さとり3
つながるこころ前篇(新ろだ530)
この幻想郷で過ごすようになってもう1年が経つ。
幻想郷。人と妖怪が共存する最後の楽園。
俺は1年前何の前触れもなくいきなりこの幻想郷に放り出される形でやってきた(後に大妖怪「八雲紫」の仕業であると知るが…)。
外界にいたころには決して見ることの叶わないような自然がありのまま残された世界。
前も後ろもわからず困っていた俺を助けてくれたのは楽園の巫女、博麗霊夢と人間の里の守護者、上白沢慧音だった。
霊夢は非常に面倒臭そうだったが、それでも神社を一時的に宿として貸してくれたし、食事も振舞ってもらったので彼女には深く感謝している。
そうそう、もうひとつ。霊夢はものすごく勘が鋭い。
それこそ「心が読めるんじゃないか」そう思えるくらいに。
しかしいつまでも霊夢に甘えているわけにはいかないと思い、人里に移ることを提案した。
霊夢も「面倒が減って嬉しいわ」と満面の笑みで送り出してくれた。あんまりだ。
とはいえ、人里に人脈があるわけでもなかったので霊夢にある人物を紹介してもらうことになった。
その人物こそが上白沢慧音こと慧音先生だった。慧音先生は人里で寺子屋を開き、そこで里の子供たちに勉強を教えている。
慧音先生と同時に藤原妹紅とも知り合った。妹紅はなんでも蓬莱人という老いも死にもしない人間、と聞いている。
見た目こそ俺と同年代にしか見えないけど実際は気が遠くなるくらいの年月を生きているらしい。
さぞかしすごい経歴があるのかと思って尋ねたことがあるけど本人曰く、ヤキトリ屋らしい。
だが営業してるのを未だに見たことがない。どこでやってるんだろう?
慧音先生は幻想郷で住むところも働き口もない俺に色々よくしてくれた。幻想郷での命の恩人だ。
だから敬愛の念を込めて「慧音先生」と呼んでいる。本人は照れ臭そうに色々と言い訳をしていたが頼み込んでこう呼ぶ許しを得た。
なぜここまでその呼び方にこだわったのか自分でもよくわからなかったが。
妹紅にもからかわれて困ったように笑っていたのが今でも印象に残っている。
そうして地味ながらも暮らしていき、時々博麗神社の宴会に呼ばれたりして楽しみながら季節の移り変わりの中を過ごしていった。
すっかり人里にも幻想郷にも溶け込んでそろそろこの世界で骨を埋めようかなどと考え始めていた。
そんなある日、例のごとく宴会をやるとかで俺も呼ばれた。今回はいつもの小規模なものではなく、幻想郷のあらゆる場所から集結した人妖、神さえも集めての大宴会だそうだ。
どのくらいいるんだろう。俺が知ってる範囲でも結構な人数のはずだけど。
そもそも生活が結構苦しそうなのになぜこんな宴会が開けるのかと聞いたらなぜか「企業秘密よ」と陰陽玉で脅された。
一体何で金銭を得ているんだろうこの巫女は。確かに収入は必要なのかもしれないが脅されるようなこととは一体何を生業にしているのか想像がつかない。
すごく賑やかだ。多分四十人以上はいる。
当たり前のことなんだけど、こうして幻想郷中の人妖が集まっている様は圧巻である。
いつもなら霊夢、魔理沙、萃香、俺の四人くらいなのだ。たまにレミリアと咲夜さん、紫さんがやってくるくらいだ。
初めて見る人、もとい妖怪もたくさんいる。しかしいずれも女性ばかりで男一人というのもなかなか肩身が狭い。
皆それぞれに楽しんでいるようで、博麗神社はいつになく騒がしく、賑やかだった。
あちらこちらをきょろきょろと見まわしながらはじめて見る顔に挨拶をしに行ったり、酒をちびちびと飲んでいると、ふと女の子と目が合った。
ピンク色の髪にハート形の飾りがあしらわれたカチューシャをして、青色を基調とした服。そして何より体の周りから伸びた管、その中心の「目」が印象深い。
顔は一見幼いようでどことなく大人びた雰囲気が見え隠れしていた。
彼女の姿から目が離せなかった。同時に顔がだんだん熱を帯びていくのがわかる。
要するに、一目惚れ。
それが、俺の古明地さとりに対する第一印象で、比較的遅い人生初の恋愛のはじまりだった。
