ルナサ5



新ろだ557


 ギイ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛イ゛イ゛イ゛イ゛
「だああああああああ!! 何できれいに鳴らねえんだよ!!」

 魔法の森の端っこ、この不気味な森にしては珍しく光がさんさんと差し込む明るい広場の中で、俺は1人絶叫していた。
こんな森の中に1人でいたくはないが、人里の中でこんな音を出していたらどうしたって誰かに気づかれる。
里の人間に絶対に聞かれない場所を探した結果がここだった。まあ、万が一この酷い音を聞いたとしても、
ここなら妖怪の鳴き声にしか聞こえない。人間は近づかないはずだ。
こんな姿を誰かに見られたくはない。特にあいつには絶対に見られるわけには……

「○○……?」
「おわぁっ!?」

 よりによってこんなタイミングで出てこなくても……突然現れた「あいつ」に、俺は動揺を隠せなかった。

「お、お前、何でこんなところに……」
「いや、人里に用があって……家に帰ってたところ」
「それで何で俺のところに来るんだよ!?」
「あなたの声が聞こえたから」
「…………」

 そうだ。そうだよな、すっかり忘れてたよ。確かにここなら人間は近づかないだろうさ、人間は。
そういやこいつは人間じゃなかった……ルナサ・プリズムリバーは。

「……さすがの耳の良さだな。あんな雑音だらけの中で俺の声を聞き分けるなんて」
「まあ、一応音楽家だし。それ、バイオリン……よね? 妖怪の鳴き声かと思った」
「ほっとけ」
「…………くっ…………ぷぷっ…………」
「……何だよ?」

「……に…………似合わ……ない……」

 これだからこいつには見られたくなかったんだ……一見無口で暗そうだが、
思ったことを何の遠慮も無く素直に口に出しやがる。
ああ、笑いたい気持ちは分かるよお嬢さん。お前がいつも見る俺の姿は八百屋に買い物に来た時、
親父の仕事を手伝ってる姿だけだもんな。
こんな頭の悪そうな、体力だけが取り柄みたいな俺が人から隠れてバイオリンの練習……そりゃおかしいよな。
しかも自分はプロのバイオリニスト……ド素人である俺の音なんかちゃんちゃらおかしいに違いない。
気にしないでくれ、笑うがいいさ。笑ってくれよ。笑えばいいと思うよ。

「……ごめんごめん、笑いすぎた……元気出してよ」

 どうやらどす黒いオーラが滲み出ていたらしい。
そのまま首を吊りかねない俺のヘコみっぷりに、さすがにルナサも気を遣って慰めてくれた。

「と、ところでさ、何でバイオリンの練習なんかしてたの? 何か力になれるかもしれないよ」

 こいつは世話焼きなことで有名だ。こういう人間臭いところが騒霊だということを忘れさせる。俺に落ち度は無い。断じて。
しかし見られたからには仕方ない……相談に乗ってもらうとするか。





「……バンド?」
「ああ、里の音楽好きな奴らが立ち上げたんだ。今度の里の祭りで演奏を披露するつもりらしい。
 俺がバイオリン担当に抜擢されたってわけだ」
「……○○、バイオリンなんて弾けたっけ?」
「さっきの音聞いてたろ? バイオリンなんて今まで触ったこともなかったよ」
「じゃあ、断れば……」
「まあそうなんだけどな、断りきれなくて……『弾けなくてもいいよ、今から練習してくれ』なんて言われたから」
「……祭りまであとどのくらい?」
「……2週間」
「断りなさい」
「今更それは出来ないっつーの! だからこうして人目を忍んで頑張ってんだよ……」

 俺は断りきれない癖に責任感だけは人一倍ある。任された仕事を投げ出すような真似は出来なかった。
しかし、多少音楽の知識がある奴ならいざ知らず、俺は音楽のことなど何も知らない。音楽的センスも皆無だ。
独学では2週間で曲を弾けるまでになるなど到底不可能だった。そう、独学では。

