それは厳密なスケジュールの下、執り行われた。
計算された暴走、或いは無秩序という名の秩序の制御ともいえる作業だった。
小難しくいうと、事象の境界の調整、そして結界の敷設と維持。
分かりやすくいうと、○○復活の儀式といったところか。
数々の奇跡が紫様の手によって為された。
生と死の境界、人と妖の境界、一と全の境界、混沌と秩序の境界、ごはんとおかずの境界、肯定と否定の境界等々……。
そこには私が必要と思うものそうでないものが区別なくあった。
だが、一見無駄なことに見えても、紫様にとっては全て○○復活に必要な布石だった。
幻想郷は今、過去幾度もあり、そしてこれからも発生するであろう異変のひとつにさらされていた。
少なくとも私の目の前に起こっている現象は、異変以外の何者でもないことは確実だ。
一片の雲もない青空の下、芋焼酎の小雨が降りしきる中、それは発生した。
境界を操られたせいで尸解の理を歪められた○○の魂魄は、幻想郷中に解け消えていられなくなっていた。
目に見え、触れられるまでに実体化した無数の○○の欠片たちは、私たちのところに集ってきた。
正確には墓を暴いて取ってきた○○の骨(現在妖力注入中)に集っているのだけれども。
まるでそれは闇の中の灯りに誘われる蛾というより、粘着式退治用品に群がるゴキのようだった。
いやまあ、言い方が悪いのは私も解っている。
だけど骨から発せられる匂いに誘われて来ては、魂魄を集めている結界に取り込まれる。
しかも一度結界に閉じ込められると、どう足掻いてもそれから離れられなくなる様子を見ていると――ねえ。
現在の状況についての感想を思い巡らせていると、紫様からお声が掛かった。
「藍、右手方向に見える有象無象の相手を任せてもいいかしら?」
言われた方向に視線をやった。
そこには一匹(?)大き目の魂魄の粒子が、自分の骨が発する霊的な芳香に誘われてきているのが見えた。
ついでにそれを追っている名もなき妖怪どもも見えた。
なるほど。有象無象だ。
おそらく○○の魂魄を喰らおうと集まってきたのだろう。
私たちのような突き抜けた強さを持った妖怪ならまだしも、あの程度の霊格の妖怪だと○○の魂魄は良い栄養になる。
仙人の肉体や霊体は、妖怪や獣たちにとって格を上げる恰好のものなのだ。
細かくなっているし最下級の尸解仙のそれとはいえ、現在の○○の魂魄は十分に狙われるに値するだろう。
魂魄はウロウロと周辺を散策しながら近づいてきていた。
いい気なものだ。
後ろについてきている妖怪には気づいていないのだろうか? おそらく気づいていないのだろう。
何せあれは小なりとはいえ○○なのだから。
……こういういらんところで、○○らしい抜けたところを見せてくれなくてもいいだろうに。
私は軽く身を揺すり、風を切って空を駆けた。
何人たりとも○○を傷つけさせはしない!
私から○○を奪おうとしている妖怪を軽くひと撫でした。
ものの数秒でひとまず視界に見えていた有象無象どもがいなくなった。これでよし。
やがて魂魄の欠片は匂いの大元が、私の手の中から漂っていることに気がついたようだ。
魂魄の欠片が一直線に私に近づいてくる。
ああ。なんだか可愛いなと、私は目尻を下げた。
今まさに○○(の欠片)が私の胸に飛び込んでこようとしたその時――
「残念でした。そこはもう私のテリトリーよ」
悪戯が成功した子供のように、楽しげな紫様の声が聞こえた。
と同時に、紫様の仕掛けていた罠が発動した。
幾重にも術式が施された結界にシュポンと吸い込まれる○○の魂魄の欠片。
罠に掛かったということを自覚した時にはすでに遅かった。
この中では魂魄は再度尸解することも、逃げることも叶わない……。
こうして奴の魂魄の欠片は、紫様の手の中でビチビチともがくだけのシロモノになってしまったのだった。
紫様は捕らえた魂魄の欠片の状態をざっと確認すると、すでにみっちりと詰まっている掌の中の匣に手早く詰め込んでいく。
この匣こそが○○を復活させるために最も必要とするもの――紫様特性の結界である。
ところで何故紫様がこういった無体な真似をなさっているのか。
その辺りを説明しようと思う。
確かに欠片一つあっただけでも○○を再構成させることは可能だろう。
