――How doth the lily busy bee――
物事のきっかけというものは、ごくごく小さな、些細なもの。勿論、何か大きなことがきっかけとなる場合もある。
しかし、大きなきっかけからしか大きな出来事が生まれないというわけではない。小さなきっかけから大きな出来事が生まれる場合もあ
れば、その逆もある。
私が彼――○○――を紅魔館に迎えたのも、些細なことがきっかけだった。
――ただの気まぐれ。
八雲紫に○○を紹介されたとき、私はあまり乗り気ではなかった。
少し威圧感を与えただけで尻餅をつき、顔を恐怖でくしゃくしゃにして、今にも失神しそうだった。
しかし、そこが私にとっては新鮮だった。
咲夜に霊夢に魔理沙。私の威圧感に怯まない、いわばおかしな人間ばかりが側にいた。
だから私は普通な○○を気に入った。だから私は○○を紅魔館に迎えることにした。
もし私の思い違いでつまらない人間ならば、事故に見せかけて消してしまえばいい。そう――ここは悪魔の棲む館なのだから。
おそらく、八雲紫も似たようなことを考えていただろう。
どこかしら面白みがあるから、私に託したのだろう。
見込み違いならば――。
そして、私の――私達の期待通りなった。
☆
紅魔館内の図書館で働く○○。彼は外の世界で司書として働いていた経験をいかすため、幻想郷にきてからは紅魔館の図書館に住み込ん
で働くようになった。
しかし、外の世界の図書館と紅魔館の図書館では、分類の方法や配架の仕方などを筆頭に何もかもが違った。そこで、○○は図書館を改
装するため紅魔館の主レミリア・スカーレットに直談判したのだった。
「司書として我慢できません。図書館を大幅に改装させてください」
「面白そうだし、構わないわよ。――ただし、ひとつだけ条件があるわ」
「な、何ですか……?」
○○の目の前にいるのは幼い容姿をしているとはいえ絶大な力を持った吸血鬼。○○は初めて紅魔館を訪れたときの恐怖を思い出し、息
を飲む。
「必要なものがあれば遠慮せずに言うこと。あなたもこの紅魔館の一員――いわば私の家族。家族の要望に応えるのが主たる私の役目よ」
「え、あ、ありがとうございます!」
こうして、紅魔館の図書館は大幅に改装されることとなった。
○○と同じく、外の世界から来た守矢神社の二柱の神と巫女は話を聞きつけるとすぐに協力を申し出た。さらに幻想郷にきた直後の○○
を保護した八雲紫も面白そうだと協力し、河童や天狗などの技術提供で改装はあっという間に完成した。
☆
大幅な改装に加え、河童謹製の蔵書検索端末や貸し出しシステムなども完備され、紅魔館の図書館は生まれ変わった。外の世界の図書館
と比べればまだまだ不備は多いが、排他的であった部分も緩和されて大きく変化したといえる。
「本当に随分とかわったわねえ……」
カウンターに座る○○の前にやってきたのは、以前から図書館を訪れている蜂蜜色の髪をした魔法使い。いつものように小さな人形を従
えている。
「司書さん、これの貸し出しをお願い」
「あ、はい」
魔法使いから本と貸し出し用のカードを受け取り、魔力を動力源とする機械にかざして手続きを行う。カードには「アリス・マーガトロ
イド」という名前が魔法で刻まれている。
「貸し出し期間は二週間です」
本とカードを手渡すと、魔法使い――アリス――はありがとう、と微笑み、静かに立ち去っていった。
「アリス・マーガトロイド……」
○○はぽつりと呟いた。何かを意識するわけでもなく、ただなんとなく。ただ無意識に。
「アリスが……どうかしたの?」
図書館の主パチュリー・ノーレッジが大量の本を抱えてふらつきながらやってきた。そのまま大量の本を○○の目の前に置く。
「さっき本を借りていったんですよ。俺、あの人の名前を知らなかったから」
「ああ……。そういえば○○には紹介していなかったわね」
ひとりで大量の本を運んだのが堪えたのか、パチュリーは疲れたような表情で口にした。
「そうね。なんだかんだ言ってアリスもここの常連だし、今度来たときには紹介してあげるわ」
そこで言葉を切り、パチュリーは何かに迷うような表情で○○を見る。しかし、その顔はすぐにいつもの冷めた表情に戻ってしまった。
「この本の分類をお願い。私は自分の文庫の整理をしてくるから」
「また魔導書を書いたんですか?」
○○は顔をしかめる。
「そうよ。何か問題でもある?」
ジト目を向けるパチュリーに対して○○は肩をすくめ、何も、と答えた。
「今に始まったことじゃないですからね」
「そういうこと。あと一時間で交代だから、それまでは頑張ってね」
「分かりました」
○○のやる気のこもった笑顔を見て、パチュリーは満足そうにしながら自筆の魔導書が収められているノーレッジ文庫に向かっていった。
「さて、それじゃあ分類でもしますか」
ひとりごちた○○は一番上の本を手に取り、奥付を確認する。すると、そこには著者としてアリスの名前があった。
「『曰く付きの人形物語』」
タイトルを思わず声に出してしまう○○。ストライクゾーンに見事にはまっているのだ。
「今は仕事中だ」
自分が読みたいがため、わざと自分の場所で作業を止める司書がいるという話を思い出し、○○は自制しようとする。
「ちゃんとしないと」
かぶりを振り、自身の頬を叩いて邪念を追い出す○○。
「さあ仕事仕事!」
☆
カウンターの奥にある司書室。入り口の扉には、威嚇するような真っ赤な文字で「関係者以外立入禁止」と書かれた張り紙が貼られてい
る。
決して広いわけではないのだが、現在の司書はパチュリーと○○、紅魔館に棲む小悪魔の三人だけなので広く感じてしまう。
「何を読んでるんですか?」
休憩中の○○が本のページを繰っていると、小悪魔が横から覗き込んだ。これだよ、と○○は小悪魔に本のタイトルを見せる。
「ああ」
本のタイトル――『曰く付きの人形物語』――を見て、複本を何冊かいれたんですよね、と小悪魔は頷いた。
「常連さんだっていうし、一応目は通しておいた方がいいと思って」
目を通しておいた方がいいと思っていたのは事実だが、本音としては単純に興味があったから。貸し出しの手続きをちゃんと踏んでいる
ので問題はない。
「○○さん」
そんな本音を知ってか知らずか、小悪魔は○○に後ろを向くように促す。
「……?」
後ろを向けば、紅茶を運んできたメイド長の十六夜咲夜と帰ったはずのアリスが何か話し込んでいた。二人とも○○の視線には気づいて
いない。
「○○さん、実はアリスさんに惚れてるんじゃないですか?」
小悪魔が○○の耳元で囁いた。
「い、いきなり何を――!」
急に声を荒げた○○を咲夜とアリスが怪訝そうに見た。
「こ、こっちのことなので気にせずに……」
○○は慌てて背を向ける。
「図星ですか?」
「またそうやってからかう……」
悪魔の本分ですからね、と小悪魔は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「綺麗なひととは思うけど、今日始めて名前を知った人なんだからそんなことはないって。それに、本を読んでいるだけで作者に恋をして
いるなんて言われたら、一生のうちにどれだけ恋をすればいいんだか」
身近に本の虫がいるでしょ、と付け足して○○は本を閉じた。
「それもそうですねえ」
盲点をつかれた、とういうような顔で小悪魔は頷く。
「からかわれる方の身にもなってよ」
○○は苦笑しながら肩すくめた。
「ところで、紅茶のおかわりはどうです?」
「あ、もらおうかな」
小悪魔が空になったティーカップに紅茶を注ぎ、○○が受け取る。
「流石は紅魔館の紅茶。絶妙ね」
背後からの声に二人が振り向くと、そこにはティーカップを片手に持ち、香りを堪能しているアリスがいた。
「アリスさんこんにちは」
「こんにちは、小悪魔。それと――司書さん。色々と噂は聞いているわ」
「こ、こんにちは」
ついさっきまで話題の中心だった人物が突如自分の背後に現れて、○○は内心で驚いている。
「あ、それ、私の本じゃない」
○○の机の上に置いてあった本にアリスが気づいた。
「今回複本を何冊か入れたんですよ」
○○は使用者がいない隣の机の椅子を引き、アリスに座るよう促す。
「複本?」
礼を言いつつ椅子に座るアリス。
「簡単に言えば二冊目以降の本ですね。同じ本でも、複数あればそれだけたくさんの人が読めますから」
「私の本なんて読みたがる人がいるのかしら」
首を傾げて、アリスは紅茶を口に運んだ。
「俺はこういう内容好きですよ」
「○○さんの持ってる本って、タイトルに魔法とか呪いとか付いてるのが多いですよね」
○○が外の世界に別れを告げに行った際、所有している全ての本を幻想郷に持ち込んだのだ。そのうち多くの本は「○○文庫」として図
書館に寄贈されている。
「ふ-ん……」
アリスの視線が○○のつま先から頭まで、じっくりと品定めするように動いていく。
「司書さんってかわってるわね」
「司書なんてやってる人間はみんなどこかかわってますよ」
アリスは一瞬何かを考えるような顔をして小悪魔を見たが、すぐに納得したような表情をして、そうね、と頷いた。
「ちょっと、アリスさん。何でこっちを見たんですか?」
「特別な意味はないわ」
そう言うアリスの唇の端は少しだけ弛んでいる。
「……○○さんの変人っぷりは紫さんやレミリアお嬢様公認ですから」
どこか釈然としない表情の小悪魔。
「変人と言われるとなんだか複雑なんだけど……」
「幻想郷に留まるだけでも充分かわってるけど、紅魔館で働くなんてもっとかわってるわ。よくも悪くも変人としての証拠」
○○の意見などまったく意に介さず、きっぱりと言ってのけるアリス。
「むう……」
「裏を返せば、かわり者の司書さんにしかできなということよ」
「ははーん。さてはアリスさん、○○さんに惚れてますね」
○○をからかおうとして失敗したことへのリベンジなのか、先ほどのアリスの態度への復讐なのか、小悪魔は○○にしたようにアリスを
からかう。
「ッ!」
「何言ってるのよ」
慌てる○○とは対照的にアリスはいたって冷静で、会話と同時に紅茶を楽しんでいる姿からは上品さのようなものが溢れている。
「今日初めて顔をあわせたのに惚れるわけないでしょ。一目惚れじゃあるまいし」
アリスの言葉を聞き、小悪魔が○○に視線を送る。
「あの、初対面じゃないんですけど……」
「えっ……?」
目をしばたたかせ、アリスは過去の記憶を呼び起こそうとする。
「改装前から結構すれ違ったりしてるんですけどね」
○○は目を細め、どこか遠くへ視線を向けた。
「ご、ごめんなさい。まったく記憶になかったから……その……」
「まあいいですけどね……。話題を変えましょうか」
「そ、そうね……」
アリスはばつが悪そうな顔をし、○○から目を逸らした。
「○○、そろそろ閉館の時間だから――」
図書館と司書室を隔てる扉を開け、微妙な空気が漂う空間を破壊したのはパチュリーだった。
「アリス……帰ったんじゃなかったの? それにここは関係者以外立入禁止よ」
「咲夜に用があったのを思い出して戻ってきたのよ。ちょうどこっちに来てるっていうし、入れさせてもらったの」
「……そう。それより○○、小悪魔。そろそろ閉館時間だから戸締りを手伝ってほしいんだけど」
「戸締りなら終わりましたよ」
涼しげな表情でいつの間にかパチュリーの後ろに佇む咲夜。いつものように能力を駆使したのだろう。
「さあ、パチュリー様も紅茶が冷めてしまわないうちに」
「あら、ありがとう」
紅茶を受け取ったパチュリーは○○の向かい側にある自身の席に座る。
「アリス、知っているとは思うけど一応紹介しておくわ。外の世界からきた司書の○○よ」
「あー、司書の○○です」
「えっと、アリス・マーガトロイドです」
新しくできた微妙な空気の中で改めて挨拶をかわす二人。
「どうかしたの?」
「実はですね、パチュリー様」
小悪魔の耳打ちを受けて、パチュリーの頬がみるみるうちに弛んでいった。
「確かに○○は影が薄いわね。……ふっ」
「ちょ……!」
「実は私も思っていました」
パチュリーの発言に便乗する咲夜。
「確か、レミィも○○の影が薄いと言っていたわね」
「はい」
「そんな……」
連続してショックを受けたせいか、○○は机に突っ伏してしまった。
「燃え尽きたよ。真っ白に燃え尽きた……」
「じゃあそのまま灰にしてあげるわ」
パチュリーの掌に炎が宿るが、その顔はいたずらっ子のように無邪気な表情をしている。
「物騒だからやめてくださいよ」
○○は冗談だと理解しつつも、慌てて半身を起こして身を退いた。
「冗談よ」
慌てふためく○○の姿を見て、パチュリーはくすくすと笑う。ひとしきり笑ったあと、今度は咲夜に視線を向けた。
「咲夜。客人が一人くらい増えても問題ないわよね?」
「一向に構いませんが、お嬢様の許可を頂かないと……」
「私の客人とでも言えばなんとでもなるわよ」
そこでパチュリーは一呼吸おくように紅茶を口に運んだ。
「アリス、一緒に夕食でもどう?」
☆
紅魔館で夕食をご馳走になった。しかもパチュリーからの提案で。
信じられない。
あのパチュリーが、自分から他人を食事に誘うなんて。
それに、あんなに笑顔を見せるようになったのも。冗談を言うようになったのも。
司書さんがきてから紅魔館が変わった、と魔理沙は言っていたけど、本当だったみたい。
今までは別段信じていなかったけだけに、改めて実感したわ。
人間はかわってしまうものだけど、それは人間に限った話じゃないのね……。
雰囲気は随分と明るくなったと思う。
パチュリーもそうだけど、紅魔館全体が。あそこはもっと排他的だった。
人間がひとりいるだけで、あそこまでかわるものなのかしら。信じられないわ。
──────────
――Alice in Underland――
今日もアリスが来た。
自分から外に出ることは少ないはずだったのに、いつの間にあんなにアウトドアになったのかしら。
……図書館に来ているからアウトドアとは言いがたいわね。
思い返せば、この図書館にもよく人が来るようになったわ。
最初は魔理沙と霊夢。あの二人が来てから、色々とかわった。
きっと、あの二人がきっかけだったのね。
閉鎖的だったこの館に大きな風穴を開けてくれた。道がなかったところに、道をつくってくれた。
そして○○。
二人に比べれば大したことはない。けれど、一役買っているのも事実。
ただの人間なのに、レミィに直談判して図書館を改装させた。
おかげで、図書館の利用者が増えた。
今まではせいぜい魔理沙や霊夢にアリスくらいだったのに、あの稗田家の令嬢にワーハクタク、守矢神社の巫女までも利用するようにな
った。
他にも、改装に協力してくれた河童や天狗もちょこちょこ利用してくれる。
以前から比べれば、信じられないくらいかわってしまった。
悪魔の棲む館はどこへ行ったのやら。
魔理沙は随分と面白がっていた。最初に○○が変人だと言ったのも魔理沙だった気がする。
変態だったかしら……?
