萃香5



うpろだ869


「嘘つき……」
彼女は、消え入りそうな声でそう呟いた。
目前の小さな肩が、ぷるぷると小刻みに震えている。
俯いているせいで表情は分からないが、その震える声色が、彼女が今どんな顔をしているのかを雄弁に物語っていた。

分かっていた。
彼女に、何か言うべきだと。
今言わなければ、きっと後悔すると。
けど、
「………………」
言葉が、出ない。
こんなにも、自分は臆病だったのか。
こんなにも、自分は情けなかったのか。
あんなに優しくしてくれた彼女にさえ、自分は――


「○○なんか……」
名前を呼ばれたことに反応して、自分への嫌悪に埋もれた意識が浮かび上がる。
そして、視界に捉えた彼女は、
「嘘つきなんか……」

泣いていた。

その顔を、悲しげに歪ませて。

その瞳を、大粒の涙で滲ませて。

その声を、痛々しく震わせて。

今までに一度も見たことが無い、本当に辛そうな表情で。




「大っ嫌いだ!!!!!!!!!」




そう叫ぶと、彼女の身体は瞬く間に霧散し……後には、彼女がその場に居たという痕跡は、一つとして残っていなかった。




「………………」
しばらくの間、呆然とその場に立ちすくんでいたが……やがて、その場にのろのろとへたり込んだ。
『大っ嫌いだ!!!!!!!!!』
その言葉は、自分の、どうしようも無く弱い心と身体を打ちのめすには、十分過ぎる破壊力を持っていた.
頭の中に浮かんでは消える、彼女の姿。その一つ一つが鮮明で……一つ一つが、鋭い痛みを伴っていた。
「っ……!!」
耐え切れず、頭を床に叩き付ける。
だが、それでも思い出は消えること無く――何かを訴える様に、心に痛みを与えてくる。
「ごめん……」
知らず、呟いていた。
彼女には、届かない。
もう、遅すぎる。
そう嘲笑う自分の声が聞こえたが、それでも言わずには居られなかった。
「ごめん……萃香……」
その声は誰にも聞かれること無く――ただ静かに、消えていった。







博麗神社。
幻想郷と外の世界との境界に位置し、幻想郷を覆う博麗大結界、その管理を行う博麗の巫女が住居とする神社である。
もっとも、普段から吸血鬼を筆頭に亡霊、天狗、魔法使い、果ては死神までもが出没し、
その危険度は幻想郷の中でも五本の指に入るとまで言われている。
この為、幻想郷を維持していく上でとりわけ重要な役割を担っているにも拘わらず、普段から参拝客、賽銭はほぼ零という、
神社としては極めて問題がある状況に陥っていた。
「…………」
「…………」
そんな博麗神社の縁側に、二つの人影が佇んでいる。
一人は、脇が露出する独特な構造の巫女装束に身を包み、頭に大きなリボンを着けた少女――博麗神社の主、博麗霊夢であった。
縁側に腰掛け、無表情にお茶を飲み、お茶菓子を摘む。
姿だけを見れば、いつもの博麗霊夢だと彼女を知る誰もが答えるだろう。
だが、その身に纏う雰囲気は、普段の呑気なそれとは全く異なる、酷く不機嫌そうなものである。
そしてもう一人、不穏な空気を全開で発生させる霊夢の隣に座っているのは、やや小柄な少年であった。
少し華奢な身体を外界特有の服に包み、深めに被った帽子で、目元近くまでを隠している。
手には霊夢と同じくお茶の入った湯飲みを持っているが――中身は全く減っておらず、その表面は小刻みに震えていた。


(何でこんなことに……)
彼――名前は、○○という――は心の中で呟いた。
別に、隣に座る霊夢と自分とは、それ程親しい間柄というわけでは無い。
境界を操るという妖怪にこの世界に連れてこられた時、最初に出会った人物であるという、
言ってしまえばその程度の繋がりしか存在しない。
それが今朝になって突然、居候させて貰っている慧音さんの住居に押しかけてきて、

「ちょっとこれ借りるわよ」

とだけ言って、呆然とする慧音さんの返事も待たずに、無理矢理自分を此処まで連れてきたのだ。
そして神社に到着した後、取り敢えずお茶を出してはくれたが、後はそのまま黙りこみ、
隣で不機嫌なオーラを発生し続けているというわけである。
人を半ば誘拐しておいて、その上黙りこくる。
これが普通の人間相手であれば文句の一つでも言う所であるが、相手はあの博麗霊夢である。
その上この不機嫌な様子では、下手なことを言えばそのまま土に還されかねない。
一体どうしたものかと途方に暮れかけた時、
「ねぇ」
突然、霊夢が声を掛けてきた。
そのあまり冷たい声音に一瞬気が遠くなるが、何とか気持ちを落ち着かせ、次の言葉に備える。
「……なんでしょう?」
声が変に上擦ってしまったが、