けれどもその場合魂魄の総量の関係で、尸解前の記憶や人格などが再現できなくなってしまう可能性が非常に高くなるのだ。
この辺は粉々になった硝子の珠で、再度同じものを作ろうとしている職人を例え話として考えてもらいたい。
職人は同じ材料であるならば模様、色、艶を出すことは不可能ではない程度の技量を持っている。
手間隙とか人件費とか時間とかは考えないでいこう。煩雑になるし。
職人に砕け散る前の珠に戻してほしいと頼んだとしよう。
すると職人はこう言った。
まったく同じものを作ってほしいのならば、砕け散った硝子片を全て持ってきたください。
そうしなければ、再現したはずの硝子珠は厚みが足りなかったり、大きさが違ったりすることになるだろう、と。
今回の事象にこれを当てはめてみよう。
全ての魂魄が揃わない内に○○復元してしまうと、色々と足りない部分が出てくるのは確実だ。
不足するのは記憶かもしれない。或いは性格かもしれない。
人のあらゆるものを司る魂魄が足りていないというのだから、何も起こらないわけがないのだ。
ありていに言うと、必要量を揃えないと○○によく似た姿形をした別人ということになってしまうということだ。
尸解前の○○を復元したいのならば、何を差し置いても砕け散っている奴の魂魄の欠片を集めることこそが肝要なのだった。
というわけで、私たちは○○の欠片を集めんと、頑張って魂魄ホイホイしているわけである。
ところで未来は不確定とはいうが、こうして○○復活の準備を整えているだけで確定してしまう未来もあったりする。
今回のことでいえば、博麗の巫女がこの異変を解決に動き出さないはずがないのだ。
面倒だとかなんで私がとか、ぶつぶつ文句をたれつつ、彼女は必ず動くことだろう。
異変解決に関しては博麗の巫女は非情だ。
いかなる事情があっても、彼女は異変の原因を解決してしまおうとするだろう。
そうなると○○の復活に支障を来しかねない。
○○を復活を願う私たちとしたら、途中でそれを阻止されるのはいただけない。
故に博麗の巫女が動く前に、全てを済ましてしまおうと急いでいるのだけれども。
ふと、紫様が魂魄回収の手を止めた。
時を同じくして私も気づいた。
ほぼ同時に空を振り仰いだ。
「……意外と早かったわね」
そうですね。
非常に不機嫌そうな強面の巫女が、焼酎の霧雨に霞む姿が青空の向こうに見えた。
途中にいた魑魅魍魎どもを徹底的に粉砕しながら来ているところを見ると、機嫌はかなり悪いようだ。
「紫。あんたが今回の騒ぎの犯人か」
不機嫌そうな顔を隠そうともせずに、博麗の巫女が上空から私たちの前に降りてきた。
「あら、霊夢じゃない。どうしたの? そんな顔して。
只でさえ怖い顔がもっと怖くなってるわよ」
「煩い。私の朝ごはん返せ!」
危うく齧られそうになっていた○○の欠片を蹴り飛ばすことで、寸前で食されることを防いだ。
○○を食おうとするような不届き者には、弾幕を駄賃として渡して差し上げる。
蹴り飛ばされた魂魄は飛んでいる途中で紫様に無事回収されたようだ。
博麗の巫女の反論は、私たちの予想の斜め上を行っていた。
私たちは顔を見合わせ、どういうことだと問うた。
「あのな……」
私たちの訊き方のどこに不満があるのか、博麗の巫女は青筋を立てていた。
深呼吸して気持ちを落ち着かせた博麗の巫女は続けた。
彼女が言うには、現在水という水が全て焼酎に変わっているのだそうな。
そのせいで朝餉の味噌汁は言うに及ばず、口直しに飲んだお茶すら焼酎になっていたとのこと。
しかもごはんも酒臭くて炊けたものじゃなくなっていたそうな。
ああ、なるほどそれは想像するだに恐ろしい光景だ。それはご愁傷様だ。
「私はあんたが何をやろうとしているのかは訊かない」
「あら、聞いてくれないの?」
「どうせまた訳の分からないことをやろうとしているだけでしょ。
いいから、私の朝ごはんのために、とっととこの異変を止めなさい」
「いやよ。やめないわ。少なくとも今すぐには」
ビキリと博麗の巫女のこめかみに青筋が立った。
紫様は口元を扇で隠し、いつもの胡散臭い笑顔を浮かべている。
近寄ってきた○○の欠片。その前に白く小さな塊をちらつかせると、あっという間に捕まえてしまう。
…………。
……って、あーっ!!