呼称はどうでもいいわ。
今となっては○○もこの紅魔館の一員。いなくてはならない存在。
小悪魔もからかう相手ができて満足しているし、私としても外の世界の図書館や本の話は面白いと思っている。
よくよく考えれば、魔理沙達とは違う普通の人間とこれだけ話をしたのは初めて。
会話だけじゃない。全てが初めて。
一緒に食事をしたり、紅茶を飲んだり。ひとつひとつあげていけば、それこそキリがない。
☆
「だが断るッ!」
いつもの図書館。本を片手に紅茶を飲む○○と、その対面の席に座るアリス。
「ど、どうして……?」
貸し出しを断られたアリスは○○に対して理由を求めた。
「今日は休館日。以上」
「……それだけ?」
あまりにも単純な答えに、何か重要な答えが返ってくると考えていたアリス呆けてしまった。
「利用者は少ない――貸し出したのは今週で二人だけでしたけど、これはルールです。だから今日は貸し出しできません」
残っていた紅茶を飲み干し、○○は改めてアリスを見る。
「俺が我慢できないことが二つ、世の中にあります」
人差し指と中指を立て、アリスに向ける。
「時間とルールを守らない。この二つだけは許せません。図書館を利用しようとしてくれる意思はすごく嬉しいんですけどね」
アリスは嘆息しながら背もたれにもたれかかった。
「……今日は諦めるわ」
「ありがとうございます」
○○は空になったお互いのティーカップに紅茶を注ぐ。勿論、アリスのカップに先に注ぎ、自分の分は後回しにして。
「ありがとう」
お互い無言で紅茶を口にし、その味をじっくりと堪能する。しかし、○○は実際のところ紅茶の味は分かっていない。
「そうだ、司書さん」
「はい?」
「一度こっちに来てから、どうやって外の世界に戻ったの?」
「頼み込んで一旦帰らせてもらったんですよ。ケジメをつけるってことで」
「紫が許可したの?」
「ええ」
アリスは腑に落ちないような表情をして何か考え込む。
「そんな簡単に外の世界に帰してくれるとは思えないんだけど……」
「一応取引ってことで、数日間軟禁されましたけどね」
「何をされたの? できる限り詳しく教えてちょうだい」
身を乗り出して興味津々と聞くアリスに対し、○○は、さあ、と答えて肩をすくめただけだった。
「食事の時と手洗い以外は部屋から一歩も出ない、が条件でしたから。あと、結界を張るとかなんとか言ってました」
「……聞いたのが間違いだったわ」
アリスはこめかみを押さえてかぶりを振る。
「司書さんにあの八雲紫の考えが分かるはすないものね」
私にも分からないけど、と付け足してアリスは紅茶を口に運んだ。
「分かる方がどうかしてるわ」
「そうなんですか?」
「他人には理解できない性格をしてるもの」
それに言動全てが胡散臭いし、と念を押す。
「司書さんにこんな話をしてもしょうがないわ。そうだ。もしよかったら、外の世界の話を聞かせてもらえない?」
「またですか? 結構な量を話したと思うんですけど……」
「○○さーん。お客さんですよ」
本棚の合間から小悪魔が顔を出した。その後ろには、○○と同じく外の世界からやってきた守矢神社の巫女東風谷早苗がいた。
「○○さんこんにちは」
「あ、こんにちは。今日はどうしました?」
○○は椅子を引き、早苗に座るように促す。
「以前お借りした本を返しにきました」
片手に持っていた箱をテーブルの上に置き、早苗は戻っていく小悪魔の背中に礼を言って椅子に座った。
「貸し出しは駄目で、返却はいいの?」
「受け取るだけですよ。外の世界では開館時間にこれない人のために返却ボックスを設置している図書館もあるんです。ここは利用者が少
ないんで、直接受け取るという形です」
「へえ……そうなの」
「それで、内容はどうでした?」
○○は何かを待ち望んでいたかのように早苗に視線を向ける。
「翻案は勿論ですけど、翻訳者によって大きな違いがあるんですね。驚きました」
蚊帳の外に放り出されたアリスは、早苗が置いた箱の中から厳重に封がされたケースを取り出した。中身を伺うことはできないが、ケー
スそのものに『愛ちやんの夢物語』と書かれている。
「これ、いくつか魔法が重ねがけしてあるわね。パチュリーがかけたの?」
「ええ。中の本が貴重書なんですよ」
「貴重書?」
アリスはケースを眺め、そっと元の箱に戻した。
「百年くらい前の本ですね。外の世界じゃまず手に入りませんから、ここで綺麗な状態で三冊も見つけたときは本当に驚きましたよ」
アリスが今までに見たことのない、嬉々とした表情で語る○○。
「百年前……」
「図書館によってはもっと古い本を持っているところもありますよ。貸し出しはしてくれないですけどね」
☆
アリスは紅茶を持って小悪魔の隣の席に座った。
「どうしたの、アリス?」
向かい側の席にいるパチュリーに問われ、アリスは顎で○○のいるテーブルをさした。
「……なるほど」
○○は早苗と作品の内容について議論を交わし、普段の姿からは想像できないくらい白熱している。
「話し相手をとられたわ」
アリスは不満そうに紅茶を口に運んだ。
「○○があれだけ興奮するのも珍しいわね」
「最後に見たのは……半年くらい前でしたっけ?」
「確かそれくらいね」
以前に○○が白熱した姿を見たことのあるパチュリーと小悪魔は、さして気にもせず目の前の本に視線を戻す。
「司書さんもあんなに興奮するんだ」
「外の世界で魔法がどういうふうに見られているか聞いたときね。民俗学と宗教と神話の話にも飛んでいたけど、一時間以上熱心に喋って
いたわ」
「あれには驚きました」
その状況を思い出して、二人は懐かしそうに笑う。
「アリスの本も○○に好評だったじゃない。意見を聞いてみたら?」
「流石にそれは……恥ずかしいというか」
「その割りには、この前自分から本をプレゼントしてましたよね」
「し、知ってたの……?」
小悪魔はニヤリと笑う。
「『司書さんは……私の本を何度も読んでくれてるのよね?』
『はい。毎回貸し出しの手続きをちゃんと踏んでますよ』
『毎回は面倒じゃない? だから、私が本をプレゼントするわ。受け取ってくれる?』
『え? い、いいんですか?』
『構わないわよ。まだ余っているから』」
器用にも女声と男声を完璧に使い分け、アリスと○○の会話を再現する小悪魔。
「『司書さん……○○さん……』
『アリスさん……』
『愛してるわ……』
『俺もだよ……』」
小悪魔は自身の手の甲に口付けし、あまりにも露骨なキスの音を作り上げた。
「ちょ、ちょっと! 勝手に事実を捏造しないでよ!」
流石のアリスも取り乱し、小悪魔を止めようとする。しかし、小悪魔が身を逸らしたことによって伸ばされたアリスの手はかわされてし
まった。
「二人がそういう関係になっても、私は歓迎しますよ?」
「私も祝福してあげるわ」
二人の言葉でそういう未来を想像したのか、アリスの動きが一瞬止まる。
「私と司書さんはそういう仲じゃないわよっ。あくまでも司書と利用者。読者と著者」
「ま、突然そんなことを言われれば、誰だって取り乱すものね」
パチュリーは面白いものを見た、というような顔で笑った。
「話を戻すけど、活発な意見交換や議論はいいことよ?」
落ち着かないのか、アリスは答えずに紅茶を口に運ぶ。
「自分の意見が否定されるのはいい気分ではないけど、相手の意見を聞くことで新しいものの見方ができるようになるもの。自分の意見の
問題点や改善点だったり、知らないことを知ったり」
そう言って、パチュリーは本を閉じて紅茶を口に運んだ。
「あの二人は外の世界から来たから、私達とはものの見方が違うの。だから、二人の意見を聞くのも面白いわよ? アリスも相談事があっ
たら、○○にしてみたら?」
異変の相談なんかしても無駄よ、と付け足す。
「相談ね……。考えておくわ」
落ち着きを取り戻したのか、アリスはゆっくりと口を開いた。
「ところで、あの二人ってなかなかお似合いだと思いませんか?」
小悪魔は身を乗り出し、声を潜めて言う。
「「そう?」」
パチュリーとアリスの声が見事に重なり、二人はお互いの顔を見合わせて小さく笑った。
「私には仲のいい兄妹に見えるわ」
「近所の幼馴染と言ったところかしら」
パチュリーとアリスもそれぞれ微妙に違う認識を示し、三者三様の意見が揃った。
「そういえば、守矢神社の背の高い方の神は○○を婿に迎えたがっていたわね」
「そうなの?」
「そうなんですよ、アリスさん。あの神様、図書館に来る度に『○○。早苗と結婚しないか?』って言うんですよ」
小悪魔は声色をかえて真似をするが、会ったことのないアリスには通じていない。
「やっぱり、外の世界から来たという共通点が理由でしょうね。それに、二人とも真面目だし。恋愛にせよ友情にせよ、共通点の有無は大
きいわ。私達も魔法使い同士だし」
パチュリーの言葉を聞き、アリスは一瞬呆ける。
「……そんな言葉がきけるなんて驚きだわ」
「昔の私がいたら、驚くでしょうね」
二人は顔を見合わせ、満更でもないような笑顔を見せた。
☆
数日前までの晴天が嘘だったかのように、雨が降り続いている。
「何をしているの?」
図書館の入り口に椅子と机で足場を作り、作業をしている○○とそれを見上げるパチュリー。
「完成っと」
「あ……」
○○が足場から降りると、体で隠れていた作業の正体が明らかになった。
「てるてる坊主」
「流石に三日連続の雨は気が滅入りますからね」
真っ白なてるてる坊主が二つ、仲良く首を吊っているかのようにぶら下がっている。
「あれ……このてるてる坊主、ちょっと変じゃないですか?」
あとからやってきた小悪魔が宙に舞い上がり、片側の何も描かれていないてるてる坊主を手にとった。
「顔も何も描いてませんよ? こっちはちゃんと顔があるのに」
そう言ってもう片方の顔が描かれているてるてる坊主も手に取る。
「地方によっては顔を描くと雨が降るとか、晴れたら目を描きいれるとか、色々あるいみたいだから、片方はのっぺらぼうにしてみたわけ」
「へえー、そうなんですか」
小悪魔は○○の横にふわりと着地する。
「○○さんも案外子供じみたところがあるんですね」
「小悪魔。てるてる坊主には呪術的な意味が込められているのよ。祓を行った人形を川に流すように、てるてる坊主も感謝の念を込めて川
に流すの」
「お酒なんかを捧げて感謝するわけ。勿論、晴れた場合だけどね」
「じゃあ……晴れなかった場合はどうするんです?」
「首を切る」
さらっと口にした○○に対し、小悪魔はびくりと肩を震わせ一歩退く。
「悪魔が何を怖がってるの。それに、これは童謡の歌詞だから」
「人間って……怖いですね」
「悪魔に言われてもねえ」
○○は肩をすくめて苦笑する。
「私も人間が怖いに賛成ね。この図書館を大改装させたり、本を盗んでいくのは人間だもの」
言葉ではそう言うパチュリーだが、その表情はどこか楽しそうにしている。
「私は自分の仕事をするわ」
踵を返したパチュリーは、手近な本棚から本を一冊取り出してカウンターへ向かっていった。
「ところで○○さん」
「ん?」
「今日は誰か来ると思います?」
「あまり言いたくないけど、誰もこないと思う……」
○○が諦めたように答えた瞬間、見事なタイミングで入り口の扉が開いた。
「こんにちは。司書さん、小悪魔」
やってきたのはアリスだった。今日はいつもの人形に加えて箒を持った少女の人形を従えている。
「こんにちは。アリスさん」
「こんにちは。あ、それって掃晴娘人形ですか?」
「ソウチンニャンニンギョウ?」
聞いたことのない言葉に首を傾げるる小悪魔。
「知ってるなんて流石は司書さんね」
「そんなことないですよ」
○○は吊るしてあるてるてる坊主を指差す。
「図書館にも吊るそうと思って作ったんだけど、考えることは同じだったみたいね」
「二人だけで納得してないで説明してくださいよ」
小悪魔は自分だけ蚊帳の外なのが気にいらず、抗議した。
「掃晴娘人形っていうのは、てるてる坊主の起源になった人形だよ」
「三日連続で雨だから、吊るそうと思ったのよ。私も自宅に吊るしたし」
いつの間にか掃晴娘人形がてるてる坊主達の横に吊るされている。
