「というわけでお話を聞きたいと思いまして」
「懲りないわね貴女も。あのとき吹き飛ばされたのに」
紅魔館の庭。訪ねてきた射命丸文を十六夜咲夜が応対していた。
「それに、大体の話は知ってるでしょう?」
「記事には万全を期したいのですよ」
ぐっと力を入れる文に、やれやれ、と咲夜はため息をつく。
「本人に聞けばいいでしょうに」
「また吹き飛ばされるのも勘弁なのですよ。それに野暮にはなりたくないですし」
「まあそうなるでしょうけど」
「でしょう? だったら、貴女に聞いた方がいいかと思いまして。レミリアさんも今はお出かけなのでしょう?」
「そこまで調べてるのね」
咲夜はもう一つため息をつく。ここで弾幕勝負して追い出すのも有りだが、それはそれで仕事が増える。
「どのみち記事にはしますからねー。でもクライマックスを書くにはやはりその前も知っていたいのですよ」
「わかったわ。でも、後でどうなっても知らないわよ?」
「それはまあ、宥めていただきますよ」
やれやれ。咲夜は表情と仕草でもう一度そう返すと、そうね、と語り始めた。
いつからかしらね、彼が紅魔館に入り浸り始めたのは。
最初に訪ねて来たときは館内で迷子になってたけれどね。妹様にも遭遇していて。
え? ええ、無事だったわ。奇跡的に。そういえば、妹様も気に入ってるのよね、○○さんのこと。
お嬢様が興味を持ったのはそのときからでしょうね。訪ねてくる度に機嫌が良くなってたもの。
……ああ、恐れないのよね、彼は。お嬢様のこと。恐怖なんてどこかに置いてきたって顔して――まあ、だからこそ幻想になったのかもしれないけど。
そうよ、いつもの通り。まあ、亡霊姫でも境界の妖怪も鬼も恐れない人間だものね。
……あ、だった、ね。
そうね、三ヶ月くらい経った頃かしら、彼が来てから。
その頃には、夜に訪れたりもしてたわね。危ないから寄せってよく言ってたけど。
え? そうそう、『レミリアさんが起きてますから』よ。今考えてみると、ベタ惚れだったのよね。
まあ、彼の人柄その他は認めるところだから、別に良かったんだけど。
そういえば、血も提供してたりしてたわね。お嬢様曰く、普段は一切恐れないのに、牙を立てられるときは畏れが出て面白い、だとかで。
ええ、そうよ。その頃だったの。彼がお嬢様に告白して玉砕したのは。
いつになく少し落ち込んだ様子で、でもいつものように微笑んだままでね。
『また来ます』
ってそれだけ言って、帰っていったわ。普段より早い、まだ夜明け前に。危ないから大抵夜明けまではいるんだけど。
お嬢様には、って? ええ、そこはもちろん。そういうケアも従者の務めだもの。
呼ばれて紅茶を持って行って、話を聞いたのよ。聞かされたじゃないのかって? いいえ、聞いたの。
『○○に好きって言われた』
『そうですか。返事は?』
『返事? それを必要とするの? 私は吸血鬼よ、そんなものいらないわ』
言葉と裏腹に少し寂しそうだったけれど、口調はいつもの、威厳に満ちたものだった。
『共にはあれど、愛することなどない。彼はただの食糧に過ぎないし、無聊を慰める者に過ぎないのだから』
『それで、断られたのですか』
『そうなるかしらね』
テラスで、どこか遠くを見つめて、そう仰っていたわ。ああ、ぽつりとこう呟いてもいられたわね。
『……吸血鬼を好きになるなんて、馬鹿なことを』
けしかけなかったのか、って?
どこかの黒白でもあるまいし。それにお嬢様が決めたことなら、私が口を出す必要はないじゃないの。
しばらく、○○さんは来なかったわ。まあ当然といえば当然だろうけれど。
お嬢様も暇そうだった。いや、実際暇だったんでしょうね。彼が来て話すのがもう日課に近くなってたんだもの。
そうね、『今日は来なかった?』と訊かれて、来ていませんと返すしかなかったわ。
それで寂しがるなら、断らなければ良かったんじゃないかって?
