スターサファイア1



新ろだ2-328



まだ残暑の続く夏の午後の事。
人里にて、今日の仕事を終えた○○は、今まさに自宅へと戻る最中であった。
家に帰ったら冷たい麦茶を飲んで、水風呂にでも入って汗を流したい。
そんな事を考えながら、暑い中を歩く。
もうすぐ自宅と言う所で、近くの木陰から人影のような物が見えてくる。
誰か涼んでいるのだろうかと思い、様子を見に行くと……黒髪に青い服を着た、小柄の少女が大量の汗を流してぐったりしていた。
よく見れば、背中に羽まである。
……彼女は妖精だ。
ここ最近では、あまりの暑さに人里でも熱中症にかかる者が増えており、永遠亭へ搬送される人間が続出している。
妖精もまた、そう言った症状にかかる物なのだろうか。

「んー、このちびっ子も熱中症か?……やれやれ、仕方ないか」

そんな事を口にすると、ぐったりしていた妖精の少女を背負って歩き出す。
別に妖精を助けた所で感謝される訳でもないし、大抵の場合はすぐに忘れ去られるのがオチだ。
誰が得をする訳でも無いのに、何故○○はこの妖精を助けたのか?
……なんて事はない、単に○○が生粋のお人好しだからだった。
それは相手が例え人間でなくとも、である。
もっとも、その性格が災いして損をした事も多々あるのだが……。

「ったく、今日も暑いな……」

そんな事を口にしつつ、○○は妖精の少女を背負いながら自宅へと歩き出す。
陽炎の揺らめく道の向こうから、蝉の鳴き声が長く響いていた。



○○が自宅に帰ると、まずは妖精の少女を居間に寝かせる。
その後、用意した濡れタオルを額に乗せると、河童製の扇風機のスイッチを入れ、風を少女へと向けた。
扇風機などの電力自体は近くの川にある、これまた河童製の小型水力発電機から引いている。
…お人好しな性格は、時として得をする事だってある。
これらは全て、河童と友好的になっておいた恩恵と言う物だ。

一通りの事を済ませた○○は、軽く水風呂を済ませて汗を流し(例によって河童製の)小型冷蔵庫から、よく冷えた麦茶のボトルを取り出した。
コップに一杯注ぎ、さて飲もうかとした矢先の事……

「う、うぅん……」

少女が目を覚ました。

「……あ、あれ?ここは一体…?」
「よう、ちびっ子。お目覚めかい?」
「へ?え、人…間…?」

まだ状況が把握出来てないのか、目を白黒させている。

「帰り道に近くの木陰で、なんかぐったりしてたみたいだったからよ…ここまで運んできたのさ」
「……そうだ。確か家に戻る途中だったけど、あまりに暑くて意識が朦朧として、それでちょっと休もうって思ったら…」
「…麦茶、飲むか?」

○○はそう言って、さっき飲もうとしていた麦茶の入ったコップを差し出す。
あれだけ汗をかいたのならば、妖精であろうと水分補給は必須であり……

「……はい、いただきます」

彼女も、それに従わざるを得なかった。



(……なんでこうなっちまったんだろうかなあ)
心の中でそんな事を思う○○。
麦茶だけでは何となく寂しいだろうと思い、お茶菓子も出したら半分以上は食われ、麦茶のボトルが一本空になった。
予備として用意しておいた二本目のボトルも、既に半分以上は飲まれてしまった。
どうやら、妖精は遠慮と言う物を知らないらしい。
(まぁ、あのまま野垂れ死にされちゃ寝覚めが悪いからな……)
そう思って、自らを納得させる事にした。

「…ふはー、ご馳走様でした。生き返ったような気がします」
「麦茶は美味かったか?」
「はい、とっても。それに、お茶菓子も美味しかったです」

アレはそもそも、後で○○が食べようと思っていた物だったのだが……過ぎた事は仕方ないと思い、気にしない事にする。

「……でも、珍しいですね」
「んー、何が?」
「あなたは人間なのに、妖精を助けるんですね?」
「そうか?俺はあんなとこでぐったりしてる奴を見たら、相手が誰でも助けるけどな」

何気無い一言を放つ○○。
それがお人好しと言われる所以でもあった。

「……変わった人」
「よく言われるよ」
「ふふ、でも助かったのは事実ですし……ありがとうございます」

少女が礼を言う。
実際にあのまま放置されていたら、今頃はどうなっていたか分からなかっただろう。
いくら妖精であっても、だ。

「あの、そろそろ帰らないといけないんですけど…その前に……」
「なんだ?」
「今日のお礼、後でさせてもらってもいいですか?」

意外な申し出だった。
妖精は、基本的に受けた恩など忘れる物だと思っていたのだが……
目の前の少女だけは違うのだろうか?

