春恒例の、博麗神社での夜桜の宴。
 今宵も様々な人妖達が集まってきて、酒を酌み交わしていた。
 宴も酣を過ぎようとしている、そんな頃のこと。




「う、あー……?」
「あら、起きた?」

 愛しい紅い吸血鬼の声に、○○はぼやける視界をはっきりさせようとした。

「あれ、レミリアさん……僕は……」
「最終的に鬼二匹と天狗に絡まれてたのは覚えてる?」
「あー……」

 薄っすらと思い出す。確か、地下のメンバーに初めて会って、その流れで萃香に勇儀を紹介されて、気が付いたら文まで居て――

「……また、潰れましたか」
「ええ、いつもの如く、ね」

 さら、とレミリアの手が額を撫でる。気持ちいい。

「他の地下の面々も集まってたしね。だいぶ飲まされたでしょう」
「もう覚えてないですー……ほとんど抜けましたが」

 酔ってすぐ寝る代わりに、量を大量に飲めるわけではないので抜けるのも早い。
 それだけがこの体質のいいところだと彼は思っていた。
 まあ、酔い覚ましの薬の力を借りたりもするが。

「ん、良かった。じゃあ、交代」
「え?」
「私にも、膝枕」

 言うが早いか、○○を起き上がらせると強引に座らせ、その膝の上に頭を置く。
 普段は絶対しないだろうその様子に、○○は目を瞬かせた。

「……レミリアさん?」
「何? んー……気持ちいい」

 すりすりと○○に擦り寄って、レミリアは目を細める。
 妙に顔が紅い様子に気が付いて、彼はレミリアの額に手を当てた。

「……酔っています?」
「酔ってないわよ?」
「……酔ってますね」

 そんなことないわ、と言いながら、膝だけでは飽き足らないのかレミリアは○○の身体によじ登る。
 ついには膝の上に座って、彼の腕の中に収まってしまった。

「…………どれくらい飲みました?」
「だから酔ってないってば……鬼達と飲み比べたくらいよ」

 肩を枕にするように頭を預け、気持ち良さそうに目を細める。

「……それ、かなりですよね?」
「いいじゃない、別に」

 そう擦り寄るレミリアから、酒精と共に甘い香りがした。確か、今日は果実酒があったからそれだろう。
 やたら度数がおかしかった気がする。こんなものあるのかと思ったが、幻想郷では常識に囚われてはならないらしい。

「……みなさん見てますよ?」
「いいじゃない、見せ付けてやれば」

 ああ、やっぱり酔ってる、と実感する。普段こんなことを外では言わないししない。
 館の中でも、せいぜい咲夜やパチュリーといった面々の前だけだ。

「んー、気持ち良い」
「それは重畳なんですけど……」

 宴会の席の方を眺められば、にやにやしながらこっちを見ている少女達が見える。
 何だかカメラも構えられてる気がする。いやあれはそうだな。レミリアは明日の新聞の一面になってもいいのだろうか。

「たぶん、そこまで意識回ってないよなあ……」
「○○」
「あ、いえ、何も……!」
「こっち見てないと、嫌」

 頬に柔らかい感触があって、慌ててレミリアに向き直る。とはいえ、腕で抱きかかえている状態なので顔を向けただけだが。
 口付けられたところを照れ隠しに撫でながら、ぽつりと呟く。

「……こういうのは、二人だけのときにして欲しいものですが」
「だって、○○今日の宴会であまり私に構ってくれてないじゃない」
「ああ、まあ、挨拶回りもありましたし」
「だからわざわざ私が出向いて鬼から取り返したのに……」

 そう拗ねたように言って、○○に身体をすり付けてきた。
 いやまあ、嬉しくはある。あるのだが、その、人目があるところでは流石に恥ずかしい。

「……あー、まあ、いいか」
「? どうしたの?」
「いえ、僕もまだ少しお酒が残ってるみたいでして」

 言いながら、ポケットの中の小瓶を開けて液体を口に含むと、そのままレミリアの口唇を塞ぐ。

「ん……んん……?」

 甘い声を漏らして、レミリアの喉がこくりと嚥下した。

「……何、飲ませたの?」

 口唇を離して、苦い、と呟きながら彼女は○○を見つめて――みるみるうちに顔を紅くしていった。

「あ、う……」
「酔いは覚めましたか?」

 唸るような声のまま、こくりと頷いてレミリアは○○の肩口に額をつけてうなだれる。

「永琳さん特製の酔い覚ましですからね、よく効くんですよ」
「ん、痛感してるわ……」

 ばさり、と羽が大きく広がって、照れ隠しなのかぱたぱたと動いている。

「では、みなさんの目もありますしそろそろ……って、どうしました?」
「……顔、上げられない」

 どうやら随分恥ずかしいらしい。耳まで真っ赤になっているのが見えて、可愛いなあとは思うものの、さてどうしようか。
 かなりしっかり掴まれているので離すに離せない。どのみち力比べになったら勝てないわけだし。

「……見られてますけど?」
「うー……」
「おまけに写真も撮られてますが」

 ああ、新聞記者のとてもいい笑顔が見える。
 だがそれを言った瞬間、レミリアの羽が大きく広がったまま硬直した。

「……写真?」
「ええ、写真です」
「…………鴉天狗の」
「ええ、文さんの」
「………………」

 しばらく沈黙した後、紅い顔をきっと上げて、レミリアは○○の腕からするりと抜けた。


「……焼いてくる」


「いってらっしゃい」




 名残惜しさと共にレミリアを見送って、さて、と○○も皆の輪の中に戻る。

「ただいまです」

『おかえり』
『そしてごちそうさま』

 ほぼ唱和して言われるのは心外だったが、まああの様子を見せたとあっては無理もないか。

「いやはや、また酔い潰れたようで」
「楽しかったわよ、レミリアが取り返しに行ってね」
「随分と空けたんじゃないかしら」

 空で天狗を追いかけている吸血鬼を見上げながら、暢気な会話を交わす。

「外でもあんな大胆なことをするとは思わなかったわ」

 パチュリーのからかうような言葉に、照れたように○○は微笑う。

「あはは、まあ、その、酒は怖い、と」
「『外でも』ってことは中ではもっと……?」

 誰かの一言に、こほんと○○は咳払いする。

「ノーコメントと言うことで」

「かなりよ」
「かなりですわね」

「パチュリーさーん! 咲夜さーん!」

 隠そうとしているこちらの意志全部無視か。

「いいじゃない、あれ見せたんだからもう」
「幸せそうならいいんじゃないかしら」

 好き勝手に言う二人に、○○は頭を抱えた。少し館の中でも控えよう。

「○○、何か言うことは?」
「……何もありませんよ」

 にやにやしながら手をマイクのようにして近付ける魔理沙に、彼は両手を挙げた。

「春っぽいのもいいけれど、桜が散れば夏が近付くわ」
「ただでさえ暑い中に、熱いのは持ち込まないようにね?」
「…………善処いたします」

 紫や幽々子と言った面々にからかわれて、ため息をつきつつ○○は空を見上げる。
 桜が散る中に、夜空には大輪の弾幕が咲いていた。
 終わって戻ってきたら、どんな言葉をかけようかな、と考えながら、手元の水を一口啜る。

「さとり様ー、どうなさいましたー?」
「……いえ、随分と甘いものをいただいたので」
「……そうか、あんたには辛かったかもね」

 宴会の片隅では地霊殿メンバーと霊夢がそう会話をしていたりもしたが、彼は飽きずに空を眺めていた。





 今年の花見も後何回か、というところ。なればこそ、この光景を覚えていたいと思った。
 これから永遠に、主ある限り自分もまた永遠にこの季節を迎えるだろうけれど。
 桜吹雪の中を、楽しそうに弾幕勝負をしている愛する吸血鬼の姿を、いつまでも心に留めていたいと思った。


新ろだ473
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 意識に、霧がかかっているようだった。
 反射的に、ああ、これは夢だな、と思う。


 乳白色に包まれていた周囲が少しずつ晴れていって、視界が開けていく。
 この先にあるものが、見たくないものだとわかっていても。



 遥か下に、一人の人間が倒れている。
 近くにあるのは、あれは何といったか、クルマ、とか言ったっけ。
 何もかもが紅くて、そう、真っ赤に染まっていて。


 これは夢。それがわかっていても、彼女は身が慄くのを止められない。


 だってそこにいるのは。そこで地に臥しているのは。



 私の、何よりも大事な。



 全身が紅く染まっていて、どこから出血しているのかももうわからないほどで。
 どんなに医学の知識のないものから見ても、致命傷なのは明らかで。
 でも、目の前の彼は、苦痛に顔を歪ませながらも、どこか安らかな表情をしていて。
 そして、こう、呟くのだ。最期に、微笑んで、こう告げるのだ。


