修羅場?2
(初出不明)
土曜日の夜。アパートの自室で暇をもてあましていると、不意に携帯から着信音が響く。その着信音は、おれの友人が作曲したメロディ。
おまけにおれは、その音を指定着信音として設定しているので、そのメールがだれからのものなのかもすぐに分かった。
携帯を手にとり、メールを見る。予想通りの宇佐見からのメール。『いつもの場所に集合』とのこと。
おれは意気揚々と上着を羽織って、堅苦しいアパートの部屋を抜け出して『いつもの場所』に向かった。
いつもの場所。おれの所属するサークル『
秘封倶楽部』のたまり場の、とある喫茶店だ。
***
あいかわらずこの喫茶店には人がいない、店長がかわいそうなぐらいに。夜だからなおさら。だからこそ『秘封倶楽部』のたまり場になっているともいえるんだけど。
おれからいわせてもらえば、喫茶店のくせに洋風レストランみたいな内装をしているのが原因だと思うのだが──ま、それはともかくとして。
おれを呼んだ宇佐見はもちろん、メリーも当然のようにとっくに来ていた。
「お、来た来た!」
おれが店の中に入った途端、聞こえてくる声。宇佐見の声だ。いつも通り元気なやつ。
おれは二人に向かって手を上げて「うぃっす」と声をかけ、同じ席に座る。
「今日は珍しく早かったわね」
紅茶を一口飲み、微笑を浮かべてそういうのはメリー。その仕草がやたらに似合っていた。やっぱ、いい意味でお嬢様っぽいよなあと思いなおしてみたりする。
まあ、美人からいわれる皮肉は気にならないものだ。だからといって、おれの遅刻のくせが治るとも思えないが。
「今日は起きてたからな。で、今日はどこいくわけよ」
おれらのサークルは、基本的にどこかに行くのが活動。その『どこか』というのが、少々特殊に過ぎるだけのこと。
「まだ決まってないー。決まんなかったら今日はメリーの恋の悩みでも聞くことにするね」
宇佐見が冗談めかしてそういうと、メリーが軽く紅茶を噴く。頬が少しだけ赤に染まっている。
なにいってんのよ馬鹿蓮子。その言葉とともに小突かれる宇佐見。宇佐見はあははと軽く笑っている。
あいっかわらず仲のいいやつら。こっちは見てて飽きないからちょうどいいや。知らず知らずのうちにおれは笑っていた。
「……ま、それはともかく」
メリーがこほんと咳払いをする。まだかすかに頬が赤かったが黙っておいた。そのほうが面白いから。
「今日はここに行ってみようと思うの」
そういってメリーはテーブル上に地図を広げ、ある一点を指でしめす。
そこは、大学でもわりと有名な心霊スポットとして扱われている、やたらに古いお寺だった。寺といっても、ほとんど廃墟らしいが。
昼でも木が生い茂っているせいで薄暗く、現地民からは『冥界寺』とか呼ばれてるらしい。物騒な名前。
でも春には花見スポットになっているらしい。おれにはわけがわからなかった。
「じゃ、そこ行ってみよっか」
宇佐見はすっかり行く気だ。メリーも同じく。おれにも拒否する理由はない。
おれらは揃って店を出た(メリーの紅茶の代金はおれ持ち)。
***
店を出たあと、一度コンビニによる。おれは外で待っていたのだが、宇佐見がビニール袋をひとつ提げて出てきた。
なにを買ったのか。聞いてみたが、秘密とのこと。まったく、変なやつ。今は気にしないことにしよう。
おれらはとにかく歩を進め、コンビニだとかビルだとかのあふれかえった都市部から、閑散とした郊外に出る。
まあ、おれらがいくようなところはどこかしこも人が住んでいないような場所ばっかりだ。いつものこと。
そのあとは川原に沿って、舗装すらされていない道をいく。真っ直ぐの一本道なので迷いようもない。
やがて見えてくるのが、墓場。無数の墓標をこえたところに、『冥界寺』とやらを見つけることができた。