おそらく、そうもいかなかったのよ。幾分かは想像になるけれど、自分の傍にずっと留めたいけど留めたくなかったはずだから。
彼はどこまでも自由だったもの。自由で飄々として暢気で……っていうと、どこかの紅白みたいだけど。
そう、で、あの事故が起こったのよ。詳細はいいわね? もう記事にした? ならなおさらね。
話を聞いたとき、お嬢様はそれこそそのまま飛び出そうとして、止めるのが大変だったわ……まだ陽が完全に落ちてなかったもの。
永遠亭に着いたときには、まだ昏睡状態だったわね。あそこの薬師の腕は確かよね、本当に。薬の調合も一苦労だったみたいだけど。
『○○を必ず助けなさい。助からなかったら――』
お嬢様が何を言わんとしたのか――は、少し不明瞭ね。お嬢様自身もそうじゃないかしら。
ただずっと待ってた。まあ、彼がいろんなところで慕われてたのも周知の事実だったから、多くのメンバーがいたけれど。
というか、○○さんの想いってみんなに知れ渡ってたのね。え、広めた? それで怒らなかったのも流石か……
だから、容態に動きがあったときみんなお嬢様を止めなかったのね。理解できたわ。
「こんなところかしら?」
「ええ、ありがとうございます。それにしても、あの晩は大変だったですけれどね」
「私は途中で外したから皆ほど聞いてなかったんだけど、お嬢様がお怒りになるほどのことだったの?」
「ええまあ、こんな感じでしょうか――」
レミリアが病室に飛び込んだとき、彼はまだ目覚めていなかった。
「○○――」
「大丈夫よ、峠は越したわ」
「そう」
永琳はそう告げて、席を立った。
「もし何か容態が変わったら呼んで。もう大丈夫なはずだけど」
「ええ」
レミリアは静かに答えた。静かだった。しばらく静寂が続いた後――彼は、目覚めた。
「……っ……?」
「○○」
彼は目の前にレミリアがいたことに驚き、ついで周りを見渡し、自分を見て、状況を理解したようだった。
「そうか、僕は……助かったのですね」
「そうよ」
「これは様々な方面にご迷惑を……来て、くださったんですか」
「感謝なさい、私がわざわざ来たのだから」
「はい。ありがとうございます」
屈託のない笑みに、レミリアは唇を結んだ。そして、○○の両肩に手を当て、彼を真上から覗き込んだ。
「何故微笑える」
「……嬉しい、から? レミリアさんがここにいてくれて」
「私は――お前を拒絶した。それでも?」
「それでも。嫌われたとしても――僕は、貴女のことが好きですから」
死に掛けていた人間とは思えないほどの明瞭さで、彼はそう口にした。
「……でも、お前は私のところに来なくなった」
「嫌われたと思って。僕に会うのが不快なら、会わない方がいいかなと」
「……私が、いつそんなことを」
「……そうですね。僕のためだったのかも。貴女にこれ以上嫌われたくなくて。それが怖くて、足を遠のけた」
「だから、私がいつそんなことを言った!」
レミリアは叫んだ。辛い想いを吐き出すかのように、それでも傲然とした口調で。
「お前が勝手に解釈したに過ぎないだろう。私は嫌いなどしなかった。ただ、想いに応えられないだけだった」
「そうだったんですか、鈍くてすみません」
「どうしてかと問わないの?」
「言えないほどのことならば」
「……ああ、認めよう。私もただ恐れていたに過ぎない。私が――」
レミリアの瞳から雫が零れ落ちて、○○の頬を濡らした。それを信じられないようにしながら、○○はレミリアを見つめる。
「私が、貴方を好きだといったら、傍に居て欲しいと言ったら、貴方はそれに応えるでしょう? 人間であることを止めてでも」
「ええ、まあ」
「そうなれば、貴方は変質する。貴方という存在が変わってしまう。それが嫌だった」
「…………」
「嫌だった――けど、貴方が来なくなったのも嫌だった。退屈になった。そして何より、今日」
レミリアは睨みつけるように○○を見つめる。
「貴方を喪うことを、私は恐れた。この吸血鬼が、紅き月が! ただのちっぽけな、人間の存在に振り回されて」
「レミリアさん」
「何かを恐れるなど、絶対しないと思っていたのに……っ!」
泣きながら怒るレミリアを、○○は抱きしめた。軋む身体で、まだ痛むだろう身体で。
「……僕は変わらない。器は変われど、その中にある僕と言う存在は変わらない、です」
「…………」
「それより、嬉しくてたまらないんです。ここまで想ってもらえたことが。嬉しくて嬉しくて、たまらない」
「……○○」
抱きしめられて戸惑ったような声を上げて、でも、レミリアは軽く頷いた。
「答え、させて。貴方を拒絶した言葉を変えたい。何も想っていないと言ったことを」
「はい」
「感謝しなさい。私も、貴方のことを想っているのだから」
「はい……嬉しいです」
柔らかく微笑った○○の額に、レミリアが自分の額を付けた。そして、口唇が少しずつ近付いて――
「……で?」
「いやあ、そこで襖の向こうで聞いていたのがばれてしまいまして」
「なるほど、あのグングニルはそういうことだったのね」
「稀に見る鋭さを持ってましたね」
「よく全員無事だったわね……」
咲夜は呆れた声を上げた後、まあ本気でなかったんでしょうね、と呟いた。
「その後、○○さんはレミリアさんに吸血鬼にしてもらったのですよね?」
「一騒動だったわよ。紅魔館に住み込むことが決まって、越してきてすぐに『僕も吸血鬼にしてください』だもの」
「あー、でもあの永遠亭の会話からすると……」
「しばらく揉めてたわ……それでも、最後には○○さんの意思が通ったけど」
「そこは愛、というべきでしょうか」
「きっとね」
メモメモ、と手帳に記述しながら、文はさらに尋ねる。
「で、何も変わらなかったのですね?」
「ええ、面白いほど何にも。館をのんびり歩き回るのも、お嬢様に血を提供していることも、何もね」
「レミリアさんの心配は杞憂だった、ということですね」
「そうなるかしらね」
そう咲夜が答え、文が頷いたとき――
「あら、天狗じゃない」
「お帰りなさいませ、お嬢様」
レミリアが○○を伴って帰ってきた。日傘を○○に差してもらっている。
「こんにちは、文さん。取材ですか?」
「ええー……あれ?」
○○の言葉に、文は首を傾げる。何だかおかしい。この違和感は――?