「必死で練習したってこんなに短い期間じゃどうにも……どうするつもり?」
「そこで1つお願いなんですがね、ルナサさ~ん……」
「……え?」

「今から2週間、俺に稽古をつけてくれないか?」
「…………え……えぇ!?」

 最初から無駄なプライドなど捨ててこうすれば良かった。ルナサに教えを乞えば2週間でも何とかなるかもしれない。
何しろバイオリンの腕だけで飯を食っているような奴だ。騒霊が飯を食う必要があるのかどうかは知らんが。
それに、ルナサが買い物にくれば必ず長々と立ち話をして親父にシバかれる程度の仲だ。無下に断られることは無いはずだ。

「なあ頼むよ、友達が舞台で恥を掻くのなんか見たくねえだろ?『見ねーよ』みたいな顔すんな」
「…………」
「…………」
「…………はあ、仕方ない……」
「いいのか!?」
「あなたのお店にもお世話になってるしね。時間が無いからすぐに始めるよ」
「わ~い、よろしくねルナ姉♪
 …………すいませんもう言いませんから許して楽器は奏でるものであって殴るものじゃないからそれ降ろして頼むから勘弁しt





 そんなわけで、その日からルナサの指導のもと、猛特訓が始まった。いてえ。
ルナサは仕事の前後、時間が空くときに毎日俺がいる広場に来て、基本中の基本から俺にレクチャーした。

「背筋を伸ばせ」
「下を見るな。まっすぐ前を見ろ」
「左手で支えないで、できるだけ顎を使って支えて」
「音がブレてる。均等に伸ばせ」
「肩に力入りすぎ」
「その棒はそんなところに入れるための物じゃない」

 ごめんなさい。
やはり指導者がいると練習の効率が違う。1人で練習していた時とは比べ物にならないスピードで上達していった。
しかし、ルナサの指導は思っていたよりかなり厳しい。キレたりこそしないが、普段の大人しい印象とは全く違う。
次から次へと注意が飛び交う、その澱みない教えっぷりには畏怖すら覚える。俺はついていくのがやっとだった。

「ル、ルナサ先生……ちょっと高度すぎやしませんか……まだ俺には無理ですよ……」
「何言ってんの、そんなこと言ってる暇は無いよ? ほんとは寝てる時間だって惜しいんだから」
「へーい……」
「まだ全然音に張りが無い。もっと集中して」

 正直、引き受けたもののあんまり乗り気ではない。
仕事もあるし、迷惑をかけない程度に練習しとこう、というくらいに考えていた。
それなのに……こいつの教え方は本気すぎる。妥協が一切無い。
重箱の隅をつつくような細かいダメ出しに、だんだん嫌気さえ差してきた。

「……○○、聞いてる? 時間は無いんだからね」

だが、稽古を頼んだ俺が文句を垂れるわけにもいかない。
ルナサの指摘を受け入れ、歯を食いしばって練習に励んでいた。ルナサに対する反抗的な気持ちは高まっていく一方だった。

「……あ、今日はここまで……また明日ね」

 時間が来ると、ルナサは急いで仕事の現場に向かう。俺はその度に、言い表せない感情に支配された。
悲しいような、寂しいようなあまり心地良くない感情……これが何なのかは分からなかった。





 時は過ぎ、祭りまであと1週間を切った。
バンドのメンバーとの合同練習が何度かあり、何とかなりそうだという感触は掴んでいた。
いつもの広場で2人で練習を始めようとしていたら、ルナサの妹の1人……メルランが飛んできた。
メルランとリリカもしばしば姉の買い物についてくるのでよく知っている。時々店の前で勝手にソロライブを始める。
メルランが演奏を始めると客が上機嫌になって売り上げが飛躍的に伸びるので、密かに毎回楽しみにしている。

「○○さん、バンドの話聞いたよ! 頑張ってるわね~」
「ああ……まあな」
「メルラン、急にどうしたの?」
「そうそう姉さん、さっき白玉楼の妖夢さんがうちに来てね。
 幽々子さんが今度のお花見ライブの件について話したいんだって」
「今すぐに? でも今日は夜も別の打ち合わせがあるから……○○に教えてあげられない……どうしよう」

