はぁッ、はぁッ、はぁッ……
息が乱れる。脚が引きつりそうになる。
こんな全力で走ったのは久しぶりだ?
こんな状況でも場違いな考えが浮かぶ。
非常識すぎて正常な感覚が麻痺してるのかもな。
俺はどうしてこんなところにいる?
そもそもここはどこなんだ?
なんで化け物に追いかけられてんだ?
全てがわけがわからないことばかりだ。
そう、俺はバイトに遅刻しそうになって急いで駅に向かってたはずだ。
それで、横断歩道を渡ってる途中にいきなり周りが真っ暗になって、気付いたら紅葉の綺麗な山の中?にいた。
そのままわけも分からず彷徨っていたらいきなり横から化け物が飛び出してきやがった。
猿のような身体に、牛のような頭で、俺よりも二回りはでかかった。
見た瞬間に分かった。こいつからは逃げるしかないと。
俺は飛びのくようにその場から逃げ出し、結局その化け物との追いかけっこを続けている。
ハハ、状況を整理してみたら余計わけわかんねぇ。
こういうときは天の声が説明してくれるのがお約束じゃないのかよ。
…ただ、そんな俺でもわかってることは一つだけある。
あの化け物に追いつかれたら死ぬってことだ。くそったれ。
俺は悪態をつきながら走り続ける。
やがて、そんなまま何分がすぎただろうか、茂みを抜けると一気に前が開けた。
大きな鳥居…石畳の地面…木造作りの建物…
ここは…神社か…?
一瞬戸惑って立ち止まる俺。
「あら? 参拝の方ですか?」
そんな俺に声が投げかけられた。
慌てて振り返ると、そこには竹箒を持った女の子がいた。
緑の長い髪をお下げにして、白と青のワンピースのようなゆったりした服をまとっている。
やっと人に会えた…そんな安心感に包まれるも一瞬、次の瞬間には背筋が凍りつく。
そうだ、今は化け物に追いかけられているんだ。
このままでは、この女の子も巻き込んでしまうじゃないか。
どうする? 一体どうすればいい?
日頃ろくに使っても居ない頭をフル回転させる俺。
…だが、答えなんて一つしかなかった。
俺があの化け物を反対側に引き付けて逃げるしかない。
『正気か?』『自殺するつもりか?』
俺の中の冷静な部分が止めろと叫んでいる。
だがもう、迷ってるヒマなんてない。
自分のせいで無関係の女の子を巻き込んでしまうのだけは絶対にイヤだ。
俺は覚悟を決め、後ろを振り返った。
「あの…?」
女の子が戸惑ったように呼びかけてくるが、それに答えてる余裕なんてない。
「すぐにここから逃げろっ!」
俺は女の子にそう叫ぶと、化け物の来た方に向かって駆け出した。
「あ、ちょっと…!」
後ろから聞こえる女の子の声を背に、俺は茂みへと飛びこんだ。
~ 『神々に恋した幻想郷』 ~
今向かってきた方向に向かって俺は駆ける。
…かつて聞いたことのないうなり声が聞こえる…
…草木がなぎ倒される轟音が響いてくる…
…大地が踏み荒らされる地響きがする…
それは、俺の『死』がこちらへと近づいてきているということだ。
だが、俺だってみすみす死のうというつもりなんて毛頭ない。
何が何でもヤツをやり過ごして逃げ切ってみせる。
俺はしぶとさと悪運だけは自信があるんでね。
俺は側に落ちていた丸木の棒を拾って構えた。
恐怖で砕けそうになる膝に気合でムチを入れる。
深呼吸し、神経を研ぎ澄ます。
ミシッ、ミシミシッ!
音が…近づいてくる…
近い…もうまもなくだ…!
バキッ! バキバキャッ!!
来るッ…!
そして、とうとうヤツが木をなぎ倒して飛び出してきた。
俺が諦めたと思ったのだろうか? 歓喜の雄たけびをあげて飛び掛ってくる。
だがお生憎様。俺はそんなに簡単に喰われやしないぜ。
最初の一撃、それさえしのげれば何とかなるはずだ!
「このおぉぉぉぉっ!!」
俺も気合負けしないように雄たけびを上げて振り下ろされる爪に向かって丸木を繰り出す。
ガキィッ!!
軋む音が響き、丸木とヤツの爪が噛み合った。
ヤツも獲物に反撃されるとは思っていなかったのだろう。
バランスを大きく崩し、横の木に突っ込んでいった。
よしッ! うまくいった!
今の隙に振り切ってしまえばいい!
俺は全力で駆け出し…
…そして、膝がカクンと抜け、そのまま前に倒れこんだ。
あれ…?
俺は何で倒れてるんだ?
急に感じた違和感にふと胸元を見ると、ジャケットが大きく裂けて血が噴き出していた。
手元を見ると、丸木が中ほどからすっぱりと斜めに断ち切られている。
…ははっ、なるほど。どこまでも常識外ってわけか。
文字通り本当に『化け物』だぜ…
ガサリと音を立てて、ヤツが立ち上がる。
怒りの気配を撒き散らし、ゆっくりと近寄ってくる。
だが俺の足は…動かない。
切り裂かれた胸が今更のように痛みだし、俺の意識を奪っていく。
ヤツが爪を振り上げ、そしてその爪がゆっくりと迫ってくるのが分かる。
交通事故の直前には世界がスローモーションになる、なんていう話は本当だったんだな…
今更ながらどこか見当違いのことが頭をよぎる。
俺はそのまま、薄れていく意識にあわせて眼を閉じた。
…暗闇の中、身体に風を感じる…
…やわらかな風が頬を撫でていく…
…赤子が母親に抱かれ、撫でられているような暖かな風…
…俺はもう死んだのだろうか?…
…ここはいわゆる天国ってやつなのか?…
…そういえばあの女の子は無事に逃げられたんだろうか?…
夢見心地の中、様々な考えが心をよぎる。
だが次の瞬間、それらの考えを吹き飛ばすような、天国には不釣合いな醜い悲鳴が聞こえた。
慌てて眼を開けると、眼前に迫っていた爪が腕ごと引きちぎれ、明後日の方へ飛んでいく。
な…に…?
目の前の光景に絶句する。
次の瞬間、俺を包んでいた風がほどけると、ヤツに向かって絡み付いていった。
まるで鋭い刃でもついているかのような風の渦が、ヤツの全身を細切れに解体していく。
なんだ…これは…?
今起きている事が理解できない。
俺は言葉を発することも忘れ、呆けたようにヤツの末路を眺めていた。
安心からか、再び意識が薄れてくる。
かすむ視界の中、空から風に包まれた少女が舞い降りてくるのが見えた。
あれは…天使か何かか…?
緑の髪をなびかせ、ゆっくりと降りてくる姿は神々しくもあり…
そのまま俺の意識は闇へと沈んでいった。
……う……
意識が浮上してゆく。
まぶたに光を感じ、ゆっくりと眼を開ける。
そこは、見たことのない場所だった。
回りを見渡すと、和室…?の部屋のようだ。
畳に敷かれた布団の上に寝かされている。
意識がはっきりしてくるにつれて、段々記憶が戻ってくる。
そうだ、俺はいつの間にか謎の山道にいて、化け物に襲われたんだっけ。
んで、ヤツにやられて、胸を斬られて。
もうダメだと思ったら不思議な風がヤツをみじん切りにして空から女の子が…
…わけのわからん記憶だ。
普通なら変な夢を見た、で終わるところだろう。
だが、胸の傷からくる痛みが、これが夢なんかではないことを示していた。
胸の傷は手当てされている。
誰かが俺を助けてくれたんだろうけど…あの女の子が…?
いやいやそもそもあの女の子がどうやってあの化け物を…
そうして悶々と考えていると、スッと音がして障子が開き、女の子が入ってきた。
「あ…! 気が付いたんですね、よかった…」
女の子は俺が起きてるのを見ると、微笑んだ。
緑の髪をした、可愛らしい娘だ。
…ってか、この娘は逃げているときに神社?で会った娘だな。
ということはここはあの神社なのか…?
聞かなくちゃいけないことがいっぱいあるようだ。
「えっと…君は? 俺は君がたすけ…ってて!!」
「あ、まだ動いちゃダメですよ! 貴方は三日間も寝ていたんですから」
立ち上がろうとして、胸の痛みが走る。
慌てて俺を止める女の子。
混乱する俺に、彼女は状況を説明してくれた。
「私は東風谷早苗と言います。この守矢神社で風祝…巫女のようなものをやっています」
彼女の説明を聞くに、ここは幻想郷とかいう俺の住んでた世界とは別の場所らしい。
博麗大結界とかいうバリアに囲まれた世界で、普通は出入りすることはできないらしい。
で、俺が妖怪に襲われていたので彼女が風を操る術で助けてくれたと、そういう話か。
…なんの冗談だ?と言いたいがさすがにここまで非常識が続くと信じざるを得ない。
しかし参ったな…、異世界ときたもんだ。
まさかもう二度と帰れません…とか?
「いえ、大丈夫ですよ! 結界を管理しておられる方がいますので、迷い込んだ方はその人にお願いして帰るのだといいます。ですから、安心してください」
俺の不安そうな様子を見て取ったのか、にっこり笑顔で言ってくれる。
優しくて、暖かい春の日差しのような笑顔。
その笑顔に、心の中の不安が取り除かれていくような感じがする。
俺は思わず、早苗さんの笑顔に見とれていた。
「あ、あの…?」
俺の不審な様子に早苗さんが戸惑ったような声を上げる。
その声にハッと我に返る。
「あ、うん、ごめん。ちょっと突然いろんなことがあったから混乱しちゃって」
ハハハと笑って誤魔化す。
早苗さんも納得してくれたようだ。
「うふふ、傷が治るまでゆっくりしていってくださって大丈夫ですから。しっかりと治してくださいね」
助けてもらった上にこんなに親切に手当てまでしてくれて…
本当にいい娘だ…
俺はその好意に感動し、同時にふと大事なことに気付いた。
そう、まだ俺はこの娘にちゃんとお礼をいってない。
「そうだ、まだちゃんと言ってなかった。早苗さん、俺を助けてくれて本当にありがとう」
そういって、深々と頭を下げる。
早苗さんは俺のいきなりの様子に少し驚いたような照れたように両手をぱたぱたと振った。
「そ、そんな…別にたいしたことじゃありませんから。それに、私のことは早苗、で結構ですよ。敬語で呼ばれるのは…その…慣れてないので…」
恥ずかしそうにいう早苗。
俺も、出会ったばかりの女の子を名前で呼ぶのには少々照れくさい…
しばし微妙な空気が二人の間を漂い…彼女がそれをかき消すように話を変えた。
「あ、そうだ○○さん。お腹がへっていませんか?」
その言葉に、思い出したように腹が空腹を訴える。
三日間寝てたってことは当然その間喰ってなかったってことか…
うなずく俺に早苗はクスリと笑った。
「それでは、何か用意をしてきますね」
そういって部屋を出て行く。
そしてほどなくして、背の高い女の人と一緒に戻ってきた。
「ふむ、無事に意識がもどったようね」
「この方は、この神社が祀っている八坂神奈子様という神様です」
紹介してくれる早苗。
神様…
本物の神様をこの目で見られるとは思わなかったが…
でも確かに、普通の女の人とは違う威厳のようなものを漂わせている。
俺も神奈子様に自己紹介をすると、神奈子様は笑って鉢を差し出した。
「この神の粥には回復力を高めるご利益があるわ。しっかりと食べて傷を治しなさい」
そういって、鉢を渡してくれる。
鉢をのぞくと、実にうまそうなお粥がホクホクと湯気を立てている。
見た目は普通のお粥にしか見えないが…
何はともあれとりあえず頂いてみよう。
俺はスプーンを手にとって、粥を口に運ぼうとして…
…あれ?