レッツ、不法侵入。
「うわ、暗……メリーなにか見える?」
「いいや、見えないわね」
メリーと宇佐見はおそらく、例の『境界』とやらのことについて話しているのだろう。だがおれには、境界どころか目の前すら見えなかった。
こんなこともあろうかと、上着のポケットにつっこんでおいた懐中電灯をつける。備えあれば憂いなし、というやつ。
「お、ナイス!」
いいながら、ばしばしとおれの背中をたたく宇佐見。痛いっつーの。
おれは目を凝らし、わずかに光が通る暗闇を見すえる。はっきりいって、下手になにも見えないよりよっぽど不気味だ。
──葉のすっかり散った木々の間に見えた、ひとつの建物。
それはまるで、今にも崩れ落ちそうな骨格のよう。それでも外観だけは『寺』を保っている、不可思議な建築物。
メリーが、どこかぼんやりとした様子でそちらのほうを見つめている。
「メリー、なんか見えたか」
「ううん。ここはハズレみたい」
メリーはそういってため息をつく。はく息が白い。今夜は冷える。
「じゃあさ、今日は一杯やってかない? どーせ明日休みだしさ」
宇佐見はそういい、例のビニール袋からなにかを取り出し、おれに向けてそれを投げつける。
おれは反射的に腕を伸ばし、それを受ける。そしてメリーのほうにも、同じように。
おれの手の中にある、冷たいそれ。その正体は──缶ビールだった。よく冷えている。
コンビニでなにを買っていたかと思えば、馬鹿かこいつは。おれは笑いながらプルタブを空けた。
宇佐見は早々に一口空けている。メリーはわずかに体を震わせながらも、それでもやはり缶を開けてこちらに笑顔を向ける。馬鹿ばっかだ。
『乾杯!』
かん、と。おれら三人が缶を打ち合わせる小気味いい音があたりに響く。おれは一口で、一本の三分の一ぐらいを空けた。
三人ばかりの、花もない宴会。おれは空をあおぐ。
今日はやけに、三日月がきれい。
***
はじめはなんてこともない、ただの宴会だった。さすがにビール一本程度ではおれも酔わない(メリーはちょっと酔ってたけど)。
問題は宇佐見。こいつの飲み方は少々パンチが効きすぎ。三口で一本を空けてしまうのは明らかにやりすぎだ。
そして宇佐見がビニール袋から四本目を取りだした時点で、おれの第六感が反応を開始した。危険警報。脳内で警鐘がかき鳴らされる。
あの馬鹿をただちに止めろと、おれの耳元でだれかが叫んでいる。そんな錯覚。おれは宇佐見から缶を取り上げた。
「宇佐見、おちつけ」
「いーじゃん別にー。あはははは!」
宇佐見は、おれの背中をしばきながら缶を取り返そうと手を伸ばす。だがまあ、身長差のせいでどう足掻いても届かないのだけれど。
赤い顔をして、笑顔のままおかしな笑い声を上げている。完全に酔っている。どうやらこいつは笑い上戸のようだ。
「メリー、どうしようこいつ」
そういいながら、自分の顔が微妙にひきつっているのがわかる。
理由。宇佐見がおれの顔で遊んでいるからだ。頬を突っついたり引っ張ったり。ガキかおまえは。
「たぶん一度寝るまで駄目ね。色々と」
呆れきった目つきで宇佐見を見つめるメリー。やれやれ、とでもいいたげな仕草もつけて。
その様子はまるで、出来の悪い妹を見守る姉のようだとおれは思った。
「隙ありっ!」
「あ」
そんなことをぼんやりと考えていると、手の中の缶をかっさらわれた。見事な跳躍。感心している場合じゃない。
にへら。宇佐見はそんな笑みとともに、その缶を開ける。
オーケー、おれの負け。なんて酒飲みだ。宇佐見の見事な飲みっぷりを見て、おれは思わずため息をついた。
それを見ても、メリーは実に落ち着いたもの。寺(と呼べるかどうかやや微妙だが)の入り口前の木造階段に座りこんで、目を細めてぼおっとしているだけ。
………………?
寝かけてるじゃねえか!