「別に俺はそんな大した事してないんだけどな……」
「でも、実際に暑くて死にそうになりましたし…その、助けてもらった恩と言うか…」
「んー、そうか…まぁ、好きにするといいよ」

素っ気無く返す○○。
相手が妖精だから、と言う事なのかあまり期待はしていないようだ。

「じゃあ、この恩は必ずって事で……」

パッと立ち上がると、靴を履いて外へ出ようとする。

「ああ、ちびっ子。ちょい待ち」

○○が少女を呼び止めると、すぐ近くに置いてあった麦藁帽子を投げ渡す。

「どうせ外はまだ暑いんだ、これ被ってった方が暑さにやられなくて済むぞ。…大きさは合わんかもしれんがな」
「…ありがとうございます。じゃあ、これ借りていきますね。それから…」
「ん?」
「ちびっ子じゃなくて、スターサファイア。それが私の名前です」

受け取った麦藁帽子を被ると、ピッと人差し指を立て、そんな事を言う。

「あ、ああ…わかった。それじゃちびっ子…じゃない、スターサファイア。気を付けて帰るんだぞ?」
「はい、それじゃあまた!」

すっかり復活したスターサファイアが、軽い足取りで○○の家を出ると、そのまま空へと飛び立った。
その姿が見えなくなるまで見送った○○は、ふと何かを思い出す。

「って……麦藁帽子、アレだけしかなかったんだった…」

またやらかしてしまった、と軽く自己嫌悪するしかない○○であった……。





――それから数日後の事。
いつものように、人里での仕事を終えて帰宅すると……

「あ、お帰りなさい♪」

居間で外の世界の雑誌(○○の私物)を読んでいたスターサファイアが、嬉しそうに出迎える。
○○は呆気に取られた様子で、こう言った。

「……何、やってるんだ?」
「はい、この前のお礼と言う事で…約束通り、来ちゃいました」

その言葉を聞いて疑問が氷解した。
『妖精のくせに、この前の事は忘れてなかったのか』と若干失礼な事を思ったが、口にはしないでおく。

「えっと、夕食にします?その前にお風呂?それとも……」
「あー、メシにするよ。って、スターサファイア…料理は出来るのか?」
「ふふーん、これでも料理は得意な方なんですよ?……そーゆー事ですから、出来るまで待ってて下さいね」

自信ありげに胸を張るスター。
どこから用意したのか、エプロンを付けて台所へ立つ姿を見て、○○は思った。
ああ、なんかこう言うのっていいなあ、と。
相手が妖精であっても、やはり女の子に料理をしてもらうと言うのは(ある意味)男の夢でもある。
……ただ、人間用の台所と言う事からか、大きさが体に合わず四苦八苦してるスターの様子を見ると、一抹の不安を覚えたりもするのだが……
そこは彼女を信じる事にして、ただ○○は待つ事にした。


-少女料理中-


「お待たせしました、ささ…いっぱい食べて下さいね?」

そう言って、彼女の用意した夕食は…意外と見てくれは良い物ばかりである。
台所にあった食材だけでも、ここまで出来る物なのかと感心するほか無かった。
…もっとも、こうなると問題は味がどうなっているのか、だが。

「んじゃあ、早速……」

そう言って○○が箸を手に、出来立ての料理を一品掴もうとした、その時。

「あ、ちょっと待ってください」

向かい側に座っていたスターが、ふと何かを思いついたかのように自分の箸を手にすると、一品を掴みそのまま……

「はい、あーんして下さい♪」
「…何のつもりだ?」
「見ての通りですよ?」

しれっと答えるスター。
何を考えてるのかは知らないが、この様子では言ってもやめてくれそうにない。
多少気恥ずかしい物はあるが、そこは覚悟を決めて差し出された物を口にする。
……味は意外にも美味しかった。

「どうですか?」
「うん…美味い。正直、予想外だった」
「ほら、言った通りだったでしょう?」

してやったり、と言う顔をするスター。
すると彼女は再度、箸を手に……

「まだまだありますからね?はい…あーん……」
「な、まだ…やるのか…?」
「ええ。…これ、一度やってみたかったけど結構楽しいので♪」

正直なところ、恥ずかしいからもうやめてくれないか?と言いたかったが…結局、それを受け入れてしまうしかない○○であった。
所謂『お人好しの悲しい性』と言う奴なのかもしれない。