右腕が胸元より上まであがらない…?
どうやら化け物と打ち合ったときに肩を捻挫なり脱臼なりしてしまったのか、ぷるぷる震えて今ひとつ力が入らない…
なんとか口に運ぼうとしても届きそうで届かないのがもどかしい。
くそっ、折角うまそうな粥があるのに喰えないなんて!
しかし、こんなことで諦めてたまるか。
こうなったら、一気に力を入れて…!
ビキッ!
スプーンを構えて、一気に口へと運ぼうとしたとき、右腕に電撃のような痛みが走った。
カッシャーン!
「ぶあちぃっ!!」
痛みに思わずスプーンを取り落としてしまった。
こぼれた粥が太ももに落ちて超熱い。
「あらあら、何をやってるのかしら」
その様子を見て苦笑する神奈子様。
いや、わざとやってるわけじゃないんですけどね…
しかしコイツは参ったな…
こうやったらちょっと行儀は悪いけど口を鉢へ直接…
「あ、あの…」
俺がどうやって喰おうか考えていると、横手から袖をひっぱられた。
「ん? ああごめんね早苗、こぼしちゃって…」
「い、いえそれはいいのですが…えっと…」
言葉を濁す早苗。
…?
なんか顔が赤いようだが…照れてる…?
「あの…もしよかったら…食べさせてさしあげましょうか…?」
…………
た べ さ せ て あ げ る ?
早苗の言葉に完全フリーズする俺。
食べさせてやるってアレですか?
男なら人生で一度はやられてみたいアレですか!?
=========================== 俺妄想中 =================================
ガチャ
『ただいまー、今帰ったぞ早苗』
帰宅する俺を新妻の早苗はにっこり笑って出迎えてくれた。
『おかえりなさい、あなた。今日もお仕事お疲れさまでした』
この笑顔の為だけにでも俺は一日頑張ったかいがあるというものだ。
そして、早苗は頬を赤らめると、こう言うのだった。
『あの…あなた。お食事にします? それともお風呂がいいですか? それとも…わ・た・し?』
そんなの決まってる。
もちろん俺の答えは…
=========================== 妄想ここまで ==============================
って違うだろおれぇぇぇ!!
不埒な妄想を慌ててかき消す。
あまりに衝撃的な言葉に理性が吹き飛んだようだ。
そっちじゃなくてコッチだろ!!
嬉し恥ずかしアーンってやつだ…
しかし自慢じゃないが、今までロクに女の子と付き合うこともなかった俺にそんなことをしてもらった経験があるわけもなく…
まさか、こんな可愛い女の子に人生初アーンをしてもらえるなんて、そんな夢みたいなことが…
意識すると、たまらなく恥ずかしくなってきた。
本当にこんなことがあっていいのか…?
だってあのアーンだぞ!?
「あ、あの…イヤならいいんですけど…その…た…食べにくいかな…って…」
フリーズした上に挙動不審に悶えまくる俺に、早苗はすっかり縮こまったように後ろにさがっていく。
そんな早苗の姿に…
「是非お願いします!」
理性よりも先に、本能が力強く答えていた。
「あ、あの…それじゃあいきますね…?」
「お、おう…よろしく…」
いかん…思わずどもってしまった。
恥ずかしそうな表情の早苗がスプーンに粥をすくい、自分の口元でふーふーとしている。
薄紅色の唇が実になまめかしくて…スプーンよりもそっちにむしゃぶりついてしまいそうだ。
「は、はい、あーん…」
差し出されたスプーンが羞恥にふるふると細かく揺れている。
早苗の顔はすでにゆでだこのように真っ赤だ。
俺の顔も…どんどん熱くなっていくのが分かる。
照れくささを押し隠すように、そのスプーンにパクリとかぶりついた。
「ど、どうですか…?」
不安そうに尋ねてくる早苗。
その言葉に俺は…
「う、うんまいぞぉーーーっっ!!」
思わず歓喜の叫びをあげていた。
いや、これがホントうまい。
ほどよい塩加減に米の甘み、それに何か言葉では言い表せない暖かいパワーのようなものが身体に満ちていくのを感じる。
全身の細胞が活性化していくような感じがする。
これがそのご利益ってやつなんだろうか?
それに…早苗に食べさせてもらっているというのがさらに旨み当社比50%増。
俺の反応に早苗はクスッと微笑むと、また次を差し出してくれる。
親鳥にせがむ雛鳥のようにパクつく俺。
そんな俺たちを、神奈子様が微笑ましげな様子で見守っていてくれた。
腹がいっぱいになると、再び眠気が押し寄せてくる。
横になると、早苗が布団をかけてくれる。
俺はそのまま、眠気に逆らうことなく眼を閉じた。
こうして、俺の守矢神社生活第一日目は、終わりを告げるのだった。
日が変わり、その翌日。
俺は縁側に座り込んでぼけーっとしていた。
やっと立って歩けるようになったものの、まだ激しい運動は止められている。
しかし、一日中ずっと布団に入りっぱなしというのも退屈で…結局日向ぼっこに落ち着いた。
まあ、あんまり変わらないっちゃ変わらないんだが、屋内に引きこもっているよりかはずっと健康的だろう、多分。
ぼーっと遠くを眺める。
空は見事な秋晴れに透き通っていて、雲ひとつない爽やかな青が遥か遠くまで続いている。
前を見てみれば、この縁側の少し向こうが切り立ったガケになっており、山の遥か下の方まで見下ろせる。
もちろん視界を遮る高層建築なんてものはどこにもない。
広大な山肌が、長く細く続いている谷川が、そして小さく人里の集落のようなものが広がっていた。
なんて景色だ。
こんな絶景はいまや外の世界じゃごく限られた場所でしか見ることは出来ないだろう。
少なくても、俺にとっては今までの人生で最高の景色だと断言できる。
空気もうまいし、これはこれで貴重な体験なのは間違いない。
うん、まあ成り行きとはいえ折角この幻想郷に来たんだ、今のうちにこの偉大なる大地を満喫しておこう。
俺はそう前向きに考えることにした。
よし、そうと決まればさっそくこの神社を探検してみよう。
文字通り”秘境探索”なわけで、まるで少年に戻ったかのように妙にワクワクする。
そう思って、立ち上がった時、
「あれ~? 君はどなたかな? もしかして参拝の人?」
後ろから声がかけられた。
振り返ると、そこには黄金色の髪の毛にカエル?のような帽子をかぶった愛らしい女の子がいた。
今の話し振りからすると、ここの神社の人っぽいが…早苗の妹さんだろうか?
「いや、俺はちょっと事情があって早苗に助けてもらった居候だよ」
とりあえず返事をしてみる。
「あー君がそうだったのか! 私昨日は出かけてたから知らなかったよ」
女の子は俺の言葉にそういってあははと笑った。
輝く太陽のような眩しい笑顔、ハッキリいって超可愛らしい。
「それで、今は何をしてるのかなあ?」
興味津々という様子で小首をかしげて尋ねてくる。
「いやーヒマだからちょっと神社を散歩でもしてみようかなってね。する事がなくて退屈でさ」
別にやましいことをしてるわけでもなし、正直に話す俺。
すると女の子は、遊び相手を見つけたとばかりぱぁっと顔を輝かせた。
「そう、それじゃあ私も退屈だったし、案内してあげよう!」
そういって俺の腕に抱きついてくる。
「い、いや別に悪いし…」
思わずどもってしまう俺。
くっついてきた女の子の体がやわらかくて気持ちいいなんて死んでも言えない…
俺は、ロリコンなんかじゃないぞ…! …多分…
誰ともなしに言い訳をする俺。
「遠慮なんていらないよ! それレッツゴー!!」
そんな俺の動揺をよそに手を引いて歩き出す女の子。
…聞いちゃいねえ。
ふぅとため息をつく。
でもまあ、よく考えれば別に無理に断る必要もなかった。
こう見えても子供と遊ぶのは嫌いじゃないしな。
それに、ヒマでしょうがないのも確かだ。
折角だからあの子に案内してもらうのも悪くない、そう思いなおして女の子についていった。
それから一時間、俺たちは神社の側の湖の水辺を歩いたり、裏手の柿の実をもいだり、栗拾いをしたりして遊んだ。
女の子は実に良く笑うとてもいい子で、俺もつい時間を忘れて年甲斐もなくはしゃぎ回ってしまった。
あっというまに時間が過ぎ去り、二人で手をつないで最初の縁側へと戻ってきた。
「うん、外は大体こんなもんかなあ」
そういって笑う女の子に、俺は今更ながらまだ名前を聞いていなかったことを思い出した。
この子のおかげで楽しい時間を過ごす事が出来たんだし、ちゃんと名前を聞いてお礼を言わなければいけない。
俺はかがみこんで女の子と視線を合わせると、帽子を取り、その金糸のような髪を優しく撫でた。
サラサラの髪からお日様の香りがただよってくる。
「わひゃ!」
驚きの声とともに固まってしまった女の子に、心を込めてお礼の言葉を告げる。
「お嬢ちゃん、本当にありがとうな。すごく楽しかったよ」
俺の言葉に、照れたように顔を赤らめる様子が実に可愛らしくて微笑ましい。
俺が女の子の髪を撫で続けたまま、名前を聞こうとしたそのとき、前から箒をもった早苗がやってきた。
「おや、○○さんはこんな所にいらっしゃったんですね。それに洩矢様も…あら?」
俺たちに気付いて声をかけてくる早苗だが…途中で言葉を途切らせると、なんとも言えない微妙な表情で固まってしまった。
…?
早苗の反応がおかしいが…?
俺が妹さんの髪を撫でてるのがそんなにまずかったんだろうか?
そこではじめて、今かけられた言葉の違和感に気付く。
…もりやさま?
もりやさまって誰だ?
もちろん俺じゃない…となると、この子…??
「あれ、早苗の苗字って東風谷じゃなかったっけ? この子は早苗の妹さんじゃなかったのか?」
湧き上がった疑問をぶつけてみる。
「い、いえ違いますよ! その方は洩矢諏訪子様といって、この守矢神社が祀っている二柱の神様のうちの一柱です…」
慌てたように呆れたように答える早苗。
カミサマ?
