こいし3
Megalith 2010/12/24
冬の夜、外はもう大分寒い。
少なくとも暖を取らなければ凍死する。
冬の朝は布団から出たくない。
暖かい布団の夢からは、なかなか醒められるものではないから。
今日もまた朝、目を醒ます。
すると、何時もより布団が暖かかった。
何か布団が膨らんでいるような気もする。
「んんぅ……」
もぞ、とそれが動いた。
ふと布団の頭のあたりに視線を向けると、黒い帽子が転がっている。
何か服を掴まれているように引っ張られているのに気付いた。
確信した。
何か、と言うかこんな事をする存在を俺は一人しか知らない。
「……こいし」
身体を起こし呼びかけてやって、軽く布団をめくる。
白とも緑とも銀とも見える髪の色と、静かに眠る少女の姿がそこにはあった。
「くー……」
他人様の布団に入って堂々と眠れるあたり大したものだと思う。
ましてや男の布団に入るとか。
何処まで俺は人畜無害に見られているんだ、と軽く呆れつつ頬をふにふにと突いてやった。
「んーんー……ぅ」
起きる気配が無いものだから、そのまま髪をくるくると巻くように弄ってやる。
指先に滑らかな髪が絡みつき、離すとくるっと巻いて緩く指に纏う。
「……ふぁ」
ころ、ん。
寝返りを打ち、仰向けになるこいし。
ふぁさ、と髪が布団の上に軽く落ちる。
「……ん……すぅ……」
起きたかと一瞬思ったのだが、また静かに寝息を立て始めるのを見て起きてないと再確認。
ふわふわの髪を一度二度と撫でて、顔を覗き込むように近づける。
「……ふふ……ん……」
髪に軽く触れながら頬を包む。
白い肌、暖かさが心地よい。
さわさわと指先をくすぐる髪が、日差しに照らされる。
家の外からは雀の歌声。
この瞬間が永遠であるかのように一瞬だけ感じられて。
ああ、この子が愛しく、身体を包みこんであげたい。
軽く覆いかぶさるように、じっと顔を覗き込む。
長い睫毛に閉じた瞳、第三の目もしっかりと閉じて居る。
つ、と軽く第三の目をなぞり、身体を軽く預けた。
「……んぅっ」
起きる様子が無い、と思ってもう一度頬を優しく包む。
そっと、両の手で……。
顔を、瑞々しい唇へと……。
「起きてるだろ、こいし」
――ぽそ。
唇へと向かう己の顔を意識的に引きもどして耳元で囁いてやる。
「……むぅ。何で、解ったの?」
何処か不満そうにこいしが呟く。
薄く目を開いて、不満そうにじとっとした視線を俺に向ける彼女。
「……理性のタガが外れかけてた、それと、常識的に考えれば男がのしかかったら普通は起きる」
「失敗しちゃったねー。……幻想郷では常識にとらわれてはいけないって何処かの巫女が言ってたよ」
「あの巫女は常識を何処かへ投げ捨てて居るからな。仕方がない」
顔を知ってると言うこいしとともに会いに行って『こいしさん、既成事実を作ってしまえば後は何も問題がないって諏訪子様も言ってましたよ!』は男の俺からしてもドン引いた。
傍らに居た男性は思いきり苦笑していた。
死ぬほど余計過ぎるおせっかいだ、アレで外の世界から来たってんだから恐れ入る。
あのレベルにはなりたいとは思わんが。
「で、朝から俺の布団に入ってきて何の用だ一体。朝這いは俺もあまり聞かないな」
身体を起こして、帽子を手に取るこいしはそれに答えた。
「無意識に寝に来ちゃった」
「お前幾ら何でも便利な無意識過ぎるだろ」
ロクでもない言い訳に呆れて返し、俺は己の額を抑えた。
そして、今日の日付を確認する。
外の世界で言えば、今日は――。
クリスマス・イヴ、か。
「どしたの?」
こいしがこて、と俺の顔を覗き込む。
「や、外の世界では祭りだなって。何となく思っただけだ」
身体を起こして一つ息をつく。
「へー、そうなんだぁ」
身体を起こしてにぱ、と笑顔を浮かべるこいしを見ながら苦笑する。
「ま、幻想郷に来てしまっては果たしてどこまで通用するもんかってのは解らないけどな」
「うん。…あ、朝ごはんにする? 朝風呂にする? それともわ・た・し?」
「ああ、飯」