「ただの自然現象だといいんだけどね」
アリスは何か面倒なことを思い出すようにため息をついた。
「ところで、司書さんに相談があるんだけど」
「何です? 遺産相続とか嫁姑問題は受け付けませんよ」
「そんなんじゃないわよ」
「○○さん……それ、冗談ですか? だったらすごくつまらないですよ」
特に気にしていないアリスと、何か相当酷いものでも見たかのような表情の小悪魔。
「え、えーと……そ、それで用件は?」
○○は二人から視線を逸らす。
「今度の星祭で外の世界の物語を人形劇にしたいんだけど、協力してもらえる?」
「なるほど。だから俺に相談ですか」
「そういうこと。何かいい物語はないかしら」
「私も協力しますよ。どうせ誰もこないと思いますから」
小悪魔の発言に○○は複雑そうな顔をする。
「そうなの?」
「この三日間で来たのはアリスさんで二人目ですよ。一人目は守矢神社の小さい方の神様。……神様は柱だから……アリスさんが一人目?」
「こんな場所だし、雨が降ってるものね」
アリスは励ますように○○の肩をぽんと叩いた。
「私は紅茶をいれてきますから、適当な場所で始めちゃってください」
☆
アリスの持ち寄った相談にパチュリーも加わり、既に数時間が経過した。通常なら日も暮れている時間帯である。
「これなんてどう?」
アリスは○○が運んできたブックトラックから、自身の名前がタイトルに含まれている本を手に取った。
「駄目ですね。ウミガメそのものを知らない人が多すぎます。それに言葉遊びも通じないと思いますよ」
残念そうにしながらも興味を持ったのか、適当にページをめくるアリス。
「星祭の人形劇だから、やっぱり星にまつわる話がいいですよね」
「これは?」
パチュリーは金髪の王子が描かれた本を手に取った。
「タイトルに星が付いてるけど、あまり相応しい内容じゃないと思います」
「外の世界の本はタイトルがややこしいですね」
○○が相応しくないと判断した本を一箇所にまとめながら、小悪魔も本探しに協力している。
「昔の邦訳作品はそういうのが多いから」
椅子の背もたれにもたれかかり、○○は紅茶を口に運んだ。
「あ、これ面白そうですよ。レミリアお嬢様も吸血鬼だし、紅魔館の評価が上がるかもしれません」
「却下。その作品は吸血鬼が悪役だよ。最後には人間に倒されるし」
「……」
何事もなかったように、小悪魔は本を元の場所に戻した。
「いっそのことアレンジした方がいいかもしれないわね」
「確かにそうね」
○○が運んできた本の多くは分厚いものばかり。中にはシリーズものも含まれている。対象が大人だけならばまだしも、子供も観に来る
人形劇で上演するには無理がある。
「幻想郷の風土にあったもの……難しいですね」
無言の空間が訪れる。聞こえるのはそれぞれの息遣いとページを繰る音のみ。
「そうだ」
○○の声に三人が反応する。
「今までにどんなものをやったんですか? それが分からないと参考になりませんよ」
「ああ、そうね。何で気づかなかったのかしら」
アリスはここ数年の間に披露した人形劇の内容を説明した。
「あー、つまり、星祭なのに織姫と彦星の説話を劇にしたのは最初の一回だけと」
「……そうね」
「原点回帰ってことで、織姫と彦星の話でいきましょう」
決定ね、とパチュリーは本を閉じた。
「台本はどうします? まあ、内容はそんなにかわらないと思いますけど」
「昔使ったものが残っているから、それをアレンジしましょう」
☆
パチュリー様から先月の図書館利用者リストを受け取った。外の世界ではこういうのは禁止されているらしいけど、ここは幻想郷。外と
は違うわ。
勿論、○○には見せていない。存在すら知らないはず。
○○は真面目だから、こういうのがあることを知ったら頭を悩ますでしょうね。
私はメイド長であって図書館には直接関与していないし、資料として見ているだけだから、これを見てどうこうするつもりはない。
当然ながら、改装して以降魔理沙と霊夢以外の利用者が増えているわ。霊夢は滅多にこないし、魔理沙のあれは利用とは言えないけどね。
特に顕著なのはアリスの来館率。週の半分以上来館しているというのは、他の利用者と比べても異様に高い。
パチュリー様は楽しそうにしているし、小悪魔も○○も歓迎しているみたいだから、何も問題はないけど。
同じ魔法使い同士、パチュリー様と情報交換をしているのでしょう。
他に理由があるとするなら……○○の持つ外の世界の知識。
幻想郷で得られる知識は少なく、あのスキマ妖怪が簡単に教えてくれるとは思わない。
聞いたら聞いたで、面白がってあること三割、ないこと八割くらい吹き込まれそうな気も。妖怪の山は天狗が五月蝿いでしょうし、本も
あるからここに来るのね。
そのうち、パチュリー様の客人ではなく○○の客人としてもてなすことになるかもしれないわ。
─────────
――Who Stole the Hearts?――
○○さんは真面目です。
アリスさんの家に行くとはいっても、所詮は台本のチェック。なのに、何か持っていったほうがいいかとうろたえていました。
それに、服もいつものよりいいものを着ていくべきか悩んでいたみたいです。結婚相手の両親に挨拶をしに行くんじゃあるまいし……。
パチュリー様は呆れていたみたいですね。うるさかったので百科事典三冊で黙らせていました。
結局、特別な日というわけでもないでの、普段どおりの格好に落ち着いたみたいです。
やっぱり、○○さんの欠点は真面目すぎるところですね。……まあ、そこがからかって面白い部分なんですけど。
でも、パチュリー様は少し心配していました。
○○さんは真面目すぎるから何でも自分の責任にして、ひとりで解決しようとします。少しくらいなら問題ないんですけど、許容量を越
えてしまうと……。
以前聞かせてもらった外の世界での失敗談も、それが原因です。しかも本人は気づいていない。
東風谷さんに聞いたら、外の世界ではそういう性格の人は確実に苦労をするそうです。東風谷さんの意見が正しいかどうかは確認のしよ
うがないですけど、外の世界で満足していたら幻想郷に留まろうなんて思いませんよね。
☆
「準備はいい?」
紅魔館まで○○を迎えに来たアリス。手が放せないパチュリーと小悪魔にかわり、空を飛べない○○を導くのは自宅に招待したアリス本
人の役目となった。
「は、はい」
緊張する○○を後目に、アリスが何か囁いた。すると、○○の足元から淡い青色に光る六芒星があらわれ、そこから立ち上る光が○○を
包みこんだ。
「お、おお……」
さらにアリスが続けて口を動かすと、六芒星が○○の足元に吸い込まれていくように徐々に光を失って消えていった。そして○○の体が
宙に浮かび上がる。
「俺……浮い……てる……」
吸血鬼や悪魔と共に暮らし、他人が空を飛ぶ姿を散々見てきた人間の発言とは思えないが、やはり自身が直接経験するとなると違うのだ
ろう。○○は嬉しそうに体中に触れている。
「浮いてる! 浮いてる! ヒャッハァ!」
「はしゃぎたくなる気持ちも分かるけど、少し落ち着いて」
両目を少年のように輝かせて足と地面の間に手を出し入れする○○に対し、アリスが不満そうに声をかけたのが約五分後。
「そろそろいいかしら?」
「あ、はい。……すいませんでした」
「まあいいわよ。初めて飛ぶんだから、それくらい許してあげる」
しゅんとする○○を見て、くすりと笑うアリス。
「それじゃあ、行くわよ」
アリスは○○を導くために手を取った。取ろうとした。しかし、○○が猛烈な勢いで手を引っ込めてしまったため、宙を掴むことになっ
てしまった。
「……」
「……」
二人の視線が重なる。
「……あ、その、すいません。えーと、女のひとと手を繋いだことがないもんだから、ついびっくりして」
ばつが悪そうにして、○○はアリスから顔をそらした。
「じゃあ、私が初めてなんだ」
「あ、はい」
「嫌かもしれないけど、我慢してくれる?」
「い、嫌だなんてそんなッ! む、むしろこんな綺麗なひとなら――」
そこまで口にして、○○は自身の発言に、アリスは露骨に褒められたことに照れてお互いに背を向けてしまった。
「え、えっと……その……」
「い、行きましょう……!」
アリスはぎこちない動きで強引に○○の手を取った。
「高度と速度は私が調節するから、手は離さないでよ? 今は浮いていられるけど、手を離すとすぐに落ちちゃうから」
○○の答えを待たず、アリスは動き出した。ゆっくりと景色が動き出したかと思うと、そのままスピードがついて滑るように動き出す。
「すごい……。俺、空を飛んでる……!!」
「気分はどう?」
「風が気持ちいいです。視点も全然違うし、体を動かさずに移動できるなんてすごいですよ!」
先ほどの妙な空気も忘れ、子供のようにはしゃぐ○○の顔を見てアリスは嬉しそうに微笑んだ。
「こんなこともできるのよ」
スピードをあげながら上昇し、そのまま空中で宙返りをするように一回転した。
「逆立ちをしたわけでもないのに、地面が頭の上にあるなんて不思議でしょ?」
○○は嬉々とした表情で激しく頷く。
「司書さんも以外と子供なのね」
「男はいくつになっても子供の部分を残しているものですよ」
遠い目で正面を見据える○○。
「そういうものなの?」
「ただの持論です」
真面目な顔をして答える○○を見て、アリスは笑った。
「司書さんはやっぱりかわってるわね。それに面白い」
「それって褒めてるんですか?」
「一応はね」
アリスは○○に向けて笑顔を見せる。
「あ、ありがとうございます」
○○は恥ずかしそうに片手で頭をかきながら小さく礼を言った。
「……人間は飛べないのが普通だったわね。魔理沙達のおかげで、そんなことも忘れていたわ」
「おーい! アリス! ○○!」
後ろからの声にアリスが振り向くと、声の主はすぐに二人に追いついて横に並んだ。
「久しぶりだな、二人とも!」
声の主はアリスと同じ蜂蜜色の髪を持つ魔法使い――霧雨魔理沙――だった。いつもと同じ黒と白の服に身を包み、箒にまたがっている。
「二人してどうしたんだ? それに手なんか――」
一瞬何か考えた魔理沙は、納得したような表情を浮かべた。
「なるほど。デートか。暫く見ないうちに二人は恋人になったんだな」
魔理沙の予想外の発言に驚いたのか、○○の手を握るアリスの手に一瞬力がこもった。
「ちょ、違いますよ!」
○○は思わず両手を振り、慌てて否定する。
「あ」
注意を受けていたにもかかわらず、○○は手を離してしまった。そのまま重力に引かれて落下してしまう。
「司書さんっ!」
「○○!?」
状況を理解していなかった魔理沙は判断が遅れて動くのがワンテンポずれた。その間にアリスはすさまじい勢いで加速し、○○の体を両
腕で掬うようにして抱えあげた。
「す、すいません」
「浮かせていたからなんとかなったけど、私じゃ司書さんの体重は支えられないわよ?」
突然のトラブルに二人は胸の鼓動をはやくさせながら、魔理沙と同じ高度まで戻る。
「あー、その、何だ。何か私が余計なことをやっちまったみたいだな。ごめん」
「気にしないでください。注意を守らなかった俺が悪いんですから」
帽子を目深に被りなおす魔理沙に対し、アリスに抱きかかえられた状態で謝罪する○○。
「男がお姫様だっこをされているときはなんて呼ぶんだろうな。逆お姫様だっこか? 王子様だっこ? 聞きなれないからしっくりこない
ぜ」
「……」
「……」
魔理沙に指摘されて自分達の状況に気づいたアリスと○○は、至近距離でお互いの顔を見合わせて真っ赤になる。
「わ、私が手を握っている限り、落ちることはないわよ」
「あ、はい……」
○○はアリスの片手を握ったまま腕の中から飛び降りた。落下することはなく、しっかりと宙に浮く。
「それで、これはいったいどういう状況なんだ?」
「そ、そうね。一応事情を説明しておくわ」
○○もそうだが、理由を説明するアリスの顔もまだ赤い。
「なるほどね」
魔理沙は納得するように息をついた。
「てっきりそういう仲だと思ったんだけどな――そうだ!」