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彼女のことは何も知らないはずなのに。確かに心の中に芽生えている愛情。
……一目惚れってこんな気持ちなんだ。
心臓の鼓動が外に聞こえそうなほど激しく高鳴っている一方で、冷静になっている自分がいる。奇妙な感覚だった。
彼女もまた俺を見つめていた。気のせいか多少困惑しているように見える。
気恥ずかしさからつい目を逸らしてしまった。
本当は彼女が気になるけれどこんな顔じゃ、ちょっとね……。
今の自分の心中を誰にも悟られたくなくて、縁側へ足が向いた。
「……ふう」
外の涼しさもあって多少頭の中がクールダウンされる。
でもまだ、あの気恥ずかしさは残ったままだ。酒の影響もあってきっと今もまだ俺の顔は紅いのだろう。
しかし恋愛沙汰なんて縁のないことだと思ったのに、こうも簡単に……。
「……らしくないなぁ」
「やあ○○。こんなところで飲んでるなんてどうしたの?」
「っと、萃香か。 ……ん、ちょっとね」
「んー? ○○顔紅いよ?」
「そりゃ酒飲んでるからね」
「まあそうなんだけど、そういうのとはちょっと違うような気がしてさ」
「……どうしてそう思うの?」
「いつもより紅く見えたから」
そう言ってあははと笑う萃香。霊夢ほどではないにしろなかなかどうして萃香も勘が鋭い。
ばれてはいないがまた照れくさくなる。それをごまかそうと萃香の頭を軽く撫でる。
「あー!子供扱いするなー、もー!」
ぷぅっと頬を膨らませる萃香。だが怒っているわけではなく、単に照れ隠しだと思う。これが鬼だっていうから世の中わからないものだ。
幻想郷の妖怪では相当力のある妖怪……のはずだが角が生えているということを除けば子供とそう変わりない。まあ常に酒を飲んでるわけだけど。
「……あの」
後ろから声をかけられて声のする方へ振り向く。
……あ。
声の主は先ほど視線が合って、……そして一目惚れしてしまった。
紛れもない彼女だった。
「ど、どうも……」
どう言っていいかわからず、おずおずと答えてしまう。我ながら情けない。
しかし、様子を見る限り、彼女もまた俺と同じような心持ちらしい。何となくそれが嬉しかった。
萃香が俺と彼女の顔を見比べながらきょとんとした表情になっている。
「…はじめまして。私は古明地さとりです」
「…はじめまして。俺は○○です」
「「…あの!」」
声が重なってしまう。
こそばゆいような、居心地の悪い空気になってきた。
その時、無数の気配を感じハッとして俯き加減だった頭を上げ、周囲を見回す。
いつの間にか酒を片手に人妖たちがニヤニヤしながら俺たちに注目していた。
この日は宴会が終わるまで二人とも一言も発さず終始俯いて紅くなったままだった。
こりゃあ明日の明日の三面記事確定だなぁ……。
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……目が合ったその瞬間から、私の『目』はもう彼を追うことしか考えていませんでした。
私は覚。心を読むということはもはや呼吸と同意義。だから、彼の心の内は紙に水が染み込むように私に流れ込んでくる。
それこそ、紙が破れそうなくらい溢れんばかりに。
まだ芽生え始めたばかりの感情。はっきりとした形を伴っていないけれど、確かにそれは私に向けられたものだとわかりました。
それが何なのかわかった瞬間から、自分の頬がみるみるうちに紅潮していくのがわかりました。
同時に、私もまた自分の中に苦しさを感じます。私の中に芽生えたものと彼の中に芽生えた感情は、恐らく同じものでしょう。
人間に、それも異性の方にこんなに好意を寄せられたのははじめてのことです。
私もまた、誰かにこんな風に恋愛感情を持つ日が来るとは思いませんでした。
「私の事を知って欲しい」
ほとんど衝動に近い行動でした。自然と彼の方へと足が進んでしまう。
後ろ姿の彼に声をかける。
「……あの」
緊張して声を絞り出すのが精一杯でした。私らしくない、本当に消え入りそうなくらい小さな声。