-少女&青年食事中-


○○が夕食を平らげる頃には、外も少しずつ暗くなり始めていた。
食後は麦茶を二人で飲みながら、適当に色々な会話をしている。

「ところで、そろそろ夜になるけど帰らなくてもいいのか?」
「んー、一日くらいなら別に大丈夫ですし…それに、今日は帰りませんよ?」
「……え゛?今、なんて…」

スターがとんでもない事を口にしたような気がするので、聞き返す。

「ですから、今日は○○さんと一緒です♪」
「お、俺に拒否権は?」
「ありません♪」
「い、いやいや!ちょっと待つんだ!お礼にしちゃ、ちょっと問題とかあるだろう、その…色々と!」

残った理性で必死に弁解する○○。
悲しいかな、○○が女の子と付き合った経験と言うのは殆ど無い。
このままでは一夜を共にする→理性が切れる→間違いを起こしてしまう。
いくら○○がノーマルであっても、そうなる可能性は十分あった。
もしそんな事になってしまえば、天狗が嗅ぎ付ける→新聞のネタにされる→今まで築いた人里での地位失墜の転落コースまっしぐらだ。

「……私じゃ嫌、ですか?」
「そ、そんな事はないぞ?ただ、俺は……」
「なら、いいじゃないですか♪…あ、お風呂沸かしてきますね」

そう言うと、彼女は風呂場へと足早に向かっていった。
……もしかしたら、これは妖精による新手の悪戯なのではないだろうか?
そんな事を○○は思った。


それから数十分後――

「……あー、スターサファイアさん」
「はい?」
「なんでこうして二人で一緒に風呂に入ってるんでしょうかね?」

どうしてこうなった。
まさに今の○○の心境そのものである。
風呂が沸いたと言われたので、そのまま湯に浸かってぼんやりしていたら、突然バスタオルに身を包んだスターがやってきたのだ。
慌てて風呂を出ようとした○○だったが、結局スターに押し切られて一緒に入るハメになってしまい…
そして現在に至る、と言う訳である。

「細かい事はいいじゃないですか」
「いや、狭くて落ち着かないんだけど…」
「気にしちゃ負けです」

負けでいいから、早く出たい。
そんな事を真剣に思う○○。
既に理性の半分がピチュっていた。

「と言うかだな、スターサファイアは一緒に入る事に抵抗はないのか?」
「ええ、そんなには」

サクッと即答された。
○○はどう返答していいのか、最早分からなくってきた。

「…あ、そうだ。背中流しますね?」
「そ、それくらい自分で」
「はいはーい、お客さんお一人様ごあんなーい♪」

人の話も聞かず、○○の手を取って湯船から出るスター。
と言うか、微妙に誤解されそうなセリフを言ってる気がしないでもない。
ここで抵抗してもよかったのだが、お人好しの○○にはそんな事など出来るはずもなく……

「んしょ、んしょ……うーん、人間の背中ってやっぱり大きいんですね…」
「は、ははは……」

結局、こんな感じでスターの手厚い?サービスを受けるだけしか出来なかった。
○○はと言うと、理性が切れないよう必死になっていたのだが。


――そんなこんなで、風呂も済ませると夜も更けてきた。
しかし、ここでまたも問題が発生する。

「…さて、スターサファイアさん」
「何でしょう、○○さん」
「これから俺とスターサファイアさんは寝なきゃいけない訳ですが」
「そうですね、もう夜も遅いですし、○○さんは明日もお仕事のようですし」

視線は敷いたばかりの布団へ向けられる。

「……布団はウチに一つしか無いんですが、どうしたものかと」
「そんなの簡単じゃないですか。一緒に寝ればいいんですよ」
「いやいや、いやいやいや。そうなったら俺の理性が0%になって、色々な意味で満身創痍ですよ?」
「大丈夫です、○○さんはそんな鬼畜な人じゃないって事は知ってますから、ギリギリ1%の辺りで踏みとどまってくれます。…多分」

どこでそんな事聞いたんだ、と思ったが今更ツッコむ気にもなれなかった。

「万一って事もあるし、ここはレディーファーストってな意味でスターサファイアさんは布団で寝て、俺は適当に毛布一枚で横に…」
「いえいえ、家主さんにそんな事させる訳にもいきません。この際何も気にせず、一緒に寝ましょ?ね?」
「女の子と一緒に寝るって……逆に寝れなくなるんだけど、俺」

