メリー1
1スレ目 >>736
秘封倶楽部に入ったのに、特にたいした理由はない。
たまたま学食で二人と相席になり、聞こえてきた面白そうな話に首を突っ込んだのが始まりだ。
そのときは確か、町外れの廃屋に行ってみたんだっけか。
やたら古めかしい洋館で、外国人風の子(メリーだっけか)が言うには『ここに境界が見えた』とか……
結局、一晩中うろついてみたものの収穫はゼロ。たいした事のない初サークル活動だった。
* * * *
ある夜。俺はメリーと一緒だった。場所はよく分からない古寺。
メリー曰く『ここには間違いなく境界があるの』だそうだが……霊感なんぞ一欠も無い俺にはよく分からないや。
「はぁ……今日はやけに冷えるわね」
「まぁ、秋だからなぁ。冷え込むこともあるだろーし」
「うう、寒いわー……」
「……そんなに寒いなら厚着してくればいいでしょが」
ちなみにいつも一緒の腐れ縁、宇佐見蓮子は本日はお休み。
あの元気だけが取り得の活発娘がどうしたことか、風邪を引いて寝込んでしまったのだ。無論指差して笑っておいたのは言うまでもない。
『いーくー……』とどこぞのゾンビのごとく地べたを這いずっていたので、数発ほど腕にしっぺを叩き込み撃沈。
かくして蓮子をベッドに封印することには成功した。成功したんだけど……
肝心の今日のサークル活動どうするのか? ってのが問題になった。
まぁ蓮子も心配だし、中止にしようかと提案したところ、メリーはあっさりと言った。
「あら、境界は待ってくれないわよ? さっさと行きましょ」
……ずいぶんと思い切りのいい事で。ついでに友達想いでもあるな。
かくして俺とメリーは二人だけで、夜の古寺へと旅立ったという訳である。
ちなみに明日提出の課題があったりしたのだが、軽くブッチした事をここに記しておく。
……講師、流石にゴメン。
「はーっ……ごしごし……」
手をすり合わせながら息を吐き、冷えた手を温めているメリー。
その視線はここへ来たときから、寺の隅の一点を見据え動かすことはない。
なんでも、そこが境界の弱くなっているところだとか。……俺には桜の枯れ木が立ってるだけにしか見えないんだけどな。
メリーはどうも寒がりなのか、カタカタと震えているようにも見える。
…………それでも視線を外さないあたり、流石というか馬鹿というか……
「……仕方ないか」
「え?」
不思議な声をあげるメリーを尻目に、俺はコートを脱ぐ。
そして、ばさりと座っていたメリーに掛けてやった。
「わ……わ?」
「見てて寒そうだからな。着とけ」
「……そう? 暖かくて嬉しいけど……いいのかしら?」
「いいんだよ。まだそこそこ暖かいし。寒いの慣れてるし」
「……ふふ。じゃ、お言葉に甘えて借りるわね」
メリーはどこか嬉しそうにコートを撫ぜて、そう答えた。
寒さで少し白くなった顔に浮かぶ、綺麗な笑顔。
それを見るのが照れくさかったので、俺はメリーから視線をそらした。
* * * *
腕時計を見る。ここに来てからもう三時間は経った。
……特別なことは、何も起こっていない。
メリーは相変わらず、桜の枯れ木を見つめ続けていた。
どこかこの場所ではない、どこにも存在しない場所を見ているかのような眼。
その眼は、どこまでもどこまでもひたむきで、まっすぐで。
「……何が見えてるんだ?」
「え?」
つい、そんなことを聞いてしまった。
緊張を切ってしまったかな。ちょっと反省しなければ。
「境界っていっても、別に線だけって訳じゃないんだろ?」
「あ。あー……そうね。そういう風に見えるときもあるんだけど……」
うーん、と指を口元に当てながら考え込むメリー。
……中々に可愛いな。どこぞのお嬢様を髣髴とさせるぜ。
「今はね、桜が見えてるわ」
「……桜? 枯れ木じゃなくってか?」
「ええ。満開の桜。雪のように花びらが待っていて……とても綺麗だわ」
メリーと同じように、境界のある場所を見る。
……けれど、どう見てもカラカラに枯れた桜の木しか俺には見えない。
桜の花も、舞い散る花びらもそこには存在していない。
少なくとも……俺には分からない。
メリーには見えるものが、俺には……見えていない。
メリーには見えていて、俺には見えないナニカ。
それが二人の間に存在している、絶対に超えられない線のように思えた。
「……見えない?」
「…………ああ」
苦々しい気持ちで、答えた。
メリーはきっと軽い気持ちで問うたのだろう。
けれど、俺にはそれが……拒絶の言葉のように思えてしまって。
……気づかれないように小さく、肩を落とした。
「そっか……残念」
「あー……まぁ、俺は結局なんも力ないですからね」
努めて軽い口調で答えた。
それが、今の俺の精一杯だった。
「見たいのよ」
いきなり、メリーはそう言った。今までのような、呟きとも囁きともとれる声とは違う。
どこか願うような、想いを込めた……力強い言葉。
「メリー……?」
「見たいの。舞い散る桜吹雪を。息を呑むほどに美しい桜の木を」
「…………けど」
それはもう、メリーの眼には見えてるじゃないか。
……そう、言おうとした。言うつもりだった。
けれど。
「貴方と一緒に……見たいの」
その言葉に。
俺は全ての言葉を失った。
同じものを見たい。
それは……俺の願いとまったく同じなのだから。
メリーはゆっくりと俺の方を向いた。ほんの少し青みがかった瞳が、今俺を見つめている。
その瞳の奥底には……堪えきれないほどの感情が渦巻いているのは容易に見て取れた。
「初めてよ。こんな風に……見えているものを共有したいって思ったのは」
「………………」
「貴方と同じ物を見たい。同じ物を見てほしい。……傍に、いてほしい」
ゆっくりと、メリーの顔が近づいてくる。
彼女が何をしようとしているのか、分からないほど俺は馬鹿じゃない。
動けない。彼女の言葉に、俺は縛られてしまっている。
「……無理な願いなのかしら。こんなに願っているのに」
ほんの少し、触れる唇。
「こんなに……貴方が好きなのに」
「……御免なさい。無理難題だったわね」
再び離れる距離。メリーはまた、桜の枯れ木の方を向いてしまった。
「………………」
俺は、何かを勘違いしていたんじゃないのだろうか。
俺は見えないと思って、彼女と隔たりがあったと思っていたように。
彼女もまた、見えてしまうということで俺と隔たりがあるように思っていた。
俺だけじゃない。
彼女も……その隔たりを埋めたかったんだ。
隔たりは、どうすれば埋まる?