何か面白いことを思いついたのか、魔理沙の顔が明るくなる。アリスの顔はそれにあわせてしかめっ面になった。
「これから付き合えば問題ないだろ! 記念ってことで酒も飲めるし」
馬鹿馬鹿しい、と言わんばかりの盛大なため息をついたアリスは、魔理沙にジト目を送る。
「魔理沙、あなたはどこに行くつもり?」
「ん? 霊夢のところだけど」
「そう。じゃあはやく行きなさいよ」
「言われなくて行くぜ。じゃあな!」
アリスに上手くあしらわれたとも気づかず、魔理沙は行ってしまった。その後ろ姿を見て、二人も動き出す。
「いいんですか? 変な噂がたったりしたら……」
「大丈夫よ。魔理沙は口も性格も悪いけど、根も葉もない噂を撒き散らしたりはしないわ」
「……信頼してるんですね」
「い、いきなり何を言い出すのよっ!?」
不意をつくような発言を受けても○○の手を離さないのは流石アリスといったところか。しかし、飛行速度は少々落ちた。
「相手を信頼してないと、さっきみたいなことは言えないと思います」
「そりゃあ魔理沙の実力は折り紙つきだし、魔法使いとしても認めているわ」
「少なくとも――」
アリスは○○の顔を横目で見る。
「相手の実力を認めているなら、その人のことは嫌いじゃないはずです」
「……子供みたいなことを言うのね」
「さっきも言ったじゃないですか。男はいくつになっても子供だって」
「そうだったわね」
どこか満足そうな笑みを浮かべるアリスだったが、今度は正面からやってくるふたつの影を見つけて速度を落とした。
「あれは……」
影の正体は白い服に漆黒の翼を持った少女射命丸文と、朱色の服に注連縄を背負った女性八坂神奈子だった。
「あやややや。これはいったい……!」
文はアリスと○○が手を繋いでいるのを目ざとく発見すると、すぐさま愛用のカメラに現在の状況を収めだした。
「○○と人形遣いの嬢ちゃんじゃないか。どうしたんだい、二人してこんなところで」
蛇が得物を丸呑みするように、神奈子はじっくりと二人の様子を眺める。
「○○、うちの早苗というものがありながら浮気とはいい度胸だね」
「初耳ですね。少し詳しい話を聞かせてもらえますか?」
神奈子の発言を聞き、文は文花帖を取り出してメモの準備を整えた。
「ちちち、違いますって」
慌てる○○の姿を見て、神奈子はからからと豪快に笑う。
「冗談だよ冗談。○○はからかい甲斐がるからね。嬢ちゃんだろ、○○を宙に浮かせてるのは」
小悪魔の声真似が似ているな、と頭の片隅で考えながらアリスは頷く。
「理由はなんだい? ○○に空を飛ぶ感覚を教えてあげてるとか?」
「あ、いや、そうじゃなくて……」
先ほど魔理沙にしたように、アリスは一人と一柱に事情を説明した。
「司書と人形遣いの真昼のランデブーじゃなかったんですね。残念」
「ランデブーってなんですか」
「そのままの意味ですよ」
つっこむ○○に対して、文は冷静に切り返す。
「そうだ、アリスさん。実は私、今回の星祭に参加するひとを取材してるんですよ。近いうちに伺わせてもらっても構いませんか?」
「……構わないわよ」
アリスは一瞬考えたが、問題ないと判断してすぐに承諾した。
「ありがとうございます」
「ところで、そっちは何をしているの?」
「私は神奈子さんの取材です」
文がカメラを向けると、神奈子はそれに合わせるように一瞬で見事な笑顔を見せた。
「私は星祭実行委員会の手伝いさ。こういう地道な活動が信仰心の獲得に繋がるからね」
神奈子は笑顔のままで右手の親指をびしっと立てる。
「そうだ、○○。早苗との結婚は考えてくれたかい?」
「だ、だからそんなことは考えていませんっ」
「分かってるよ。こっちも冗談半分だから」
「残りの半分は?」
「本気だよ」
アリスの問いに対し、神奈子は真剣な瞳で○○を見る。
「恋愛でも友情でも、人間関係で大事なのは共通点だよ共通点。○○は私達と同じ外から来た身だからね、贔屓にしてるんだよ。些細なこ
とと思うかもしれないけど、世の中そういうことが積み重なってできてるんだ。○○、お前の体だってそうだ。皮膚に筋肉に骨。もっと細
かく見れば、細胞や原子、分子でできている。星祭もそう。ひとつひとつ星が寄り集まって天の川ができた。星がひとつしかなかったら、
天の川なんてできやしなかった。天の川がなければ、星祭もなかった」
「そりゃそうですけど……」
「○○、お前が司書になったのはどうしてだい? 本が好きだったから? じゃあ、どうして本が好きになった? 本を読んだから? も
し、そのときに読んだ本が別のものだったら、好きになってたかい? 分からないだろ? 世の中、本当にそういう些細なことが連続して、
積み重なってできてるんだよ」
神奈子はがしっ、と○○の肩を掴んだ。
「早苗との結婚、冗談半分、本気半分で答えを期待してるからね」
そう言う神奈子の目は「はい」か「YES」しか認めないと訴えている。
「それじゃあ私達はいくよ。人形劇頑張りな。星祭を楽しみにしているから」
「それではアリスさん、また後日」
神奈子は去り際に○○の背中をばしりと叩き、文と共に人里の方へ向けて飛んでいった。
「神様に期待をかけられましたね」
「嫌なプレッシャーよ」
アリスは肩をすくめた。しかし、その表情は満更でもなさそうだった。
☆
「それじゃあ、私は紅茶をいれてくるわ」
そう言って○○に過去の台本を渡し、キッチンに引っ込んだアリスはため息をついた。
「……らしくないわね」
○○といると、どこか浮き足立ってそわそわしてしまう。一挙手一投足を目で追ってしまい、心が落ち着かない。
「魔理沙ったら……。私と司書さんが恋人同士なんて……」
恋人同士という部分を反芻して再びため息をつく。否定の言葉は紡がなかった。
「恋」
ぽつりと呟く。今までは恋をしているとは考えなかった。夢にも思わなかった。しかし、アリスの現在の心理状態は確証がないとはいえ
恋愛感感情のそれに近い。
「……」
○○と繋いだ手を見つめ、胸に当てる。魔理沙に恋人と言われたことを思い出し、鼓動がはやくなった。
「最近は図書館によく行くけど……」
紅茶の準備をしながらここ暫くの行動を思い返す。改めて意識してみると、今までとは比べものにならないくらい多くの時間を図書館で
過ごしていることに気づいた。
「図書館にいけば、司書さんやパチュリー、小悪魔と紅茶を飲みながら雑談して……」
自身の行動を振り返り、恋愛感情かどうか見定めようとする。何がきっかけとなったのか探り出そうとする。
「……司書さん、パチュリー、小悪魔……」
今までは特に意識していなかったが、図書館のメンバーを思い浮かべると最初に○○が来ている。少し前までは最後だったのに。
「私は本当に司書さんのことが……」
推測に確信が持てない。持てないからこそ、否定もできるし肯定もできる。
「司書さんのことは嫌いじゃないわ。むしろ好意的に見てる。けど、この好意は……」
一度疑いだしてしまうと、自問自答しても答えは出ない。出たとしても自分ではどこか信じられなくなってしまう。
「司書さんは……どう思っているのかしら……」
掴んだティーカップの底に反射したアリスの顔はぐにゃりと歪んでいた。
「あなたはどう思う?」
問いかけてみるが、カップの底のアリスは答えない。答えるはずがない。歪んだ顔は嘲笑しているようだった。
☆
「ご苦労様。私の台本の出来具合はどう?」
「なかなかいいと思いますよ」
修正箇所を書き加えていた○○は、ペンを置いてアリスから紅茶を受け取った。
「司書さんって何でもできるのね」
「そんなことないですよ。脚本とか劇は大学の授業でかじっただけですから」
かじったうちにもはいらないかも、と付け足す。
「でも、何もできないよりはマシでしょ?」
「そりゃそうですけど」
「ところで、聞きたいことがるんだけど……いい?」
「何ですか?」
○○の反応を見てから、アリスは自身を落ち着けるように一度目を閉じて紅茶を口に運んだ。
「司書さんはその……恋愛についてどう思っているの……?」
アリスの視線は紅茶の表面にうつる自身に向けられている。
「どうと言われても、質問の内容が漠然とし過ぎていて答えようがないですよ」
「あ、そうね。ごめんなさい。もう少し具体的に聞くわ。司書さんは一目惚れはあると思う?」
「俺も小さい頃はよく一目惚れしましたよ」
○○は懐古の念にひたりながら苦笑する。
「じゃ、じゃあ……好きでもない相手との結婚は?」
「政略結婚なんていつの時代でもあると思います」
○○の様子を伺いながら、質問の内容をずらしていく。
「それじゃあ……今まで好きじゃなかった相手のことを突然好きになることはあると思う?」
「あります」
きっぱりと真剣に答える○○。
「これはあくまでも個人的解釈ですけど、ただ単に好きだということに気づいてなかっただけだと思いますね」
「気づいてなかった……?」
想像していなかった答えにアリスは目を見開き、食い入るように○○を見る。
「近くにいると案外気づかなかったりするものですからね。灯台下暗しってやつですよ」
「なるほど」
「気づくきっかけなんて結構些細なものだったりしますよ? 友達や相手の一言とか、ちょっと手が触れたりとか。意識するきっかけと言っ
たほうがいいかもしれませんね」
「ふーん……。参考になったわ。ありがとう」
○○の答えを吟味するように心の中で繰り返し、アリスは自身の感情の整理に役立てようとする。
「そういえば……司書さんの本の中にいくつか恋愛の物語があったけど、男性は……その、どういうときに相手のことを意識するの?」
アリスの言葉は歯切れが悪いが、○○がその理由に気づくことはない。
「男なんて単純な生き物ですからね。ちょっと目が合ったたけで、自分に気があると思い込みますよ」
思い当たる節があるのか、○○は再び苦笑した。
「じゃあ――」
アリスは○○の手を掴み、指を絡ませる。
「私は……私は……司書さんのことが好き……!」
真摯な瞳で○○を見るアリス。
「え!? あっ、あ、ああああの、そ、そそそそそ、その……えっと……!」
突然のことに○○は驚き、視線をあちこちに泳がせている。
「おおおお、俺、俺は――が――き……で、す」
「じょ、冗談よ。落ち着いて!」
一瞬表情を曇らせたアリスは、予想の斜め上をいく反応をする○○を慌てて宥める。
「な、なんだ……じょ、冗談ですか……」
どこかしょんぼりとした表情で○○はがくりと肩を落とした。自身を落ち着けるように、アリスから目を逸らして紅茶をすする。
「ご、ごめんなさい……。気を悪くしないで? 興味があったからつい……」
一度ため息をついてから○○が口を開いた。
「まあ……いいですけどね。冗談でもこんな綺麗なひとに告白されるなんて、一生に一度もないと思いますし」
○○はどこか残念そうに自嘲する。
「褒められるのは嬉しいけど、ちょっと大げさじゃない?」
「そんなことないです」
先ほどの慌てぶりとはうってかわって真剣な表情の○○。
「こんなことで冗談なんか言っても何にもなりませんよ」
☆
私が図書館へ行く理由は……司書さんに会いたいから? 会いたい理由は……好きだから?
私は司書さんのことが……好きなの……?
分からない。本当に気づいていなかっただけ……?
きっかけは? 魔理沙の一言? 司書さんが私を褒めてくれたから?
分からない……。
でも、あのとき――告白を冗談だと言ったとき、胸が苦しかった。すごく痛かった。
司書さんが私のことを綺麗だと言ってくれたとき、すごく嬉しかった。
人里で綺麗と言われたときもそれなりに嬉しかったけど、司書さんに言われたときほど嬉しくなかった。
今こうしている間にも、司書さんのことばかり考えてしまう。
どうして? どうしてこんなに気になるの? 理由は?
仮に私が司書さんを好きだして、魔理沙の一言がきっかけで好きだと気づいた。
ここまではいいわ。じゃあ、どうして好きになったの?
その理由がわからない。
あの神様が言うように、些細なことが積み重なって、好きという感情になったの?
星と星が寄り集まって天の川ができたように、些細な出来事が重なって好きになったの?