素に戻った○○が本音を漏らす。
スターにあれこれ振り回された(?)おかげで、精神的疲労がいつもの倍になっていた。

「じゃあ、子守唄でも……」
「赤ん坊か俺は。…と言うか、もし一緒に寝てるとこを他人に見られたらどうするんだ……」
「んー、彼女ですって言ってみます?……私はそう言ってもらった方が嬉しいけど」
「はぁ……仕方ない、寝るか」
「スルー!?スルーされたっ!?」

いい加減付き合いきれないと悟ったのか、○○が布団に入る。
そして、その隣にスターが潜り込む。

「結局一緒に寝るんだな……」
「いいじゃないですか、一人寂しく寝るよりかは」
「いや、まあ……その…って、手まで握らなくてもいいだろうに」

気が付けば、スターが○○の手を握っていた。
一体どこまで積極的なのだろうかと、そんな事を思う。

「ふふ、○○さんの手って大きいんですね」
「まぁ、人間だしな……ともかく、さっさと寝るよ。おやすみ…」
「はい、おやすみなさい…」

小さな手の感触を受けつつ、○○は目を閉じた。
長い間、一人で暮らす事に慣れてしまっただけあってか、隣に誰かがいる事に違和感を感じる。
……だが、この違和感はそう悪い物でもないようにも思えた。

「……すぅ、すぅ…」

目を閉じて暫くすると、もう寝付いてしまったのだろうか、スターが寝息を立てる。
スターについては色々と思う事はあるが、これ以上どうこう考えても仕方ない。
自分も寝てしまおう。
○○は思考を停止し、そのまま意識を沈めていく。

「○○、さん……好き…です…」

意識が途切れる寸前、そんな声が聞こえたような気がした。






――翌朝、目が覚めるとスターの姿はどこにも無かった。
結局、昨日は夢でも見ていたのだろうか?そんな事を半分寝ぼけた頭で考える。
ふと、ちゃぶ台の上を見ると、書置きが残されていた。
『また来ます。スターサファイア』…と。

「また来るって通い妻じゃないんだから、まったく……」

やれやれと言うような顔をする○○だったが、どこかまんざらでもない様子だった。
次に来る時には、お茶菓子も色々用意しておこう。
そんな事を考えながら、仕事へ向かう準備に取り掛かった。



そして数日後。
仕事を終えて○○が家に帰ってくると……

「あ、お帰りなさい」
「ん?この人がスターの言ってた人間?」
「……普通ね」

何故か二人、増えていた。


Megalith 2010/10/31


「……降ってきちゃいましたね」
 さっきまでは晴れだったのに。
 私は外を見ながら一つため息をついた。
 洗濯とかはしまっておいたけれど。
 …本当に、不器用で無骨な人だから。
「ああ」
 頭を上げて一言、彼が窓の外に視線を向けて呟いた。
 それっきり、また頭を下げて何も言わずに彼は手元を弄り始める。
 狩猟用の罠なのだろう。
 彼と私、スターサファイアの間の絆を繋いだのも、この罠だった。

「たまにはサニーとルナの喧嘩から離れて、草原を散歩するのも良いわねー♪」
 私はその時珍しく一人だった。
 そんな事を呟いて、足取り軽く草むらを散歩していた時のことだった。
 何か小さくて動いてる生き物を、見つけて視線を向けた。
 多分、ウサギか何か、かな?
 もしかしたら妖怪かもしれないけど。
 遠くにはもっと大きい、人みたいなものがいるけれど。
 多分、ここに来るまでに飛んで逃げちゃえる。
 きっとあそこに居るのは狩人か何かだろう。
 じゃあ、私がウサギを頂いて狩人をがっくりさせましょう。
 そう思って、草むらから顔を出すとそこにはやっぱり小さなウサギの姿。
 こちらに気付いたのか、ぴょこん、と頭を上げるウサギ。
 だっ、と人の居る方向に走って行こうとする子。
「まーてっ、私に捕まっちゃいなさいっ」
 そのまま空を飛んで追いかけ――。

