打って変わり、
お転婆の盛りな小娘の声のそれであった。
同時に、軽く空気の抜ける音が聞こえ、それと同じくして背後の感触が変貌する。
回されていた両腕の位置も、胸元から腹の上あたりまで下がっていた。
「なにさ、途中までヘラヘラしてたくせに…」
「途中も何も、最初っから気が付いていたんだがな。
今日一番忙しい住職が勝手場までふらふらと現れる時点でそもそもがおかしい」
「てことは何? その最初っからわざと引っかかってたっての?」
「そう言ったつもりだが」
なおも背中に張り付いたまま、ぶつぶつ煩いぬえに構うこともなく手を動かす。
年の瀬の大一番、大晦日の今日に参拝していただいた方々と、
いつも世話になっている寺の人たちに年越しそばを振る舞うために。
「それで、居候としてせめて蕎麦作るくらいはしようと俺が頑張っている時に、
お前さんは一体何をしてたんだ? ん?」
「朝から境内の掃除。…だったけど響子にやらせた」
「わかった。お前だけ蕎麦抜き」
「やーウソウソっ、ちゃんとやったってば!」
背中に張り付いたままぴょんぴょんと飛び跳ねて抗議するぬえ。
千年近く生きている大妖怪だというのに、これではただの駄々っ子ではないか。
体格差によりさほど揺れるわけでもないが、それでも背中から伝わる振動は作業をするには幾らか煩わしい。
全く、いつになっても"せめて吐いて意味のあるウソを吐け"という言葉を理解してくれない事が頭を悩ませる。
「本当なんだな?」
「本当だよ…」
首だけをゆっくりと巡らせ、右肩越しに背中を見下ろす。
視界に入ってきたのは、垂れ下がった尖り耳と不安そうな目で見上げてくる悪戯娘の顔。
全く、いつもこの位しおらしくしていてくれれば素直に可愛いというのに。
「ねぇ…本当だよ……」
「…ったく、ホレ」
溜息を吐きつつ、竈の縁へコンと音を立てて置く。
「あ、お蕎麦…」
「味見だ。食ってみろ」
竹の節を使った椀には、出来たての小さいかけ蕎麦。
それを確認し、ようやっとぬえは身を背中からはがす。
一緒に差し出した竹箸も受け取り、静かに傍を啜るぬえ。
「ん…おいしい…」
「そうか、なら良かった」
ちゅるちゅると小気味良い音を響かせる悪戯娘姿の大妖怪とは、世も末と言うべきか。
ならば、そんな大妖怪の頭をわしゃわしゃと撫でている俺は相当の変人なのだろう。
「………むぅ」
頬だけはむくれさせながらも、黙って蕎麦を食べてされるがままのぬえ。
これではまるで犬のようだなと考えがよぎる。
尻尾の代わりに両の尖り耳がピコピコと振られているあたり、案外間違っていない気もしてきた。
「…ごちそーさま」
「あいよ。さてと、そろそろ表に持って行かんと…」
手ぬぐいを二つ鍋の取っ手に乗せたところで、鈍い轟音が境内から鳴り響く。
どうにも、除夜の鐘が鳴り始まってしまったらしい。
流石にこれ以上遅れるわけにはいかないか。
うむ、遅れるわけにはいかない。いかないのだが…
「…なんだってまたお前はひっ付いているんだ。しかも今度は前に」
「へへへー、だってこうすればあったかいんだもん」
満足そうな笑顔でひしっとつかまっているぬえのせいで、盆が持ちにくいことこの上ない。
しかもこの悪戯娘、両腕だけでなく奇怪な形状の翼まで動員してがっちりと張り付いているため、
一筋縄では引き剥がすのも困難に思える。
「退いてくれ、頼むから」
「やだ、離れない」
「離れろ」
「いーやーだ」
「……無理にでも引き剥がすぞ」
「そしたらこのまま裸の若い男に化けて大声あげてやる」
最悪の文句を残して顔をうずめる、最悪の生意気悪戯妖怪小娘。
悪戯とはいえ、いくらなんでも交渉の材料が悪質すぎる。
コイツに要らん知恵を吹き込んだ奴はいつか探し出さねばならないだろう。
「あのなぁ……」
「大丈夫、他の人からは見えないようになってるから」
「そう言う問題じゃなくてだな…はぁ、もういい…」
こうなったぬえが言うことを聞かないのも、もう慣れ切ってしまった。
その度にこうして根負けしている自分が情けないのも、同じくいつものことで。
呆れて頭を抱える仕草が、もう周囲に俺の癖だと思われていそうだ。
「盆から零れて頭にかかっても知らんからな」
「そんなことしたらその時も化けてやるもん」
「……覚えてろよ」
「いいからいいから、ごーごー!」
「…ったく」
ゆっくりとぎこちない姿勢のまま、よそった蕎麦を乗せた盆を持ち境内へと向かう。
胸元できゃっきゃとはしゃぐ小娘に張り付かれたままという、なんとも滑稽な姿のまま。
一年の締めくくりである大晦日でこの有様では、また来年も気が思いやられるしかないか。
…そんな日々も悪くは無いと感じてきてしまっているあたり、やはり俺は相当の変人なのかもしれない。
うpろだ0033
──私は不定。
──私は未確認。
──私は正体不明。
──私は……
──鵺。
そう私は泣く子も黙る大妖怪。
人を脅かし、畏怖される物の怪。
誰しもが私を恐れ、そして語り継ぐのだ。
曰く──その鳴き声はまるで鳥の様だと。
曰く──その姿はまるで多種多様な生き物《キメラ》だと。
曰く──誰もその姿を正確に認識出来ないと。
人を驚かし、嘲笑ってきた。
それが私という存在なのだと判っているから。
だからなのかもしれない。
ワタシ
──誰もが《鵺 》を知っていて。
ワタシ
──誰もが《ぬえ》を知らないのだと気付かなかったのは。
それをどうと感じたこともなかった。
当然だ。
自分だけが知っていれば──正体を判っていればそれでいいと考えていたのだから。
だから、その考えが変わったのはアイツのせい。
愚かでか弱い──一人の人間のせいだった。