慌てて自分の掌を開いて見てみると、そこにはさっきまであった○○の骨がなくなっているではないか。
やりましたね、紫様!
私の非難の視線を受けても、やはりどこ吹く風。
「そういう訳だから、藍。頼んだわね」
はいはい。まったく、式使いが荒いんですから。
「使い勝手がいいものって、どんどん使いたくなるものよね」
……もういいです。
それで、どのくらいの時間足止めしましょう?
「この際だから好きなだけ、気の済むまでやっちゃっていいわよ」
「…………ほう」
どの際かは知りませんが、無闇に挑発しないでください、紫様。
そうでなくても餓えて気の立った巫女は危険なんですから。
「あらそう? でも、足止めするのはいいんだけど、倒しちゃってもいいのよ?」
話を聞いてくださりやがりませッ。
こら、そこの紅白。コーホーコーホーって妙な息吐くんじゃない!
「くふふ。いいわ。その勝負受けた」
ユラユラと博麗の巫女の背後で揺らめいているのは、闘気か、はたまた怒気か。
前者であってほしくはあるが、おそらく気にしては駄目なのだろう。
闘気だろうと怒気だろうと、私が彼女と弾幕ごっこをすることには変わりがないのだから。
「朝ごはんが台無しになった恨み――」
「○○を復活させようという試み――」
紫様の○○への想いはとても深い。
博麗の巫女が異変を治めに来たというのに、ぎりぎりまで○○復活の準備を試みようのだから。
いつもの二割、いや三割増しの迫力の博麗の巫女の相手をできる相手というと、紫様を除けば私しかいないだろう。
少なくともこの場ではそう言えるはずだ。
その程度の自負は私にもある。
であるならば、ギリギリまで博麗の巫女の異変解決の足止めをするのが、今の私のやるべきことだ。
「――あんたらに払ってもらうわ、紫のバカタレ」
「――誰にも邪魔させませんわ、博麗のお嬢さん」
宣言と同時に紫様が退き、私が前進する。
かくして――
博麗の巫女とスペルカードを提示し合い、本日の弾幕ごっこが始まったのだった。
さて――
弾幕ごっこの結果はいうまでもないので省略するとして、○○についてはどうなったのか説明せねばなるまい。
弾幕ごっこが始まってから十数分ほど経った頃だろうか。
今まさに最後のスペルカードが破られようとしたその時――
突如、ドカンという爆音が轟いた。
直後私たちの間を遮るようにして一筋の光の柱が天を貫いた。
私は背後に向かって回転避け。
博麗の巫女はわずかに身体を傾けて回避を試みた。
二人とも弾幕ごっこの最中に突然割り込んできたもののせいで、著しく集中力を失ってしまう。
どのくらい集中力を失ったかというと、互いに何でもない弾幕で被弾してしまったくらいだ。
地上に降り立つと、しばらく私たちは声を失い、ガバッと口を開けて光の先端を見上げていた。
一瞬ではあったが、天を貫いてかっ飛んでいったのが何だったのか、私たちはその目で捉えていたからだ。
そして近くでは私たちと同じように、呆然と空を見上げる紫様がいた。
土埃をかぶって薄汚れてしまっているにも関わらず、気にしたような素振りはなかった。
紫様はただただぽかんと空を見上げていた。
私たちは顔を見合わせ、頷きあった。
ひとまず弾幕ごっこはお預けにして、何が起こったのかを訊いた方がいいだろう。
蕎麦焼酎の雨(弾幕ごっこの途中で変化した)は光が天を貫いた後、ようやく止んでいた。
それにしてもこのあとの洗濯が、面倒そうなことこの上ないな。
今は鼻が馬鹿になっているので気にならないが、私の服も博麗の巫女の服もかなり酒臭くなっていることだろう。
「紫、今のは、一体……?」
現状を最も理解していない博麗の巫女が、紫様に疑問を投げかけた。
呆然と空を見上げていた紫様は、私たちが見つめている気配を察して顔を上から正面に戻した。
その時には、いつもの紫様の顔に戻っていた。
「○○復活の試みは成功したわ」
「何をやらかしたのよ、あんたは」
ビショビショに濡れた巫女服の袖を絞る。
スンスンと鼻を鳴らして絞った後の袖の臭いを嗅いでいた博麗の巫女は、怪訝そうに首を傾げた。
まあいいかとか何とかブツブツ言っていたが、何だったのだろう。
「私は何もしていないわ。ただ、尸解して戻れなくなった○○の後押しをしただけ」