 ずぼっ。

 ……え?
「……あ、れ?」
 頭だけがしっかりと何かに挟まったように。
 縄が周囲にしっかりと張り巡らされていたらしい。
「何、これ?」
 もがいて動こうとすると、がし、と足元に痛みが走った。
「いっ、たぁ……っ!?」
 何かに挟まれてるような、そんな感じ。
 直後、何かが私の方に走ってくる。
 わう、わうわう! と大きな吠え声を上げながら。
 犬…しかも、かなり大きい!?
 逃げないと、でも、足は何かに挟まれてるし体は動かせないし。
 目の前の犬は私を見てうー、と低く唸り、飛びかかる寸前のように身体を低く伏せている。
「た、たた、助けてっ……!? 噛まないでお願いだからーっ!?」
 叫びながら涙が溢れてくる。
 前もこんな事があって、人間に思いっきり仕返しされたような。
 妖精釣り、とか言ってた。
 人間を見ると、大体私たちを虐めたり、私たちの悪戯に仕返しするような人ばっかりだから。
 きっと、今回も――。
「……妖、精?」
 男の人の声が響いた。
「……ひっく」
 しゃくりあげながら涙目で見上げると、何処か影のある瞳と大柄な体が日差しから私を覆い隠す。
 無言で彼は腰に下げた鉈を抜いた。
「ひっ」
 思いっきり目を瞑る。
 だって、あんなので斬られたら死んじゃうっ……。
 でも、人間には普段悪戯してるから、仕返しされるからっ……。
 私は、思いきり目を瞑ってその瞬間を――

 じゃ、きっ。

 拘束されていた首のあたりが、自由になる。
「……え?」
 断ちきられた縄。
 涙をぬぐう事も忘れ、ふと自由になった頭で男の顔を見上げる。
 何処か無表情で淡々とした様子で、鉈を腰に下げると私の足に噛みついているものに手を掛けていた。
 ふっ、と多少強く呼吸、刹那、足の拘束が緩む。
 じんじんと痛みが残る足。
 でも、それ以上に私は今、別の事に意識を傾けていた。

 この男の人、私を、助けた?

 ……信じられる事じゃないけど。
 半ば唖然とした表情で、見上げてて。
 そのまま彼は、私を無言で抱き抱えた。
「……あ、え、えと」
 目を白黒させていたんだろう、その時の私は。
「手当」
 彼は、ただ淡々と呟いて、私を家へと運んで行った。
 もう今からすると3ヶ月前位の事になるかな?
 どうも他の動物を釣るための狩りの罠に掛けられてしまったらしい。
 すまん、の一言とともに罠を見せられて、理解せざるを得なかった。

「今日は、夜は出ないですよね?」
「ああ」
 何処か重い口調で、彼は視線を向ける事もなく私に返す。
 夜遅くでも、狩りに出ようとするあたりこの人は人間として何かがズレている気がする。
 一度引きとめたけど、無駄だった。
 生きている事を見ると、きちんと狩りが出来たのだろうと思うけれど…。 
「じゃあ、今日はご飯、家で食べましょう。私が作るから」
「頼む」
 また、一言。
 良く解った事が一つだけある。
 彼は、極度に話下手だ、と。
 私を手当てしていたときもそうだけど、彼から私の事を聞いて来た事はない。
 名前を何て言うのか、とか、何処から来たのか、とかも聞かれなかった。
 手当をされて居た時も、今も、ある意味では殆ど変って無い。
 私が声を掛けると、短い返答が帰ってくる。
 名前を聞くと、「○○」とやっぱり名前だけ帰ってきた。
 それっきりだんまりで、弓や罠とにらめっこ。
 何だか、霊夢や魔理沙と比べても余程変な人だと思う。
 あの人たちは話すから解る所はまだ解るけど、この人は全然解らない。
 だから――。
「適当に食材、使っても良いですよね?」
 私は、私の出来るように、私のやりたい事をしてあげる。
 妖精の恩返しって訳じゃないけど、それでも、この人には必要な事だと思うから。
「ああ」
 また、一言。
 雨足がだんだんと強くなってくる。
 夜までに止めばいいのだけれど、多分無理かもしれないわね。
 何処かその方が嬉しい、と言うのはあるのかもしれないけれど。
「組み置き」
 桶へ視線を向けて、彼が一言。
 あそこに組み置いてあるから自由に使え、と言う事なのだろう。