俺には特別な力は無い。同じ物が見れるとは……到底思えない。
けど。
今たった一つ、俺に……俺だけに出来ることは、ある。
「……メリー」
「ん?」
そっと、こちらを向くメリー。
その瞬間。
「んっ……」
「!!」
今度は俺から、メリーの唇に触れた。
軽く触れるだけではない……想いを伝えるための口付け。
驚いていたメリーも、俺の気持ちをわかってくれたのか……瞳を閉じる。
その瞳から、ぽろりと。
一筋の淡い輝きが零れ落ち……
俺の手の甲に。
ポツリと落ちた。
ザァッ…………
微かに甘い香りのする、暖かい風が吹いた。
そして。
俺の目の前を。
ひとひらの桜の花びらが、流れていった。
見えるか、見えないか。分かるか、分からないか。
そんなの関係ない。些細なことだ。
大事なのは。
その隔たりを超えようとする強い想い。
それさえあれば。
どんな物だって見ることが出来る筈だ。
君と一緒に。
***************************************
メリーって聞くとクリスマスが脳内に浮かびます。
……どーせ一人だってのに。
最後に桜の花びらが見えたのは。
まぁ……ゆかりんの仕業ってことにしておいてくださいな。
1スレ目 >>779
――『その日』、俺の中で何かが変わった。
俺は、いつものように森を歩いていた。
いつものように雑魚共は道を開け、俺は森を好きなように動く。
腹が減れば森の果てまで行き、通りかかった人間を食う。
森の中には道は無い。だから中には人間は滅多にいない。
その日は、滅多に無いことが起こった。
森がざわついていた。
理由はわかる。俺はこの森の中のことなら何だってわかる。
人間がいる。それも力を持った人間。
しばらくいなかったが、また俺を狩るために来た者だろう。
……違う。匂いが違う。これは…外の人間。
興味が湧いた。雑魚に食わせてしまうのも勿体無い。
せっかく現れた珍しい物だ。俺が食う……。
雑魚を軽く威圧しながらそこへ向かう。
この森の中に俺に逆らう者はいない。
弱者は強者に従う。当然のことだ。
程無くしてそこに着く。
いた。見慣れぬ紫の衣服、長い金の髪の女。そして漂う力。
やはり外の人間。それも極上の品だ。
暴れられても面倒だ。いつものように気配を消し、近づいて一息に狩……らなかった。
何か引っかかった。
気付けば、俺は姿を晒していた。
女はもともと怯えていたが、俺の姿を見てその表情がより強張った。
俺は、威圧した。周りの雑魚も、女も。
雑魚共は何もしないよう。そして、女が逃げるよう。
思惑通り女は逃げた。俺は雑魚共に手を出さないよう指示した。
何故、そんなことをしたのかわからなかった……。
俺は女を追っていた。
逃がしたとはいえ俺が目をつけた獲物だ。誰の手も出させない。
絶えず雑魚を圧し、女が危険な場所に近づこうとすれば、姿を現しそこから遠ざけさせた。
まるで守っているようだ。そう思ったのを打ち消した。
それでも所詮は人間、それも女だ。
やがて憔悴し、倒れた。
意識が無いのを確認してから俺は近づき、女を抱え上げた。
ねぐらに持って帰る。普段の俺ならばそうしただろう。
だが、俺は女を担ぎ森の外へ向かった。
人間が通り、かつ人間の里から多少離れた所。
女をそこに置き、妖怪が近づかないよう威嚇した。
俺は、何もせずに帰った。
何かが、変わっていた……。
幾日か経った。
いつもと変わらない。雑魚を統べ、人間を食う。
何も変わらなかった。だが、何かが欠けた感じがしていた。
ふと気になり女を置いた場所を見に行った。
女はいない。死臭も無い。里の人間が連れて帰ったのだろう。
安心した。……安心?
また、幾日か経った。
森の傍をあの女が歩いていた。
俺は、何もせずそれを見ていた。
それ以来、時折女の姿を見るようになった。
俺は食うわけでもなく、女の動向を見ていた。
ある日気付いた。俺は、あの人間の女に恋をしたのだと。
初めは自分でも否定した。
だが、気付いてしまえば後は溢れるばかりで、俺はそれを認めるしかなかった。
俺は、あの女を愛している……。手に入れたい。共に、歩みたい。
だが俺は人間ではない、妖怪だ。
妖怪は人間を食うもの。人間は妖怪を退治するもの。
妖怪と人間が相容れることは有り得ない。
創造主よ、いるなら答えてくれ。
何故俺を妖怪にした? 何故彼女を人間にした? 何故、俺を彼女と巡り合わせた……。
腹が減ったから人間を狩った。
何の感慨も無い。当然だ。妖怪は、人間を食うものだ。
そこで思いついた。
妖怪は人間を食うもの。ならば、人間を食わなければ妖怪ではなくなるのでは?