相変わらず掴めない奴だと思う。
そのセリフは夜言わないと意味が無いと言うに。
「もー、連れないなぁ。じゃあ、囲炉裏で用意しててあげるね」
もう一度膨れたようにこいしは呟くと、とたたたと走って行く。
「はいはい、行くって」
通い妻だか恋人だか妹だか良く解らないが、とかく俺と彼女は一緒に居る事が多い。
色々世話を焼かれるようになったが、嫌ではなかったのでそのままにさせていた。
ただ、時たま先程のように彼女の能力で無意識を操られる事もある。
意識すれば引き戻せる程度だからきっと可愛い物ではあると思うが。
「早く食べなきゃ冷めちゃうよ?」
そう言いながら味噌汁をよそって渡すこいし。
「寒いからな。あー布団とか囲炉裏の傍から動きたくない」
「また子供みたいな事言ってるー」
くすくすと笑う彼女は、何処か楽しげで。
「はい、あーん、とかしてあげた方がいい?」
悪戯好きな子供の印象を窺わせる。
「そこまでされなくても一人で食えるって」
正面から取り組んだらお話にならない事は解ってるので。
「ぶー、冷たい人っ」
あくまでしれっとさっくり流すのが理想的な関わり方、と理解している。
膨れっつらしてるこいしがぽりぽりとたくあんを食べながらふと気付いたように言った。
「……あ。さっき言ってた、お祭りってどう言うお祭りなの?」
朝食を摂る箸を止めて彼女が首を傾げる。
「興味があるのか?」
珍しい事もあるものだ、と思って問い返した。
「うん。外の世界のお祭りだけど、あんまりお祭りとか出ないからどんなのだろーって思って」
あぁ、なるほど。
「そうか。……地底に閉じこもってたのもあるのか」
納得した。
地底に閉じこもり、薄暗がりの中で怨霊に嫌われて瞳を閉ざしたさとり妖怪。
地上に出てきたら出てきたで、やはり無意識を操り自身を覚られない事に逃げてしまいがちな彼女。
「……」
何処かしゅんとした様子のこいし。
「じゃ、探し物に行くか。…果たしてンなもんあるのかどうか解らんが」
「……え?」
声を掛けてやると、顔を上げて俺を見上げた。
きょとんとした顔で、呆けた様子。
「だから、クリスマスのだよ。大方こう言う時にやることは決まってるからな」
軽く手を引いてやると、彼女は――。
「……うんっ!」
にぱっ。
無邪気な笑顔で微笑んで、俺の手を取った。
こいしと歩きながら人里に差し掛かると、子供が思いきり走って来る。
「にーちゃんだー! 凍死してなかったのかー!」
そのまま走り抜けるかと思ってた男の子が思いきり腹に体当たりしてきた。
時たま寺小屋だので話をした時に良く質問してくる子だ。
「ごふ――っておいコラ勝手に人を殺すなついでに痛いわ!」
頭をひっつかみぐりぐりぐりと抑えるように撫でつけてやる。
「相変わらずの人気者だねー」
くすくすとこいしが笑いながら、俺の顔を覗き込む。
「ねーちゃんも久しぶりだな! 元気に生きてたかー!」
「うん、私は元気だよー、君も元気そうだねっ」
こいしに視線を移し、にっと笑う少年にまたこいしも笑顔を返す。
「うん、私は元気だよー、君も元気そうだねっ」
こいしに視線を移し、にっと笑う少年にまたこいしも笑顔を返す。
「まぁ待て坊主、お前にはもう少しお灸をだな」
「いててててててっ!?」
男の子をひっつかむとこちらに引きよせ頭をぐりぐりと拳を押しつけた。
こいしも前よりも多少は積極的になれてるのかもしれない。
他者への害意を表そうとしなくなったのもあるかもしれないな。
……でも、まだ逃げて居る時があるのは、実際解る。
横を歩いて居てもいつの間にかに消えて居たりとか、または俺だけしか認識されてなかったりとか。
そのあたりも、慣れて行ってくれると良いとは思うんだけれどな。
「……ね、おねーちゃん」
くいくい、とこいしが袖をひかれてるのに気付いて首を傾げた。
そこにはやっぱり、女の子が一人。
「どしたの?」
「これ、あげる……」
「わぁ…!」
目をキラキラと輝かせるこいしの指先に見えた、素朴な手作りの首飾り。