『愛しています、レミリアさん――』


 そして、その身体から力が抜けて――――







「――――――っ!!」

 音を立てんばかりの勢いで、レミリアは身体を起こした。
 息は、荒い。はあ、はあ、と大きく息をしながら、震える身体を抱きしめる。

「……久々に、見たわ……」

 そう、わかっている。あれは夢。前にも見ていた、夢。
 もう起こらないはずの、運命の情景。
 それでも不安になって、傍らで寝ているはずの彼の方に視線を向ける。

「……レミリアさん?」
「あ……ごめんなさい、起こしたかしら」

 そう言いつつも、レミリアは安堵する。ああ、この人は此処にいる。私の大事な人は、此処に。

「……どうぞ」

 少し何かを考えた後、彼は腕を伸ばして、レミリアを招いた。

「……うん」

 頷いて、大人しくレミリアは彼の腕の中に納まる。温かい鼓動が聞こえて、さらにほっとする。

「怖い夢、見ましたか」
「……うん、何よりも、怖い夢」

 貴方を、失う夢。

「……大丈夫」

 強く抱き寄せて、彼が耳元で囁く。

「僕はずっと貴方の傍にいますから。独りになんて、絶対させないから」
「うん……約束よ」
「はい、約束です」

 顔を上げて口付けを交わして、レミリアはさらに彼に擦り寄った。
 肌で触れ合っている感覚は気持ちよくて、とても安心させてくれる。

「……怖かったの」
「うん」
「貴方が私に、好きだって言ってくれる前に、よく見てた夢」
「僕を、拒絶する理由になった夢?」
「うん」

 甘えるような声色で、いや実際甘えながら、レミリアは言葉を続ける。

「あのときの事件で、貴方を失うと思ったの」
「うん」
「それが、何より怖かったの……」

 昼夜問わず襲ってくるあの情景が恐ろしかった。
 でも、彼を手放すこともしたくなかった。
 結果、互いを酷く傷つけることになったけど。

「大丈夫。僕は、此処にいます」
「うん……貴方は、此処にいる」

 もう一度、と強請って、レミリアは彼の口付けを満足するまで求めた。

「ん……大好き、よ」
「僕も。貴女のことが大好きです。愛してます」
「うん、私も――」

 そう言いながら、今度はレミリアから口付ける。



 私は弱くなったのかしら。
 私は吸血鬼なのに。悪魔の王だと言うのに。
 本来は、孤高の存在であるはず、なのに。



 一瞬だけ考えて、レミリアはそれを否定した。



 違う。
 大事なものが増えたからこそ。大切なものがあるからこそ。
 それを守りたいと思い、守りきるのが王なのだ。
 だから私は、きっと、より強くなった。



 この愛しい人に逢う前よりも、きっと、ずっと。



「ね、お願いがあるの」
「何でしょう?」
「今日は、ずっと抱きしめてて。私が起きるまで、ずっと。離さないでいて」
「勿論。貴女が望むなら、どれだけでも」

 そう言いながら抱き寄せる腕に、自分からも擦り寄っていって、レミリアは柔らかく息をついた。
 この温もりの中なら私はどれだけでも安心していられる。
 きっと、あの夢も見ないだろう。

「おやすみ」
「はい、おやすみなさい」

 身体の震えはいつしか収まり――レミリアは緩やかに、眠りに落ちていった。


新ろだ513
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 雨の日が続いていた。
 静かに雨が降り注ぐ中、退屈そうにソファでごろごろしている二つの影。

「ひまー」
「暇ねえ……」

 レミリアとフランドール、二人の吸血鬼の姿だった。

「お二人とも、だらしがないですよ」

 咲夜が声をかけるが、二人とも不満を述べるのみだ。

「だって、外に出られないんだもの」
「魔理沙も遊びに来ないー」

 暇を持て余す二人に、咲夜はそっと微笑を浮かべた。

「○○さんも暇そうにしてましたから、何か外のお話でもしていただいたらどうでしょうか」
「○○、今日は本読んでなかった?」

 ソファに行儀悪くうつ伏せになって、レミリアは咲夜に問い返す。

「図書館に行くー、って言ってたよー」

 レミリアの上に乗っかるようにして、フランドールも言葉を繋ぐ。

「こらフラン、お姉様の上に乗るんじゃないの」
「だって暇なんだもの」

 理由になってない理由を言いながら、何が楽しいのか羽をパタパタさせている。

「まあ、暇なのは確かだものね……」
「ええ、そう思って、外の話で何か面白いのがないか物色してたんですよ」

 その声にレミリアがティールームの扉の方に視線を向けると、いつの間にやら、何冊か本を持って○○が立っていた。

「前に、香霖堂で大量購入してましてね。後はまあ、いろいろ探しに行ったりとか」
「相変わらず自由人ね」
「あはは、大目に見ていただけるとありがたいです」

 そう言いながら、よいしょ、と机の上に本を置く。
 レミリアの言い分も随分なものなのだが、彼は不満を言わない。
 何しろ、○○が自由に動き回っているのはレミリアがそれを許し、楽しんでいるが故であるから。

「ねえねえ、何のお話があるの?」

 興味津々に寄ってきたのはフランドールだった。

「んー、そうですねえ……」
「あ、この前の続きは? ほらほら、人間の帝国の話。どんどん領土が小さくなっちゃってたとこから始まってた」
「ああ、あれですか。この中にはないですけど、お話しましょうか」
「ん、何それ。最初から私も聞きたいわ」

 レミリアも興味を向けて、咲夜に一つ頷く。それに対して一礼して、咲夜は紅茶の準備を始めた。
 時間を止めていないところを見ると、パチュリーあたりも来るのかもしれない。
 そんなことを思いながら、レミリアは○○をソファに引っ張った。

「さ、始めて頂戴、大丈夫よ、紅茶はちゃんと間に合うわ」




「……というところでしょうか」

 人魚の元に通い、二度と帰れなくなった男のくだりを話し終わったところで、一度○○は話を切った。

「恋に命を捧げたの? もう二度と戻れなくなることをわかってて? 何もかもを捨ててしまっても?」

 フランドールに不思議そうに楽しそうに問われ、○○は頷いた。

「ええ、わかっていたのだとしても」
「……全てを捨てても遂げたい恋、ね」

 パチュリーは手にした本から目を上げる。

「その話は面白いわね。一つの歴史のはずなのに、どこか叙事詩の雰囲気も持ち合わせてるし」
「まあ、近いかも知れません」
「いっそ、その話を本にしてみたらいいんじゃないかしら?」

 考えておきます、と微笑って、彼は紅茶のカップを手に取った。

「……面白くはあったけどね」

 レミリアはぽつりとそう言って、後は無言で紅茶を飲む。
 どことなしに心此処に有らずな様子に、○○が顔を覗き込んだが、レミリアは軽く首を振っただけだった。
 その様子を慮ってか、パチュリーが声をかける。

「さて、夜も明けるわ。そろそろ妹様は眠くなるころじゃないかしら?」
「んー……そうでもないよ」

 そう言いつつ、フランドールは小さく可愛らしい欠伸を漏らした。

「そろそろ寝ましょうか。また雨が続くようならば、続きを話してもらえば良いわ」
「うん……はーい……」

 とろとろと眠そうにしているフランドールを見て微笑すると、レミリアは咲夜に目配せした。

「それでは、妹様」
「ん……」

 咲夜は手を伸ばしたフランドールを抱き上げると、一礼してさっと消えた。

「じゃあ、私も戻るわね、レミィ」
「ええ、おやすみ、パチェ」

 応じるレミリアにひらひらと手を振って、パチュリーも図書館に帰っていく。

「レミリアさん……?」
「さ、○○、私達も戻りましょう?」

 そう手を引かれた時、○○はレミリアの態度の理由に気が付いたが、それは口にせず、はい、とだけ答えた。




 部屋に戻って就寝の準備をして、いつものようにベッドの上で○○を背もたれにするようにレミリアは座っていた。

「……ね、○○」
「はい」

 何の言葉が来るかはわかっている。だから、彼はレミリアの言葉を待った。それがいいと思っていた。

「話の中の男は、後悔しなかったと思う?」
「しなかったと思いますけどね」
「……何もかも捨てても?」
「たぶん、きっと」

 後ろからそっと抱き寄せた○○に、レミリアは首だけで振り向いた。

「……どうして、そう思う?」
「それだけの想いがあったのだと、僕は思うから」
「……うん」

 擦り寄るように身を寄せたレミリアに、○○が訪ね返す。

「では、その人魚はどうだったと思います?」
「通われていた人魚?」
「ええ。そこまで想っていた男に対して、彼女はどう想ったのでしょうか」
「……そうね」

 レミリアは手を解かせて振り返ると、真正面から抱きついた。

「この上なく、愛しくてたまらなかったんじゃないかしら」
「そうでしょうか」
「きっと、ね。何かもかもを捨てた男を、どこまでも愛しく想ったんじゃないかしら」
「……どうして?」
「私がそう想うからよ」

 そう言いながら、レミリアは○○の胸に顔を埋めた。

「……ね、○○」
「はい」
「大好きよ」
「はい、僕も」
「ん」

 満足そうに頬ですりすりしながら、レミリアは○○を、ぽす、とベッドの上に倒した。

「ねえ、じゃあ、貴方の話をして」
「僕の?」
「ええ、貴方のこれまでの話。此処に来る前、此処に来た後。どう思ってきたか、どう歩んできたか」

 顔を上げて、彼の目を真っ直ぐに見ながら、レミリアは微笑んだ。

「貴方を教えて、○○。貴方がしてくれる話が、私達にいろいろ教えてくれるように。
 貴方自身をもっとたくさん、私に教えて。貴方をもっと、私に頂戴」
「……はい」

 少し照れたように頬をかいて、○○は微笑って頷いた。

「では、何を話しましょうか。以前少しだけはお話したはずですけど」
「何でもいいの。もっと詳しいことが聞きたいだけだもの」
「地味に難題ですねえ」
「少しずつでもいいわ。どんなに小さいことでも。貴方の話だから」

 そう言いながら、レミリアは○○の腕を枕にするように隣に寄り添って、小さな声で続けた。

「……大事な、貴方の話だから」
「……はい」

 もう一度微笑んでレミリアを腕の中に包み込みながら、では何にしようか、と彼は独り言のように呟いた。




 外はまだしとしとと雨が降り注いでいた。
 いつしか眠り込んでしまうまで、二人は話を続けた。
 これまではこれからに続いて、話は続いていく。
 人魚と男の話は伝わっているところまでしかわからないけれど。
 側に居たいと、大事な人の傍に居たいと願うのならば、これからもずっと、この温かい想いは続いていくに違いなかった。
 

新ろだ668
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「ぎゃーおー!」
「たーべちゃーうぞー!」



「…………………………」



 ティールームに飛び込んできた二人の吸血鬼に、彼は一瞬動きを止めた。
 はて、確か今日はハロウィンではなかったか。
 いや、格好は間違ってはいない。狼の耳と尻尾、というのはわかりやすい人狼の姿だ。
 だが何かセリフが決定的に違うような。