「人間がこんな夜更けにお出掛けかな? 悪い妖怪に出逢ったら食べられてしまうよ?」
「あん? なんだお前。別に俺がいつ出歩こうが勝手だろうが」
丑三つ時の真っ暗闇の中、珍しく見掛けた人間を驚かそうと声を掛けるとそんな風に返された。
──愚かなもんだね、人間って奴は。
口には出さずほくそ笑む。
「あぁそれはお前の勝手だねぇ、──でも、妖怪は獲物を見つけたら勝手に襲うモノなんだよ?」
「あぁお前妖怪か。 ──まぁだからなんだってもんだけどな」
「──? お前は妖怪が怖くないのかい? 喰われてしまわないか、とは思わないのかい?」
「別に構いやせんよ。 そうなったらそうなったで運が悪かったと諦める」
恐怖を覚えないその人間──不遜なだけなのかもしれないが──に少し興味を惹かれる。
最後には望み通り喰らってやればいいだろうと考えながら、暇潰しがてら会話を続ける。
「お前は面白い奴だねぇ、それとも──脅し文句とでも思っているのかな?」
「別に、俺は自分の予定を邪魔されるのが嫌なだけさ」
「予定?」
「散歩だ。毎日の日課なんだ」
その言葉に思わず言葉をなくす。
日課、日課の散歩ときたか──
「く、くっくっく──あーっはっは!! この私に脅されてるのにそんな言葉を出すとはね!」
さて、このふざけた男をどういう風に喰らってやろうか──
そんな考えを巡らしているとその哀れな獲物から声を掛けられる。
「まぁ暇潰しがてらだったんだがな。ちょうどいいや、話し相手でもしてくれや」
「──お前は本当に図太いというか頭がおかしいんじゃない?」
そろそろ馬鹿にされてる気分になってきたので翼を広げ弾幕を出そうとすると──
「ってもそんなちんちくりんな姿じゃな。それで妖怪って言われても怖がれんよ」
──私の姿を言い当ててきた。正体不明のこの鵺の。
「お前っ!? なんでただの人間が私の姿が判るんだっ!?」
「判るも何も最初からその姿だったろうに」
「そんなはずはないっ、私は誰にも認識されないはずだっ!!」
「そんなん知るかよ、俺は見たままを言ってるだけだ」
正体を見破られる──それはつまり、私という存在が脅かされるということ。
私の中に若干の焦りが広がる。
すぐにでもコイツを喰らってしまわないと──
間髪いれず手に用意した愛用の三つ又の槍を突き付ける。
確かな殺気を込めるが未だに素知らぬ顔をする男に薄ら寒いものを感じる。
「脅かすだけで済まそうと思ったが──私の正体を見破るお前は危険だ、喰らってやろう」
「あー……ここで終わりか。まぁちょっと早く終わりが来ただけだな」
「ちょっと早く──?」
「病気だよ、病気。もうすぐ死ぬんだからそれが少し早まっただけだ。──早く一思いにやってくれ」
「……」
その態度に心がざわつく。
恐怖を振り撒くのが妖怪だ。
私を恐れない奴を喰らっても逆に私の格が落ちるだけである。
「──止めた。恐れない奴を喰らっても仕方がない。だけど──私の正体を誰かに喋ったらその時は容赦なく喰らってやろう」
「なんだ、喰らってくれないのか。ならしゃーない、せめて話し相手にぐらいなってくれないか?」
理解が出来ない。
今、殺されようとしていた奴に対して話し相手とは。
その全てを諦めている態度に何故か苛つく自分に気付かないようにして、その場を離れようとする。
「忘れるな、哀れな人間──お前はいつでも私が喰らえるのだと」
「あぁ、早めにしてくれると助かるよ」
最後まで憎まれ口を叩くその男を置き去りにして、空へと飛び立った。
──その私を恐れようともしない態度に苛立ちを感じたままに。
「おや、こんばんわ。お前も案外暇なのかい」
「冗談──口が軽そうだったからね、釘を刺しに来たのさ」
あくる日、ふらふらと彷徨っている男をまた見掛けた。
自殺願望でも──あるのだろう。この間の言い分だと。
──愚かしいものだ。心の中で毒づく。
正体が掴めないどころではない。
隠そうともしないその諦めの表情と不遜な態度に自然と口調に棘が混じる。
「別にお前の正体なんかに興味はないさ」
「可能性は潰しておかなければいけないのよ」
「なら昨日も言った様に喰らってしまえばいいだろうに。判らん奴だねぇ」
そう、この男の言う通りだった。
正体を見破られる危険があるのだったらその芽を潰すべきだと理解はしていた。
それをしないのは何故なのか──自分でもよく判らなかった。
「まぁいいや。喰わないのならこの間と同じお願い事だ」
「──なんだ? 言ってみるがいいさ」
「俺が暇なんだ。話し相手にでもなってくれ」
そんなことを、再度何でもないかのように言ってきた。
鵺として生まれて人と対峙したことは数知れずあれど、語らうということはしたことがなかった。
皆、私の事を討ち取ろうと、襲い掛かってきた。
その全てを退け、嘲笑ってきた。
だからだろうか──初めて言われたこんな突拍子もない他愛事を聞いてしまったのは。
「つまらない話しだったらすぐにでも喰らってやるからな」
「そんなもん約束出来るわけないだろうに。まぁ暇潰しだと思ってくれ」
話しは本当に中身の無いものだった。
曰く──この時間に出歩くような酔狂は自分だけだと。
曰く──性質の悪い病魔に蝕まれていて先がない命だと。
曰く────つい最近看病してくれていた母親が自分の病が移り死んでしまったこと。
そんな──人の身では重く──私にとっては取るに足らないお話だった。
「まぁそんなわけでな。──俺は何よりも大切に思ってたお袋を自分で殺したも同然なんだよ」
「……」
「だからもう生きてる意味もなくなっちまったってわけだ」
「だから当てもなくふらついていると?」