 ルナサは心底困ったという様子だ。ここまでうろたえるルナサはあまり見たことがない。
見かねてメルランが言った。

「わかった! じゃあ今日は○○さんには私が教えてあげるから」
「そう……それなら……○○、いい?」
「仕事の話だもんな。俺に構わず行ってきてくれ」
「うん、ごめん。じゃあメルラン、よろしくね」

 そう言うと、ルナサは慌てて飛びたった。その背中を見送りながら、俺はいつもの何とも言えない気持ちに囚われた。

「じゃ、始めよっか?」

 メルランの指導はどんなものだろうかと思ったが、さすがは今をときめく人気バンド、プリズムリバー楽団の一員である。
ルナサに負けずとも劣らない、的確で明快な教え方だ。
しかも、ルナサとは違い……

「すごいすごい、ちゃんと出来てるよ! その調子!」

 超優しい。
少し前進する度に、全力で賛美を浴びせてくれる。
褒めちぎられることにいい気になり、俺はいつになく真剣に練習した。気がつくとあっという間に数時間が経過していた。

「よーし、じゃあちょっと休憩しよっか」

 メルランの一言を聞いて俺はバイオリンを降ろし、大きな木の根本に座り込んだ。
メルランも俺の側に腰を下ろした。

「でもほんとすごいわ○○さん。1週間でこんなに上達した人なんか見たことない。このペースなら間に合いそうね」
「ああ、ルナサにだいぶしごかれたからな……」
「うふふ、姉さんの練習厳しいでしょ?」
「ほんっと厳しいよな、正直やる気出しすぎでついていけねえよ。素人に向かって好き勝手言いやがっ……」

 溜まっていた鬱憤が、つい口をついて出てしまった。そこまで言いかけて、俺は慌てて口をつぐんだ。
しまった……目の前にいるのは他ならぬルナサの妹だ。姉に対する不満を聞かされて気分が良いはずがない。
恐る恐るメルランの顔色を窺った。いつもの屈託の無い笑顔は消え、目は悲しみを湛えている。

「いや……あの…………ごめん」
「…………」

 メルランがこんな暗い顔をしているのを見るのは初めてだ。やっちまった……怒らせちゃったな……
気まずい沈黙。それ以上この場にいられず、俺が立ち上がろうとした時だった。

「……やっぱりそうか……」
「え?」
「……○○さん、ちょっと待っててくれる? 見せたいものがあるの」

 そう言うやいなや、メルランは空へと飛んでいった。いきなりのことに、俺はあっけにとられて立ち尽くした。
一体何だ? どうやら怒ってるわけじゃなさそうだが……
何を見せたいのか考える暇も無く、メルランはものの数分程で戻ってきた。

「ごめんね、ちょっと家まで取りに戻ってて。これなの。見て」

 メルランが差し出したのは、1冊のノート。表紙に、女の子らしい丸っこい字でこう書いてあった。

「交換日記?」
「うん、私たち3人で回してるの。私たちは姉妹であり仕事仲間でもあるから、隠しごとは無しで何でも分かち合おうって」
「……そんなものを無関係な俺が見てもいいのか?」
「普通なら人に見せたりしないけど……○○さんなら大丈夫だと思って。秘密は守ってくれそうだし」
「まあ、人に内容を話したりなんかはしないけど……」
「それに、多分無関係ってわけでもないと思うわ。読んでほしいのは昨日の姉さんの日記」
「ルナサの……?」

言われるがままに、メルランが指さしたページの日記を読んだ。






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○月×日

 分かってる……悪いのは私……
ごめんね…………

























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 ルナサが書いた他のページは、整った文字で一面埋め尽くされているが、このページは弱々しい文字で
2行の文章が書いてあるだけだった。メルランは物憂げに言った。

「最近元気無いなーとは思ってたんだけどね。ここまで思い詰めてたなんて知らなかった」

 俺は何も口に出すことができず、ルナサの日記を見つめたまま立ち尽くしていた。
力無く微笑むメルラン。

「まあ、大体分かっちゃいたけど……やっぱり○○さんが原因だったみたいね」

 今まで避けていた現実を突き付けられ、溜め込んだ負の感情が一気に噴き出した。





 本当は気付いていた。
時々ルナサの顔に影が差すことにも、それが俺のせいだということにも。
俺の反抗心が少しずつ表に漏れ出ていたからだ。
人気楽団のリーダーという大変な立場に追われながらも、ルナサは忙しいスケジュールの中毎日来てくれた。
そんなあいつに、俺は礼の一つも言わず、あいつの思いを全く受け取ろうとしなかった。
あいつは本当に俺のために頑張ってくれていたのに……