俺は、彼女と添い遂げたい。
それができるのならば、人間にもなろう。
その場に死体を捨て、去った。雑魚が群がり、俺も後ろ髪を引かれたが、それから逃げるように俺は帰った。
……人間を食わなくなって幾日が過ぎたろう。
俺の力は日に日に衰え、徐々に人間に近づいていった。
俺の次に強かった奴にねぐらを追われた。
構わない。俺は人間になってこの森を出るんだ。
数いる雑魚と共に過ごすようになった。
その中ではまだ強いほうだったが、すぐに弱くなった。
もう少し。もう少しで人間に……。
森の中に、敵う相手がいなくなった。妖怪どころか、獣にさえも。
俺は、とうとう人間になった。
人間の体がこれほど辛いとは思わなかった。
獣や雑魚共が手を出してくる。
森を歩くだけで極端に消耗する。
体が重い。
彼女は、こんな状態だったのか。今なら気持ちがわかる。
ほうほうの体で森を抜ける。歩きやすい道に出る。
里に向かって歩き出す。森の側は通らない。今の俺は、人間だ。
路傍に花が咲いていた。
そうだ、これを彼女に渡そう。
以前の俺には思いつかないことだ。俺は人間になったんだ。
里が見えた。
見覚えのある、変わった紫の服が見えた。
風になびく金の髪が見えた。
顔が見えた。驚いた表情。振り返ってみるが何もいない。何に怯えているのか。
人間が集まってきた。俺を迎えてくれるのだろうか。何故、武器を持っているんだ?
声の届く距離に来た。さあ、話しかけよう。
『ウォォォォォォォォォォォォォォォォォ……』
何だ今のは? 俺の声? 俺は人間になったんじゃないのか?
もう一度声を出す。……やはり叫びしか上がらない。
槍が体を貫いた。
痛い、イタイイタイイタイイタイイタイイタイ!
棒が、鍬が、鎌が俺に襲い掛かる。
花。これだけは守らないと……。これは彼女に渡すんだ。
攻撃が止んだ。
声をかけられた気がして顔を上げると、彼女がいた。
抱えていた花を渡す。言葉を出そうとする。
一言だけでいい。伝えさせてくれ。俺に言葉を与えてくれ!!!
『ウ、ア…イ……アイ、シ……テル』
渡せた。伝えられた。
急速に力が抜け、意識が沈んでいく。
俺が終わる。
最期に、一目だけでも……。
ああ、やはりお前は美しい。笑顔が見れなかったのは残念だな。
怯えたような、驚いたような瞳。そこに写った俺の姿は、飢え、痩せ衰えた妖怪だった。
「ちっ、妖怪が! こんな所まで来やがって!」
「メリーちゃん、怪我は無いかい?」
みんながそんなことを言って、また今の妖怪に武器を振り下ろそうとする。
慌ててそれを止めた。しぶしぶながらやめてくれる。
どこかに捨ててくるらしく、何人かが道具を取りに行った。
「愛してる、か」
渡された花を見て呟く。私にしか聞こえなかったようだ。
この人(?)は見覚えがある。
私がこっちに来たときの森にいた、とても強そうな妖怪。
「メリーちゃん、そんな妖怪が持ってきた花なんて捨てちゃいなよ。毒もってるかもよ」
「一体何のつもりだろうねぇ?」
なんとか説得してそれを断る。
この人は妖怪だけど、とても一途だったのだと思う。
あんなに強そうだったのに、こんなに弱っちゃって。
「愛してる……」
もう一度呟く。
この人が倒れる直前、体に境界が見えた。人間と妖怪の境界。
もし生まれ変わったら、今度は人間かもしれないわね。
「もう一度出会ったら、今度はわからないわよ?」
だから、いつかもう一度。
この花はそのときまでとっといてあげるわ、名前も知らない妖怪さん。
11スレ目>>820
新年会の会場である居酒屋を出たのは、日付が変わるか変わらないか位の時刻だった。
「後で払うから」などとほざいて勘定を全て俺に押し付けた宇佐美蓮子は店を出てきた俺を見るなり小脇に抱えている人物を俺に突き出す。
「じゃあ○○、メリーのことよろしくね。メリーに変なことしたらぶっとばすから」
「……何が『じゃあ』なのかはよく分からないがそんな疑念を抱くくらいならお前がハーンを送っていけばいいんじゃないのか?」
「だって私の家メリーの家とは正反対の所にあるんだもん。メリーを送ってからじゃ終電に間に合わないわ」
「それで俺の家の場所あんなにしつこく聞いてきたのか……」
研究室での日々で俺が彼女に勝てないということは当の昔に証明済みである。
ため息と共に突き出されたまま眠っているマエリベリー=ハーンを受け取る。
「うし、じゃあまたね。今度は休みが明けてからになるかな?」
「そうだな。お前も気をつけて帰れよ宇佐美。寝惚けてドブに突っ込んだ程度の笑い話なら歓迎するからネタを仕込んでおけ」
繰り出されるミドルキックを手に持つハーンで阻止する。
おお、寸止め。コイツ格闘技とかやってるんじゃないか?