「あれ、○○驚かなかったー」
「インパクトが薄かったかしら」
「……何やってるんですか二人とも」

 顔を見合わせるフランドールとレミリアに、一瞬遅れて間の抜けた声を出す。
 ぴこぴこと動く耳と尻尾は可愛らしいが、それとこれとは別の話。

「ん、Trick or Treatだけじゃ芸がないかなー、って」
「芸がなくてもいいと思います」
「でも折角のハロウィンだもの、仮装も含めて楽しまないとね」

 ん? と○○は眉を顰めた。もうすでに仮装しているのでは。

「あー、えっと、お二人は?」
「私は魔理沙みたいなのを着て魔女をするの! ますたーすぱーく! って」
「それは館が吹き飛ぶから止めなさい。そうね、でもお揃いも悪くないかも」
「あ、お姉様、お揃いにするの? じゃあ咲夜に用意してもらおう!」
「ええ。じゃあ○○、貴方も何か考えておいてね」
「………………ええ、はい」

 風のように走っていった二人を見送った後、彼は我関せずと言わんばかりに紅茶を啜っているパチュリーに声をかけた。

「……何かしました?」
「私じゃないわよ。あの二人が気が付かない程だから、そういうことを出来るのは一人だけでしょう」
「紫さんですか……一体また何を」
「さあ、暇潰しじゃないかしら」

 そう言って、パチュリーは手元の本をはらりとめくる。

「……今日は騒がしくなるかもよ」
「パーティーで、ですか?」
「むしろその後。あの人狼セット、二人をどんどん無邪気にしていってるから」
「……は?」

 二人揃って走っていくなんて珍しいでしょう、と言って、大したことでもないように続けた。

「私と咲夜と美鈴は妹様対策ね。小悪魔もこちらについてもらうし、○○さんはレミィをお願い」
「僕一人でレミリアさん押さえられる自信はないですが」
「一応吸血鬼でしょ。それに、貴方が相手ならレミィも大人しくなると思うけど」

 それはどういう意味ですか、と一つため息をついて、○○は頭をかいた。
 どうも今夜は騒がしくなりそうである。




 かくしてハロウィンパーティは開始された。あちこちからいろいろ集まって、紅魔館ホールは賑やかなのものとなっている。
 ○○は準備を終えた咲夜の姿を見つけ、声をかけた。

「咲夜さん、お疲れさまです」
「むしろこれからよ。まあ、パーティ中は大事も起こらないでしょうけれど」
「起こらないことを願います。レミリアさんとフランさんは?」
「霊夢と魔理沙にじゃれ付いてるわ。ほら」

 咲夜が指差す先では、霊夢と魔理沙の背中にしがみついて尻尾を振っているレミリアとフランドールの姿があった。

「……平和ですねえ」
「周りも、少し羽目を外してるくらいにしか思ってないみたいだからね」
「楽しそうでいいじゃないの」

 後ろからした声に、二人同時に振り向く。

「こんばんは、紫さん」
「こんばんは。ああ、招待状はあるわよ、睨まなくても」

 咲夜の方にそうくすくすと微笑って封筒をひらひらさせながら、スキマに腰掛ける。

「一体またどうしてこんなことを?」
「あら、楽しんでるんだからいいじゃない。それに折角のハロウィンよ。楽しまなきゃ、ね」

 咲夜はその返答に首を振って一つ息をつくと、いつの間にやら持っていたグラスを紫に差し出した。

「さすが、気が利くわね」
「お客様をもてなすのは当然のことですから」

 溜め息混じりにそう言うと、咲夜は一礼して去っていった。

「……?」
「ふふ、メイド長さんは気が付いたということよ。さ、そろそろ行ってあげなくていいのかしら? こっち見てるわよ」

 その言葉にレミリアの方を見ると、いつの間にやら霊夢から離れてこちらを頬を膨らませて見ている。

「あ、い、行ってきます」
「はいはい、行ってらっしゃい。楽しませてもらうわ」

 くすくすと微笑う紫を残して、○○はレミリアの下に向かった。





「○○、スキマ妖怪と何話してたの?」
「ちょっとした応対ですよ。レミリアさんこそ、霊夢さん達と話されてたようですけれど」
「私が招いたのだから当然でしょ。さ、○○も一緒に回るの」
「はい」

 いつもより子供っぽく袖を引いてくる主はこの上なく可愛いとは思うが、さてどうしたものか。
 ぴょこぴょこ揺れる尻尾と耳に思わず触りたくなる衝動に駆られるが我慢する。

「ところで、紫さんに何か頼み事でもしました?」
「何で私があのスキマにそんなことしなきゃいけないのよ」
「んー、いや、ちょっと」

 咲夜の態度と紫の様子がどうも引っかかっているだけなので、確信めいたことが言えない。

「そんなこといいじゃない。行きましょう」

 黒い衣装を翻して、レミリアは○○の手を取った。




 しかし、いつもより三倍増しではしゃぐ主にはいつの間にやら置いていかれてしまい、○○は所在無く給仕をしていた。

「まあ、楽しいならいいんだけど……」

 料理を適当に分けつつ、一つ息をつく。

「よ、分けてくれないか」
「私にも」
「ああ、魔理沙さん、霊夢さん、どうぞ」

 ふらりとやってきた二人に料理を渡しつつ、○○はレミリアを視線で追う。

「ところで、何なんだあれ?」
「僕にもさっぱり。紫さんが何かされたみたいなんですけど」
「ああ、何でも有りになるわねそれ」

 涼しげな顔で霊夢が手元の飲み物を飲み干して、○○に尋ねかける。

「で、○○さんとしてはどうなのかしら?」
「え?」
「惚けるなよ、どうなんだ、お前の愛しのお嬢様のあの格好は」

 魔理沙からもにやにやとからかわれ、○○は反射的に顔を紅くした。

「ああ、いやその、可愛らしいとは思いますけど」
「目が追ってるわよ、ずっと」
「バレバレだぜ。給仕役がそれじゃ拙いんじゃないか?」

 呆れた声の霊夢と楽しそうな魔理沙に、誤魔化すように彼は一つ咳払いした。

「……善処します」
「まあ、手遅れよね」
「手遅れだな」

 言いたい放題に言った後、霊夢が相変わらず興味のなさそうな声で言った。

「ま、頑張りなさい。これからでしょ、此処が大変なのは」
「ああ、ええ、らしいです」
「しばらく収まりそうにないもんな、ま、私らは今日は早々に退散させてもらうが」

 らしい言葉に少しだけ微笑って、彼は再びレミリアを視線で追い始めた。




 かくして、大きな騒動もないままにパーティは幕を閉じた。
 普段の紅魔館パーティよりは早めの解散であったが、それに不満を言う者もなく、平和に終わった。
 平和でないのは、むしろ。





「さあ、これから本番ね」
「客も帰しましたし、後は」
「あの楽しそうにされているお二人をどうするか、ですねー……」

 パチュリーと咲夜と美鈴が、同時にため息をつく。
 客のいなくなったホールでは、まだ遊び足りなさそうな姉妹がお互いに軽い弾幕を放ち始めている。

「小悪魔、ブースター役お願い」
「はい……やっぱり妹様がお相手ですか」
「妹様よ。さ、○○さん、レミィの方よろしくね」
「はあ、しかしどうしたものですかね」
「レミィか貴方の部屋に行っておけばいいでしょう。どの道、ここは封鎖よ。後はよろしくね」

 そう飛び立ったパチュリーに声をかけようとして止めて、○○はレミリアに近付く。

「レミリアさん」
「どうしたの?」

 楽しそうに尻尾をパタパタさせている。それは大変可愛いのだけど。

「あー、えーと、ああそうだ、そろそろ、部屋に戻りませんか?」
「ん、でもフランは」
「フランさんも、咲夜さん達が送っていくそうですよ」

 ほら、と差す先では、咲夜とパチュリーがフランと何かを話しているところだった。
 尻尾があちらも楽しそうに振られているので、まあおそらく予想通りの展開だろう。

「ですから、ね?」
「わかったわ。じゃあ、連れてって」

 子供っぽく手を伸ばすレミリアに少し笑って、そっと抱き上げる。

「ん、上出来」
「ありがとうございます」

 すり、と頬を寄せてこられて、一瞬理性がぐらと揺れた気がしたが、とりあえず気のせいにしておいた。





「ん、気持ちいい」

 ベッドにぽんと乗って、気持ち良さそうにレミリアが目を細めた。

「今日はもう休まれますか?」

 上着を椅子にかけながら○○は尋ねる。少し酒も入ってることだし、早めに休みたいところだ。

「んー、でも、○○、まだよ」
「はい?」

 中途半端にシャツのボタンを外していたところをぐっと引っ張られて、後ろからベッドにダイブする。

「わ、どうしたんですか」
「まだ○○に言ってないもの」

 起き上がろうとするのを上に馬乗りになって押さえ込んで、レミリアは笑った。

「Trick or Treat?」
「あー、ここで、ですか」
「ええ、ない?」
「生憎と手持ちにはー……あ、ポケットに飴が入ってたかもしれないですが」
「だーめ。今よ」

 上着を指差したのに首を振って、レミリアは狼の耳をぱたぱたと動かす。

「くれない人には、悪戯よね」
「えーと、ああもう、観念します……」

 どうしろというのか、こんなに可愛らしくいつもより子供っぽい様子で言われて、何も打つ手立てなどない。
 同時に今の体勢に理性が警鐘を鳴らしたが、それも気が付かないことにした。
 まあ、大抵の悪戯ならどうにでもなるだろう、と意識を無理やり他所に向ける。