カミサマ = かみさま = 神様…!?
「な、なんですとぉーーーーーーーーーーーぅっっっ!!!」
俺は瞬時に飛びのいた。
ま、まさかこんな可愛らしい女の子が神様だって!?
神奈子様はいかにもという威厳があったけど、この子からは微笑ましさしか感じないぞ。
…というか、俺はもしかして…いやもしかしなくてもトンでもなく失礼なことをしたのではっ!?
「こ、これは神様とは知らず失礼なことをしましたーーッ!」
慌てて平伏する俺。
これは祟られたり神罰の雷がどどーんと落ちてきたりするんだろうか…?
いったいどんな罰が下るんだろうと内心冷や汗でまくりの俺。
早苗もどうやってとりなそうかとおろおろしている。
「あ、うん…まあ…いちおう…」
そんな俺を諏訪子様は俺の態度の変化についていけないという様子でぽかーんと見下ろしていたが…
「ぷっ…!」
「ぷぷっ、あはははははははっ!! いいよいいよ別にそんなに畏まらなくても!」
いきなり吹き出すと、そのまま大爆笑をはじめた。
…?
これは怒ってないんだろうか…?
「あはっ…ははははっ!! 神様だなんていってもそんな偉いわけじゃないんだから、怒ったりしないよう! …それにしてもさっきの君の表情…あははははっ!!!」
腹を抱えて笑い転げる諏訪子様。
その笑い顔は、さっき俺と遊んでいたときに見せてくれた太陽のような笑顔だった。
そして笑いながら、再び俺の腕に抱きついてきた。
「気に入ったよ! ねえ今度は私の部屋に行って遊ぼう!!」
そういいながら俺を引っ張る。
俺は怒ってなくてよかったという気持ちとそれでいいのかという気持ちが交じり合って釈然としない思いで引っ張られるがままに歩いていく。
そんな俺たちを…早苗はもう何といっていいか分からないという表情で唖然と見送ってくれた。
そうして結局その日は、日が暮れるまで諏訪子様と一緒に遊んだ。
まさか諏訪子様の部屋に各種おもちゃから歴代TVゲーム機が勢ぞろいしてるとは夢にも思わなかったが…
だって、毎日することがなくて退屈なんだもん、とは諏訪子様の弁である。
ちなみに、この幻想郷で電気が通じるのかという疑問には、なんでも幻想郷でも河童たちは多少科学力が進んでいるらしく、そこから電気を引いているそうだ。
でも、電気の供給量の関係で一日一時間しかゲームをさせてもらえないのが不満らしい。
あの計画がうまくいけば…!なんていって怪しい笑みをもらす諏訪子様は何かたくらんでいるようだが…
まあ、何にせよこんなに気さくで可愛らしくてTVゲーム好きな神様がいるとは予想だにしなかった。
幻想郷では俺の常識は通用しない、幻想郷の深遠さを改めて思い知らされる俺だった。
そして、数日後。
早苗の甲斐甲斐しい手当てと、神奈子様の神徳のおかげもあって、俺はすっかり回復していた。
「うん、これでもう大丈夫ですね。痛いところとかはありませんか?」
早苗が包帯をほどいてくれる。
胸の傷は、もう完全に消えていた。
コキコキと肩を動かしても特に痛みとかは感じられない。
「大丈夫だ、本当にありがとう早苗」
「いえいえ、傷ついた人を助けるのも私たちの役目ですから」
早苗が笑顔で言ってくれる。
この笑顔は本当に癒されるぜ。
「ケガも治りましたし、○○さんは外の世界へ帰らないといけませんね。さっそく結界を管理している霊夢さんのところへとお連れしますね」
そうだった。傷が治ったら外の世界へと帰るんだったな。
早苗のこの笑顔が見れなくなってしまうのはちょっと残念な気がする。
でも…俺は外の世界の人間だ。
バイト先の店長にも謝らないといけないし、大学の友人だって心配してるだろう。
このままここにいれば、ますます帰りにくくなってしまうし、早苗たちにも迷惑をかけてしまうことになるしな。
荷物(といっても身の回りのものだけだが)をまとめ、鳥居まで見送りに来てくれた神様達に挨拶をする。
「それじゃあ、本当にお世話になりました」
そういって、二人に頭を下げる。
「気にしなくていいわ。私達も新鮮だったしね」
そういって笑ってくれる神奈子様。
「ええーもう帰っちゃうの? もう少しいてもいいのにー!」
諏訪子様はちょっと不満そうだ。
はは、諏訪子様の遊びに付き合えるのは俺しかいないからなあ。
早苗も、神奈子様もいかにもTVゲームなんてやらなさそうだし。
まさか神様がゲーマーだというのは意外だったが。
「それじゃ○○さん、行きますね。八坂様、洩矢様、行って参ります」
早苗が俺の手を握る。
柔らかくて暖かい手だなあ、なんて思ってるうちに俺の体が風に包まれた。
そのまま、空へとゆっくりと浮かんでいく。
そうだ…この俺を包む暖かくて優しい風には覚えがある。
俺が化け物にやられたときに、俺を守ってくれた風だ。
これが幻想の、神の風というものなのか。
生身で空を飛ぶのはもちろん初めての体験だ。
飛行機にのったことはあるが、こんなふうに全身で風を感じることなんてない。
空は遠くまで青く抜け、遥か彼方まで続いている。
下を見れば、山の木々が一面の紅葉の絨毯となり、艶やかな色彩を作っていた。
これが…俺たち外の人間が既に忘れてしまった本当の大地と空。
外の『自然公園』などというものとは次元の違う本物の自然。
その風を操る、ということはまさに神の所業なんだな。
俺はかつて人間が畏れ、信仰したというものが少し分かった気がした。
そして、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ。
この本物の自然の中でもっと生活したいな…なんて感傷的な気分になるのだった。
結論から言うと、俺の感傷は杞憂だった。
「無理ね。その人を外に出すことは出来ないわ」
開口一番、紅白の巫女に言い切られた。
「この間、阿呆な天人が神社を壊してくれて、折角直ったと思ったら今度は紫が壊してくれたせいで、結界の制御が不安定になっているのよ。
今無理に開け閉めを行えば、結界に損傷を来たす恐れがあるわ。結界が安定化するまで…そうね、三ヶ月くらいは無理ね」
三ヶ月ですとー!
そいつは困った。
「そ、それじゃ。代わりに紫さんにお願いしてもらうことってできませんか…?」
早苗がそういってくれるものの
「紫ならもう冬眠に入ったわよ。…ったく、壊すだけ壊しといて自分は治そうともしないんだから」
不機嫌そうな紅白の巫女に一刀両断された。
ぬーん、なんてこった。
三ヶ月かー…さすがにバイトクビだなあ…
「すみません…○○さん…」
早苗が申し訳なさそうに謝ってくる。
いや早苗は何も悪くないだろう、常識的に考えて。
それにしても、三ヶ月どこで暮らそう…
そう、一番の問題はそれだな。
流石にこれ以上ずっと守矢神社にお世話になるのも悪いし…
「お断りよ。ただでさえ神社の色々な物を壊されて生活に困ってるんだから。居候なら他を当たりなさい」
紅白の巫女と視線があった瞬間、先制攻撃をブチかまされた。
まだ何も言ってないんですがね。
やっぱりここは人里の方にお願いして、バイトでもさせてもらうしか…
「あの…もしよかったら、また私たちの神社に来ませんか?」
そんな俺の様子を見かねたのか早苗が救いの手を出してくれた。
早苗…なんて優しい子なんだ…。
でも、さすがにこれ以上お世話になりっぱなしってのは申し訳ないし。
「そんなことありません! 洩矢様もきっと喜んでくださいます!」
力説する早苗。
そこまで言ってくれるなら…お言葉に甘えようか。
正直いってありがたいしな。
かくして、俺の幻想郷ライフは三ヶ月間延長となった。
────────────
守矢神社で暮らし始めてから一週間がたった。
俺は、早苗の手伝いをするようになっていた。
もちろん、神事に関わる事は俺は何も出来ないが、力仕事や雑事程度はできるだけ引き受けるようにしていた。
理由は二つある。
一つはもちろん、暇だったからだ。
最初の数日は、早苗に病み上がりなのだから安静にしてくださいと言われたので大人しくしていたのだが…
何せこの神社には娯楽がない!
テレビはあるが、幻想郷でそんなものが映るはずもなく…
本はないかなと思ったら信仰がどうの人の心理がどうのという難しそうな本しかなく…
諏訪子様と一緒に遊びもしたが、ゲームは一日一時間の制限があるし…
神社の回りには山しかなく…しかも下手に外へ出ようものなら化け物がいるし…
人里まで行こうにも徒歩で何時間かかることやら…しかも化け物が…
と、こういうわけだ。
諏訪子様がいつも退屈そうにしている理由が実に良く分かった俺であった。
そしてもう一つは、いつも一生懸命な早苗を見ていると何もせずにはいられなかったからだ。
早苗の朝は早い。
俺たちの誰よりも早く起きて、朝食を作ってくれる。
昼は里へ行って神事を執り行ったり、信仰を集めるために縦横無尽の働きっぷりだった。
そして夜は、遅くまで自己鍛錬と学習…
それらの時間の合間に、炊事洗濯などの家事全般を全て一人でこなしている。
そんな早苗を見ているうちに、何もしていない自分が恥ずかしくなり、また俺も手助けしたいと思うようになったのだ。
結果、俺は恐縮する早苗に半ば無理に頼み込んで、仕事を手伝わせてもらうようになった。
そんなある日のこと、早苗が祭りをやりたいと言い出した。
人里に、守矢神社の分社を設立するにあたって、祭りを行うことで村人に浸透させようという目的のようだ。
厳しい冬の間無病息災で過ごせるように、神奈子様の神徳で加護を与えるという趣旨で、信仰も集まるだろうということである。
神奈子様も諏訪子様も反対がなく、もちろん俺も異存がなかった。
そしてそれから、俺たちは祭りの準備に向けて動き始めた。
村長と交渉し、広場を提供してもらい…
村人たちと計画を吟味し…
手伝いの人々を動員して分社を建立し…
忙しいながらも充実した日々が過ぎていく。
何か大きな目標があり、それに向かって突き進んでいくというのがこんなに心地いいものだとは知らなかった。
それは、外の世界で半ば惰性で毎日大学へ行っていた時には、決して味わえなかった日々だった。
そしていよいよ、冬祭りを翌日へと迎えた。
とうとう、ここまでやってきた。
分社は無事に完成したし、村人と計画を煮詰めるのもすませた。
ここまで来るのは大変だったが、やりがいもあった。
これで無事に祭りを成功させる事ができれば、村人達の信仰を大いに集める事が出来るだろう。
信仰を集めるというのがどう大切なのかは俺には良く分からないが、この祭りにかける早苗の情熱は並々ならぬものがあった。
だから、俺はその早苗の願いを成就させてやれればと思って、ここまで頑張ってこれたのだ。
さて、今日の仕事は村人達と一緒に屋台の最後の仕上げをする事だ。そのために諏訪子様と里に行かねば。
そう思って、出発するための準備をしている時、それは起こった。
リンリンリンリン!!