私は……
私は……。
──────────
――The Pool of Teas――
彼の名前は○○。
幻想郷に迷い込んできた外の世界の人間。
藍が助けなければ、今頃はそこらへんの妖怪のお腹の中で眠っていたでしょうね。
怪我をしていたから、暫くの間はマヨヒガで保護したわ。けど、幻想郷に留まりたいなんて言い出したのは予想外。
理由は分からないし詮索する気もないけど、きっと外の世界に満足していなかったのね。あのときの表情はそういう顔だったわ。
彼を幻想郷に留めておけば、面白いことになりそうな予感がした。だから、私は要望通り彼を迎え入れた。
元司書という経歴を活かせるように、紅魔館に預けた。
少し前に様子を見に行ったときは、随分と楽しそうな顔をしていたわ。幻想郷に来た直後とは大違いの顔。
あそこまでかわるというのは大したものね。
彼自身も。
紅魔館も。
☆
「いいんじゃない?」
紅魔館の図書館。現在では司書の三人に加えて、アリスがいるのが日常になっている。
「いいですねえ。私もこんな恋をしてみたいですよ」
台本の修正を始めて数日。推敲した台本を全員でチェックし、ついに完成となった。
「『私の愛は本物だ! 何があっても君を愛す!』」
小悪魔は主人公である彦星の台詞を身振り手振りを加えて仰々しく真似しては、私もこんな恋がしたいです、とのたまっている。
「静かにしなさい、小悪魔。それに、恋愛なんてくだらないものにうつつを抜かしていると、痛い目にあうわよ」
「でも、私も女ですから憧れますよ!」
鼻息を荒くして小悪魔は椅子に座った。
「だったら、里の男に誘惑の呪でもかけてきたらどう?」
「そりゃあ悪魔の本分としてはそっちの方が正しいですけどっ。私が言いたいのは――」
「分かってるわよ。冗談よ冗談」
パチュリーは興奮する小悪魔の姿を見て小さく笑う。
「ところで、男なら私達の目の前にいるわよ」
そう言った瞬間、紅茶を飲んでいたアリスが激しく咳き込んだ。三人が心配そうにそちらを向く。
「大丈夫?」
「――っ、――ッは、だ、大丈夫よ……」
アリスは苦しそうに顔をしかめて口元をハンカチで拭った。
「ちょっと変なところに入っただけだから……」
何度か咳払いをするが、息は乱れて少し苦しそうにしている。
「そういうのって、魔法でなんとかならないんですか?」
○○の言葉に対して、パチュリーが冷たい視線を向ける。
「なんとかなったら私は喘息じゃないわよ。そんな便利な魔法があるのは物語の中だけ」
パチュリーは肩をすくめて紅茶を口に運んだ。
「さて、この場にいる唯一の男は○○なわけだけど」
アリスは見上げるような角度で○○に視線を送る。
「小悪魔のさっきの発言からするに、○○は男として扱われていないようね」
「どちらかと言えば、労働力やからかいの対象です」
小悪魔は○○のことなどお構い無しに自身の意見を口にした。
「二、三日に一回はからかっていますよね」
うんうん、と無駄に力強く頷く○○。
「からかいの対象という点では私も概ね同意だわ」
何か面白いことを思いついたように、パチュリーは頬の両端を吊り上げて笑った。
「○○には言ってなかったけど、私達魔法使いの身体能力は人間と大差ないの。他の妖怪と違ってね」
手招きをして○○を引き寄せ、続きの言葉を直接耳打ちする。
「私もアリスも、腕力ではあなたにはかなわないのよ。つまり――」
「つまり?」
鈍い○○は言葉の意味に気づかない。
「力に任せて無理矢理――」
肝心な部分を口にせずに飲み込み、○○の耳にふっと吐息を吹き込んだ。
「――ヒッ!!」
完全に不意を突かれて驚いた○○は飛び上がり、その拍子にテーブルに膝をぶつけて悶絶する。
「あがッ!!? つぅ~……!! くッ」
「これだから○○をからかうのはやめられないのよ」
パチュリーは心底楽しそうに笑いながら、悶絶する○○の様子を眺めている。暫くして○○が復帰すると、満足したのかアリスに視線を
向けた。
「――アリス。劇の台本については協力したけど、人形の配置や動きについては協力しないわよ」
「え、そうなんですか?」
今までのように協力する気満々だった小悪魔は呆けた声を出して残念そうにする。
「星祭の際に客として見させてもらうわ」
「プレッシャーをかけないでよね」
そう言うアリスだが、既に神奈子にプレッシャーをかけられているせいか、むしろ挑戦的な表情をしている。
「準備ができるまでは○○をこき使ってをも構わないから。むしろ奴隷のように使ってちょうだい」
「ちょっと、俺の意思は無視ですか?」
「二人を見ていたらちょっと触発されちゃってね。私達の出張図書館も、専門家の○○抜きで完成させたいのよ。だから、○○が留守にし
ている方が都合がいいの」
「○○さんがどういう評価をしてくれるか、見てみたいんです!」
パチュリーと小悪魔の真剣な発言を受け、硬直してしまう○○。
「――た」
「えっ?」
「――した」
体を振るわせたかと思う、○○は立ちあがり、感動した、と叫んだ。
「感動した! 感動したッ!」
「喧しい」
パチュリーが不快そうな顔で指を振るうと、近場の本棚から飛び出した百科事典が勢いをつけて○○の頭に落下した。嫌な音がその場に
響く。
「お……g……あgg」
悶絶しながら痛みを堪える○○の口からは、妙な音が漏れている。
「さて、私は出張図書館の準備でも再開するわ」
椅子から立ち上がって再び指を振るうと、指示を待つかのように宙に浮いていた百科事典が元の場所に収まった。
「司書さん、私達も人形劇の準備をしましょう」
アリスは○○の手を掴もうとしたが、案の定、○○は頭を押さえていない方の手を慌てて引っ込めた。
「司書さん」
呆れたような視線を向けるアリス。
「まだ女性と手を繋ぐのは慣れない?」
「……はい」
○○がアリスと手を繋いだのは最初の一回きり。それ以降はアリスが図書館を訪れているので、経験など積みようがない。
「ちゃんと女性として扱ってくれるのは嬉しいんだけどね」
前回と同じように、アリスが強引に○○の手を掴んだ。
「すいません……」
「別に構わないわよ」
アリスはにっこりと微笑む。
「司書さんを借りていくわね」
「こき使ってください」
小悪魔はパチュリーにかわって満面の笑顔で答えた。
☆
「それで、今日はいったい何の用なの?」
安眠から強引に叩き起こされたレミリアは、眠気と不機嫌の入り混じった目で突然の客人――紫――を見る。
「彼はどうしているのかと思ってね」
レミリアの刺す様な視線を意にも介さず、扇を口元に当てて微笑む紫。
「○○? よく働いてくれてるわよ。たどたどしかったテーブルマナーも随分様になったし」
一旦目を閉じたレミリアは何か嬉しいことでも思い出したかのように微笑んだ。
「パチェも楽しそうにしているわ。小悪魔もね」
「そんなに嬉しいことなのかしら?」
「二人とも私の家族だもの。家族が喜んでいる姿は主として嬉しいわ。それに、パチェは家族以前に私の無二の親友よ」
その言葉を聞き、紫は満足そうににっこりと微笑んだ。
「そんなことを聞くためにわざわざ来たわけ?」
「端的に言えばね」
扇を広げ、口元を覆う。
「○○、随分といい表情をするようになったと思わない?」
「表情?」
疑問符を頭に浮かべたレミリアは、記憶の中にいる過去の○○と現在の○○を比較する。
「確かにそうね。これもあなたの計画だったと」
「まさか」
肩をすくめ、紫はくすくすと笑った。
「彼をかえたのはあなた達よ。間違いなく、ね」
「……」
「彼が元気かどうか確認しにきただけだから、私はそろそろお暇させてもらうわ。お互い、普段はまだ寝ている時間でしょ?」
「かわったのは○○だけじゃないわ」
スキマの向こうへ消えていく紫の背に向けて、レミリアは自身の意見を投げかけた。
「私達も○○のおかげでかわった」
誰もいなくなった自室でひとりごちたレミリアは、己の発した言葉の真偽を問うように記憶の深海に意識を向けた。
☆
「そろそろ休憩にしない?」
○○がアリスにこき使われてから数時間。大分日も傾いてきている。
「ん……そうですね」
○○は伸びをしてソファに背を預けた。
「今回の人形劇は今までで一番のものになりそうだわ。司書さんのおかげよ。ありがとう」
「いや、そんな……」
恥ずかしそうに視線を逸らす○○。
「そうだ。司書さんに台本のことで聞きたいことがあるんだけど」
「何か不備でも?」
「ううん。そうじゃなくて、個人的に聞いてみたいことなの」
アリスはページを繰り、折り目のついているところを開いた。
「このシーン」
アリスが指差した部分は、身分を偽った天帝が彦星に織姫への愛情を問うシーンだった。
『君はどうして彼女――織姫を好きになったんだい?』
『……分かりません。――けど、ひとを好きになるのに理由はいらないと思います』
「司書さんは実際に――現実でもそう思っているの?」
「ええまあ。何かをするのにいちいち理由なんて考えませんよ。どうしてあの本を読んだのかとか、どうしてあれを食べたのかとか」
○○は一拍間を置き、続きの言葉を紡ぎだした。
「恋愛感情も同じですよ。気づいたら好きになっているものです。理由が必要なら後付でいいんじゃないですか?」
「そう……」
「何か悩み事でも?」
「ううん」
アリスは小さくかぶりをふって否定する。
「なんでもないわ。ただの興味本位よ。私は紅茶をいれてくるわね」
「手伝いましょうか?」
「私が手伝ってもらっているんだから、これくらいはサービスするわ」
「それじゃあ……お言葉に甘えさせてもらいます」
☆
キッチンに引っ込んだアリスは、以前と同じようにため息をついた。
「人を好きになるのに理由はいらない、か」
湯の用意をしながら今までに読んだ物語を思い出す。王子も姫も、騎士も魔法使いも、身分の貴賤を問わず、みな恋をしていた。そして、
理由など考えず、理屈に縛られずに恋をしていた。
「……」
次に思い出したのは、台本に書かれたような恋をしたいと言っていた小悪魔の姿だった。悪魔でありながら無邪気に語るその姿は、理由
も理屈も考えていないように見えた。
「私は恋を――」
湯が沸いた音で現実に引き戻され、続きの言葉を飲み込んだ。予め温めておくためにティーポットとカップに出来立ての湯を注ぐ。
「今日はどれにしようかしら……。司書さんは紅茶に疎いのよね」
暫く考えて戸棚から茶葉を取り出し、ティーポットが温まったのを確認して改めて新しい湯と共に茶葉をいれる。
「……」
密閉された白磁のティーポットをじっと見つめる。どの茶葉にどの程度の時間を費やせばいいか、日常の中で完全に把握しているのだ。
「そろそろね」
カップを温めていた湯を捨ててタオルで軽くふき取り、ティーポットと共に盆に乗せて運ぶ。
「お茶請けはクッキーが――」
意識が散漫になっていたアリスはテーブルに足を取られてバランスを崩してしまった。
「あッ――!?」
踏みとどまって転倒することは避けたが、盆を落としてしまい派手な音を響かせてしまった。
「……あーあ。新しいカップだったのに……」
砕けたカップとティーポット、零れた紅茶を見て落胆していると、音を聞きつけた○○が心配そうにしてやってきた。
「大丈夫ですか?」
「私はね。床が大惨事だけど」
アリスは肩をすくめてため息をついた。
「とにかく片付けましょう」
片付けようと○○は足を踏み出したが、零れた紅茶を踏んで足を滑らせてしまった。
「ッ!?」
「危ない!!」
咄嗟の判断でアリスは飛び出して○○の手を掴んだが、アリスの腕力では支えきれずに二人揃ってもつれるように倒れこんでしまった。
「うぅ……ご、ごめんなさい……」
「いたた……いや、俺の方こそ……」
尻餅をつくように倒れた○○と、その上に覆いかぶさるように倒れてしまったアリス。
「……」
「……」
お互いの吐息がかかる距離に二人の顔がある。鼓動が聞こえてしまうのではないかと錯覚してしまう距離。
「……司書、さん」
アリスはぎこちない声で囁き、○○の片手を握ったままの手に力を込めた。
「え――」
アリスはゆっくりと○○に口付けをした。
「――!!?」
混乱して両目をしばたたかせる○○を切なそうな瞳で見つめる。しかし、その瞳はすぐに閉じられてしまった。
「――」
「――」
唇が離された。僅か十秒にも満たない時間だったのに、○○にとっては永遠と思えるほどに長く感じられた。
「私は……司書さんが好きなの」
ぼんやりとしながらも、見た者を吸い付けるような顔で呟くアリスの言葉を聞き、○○は驚愕の表情を見せる。
「……」
「司書さん」
アリスは再び○○に口付けをした。
「や……」
一度唇が離れたかと思うと、対象が首、胸へと移動していく。
「やめてくださいっ!」
○○は顔を背け、思い切りアリスを突き飛ばした。
「きゃっ!」
「あ……」
アリスは○○と同じように尻餅をついた。
「あ、その――」
二人の視線が交錯するが、お互い言葉を選ぼうとして無言になり、気まずい空気が漂いだした。
「……ごめんなさい」
アリスは立ち上がり、背を向ける。
「私どうかしていたみたいね。少し頭を冷やしてくるわ」
冷静さを装おうとしているが、その声は震えている。表情を見られないように俯き、裏口へ駆けて行く姿は悲しそうだった。
「あ……」
いなくなったアリスに縋るようにして○○は手を伸ばした。しかし、掴めるはずもなく空を切るだけだった。
「……」
キッチンに入るのは初めてだったが、○○にとってはやけに広く感じられた。空を切った手を見つめながら、今までの出来事を思い出す。
「……追いかけないと」
呆然としていた○○だったが、アリスの切なそうな顔を思い出して立ち上がった。
☆
何回か何十回か分からないため息をつき、背中を木に預けた状態でアリスは両手に顔を埋めた。
「私は……何を……」
指先で唇に触れれば、○○の感触が思い出される。心のどこかで憧れていた瞬間が思い出される。そして、それと同時に拒絶されたとい
う現実も思い出される。
「酷い……女ね」
○○は女性と手を繋いだことがないと言っていた。
