萃香7



うpろだ1416


里で働いて、家に帰ってきた。そこまではいつも通りだった。
家で一人、晩酌をする鬼を見つけるまでは。

「おかえり~。帰って来るの遅いんだね」

家の中で寝転がりながら酒を飲む萃香。
その顔は赤く、もうずいぶんと酒を飲んでいることが分かる。

「ただいま、というかお前は家で何をしてんだ?」
「何って、晩酌。あんたも飲む?」

けらけらと笑いながら返された言葉を聞き、頭が痛くなるのを感じた。
働いて帰ってきたら鬼が居る。しかも晩酌をしているとは。
今日の仕事は長引いていて、かなり疲れもたまっている。
そのため早く眠りたかったが、この状況ではしばらく寝られなさそうだ。
そこまで考えて、ため息が出た。

「何ため息なんかついてんのさー」

萃香が不満そうに頬を膨らませながら抗議してくる。
その仕種はかわいらしいが、この後のことを考えると憂鬱になる。
とりあえずは、早めに疑問を聞いてしまうことにしよう。

「なんで、萃香は家に居るんだ?というか、家を知らないはずだろ?」

疑問を口にする。
この家は数ヶ月前に幻想郷に迷い込んだ時に、働く代わりに里の人から借りたものだ。
里から遠いここは、ほとんど誰も知らないはずだ。
知っているのは、里の中で数人。それだけだった。

「慧音に教えてもらったんだ。それと、今日来たのは用事があるからね」

萃香に答えをもらい納得する。慧音さんなら知っているだろう。
ここに住むときに片付けなどを彼女に手伝ってもらったからだ。
しかし、萃香に用事?一緒に酒を飲もうとかじゃないだろうか?
一緒に居るときはいつも酒を飲んでいたし、それ以外は思い浮かばなかった。

「で、用事とはなんだ?今日は早く寝たいんで、できれば別の日にしてくれると助かるんだが」

今日は疲れているし、明日の朝も早い。
これで帰るはずがない、と思いながらも少し期待してみる。

「まあまあ、そんな事いわずにさ~。頼むよ~」

笑いながら赤い顔で酒を飲み続ける萃香。
やはり、帰ってくれないらしい。この後どうなるのだろうと思いながら、またため息が出る。

「あー!またため息ついたー!」

萃香にはため息をつかれる事が不満らしい。
だが、この状況ではため息をつくのも仕方がないだろう。

「今度ため息ついたら、一緒に付き合ってもらうからね!」
「神社の宴会なら行かないぞ」
「なんで!」
「いつも言ってるだろ、翌日に仕事があるときは宴会には行かないと」

怒った様子で萃香は言う。自分の答えは分かっているはずなのに。
今まで何度も誘われたが、自分は神社の宴会には一度も出たことがない。
行かない理由は、翌日には仕事があるからだった。
仕事をする日は多いが、昼過ぎには終わるので自由な時間は多い。
だから、昼から酒を飲む分にはかまわない。
だが、宴会に行くと翌日の仕事に遅れてしまうし、空気に当てられて飲みすぎたら出られないかもしれない。
出られなくても里の人達は笑って許してくれそうだが、自分は優しさに甘えることが嫌だった。

「次の日に仕事がないなら行ってもいいが、そんなに都合のいいときに宴会はやってないだろ?」
「仕事がないって、ほとんど毎日仕事してるじゃん。仕事がない日なんていつなのさ?」
「そのうちきっと休みをもらうさ」

このままでは萃香の機嫌が悪くなる一方だ。話題を変えなければならない。
だが、何の話題にするか。そう考えたとき萃香が来た理由を思い出した。

「そういえば、萃香の用事ってなんだ?」

質問をしたときに、空気が凍ったような気がした。
萃香は突然俯き、そのまま動かない。
自分は用事を聞いただけなのに、何でこいつは動かないのだろうか?

「…………」

沈黙が続く。
萃香が動く気配を感じられない。
少し息苦しい気がする。

「……えっと……あの…………」

もごもごと呟いているようだが、何を言っているか分からない。
一体どうしたのだろうか?
ただ自分は用事を聞いただけなのに。

もう何十分と待っているような気がする。実際はそんなに長くないと思うのだが。
萃香が顔を上げた。ようやく話してくれるらしい。






「その、い、一緒に住んでもいい?」






自分には、萃香の言葉を理解できなかった。






「えーと、萃香は神社に住むことが出来なくなったから、ここに?」
「そ、そうだよ」

しばらくして再起動した頭で萃香に事情を聞いてみたところ。
萃香はどもりながらも説明してくれた。
話によると、ついに神社の経済状況が破綻したらしい。
今までも危なかったが、二人で住むことが出来ないくらいやばくなったと。
それで、萃香は住処を探しに家に来たらしい。

「だけど、家は狭いし布団がひとつしかないぞ」
「え!?」

そこで何で驚く?狭いのは分かるだろう。
人が五人ほど寝たら一杯の空間に物が置いてあるのだ。
狭いのは当然だ。

また萃香は下を向いてしまった。
何か変なことでも言っただろうか?





「……じゃあ、い、一緒に寝るしかないね」







……あ、危ない。また意識を飛ばしかけた。
何を言ってるんだろうか、こいつは。一緒に住んで、寝る?
まるっきり同棲じゃないか。それに住むのを許可した覚えもない。
恋人でもないのに、何を考えているのだろうか?