彼は振り向くとすぐに驚いたような顔をして顔を紅くしながらきゅっと唇を結んでいる。ちょっとかわいいと思ったのは内緒です。
その後、簡単な自己紹介を済ませたのはいいのですが…、そこから続く言葉が見つからなくて俯くことしかできませんでした。
突然彼…○○が顔を上げたので何事かとつられて頭を上げ、彼と同じように辺りを見回しました。
みんな私達を見てニヤニヤした顔をしていました。当然、お燐もお空も。こいしもニヤニヤした顔ではありませんでしたが、くすくすと笑っていました。
同時にみんなの心中が一気に何十人分流れ込んできます。
自分の能力が恨めしいと感じたのはこれで何度目でしょうか……。
宴会が終わるまで、二人で俯いたままでした。
明日からみんなにどういう顔で接すればいいのかと思うと頭が痛くなってきます。
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あの宴会の日からずっと、彼女…古明地さとりのことしか頭になかった。
恋は盲目とは言うけれど、今それを心底から実感している。
彼女はどこに住んでいるんだろう、どんなことが好きなんだろう。そんなことばかり。
仕事もどこか身が入らず、誰かに話しかけられてもワンテンポ遅れて毎度のように不思議な顔をされる始末。
二週間くらい、ずっとそんな調子だった。
そしてそれから何日か経ったある日、慧音先生にこう言われた。
「○○、君は古明地さとりのことが気になるんだろう?私が勧めるのも何だが、一度彼女に会ったらどうだ?宴会での様子を見る限り、きっと彼女も君と同じ心境のはずだ」
「…でも彼女の居場所を俺は知りません」
「そうか、君は知らなかったんだったな。すまない。彼女は地霊殿という地下深い所に住んでいる。ちょうど博麗神社から地下へ続く穴がある。ただ君一人向かわせるのは危険だしな…。」
「だったら、一度神社に行って霊夢に相談してみます」
「それもそうだな。さっそく出かけるのか?」
「はい!」
聞いたらいてもたってもいられれなくなった。行動あるのみだ。早速博麗神社へと向かう。
彼女に会えるかもしれない。そう思うと、神社へ続く階段もさほど苦にならなかった。
ほどなくして、境内が目に入ってきた。
霊夢はどこだろうか。まあ掃除してるか縁側で茶でも啜ってるんだろう。
すぐに縁側に霊夢の姿が見えた。
「おーい、霊夢ー!」
「あらいらっしゃい○○、素敵な賽銭箱ならあっちよ」
「はは、あいにく今日は大して持ち合わせてないんだ。けど代わりにこれを」
「何かしら」
そう言って俺は羊羹を取り出す。ちゃんと話を聞いてもらうためにもまずは機嫌を良くしておかないとね。
途端に表情が明るくなる。…案外顔に出やすいヤツ。
「…羊羹なんて何ヶ月ぶりかしら。有難くいただいておくわね。ところで○○、お茶いる?」
「あ、いや。今日は霊夢に相談があって来たんだ」
「相談?」
「うん。さとりの事なんだけど…。彼女にどうしても会いたいんだ。けど地霊殿まで安全に行ける方法がわからなくて…」
「なるほどね。確かにうちの神社から地下への道はあるけど、人間が地霊殿まで行くのは決して安全ではないわね…」
「だから、霊夢ならいい方法知ってるかなって」
「そうねぇ……。………あ。○○、もう悩む必要ないわよ」
「え?」
そう言って彼女は向こうを指差す。その視線の向こうには。
さとりがこちらへ歩いてくるのが見えた。
俺と目が合った瞬間、あの日のようにまた、頬を紅く染めて。
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「……また、お会いできましたね○○」
「ええ…」
だめだ、やっぱりぎこちなくなる。いざ対面するとなかなか言葉が出てこない。
霊夢も隣で羊羹食べながらニヤニヤすんな。
「ほら○○、あなたは地霊殿へ行きたいんでしょ?」
「ああ、うん…。地霊殿へ行きたいんだけど、連れていって欲しいんだ」
「……はい。 私もその、あなたを迎えに行くつもりで来ましたから」
そっか。お互い様だったんだ。あれ?でもさとりも俺の居場所なんて知らないんじゃ?