「きっと初めてだったのよね……。それを私が強引に……」
吐き気を催すような激しい自己嫌悪に陥り、ひたすら自身を蔑んで責める。
「でも……でも……司書さんは……私のことを……」
こみ上げてくる嗚咽を押し殺しながら、○○が褒めてくれたときのことを思い出した。しかし、今となってはそれらは全て、ただの社交
辞令のようなものでしかないと思えてしまう。
「……司書さん」
思考に僅かでも猶予を与えてしまえば、○○と出会ってからのことが何度も何度も再生されては消えていく。
「……」
自身への苛立ちと悔しさで足元の土を強く握り締めた。そのまま目の前に持ってきて、手を開く。今まで信じていたものが、憧れていた
ものがそうなってしまったように、零れ落ちていった。
空を見上げれば、今のアリスとは正反対の雲ひとつない青空がそこにある。
「あの日も……こんな天気だったわね……」
○○を自宅へ招いた日のことを思い出した。初めて手を繋いだ日。初めて意識するようになった日。
「同じ晴れでも……ここまで違うんだ……」
違って見える原因は心理的なものなのか、瞳に溜まった涙のせいなのか。
「やっと……見つけた……」
突如響いた声に振り向けば、そこに佇むのは木に体を預け、辛そうに肩で息をする○○。所々服が汚れ、擦り傷も見受けられる。
「司書……さん……? どうして……?」
アリスはびくりと体を震わせ、○○から離れるように後ずさりする。
「俺のせいで、傷つけたみたい――」
そこで○○は前のめりに倒れてしまった。
「司書さん!?」
一瞬迷ったアリスだったが、自身よりも現在の状況を優先させて○○に駆け寄り抱え起こした。
「司書さん……!」
○○は気を失っている。顔色も悪く、さらに呼吸も乱れている。
「まさか……」
ここは魔法の森。妖怪ですらも避けたがる瘴気が漂う場所を何の耐性も持たないただの人間が出歩いたのであれば、無事ですむはずがな
い。○○があらわれた状況からして、アリスを探して森の中を走り回ったのだろう。ならば、瘴気の回りが通常よりはやいはずだ。
「けど、これくらいなら……」
○○の容態を観察し、普段から調合している常備薬で対処できる範囲内だと判断する。以前と同じように手早く魔法を唱えて○○の体を
宙に浮かせ、手を掴んだアリスは全速力で自宅へ飛んだ。
☆
常備薬を服用させ、念のために魔法を重ねがけしたおかげで○○の容態はすぐに安定した。今は快方に向かっている。
「皮肉なものね……。拒絶された相手を介抱して自宅に泊めるなんて」
アリスが見つめる客間のベッドの上では、○○が静かに寝息をたてている。
「司書さん」
○○に近づき、愛おしそうに頭を撫でる。
「ごめんなさい」
耳元でそっと囁き、アリスは○○の唇に自身のそれを重ねた。一度唇を離し、暫く顔を見つめてから再び口付をする。その際に○○の下
唇を噛んだ。
「司書さん」
アリスは静かにかぶりをふる。
「……○○」
自身の言葉をじっくりと噛み締めるように、アリスは椅子の背もたれにもたれかかった。目を閉じて唇と歯に触れる。
「パチュリーの言ったとおりね」
恋愛にうつつをぬかし、アリスは痛い目にあった。
「明日からは図書館にいけないわ」
○○と会うために図書館に通うのが生活の一部となっていた。いかなければ以前の生活に戻るだけだが、どうしても違和感を覚えてしま
う。たとえいけたとしても、○○と顔をあわせるのはどうしても憚られる。挨拶すらもまともにできないだろう。
「恋は盲目、か」
椅子から立ち上がり、カーテンを開けて月を見上げる。
「出逢わなければよかったのよね」
アリスは悲しそうに自嘲した。
「いっそのこと記憶をなくしてしまえば……」
おあつらえむきの能力を持った人物が人里にはいる。やろうと思えば、魔法でなんとかできないこともない。
「けど、けど……。私が勝手に好きになっただけ。私が余計なことをしたから、こんなことになった……。なのに、また私の勝手で○○
の記憶をどうこうしようなんて……」
反吐をはくようなエゴイズムで、アリスの自己嫌悪と自責の念はさらに強くなる。
「本当に……酷い女だわ」
下唇を噛み、爪が肌に食い込むほど力強く手を握り締めた。そのまま心の中で何度も何度も○○への謝罪と自責をひたすら繰り返す。
「…………」
ふと気がつけば、窓ガラスにうつったアリスの瞳からは涙があふれていた。
「……私……泣いてる……? 泣いているのよね……」
ぼろぼろと零れてくる涙に触れる。
涙の理由は分かっている。しかし、自制などできるはずもなくアリスはその場に泣き崩れた。
「ごめんなさい。……ごめんなさい……」
─────────
――Alice's profess――
『アリスに頼まれたぜ。お前を紅魔館まで送ってくれってな』
魔理沙に紅魔館まで送ってもらった○○は自室のベッドの上に倒れこんだ。
「……」
○○が目を覚ましたときにはアリスの姿はなく、テーブルの上には朝食と謝罪の言葉が綴られた紙が置いてあった。魔理沙から事情を聞
こうとしたが本人も詳しいことは把握しておらず、森の瘴気に当てられた○○を介抱したから紅魔館まで送ってあげてほしいと頼まれただ
けだという。
枕に顔を埋め、昨日の出来事を思い出した。
『私は……司書さんが好きなの』
○○も同じ気持ちだった。アリスが○○に恋をしているように、○○もまたアリスに恋をしていた。
明確な理由などわからないが、神奈子が言っていたように些細なことが積み重なって恋愛感情という結果が生まれた。ただそれだけ。
「好きなのに……」
突然の状況に我を忘れて混乱し、パニックに陥ってアリスを突き飛ばしてしまった。
「傷つけた」
仰向けになり、天井を見つめていると涙が零れた。後悔と自責の念に苛まれ、八つ当たりをするようにベッドに拳を叩きつける。
「……ッ!」
抑えようとしても涙は止まらず、嗚咽を漏らさないように唇を噛み締めた。
それなりに生きてきたから、人生の酸いも甘いもある程度は知っている。友人と大喧嘩したこともあったし、失恋したこともある。しか
し、そのどれと比べても辛く、自身が愚かで憎らしかった。
ただ一言、自分も好きだと言えばこんなことにはならなかったのに。すぐに追いかけて、自分も好きだと言えばこんなことにはならなかっ
たのに。
「クソッ……!」
歯噛みし、再び拳を叩きつける。八つ当たりをしたところで何もかわりはしないが、とめどなく溢れてくる負の感情を処理する方法がこ
れしか思いつかない。
いずれは時間が解決してくれるだろう。しかし、その条件は相手と顔を合わせずに時間を経過させること。二人の立場を考えると不可能
に近い。それこそ、どちらかが死なない限りは無理だ。仮に解決することができたとしても、今までのような関係には戻れないだろう。
何度も同じことを考えては苦悩し、自問自答してしまう。ただの悪循環だと分かっているが、それでもせずにはいられない。悔しさの矛
先を向ける相手が自分しかいないのだから。
これほどまでに苦悩するのであれば、出逢わなければよかったと思えてしまう。可能であれば誰かに頼んで記憶を消してもらうか、いっ
そのこと自殺してしまうか。
「最低、だよな」
自身の発想に対して激しい自己嫌悪を抱く。どちらを選んだとしても、周囲に迷惑をかけるのは分かりきっている。幻想郷に迎え、働き
口を与えてくれた紫はもとより、レミリアやパチュリーといった紅魔館のメンバーに面目がたたない。ましてや、自殺などしようものなら
助けてくれた藍に申し訳がなく、それだけでアリスに余計な迷惑をかけて追い込んでしまうだろう。
「もう……嫌だ……」
両手で顔を覆い、弱音をはいた。苦しさと悲しさと悔しさで声が震えている。
☆
「アリス」
魔理沙はアリスの向かい側にあるソファに座った。
「頼まれたとおり○○を送ってきたぜ」
「……ありがとう」
アリスは魔理沙の顔を見ず、抑揚のない声で礼を言った。
「○○と何かあったのか?」
「何もないわよ」
自嘲するように小さく笑い、首を横に振る。魔理沙はその顔をじっと眺めている。
「何? 私の顔に何かついてる?」
「……泣いただろ?」
魔理沙はアリスの顔を掴んで強引に引き寄せた。
「ちょ、ちょっと、何をするのよ……」
「それに――」
吐息がかかる距離でアリスの下唇を指でなぞる。
「下唇に歯型がついてる」
顔から手を離し、軽く押すようにしてアリスを元の位置に戻した。
「歯型がつくほど唇を噛むなんて、何か相当悔しいことがあった証拠だぜ?」
「……」
アリスは俯いて何も答えない。
「何があったかは詮索しない。ただ、これだけは言わせてもらう」
今までの明るい表情から一変して、魔理沙の顔は真剣なものになった。
「アリスらしくない」
「私……らしくない?」
ぼんやりと呟くアリスの声に魔理沙は頷く。
「私の知っているアリス・マーガトロイドという魔法使いは、一度失敗したくらいでへこたれたりはしないぜ。次に備えて計画を練ったり、
情報を集めたりしていた。次こそは勝てるように休憩とり、準備をする。それがアリス・マーガトロイドだ」
魔理沙は目を細めてアリスを見た。
「けど、私が認めたアリス・マーガトロイドはどこかにいっちまった。目の前にいるのはただ落ち込んで悲観にくれてるヘタレ魔法使いだ」
「魔理沙……」
身を乗り出し、アリスに言い聞かせるようにして続きの言葉を紡ぎだす。
「弾幕と同じようにブレインを使えよ。力を蓄えて、情報を集めて、計算して、勝てるようにしろよ。私達魔法使いに準備をさせたら、右
に並ぶやつなんてそうそういないぜ?」
「……そう、ね」
アリスの表情が少しだけ明るくなった。
「ありがとう」
「少しはいい顔になったな。アリスに似合うのは落ち込んでいる顔じゃない。いつもの澄ました顔だ」
魔理沙は立ち上がり、出口へ向かう。
「病は気から。それが心の病だったらなおさらだぜ。よく食ってよく寝ることだな」
アリスにいつもの快活な笑顔を見せ、魔理沙は出て行った。
「弾幕はブレイン」
目を閉じ、アリスは椅子にもたれかかる。
「私らしさ」
魔理沙の助言でどことなく先は見えたが、明確な部分はまだ導き出せない。拒絶されたという事実はかわらないのだから。
恋愛にルールはなく、一度断られた相手に対して、二度三度と感情をぶつけても問題はない。しかし、同じ方法、同じ言葉で挑んでも玉
砕することは分かりきっている。
「……駄目ね」
助言があったとはいえ、まだ一日も経過していない。そう簡単に感情の整理がつくはずもなく、一連のことを思い出しては煩悶してしま
う。下手をすれば、泣き出してしまうかもしれない。
「まずは……自分の気持ちを整理しないと……。今のままじゃおかしくなりそうだわ……」
アリスは悔しさを込めるように拳を握り締めた。深呼吸をして、溜まっていた鬱憤を吐き出すように息をつく。
「どうすればいいか、じゃなくて、何をすればいいか。何をするか決めてから、どうするのかを決める。最優先時効は――感情の整理」
☆
「久しぶりね、アリス」
パチュリーが本棚に向けて声をかけると、影からアリスが姿をあらわした。
「そうかしら?」
「よく言うわよ。今まではほぼ毎日来ていたくせに、急に二週間も来なくなるんだもの。気づかない方がどうかしてるわ」
ページを繰る手を止め、アリスに射るような視線を向ける。
「○○と何かあったでしょ?」
「何もないわよ。劇の準備で忙しかっただけ」
アリスはパチュリーと視線をあわせないようにして答えた。
「ウソ。いくら人形劇が控えているとはいっても、その道のプロであるあなた自身が、人形のことで身動きがとれなくなるなんてありえな
いわ。内容に手を加えたとはいっても、過去にやったものだし、話の大筋は説話どおり。時間的にもまだまだ余裕はある。無理をしないと
いけない状況でもないし、そういう性格でもない。
それにね、○○も最近元気がないのよ。ちょうど、あなたの家から帰ってきてから。そして、あなたが図書館に来なくなったのも同じ日。
結び付けたくなる要素が揃っているの」
珍しくも一度に多くの言葉を口にするパチュリーに、アリスは一瞬驚いてしまった。
「……かなわないわね」
パチュリーの洞察力に観念したようにアリスは深くため息をつく。
「話くらいでよければ聞くわよ? 勿論、あなたに話す気があればだけど。無理強いはしないわ」
迷いを見せるアリスだったが、暫く考えた末に意を決して口を開いた。
「聞いてくれる?」
椅子に座ったアリスは目を閉じ、自身の感情と起こったことをありのまま説明した。
「それで、○○の気持ちは聞いたの?」
「え?」
予想外の反応にアリスは呆ける。
「突き飛ばされたのは事実。けど、嫌っているのならわざわざ追いかけてこないでしょ?」
「それは……」
「自分の感情に整理をつけるのはいいことよ。けど、自分だけで勝手に結論を出すのは少しばかりはやいんじゃない? どうしてここに来
ているの? 自分の気持ちを伝えるためだけに来ているわけ? 違うでしょ?」
「そうだけど……」
アリスは返答に窮して俯いてしまう。
「○○の気持ちを聞かないと、結局答えは出せないでしょう? あなたが勝ったのか、負けたのか」
「でも、答えはとっくの前に……ッ!」
俯いたままでスカートを握り締める。
「それはそのときの答え。リベンジしに来たのなら、その答えを聞かないと」
パチュリーは俯くアリスを真剣な表情で見据えた。
☆
「○○、ちょっと話し相手になってもらえる?」
パチュリーに頼まれ、○○は向かい側の席に座った。二人の間には熱を失ったティーポットと、空になったティーカップが二つ。
「ここ暫く顔が死んでいるわよ」
「そう見えますか?」
呆れたようにため息をつき、パチュリーは○○にジト目を向ける。
「隠し通せているとでも思っているの? 口に出さないだけで、レミィも咲夜も小悪魔も心配しているわよ」
「……」
「アリスと何かあったんでしょ?」
○○の顔が明らかに曇った。
「二週間前。アリスの家から帰ってきてから、部屋にこもりがちになったわね。あれから一度もアリスは来ていないし、嫌でも結びつけて
しまうわよ。
