外界篇


「○○ー、次はこっちー」
「はいはい、慌てないでくださいね、人が多いんですから」

 ○○の腕を引くレミリアを、彼は優しくなだめた。

「あら、大丈夫よ、貴方が手を引いていてくれるんでしょ?」
「まあそうですけれど、それでも気をつけてくださいね」

 そう微笑んで、彼は楽しそうな彼女に日傘を差し掛けた。
 どちらかというと、腕を引かれているのは彼の方なのだけど。




 八雲紫主催の神無月外界旅行。
 暇を持て余していた紅魔館の主が食いつかないはずも無く。
 一も二も無く、彼自身が直接八雲藍に申請書を手渡しに行くことになっていた。

『お前も大変だな』
『いえいえ、好きでやってますので』

 という会話を交わしたことは内緒である。




「○○、あれは何?」
「ああ、冷やした鉄板の上でアイスを作ってるんですよ」
「……?」
「食べてみます?」
「ええ」

 繁華街の中。騒がしい場所だが、遊ぶには事欠かない。
 本来はもう少し静かな場所もあるのだけれど、それは夜に回すとしよう。
 それに雨になれば動けなくなるのだから、天気の良い日には出来るだけ出歩くに限る。
 いや、晴天も、決してレミリアと○○にとって『良い天気』とは言えないのだが。

「はい、どうぞ」
「ありがと、○○」

 嬉しそうに受け取って、レミリアはアイスに口をつける。
 外界に出るに当たり、彼が一番心配していたのは彼女の羽のことだったのだが。

『これが問題なら、霧化させておけば良いでしょう?』

 そうこともなげに言い放ったので、彼の心配は杞憂に終わった。
 少し不自然に二人の周囲が紅いのはどうしようもないけれど、人が気に止めるほどではないのは幸いであった。
 その代わり。

「あら、どうしたの、さっきから周りばかり気にして」
「いえ、何も」
「変なの。一口食べる?」
「……ええ、いただきます」

 レミリアが差し出すアイスに口をつけながら、彼は周囲の視線が痛いほどこちらに集中するのを感じていた。
 常人離れした美少女とどこか冴えない青年の二人組の旅行者は、とにかく目立つのであった。




「帰ったらパチェに頼んで作ってもらおうかしら……」
「それもいいかもしれませんね」

 言いつつも、○○は周囲が気になって仕方が無い。

「○○、どうかしたの?」
「いいえ、久しぶりだなあと思いまして」

 そう応えつつ周りを見る。久しぶりなのは正しいが、本心はそうではない。
 レミリアに好奇の視線を送る者達が気に入らないのだ。自身に対する妬みの視線は気にならないが。
 いつもの服装ではなく、外に出る様に誂えた、淡い紅のワンピースにカーディガンを羽織った服装。
 ごく普通の服装のはずなのだが、それでも彼女が着るとそれだけで映える。
 初見のとき、思わず抱きしめそうになったことが記憶に新しい。気の利かない言葉で褒めることしか出来なかったが。

「そうね、懐かしい?」
「まあ、確かに懐かしくもありますが……」

 こんなに街は騒がしかっただろうか。まだ離れてそう経ってないはずなのにそんなことも思ってしまう。

「じゃあ、いろいろ回りましょう?」
「え?」
「貴方が外でどういうものを見てきたのか知りたいわ。案内して頂戴」
「はい、喜んで」

 指を絡めるように手を繋いできたレミリアに、少し照れながらも彼は頷いた。




 外に出るのに許された期間はそう長くなく、また二人は天候にも左右される。
 だからこそ、昼夜問わず様々な場所を巡った。




「○○、これはどうー?」
「いいんじゃないでしょうか?」
「もう、そればっかり……あ、こっちは?」
「ちょ、そっち下着ですから! 僕入れないですから!」




 服を見に行ったり。




「ん、このケーキ美味しい……作り方わかる?」
「これですか? まあ、たぶん。そういう本も買って行って、咲夜さんに作ってもらいますか?」
「ええ、そうするわ」




 喫茶店でお茶をしたり。
 



「意外と、静かね」
「ええ、まあ、人も若干いますが……この河原は、結構穴場なんですよ」
「渡れないけどね」
「まあそうですけど、でも、こうして静かに虫の声を聞くと言うのも、風流でしょう?」
「そうね……悪くは無いわ」




 そう、二人で他愛も無い話をしたり――




 限られた時間のデートを、目一杯楽しんでいた。




 だが、それでもたまには天候に祟られるわけで。




「雨ね……」
「ええ、今日は大人しくするしかないですね」

 残念そうに外を見るレミリアの隣で、○○がポットを手にしていた。
 宿泊先など諸々のことも紫の手配なので問題はほぼ無いが、天候だけはどうにもならない。

「ま、こちらに来てから動きっぱなしだし、たまにはいいかしら」

 そう、いつものように羽を現して、レミリアが椅子に座った。彼はその前に紅茶のカップを置く。

「咲夜さんのようにうまくないですけれどね」
「精進なさい。貴方の味も嫌いじゃないけれどね」

 雨音を聞きながら、静かにお茶の時間が過ぎて行く。
 しばらくして、レミリアがふと口を開いた。

「ねえ、○○。貴方は後悔していない?」
「? 何をでしょうか?」
「何度目の問いになるか、もうわからないけれどね。吸血鬼になったことよ」

 そう、カップを指先で弾く。安物だからか、あまり良い音は鳴らなかった。

「こちらに来て、貴方が喪ったものを見たわ。もう貴方はこちらには戻れないけど、でもだからこそ」

 目を細めて、彼女はそっと告げる。

「心配になったのよ。貴方が全てを憂えないか。自分の運命を厭わないか。私に――」

 そこまで言ったレミリアは、不意に正面から自分を包んできた腕を感じて、目を瞬かせた。

「○○?」
「僕は」

 はっきりとした声で、彼は言葉を紡ぐ。

「貴女に逢えて、貴女の側に居られて、居続けさせてもらえて、とても幸せなんですよ」

 顔を覗き込むように、優しい声色で。

「何度でもお答えします。僕は微塵も後悔していない。後悔しない。

 人間を捨てたこと、貴女の側に在り続けること――これがもし、運命だというなら」
 彼女にとって極上の微笑で、彼は告げた。

「僕もまたそれを望む。貴女と一緒に居られるなら、僕は何だって望む。嘘偽りなんてない、本当の気持ちです」
「○○……」

 レミリアは○○の背中に手を回すと、強く抱きついた。

「ありがとう、○○。少し心配になったの。街を眺め続ける貴方を見て。懐かしいという言葉を聴いて」

 生を無為に思ってしまうことほど、永遠を生きるものにとって恐ろしいものは無い。
 自分自身にさえ意味を見出せなくなる――彼がそうなってしまうことが、レミリアには怖かった。

「お礼を言うのは、僕の方ですよ。そしてすみません。ご心配をおかけして」

 言葉の後半が微妙に申し訳なさそうな響きを持つことに気が付いて顔を上げると、彼は何ともいえない表情をしていた。
 問いただすレミリアに、彼はここ数日の、周囲からの好奇について白状した。

「気が付かなかったわ。でも、悪い気分じゃないわね」
「僕には不本意ですよ」
「ああ、そういうことじゃなくて。貴方がそういう思いを抱いてくれてた、ということが、よ」

 その言葉に少し顔を紅くして、当然でしょう、という彼に、レミリアは満足気な想いを持つことが出来たのだった。

「何だか、眠くなってきたわ」

 ほっとしたからだろうか、ここのところあまり寝ていないからか、軽く目をこすってレミリアは呟く。

「今日はすることももうないし、休むわね」
「ええ、では僕は――」

 どうしていましょうか、という言葉は、不意に再び抱きついてきたレミリアの唇に塞がれた。

「貴方も一緒に寝るの」
「え……ええ?」
「貴方は私のものなんだもの。だから」

 甘えるように彼の胸に擦り寄る。少し戸惑っていたらしい彼も、やがてそっと優しく抱き返してくれた。




 この愛おしさが、何よりも一番大事なもので――この旅の一番の想い出となることを、二人は確信していた。







「咲夜にはこれ、パチェにはこれで、美鈴はこれ……ああ、フランには何にしようかしら、どれが気に入ってくれるかしら……」
「レミリアさん、決まりました?」
「もう少し待って。○○は?」
「大体は。霜月初めの宴会用のも買っておきましたよ」
「ん、ありがと」

 応えながら、レミリアはまた土産物の物色にかかった。
 旅行の最終日。もうすぐ紫が迎えに来る手筈になっている。

「んー……これがいいかしら」

 ようやく決めてきたレミリアに微笑んで、彼は恭しく手を取った。

「それでは、これは僕から」
「え?」

 可愛らしい紅色の縮緬作りの巾着を、そっと手に提げさせる。

「折角の旅行ですから、何か思い出の品などあった方が良いと思いまして」
「あ、えっと、うん、ありがと、○○。嬉しいわ」

 照れたように微笑むレミリアに満足そうに頷いていると、後ろから声がかかった。

「あらあら、相変わらず熱いわね」
「紫さん」
「もう、少しは空気読んだらどうなの? あの龍宮の使いみたいに」
「それは失礼。でもそろそろ帰る時間よ」

 紫は悪びれずにくすくすと笑うと、スキマを開いて二人に道を示した。

「ま、楽しかったわ。そろそろ館も放っておけないしね」
「ありがとうございました」
「いえいえ、来月初めの宴会、楽しみにしていてね」

 言葉に少しの違和感を感じたが、それが何かわからないうちに、彼は再び尋ねられた。

「どうだった? 外界への里帰りは」
「そうですね、敢えて言うなら『故郷は遠くに在りて思うもの』でしょうか」

 それに、と○○はレミリアに視線を向けて軽く笑む。

「僕の帰る故郷はもう幻想郷ですから」
「ふふ、まあいいわ、そういうことにしてあげる。幻想郷、の部分に別の地名が入りそうだけどね」

 紫は再び笑って、さあ、と彼らを促した。




「ねえ、○○」
「はい」

 前を行くレミリアが、不意に話しかけた。

「貴方の帰る場所は、私よ」

 くるりと振り向いて、少し不満そうにしながらも、傲然と言い放つ。

「貴方の居る場所は私の傍。ずっと、ずっとよ。いいわね」

 ああ、と彼は思う。なるほど、先ほどの会話の、帰るのが幻想郷というのが気に入らなかったのか、と。
 そんな小さな我儘と嫉妬が嬉しくて、彼はレミリアの頬に手を伸ばした。