「○○は死んでるわ。いい加減、受け入れなさいよ」
可哀想なものを見る目で紫様をたしなめる博麗の巫女。
けれども、その言は紫様の耳には入っていなかった。
うんまあ私だって紫様に連れられて墓荒らしやら地獄巡りをしていなかったら、彼女と同じ態度でいたことだろう。
俄かには信じがたい話ではあるし。
紫様は淡々と説明される。
○○を復元するため、様々な境界を操ったこと。
そうすることで幻想郷中に解けていた○○の魂魄を目に見える程度にまで凝縮した。
凝縮した○○の魂魄は欠片で出現したので、それを収集し、最終的に○○として復活させたということを。
「幻想郷中で起こっている異変は、私と○○の能力が鬩ぎあった末に漏れたものにすぎないわ」
「どっちにしてもあんたが元凶でしょうが!」
「あら。元凶だなんて心外だわ。これは不幸な事故よ。
変なことが起こるだろうということは、予想していたけど」
「予想してたんなら、止めときなさいよ」
韜晦する紫様。
疲れたかのように肩を落とし、溜め息を吐く博麗の巫女。
うん。相変わらず紫様は紫様だ。
紫様は再度空を見上げた。
私たちも釣られて空を見上げた。
「うん。流石に○○ね」
清々しいまでに青い空を見上げたまま、紫様は感心したようにおっしゃった。
「魂魄を圧縮していた匣に核となる骨片を入れた途端、あれよ」
掌を上方に開き、どかんと口で言う。
目を細めて光の柱に紛れて飛んでいった空を見やる。
「あ~……あのかっ飛んでいった光の塊は、やっぱり○○だったと?」
「ええ。今回はこないだよりも高みに挑戦してるみたいね。
現時点で中間圏まで到達してるわ。もうすぐ熱圏ね」
こないだというのは、成層圏からのダイブのことを指しているのだろう。
いやはや。やはり○○が紫様の能力を受けるとロクなことになっていない。
私たちは先程の光の柱を回避した時に、確かにそれを見た。
両手両足を蛙のような格好に縮ませて、空に向かってかっ飛んでいく○○の姿を。
博麗の巫女が紫様に詰め寄っているのは、あの尋常ではない光景を否定したかったからだろうか。
しかし、紫様にそれをあっさり否定され、望みを打ち砕かれた彼女はがっくりと肩を落としたのだった。
よほど目にしたことがショックだったらしい。
私はそんな彼女を慮って言葉をかけてやった。主に傷口に塩を塗りこむ要領で。
はっは。○○と家族づきあいをしていたら、その内あの変態性にも慣れるぞ、霊夢。
実際、空に上がるネタは、またかといったところだしな。
「私としては、慣れてしまう方が怖いわ」
なるほど。言い得て妙だ。
が、まあ霊夢もその内分かるさ。慣れというものの恐ろしさを。
私も気がついた時には、○○の変態性を当たり前のものとして受け止めていたからなあ。
感慨深げに私は頷いたのだった。
私たちの会話を楽しげに聞いていた紫様は、ふと上空を見上げた。○○の位置を確認しているのだろう。
すでに奴は信じられないほどの高みに到達しているせいで、私の目には捉えられていない。
紫様は会話を遮られた。
「さあ、そろそろ○○を迎えに行ってくるわ。戻ってきたら皆で歓迎してちょうだいね」
はい、行ってらっしゃい。
「はいはい。とっとと行って来い」
私たちの見送りの言葉を受けて、手を振りながら紫様はスキマから○○を迎えに行かれたのだった。
○○がスキマを経由して帰って来れないのは、もう何度も言っているのでお解かりだろう。
それ故に二人は普通に空から降りて来ているはずである。
現在の待ち時間はそのせいである。
私は紫様がその間に、博麗の巫女に大まかに何が起こったのかをもう少し詳しく説明した。
説明したのは○○の変態的な体質のこと。
偶然と必然が重なり合って、一つの奇跡が起こったこと。
そして今回の異変は、○○が復活した時点で収拾したはずだということを。
博麗の巫女は信じられないといった表情をしていた。
うん、これが普通の反応だよな。
信じようが信じまいが、それが事実なのだから仕方がないだろう。
「それはそうなんだけどさ。
……あー、まあ、また賽銭が定期的に入ることになるんだったら、私としては何も言うことはないわね」
お前の現実を受け入れる基準はそれか!?