「あんた、萃香に何かしたでしょう?」

そんな事を気にする余裕は、無かった。





(分かり易い……)
たった一言でここまで狼狽える○○に対して、霊夢は心中でそう呟いていた。
「別に、私はあんたを責める為にわざわざ此処まで連れてきたわけじゃ無いわ」
そんな面倒なことをする気は全く無い。
「ただ……昨日の夜、あの娘の様子が妙におかしくて」
昨日――時間で言えば、日付が『今日』に変わっている様な時間ではあったが――やって来た萃香の様子は、それはもう酷いものだった。
「人間はもう寝てる時間だってのに、いきなりやって来て『飲むぞー!!』って叫んで……」
後はもう、応接間に陣取り、腰に下げた瓢箪からそれこそ浴びる様にして酒を飲み続けていた。
別に、ただ酒を飲むだけなら普段の萃香と何処か変わるわけでは無い。
だが――
「あの娘、妙に絡んできたのよね」
確かに、萃香は一人酒を好む方では無い。
寧ろ宴会などといった騒がしさ、賑やかさの中の楽しさを好むタイプだ。
だが、人が寝ている時に突然やって来て、宴会でも無いのに無理矢理酒の相手をさせて騒ぐなどといった事をする様な娘ではない。
「しかも直ぐ潰れるし」
普段なら、それこそ酒蔵が潰れる様な勢いで飲み続けるのだが――昨日は、瓢箪を三回程空けた所で、目を回して倒れ込んでしまった。
恐らく、『酔い』を周りから萃めながら飲んでいたのだろうが……
「間違っても、あんな飲み方をする娘じゃないわ」
『酒は楽しむもの』――宴会の度に、萃香が酔っぱらいながら喚いていたことだ。
だが、昨日の飲み方はそれとは全く違っていた。
まるで――酔う為に飲んでいるという様な、酔う為に酔っているという様な――
そこまで言った所で、ちらりと隣に視線をやると、
「…………」
案の定、○○は何か耐え難いものに耐える様な表情をして、顔を俯けていた。
推測が――元々、ほぼ確信の様なものであったが――確実なものになり、萃香の変化、その原因を突きとめることは出来た。
これ以上何も言わなくても、○○は萃香に何をしたのかを喋るだろう。
だが、
「それに――」
これだけは言わなければならない。
夜中に突然やって来た萃香を追い出さなかった理由。
何も言わずに、酒に付き合った理由。
普段ならしないことだが、潰れた萃香を介抱した理由。
そして――○○を連れて来てまで、真相を調べようとした理由。


「あの娘、ずっと泣いてたわ」


その言葉に対して――○○は、今までになく、辛そうな顔をした。


「……ま、虐めるのはこれくらいにして」
そう言って、縁側からゆっくりと立ち上がる。
夜中に酔っぱらいの相手をして、その後介抱して、おまけにプチ宴会の片付けまでさせられたのだ。このくらいは当然の権利だろう。
「それで、あんた萃香に一体何したの?」
だが、○○は沈黙し、俯いたままだ。
少々やりすぎたかもしれない――ちょっとだけだけそう考えながら、○○の正面に立つ。
「全く……」
そして、彼が目深に被っている帽子を、ピンッと指で弾いた。
「鬼と鬼未満が、変な喧嘩をするんじゃないわよ」
帽子を弾かれたことで露わになった、彼の額。