「……お前は、一体、何を言ってるんだ」
「だって……布団、一つしかないんでしょ?だったら一緒に寝るしか……」


こいつは、一体どこまで行ってしまうのだろうか。
あまりの展開に頭が痛くなってくる。




「お前………」
「えっと、駄目……かな?」






一緒に住むなんて問題があるだろう。と、そこまで考えて気がついた。
俺は何を焦っていたのだろう。
萃香は慧音さんに教えてもらったのだという。
その時は別の理由で訪ねたのではなかろうか?

慧音さんは世話好きだ。
見ず知らずの自分を色々と手伝ってくれるほどに。
きっと萃香は最初に慧音さんを頼りに行ったのではないだろうか?
一緒に住めないか、と。
しかし、慧音さんは村の中心人物だ。慧音さんの家にはよく人が行く。
そこに鬼が居たら、きっと大騒動になってしまう。
村の中には妖怪が嫌いな人や怖がっている人も多く居るのだから。

そう考えると、慧音さんが自分の家を勧めたのも納得がいく。
里から遠く、里の人が来た覚えもない。それに食料も十分ある。
萃香が住むのに最適じゃないか?
それに萃香は自分より遥かに年上とはいえ、見た目幼女だ。
慧音さんも、俺がこんな小さな子に手を出す、とは考えていないだろう。

それに萃香も自分とは友達なだけだ。
一緒に住むといっても、同棲とは考えていないはずだ。
きっと、家族のような暮らしを考えているのだろう。

と、そこまで考えたとき萃香がこっちを見ているのに気がついた。
しばらく考え込んでしまったようだ。
不安そうにこちらを見ている萃香。考えている間、答えを待っていたらしい。
いつもの姿からは想像が出来ないような表情に思わず苦笑してしまう。

「しょうがないな。別にいいぞ、萃香」
「え?ほ、本当?」

ニコニコと嬉しそうに笑う萃香。
こんなに喜んでもらえると、見ているだけで気分がいい。

しばらく嬉しそうな萃香を眺めていたが、そろそろ飯を作ることにしよう。



「萃香、これから晩飯にしようと思うんだけど、食べるか?」
「うん。ちょうどお腹も空いてきたし貰おうかな」
「分かった。しばらく待っていてくれ」

萃香も晩飯を食べるということで、久しぶりにまともなものでも作ろうか。
いつもは自分しか食べないので、適当だったし、それじゃあ萃香に悪いだろう。
そう考えて準備を始めた。


今日の晩飯は焼き魚に野菜のサラダ。それに、たくわんを加えた一般的なものだ。
料理が得意じゃない自分でも、これくらいのものなら作れる。
料理を作り終わってよそる段階になって、食器が足りないことに気がついた。
今までは一人分の食器で十分だったし、誰も家に来なかったので、用意する必要がなかったのだ。
ここには一人分の食器しかない。皿は同じでもかまわないが、箸まで一緒にするわけにはいかないだろう。
戸棚の奥の方を探しているとスプーンが一つ出てきた。


「それで、スプーン?」
「そうだ。流石に箸を一緒に使うわけにはいかないだろう。とりあえず、食べるか」

いただきます、の挨拶とともに晩飯を食べ始めた。

しかし、スプーンではとても食べにくい。
ご飯を食べることは出来るのだが、焼き魚の骨をとることが出来ない。

「スプーンじゃ大変じゃない?骨とるのやってあげようか?」

焼き魚相手に四苦八苦しているところを萃香に見られていたらしい。
骨を人にとって貰うというのは子供のころ以来なので、子供扱いされているようで恥ずかしかった。
しかし、焼き魚の骨をとるにはスプーンでは無理なのが分かっていたので、頼むことにした。

萃香は箸を器用に扱って、次々に焼き魚の身と骨を分けていく。

「萃香は箸の使い方が上手なんだな」
「そうかな?普通だと思うけど」

萃香は普通だというが、自分よりは遥かに上手だ。
話している間もずっと一定のペースで、どんどん骨をとっている。
萃香の箸捌きを眺めていたら、皿をこちらに出してきた。
どうやら骨をとり終わったらしい。
ありがとうと、感謝の言葉を口にすると萃香は照れたように笑った。

「ごちそうさま」
「ごちそうさま」

食べ終わったばかりでごろごろと寝転がりたいが、皿洗いをしなければいけない。
重い体を動かして皿洗いにいこうとしたら、服を引っ張られた。

「○○が作ったんだから、皿洗いは私がするよ」
「そうか、ありがとな。頼んだよ」

これから一緒に暮らすんだし、色々と分担を決めないといけないな。
皿洗いは萃香に任せるとして、自分はゆっくり休ませて貰おう。
流れる水の音を聞きながら、目を閉じた。




「………○○……○○。」

体が揺すられている。萃香に名前を呼ばれているのが分かった。
いつの間にか眠っていたらしい。
寝ぼけ眼をこすりながら起き上がる。

「起きた?○○が起きないから先に風呂に入っちゃったよ。それと服も借りたからね」

自分が寝てる間に萃香は風呂に入っていたらしい。
今は自分のTシャツを着ていた。
自分の服は萃香には大きいようで、肩や腋が露出している。
ほんのりと赤く染まった肌からは普段はない色気を感じた。