「じゃあ、じっとしてなさい」

 楽しそうに言って、尻尾と耳をこれでもかと言うほど振りながら、レミリアが口唇を押し付けてきた。
 唐突なことに、目を丸くする。

「!? レ、レミリアさん!?」
「悪戯、よ」

 そう言いながら、額と頬に、再び口付けてきた。

「だって、今日は何だか上の空なんだもの。だから」

 こちらを見て、と囁いて、極上の笑みでこう言い放った。




「ぎゃおー、たーべちゃーうぞー!」




 再び、ぺろ、と口唇を舐められて――彼は、盛大に理性の糸が切れる音を聞くことになった。








 翌日夜。どことなしに疲弊した感のあるパチュリーにレミリアと○○は会いに来ていた。
 疲れは特に見せていないが、それでも疲れたであろう咲夜と共に。

「お疲れさまです、昨晩は」
「そちらこそ……でもないのかしら。まあいいわ。で、まだそれ取れないのね」
「んー……こんなのついてたのね」

 どこか気だるそうに、レミリアが自分の頭の耳を触る。

「自分からスキマ妖怪に頼んでおいて何を今更」
「……そうだったんですか?」
「あー、えーと、それはその、取引って奴だから」

 ぴこぴこぴこぴこ、と耳をパタつかせながら、レミリアが弁解する。

「折角のハロウィンだし、ちょっとくらいならいいかな、って……」
「まあ、妹様もしばらくは大人しいと思うけれどね」

 だいぶエネルギー発散してたから、と言いながら、パチュリーは咲夜の淹れた紅茶を口に運ぶ。

「レミィも随分大人しいけど」
「うー、そ、それは、ちょっと」

 誤魔化すようにわたわたしながら、彼の方をちらりと見上げる。こほん、と咳払いして、彼が話題を変えた。

「ともかく、です、解けませんか?」
「随分面倒そうなんだけどね……それに、そろそろ解けるんじゃない?」
「そんなアバウトな……」
「だって後ろ」

 パチュリーが示した先を二人で振り向くと、いつの間にやら紫がやってきていた。

「こんばんは、楽しんでいただけたかしら?」
「相変わらず唐突よね……咲夜」
「かしこまりました」
「あら、ありがと」

 咲夜から渡された紅茶を遠慮なく受け取って、椅子ではなく自身のスキマに腰掛ける。

「まあ、いろいろ礼は言わないこともないんだけど……これ、いつ解けるの?」
「貴女からそんな言葉がもらえるなんてね。よほど楽しんでいただけたのかしら?」

 くすくすと笑われて、レミリアは慌てる。

「べ、別にいいでしょう。それにまだ質問に答えてもらってないんだけど」
「もうじき解けるわよ。メイド長さん、今のお時間は?」
「まもなく十二時です」
「それがどうにか……あ」

 ぽむ、と軽い音がして、レミリアの耳と尻尾が消える。

「……解けた」
「魔法は午後十二時に切れるのがセオリーよ」
「どこの世界の話よ、全く」

 帽子を被りなおしながら、でもまあ、とレミリアは呟いた。

「いろいろ楽しかったから、感謝はしてあげる。フランも楽しそうだったし」
「それは何より、ね。彼はちょっと名残惜しそうだけど」
「え、あ、ええ?」

 いきなり矛先を向けられて、○○は慌てる。
 いや確かにちょっと名残惜しかったりはするけど――

「……○○?」
「あー、いや、その」

 紅い顔で睨み上げられて、○○は両手を挙げて降参の意を示した。

「……すみません、自重します」
「ん、それならいいの」



 その様子を眺めていた紫が、呆れたような表情で咲夜に話しかける。

「あー、ごめんなさい、メイド長さん、おかわりお願いしていいかしら。砂糖抜きで」
「はい」
「わかってて振ったんじゃないの、貴女も。ああ、咲夜、私にも同じのを」
「かしこまりました、パチュリー様」

 咲夜が淹れる紅茶の香が、図書館にふんわりと漂った。
 とにもかくにも、紅魔館は今日も平穏である。


新ろだ837
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 香霖堂にて、彼はいつものように手伝いをしていた。

「お疲れさま、今日はそれくらいでいいよ」
「ああ、はい」

 手を休めて、霖之助が入れてくれたお茶を受け取る。

「まただいぶ集めましたねえ」
「興味は尽きないからね。ああそうだ、今日の手間賃プラスなんだが」

 ぽい、と霖之助が投げてきた袋を受け取って、彼は目を瞬かせた。

「これは? ……ああ、懐かしい」

 中にはさまざまな味のポッキーが入っている。珍しいものから定番まで。

「外の菓子だろう? 何故だか大量に入荷が入ってね……」
「……まさか」
「ご想像の通りの相手からさ。でも、とりあえず繁盛はしたからね。おすそ分けだよ」
「ありがとうございます。レミリアさん喜ぶかな……」

 嬉しそうにポッキーを手に取っている様子を見て、霖之助は軽く苦笑する。

「まあ、程ほどにするんだよ」
「はい……? はい」

 彼はといえば、霖之助の言葉がわからず、一人首を傾げていた。






「というわけでもらってきました」
「へえ、外のお菓子、ねえ……」

 レミリアが珍しそうにポッキーをつまみあげる。
 咲夜が紅茶を用意するまでの間、レミリアの部屋でポッキーを検分していた。

「まだたくさんあったけど、あれは?」
「後で皆さんでお茶請けにしてもらおうかと。でも先にレミリアさんに持ってきたくて」
「ん、ありがとう……」

 少し顔を赤らめながら、レミリアは素直に礼を言う。

「そういえば、これ何ていうの?」
「ポッキーですけど?」
「あ、じゃあ、ぽっきーげーむ、とかいうの出来るのかしら?」
「………………どこからそんな情報仕入れてきましたか」
「外界の本の中にあったわよ? 詳しくは知らないけど」

 教えろ、と言わんばかりにレミリアがきらきらした目でこちらを見てくる。

「……あー。えーと」

 もう半ば諦めたように、彼は簡単に説明した。

「……というわけです」
「………………」

 説明を聞き終わったレミリアは、顔を紅くして視線をどことなしに向けていた。羽はせわしなくバタバタしている。

「あー、えと、そういうの、なんだ」
「ええ、そういうのです」

 説明した此方もかなり恥ずかしい。
 レミリアは少し迷うようにポッキーと彼との間で視線を往復させると、ぽつり、と囁くように言った。

「やって、みたい?」
「え?」
「あ、貴方が、やってみたいなら、その、いいけど」

 紅い顔をそらすようにしながら、レミリアがそう言葉を続けた。

「……レミリアさんは?」
「訊いてるのは私」

 よほど恥ずかしいのか、視線を一切合わせてくれない。

「……してみましょうか」
「……ん」

 少し嬉しそうに微笑みながら、レミリアがポッキーを用意する。
 やってみたかったんだろうなあ、とどうでもいい思考に無理やり飛ばした。
 あまりに可愛らしいので思わず抱きしめたくなるのを我慢するためだった。

「ん……ほう(こう)?」

 ポッキーを咥えて、レミリアが首を傾げた。

「……はい、では」

 うっかり何かが切れそうになったが自重する。
 反対側を咥えて、少しずつ食べようとして――不意に、ノックの音が響いた。


「っ!」


 驚いて噛み折ったのはどちらだったか。慌てて食べて、彼がドアの向こうに声をかける。

「は、はい? 咲夜さんですか?」
「はい、お茶の準備が出来ましたので」
「い、今行くわ、ちょっと待ってなさい」

 こちらもいつの間にか食べ終わったレミリアが、慌てて答える。

「……行きましょうか」
「……うん」

 立ち上がって差し出した彼の手に自分の手を重ねながら、レミリアは小さく呟いた。

「また、後で」
「え、あ……はい、喜んで」

 嬉しそうに一つ笑って、彼は部屋のドアを開けた。






 ティールームに着いて、パチュリーから顔が紅いことを指摘され、レミリアが慌てに慌てるのだが、それはまた別の話。



新ろだ841
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「あ、こら、待ちなさい!」
「やーだ! 捕まらないもーん!」

 紅魔館の中の、やや恒例の追いかけっこ。
 逃げる幼い少女の方が圧倒的に速く、どう見ても青年の方に分がない。

「はいはい、お手伝いしますね」
「すみません、咲夜さん」

 声がするが早いか、少女は咲夜に抱えられていた。

「あー! 咲夜はずるいー!」
「駄目ですよ、お嬢様。あまり走り回っていては、はしたないです」
「ぶー」

 むくれる少女に、ようやく青年も追いついた。

「はは、追いかけっこではさすがにもう勝てないですかねえ」

 どことなく困ったように笑う彼に後ろから声がかかった。

「また、追いかけっこしてたのね?」
「あ、お母様!」

 するり、と少女が咲夜の腕の中から抜け出て、羽をはためかせてレミリアに飛びついた。
 飛び込んできた、自分と瓜二つの娘を抱きしめて、レミリアは微笑む。

「駄目でしょう、あまり困らせては」
「だって、お父様全然遅いんだもの」

 むー、と唸って、青年の方を見上げる。

「だそうよ、○○」
「まあ、頑張ります」

 頭をかく彼に微笑んで、けれど、とレミリアは娘に話しかける。

「お父様は、怒ると凄く怖いわよ?」
「えー?」

 物凄く疑わしそうな声を出す。

「そうよ、無理をしてるときなんて、ね」
「妊娠中に弾幕勝負をしようとすれば当然怒ります。危ないことは今でも駄目ですよ」
「はいはい」

 心配性になっちゃって、と苦笑して、娘に言い聞かせる。

「赤ちゃんの頃の貴女が昼間外に出ようとしたときなんて、この館の誰よりも速かったんだから」
「……そうなの?」
「さて、無我夢中でしたから……」

 首を傾げる彼に、褒めてるんだから素直に取っておきなさい、とレミリアはまた微苦笑した。




「でも、弾幕は出来ないよね、お父様」
「まあ、そればかりはね」

 娘の意見に、うんうんと頷く。

「勘弁してください。これでも昔よりはマシなんですから」
「少しずつは進歩してるけれどね」
「でも、弾幕はパワーなんでしょ?」

 娘の一言に、レミリアは一瞬停止する。

「…………敢えて訊くわ。それだけから聞いた?」
「魔理沙ー! マスタースパーク! って」

 楽しそうに魔理沙の真似をして、マスタースパークを放つ真似をする。

「……咲夜」
「はい」
「今度からパチェだけじゃなく貴女もこの子の教育に付き合いなさい……あれは悪影響が大きすぎるわ」
「承知いたしました、レミリアお嬢様」

 微笑って一礼した咲夜に頷いて、○○に向けてため息をついてみせる。

「あの黒白は、全くもう……」
「らしいといえばらしいですけどね」

 彼もまた微かに笑った。そして、おや、という顔をする。遠くからの声を聞きつけたようだった。

「フランさんが呼んでますよ」
「あ、今日はフランお姉様と遊ぶって約束してるの! 行ってきまーす!」

 言うが早いか、娘は廊下の向こうへと飛んでいってしまった。

「ああもう……咲夜、お願い」
「はい」

 後を追って姿を消した咲夜を見送って、レミリアは○○の側に寄った。

「フランさんもだいぶ落ち着かれましたね」
「ええ。あの子が生まれてから」

 レミリアの娘を目にしてから、フランドールの中で何かが変わったようだった。
 姉以外の自分の血縁だからか、それともただ守りたいと思ったのかどうか、よく娘と遊んでいる。平和裏に、だ。
 少なくとも、前のような破壊し尽くすような遊び方は、今はしていない。