境内に響くベルのような音。
…?
これは何の音だろう?
まさか電話はないだろうし…
俺が戸惑っていると、硬い表情の早苗が飛び出してきた。
「何者かがこの神社に近づいてきています。私はこの神社を守るものとして、迎え撃たねばなりません」
深刻そうな口調の早苗に対して、おーがんばれと気楽に答える俺。
俺は、全く心配などしていなかった。
だって、あんな化け物をあっさりと細切れにしてのける早苗だ。たとえどんな化け物が来ようと楽勝だろう…と。
だが、俺は忘れていたのだ。
この幻想郷では、俺の常識なんて全く通用しないってことに。
だから…俺は自分の目の前の光景が信じられなかったんだ…
カッ!!!
空を光が切り裂いていく。
あまりにも圧倒的で、暴力的な光の奔流。
それが早苗の神風を、護符を、防壁を、行く手の全てを薙ぎ散らしていく。
そして…その直撃を受けた早苗がゆっくりと堕ちて来るのが目に入って…俺はやっと我に返った。
「早苗ッ!!」
咄嗟に走りこんで早苗を受け止める。
息は…ある。気を失ってるだけだ…
だが腕の中の早苗は全身の服があちこち焼け焦げて、あの光の凄まじさを物語っていた。
…あまりにもショックが大きすぎて理解できない。
早苗があんなにもあっさりと…しかも相手が妖怪どころか、早苗と同じくらいの女の子だったなんて。
俺はそのまま、魔女が神社の供物を持ち去るのを呆然と見続けることしか出来なかった。
「………う……ん……」
寝室に運び込んで神奈子様が治療すると、程なく早苗は目を覚ました。
「早苗、大丈夫か?」
俺の声にこちらを向く早苗。
「あれ…○○さん…? 八坂様に洩矢様も…?」
早苗はしばらくぼんやりとしている様子だったが、次第に意識が戻ってきたのか表情を曇らせた。
「○○さん…私はまた負けてしまったんですね…」
「ああ…」
その言葉にうつむく早苗。
なんて言葉をかけてやればいいのか見つからない。
あの光景は、俺にとっても衝撃が大きすぎた。
「八坂様、私がふがいないばかりに…申し訳ありません…」
「気にしなくていいわ。それよりも今日はゆっくり休みなさい」
起き上がって詫びようとする早苗を、優しく布団へ押しとどめる神奈子様。
それでも、早苗の面持ちは暗いままだ。
「はい…すみません…八坂様…」
早苗はそういって布団をに入ろうとするが、ハッと弾かれたように立ち上がった。
「そうだ、お祭りの準備が!! …痛っ!」
そのまま布団へ崩れ落ちてしまう。
…そうだった。
今の今まで頭から完全に飛んでいたが、祭りは明日に迫っているんだ。
…しかし…早苗のこの様子では…
「明日の祭りは中止ね」
神奈子様の冷静な声が響く。
やはりそうせざるを得ないのか…?
「そんな…」
絶望の表情を浮かべる早苗。
正直、今までこれを目標に早苗と頑張ってきた俺としても悔しい。
何とか…ならないのか…?
あ、そうだ! 早苗が無理でも神奈子様や諏訪子様が直接神徳を与えればいいんじゃないか!
俺のひらめきにも、神奈子様は苦々しげにかぶりを振った。
「私たちはまだ村人達に広く認知されていない…。今の私たち程度の力では、神社や早苗という媒介を通してでしか他の人間を守護することはできないのよ…」
悔しそうに言う神奈子様。
「やっぱりダメです! ここまで来て急に中止なんてしたら、村の方たちの信仰が…っ!!」
食い下がる早苗。
その気持ちは俺にも分かる。
ここまできてドタキャンしたら、信用を失うのは間違いない…
が…
「祭りはまた次の機会にすればいいのよ。それよりも、今は早苗の身体を治す方が先でしょう?」
諭すように言う神奈子様。
確かに…正論だ。
ここで無理をして早苗が体を壊したりしたらそれこそ信仰どころじゃない。
仕方ない。俺も諦める決心が付いた。
「神奈子様の言うとおりだ。祭りはまたやり直せばいいんだし、今は休んで…」
俺は神奈子様に同調しようと口を開き…
「それじゃあ間に合わないんですっ!!」
早苗の叫び声にかき消された。
さ、早苗…?
驚きに思わずたじろく。
早苗が声を荒げるのなんてはじめて見た。
「今やれなかったら…次はいつできるか…。いえ、もう二度と出来ないかもしれません! そうなったら…八坂様と洩矢様は…!!」
今までに見たことないような剣幕で取り乱す早苗。
一体どうしたというんだ?
呆気にとられる俺。
「私たちはまだ大丈夫だから気にしなくていいのよ。聞き分けなさい、早苗」
神奈子様がなだめようとするものの、早苗は火がついたようにヒートアップしていく。
「私が未熟なばかりに…お二人はどんどん信仰を失って…! このままじゃお二人とも…!!」
早苗はそこで一度言葉を切ると、悲痛な声で叫んだ。
「私が、私なんかが風祝じゃなかったらよかったのにっ! 八坂様にお仕えするのが私じゃなかったら、八坂様だって…っ!!」
早苗が感情を爆発させたそのとき…
パァン!
乾いた音が響き渡った。
「あ……え…?」
早苗が呆然とつぶやく。
俺も、諏訪子様も、完全に凍り付いて動けない。
何か、何か言わないと。
この空気を…動かさないと。
そう思っているのに、気持ちだけが空回りして言葉が出てこない。
とりあえず口を開こうとして…ハッと息を呑む。
神奈子様が…いつも包容力のある笑みを浮かべていた神奈子様が…
…その目に、涙を浮かべていたのだ。
それは早苗も諏訪子様も同じだったようで…
神奈子様は立ち上がると、固まったままの俺たちを置いて部屋を後にした。
「神奈子!」
諏訪子様が弾かれたように硬直から解けて立ち上がる。
早苗をお願い、と俺の耳に囁くと、慌てて神奈子様の後を追っていった。
…………
気まずい沈黙が俺たちを包んでいる。
取り乱す早苗も、涙を浮かべた神奈子様も、今までにまるで見たことのないものだった。
正直、衝撃的な出来事が余りに続きすぎて、頭が混乱している。
でも…このまま黙ってお見合いをしているわけには、いかないな…
意を決し、早苗を刺激しないように優しく話しかける。
「早苗、どうしてそんなにこだわるんだ? ここまで一緒にやってきて中止するのは俺も悔しいけど…また今度やり直せばいいじゃないか。
村長さんには俺も一緒に謝るからさ」
俺の言葉にやっと硬直が解けたのか、再びうつむく早苗。
「毎日…夢を見るんです…」
ポツポツと、かすれるように話し始めた。
「八坂様も、洩矢様も…消えてしまうんです…。私のせいで…私がダメなせいで…」
消える…?
消えるってのはどういうことだ?
愛想を付かされてしまうってことだろうか?
でも、神奈子様たちに限ってそれはないと思うが…
「私、現人神だなんて、自分の力を過信してて…幻想郷ならきっとすぐに信仰が集まるだろうって…。
でも、実際は霊夢さんには一蹴されて…魔理沙さんにもまるで相手にされなくて…。それどころか、天候の異変の時には異変にすら気付けなくて…!
私は、この幻想郷のことなんて何一つわかっていなかったんです…!」
それは俺も同じだ。
俺もここにきて、外の世界の俺の常識は幻想郷ではまるで役に立たないということを散々思い知らされたからな。
「そうして私が負けるたびに、八坂様の威光はどんどん失われていって…」
早苗の声が涙混じりになる。
「それでも…八坂様はいつも私を励ましてくださって…私を見捨てずに稽古もつけてくださっていたのに…! なのに、それなのに私はなんてひどいことを…!
お二人に嫌われてしまったら、私はこの幻想郷で本当に一人ぼっちに…っ!!」
早苗は搾り出すように言うと、肩を震わせて泣き出した。
そんな早苗の姿を見て俺は…
自分でも無意識のうちに、早苗の細い肩をぎゅっと抱きしめていた。
「…っ!」
早苗がビクッと身じろぎするのに我に返る。
俺は、一体何をやっているんだ。
恋人でもない女の子を、相手が弱ってるのをいいことに突然抱きしめるなんて。
…嫌われたって文句は言えないな、と、頭の端の冷静な部分が告げている。
だが幸いなことに、腕の中の早苗は振りほどこうとする気配はない。
そのまま、俺の腕の中で大きな声をあげて泣き続けている。
そのことに、ほんの少しだけ安心する。
俺は早苗の背中をあやす様に撫でた。
「大丈夫、神奈子様が早苗を嫌いになることなんてあるもんか。それに…もし万が一そんなことがあったとしても、その時は俺が早苗の側にいるから」
俺はなんて無責任なことを口走っているんだろう。
あと二ヶ月経って、結界が安定化したら俺は外の世界に帰ってしまうというのに。
それでも…そんなことは頭では理解していても…
今にも消えてしまいそうな早苗を前に、俺はそう言わずにはいられなかった。
俺はそのまま、早苗が泣き疲れて寝てしまうまでずっとそうしていた。
寝入ってしまった早苗を布団に戻し、部屋を後にする。
いろいろな気持ちが頭の中を走り回って…思考がぐちゃぐちゃだ。
でも…まずしなければいけないことがある。それだけはハッキリしている。
早苗が、何故あんなにも信仰を集めることにこだわるのか。
さっきの早苗の説明も今ひとつ要領を得ないものだった。
この事態を打開する鍵はきっとそこにあると、俺の直感が告げている。
まずは、その理由を知るところから、始めなければいけない。
境内を探していると、果たして目的の諏訪子様を見つけた。
池の淵の石に腰掛けて、寂しそうに水面を眺めている。
「早苗は…?」
目が合うなり問いかけられる。
「寝たよ」
そう答えてその隣に腰を下ろした。
諏訪子様は再び視線を水面に戻して黙り込む。
諏訪子様も、さっきのあの出来事に心を痛めているんだろう。
いつも元気な諏訪子様が沈み込んでいる姿はより痛々しく目に映る。
ここは…ストレートに聞いてみるしかなさそうだな。
俺は意を決し、口を開いた。
「諏訪子様、早苗がどうして信仰を集めることにあんなにこだわるのか、教えてくれないか?」
俺の問いに、戸惑ったように言葉に詰まる諏訪子様。
「これは私たちの問題だから…○○は知らない方がいいことだよ…」
そういって視線をそらす。
が、俺もここで引き下がるわけにはいかない。
「信仰に対する早苗の様子は尋常じゃなかった。何か、俺が知らない事情があるんじゃないのか? 俺は仮とはいえ今はこの神社の住民だ。
こんな悲しそうなみんなを見て、一人だけ何も知らないではいられない!」
頑として言い張る俺に尚も渋る諏訪子様だったが…
俺が引く気配がないと諦めたのか、一つ大きな息を吐くと説明をしてくれた。
そう、人間と神様の関係について。
神様は、人間から信仰されることで力を得る。
そして、それによって様々な奇跡や、神徳を振るって人間を守護する。
そしてそれがまた信仰を高めていく。
…しかしその一方で、信仰を失った神様はどうなるのか。
信仰を失えば、次第に力を失い、最終的には消えてしまうのだ。
それが人間とは違う形の神の死、寿命なのだ…と。
そして、神奈子様たちは外の世界で信仰を失い、新たな信仰を求めてこの幻想郷にやってきたのだということを。
…そういう、ことだったのか。
消えると言うのは単に愛想を付かされると言う意味じゃない。
文字通り、本当に消滅してしまうと言う意味だったんだ。
だから、早苗はあんなに必死だったんだな…
全てを理解して、改めて事態の深刻さにため息がこぼれる。
このままでは、遠からず神奈子様たちは消えてしまう。
だからと言って、早苗が無理をして傷つくことは二人の望むところではないだろう。
一体、どうすればいいというのだろう。
「でも、本当は…幻想郷には来ない方が良かったのかもしれないね…」
考え込む俺に、諏訪子様はぽつりともらした。
「外の世界に信仰が失われたのは、つまるところ今の人たちにはもう神様なんて必要ないって事なんだよ。
それならば、時代の変化と共に消えていくのもまた摂理だったのかも」
そんなことは…!、と反論しようとして言葉に詰まる。
確かに、俺自身、外に居たときは信仰心なんて欠片も持ち合わせていなかったのだ。
正月に神社に詣でることはあっても、本気で神を畏れ敬っていたわけじゃないし、むしろ自分に都合のいいときだけ神頼みする程度の存在でしかなかった。
外の人間にとって、もう神様がその役割を終えつつある、というのは事実だった。
歯噛みする俺に、諏訪子様は続けた。
「先代の風祝…早苗の両親が事故にあった時だって、私は側にいたのに…治療してあげるだけの力すらなかった。
神様なんていっても、自分たちに仕えてくれる人間すらロクに守ってあげられない、無力な存在なんだよ…」
自嘲気味につぶやく諏訪子様。
そんなの諏訪子様のせいじゃない!
