蓮子3
蓮子と彼1(新ろだ771)
――――夕陽の中で、掲げた一本の剣。
手にした男は、声を大にして叫んだ。
「今宵! 我は貴女を討つ! そのためにここまで来た! さあアメリアよ、その腰にさした剣を抜け! 我と戦え!」
豪奢な鎧を身に纏った男の目の前にいるのは、黒いマントで身を隠した華奢な女性。
アメリアと呼ばれた彼女は不敵に構え、嘲笑しながら男に答えた。
「その剣。もはや剣とは言えぬガラクタよ! そんな抜け殻を力と称するのか。貴様の力で私を討とうというのか!」
「応! この剣に賭けて、私は友に、貴女を討つと誓ったのだ! 例え見てくれは最悪でも我にとっては唯一無二の宝具! そして……何より友を裏切り命を奪った貴女にはこれ以上の剣はない!」
男の構える剣は、確かに最悪のものだった。
所々錆や欠けが見え、柄に巻いてある布は汗や血の汚れでぼろぼろに擦り切れている。
しかし、それでもその剣は夕陽の光を受け、新品同様の見事な輝きを失ってはいなかった。
女性はマントを脱ぎ捨て、鮮やかな鎧を身に纏った肢体を夕陽に晒す。
「ふっ。シグよ、ならば来るといい。その剣がナマクラでないことを、私の愛剣と打ち合い、証明してみせよ!」
同時に抜かれる宝石を彩った輝かしい剣。
シグという男の持つ剣とはまるで正反対のその剣はまさに、至高の宝具とも取れるであろう、異様なプレッシャーを刀身に纏っていた。
その光景を見て、しかし男は怯まない、引かない。
構えた剣を真っ直ぐに女性へ向け、そして――走り出した。
「おおおおお!」
「はああああ!」
かち合う二本の剣。
十分な重さを持って振り回され、叩きつけられるたびに硝子を砕くような甲高い音が響く。
実際に男の持つ剣の刃は、打ち合うたびに徐々に割れ、その刀身を減らしている。
砕け、罅割れ、もう元の原型を忘れた剣は――それでも折れなかった。
「何故だ!? もはやその剣は剣として生きてはおらぬ筈! 何故折れない!?」
焦ったような女性の声。それを、男は鼻で笑った。
「知れたこと! この剣は、友と我との思いが詰まった魔剣である! 貴様の金ばかりかかった薄氷の思いの剣など恐れるに足らず!」
「小癪な! この剣を愚弄するとは! 小僧風情が高を知れ!」
これで終わりだとばかりに、振り上げられる女性の剣。
勢いよく振り下ろされる剣を、男は、真正面から横凪ぎに打ち払った。
「なっ!? 私の一撃を払うとは!」
「言っただろう、重さが違うと!」
今の一撃で剣が半分叩き折れたにも関わらず、男は不敵だった。
短くなった刀身を振りかぶり、素早くアメリアの懐へ走った。
驚愕に動きを止めたアメリアを、シグの持つ剣が一閃。
「ぐっ!」
斬られた胴を庇う様に、アメリアは己の剣を捨てた。
跪くアメリアへ、シグは剣の切っ先を静かに向けた。
「……アメリアよ。どうして貴女は許婚の我が友、シンクを裏切ったのだ。アイツは、貴女を世界で一番好いていたというのに」
「ふっ。それは、シンクの勝手だろう。私は、シグ、貴様を……」
「何だと――それでは」
「笑えシグよ。こうするより他に、シンクと決別する方法はなかった。私は、仕来りなど忘れて貴様と共にありたかったのだ」
「しかしシンクが! それではアイツが浮かばれん!」
「そうだな。例えシンクがこの結末を考えていたとしても、討ったのは私だ。罪は消えぬ」
「な……では、シンクは、望んで貴様に?」
「信じたくなければ、それでもいいだろう」
彼女はそう言うと、力尽きたようにその場へ倒れた。
「アメリア!」
シグは剣を投げ捨て、彼女を抱きかかえた。
「何故だ……アメリア。これが貴様の望んだ結末だったのか?」