「ありがとう、でも、どうして急にわたしにこれをくれるのかな?」
ふと受け取ったこいしが首を傾げる。
「その代わり、服の裾…捲らないようにって、言って」
俺がぐりぐりとし続けて居る少年を指して、女の子は言った。
「…あー、男の子だからねぇ」
こいしが苦笑いをして、こちらに歩いて来る。
……そうか、ある意味完全に無意識でやってるんだな、そう言う事は。
好きな女の子にちょっかいを出して泣かすとか、好きと言う感情を意識として持っている訳が無い。
「あ、一旦離して?」
「ああ。……ったく」
一つ息をついて開放してやると、こいしが男の子の前でびっ、と指を立てた。
「いーい? そう言う事はしちゃダメなんだから――」
そして、お説教が始まろうとした刹那。
「隙有りぃっ!」
ばさぁっ!!!
こいしの緑が空を舞った。
「っ!?」
見えたのは水色の――。
「あ、おねえちゃんまでっ……」
「へへーんだっ!」
見て居ない俺は何も見て居ない。
子供たちの声が響くが俺は何も見えない、ああ空だけが見える。
とても青い空だ、まるで先程見えた下着の――。
違う!
「……ねぇ」
微かに怒声を孕む声。
「……お、おう」
顔を引きもどすように、こいしに視線を戻す。
男の子はもう走って行ってしまったのか、女の子がゆっくりとしたスピードで後を追うように駆ける。
「ちょっと今の子にお仕置きしても良いかな? 無意識で」
「おま、さっき言ってた事と違うだろ!? 俺も見てないし、な!?」
せめて男の子だから仕方ないって表情してほしい、本当に。
「ねぇ、青かった?」
「いや、水色だった」
しまった。
ついうっかり見た事をバラしてしまっていた。
視線を戻すと。
「嘘つきはいけないことっ」
びしっ、と俺に指を付きつけてこいしがふふ、と笑う。
「……じゃ、クリスマスの探し物。探し、いこ?」
そして、ぎゅ、と俺の腕を掴むのだった。
「……怒ってたんじゃないのかお前」
「ううん、あんまり。…それよりも隠し事されたり、冷たくされるほうが辛いもん」
幸せな表情で、袖をつかみながら歩くこいしに俺は何も返さずに一度頭をぽふ、と帽子の上からやってやった。
「……そいえば、クリスマスってどう言うお祭り、なの?」
腕に抱きついたまま、ふとこいしが思い出したように聞いて来る。
多少歩き辛いが、歩けない訳ではないのでそのままにさせながら。
「……さっきの子供たち居たろ。あの子らみたいな年代の子にプレゼントを夜中に贈ったり」
「贈り物?」
目をぱちぱち、とさせて首を傾げる少女は、その年代から歳がそこまで大きく離れて居るようには見えない。
「ああ。サンタクロースっていう爺さんが置いて行く、って言う話だ。実際は両親とかである事が多いけどな」
てか大体は両親だろう。
「……てー訳で、だ。あの子らとか世話になった人とかにプレゼントを渡してやろうとな。幻想郷のサンタクロース、って感じで」
「うん、じゃあやってみよ?」
こいしの同意が取れた所で。
「なるほど、だから僕の所かい。確かに珍しいものは流れ着く事が多いけれどね」
香霖堂に到着すると、店主が出迎えて要件を伝えると頷いてくれた。
霖之助が呆れたような顔をして、俺達を見やる。
「ねーねー、これは?」
こいしがせっせとガラクタの入った箱のようなものを漁り、何か取り出して首を傾げる。
「これはちとこっちで有っても仕方ないな。電気入れても意味が無い」
良く見るとそれは旧式の携帯電話で、折り畳みすら出来ない分厚いもの。
「むぅ、残念」
ぽい、と箱の中にもどしてまたがさがさと漁り始めるこいし。
「あまり乱暴に扱わないでくれると助かるかな」
「はーい」
明るい声を返してごそごそと漁るこいしを横眼に、俺も店内を物色する。
「基本的には全部売り物と思っても良いんだよな?」
「基本的には、ね」
勿論そうでないものもある、と言うことだろう。
……あぁ、旧型の箱PCとか見えたぞおい、懐かしい。
まあ忘れ去るのも解るんだが……あれは人形か、多分リ○ちゃん人形……?