「……フランの影響もあるのかしらー……」
「まあ、パワーではあるかもしれませんが」
「追々考えましょうか。さ、私達も行きましょう」
「はい」

 いつものように微笑い合って、二人は弾幕の音が聞こえてきた方向に歩いていった。




 数刻後のティールーム。

「楽しかったー!」
「それは何より」

 娘の声を聞きながら、彼はレミリアに膝枕してもらってぐったりしていた。
 娘の遊びに付き合った結果がこれである。途中レミリアも参加したので途中から何が何だかわからなかった。

「もう、お父様情けないわよ」
「そうね、身体鈍ってたんじゃない?」

 二人に言われて、降参のお手上げをする。というか、吸血鬼三人相手はいろいろ無理だ。

「僕は僕のペースで行きますよ」
「むー」
「まあ、それがいいわね」

 正反対の反応に、少しだけ微笑う。

「不満?」
「だって、私もお父様と弾幕勝負したりいろいろ遊んだりしたいもの」

 むくれて、娘は母の肩に寄り添った。

「だから、お父様にはもっと……」

 言いながら、うつらうつらし始める。はしゃぎすぎたからだろうか。

「あらあら……だそうよ、○○」
「頑張ります。ああ、レミリアさん」

 身体を起こして、娘をレミリアの膝を枕にして休ませる。

「貴方も眠いんじゃない?」
「ええ、まあ、少し」

 さほど眠くないと思っていたはずなのだが、どうも瞼が重い。

「おかしいなあ……」
「ふふ、寝てしまってもいいわよ」
「では、お言葉に甘えて……」

 レミリアに寄りかかるように、○○は目を閉じる。
 何とも言えない心地よさと幸福感のうちに、彼の意識は眠りの中に溶けていった――








「……ん、あれ、ここは」
「ああ、起きた? 目覚めはどう?」

 目を覚ました○○を、レミリアが覗き込んでいた。

「あれ、僕は、えーと……」

 きょろきょろと見回せば、いつものレミリアの部屋だった。

「寝る前に胡蝶夢丸を飲んだの、覚えてる?」
「え? あ、ああ、そうか、そうでしたね……」

 ぼんやりした頭をはっきりさせる。
 そういえば最近、どうも調子がおかしかったので永琳に薬を処方してもらったのだった。
 精神的なものかも、ということで、胡蝶夢丸を。
 ということは、さっきまでのは夢か。

「……何か、良い夢は見れた?」
「……ええ、とても、とても幸せな夢でした」
「そう……未来の夢、なのかもね」
「かもしれません。そうだとしたら、とても嬉しい」

 微笑った○○に微笑を返して、レミリアは起き上がらせるように腕を取った。

「さ、起きて咲夜の紅茶を飲みに行きましょう。目覚めには最高のはずよ」
「はい。レミリアさんは休まれました?」
「ええ、さっきまで私も寝ていたもの。さあ、早く準備して」
「はい」

 頷いて、身体を起こしながらサイドボードの薬を見て――彼は首を傾げた。
 胡蝶夢丸の数が合わない気がする。自分が飲んだ数よりも倍の量がなくなっているような――

「○○?」
「ああ、はい、すぐ行きます」

 呼ばれて、○○はベッドから立ち上がる。さっと準備して、レミリアの隣に立った。

「お待たせしました」
「ええ……○○、私も夢を見ていたわ」
「……良い夢でした?」
「ええ、とてもとても良い夢。いつか本当になるかもしれない、そんな夢よ」

 嬉しそうに頬を染めて、レミリアはそう答えた。

「……同じ夢を見ていたら、素敵ですね」
「そうね、でも本当にそうかもしれないわよ」

 含むように微笑って、彼女は彼の腕を取った。







 二人の見た夢が現実になるかどうかは――まだ、先の話。



新ろだ852
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「……う、く……はっ! はあ……はあ……」

 ベッドの上で急に起き上がって荒い息をする彼に、隣で身を起こしたレミリアが心配そうな視線を向けた。

「大丈夫……? 随分、うなされていたわ」
「ああ……ええ、すみません。このところ、夢見が悪くて」

 苦く笑う青年に、レミリアはさらに心配そうな表情をする。苦笑することが珍しい人なのは、もう知っていた。
 ここしばらく、ずっとそうだ。何かにうなされて、ほとんど眠れていないように見える。
 いや、実際眠れていないに違いない。

「……何か、気にかかってることがある?」
「そういうことは、ないはずなんですけど」

 何でですかねえ、と首を傾げる。

「……しばらく、休みなさい。そうした方がいいわ」
「ん……そうしますか。すみません、今はもう少し……」
「ええ。おやすみなさい……」

 隣で眠り始めた彼の髪を撫でて、レミリアは瞳を翳らせた。





「……と、いうわけなのだけど」
「………………驚いたわ、貴女が自らわざわざ来たことに」

 永遠亭にやって来たレミリアに、応対に出た永琳が意外そうな声を出す。

「いいじゃない、別に」
「まあ、貴女が彼に熱を上げてるのは周知の事実だけどね。しかし、ねえ……」
「何か文句が?」
「貴女が来たことには特に。彼の症状についてよ」

 ふむ、と形のよい顎に手を当てて続ける。

「精神的な病だけど、本人が全く自覚していない、ということで間違いないわね……」
「少しは自覚しても良さそうなのに」
「元々人間だから、そういうのに疎いのかもね」

 立ち上がって薬棚に手を伸ばしながら、永琳は微苦笑した。

「妖怪は精神の方に負担がかかるのにね」
「自覚してないでしょうね……それは?」
「胡蝶夢丸よ。その程度の症状なら、これで十分でしょう」

 薬袋に薬を入れて、レミリアに手渡す。

「とりあえず一週間。それでも改善しないようならまた来なさい」
「ええ、そうするわ」
「一回の量は袋に書いてるから」
「……? 多くない?」
「何言ってるの、貴女も飲むのよ。どうせ彼に付き合って貴女も不安定になってるんでしょう」

 何を当然のことを、と言わんばかりに、永琳はレミリアに視線を向けた。

「貴女の能力と、彼と貴女の関係性を考えると、互いに影響を及ぼしあっていてもおかしくないしね」
「………………完全に否定はしないけど」

 ぽつ、と呟いた一言に、意を得たりとばかりに永琳は頷く。

「二人で一緒に飲みなさい。飲みすぎには注意ね。夢と現実が入れ替わる……っていうのはどこぞの新聞記者にも話したけど」
「……程ほどにするわ」

 手元の薬に視線を落として、レミリアは応える。そして、持ってきていた荷物を永琳に渡した。

「これは一先ずの手間賃代わり。正式な代金は後でまた咲夜に届けさせるわ」
「あら、どういう風の吹き回しかしら」
「別に。対価を払わないほど、紅魔館はケチではないよ」

 そう言って、レミリアは立ち上がる。

「改善されなかったら、今度は連れてくるわ」
「そうしてもらうのが一番ね。改善されても、とりあえず来て欲しいものだけど」
「治ったかどうか?」
「いえ、ただの好奇心よ」

 気が向いたら、と答えて、レミリアは飛び去っていった。
 何だかんだで幻想郷で指折りの速さの姿を見送った後、永琳は荷物を開く。

「あら……へえ、割合奮発した、というところかしら」

 そして、奥にいる弟子に向かって声をかける。

「ウドンゲ、何か肴を用意してもらえるかしら? 輝夜も呼んで」
「はい、師匠。ですが、どうしました?」
「いいワインが入ったのよ。ああ、肴はそれに合わせてね」






「……これ?」
「ええ、眠れないようなら、って薬師からね」

 むう、と目の前の薬を見て、青年が唸る。

「……苦くないですかね?」
「子供じゃあるまいし……大丈夫じゃない?」
「薬嫌いなんですよ……うう」

 やや躊躇いながら、だが彼は観念したように薬を手にした。

「……いただきます」

 そう呟いて、一気に水と一緒に飲み込んで、息を一つついた。

「胡蝶夢丸、でしたっけ、これ」
「ええ。胡蝶夢」
「……夢が現か現が夢か、ですか」

 楽しそうに微笑って、彼はベッドに横になった。

「…………出来るなら」
「ん?」
「現でも夢の中でも、貴女と一緒にいられたら……」

 どれだけ幸せだろう、と呟くが早いか、彼は眠りに落ちていく。

「…………」

 顔をひとしきり真っ赤に染めた後、レミリアもまた胡蝶夢丸を手に取った。

「恥ずかしいことを……でも、そうね」

 こくり、と飲み込んで、彼女は幸せそうに微笑んだ。

「夢でも現実でも、どれくらい先の未来でも――貴方と一緒なら」



 きっと、言い表せないほど幸せに違いない。



 それだけを胸中で呟いて、レミリアもベッドに潜り込み、彼の腕の中で横になった。
 この眠りの先にある夢はきっと、幸せなものであるに違いないと確信しながら。


新ろだ908
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「ああ、今日は満月だったか」

 里からの帰り道、ふと彼は空を見上げて呟く。
 陽が沈みかけているのを眺めて、帰り道を急いだ。。
 別に夜は怖くない。陽の光も夜の闇も。彼にとって気にかかるのはただ一つ。