「剣に生き。剣と共にある私は、こうする方法でしかお前と繋がれなかった。シグよ、恨むなら恨んでくれ。貴方の友を討ったのは、間違いなく私だ。剣を叩き折ったのも、私だ。このまま身を刻まれようとも受け入れよう……さあ、敵をとれシグ。その権利が、貴様にはある」
「アメリア……」
「ふふ。まさか、最愛の男に抱かれるのが、剣で斬られた後だとは思わなかった、ぞ」
「アメリア!?」
「もう、持たぬ。最後だ、シグ。私は貴方を心より――」
ふと、彼女の体の力が抜けた。
そして彼女が死んだことを確認したシグはゆっくりと彼女を抱え上げる。
目元には涙。
「こうすることでしか繋がれぬ我々は、なんと不幸なことなのか」
かつての戦友を抱き上げ、ゆっくりと彼は歩き出す。
「アメリアよ。せめてもの償いだ。我が友と同じ墓へ入れる。死後、アイツと共に我がそこまで昇るまで待っていてくれ」
二人の戦士の戦いは、こうして静かに幕を下ろしたのだった。
「古臭い」
一刀両断。
いつものモノクロな服装に帽子姿の宇佐見蓮子が仏頂面でそう言った。
「ええ?」
怪訝な顔でその言葉に反応したのは
マエリベリー・ハーン。
蓮子とは反対の白い帽子に、紫色の服装は相変わらずだ。
そして、ここにはもう一人、ついさきほど劇の本番を行った張本人がいる。
「失礼なヤツだなお前……」
呆れたように口を開いたのは、一人の男性にして、さきほどの劇で主役の一人を務めた男である。
この三人は
秘封倶楽部というサークルに所属している。
サークル名はちょっとアレだが、れっきとしたサークルである(と本人たちは豪語する)。
夕暮れの銀杏並木を、男を挟んだように三人並んで歩く姿は仲良く見える光景だ。
夏を忘れ、秋に近づいてきた季節を感じつつ、蓮子はついさきほどパン屋で買ったカレーパンを頬張りながら主役を務めた男へ声をかけた。
「大体何なのよ、あの劇。結局ヒロインを殺しちゃったら意味ないじゃない」
「それはそうね。ねぇ、あの劇を考えたのは誰なのかしら?」
チョコ入りクロワッサンを齧るメリーも首を傾けて蓮子と同じように問う。
劇の内容は、ありきたりの普通の内容だった。
小さい頃に友達同士であった、三人の主人公という過去から物語は進む。
親友と二人、仲良く語り合っていたシーンから劇は始まり、やがてシグはシンクがアメリアという許婚の話をする。
来月結婚する予定という話を聞いてシグは大変喜んだのだが、彼はシンクの憂いの瞳に未だ気付けないでいた。
シグもアメリアを好いていた。しかし、やはり親友の笑顔の方が彼にとっては掛け替えのないものだった。
そして悲劇の朝がやってくる。
シグの元に一通の手紙が届いたのだ。
内容は、シンクがアメリアの手によって殺害されたとのこと。
アメリアの行方は知れず、シンクの親友であったシグに調査を手伝って欲しいという依頼が来たのだ。
シグは望んではいなかった。こんな事件になろうとは、誰も思わなかった。
シグはただただ、己の友を殺したアメリアを恨んだ。
そして彼はシンクの遺品である剣を手に、捜査へと身を投じる。
苦難を乗り越え、やがて彼はアメリアの隠れ家へと単身乗り込むこととなった。
そこで彼女と交わされる言葉の応酬は、親友との友情の堅さと、愛する人への懺悔の台詞だった。
そしてシグが真実を知り、アメリアが死んだところで舞台は降りる。
オレンジジュースを飲みながらそう語る主役。
「俺も知らん。なんつーか、本当に突然依頼が来たからなぁ」
今回彼は、ほとんど飛び入り参加状態だった。
事の始まりは三日前。
演劇部がこの舞台を演じることは大学でも有名だった。