「あら、ウチの賽銭箱の現実ってそれはそれは惨いのよ。
それが解消するんだったら、変人の一人や二人、博麗神社の素敵で可愛い巫女さんは広い心で受け入れてあげるわ」
まったく。この巫女ときたら……。
私はこのとんでもなくいい性格をした娘に対して、苦笑を投げ返すことしかできなかった。
空を見上げた。
すでに大分降りてきているようで、上空に芥子粒ほどの大きさだが、人影があるのを私たちは視認した。
「スキマが経由できないっていうのは、紫にしてみたらもどかしく思ってるかしら」
さあな。意外と紫様のことだから、二人でイチャつく時間ができたと喜んでおられるかもしれないぞ。
「そんなものかしら?」
ああ、そんなものさ。
それから十分くらい経った頃だろうか。
ようやく紫様と○○の姿がはっきりと分かる大きさになった。
日傘を差し、優雅にスキマに腰掛けている紫様。
その横で生首だけになって目の幅涙を流している○○。
………………。
思わず私たちはひっくり返っていた。
いや、よく見たら首から下がスキマに飲み込まれているだけだと分かったのだけれど、一体あれは何のプレイだ。
「ただいま」
「あ~。恥ずかしながら、戻って参りました」
おかえりなさい、紫様。
それとよく戻ってきたな、○○。
「そうね。よく生き返れたわね。……よく分からないけど」
皆して○○の帰還を喜んだ。
どうやら○○が口にしたのは、何かのネタだったようだ。
私たちが見事にスルーしたせいで、何やら落ち込んでいた。
「それで……それは何をしてるの? ○○」
博麗の巫女が胡乱な目で生首になっている○○を見やった。
すると紫様は彼の髪の毛を一房摘み、引っ張りながら教えてくれた。
「ふんだ。これは場所を弁えずにエッチなことをしようとした人への罰よ」
「……あー、そう」
そんなことを言われても、私たちとしてはどう反応すればいいのやら。
隣の○○は小声で、
「正直すまんかったー。紫のええ匂いを嗅いでたら、我慢できんよーになったんやー」
とか何とか怪しい方言でのたまっていたが、無視だ無視。
「馬鹿。時と場所を選んでちょうだいってことよ。
私としても貴方にぎゅっとされるのは大好きだけど、誰が見てるかも分からない空の上でのエッチはご法度よ。
お・わ・か・り?」
「へーい」
○○をたしなめる紫様。嬉しそうな横顔が印象的だった。
ヘコヘコ平謝りする○○。
苦笑する私と博麗の巫女。
優しい雰囲気がこの場にいる皆を満たした。
私は思った。
幻想郷にふたたび平和が戻ってきたのだと。
─────
○○が里に帰って最初にやったことは、生き返ったことを一通り伝えて回ることだった。
その際の反応は様々。
驚かれたり喜ばれたり泣かれたりと色々大変だったようだ。
しばらくは○○の様子を見に来る者が後を絶たなかった。
怖いもの見たさだったり、純粋な学術的興味だったりと携えてくる感情は様々だ。
しかしそれは、取りも直さず○○の里での顔の広さを物語る証明ともいえよう。
一方、それをもてなす方の○○はというと、良くも悪くも○○でしかなかった。
親しい客には茶と茶菓子を。不躾な客にはお茶漬けを、というわけだ。
尸解したからといって、妖術が使えるようになったり、空を飛べるようになったりはしなかった。
というか仙道の修行などしていない奴が、いきなり仙術を使えるようになったりしたらそれはそれで問題だ。
なので、これはこれで正しい状態なわけである。
そうして数週間も経った現在では、大分来客数も落ち着いてきたようだ。
まさに咽喉元過ぎればなんとやら。
○○はようやく日常が戻ってきたと安堵の嘆息を吐いていた。
八雲家を訪れた○○は、相変わらずのほほんとした調子だった。
一度死んだことなど微塵も感じさせなかった。
おそらくこれは、私たちの庇護下にいるというのだという安心感から来ているのだろうが。
私たちも以前にも増して彼を厳重に護るようにしているが、果たしてこのままでいいのだろうかと思わないでもない。
というか修行しない仙人というのは、多少おかしなところがあるただの人でしかない。
せっかく尸解したのだから、その経験を腐らせてしまうのはもったいないなぁ、というのが本音なのだけれど。
いや、奴が変わらず私たちを頼ってくれているのは、嬉しくはある。
だけどそれとこれとは話が別なのだ。
紫様に相談してみても「まだ時が来ていないから、何もしてくていいわ」とおっしゃるだけだし。