それを言おうとすると先に霊夢が口を開いた。
「……ねえ、さとり。あなた○○の居場所なんて知らないでしょ? 迎えに行くにしてもどうやって探すつもりだったのかしら?」
「……実は、あまりその辺は深く考えていませんでした」
「○○のことだけでいっぱいで、他に考えが回らないから?」
目を細めて、にんまりとした表情で霊夢が言う。さとりには知的なイメージを持っていたから俺も驚いてしまった。
「うぅ……」
真っ赤になって両手で顔を押さえながらさとりは俯いてしまった。
同時にくすぐったかった。そこまでしてくれるのかと思うと嬉しくてたまらない。
「ま、まあせっかくこうして会えたわけだし地霊殿まで連れて行ってくれないかな?」
「……はい」
ほんのりと紅い頬をしながら笑顔で答えた。
そういえばさとりの笑顔を見たのってはじめてだなあ。慈愛って言葉がぴったりだった。
「それじゃあ霊夢、色々とありがとうな」
「ううん、気にしないで。 それよりもあなたたち、早く行きなさい。羊羹以外の茶請けなんて必要ないの。地下の入り口はそっちだからね」
少し困ったような笑顔で、追い払うように手をひらひらさせる。
「……んん、そ、それじゃあね」
恥ずかしくなり、思わずさとりの手を引いて地下への入り口へ歩いていった。
……女の子の手って柔らかいなあ。
そんな馬鹿なことを思いつつ、歩を進めた。
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博麗神社に辿り着くまで、私の頭の中は○○のことで埋め尽くされていました。
○○に会ったら何を話そう、地霊殿に○○が来た時はああしてあげたいこうしてあげたい。
地霊殿でも、お空やお燐からボーッとしていると散々言われてしまった。
本当に、私らしくないわ。
○○に会いたい。その気持ちに嘘偽りはありません。でも、ひとつだけ不安なことがあった。
私の能力。「相手の心を読む」ということ。この能力を恐れられて私たちは忌み嫌われ、地下での生活を余儀なくされてきたのです。
伝えるのが怖い。彼がこの能力を知って私を嫌ってしまったら…?
○○が遠くなるのが脳裏に浮かんでしまう。私は必死にそれを振り払う。
でも、それでも。伝えなくてはならない。
この不安を抱えたままでは会ったけれど、今は○○に会いたいという気持ちが打ち勝っていました。
やがて地上の光が見え、博麗神社へと辿り着く。
すぐに○○の姿が目に映りました。どうやら霊夢と話の最中のようです。やがて霊夢が私に気づき、指差して○○に伝える。
「……また、お会いできましたね○○」
「ええ…」
その、会いたいという気持ちだけでここまで来たのはいいのですが。
やはり本人を目の前にするとどうしてもぎこちなくなってしまいます。
「ほら○○、あなたは地霊殿へ行きたいんでしょ?」
「ああ、うん…。地霊殿へ行きたいんだけど、連れていって欲しいんだ」
「……はい。私もその、あなたを迎えに行くつもりで来ましたから」
ただ、会いたい一心でした。
実はその後の事は何も考えていなかったんです。
感情がすべての行動に勝っていたという事実。本当に私らしくない。
「……ねえ、さとり。あなた○○の居場所なんて知らないでしょ? 迎えに行くにしてもどうやって探すつもりだったのかしら?」
「……実は、あまりその辺は深く考えていませんでした」
「○○のことだけでいっぱいで、他に考えが回らないから?」
図星でした。仕方ないじゃないですか、そんなの。
○○の心の声が聞こえてきます。
(さとりって結構知的なイメージだったんだけどなぁ・・・)
「うぅ……」
……そういうイメージで見てくれたことがうれしい反面、こんな失態を見せることになってしまうとは。
恥ずかしい。まともに○○の顔が見れずに、思わず両手で顔を押さえてしまう。
「ま、まあせっかくこうして会えたわけだし地霊殿まで連れて行ってくれないかな?」
「……はい」
照れくさそうにしながらも笑顔で私にそう言う○○。
(……さとりの笑顔見たのってはじめてだな)
……あ。私もつられて笑っていたようです。自分でも気がつかないくらい、自然に。
「それじゃあ霊夢、色々とありがとうな」
「ううん、気にしないで。 それよりもあなたたち、早く行きなさい。羊羹以外の茶請けなんて必要ないの。地下の入り口はそっちだからね」
霊夢が追い払うような仕草をしながらそう言います。同時に、私に視線を移し、一瞬だけ、笑っていました。