そこで、突然主役を演じる学生が風邪で寝込んだという噂が広まり、そしてその学生とそれなりの交友を持っていた彼に、白羽の矢が立ったのだ。
当初困惑全開で首を縦に振ってしまい、後悔したのだが、やってみると意外と面白かった。
結果、演劇部の部員全員が驚くほど彼は芸達者な人間だったことが判明。
演劇部から誘いの声も上がったほど。
それを聞いたメリーは感嘆の声を漏らす。
「やけに慣れてたけど、小さい頃何かやってたの?」
「ん、まあ中学校の頃にちょいと親がね。慣れない頃は恥ずかしかったけど、慣れたらそうでもないよ」
「心臓に毛が生えてるというか、まるで別人だったわ」
「成りきる心が大事だって教わってたからさ。とにかく、主人公の気持ちになりきってみたんだ」
飲み干したジュースのパックをくしゃくしゃに丸め、ちらっと隣の蓮子の様子を見た。
蓮子は相変わらずの仏頂面で、既に食べ終わったパンのカスを地面へ叩き落としている。
なんというか、機嫌が悪そうだ。
「蓮子?」
「……あによ」
「い、いや。何でもない」
「……ふん」
かくいう彼には心当たりがあった。
秘封倶楽部。
彼女たちが持つ異常な能力によって、この世の不思議を追い続ける謎のサークル。
活動内容は、大抵蓮子の思いつきによって実現化されるのだが、実は今回もそれが予定されていた。
誰からもお人よしと言われる程度の彼が、まさか秘封倶楽部の活動を蹴ってまで演劇部へ参加するとは、メリーはおろか蓮子ですら予測していた。
ちなみに活動日前に演劇部への参加の旨を伝えた彼は、般若もかくや!という表情の蓮子に顔を真っ青にしながら土下座していたという。
不承不承許可をもらった彼の表情は、コケ色同然だったとメリーは語る。
「大体ねぇ、本当なら昨日三人で行く予定だったのよ。廃ビルへの独自調査!」
「そ、それは悪かったって! 蓮子だって許可してくれたじゃないか!」
「……あぁん?」
「ひぃ!?」
ギラついた目の蓮子から脱兎のごとく距離を離し、メリーの陰に隠れる彼。
ちなみに身長は彼女たちと同じくらいなので、姿は意外に隠れる。
そんな彼の様子に、メリーは苦笑しながら蓮子へ話しかけた。
「まあまあ。いいじゃない蓮子。結局昨日は何もなかったんだから」
「メリーまで!」
「いい加減不貞腐れるのやめなさい。貴女だって、今日彼が劇に出ること、楽しみにしてたでしょう?」
「誰が!?」
「貴女よ。彼が舞台に上がって「メリー! 見て見て!」とかはしゃいでたの、誰だったかしらね?」
「ち、違うわよ!? 私じゃなくて私に似た宇佐見蓮子よ!」
いや、お前じゃんと彼は思ったが言わない。
彼を置いて、ひたすら言葉を掛け合う彼女たちを放っておいて、彼は静かに秋の最中にいることを感じていた。
「だからぁ――ってメリー? アイツはどこにいったの?」
「うん? ……あ、もうあんなところにいる」
「ちょっとぉ! 私らを置いていくなあぁ!」
「待って蓮子! 早いってば!」
暗い、暗い夜。
七畳半のアパートの一室。中にはコタツと本棚とベッドくらいしか目立つものがない、質素な部屋。
彼はベッドの上で横になって、脚本を今更ながら見直していた。
愛する男のために、その男の友を斬らなければならなかったという小さな理由。
愛されていることを気付かずに、そして友のために、剣を持って女を斬った愚直なまでに純粋な男。
主人公を演じた今でも、何となく違和感を覚える劇の内容だった。
その違和感の正体は、多分ラストのシーン。
誰もがアメリアとシグが、結ばれればいいと思ったシーン。
「ふう」
剣を使うことでしか語り合えない、不器用な三人の主人公たちのストーリー。
昔は確かに、こうした事が起こっていたのかもしれないな、と感慨深げに頷く。