これはそんな問題があるようで、ある意味いつも通りなある日の八雲家の縁側でのこと。
私たちは葉桜になってしまっている庭の桜を前に、ちょっと遅めの花見をしていた。
○○は紫様に膝枕をしてもらいながら、昼下がりの陽気の下、一時のまどろみを楽しんでいた。
紫様はご自身の太腿に乗っかっている○○に、甲斐甲斐しく葛餅を手ずから食べさせてやったりしている。
見よ。
軽く小言を言いながら、口の端からこぼれた蜜を白魚のような指で拭ってやったときの、紫様の蕩けそうな微笑みを。
ああもう、この幸せ者め。
紫様の笑みを見やって、○○も同じように微笑んでいた。
ちなみに私は紫様を挟んだ○○とは反対側に陣取っており、背後では橙が私の尻尾の中に潜りこんで午睡中だ。
うむ。まさに八雲一家勢揃いだ。
手を太陽にかざし、掌をなんとなく眺めやる○○。
「それにしても、仙人ねぇ。俺の人生設計にはンなモンになるような予定はなかったんだけどなぁ」
「あら。人生っていう帳面は、予定がどんどん付け加えられていくものよ」
「いやまあ、そりゃそうだけど」
そんなのんびりした空気が漂う中、○○は紫様に声を掛けた。
「あー、その……ちょっと訊いていいか?」
「なにかしら?」
紫様はそんな何でもない会話も楽しいようで、○○の髪を手櫛で梳きつつ首肯した。
「俺がその尸解とやらから生き返ったのは分かった。
だけど、本当にいいのか? 紫は人間だった俺がよかったんじゃないのか?」
仙人なんていうモノになってまで、お前の隣にいていいのか?
そんな不安を友とした○○の思いが、視線に乗って紫様のところへと届いた。
じっと紫様を見つめている○○。
私はちらりと紫様を横目で窺ってみた。
するとそこには、困ったものを見る目で○○を見下ろす紫様がいた。
「馬鹿ね」
紫様はくすっと笑うと、ムギュッと○○の鼻を軽く摘んだ。
「私は貴方が人だったから好きになったわけじゃないわ。
貴方が貴方だったからこそ、好きになったの。愛しているの」
「――っ」
○○が潤んだ紫様の瞳に魅入られたかのように固まった。
思いがけず紫様の愛の告白を受けて、戸惑っているようだ。
視線があちこち彷徨っていることからも、奴の困惑具合が分かろうものだ。
確かにこうして紫様が○○に面と向かって『愛している』と口にするのは滅多にないことだ。
確認するまでもなく、○○の方が紫様に対して好意の言葉を口にする回数は圧倒的に多い。
しかし二人の馴れ初めを思い返せば分かるように、最初は主が彼に好意を抱き、その後に○○が主を好きになったのだ。
勿論そこには焚きつけた私がいたり、二人の仲を温かく見守る人々がいたりするわけであるが。
そう考えると面白い関係ではある。
けれども直截的に愛を語らないからといって、それが即紫様の○○に対する愛情が冷めたということには繋がらない。
紫様は当初と変わらず、否、あの頃よりもずっと○○のことを愛していらっしゃる。
外に表れる感情が見えにくいだけで、あの方の想いは全く変わっていない。
そうでなければ、わざわざ尸解したはいいが、戻ってこれなくなった○○を呼び戻すようなことはすまい。
二人の違いは、紫様は婉曲的な愛情表現を好まれ、○○は直截的なそれを好むという差でしかない。
そして表し方が違おうとも、互いに想い合い、心を通じさせている二人は、やはりお似合いの恋人なのだろう。
○○が我に返った。
真っ赤な顔をして、紫様に向けて優しく微笑んだ。
「なんだか久し振りに紫の口から好きっていう言葉を聞いた気がする」
「……そうだったかしら?」
「うん。だからすごく嬉しい。俺もお前のことが好きだ。一番好きだ」
紫様は蕩けそうな表情でこくんと頷かれたのだった。
そしてそのまま○○に覆いかぶさるように身体をかがめていき――
二人の口づけはちょっとだけ生々しかった、とだけ言っておこう。
「ああ、そうだ。藍」
はい、何でしょうか? 紫様。
隣にいる式のことは無視してちゅっちゅくちゅっちゅく――
いい加減いたたまれなくなってきて、どっか遠くに行こうかなぁと思っていた矢先のことだ。
紫様が突然声を掛けてこられた。
慌てずに反応ができたのは、我ながら褒めてやりたい。
「私たち、結婚することにしたわ」
そう――紫様はおっしゃられた。
…………。
ええっと……。
ああ、うん。血痕、もとい結婚ですね。
えっと、どなたが結婚なさると……?