「メリーバリアとは……中々やるじゃない、○○」
「ここまで適当に扱っても目を覚まそうとしないハーンに敬意を称しただけだ」
「訳が分からないわよ」
「うるさい、とにかく気をつけて帰れ」
「はいはい。またね、○○」
「ああ」
軽く手を振って宇佐美が角を曲がるまでその姿を見送る。
さて。
「おい、ハーン」
ぺちぺち、と軽く頬を叩く。
マエリベリー=ハーンと会ったのは今日で三回目だ。
宇佐美を求めて研究室にやってきた過去二回で、互いの名前や姿形くらいは覚えている仲だった。
しかしサードコンタクトで一緒に飲む間柄にまで発展するとは。
里帰りしない研究室のメンバーで新年会。参加者は俺と宇佐美だけ。じゃあメリーでも呼ぼうかしら。
人間関係が発展する時はあっという間だということを学んだ一日だった。
「ハーン、歩けるか?」
返事は無い。まだ夢の中みたいだ。
もう一度ため息。宇佐美にせよこの娘にせよ、どうしてこうもマイペースな女性だけが俺の周りに集まるのだろうか。
仕方が無いので彼女を背負って歩くことにした。
タクシーという手もあるのだろうが学生である身にタクシーは辛い。
というか宇佐美の奴、多分今日の飲み会の金払わねえだろうな。
「ん、しょ……っと」
軽い。羽のようだ、という言葉がぴったりである。これなら多分腕の力ももつだろう。
そのことにとりあえずの安堵。宇佐美が消えていった方角とは正反対の道を歩き出すための第一歩を踏み出した。
ーーー
「あ」
家へと向かう道を歩いている最中に気が付いた。ハーンの家はどこにあるのだろうか。
肝心なことを聞くのを忘れていた。思わず足が止まる。
宇佐美に聞けば住所くらい分かるだろうか――そう思いポケットの携帯電話に手を伸ばそうとして、止める。
あいつの性格からして住所なんてお上品なものが頭に入っているとは思えない。
「どうすっかなぁ……」
「何を?」
独り言のつもりで口に出した言葉に、耳元から返事が返ってきたので俺は思わず息を止めてしまった。
首を左に回すと、目が合った。
「起きてたのか、ハーン」
「うん。ついさっき」
「丁度いい。お前の家って何処だ?」
「えー……っと、うん。このまま真っ直ぐ」
「分かった」
目を覚ましてくれてよかった。おかげでややこしい事態に陥らないですみそうである。
背中のハーンを背負いなおす。気持ちも新たにまた歩き始める。
「ごめんね、○○」
飲み会の前までは○○君、ハーンさんと呼び合う間柄だったのに気が付いたら互いに呼び捨てになっている。
酒の魔力が成せる技だ。
「本当は蓮子の家に泊めてもらうつもりだったんだけどつい調子に乗って飲みすぎちゃって」
おい宇佐美。お前まさか家に泊めるのが嫌で俺に押し付けたんじゃないんだろうな。
心の中で罵詈雑言を浴びせる。心の中なのは目の前に本人がいないことと実際に口に出したらぶっとばされることに起因する。
自分でもはっきりとヘタレだと分かる思考にちょっとだけ凹んだ。
「でも、今日――あ、もう昨日? 兎に角楽しかった。まさか烏龍ハイを烏龍茶で割って飲む人がいるとは思わなかったわ」
また嫌なところを突いて来る。
酒の弱さには定評がある俺だった。調理酒のアルコールが完全に飛んでいない料理で顔が真っ赤になったことがあるほどだ。
別に弱くても問題ないとは思っているが、指摘されればむっとする。返す言葉は若干苛立っていると思う。
「うるさいな。あれでも俺にとっちゃきついんだ」
「下戸って大変ねぇ」
「……そうだな、お前みたいな飲兵衛の後始末の役割が必ず回ってくるからな」
「じゃあいいわよ、無理におんぶなんてしなくても」
「馬鹿言え、さっきまでぐーすか寝てたくせに。つーかお前酒が身体に来るくせに思考はまともなのな」
「へっへー、そのおかげで今私は○○の背中の広さを意識してドキドキしてるぜー」
「前言撤回、いいから寝てろや酔っ払い」
歩く。俺のアパートが見えてきた辺りでもう一度道を聞いた。もう少し先らしい。
「ねえ」
「あん?」
「――好き」
その言葉は、やたらとはっきりとした音として耳に入った。
酔っ払いの戯言として片付けることの出来ない、切実な声のように聞こえた。
俺は答えない。どう返してやればいいのか分からない。
「……なあ、ハーン」
沈黙に耐え切れずに何かを口に出そうとした。
「……うぅ」
「……ハーン?」
吐かれた。
あんまりだと思った。
ーーー
吐瀉物を頭から被った状態で道を歩いていけるほど神経が太い訳でも無いので、一度アパートに帰ることにした。
女性を連れ込む経験なんて初めてだが緊張なんてしなかった。大義名分があると人は大胆になれるものだ。
ハーンを下ろし、口の中をゆすがせてからベッドに横たえる。
「○○……本当にごめん」
「あー、もう過ぎたことだしいいって。もう面倒だから今日は泊まっていってくれ。宇佐美が怖いから何もしないと誓うさ」
「ヘタレー」
「叩き出すぞ」
「あはは……いいから頭洗ってきなさいって。臭い付くと大変よ?」
「へいへい」
ハーンに背中を向けて部屋から出ようとする。
「○○」
呼び止められた。立ち止まって「何?」とたずねる。
「あのね、さっきの言葉、忘れて欲しいの。正直酔ってたんだと思う。これからはお酒控える事にするわ」
「……ああ」
それから改めてシャワーを浴びて頭を洗う。
思い出すのは先程のやりとり。
「好き、か……」