 素直に一言感謝を伝えられればここまで深刻になることも無かっただろう。しかし、馬鹿な俺は腹を立てるあまり、
つまらない意地を張ってそんなことからずっと目を背けていた。
自分の幼さ、強情さ、不甲斐なさに嫌気がさす。
慙愧の念が心に重く伸し掛かる。
昨日までの自分を殴り飛ばしたい。
いくら謝っても足りない……





「大丈夫、気にしなくてもいいよ? ○○さん……」

 俺の暗い心中を察したのか、メルランが俺の肩に手を乗せた。

「姉さんね、練習が厳しいっていうのずっと気にしてた。○○さんがイライラしてたのも薄々気付いてたみたい。
 上達してほしいからついきつくなっちゃうんだって」
「…………」
「でもね、普通なら姉さんが初心者にあんなに厳しく教えることはないわ。○○さんのことを思うからこそなの」
「…………」
「それに姉さん、ほんとに○○さんとの練習を楽しみにしてたの。家でもあなたの話ばっかり」
「…………」
「あなたのこと褒めちぎってたわ。今までやったことないのにあの上達っぷりはすごいって」
「…………」
「とにかく、教えるのを嫌がったことは1度も無いわ。だから○○さんが気に病むことは無いんだよ」

 メルランは懸命に俺を元気づけようとしてくれている。だが、落ち込みすぎてもうどうしようもなかった。
どのくらい時間が経ったか分からない。メルランが次に口を開くまで、かなりの間が空いた。





「……○○さんってさ……」

 長い長い沈黙の後、メルランが口にしたのは予想だにしない言葉だった。

「姉さんのこと好きだよね?」

「……え?」

「○○さんにお願い。姉さんを救ってあげて。
 あなたの機嫌を損ねたことで、姉さんほんとに苦しんでる。
 あなたに完全に嫌われたらどうしよう、って思ってる。楽にしてあげてほしいの。
 実は姉さんもね……」


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「……とまあ、そういうわけだから。姉さんを助けられるのはあなたしかいないの。
 きっとあなたならどうすればいいか分かると思うから……よろしくね」

 そう言い残すと、メルランは背を向けて飛び立った。












~数日後~

「メル姉~」
「何? リリカ」
「ルナ姉は大丈夫なの? 今日家を出る時も死にそうだったじゃない」
「う~ん、やっぱ○○さんのことが気になるみたい。自分が○○さんを怒らせてるんだ……ってさ」
「お祭りって明日だよね。じゃあ今日が最後の練習でしょ~? やばいじゃん、
 このままずっとギクシャクした関係だったら……ねえ」
「……ふふ、それならもう大丈夫よ」
「え? 何で?」
「多分、今の○○さんなら……心配しなくても……」
「……はあ?」
「うん、くっつくのは時間の問題ね。リリカ、お祝い用にお肉でも買ってきといて」
「何なのよー! 全然分かんないわよ!! つか何で私ー!?」
「あとプリン」
「あんたが食べたいだけでしょそれは!!」





「じゃ、始めようか」

 いよいよ祭りの前日。ルナサはいつものように広場に来た。

「ビブラートがやらしすぎるから、もっと自然に」
「アップの時の音が死んでる。弱拍の音もきちんと鳴らせ」
「アーティキュレーションをはっきりと」

 相変わらずの厳しい指導。俺にはレベルが高すぎる要求ばかりだ。
しかし、もう大丈夫だ。俺はルナサの思いをしっかり受け止めなければならない。

「ピッチのずれも気にして。少しのずれがバンド全体を狂わせるから」
「息をしっかり使うこと。弦楽器も呼吸が大事」
「適当に弾かない。1つ1つの音に意味があると思って」

 メルランに急に核心を突かれて驚いたが、自分でも前から気付いていた。ルナサに1番伝えたいこと……
しかし、それはまだ言わないでおこう。それはまた、きちんと言葉にして伝える。