「悪かった。まさか、寝るとは思わなかった」
「別にいいよ。疲れているみたいだし、早めに風呂に入って寝ようよ」
「そうだな、それがいいな」


萃香に布団の用意を頼んで、風呂場に行く。
体を洗い、浴槽につかる。適度な温度が気持ちいい。
ずいぶん長く入っていたのか、部屋に戻ってくると、萃香はもう布団の中で横になっていた。

「萃香、起きてるか?」

返事はない。どうやら寝ているようだ。


「萃香、入るぞ」

一応、布団の中に入る前に萃香に一声掛けておく。
一緒に寝るとはいえ、近くで寝るのは恥ずかしくて萃香から一番離れた布団の端っこに入った。
萃香に背を向けて横になる。
この距離ならあまり萃香のことを気にしなくて寝れる。そう思ったとき背中を引っ張られた。


「○○、そんな端っこじゃなくてもっと真ん中にきなよ。そこじゃあ、布団から出ちゃうよ」


どうやら、萃香は起きていたようだ。
このまま端っこで寝たいが、萃香に服を引っ張られている。
恥ずかしいが、行くしかない様だ。
分かったと返して、布団の真ん中に行く。

真ん中についたら、近くで寝ていた萃香が抱きついてきた。
いきなりのことに頭が混乱する。

「じゃあ、おやすみ」
「え?す、萃香?」

どうやらこのまま寝るつもりらしい。
だが、この体勢はどうにかならないだろうか。
向かい合って抱きつかれているのだ。
首筋に当たる萃香の息がこそばゆいし、他にも、風呂上りだからだろうか、甘い香りがする。
このままじゃ寝られないと思って萃香を離そうとする。
自分の力じゃ足りないみたいで、萃香が離れる気配すらない。
だが、このままじゃ眠れないので頑張っていると、声をかけられた。

「○○はこの体勢は嫌?」

なんと答えればいいのだろうか?困るけど、嫌じゃない。
答えを考えているうちに萃香が離れた。

「ごめん。やっぱり、離れた方がいいよね」

そう言って、背を向けた萃香。
その声は寂しそうだったが、反対を向いてしまったので確認が出来ない。
このままではいけないと思い、背中を向けている萃香を抱き寄せた。
萃香は少し跳ねただけで、動かなかった。

「別に、さっきの体勢でも良かったぞ。変わるか?」
「え……」

萃香は少しの声とともに黙り込んでしまった。
そのまま萃香を抱きしめていると小さな声で話しかけてきた。

「このままの体勢でいいよ」

萃香のお腹の方に回した手に、萃香が手を重ねてきた。
そのまま動かなくなった萃香を見ていると、耳の辺りが真っ赤になっていることに気がついた。
恥ずかしがっているのかもしれない。

おやすみと告げて、目を閉じた。
消えゆく意識の中で、萃香がおやすみと言ったのが分かった。


うpろだ1503


「鬼は外、福は内、か」
 二月の三日というのは世間一般で言う節分で、家の中の鬼を祓い、福を呼び込む願掛けを
行うのが一般的であるが、あいにくうちには豆の類も目刺も柊の葉もない。なぜなら……

 こんこん、と扉が叩かれた。
「よぉ、萃香」
 扉を開けるとつのを生やした少女がいた。


「やっぱりな、ここだけ豆のにおいがしなかった」
 そういうと彼女はにかりと笑い、中へ勝手に上がる。彼女の履物を並べて直してから
僕も後へ続く。居間へ行くと彼女は囲炉裏の前でさっきまで僕が食べていた煎餅を齧っていた。
「まったく、……節分だというのにお前は何もしないんだな」
 半分になった煎餅を食べ終え、嬉しそうにそう言う。
「だって、豆をまいたら萃香が来なくなるだろ?」
 首をすくめて僕は答える。そこかしこが豆をまく行事の中、何の疑いもなく僕の家に来た
彼女は、そのことを知っているのに。
「はは、違いないね」
 二枚目のせんべいに手を伸ばしながら萃香は笑った。お茶を入れてあげようか。
「鬼は内、福も内、さ。だから豆は撒かない」
 囲炉裏にかけてあった鉄瓶から急須に湯を注ぐ。ふわっとしたお茶の香りが広がった。
まぁ出がらしだけど。
「ほら、お茶。それにしても、寒い中、一人で来たのかい?」
 そういえば、外は結構な雪が降っている。
「まぁ、あれだ、私の周りに『温かさ』を萃めて来たから」
 事もなげに答える。どうやら最後のせんべいも彼女の胃袋に収まりそうだ。
「おま、それはまたあのおっかない巫女さんに叱られるって。前にそれやってひどい目にあった
白玉楼の主の話、してくれたばかりじゃないか」
 すると彼女は胸を張って否定した。
「ああ、私の場合は個人使用の範疇だ。あの巫女だって怒りはしないさ」
 そういうもんなのか、と茶をすすると、そういうもんなのさ、と彼女はまた笑った。
よく笑う鬼だ、と思う。来年の話もしていないのに。
 せんべいも、お茶もなくなった。気づいたら萃香はどこからか酒の瓶を取り出して飲んでいる。
「お前も飲むかい? せんべいのお礼だ」
 僕の視線に気づいたのかそう言って飲みかけの盃を差し出す萃香。
「冗談。お前の酒なんて一口で前後不覚になっちまうよ」
「安心しろ。その時は責任もってお前をさらってやるから」
 そうやって不敵に笑う。冗談じゃない。
「ますます安心できないじゃねえか」
 すると、いままで冗談を言い合い、笑っていた彼女が少しだけさびしそうな顔になった。
「そう、か……」
「え? あ、いや、その……」
 いつも笑っている彼女の少し陰りを帯びた表情にどきりとして、言葉を濁す。
「ほら、だってさらわれると帰ってこれないというか、やっぱりそれはきちんとした
同意の上でというか、はじめてはやっぱり好きな人とでないというか」
 矢継ぎ早にまくしたてる。自分で言ってることが支離滅裂な気がするが、この際勢いだ。
「じゃあ、お前は私のことが好きか?」