大分汚れてしまってるが。
後は石に…何だコレ…いや、良いけど、これは、なぁ。
ちら、と後ろのこいしに視線を向けるとまだ夢中で箱の中を探している。
……声は出せないが、まぁ良いと思い店主に視線を向ける。
軽く筆でさらさら、とそこにあるものの名前を書いた。
「毎度。摩理沙も君のようにきちんと代金を払ってくれればね」
代金を置いて店を出ると、店主が苦笑しながら見送りに来てくれた。
「泥棒はいけないことって言ってあげたのにねー。じゃあ、行こうよっ」
笑顔のこいしに一つだけ秘密にしていることが出来た。
遠からずバレてしまうことだけれど、まあ良い。
「ああ」
頷いて、郷へと二人歩いて行きながら。
一つだけ、秘密を隠し持って。
「――もう、大丈夫そうな時間、かなぁ?」
夜の帳が降りて行く。
こいしが真っ暗な空を見上げて呟く。
家の明かりはもう消えており、宵の風がひゅう、と屋根の上を撫でて行く。
「……寒ぃ」
「そうかなぁ、私はあったかいよ?」
振り返るこいしの髪が俺の鼻をくすぐる。
「そりゃ中は暖かいだろうし俺も実際内側は暖かいんだが」
ぼやくように呟くと、ぎゅ、と身体をこちらに押しつけられた。
ありていに言ってしまえば二人羽織り。
……もっと簡単に言ってしまえば毛皮の毛布持ってきてこいしを後ろから抱くようにしながらくるまっている。
もっと暖かいと思ったが、外側だと案外体温が奪われてしまうものだ。
「んぅー……♪ あったかいの、分けたげるよっ」
ぐいぐい、と背中を押しつけるようにこいしが身体を乗せ掛かって来る。
あまり重くは無いのだが、こうぐりぐりされると男の身としては色々困るんだ、色々。
「も、う……良いって、の。そろそろ、行くぞ?」
お構いなしに遠慮なく、ぐいーっと押されながら口を開く。
毛布を取り去ると、寒さが身体へと襲い掛かった。
「はーいっ」
結局、こいしと探し回ってサンタクロースを名乗れそうなものは白い大きな袋だけだった。
本体はまだ幻想入りしていなかったらしい。
一応外の世界でも子供たちは信じて居るらしい、良かったなサンタクロース。
こっちの世界に来たら弾幕勝負に巻き込まれる未来しか見えないぜ、空飛べるから。
「プレゼントはもう詰めてあるから大丈夫っ」
「ああ。じゃあ行こうぜ」
普段着姿のサンタクロース。
きっと人里では殆ど知られてないような風習を遊ぶ俺たち。
「ところで、どうして寝静まるくらいじゃないとダメだったの? 能力を使えば大丈夫そうなものだけれど」
「そういうものが、様式美って奴だよ」
にっとこいしに笑いかけ、梯子で地面に降りる。
「そういうものなのかなぁ、きっとあなたが言うならそうなのかもしれないけど」
こいしはふわ、と空を飛ぶとくるっと一回転して地面に降り立った。
「……お前」
――わざと見せてるだろ?