「あぁ、特にしたいと思うこともなし。いっそのことお袋と一緒になりたいのさ」
──よくある話だ。
私の様な妖怪ではなく人の身。
ふとした拍子にその命を簡単に散らしていく。
特に何かを感じるものでもない。
「だからお前を見た時ちょっと期待したんだぜ? 天使なんかじゃなく――悪魔が来てくれたってな」
「勝手なことを。お前の自殺に付き合う気はないよ」
「手厳しいことで。もう行くのか?」
羽根を動かし、空へと羽ばたく。
お話はお終いだ。
「まぁ寿命が来るまで同じ様にふらふらしてるからまた会ったら話そうや」
「誰かに私のことについて話さなければね」
「──話したい相手ももう居ないからな」
「……その時が来たら私が喰らってやるよ」
憐みを感じるはずもない。
だけどこの男のその表情が気になる。
その諦め、悟った様な表情の奥にある感情が。
私以外に正体が掴めないモノがあってはならない。
だから──その不確かなモノの正体を掴むまでは相手をしてやろうと決めた。
「よろしくお願いしますよ、悪魔さん」
「悪魔とは違うよ──鵺だ。私は」
「ぬえ……ねぇ。まぁ何であろうと気にしないさ」
そうして飛び去ろうとすると去り際に男の声が聞こえた。
「俺は○○っていうんだ。またな、ぬえ」
その声に返事を返さず、一人夜空の暗闇へと溶け込んだ。
いつの日でもアイツ──○○は夜更けにそこに居た。
まるで夜明けなど来なければ良いとでもいうように。
「しかしお前も本格的に暇人だねぇ。毎日毎日飽きないのか?」
「その言葉そっくりそのまま返すわよ」
「ちげぇーねぇな、はっはっは」
そんな風に○○の話し相手は続いた。
そのほとんどが他愛もない話だった。
私から話すことは全くなく、あくまでも聞き役に徹していた。
ときたま相槌を打つくらいで全く実のない内容だったと思う。
それでも何故か飽きることなくその奇妙な逢瀬は続いた。
「──だから俺はどうにもあの味が嫌いなんだよな」
「ふぅん」
「これだけはガキの頃から変わらないんだ。──まぁもう作ってもらうこともないけどな」
時々──母親の話になると見せるその憧憬の表情。
その、もう届かないモノに手を伸ばして、そんな権利はないのだと諦めている顔。
自分自身でどうしようもないと判っているのに上手く飲み込めないと感じている表情。
その顔を──どうしようもなく苛ついているのだといつからか気付いた。
だけど私が何故苛つきを感じてしまうのかは私自身、判っていなかった。
「それじゃ、私はそろそろ行くよ」
「おう、毎度毎度暇潰しに付き合ってくれてありがとな──ごほっ」
話し過ぎたのか咳き込む○○。
連日であるし──病の身では辛いのかもしれない。
「あまり無理をするもんじゃないよ──アンタには言っても意味がないか」
「あぁ、むしろ望むところだからな。まぁ生憎まだピンピンしちまってるよ、気にすんな」
「アンタがどう生きようと私の知ったことじゃないからね」
「手厳しいもんだ。んじゃまたな」
そう言って別れる。
──またな、か。
私自身その言葉が当たり前に感じすぎて驚く。
いつから私はアイツとのこの少しの時間を退屈に感じていないのだったか──
「おかえり、ぬえ。最近は出歩くことが多いみたいじゃのぅ」
そうして命蓮寺に戻ってくると一人で飲んでいるマミゾウに声を掛けられた。
「別に、ただの暇潰しさ」
「ふむ、永い命じゃ。退屈に殺されないのはいいことじゃな」
酒ビンを片手に気楽そうに言う。
どうやらいい感じに酔っているらしい。
久しぶりに一緒に飲ませてもらおうと隣に座る。
「美味しそうじゃないか、ご同伴に預からせてもらおうかな」
「構わんよ、その暇潰しについても多少聞いておきたいしのぅ。年の功とも言うしな。誰かに話して何かに気付くこともある」
気付くこと──か。
何に気付きたいのかも判らないのだけどもね。
そうして久方ぶりのマミゾウとの酒宴を開いた──
「なるほどのぅ、酔狂な人間も居たもんじゃ」
「あぁ酔狂だよ。あんな自殺志願者なんて不味くて喰えたもんじゃない」
マミゾウ秘蔵の酒はとても美味しく、何杯でもいけそうだった。
自然と口数も増えていく。
「短い生なんだから面白可笑しく生きればいいんだ。それなのにもったいないもんだよ」
「いやいや、そんなの人間には多いもんじゃよ。──酔狂なのはお前さんと語らうということじゃ」
その言葉に傾けていた盃が止まる。
「──人間が私と話すのがおかしいかい?」
「あぁそうだろうに。なんせお前さんは『鵺』──人を脅かす存在だろう?」
そう、私は妖怪だ。
本来人間と毎日語らうなんてことはしないはずだった。
「別に、約束を破らないか見張っているだけさ」
止めていた盃をぐいっと飲み干す。
マミゾウが何を言おうとしているのかは大体判る。
「お前さんはそうでも、その人間はやはり酔狂と呼ぶべきじゃよ。
──死を求め、その癖死にきれず妖怪と語らう──半端者じゃな」
何故か自分の中でどこか判らないイライラとした気持ちが芽生える。
よく判らないそれを気にしないように盃のペースを上げる。
「──ふぅ。──半端者、なんだろうね。人間らしいじゃないか」
「あぁそうじゃな。──だから気になるんじゃろう?」
「──はっ?」
マミゾウから言われたその言葉の意味が理解出来ず、素っ頓狂な声が出てしまった。
「懐かしいもんじゃ。わしも若い頃はあったのぅ……」
「ちょ、ちょっと……どういう意味よ!?」
「どういう意味も何もそのままじゃよ──気になるんじゃろう? その人間が」
けらけらと楽しそうに笑うマミゾウに言葉を失くす。
私があの人間を気にかけている──?