 その一言で僕はまたしてもドキッとする。いや、いつも遊びに来るし、一緒にいると楽しい。
しかし僕は人間で彼女は鬼だ。そういう感情で彼女を見たことは、まぁ、ないこともないが、
それはどちらかというと憧憬に近いそれであって、恋愛対象としては……。
 口に出そうとしたが、出てこない。否、自分の口が、誤魔化すのをよしとしないのか。
 答えを待つ萃香は、期待と不安の混ざった眼で、僕を見上げている。
 いや、自分の気持ちはわかっているんだ、けど、口には出しにくい言葉じゃないか。ああ、
でも、これは、言うべきタイミング、だよな。
「……うん、僕も好きだよ。萃」
 すべての言葉を紡ぐ暇すら与えられなかった。タックル気味に押し倒されて、キスされる。
酒臭いのが少々ロマンチックさに欠けるが、それ以上に、甘く、心地よい香りが広がった。
「……へへ、やっと言えた」
「……そっか」
 そう言って笑う彼女はとても可愛く見えた。


 囲炉裏の炎で映る影が一つ。そこから聞こえる声は二つ。
「……いい加減降りろよ、お茶が入れられないだろ」
「いやだね。お茶はいいからこうしていたいんだよ」
 よく見ると、男の影の肩口から、とがった角のようなものがひょっこり生えているように
映っている。そのつのもひょこひょこ楽しそうに揺れている。
「……萃香じゃなくて、僕が飲みたいの。大体キスしただけでこんなに酔うなんて聞いたことないぞ」
「ハン、知ったことじゃないね、それにお前は下戸過ぎなんだよ」
 楽しそうに笑う声。
「というかな、正直言うと、そこにいられると、男としてその、困るんだよ」
「ん? それは私を女として見てくれているということか? それは嬉しいね」
 困惑する人間と、笑う鬼。
 さらわれたのは、体か、心か。
「……まぁ、福も鬼も、来たってことか」
「最初から来ているだろうに」
 影の肩から腕が伸びて、首に絡まる。男の頭が下がっていく。

「……ちゅ……ん……ふぅ……ちゅ……」

 そんな二人を、暖炉の火だけが照らしていた。

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新ろだ285


天狗「そろそろ、あいつが来る頃か・・・」

妖怪の山にある小さな飲み屋、俺はそこの店主をしている。
っつっても客なんて全くこねえ。立地が悪いのか、それとも品揃えが悪いのか、はたまた接客か・・・
おそらく全てだろう。まあ俺が店番してるのなんて、特にやる事が無いからなんだけどな。

だが、最近妙なチビが入り浸るようになった。

ж ж ж ж ж


袖を無理やりちぎったようなシャツに、紫色の大きなスカート
そして顔をすっぽり覆っている亜麻色の長い髪には大きな角が二本。

そんな鬼がこの店に来たのは数ヶ月位前の事だ。

鬼はカウンターに座るや否や、「酒をらせー」と舌の回らない声で言ってきた。
少女の声だった。だが容姿や声なんて俺ら妖怪にはあてにならない(俺だってこう見えても500は超えている)
俺は自分で後で飲もうと思っていた酒を取りだす。

天狗「おらよ、つまみはねーぞ」

ほんとの事だ。客なんか来たのは数十年ぶり、材料なんて仕入れてないし、買ってくるのも自分の分だけだ。


・・・・・・なんでこいつはさっきから俺の事を睨んでんだ?


いや、顔は髪で隠れていて見えないが視線を感じるというか・・・まあ大体分かるだろ?

天狗「なんだ、何か文句でもあるか?」

鬼「いや、なんでもないよ・・・・・・・・・なかなかいい店だね」

天狗「いい店だったらこんなに寂れてねーよ」

それから鬼は黙りこくったままだった、偶にちびちびと酒を飲んでは俺の顔を見ての繰り返し
・・・なにか?つまみが無いからって俺の顔がそんなにも美味そうに見えるのか?
俺があれこれと考えている間に鬼はもう酒を飲み干していた。