忘れていて欲しかったのなら、何もなかった事にしていればよかったのだ。
自分はどうだろう、と自問する。
好きと言われてすぐに返事を返す事が出来なかったのが、答えなのだと思う。
彼女にはそれが分かっていた。だからそれを無かったことにしようとした。
あの時の出来事を無かったことにして、続いたはずの今までどおりを継続しようとしているのだ。
それもまた、無理な話だ。
交流が浅いとはいえ、マエリベリー=ハーンという女性と話すのは中々に楽しかった。
でも、お互いの気持ちに気付いてしまった後で『今までどおり』でいることができるのだろうか。
分からない。
何だか良く分からない気持ちに駆られて、シャワーの勢いを強くした。
それで、何かが流れ去るものだと信じて。
ーーー
何時もの何倍も時間がかかった風呂から上がり、部屋を覗くと、ハーンはベッドから上体を起こして窓の外を見ていた。
このアパートの窓から見える夜景は街灯がもろに差し込んでくる関係から風情が台無しであるという専らの評判で、俺なんかは四六時中カーテンを閉め切っている。
彼女は、そのカーテンを開け放して、ただ真剣に外を見ていた。
その横顔に、どきりとする。
「何か、面白い物でも見えるのか?」
誤魔化すように、そうたずねる。
「んーん、何も」
「そうか」
台所に戻って、番茶を入れる。湯飲みなんて物は無いからコーヒーカップだが、それ位は我慢してもらおう。
二つのカップを持ってまた部屋に戻ると、ハーンはまた外を見ていた。
「面白いか?」
カップの片方を差し出しながら、そう聞く。
「面白いわ、凄く」
カップを受け取りながら、ハーンはそう答えた。
カップを口につけて、すぐに離す。どうやら猫舌らしい。冷ますために息を吹きかける作業に専念している。
「なあ、ハーン」
ハーンの動きが、止まった。
話を蒸し返そうとしているのが分かったらしい。
「今、お前に好きって言われても、俺は多分『YES』とは答えられないと思う」
「……」
「でも、さ。相手の人となりが分からないうちは好きにも嫌いにもなりようがないし、お前のことは嫌いじゃない」
「そういう下手な慰め、止めてよ」
「慰めでもなんでもないさ。つーか今回はお前が早まりすぎなんだって。俺達見知ってからまだ三回しか会ってないんだぜ?」
ハーンの目線が俺に突き刺さる。何かを期待している目だった。
その何かの正体を、多分俺は知っているのだけれど。返す答えは若干ずれているのだろう。
「だから、さ。俺はお前をもっと知りたい。お前のいい所も悪い所も知りたい。そうすればきっと、もっとお前を好きになれると思う」
好きだと言ってくれる人を無碍に扱いたくは無い。
だから――歩み寄ろうと、そう決めたのだ。
「と、言う事でだ。お友達から始めませんか? メリーさん」
「……ふふ、そうね。○○君、これからもよろしく」
「こちらこそ」
かつん、と番茶の入ったカップが重ねられる。
これから俺はきっと、意識して彼女――メリーを好きになっていく。
でも、そんな関係だってきっと悪くはない筈だ――再び番茶に息を吹きかけはじめた彼女を見ながら、そう思った。
新ろだ13
「○○。突然なんだけどさ、初詣行かない?」
俺が紅白歌合戦を見ながら大晦日を静かに過ごしているときだった。ハーンから携帯に電話があったのは。話しを聞くと、どうやら宇佐美は帰省して県外に行ってまったらしく、帰省しないハーンは暇に耐え切れなくなったらしい。要するに暇潰しに付き合えという事だ。断る理由も無いので二つ返事で了解して、ハンガーにかけてあったコートから適当に取って羽織ると雪がチラつく外へ繰り出した。
神社へ続く夜の街を歩く。神社に近づくにつれて林檎飴やたこ焼き等の食べ物を扱う出店の匂いが鼻をくすぐり、人ごみは密度を増して行く。ふと目を離せば共に来ている人を見失ってしまう。携帯電話の規制がかかる時間帯と重なる今の時間は、合流のための連絡をとる事すら困難になる。だからはぐれないようにハーンと手を握り合うのは不可抗力であって決して変な事ではない。恥ずかしくなんて──
「えいっ」
突然、声と共に頬を指で突かれて現実に引き戻された。頬を突いたハーンの顔を見ると、まるで風船みたいに頬を膨らませ「無視するな!」と怒っていた。
「ごめん。少し考え事を……な」
「考え事?良かったら教えてくれないかしら?」
「後で覚えてればな」
「えー。……まぁ、いいけどね」
言えるわけない。考え事なんて口から出た咄嗟の嘘なんだし。
好きな女……お前の手を握ってて思考が塗りつぶされてるなんて言えるとしたら余程の度胸がある奴か、それともただの⑨だよな。
───
「ところでさ」
「何だ?」
賽銭箱まで、30メートルぐらいの距離でメリーが前を向いたまま再び話しかけてきた。
「○○は何をお願いするの?」
「あー、そういえば特にこれっていう願い事は考えて無かったな」
「本当に?」
信じられないという顔でハーンは俺の方を向いた。
そんな顔されても、本当に考えていないのだからその顔は勘弁して欲しい。
「ここは地主神社よ?大国主命。縁結びの神様が祭られてる場所っていう事ぐらい知ってるでしょ?」
「縁結び、か」
ああ、成程。だからさっきハーンはあんな顔したのか。
そういえばハーンも年頃だし縁結びとかその手のものに興味あるのは当然だよな。
ガラでもないが、ハーンとの縁結びでもお願いしてみるか?