「なっ!? 私は暇潰し以外のなにものでもないわよっ!?」
「照れるな照れるな、まぁ今はそれでもいいんじゃないかねぇ」
「~~っ!! もう行くっ!!」
これ以上飲んでいてもおちょくられるだけだと判ったので席を立つ。
その場を急いで離れようとすると後ろから声を掛けられる。
「あぁ最後に一つだけ──後悔は何も産んではくれんよ、年寄りの忠告じゃ」
最後に投げ掛けられたその言葉に何も返さず、その場を後にした。
「……そういうことがあったのよ」
「よく判ってるじゃないかそのマミゾウさんも」
どこか居心地の悪さを感じてはいたが今日も変わらず○○と話している。
どこ吹く風という様にひょうひょうとしているその口振りにイライラが増す。
「アンタがおかしいのはよく判っているからいいんだけど私が馬鹿にされてるのが嫌なのよ!」
「その通りだから返す言葉もないが酷いなお前も」
「うるさい、それよりもお替わりちょうだい」
「へいへい、どうぞ。 つーか自分で手酌しろ」
「付き合ってやってるのにうるさいのよ!」
珍しく酒を用意してきた○○と酌み交わす。
どうやら里で買ってきたらしい。
特に不味そうな酒でもなかったのでそのまま道端で飲み始めた。
「だいたいね、私は大妖怪なのよ。 本来は人間なんかとこうして飲み交わすなんてことないんだから」
「へぇへぇ、そりゃ立派なことで」
「あのねぇ……ほんとに判ってるの? アンタなんか一蹴出来るんだから」
「こっちとしちゃさっさと一蹴してもらいたいぐらいなんだがな」
飲み進めて判ったが○○は意外と酒に強い様だった。
どうやら、私の方が先に酔ってきてしまったようだ。
落ち着いた、いつも通りのその変わらぬ態度に苛立ちが強くなる。
「その態度がムカつくのよっ!!」
「んなこと言われてもしょうがないだろうに。 お前意外と悪酔いするんだな……」
「うるさいっ!! おかわりっ!!」
どんどんとペースを上げる。
単純に私の方が飲んでいるだけなのかもしれなかった。
飲み進めて残りが少しになってきて多少気分も落ち着いてきた頃。
口数もなくなり二人して黙って飲み進めていた。
だからだろうか──
「ねぇ──今でも死にたいと思ってるの?」
そんなことを──私から初めて──問い掛けてしまったのは。
「……あぁ。生きていてもしょうがないからな」
「……そっか」
ただそれだけ。
それだけを聞いて──後は静けさが広がった。
「──ん──ふぅ。……ただな──」
ぐいっと一息に飲み干し落ち着かせてから○○が口を開く。
「未練がないわけじゃないんだよ。正確には出来た」
「未練?」
「あぁ──惜しいと思っちまってんだよ。──この時間が」
その言葉に何も返せない。
何故なら──
「お前とこうして飲んだり話したり。──それがどうしようもなく楽しいって、そう思っちまったんだよ」
それは私もいつしか感じてしまっていた思いだったから。
「……」
「まぁ勝手な言い分だ。気にすんな」
「……ふん、高望みが過ぎるわね」
「まったくだ。んじゃそろそろ良いころ合いだから行くわ」
「……判った」
自分でもよく判らない感情のまま、別れようとする。
「あぁそうそう。──今日でお別れだ」
──去ろうとしたその時、そんな言葉を言われた。
「お別れ……?」
「あぁ、そろそろ身体にも本格的にガタがきちまっててな」
言われた言葉が判っているのに頭で理解出来ていない。
「掛かりつけの医者が居るんだがそいつに言われたのさ。
これ以上出歩くのは難しいだろう──ってな。まぁ自分から短くしてたんだから当たり前だが」
「……そうなんだ」
「あぁ、だから最後にお前と酒を飲みたかったんだよ。さっきの言葉はまぁ、死に際の冗談だと思ってくれ」
──まだ、時間はあると思っていた。
もう少しはこんな風にふざけて笑いあっていけると。
それは儚い願望でしか……なかった。
「……判った。アンタとの時間は──楽しかったよ」
「そりゃありがたいこった。んじゃ、さよならだな。付き合ってくれてありがとう──楽しかった」
全ては私の勝手な思い込みでしかなくて──遅すぎたんだと判った。
今ではもうどうしようもないのだと──空を飛びながら理解した振りをしていた。
「おや、おかえりなさいぬえ──どうかされたのですか?」
「……別に。どうもしないさ」
帰ってきた時に、ちょうど寝るところだったらしい聖に声を掛けられた。
正直今は何も考えたくなかったので、そのまま離れようとしたのだがお人好しの聖人に興味を持たれてしまったらしい。
「何やら悩んでいるようですが……もしよければ話してみてくれませんか? 誰かに話して解決することもあります」
「……他愛もない話さ、わざわざ聖に話すことでもないよ」
「……なら良いのですが……私は助けになれることがあればなんでもしますよ?」
「──そうだね、楽しくもなんともない話だけども付き合ってくれるかい?」
他の誰かだったなら絶対に話さなかっただろう。
ただ純粋に心配の眼差しを向けてきてくれる聖を無碍に出来ないと思ったのが一つ。
元ではあるが○○と同じ人間だということが一つ。
──そして、以前聞いたことがある老いるということ──『死』を恐れて魔法使いになったのだという話を思い出したからだった。