「……ふう、じゃあ今日はここまで。よく頑張ったね○○。明日はきっとうまくいくよ」

 先にやるべきことがある。まずは今、俺がしなきゃいけないこと。 

「……じゃあ、仕事に行くわ。健闘を祈る」

 俺はずっとルナサを苦しめていた。俺にはこいつを救う責任がある。
メルランの話を聞いてから約1週間、悩みに悩んだ。その結果、1つの答えに辿り着いた。

「あ、あのさルナサ……」
「ん?」

 自分の気持ちの清算のため、ルナサを救うため、今の俺にできることは……



「明日……俺の演奏……聞きに来てくれるよな!?」



 ルナサが2週間、俺に手渡してきた思い。少し遅れたが、明日俺の思いを全力で返す。共に作り上げた演奏に乗せて。







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『ただいま』

『あ、姉さんおかえり~』

『ルナ姉、また○○さんのとこ? ほんと毎日頑張るねー』

『大したことないわ、好きでやってるんだから。○○、ほんとに上達が早いの。ビックリしちゃった』

『へー、意外。○○さんって結構音楽の才能あるんだね』

『教えたこともすぐに飲み込んでくれるし。どんどん上手になって、自分まで嬉しくなっちゃって』

『やっぱルナ姉の教え方がいいんじゃないの?』

『でもちょっと厳しすぎたかも……』

『……姉さん、私たちに指導するようなノリは駄目よ? 相手は楽器を持つのも初めてなんだから」

『メル姉の言う通りよ、素人さんなんだから優しく教えてあげなきゃ』

『うん、気をつけてるんだけど……ついね……』

『はあ~、ほんと世話焼きなんだから』

『まあ、きっと○○さんは分かってくれてるよ。姉さんの愛情を』

『あ、愛情って……』

『あれ~、違うの? メル姉と私の間じゃもうそういうことだと思ってたんだけど』

『姉さん、○○さんの話のときは異常なまでに饒舌だもんね~? 誰だって気付くよ』

『……』

『あれ、黙っちゃった』

『ほらあ、認めなって。私たちも協力するからさ』

『……ええ、そうよ。私は○○のことが……』



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 祭り当日。俺はステージの上で拍手喝采を浴びていた。
小さな里なので、観客も全員顔見知りのようなものだ。誰もが俺がバイオリンなど弾けるわけがないと思っていた。
しかし、俺はやってのけた。バンドのメンバーも驚愕するほどの出来だった。
聴衆からは賞賛の嵐。メンバーも俺の肩を叩いて褒めちぎる。今の俺はまさに祭りのヒーローだった。
しかし、そんなことはどうでもいい。俺が本当に感想を聞きたいのはただ1人だ。

「わりー、頑張りすぎて喉乾いちまったからジュース買ってくるわ」

 そんなことを言いながらステージから降り、押し寄せる友人達を適当にあしらいつつ、俺は人混みから離れた。
そして、あいつの所へ全速力で向かった。





 今日のために毎日2人で頑張った、里の外れにあるあの広場。そこでルナサは待っていてくれた。
少し目を潤ませている。

「……聞いててくれたか?」
「……うん」
「……どうだった?」
「……良かったよ。すごく良かった」
「……そっか」

 会話が途切れる。しばらくの間、2人とも黙りこくっていた。
何とも表現できない、奇妙な空気が流れていた。
俺が先に沈黙を破った。

「ルナサ……今までごめ……」

 全て言い終える前に、突然ルナサが俺のほうへ駆け寄った。驚いて声が引っ込んだ。
気がつくと、ルナサは俺の胸の中にいた。

「それ以上言わないで。もういい……もういいの。私だって悪かったんだから……
 私が○○に辛く当たったのがいけなかったんだから……」

 ルナサは俺の胸に顔をずっとうずめていて、表情が見えない。

「私ね、音楽を聴けば分かるの。演奏者がどんな気持ちで演奏しているか。
 さっきの演奏……ほんとに気持ちがこもってた。バイオリンの音からあなたの声が聞こえたわ。
 『ごめんね』って。それから……『ありがとう』って。
 私のことを思って演奏してくれてるんだなって分かった……私はそれで十分よ」
「じゃあ……許してくれるのか?」
「許すも何も……」