其処には、小さくはあったが――二本の角が、しっかりと生えていた。






――紫と名乗ったその妖怪は、自分が幻想郷に「引き込まれた」のは必然だと言っていた。

「ここは、幻想郷は――外の世界で忘れられた、『幻想』となったモノ達が流れ着く場所なのですから」

貴方に起こった変化もまた、『幻想』と化した現象なのだから――そう語った。

「けど」

そこで言葉を区切り、彼女は自分に――正確に言えば、自分の額に視線を向けた。

「貴方に宿った『幻想』は、幻想郷にすら忘れられた――言ってしまえば幻中の幻。夢中の夢」

そこまで言うと、彼女はすっと目を伏せた。

「幻想の中でさえ幻で、夢の中ですら夢だなんて――」

寂しい話でしょう? そう呟くと、彼女はゆっくりと浮かび上がり、背後に現れた『境界』――スキマ――にその身をくぐらせた。

「だから――」

呆然とする自分に向けて、スキマの向こうから彼女が微笑んでくる。

「あの娘と、仲良くしてあげて」

そう言って、彼女はスキマの中に消えていった。

……――そして、『此処』に思い出させてあげて――……

声だけが、ただその場に残っていた。





これが、幻想郷に来る時の――恐らくは、世界と世界の『壁』を越える直前の――記憶。

そして、幻想郷に、博麗神社に落とされた時に初めて出会ったのが、縁側でお茶を飲んでいた霊夢と、その隣にいた慧音さん。

そして――

「あなた――誰?」

伊吹萃香だった。


「おそらく……君に起こっている変化は、一種の妖化現象だろう」
そう教えてくれたのは、まるで箱の様な帽子を頭に載せた女性――上白沢慧音と名乗った――だった。
「後天的な妖化現象……幻想郷でならともかく、『外』で、しかも『鬼』に変化するというのは、殆どありえない筈なのだが……」
そう言って、何やらぶつぶつと呟きだす慧音さん。
難解な言葉が彼女の周囲を飛び交っていたが――それを気にする余裕は、その時の自分にはあまり無かった様に思う。
「…………」
「じぃー」
「…………」
「じぃーー」
「…………」
「じぃぃーーー」
先程から、ずっとこっちを見つめ続けていた少女――幼女?――が、いつの間にか自分のすぐ近くに来て、真下から覗き込んでいた。
何が面白いのか、その大きな瞳をやたらと輝かせながら、じっと自分を、額に生えた二本の角を見つめ続けている。
「ねぇ、私は萃香って言うんだけど、あなた、名前は何?」
「……○、○○」
勢いに飲まれてしまい、多少どもってしまったが、何とか答えることが出来た。
「○○……うん、○○か」
何が嬉しいのか、何度か自分の名前を呟きながら、うんうんと頷く萃香。
頷く度に、身体に巻き付いた鎖が音を立て、頭に生えている二本の角が揺れる。
(本、物……?)
普段なら、作り物か、どっきり映像かと疑う所だろう。
だが、自分の身に起こった変化が、そして、目の前に居る少女達の雰囲気が……目の前の出来事が、現実であると物語っていた。
「ね、○○」
「な、何?」
突然、萃香が呼びかけて来た。
「あなた、お酒は飲める?」
「はい……?」
いきなりの質問に、再びとまどってしまう。
言ってしまえば、自分はあまり飲める方ではなく……寧ろ下戸である。
だから、酒が飲めるかと言われれば、NOと答える方なのだが……。
「えっと……君、お酒を飲むの?」
目の前にいるのは、角が生えているとはいえ、見た目がほぼ幼女の女の子である。
先程からまだぶつぶつ呟いている慧音さんならともかく、目の前の幼女から言われると、何とも妙な気分にさせられる。
「むぅ」
言葉の意味に気付いたのだろう、萃香はぷぅっと頬を膨らませ……、
「いきなり何を聞いてるのよ」
いつの間にか後ろに立っていた少女に札を貼り付けられ、へろへろとその場にへたりこんだ。
「私の名前は博麗霊夢。ちなみに素敵な賽銭箱はあっちよ」
「その自己紹介もどうかと思うがな」
そう言って、思考の海から戻ってきた慧音さんが苦笑しながら霊夢の隣に立った。
「さて、何から話したものか……」
そう言って、慧音さんはゆっくりと話し始めた。



この世界は「幻想郷」という、自分のもといた世界とは異なる世界であるということを。
妖怪が現実に住み、人が妖怪と時に争い、時に共存しながら住んでいる世界であるということを。

そして――妖化が始まっている自分は、恐らくもう、元の世界に帰ることが出来ないということを。



「じゃあ、この神社に住めば良いじゃない」
「え……?」
帰れない――その事実に呆然としている自分に、萃香がそう提案してきた。
「ね、良いでしょ霊夢!!」
「あの、ちょっと……?」
疑問の声を上げるが、萃香の耳には全く届いていないらしく――何やら興奮した様子で、隣の霊夢に話しかけている。
「駄目」
「ええーーー!?」
が、ばっさりと斬り捨てられた。
「家にこれ以上野良を養う余裕なんか無いわ。食料とか、お酒とか、お賽銭とか、それでなくても色々厳しいのに」
野良扱いされたことに対しての突っ込みとか、理由の最後に何故お賽銭が来るのかとか色々と気になることはあったが……
聞いたらもの凄く酷い目に遭わされそうなので、止めておいた。
「じゃあ、私がお賽銭を萃めたら、○○をここに住ませてくれる?」
「う……」
その言葉に、霊夢の動きがびたりと止まる。
一体どれだけお賽銭に飢えてるんだ。そう思い、何故か涙が流れそうになった所で、
「お前に、巫女としての誇りは無いのか……?」
呆れた様な慧音さんの声が聞こえてきた。
「幾ら何でも、それは不味いだろうが。もしあの天狗にでもばれたら、それこそ参拝客が来なくなるぞ?」
「くっ…………そうね、確かに、目の前のお賽銭も大事だけど、後に続かなければ意味が無いものね……」
あ、慧音さんが何処か遠くを見る目になった。
というか、この巫女さん、先程から「参拝客」ではなく「お賽銭」という言葉しか使って無いような……
「えぇーー。良いじゃない、その都度お賽銭を萃めてあげるからさーー」
「………………駄目!! やっぱり駄目ーー!!」
何だ、今の間は。
「ぶーー……ねぇ、○○。○○も、此処に住みたいでしょ?」
「え?」
突然、こちらに話題を振ってくる。
「ね、ね、此処に住みたいでしょう?」
「えー……と」
此処に住みたいか……そう言われても、この世界の事情を何も知らない自分には、あっさり「はい」と答えるのには躊躇いがあった。
第一……
「えっと、霊夢が許してくれないと……」
そう言ってチラリと目をやると、
「私はミコ巫女巫女ミコ巫女巫女霊夢巫女ミコ霊夢ミコミコレイム…………」
かなり危険な表情でぶつぶつ呟く巫女さんが目に入った。
萃香にとってもこれはかなりキツイものだったらしく、
「うっ……」
と言うと、霊夢から目を逸らした。
流石に、この状態の巫女さんを説得する気は無いらしい。
「……あー、それなら、家に来たらどうだ?」
そう言ったのは、遠くの世界から帰ってきた慧音さんだった。
霊夢の様子にかなり気後れしながらも、それでも何とか平静を保っている様だ。
「これでも里の相談役をやっていてな。人一人を養う余裕位なら十分にある」
部屋の方にもまだ余裕はあると、慧音さんはそう言った。
「それに……」
その視線が、自分の額に――二本の角に向けられる。
「同じく半妖の者を、放っておきたくはないしな」
一瞬だけ、慧音さんの表情に陰が差した。
その陰の意味を少しだけ考え……そして、答えを出した。
「……すいません、お願いします」
どの道、自分一人では、この世界で生きていくことは出来ないのだ。
なら、ここは素直に助けを受けておくべきだろう。
「うん、分かった」
そして、慧音さんが微笑んで――
「えぇぇぇぇぇぇ」
不機嫌そうな萃香の声が間近に響いた。
「萃香、あまり無茶を言うものじゃないぞ。第一……」
そう言って、慧音さんの視線が霊夢に向けられる。
「そうよ、うん、お賽銭は大事だけど、私は巫女。でもお賽銭……」
さっきよりも状況は良くなっているが、まだ霊夢は深い懊悩の中にいた。
「……あまり霊夢を困らせてやるな」
あ、慧音さんがこっそり涙を拭った。
「むぅぅぅぅぅぅぅ」
萃香はしばらくの間不機嫌そうに唸っていたが、渋々ながら納得したらしい。
代わりに、
「うぅーん……ねぇ、○○はお酒飲めるの?」
先程と同じ質問をしてきた。
「いや、あんまり飲めないけど……」
そう答えると、萃香は再びその目を輝かせた。
「じゃあさ、鍛えたいとは思わない?」
「鍛える……?」
確かに、酒は飲んだだけ強くなるという話を聞いたことはあるが……
「そりゃ、鍛えられるなら鍛えたいけど……」
その言葉に、萃香の瞳の輝きが更に強くなった。
「じゃあね、今夜ここで宴会をやるから、その時一緒に飲もう!」