「……私がその方に偉そうに言えることはありません。なにせ、自然の摂理に逆らい邪法に手を染めた身です」
聞き終えた聖が悲痛な面持ちで言う。
そう、死というのは自然なこと。
私やマミゾウだってその存在を終える時が必ず来る。
それが人と妖では早いか遅いか──それだけの事なのだ。
「うん、判ってるさ。──他愛もない話だったろう?」
それでも、と思ってしまう。
何に対して納得がいかないのか判らないままに。
「──それでも、[[聖 白蓮]]としてではなく、一人の仏僧としてならば言える言葉はあります」
「……よくある説法かな」
「えぇ、当たり前の話です。だからこそ尊い。──未練があるのならばそれは生きる理由にもなれます。
──私が、さもしくもこの生を続けているように」
「正論だね、でもそれじゃ──諦めきっている奴には届かないんだよ」
生きるということを諦めている奴に何が出来るのか──長い時を生きる妖怪である自分に判るはずもなかった。
「……そうですね、私もその方の考えを変えられるような言葉というのは持ち合わせていません。……情けない話ですが」
「聖は救える奴だけ救えばいいのさ。誰もその手から零さないなんて、神様だって出来やしない」
絶望というのはそれ程深いモノなのだから──
少しの間互いに沈黙していると不意に聖が口を開く。
「──逆に貴女に問いましょう。貴女は──彼に死んでほしくないと思っているのですか?」
聖に言われて少し考え込む。
どうなのだろう──私は。
「判らないな、アイツとは話してて楽しいし一緒に居ると不思議と安心するんだ。
だから、出来るならもう少し一緒に居たいと思っているよ。
──でも、アイツが死にたいと思っているのならそれを止めるのも違う気がするんだ」
それは私とアイツの意地みたいなものなのかもしれなかった。
アイツが死にたいと願っているのであれば。
──生きたいと願うのであれば──
「……それも正しいのだと思いますよ。私には──そんな強さはありませんでしたから」
「強さなんかじゃないさ、正直──自分でもよく判らないしね」
苦笑いを浮かべ立ち上がる。
私が悩んでもどうにもならない、決めたのはアイツなんだから。
「ぬえ、一つだけ。──後悔だけはしないようにしてくださいね」
「……マミゾウにも同じ様なこと言われたよ、判ってるさ」
後悔──今のままではこの先未練になるのだと思う。
それでも──どうすれば正解なのかは判らなかった。
そうして○○との別れから数日が過ぎた。
今でも無意識の内に夜、あの場所へと行ってしまう。
少しの間だったってのに、思った以上に私の中でのあの時間は大きい物だったらしい。
「……弱くなったもんだね、私も」
誰も居ないその場所で一人零す。
こんなところをマミゾウや小傘に見られたら笑われるだろうか──
そんなことを考えているといつも○○が座っていた場所に何やら置いてあるのを見かける。
近くに寄ってみるとどうやら手紙らしかった。
誰が書いたかも判らないそれを無意識に開いていた。
──ぬえへ。
見ることもないだろうが、というか見られると恥ずかしいんだが自分の中で未練になっちまいそうだったんで書き残しておく。
とうとう身体に本格的にガタが来たらしくて二、三日中が山らしい。
笑っちまうもんだが不安なんかは不思議と感じてない。
藪医者のアイツの見立てよりも多少長生き出来たみたいだから嬉しいやら悲しいやらだ。
──本当のことを言うとな、悲しいんだ。
お前と話す時間は楽しかった。
本当に、楽しかったんだ。
こんな俺なんかと毎日話してくれた。
付き合ってくれた。
ただ死ぬだけだった俺には──それだけで嬉しかったんだ。
お袋を死なせちまった──殺してしまったも同然の俺に生きる価値なんてないと今でも思ってる。
だから静かに誰にも迷惑掛けず死にたいと思ってる。
でもな、お前と一緒に居たらもっと、って思うようになっちまってたんだよ。
──もっとお前と一緒に笑ってたいって。
生きていたいって──思っちまった。
笑っちまうよな、あんだけ死にたいって言ってたのに結局は死の間際に未練が残っちまったんだ。
だから──これは俺の弱音だ。
こんなん残されてもこれからも生きていくお前には迷惑だって判ってる。
それでも──
俺にとってお前はとても大切な奴だったんだ、ってことだけは残しておきたかったんだ。
ありがとう、こんな俺と一緒に居てくれて。
楽しかったよ。
陳腐な言葉だけども──愛してた。
さようなら、黒い天使さん。
最後には出来れば不味いだろうけども俺のこと喰らってくれると嬉しい。
そうして読み終えると同時に全力で飛んでいた。
どこかは判らないが行先は決まっている。
──こんなふざけた書置きを残した奴を一発ぶん殴りに行くのだ。
「しかし、動かなくなるのなんてあっという間なんだな」
「当たり前じゃ。生きる気力のない奴が長生き出来るわけがないわい」
「そらそうだ。──ごめんな、バカで」
「……あぁ、大馬鹿じゃよお前は。申し訳なくてあの人に顔向け出来んわ」
いつもの様に──最後になるかもしれない軽口を医者と交わす。
思えば、子供の頃からずっと親身にしてくれた人だった。
お袋を亡くした時に泣き腫らしていた自分を静かに抱きしめていてくれていた人だった。