でも、純粋だ。この劇の中の人はひたすらに純粋だ。
だから間違えたのかもしれない。否、たった一つしか回答を選べなかったのだ。
一途な純粋さは、時として危険。
この演劇は、そういったことを含めて聴衆に伝えたかったのかもしれない。
「……今の俺たちには考えられないな」
危険が蔓延るこの物騒な世界。
疑うことを知ってしまった人間の、汚い世界。
一体、どちらが幸せな世界なんだろうな……そう考えたところで、玄関が叩かれる音がした。
彼はこの叩き方を知ってる。
というか、呼び鈴があるにも関わらずアナログにドアを叩く人物を、彼は一人しか知らなかった。
「や! こんばんわ!」
「やっぱり蓮子か」
溜息混じりにドアを開けてみれば、やはりその奥には真っ暗な空を背後に、いつもの服装の蓮子が立っていた。
いや、よく見るといつもと同じなのは帽子だけ。寒さ対策か、見慣れない黒いカーディガンを羽織っている。
白い息を吐きながら、彼女は勢いよく手を上げて言葉を発した。
「いやぁ、寒い寒い。早く上げて欲しいな、蓮子さん的に」
「蓮子さん的に、何故ここにいるんでしょうか? 時間わかってる?」
「ん? 二十時七分三十二秒でしょ?」
星をチラッと見ただけで正確な時間がわかるとんでも目力を持っていたのを忘れていた。
つまりは、彼女が今の時間をわからないわけがないのだが……
「おうおう。いい加減限界ですよ。上げてー。死ぬー」
「え、ちょ」
「おじゃましまーす」
かって知ったるなんとやら。
蓮子はそそくさと彼を押しのけて、とっとと部屋の中に入ってしまった。
呆気に取られた彼は、しかし「仕方ない」と開き直って冷静にお茶の準備を始めることに。
安物の紅茶を淹れ、二つのカップを持って蓮子が居座るコタツに向かう。
コタツの中で蕩けそうな笑顔でいる彼女の対面に彼は座ると、二つのうち一つを差し出した。
「どうぞ」
「さんきゅー。あとこれ、お茶請けに買ってきたよ」
「……ケーキ?」
お茶請けというかデザートではなかろうか?
とりあえず箱の中から二切れのショートケーキをそれぞれ皿に載せ、蓮子と彼側に寄せる。勿論フォーク付きで。
一欠けら切り取り、口に運ぶと思ったよりもさわやかな甘さが口の中に広がった。
「美味しいなコレ」
「でしょ? メリーのお気に入りよコレ」
「へぇ。もしかして○○っていう店?」
「あら? 知ってたの?」
「や。俺もメリーに教えてもらってたんだ。でも行ったことなかったから嬉しいよ」
「それならよかったー。でも時間ぎりぎりだったんだよね。意外と遅くまでやってて助かったわよ」
「あ、そうそう。ケーキ屋って言ったら、駅前のやつ潰れたの知ってる?」
「え? そうなの?」
「ああ。最近売れ筋が良くなかったみたいだからねぇ」
「ふーん。あそこも美味しかったんだけどなあ」
二人でケーキを突きながら、談笑。
講義の内容や、サークル活動の予定。それから当たり障りのない雑談に入った。
気付けば、時間はとっくに十二時を過ぎていた。
テレビも付けずに、ずっとだべっていただけで四時間は話していたことに驚きつつ、そろそろ蓮子が帰るだろうと思い、彼が腰を上げると……
「ねぇ」
ふと、蓮子は口を開いた。
「あの劇のことなんだけどさ、どうしてあんな結末になったの?」
彼も一緒に悩んでいたことを、彼女も感じていた。
悲劇と言えば悲劇だが、それにしては潔いほどあっさりと劇は終わってしまったから。
もう少し別の結末なら、もっと違ったストーリーを演じることが出来た筈なのに、と。
蓮子がそう力なく呟いたところで、彼は肩を竦めて立ち上がった。