一瞬だったので心の中までは見えなかったけれど、何を伝えたかったのかは心を読む間でもなくわかります。
「がんばりなさいよ」
軽く頷くと、くいっと手を引っ張られる感触。どうやら○○が場の空気に耐えかねてこの場を離れたかったようです。
握られた手から、○○の温かさが伝わってきます。
この手の温かさをもう離したくない。
でも、私は。
彼に伝えなくてはならない。
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思わず逃げてきてしまったのはいいとしてどうしよう。
さとりがいるなら地霊殿まで迷うことはないだろうけど。
ただ、俺は至って平凡な人間だ。当然飛べるわけもない。
さとりに向き直って聞いてみる。
「……あのさ、地霊殿まではどのくらいかかるの?」
「そうですね…、飛んで行けばあっという間ですけど○○は飛べないでしょうし私が運んでいっても構わないのですが」
そう言って俺の顔を見て、両手で俺の手を握りなおす。
「一緒に歩きながらじゃ…ダメですか?」
「そうだね……」
その方が長くさとりと二人きりでいられるもんな。
…思ってたより大胆だな。俺の方がドキドキしてしまう。
「とりあえず地下にたどり着くまでは縦穴が続いてますから、そこまでは私が運びます」
「うん、お願いするよ」
そしてさとりの手を取って、地下へ降りる。
地上の光が徐々に遠くなり、空気もだんだん冷たくなってゆくのが肌で感じられた。ただし、手の温もりはそのままに。
「っと。ずいぶん深くまで来たな……」
「ええ。ここから地霊殿まではまっすぐ行くだけですから迷うことはないと思います。ただ、途中で何人かの妖怪に会うことになりますけど」
「そっか。宴会にも来てたんだよね?」
「……はい」
「ってことはやっぱり……」
会ったら絶対からかわれるんだろうなあ…。
まあ仕方ないか。
手を繋いだまま地下世界を歩いて行く。
「…っくしゅ!」
「大丈夫ですか?」
「ああごめん、…思ったより寒いな、ここ」
ちょっと薄着だったかな…。地霊殿につくまでに風邪なんか引いたら洒落にならないぞ。
「おやおや、ずいぶんと可愛らしいくしゃみだねぇ」
気づくと目の前に人影が立っていた。どうやら声の主らしい。
「……あなたは?」
「ん?そうか、あんたは宴会の時挨拶しなかったもんねぇ。私は黒谷ヤマメだよ」
「俺は○○です、宴会の時はちょっといろいろあって挨拶できなくて申し訳ないです…」
「ああいいよいいよ、それよりも、だ」
ヤマメさんはニヤニヤしながら俺たちを一瞥する。
「ずいぶんとまあ仲良くしてるみたいだねぇ」
「ええ、と……」
答えに窮するさとり。
まあ宴会の時といい今といい、言い逃れはもうできないだろうしなあ。
「今から地霊殿にでも行くのかい?」
「ええ、まあ」
「そうかいそうかい。そんな二人の邪魔しちゃ悪いね。それじゃ私はこれで失礼するよ」
「そんな、邪魔だなんて……」
「……早く行きましょう、○○」
手を強く引っ張られる。心なしか少し怒っているように見えた。
「あっはは、困ったことがあったらいつでもおいで。お姉さんが悩みくらい聞いてあげるよ!」
そう言って大笑いしながらヤマメさんはどこかに行ってしまった。
早速の歓迎に俺は苦笑いするしかなかった。
「まったく……」
……やっぱり怒ってた。
その後、旧都と呼ばれる場所に続く橋でパルスィという妖怪に「飛んで行けばいいようなものを、わざわざ歩いて見せつけるなんて妬ましい」と嫉妬されてしまったり、
旧都でも一本角がたくましい勇儀さんに呼び止められてまたもからかわれてしまったり。
酒も勧められたが丁重にお断りした。宴会での飲みっぷりを少し見たけどあれは萃香と同レベルだったし。
なんかずいぶんと疲れたがたぶん精神的な疲れだろう。
そうして道中退屈することもなく、俺たちは地霊殿へ到着した。
「ここが地霊殿……」
イメージしてたのとずいぶん違う。旧都の風景とはがらりと印象の変わった建物だった。
黒白のチェック模様の床に様々な装飾が施されたステンドグラスが目を引く。
「疲れたでしょう?早く中に入ってくつろいでください」
そう言って優しく微笑む。
この顔見てるだけで精神的な疲れなら吹っ飛びそうんだんだけどなあ……。なんて言ったら怒るんだろうか。
急にさとりが驚いたような顔をして照れくさそうにしている。どうかしたのかな?