「咲夜、紅茶を用意して。テラスで」
「かしこまりました」
「○○は来なさい。今日は気分がいいから、天狗も同席を赦してあげるわ。どうせ追っ払っても来るんだろうし」
「はい」
「ありがとうございますー」
レミリアが館に入り、○○が日傘を閉じて、では、と一礼して館内に入っていく。
そしてようやく、文は違和感に気が付いた。
「……あのー」
「何?」
「○○さんも吸血鬼になったんですよね?」
「ええ、お嬢様曰く『吸血鬼としては最低以下の中途半端』らしいけれど」
「それは手厳しいですねー……ではなく、今、日差しの中を普通に歩いてたように見受けるのですが!」
「そうね、まあいろいろあって……詳しくは本人から聞いたら? 普通に教えてくれるわよ。
まあ、私から言えるのは、お嬢様の愛、と、それだけね――私は紅茶の用意しなければならないから行くわ。後は本人に聞きなさい」
「ああ、はい……」
消えていった咲夜を見送って、文は胸元でガッツポーズを決めた。
「これはスクープの匂いがしますよっ!」
そう叫んで、彼女は翼を広げ、テラスの方に回っていった。
そこで文が真実を聞けたかどうかは――また、別の話。
─────────────
紅魔館のテラス。陽の差さないその場所に、何人かの姿があった。
「○○が陽光を浴びても無事な理由? さあ、それは私にはさっぱり」
レミリアは紅茶を啜りながら、文の質問にそう答えた。
「え? でも……」
「理由自体は明確じゃないんですよ。仮説止まりですね」
疑問を浮かべる文に、○○が説明する。
「レミリアさんの『運命を操る程度の能力』が作用した可能性、です」
「あくまで仮説なんだけどね」
そう言いながら、パチュリーが本を小脇に抱えてテラスに出てきた。
「珍しいわね、パチェが出てくるなんて」
「咲夜に声をかけられたのよ」
レミリアの近くに腰を下ろしたパチュリーに、文が尋ねかける。
「と言いますと? ○○さんの運命が変わった……?」
「レミィが願ったとも言えるかも。○○さんに変わって欲しくなかった、でも一緒にいたかった。その折衷案みたいなものかしら」
「よくお話が見えないのですが……」
「彼は実際に吸血鬼になった以外は、ほとんど只人と変わらないのよ」
「酷いものよ。夜の恩恵もろくに受けられないし、陽光にも長時間当たってられないし、力は弱いし回復力も弱いし――」
「でも、人間だった頃と同様、日中にも活動できる、でしょ、レミィ」
パチュリーの言葉に、レミリアは口を噤む。ふい、と顔を逸らしたのを見ない振りをして、パチュリーは続けた。
「あくまで仮定よ。単なる想像に過ぎないわ。でもここは幻想郷。そういうことの一つや二つ、おかしくないでしょう?」
「確かに」
文は頷いてメモをまとめる。そして、ふと口に出した。
「そういえば、どうして判明したんですか?」
進んで日光に身を晒す吸血鬼など居はしない。が、それを彼女が訪ねた瞬間、○○を除く全員がため息をついた。
困ったように笑った○○が頬をかきながら説明する。
「いやまあ、事の発端は僕がうっかり朝日を浴びたことからなんですけれど」
「気化しますって」
「吸血鬼になったばかりでついうっかりと」
「うっかりで死んだらどうするつもりだったんですか」
その会話に、レミリアが、ふう、ともう一度ため息を漏らした。
「頼むから、もう驚かすようなことはしないで頂戴ね」
「はい、すみません」
「一騒動だったわよね、レミィが館の中を凄いスピードで飛んでって妖精メイド達は怯えるし、○○さんは飄々としてるからレミィの逆鱗に触れるし」
「だいぶいろいろ起こったみたいですね、その話も詳しく聞きたいところですが」
「大して面白くもないわよ」
レミリアがそう断じて、話を打ち切った。
暫くの後、レミリアが席を立った。
「少し休むわ。後はよろしくね、パチェ、咲夜」
「はいはい」
「かしこまりました」
「お話ありがとうございまーす」
そして、○○の方に一瞥を向ける。
「○○は付き合いなさい」
「はい」
こちらは、では、と文に一礼してレミリアの後を追っていく。
二人が見えなくなった頃、文が手帳をパラパラとめくりながら微笑んだ。
「いやあ、いろいろ記事になりそうなネタが」
「程ほどにね、と言っても、貴女には無駄でしょうけど」
「大丈夫ですよ、きちんと事実をお伝えしますから! 特集組めそうですね~」
文は上機嫌で言い、咲夜が呆れた声を上げた。
「もしかしてあちこちで話聞き回ってたの?」
「ええ、みなさんの話を元に。一応記事の本題は例の事件ですけどね」
一体どんな記事になるやらと一抹どころでない不安が過ぎる。
「それにしても……みなさんの話をまとめていると、随分と○○さんがベタ惚れなのが伝わってきますねえ」
何気ない文の呟きに、パチュリーと咲夜が同時に意外そうな顔になる。その変化を文は当然見逃さなかった。
「どうしたんですか?」
「いえ、みんなの一般認識ってそうなのね、って思って」
「まあ、外ではあの永遠亭での一件だけですからね……」
「は?」
文は再び手帳を開き、二人に問い直す。
「……それは、逆だと言う認識ですか?」
「正確には双方から、ね。○○さんがベタ惚れなのは見ての通りだけど、レミィも相当なものよ」
「そうなんですか?」
「そうでなければ、○○さんをあんなに側に置いたりしないわよ。咲夜が付いてないときは大体○○さんが付いてるし」
最近ではどちらが多いかしらね? とパチュリーは咲夜をからかうように問いかける。
「適材適所、ですわ」
咲夜は微笑んで、何でもないように返事を返した。
「はー、ということは、レミリアさんもベタ惚れだと」