「急がないと、レミリアさんが起きるのに間に合わないかな」

 愛する主のこと、ただそれだけ。




 紅魔館に着く頃には、陽はすっかり落ちていた。間もなく月も上るだろう。
 門の前では美鈴が妖精メイドに何やら指示をしていたが、彼が帰ってきたのを見つけると笑顔で声をかけてきた。

「ああ、おかえりなさい」
「美鈴さん、ただいまです」
「今日は帰って着替えたら、屋上に集合、だそうですよ」
「屋上、ですか」

 彼の言葉に、ええ、と美鈴は頷く。

「さ、急いでください。遅くなってお嬢様のご機嫌を損ねても知りませんよ?」
「それは困りますね。では」

 冗談に笑って、○○は紅魔館の中へと入っていった。



 着替えを済ませて屋上に出ると、もう既にレミリアとパチュリーが椅子に着いていた。
 近付く○○に微笑を向けながら、レミリアが隣に座るよう仕草で促す。

「遅かったわね」

 出てきた言葉に、○○は困ったように微笑った。

「すみません、手間取って。今日は?」
「今日はいい月だから、どうせなら全員で月光浴でもしないかって提案したのよ」

 そう言いながら、パチュリーが手元のグラスを揺らす。中には紅いワインが入っていた。

「こういうのも久し振り……○○が来てからは初めてかしら?」
「そうですね」

 レミリアの言葉に頷いてテーブルを見やれば、いつの間にやら自分の分のグラスが用意されていた。

「ああ、ありがとうございます、咲夜さん」
「いいえ」

 生真面目な○○の言葉に、咲夜はちらりと笑みを見せる。

「咲夜、貴女も今日は付き合いなさい」
「はい。ですが、妹様は……」
「美鈴と小悪魔に連れてくるよう頼んでるわ」

 パチュリーが何と言うこともなし、という態度で告げた。

「折角だから、みんなで楽しもう、ってね」

 レミリアはそう言いながら、今にも開こうとしている扉の方に目を向けた。

「お待たせしましたー」
「わあ、本当にいい月ね、お姉様」

 嬉々として、フランドールがレミリアの隣に座る。

「ええ、そうね。さ、美鈴と小悪魔も座りなさい。咲夜もよ」

 レミリアの命令で、紅魔館のささやかな月見が始まった。





「そういえば、図書館はいいの? 門番も司書もいるのなら無防備じゃない?」
「鼠なら問題ないわ。門番の妖精メイドに来たらこちらに回すよう連絡してるし、図書館自体もロックかけてるもの」
「いつもかけていればいいのに」
「咲夜の紅茶が飲めなくなるじゃない……ところで、レミィ? ○○さん大丈夫なの?」

 しばらく歓談する中で、パチュリーが会話の方向を○○に向けた。
 彼はにこにこしながら会話を聞いているのだが、どこか視線が曖昧で、ワイングラスを持つ手元もおぼついていない。

「さっきからぼーっとしてるよー」
「大丈夫ですか? 酔っ払ってるんじゃ……」

 フランドールと美鈴も声をかける。咲夜は水の用意を始めていた。小悪魔は酔い覚ましを。この辺り手馴れているとしか言いようがない。

「んー……? だいじょうぶだと思いますけど」
「いや、だいぶ大丈夫じゃないわね……とりあえず○○、その手のグラスを離しなさい」
「あまり飲んではないですよ……たぶん」

 そうじゃなくて、とレミリアは軽くため息をつく。
 酔っているのは酒だけではなく、月の所為でもあるのだ。
 無論、酒だけでも月だけでもこうはなるまい。酒だけならとっくに寝ているだろうし、月だけなら少し気が大きくなる程度。
 二つの相乗効果と……それと、彼自身の気質によるものだろう。楽しい場で飲むと、彼はあっという間に酔っ払う。
 それはこの場が楽しいと言う証明だから、企画した側としては嬉しい限りなのだけれども――?

「…………ちょっと、○○?」
「グラスはおきますから、代わりに」

 これは代わりになっていないだろう、と、いきなり彼の膝の上に抱きかかえられて、レミリアは思う。

「酔ってるわねえ……」
「まあ、仕方ないでしょう。お酒もだいぶ進んでいたし」

 パチュリーはグラスを置くと、咲夜に紅茶を頼んだ。

「しっかり月の光に当たるのは慣れてないとまずいんですかねえ……」
「私達には、そういうのはありませんものね」

 美鈴と小悪魔がそう声を交し合う。レミリアは嘆息すると、自分のグラスを手に取った。

「まあ、いいわ。しばらくはこのままでも」
「あ、いーな、お姉様」
「だーめ、ここは私の特等席だもの」
「わかってるよー。○○はお姉様のものだし。咲夜、私も紅茶ー」
「はい、ただいま」

 微笑んで、咲夜が紅茶のカップをフランドールの前に置いた。

「さてしかし、○○をどうしようか……」
「いいんじゃないの、そのままで。どうせ身内だけでしょう」
「そうなんだけど……」

 猫が喉を鳴らしている姿か、あるいは犬が尻尾を振る姿か、あれと同じ雰囲気を今の○○は持っていた。

「お嬢様、何でしたら休ませましょうか」
「いいわ、折角の月光浴だし、邪魔なわけではないから」

 実際、向こうから積極的にくっついてくるのは珍しい。
 もっと甘えてくれてもいいのに、とも思うが、そこは彼なりに譲れないものでもあるのだろう。
 だからこの状況は、驚きはしたものの不快ではなかった。

「しかし、そんな○○さん滅多に見られませんよねー……あ、ありがとうございます、咲夜さん」
「いいえ」

 咲夜は紅茶を人数分用意しながら、レミリアの方も伺う。それに気が付いて、レミリアも軽くグラスを掲げた。

「これを空けたらいただくわ」
「はい」

 頷いた後、咲夜は小悪魔にも紅茶を渡した。彼女自身も、再び卓に着く。

「それにしても面白いわねえ。レミィ、○○さんに耳と尻尾生やしたら怒る?」

 たぶんもっと面白いけど、とパチュリーが指をかざす。

「やめて。大変なことになるから」

 ため息交じりで制して、レミリアは甘えてくる愛しい人の頭をぽんぽんと叩いてやった。
 




 その後再びのんびりとした時間が流れていたが、その空気は唐突に破られた。

「んー……レミリアさん」
「何?」

 すりすりと擦り寄っていた○○が、ふと動きを止めて、ぼうっとした瞳のまま呟く。

「お腹空きました……食べたいです」



 ごふう。



 何人かが確実に紅茶を吹いた。吹かなかったフランドールが首を傾げる。

「○○、何も食べてないの?」
「ええ、帰ってきて直に来たので……」
「………………後であげるから、今はおあずけ」

 レミリアは耳まで真っ赤になったあと、そう告げる。
 血のことだとはわかるが、ここまでストレートに言われたのは初めてだ。

「はい……ここでは、我慢します」
「……ああ、食事、ですね!」
「血のことですか、びっくりしましたよ」

 小悪魔と美鈴は我に返ると布巾を用意して、テーブルを拭き始める。
 合点がいけば何ということはないが、唐突に聞かされると驚くものだ。

「…………レミィ、やっぱり耳と尻尾生やさせたら駄目?」
「後で本当に大変なことになるから止めて」

 主に私が、と呟いて、咲夜に紅茶を求める。

「咲夜、紅茶を」
「はい」

 先ほどからの流れなど何ともなかったように紅茶を淹れて、咲夜は二つ、カップをレミリアの前に置いた。

「はい、○○。少しこれで空腹を紛らわせておきなさい」
「いただきます……」

 熱い紅茶を少しずつ飲みながら、彼は不意に空を見上げた。

「本当に、良い月ですねえ」
「ええ、本当に……でもこれから満月の飲み会は、気を付けた方が良いかもね」

 レミリアが嘆息すると、周囲から同意の声が上がる。

「全くです」
「この状況が神社で展開されたら、いろいろな意味で収集つかなくなるわよ」
「天狗が来るよー」
「そこで楽しそうにしないでフラン。まあでも、今日ばかりは許してあげましょうか」

 綺麗な月の夜だから。こんなにも、いい月の夜だから。
 そう心の中で呟いて、レミリアは○○に少しもたれると、手元の紅茶を一口飲んだ。






「よー、何やってんだ? 図書館には入れないし門番不在だし……あ」
「砂糖の要らないお茶会、よ。貴女も参加する? 魔理沙」
「激しく遠慮したいが、何か同時に珍しいものを見た気がするぜ……へー、○○もそんなになるのか。何やったんだ?」
「何もしてないわ。ただ月に酔っただけ。どの月に酔ったのかは、わからないけどね」
「ほほう、なるほどなるほど、紅い月か。咲夜、私にも紅茶をくれ。砂糖抜きで」

 にやにやしながら降りてきて、魔理沙もずうずうしく紅茶を所望する。

「勝手なことばかり言って……咲夜、もう下がるわ。後よろしく」
「はい、お嬢様」

 咲夜に一声かけて、レミリアは○○を連れて館の中に戻っていった。

「魔理沙ー! 後で勝負しよー!」
「はいはい後でな。しかし、あれ大丈夫なのか?」

 魔理沙はレミリア達が消えていった扉の向こうに視線を向けた。
 何だか「こら、人目がなくなると同時に抱きつくな!」とか「誰が見てるかわからないんだから……」とか聞こえる気がするが気のせいだろうか。