「宴会……?」
何故か、その言葉に凄く嫌な予感がする。
「おい、萃香……」
慧音さんが声を掛けるが、
「忘れないでよ、今夜だからね!!」
そう言って、萃香の身体は一瞬にして霧散化し……後には、目の前の出来事に呆然とする自分と、呆れ顔の慧音さん、そして、
「……ん? 何? 宴会って、萃香?」
やっと正気を取り戻したらしい霊夢が取り残された。
「……まあ、何だ」
まだ呆然としている自分の肩を、慧音さんがぽんぽんと叩いた。
「頑張れ」
ただ、それだけを言われた。




その後、何度となく開かれる宴会に参加していく内に、色々な人妖達と出会っていった。
ある時は、緑色の髪をして、背中に透明な羽を生やした少女に、
「最近、チルノちゃんが無茶ばっかりして……」
と、悩み相談の様なものを受けたりした。
またある時は、ピンクの服を着た少女(幼女?)の吸血鬼に、
「ふぅん……あの鬼が目を着けたにしては、中々の上物じゃない?」
と妙なことを言われたりもした。(後ろに立っていたメイドさんが、何故か目を赤くしてこちらを睨んでいた)
さらにまたある時は、眼鏡を掛けた、自分よりも少し年上に見える男性から、
「君も大変だね……」
と妙な同情を受けたりした。(その直後、男性は黒白の格好をした少女に引き摺られて行った)

そして、いつも宴会の時には、
「○○ーー!! 今日も飲むぞーー!! 鍛えるぞーー!!」
萃香が隣に居た。
彼女は、いつも陽気に酒を飲んで、誰よりも笑って……誰よりも、楽しそうだった。
酒を鍛える……最初は、その目的の為に、半ば無理矢理に参加させられていた宴会だったが、
段々、幻想郷の住人達に出会っていくことが……
萃香と一緒に飲めるということが、自分の中で、とても大きなものになっていった。
勿論、宴会の最後まで残れたことは殆ど無く、潰されて酷い目に遭うことも多かったが……
潰れた自分を看病してくれていた萃香の表情はとても優しげで……心の中に、じんわりとした温もりをくれた。
そして、それは宴会に限ったことでは無かった。
ある時は、里の外れで。
ある時は、慧音さんの家で。
またある時は、大きな湖の近くで。
一緒に話し、一緒に食べ、一緒に居て……ただそれだけのことがとても嬉しかった。
彼女と居ることが、とても嬉しかった。





だから、隠していた。
「○○ー? 居るー?」

幻想郷の皆に、霊夢に、慧音さんに、萃香に感謝していたから。
「ふふ、まぁ、次はもっと頑張りなさい?」

彼女の言葉が、嬉しかったから。
「楽しい? ……うん、私も楽しい!!」

だから――





ある日、夢を見た。
それは、懐かしい光景だった。
家も、道も、街も、学校も……そこにある全てが自分にとって思い出深いもの達だった。
毎日通学した裏道、いつも買い食いしていたコンビニ、よく眠っていた学校の教室。
そして、
「あ……」
そこには、懐かしい人達が居た。
一緒に遊んだ友達が居た。
厳しかったけど、優しくもあった先生が居た。
毎日自分を送り出し、そして「おかえり」と言ってくれた両親が居た。
思わず、走っていた。
その光景へ。
必死に走り、手を伸ばして――しかし、その光景は一向に近づいてこない。
「くそっ……!」
やがて、何かに躓いて転んでしまう。
そのことを切っ掛けにしたかの様に、今まで見えていた景色が、どんどん遠ざかっていく。
「ま、待て……!!」
叫ぶ。しかし、届かない。
「待ってくれ!!!!!!!」
叫んで、目が覚めた。



「はぁはぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
其処は、慧音さんの家、その一角を間借りさせてもらっている、自分の部屋だった。
時間はまだ夜なのだろう。部屋の中は酷く暗く、手元がどうなっているのかもよく分からない。
「…………」
そう、部屋は、真っ暗だった。
昔は、夜中でもこんなに暗い……室内にも、窓の外にも光が一つも無い、本当の『夜』を体験したことなんて、一度も無かった。
「未練だよな……」
あんな夢を見た所為だろう。もう、振り返らないと決めていた筈の事が、やけに鮮明に思い出された。
目の前に広がる暗闇も、まるで映画のスクリーンの様に、次々と記憶の中身を浮かび上がらせていく。
「くそっ……」
その光景の懐かしさと、闇に対する心細さ。その二つに対して悪態をついた時、


「○○……」


唐突に、声が響いた。
はっとして振り向くと、いつからそこに居たのか……萃香が、暗闇の中に立っていた。
だが、その様子はいつもの明るいそれとは違い……酷く悲しげで、寂しそうなものだった。
「すい、か……」
名前を呼ぼうとして、しかし、上手く声が出なかった。
「○○は……帰りたいんだよね」
ぽつり、と萃香が呟いた。
「○○は、幻想郷より、『外』の方が良いんだよね……」
呟く言葉が、僅かに揺れる。
「ち、違……」
「嘘!!」
言いかけた言葉は、しかし萃香の絶叫に掻き消された。
「宴会の時だって、一緒の時だって……○○はいつも寂しそうだった! いつだって、無理して笑ってた!!」
「……!!」
心の中を見透かした萃香の言葉に、思わず息が詰まる。
確かに、どこか孤独感を感じることがあった。
ここは、自分の居た世界では無い。自分は、この世界の住人ではない。この世界の住人には、なれない。
その意識が心の奥底にこびり付いていて……何処か、心が痛かった。
だから、それを隠してきた。
みんなには……――彼女にだけは、知られたくなかったから。
「どうして……?」
彼女は、震えながら俯いた。
「どうして、嘘を吐いたの……?」
床に、言葉と、雫が跳ねる。
その姿を見ても、しかし、何も言う事が出来ないでいた。
「嘘つき……」
そして――――――




『大っ嫌いだ!!!!!!!!!』






「成る程ね……」
事の顛末を説明した後、縁側に腰掛けて話を聞いていた霊夢が最初に言ったのは、
「ヘタレ」
「ぐぅっ」
随分と辛辣な言葉だった。
「だってそうでしょう? 全く、そもそもあんなバレバレの態度で、自分の気持ちが隠せてると思ってたの?」
「…………」
返す言葉も無い。
事実、隠せていなかったからこそ、あんな事になってしまったのだから。
「まあ」
そう呟くと、霊夢はずずずとお茶を啜った。
「私も、萃香から話を聞くまではあんたの態度に気付かなかったワケだけど」
「……いや、ちょっと待って」
今さっき、さも『自分も気付いていました』的な発言をした様な気もしたが、それよりも、
「萃香から、話を聞いた……?」
「そうよ」
あっさりと肯定した。
「二ヶ月位前に、突然、あの娘が『○○の様子がおかしい』って言い出してね。
その時、やれここがこうおかしいだの、何か隠しているだの、散々話を聞かされて……
結局、『理由が分かるまで、この事を○○には話さないで』ってことでお開きになったんだけど――」
真逆こんな事になるとはね、と言って、霊夢は傍らのお茶菓子に手を伸ばした。
「あむっ……むぐむぐむぐ……」
「…………」
咀嚼音と、沈黙だけが場に満ちる。
そんなに前から、自分は、萃香に心配を掛けていたのか。
そんなに前から、萃香は、自分の事を考えていてくれたのか。
そう思うと、情けなさと後悔で、視界が埋まっていく様な気がした。
「……で、理由は何なの?」
「え……」
お茶菓子を食べ終えたらしい霊夢が淡々と切り出してきた。
「理由よ、理由。私や慧音にならともかく、萃香にまで嘘を吐いてた、その理由」
その瞳は、ひどく真っ直ぐで……逃げる事を許さないという気迫に満ちていた。
「言っておくけど……私は、今酷く機嫌が悪いのよ」
そう言って、霊夢はゆらり、と立ち上がる。
「あんたのおかげで寝不足になるわ、あの娘が居ないから掃除や力仕事を全部しなきゃならなくなったわで……もの凄く不機嫌なわけ」
その瞳は全く笑っておらず、背後に大量の御札と、巨大な陰陽玉の幻影が見えた。
「で、今素直に答えたら何事もなく無事に帰してあげるけど……答えなかったら……」
幻の筈の御札と陰陽玉が、視界の中でゆっくりと現実になっていく。
不味い、これは、本気で不味い。
恐怖のあまりぐるぐると回る景色の中、霊夢がぼそっと呟いた。
「……今答えるなら、内容によってはあの娘に逢わせてあげる」
あの娘…………萃香!?
「本当か!?」
この反応を待っていたかの様に、目の前の霊夢がにやっと笑った。
「ええ、本当よ。嘘は吐かないわ」
そう言って、霊夢は御札と陰陽玉を消し、
「……もっとも、内容にもよるけどね」
そして、傍らに立て掛けてあった竹箒を手に取った。
「じゃあ、話してもらおうかしら?」