「じゃあハーンは誰か狙っている人でもいるのか?」
「……一人だけね」
そう言って少しだけ俺の手を強く握ってきた。
「ハーン?」
「○○は誰かいるの?狙ってる子」
「俺も一人だけ……いるな」
ハーンの手を俺も少しだけ強く握る。すると指と指の間にハーンの指が入ろうとしてきたので、隙間を開けてそれを受け入れた。
……何やってんだ俺。
「ハーン。あのさ」
「何?」
「男ってのは馬鹿だからさ。そんな事やると勘違いするぞ?」
微かな期待が心の底から湧いてくる。もしかしたら、ハーンの心の中にいるのが自分ではないかと。
だが、まだあわてるような時間じゃない。そう心で言い聞かせ、気持ちを落ち着かせようとしたが。
「勘違いじゃなくて……本気にして」
そんな必要は、無くなった。
新ろだ397
「ぐあー…」
鏡に向かって既に半時。そう、既に半時も経っているのだ。分に直して30分。世界一長い3分間を戦うウルトラマンだってとっくに怪獣を倒しているはずの時間だ。
だというのに、俺はまだネクタイという怪獣を倒せないで居る。
「ダブルノッチってなんなんだよ…」
生まれてこの方、ネクタイというものなんぞ身につけたことは無かった。いや、本当は昔一度だけ身につけたことはある。あるのだが、たったの一度だ。それも数年前の話で、そんなに昔にやったことを覚えている方がおかしいのだ。
「貴方はスリムだから、ボタンダウンと合わせるとかっこいいわよ」と言った奴を思い出して、臍を噛む。こんなことになるなら別のシャツにするべきだったのだ。そうすれば芋蔓式にダブルノッチなどと言うネクタイの締め方をする必要もなかった。
しかし悔やんでみても、時既に遅しである。時計に目をやると8時を大きく回っている。
こうなればもう仕方ない。諦めも大事なのだ。男たるもの、時には耐え難きを耐え、涙をこらえて恥を晒さねばならない時もあるのだ。
「はぁ……」
大きくため息を一つ吐き、自室のドアを開いた。途端に大きな笑い声が迎えてくれる。まるで俺が部屋を出るのを見計らったかのようだ。一等大きな声で笑うのは友人の●●だ。目の端に涙さえ溜め、アホ面を晒しながら大声で笑っている。その彼と顔を見合わせつつ、やはり笑い声を上げるのは宇佐美蓮子。驚くべきことに●●の恋人である。彼女に言わせれば、どう見てもただの馬鹿にしか見えない●●もハンサムに見えるらしい。恐るべきは恋の病か、乙女心か。
そして人目憚ることなく笑う二人より幾分抑え気味に、しかし抑えきれない笑みをこぼすのは、マエリベリー・ハーン。「やーいヘタレ!」だの「よっ、今世紀最大の不器用男!」だの野次を飛ばす外野を極力無視しつつ、彼女に声をかける。
メリーはくすくすと口の前に拳を置いて笑いながら、ゆっくりと腰をあげる。
「はいはい、じゃあ私が結んであげるわね」
「…頼む」
ぽん、と彼女が俺の肩を叩いたのを合図に、今だ笑いつづける●●達に背をむけ自室に戻る。何か、伏字にするべき淫猥な単語が聞こえたような気もするが、スルーしておいた。反応してしまうのは、彼らの思う壺のような気がする。
バタンとあまりにも陳腐でありふれた音を立ててドアが閉じる。それと同時に、あれほどうるさかった●●達の声も聞こえなくなった。
「…………」
よくよく考えれば。
ゆっくりと俯きがちだった視線を上げる。すると、小首をかしげて視線を俺に向けるメリーの姿が視界の中にすっぽりと収まる。「どうしたの?」と言わんばかりの彼女は、もうすぐ俺の首に巻かれるであろうネクタイを両手に持ったまま、棒のように突っ立っている。
よくよく考えれば。今この部屋には俺とメリーの二人きりなわけだ。彼女と俺の関係は他人に言わせれば『恋人』というもので、またその年齢を考えれば一つの部屋に二人きりと言う状況も全く珍しいものでは無いだろう。今までメリーと付き合ってきた中で今と同じような状況に陥ったことは少なくない。
だがそれでも。
「…恥ずかしい」
率直に気持ちを表現したその言葉をメリーはどう受け取ったのか、一度大きく笑うと俺の首にネクタイを巻きつけた。胸元に伸ばした手を止めることなく、その口を開く。
「あのね」と教師が教え子に諭すように、あるいは母親が聞き分けの無い子どもに。
「今日びネクタイなんて結べなくてもいいのよ? こんな首吊り紐みたいな…」
「そんな事言う割には手馴れてるじゃないか」
「だって練習したもの」
結び終わったネクタイから手を離すと、メリーは顔を上げた。明るい笑顔だ。
部屋に入ったときと同じように俺の肩に手を置く。そして爪先立ちにその唇を俺の耳に近づけ、
「貴方のために」
と囁いた。
思わず吸い込んだ息を吐き出せない。どんどん顔が赤くなるのが分かる。間違いなく今の俺は呆けた表情をしているだろう。そんな俺を知ってかしらずか、メリーは構わずドアに向かって歩き出すと、突っ立ったままの俺を呼んだ。これ幸いとばかりに胸に溜まったままの息を吐き出して、振り向く。
ドアと、俺と、その間にメリーが居た。手を上げる余地すらない、ほとんど密着と言っていい距離。身じろぎ一つすれば、身体が触れ合ってしまうだろう。
「メ」
思わず声をあげる俺の唇にメリーはその人差し指を置いて、言葉を遮った。唇を指で塞がれたまま何も言えない俺の瞳を正面から見据えると、
「あのね、貴方はネクタイなんか結べなくていいの」
と言い放った。メリーはそのまま空いている手でドアノブを捻る。驚くほどゆっくりとドアが開いてゆき、俺から視線を外さない彼女の後ろに●●と宇佐美の姿が見て取れた。
一気になだれ込む雑音にあわせるようにまたメリーが俺の耳元に顔を寄せる。すぐに身を翻し小走りに部屋から出て行くメリーは、
「私がずっと結んであげるから」
そう言っていたような気がする。
(了)
――
チルノの裏 ――
書いてる最中に聞いてた音楽
曲名でググれば聞けると思います
Really Love ~あなたの夢の中で~
Come Back To Me
Deep with in
L.O.T.(Love Or Truth)
Pop’latinum Top ~PSYCHO MAINTENANCE~
ALIVE ~Wall5 Remix~
CANDY POP feat.SOUL’d OUT ~Reggae Disco Rockers Remix~
Still Alive
Billy Herrington Is STILL Alive !