「大丈夫よ、ちょっと○○さんがおかしいだけで」
「それはあまり大丈夫じゃないんじゃないか?」
「でもまあ、いつも通り甘々ですから」
「いつもよりちょっとスキンシップ激しかったですけどね」
「概ねいつも通り、かしら」
「…………大した忠誠心だよなあ」

 美鈴、小悪魔、咲夜と言った従者の面々からの少しばかり酷い感想に魔理沙が苦笑する。
 それでも、これはあの二人を温かく見守ってるからなんだろうな、と思っていると「パチェ――――っ!!」という叫びが聞こえた気がした。

「……何した?」
「ちょっと時限式の魔法の実験。あの分だと成功したみたいね」

 何とも温かい友情だな、と魔理沙は嘆息しながら紅茶をすする。
 まあともかく、砂糖抜きの紅茶が何とも甘い晩であった。





 翌日、眠そうにふらふらしているレミリアと、彼女に申し訳なさそうに甲斐甲斐しく付き添う彼の姿が見受けられた。

「パチェ……」
「おはようレミィ。思ったより早いわね」
「貴女がそういう悪ふざけするとは思わなかったわ」

 むう、とむくれて告げた言葉に、何でもないようにパチュリーは返答する。

「あら、甘えられて嬉しそうにしてたと思ったんだけど」

 その言葉に、ふいと顔を背けたものの、照れ隠しは明白であった。

「いいわ、もう。○○」
「はい」

 そう言って、ソファに座っている彼の腕の中に収まる。

「仲良いことで何よりね」
「それはまあ、ね」

 照れながらも寄り添う姿は、とても幸せそうに見えて、何となく微笑ましい気分になる。
 こんな日もいいかもしれない、と思いながら、パチュリーは久々の珈琲に口をつけた。





 それでも、満月の夜は酔っ払いに気をつけろ、の言葉が紅魔館の暗黙の了解になったのは、言うまでもない。


新ろだ909
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 師走も半ばを過ぎ、里も俄かに騒がしさを増してきた。
 年の瀬と、その前に来る一つの祭りが理由だ。

「いやはや、幻想郷にもクリスマスがあるんですねえ」
「外から入ってきたものも多いですからね」
「冬は娯楽が少ないからな、皆楽しみにしているよ。原義は忘れられていてもな」

 阿求と慧音の言葉に頷いて、○○は手元の紅茶を啜った。
 咲夜の買い物に付き合って里に降りてきて、今は紅茶の茶葉を選んでいるのを待っている最中だ。
 待っている間、さてどうするか、と思っていたら、丁度同じ店で歓談している二人に声をかけられ、今に至る。

「紅魔館でもパーティすると言っていましたしね」
「ああ、招待状が来ていたよ」
「だいぶ大掛かりにやるみたいですね」
「ええ、今日もその買い物で。咲夜さんが紅茶を選び終わったらそれ関係を買いに行く予定です」

 その言葉に、阿求が首を傾げる。

「貴方は紅魔館では雑用をしなくてもいいのでは?」
「確かに。客分……と表向きは聞いているが、恋人なのに」
「ごふ」

 大きくむせて、ごほごほと咳をしながら○○は言葉を繋いだ。

「ごほ、いやまあ、手伝いに関してはそうなんですけど、こればかりは性分で」
「恋人の方は否定しない、と」
「やれやれ、お熱い事だ」

 好き放題に言われて、○○は頭を抱えて呻く。

「はいはい、あまりからかわないで」
「ああ、咲夜さん、決まりましたか?」
「ええ、荷物お願いね」

 はい、と立ち上がって受け取る。

「からかうと楽しいのでつい」
「いささか悪ふざけをしてしまったな、すまない」

 笑いながらの謝罪に、咲夜も微かに笑う。

「まあ、気持ちはわからないでもないですけどね」
「咲夜さんまで……勘弁してください」

 頭をかいていると、パシャリ、と音がした。

「ん?」
「今、鴉天狗がいた気が……」
「また何かネタでも探しているのかな。さて、私は仕事に戻るよ」
「私も屋敷に。またお会いしましょう」

 立ち去っていく慧音と阿求を見送って、さあ、と咲夜が呟いた。

「私達も仕事を終えてしまいましょう。雪が降ってくると厄介だし」
「はい」

 頷いて、○○は荷物を抱えなおした。



 年の瀬であるためか、方々で買い物に来たらしい顔見知りと挨拶や談笑を交わしているうちに遅くなった。

「これはお嬢様が起きそうね……」
「急ぎましょうか」

 両手に抱え上げるほどの荷物を持った○○の言葉に、咲夜は頷いた。

「パーティは三日後だから、これで足りるとは思うけど」
「新年の準備は準備で、また買出しに出るのも有りですかねー」
「そうね。またお蕎麦も作らなきゃだし……と、今はクリスマスね」
「ですねえ」

 会話をしながら、紅魔館への帰路を急ぐ。雪がちらつき始める前に、何とかたどり着くことが出来た。

「あ、お帰りなさい。荷物運びましょうか」
「ありがとう、美鈴。でも私達だけで大丈夫と思うけど」
「いえ、お嬢様が起きていらっしゃったみたいなんで」
「ああ、ではお願いするわ。ちょっと間に合わなかったわね」

 美鈴に荷物を渡しながら、咲夜が肩を竦める。

「ちょっと早めに起きられたみたいですし。ああそういえば、新聞記者さんが来てましたよ」
「文さんが?」
「ええ、もう帰っていきましたけど」
「……通したの?」
「お嬢様が通せって言ったんですよー」

 仕事はしてます、と美鈴は慌てて弁解した。

「それならいいわ。では、後よろしく」

 先に館に戻る咲夜を見送って、○○と美鈴も館に歩を進める。

「随分買い込みましたね。私もついていけばよかったかな」
「もしかしたら年末の買い物はそうなるかもですね」
「そのときは頑張りますよー。○○さんも荷物を置いたらお嬢様のところに?」
「ええ、まあ、いろいろと話もしたいですしね」

 そう笑った彼には、これから起こる騒動など全く見当もついていなかった。





「○○の馬鹿! 知らないっ!」
「ちょ、ちょっと待ってください! 誤解ですって!」
「みんなにでれでれして、もう知らない! 頭冷やしてなさいっ!」

 弁解する○○の言葉を聞かず、レミリアはその場から立ち去っていってしまった。
 霧になって消えた姿をさすがに追うことはできず、○○は髪をかきむしって椅子にどかりと腰掛ける。

「あーもう、どうすればいいんだか」

 一人で呻いていると、テラスに顔を出した咲夜が物凄く呆れた表情で尋ねて来た。

「……一体どうしたの」
「ああ、咲夜さん」

 これこれ、とテーブルの上を指差す。どれどれと覗き込んだ咲夜が見たのは――

「……写真? ああこれ、今日里を回っていたときのね」

 咲夜も写っているが、ほとんどは○○が誰かしら知り合いの少女達と言葉を交わしている姿だった。

「ええ。で、余計なことを吹き込んでくれた方が居まして」
「……何となく見えたけど、聞いていい?」

 こくり、と頷いて、彼は簡単に説明した。もうそれこそ一言だけ。

「随分と楽しそうに笑っていると」
「…………あっさりね」
「ええ、あっさり。これに尾びれ背びれいろいろつけまくってくれたお陰で」

 これですよー、とテーブルに突っ伏す。

「あー……とりあえず、お嬢様の機嫌も見てくるわね」
「お願いします。どうもあれはしばらく会ってくれる雰囲気ではないので……」 

 ひらひらと手を振って、レミリアの様子を見に行った咲夜を見送る。

「……あー、本当にどうしようかなあ……」

 テーブルから身を起こして、写真をまとめると、彼はそうため息をついた。





 そして三日後。

「……え、また喧嘩中なのかあの二人」

 祭り騒ぎとあって一足先に来ていた魔理沙が呆れた声を出す。

「ええ、まあ、絶妙なタイミングのすれ違いがあってね」
「あれは私のせいじゃないですよー」

 文がいつの間にやら後ろに現れて発言する。

「何があったんだいったい」
「いやまあ話せば長くなることながら……」

 少し苦笑しながら、文は話し出した。



 あの翌日、文は再び紅魔館に訪れていた。
 とりあえず、自分が引き起こしたことの結果を確認するために。

『あーやーさーんー?』
『あやや、そんなに恨めしげな声出さなくてもいいじゃないですか』
『出したくもなりますよ。まったく、それで僕は昨日からレミリアさんにお会いできてないんですから』

 来るなり彼に捕まって、恨み言を聞かされた。まあこれは予想通り。

『いやあ、らぶらぶなお二人にたまには波風を』
『立てなくていいです。というか、それはやめてください。恥ずかしい』

 照れて頭をかいた彼に、さらに言い募ろうとしたとき、だ。

『……随分、楽しそうじゃない』
『あ』

 間が悪いにも程があるタイミングで、レミリアが姿を現した。

『あ、レミリアさ……』
『楽しそうに話してるなら、私はいらないわね』

 笑顔で怒気のこもった声の吸血鬼というものは、かなり迫力がある。

『え、ちょ、ちょっと……』
『○○の馬鹿! もう絶対知らないっ!』

 言うが早いか走り去ってしまい、後には茫然とした態の○○と、かける言葉を持たない文だけが残された。



「とういうことです」
「短かったな。そして何と言うバッドタイミング」
「よね。丁度私がお嬢様を取り成して、○○さんに謝りに行こうとした矢先」
「だからそのタイミングは私のせいじゃないですってばー」
「でも波風立てようとしたのは事実だろ」
「ええ」