 ここでルナサは顔を上げた。瞳から、堰を切ったように涙が溢れ出している。しかし、その表情は優しく微笑んでいた。
すぐ目の前にルナサの顔がある。思わず胸が早鐘を打つ。こいつってこんなに……綺麗だったっけ……

「私……絶対に○○に嫌われてると思ってた……だ、だから……演奏を見に来てくれって言ってくれたのが……
 う、嬉しくて……ほんとに嬉しくて……」

 しゃくりあげながら話すルナサ。涙は一向に止まる気配が無いが、その目は俺を見つめ続けていた。

「さっきの演奏を聞いて……この2週間、頑張ってきて良かったって……本気で思った。
 あなたと頑張ってこれて良かったって……
 だから、謝ったりするのはやめて……自分を責めるようなことはもうやめて……
 私は今本当に幸せだから……」

 その言葉を最後に、ルナサはまた俯いて啜り泣き始めた。
俺はただただ気持ちが高揚している。演奏で気持ちが伝えられたことが分かって安心したから……理由はそれだけでは無さそうだ。
とにかく、ルナサがここまで言ってくれたのだ。後やるべきことは1つだけだ。
俺はルナサを強く抱きしめた。

「え……○○……?」
「分かったよ……お前は俺の気持ちを受け取ってくれたみたいだしな。もう謝るのはやめる。
 ただ、やっぱりこれだけはちゃんと言わせてくれ」


「俺がここまで立派に演奏できたのはお前のおかげだ。
 お前がいてくれて良かった……ありがとう……」


 やっと言えた……
 ここしばらくずっと薄暗い霧で覆われていた心の中が、一気に晴れ渡ったような気がした。


「私も……あなたに教えてあげることができてほんとに良かった……ありがとう……」


 ルナサもか細い声で答えてくれた。もう離すまいとばかりに、一層力強くルナサを抱き寄せた。
この瞬間、2人の間にあったわだかまりは全て消えた。
幸せな気分に包まれ、俺たちはしばらく抱き合ったまま動かずにいた。







 どのくらい経っただろう。気がつくと辺りは既に暗くなっていた。

「こりゃ祭りはもう終わっちまったかな……」
「うん、多分ね……ねえ、見て!」

 ルナサが突然空を指さす。俺が見上げるのとほぼ同時に、1発の花火が盛大に爆発した。
祭りのフィナーレにして目玉である花火大会が始まったところだった。そういやそんなイベントもあったな……
自分の演奏のことばかり考えて、他のイベントのことなど思い出しもしなかった。

「……綺麗……」
「せっかくだし、ここで見てくか?」
「……うん」

 2人で地面に腰をおろし、次々と打ち上げられる大きな花火をずっと眺めていた。
本当に幸せな気分だ。邪魔する者は誰もいない。
花火はどんどん派手になり、祭りの終焉に向けて最高潮の盛り上がりを見せている。
言うなら今しかない……本当にルナサに1番伝えたいこと……

「……ルナサ……」
「ん?」
「実は……俺お前のことg」
「おっと、そこまでよ」
「……へ?」

 またも言おうとしていた言葉を途中で遮られた。ルナサは何故かニコニコと不可解な笑みを浮かべている。

「○○……もう1度言うけど、あなたの演奏ほんとに素晴らしかったわ。
 まるであなたが喋ってるみたいに、あなたの気持ちが直接胸に響いたの。
 『ごめんね』とか……『ありがとう』とか……それから……」
「!!!」

 一気に顔が赤くなるのを感じる。まさか……そんなことまで伝わって……

「あなたの熱い思い、届いてたわよ」

 いたずらっぽく笑うルナサ。へなへなと崩れ落ちる俺。

「てめえええええええ……緊張してた俺が馬鹿みたいじゃねーか……」
「さっきからずっとそわそわしてたもんね。いつ言ってくれるのかなーって思ってたわよ」
「……ったく、お前にゃ敵わねえな……さすがは今をときめくプリズムリバー楽団のリーダーだよ」
「うふふ、あんまり音楽家を舐めないでもらいたいわね」
「……で、答えは?」
「……え?」
「『え?』じゃねーよ、俺の熱い思いに対する答えはどうなんだよ?」