「はい、かしこまりました。僕はずっと、永遠に、貴女の傍に」
「よろしい」

 微笑んだレミリアに、彼はそっと口唇を重ねた。





 後日宴会の席で面々の旅行中のことが暴露され、照れと怒りでレミリアがまた暴れ、それを何とか彼が宥めるのだが――
 それは別の、ちょっとした余談である。


新ろだ53

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 在るがままで居てくれればいい、とは思う。
 そのまま、のんびりとしたままで居て欲しい、とは思う。


 それは紛れもない本心。


 それでも、種族的なもの等のしがらみがないわけではなく。
 少しくらいは、と望むのは、贅沢ではないと、思いたい。






 紅魔館のティールーム。何となく集まって何となく談笑する、いつもの光景。

「外の世界の本はどうなのかしら。最近紙が少なくなってきたって言うけど」
「紙の本もきちんとありますよ。ただ、そうですね、電子媒体も増えましたからねえ……」

 とりとめない話をする中、唐突に扉が大きな音を立てて開いた。

「あら、フラン。いつも言ってるでしょう、ノックを――」

 レミリアが言い終わる前に、入ってきた存在、フランドールは満面の笑みを浮かべて――

「おにーさまーっ!」
「グッ……!?」

 心底楽しそうな呼びかけと共に、○○の背中に突撃を敢行。
 盛大な紅茶の霧が辺りに舞って、綺麗な虹を映し出した。




「ごほ、けほ、こほ……」

 盛大に紅茶を噴き出した○○は、テーブルに伏せて背中を押さえている。
 別に、驚いたわけではない。いやまあ、驚きも十分以上にあるのだが。

「……大丈夫?」
「せ、背骨がずれました……」

 なってて良かった吸血鬼。いや本当に。
 吸血鬼じゃなかったら、大怪我では済んでいないだろう。

「まあ、夜だしすぐに治るでしょう。ところで、今のは何? フラン」
「え? だって魔理沙が」

 動揺しているのか、○○を放って尋ねたレミリアに、フランドールは大したことでもないように答える。

「『○○はレミリアの旦那なんだからお前のお義兄様だろ?』って」
「あの黒白ネズミ……」
「呼んだか?」
「居るのか!」

 よっ、とばかりに現れた魔理沙に、反射的に突っ込む。

「あんたはフランに一体何を吹き込んでる……」
「あー? 私は別に嘘を教えたつもりはないぜ」

 にやにやと笑いながら魔理沙は応じた。

「だってそうだろ? 何よりも大事にしてる奴なんだから」
「ちょっと待ちなさい、どうしてそういうことになってるのよ」
「みんな言ってるぜ?」
「勝手に決めるな」

 言いつつ、レミリアはふいと顔を逸らす。照れ隠しであることを知ってる面々は敢えて何も言わない。

「お姉様、違うの?」
「違うわよ、まだ」
「まだ?」

 にやにやしながら言葉の端をあげつらっていく魔理沙をきっと睨んで、レミリアは声を上げた。

「だ、第一、○○は全然力量が足りてないもの」

 何か鉾先が向いたことを感じて、○○は顔を上げる。

「魔力も弱いし弾幕も撃てないし、半人前もいいとこよ」
「まあ、確かにそうですが……」

 そこまできっぱり言われるとさすがにへこむものを感じるのか、彼は少し微苦笑する。

「なら、鍛えてあげればいいということになるわね、レミィ?」

 それまで本に目を落としていたパチュリーが不意に声をかけた。

「ん……まあ、そう……なるかしら」

 少し歯切れの悪い言葉に、魔理沙とフランドールが顔を見合わせる。

「それじゃあ、私達で鍛えてやればいいんだな」
「そーだねー。弾幕ごっこだね、○○!」
「え、あれ? 何でそういうことに?」

 何だか話が妙な方向を向いたことを感じた○○は、驚いた声で二人を見る。

「だってそういうことだろ? 今の話」
「それに、○○も今は吸血鬼だもんね。弾幕勝負できるでしょ?」
「いや僕は……」

 弾幕なんて撃てないのですが、と言う前に、ふむ、とレミリアの声がした。

「ま、鍛えるのには丁度良いかもしれないわね。咲夜、貴女も手伝いなさい」
「かしこまりました、お嬢様」
「魔力の素地も才能もないけれど、まあ努力の価値はあるかもしれないしね」

 パチュリーが何気に酷いことを言った。あの、とおずおずと彼は手を上げる。

「……僕、弾幕撃てないのですが? というかそもそも飛ぶのも……」


 その言葉に、吸血鬼と魔女の親友コンビは顔を見合わせて頷き、素敵な笑顔を向け――。


「ねえ、○○」
「気合避け、って素敵な言葉よね」


 ――大変御無体な言葉を彼に放った。


「…………それは」
「さ、○○、始めようか」

 楽しそうな声で、魔理沙が○○の肩に手を置く。

「……御手柔らかに、願います」
「安心しろ、最初から全力だ」
「あー! 魔理沙、私からだよー!」

 既に部屋の外――ホールの方に向かっていたフランドールの、嬉々とした声が聞こえてくる。
 紅魔狂の始まりを確信して、○○は大きく息をついた。今日一日、自分は無事に過ごせるだろうか。





 明け方、ベッドの上で、仰向けになって青年が呻いている。

「……トラウマになりそうだ……」
「大丈夫?」

 少し心配気に覗きこむレミリアに、彼は僅かに苦笑して頷いた。

「遠くで見ている分は綺麗なんですけど」
「あら、弾幕る方も楽しいわよ?」

 ぱたぱたと羽をはためかせ、レミリアは○○の胸の上に顎を乗せて楽しそうに微笑む。

「まあ、すぐに無理は言わないわ」
「そうしていただけるとありがたいです。何せまだ」
「ええ、わかってるわ」

 レミリアは体勢を変えると、○○の枕元まで来て彼の頭を膝の上に乗せた。

「……これは、何かのご褒美ですか?」
「そうね、初日にしては頑張ったし」

 ○○の頬に手を当てながら、レミリアは、でも、と言葉を繋ぐ。

「少しは頑張って欲しいというのも本当よ。この私の血を受けた眷属だと言うのに、ここまで力量がないと威厳に関わる」
「承知しているつもりです」
「一朝一夕に、なんて無茶は言わないわ。貴方はまだ人間に近しいし。でも、いつか」

 そう、いつか。たとえ十年掛かろうが百年掛かろうが。

「いつかは、私の隣に堂々と並べるくらいになってくれるわよね?」
「努力します。僕も、そうなりたいですし」
「待ってるわ。気長にね」

 それはきっと、退屈しのぎにもなるだろう。この永き生の、ちょっとした慰みにくらいには。






 日付が少し経過して、黒白の魔法使いが再び紅魔館を訪れていた。

「よ、メイド長」
「魔理沙また来たの……って、珍しい、今日は正面からなのね」
「ああ、今日は正式な客だぜ? パチュリーの」
「まあそれなら。でも今ホールは危険よ?」