「私たちが、よ」
ああ、そうでしたそうでした。
って――
ええっと。あれ?
紫様、○○との結婚はしないとかおっしゃっておられませんでした?
「なにぃ!? 俺とのことは遊びだったとあべしっ!?」
「話がややこしくなるから○○はちょっと黙っててくださる?」
私の発言を聞きとがめた○○が勢いよく起き上がろうとし、それを紫様に頭を押さえられ、押しとどめられた。
こう、ぐきっと。
ふたたび紫様の膝の上の人になる○○。
先程と違って多少ピクピクとしているが、まあ静かなもんである。
話を戻そう。
紫様は膝の上で眠る○○の髪を優しく梳りながらおっしゃった。
「今回の異変を振り返ってみて、つくづく感じたのよ。
私の心を占める彼という存在の大きさをね。
彼と別れたくない、その一心で今回は動いていたけど……。
――正直、彼と離れ離れになるのが、これほど私をムキにさせるなんて思ってもみなかったわ」
紫様、問答無用に異変を振り撒いていらっしゃいましたもんねぇ。
私がそう感想を述べると、苦笑しながらも同意なさった。
「この自分の想いに気づかされたというか、改めて気づいたのがきっかけの一つね。
それでこの際だから、新しい絆を得ようと考えたのよ」
なるほど。それで夫婦という絆が欲しいと思われたんですか。
「そういう訳で、その内彼のことを『ウチの旦那様』とお呼びすることになるわ」
笑顔で紫様はそんな冗談を口になさったのだった。
いやまあ、どこまでが冗談かは分かったものではないのだけれども。
ふと――
紫様の私を見つめる視線が、わずかに重みを増したように感じた。
なんだろうと首をひねっている内に、紫様が言葉を紡いだ。
「それから、藍。貴女には○○の仙道の師になることを命じるわ」
わ、私がですか?
「貴女も九尾なんだから、仙道くらい通じているでしょ」
それはまあ、そうですけど。
ですが、いいんですか?
本格的に○○を仙人にすることで、共に在りたいというのなら、洞に篭る正統な仙人に任せた方が良くないですか?
「馬鹿なこと言わないで。幻想郷の仙人なんかに任せたりしたら、永遠に○○が山に篭っちゃうじゃない。
それこそ本末転倒よ」
○○が山から下りてこなかったら、こっちから出迎えに行きそうだと思ったのは、胸の裡にしまっておこう。
紫様のことだから、そのくらいのことはしでかしそうだった。
とはいえ、受け入れないという選択肢は私の手の中にはなかった。
了解しました。○○のことは任せてください。
きっと一人前の仙人に仕立て上げてみせます!
そう言って胸を叩いて、私は快く紫様の命令を承ってみせたのだった。
何故快く引き受けたかというと――
「○○と師弟関係ということは、今まで以上に○○と親密になれるから、といったところかしら?」
内心を見透かしたように(というか、実際見透かしたのだろう)、紫様が私の耳元でぼそりとおっしゃった。
思わずぎくりと身体を凍らせる私。
ゆ、紫様!? いえ、これはその……。
慌てて申し開きをしようと紫様に向き直った時だった。
そこに浮かべられていた表情を見て、思わず私は絶句してしまった。
紫様はギタリと笑っていらっしゃった。
「私もそのつもりで貴女にそう命じたんだもの。そう思うことについて、怒ったりはしないわ。
むしろ彼との絆をもっと深めてもらうため、といった面があることも認めるし。
無論、一線を越えちゃったりした日には、色々と千切ったりしちゃうかもしれないけど」
ひいっ。
紫様はおっしゃる。
師弟関係とは、ある意味男女の関係よりも深いところにある。
私と○○はそういった関係になって欲しいと。
私としては紫様の発言の裏に見え隠れしている『○○は渡さないわよ』という牽制に、突っ込みたいところではあるが。
「……そういう訳だから。そこで狸寝入りしてる二人とも、分かったわね?」
迫力のある笑みで二人――橙と○○に確認を取る。
紫様の声に圧されて、私の背後と紫様の膝の上で一瞬ビクリと震える気配があった。
そしてほぼ同時に、二人は了解を示す挙手をしたのだった。
いつから起きてたんだ?