萃香「・・・・・・萃香、あたしの名前」

天狗「へぇ、そうか」

萃香「酒、美味かった。また来るよ」

そういって鬼・・・萃香は店を後にした。一度俺を振り返った時に一瞬、顔が見えたんだが・・・

かなり可愛かった。

ж ж ж ж ж 

萃香「おいーっす、親父!」

萃香は俺の事を親父と呼ぶが、断じて親父じゃない(これも妖怪単位だが・・・)
あいつに言わせると飲み屋の店主は「親父」と呼ぶのが通だそうだが、いい迷惑だ。

天狗「また来たのか、お前も飽きねーな」

萃香「長い事生きてると新しい楽しみを見つけるのも一苦労でね、いつものやつ頂戴~」

天狗「ったく・・・楽しみの前にまずその身だしなみをどうにかしたらどうだ?」

萃香「身だしなみ?これのどこがおかしいのさ?」

天狗「髪だよ髪。ボサボサで埃まみれで、そのくせ好き放題に伸ばして、それじゃあ鬼じゃなくて山姥だ」

おれは今まですっと気になっていた事を言った。

萃香「・・・・・・・・・変・・・なのか?」

意外な返答だった。どうせケラケラと笑うくらいで気にも留めないと思ったんだが・・・
本人も少しは変と思っているのだろうか?だとしたらここは言ってやるべきだろう。

天狗「ああ、変だな。少なくとも俺はかわいいとは思わない」

・・・返事がない、というかピクリとも動かない。まさか・・・怒ったのか?
仕方ない、もうちょっと後で渡そうと思ってたんだがな・・・
俺はカウンターの下に準備しておいた紙袋を取り出し、渡した。

萃香「・・・・・・・・え?」

萃香はその紙袋をじっと見つめ、俺の方を向いた。
俺がさっさと開けろと首で促すと、紙袋をバリバリと破いて中身を取り出した。

真っ赤なリボン

萃香「これ・・・」

天狗「お前のそのぼさぼさ髪が見るに絶えなくてな、昨日たまたま見かけたやつを買ってきてやったんだ」


本当は結構前から準備していた。が、なにせあの性格だ。何の脈絡もなしにほいと渡すと何を言われるか分かったものじゃねえ。
だから今回の流れは俺にとって千載一遇のチャンスと言っても過言じゃないだろう。

天狗「ま・・・、前髪もどうにかしな、見てるこっちが鬱陶しくなる」

俺が本当に言いたかったのはこっちの方だ。
だが流石に「お前の顔をもっと見たいから髪を整えろ」なんてアホなセリフが言えるほどの度胸は持ち合わせてない。
そして言われた本人はというと・・・

リボンを凝視したまま無言・・・

天狗「どうした、気に入らなかったか?」

萃香「う、ううん!いや・・・なんでもない」

なんでもないって・・・だったら礼くらい言ったらどうだ?

萃香「・・・・・・・・今日は・・・・・・・もう帰るね」

天狗「え?あ、おい!」

俺が呼び止める間もなく萃香はすごい勢いで店から出て行った。
一瞬見えた顔は酒も飲んでないのに少し赤かった気がする、体調でも悪くなったのか?




萃香が店に来なくなった。


わけが分からない。あいつがこの店にはじめて来てから、来なかった事なんて一度もなかった。
風邪でも引いたのか?いや、鬼が風邪を引く事なんて滅多にない。
用事か?・・・あいつに限ってそれはない・・・と思う。

天狗「・・・・・・あれか?」

そうだ、あのリボンを渡してからだ。
だがリボンを渡した事と店に来なくなった事が結びつかない。
俺からプレゼントを貰うのが嫌だったのか?
それとも俺が身だしなみの事を指摘したから怒ったのか?

分からない

俺は人付き合いがかなり悪い方だと自覚している。
俺は友達なんてモンが全くいなかった、必要だとも思わなかった。
萃香が来てからは毎日が楽しかった。あいつが店に来て、馬鹿笑いしながらどうでもいい事を俺に話す。
俺は適当に相づちをうってあしらっている風に装っていたが、あいつの声や身振りを見て、数回しか見たことのないあいつの顔を想像するだけで楽しかった。

・・・俺が・・・あいつの顔をもっと見たいと思ったのが悪かったのか?
俺がリボンなんかを渡したから・・・


カウンターをぶん殴った。
手が痛い、それでも何度もカウンターを殴り続ける。
ばかやろう、俺のばかやろう、俺はあいつの事が好きだった。あいつともっと話したかった・・・。
それを自分でぶち壊しやがって・・・!


ガタッ


・・・・・・?入り口の方から・・・・・・・・・・・まさか。
手から血が滲んでいるのも忘れ入り口に駆け寄り、引き戸を開ける。

天狗「萃・・・香・・・・・・?」

一瞬別人かと思った。
今までぼさぼさだった髪は俺が渡した赤いリボンで結わえていて、前髪は綺麗に切りそろえてしっかりと顔が見えた。
可愛い、その言葉以外思い浮かばない。
萃香は顔をほんのりと赤く染め、恥ずかしそうだった。