「そういうことかしらね。第一、彼の立場も客分だもの。レミィの中で重要度がかなり高い証拠よ。彼は従者みたいなことしているけど」
「いいのですか? そういうことを言ってしまって」
咲夜の問いに、パチュリーは、いいのよ、と返した。
「あんな様子を見せ付けられてる方には、これくらいの権利があっていいものよ」
「素敵な親友関係ですわね」
咲夜の苦笑は、『あんな様子』について詳しく聞き出し始めた文の勢いにかき消されてしまった。
レミリアの部屋に○○が入るのは初めてのことではない。というか、最近は週の半分はここに居る気がしている。
「レミリアさん?」
「ん?」
言われるままに寝着の用意などしていた○○は、レミリアの様子がおかしいことに気が付いていた。
「えと、何か、考えておられますか?」
「……貴方は大事なときに鈍くて、こういうどうでもいいことに鋭いのね……」
心底呆れた声を出したレミリアは、○○の手から寝着を受け取ってベッドの上で着替えはじめる。
○○は習慣で後ろを向いた。おそらく、気にしていないのだろう。
「……思い出して、ちょっと嫌な気分になってただけ」
「……?」
「…………本当、変なところだけ鋭いのね……」
さらに呆れたレミリアは、自分の方に来るように○○に命じた。
「座りなさい」
「はい」
ベッドに腰掛けた○○の、その膝の上にレミリアは座る。
「……貴方が、陽光を浴びたと聞いたときのこと」
「ああ……すみません」
「あっさりと言わないの。私は、貴方を死なせるために吸血鬼にしたわけじゃないのよ?」
爪が立つほど強く、レミリアは○○の腕をつかむ。
「言ったでしょう。私は貴方を喪うことを恐れる、と」
「…………すみません」
「もう二度と、あんな思いはさせないで。いいわね」
「はい、誓います」
腕は痛かったが、それよりもその言葉の方が痛かった。
あのとき、朝日を浴びても無事だとわかったとき、あまりにものんびりとしてしまった自分に、少し腹が立つ。
同時に――
「ありがとう、ございます」
「何?」
「心配してくれて、想ってくれて、ありがとうございます」
その言葉に、レミリアは微笑った。
「今更何を言っているの? 貴方は私のものでしょう。礼を言われることでもないわ」
「はい」
満足そうなレミリアの様子に、○○が心からの笑みを浮かべていると、彼女が小さく欠伸をした。
「さすがに、昼間は少し眠いわね……寝るわ」
「はい。では僕は」
「何言ってるの。付き合え、って言ったでしょう?」
動こうとした○○に心外そうな視線を向けて、レミリアは首を傾げる。
「……はい、了解しました」
「よろしい」
困ったようにしながらも自分を優しく抱きしめる○○に、レミリアは再び満足そうな微笑みを浮かべた。
数日後、図書館にて――
「パチェー」
「レミィ。どうしたの? ○○さんならいないわよ」
「買い出しに出てるのは知ってるわ。暇だったから……あら珍しい、あの天狗の新聞読んでるの?」
「ええ。貴女も読んでみる?」
パチュリーが示した先には、ここ最近の事件と、先日の紅魔館でのインタビューを元にした記事。そして。
「ん、私達のことについて随分書いたものねえ」
「あら、意外な反応。怒るか何かすると思ってたのに」
「だって○○は私のものだもの。遠慮なんてしないわよ……ああでも、少しは自重した方がいいかな」
「……ごちそうさま」
パチュリーはそう応えて、珈琲に口を付けた。
───────────
腹が減った。こんな類の空腹を、未だかつて彼は感じたことがなかった。
それでも、思うように喰うわけにもいかない。今の自分は昔とは違うのだ。ましてや客人の身、思うが侭に振舞えるわけもない。
思い切って、自分の腕に噛み付いた。じわ、と血の味が口に広がって――
「……不味い」
そう、小さな呟きと共に吐き捨てた。
「咲夜ー」
「はい、お嬢様。どうなさいました?」
「○○は何処に居る?」
「確か今日は、パチュリー様に魔法を教えていただくと言ってましたが」
レミリア・スカーレットの問いに、十六夜咲夜はそう応じた。
「ああそうか、大して力もないから、パチェに教えてもらえ、って言ったんだっけ」
レミリアは恋人に対して評価は中々辛い。故に半端なデイウォーカーは今日も今日とて、頑張ってせめて半人前へと修行中であった。
「ええ。そういうわけで、本日は図書館に」
最近、お嬢様の発言はほとんど彼のことになっているな、と、微笑して咲夜は思う。
何だかんだと言いながらも、彼の居場所を探しているのが可愛らしい。
「では、今日はパチェのところでお茶にしましょうか。よろしくね」
「はい」
咲夜は一礼して、姿を消した。
紅魔館図書館。本を読んでいたパチュリーは、館の主の登場に本から顔を上げた。
「あらレミィ。お茶の時間?」
「ええ。○○は?」
「最近口を開けば彼のことばかりよね……今は休憩して本を片付けてもらってるわ」
咲夜が手早く用意していく中、レミリアはパチュリーの向かいに腰掛ける。
「どう?」
「順調といっていいのかしら。知識だけはよく吸収していくわ」
パチュリーは咲夜の淹れた紅茶を啜りながら続けた。
「今日は途中、妹様に捕まって大変そうだったけど」
「フランに? どうだった?」
「今日は背中の軽い火傷で済んでたわね」
「よくそれで済んだわね……」
「回避の腕は上がってるわよ。そうね……フォーオブアカインドから逃がれられるくらいには」
「……少し相手させすぎたかしら?」
「かもね。ああ、戻ってきたわよ、貴女の愛し人」
「パチェ!」
親友の抗議を受け流して、パチュリーは何事もなかったようにやってきた○○に話しかけた。