事故は運なんだから誰かが悪いわけじゃない!
と、そう言ってあげたかった。
でも、人間にとってはそうでも、その”天運”自体を司る神様にとってはどうなんだろう?
神様の悲哀に、俺が口を挟む資格があるのだろうか?
「それでも、早苗は私たちを恨むこともなく真っ直ぐ育ってくれて…ずっと仕えてきてくれたのに…。私たちが幻想郷に連れてきたせいで、大切な友人すら失った。
本当は、幻想郷に来る必要だってなかったのに!」
…え?
諏訪子様の言葉に違和感を覚え、思わず聞き返す。
だって、外の世界じゃ存在が危うくなったから、信仰を求めてこっちへとやってきたんじゃなかったのか…?
「神奈子は私に気を遣って言わなかったけど…信仰が失われたとはいえ、まだ神社を参拝する人はそこそこはいたし、表の神様の神奈子の存在を維持することだけなら
十分に出来ていたはず。でも…神奈子は私のために神社を転移させた」
そういって、肩を大きく震わせる諏訪子様。
「結局、私はまた、早苗から大切な人たちを奪った! 風祝なんかじゃなくたって、早苗は普通の女の子として生きていけたのに、私たちの我侭に巻き込んだ!
これ以上、早苗を傷つけ続けるくらいなら、いっそ私はここで消えてしまったほうが…!!」
諏訪子様が、泣いている。
いつも陽気だった諏訪子様が。
そんな姿を前にして、俺の中に湧き上がってくるこの感情は…
それは、怒りだった。
諏訪子様に対してじゃない。
早苗に対してでもない。
神奈子様ももちろん違う。
誰に対してでもない、やり場のない怒りが俺の中を渦巻いていた。
早苗も、神奈子様も、諏訪子様も、みんなみんな互いのことを大切に想いあっているんじゃないか。
それなのに、どうしてこうなる?
想いあっているのに、想いあっているせいで、自分で自分を傷つけあうなんて、そんなことあってたまるものか!
「それは違うっ!!」
俺は思わず、大きな声で諏訪子様の話を遮った。
「○○…?」
俺の剣幕に驚いたような表情を見せる諏訪子様。
「諏訪子様が消えたほうがいいなんて、そんなこと絶対あるもんか!!」
そうだ、確かに俺には神様の気持ちは分からない。
諏訪子様の抱える悲しみを理解してあげることは出来ない。
でも…人間の気持ちならば。
早苗の気持ちなら、理解する事が出来る。
「この一ヶ月、ここで一緒に暮らしてきた俺だからわかる! 早苗も、神奈子様も、諏訪子様も、三人は本物の家族だった!
その家族が消えてしまうなんてことを、早苗が望むはずがない!!」
そう、俺の両親は仲が悪かった。
直接的に喧嘩をしていたわけじゃない。
でも、互いにとって互いは無関心。
必要なこと以外、会話すらかわすことはない。
もちろん、一家団欒なんてろくすっぽ記憶にない。
俺はそんな生活がイヤで、大学から一人暮らしをするようにしたのだ。
だから…そんな俺にとって、守矢神社でのこの一ヶ月は、本当に心地よかった。
正直、これだけの絆で結ばれた三人を羨ましいと思った。
家族の暖かさっていうのを、初めて知った。
だから…暖かいこの家族がこのまま壊れてしまうなんて、許せるわけがない!
「でも…それじゃどうしろって言うのよ! 今の早苗にこれ以上私のために信仰を集めろだなんて言えないよ…! もしそんなこといったら早苗は絶対にもっと無理する!
それで…それで早苗に何かあったら私は…っ!!」
膝に顔を埋めて泣き叫ぶ諏訪子様。
…それはきっとそうだ…
あの早苗の様子じゃそれこそ自分の身体を一切省みずに死に物狂いで行動するだろう。
その結果は…考えたくもない。
くそ…本当にどうしようもないのか?
考えろ、俺!!
どうすればいい?
一体どうすればこの家族を守る事ができる?
このまま明日の祭りが流れてしまえば、きっと次は困難になる。
その間に諏訪子様に万が一の事があれば、きっと早苗は自分を責める。
責任感の強い早苗のことだ、一生自分のことを赦そうとしないだろう。
かといって、祭りを強行して早苗に何かあれば、今度こそ諏訪子様の心は壊れてしまう。
三すくみだ…
このままでは、誰かを守るためには誰かを犠牲にしなくちゃいけない。
三人の誰もが悲しむこと無しに、事態を打開する方法は…
そこまで考えて、ふと自分の思考に疑問を抱く。
三人…?
……あ!!
次の瞬間、俺の脳裏に、あるアイデアがイナズマのごとく走り抜けた。
いや、アイデアなんていえるものじゃない。
非現実的だ。非論理的だ。机上の空論もいいところだ。
でも…もう他に手はないし迷ってる時間もない!
俺は決意し、それを諏訪子様に告げる。
「だったら、俺が諏訪子様の為に信仰を集める! 早苗の代わりに俺が明日の祭りをやるっ!!」
「は…?」
俺の言葉に、諏訪子様は愕然と目を見開いて間抜けな声を漏らした。
そりゃあそうだろう。
自分でも何を言っているんだと思う。
空も飛べない、何一つ力も使えない、そんな俺にどうして早苗の代役が務まるというのか?
だが、それでも俺は本気だ。
「諏訪子様っ! 俺に力の使い方を教えてくれ! 例え明日一日だけしか使えなくてもいい!
徹夜の特訓でもなんでもいいから、明日の祭り、それを乗り切れる為だけの方法を俺に教えてくれっ!!」
そう、早苗たち三人が動けないのなら、答えは一つしかないじゃないか。
四人目の人間が、この俺がやるしかないんだ。
諏訪子様に詰め寄る俺に、諏訪子様はしばらく魂の抜けたように固まっていたが…
「どうして、○○はそこまでしてくれるの…?」
心から不思議そうに、尋ねてきた。
はて、なんでだろう?
問われてふと自問する。
内側で暴れる感情に押し出されて勢いで言ってしまったものの、冷静に考えれば俺は相当無茶苦茶なことを言っている。
俺がやるしかないという使命感…? それは…ある。
この三人の絆が空回りしていることに対する義憤? それももちろん…ある。
だが、本当にそれだけか?
俺はこの一ヶ月の幻想郷での想い出を反芻する。
…風を操り、化け物を打ち倒す早苗の、神々しさに憧れた。
…早苗の優しい笑顔に、癒された。
…いつも一生懸命に信仰を集めようと頑張る早苗を、手伝ってあげたいと思った。
…早苗が魔女にやられるのを見て、守ってやれないのを歯がゆいと思った。
…涙を流す早苗を見て、慰めたいと思った。
…諏訪子様たちを失って早苗が悲しむ姿なんて、見たくないと思った。
そう、俺の思い出の中心には、いつも早苗がいた。
ああ…そうか。
理由なんて、簡単なことだったんだ。
今更のように気付く。
俺は、早苗が好きなんだ。
初めて早苗に助けられたその瞬間から、俺は早苗に惚れていたんだ。
諏訪子様に、俺の『理由』を告げる。
その『理由』に、諏訪子様は驚いたような、呆れたような、それでいて嬉しそうでもある、複雑な表情を浮かべていたが…
「わかった、それじゃ○○に力を授けてあげる」
ふぅと息をつくと、力強く言ってくれた。
「でも!」
急に真剣な顔になった諏訪子様が、小躍りしそうになった俺を押しとどめる。
「後戻りは…できないよ…?」
今まで諏訪子様から聞いた事がないような、冷たい、静かな、声。
「力を持つということは、それに伴って相応の危険も増えるということ。力を正しく扱えなければ、自らの力によって自滅することだって、ある。その覚悟は…あるの?」
試されている。
幻想の力を持つということの意味と、その覚悟を、俺が本当に理解しているかどうか。
俺はそう直感した。
もしここで俺が少しでもためらえば…きっと諏訪子様は俺に力を与えてはくれないだろう。
でも…たとえどんな危険があろうとも、俺は早苗を、早苗たちを守りたい!
「ああ、覚悟はついてる」
俺は瞬時に頷いた。
諏訪子様はしばらく、まっすぐな瞳で俺をじっと見続けていたが…
「わかったよ」
そういって微笑んだ。
諏訪子様に言われるままに、その前に片膝を付いて目を閉じる。
その両肩に、諏訪子様の手が置かれた。
ゴクリ、と喉が鳴るのがわかる。
これから、諏訪子様の力が俺に授けられるという。
一体、どんな儀式なんだろうか…?