幼い頃に父親を亡くしていた自分にとっては、正にもう一人の父親の様な存在だった。
──そんな人を裏切るような真似をしている。
とても言い訳なんて出来ない。
でも──駄目なのだ。
母親を──殺してしまった。
その負い目を背負ったまま生き続けられる程、自分は強い人間ではない。
これでも長く生きれた方だ。
ただ、一つだけ心残りがあるとすれば──
「死んだらどうなんのかね、どうせ何もないんだろうが」
「ふん、年寄りよりも先に死んでしまう奴なんて知らんよ」
「そりゃごもっともだ。──地獄の道案内がアイツだったらいいなと思っただけだよ」
未練があるとすればアイツのこと。
数日話しただけのアイツのこと。
だからどうしようという気も起きないがそれでも──と思ってしまう。
「惚れた弱みかねぇ、弱くなったもんだ」
「……誰のことか知らんがそいつは悲しまないのか」
「どうだか……気にせずひょうひょうと生きてってもらいたいんだがな」
「……救い様のない阿呆じゃな、お前は。もう行くぞ、後始末はしてやる」
腰を下していた医者が立ち上がる。
情けないが見送ることさえ出来そうになかった。
「判った。……ありがとな、こんな俺のことを見守ってくれて」
「……この大馬鹿息子が」
そうして一人残される。
思ったよりも気持ちは落ち着いていた。
さて、何を考えながら死のうか──と思って目を閉じる。
思い出されるのは幼い頃の記憶、思い出。
それと少しの間語らった──
静寂以外の何もない部屋で──
「起きなさい、○○」
もう聞くことのないと思っていたその声が聞こえた。
「起きなさい──と、言っているのよ」
横になっているアイツに呼びかける。
間に合ったという安堵の気持ちとぶん殴ってやろうという激情の気持ち。
その二つが私の中でせめぎあっていた。
「……驚いた、まだお迎えには早すぎるんじゃないか?」
いつもと変わらず──弱弱しくはあるが──目を閉じたまま○○は言う。
その態度に苛つく。
今まではそれが何故か判らなかった。
判らないから知りたかった。
判るまで一緒に居てやろうと思った。
──いつの間にか、一緒に居たいと思った。
「……ふざけたことを書き残した奴を一発ぶん殴りに来てやったのよ」
「あー……見たのか。確かにふざけた内容だったな。
ただ、今ぶん殴られたらただでさえもうすぐ死ぬのに早まっちまう。勘弁してくれ」
「一つだけ聞いておきたいの」
「無視かよ……なんだ? 出来れば手短に頼む。──死ぬなら一人で死にたいんだ」
「まだ死にたいと思っているの?」
そんなことを問い掛けた。
返答なんて判り切っているのに。
「──当たり前だ。今更、意地汚く生きたいとは願わねぇよ」
そして返ってきたのはやはり判り切った答え。
──だから私の答えも、用意していた通りの物だった。
「そう、判った──なら、死なせてなんてあげないわ」
布団を隔てたその距離で絶句する気配が伝わる。
「──どういう意味だ?」
「言葉通りの意味よ。──アンタを死なせてなんてあげないわ」
「──ふざけんな、俺はこのまま死ぬんだよ」
「あら、知らなかったのかしら? 私は天邪鬼なのよ」
コイツの言葉を、その決意を嘲笑う。
目を閉じたままだった○○がようやくこちらを向く。
その目には怒りと──ほんの少しの戸惑いが窺えた。
「放っておいてくれ。──決めたことなんだ」
「脆弱な人間風情がこの私に──『鵺』にお願い事だと? ──身の程を知れ」
妖気を静かに広げる。
人間の身では抗えぬはずのソレに──覚悟を決めている○○は臆さずしっかりと私を見据える。
「身の程なんてな、情けない程自覚してるんだよ」
その覚悟は痛い程判ってしまう。
──今から私はきっと、コイツを傷つけるのだろう。
「──それでも私が」
でも──その覚悟に応えるには私もこの正体不明の気持ちを把握しなければならなかった。
たとえ──私も傷つくとしても。
「私が! お前と、○○と!!──アンタと、もっと一緒に居たいんだ……」
「アンタと居る時間が楽しかった、語らう時が心地よかった」
ずっと一人で生きてきた私は知らなかったモノ
誰かと居れること
誰かに認めてもらえること
誰かに必要としてもらえること
不定な妖怪の鵺ではなく
未確認なモノへの恐怖ではなく
正体不明な存在への畏怖ではなく
一人の私《ぬえ》として、接してくれるただ一人の存在
──そんなコイツと、私はもっと一緒に居たかった。
「私の我儘だということは知ってるよ、それでも──未練を残してこの先生きていたくはないんだ」
「……」
「だから、アンタがいくら否定しようとも、生きていたくないと嘆いても──その度に胸倉を掴んで奮い立たせてやる」
「……勝手過ぎるだろう、それは」
苦笑を浮かべて○○が言う。
そんなこと今更だ。
「さっきも言ったでしょう? ──私は天邪鬼なのよ」
「──こんな俺にそんな風に言ってくれるのは素直に嬉しいよ。
ありがたい、でも──」
ぐいっと胸倉を掴んでこちらを向かせる。
いい加減その無気力な態度に苛つきも頂点に達していた。
「いつまで甘えてるつもりなんだアンタはっ!! アンタの母親が今のアンタの姿を見てどう思うか判らないのっ!?」
「──お前」
「意地汚くたっていいじゃないっ!! それの何が悪いっ!!