萃香「どうだ?可愛いか?」

天狗「・・・ああ、すごく可愛いよ。」

それを聞くと萃香ぱあっと顔を明るくした。
・・・かと思うとすぐに顔を曇らせうつむいた。

萃香「・・・ごめん」

天狗「もうずっと来ないかと思ったぞ」

萃香「・・・ごめん」

天狗「もういい、さっさと入れ。酒も準備してある」

萃香は首をフルフルと振った。

萃香「私はもう・・・行かなきゃいけない・・・」




最近、鬼の一族が山から・・・いや、現世からいなくなっているというのは聞いたことがある。
理由は分かっていないが、鬼と人間の関係が崩れてつつあり、



天狗「お前も・・・他の奴らと行くのか・・・」

萃香はうつむいたまま顔を上げない。

天狗「萃香・・・この店で一緒に・・・暮らさないか?」

萃香「・・・!」

天狗「別に・・・絶対に行かなきゃならない・・・って訳じゃないんだろ?だったら俺と・・・」

萃香「・・・・・・出来ないよ、これは私だけの問題じゃない」

天狗「なんで・・・なんでだよ!?萃香!俺は・・・俺はお前の事が・・・・・・!」

最後の言葉を言う寸前、萃香は俺の胸倉をつかみ一気に自分に引き寄せた。

そして・・・

萃香「んっ・・・・・・」
天狗「・・・!」

俺の唇と自分の唇を重ね合わせた。

一瞬何が起こったのがわからなかった。
そして理解したときには、俺は萃香を抱きしめていた。
萃香もおれの胸倉から手を離し、おれの腰に手を回す。

ずっとこの時が続けばいいと思った。

だがその願いも叶わず、萃香は俺の唇からゆっくりと離れていった。

萃香「それ以上は言わないで・・・本当に離れられなくなる」

その顔は涙でぬれていた。
萃香は俺の事をどう思っていたのか・・・その答えはこの涙が十分に語ってくれている。

天狗「いつか・・・帰ってくるよな?」

萃香は何も言わなかった。

そして、俺の腕から抜け出すと背を向けて歩き出した。


萃香の背中が遠くなる。


俺は叫んだ。


天狗「萃香!絶対・・・絶対に帰って来い!」


一度だけ振り向いた萃香の顔は・・・


輝くような笑顔だった









???「・・・・・・・さま・・・・・・・て・・・ぐ・・・・さま・・・・・・」


・・・俺を呼んでいるのか?


???「大天狗様!」

目を覚ますとそこは俺の仕事部屋だった。
・・・夢?
俺はいつのまにか居眠りしていたのか。
それにしても・・・懐かしい夢だ・・・・・・

???「休憩中のところ、申し訳ありませんでした」

大天狗「いや、いい。それより何かあったのか?射命丸」

射命丸「はっ、先日博麗神社付近で確認された妖気の正体が判明したのでご報告に来ました」

大天狗「そうか、ご苦労だったな。それでどうだった?」

射命丸「正気の正体は鬼が原因だったようです」

大天狗「鬼だと?鬼は大結界が出来る以前までに地下に行ったんじゃなかったのか?」

射命丸「それは・・・私にもなんとも・・・」

大天狗「そうか、もうすこし様子を見る必要があるな。鬼については何か分かったのか?」

射命丸「姿は子供くらいの大きさで、服装はシャツの袖を破いたような服と紫色の大きなスカート
    真っ赤なリボンで結わえた亜麻色の髪から生えた大きな二本の角が特徴的でした。名前は・・・」

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新ろだ377


「バカァ!!」

罵声と共に萃香は俺の家の扉を蹴破って出て行った。
被害にあったのは扉だけでなく、扉の周りの柱も半壊状態。
我が家の存亡の危機である。

と、まあそれはいいのだが。

「はぁ~、まさか見られるとはな、不覚だ」

浮気現場がではない。
アリスと一緒に買い物をしていたのを見られたのだ。
ただ、買い物をしていただけだ。
アリスに浮気などしていない。

もう一度言っておくが決して浮気などしていない。
俺はアリスとバレンタインのお返しを買っていただけなのだ。

それを萃香に見られた。もうしっかりと。
アリスといい感じに歩いていたのを目撃されたのだ。

そして放たれる萃香の殺気。手には数枚のスペルカード。



その時ほど恐怖を感じる瞬間は生涯を通して二度とないだろう。



ま、その時にひと悶着あって冒頭に至るわけだ。



「はぁ~、過ぎたことを悔やんでいてもしょうがない。謝りに行くか」


それもこれも俺がホワイトデーの存在を忘れなければこんなことにはならなかった。
自分の空気の読めなさが恨めしいよ、まったく。

最低限の家の補修をした後、俺は萃香の家にむかった。



 ----------数十分後-----------


「何しに来たのよぅ」
「謝りに来た」

萃香は泣いていた。
おそらく、俺がアリスといい雰囲気だったのが余程ショックだったのだろう。

「そんなのいらない、よ、ぐすっ、
 とっとと、っ、アリスのとこに、えぐっ、行けばいいじゃない、うぐっ」
「まあそう言うな。それとも何だ?
 謝りに来た恋人におめおめ帰れってのか?」
「帰れ」