 咲夜の言葉に、魔理沙が首を傾げる。

「どうしたんだ? 妹君がご機嫌斜めか? それともパチュリーの実験か?」
「それだったらまだマシな方ですわ」

 瀟洒な従者は苦笑を微笑みに隠して、魔理沙を案内する。

「おお、何か凄い音してるな」
「よりにもよってこんなときに真正面からなんて、貴女もタイミングが悪いと言うか何と言うか」

 ホールの方向から派手な音が響いていた。時折声も聞こえるが、何を言っているのかはわからない。

「わざわざ他のメイド達が入れないように空間も遮断してたって言うのに」
「あ、だから今も広さが違うのか。というか何があったんだ?」

 魔理沙の問いには直接答えず、咲夜はホールを示した。そこでは――




「こら、○○! これくらい避けれるでしょう!?」
「無理! 無理ですって!」




 ――Lunatic並みの弾幕が飛び交っていた。
 ただでさえ紅いホールが、レミリアの弾幕でさらに紅く染まっている。

「おー、派手にやってるじゃないか」
「もうこの四半刻ほどずっとこうなのよ」
「頑張るなー」

 魔理沙もたまに○○の弾幕訓練(決して勝負ではない)に付き合っていたので、現状は飲み込めたようだった。

「でも何でまたお嬢様はご機嫌斜めなんだ?」

 レミリアの機嫌が悪くて、それに○○がつき合わされているのも理解できる。できるのだが。

「まあ、元々の原因は○○さんよ。現在の発端は私だけど」
「何したメイド長」
「少し唆しただけよ」

 何事もないかのように言いきって、咲夜は微笑して呆れた様なため息を漏らした。




 その間も、激しい弾幕は続いている。

「獄符「千本の針の山」!」
「それ死んじゃいますから!」
「吸血鬼でしょ! 大丈夫よ!」

 ○○に欠片も余裕が無いのが見て取れる。そもそも飛ぶのすら上手く出来ない青年だ。

「あ、被弾ー」
「何度目かしら」
「前も思ったがタフだなー」

 それをのんびりと眺めやる少女二人。

「でも正直よくかわしてるわ」
「そうだな、最初とはえらい違い……というか、原因は何なんだ? あの痴話喧嘩の」
「実は全部つながるんだけどね」

 咲夜が再び微苦笑した時、弾幕勝負に変化が生じた。




「…………」
「どうしたの○○! 行くわよ!」

 紅蝙蝠「ヴァンピリッシュナイト」。蝙蝠が音を立てて飛び回り、ナイフ弾を形成して行く。

「……もしか、して」

 ナイフが額を掠めたことにも構わず、○○はレミリアに向かって突っ込んでいった。

「え、ちょっと!?」

 蝙蝠とナイフ弾をグレイズしながら一目散に近付いて、彼は囁くような声で言う。

「怒っておられますか」
「……今更、気が付いたの?」
「ええ、今更です、でも」

 口ごもって、それでも彼はレミリアを真っ直ぐに見て、その腕を掴む。

「……接触は被弾扱いのはずだけど」
「それでも構いません」

 そして、少しだけ唸ると、大きく息をついてすまなそうに言った。

「ごめんなさい。何が悪かったのか、今でもわからない」
「そこまでは気がつかなかったのね」
「すみません」
「…………最近」

 弾幕を止め、蝙蝠を身に返しながら、レミリアが呟いた。

「最近、フランやパチェと弾幕勝負してばかりじゃない」
「ああ、ええ、訓練にと」
「だから! ……あまり、構ってもらえてない、私は」

 拗ねたような口調で、レミリアは○○から顔を逸らす。
 がつんと殴られたような表情になった後、彼はレミリアを引き寄せた。レミリアも抵抗せず、腕の中に収まる。

「すみません、本当に」
「全くね。主を放っておくなんて」

 拗ねたような言葉には、それでも不安が滲み出ていて。

「……寂しかったですか」
「…………」

 沈黙は雄弁だった。擦り寄るように頬を彼の胸に当ててくる。それだけで十分すぎた。

「すみません」
「謝れば、いいってものじゃないわ……」
「それでも、です。ごめんなさい、やはり僕は、焦っていたのかも」

 ○○はゆっくりと言って、レミリアの顔を覗きこんだ。

「早く貴女に認められたくて、それで」
「……それで私を蔑ろにしてちゃ駄目じゃない……」
「ええ、そうなのですけれど、でも」

 それでも。その言葉の先をわかったかのように、レミリアは切なげに彼を見つめた。
 力のない、人間とあまり変わらない吸血鬼。愛しい者の傍にいるためだけの。
 だからこそ、せめて隣に並び立てないまでも、認められるくらいに。

「……馬鹿ね、言ったでしょう? 慌てなくて良いと。何十年をかけても良いと」
「……はい」
「大丈夫、私は愛想を尽かしたりなんかしないから」

 逆に抱きしめられて、○○は低く何事か唸って頷いた。

「ゆっくりでいいの。貴方が吸血鬼らしくなるのにも」
「はい……ありがとう、ございます」
「でも」

 身体を離して顔を見上げて、レミリアは軽く微笑して言い放った。

「それとこれとは別の話。私を蔑ろにしてた分は、どう補ってくれるのかしら?」
「あー、えーと」

 ○○は一瞬迷って、レミリアの頬に手を添えた。

「これで、如何でしょう?」
「ん、まずは及第、ね」

 優しい口付けを受け入れるようにしながら、レミリアは満足気に微笑んだ。




「……御馳走様」
「あら、もういいの?」

 目の前でキスシーンを見せ付けられて、魔理沙がなんとも言えない表情で呟く。

「よくお前らあれに耐えられるな……」
「あら、まだマシな方よ?」
「普段がどうなのか、考えないようにしておくぜ。で、発端は?」
「今語ってた通りよ」
「それはわかったんだが、咲夜がけしかけたとかいう」
「ああ、お嬢様が最近寂しそうだったから、それとなく○○さんに伝えたんだけど」

 そこまで言われて、魔理沙は一つ息をついた。

「わかった。あいつ、何か惚けたこと訊いたんだな。変に鈍いから」
「ご名答」
「よくお前が怒らなかったなあ」
「まあ、じゃれあいみたいなものだからね」

 そんなもんか、と頷いてホールを見上げて、まだいちゃついている二人に魔理沙は軽く呆れた。

「というか、私達が居ること気が付いてないだろあれ」
「居ても気にしていない、の方が正しいと思うわ」

 慣れきった様子の咲夜に首を振り、魔理沙は軽く呻いて図書館に足を向けた。

「あー、甘い甘い。メイド長、私の分の紅茶には砂糖はいいや。先に行ってるー」
「はいはい」

 図々しい注文に苦笑して、咲夜もその場から消えた。





「ん……先に行ったみたいね」
「え、ああ、魔理沙さんと咲夜さんですか?」
「パチェが呼んだって言ってたから。何かあったのかな」

 彼の腕の中で小首を傾げ、そして柔らかに微笑む。

「さ、私達も行きましょう。咲夜の紅茶で一休みとしましょ」
「ええ」

 するりと抜け出して、彼の腕を引く。機嫌はもうすっかり直っていた。

「今日の紅茶は何でしょうかね」
「さあ、苦くないと良いのだけど……まあ、でも」

 いきなり彼を引き寄せて、レミリアはその口唇を塞ぐ。

「こちらの方が甘いから、多少苦くてもいいけどね」
「……はい」

 不意打ちに照れる彼を満足気に見て、微かに自分の顔も紅くなっているのを誤魔化すように、行くわよ、とレミリアは促した。






 この後の図書館で、彼の膝の上に座って上機嫌のレミリアに、魔理沙は何とも形容し難い表情を向けることとなるのだが――
 どうしたの、とあっさりレミリアに涼しい顔で受け流され、濃い目の紅茶をお代わりする破目になったのだった。
 後に曰く、『紅魔館の菓子が糖分控えめになった理由がわかった』ということだが、これはまあ、ちょっとした余談である。


新ろだ99

───────────────────────────────────────────────────────────

「Trick or Treat!」

 楽しげな声が、調理場に飛び込んできた。

「妹様、お菓子はまだですよ」
「あら、咲夜はTrickの方が良いの?」

 ふふ、と無邪気に笑いながら、咲夜の周囲をフランドールがくるくると回る。

「こらフラン、あんまり咲夜を困らせないの」

 後ろから入ってきたのは、館の主、レミリア・スカーレット。

「お嬢様。お菓子はもう少しですわ。パーティには十分間に合いますので」
「ええ、大丈夫。つまみ食いなんてしないから」

 そう言いつつ、レミリアは楽しそうに調理場の中に視線を巡らせた。
 目当ての存在を見つけたのか、その紅い瞳が輝く。だが、すぐにそちらには向かわず、咲夜に声をかける。

「量は十分?」
「はい。妖精メイドも導入しましたし、今年は何より」

 咲夜はその意を汲んだのか、奥のほうで作業していた青年の方に注意を向ける。

「お菓子作りが趣味って言ってたものね」

 レミリアも満足そうな、だがどこか甘みを含んだ声で頷いた。
 その言葉が交わされた辺りで、ボールの中のクリームを確かめていた彼が近付いてきた。

「んー、こんなもんかなあ……ああ、レミリアさん、フランさん、どうも」
「○○、○○、まだ出来ないの?」

 フランドールの言葉に微笑んで、○○は頷く。

「もう少しですから、待っててくださいね」
「もう、咲夜も○○もそればっかり……」

 拗ねるフランドールの格好と、隣で笑っているレミリアの格好を改めて見て、彼は少し言葉を失った。
 ――――どうして猫耳と尻尾が付いているのでしょうか。
 心の中だけの疑問は、あっさり解消された。

「ああ、この耳? いつもと趣向を変えてみてね、ワータイガーなのよ」
「……ワータイガー?」
「人虎だよ、○○知らないの?」
「いやまあ、言われたらわかりますが」

 二人がつけていると、トラ猫の耳をつけているように見えるのだけれども。
 言葉にはせず、○○は咲夜に視線を送った。

「いいですかね、一枚くらいなら」
「その辺りは全部○○さん任せだから、足りるなら良いわよ」
「では」

 ○○は調理台の上からクッキーを二枚つまむと、二人の前に立った。

「それでは、悪戯されないうちにお二人に先に一枚ずつ」
「いいの!?」

 頷かれて、フランドールは嬉しそうにクッキーに口を付けた。

「いいのかしら?」
「量は大丈夫ですから。折角来ていただいたのに、手ぶらでは申し訳ないですし……今日はハロウィンですから」

 微笑みが心持ち柔らかくなって、レミリアは少し満足したような声を上げる。

「では、いただくわ」

 サク、と小気味よい音を立てて、レミリアもクッキーを口にする。
 柔らかな甘味が口の中に広がって、彼女は感嘆の息をついた。

「美味しいわ、○○」
「ありかとうございます」

 レミリアに恭しく礼をしたところで、フランドールが話しかけてくる。

「○○、もっと頂戴?」
「今は我慢です。後でたくさん持って行きますからね」
「はーい」

 声は渋々だが、表情は明るい。余程気に入ったらしいことが周囲にもわかって誰知らずほっとする。

「そうだ、準備を急ぎなさい」
「ですが、まだお時間はあるはずですけれども」

 咲夜が首を傾げると、レミリアは楽しそうに笑みを浮かべた。

「貴女達も仮装するの。そこの妖精メイド達もね。さっさと終わらせてしまいなさい」

 急に声をかけられて、妖精メイド達があわあわしはじめる。直に声をかけられるのはやはり怖いらしい。

「では、一度この場は僕が持ちましょう。出来た分を運ぶ等は咲夜さんに監督してもらって。よろしいですか?」
「ん、そうね……それがいいかもね」

 咲夜は何気なく視線を巡らせて一つ頷く。

「それでは、お嬢様、失礼致します」
「ええ、よろしくね、咲夜」
「私もついてくー」

 フランドールが咲夜に着いていき、びくびくしながらも妖精メイド達も台車を運んでいく。
 それを見送りながら、二人きりになった調理場で○○は仕上げに掛かった。それを、興味深そうにレミリアが覗きこむ。