アンタが殺したも同然だっていうのなら、その罪にさいなまれるって言うのなら──」
大切なものを傷つけて、失って、立ち上がれないと言うのなら──
「私が一緒に背負ってやるわよっ!! 泣きたいのだったらいくらでも隣で泣き止むまで付き合ってやるわよっ!!」
せめて傍で癒したい。
孤独に気だったことに気付かせてくれて、その孤独を埋めてくれたコイツの為に。
「……泣いてくれるのか、こんな俺なんかの為に」
言われて初めて気付いた。
いつの間にか視界が滲んでいることに。
「うるさいっ!! ……だから、お願いよ──私ともっと一緒に居てよ、また独りにしないでよ……私を」
胸倉を掴んだまま、○○に顔をうずめる。
そのまま、恥ずかしさも気にせずただ嗚咽を漏らしていた。
「──ずっとな、考えていたんだ」
どれくらいそうしていたのか
時間の感覚なんて判らなくなっていた私に○○が言う。
「俺の病気が原因でお袋を亡くしちまった。ずっと、自分の身を粉にして看病してくれた大切な人を」
言葉を挟まず静かに聞く。
まだ生きている、どこか落ち着く○○の胸の鼓動を聞きながら。
「後悔しかなかった。あの人に何も返せなかった。だから俺は償わなきゃいけないって」
それは強い未練──
「死なせておきながら自分だけのうのうと生きながらえるなんて嘘だって、死ななきゃならないって」
それは深い絶望──
「何一つ意味がなかった命だとしても、せめて最後ぐらいは、って」
それは歪な思い──
「なぁ──こんなくそったれでも、何か生きてて意味はあるのかな」
それは必要とされたいという願望──
その様々な感情が入り混じった思いに──
「──知らないわ」
素直な私の思いを口にした。
「アンタがどう思ってて、アンタがどう償って、アンタの生き様にどんな意味があるかなんて、知ったこっちゃないわ」
そう、知ったことではないのだ。
何故ならば──
「私がアンタと居たいと思ってて! 私がアンタの罪を肩代わりして!! ──アンタと一緒に居たいと思ってる!!
私にとって大事なことはそれだけよ」
『傍に居たい』
ただそれだけが私が願って、決めたことなのだから。
「──大層な我儘娘に気に入られちまったんだな」
「当然よ、私は鵺。──我儘に気ままに、人を驚かす──妖怪なんだから」
だから私はコイツを死なせたりなんかしない。絶対に。
これからもずっと傍に居たいと他ならぬ私が願っているのだから。
「──俺は、弱いから」
ポツリと、○○が零す。
どこか消え入りそうな、それでも安堵感が混じったような声色で。
「自分で責任一つ取れない弱い人間だから、これからもうなだれちまうと思う。
これから先のことなんて何一つ判っちゃいないし、どうでもいいことでおっ死んじまうかもしれない」
か弱く、か細い、その生。
私とは違う──その生き様。
「それでも──生きてていいのかな、こんな俺でも」
その歪な生き方に──惹かれたのだ。
私を認識してくれたのだ。
だから──
「生きててほしいの──アンタに」
共に生きていくと、生きたいと願う。
「死なないで──一緒にまた、笑いましょう?」
止まらない涙を拭うこともせず、ただ○○の胸に顔をうずめていた。
「まぁ判ってたことじゃが──若いっていいのぅ」
「その台詞はどうなのさ……」
マミゾウの空になった盃に注ぎ足す。
お互いに長く生きているとはいえとりわけ渡世感がマミゾウはだいぶ強いと思う。
──だからこそ頼りになるのだが。
「生きていくこと、それはそれだけでとても辛いことですから」
お茶を飲みながら聖が言う。
断酒なんてよく続くものだ。
私には絶対に出来そうにない。
まぁ、する気もないが。
「そんなことを考えるのは修験者だけでいいんじゃよ。
限りあるのならばとりあえず生きてみる。
生きている内に出来ることなんてたかが知れてるんじゃからな」
「その通りですね、私も贖罪になるかは判りませんがこの人生を誇れるものにしたいものです」
「二人して難しいことを考えるもんだねぇ、今が良ければ過去なんてどうでもいいじゃないか」
一息に飲み干して言う。
そう、過去なんて過ぎ去ったものよりも今。
そう思う。
「うむ、それでいいんじゃよ。過去なんてたまに振り返るぐらいで」
「そうですね、大事なのは囚われないこと。反省は必要ですが必要以上に囚われるのは意味がないことです」
そう、大事なのはこれから──
「さってと……そろそろ私は行くね。アイツの様子を見に行かなきゃ」
「おぅおぅお熱いことじゃ。今度ぜひ連れておいで。一緒に飲み交わそうじゃないか──色々聞きたいこともあるしね」
ニヤリとマミゾウが面白そうに笑う。
──正直嫌な予感しかしない。
「まぁおいおいね──あぁそれと」
「ん? なんじゃ?」
「えぇとね、──ありがとう、話を聞いてくれて。感謝してる」
面と向かっては恥ずかしいのでそっぽを向いて言う。
色々と話を聞いてくれて、手助けをしてくれたことへの拙い感謝の気持ち。
「……ほぅ、あのぬえがのぅ。うん、長生きはしてみるもんじゃな」
「~~っ!! それじゃ私は行くからっ!!」
そう吐き捨てて逃げ出すようにその場を後にした。
「情けない奴だなぁお前も」
「うるさいっ、慣れてないのよああいうのは」
「ガキかよ……」
「アンタに言われたくないわよっ!!」