「俺だってそう思うよ。けど、彼らにとってそれが最善だったんじゃないかな?」
「どうして?」
「剣を持つことでしか、言葉を上手く交わせなかったから。それと、彼らがどこまでも純粋だったから」
武器を持ち、意思を伝えようとも、やはり彼らは純粋な人間だ。
例えどんなに正当性のある言葉を並べても、剣を使って相手にぶつけていくしか方法を知らない。
それはとても不器用で、ある意味言葉よりも価値のあるものなのかもしれない
「……蓮子はどう思う?」
「わたし?」
「うん。最後は、アメリアとシグが結ばれれば良かったと思うかな、やっぱ」
問われた蓮子は、コタツの天板の上に頭を乗せ、うんうんと唸り始めた。
その間に彼は二枚の皿と、二つのカップとソーサーを流し台へ持っていく。
水を流し、スポンジに泡をつけたところで、ふと背後に気配を感じた。
「蓮子?」
肩越しに振り返った先には、ふわりと舞う黒い影があった。
蓮子の姿が見えず、気のせいかと視界を流し台に戻した時に――
「ぷはぁ」
「……蓮子?」
――黒い髪の、いつもの蓮子が、いつの間にか流し台と自分との間に立っていることに気付いた。
何時の間に潜り込んだのか、というか、何故こんなことをしているのか彼が問おうとしたところで、
「よっと」
「っ!?」
彼女の細い腕が、首に回された。
全体重をかけてぶらさがっているのか、身長がそこまで変わらないことが幸いしたおかげで倒れることこそなかったものの、若干体勢を崩しかけた彼は、焦りながらも蓮子へ疑問をぶつける。
「蓮子、何を――」
「わたしは、わたしがもしアメリアなら、」
「――え?」
「きっと、シンクともっと話し合いたかったと思う」
彼の首に、さらに負荷がかかる。
単純に、蓮子が彼の首をきつく抱きしめたからだ。
彼は蓮子の重さと暖かさを感じつつ、なんとか平常心を保とうとして、手にスポンジを持って、皿を洗う作業に集中した。
だが、耳だけは蓮子の言葉にきちんと傾けていた。
蓮子の独白は続いた。
「シンクを傷つけてまで、わたしはシグとは一緒にいたくないよ。でも本気で、誰よりもシグが好きだったならわたしは、シンクと一緒にシグの元に行ったと思う。誰の制止を振り切ってでも、思いは伝えたかったから。シンクが本当にわたしを好きだったんなら、多分彼も一緒に協力してくれたんじゃないかな、って」
水の流れる音を意に介さず、その声はきちんと彼の脳へ届いて、そしてある種の感動を与えていた。
「そこでシグに会って、必死に、誰よりも好きですって伝えて、それで――」
皿を洗い終わった彼の、蓮子はその首から腕を解く。そして今度は、彼の両手を握った。
「通じ合いたかった、かな。もっと三人で。剣を交えないで話し合いをする方法を、したかった」
どこか憂いを帯びた顔の蓮子を、彼は今まで見たことがなかったと思う。
力なく、彼の両手を握る蓮子の掌は、微かに震えていた。
「ねぇ、貴方はどうしたかった?」
「俺が?」
「そう。主人公として、アメリアを斬り捨てた貴方は、一体どうやって物語を終わらせたかったのかなって」
どうしてその質問をして、彼女が怯えるように震えているのかわからなかった。
いつものと全く違う彼女の反応に、彼は驚き、そして同時に冷静に答えを返した。
「俺も、蓮子と同じだよ。話し合いで解決できるものならそうしたかった。けど――多分そうはいかなったから、劇はこうなったんだ」
「じゃあ、当然の結末だってこと?」
「そうじゃないさ。例えば――剣を持って語り合うことしかできないなら、そうすることが一番の近道なら、俺はきっと」
こうした。
彼は静かにそう言って、蓮子の手を振り解き、即座に蓮子の華奢な身体に抱きついた。