「難しそうね」
「意外と、覚えてしまうと簡単ですよ。楽しいですし」

 てきぱきと出来上がった菓子を並べ、○○は、そうだ、と頷く。

「もう一つ、味見をお願いして良いですか? さっき作ってたクリームなんですけれど」
「ええ」

 嬉しそうに頷いたレミリアは、○○が自分でも味見をしようと指先に取っていたクリームを、指ごと口に含んだ。

「んー……ちょっと甘めね」
「………………まあ、スポンジがそう甘くないので、その釣り合いを取るために、ですね」

 彼が微妙に照れたような表情をしたのを楽しげに見て取り、レミリアは言葉を続けた。

「でも、それ以上に美味しいわ。パーティが楽しみね」
「ええ……ところで」
「ん?」
「僕も、何かするんでしょうか」
「当たり前でしょう? 今日はハロウィンだもの」

 楽しそうに言った主に、彼は心の中だけで両手を挙げた。




 方々から人を呼び寄せたハロウィンパーティは、つつがなく始まった。
 仮装している者も多く、見ているだけでも十二分に楽しめる。

「よ、○○。何だ、お前も仮装か?」
「向こうで犬になってる咲夜と猫になってるパチュリーがいたけれど、今年の紅魔館はそういう趣向なの?」
「魔理沙さん、霊夢さん、いらっしゃいませ。そういうわけじゃなかったはずなんですが……」

 そういう彼の頭にも、犬科の耳が生えている。どちらかというと、狼のそれに近く見える。

「尻尾まで生えてるのか。狼男か?」
「らしい、です。気が付いたらパチュリーさんに魔法かけられてました」

 困ったように微笑んで、彼は、どうぞ、と二人の客をテーブルに案内する。

「あら、いらっしゃい、霊夢、魔理沙」
「いらっしゃーい」

 吸血鬼姉妹が巫女と魔法使いの姿を認め、各々の方法で近付いてくる。
 つまり、レミリアは悠然と、フランドールは魔理沙に飛びつくように。

「邪魔してるぜ。あー……お前らもか」
「それ何? トラ猫?」
「人虎よ」

 不満そうにレミリアが答えるが、猫に見えるのも仕方がない気はする。

「何でまた。吸血鬼といえば人狼だろうに」
「普通すぎるじゃない」
「ならどうして僕は狼に」
「貴方は初めてでしょう? 基本も大事よ」

 楽しそうに言うレミリアの背後で、虎模様の尻尾が動いている。
 全部パチュリー手製の魔法だと言うから驚きと言うか何と言うか。彼女もこのパーティを楽しみにしたのは間違いないようだ。

「ああ、わかった。レミリアの我儘に結局振り回されたってことね」
「霊夢、その言い方はあんまりじゃない?」

 抗議するレミリアと涼しげな表情の霊夢のじゃれ合うような会話に少し微笑んで、彼は何ともなしに答える。

「僕も楽しんでますからね」
「言うようになったわね、本当に」

 やれやれ、と苦笑して、霊夢は近くのテーブルの皿に手を伸ばした。綺麗に切り分けられたケーキが乗っていた。




 パーティも盛り上がってきた頃、ふと気配を感じて、料理を運んでいた彼は顔を上げた。

「ああ、どうも、紫さん」
「ええ、お邪魔してるわ」

 隙間から出てきてそれに腰掛ける。○○は料理を手近のテーブルに置いて切り分け、紫に渡した。

「あら、ありがと」
「いえいえ」
「それにしても、紅魔館は楽しそうねえ、今回のハロウィン」
「みんな態と揃えたのかも知れないですが、確かに」
「貴方も楽しそうね」
「ええ」

 笑顔で答えた彼に、紫もまた楽しげに頷く。真意は読み取れないが、楽しんでくれていれば良い、と彼は胸中で頷いた。

「○○、こんなところにいたの」 
「レミリアさん」
「お邪魔してるわ、お招きありがとう」
「ええ、楽しんでくれていれば重畳よ」

 軽く応じるレミリアに、紫がくすくすと微笑いながら尋ねる。

「みんなで揃えたの、それは?」
「そういうわけじゃないけど、いつの間にかね。何なら、貴女もする?」
「いいわ、うちはもう二匹も居て間に合ってるから」

 微笑みながら言って、紫は○○に目を向けた。

「ああ、いいわよ、私の相手してなくても。貴方の愛しい主のところに居てあげなさいな」
「え、と、はい」
「……何故みんな勝手なことばかり言うんだ」

 同時に真っ赤になる程照れたレミリアと○○を見て満足したように紫は笑った。
 おそらく二人は気が付いていないに違いない。それぞれの感情が、その魔法でつけている耳と尻尾に如実に表れていることなど。

「私はもう行く。○○、来なさい」
「はい。では、失礼します」
「ええ、また」

 ひらひらと手を振る紫を後に残して、○○はレミリアの隣に並ぶ。
 その彼を見上げるようにして、彼女が尋ねた。

「○○、この後に用は?」
「いえ、特には」
「では、私に付き合いなさい。主人を一人にするものではないわ」
「はい。気が利かずすみません」
「わかればいいのよ」

 虎模様の尻尾が機嫌よさそうに軽く揺れて、レミリアは○○の腕を取った。
 さっと顔を紅くした○○を見てまた微笑うと、さあ、行きましょう、と彼女は告げた。





 パーティは盛況の内に幕を閉じた。
 終わっても、すぐに帰っていく者、しばらく談笑する者、酔い潰れて館で介抱される者など行動は様々だ。
 紅魔館側も、帰る者にはお土産としてケーキを切り分けてラッピングしたものを渡したりと、いつものパーティとは少し違う様相を見せた。
 そして今ホールには、語り合う者と片付ける者だけが残っていた。
 館の主とその妹は終わって早々に部屋に戻っている。特にフランドールは楽しかったのか、終わる頃には既に眠そうにしていた。
 そして、○○もまた、片付けの一員として働いている。





 そのパーティの片付けも終わる頃、何となしに○○は気が付いた。

「……あれ、みなさん魔法解いてます?」
「ええ、片付けには邪魔になるもの」
「割合簡単に解けるわよ。そんなに複雑なものではないし」

 残っていた面子との会話が終わって戻ってきたパチュリーが説明する。
 だが、無茶を言わないで欲しい、と彼は思う。魔法なんて元々縁が無かったのだ、簡単に解けると言われて解けるはずが無い。

「……どうするんですか、これ?」
「えーと、説明が難しいわね……」

 咲夜が苦笑する。ということは、何の苦もなく解ける魔法と言うことか。説明が要らないくらい。少し落ち込む。

「まあ、一日くらいで解けるから、そんなに気にしなくてもいいでしょ」
「……僕寝るときもこのままですか」
「いいんじゃない? レミィもまだそれで遊んでみたかったみたいだし」

 そう、パチュリーは○○の尻尾を差す。心なしかしゅんとなっているのは、彼の気落ちを表しているのだろう。

「何だかそれは非常に複雑ですが」
「それなら、○○さんはもう上がって。お嬢様はもう部屋に戻られてるし」
「ですが」
「お嬢様の機嫌を損ねるつもり?」

 う、と詰まって、わかりました、と彼は頷いた。
 しかし、言葉とは裏腹に、その尻尾は嬉しそうにパタパタと動いている。
 それを少しだけ眺めて、パチュリーが咲夜に声をかけた。

「では私も図書館に戻るわ。咲夜、後で紅茶を頂戴」
「かしこまりました、パチュリー様」
「では、お先に失礼します」

 それぞれの方向に歩きながら、さてどうしたものか、と○○は考え始めた。




 部屋で寛いでいたレミリアの耳に、扉を叩く音が届く。誰何するまでもない。

「入って良いわよ、○○」

 声に応じるように扉が開き、○○が姿を現した。レミリアが座っている椅子の所まで真っ直ぐ近付いてくる。

「お疲れ様」
「ええ、お疲れ様です」

 汗を流して着替えてきたらしく、微かに石鹸の香りがする――ふさふさの尻尾からも。

「それまだ解いてないの?」
「解けないんですよ」

 憮然となった彼に笑って、レミリアは○○にも椅子に座るよう促した。

「楽しかったわ、今日は」
「ええ」
「フランもはしゃぎ疲れて、今日はすぐ寝ちゃったしね」

 それは良かった、と彼も微笑んだ。レミリアもワインを薦めながら、今日の事を語り合う。
 パタパタパタパタ、と○○の後ろで尻尾が揺れるのを眺めて、レミリアは何となく楽しくなった。
 酒にあまり強くないことも知っているが、これくらいでは酔い潰れないだろう。
 それに何より、彼の気分や機嫌が耳と尻尾でわかるのが楽しい。またパチェにかけてもらおうかな、と考えた。

「ふかふかね」
「んー、風呂上りですし」

 ほむほむ、とレミリアが○○の耳に手を伸ばし、満足そうに頷く。
 この分だと、尻尾もかなり気持ち良いのではないだろうか。そんなことも思う。
 そんなことをしているうち、寝酒にしていたハーフボトルも空になった。

「そろそろ休みましょうか」
「はい、でも、その前に」

 椅子からベッドに座る先を代えたレミリアの隣に腰掛けて、○○はレミリアの方を向く。

「? 何?」
「ええ――Trick or Treat?」

 唐突な言葉が何なのかわかるまで、少しの時間を有した。

「え、ええ?」
「甘い物、欲しいなと」

 そう言った彼の視線が一瞬サイドボードに流れる。そこにはラッピングしたクッキーの袋。

「あんまり食べてないので。作るだけ作って」
「そういえばそうね……」

 レミリアはそう言ってクッキーの包みを開き、一枚取り出して彼に渡そうとする。

「ああ、いえ、そうでなくて」
「? ……!」

 ○○はレミリアの手にあるクッキーを取上げると彼女に咥えさせた。
 驚く暇もあればこそ。○○は、その反対側からクッキーを食べ始める。
 反応できずに止まっているレミリアに構わず平らげ、彼女の口唇をぺろりと舐めた。