眼を閉じて見えないだけに、余計気になる。
そんな俺の顔に、不意に暖かい息がかかるのを感じた。
息…?
俺が疑問に思うまもなく…
次の瞬間…俺の唇に暖かくて柔らかい何かが触れた。
え…!?
反射的に目を見開くと、すぐ目の前に瞳を閉じた諏訪子様の顔がある。
ミルクのような、甘い香りが俺の鼻をくすぐる。
…儀式はどうなったんだ…?
…なんで俺は諏訪子様とキスしてるんだ…?
…俺には早苗という心に決めた人が…
…女の子の唇って柔らかいんだな…
…なんていい香りなんだろう…
一瞬にして様々な思考が俺の頭をぐちゃぐちゃに駆け回る。
そして俺はそのまま、自分の視界が真っ白に染まっていくのを感じていた。
泳いでいる。
海? 河? まさかプールじゃないよな?
翡翠色と、黄金色に輝く光の中を、俺は泳いでいる。
ここは…どこだろう?
俺を包む、優しくて暖く、どこか懐かしいような光。
赤子が母親の腕に抱かれているような、心地よい感触。
それは、かつて早苗の風に包まれたときの感触に似ている。
でも…この光から感じるイメージは早苗じゃ…ない。
根拠はない。でもなぜかわかってしまう。
早苗よりも…もっと成熟した母性…
この光は、早苗じゃない気がする。
ふと、かぐわしい香りに気付く。
これは…そうだ。
ついさっき間近で感じたばかりの…甘い香り。
その瞬間、俺は分かってしまった。
俺は今、諏訪子様の中にいるのだと。
これが神の手に抱かれるということなのだと。
視界が元に戻っていく。
気がつけば、目の前にはにかんだ諏訪子様がいた。
瞳を潤ませ、頬を染めて蕩けるような笑顔を浮かべている。
その表情を見た瞬間、ドクンと心臓が高鳴った。
やばい…なんて可愛らしさだ…
早苗への愛を誓った直後だってのに、早くも心がぐらついているのが分かる。
まさか、あの諏訪子様に…
姉のようであり、同時に妹のようでもある諏訪子様に…
動揺しまくる俺を前に、諏訪子様は表情を引き締めて高らかに告げる。
「○○、この瞬間から貴方は私の覡(かむなぎ)になりました。貴方は私の手足となって私の奇跡を代行し、信仰を集めなさい。
その代わり、私は常に貴方の行く先を導き、あらゆる傷から貴方を守り、あらゆる敵を討ち滅ぼす事を、この洩矢諏訪子の名のおいて約束しましょう」
そのお姿は、普段の気さくな諏訪子様からは想像できない、まさに神たる威容に満ちていた。
そしてその言葉に、気付く。
俺の胸の中、心の奥底に、翠と金の光が輝いていることに。
俺の心と、諏訪子様の心がつながっているのがわかる。
そして、やっと実感した。
俺は、洩矢諏訪子様、この女神様に仕える神官となったのだと。
「はい、洩矢諏訪子様。俺の命続く限り、あなたに仕えることを誓いましょう」
恭しくひざまずいて、誓いを交わす。
諏訪子様は満足げにうなずくと、胸に手を当てていたずらっぽく微笑んだ。
「うん、よろしくね○○。私のこと裏切ったら祟り殺しちゃうぞ」
その仕草がまた可愛らしくて俺は…
…っといかんいかん!
またぐらつくところだった。
俺は早苗ひと筋ひと筋!
両手で頬をぱしんと叩いて心を静めた。
さて、これで俺はめでたく幻想の力を得る事が出来たわけだが…
しかし、俺にはもう一つやらなければいけないことが残っている。
そう、明日の祭りを俺がやると言うことを、早苗に伝えなければいけない。
きっと、早苗は反対するだろう。
自分のせいで俺を巻き込んだと、早苗は考えるだろう。
でも、そうじゃない。
俺が自分の意思で、決断したんだと言うことを。
そして…俺の早苗に対する想いも…
それら全てを、早苗にぶつけないといけない。
…今更のように気付いたけど、早苗が俺の想いを受け入れてくれる保障なんてどこにもないんだった。
というか、ここまで決意して諏訪子様から力まで授かっておいて、これで早苗に振られたら俺はただの⑨だよな…?
考え始めるとどんどん不安になってくる。
俺にとって早苗は大切な女の子でも、早苗にとって俺はただの居候なのでは…?
むしろ俺が一人で舞い上がってるだけじゃね…?
もし断られたら…そのあと一緒に住むのも気まずいだろうし…
あーダメだダメだ!
どんどん悪い方向へ考えが驀進していく。
表情をすっかりネガティブフェイスに変えて身悶えしまくる俺を見かねたのか、諏訪子様が俺の背中をばしこーんと叩いた。
「だーいじょーぶっ! 早苗は絶対、○○の事が大好きだから! だから自信を持って行って来なさい!!」
そう励ましてくれる。
言葉だけじゃなく、心の中からも諏訪子様の気持ちが溢れてきて俺を勇気付けてくれる。
そうだな。
ここでウジウジしてたって前に進まない。
俺はもうすでに一世一代の決断をしたんだ。
ならばあとは一気に突き進むだけだ!
「ああ、ありがとう諏訪子様」
「どういたしまして」
その諏訪子様の笑顔を胸に、俺は決意を新たにした。
そしてその夜。
社の縁側を歩く。
澄んだ空に見事な月が輝いている。
もう早苗は起きているだろうか?
早苗の部屋の前まで来ると、障子から光が漏れていた。
「早苗、ちょっといいかな?」
すぐに反応があった。
「○○さん? はい、どうぞ」
その言葉に、障子をあけて部屋に入る。
早苗は布団に入ったまま、本を読んでいた。
こんな時までいつもの勉強か…
本当にこの娘は…
感心し、呆れもし、痛ましくも感じる。
これまでずっと、こうやって自分を追い込み続けてきたんだな。
だから…これからは俺が支えてやらないと。
早苗は、俺の顔を見るなり顔を赤らめた。
「あの…さっきはすみません…でした…」
その反応に俺も急に気恥ずかしさがこみ上げてくる。
そういえば俺は早苗をいきなり抱きしめると言う暴挙に出たんだった…
「い、いやこちらこそ…その…いきなりごめん…」
思わず視線をそらしてしまった。
自分の頬が熱くなっているのが分かる。
その様子に早苗もますます照れてしまった。
二人で顔を見合わせたままハハハと乾いた笑いをもらす。
この甘酸っぱい空気にずっと浸っていたい気持ちもあったが…
…そういうわけには、いかない。
俺には早苗に伝えなければいけない大切なこと…ある意味俺の今後の命運を左右する、とっても大事なことが、ある。
俺はコホンと一つ咳払いをすると、表情を引き締めた。
「早苗、明日の祭りの事なんだけど…」
一瞬にして空気が変わったことを察したのか、早苗も真剣な表情になる。
「…はい」
早苗はどう思っているんだろう。
まだ、自分を責めているんだろうか?
でも、これからは早苗にそんな思いはさせない。
「明日の祭りは、俺がやるから」
早苗を見つめて、そう言い切った。
「えっ…?」
流石に俺のこの言葉は予測していなかっただろう。
俺が何を言っているのかわからないといった様子の早苗。
しかし、やっと俺の言葉を理解してきたか、みるみるうちに悲しそうな表情になった。
「それは…無理です…。明日のお仕事は、力の使えない○○さんでは…」
俺がなにもわからないまま、勢いだけで言っていると思っているんだろう。
だが、もちろんそうじゃない。
俺は無言で早苗の言葉を遮ると、その前に掌を差し出した。
俺の意図が分からず困惑顔の早苗を前に、心の奥に意識を集中する。
俺の心の底、そこにある輝きへと手を伸ばす。
ボゥッ!
俺の掌に翡翠色の光が灯る。
魔術として何の精製も加工もされていない、むき出しのままの諏訪子様の霊力。
「どうして…?」
その輝きを目にして、愕然とした表情でかすれた声をもらす早苗。
「諏訪子様から力を授かったんだ」
早苗は俺の言葉を反芻すると、急激に険しい表情になった。
「どうして…どうしてそんな危険なことを!」
叫ぶような早苗。
だが、もう俺は怯まない。
「力が、必要だったからだよ」
俺の言葉に沈痛な表情を浮かべる早苗。
「そんな…私…私また○○さんを巻き込んで…。無関係な人なのに、こんな…こんな危ないことに…!!」
両腕で自分の胸を抱きしめる早苗。
そんな早苗に俺は…
「違うっ! 違うよ早苗っ!!」
再び、早苗の身体を抱きしめた。
本日二回目の抱擁。
腕の中でビクッと硬直する早苗。
何もかも、朝の時の再現だ。
だが…その時と決定的に違っているものがある。
それは…俺の気持ち。
あの時は、ほとんどとっさのことだった。
ただ泣いてる女の子をそのままにしておきたくないという、ただそれだけの気持ちだった。
だけど、今は違う。
今の俺には、早苗が愛しいという確かな気持ちがある。
「違うんだよ早苗。俺は巻き込まれてなんかいない。俺が、俺自身の意思でやりたいから力を授かったんだ」
一言ずつ、確かな意思を言葉に乗せて放つ。
腕の中の早苗に伝わるように。
「それに、無関係なんて悲しいな。俺は、今はこの神社の一員だと思ってる。だから、みんなの助けになりたいと思ったんだ。早苗には、迷惑だったかな…?」
これは自分でもちょっと卑怯な聞き方だとは思う。
優しい早苗が、迷惑だなんていうはずがない。
でも、まずは早苗に落ち着いて話を最後まで聞いてもらう必要がある。
果たして、早苗は慌てたような反応を見せた。
「そんな…迷惑なんかじゃないです…。でも…それでも…どうしてそこまでしてくれるんですか…?」
これもまた本日二度目の問いだ。
今日一日の、いやむしろここに来てからの俺の一ヶ月の全てが凝縮された俺の答え。
…不安は、ある。
だけど、それ以上の勇気が心の底からわきあがってくる。
俺は、抱きしめていた早苗を離すと、その肩に両手を置き、そしてその瞳を真っ直ぐに見つめ…
そして、俺の中にある全ての想いを胸に、大きく息を吸って…
「それは、俺は早苗の事が好きだから」
はっきりと、大切な人に告げた。
早苗の目が見開かれる。
息を呑む音が聞こえる。
「急にこんなことを言ってごめん。迷惑ならはっきりそういってくれても構わない。
でも、俺は早苗が本当に好きだから、早苗が一人で大変なことを頑張ってるのをただ横で見ているだけなのはイヤなんだ!
俺も、早苗の隣で、早苗の力となって支えたいんだ!!」
矢継ぎ早に想いをぶつける。
早苗は俺の言葉を受けても…何も話さない。
不安が…広がってくる。
OKなのか…? それともダメなのか…?
早苗の答えは…どっちだ…?