言葉を呑みこんで、軽く首を横に振った。
しんとした集落。
動いているのは俺たち二人だけで、他は精々猫が居る程度。
「ああ、ここだな」
前、遅くなった時に子供たちを送っていった家。
一度来ただけだったが、何とか覚えて居たらしい。
「ここなんだねー、空を飛んだ時に確かに一度見えた気がしたけど、あの子たち」
「良く見えるもんだ。……ま、行くぞ?」
「うん。大丈夫」
呆れながらため息をついて促すと、こいしが少しだけ意識を研ぎ澄ませるように瞳を閉じた。
一瞬、空間から音が消えて。
「……大丈夫、行こ?」
それは幻聴だったと気付くのに、一瞬の時間を要する。
「ああ」
そっと扉を開ける。 予想通りと言えば予想通りだが、鍵を掛けて居るような家は無いようだ。
……まぁ、普通に考えたら、妖怪にしろ妖精にしろここで暴れたら人里の守護者が煩いからな。
もっと大きな家だったら別なんだろうが、珍しい物がある訳じゃない家なんてそんなものか。
「かー……」
昼間の男の子が両親の真ん中で大の字になって眠っている。
両親どちらも起きる様子は無い。
まあ当然の事と言えば当然の事なんだろうが。
その様子を見て、何処か郷愁的な気分にさせられて軽く首を横に振った。
「……どうしたの?」
こいしが何時ものように俺の顔を覗き込んで来る。
「いや、何でもない。…さっきの子の家、此処の隣だから置いて来てくれるか?」
……こう言う、普段意識していないものについてはこいしは非常に聡い。
「うんっ」
こいしが頷いて、にぱっともう一度笑う。
ある意味では当然の事なのかもしれないが。
「まぁ、それは別として。……メリー・クリスマス」
風習として知っている訳は無いだろうけれど。
枕元に、玩具も良い所の弓を置いてやる。
……狩りでも練習しろ、と言う意味でもあるが。
あんまりプレゼントらしくないっちゃプレゼントらしくないが、それでもこの子の行く道になれば。
「終わったぞー。……こいし?」
傍らに居るこいしに軽く問いかけようと視線を向けて、何時の間にか消えて居る彼女の姿に、軽くため息。
困った事にこう言う時でも神出鬼没か、と思うと、入口から影が差す。
「……」
こいしが何処か落ちついた……と言うか、少し真面目な表情で、そこに居た。
昼に出会った女の子を、背中に背負って。
「……どうし、た? それに、その子は」
「……これが一番のプレゼントになると思って」
言って、こいしはにこ、と笑う。
「この子、一人ぼっちだったの。……家の中に、この子一人」
そっと、男の子の傍らにこいしは女の子を横たえて笑う。
「だから、こうしてあげた方がいいって思ったの」
にぱ、と彼女は笑って。
「行こ?」
何時もの笑顔に似た、何処か儚げな笑顔を、浮かべた。
――他の家の小さな子供にも、簡単なプレゼントを枕許に置いていく。
その時からは、何処か作業じみたそれを人里で一通り終えるまで俺とこいしは何も話さなかった。
話すことが、出来なかった。
彼女は、孤独を知っている。
自分を知られる事が無く動く事が出来る、無意識を操る程度の能力。
何かをしたとしても、気付かれる事が無い。
どうしてそれが変わったのかを不信に思われる事もない。
……それは、常に何時如何なる時も彼女自身は覚られる事が無い、孤独なままで有ると言う事。
先程の女の子は、彼女が自分の孤独さを照らし合わせたのか。
それは、彼女は今も孤独であると言う事の現れなのか?
それは、俺ではこいしの寂しさを埋められないと言う事なのか?
微かな疑念が浮かぶと、嫌な予感が頭に浮かぶ。
俺では、彼女を、埋める事が、出来ないのか?