「いてっ!? お前こっちは病み上がりだぞ少しは手加減しろよっ!?」
「知るかバカっ。んで、今日はどこに行くのよ」
「全く何も考えてねぇ。というかまだ絶対安静中なんだよこちとら。出歩くなんて出来ねぇよ」
「よわっちいわねぇ……一晩で治しなさいよ」
「何を言っとるんだこの妖怪娘は。──治る見込みが出来ただけでも儲けもんなんだよ」
あの後、全速で飛び永遠亭の扉を蹴破った。
警戒して出てきた妖怪ウサギとあわやひと悶着、というところだったが後から続いて出てきた薬師の落ち着いた対応と
月の姫の鶴の一声でとんとん拍子で話は進んだ。
あの薬師曰く──
「掛かりつけの医者の対応が良かったわね。生きる気力がない者に対してよく生きながらわせたものだわ」
とのことだった。
○○の病状に関しては、難しいが対処の仕様もあるとのことでその助けを借りることになった。
「これでも医者の端くれですから。治したいと望む者は助けるわ。──それに愛の力も加わるんですもの、余裕よ?」
──そんなふざけたことを言われて暴れず抑えられた自分を褒めてあげたい。
そうして、今も私はここに居る。
コイツと一緒に。
この先のことなんて、知らない。
どうしようもないと嘆くことも、あると思う。
互いの違いを意識しなければいけなくなる時も──きっと来るだろう。
それでも──
「まぁお前と一緒に居ると退屈しないからな、これからもよろしく頼むよ」
「アンタこそ退屈させるんじゃないわよ。その時には捕って喰ってやるんだから」
──ただ今は、一緒に。
不定形な不安な気持ちではなく、正体を判ってくれるコイツと一緒に。
それだけを願いながら笑っていた。
うpろだ0036(0033続き)
「いい天気だねぇ……」
「まったくだ。こんな日は何にもする気が起きんな」
「自堕落だねぇ、まぁ同意だけども。──ふぁー……眠い」
晴れ渡る晴天
雲一つない青空
そんな天気であろうとも何をするわけでもなく二人のんびりとしている
健全な人間だったら出歩くものであろうけれども生憎とそんな気力も湧かない
それ程までに──その日差しの暖かさは素晴らしいものだった
「お前もこんな日までここに入り浸って暇人だねぇ」
「退屈で可哀想なアンタと一緒に居てやってるんだ、感謝してもらいたいぐらいだよ」
「モノは言い様だな」
「いいじゃないか、別に困ることがあるわけじゃないし」
「枯れるにはまだ早い気がするけどな」
「枯れてるのはアンタでしょう、私はいつでも活動的で可愛いのよ」
「どの口が言うk……おーけぃ、俺が悪かったからその手を下ろせ」
「判ればいいのよ、まったく──あふぁ、でもほんとに眠くなるわね」
そう言って可愛らしく欠伸をする
その仕草に目を奪われてしまうのはまぁ──惚れた弱みという奴なんだろうきっと
何をするでもなく互いに日向で横になっていると、立ち上がる気配がした
「──もう帰るのか?」
「なーに? 寂しいの? 単純に退屈なだけよ」
「さようで、生憎とここには退屈を埋められるようなもんねぇよ」
「確かにねぇ、一人暮らしが板についてるとはいえほんとに最低限しかないわよね」
この家に一人で住んでそれなりになる
確かに、コイツの言う通り最低限の物しか置いていない
それは自分なんかには贅沢は分不相応だと思っていたからであるし、なにより──
大切な人を殺した、その罰は受けるべきだと──死ぬべきだと、思っていたから
「でもいいのよ、なんせここには──」
その考えを少しづつでも改めているのはコイツのおかげ
無邪気で可愛い天邪鬼──ぬえのおかげだった
「アンタが居る──それだけで、私は退屈しないのよ」
そう言ってふざけながら覆いかぶさってくるぬえ
「……さっきと言ってることが真逆だな」
「あら、乙女心の判らない奴はモテナイわよ?」
「別に、モテタイとも思わないしな」
「……本格的に枯れてるのね、アンタ」
腰の上に跨りながら、可哀想なモノを見る目で見下ろされるのが少し癪に障った
だから──
「──お前が傍に居てくれるんだったら、他の奴なんてどうでもいいのさ」
少しは吃驚させてやろうと、覆いかぶさっていたぬえを逆に抱きしめる
「ちょっ!? ア、アンタ何を──!?」
真っ赤になって慌てふためく様を満足気に眺める
ぎゅっ、と固く目をつぶるぬえに──
「──さってと、いつまでもだらだらしてたら腐っちまうな。どっか買い物でも出掛けるか」
何をするでもなくそのまま立ち上がり、固まっている様子を横目に声を掛ける
なんせ仕返しを成功させて、満足している笑みを見られたら拙いのと──
「や、やったわねっ!! ちょっと待ちなさいよっ!!」
「待たねーよ、さっさと行くぞーお天道様と時間は待ってはくれない、ってなー」
ぬえに負けず劣らず、真っ赤になっているであろう表情を見られたくなかったからだ
外は変わらずの晴天
晴れ渡る青空に心地よい風
何をしようか、少し考える
でもきっと、何をしても楽しめるだろう
「憶えてなさいよ! 次は私が悪戯してやるんだからっ!!」
「へいへい、期待せずに待ってるよ」
「だから待てって言ってるでしょうにっ!」
隣で腕を組んで笑う彼女
ずっと一緒に笑って、傍に居てくれると──約束してくれたコイツと一緒なら
そんなことを、口には出さずに思った
最終更新:2013年07月10日 02:15