ポタリと、肩に置いた手の甲に雫を感じる。
…早苗の頬を、涙が流れている。
「…っ……ひくっ……!」
早苗の嗚咽が、もれる。
早苗が…泣いている…!
「どうして…そんなことをいうんですか…?」
その言葉が耳に届いた瞬間、俺は心が凍りつくのを感じた。
咄嗟に、早苗の身体を離す。
「あ…その…早苗……えっと…ごめんな? そうだよないきなりこんな事言われても困るだけだよなハハハ!
だから早苗はなにも悪くないしイヤなら別に気にしなくていいんだはっきりそういってもられれば、うん!」
自分でも何をいっているかわからない。
それくらい頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。
ただ…自分の中にぽっかりできた空洞感だけははっきりと隠しようがなかった。
「……んです……」
早苗が涙でつまった声で何かをつぶやく。
「え…?」
耳をそばだてて聞き返す俺。
「……違うんですっ!!」
「うおっ!?」
次の瞬間、早苗が飛び込んできた。
俺の腕の中、俺の胸の中に飛び込んできた。
「私…本当はずっと…ずっと前から○○さんを…! でも…そのうちお別れしなくちゃいけないからって…そう思ってたのに…どうしてそんなこと言うんですか…!
そんなこと言われちゃったら…私…わたしぃ…っ!!」
その言葉に、ハッとする。
俺の手に流れてくる涙が…暖かい。
早苗の想いが、伝わってくる。
いつのまにか、俺も涙を流していた。
「私…弱いから…きっと○○さんにいっぱい迷惑かけちゃいます…! それでも…いいんですか?
私、○○さんを頼っても…いいんですか…? ○○さんに甘えても…いいんですか…!?」
返事の代わりに、腕の中の早苗の身体を、ぎゅっと抱きしめる。
三度目の抱擁。今度は早苗も身体を強張らせなかった。
抱きしめた早苗の細い肩。
今までこんな小さな身体に、いろんなことを全て背負ってきたんだな…
俺の心の中に、改めてこの愛しい女の子を一生かけて守っていきたいという想いが生まれた。
「早苗…今まで一人でよく頑張ってきたな。でも、これからは早苗の背負ってるものを俺にも半分背負わせてくれよ…。これからは、ずっと早苗と一緒にいるから…」
早苗の髪を撫でながら、耳元で囁いてやる。
早苗はその言葉に、俺の胸に顔をうずめて…
「うっ…あぁぁ…うわあぁぁぁあんっっ!!!」
思いっきり、泣き出した。
俺はそのまま、早苗を抱きしめて撫で続ける。
二人の想いが…やっと…やっと通い合った瞬間だった。
俺の、今までで最も長く、最も大切な一日が、終わる。
こうして、俺と早苗は晴れて恋人同士になることができたのだった。
─────────
祭りは神奈子様と諏訪子様の助けもあって何とか無事に終わり…
それから、俺と早苗の修行の日々が始まった。
信仰集めの合間に、俺は諏訪子様に、早苗は神奈子様に稽古をつけてもらう。
白狼天狗の兵士に、剣の戦い方も教わった。
まあ、正直修行の時の諏訪子様は鬼だった…
あんな愛らしいお姿であの鬼畜な弾幕…
1枚目のスペルカードすら…ぐふっ。
そして、さらに一ヶ月ほどたったある日…とうとうその日がやってきた。
早苗たちといつもの朝を過ごしていると、居間に警報が鳴り響く。
これは…侵入感知結界に反応アリだ!
社を警備している妖精や式の毛玉たちが次々と蹴散らされていくのがわかる。
侵入方向を眺めれば、箒に跨った少女が凄まじいスピードでこちらへと接近してくるのが見えた。
間違いない、白黒の魔女、霧雨魔理沙だ。
とうとうおいでなすったな…!
自分の心が奮い立っていくのを感じる。
部屋の隅に立てかけてある木刀を手に取り、軽く振ってみる。
思えば、この二ヶ月は本当に色々な事があった。
…幻想郷に迷い込み、化け物にやられそうになって早苗に助けられたこと…
…早苗たちとの生活を通して、この幻想郷で暮らしたいと思うようになったこと…
…諏訪子様の使徒になり、力を授けられたこと…
…早苗と心を通わせる事が出来たこと…
…早苗と二人で必死になって信仰を集め、力をつけるために修行をしたこと…
たった二ヶ月の時間なのに、今までの人生全ての中で最も充実した時間だった。
これは、俺たちが成長してきた集大成を出し尽くすチャンスだ。
…それに何より、魔女には早苗が大きな借りがある。
今まで好き放題やってくれた分、まとめて三倍返しで叩き返してやる。
早苗の方を見れば、少し緊張したような、硬い表情をしていた。
気負いすぎているのだろうか、早苗の悪いクセだ。
「早苗、大丈夫だ」
俺は早苗の緊張をほぐそうと話しかけた。
「今度こそ、俺たちの神社を荒らす魔女を懲らしめてやろうぜ。この一ヶ月、一緒に修行してきた俺たちならどんな相手だって負けはしないだろ?」
俺の問いかけに早苗は微笑み、はい!と大きく頷いてくれた。
よしっ、これなら大丈夫だ!
俺は改めて気合を入れなおすと、早苗と共に空へと舞い上がった。
立ちふさがるように浮かぶ俺たちの前で、魔女は停止した。
お互い十メートルほどの距離をはさんでにらみ合う。
こうやって近くから見ると、改めて化け物ぶりが分かる。
小さな体から、暴風のような魔力があふれ出しているのが見える。
…だが、俺も以前の『化け物』相手に何も出来なかった俺とは違う。
俺たちが二人で積み重ねてきたものを出せれば、遅れをとることはないはずだ。
「参拝にしては乱暴ですね。神前では静粛にしてください」
「残念ながら私は無神論者なんだ。今日はまた食い物を借りに来ただけだぜ」
早苗の威圧にも動じず、軽く流す魔女。
「そうですか…。参拝客でないのならば実力でお引取り願うしかなさそうね」
「ほう、この間私にこてんぱんにやられた割には随分な言いようじゃないか。やめとけやめとけ、無駄な怪我をすることになるぜ」
魔女はあくまでも余裕の表情を崩さない。
自分が負けるはずがないと確信しているのだろう。
「私は以前の私とは違います。この間と同じようにはいきません」
早苗の徹底抗戦の意思に、魔女は笑みを深くした。
「へえ…、まあ結果は見えているが、売られた喧嘩を買わなけりゃ女が廃るってもんだな。いいぜ、やってやるさ」
そういって、構える魔女。
魔女の全身から溢れる魔力が、周囲に渦巻いていく。
こちらも同様にそれぞれの武器を構え、霊力を練りはじめた。
「今日という今日こそは、神聖な社を散々荒らしまわってくれた貴女に神罰を与えます!」
「やってみな、やれるもんならなっ!」
その応酬が、合図だった。
早苗と魔理沙が神風弾と魔力弾を同時に放つのを皮切りに、弾幕決闘が始まった。
「てえぃっ!!」
ひゅっ!
渾身の気合を込めて振り下ろした木刀がむなしく空を切る。
くそっ、今のを避けるか…!?
内心歯噛みする俺。
今のは早苗の弾幕を回避した瞬間に出来た隙を狙った一撃だった。
我ながら完璧なタイミングの連携だと思ったのに、当たる直前に箒から魔力の噴射炎をほとばしらせたアクロバティックな動きで避けられてしまった。
魔女はその圧倒的パワーもそうだが、反則的な機動力も脅威だ。
二人がかりで猛攻をかけているものの、未だに一撃とて捉えきれない。
最も、決め手を欠くのは魔女のほうも同じだった。
隙を晒すのを嫌ってか、大技を撃つ事が出来ずに散発的な攻撃に終始している。
そのため、彼女の最大の売りである火力の高さを十分に発揮する事が出来ないでいた。
結果、戦況は拮抗し、持久戦へともつれ込んだ。
そんな状態がどれくらい続いただろうか。
膠着状態に先に焦れたのは魔女の方だった。
俺の攻撃をかわすと同時に大きく距離をとり、こちらへ振り返って両手を前に構えた。
その手には、膨大な魔力を漲らせた八卦炉が握られている。
「ちょろちょろと鬱陶しいヤツだ! こいつで吹き飛ばしてやるぜ!」
八卦炉に魔力が収束していき、虹色の光が灯る。
こいつは…この間早苗がやられた魔砲だ!
俺のほうを先に撃ち落すつもりか。
あの恐ろしい大火力だ、直撃を受ければ一溜まりもない。
しかし、いくら俺とてこんな真正面から撃たれれば避けるのはたやす…
回避運動を取ろうとして、ハッと気付いた。
いつの間にか、早苗が射線上に捉えられている!
俺が避ければ、早苗が直撃を受けてしまう。
…なんてヤツだ。
俺たち二人がかりの攻撃を受けながら、俺たちを誘導してたってのか。
「ははッ、かかったな! 王手飛車取りってヤツだぜ!!」
魔女が勝ち誇って叫ぶ。
この間合いではもはや剣は間に合わない。
避けることも出来ない。
確かに、お手上げだ。
「いくぜ! 恋符『マスター…』!」
八卦炉の光が眩しさを増し、今まさに放たれんとする。
…だがな魔女、かかったのはお前の方だ。
俺はこの瞬間をずっと待っていた!
胸ポケットに入れていた”それ”を引き抜く。
俺の心の奥、諏訪子様と繋がっているのを感じる。
たった一枚の小さなカード、これがその証だ。
これが俺の唯一、文字通りの切り札だ!
- 神具『洩矢の鉄の輪』 -
高らかにスペルカードを宣言し、諏訪子様から借り受けた神器を喚び出して魔女へと投げ放つ。
それは諏訪子様のと比べれば悲しいほどに弱々しかったが、今の俺にはこれで十分!
キィン!!
俺がまさかスペルカードを使うとは、予想だにしていなかっただろう。
完全に不意を突かれた魔女の八卦炉に直撃し、弾き飛ばした。
「なっ、なにッ!?」
驚愕の声をあげる魔女。
切り札を失い、流石のヤツといえど狼狽を隠せない。
今だッ!!
木刀を構え、突っ込む。
魔女は慌てて箒を構えるが、もう遅い!
この間合いなら、逃がさない!
俺は勝利を確信し、ヤツの顔を見ると…ニヤリと笑っていた。
え…?
イヤな予感が背筋を走り…
- 光符『ルミネスストライク』 -
ドゥン!!
「かはっ!」
大地に叩きつけられ、肺から空気が絞り出される。
魔女の箒から撃ち出された巨大な星弾に、咄嗟にガードした木刀を砕かれ、吹き飛ばされた。
…くそっ、詰めが甘かった…
魔砲を封じただけで安心したのは早計だったか。
自分の油断が悔やまれる。
だが…それでも最低限の仕事だけは果たしたぜ。
仕上げは任せた、頼んだぞ早苗!