***
おれら二人は、各々の家への帰り道を歩いていた。こっちに来るときにも通った、あの川原沿いの道。
なぜ二人かといえば、宇佐見はおれがおぶっているから。宇佐見のやつ、四本目を完全に空けるがいなや、屋外だというのに眠りこんでしまった。なんてやつ。
おまけにメリーまで夢に落ちかけというアクシデントが発生したのだが、このおれが頬をぺちぺちとたたいたおかげで問題解決。
はっと目を覚まし、慌てて外面をとりつくろうメリーはなかなかの見物。ひとしきり笑わせていただいた。その代わり鉄拳を一発もらったのだが。
とにかく、このおれ一人で二人をつれて帰るとかいう事態には陥らなくてよかった。
それに加え、おれが思っていたよりも宇佐見はずっと軽かったため、あまり力が強くないおれでも楽々とおぶることができた。
もしおぶれなかったら、引きずっていく羽目になっていたところだ。
剣呑剣呑。……意味が違う気がする。
「あーもう。人の上で遠慮なく寝てやがんのこいつ」
思わず愚痴。いくら軽いといっても、意識がない人間を運ぶことはまぎれもない重労働だ。
「今のうちに、これとっとくわね」
メリーはそういって、上着のポケットから携帯電話をとりだす。当然、カメラつき。メリーはそれを、宇佐見の顔に向け──そしてフラッシュが焚かれる。
「……おれも写ってんじゃねえかそれ」
「もちろん」
メリーは悪戯げに笑う。ちくしょう、いつか見ていろ。
というわけで、おれはさっそくメリーに向けて反撃ののろしを上げるため、口を開いた。
「で、だ。おまえに聞きたいことがあんだけどさ」
「なに?」
「宇佐見がいってた『恋の悩み』ってマジなん?」
メリーは思わずなにかを噴いた。やった、反撃成功。こんなことで喜んでどうする。
「メリーの想い人、それがだれかどうかはこんなおれでも気になる事柄だと断言できるわけですが」
「……あんた、そんなキャラだったかしらね」
メリーのその問いに、おれはさあ、と首をかしげるだけに留めておいた。残念ながら、おれはその問題に答えることができない。
「よし、好きな人暴露大会開催。いっせーのーで、で宣言な」
「もしかしてまだ酔ってる?」
「酔った勢いでいこうぜ」
おれはへらへらとして笑ってみせる。自分では酔っていないつもりだが、やはり実のところは酔っているのかもしれない。
まあ、それはそれでどちらでもいい。
「ま、いいわよ。酔ってるんなら、どうせ明日には忘れてるでしょうし、ね」
そういいながら、微笑むメリー。ああこれは、出来の悪い弟を許容する慈悲の女神のごとき姉の微笑だ。実はメリーとおれと宇佐見で三兄弟だったんです。嘘。
おれとメリーは呼吸をそろえる。いっ、せー、のー、で。
「宇佐見」
「蓮子」
おお、フルネームが完成したぞ。……あれ?
メリーにとっては予想外の答えだったのか、目を丸くしている。それはおれも同じことで、たぶんおれの目も丸くなっているのだろう。
「えっと……本気?」
メリーの問いかけ。おれは数秒の間思考してから、「心の底から本気」と答えた。そのまた数秒後、なんて頭の悪い答えなんだと思わず後悔した。
なんたること。メリーとおれと宇佐見で三兄弟、ではなく三角関係だったとは。そんな馬鹿な。
「む……困ったわね」
「なんでだよ」
おれはそう聞き返す。
「わたしとあんたが、恋敵ってことになっちゃうじゃない?」
メリーは大真面目にそういう。そして、おれがおぶっている宇佐見の顔を覗きこむ。愛しいものを見る目つき。
おれの飼ってた猫が、えさみたいに小さな鳥を見つけたときの目によく似て……ないな。うん。ぜんぜん似てなかった。
メリーがあんまり真面目にいうものだから、おれは思わず笑ってしまった。
「どうして笑ってるのよ?」
「いや、だってさ」
そういいながら、なぜだか知らないが笑いが止まらない。宇佐見の笑い上戸がうつったか。酒癖は伝染病じゃないと思うのだが。
おれは妙にうろたえたメリーに、こういった。
「おれはメリーも好きだよ」
数秒の空白。まるで時間が止まったかのよう。
そして、メリーの顔が徐々に朱に染まる。それはまさに、火が出そうなほどだ。
「残念。わたしの目の前には友達と恋人の境界が見えるの」
「おれは後ろを振り向かない主義でな、そんな境界はもう見えないんだ」
おれらは、冷静を装って軽口をたたく。──正直なところ、おれの頭はかなり酩酊しているのだけれど。
なにかの冗談みたいに後ろから、宇佐見の安らかな寝息が聞こえてくる。それに気づいたおれとメリーは、面と向き合って笑いあうのだった。
三日月のかかる夜。
想い人を背に、かけがえのない友人を隣に。
酒の入った頭のままに、静かな川原沿いの道を行く。
そんなのも悪くない──などと思った、とある休みの日のこと。
End.
最終更新:2010年06月06日 20:30