「最初は、ただ、申し訳ないって気持ちだった」
それは、本当の気持ちだった。
「いつも良くしてくれる萃香や慧音さん、それに、霊夢や、宴会で話してくれる幻想郷のみんなに、申し訳ないって……」
いつまでも、戻れない故郷の事を引き摺ってばかりでは、彼女達に申し訳が無いと。
「でも」
やがて、その感情が変化していった。
「いつ頃からか……萃香のことが気になってきて」
何度となく会う内に、その小さな姿が、心の中で大きくなってきた。
「いつも笑顔で、明るくて、……少し騒々しい時もあったけど、でも、優しくて」
そんな彼女と、一緒に居たいと思う様になっていた。
「だから、余計に言えなかった」
きっと、彼女が悲しむと思ったから。
「いつまでも故郷を引き摺ってばかりで……ここの事を、萃香の事を見てないって思われたらって、そう考えたら」
情けない話だが…………怖くなってしまった。
「だから、萃香にも……周りの誰にも、言えなかった」
誰かに聞かれて、彼女に伝わったら……そう思うと、怖かった。



何て、情けないのだろうか。どうしようも無く弱く、あまりにも惨めな話。
強くも男らしくも無い、ただただちっぽけな、『彼女に嫌われたくない』という、それだけの、理由。
その弱さが、あの結果を招いた――その事実が、胸に刺さっていた。



だが、それでも。
どんなに惨めで、弱い心でも。
この気持ちだけは、確かだった。
これだけは、この気持ちだけは、はっきりと言えた。



「俺は、萃香の事が――!?」
「はいそこまでー」
眼前の霊夢が、竹箒の先端で口を塞いできた。
「熱くなるのは勝手だけど、その先はまだ駄目よ」
そう言って、霊夢は竹箒をゆっくりと口から離した。
無理矢理ふさがれた口に少し痛みが残るが、それよりも、霊夢の態度がどこか軟化したことが気になる。
「まぁ、ぎりぎり及第点って所かしらね。もう少し気の利いた言葉を使って欲しい所だけど……」
呟き、霊夢は辺りを見回した。そして、
「紫ー! 覗いてるんでしょーー!! 出てきなさーい!!!」
神社中に響き渡る声で、そう叫んだ。
現在、神社の境内には自分と霊夢以外、誰の姿も無い。
誰か隠れているのかとも思ったが、さして広くないこの神社では、隠れられる空間など上空を含めて殆ど無い。
だから、最初は霊夢の叫びの意味が分からなかったのだが……
「はいはーい☆」
目の前の空間を断ち割って出てきた姿に、一瞬で納得することとなった。
「相変わらず出歯亀してるわね……」
「出歯亀じゃないわ。幻想郷の少女達を見守る、スキマ☆ウォッチングって読んでくれない?」
「似た様なものよ」
何処か疲れた様な霊夢の言葉にも、紫さんは平然と返していた。
というか、初めて会った時と随分印象が違うのですが?
「さて……」
心の声が聞こえたのか、紫さんがゆっくりとこちらに振り向いた。
「話は聞かせて貰ったわ」
そう言って、悲しげに微笑む。
「貴方の孤独感は、元を正せば私が貴方を性急に招いたことが原因よ。
もう少し貴方の成長を待っていれば、ここまで孤独感に苛まれることは無かったかもしれない」
ごめんなさい、と、紫さんは言い、
「けど、貴方には、どうしても、今会って欲しい娘が居たの」
こちらを見つめる視線に、力がこもる。
「貴方に、彼女を癒してあげて欲しかった。だから、私は貴方をここに喚んだの」
その彼女が誰のことか……薄々ながら、感づいていた。
「お願い……彼女の側に居てあげて?」
頼まれるまでも無い。寧ろ――
「俺の方こそ、彼女の……萃香の側に、居させてください」
こんな、頼り無い自分が、彼女の支えになれるのかは分からない。
けど、少しでも彼女の役に立てるのなら……拒否する気など、全くなかった。
「……ありがとう」
紫さんはそう言って、にっこりと微笑んだ。