腕を腰に回し、隙間を一ミリも開けまいとする、ただ力任せの抱擁。
蓮子が小さく悲鳴を上げるが、彼は気にせず即興で用意した言葉を紡いだ。
「アメリア。我はお前が好きだ。友を斬り捨てた貴様を、我はきっと許しはしまい。
だが、それでも我は貴様を斬れぬ。一度は恋をした女を、どうして斬れようか……故に」
すっ、と彼は音もなく蓮子から距離を取り、いつの間にか手にした包丁の切っ先を腹に向ける。
逆手に持った凶器に、彼女は思わず悲鳴を上げた。
彼はそれでも気付かずに、まるで今まさに劇に身を置いているように、そっと狂気を腹に添える。
「我は、アメリアもシンクも疑うことが出来ぬ。その苦悩……我を討つことで、終わりにしよう」
静かに狂気が振り下ろされ――
「バカァああああああああああああああああああああああ!?」
直後に両手を掴まれて事無きを得た。
「ちょ、蓮子!?」
がっちりと両手を掴まれて混乱する彼に、蓮子は涙目で噛み付くように口を開く。
「何やってんのよバカぁ! 死ぬ気!? 別にそこまでしろって頼んだ覚えはない!」
「落ち着けって蓮子! これは――」
「落ち着いてられるかこのバカ!」
バカを三連続。これは新記録だなと彼が思ったところで、いつの間にか彼の手から包丁が奪われていた。
それを蓮子は遠くに放り投げ、そして見た目とは大違いな脊力で彼を締め上げる。
「もしアレが刺さってたらどうするの!? 死ぬの!? 一体何死に入ると思ってんのこのアホンダラ!」
「えーと、うっかり死?」
「ちゃかすなぁあ!」
ぎりぎりと首が絞まる。
そろそろ浮くんじゃないだろうかと彼が心配したところで、急激にその力が失われた。
どうしたものかと恐る恐る蓮子の方を向くと、彼女は意外なことに床に座り込んで泣いていた。
「もう、全く、本当に……」
「お、おーい。蓮子? 蓮子さーん?」
あの蓮子が泣き面を露にしてるとは。
流石の彼も反応に困っていると、蓮子はぽつぽつと囁く様に口を開いた。
「本当はさぁ、今日の劇の労いに来たのにさ、どうして、アンタはこう、もう……ホントに」
「あのさ蓮子」
「あによ?」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった表情に、若干彼が引いた。
まあそれはさておき、彼は放り投げられた包丁を拾うと……その刃先を撫でる。
「ちょっ!?」
「玩具だよ」
「……は?」
「だから、小道具用のお・も・ちゃ」
ほれ、と彼が蓮子をつんつんとその先で突っつくが、全然痛くない。
どうやら刀身がゴムで出来ているようで、全く切れ味はない。
まるで魂が抜けたように、蓮子が鸚鵡返しに繰り返す。
「……おもちゃ?」
「うん」
「……そう」
「心配かけさせてぇえええええ! いっぺん死ね!」
「えええ!?」
「もう! 全く! どうしてあんなもん持ってるのよ!」
「や、お芝居の小道具と言いますか」
「言い訳するなぁ!」
「理不尽!?」
コタツに入って座っている蓮子。
そして、彼はその背もたれ係となって彼女の後ろについていた。
再び狂犬と化した蓮子に成す術もなく、とりあえず機嫌が直るまでこうしてろとの命令。
嘆息し、蓮子の重さを身体で感じていると、ふと口を開いた。
「なあ蓮子。そういやどうして俺の部屋に来たんだよ」
蓮子の家と彼のアパートは原動機付き自転車を使っても片道二十分はかかる。
オマケに今夜は寒い。とてもじゃないが、蓮子がこちらにくるような理由は単なる「祝い」で済ませるものではないだが……。
「ん……」
言い難そうにしつつ、だが蓮子は小さな声で言った。
「ちょっと演劇のシナリオが気になってさ。ちょっと納得できなかった終わり方だったから……っていうのが建前」