「お疲れさま」
「はい、あの区域のは大体終わりました」
「貴方も本が好きよね。何か面白いものはあったかしら?」
「そうですね……まあ、いろいろと。まだ読めないのも多いですが」
そう応えながら、○○はレミリアの隣に座る。出された紅茶をもらって、深々と咲夜に頭を下げた。
「まあ、そうでしょうね。パチェ、講義の調子は?」
「まだまだね。自己防衛のためにも、早々にスペルカードは作った方がいいのだけれど、如何せん、いろいろね」
「あー、なるほど。才能がない、か」
「はっきり言えばそうね。どれだけ時間がかかるやら」
手厳しい二人の意見に無言で微苦笑しつつ、○○は紅茶を啜って息をついた。
「あー、僕のにも血を入れてくれてたんですね」
「ええ、そういう注文があって」
「才能のない身にはきついだろうから、栄養補給」
「ありがとうございます」
礼を失しない程度に、○○は勢いよく飲む。レミリアが呆れた声を出した。
「そんなに慌てなくても。紅茶はゆっくり楽しむものよ」
「あ、え、ええ、そうですね。ちょっと、喉が渇いたみたいで」
そう言いながら、半分ほど中身がなくなったカップをソーサーに戻してテーブルに置いた。
「で、どう?」
「そうね、まあ、元人間とはいえ、レミィの眷属だから、魔力自体はあるの。だから、それをきちんと使えるようにして行けばいいだけ」
「それが難しいのね」
「才能がないのが響いてるわ。まあ、素養が全くないわけじゃないから――」
しばらく雑談をしながらお茶の時間を楽しんでいたが、いきなりパチュリーが、ふう、とため息をついた。
「で、目の前でいちゃつかれても困るんだけど」
「え? いいじゃない。ここが落ち着くのよ」
レミリアがいつの間にか、○○を椅子にして座っていた。機嫌が良いようで、羽がパタパタと動いている。困ったような顔をしながらも、○○も下ろそうとはしない。
「まあ、仲が悪いよりはましだけれど」
「でしょ?」
「貴女達が喧嘩しようものなら紅魔館が半壊するわ」
主にレミィによって、という部分は省略して、パチュリーは紅茶を口に運ぶ。
その際に、レミリアに目配せし、咲夜に向かって一つ頷いて見せた。
「ん?」
「ああ、○○さん、少しお願いしたいことがあるのだけれどいいかしら?」
咲夜の突然の言葉に、○○は面食らった。
「あ、ええ。ええと、よろしいですか?」
「……ええ、いいわ。いってらっしゃい」
大人しくレミリアは○○の膝の上から下りて、ソファに腰掛ける。
「それでは、また後程」
一礼して、○○は咲夜の後に付いていく。
それを見送って、レミリアがパチュリーに問い直した。
「何? わざわざ席外させて。何かまずいことでもあった?」
「私にとっては大したことじゃないわ。でもレミィと○○さんにはそうでもないと思って」
パチュリーは紅茶を飲みながら、事も無げに言う。レミリアは少し眉をしかめた。
「どういうこと?」
「……彼、飢えてるわよ」
「何?」
「たぶん、血が足りてない。レミィ達と同じ量では足りないのね、きっと」
「……何故」
険しい声にも、パチュリーは怯んだ様子を見せない。
「魔法の講義やっててわかったのよ。そもそも、養分が足りてないのだからただでさえ無い力を出そうというのが無理な話」
「そうじゃない!」
強い語調で言ってから、ふう、とレミリアは自身を落ち着けるように大きく息をつく。空になった○○のカップを見て、目を細めた。
「……何で、言わないのよ」
「そんなに大事と思ってないのだと思うけど」
「でしょうね……ありがと、パチェ。叱ってくるわ」
「この貸しはいずれ返してね」
「ええ」
図書館から出て行く親友を見送って、パチュリーは紅茶のおかわりを頼むために小悪魔を呼んだ。
「ありがとう、助かったわ」
「いえいえ」
咲夜の言葉に、○○は軽く手を振る。特別に仕事があったわけではないが、ちょうどよいので幾つか仕事を分担させていた。
「ところで」
「はい?」
「何かお嬢様に黙っていることとか無い?」
咲夜は○○が飢えていることは知らないが、勘の良い彼女のことである、何か黙っていることくらいは察していた。
少し考えて、○○は苦笑し、ふるふると首を振った。
「特別なことは」
「そうかしら?」
その様子に、直感の正しさを確信したのか、咲夜の声が鋭くなる。さてどうしたものか、と○○が思ったとき、咲夜の背後から声がかかった。
「いいわ、咲夜。そこからは私が直に尋問するから」
「お嬢様」
咲夜が一礼して、彼女の主を○○の前に通す。レミリアは○○を見上げて、少し固い声で告げた。
「部屋に来なさい。聞きたいことがある」
「はい」
きょとんとしている○○に、レミリアは一つ大きなため息をついた。
部屋に通されて、レミリアが招くままに、○○はベッドに腰掛けた。
「一体何でしょう……かっ!?」
唐突に、レミリアが首筋に噛み付いてきた。押し倒される形で、血を飲まれる。だが、少量だった。
「私はあまり飲めないからな。この程度でも事足りる」
「はい? はい」
すぐに口を離してレミリアが発した言葉に、○○は頷く。周知の事実だ。
「だが、○○はそうもいかないんだろう?」
「え、と、それは」
「飢えているんだろう。血が欲しいと、そう思っているはずだ」
本心を見抜かれ、○○は狼狽する。確かに、血が欲しい。飲みたい。だが。
「とはいえ、食事はきちんと頂いているんです。これ以上求めるわけにも」
「そうだな、そう言うと思った……」
レミリアは再びため息をついて、○○を押さえつけた。
「……○○は、ここの客人。それはわかってるな?」
「ええ、ああ、はい」
「……客人を飢えさせて、平然とする主人が居ると思う?」