私でよければ話くらいは聞くけど? 無理強いはしないから、判断はあなたに任せるわ」
「……」
どうするべきか迷い、○○は視線はあちこちさまよわせている。
「前にも言ったわよね。あなたの欠点のひとつは、何でも自分の内側にしまいこんでひとりで解決しようとするところ。自分の感情を押し
殺すのは悪いことじゃないわ。生きていれば、そういう状況もあるだろうし。けど、たまには換気をして新しい風を送り込まないとおかし
くなるわよ? 図書館の風通しをよくしろと言ったのは他でもないあなた自身なんだから」
痛いところを的確についてくるパチュリーの指摘を受け、○○は話すことを決意する。
「そう……ですね」
落ち着くために深呼吸し、○○はゆっくりと自分の感情を言葉に乗せた。
「俺は……好きなんです」
「誰を?」
「え?」
パチュリーは小さくため息をつく。
「気づいてないと思った? あなたは他人の名前を決して呼ばない。意図しているのか癖なのかは分からないけど、少なくとも私達を名前
で呼んだことは一度もないわ。別に私を名前で呼べとは言わない。けど、自分の想い人くらい名前で呼んであげたらどう?」
相変わらずパチュリーの指摘は鋭い。
「あ、はい」
○○は胸に手を当て、自身に言い聞かせるように再び深呼吸をした。
「俺は……その、マーガトロイドさんが好きです。あのひとに恋をしています。好きで好きで、誰よりも好きで、今すぐに会いたい。けど、
俺はマーガトロイドさんを傷つけてしまった」
○○はさらに当時の状況を詳しく語り、悔しさと自責の念で自身の拳を強く握り締めた。
「異性に耐性がないというのも困りものね」
栞がわりにページに挟んでいた指を抜き、パチュリーは本をぱたりと閉じた。
「それで、あなたは自分の気持ちを伝えたの?」
「そ、それは……」
「伝えていないのであれば、それはただの片思いよ。失恋でもなければ、恋人でもないどっちつかずの状況」
痛い部分を指摘され、○○の顔がさらに曇る。
「それに、今のあなたは自分のミスを気にしているだけ。生きていればミスやトラブルはつき物よ」
「そうですけど……」
○○の拳から力が抜けていった。
「それと、私はこれ以上アドバイスはしないわよ」
「え……? こういう場合は親身になってくれるものじゃないんですか?」
「それなりのアドバイスくらいはできるわ」
テーブルの上に両肘をおき、顔の前で手を組む。
「けど、決定するのはあなた自身よ。これはあなた自身の問題。あなた自身の道」
近くの本棚に一度視線を向けたあと、パチュリーは再び○○を見る。
「私や小悪魔はあなたの隣の道を歩くことはできる。けど、あなたの手を引いて同じ道を歩くことはできないわ。それをできるのはアリス
だけ。
私にできるのは、後ろからあなたの背中を押して送り出すことだけ。あなたに火のついていない蝋燭を渡すだけ。そして、その蝋燭に火
を灯せるのは他でもない、あなたとアリスだけなのよ。分かった?」
○○はパチュリーの言葉を噛み締めるようにゆっくりと頷いた。
「それと――」
「○○」
パチュリーが口を開いた瞬間、その声に重なるように咲夜があらわれた。
「お嬢様が呼んでいるわ。すぐに来てくれる?」
「あ、はい。今すぐに――」
返事をすると同時に、咲夜は○○をつれていった。
「……」
○○をつれていく咲夜の後姿を見ながら、パチュリーは開きかけていた口を閉じた。そして、再び口を開く。
「――アリス。○○があなたのことをどう思っているか、聞いたでしょう?」
息をつき、先ほど視線を向けた本棚を見る。
「ええ。ありがとう」
そこには、本棚に背を預けているアリスがいた。ちょうど○○がいた席からは死角になって見えない。
「私は直接何かをしたわけじゃないわ。○○にも言ったでしょ? 私は蝋燭を渡して背中を押しただけ。私は場と道具を用意しただけ。同
じ食材と道具でも、料理人によってできあがる料理は異なる。あとはアリス、あなた次第よ」
「分かっているわ」
パチュリーの席からもアリスの表情はよく分からないが、声は幾分いつもの調子に戻っていた。
「――ありがとう」
アリスは踵を返し、歩き出した。
「ちょっと待って」
アリスを呼び止め、手近な紙に何かを書きだす。
「これを」
パチュリーの手から離れた紙が宙を飛び、アリスの手に収まった。
「これは?」
「間取り図よ。マークをしてある場所が○○の部屋」
アリスは間取り図をまじまじと見つめ、図書館の位置と○○の部屋の位置を見比べる。
「それをどう使うかはあなた次第」
「……ありがとう。感謝するわ」
アリスはパチュリーに向けて感謝の念のこもった笑顔を見せた。
☆
「ここで話すのは、紫があなたをつれてきたとき以来ね」
自室の椅子にゆったりと腰掛け、細めた紅い目で○○を見るレミリア。側には咲夜が佇み、テーブルの上には湯気のたつ紅茶が二つ置か
れている。
「……パチェが何かしたみたいね。前よりは少し顔が明るくなったじゃない」
「あ、はい」
「まあいいわ。私は私のやり方でやるから。早速で悪いんだけど○○、跪きなさい」
「――え?」
「跪けと言ったの」
レミリアの体から威圧感が放たれる。過去に感じたものよりも数段上の恐怖と圧力に○○は尻餅をついた。周囲の調度品も圧力に怯える
ように音をたてて震えている。
「よろしい」
威圧感を消し去り、椅子から立ち上がって○○の前に立った。
「○○、前に言ったわよね。あなたも紅魔館の一員。私の家族だと」
「は、はい……」
威圧感の余韻に身を震わせながら、○○は頷く。
「――ならば、スカーレット家の名に恥じない生き方をしなさい。誇り高い生き方をしなさい。胸をはって生きなさい。たとえ成功しよう
が失敗しようが、自分が選んだ道を信じて生きなさい」
前かがみになり、レミリアは○○と視線を合わせた。
「もしあなたの選んだ道を侮蔑し、あなたを嘲笑って傷つける輩がいたら、守ってあげる。何があっても、私があなたを守ってあげるから」
レミリアは○○を抱きしめた。○○のそれと比べれば細くて華奢な腕に信じられないほどの力を込め、励まし、慈しむように抱きしめた。
「――ありがとうございます」
○○は震える声で礼を言う。
「家族を守り、助けるのが主である私の役目なんだから。辛いことがあったら言いなさい」
「――はい」
開放されたのを確認して、○○は立ち上がった。
「少しは元気が出たみたいね。咲夜、○○を部屋まで送ってあげなさい」
今までの状況を涼しい顔で静観していた咲夜は無言で頷き、レミリアの指示通りに○○をつれて部屋を出た。
「そういうわけよ、紫。たとえあなたでも、○○を傷つけるなら容赦しないわ」
「気づいていたの?」
空いていた椅子にいつの間にか紫が座っていた。片手には、テーブルの上にあった紅茶が握られている。
「妖気を垂れ流していたくせによく言うわよ」
レミリアはつまらなさそうに鼻をならした。
「私は何もしないわ。馬に蹴られて死にたくないもの」
紅茶の上に掲げたスプーンには砂糖が盛られている。
「私は○○という砂糖をアリスという紅茶の上に持ってきただけ。砂糖を落とすこともなければ、かき混ぜたりもしないわ。すべてはあな
た達次第よ。ただし」
紅茶に砂糖を入れ、スプーンでかき混ぜた。
「砂糖を入れたところで、完全に混ざるとは限らないわよ? 多すぎれば混ざりきらず、余った分は沈殿する」
「そうね」
レミリアは椅子に座り、自分用の紅茶を手にとって紫を眺める。
「今は混ざりきっていない。けど、あの二人は完全に混ざるわよ。――誰も知らない、この世にたったひとつの絶品の紅茶に仕上がるわ」
☆
咲夜に自室まで送られた○○はベッドに仰向けになった。
「自分が選んだ道。俺が……選んだ道」
レミリアの言葉を反芻しながら、自身に問いかける。答えは分かっている。
「俺が選びたい道は――」
再確認のために自問自答していると、部屋の扉が控えめにノックされた。
「あ、どうぞ。あいてますから」
身を起こし、○○は立ち上がろうとした。しかし、訪問者の顔を見て硬直してしまう。
「こんにちは、司書さん」
にっこりと優しく微笑むアリス。
「きょ、今日はどうしました……?」
胸の鼓動が激しくなり、○○は内心で焦りだした。嫌な汗が背中を伝っていく。
「少しだけ私の話を聞いてもらいたいんだけど、構わない?」
「は、はい……」
いずれちゃんとした話しをするべきだと思っていたが、決心して間もない状況で隣にアリスが座り、○○は落ち着きを失ってしまう。
「単刀直入に言うわ。私は○○が好き」
そうすることがごく当たり前のように、○○の手を取った。
「……」
初めて名前を呼ばれ、手を握られたことに○○は緊張してしまう。
「具体的にどんな理由で、いつからなのかは分からないわ。けど、私は○○が好き」
改めて口にし、アリスは手に力を込めた。
「今思えば、本をプレゼントしたのも、図書館を利用するようになったのも、相談をしたのも、○○が好きだったからかもしれない。
こんな気持ちは初めて。○○が好き。いつもいつも、○○のことばかり考えている。○○といたい。○○の側にいたい。○○とずっと一
緒にいたい。これが私の気持ち」
○○の首に腕をまわし、強引に引き寄せて口付けをした。
「――!」
○○の体がびくりと震えて強張るが、以前とは違いアリスを受け入れるようにすぐに力が抜けていった。
「○○、もう一度言うわ」
唇を離し、吐息のかかる距離で○○を見つめる。
「私はあなたが好き」
そう言ってアリスは立ち上がった。
「待ってくださいッ! 俺は――」
扉へ向かうアリスに向かって○○は手を伸ばす。
「待って」
流れるような動きで○○の唇に人差し指を添え、言葉を封じた。
「答えはまだよ。我が侭と思うかもしれないけど、星祭で改めて私の気持ちを伝えるわ。だから、○○の答えもそのときにお願い」
アリスが指を離すと、○○はこくりと頷いた。
「ありがとう」
踵を返し、アリスは扉の前まで歩く。
「また今度ね――司書さん」
初めて言葉を交わしたときと同じ笑顔を見せ、アリスは○○の部屋から出ていった。
「……」
○○は唇に触れる。指を見つめ、目を閉じた。
☆
「どう、○○?」
図書館の利用者増加を狙って計画された星祭のための出張図書館。パチュリーと小悪魔の申し出もあり、○○は一切関与しなかった。
「む……これは……」
プロの司書である○○から見ればまだまだ不備は多いが、素人がやったとは思えないくらい立派に完成しており、利用者に対する配慮も
しっかりとされている。
「ここまでできるのは凄いですよ! まだ手直ししたいところはありますけど、充分なレベルです。図書館関係の本はありませんでしたよ
ね?」
「○○の普段の仕事内容や、どこをどうかえたかを見ればある程度ポイントは掴めるわ。あとは利用者の立場になって考えるだけ」
冷静に答えるパチュリーだが、少し頬が弛んでいる。
「問題は利用者が来てくれるかどうかですね」
小悪魔は不安そうに呟いた。
実際の問題はそこである。ごく少数の利用者しかいない現状を打開するための出張図書館だが、これが上手くいかなければ一般の利用
者は見込めないだろう。
「やれるだけのことはやったわ。あとは結果を待つだけ。人事を尽くして天命を待つ」
そこでパチュリーは○○に視線を向けた。
「あなたもちゃんと結果をだしなさいよ」
「はい」
星祭開始の時間まであと三十分を切っている。○○は数えるほどしか人里に来たことはないが、人口密度は以前に見たときよりも明らか
に高い。夏場とはいえ夕暮れ時なせいか、往来に視線を向けると人間以外にも妖怪達の姿もちらほらと見受けられる。
「晴れたわね」
後ろからの声に振り返れば、長い金髪を風にたなびかせてにこにこと微笑む紫が佇んでいた。
「織姫と彦星は出逢えそうよ」
紫は三人の合間を流れるように動き、一冊の本を手に取る。
「この本、借りてもいいかしら?」
「え、あ、はい」
あまりにも自然な動きに、誰も反応できなかった。
「七夕に雨が降らないと不吉とする地域がある、なーんて野暮なツッコミはなしよ?」
紫はスキマを開き、受け取った本をその中にいれてしまった。
「用件も済んだし、私はお暇させてもらうわ。私がいたら利用しにくくなるでしょうから。ああ、そうそう」
踵を返して立ち去ろうとしていた紫は思い出したように振り向き、三人を見る。
「雨が降ると天の川が氾濫して織姫と彦星は逢えない。けれど、白鳥座の白鳥が自身の翼を広げて橋とし、二人の逢瀬に協力してくれると
いう伝承もあるそうよ」
紫はスキマを使ってパチュリーの真横に移動し、続きの言葉を耳打ちした。
「幻想郷の織姫と彦星はあの二人。だったら、紅魔館の白鳥は誰でしょうね?」
紅魔館という部分を強調し、紫は意味深な笑みを見せた。
「それじゃあ、今度こそお暇させてもらうわ」
次の瞬間には、紫はスキマの中に消えていた。
「白鳥ね……。私はそんなに立派なものじゃないわよ」
パチュリーは誰にも聞こえないような声で呟く。
「○○。ここは私達に任せてそろそろいきなさい」
「え、でも……」
「こういうときくらい任せなさい。ただし、ちゃんと結果をだすこと。いいわね?」
真剣な瞳を向けるパチュリーの言葉を受け、○○は頷いた。
「ありがとうございます。すぐに戻って来ますから」
○○は人形劇の行われるステージの最前列へ向かって歩いていった。
☆
アリスによる人形劇が始まった。話の内容には大きく関与しているが、一連のトラブルのおかげで人形の配置や進行の仕方が分からない
ため、○○は初めて見ると言っても過言ではない。
「ん……?」
冒頭から○○は違和感を感じた。一番最初に登場した魔女アミラスという人形は、台本には登場していない。
「内容がかわってる……」
台本が完成した段階ではいないはずの人形の追加。さらに、和風だった名前もストーリーも洋風のものにアレンジされている。
「セリア姫……。魔女アミラス……」
アリスが操る人形に対して、○○はどこか既視感を抱いていた。どの人形も初めて見るはずなのに、どこかで見たことがある気がしてな