 簡単なご飯を食べ終えて、外に視線を向ける。
 予想通りと言うかあまり当たって欲しくないというか、やっぱり雨は強く止む気配は全く見えない。

 むしろ風も強くなってきた。
 ぎし、ぎし。
 微かに軋むような音が響く家の中。
 油に灯した火が、部屋全体をゆらゆらと照らす。
 木だけで作られた、彼が自分だけで作ったと言う家。 
「……大丈夫、でしょうか」
「ああ」
 見上げて一言。
 彼の言う通り、倒れる事はそうそうないだろう。
 自信のない事に、頷く人ではないから。
「休め」
 私に視線を下ろして、彼は言葉を投げてくる。
「……あなたもでしょ? ずっと作業してたから疲れてるでしょう」
 困った人だ、やっぱり余計な事を全く言わない、と言うか。
 自分の事を全く気にして居ない、と言うか。
「ああ」
 疲れてる事は疲れていたみたいで、頷いて彼は立ちあがる。
「あ」
 私は、その手を、きゅ、と掴んでいて。
 何かを意識した訳ではないけれど。
 彼が、こちらを見下ろした。
 ……暑い。
 顔が熱くて、視線を合わせる事が出来ず、目を伏せたように視線を逸らすしかできない。
「……」
 ひょい。
 彼が私を抱え上げる。
「……わ、っ」
 無骨な掌に包まれて、彼がそのままふ、と息を吹いて明りを消して。
 ベッドに彼は腰掛けて、私をそっと下ろした。
「脱げ」
「へあぁっ!?」
 直後、言うが早いが彼は私の服を脱がそうと手を掛けて来る。
「だ、大丈夫ですっ、自分で脱ぐからっ!?」
 もう顔は真っ赤も良い所。
 鼓動の音は煩いくらいに早鐘を打つ。
 まだ、まだ好きとかそんな事言ってないのにっ。
 は、早すぎると思うけど……望まれるなら、仕方ない、でしょ?
 でも、妖精と人間の間に子供とか…って。
 さらに真っ赤になってぷしゅー、と頭から湯気が出そうな程に恥ずかしい。
 きょとんとした顔で彼が手を離す。
 が、頑張って…頑張り、ましょうっ。

 真っ暗闇の部屋、外は強く風が吹いている。
 …覚悟を決めよう。
 しゅる、とリボンを解く。
 星明かりも見えない嵐の夜に、スカートを脱いで。
 ブラウスも脱いで、キャミソール一枚だけ。
 普段寝ている格好だけれど…。
 これ以上は、恥ずかしくて脱げそうもない。
「これで…いい、です、か?」
 声が上ずって、視線があちこちへ彷徨う。
「寒くないか?」 
「でも、あなたが温めて、くれます、から」
 勇気一杯振り絞って呟いて、彼が居る場所へ思いきり抱きついた。
「……うお」
 彼が微かに声を上げて、私を抱きとめながらベッドに転がる。
 二人、向かい合うように暗闇の中横になり、布団を被る。
「……。あの」
 ぽそ、ぽそ。
 星明かりが照らすように、彼に、こうささやいた。
「優しく、して、下さい、ね…」
「……? 解らんが。寝るぞ」
 ……あれ?
「……え?」
「どうした」
 不審そうなものを見たかのような彼の声に、私はさらに混乱する。
「……あ、あの。何も、しないんです、か?」
「……何を」
 呆れたような声で彼が呟く。
「寝るぞ」
 そう言って彼は、私の体を抱きとめたまま、暗闇の中で目を閉じたらしい。
「……」
 寝息すら聞こえ始めてきた。
「……」
 もしかして。
 脱げ、って言ったのは、寝辛いだろうから上に着てるのは脱げ、って意味で。
 寝る、って言ったのは、普通に寝るぞ、って意味?
「……」
 恥ずかしい。
 穴があったら入りたいっ。
 蹲って土の妖精にでもなったみたいに穴の中で穴を掘って閉じこもりたいっ…!?
 つまり。
「ただの、わたしの、勘違い……?」
 ぷしゅううううっ。
 頭から湯気と一緒に魂まで出るような勢いで、顔が真っ赤になった。
 このまま一度一回休みして全て忘れられたらっ。
「……まだ寝ないのか」
 まだ寝てなかったらしく、彼が私に問いかける。
 誰のせいだと思って……っ。
 言い返そうとしたところを、頭をぽふっとやられて言葉が闇に溶ける。
「……」
 じと、と見上げても闇の中じゃ見えないけど、見上げざるを得ない。
 ふぅ、と一つため息をついてそのまま頭を預ける。
「……お休み、なさい」
 ……何だか、色々ムードとかが飛んじゃったけど。
 何処かそれすら嬉しくて、瞳を閉じた。




書いてる間にイチャ度が消えて行くこの現実が怖い。
妄想スター可愛いよ妄想スター。


Megalith 2010/11/24



 静かだった。
 じ、と言う油の燃える音以外は、何もしない。
 灯されたあかりがぼう、と照らす。

 余計な物は何もなかった。
 部屋の中に転がっている物は、全てに理由がある。
 片や弓、もう引けないと言うのに。
 片や罠、置くように歩けないと言うのに。
 それでも、次に出る日を見て磨いていたのは彼の性なのだろうか。