萃香は相当怒っていた。
ま、そりゃそうだよな。
俺が逆の立場だったとして怒らないはずがない。

「まずは謝るよ。ホントにごめん」
「っ、謝ったって、うっ、許さないんだから、」

当然だな。俺だってそうだ。

だからこそ言い訳なんかしない。できない。必要ない。

「普通ならここで言い訳とかするだろうけど、
 俺はしないよ。俺は・・・」

そういって、ギュッと萃香を抱きしめた。

「お前が許すまでこうしてるよ」
「・・・っ、怒れないじゃないのよぅ」

萃香の肩の力が抜けていくのがわかる。
やっと落ち着いたみたいだ。

鬼だとかなんだとか言われてるが、今の萃香は紛れも無い一人の女の子だ。

「あぁ、そうだ、今日はホワイトデーだったな。ほい」

差し出したのはアリスと選んでいたとっておきのお酒。
この日のために(忘れていたけど)大枚はたいて購入した名酒だ。

「ほら、顔上げろよ。今日はこれで飲もう」
「・・・うん」

萃香は泣き止んでいた。
かわりに笑顔が浮かんでいた。

「よし!そうと決まれば準備を、ってアレ?何?この鎖?
 宴会の準備ができないのですが?ねえ萃香さん?」
「いいの」

二人仲良く鎖に巻きついた状態。
そんな状態での俺の質問への返答は間髪入れないものだった。

「いいの、宴会とかはいらない。酒も、この幻想郷だっていらない」

明るくて穏やかな萃香の声。

「ただ、あんたが居ればそれでいい。私の傍に居てくれればいいの」

静かで弱い萃香の声。

「あんたを、もう絶対に離さない!」

強く優しい萃香の声。


三月の空の下、二つの影はゆっくりと重なった。

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新ろだ382


夜になった。
俺の幻想郷での数少ないお楽しみの時間。

「さて、あいつは今日もいるかな」

身支度をすませ、家をでた。





長い獣道を抜けると小さな森の広場にでた。
そこであいつは一人酒盛りをしている。

「よう、萃香」

あいつは、萃香はこちらの声に気付き振り返る。

「げっ、あんた、また来たの?」

露骨に嫌そうな顔をする。
心外ではあるな。

「なんだよ、お前が寂しい思いをしてはいかんと思いはるばるやってきたのに。
 それより、危険な夜道を一人で歩いてきた勇気を讃えてはくれないか?」
「さ、寂しい思いなんかしてないし。
 それに、勇気を無謀は違う。
 あんたなんか妖怪に見つかったらすぐ食べられちゃうよ?」

そんなことを言ってきた。
ま、これもいつも同じやり取りだけど。

「なんだ、お前、俺を心配してたのか」
「!な、な、何言ってんのよ!
 そんなわけないじゃない!
 あんたバカじゃないの!
 鬼の私が人間の心配をするなんてありえない!!
 ほんと、人間てバカね!!!」

ははは、顔を真っ赤にして反論しても説得力は皆無ですよ?萃香さん。

…ま、でも人里からここまでの道にいる妖怪をやっつけてるのは、お前だってことを知ってるんだけどな。
お陰で俺はここまで来るのに妖怪に襲われたことは一度もない。

そのことについては感謝してもし足りないくらいだ。

「○○!!ちょっと聞いてるの!?」
「ははは、悪い悪い。
 それで、なんだっけお前は俺のことが心配で堪らないって話だっけ?」
「!!な!!」

怒りとか恥ずかしさとかアルコールとかで顔がもうまっかっか。

なんか角まで赤いし。

「だ か ら、私はあんたのことなんて、」
「なんだ、鬼が嘘つくのか?」
「!!!なっ!!!」

ボンッ!って擬音が聞こえたような。

それにしても、こいつの反応は面白いな。
俺がここに来る理由の一つがこいつの反応を楽しむためである。

ま、要はからかいに来てるんだけどな。

「ち、違う!!! 
 あんたは私の非常食なんだから、他の妖怪に食べられないか心配してるの!!」
「ほれ、心配してるんじゃないか」
「!!!!あっ!!!!」

やっぱ面白いなこいつ。
鬼ってのは皆こうなのだろうか。
だとしたら、是非とも友達になりたい。

「だ、だいたい、あんたはなんで毎日毎日ここに来るのよう!?」
「ん?あぁ、お前が嫌ならもう明日から来ないわ。
 それに、これ以上飲むと明日の仕事に差し支えるし、やっぱもう帰る」
「え・・・・・・?」

途端に泣きそうな顔でこちらを見る。

ま、当然冗談なわけだが。

「・・・くくく、冗談だ」
「!!!!!!!っ騙したなぁ!!!!!!!」

面白いくらい予想通りの反応。
やっぱりベタが最強か。


「もう、なんで、毎日毎日ここに来るのよう!!??」

質問がループしてますぜ、萃香さん。


まあ、そろそろ言ってもいいかな。

俺がここに来る本当の理由。

これ言ったらどんな反応するのかも気になるし。

「ん、ああ、そりゃお前、好きだからな」
「?何が?」

おぉ、意外と鈍感な方だ。

「だから、お前のことが」
「・・・誰が、誰のことを?」
「俺が、お前のことを」

数分の沈黙そして、

「な、ななななななななななななな、何言ってんのよ!!!!????
 わ、わ、私のことが、その、す、すす、す、好きだなんて、そんな、
 だ、だいたいね、あんたは人間で、私は鬼でそれで、ほら、わたしだって、
あんたのことは、その、す、す、す、好きだけど。あ~も~、だから、わたな