- 秘法『九字刺し』 -
早苗のスペルカードがすかさず発動し、スペルの反動で完全に動きを止めた魔女を霊気の檻に閉じ込めた。
「くっ…!」
魔女が焦った様子で魔力弾を放ち、強引に檻を破ろうとするが…無駄だ、魔砲のないお前にはもはやこいつは壊せない!
そして、続いて放たれた神風弾が渦を巻いて身動きの取れない魔女に襲い掛かる!
ヤツのパワーも、スピードも奪い去った。
今度こそ、今度こそ絶対にっ!
「行けえぇぇぇっ!!」
俺の祈るような叫びと共に、神風弾が魔女に迫り…
- 彗星『ブレイジングスター』 -
魔女を包む暴力的な光によって吹き散らされた。
自身がそのまま光の奔流と化すと、檻を突き破って飛び出していく。
……マジかよ……
ここまで追い込んで…まだこんな手を隠し持っていたっていうのか…
脱力感に俺はがっくりと膝を付いた。
早苗もまた、失望と落胆の表情で動けずにいる。
「…驚いたぜ。まさか私が奥の手を出させられるとはな」
スペルを解除した魔女が、早苗の前に舞い戻る。
「お前達も中々頑張ったが…勝負は私の勝ちだ」
魔女も肩で息をしているものの、その突き出した手には魔力の光が灯っている。
一方の早苗はもはや先ほどのスペルで霊力を完全に使い切ったか、動けない。
くそっ、あれだけ修行して、ベストも尽くしたというのに、勝てないなんて…
絶望感に包まれる。
だが、これが現実だ。
木刀を砕かれ、唯一のスペルカードも既に使い切った俺には、もはや対抗する手なんて…
膝を付いたまま、空を眺めて…
…あった。
まだ一つだけ最後の手が。
今の俺たちが勝利するための、唯一の手段が!
「どっせえぇぇぃっ!!」
残る力全てを振り絞り、空へ飛び出す。
全速力で魔女へと突っ込み、箒へとしがみついた。
「!?」
「○○さん!?」
思わぬ乱入に驚きの声を上げる早苗と魔女。
俺は構わず、そのまま魔女の箒を押して飛び続ける。
「お前…何を…? 悪あがきなら…」
戸惑いの声を上げる魔女だが、そこでやっと気付いたようだ。
そう、俺たちの向かう先には、魔女の彗星に吹き散らされ、明後日の方向へ消え行く早苗の神風弾が!!
「なっ、お前まさか!?」
魔女は慌てて方向を変えようとするが、そうはさせない。
箒をがっしり抱え込み、推力を押し殺す。
「これが、本当のカミカゼだ!!」
ヤケクソで笑いながら叫ぶ。
「ま、待て! 落ち着け! いのちをだいじにーーーッ!!!」
ピチューン×2
…………
「……っ! …さんっ!」
声が聞こえる。
いい香りがする。
ああ、そうだ…この香りはいつもの…早苗の香り…だ。
眼を開けると、すぐ近くに早苗の顔があった。
頭の下に柔らかいものを感じる。
「良かった…○○さん…」
よう、と手を上げようとして痛みが走る。
気付けば手だけじゃなくて体中が痛い。
流石に無理をしすぎたかー…
痛みの中ぼんやりと思う。
「はは…俺たち勝ったぜ、さな…うぷっ!」
そう言おうとしたとき、早苗に思いっきり抱きしめられた。
普段なら大喜びするところだが、全身の傷に響く響く。
ってかちょっと強すぎですよ…いてててて!!
ちょっと緩めて…と言おうとして、早苗の体が震えているのに気付く。
「どうしてこんな無茶なことしたんですか…! 私、○○さんが死んじゃったかもって…!!」
見れば、早苗の瞳は涙にぬれていた。
「私…あなたがいなくなってしまったら、もう生きていけません…。ダメになってしまったんです…! だから…だからっ…ううぅぅ…」
俺の頭を抱いて嗚咽を漏らす早苗。
早苗と触れ合っている所から早苗の想いが伝わってくる。
俺はその姿に、勝利の喜びよりもむしろ愛しさとすまなさで胸が一杯になった。
痛む手をなんとか動かして、早苗の背中を撫でてやる。
「ごめんな早苗…。俺は早苗、誰よりも大切な女の子の為にも絶対勝ちたいと思ったんだ。でも、これじゃダメなんだな。結局早苗を泣かせただけだった。
だから、俺もっと強くなれるように頑張るよ。俺も早苗も、どちらも傷つかずにすむように」
涙をぬぐってやると、早苗も微笑んでくれた。
「はい…私ももっと強くなります…、○○さんを守れるように」
抱きしめあって、早苗の暖かさと柔らかさを堪能する。
心が安らぎ、ずっとこうしていたくなる。
「おお暑いぜ暑いぜ。ここは夏に戻ったのかね」
そんな俺たちに、茶化すような声がかけられる。
…そういえばすっかり存在を忘れていた。
俺と同じように全身ボロボロになった魔女が箒を引きずって歩いてくる。
思わず身構える俺たちに魔女は苦笑して、手をヒラヒラと振った。
「あーよせよせ、もうやるつもりはないさ。今日は私の負けだ。おとなしく帰るぜ」
その言葉にホッと安心する。
魔女はそんな俺たちを尻目に出口の方へと歩いていき、と思ったら鳥居のところで立ち止まった。
「そういえば、言い忘れていたぜ」
出口のほうを向いたまま、言葉を投げかけてくる。
「正直言って今まで私は、お前達は所詮は神の腰巾着だと見くびっていたよ。だが、そうじゃなかったんだな。悪かったな、謝るぜ」
驚きに言葉を失う俺たち。
あの倣岸不遜な魔女からこんな言葉がでるなんて。
「だが、慢心するなよ。私は借りはかならず返す女なんだ。次にやるときに私をがっかりさせてくれるなよ、○○、早苗?」
魔女は振り返ると、ニコリと青空のようなさわやかな笑顔を向けてきた。
それを見て、魔女…魔理沙が多くの人間や妖怪に好かれる理由が少し分かった気がした。
「それじゃ、またなっ!」
魔理沙が麓の方へと去っていく。
『あ~私のために魔砲に飛び込んでくれるような男はいないもんかね~』なんて言ってるが…その愛情はどうなんだ?
まあでも…俺も早苗のためなら火の中水の中魔砲の中飛び込むな、うん。
やっぱ人のこといえないな。
それだけ惚れてしまったんだ、当然当然。
…でも、もし魔砲に飛び込むとしたら、その時は真正面から受け止めてやる。
捨て身じゃ早苗は守れない。今日のことでよく分かった。
そのためにも、早苗と二人でもっともっと強くならないとな。
「よ…っと…」
早苗の手を借りて起き上がる。
体のあちこちは相変わらず痛いが大きなケガはないようだ。
これならすぐに治りそうだな。
「早苗、○○、成長したわね」
「いやー二人ともお疲れ! いい戦いだったよ!」
社の方から神奈子様と諏訪子様がやってくる。
「早苗、貴方はこの一ヶ月で本当に強くなったわね。早苗が風祝として私たちに仕えてくれることを本当に誇りに思うわ」
俺たちの前までくると、神奈子様はそう言って早苗を抱きしめた。
「神奈子さ…ま…、ありがとう…ございます…」
早苗は感極まって、嬉し涙に言葉を詰まらせる。
二人はそのまましばらく抱き合っていた。
いやー実に感動的な光景だ。
その光景を眺めていると、くいくいと裾を引っ張られた。
「神奈子がうらやましい?」
下を向けば、諏訪子様がニヤニヤとして俺の顔を見上げている。
…まあ、確かにちょっとは。
でもまあいいんだ。俺はいつでもできることだし。
そうやって惚気る俺に、諏訪子様はうわーなんだこいつという真っ白い視線で応えてくれた。
…でも、そうだ。俺も諏訪子様にちゃんと言わなくちゃいけない。
俺は諏訪子様の方に向き直って頭を下げた。
「諏訪子様、ありがとう。諏訪子様のおかげで俺はここまで強くなれた」
それに、諏訪子様から授かったスペルカードがなかったら魔砲を封じることも出来なかったしな。
「○○…」
諏訪子様は急に真面目になった俺のその言葉に少し驚いた様子だったが、すぐに満面の笑みを浮かべた。
「嬉しいこといってくれるわね。それでこそ私の覡として相応しいよ!」
諏訪子様が勢いよく飛びついてくる。
俺も諏訪子様を抱きとめて…
グキ
イヤな音が…した。
その音の発生源は俺の腰で…そこから背骨を通って全身にイナズマががg
そうだよね、二回も地面にモロに叩きつけられたもんね。
腰にダメージいっててもおかしくないですよね、わかります。
「この特別サービスのスペシャル神徳で傷の回復力も三倍に! …あれ? ○○?」
ゆっくりと、体が後ろに倒れていく。
のけぞって見える空は憎たらしいほど爽やかだった。
「ちょ、ちょっと○○!!」
「○○さんっ!? しっかり!!」
「早苗、諏訪子、早く布団に運んで!!」
…そうして、俺はぎっくり腰で全治二週間になったのだった。
そして時は過ぎ…
ざっ、ざっ、ざっ…
雪を踏みしめて境内を歩く。
今日、俺は決めなくてはいけない。
前に博麗神社を訪れてから三ヶ月、結界の修復が完了したのだ。
「で、どうするのかしら? 帰るの? それとも残るの?」
博麗の巫女が問いかけてくる。
俺のこれからの人生を決める重要な決断の時だ。
…だが、俺の答えはもうすでに決まっている。
後ろを振り返って共に来てくれた人たちを見渡す。
早苗と目が合うと、にっこりと微笑んでくれた。
諏訪子様と目が合うと、はやく言えとばかりに大きく手を振ってくれた。
神奈子様と目が合うと、大きく頷いてくれた。
もう、何も迷うことはない。
「俺は、ここに残る。早苗達と一緒に、幻想郷で生きる」
俺はきっぱりと、自らの出した答えを告げた。
「本当にいいのね? 後で気が変わったから帰せと言われてもそれは無理よ?」
念を押すように尋ねてくる巫女。
それでも、俺の答えが変わることは決してない。
「ああ、構わない」
俺の答えに、巫女はふんと鼻を鳴らした。
「物好きもいるものね。まあ、好きにしなさい」
そういってきびすを返し、社へと戻っていく。
俺はそれを見届けて、振り返った。
そこには、俺の大切な人達がいる。
「さあ、帰ろう早苗。俺たちの守矢神社に!」
そういって手を差し出す。
「はい、○○さん!」
早苗は俺の手をしっかりと握って、満開の笑顔を浮かべてくれた。
二人で手をつなぎ、空へと浮き上がる。
見渡す限りの空と大地、体全体に感じる風はかつて感じ、俺が畏れた本当の自然だ。
そう、これから、俺の新しい人生が始まる。
早苗と、諏訪子様と、神奈子様と、四人で暮らしていく生活が。
この、俺が神々に恋した幻想郷で!
新ろだ202,203,206
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最終更新:2010年05月19日 02:32