そういえば地霊殿の中は外と違って暖かい。暖房設備でもあるんだろうか。
「あ、お姉ちゃんお帰り!」
「あら、こいし。ただいま」
こいしと呼ばれた子が俺たちを出迎えてくれた。
「この子は古明地こいし。私の妹です」
「よろしくね!えっと、あなたは○○でよかったかな?私のことはこいしって呼んでね!」
「そうだよ。よろしくね、こいし」
「えへへ、よろしくね、○○!」
元気な声で答えるこいし。
「こいし、お空とお燐を呼んできてくれる?」
「うん、わかった!」
そう言われてこいしは地霊殿の奥へ走っていった。
ずいぶん嬉しそうだったけど。
「ふふ、久しぶりのお客さんが来て嬉しいようです」
「歓迎されてるってことでいいのかな?」
さとりが唇に手をあててくすくす笑う。
よく考えれば人間自体ここに来ることなんてまずないだろうし、そりゃ珍しい来客になって当然か。
「お姉ちゃーん、連れてきたよ!」
「ご苦労様、こいし」
「さとり様ー、呼んだ?」
「何か用事でも?」
こいしと共に後からさらに二人が現れた。
一人は猫のような耳に二本の尻尾。猫の妖怪かな?
もう一人は大きな黒い翼を生やし、腕に六角形の筒状のものを付けていた。見る限りは鳥の妖怪だろうか。
「…来ましたか。こちらは○○。わざわざ地上から来ていただきました」
「あー、あの宴会の時のおにーさんか。あたいは火焔猫燐。お燐って呼んでくれると嬉しいな」
「ああ、よろしくお燐」
「ところでおにーさん、なかなかいい死体になりそうだねー」
「え?」
「…お燐?」
ジトっとお燐を睨むさとり。
「じょ、冗談だよぅ」
「…まあいいでしょう。お空、あなたもご挨拶なさい」
「あ、うん。私は霊烏路空。お空でいいよ。よろしくね、○○!」
「わかったよ、お空」
「ところで○○、私とフュージョ…」
「フュージョンとかいうのは禁止ですよ、お空」
「う……」
「○○を溶かす気ですか、まったく……」
「ははは…」
一癖ありそうだけど、悪い子たちじゃなさそうだ。
「ところでお姉ちゃん、○○のこと好きなの?」
「ぶっ!!」
「ちょっとこいし!?」
突然なんてことを聞きやがりますかこの子は。限りなくイノセントだ。
いやまあそう聞かれたら大好きだって言いたいけどさ、その、空気というか…。
「でもさとり様もまんざらでもなさそうだったよねー」
「うん、宴会から帰ってから○○がどうとか独り言も聞いたよー」
「ああああなた達……!」
いや、嬉しいけどちょっとこの状況はまずいぞ。さとりの顔がまるでホオズキのように真っ赤になる。
目をとろんとさせて体がふらふらしてきている。やばいって……。
「○○、お姉ちゃんのことよろしくねー」
「おにーさん、頑張りなよ!」
こいしにさとりを任され、お燐にポンッと肩を力強く叩かれた。えぇ、何この展開。
そしてお空のこの一言がトドメになった。
「さとり様ー、いつ結婚するの?」
「あ、あ、ああぁぁ……」
ばたんきゅーという擬音が聞こえてきそうだった。
羞恥心に耐えられずにさとりは気絶してしまう、って悠長に構えてる場合じゃない。
「ちょ、さとり!」
「お空、あんたトドメ刺しちゃダメでしょー!」
「何さー!お燐だってー!」
「ま、まあとにかくまずはさとりを運ばないと」
こんなところにさとりを放っておくわけにいかない。
とりあえずどこかの部屋にでも運んで寝かせないと。
「えーと、さとりの部屋ってどこかわかる?」
「あ、私が案内するよー」
そういって挙手するこいし。
「それじゃあ案内をお願いするよ」
「まかせて」
俺はさとりを抱きかかえてこいしに続く。
……あれ?さとりが気絶するきっかけ作ったのって誰だっけ……?
まあいいや。今はそれどころじゃないし。
やがてこいしが立ち止まり、こちらに振り向く。
「ここだよー」
「ありがとう」
…しかし、無断で女性の部屋に立ち入るって形には違いないんだよな、これ。
ちょっとだけ罪悪感が沸く。
そしてさとりをベッドまで運びゆっくりと寝かせる。
「ふう」
「ご苦労様」
「こいしもね」
まあしばらく起きてこないだろうし、これからどうしたものか。
そうやって考えていると、こいしに袖を引っ張られる。
「ねえねえ」
「んー?」
「○○って外の世界の人間だよね?」
「そうだけど」
「だったらお話聞かせて?地上にはよく遊びに行くけど外の世界には行けないから」
「そうだね。ここでこうやってるわけにもいかないし、さとりもしばらくあのままだろうしね…」
「私の部屋でお話しよ?お空とお燐も呼んで四人でね」
「行こうか?」
「うん!」
そうしてこいしの部屋で外の世界のあれこれを延々3時間くらいは話してた気がする。
こんなに長く人に話したのは久しぶりだった。質問攻めが激しすぎてすっかり疲れてしまった。
「それじゃあ、一度さとりの様子を見てくるよ」
「いってらっしゃい」
まだ寝てると思うけど、一応ノックしてから入る。
「お邪魔しまー…す、っと」
予想通りまださとりは眠ったままだった。
まあこうなってしまったのもある意味俺のせいだし、最後まで責任持たないとね。…別に変な意味じゃないよ?