「御馳走様」
「……いきなりじゃなくて、せめて何か言ってからにしなさい……」

 顔を紅くして逸らしてレミリアの目に、○○の狼の尻尾が千切れんばかりに振られているのが見えた。
 表情はいつもと同じ微笑みだが、相当上機嫌らしい。本当に感情をよく出すものだ。

「……まだ、要る?」
「出来れば」

 本当に機嫌の良いらしい彼に、もう一度クッキーを与える。今度の口付けは、少しだけ長かった。

「……ん、甘党、だったかしら」
「ええ、かなりの。でも、まだ欲しいな、と思います」

 気が付けば、彼の腕の中で抱きかかえられたような状態になってしまっている。
 でもそれに反発しようなんて想いは湧かなくて。

「自分で作り始めて、それに凝ってしまうくらいの甘党ですから。でも、今は」
「あ……」

 今度はキスだけが下りてきて、レミリアは目を閉じた。

「……もっと、好きなものがありますけれど」

 その笑顔は、レミリアにとっては反則すぎて。

「……ずるいわ」
「ですか?」
「ええ、ずるい……」

 今度はレミリアから頬を寄せて、そっと口付ける。長めの口付けの後、囁くように○○に尋ねた。

「……もっと、欲しい?」
「はい」
「いいわ、あげる――」

 もう一度口付けて、優しく抱きよせられるのを感じて、レミリアもまた、○○の首に腕を回した。



 甘い宴は、まだ終わりそうに無い。







 後日、耳尻尾付きだと反応わかりやすいから、もう一度付けてみるか、とパチュリーが冗談でレミリアに提案するのだが。

「……え?」
「だから、結構面白かったでしょう? 咲夜もそうだったけど、○○さんも――」

 言いかけたパチュリーの言葉を遮って、レミリアが声を上げた。

「駄目、絶対に駄目!」

 大きく羽をバタバタさせて、顔を真っ赤に染めて慌てる親友に、パチュリーもそれ以上は突っ込まなかった。
 ただ、少しだけ好奇心は湧いたので、咲夜と小悪魔を使って○○に尋ねさせてみたのだが。

「すみません、ノーコメントで」

 と、こちらも紅くなって応えたので、それ以上の追求は出来なかった。





 かくしてあの夜に何があったのかは――二人だけが知る秘密となったのであった。


新ろだ114

───────────────────────────────────────────────────────────

 その日は、起きた時から変だった。
 何がおかしいのかはすぐにわかった。

 愛しい人に、出逢ってない。
 どこかに隠れたように、逢えていない。




「うーん……?」

 首を捻りながら、○○は紅魔館の中を歩いていた。
 辿り着いた先のティールームを、ノックの後に開けて失望のため息をつく。

「どこに行ってるんだろう……? 神社に行ったりしてるのかな……」

 小柄な彼の愛しい主の姿がそこにないことをもう一度確認して、ぽつりと呟いた。
 そう、今日目覚めてから、彼はレミリアの姿を見ていないのであった。



「咲夜さん、すみません」
「あら、どうしたの? 今日は里に出ない日だったとは思うけど」
「ええ。ああ、お仕事中すみません、少しお聞きしたいことが」

 掃除中らしい咲夜に、謝りつつ声をかける。

「あら、何?」
「レミリアさん、お見かけしませんでしたか?」

 ○○の問いに、咲夜は目を瞬かせる。

「起きてすぐ、紅茶を召し上がられていたけれど……それからも、何度かお会いしているわ」
「んー、では、館の中にはいるんですよね……うーん」
「会ってないの?」

 意外そうな瞳に、こくこくと頷く。
 避けられてるんだろうか、いやそんなことはない、と信じたい。だがもしかすると何か気に障ることでもしたのか。

「もう少し探してみます……ありがとうございます」

 一礼して背を向けた○○に、咲夜は一瞬何かに気が付いたような顔をして、ふっと微笑んだ。

「○○さん、意外と近くにいらっしゃるかもしれないわよ」
「え?」
「私からのヒント。頑張ってね」

 咲夜はそれだけ言うと、次の仕事のためか姿を消した。





 次に赴いたのは、図書館。

「見てないわよ、ここには来てないわ」

 パチュリーの言葉に、そうですか、と○○は肩を落とした。

「んー、目ぼしいところはいろいろ見てきてるはずなんですけどね」
「盛大な隠れ鬼でもやってるのかしら?」
「そんなはずでは……いや、そうなのかもしれないのですけど」

 がくりと机に突っ伏す○○に、パチュリーは首を傾げる。

「レミィのことだから、どこかで見てそうな気もするけどねえ……」
「うーん、僕が右往左往している様子をですか?」
「ええ。まあ、気長に探すといいかもね。そのうち向こうから痺れを切らして出てくるかもしれないし」

 その言葉はレミリアの性格を知るが故だろうか。

「まあ、そうかも知れないですけど……」
「早く逢いたい、というところかしら」

 パチュリーの静かなからかいに、彼は顔を紅くして、ええ、まあ、と応える。

「と、とにかく、見かけたら教えていただけますか」
「ええ、いいわ。頑張ってね」
「はい」

 軽く会釈して踵を返した○○に、パチュリーは本から顔を上げて、軽く息をついた。

「そうね、あえて言うなら」
「はい?」
「灯台下暗し、というところかしら」

 それだけを言ってまた視線を本に戻したパチュリーに、彼は首を傾げて図書館を後にした。






 それから、○○は紅魔館のあちこちを歩き回った。
 中庭で美鈴にも声をかけたが、見ていないと言う返事と、不思議そうな表情を返されてしまった。

「あー、まあ、見つかってないんですね」
「ええ。近くに居るかも、とはみなさんに言われるんですけどね」
「……そうですね、私もそう思います」

 何となく納得した顔で、美鈴はそう答えた。

「まあ、頑張ってください。お嬢様も早く見つけて欲しいでしょうから」
「はい、頑張ります」

 では、と館に戻っていく彼を見送りつつ、ふーむ、と美鈴は唸る。

「見つかるかなあ、あれ」

 とりあえず見えなくなるまで帽子をクルクルと回しながら眺めて、さて、と呟く。

「仲良きことは良き事かな――私も仕事に戻りますか」

 そして、彼女はいつもどおりの仕事に戻っていった。







 結局見つからないまま、時間は過ぎる。○○は所在無げに、自室に戻っていた。
 ドアは開け放ったままである。もしかすると、部屋の前でも通るかもしれない、思ってのことだった。

「灯台下暗し、って言われたけどなあ……」

 いない、と呟いて、自室のベッドに腰掛ける。
 最近はレミリアの部屋で休むことが多くなって、部屋を使う頻度も減ったことにふと気が付いた。
 そんなに近くに居る人に、今日は逢っていない。逢えていない。
 心の中に焦燥とか、苦しさとか、そういうものが湧き上がってくる。

「ああ、駄目だなあ……僕は、もう」

 レミリアさん無しにはいられないんだな、と呟く。
 呟いて認めたら、少し元気が出てきた。
 また探そう。
 パチュリーさんも言ってたじゃないか、大掛かりな隠れ鬼だって。
 よし、と気合を入れる前に、少しだけ伸びをしようと、ベッドに背中を預けるように仰向けになって――


 ぴぎゅ。


 変な音が背中からして、慌てて彼は起き上がった。





「……こう、もり?」

 彼に潰されて、目を回しているのは一匹の蝙蝠。
 それを掌の上に乗せると、ばさばさと部屋の外からも音が響いてきた。
 手の中に居た蝙蝠も一緒に集まって、一人の姿を形づくる。
 形づくられると共に、部屋が静かになった。

「○○、酷いじゃない! 潰さないでよ!」

 訂正、静かになった瞬間、それは少女の大声で破られた。

「レミリア、さん?」
「ええ、そうよ。もう、全然気が付かないんだもの」

 拗ねたように言う彼女が、○○の膝の上に正面から乗ってくる。

「ずーっと背中に張り付いてたのに」
「……ずっと?」
「ずっと。私の気配くらい、わかるようになりなさい」

 パタパタ、と羽を動かしながら、レミリアはこちらを見上げてくる。
 いろいろ、言いたいことはあったはずだった。
 何故半日近く姿を見せなかったのか、とか、ずっと見ていたなら声をかけてくれれば、とか。
 だが何か言おうとした口からは言葉は出てこなくて。
 少しだけ口を開閉した後、彼は何も言わず、彼女に腕を伸ばした。
 言葉では到底、今の自分の想いを伝えるのには足りなかった。




 不意に強く抱きしめられて、レミリアは一瞬戸惑う。

「○○?」
「……結構、寂しかった」

 心の底から響くような言葉。その言葉を耳にして、レミリアは優しげに目を細めた。

「……探し回ってたわね、随分と」
「ええ。姿が見えなくて。とても、心配して」
「……ごめんなさい、ちょっとした悪戯のつもりだったのだけど」

 貴方にそんな顔をさせるつもりではなかったの、と囁くように告げる。

「わかってます、けど」
「ええ、わかってるわ」

 肩に顔を埋めるように強く抱きしめる彼の顔を上げさせて、軽く口付けをする。

「これだけで、埋め合わせろなんて言わないけど」
「……ええ、足りない」

 くる、と視界が変わって、レミリアは○○のベッドに仰向けになっていた。
 目の前には、覆いかぶさるように彼が覗き込んできている。

「もっと、いいですか」
「ん……ええ」

 落ちてきた少し深い口付けを受け入れて、口唇を離して息をついて、また再び口付けを――






 ――その瞬間。





「○○さん、こちらですか?」
「そろそろ答え合わせをしておこうかと思っ――」

 パチュリーと咲夜が、半ば閉まり半ば開いたままであった扉を不意に開けたのだった。







 数瞬の沈黙。硬直。







「……そこまd――!」


 バタン。









 パチュリーが何か言いかけた矢先、勢い良く扉が閉まった。いや、閉められたのだろうか。
 硬直したままの○○とレミリアの元に、ひらひらとメモが落ちてくる。
 それを手に取って一読して、○○は枕に顔を突っ伏した。