「盛り上がってる所悪いんだけど」
と、霊夢の声が聞こえる。
「紫、あんたを呼んだ理由は……」
「ええ、分かってますわ」
答えて、紫さんは懐から小さなスキマを取り出した。
「ここに取り出したるは、何の変哲も無いごく普通のスキマ……」
いや、スキマという時点で普通も何もあったものでは無いと思うのですが……
喉から出かかったその言葉を、何とか身体に押し込む。
「これを、ちょっと一撫ですれば」
紫さんは自身の細指を、ゆっくりとそのスキマに這わせた。
瞬間、空気が、いや、それとは別の『何か』が変わって……
「ぎゃっ!!」
「うわっっ!!」
虚空から、自分目がけて萃香が落ちてきた。
ぼすんっっという音を立てて、その小柄な身体が、膝の上に墜落する。
「やっぱり……朝から姿を見ないと思ったら」
「やっぱり?」
やっぱりとはどういうことだろうか。
「どうせ、目が覚めた後に恥ずかしくなって、ずっと霧になってたんでしょ。
で、私が○○を連れて来たものだから出るに出られなくなって、そのまま神社を漂ってた……そんな所じゃない?」
「うぅぅぅぅぅぅ…………」
そう言えば、萃香は密疎を操る能力を持っていたような……?
そこまで考えた所で、あることに気が付いた。
「あの、霊夢さん」
「何?」
「『ずっと霧になって』『漂ってた』?」
「でしょうね」
ということは…………
「今までの会話って、全部」
「聞かれてたわね」
一瞬で頭に血が上り、鼓動が跳ね上がった。
そう言えば、膝の上で自分に背を向けて、俯いている萃香も、耳がやたらと赤い。
「全く……告白なら、せめて本人の姿が見える時にしなさい」
「れいむぅ!!!!」
その言葉に、萃香が絶叫する。が、
「さてさて、邪魔者は退散しましょうか、紫」
「それじゃ、後は若い二人にお任せしますわ。因みに萃香、今貴女は霧散化できないわよ」
そう言って、二人は社務所の奥へと引っ込んでいった。


「あうあうあうあうあう…………」
「…………」
何というか、非常に、恥ずかしい。
膝の上で、あうあう唸っている萃香と、真っ赤になったまま沈黙している自分。
端から見れば、どれ程滑稽な様子で見えるのだろうか。
「あの、萃香……?」
「……何」
「取り敢えず、膝から降りてくれないか……?」
「…………」
応えず、萃香は自分の膝の上に座り込んだまま、頭を胸元に押しつけてきた。
「萃香……?」
「…………」
彼女は何も言わず、ただぐいぐいと頭を押しつけてくる。
その表情は長い髪に隠れて見えないが……ただ、僅かに見える耳元は、未だに赤く染まっていた。
「……最初は、仲間が来たって思ったんだ」
ぽつり、と呟いた。
「幻想郷から居なくなった仲間が、戻ってきてくれたんだって」
「仲間……」
聞いたことがある。萃香は以前、幻想郷に鬼を呼び戻すために異変を起こしたことがあると。
「結局、○○はそうじゃなかったけど……それでも、私以外の鬼に会えたことが、嬉しかった」
それは、彼女の本音だった。
「いつも一緒に居たくて、近くに居て欲しくて……けど、神社には住んではくれなかったから」
だから、理由を付けて、何度も宴会を開いた。
霧になっていつも見守り、一緒に遊べる機会を探した。
「けど、いつからか『鬼』に会えるって考えるんじゃなくて、『○○』に会えるって考える様になって」
萃香の言葉が、僅かに震える。
「隣に居てくれることが嬉しくて、話して掛けてくれることが嬉しくて。どんどん、○○のことを考える時間が増えて……」
だから、気付いた。
他の誰よりも、ずっとずっと、見つめていたから。
「○○が、何か私に、気持ちを隠してるんだって、嘘を吐いてるんだって、分かった時……凄く、悲しかった」
最初は、その気持ちを抑えようとした。
けど、
「○○に会う度に、悲しい気持ちが、大きくなって、胸が痛いのが、辛く、なって……」
声が、歪む。
○○の膝の上、萃香の小さな身体が震え……嗚咽が、混じる。
「っく、惨めでも、良いよぉ、……っひ、弱くたって、くはっ、構わ、ない……っひぁ」
ぽろぽろと落ちる涙の雫が、膝の上に染みを作る。
「どんなっ、……っは、り、ゆうだって、っく、いい、よ……っくふ、どんな、きもちだって、っひ、笑わな、い、からぁ……」
そこで、初めて萃香が、○○の方に向き直った。
涙に濡れた、大きな瞳で。
くしゃくしゃに歪んだ、赤い顔で。
「お願い……」
それでも、○○の瞳を、正面から見つめて。
「○○の、ホントの、気持ち、を、教えてよぉ…………」
それだけを伝えると、萃香は○○の胸元に顔を埋める。
そして、
「……っく、ふ、ぁ、あ、あ……うああああああああああああああああああああああああああ!」
大きな声で、泣き出した。