 ここでルナサは突然押し黙った。少し下を向き、神妙な面持ちになっている。
時が止まったような感覚。俺にはこの沈黙が永遠に続くように感じられた。
花火大会はいよいよ終焉を迎えようとしている。ラストを飾る特大の花火が打ち上がった。
その時だった。ルナサは顔を上げ、まっすぐに俺の目を見つめた。











「もちろん……私も大好きだよ、○○」











 夏の夜空に開いた虹色の巨大な花火は、暗闇の中にいた俺たち2人を明るく照らした。
この2週間待ち望んでいた、愛する人の満面の笑顔がそこにあった。


ルナ姉と○○と音楽と Ⅰ(新ろだ2-220)


幻想郷の騒霊屋敷。
騒々しい幻想郷の中でも特に騒々しい姉妹が住むところ。
そこでは、常のように、騒霊達のコンチェルトが鳴り響いていた。

「~~♪~~~~~♪」

ヴァイオリン。トランペット。キーボード。
一見アンサンブルとして不釣合いな組み合わせだが、その実は非常に多彩で豊かな音が見事に調和した演奏。
落ち着いた音のヴァイオリンを奏でるのは長女のルナサ・プリズムリバー。
陽気な音のトランペットを奏でるのは次女のメルラン・プリズムリバー
そんな音たちを纏め、不思議な幻想の音を奏でるのはリリカ・プリズムリバー
そんな彼女たちの、演奏。





「お疲れ」

いつもの練習が終わると、彼女たちに声がかけられる。
最近この屋敷を頻繁に訪れている○○だ。
そして、その手には労いのアイス珈琲。

「ん、有難う」
「○○ー、ありがとー!」
「演奏の後の一杯は格別だよね~」
「リリカ、それは流石に年寄りくさい」
「にゃに~!○○、言ってくれるねぇ!」

あはははは・・・・・・楽しそうな笑い声が巻き起こる。
元々騒々しい三姉妹だが、○○がこうして輪に入るようになってから、特に騒々しさが増した気がする。

「○○、さっきの演奏はどうだった?」

真面目なルナサが、今の練習についての評価を聞いてくる。
これは毎回の定例行事みたいなものだ。ルナサ曰く第三者の意見は常に参考になるのだという。
少しではあるが、幻想郷に来る前に音楽を齧っていた○○は、自分なりの意見を言う。

「んー、いつもながら凄い演奏だったけど、やっぱりメルランの音が走ってる感じがしたかな。リリカが誤魔化そうとしてたみたいだけど。
 後は単純に、メロディーラインが際立ちすぎてる感じ。色々入れ替わりもあったけど、全体的に」
「やっぱり良く聞いてるのね。だ、そうよ?メルラン、リリカ」