「っ!」
○○は目を見開く。それは予想外だった。考えもしていなかった、というか。
「しかも、貴方は私のしもべ。それを飢えさせている主は?」
「レミリアさん……」
「私は怒ってるの。言わなかった貴方にもそうだけど、気が付かなかった私にも」
静かな瞳に、○○は胸が締め付けられるような思いを感じる。
「欲しいときは欲しいと言いなさい。貴方にはその権利も義務もある」
「……はい」
「血が足りなければ用意させればいいし、誰かに提供してもらうというのもある。わかった?」
「はい……でも、誰かからもらう、というのには、抵抗があります」
○○はぽつりと呟いた。それに、レミリアは首を傾げる。
「抵抗があるっていうのは、やっぱり人間だったから?」
さらなる問いに、○○は困った顔をした。
「……それもある、とは思います。料理に混ぜるならともかく、直には飲みたくない」
「変に強情ね」
「いいでしょう、別に」
○○が顔を背けたので、レミリアも追求を一旦止めた。他にも聞きたいことはあったので。
「それにしても、飢えてたんなら相当な時間でしょう? どうしていたの?」
「……自分の血を飲んでみたり、とか」
「自分を喰うな」
呆れた声で突っ込んで、ふとレミリアは尋ねてみた。
「どうだった? 自分の血を飲むという発想なんて無かったもの」
「死ぬほど不味かったです」
「まあ、そんなところだろうと……ねえ、○○」
レミリアはふと思い当たって、○○の顔を覗きこむ。
「……もしかして、私に遠慮していた? 誰かに血をもらうこと」
「…………」
沈黙は雄弁だった。誰かにもらうということは、誰かに牙を立てること。それは何だか、レミリアを裏切るようで。
それに気が付いたレミリアは、一瞬だけ、怒りや不機嫌とは違った、少し切なそうな光を瞳によぎらせた。
「……馬鹿ね、貴方は。自分が飢えてまで」
「そうかもしれません」
「……○○」
自分の首筋を晒すと、レミリアは○○を引き寄せて牙を立てさせた。
「!?」
「私の血を飲みなさい。貴方を飢えさせたのは私の所為でもあるし。それに、私ならいいんでしょう?」
「で、も」
「食べても、いいの。私が命じてるんだから。口直しには十分と思うけれど」
「……はい」
からかうような語調に頷いて、彼は牙を立てた。
「……っはあ……はあ……そうとう、飢えてたのね。というか、こんなになるまで放置するな」
「すみません」
心の底から○○は謝罪する。身体の上に乗ったまま、レミリアは顔を紅潮させて荒い息をつきながら彼を睨みつけていた。
「でも、楽になりました……」
「まあ、それはそうでしょうね」
息を整えながら、レミリアは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「本当に、貴方は変わらないわね。人間だった頃と同じ。大人のくせに、どこか抜けてて、意地っ張りで、子供っぽい」
「不興を買いましたか?」
「いいえ、変わらないのがさらに気に入った。それに今回のは、私のためというのも気に入ったしね」
先程までの不機嫌が何処へやら、楽しそうにレミリアは彼を見下ろす。
「でも、黙ってたのは感心しない。だから、今宵はずっと私に付き合いなさい――いいえ、今宵といわず、ずっと」
「はい、喜んで」
許しを得たことにほっとして、○○は相好を崩した。
「それと、お腹が空いたときはそう言いなさい。食事の量も増やさせるから」
「はい、わかりました」
「そして――どうしても足りないときは、また、飲ませてあげる」
そう言って、ふい、と顔を背けたレミリアに、○○は目をしばしばさせる。
背けた顔はよく見えないが、耳が赤くなっているのが見えた。
「いいわね?」
「え、と、それは」
「二度は言わない」
それだけを口にして、レミリアは○○の上から下りると彼の袖を引いた。
「今日はもう何も用はないわね?」
「はい、特には」
「では、散歩にでも行きましょう? 今夜は月が綺麗だから」
少し紅い顔のまま、自分に向かって手を伸ばす主に、○○は恭しく従った。
「承知いたしました」
よろしい、とだけ微笑んで、レミリアは部屋を出て行く。
その後ろに付き従って廊下を歩きながら、○○は、飛行も魔法も、もう少し頑張ろう、と心に決めていた。
だって、そうでもなければ、彼女の横に立つには不相応じゃないか。
それを見透かしているのか、一歩後ろから付いてくる○○に向き直って、レミリアは笑顔を見せた。
「次は、私も○○の特訓に加わろうかしら」
「え?」
「だって、私とパチェが一緒に教えれば、効率は上がるわよ」
「……そうですね、では、よろしくお願いします。一緒にいられる時間が長いのも嬉しいですし」
何気なく言ったつもりなのだが、瞬間、レミリアはぼんと音がしそうなほど顔を紅くして、前を向いてしまった。
「馬鹿なこと言ってないで、早く行くわよ」
「……? はい」
何が拙かったのかわからないまま、○○はいつの間にか近くに来ていた咲夜から念のための日傘を受け取って、早足で前を行く愛しい主を追った。
───────────
紅魔館の調理場。目の前の光景に、十六夜咲夜は何と声をかけるべきか悩むように目を閉じて額に指を当てた。
「あれ、咲夜さん。どうしました?」
「いえ、特に用というわけではないのだけど」
幸いにして、向こうから声をかけてくれたので、訊き返すことにする。
「とりあえず、貴方はそういうことをしても死なないと思うのだけど、何しているの?」
「え? ああ、これですか」
青年は、手首に当てた包丁を軽く上げて――自分がどのように見られていたのか気が付いた。