Come on Pants
―― 歪みねぇな ――
新ろだ417
お日様が沈み、月や星が顔を出す時間。
俺とメリーは小高い丘に居た。
「綺麗だな」
「そうね、蓮子も連れてくればよかったわ」
見上げれば、空を覆いつくす星の大群。
「いや、あいつがいると、この星空も台無しだ」
「ふふふ、そうね」
あいつが、蓮子がいると、何かの拍子に長ったらしい物理の講義を受けることになってしまうかもしれない。
そうなったら、この星空を楽しめなくなる。
星を楽しむのは静かな時が一番だ。
「それにしても、寒いな……」
「そうね。三月とはいえ油断したわ」
既に時は三月。春を告げる何かが出現しても良い季節だ。
だというのに、冬のような凍える寒さ。
今までに暖かくなってきた分余計に寒い。
「まいったなぁ。コートを持ってくればよかった」
「本当ね。はぁ……寒い」
丘が他の土地より高いところにある分風も強い。
「なんなら、俺が暖めてやろうか?」
もちろん冗談だ。
そんな度胸はない。
当然、メリーも一蹴
「そうね。お願いするわ」
しなかった。
「は? おい!?」
そう言って俺の胸に飛び込んできた。
不意に掛かる力にバランスが保てず、体勢を崩してしまう。
「あら、女の子一人支えられないなんて情けないわね」
「返す言葉もないです」
手の中に女の子が一人。
暖かくて、柔らかくて、小さくて。
そして、か弱い女の子が手の中に収まっている。
動悸の勢いが段々と激しくなっている。
そりゃそうだ。
誰だって好きな子を抱きしめていたら心臓がバクバクする。
「そ、そうだメリー! その、境界とやらは見えたのか!?」
「ううん、まだよ」
首を横に振るメリー。
動くたびに髪の毛が顎に当たってくすぐったい。
「じゃ、じゃあ速く見つけなきゃ! ほら、急ごう!」
「いやよ」
「へ?」
一瞬だけ頭が真っ白になった気がした。
「だって、こうしていたいんだもの」
「な!?」
断言できる。
今の俺の顔はほおづきより赤い。
「ねぇ○○。私はあなたが好き。
だから、こうしていたいの。
あなたはどうかしら?」
「!!」
予想外の、というより予想できない言葉。
メリーが俺のことをすきだと。
「ねえ、どうなの?」
決まってる。
答えなんて決まってるじゃないか!
「俺も、お前が好きだ」
言えた。
出会ってからずっと胸の内に封印していた言葉。
言いたくても言い出せなかった真実。
それを、今、
「ありがとう。これからもよろしくね、○○」
言えた。
「ほら、見て○○。境界の向こうで誰かが手を振ってるわ」
「あの、俺には見えないんだが」
「いいのよ! とにかく誰かが私たちを祝福してくれてるのよ!」
「そう、か」
俺には拝むことの出来ない境界の向こう側。
見ることの出来ない場所だけど、確かに誰かが祝福してくれているような気がした。
end
ちらしの裏
蓮子の次はメリー。
新作で蓮子の出演に期待。出ないだろうけど。
ちらしの裏
新ろだ479
プルルル
寝ぼけた頭に響く電話の呼び出し音。
誰だよ、こんな朝早くから。
「……はい」
今の俺の状態でできる精一杯の愛想で答える。
「もしもし? 私メリーさん。今あなたのマンションの前にいるの」
「はあ?」
聞きなれた少女の声。
何のことだ、と聞き返す前に電話は切れた。
「ま、いいや。飯食おう」
電話のお陰で頭は覚醒しきってしまった。
後二時間は寝ているつもりだったのにな。
プルルル
「今度は何だよ」
部屋は狭いので、呼び出し音は存外に大きい。
「はい」
頭の中は不機嫌まっしぐらだが、声だけは何とか取り繕う。
「もしもし、私メリーさん。今あなたのマンションの三階にいるの」
「……おい、何の」
用だ、と聞く前に電話は切れた。
「ったく、何なんだよ」
プルルル
間髪入れずに鳴り響く呼び出し音。
「またか」
不機嫌オーラ全開で電話に出る。
「はい」
「もしもし、私メリーさん。今あなたの部屋の前にいるの」
「だから、何の」
例のごとく、俺の声より速く電話は切れる。
ピーンポーン
こんな不機嫌なときにいったい誰だ。
ガチャ
「こんにちは、私メリーさん。今あなたの目の前にいるの」
「朝から何の用だ」
「あら、迷惑だったかしら?」
卑怯だな。
そんな質問をするか。
「……」
「ふふ、黙っちゃって。かーわい」
「うっせ」
そういいながら肩を突くのはやめてほしい。
いや、嬉しいけどさ。
「ところで、まだ朝ごはん食べてない?」
「そうだけど、何だ?」
「いや、私も食べてないのよ。ご馳走なって良いかなって」
「……」
もじもじと、少しだけ顔を赤らめて尋ねてくる。
「駄目かしら……?」
「……ちょっと、待ってろ。すぐに用意するから」
今日の朝は、少し賑やかなものになりそうだ。
うpろだ0017