「え、何? どうしたの?」
「……どうぞ」

 渡されたメモを、レミリアも眺める。

「『ごゆっくり。ですが、少しはご自重くださいね』……
 …………咲夜…………」

 呆れた声を上げて、レミリアも脱力した。
 気を利かせられたのか、からかわれたのか、あるいは素なのか。
 どれもありそうだ。
 はあ、と大きく息をついて、丁度隣に顔を埋めている○○を眺める。
 ○○も顔を中途半端に上げて、レミリアと視線を合わせた。

「ふ、ふふっ」
「はははっ」

 何となくおかしくなって、二人で顔を見合わせて微笑う。

「ああ、何となく気が削げちゃったわ……咲夜に紅茶でも入れてもらいましょうか」

 するりと○○の腕の中から抜け出て、レミリアは彼の腕を引く。

「ええ、ああ、はい」

 起き上がりながらも、何となく名残惜しそうにしている彼に気がついて、レミリアは少し考える。
 想いをそのまま言葉にするのは何となく気恥ずかしくて、でも、あんな様子を彼が見せたのは初めてだったから。


 自分を必死に探して不安そうな表情も、そして見つけたときのあんなに安堵したような表情も初めてだったから。


「その」
「はい?」

 腕を引きながら、少しだけ顔を背けて、レミリアはぽつりと告げた。

「埋め合わせは、後できちんとしてあげるから」

 顔が熱い。きっと紅くなっているであろうそれを隠すように、レミリアは少しだけ腕の力を強めて彼を引き寄せた。

「いいわね?」
「……はい」

 見上げた彼の表情は酷く嬉しそうで、少しだけ、早まったかな、と彼女が思ったのは秘密である。




 ティールームに着くと、まだ何かぶつぶつ言っているパチュリーに紅茶を入れている咲夜がこちらに気が付いた。

「あら、お嬢様、○○さん、随分とお早いお帰りですね」
「何もしてないってば。咲夜、私達にも紅茶を頂戴」
「かしこまりました」

 からかわれて不満そうにしながらも、レミリアが○○を離そうとしていないのを見て、パチュリーが一つため息をついた。

「まあ、いいけど、とりあえず人目は気にしなさいね、レミィ」
「ん、気を、付けるわ」
「後、○○さん」
「はい?」
「……扉はきちんと閉めておくことを薦めておくわ」
「……すみません」

 顔を紅くした吸血鬼主従の、だがその手がしっかりと握られてることを確認して、パチュリーと咲夜は視線を合わせ、微笑ましく頷いたのだった。



新ろだ158

───────────────────────────────────────────────────────────

 霜月になって寒さも強くなってきた頃。
 暇を持て余していたレミリアは、たまたま訪ねてきた霊夢と魔理沙を館に入れ、お茶に付き合わせていた。

「暇ねー」
「そうねー。またそのうち何か開こうかしら」

 だが結局はうだうだとしているだけで、とりあえずこの暇な時間の解消にはならないようだ。

「そういや、この前のあの魔法ってどうやってたんだ?」
「え? ああ、あれね。割と簡単なものよ。むしろジョーク的なものになるかしらね」
「まあ、使い道なさそうだもんなあ」

 魔法使い二人のそんな雑談に、霊夢が口を挟んだ。

「この前? ああ、ハロウィンの?」
「ええ。冗談で使ってみる類の、ただ賑やかすだけの魔法。実用性は無いわね」
「私としては、そんな魔法をパチュリーが使ったのが驚きだけどな。結構楽しんでたんじゃないか?」
「さ、どうかしら」

 魔理沙の軽口に微笑って応じて、パチュリーは紅茶を口に運ぶ。

「でも見てるほうには面白かったわ。咲夜とか○○さんとか」
「あら、私も?」

 霊夢の言葉に、レミリアの命令で一緒にお茶していた咲夜が首を傾げた。

「ええ、耳と尻尾に感情が良く出てて。そう言う効果もあるのかしら?」
「あくまで副産物だけどね。ねえ、レミィ?」
「何で私に話を振るのよ」

 そう言いつつ、レミリアの顔は紅くなっている。何かを思い出しでもしたのか、ふい、と顔を背けてしまった。

「ん、何かあったのか?」
「何もないわ――咲夜、紅茶を頂戴」
「はい」

 命じて一緒のテーブルに座らせている咲夜に、レミリアは紅茶のお代わりを頼む。
 瀟洒な従者はただそれに従っただけだった。主の胸中は察しているが、言葉に出さぬが華というもの。

「そういえば、○○さんは?」
「今日は本を漁ってるわ」
「レミィ、よく把握してるわね」
「からかわないで、パチェ」

 実際、起き掛けに今日の予定を聞いていたからなのだが、それを口にすると明らかに泥沼なので黙っておく。

「へえ、仲が良さそうで何よりね」

 隠す方が無理な相手と言うものも居るが。どことなく楽しげにからかうように、霊夢が微笑ってみせる。

「何だ何だ、楽しそうな話か?」
「ええ、きっとね」
「適当なこと言うな」

 レミリアはそう誤魔化して、手元の紅茶に口を付けた。





 賑やかな声が聞こえてくるのを耳にして、彼はひょいとティールームに顔を出した。

「ああ、みなさんお揃いで」
「あ、お疲れさま、○○」

 レミリアが咲夜に頷いて、紅茶を用意させる。

「ああ、ありがとうございます、咲夜さん」
「いいえ、どういたしまして」

 適当な所――レミリアの隣に腰を下ろして、○○は場を見回した。

「何か楽しそうな声がしたものですから」
「ええ、そうね。この前のハロウィンの話をしてたのよ」
「ハロウィン、ですか」
「具体的には、あのときの魔法についてだな」

 楽しそうに魔理沙が口にした瞬間、彼の表情が微かに変わる。
 慌てているような、少し紅くなっているような、そんな表情に。

「あ、面白い反応」
「わかりやすいなー」

 楽しそうに笑う巫女と魔法使い。レミリアに軽く睨まれて、○○は肩をすくめる。

「ああ、いや、その」
「○○、余計なこと言ったらグングニルだからね」
「ええ、わかってますって」

 レミリアが脅すが、こちらも顔が紅くなっているのであまり怖くは無い。

「仲の良いことで」
「咲夜ー、砂糖抜きでよろしくー」
「はいはい」
「あんた達は……」

 そう茶化している中、本に目を落としていたパチュリーが不意に顔を上げて何言か呟いた。




 ぽむ。




 小気味よい音と共に、○○の頭に見覚えのある耳が。後ろには尻尾も生えている。

「……あれ?」
「……え?」

 一瞬何があったのかわからず、わかった瞬間、レミリアが声を上げた。

「パチェ――っ!?」

「ほら、魔理沙、割と簡単な魔法でしょ」

 怒鳴られたことなど何もなかったかのように、パチュリーは説明する。

「ああ、なるほど。本当に冗談のような魔法なんだな」
「あんたも普通に頷くな! ああもう……」

 ちらり、と○○を見上げると、耳と尻尾がピンと立っている。相当驚いているらしい。

「……○○?」
「あ、え、ああ、はい、何でしょう?」
「良い感じに混乱してるわねー。なるほど、わかりやすい」

 霊夢が砂糖無しの紅茶を啜りながら頷いた。
 会話の途中に我に返ったらしく、だが慌てるように彼の耳と尻尾が動く。

「ああ、すみません、ちょっと驚いて」
「かなり驚いてたんじゃないかしら?」
「……はい」

 咲夜の言葉に、しゅん、と耳が垂れる。

「いや、しかし面白いな。その毛皮柔らかいのか?」

 魔理沙が○○の頭に手を伸ばそうとした瞬間、レミリアが強く○○を引き寄せた。

「駄目、○○は私のよ」
「おおっと、こいつはすまないな」

 レミリアの示した態度に、魔理沙はにやにやしながら手を引っ込める。
 自分が何をしたのかがわかって、レミリアは○○を離した。

「愛されてるわねえ」
「ええ、僕もそうですから」
「こら、○○……!」
「はいはい、御馳走様」

 尻尾をパタパタと降り始めた○○に、霊夢は軽く呆れのような微笑で応じた。





 お茶会は賑やかに過ぎていく。
 霊夢と魔理沙が帰る段になってお開きになるまで、話題は尽きなかった。






 レミリアの部屋に戻って、その彼女が妙に距離を取ってベッドの上に座っているのを見て、○○は困ったように微笑う。

「うーん、そこまで警戒しないでくださいよ」
「してないわよ、別に」

 だが前科があるからか、枕を抱いて○○を軽く睨む様子に、可愛らしいと思いつつもどうしようもない。
 というか、拒否するならそれは逆効果だとわかっているのだろうか。わかってない気がする。
 それにそもそも、本当に彼を拒絶するなら、部屋には入れないだろうし。

「前回みたいなことにはなりませんから」
「ホントに?」
「前回は、その、いろいろと」

 甘いものを食べ損ねていた、とか。いろいろ給仕とか片付けで疲れていた、とか。
 そしてこれが一番大きいのだが、パーティの間、そう長いことレミリアといられなかった、とか。
 一度は呼んでくれたものの、主人役はそうそう気儘にすることもかなわないから。
 途中から結局給仕に戻っていたから、そういうのでいろいろと溜まっていたというか。