 時は何時か過ぎて行く。
 それでも、私は変わらないまま。
 妖精は、何時までも妖精であり続ける事が出来る。
 それは、妖精は何時までも”妖精”で有り続け”なければならない”。
 自分の存在を破棄することなどは出来ないのだから。

 長く生き過ぎたのかもしれない。
 無謀な事をして、一度休んでみればいいのかもしれない。
 けれど、忘れてしまいたくない。
 忘れてしまいたいのに、忘れてしまいたくない。
 そんな事、解りきっているから。

 何故。
 何故、他人なんて好きになってしまったんだろう。
 何故、あの人のそばに居たいと思ってしまったんだろう。
 何故、あの人の道を星明かりのように照らしてしまいたいと思ってしまったんだろう。

 浮かぶ、”何故”の山。
 でも、それに答えるすべは私は持たない。
 妖怪なら、あのスキマを操る妖怪なら、これに答える事が出来るの?
 それとも、あの月の頭脳とか呼ばれている薬師なら、これに答える事が出来るの?

 何故、私は妖精でしかないの…?

 愛しい人に手を伸ばす。
 そっと伸ばした手は、彼の皺になった年季の入った頬に触れて。
 冷たく、何時絶えるとも解らない鼓動。 

 嫌、嫌よ。
 誰よりも確実に。
 誰よりも簡単に。
 私に伝わってきてしまうそれが、嫌――。

 彼はまだ、生きている。
 きっと、末は老いたが故だろう。
 生きている事は事実――けれど。
 けれど、もう寝台の上から動く事すら出来ないのは、本当に生きてる事になるの?

 生きているのなら、動いているものじゃないの?
 生きているものなら、私の力で知る事が出来るものじゃないの?
 生きているものなら、私の手の温もりを伝えられるものじゃないの?

 ……刹那、目の前の老いた身体がひどく恐ろしく感じた。
 生きているのは解っているのに、それがひどく恐ろしい。
 ……何で、逃げてしまわないの、私は。

 逃げてしまえば、この恐い事を忘れられる。
 逃げてしまえば、誰かに何かを押しつけられる事もない。
 逃げてしまえば、何時ものような私で居られる。

 何で?

 一言で言ってしまえば、私が感じているものは、それ。
 そ、と触れて居た手をどけると、彼がうっすらと目を開き、私の方に視線を向けた。

「……醒め、ました?」

 ああ、と口が動いて――声は掠れたものしか出ない。

「ごめんなさい、起こしちゃいましたね」

 何時もの私のように、笑え、笑って、笑いなさい、お願いだから。
 せわを、かけた――もう一度口が動いて、微かに笑むように形を変える。

「そんな、良いんです。何時もの事じゃ、ありませんか」

 唐突に、灯りがぼやけた。
 何時もの私の笑みは、口元でまだ頑張り続けている。
 何時まで持つものか解らないけれど、それはまだ止められるものじゃないから
 彼がもう一度、口を動かす。

 よく、いきた。
 くいは、ない。

「馬鹿な……事、言わないで、くだ、さいっ……ひ、っ、その、台詞じゃ、すぐ死んじゃう人、みたいじゃない、ですか……っ」

 涙声が混じって来るけれど、頑張って笑わないとダメよ、私。
 口元が震えてるのを押しとどめて、お願い、お願いだから。
 彼のしわくちゃになった手を取って、頬に刷り付けるように押しつける。

「そんな、弱気、…じゃ、ぅあ、ダメ、です……っ、から……ね、っ」

 歯を噛みしめて、続きそうな泣き声を押し留めた。
 彼がぴく、と指先だけ動かすと、目を拭うように、指が私のそれをなぞる。
 涙――溢れてたの、なんて、気付かなかった、気付きたくなかった。

 彼が微かに口元を歪めて口元を、軽く開けるように動かす。
『あ――』
 引き絞るように、口を横に伸ばした。
『り――』
 もう一度、口を微かに開ける。
『が――』
 少し口をすぼめるように。
『と――』
 最後に、軽く口を閉じて、笑みを浮かべた。
『う』

 ――ふつ。
 何かが、途切れたような気がした。
 それは、私の感覚だから解る事。
 命が途切れた瞬間。
 生き物の場所を探る事が出来る能力。
 生き物で”なくなった”もの、は?
「……あ」
 彼の手を、そっと下ろした。
 満ち足りたような顔をして、静かに眠る彼。
 安らかに眠っているようで。
「……あ、ぅ」
 微かに声が漏れて、けれどそれは言葉にならなくて。
「あぁぁぁ、っ、う、ぁあああああっ……」
 呼吸をする事さえ辛く、泣き声しか出ない。
 全てが、限界まで張りつめていて――。
「ぁ――――――――――――――っ!!!」
 張りつめていた糸が、切れた。