二月十四日と言えば、世間一般的に認識されている出来事としてバレンタインデーがある。
バレンタイン司祭がどうのこうのとか、それをお菓子メーカーが便乗して宣伝したとか。
しかし、そんなルーツを辿っていくことよりも、ことおいて世の中の男共にとっては割とそんなことはどうでもよかったりする。
単純に、バレンタインチョコを貰えるかどうか。
それ以外のことについて、とくに考えることはないかと思う。
もちろん、それの度合いは人によりけりと言うことはあるが、少なくともいらないと突っぱねる奴はごく少数のはずだ。
まあ、そんな奴がいたら全員で袋叩きか、極刑に処されても文句は言えないだろう。
ともはかくあれ、貰えるならば貰っておきたいと思うのは野郎共の悲しい性なのか。
それがなおさら、気になる相手ならばとか、好きな相手だったりとか。
状況によっては告白、なんていう一大イベントを期待しないでもない。
そんなことが実際にあり得るのかどうかという疑問については、俺は実体験したことがないので何とも言えないが。
「今日が何日か分かってる?」
「知ってる、二月十四日だ」
ここまで分かりやすい前振りがこれまでにあっただろうか。
わざわざ今日の日付を聞いたのは、自分が知りたいからではなく俺が理解しているかどうかの確認のため。
今日という日がどういう意味を持つのかを、俺自身が知り得るかどうかということについて。
男というのは、よく記念日などを忘れるという習性があるという話をよく聞く。
前ばかり見て後ろを振り返らないからだとか、今が大事だからとかそういう言い訳を耳にするが、結局は覚えてない最低野郎である。
それが全てというわけではないが、少なくとも俺もどちらかといえば、俺もその部類の一人であるとよく言われる。
カレンダーや手帳で日付を確認しない癖が付いているからだろうか。
そんな俺の特徴をよく理解しているからだろう、こんな質問をわざわざご丁寧に投げかけてきたのも。
「忘れてなくてよかったわ」
「俺を何だと思ってるんだ?」
「そうね………好きよ、あなたが」
そうですか、という言葉を呑み込んで無言を突き返す。
まあ、そう言われたら何も返す言葉がないというか、言われて嬉しくない訳がない。
ついにやけそうになる頬を筋力で無理やり押し戻し、いつものポーカーフェイスで切り抜けようとする。
だけど内心はバレバレなんだろうと分かっている。
無駄だとは分かっていても、それを指摘されるのが嫌なのでこらえた。
俺がそういうことに対して免疫がまるでないと分かっていると知っていながら、あえてそれをするのだ。
なんという奴だと思いつつも、嫌だとは口が裂けても言えないわけで、俺が言わないのを知ってるわけで。
ストレートにこうも思いをぶつけられると、戸惑う俺を見透かされているということ。
でもそれを否定するわけじゃないし、嬉しいのは確かだ。
だから結局、俺は何も言えないままだ。
「………知ってる」
「そう、じゃあいいわね」
何が良かったのだろうかということはさておき、メリーは俺の隣から飛び出て、行く手を遮るように前に立つ。
俺もメリーにぶつからないように立ち止まって、お互いが向かい合う形になる。
その両手にはいかにもそこに何かあるように、後ろに隠して。
わざわざ覗こうなんていう野暮なことはしない、どうせもうすぐ分かることだから。
長い前振りだったが、ついにご対面するときが来たらしい。
「はい、チョコレート」
両手に差し出されたのは、四角形のラッピングされた箱。
それは過剰に包装されているわけでもなく、ごくごくシンプルにまとめられていた。
メリーのことだ、この丁寧に包まれた箱を見て難なくこなしたのだろうと予想する。
過程に関してもそうだけれど、腕前や結果においては文句は言えないのが常だ。
でも多分それ以上に、このチョコレートに込められたものを味わう瞬間は格別だろうと思う。
でもそんなことを考える前に、言うべき言葉がある。
「ありがとうな、メリー」
「別にいいのよ」
ああうん、次に出る言葉は分かってる。
貰った男に課せられた使命、定番のあの言葉が来る。
でも今は、その言葉を言われるということが、貰ったからこそという実感を引き立たせる。
「お礼に期待してるからね」
「………あいよ」
一月後にはどうなっているだろうかという、未来に向けての想像図を広げながらも。
今はただ、この幸福感を味わいたい。
「メリー」
「何?」
「来年も同じことがあると思っていいのか?」
踵を返し、どんどん前へと進むメリー。
俺の言葉に対する返事はない。
いや、そんなものはいらないか。
メリーに追いつくように歩調を合わせながら、俺も前に向かって進む。
並んで見えるその先にあるメリーの顔と言葉は、見えなくても分かる気がした。
最終更新:2013年07月05日 23:11