「……でも、今も」

 ちらり、とレミリアが○○の尻尾を見る。千切れんばかり、ではないが、それでも左右に揺れている。楽しげに。

「ああ、これはその、まあ、レミリアさんの近くにいるといつもといいますか」

 かなり恥ずかしい告白をしなければならないが、そうでもしないと近寄らせてもらえまい。

「心が、躍るんです。大好きな人の傍に居られるのは、それだけで嬉しいことですから」
「……本当に?」
「ええ、紛れもない本心ですよ」

 これは本当だ。レミリアの傍に居られるのは有り難いし、嬉しい。

「……うん、わかったわ」

 少しだけレミリアの表情が和らいで、○○の服の袖を引く。

「こっちに」
「はい」

 レミリアの求めに応じて、近くに寄る。レミリアからも距離を詰め、枕を下ろして彼の腕に擦り寄ってきた。

「……うん、落ち着くわね、やっぱり」
「それは嬉しいです」

 言葉の通り、尻尾がぱたぱたと動く。それを見て、あ、とレミリアは小さく声を上げた。

「ねえ、○○。尻尾にも触って良い?」
「え、ああ、はい。引っ張ったりされなければ」

 その言葉に嬉しそうに頷いて、レミリアはもふもふと、前に回してきた○○の尻尾を抱きしめた。

「ん、やっぱり柔らかいわ」
「……ですか?」
「ええ、こうしたら気持ち良さそう、とは思っていたんだけどね」

 もふもふしながら、レミリアは大変満足そうである。やれやれ、と思いつつも、○○も成すがままに任せた。

「あー、しかし明日一日このままですかねえ」
「かもね。大体一日って言ってたし」
「んー、明日は里に行くことにしてたんですが……」
「……駄目。耳尻尾有りは問題あるだろうし……それに、この貴方は私だけのものだから」

 それは、あまり人に見せたくない、ということだろうか。
 少し嬉しく思いつつ、明日誰かに連絡を頼まないと、と考えていると、レミリアが尻尾に顔を隠すようにして、ぽつりと呟いた。

「…………だから、前のこと、嫌だったわけじゃないから」
「……はい」

 一瞬心臓が躍って、それを無理矢理静める。

「……今日は、もう寝ましょうか」
「そう、ね」

 このままだと、妙な空気に発展してしまう。そうなる前にと、○○は少し腕に力を入れて囁く。

「……次は、あんなことにはなりませんから」
「……うん。約束よ」
「ええ、約束です」

 その言葉に照れたようにこくりと一つ頷いて、レミリアは尻尾を抱いたまま○○に擦り寄った。

「それじゃあ、おやすみ、○○」
「はい、おやすみなさい」

 幸せそうに目を閉じた彼女を抱き寄せて、○○は静かに目を閉じた。
 腕の中の温もりを、この上なく愛しく感じながら。


新ろだ169

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 ○○は里でたまに仕事をする。
 何てことは無い、紅魔館に住み始める前からの習慣だ。
 たまに出ては日銭を貰い、それをかつては博麗神社、現在は紅魔館に入れている。
 無論、吸血鬼となった彼が里に再び出るには、人里の守護者や妖怪の賢者、博麗の巫女との会議が必要であったが。
 結果的に許可された大きな理由は、彼の主人たるレミリアが幻想郷の人間に危害を加えぬ約束をしていたからであろう。
 彼自身もそれに従う、という形を取ることで、意見は概ね一致した。





 そして彼は今日も里に来ていた。本格的な冬支度の手伝いのため、ここのところ連日である。
 幻想郷の冬は彼にとっても初めてであるが、相当厳しいということは訊いていた。
 紅魔館から禄に出られないことも覚悟しておくように、とも言われている。

「そろそろ昼飯にするかー」

 誰かが言い出して、それぞれ集まって弁当を開く。
 ○○も今日は弁当だった。たまに里の食堂で食べることもあるが、たまにこうして作ってもらっている。
 自分でも作ったりもするが、作ってもらうと嬉しいものだ。
 直射日光を避けるため木陰に入り、ぱか、と弁当を開けると、色取りも鮮やかなおかずが現れた。
 プラス白飯である。紅魔館に和食というのはどこかアンバランスでもあるが、○○の好みに合わせてくれたりもしている。
 それはそれで申し訳なくも思うのだが、レミリアに遠慮しないよう言い渡されているので、ありがたく頂いている。

「お、兄ちゃん、旨そうだなあ」
「ん、ええ」

 里人に声をかけられ、○○は弁当に箸を伸ばしつつ頷いた。

「いいよなあ、うちの奴も作ってくれるといいんだが」
「そう言うお前だってたまにもらってるだろうがよ、独り身にゃ辛いぜ」

 そうわいわい言いながらの昼食も慣れたものである。
 だが、よく見れば、いつもの弁当とは少し違うことがわかる。
 それに気が付くのは彼にとっては当然ではあったが、思わず頬が緩んだ。
 少し玉子焼きは焦げついているし、入っている野菜もどこか不揃いだけれども。
 にやにやしながら食べていたことに気がつかれたのか、一人が声をかけてきた。

「なあ、良かったら一つ交換しないか?」
「あー、駄目です。今日のは」

 少し困ったような表情をしつつも、きっぱりと断る。

「えー、そんなに旨そうに喰ってるのに」
「だからです。駄目ですよ」

 手を伸ばそうとしてくる相手から遠ざけるように弁当を抱えて距離を取る。
 その様子を面白がってか食いたがってか、何人かが参加し始めた。

「お、いいな、俺にもー!」
「複数は卑怯ですよー!」
「なら大人しく寄越せー!」
「それだけは断る!」

 慧音に見られでもしたら、「何をやってるんだ」と呆れられるに違いない光景。
 その喧騒を打ち破ったのは、静かな少女の声であった。



「一体何をしているのかしら?」



 一同、ぴたりと停止する。その停止した中で、ただ一人○○だけが普通に挨拶した。

「あれ、レミリアさん。散歩ですか?」
「ええ、神社に行くついでにね。咲夜と一緒に」

 レミリアはそう、後ろにいる咲夜に視線を送る。

「ん、では僕は今日の仕事が終わったら神社に向かいましょうか」
「それもいいわね。たまには」

 微笑む表情は、それでも周囲に他の人間がいるからか、少しだけ余所向けの、紅魔館の主としての表情。
 それでも、○○には一向に構わない。そんなものも全て含めて彼女のことが好きなのだから。

「今は?」
「ああ、昼食中だったんですよ」
「それにしては騒がしかったようだけど」

 ○○がまだ手にしている弁当と、少し引き気味の里人達を交互に見てレミリアが呟く。

「まあ、弁当を死守していただけですよ」
「……よくわからないわ。まあ、咲夜の作ったお弁当なら、人気もあって当然だけどね」

 ね? と背後の咲夜に話を振る。

「そうであるなら光栄ですわ」

 本当に私のものなら、という含みを持たせるように、咲夜も楽しげに微笑んだ。
 そのからかいの気配を感じたのか、レミリアは機嫌を損ねたかのように○○にも話を振る。

「○○だってそうでしょう? 咲夜の作ったものは美味しいものね」
「ええ、まあ」

 曖昧に頷いて、○○は玉子焼きを一つ摘むと、レミリアに食べさせた。

「どうです?」
「……貴方はたまに唐突よね……」
「僕としては大変好みの味なんですけど。焼き加減といい味付けといい」
「……咲夜の料理だもの」

 そういうことにしますか、と呟いて、彼は残りのものも平らげる。幸い、取られたものはなかった。

「大変美味しかったですよ」
「だから、私じゃなくて咲夜に言いなさい。ああ、でもついでだからその箱は預かっておいてあげるわ」
「ありがとうございます」

 受け取って、荷物持ちになるのは当然咲夜だったけれども。

「では、そろそろ昼休憩も終わりますし、また行きます。後で神社で」
「ええ、待ってるわ。行くわよ、咲夜」
「はい。それでは、○○さん」
「はい、お願いします」

 了解の頷きを交わして戻ってきた○○に、里の男達は一様に大きく息をついた。

「……本当にお前さんはなんてーか」
「羨ましいのとよく平気だなってのと、そういや兄ちゃんも妖怪だったかと」

 ○○はそれぞれの言葉に曖昧に応じるように微笑う。

「いやいや、僕は全く普通ですよー」

 嘘をつけ、と突っ込まれたのは当然の流れだったけれども。






「……で、ここでお茶飲みに来たと」
「いいでしょ、たまには」
「お賽銭持ってきてくれるならね」

 神社の居間、炬燵に入りながらの会話である。

「あんたも大変ね、咲夜。好き勝手振り回されて」
「あら、心外ね。そんなことはないわよ」

 レミリアのカップに紅茶を注ぎながら、咲夜も応じる。

「それに、その弁当も、自分で作ったって言えば良かったじゃない」
「言えるわけ無いでしょ」

 ふい、と顔を背けるレミリアに、やれやれ、と霊夢と咲夜は顔を見合わせる。
 丁度そのとき、境内に魔理沙が下りてきた。

「よー、寒いな。って、お前ら来てたのか」
「居ちゃ悪い?」
「悪い」

 霊夢の言葉をスルーして、レミリアは紅茶に口をつける。

「そうだ魔理沙」
「ん、何だ霊夢」

 何かを含んだ霊夢の声に、同じ様な口調で魔理沙が答える。
 言いながら、すでにその身は炬燵の中へ入ってぬくぬくしていたが。

「里の上通ってきたんでしょう? 何か作業してたと思うけど」
「ああ、冬支度かー。ん、ああ、そっか、そだな」

 霊夢の含みに気が付いたように、魔理沙はうんうんと頷く。
 咲夜は肩をすくめているが、レミリアは顔を背けながらも気になっている様子だ。

「○○もいたなー。何か楽しそうにしてたが」
「へえ、まあ、今日はいいものも貰ってたみたいだしね」
「いいもの? 何だそりゃ」
「それがね……」
「霊夢」

 咎めるような響きを持ったレミリアの声が二人の会話を中断する。

「別にいいでしょ、レミリア」
「ん、何だ何だ、何やったんだ?」

 楽しそうに魔理沙が混ぜっ返す。兎にも角にも、この吸血鬼主従は話題に事欠かないからだ。
 巻き込まれて砂糖を吐く破目になることも多いが、彼女達はそれはそれで楽しんでいる。