らない。
『ひとを好きになるのに理由はいらないと思います』
『これほど誰かを好きになったことはありません』
『セリア姫、あなたが好きです!』
本当にひとりで操っているのかと疑ってしまうほどアリスは巧みに人形を操り、さらには感情を込めて台詞を口にしている。初めて見る
その姿に○○は思わず生唾を飲み込んだ。
「凄い……」
無意識に呟いた。外の世界で司書をしていた頃は、来館する幼い子供へ対応できるように何度か人形劇を見にいったことがあった。しか
し、そのどれと比較してもアリスの方が上回っている。
『私も……あなたが好きです。ずっとあなたの側にいます』
王子と姫の人形が口付けをし、彼らの後日が語られた。ハッピーエンドであることが告げられ、舞台袖へと向かうアリスに観客から拍手
が巻き起こる。勿論、○○も拍手をした。幻想郷に来てから初めての拍手。
「……」
アリスがいなくなった舞台を眺めながら、○○は暫くの間劇の余韻に浸っていた。この歳になって、人形劇で心動かされるとは思ってい
なかった。
「今晩は、司書さん」
たったひとりしか呼ばない呼び名と聞きなれた声に○○が振り向けば、そこには浴衣姿のアリス。
「……今晩は。浴衣、似合ってますよ」
「ありがとう」
アリスは少しくすぐったそうに笑った。
「少し歩かない?」
「はい」
○○がアリスの横に並び、二人揃って歩き出した。暫くの間、お互い無言で歩き続ける。
「台本、随分と改変しちゃってごめんなさいね」
「いいですよ。とても楽しめましたから」
「……ありがとう」
「あ、劇のことで聞きたいことがあったんですけど……」
「何?」
アリスは首をかしげた。
「セリアとかアミラスって名前は何か意味があったんですか?」
アリスはその場に急にしゃがんだかと思うと、足元の小さな石を拾って地面に文字を綴った。
「こういうことよ」
Alice Celia
Marisa Amiras
「アナグラム……」
「そう。文字と文字を入れ替えただけ。他の名前も同じ。登場人物はみんな私達と親しい人妖をモデルにしているわ」
「なるほど」
既視感の理由が分かり、○○は手をぽんと叩く。
「王子のモデルはあなたよ、○○。つまり、あの人形劇は私からあなたへのメッセージだったの」
アリスは立ち上がって○○の手を握り、指を絡ませた。
「この前言ったとおり、改めて私の気持ちを伝えるわ」
○○の正面に立ち、もう片方の手も絡ませる。
「私は○○が好き。誰よりも、誰よりも好き。愛しているわ。千の言葉、万の言葉を並べてあなたに愛を伝えたい。ううん。それだけじゃ
足りないわ。けど、もっと簡単で確実に気持ちを伝える方法がある」
アリスは背伸びをし、目を閉じて○○に口付けをした。
「今更するまでもなかったかもしれないけど、これが私の気持ちよ。決して揺るがない、あなたへの気持ち。……今度は○○の番」
○○は照れ隠しをするように顔を背け、何度か咳払いをした。
「えっと、その、俺は……マーガトロイドさんが……」
アリスはかぶりを振った。
「?」
「名前で呼んでくれる?」
「……アリス……さん」
照れるようにさん付けをした○○を見て、アリスは微笑んだ。
「今はそれで許してあげる」
「う……。すいません」
「仕切りなおしたところで、あなたの気持ちを聞かせて頂戴?」
「……はい」
深呼吸をし、○○はアリスの瞳を見つめた。
「俺はアリスさんが好きです。俺の知らない世界を教えてくれたアリスさんが大好きです。愛しています」
アリスの顎に手を添えて少し上を向かせ、○○はかがむようにして口付けをした。
「ありがとう。まさか○○の方からキスしてくれるなんて思わなかったわ」
「……俺の気持ちは……伝わりましたか?」
顔を赤に染めて恥ずかしがる○○に向けて、アリスは至上の笑顔で頷いた。
「本当に恋人同士になっちまったぜ」
快活な声に二人が振り向けば、そこには星祭のためか普段よりもめかしこんだ魔理沙がいた。
「パチュリーから話を聞いて様子を見に来たんだが、心配する必要はなかったみたいだな」
魔理沙は小さく嬉しそうに笑った。
「ほら、私からの祝福だ!」
片手を掲げ、魔理沙は空中に向けてお馴染みの星型弾幕を放った。弾幕が流れ星となっては消えていく。
「おお……綺麗……」
「幻想郷の織姫と彦星を天の川も祝福してるぜ! そうだろ、パチュリー?」
魔理沙が背後に視線を向けると、パチュリーが何やら聞きなれない言葉で呪文を詠唱していた。
「そうね」
パチュリーが腕を振るうと淡い光を放つ球体があらわれて、ふわふわと漂いながらアリスと○○を取り囲んだ。
「これも綺麗ですね……」
球体に触れようとすると、球体はするりと○○の手をかわす。
「伝説の中の織姫と彦星は年に一度しか逢えない。けど、幻想郷の織姫と彦星にそんな制約はないわ」
魔理沙が弾幕を放つのをやめると、球体が日の落ちた暗闇でぼんやりと輝いて幻想的なイメージを喚起させる。
「○○、今日の出張図書館は手伝わなくていいわよ」
「え?」
「言ったわよね、任せなさいって。結果をだしなさいって。そしてあなたは結果をだした。私――」
視線を一度魔理沙に向け、パチュリーは続きの言葉を紡いだ。
「私達にできるのはここまで。あなた達は白鳥の橋を渡りきったわ。今度は自分達の足でその先へ踏みだしなさい」
そう言うと、パチュリーは踵を返して歩きだした。
「魔理沙。これ以上お節介をやくと野暮よ」
「そういうわけだ。頑張ってくれ」
魔理沙は二人に軽くウインクをして見せると、パチュリーを追うようにしてその場から離れていった。
「……」
「……」
二人がいなくなってから、改めて見つめあう。会場からは少し離れているので、往来は殆ど見えない。まわりにはパチュリーが残していっ
た謎の球体が漂い、淡い光でムード作りに一役買っている。
「アリスさん」
「何?」
○○は神妙な面持ちでアリスを見る。
「その……あのときは俺のせいで傷つけてしまったみたいで――」
いつかしたように、アリスは○○の唇に人差し指を当てて言葉を遮った。
「辛かった? 苦しかった? 悲しかった?」
指が離され、○○は頷いた。
「私も同じことを考えていたわ。○○をあんな目にあわせてしまったのは私の責任だから。あのときはとても辛くて悲しくて苦しかったわ。
でもね――」
○○の肩に手を置き、しゃがませた。そのまま頭を引き寄せて抱きしめる。
「あんな経験も、こんな経験も、あなたがいたからできたの」
○○の耳にはアリスの胸の鼓動が響いている。
「生きていれば、死にたくなるような辛いこともある。けど、そのかわりとても嬉しいこともある。今のあなたには分かるでしょ?」
目を閉じ、○○は無言で頷いた。
「間違っても、失敗しても、それはあなたの選んだ道。ひとりだと怖くて不安になるかもしれない。でも、今は私がいるわ。失敗したこと
を悔やまないで。悲しまないで。私はいつでもあなたの隣にいるから。ずっとあなたと同じ道を歩くから」
「…………はい」
声を震わせ、○○は今にも消え入りそうな小さな声で頷いた。
「暫く……このままでいてもいいですか……?」
アリスは○○の頭を撫でながら、ええ、と答えた。
☆
「もはや通い妻ね」
星祭から約一ヶ月が経過した。アリスの来館率は100%となり、連続来館記録を毎日更新している。
「通い妻なんて言いすぎよ」
「今の状況ではそれしか言葉が見つからないわ」
満更でもなさそうに照れるアリスに対して、パチュリーは冷ややかな視線を向けた。
「いっそのこと引っ越したらどうです?」
一連の騒動で蚊帳の外だった小悪魔は最初の頃こそ不機嫌にしていたが、今ではからかう要素が増えたことで喜び、毎日アリスと○○を
ターゲットにしている。
「部屋のひとつやふたつくらい余ってますよね。なかったら拡張すればいいだけですから」
「またそんな無茶を」
冗談とは分かりつつも小悪魔の発言に呆れてしまう。
「ああ、部屋を用意するんなら、防音にしてもらわないと困りますね。夜な夜な変な声で起こされたくありませんから」
小悪魔はアリスに向けてニヤリと笑って見せた。肝心のアリスは小悪魔の発言を受け、顔を赤くして俯いている。
「え……? ま、まさか図星ですか!?」
様子を伺おうとしてアリスに近づくと、肩をがっしりと掴まれた。
「ッ!?」
「……捕まえた」
笑顔を見せるアリスだが、その目はまったく笑っていない。
「クッ! 謀ったな!」
「少し……ふたりでお話でもしない?」
小悪魔は助けを請うようにパチュリーを見るが、パチュリーは視線を逸らして二人を見ないようにしている。
「それじゃあ、あっちでお話でもしましょうか」
ずるずるとアリスに引っ張られていく小悪魔は、パチュリーに向けて助けてほしそうに手を伸ばす。しかし、パチュリーはそんな小悪魔
に対して手を振って送り出すだけだった。
「随分と騒がしくなったわね」
「八雲紫」
上空に開いたスキマから飛び降り、紫はとん、と着地した。
「どうしてここに?」
「私はただの利用者よ。図書館は利用者を選ばないはずだけど?」
そう言う紫の手には本が数冊握られている。
「そうね。○○もそう言っていたわ」
紫から本と貸し出しカードを受け取り、カウンターへ向かう。
「彼は元気?」
「普段どおりよ。……これも全てあなたが計画したことなの?」
くすりと笑い、紫は扇で口元を覆った。
「あなたの親友も同じことを言ったわね。けど、私が計画したことではないわ。なるようになっただけのことよ」
「感情までは計算できないと」
「そういうこと」
カウンターまでつくと、パチュリーが手続きをして紫に本を渡す。
「今回の一件で幻想郷に新しい風が吹くといいわね」
見事なタイミングで風が吹き、二人の長い髪が少し宙に浮いた。
「この風量、誰かが正面扉を開けたわね」
「利用者かしら?」
「そうでしょうね。正面扉が一般客の入り口だもの。どこぞの誰かはそんなことお構いなしだけど」
パチュリーはカウンターの席につく。
「出張図書館の効果はあった?」
「少しだけね」
答えたパチュリーは紫の反応を伺おうとしたが、視線を向けたときには既にいなくなっていた。
☆
「……逃げられたわね。あっちには地の利があるだけに、私だと不利だわ」
小悪魔を完全に見失ってしまい、アリスは追跡を諦めた。そのまま踵を返してもと来た道を戻っていると、曲がり角で誰かとぶつかる。
「きゃっ!」
倒れそうになったが、ぶつかった相手がアリスの手を掴んだことで転倒せずにすんだ。
「大丈夫ですか?」
手を掴んだ相手はアリス最愛のひと。
「……○○。流石は男性。私の体重を支えるくらいわけないわね」
アリスは○○の腕に引っ張られて体勢を立てなおした。
「司書は力仕事もしますからね。百科事典を大量に運ぶこともザラですよ」
○○は周囲を見回して誰もいないことを確認すると、アリスを抱きかかえた。
「えっ!? ちょっ!!?」
突然のことにアリスは驚き、頬を桜色に染める。
「い、いきなり何をするのよ。恥ずかしいじゃない!」
「前はこっちがしてもらったんで……。それに、こういうのは男の方からするものなんじゃないかと思って」
「……それって、男女差別じゃない?」
不服そうなアリスの視線に○○はばつの悪そうな顔をする。
「でも」
アリスは○○の首に腕を絡ませた。
「たまにはいいと思うわ」
そのままの体勢で○○に口付けをする。
「……大好き。愛してる」
「はい。俺もアリスさんのことが好きです」
「紅魔館はいつからこんなに暑くなったのかしらね、咲夜?」
「こればかりは私にも分かりません」
背後からの声に抱きかかえられた状態でアリスが振り向くと、頬の端を吊り上げて満足そうに笑うレミリアと目があった。隣の咲夜はふ
たりの様子を相変わらずの涼しい顔で眺めており、その後ろでは小悪魔がニヤニヤと笑っている。
「パチェ、こういうのは魔法でなんとかならないの?」
「不可能だわ」
レミリアの視線を辿っていくと、顔を引きつらせた○○の向こう側にスキマが開いていた。スキマの向こう側には紫とパチュリーに加え
て魔理沙の姿も見える。
「今日の気温何度だ? 四十度越えてるんじゃないか?」
「この気温とこの状況でいまだに抱き合っていられるんだから、大したものよねえ。愛の力って素晴らしいわ」
恥ずかしさのあまり、アリスは顔を真っ赤にしてしまう。見られないようにするため、○○の胸に顔を押しつけて隠す。
「誰かを愛する。素晴らしいことね」
「あなたが誰を愛そうと構わないけど、私の屋敷の気温を上げるのだけはやめてくれる? まだ暑くて寝苦しいんだから」
紫とレミリアが柄にもなくいたずらっ子のような笑みで二人を眺めていると、アリスが赤い顔をゆっくりとあげた。
「これが愛の力よ!!」
珍しく大声で叫んだかと思うと、アリスは再び○○に口付けをした。それも、その場にいる全員に見せつけるようにして。
「こいつッ……!」
「パチェ、このふたりを今すぐ永久氷壁に閉じ込めて!」
「これだけ見せつけられたら、閉じ込める前にこっちの精神が果てるわ」
「咲夜さん。当分甘いものはいらないです……」
「……私も作りたくないわ」
「甘いものでお腹が一杯になるとは思わなかったわね……」
初めはただの司書と利用者だった。
いつしか日常の中でお互いに惹かれあい、恋に落ちていった。
幻想郷の織姫と彦星となったふたりは、苦難を乗り越えて結ばれた。
砂糖は紅茶と混ざり、この世にひとつしかない絶品の味に仕上がった。
新しい風となったふたりは、幻想郷に別の新しい風を起こすのかもしれない。
新しい風がどんな影響を与えるのか、誰にも分からない。
新しい風はいつまで吹き続けるのか、誰にも分からない。
文々。新聞号外
アリス・マーガトロイド氏、紅魔館の司書○○氏と電撃結婚!!
そんな見出しの記事が幻想郷を騒がせるのは、まだ少し先のこと。
うpろだ1257、1260、1261、1289、1299
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最終更新:2010年05月19日 02:31