「私は紫様が○○に好き好き~ってやってたところからです」
よいしょと私の尻尾の中から這い出ながら橙は答えた。
紫様も橙の可愛らしい発言にはちょっとだけ顔を赤くしていた。
というか随分と前から起きてたんだな。
私がそのことについて指摘してやると、橙は跋が悪そうに頭を掻いた。
「だって藍様、『私起きてまーす』って言えるような雰囲気じゃなかったですし……」
と、ちょっと頬を赤らめてモゴモゴとつぶやく橙。
うんうん。初々しいなぁ。
「まあ、俺の場合は意識があっても、ここから起きる気が起こらなかったというのが正解だけどな」
「あ。それ私も! 藍様の尻尾のモフモフからは逃げられません!」
○○が紫様のお腹に抱きつきつつ、混ぜっ返した。
紫様も困った様子でそれを見下ろしていたが、抱きつかれるのが嫌という訳でもないのだろう。
苦笑しつつも抱き返していらっしゃった。
抱き締め合う二人。
紫様は○○の耳元で優しく囁かれた。
「ね、――○○。約束してくださるかしら」
「ん?」
「二度と私の前からいなくならないで」
「あ――悪ぃ。俺の不注意が招いたことで、随分と紫たちに迷惑を掛けた。
ああ、これは何よりも最初に言うべきだったな。
救ってくれてありがとう」
紫様は小さく首を横に振った。
「それはいいの。
貴方がここにいるというのは、どうやってでもできたこと。
案の中には藍の子宮を使って蘇らせるっていう、かなり荒っぽいけど確実な手もあったしね」
うげ。紫様、そんな話聞いてないですよ。
場合によっては○○が息子になるところだったじゃないですか。
「あら、嫌だった?」
いえ、断然そっちの方が良かったです!
むしろ何故そっちを実行してくれなかったのだろうか。
そうなっていたら、○○を私好みの男に仕立て上げていただろうに。実に惜しいことをした。
「ちょっ……藍さん!?」
「えっ~と、藍様?」
私が力いっぱい本心で答えると、何故か○○と橙がドン引きしていた。
紫様も引きつった笑顔で冷や汗をかいているし。
こほんと咳払いをして、紫様は話を戻された。
「そもそも貴方が妖怪に襲われたのだって、幻想郷のルールとは別の理由で襲われたんだし。
貴方が不注意だったわけじゃないわ。
どちらかといえば、私の監督不行き届きね。まあ、そっちにしても半ば逆恨みみたいなものだけど」
「ん? どういうこった?」
紫様のおっしゃったことが理解できず、首をひねる○○。
だが、紫様はそれ以上詳しいことはおっしゃらなかった。
ああ、なるほど。そういうことだったのか。
一方で私は○○に何が起こったのかを理解してしまった。
確かに理由など聞かなくてもいいな。というか精神衛生上○○は聞かない方がいいだろう。
これからの○○に待っている未来を考えれば、そんなものなんて関係ないし。
……ああ、だから紫様は私に○○の師匠になれ、と命じられたのか。
人間を暗殺しようと企む妖怪がいるということには驚きだが、これからはそんなものは関係なくなるだろうし。
これからは放っておいても、妖怪どもは仙術の使えない仙人である○○を狙ってくるはずだから。
そうして○○は理解できないなりに、紫様の想いを真正面から受け取り、答えを紡いだ。
「よく分からんが、分かった。
もう二度と紫を悲しませない。泣かせない。
約束する。
俺はずっと紫を愛し続ける。――いや、俺の人生は紫のためにあるんだって誓うよ」
それは一つの宣言だった。
幻想郷に新しく加わった人間の一歩だった。
彼の未来はおそらく多難であるに違いない。
いやまあ妖怪を愛し、妖怪を師とし、妖怪を家族とする仙人など、そうそういてもらっても困るが。
しかし、彼は気にすまい。そして私たちも気にしない。
私たちの未来がどこに繋がり、どこに至ろうとしているのかは分からない。
けれどもこれだけはいえる。
おそらくこの不思議な関係は、これからも続いていくことだろうと――
おしまい
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うpろだ803,943,952、1029、1185、1255、1327、1329
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最終更新:2010年05月22日 10:44