しかし、これは…。
寝顔もまた笑顔に引けを取らず魅力的だ。さっきまであんなに慌てていたとは思えない。
まああんまりじろじろ見るのも失礼だし、どうしたものか…。
「ん…んん……」
お、さとりが目を覚ましたようだ。
「気がついた?」
「…ん、○、○…?○○!?」
俺に気付いて寝ぼけ眼から一気に覚醒、跳ね起きる。
「あ、あの。私、今まで……?」
「うん、気絶してから三時間くらいかな。そのくらい寝てた」
「そう…ですか……」
額に手をやってため息をつくさとり。
「はは…。しかし、気絶するとは思わなかったよ」
「それは……」
なんだかばつが悪いというか、歯切れが悪いような……。
さとりが俺に向きなおり、真剣な面持ちにで口を開く。
「……○○」
「ん?」
「私はあなたに伝えておかなくてはならないことがあります」
「なんだい?」
「私は妖怪、『覚』。その能力は…、人の心を読むことです」
「人の心を読む……」
俺はさとりの能力について今はじめて知った。
……そうか。思えばちょっと違和感のようなものを覚えていた。
気絶してしまった時もそうだ。少し反応が過敏だった気がする。
俺だけでなく、お燐やお空たちの心の内もすべて聞いていたんだ……。
それだけじゃない。今まで。
はじめて俺と出会った時からずっと俺の気持ちは知られていたんだ。
でも、だからそれが何だっていうんだ。それでも俺がさとりが好きだということに何の変わりもないじゃないか。
さとりだって勇気を出して自分のことを打ち明けてくれた。
だったら俺にできることってなんだ。そんな彼女の気持ちに応えてやることじゃないのか?
本当は今まで一人でずっとこの気持ちを抱え続けていたんじゃないのか。
俺にできることは、そんな一人ぼっちで膝を抱えているさとりをここから連れ出すことだ。
傲慢なのかもしれない。だけど。
さとりが不安げな表情で俺の顔を見上げる。
「さとり……」
「……黙っていてごめんなさい」
「…いいんだ。確かにさとりには心を読むという力がある。でもそれと俺の気持ちは関係ない」
「○○……」
「ずっと知っていたかもしれないけど、言うよ。さとり、君が好きだ。これからもずっと隣にいて欲しい」
「……○…○…。本当…ですか?ううん、本当に…?怖くはないの?心を読まれるだけで色々な人から拒絶されて、忌み嫌われてきたのよ…?」
「嘘はついてないよ。心を読めるさとりなら、それがわかるよね?」
嘘なんかじゃない。驚きこそしたけど、俺は彼女のすべてを受け入れる。
一人でずっと震えて、怯えて。そんな子を放っておく奴なんかいないだろう?