どう見てもリストカットですありがとうございました。
「いやいや、普通にクッキー作ろうとしてたんですよ」
「何故クッキー作るのに手首に包丁を」
呆れ顔の咲夜に、いやいや、とさらに手を振る。
「この前のバレンタインのとき、レミリアさんがトリュフ作ってくれたじゃないですか、血を入れてくれた」
「ああ、あのときの」
「だからお返しに、と」
「それはいいけど、今昼間だから回復力ほとんどないんじゃなかった?」
「あ」
「相変わらずね……」
呆れたまま、咲夜はため息をつく。まあだからこそ、お嬢様も退屈しないのだろうけれど、と心に呟いて。
「今日のおやつとはまた別に作ってますから、内緒ですよ」
「ええ。それにしても、すっかりお菓子職人になってしまったわね」
「それでも半分くらいは咲夜さんがやってる気がしますが」
「まあ、主の客分にあまり料理させるのも従者としてどうかと思うし」
それもそうか、と○○は頷いた。何とも暢気な様子は、まるで吸血鬼とも思えない。
そもそも、進んで料理をしている吸血鬼というもの自体が想像しがたいはずなのだが。
「ああ、そうだ、作り上げたらパチュリーさんのところに行かないと」
「また特訓?」
「いえ、今回は別用で。錬金です」
「……また変なのに手を出してるわね」
「そうでもないですよ。明日のために必要なことです」
ぐ、と握り拳を作って、○○は気合を入れた。
「とりあえず、クッキーを作ってしまわないと」
「……とりあえず、手首じゃないところを切ったらどうかしら」
「はい、出来上がり」
「ありがとうございます」
出来上がった代物に、○○は満足そうに微笑った。パチュリーは○○が丁寧にそれをラッピングしているのを眺めながら呟く。
「だいぶ豪勢に使ったわね、いろいろ」
「それだけの甲斐はある代物だと思いますけれど」
「まあね。私もあまり使わない技法を試せたから一石二鳥なんだけど。だいぶかかったんじゃない? 材料費」
「こつこつためてましたから。ほら、里の手伝いとかで」
「……貴方ほど人に近い吸血鬼も、今まで居なかったでしょうね……」
呆れたようにため息をついて、パチュリーは小首を傾げた。
「しかし、その形なのね。てっきり指輪か何かにするものだと」
「指輪は……その、僕がせめて、レミリアさんに認められるくらいに強くなったときに、と」
「あら、渡す予定はあるのね」
からかうような一言に、○○は顔を紅くして慌てた。いやあのその、と、言葉にならないことを口にする。
「…………意外な反応。面白いわね」
「あまりからかわないでください」
「もう少し落ち着いた対応するかと思ったもの。新たな発見ね。今度レミィをからかうときにも使えるわ」
本気なのか冗談なのか、パチュリーはそう言って微笑った。
「冗談ですよね?」
「さあどうかしら。さて、そろそろレミィが起きる頃よ」
「ああ、ですね。喜んでくれるかなあ……」
「……喜ばないわけが無いと思うけれどね」
心配そうな○○に、パチュリーはもう一度ため息をついた。
「……で、これがお返し?」
目の前の凝ったクッキーを手にして、レミリアは楽しそうに言った。
「ええ」
「……へえ、綺麗。クッキーでもこんなになるものなのね」
しげしげと眺めて、感想を口にする。真ん中に赤い小さな果実が嵌っていて、色もほんのり紅い。
「見た目も凝ってみました。まあ、クッキーなのでできることは高が知れているんですけど」
「それでも美味しそうね。いただくわ」
レミリアが口にすると、サク、と小気味よい音を立てた。焼き加減も上々のようである。
「ん、美味しいわ。流石ね。あ、○○の血も入ってるのね」
「あれ、よくわかりましたね」
「当然よ、お気に入りだもの」
どうやら気に入ってもらえたようで、○○は安堵する。いつもなら自分で味を確かめるのだが、自分の血が入っているため味がわからなかったのだ。
「○○は食べないの?」
「自分の血が入ったものはちょっと。僕には不味すぎて」
「……自分の作ったものが食べれないのは難儀よね。
……そうだ」
「はい? ……っ!?」
いきなりクッキーを咥えさせられて、○○は驚く。
「そのままにしてなさい」
そう言って、楽しげな笑顔のまま、レミリアは座ったままの○○に近付き、咥えている側とは反対から食べ始める。
サクサクと良い音を立てながら食べ、僅かに○○の口の中にあったクッキーまで、舌でぺろりと舐めるように食べてしまった。
「…………」
突然のことにフリーズしたままの○○に、レミリアは悪戯っぽく囁いた。
「どう? これならそのクッキーも甘かったんじゃない?」
「……わかりませんよ、そんなの」
「あら、じゃあもっと食べた方が良いわね」
そう言って、再び○○の口にクッキーを咥えさせる。その辺りで、彼も気が付いた。
……これは、バレンタインのときと同じことをさせようしていますかもしかしなくとも。
「じゃあ、いただきます」
近付いてくる恋人の顔を見つめながら、彼は固まり続けるしかなかった。
半刻程後、クッキーがほとんどなくなるまで同じことが繰り返された。
最後の方には彼も開き直ってレミリアに応じて(抱きしめたりキスを返したりして)いたが、その辺りで恥ずかしさが出てきたらしく、最後の方はレミリアも顔が紅くなっていた。
自分はといえば言うまでも無く。さぞ不思議な情景になっていることだろうと、○○は思った。
「ごちそうさま。美味しかったわ」
「お褒めに預かり恐悦至極」
顔は紅いが、機嫌はそう悪くはないらしいレミリアに微笑み返して、○○はポケットの中のものを確かめた。そろそろ頃合いだろう。
「あの、レミリアさん」
「何?」