「……」
こいしに視線を向ける。
それに気付くと、こいしは淡く微笑んだ。
「ここが最後の家、もう、終わったよ――」
何時の間に終わってしまっていたんだろう。
理由は解らないが、先程までの無言の時間がやけに短く感じられていた。
この時間が終わって欲しいと思っていたからか、それとも。
「ああ」
頷いて扉を閉めて歩き始めると、こいしが地を蹴ってふわ、と浮かび上がる。
「こいし?」
「……まだ、渡してない場所があるからちょっとだけ、行って来るねっ」
そのまま宙に浮かびあがったまま、くるっと俺の方を振り返って微笑む彼女。
「待ってくれっ」
焦燥に駆られ、彼女の腕を引き寄せる。
「きゃ――」
そのまま身体が此方の方へと倒れこむように、俺に抱きついたようになるこいし。
「……もー、飛んだ時は引いたりしちゃダメ、って」
ぷぅ、と顔を膨らませて何処か不満そうな様子で。
「……どうしたの?」
ふと、俺の顔を見てこいしが首を傾げた。
「……怖い顔、してるよ?」
そして、そのまま俺の頬にそっと手を伸ばす彼女。
離したくない、というように無言でその細い身体を抱き締めた。
「……もう、一度お姉ちゃんの所に行ってすぐ戻るだけだから大丈夫なのに」
一度苦笑したようにこいしが笑うと、胸元で甘えるように頬を擦りつける。
「どうしても、不安なら。あなたの家で待っててくれるかな?」
見上げて微笑むこいしの翠の瞳に、吸いこまれそうになる。
一度頷いて、そっと身体を離してやり。
「……解った、待っててやるよ」
「うんっ!」
微笑み、こいしが空を駆ける。
その背を見送り、俺は自分の家へと足を向けた。
「――」
一つだけ隠している秘密。
それは、香霖堂で買ったもの。
筆談でさっと買ったので、気付かれないだろうと思ってはいるが。
――銀色の古びた指輪。
予算的にはギリギリだったが、何とか買えたから良かった。
先程の不安感は消えて、心は落ちついている。
空は透き通るような黒。
星と月が見下ろす世界。
『待っててくれるかな?』
彼女の言葉はまだ俺の耳に残っている。
妖怪だから、死ぬような心配は無い。
けれど、それ以上に俺の手の届かない何処かへ行ってしまうのではないか。
それが、不安の正体だったのだろう。
「さっきのも、無意識に、感じた、不安――か」
気付いた後はなんて事は無い。
先程と同じように、けれど一人で毛皮の毛布に包まれて。
先程よりも寒い。
風は止んでいるのに、こいしが腕の中に居た時よりも。
……身体だけではなくて、心が。
つまり、これは――こいしが、暖かかったってことなのか。
……ああ。
「なるほどな」
ようやっと解った。
こいしが、好きなんだな。
……気付いてしまえば単純な事で。
けれど、この気持ちはその時までは言わない。
こんなにも星が照らす時は。
「……てーいっ、って……別に屋根の上で待ってなくても良かったのに」
後ろからぎゅー、とされて物思いから引き戻される。
「お帰り。星を見ていたくてな」
「そうなんだぁ。……じゃあ、さっきみたいにして貰っても、いーい?」
言うが早いが、毛布の中に身体を滑り込ませてくるこいし。
「……あったかぁい」
蕩けたような表情でつぶやくこいしの手を軽く握ると、確かに冷たい。
そっとその指に、指輪を触れさせてやる。
「……なぁに、これ?」
さわさわと触るこいしの手が動くと、嵌められず輪が惑う。
「ちょっとだけ、じっとしててくれって」
言って、指輪に彼女の指をそっと通してやった。
「……わ」
こいしがちょっと驚いた様子で、こちらを見やる。
彼女が毛布から手を出すと、鈍く光る銀色の指輪が薬指に。
「……クリスマスだからな」
言って、途端に恥ずかしくなり視線を逸らす。
「ありがとう。…じゃあ、私も、クリスマスだから」
こいしが、頭をこちらに向けて振り返る。
唇に、暖かいものが、触れた。
「――……」
静かに、ゆっくりと口づけを受けながら、身体を少し強く抱き締める。
満天の星空が見下ろす刹那の時間。
永遠にも長く味わいたい瞬間を――。
『おねえちゃんへ。
私は、幸せです。』
彼女は、そう書かれた手紙を見つけて微笑んだ。
「……良かったわね、こいし」
一つ呟いて、そっとその手紙を机にしまいこむ。
妹の幸せを、心から願う姉の姿がそこにはあった。
最終更新:2011年12月04日 09:15