「へぇ。本音は?」
「うっ」
今度こそ言い辛いとばかりに身を捩り、彼女は溜息混じりに、観念したかとばかりに言葉を速射した。
「寒い夜だからぁ! 暖めて欲しかったのよ!」
は、と言葉を彼が発する前に、蓮子の身体が反転。
彼の身体に覆いかぶさるようにしがみ付き、数瞬後には兎のごとくばっとジャンプしてその場を離れた。
「お風呂貸して! 入ってくる!」
そのままずんずんと浴槽の方面へ進んでいく彼女を、彼は黙って見続けるしかできなかった。
「……告白されたのか?」
それが真実だと気付いたのは、この一時間後に彼が蓮子と同じ布団で寝るという選択肢を迫られた時だったという。
「おめでとう」
「黙れメリー」
翌日。
大学の講義室で授業終了後に、声をかけてきたのは、同じ選択科目を取っていたメリー。
意味深に笑う彼女に、苦虫を潰したような顔で対応する彼は、何故かげっそりとしていた。
ノートをとんとんと揃え、鞄に押し込んだメリーは笑みを深くして彼に微笑んだ。
「それで? 昨夜はお楽しみだったの?」
「やかましい。っていうか絶対お前がけしかけたんだろこのヤロウ」
「まあ、前からそんな前兆はあったし。いいじゃない。可愛いし、スタイルもそれなり。何かご不満?」
「寝相が悪い。あといびきがうるさい」
「惚気にしか聞こえないわね。っていうかやっぱり寝たのね」
「何もしてねぇ!?」
「知ってるけどね」
「な」
「朝一に蓮子から連絡があったわ。『どどどどどどうしようメリー! 大人の階段のぼっちゃった!』って」
「だから何もしてねぇ!!」
彼はとりあえず心に決めた。
あの蓮子、いっぺん〆てやろう、と。
……できれば、だが。
「見つけたーって、どうしてアンタがメリーと一緒にいるのよ!? 浮気かこんちくしょー!」
「講義が一緒だっただけだ! いつもこの時間はそうだったろ! それと浮気って何だよオイ」
「しーらーなーい! 今度の活動のときは絶対に荷物運びだからね!?」
「いや、いつものことじゃん」
「なら登山に行きましょう」
「アホか!? 『なら』ってなんだ『なら』って!」
「ああもうなら選んで。わたしを抱きしめるかわたしに抱きしめられるか」
「罰ゲームが変わった!? しかもどっちも同じ内容かよ!」
「よし。じゃあ後者でいきます!」
「お前が選ぶなああああああああああああああ!?」
「うーん。暑いわね」
秋だけどな。
新ろだ920
ブグブグブク
「なぁ」
ブクブクブクブク
「蓮子?」
ブクブク
『何よ?』
「その飲み物をブクブク言わせるの、行儀が悪いからやめようとは思わないか??」
『私が炭酸飲料は苦手だと知ってて、頼んだアンタの言えることかしら?』
「そう言われると何も言えないんだが…」
ブクブクブクブク
「……」
ブクブクブクブク
「蓮子」
ブクブクブクブク
「愛してるぞ?」
ブクブク……ブフォアッ
『と、とととと突然何を言ってるのよアンタは!』
「まさか全身にかかるほど吹くとは…」
『私の質問に答えなさいよ!○○っ!』
「いや、そう言えばやめてくれるかなと思っただけだぞ?」
『まったく、アンタって奴は…』
「まぁいい、今のでカップの中身も消えたことだし」
「ここは奢るから帰るぞ、蓮子」
『ちょっと、そんなに濡れてて大丈夫なの?』
「帰ってシャワー浴びて、服は洗濯すれば大丈夫だろ」
『そう言う問題じゃなくて…』
「何、風邪でも引いたらその時は蓮子に看病してもらうさ」
『うう……分かったわよ』
「んじゃ、帰るぞ」
『オッケー、……ごめん』
「いいさ、この程度」
最終更新:2010年08月14日 22:38