「もう一つ、その、プレゼントがあるんです」
「へえ、何かしら?」
興味を示すレミリアに、○○は胸のポケットから綺麗に包装した箱を取り出す。
「どうぞ」
「開けるわね」
手に取るが早いか、するすると丁寧にレミリアが箱を開けていく。器用だとは思っていたけれど、ここまで鮮やかに開けられるとは思っていなかった。
「これ……ネックレス? いえ、ペンダントかしら」
「ええ」
レミリアは取り出したペンダントを手に乗せ、先端に付いている紅い石を見て目を細めた。
「変わった石……稀石ね。ん……ああ、錬金したのか。なるほど」
「いかがでしょう?」
「いい色ね。それに、いつ着けていても邪魔にならない大きさ。あ、私の首のサイズに合わせてあるのね。知ってたの?」
「ああ、ええ、まあ。その、これくらいかな、と。僭越ですけど、抱きしめさせてもらってるときの感覚で」
「……そ、そう、ね」
何かを思い出したのか、顔を紅くして、互いに何となく目を逸らす。
「着けてもらっていいかしら?」
「はい」
立ち上がって、○○はレミリアの後ろに回り、ペンダントを付ける。胸元で、紅い石が踊った。レミリアはそれを手で弄びながら、彼を振り返って笑顔を見せる。
「最近、パチェと何か創ってたのはこれだったのね」
「知ってたんですか?」
「まあね。ちょっとは気になってたのよ」
「……もしかして、妬いてました?」
「そ、そんなわけないじゃない」
素直な反応が嬉しくて、思わず頬が緩む。それにむっとしたのか、レミリアが頬を引っ張ってきた。
「腹立つわね、そういう顔されると」
「痛い痛い、引っ張らないでください。でも、内緒にしていたかったんです」
「それは、わかるけど……まあ、いいわ。これ、気に入ったしね。不思議、光に透かすと少し色が変わるのね。いえ、光が虹のようになるのかしら?」
「僕はまだ居ませんでしたけど、紅霧異変のときのレミリアさんの霧が、そんな風に輝いていたと聞いて。月光に透かすと、もっと鮮やかになるはずです」
「どれだけパチェに注文付けたの?」
「かなり。外の本拾ってくるのとか、材料の関係とか、新魔法の実験とかで手を打ってもらいました」
「あまり無理させないでね。パチェは身体弱いんだから」
親友をそう気遣って、それにしても、と彼女は小首を傾げて尋ねる。
「ペンダントを贈るのって、確か独占欲の表れ、じゃなかった?」
「……そんな意味あったんですか」
「俗説か迷信か、だけれどね。でも……」
レミリアは○○に向き直ると、その首に腕を回して抱きついた。
「貴方はどうなの? 私を独占したい?」
「…………みなまで言わせますか」
「もちろんよ。言いなさい」
レミリアの甘い強請りに、○○は観念して両手を挙げた。
「……無論、独占したいです。貴女を愛しているから。僕だけを見ていて欲しい」
「……ん、合格。そこまでの言葉をもらえるとは思ってなかったけど」
胸に顔を擦り付けてくるレミリアの頭を○○は撫でる。真っ赤になっているだろう自分の顔を空いている手でぱたぱたと仰いだ。
レミリアの表情は見えないが、どうやら照れているらしい。自分で言わせたのに、と微笑ましくなってくる。
「そうね、このペンダントのお礼もしたいし、今日は貴方に独占されるのもいいかもね」
「何気に凄いこと言わないでください。それに、それもホワイトデーのお返しなんですから」
「あら、私はトリュフしか渡してないけど?」
「三倍返しが基本と言われてるんですよ、外では」
「じゃあ、前言撤回ね。いつもの三倍、貴方をもらわないと」
紅い顔のままパタパタと羽が楽しそうに動いている。やれやれ、と心の中だけで肩をすくめて、○○はあえて尋ねた。
「……それは血でしょうか?」
「貴方を全部、よ」
「……では、レミリアさんのお好きなように」
「ええ、好きにするわ」
そう口にして、レミリアは背伸びをすると、○○に口付けた。
――後日。
「あら、今日は魔理沙も来てるのね」
「おお、邪魔してるぜー」
お茶をしに図書館にやってきたレミリアは、雑談しているパチュリーと魔理沙を見つけた。
「さも当然の如く受け入れないで。レミィも」
「なんだか慣れちゃったわ、もう」
「そうだそうだ、パチュリーもいい加減慣れろよ」
「貴女が言わないで」
そんなこんなで小コントをしているうちに、咲夜と○○が紅茶と菓子を運んでくる。
「あら、来ていたの」
「咲夜、やはり鼠が多すぎるわ」
「まあまあ、多めに見ろって」
「だから貴女が言うなと」
楽しそうなやりとりに笑って、○○はスコーンをテーブルに置いた。ささやかな茶会が始まる。
「あれ、レミリア。お前そんなのしてたか? そのペンダント、変わった代物だな」
「ああ、これ?」
「魔理沙、余計に突かないほうが良いわよ。延々惚気を聞かされるわ」
「そうかしら?」
そうは言いつつも、レミリアからはパチュリーに十分な感謝の念がある。
パチュリーもそれを気付いている。ただ口にしないだけだった。
「ほう、ということは、○○からのプレゼントか何かか」
「ええ、そうよ」
「まあ、そういうことです」
「ハモるな。あー、はいはい、大体わかってきた。大変だな、パチュリー」
「同情してもらえて嬉しいわ。ついでに分かち合ってくれるともっと有り難いのだけど」
「私はそこまで甘党じゃないんでね」
くすくすと楽しげな笑みが交わされ、穏やかで賑やかな談笑が始まる。
そんな中、レミリアの胸元には、美しく鮮やかな紅い稀石が煌めいていた。
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最終更新:2010年05月23日 08:51