~以下123456行にわたり続いたので省略させていただきました~


 ------------------------------------------以上証明終り!!」

「・・・つまり、お前も俺のことが好きだと解釈して構わないんだな?」
「な、そんなこと言ってないじゃない!!」
「最初の方にズバリ言ってたけどな」
「あ」


そんなこんなで夜は続いていく。
今日の酒盛りはちょいと賑やかなものになりそうだ。 


新ろだ554


「おーおー、お暑いねぇ」

柱の影から霊夢達の様子をこっそり覗いていると頭上からそんな声が聞こえた
「萃香、頭にあご乗せるな、本当に暑い」
「つれないこと言わない、言わない」

こんな気温のときにこんなにくっつかれちゃ体が火照って仕方ない、けして萃香の無い胸が頭に当たってるからではない」
「声に出てる」
ガシッガシッ
「痛い痛い、ちょ、ほんとに離れろ」
「やだ」

無理やり萃香の拘束から逃れようとするが、前に回された手で首が絞まるだけでビクともしない
「フフン、鬼の力に勝てると思ったのかい?」
「いいから、離れろ~」

何とか抜け出そうともがくが人間が鬼に敵うはずも無く、余計暑くなるだけだ
「なんでっ離さっないんっだよっ」
「…」

もがけばもがくほど腕が首に食い込んでいくだけなので抵抗するのは諦める、けして萃香の無い胸が当たってるからではない」
ガシッガシッ
「痛い痛い、ゴメン、スイマセン、許してくださいホント」←もう言いませんとは言わない
「…バカ」

萃香の攻撃はやんだがそろそろ冗談抜きで暑くなってきた
「萃香?」
「…から」

なにか萃香が呟いた気がしたが、声が小さ過ぎてよく聞き取れない
「なんだって?」
「恥ずかしいから」

その薄い胸が当たって恥かしいならなおさら離れればいいのに」
ガシッガシッ
「ゴメンゴメン」
「顔が赤くなってるの○○に見られたくないから」
「…」

よく考えればこの体勢は萃香が後ろから俺に抱き付いてるんじゃないのか?
「…フンッ」

恥かしさからか、萃香の腕がわずかに緩む
その隙を逃さず頭を下げて拘束から逃れた
ガバッ
萃香「アッ…」

その勢いのまま振り返り、萃香の顔を見ないようにしながらその頭を自分の胸に抱き寄せた
「これなら顔見られないだろ?」
「…うん」


『…今日は暑いわねホント』
「そだな」


向こうの方から何か聞こえた気がしたが気のせいだろ


新ろだ772



仕事帰り、なんとなく電車に揺られながらしたためたもの。








 黙々とペンを走らせていると、手中の感触が突如霧散する。
 利き手を見やると握っていたはずの物がなく、
 さらにその視線の延長線上には、退屈そうな顔をした鬼娘が寝転がっていた。

「一人じゃつまらないよ。遊んでー構ってー」
 そのままごろごろと行ったりきたりを繰り返す。
 角が時々床を引っ掻いているのを見て、傷にならないかと少し心配になる。

「この仕事が片付いたらな。あとペン返せ」
「いーやー」
 いつもなら少し嗜める程度でこういった悪戯は止めてくれるのだが、
 今回に限っては首が縦に振られることはなかった。

「……仕方ないな」
 おもむろに席を立ち、背後にあった棚へと手を伸ばす。
「確かこのあたりに予備のペンが……む」
 棚の中に見つけたペンを手にしようとした矢先、やはり先ほどと同様に霧と化して消えてしまった。

「さすがにこれはひどいぞ、萃香?」
 過ぎた悪戯を嗜めようと彼女の方に振り返ると拗ねたような顔をしている。
「だって……朝から机に向かいっぱなしじゃん。
 もう夕方になりそうだってのに、いつになったら終わるの?」
 どうやら仕事にかかりきりで遊んでやらなかった事に立腹しているらしい。
 ぷいと顔を逸らすと、膨れっ面になってしまった。

 まったく、仕事をしない事には日銭も稼げぬ、と以前教えたはずなのだが。
 どうやら仕事に戻るためには彼女の御機嫌を取らなければならないようだった。
「ふぅ……全く、お前って奴は」
 頭をがしがしとかきながら、机の前にいた彼女に近づく。
「ふーんだ。○○なんか知らないも……きゃう!」
 いじけた台詞を言い切らないうちに、我が家の我侭なお姫様をそっと抱き上げた。
 そのまま愛用の椅子に座り、膝の上に降ろす。

「え、えーと……○○?」
「三十分。お前の好きにしろ。終わったらペンは返せよ?」
 休憩も兼ねて、彼女の好きにさせてみることにした。

 最初こそ戸惑いを見せていた萃香だったが、意を決したように一つ頷くと、
 こちらに身体を預けるように寄せてきた。いつのまにか角は消したようで、
 薄金の髪からは甘い匂いが僅かに香る。こいつ、酒の匂いもどこかへやったか。
「……えへへ」
 猫のように頬擦りをしてくるその頭をそっと撫でる。
 さらさらと指の間を通り抜ける感触を楽しんでいると、ふいに萃香が口を開いた。
「ねえ、○○」
「なんだ」

「……大、好き」
「そうか。俺も好きだぞ?」
「馬鹿。」




 結局この休憩は三十分どころでは留まらず、挙句ようやく再開出来た仕事をしている間中、
 背中にべったりと彼女が張り付いていたりして、さらにその光景を
 どこかのブン屋に目撃されたりもするのだが……それはまた別の話。


最終更新:2010年07月31日 00:04