ルナサが意地悪そうに二人の妹に笑みを浮かべて向き直る。

「最近、厳しい人がまた増えた感じがしてやり辛いわ~」
「ほんと、そんなのは姉さんだけで充分だよね~」

そして愚痴を吐く二人。
まぁ、なんだかんだいって笑顔なので、本心からの言葉ではないのだろう。
この二人も、○○のことを決して悪くは思っていないのだ。

「でも、姉さん、○○が来てから楽しそうだよね~」

リリカが、ふと、そんなことを言った。
メルランはそうね~、などと呑気に相槌を打っているが。
ルナサは真っ赤な顔で大慌てである。

「え?え?あぁ・・・・・・いや!そ、そんなこと・・・・・・ないことも、えぇと、ない、けど・・・」

普段口数が多い方ではないとはいえ、割としっかりとものは言うタイプであるのに、珍しくこの調子である。

「やっぱり姉さんって・・・・・・」
「え、あ・・・・・・ぅ」
「だね~♪」

一転。立場逆転でからかわれている。
○○はといえば。

「・・・・・・ん?どうしたんだ。まぁ、俺が少しでも練習の気晴らしになれてるなら嬉しいけど」

・・・・・・全く察せていない。

「「肝心の○○はこれだしねぇ・・・・・・」」

二人そろって、意地悪そうな笑みを浮かべながらも、はぁ、とため息をつくのだった。















○○と彼女たちの出会いは数週間前まで遡る。
外来人であった○○は、幻想郷の中を彷徨い、そして危険な目に遭いながらも、なんとか生き延びていた。
そして、湖の近くで見つけたのが、騒霊達の館だったというわけである。
行き倒れるかのような状況で、演奏帰りのプリズムリバー三姉妹と出会ったのが、最初。
助けられてから、人里に居を構えるようにはなったものの。
それ以来、幾度も彼女たちの館を訪れては、恩返しとして、色々な手伝いをするようになっていった。
普段の生活での手伝いは勿論のこと。
人里での演奏依頼の仲介をしてみたり、舞台のセッティングやら、何か企画してみたり。
今ではすっかり彼女たちと馴染み、良好な関係を築いている。
暇さえあれば、彼女たちの館で、何かしているぐらいには。
三姉妹達も、それを歓迎している。















「え?」

俺は耳を疑った。それは、あまりに唐突な提案だったからだ。
俺は、彼女たちの次のライブについての話し合いを聞いていた。
何か意見があったらいつでも言っていいよ、と発言権を貰って、だ。
この幻想郷で名高い幽霊ちんどん屋のライブプログラムの話し合いの場に自分が居ることに。
何だかむず痒さと、何とも言えない嬉しさと、奇妙なこの境遇にちょっと変な違和感を感じつつ、ボーっとしていたところに、だった。
そんなところに俺に対してこんな提案がされるなんて、それこそまさに現実味がない。
だから、俺はもう一度聞き返した。

「今、何て?」
「聞いてなかった?○○ったらダメだね~。だ~か~ら~」

リリカは、こう言葉を続けた。





「次のライブ、○○がメインボーカルってどうかな!?って話だよ!」










「元はね。姉さんの提案なのよ~」

メルランが言った。・・・・・・って、この突拍子のない話はルナサが提案者なのか。
ちょっと保守的なイメージがあったから、意外に思った。

「うん。○○って、結構音感もあるし、歌も悪くないから、さ」
「元からね。歌を入れた演奏ってやってみたいなって話してたの。
 それに、○○は、私たちの音楽もいつも聴いてくれてるでしょ~。
 だから一緒にやりやすいんじゃないかなって思ったらしいのよ~」
「面白そうだし私はだいさんせー!」

・・・・・・参った。いきなりすぎて、どうしたものか。
そもそも、俺はそこまで歌が巧いと思わない。精々人並みか、それよりちょっと上ぐらいだろう。
それに相手は幻想郷きっての楽団、プリズムリバーの人(?)たちだ。
――釣り合う訳が無い。

俺は、まず最初に、そう思った。
ここまで乗り気で言ってくれてるのに、断るのは心が痛いが・・・・・・。

「いや、ま、待ってくれよ。俺、歌、巧くないし、それに、君たちは歌なしでも凄い演奏が出来るし、ファンも沢山居るし。
 そもそも、俺なんかがいきなり入ってファンが納得してくれるかどうか――」

すると、三姉妹の表情が固まった。
あ、あれ?やっぱまずかったか・・・・・・?

「・・・・・・○○は、一緒に、やりたくないの!?きっと楽しいよ!」
「そ、そうだよね~。突然すぎて、迷惑だよね・・・・・・」

妹二人はこんなこといってるし。
メルランは必死に俺を説得しようと「一緒にやれば楽しいよ!ねぇ、やろうよ!」と言ってくれて。
リリカは流石にまずったかな、なんて暗い顔をしてたりする。
・・・・・・心が痛む。
しかも、止めに、だ。

「次の一度だけ、一度だけだから。・・・・・・ダメ?」
「やります」

こんな上目遣いに、あのルナサにお願いされてしまっては。
心のダムは決壊して当然だろう。いや、男なら絶対する。っていうかしなければ男じゃない。

――かくして。○○のドキドキッ!歌の特別レッスン(はぁと)が、スタートした。




最終更新:2010年10月15日 22:32