「……ッ!?」
 ――――。
 酷い汗。
 呼吸が荒く、鼓動が速い。
 私自身でも意識していなかった事。
 夢、夢だ。
 今見た物はすべて夢。
 夢以外の何物でもない、絶対。
 それが如何にリアリティのあるものでも、絶対にそれでしかない。
「……っ、はぁ、ただの夢、よ……ね」
 でも、それはきっと夢であっても、遠い未来に起こりうるかもしれないこと。
 あそこで死んだ彼は、もう一人の○○で。
 あそこで泣いていた私は、もう一人の私の姿。
 一人でいると気が滅入りそうで、誰かと話がしたい。
 サニーかルナか、どちらかが居ればちょうど気を紛らわせる事が出来る。
 そう思い、軽く周囲を見回す。

 ――サニー、ルナ、何処に、行ったの?

 一人で眠り続けていた私は、何もかもが消えてしまったように感じた。
『こんな時間に起きて来るなんて珍しいわね、スター』
『くかー…』
 眠りこけているはずのサニーも、夜眠れず起きて来て本を読んでいるルナも。
 どちらも、そこにはいない。

 感覚を研ぎ澄ます。
 私の能力で――。

 ――全てが消えたかのような、感覚。
 夜の森なのに、何で誰も、居ないの。
 いや、何にも、居ないの?

 死んだ森。
 死んでいる森。
 全てが終わってしまった森。

「……嫌」
 私が、ひとりぼっち。
 妖精のあるべき姿なのに、出てきた言葉は全く別のもの。
「嫌、よ」
 寂しいから、それだけじゃない。
 孤独に慣れていない、それだけじゃない。
 何もかもが喪われてしまったような気がするから。
「嫌ァ―――――――――――――――――――ッ!!!!!」
 ぱぁんっ! と窓を破って夜空へ飛び出す。
 あの家へ、早く、空翔けて。
 お願い、羽根が千切れても、足で走り続けるから!
 空には丸いお月さまが浮かんでいる。
 もっと、早く、もっと、早くあの場所まで――!
 あの彼が何時も居た小屋まで、何もかも振り切るようなスピードで。
 果たしてそこに、家らしきものはある。
 地に降りるのももどかしく、ぱぁんっ、と扉を開け放った。

「――……?」

 ……そこに彼は居た。
 弓を張り替えていたのか、手元に糸を持って。
「どうした、急に」
 彼が訝しげに口を開く。
 けれど、私は何か言おうとしても言葉が出て来ない。
「あ……」
 真っ赤な目、涙の跡、きっと私はそんな状態なんだろう。
 お世辞にも彼の前に出ていけるような顔ではない。
 だって、何時もの私とは全然違う顔だから。
「――っ!!!」
 だとしても、それを構っていられる事すらなかった。
「ぅあ、ひぐっ、っ、ぁ、うぁああああああああっ!!!」
 彼に抱きついて思いきり泣き始める自分が恨めしい。
 何が何だかわからなくて愛想を尽かされるかもしれないのに。
「ん、んぐっ、えう、うぁ、うぁっ、っ、うううっ……!!!」
 しゃくりあげている自分の声は情けなさに溢れている。
 ――ぽん。
 軽く後頭部を掌で叩かれるような、感触がした。
 ――ぽん、ぽん。
 私の髪に触れては軽く跳ねるように、二度、三度。
「……」
 彼はただ黙って、私の頭をそうやって撫で続けている。
 まるで、子供をあやすように。
「……っ、っ、っ……ぅ、っ」
 呼吸が落ちついて、微かにしゃくりあげるだけになった私を、彼は抱きあげた。
「寝るぞ」
 本当に不器用な言い方しか出来ない人。
 ベッドにそっと横たえられて、彼の体はすぐ傍に。
 ぎゅ……と、彼の手を握りしめて身体を寄せる。
 瞳を閉じると、温かい暗闇が私を襲ってきた。
 心地よさに身を任せて――少しずつ、少しずつ……意識が緩やかに落ちて行く。

 ――今日は、もう、悪い夢は、見ない。



多分、何も居るように感じなかったのはスターの勘違い。


最終更新:2011年01月15日 12:26