「…………」
「……っく、ぐすっ…………ぅぅ……くぁっ……」
一体、どれだけの時間をそうしていたのだろうか。気付ば……空には、満月が浮かんでいた。
胸元に顔を埋め、大きな声で泣き出した萃香。
その間、ただただその小さな身体を抱きしめ……嗚咽を漏らす萃香の頭を、撫で続けることしか出来なかった。
「……嫌、だよ…………うそ、っは、ついて、ほしくなぃよぉ………」
「……」
「聞いて、あげ、っるからぁ…………嫌ったり、っっ、……笑った、り、なんか、し、ない……から、ぁ………」
彼女の気持ちが、嬉しかった。
こんなにも弱い自分を、こんなにも想ってくれる彼女のことが……酷く、愛おしかった。
「……ごめんな、萃香」
「○、○……?」
胸元から離される、萃香の顔。
僅かに光る涙の跡に、僅かな痛みと……どこか、暖かな気持ちを感じた。
「俺が臆病なばっかりに、萃香に辛い思いをさせて……」
「……いいよ、もう……」
そう言って、彼女は僅かに微笑んだ。
「……○○の気持ち、教えて貰ったから。私を想ってくれてるって、分かったから」
「え……?」
そう言うと、萃香はゆっくり手を伸ばし……先程まで萃香を撫で続けていた、自分の手を掴み取った。
彼女は両の手でその手を包むと、穏やかな様子で微笑む。
「凄く、暖かかった。○○が、私の事を想ってるって気持ちが伝わって来て……凄く、嬉しかった」
月明かりに照らされた萃香の表情と、手に伝わる彼女の温もりに、心臓の鼓動が跳ね上がる。
「ね、○○……?」
「な、何……?」
潤んだ瞳で見つめてくる萃香の様子に、何故か、声がどもってしまう。
「さっきの言葉の続き……教えて?」
そう言って、萃香はそっと目を閉じた。
「…………」
さっきの言葉。
それが意味する所は分かっていた。
彼女の態度、その求める所も。
だから……
「……俺は、萃香が好きだ」
そう囁いて、
「……んっ」
彼女の小さな唇を、そっと自分の唇で塞いだ。
僅かな酒の薫りと、甘い匂い。そして、彼女の柔らかさだけを、ただ感じ続けていた――。










「これはスクープです!! 実に良い物を見させて頂きました!!」
博麗神社から遙か遠く、迷いの竹林の上空で、その影――射命丸文は歓声を上げた。
「流石は、にとりさんが再現してくれた外の世界の撮影機器です!! こんなに暗くて遠くても、バッチリ写ってます!!」
その手に構えているのは、普段使っている手巻き式のカメラでは無く……長大な望遠レンズと暗視レンズを装着した、
まるで大砲の様なカメラだった。
「後は、これを記事にすれば……」
むふふふふ、と怪しい笑みを浮かべる文。その背後に、不意に三つの影が現れた。
「ねえ紫、知ってる?」
「何かしら?」
ビキリ、と文の動きが止まる。
「私、今日は寝不足で疲れてて、おまけに午後から縁側が使えなかったから、酷く不機嫌なのよ」
「へぇ、そうなの」
冷や汗が一滴、文の額を伝う。
「実は、私も不機嫌でな」
……そこに、もう一つの声が加わった。
「今日は色々と忙しかったのだが、居候が誰かに連れ去られた所為で、さらに仕事が追加されてしまってな」
「へぇ」
「そうなの」
二本の角を頭上に生やし、腰から白い獣尾を生やした慧音が、淡々と会話に加わる。
「いや、結局無事に問題が解決した様だから良かったが……仕事と心労で、少々苛々している」
「奇遇ね」
「ああ、実に奇遇だな」
冷や汗が、脂汗に進化した。
「憂さ晴らしに弾幕ごっこをしたいのだけど……付き合ってくれる? 慧音」
「普段なら断る所だが……何故だろうな、今日は付き合いたい気分だ」
「私もお付き合いいたしますわ」
不味い、一刻も早く、ここから…………
「「「だから」」」
三つの手が、がっしりと文の肩を掴んだ。
「「「付き合ってくれる?」」(よな?)」
「いやああああああああああああああああああああああああ!!!!???!!!???!!!」



合体スペル:深・博麗弾幕結界『月下の幻想狂』 ――Lunatic――








「あ……」
あれから、萃香を膝の上に乗せたまま月を眺めていたのだが……不意に、視界にきらびやかな光の乱舞が飛び込んできた。
あの光は……弾幕勝負だろうか?
普段は、恐ろしい力と力の衝突としか思ったことは無かったが、こうして遠くからその光を眺めてみると……
「綺麗だな……」
「む」
と、膝の上の萃香が何やらごそごそと動き始めた。
「萃香?」
疑問の声に応えず、萃香は腰に付けた瓢箪から酒を口に含むと――
「んむっっ?!」
「んー……」
そのまま、口移しで酒を流し込んできた。
口内に侵入にしてくる萃香の舌の柔らかさと、甘く薫りながら喉を通る鬼の酒。
二つの感覚に呆然とする自分を見ながら、萃香はゆっくりと唇を離した。
「今は駄目……」
ぷぅっと頬を膨らませて、萃香はそう呟いた。
「今は、○○は私しか見ちゃいけないんだから」
その拗ねた様な態度が、とても愛らしくて。
堪らず、萃香を抱き寄せていた。
「…………えへへへへ」
彼女に、伝わっているだろうか?
自分が、こんなにも――
「伝わってるよ……」
そう、彼女が囁いた。
「○○の、『大好き』って気持ち……」
そう言って、微笑んだ。
「私も、大好き……!!」
そして、三度目の口付けを交わした。

















=========================後書き===========================

すいません、節分に間に合いませんでした。
勢いのままに思いの丈をぶつけてみたら……えらく長く、その上読みにくい作品になってしまいました。
拙作で申し訳ありませんが、この作品が皆様の舌に合うことを祈っております。
今はじっと、遙か眼下の大地を見つめている。



=========================了=============================

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最終更新:2010年05月11日 21:33