「お弁当。ね、咲夜?」
「ええ、お弁当、ね」
「咲夜……」

 じと目でレミリアは咲夜を見るが、彼女は優しく微笑んだままだ。
 レミリアは照れたように再び顔を逸らす。咲夜は何も、自分の意に反することをしているわけではない。
 直接何かを伝えているわけではないし、別にレミリアも止めてはいないから。

「んー、ああ、なるほどねー」

 いろいろ察したらしい魔理沙が、にやにやとレミリアを見返す。

「そりゃあ、○○も張り切るってもんだな」
「煩い」

 冷たく言葉を撥ね退ける様子も、照れたままではその効果はなく。
 何処までも強情なその様子に、何となく微笑ましい気分で人間三人は笑みを交わしたのだった。





 夕方近くになる頃、一つの人影が神社に降り立った。軽く障子を叩いて、返事を貰った後に入る。

「どうも、遅くなりまして」
「おー、遅いぞー」
「待ちくたびれてるわよ、ほら」

 霊夢の言葉に、○○は彼女を示した方を見る。

「お嬢様、今日は随分早かったものだから」
「ええ、そうでしょうね」

 咲夜の言葉に――眠ってしまっているレミリアを膝枕している咲夜の言葉に頷いて、○○はレミリアの傍らに座る。

「いや、意外と長引いてしまって」
「まあ、幻想郷の冬は厳しいからな」
「○○さんも覚悟しときなさいよ?」
「はい、覚悟しておきます。ところで」

 鍋の材料など頂いてきたのですが、という一言に、霊夢と魔理沙が歓声を上げる。

「温かい物が丁度食べたいと思ってたんだ、グッとタイミングだな」
「手間も省けていいわね」
「作らせる気かよ」

 掛け合いに笑って、彼は軽く頷いた。

「久々ですし、作りましょうか」
「……じゃあ、咲夜も手伝った方が良いわね」

 ゆっくりと起き上がって、レミリアが目をこすりながら告げる。

「ああ、起こしてしまいました?」
「ん、いいわ。お疲れ様」
「はい」

 嬉しそうに微笑った○○に頷いて、レミリアは咲夜を呼んだ。

「私もここで食べてくわ」
「はい、かしこまりました」
「まあ、今回は○○さんが持ってきたものだし仕方ないか」
「では、行ってきます」

 霊夢の許可を得て、○○は材料を持って神社の台所に入っていった。





「ところで」
「はい? 何かしら?」

 二人がかりでさくさく進む料理の途中、彼はふと咲夜に尋ねた。

「咲夜さんですか? 僕の好みを伝えたのは」
「ああ、ええ、幾らかはね。後はお嬢様の匙加減よ」
「ですか。いやはや、咲夜さんにも劣らずの腕前で」

 本日全体的に上機嫌なのはそれが理由かと、咲夜は微笑む。

「お嬢様は器用でいらっしゃるしね。今回はお嬢様から言い出したことだし」
「そうなんですか。いや、嬉しいです」
「だから」

 手際よく煮込みながら、咲夜は少し真剣に告げた。

「後できちんと、お嬢様に伝えておいてね?」
「はい、もちろんです」
「よろしい」

 真摯な態度で返したその様子に、そう咲夜は頷いたのだった。





 とりあえず、鶏鍋などに舌鼓を打ち、夜も更ける頃に紅魔館組は神社を後にした。

「じゃ、また本格的に雪が降る前に行くってパチュリーに伝えておいてくれ」
「あまり盗って行くと、パチェも本気で怒り出すわよ?」

 軽口を叩き合って、彼女達は微笑う。魔理沙は泊まって行くつもりらしい。

「じゃ、お暇するわ」
「今度は賽銭持ってきなさいよねー」
「はいはい」

 適当に挨拶をして、三人は紅魔館に向かって飛んでいった。





 戻って湯浴みした後、レミリアは自室のベッドで、手持ち無沙汰にパチュリーから借りた本をめくっていた。
 一人は退屈だが、仕方が無いのだ。○○は連日――ここ一週間程、里に出ている。
 ということは生活が彼女とはほぼ反転してしまっていることであり。
 結局、一人で居る時間が長くなってしまっていた。

「ふう……」

 それでも、彼があちこちにふらふら出歩くのは、レミリアはそう嫌っているわけではない。
 むしろ、前と同じ様子が見られて、少し安心する所もある。
 だが、確かにそれはあれど、一人で居るのが退屈なことに変わりはなくて――結局、無為に時間を過ごしてしまう。
 咲夜にお茶でも頼もうかしら、と思った瞬間、扉がノックされる音がして、レミリアは起き上がって適当に返事を返した。

「ああ、もうこちらにお戻りだったんですね」
「○○? どうして、明日も里じゃないの?」

 驚いたレミリアに近付いてきて、彼は少しはにかむように微笑ってみせた。

「明日は休みを貰いました。そして、里の方に出るのも後一日という話も頂いてきましたし」
「本当!?」

 声に嬉しさが混ざったことに気が付いて、レミリアは一つ咳払いした。

「いいの、それで?」
「もう大方は終わってますし。帰りに紅魔館用の荷物を買い出して終わりです」

 レミリアの隣に腰を下ろしながら、にこにこと笑って彼はそう言った。

「そう、じゃあ、今日はここで休めるのね」
「はい、お邪魔でなければ」
「むしろ命じて上げる。ここに居なさいってね」

 悪戯っぽく笑ったレミリアに笑い返して、そうだ、と彼は呟いた。

「改めて、ですが。お弁当、ありがとうございました。大変美味しかったですよ」
「な、あれは……」
「咲夜さんじゃなくて、レミリアさんでしょう? 嬉しかったです、とても」

 率直な言葉に咄嗟に返せなくて、レミリアは紅くなった顔を誤魔化すように背けた。

「……咲夜の方が上手でしょう?」
「まあ、慣れの点から言えばそうかも知れません。でも僕にとっては」

 レミリアの頬に手を当てて自分の方を向かせて、○○は告げる。

「貴女に作ってもらえた、ってことが何よりも嬉しかったです。美味しかったですしね。御馳走様でした」
「……本当に?」
「ええ、本当です」
「……うん」

 嬉しそうに、まだ照れたように微笑んで、レミリアは○○を抱きしめた。
 唐突なことに驚く彼に、そっと囁く。

「……最近、忙しいみたいだったもの」
「ああ……寂しかったですか?」
「そ、そんなことは……」
「僕は、結構寂しかったです」

 だから、とレミリアの背に腕を回しながら、彼が応えてくる。

「今日のお弁当、とても嬉しかった」
「……うん」

 レミリアは目を閉じて、その抱擁を受け入れた。



 朝に、咲夜を捉まえて弁当の作り方を教えろ、と言ったとき。
 咲夜は最初驚いた顔をして、でもすぐに頷いてくれた。
 いろいろ教えてもらって初めて作った弁当は、少し不恰好か、と我ながら思ったけれども。
 でも、彼がこんなに喜んでくれたなら、作った甲斐があると言うものだ。
 無論、そんなことをしたなんて、滅多な者には知られたくないけれど。特に天狗とか天狗とか。



「少し安請け合いしすぎましたかね、今回のは」
「ハクタクに、長く借りてすまない、って言われたわ、今日」
「ん、ですね。まさか、こんなに続くとは」
「でも一週間よ?」
「でも、その間レミリアさんとあまり一緒に居られなかったから」

 子供みたいな言葉にくすくす笑って、レミリアは○○の胸に頬をつけた。

「なら、これから埋め合わせて。明日一日は私のものだし」
「その次が終われば、当分は一緒に居られますしね」
「ええ、一緒に、居て」

 見上げて、レミリアは彼の頬に手を当てて、そっと顔を近づける。

「ん……」

 軽く口唇を重ねて、さらに擦り寄るように抱きついた。

「ね、○○」
「はい?」
「毎年、冬は退屈になりがちだけど……今年は幾分か、マシになる気がするわ」
「そうですね、僕はこちらが初めてですから、何事も珍しいですし」

 微笑って、彼はレミリアに口付けを送ってくれた。優しい、温かいキス。

「これからもいろいろと、よろしくお願いします」
「ええ、こちらこそ」

 抱きしめて笑い合って、ぽす、とレミリアは○○をベッドに倒した。

「ここしばらくの話を聞きたいわ。随分楽しそうだったものね」
「では、寝物語にでもしましょうか。どうぞ」
「うん」

 少し休むのには早い時間だけれども、こうして話をしながら横になるのもいいかもしれない。
 そんなことを思いながら、レミリアは○○の腕を枕にして横になる。

「話をする前に」
「ん?」
「いろいろと本当に、ありがとう。大好きですよ」

 カッと顔を紅くして、レミリアは○○の胸に顔を伏せる。

「唐突なのよ、貴方は」
「すみません」
「……でも、私も。貴方のことは、大好きだから」

 紅くなったまま彼を見上げれば、彼も照れたように顔を紅くしていて。

「改めて言うと照れますね、こういうのは」
「貴方から言い出したことじゃないの、全く。さあ、話を聞かせて頂戴」

 身体を寄せて囁いた言葉に、では、と彼も話を始めた。




 久し振りに二人で眠ったベッドの中は意外なほど暖かくて。
 こうした日々の少しずつを大事にしていけたら良いと、どちらともなく思いながら、彼らは眠りについた。


新ろだ196

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最終更新:2010年05月23日 08:53