「……ああ…っ。ぅ、ううぅ……」
抑えきれずにさとりの目から涙が零れ落ちる。
静かに彼女を抱き止め、さとりは俺の胸に顔を埋めたまま泣き続けた。
それからどれくらい経っただろうか。ひとしきり泣いたさとりは安らいだ表情だった。
「……こんな風に誰かに受け入れてもらえるなんて思わなかったわ」
「俺だってさとりの気持ちを完全に理解してたわけじゃなかった。でも、好きって気持ちに嘘偽りはなかったよ」
「はい。私も○○が持っているのと同じくらい、○○の事が……」
「…ありがとう。直接伝えられて本当によかったと思ってる。」
「私も、あなたの口から伝えられて、嬉しい……」
「……さとり。口から伝えられることはもうひとつあるよ」
「え……」
さとりの頬に両手を当て優しく顔を引き寄せる。
目を瞑り、ゆっくりと互いの唇を口付ける。
「……ふ…っぁ…んん……っはぁっ……」
軽い口先の触れ合いから徐々に舌を絡める濃厚なキスになってゆく。
互いに唇と口内の感触と味を存分に刻み込む。
「……んぁ…ちゅ……っう……っはぁ……」
唇を離し、しばらく余韻に浸りながら見つめ合う。
お互いに頬は紅く染めたまま。
「……言葉じゃなくてもさとりへの気持ちは伝わっただろ?」
「……はい」
うっとりした表情でさとりは頷いた。
もうこれで、さとりの不安は取り除かれただろうか。
「○○、みんなのところへ行きましょう」
「……涙の跡が残ってるけど、いいの?」
「あ……。ふふ、こんな顔じゃ出られませんね…」
そういって指で涙の跡を拭う。
「そうだ、さとり」
「?」
「まださとりのこと全然知らないけど、これからよろしくね」
「ふふっ……、お互い様です」
さとりがしなだれかかってきて、その肩を抱きとめた。
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私はずっと○○を疑っていたのかもしれません。
でもそれは、ある意味では仕方のないことでした。
何百年という時の中で私たちが受け入れられたことはなかった。心を読む能力の所為で忌み嫌われ、地上を追われて。
地霊殿という地を得たけれど、結局それは望んで手に入れた場所ではなかった。
管理者が必要だったという理由でそこにいたに過ぎなかった。
○○も私の能力を知ってしまえば私から離れてゆく……。
ずっと、そう思っていた。
けれど、彼はそんな私の不安や疑心を根本から打ち砕いた。
外の人間だったから。確かにそれもあるかもしれない。
それ以上に○○が私に向け、注いでくれた愛情が純粋で、深くて。
私の能力について打ち明けた時も少し驚いたような顔はしていたけれど、それは拒絶という意味ではなかった。ただ知らなかっただけ。そんな顔でした。
その後、何事もなかったかのように私に接してくれた。それだけで私がどれだけ嬉しかったことか。
私もまた、○○に一目惚れをしていました。
今まで異性に触れる機会などほとんどなかったからかもしれない。
でも、私たちは全く同時にお互いを好きになったから。だからこそ、彼を信じてみよう。そう思えたのかもしれない。
偶然でも必然でも、そんなことはどうでもよくて。
この人だから、好きになれてよかった。
そして今、私たちはお互いを受け入れ、結ばれた。
あなたがあの時口から伝えてくれた言葉が嬉しかった。
あなたがあの時心から思ってくれた想いが嬉しかった。
○○、愛してる。
どうか私を、離さないで。
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「さてと、そろそろみんなのところへ戻らなきゃね」
「そうですね。ずいぶんと待たせてしまったみたいですし」
そして俺たちは部屋を出て、こいしたちが待っている部屋へ戻っていく。
「…お姉ちゃんやっと起きてきた」
「おや、おにーさんお帰り。さとり様もおはようございます」
「○○にさとり様おかえりー、ずいぶん時間かかってたみたいだけど何かあったの?」
「お空、そりゃ野暮ってもんだよ」
「うにゅ?」
「あー、お姉ちゃんと○○手繋いでる!」
こいしが俺たちを見て指摘する。お互いに顔を見合わせて笑う。
「…ええ。こいし、お空、お燐。改めて紹介します。こちらは○○。私の恋人です」
「「「おおー!!」」」
3人から歓喜と驚きの声が上がる。
「えと。そんなわけで、さとりと恋人同士になりました。みんな、これからよろしくね」
「よっ、この幸せ者!」
「「しあわせものー!」」
…なんか改めて宣言すると照れくさいなあ。
っと、ついでに伝えないといけないことがあるんだった。
ここに来るまでにさとりと話し合って決めたこと。
「あのさ。みんなにお願いがあるんだけど、いい?これからは地霊殿に住もうと思ってるんだけど」
「もちろんだよ!」
「大歓迎だよー!」
「わーい!」
3人は快諾してくれたようだ。よかったよかった。さて、さとりは…。
「……もうあなたは家族ですよ。これからは五人、ずっと一緒です。でも……」
そう言って俺の頬に柔らかい感触が当たる。
三人は目をまんまるにして驚いている。
「なんといっても、恋人ですから」
そう言ってさとりはくすくすと笑った。
家族として。恋人として。
まだお互い歩き始めたばかりで知らないことだらけだけど、これからよろしくね、さとり。
けれど。その気持ちが揺らぐことになる。
そしてそれが大いに俺を苦しめることになるとは、この時思ってもみなかった……。
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あとがき
以前うpしたものに修正・大幅の加筆をしました。
さとりと会うまでの前置きが長い気がしないでもないなあ…。
○○という人物のディテールをどうやって表現するか悩んだ結果がこれだよ!
ともあれ、一応これで前編終了。
後編は期待せずに待っていただければ、と…。
最終更新:2010年06月24日 20:51