 だってたまには面白い話題欲しかったんですもん、と悪びれもせずに答える。
 はあ、と同時にため息をついて、咲夜と魔理沙は顔をあわせた。

「とりあえずはそういうこと。この三日間、一度も顔すらあわせてないから」
「うわー……○○、どうなってる?」
「目も当てられないわ。まあそれはお嬢様も同じだけど」
「さすがにここまで大事は考えてなかったですよ私も」

 そう口を挟んで、文は、おや、という表情で咲夜と魔理沙の向こうに視線を向けた。
 咲夜と魔理沙も振り返って、館の主がこちらに向かってくるのを視界に入れる。

「お嬢様」
「ご苦労様、咲夜。早いわね、二人とも」
「邪魔してるぜ、レミリア」
「お先にお邪魔してます」

 鷹揚に頷いたレミリアの隣に○○の姿はなくて、お節介とわかっていながら魔理沙は尋ねた。

「○○がお前さんの隣にいないのは何か違和感あるな」
「どこかにいるんじゃない。知らないわよ」

 むくれて、レミリアは明後日の方向を向く。

「あやや、誤解は解けてないままですか?」
「…………さあね」

 一瞬レミリアの視線が下がったのを見て、魔理沙と文は理解する。
 咲夜はとっくに気が付いているのか、いつもの表情を崩さない。

「そんなことはどうでもいいでしょ。ま、楽しんでいってよ」
「ええ、そうさせてはもらうつもりですが。ああ、後で渡したいものがあるのですがよろしいですか?」
「渡したいもの? いいけど……っ! 咲夜、ちょっと行ってくる。天狗、また後で聞くわ」
「はい、お嬢様」

 さっとその場から蝙蝠になって姿を消したレミリアに訝る間もなく、一人の青年がそこに駆けつけてきた。

「あ、あれ? レミリアさん、ここに来てませんでしたか?」
「さっきまではね」
「あー、またすれ違ったか……」

 少し苛立ったように髪をかき回して、○○はそこに魔理沙と文が居ることに気が付いたようだった。

「ああ、すみません。いらっしゃい、お二人とも」
「ん、邪魔してる……大変だな」
「まあ、頑張って何とかします」
「すみませんねえ」
「あまり悪いと思ってないでしょう、文さん」

 だが仕方ないとも思っているのか、困ったように笑っただけで彼は文を責めるようなことは言わなかった。

「咲夜さん、何か手伝うことは?」
「今は特にないわね」
「では、ちょっとまた探しますので。また後ほど」

 一つ頭を下げて走っていく彼を見送って、ふむ、と魔理沙は首を傾げた。

「割とピンポイントで場所把握はしてるんだなあ」
「お嬢様も気が付いて逃げるから、堂々巡りなんだけどね」

 咲夜は苦笑して、二人の客をホールの方に案内し始めた。



 かくして、パーティ事態は和やかな雰囲気で始まった。
 ただ、いつも一緒にいる館の主とその恋人が一緒にいないだけで。
 まあ、それだけでも十分以上、人妖達の酒の肴にはなっていたのだが。



 宴も進み、料理も酒も、いい具合に全員に回り始めた頃。

「すみません、こちらにレミリアさん、いらっしゃいませんでした?」
「いいえ、来てないわ」
「見てないわね」

 そうですか、と少し落胆したように呟いて、○○は近くの給仕のメイドから料理の皿を受け取り、幽々子と輝夜の側のテーブルに置いた。

「お邪魔しました。どうぞ楽しんでいってください」
「ええ」
「そうさせてもらうわ」

 料理を取り分け、一礼して去っていく○○を見送って、さて、と二人は呟く。

「そろそろいいんじゃない?」
「随分探し回っているわよ」
「……大きなお世話だ」

 不意にレミリアが現れて、二人に向かってため息をついた。

「まあ、パーティは楽しませてもらってるけどね、料理も美味しいし」
「それは当然。咲夜の料理だもの」

 ふふん、と何故か胸を張る吸血鬼に、輝夜が呆れた視線を向ける。

「それはいいとして。どうして従者から逃げ回ってるのよ貴女は」
「別にいいじゃない。関係ないでしょ」
「まあ関係はないけどね。もし貴女が彼をいらないーって言うんなら、永遠亭にもらおうかと思っただけ」
「……どういうことよ」
「情報源はあそこね」

 輝夜は別のところで話をしている文を指差す。天狗か、と大きくため息をつくレミリアに、彼女は続けた。

「さ、どうする?」
「あら、ずるいわね。白玉楼にも欲しいわ」
「マヨヒガっていう方向もあるわよ」

 唐突に紫まで参加して、会話はおかしな方向に流れていく。

「な、何を言って……」
「おや、そういうことならこっちの神社にも欲しいねえ」
「そうだね。彼なら文句なしだ」
「寺にも人手があると助かりますね」
「地霊殿も、賑やかになるでしょう」

 いつの間にやら他の面々までが集まってきて、もう何が何だかわからなくなってきた。

「さ、こんな意見が出てるけど、貴女の意見は?」
「…………○○の勝手にすればいい」

 言うが早いか、レミリアは背を向けて行ってしまった。
 それを見送って誰ともなく息をつき、紫がさとりの方を向く。

「……さて、どうですか」
「かなりに意地になっているみたいですね。無理して」
「一目瞭然よねえ。で、彼の方は?」
「言う必要が?」

 ないわねえ、と紫は苦笑する。ふふ、と輝夜が笑みを浮かべた。

「さて、『友人』としては人肌脱いであげないとね」
「困っている姿を助けるのは当然、ですものね」
「全くだねえ。さて、でもどうしようか。何かないかい、神奈子」

 白蓮の言葉を継いで、諏訪子は神奈子に尋ねながら会場を見回した。

「一気に人目を引ければいいんだろうけどな」
「何かイベントでも起こしたら?」
「いい案ね、幽々子。そうね、メイド長さん、ちょっといいかしら?」

 紫は自分達の方に注意を向けていた咲夜を呼ぶと、何やら耳打ちした。咲夜も頷いて、メイドに指示をする。
 かと思うと、不意にパチュリーの元に赴いて、何か相談を始めた。パチュリーは紫達を見てため息をつきつつも頷いている。

「上手くいきそうね」
「……外の世界にはそんなイベントがあるのですか」
「覚りにだけわかるのはずるいわ。私達にも教えなさい?」
「ええ、もちろん」

 集まって楽しげに――幻想郷のパワーバランスを担う者達が一斉に何かを企んでいる様子をそう呼ぶのなら――話している彼女達のところに、再び○○がやってくる。

「ああ、みなさんお揃いで。すみません、またなんですけれど……」
「お、いいところに来たね」
「はい?」

 何を企んでいるのか――そもそも企んでいることにすら気が付いていない彼は、ただ首を傾げることしかできなかった。




「さて、ここで一つ、イベントを始めたいと思いまーすっ!」

 マイクを持った文の声に、会場を歩いていたレミリアはそちらの方に視線を向けた。

「名付けて『私の主張大会』! 日頃から思っていることを、思いっきり叫んでしまおうというイベントです!」

 何やら面白そうなことを始めたな、と思う。自分が主催になっていないのがどうも不満だが、パチュリー辺りが考えたのだろうか。

「参加は自由! 我こそはー! という者は、勇んで挑戦してください!」

 文の声が響くが早いか、次々と手が上がり始めた。
 種族問わず壇上に上がっては「あたいは最強だー!」だの「私の歌を聴けー!」だの叫んでいる。
 まあ、酒が入っていることもあるだろうが、盛り上がっていることだし、パーティ主催としては何ら問題はない。
 ふと思って、○○の姿を探してみる。視線を彼の方に向けて、自然と眉根を寄せた。
 スキマ妖怪だの亡霊姫だの蓬莱人だの、大勢に囲まれて飲んでいる。
 何となく不機嫌になって、顔を背けて手近のメイドからワインを受け取って一息に飲み干した。
 あまり酔う気がしない。もう一杯何か、と視線を巡らせていて、隣に咲夜が現れたのに気が付く。

「お嬢様」
「咲夜、どうしたの」
「そういう飲み方はお身体に触りますわ」
「頑丈だから大丈夫よ。それより、何かあった?」
「ええ、壇上に」
「壇上?」

 ふと視線を向けると、ふらふらと酔っ払ったように揺れながら、○○が壇上に上るところが見えた。



 五分ほど時間は遡る。○○は紫達に捕まり、次々と酒を呑まされていた。
 正直、前後不覚一歩前と言っても過言ではない。

「……すみません、そろそろ」
「あら、もう?」
「ええ……レミリア、さんも、さがさないと」

 ぐら、と揺れる身体を支えるように近くのテーブルに手を置きつつ、○○は呟く。

「へえ、でも探し回ってはいるけど、会えてないじゃない?」
「ぐ」

 痛いところを突かれたように、彼は言葉を詰まらせた。

「ねえ、○○、最近彼女にきちんと想いを告げてあげてる?」
「え……?」
「いつもいつも言われるのもあれだけど、たまには言葉にされないと、不安になるものよ、女というものはね」

 こちらも杯を傾けながら、輝夜が笑みを含んだように告げる。

「あー……そうです、ね」

 つたえないと、と呟く彼の肩を誰かが叩いた。

「いい機会があるじゃないか。ほら」

 揺らぐ視線の先では、みんなが思い思いのことを叫んでいる。

「……いってきます」

 がんばれー、という声を背に、ふらふらと彼は歩き始めた。





「はい、では○○さん、どうぞ!」

 思い切り期待に満ちた声の文の紹介を受けて、○○は壇上に上る。
 視界は定まっていない。頭はぐらぐらするし、呂律が回るかどうかも怪しい。
 それでも、言わなきゃいけないことがある。

「レミリアさ――――ん!」

 思ったよりも声が出た。

「僕は、貴女の事を、誰より、何よりも――――!」

 声を張り上げられる限り、張り上げて。

「愛してます――――!」

 今自分に伝えられる想いの全てを、叫んだ。





「な、な…………」

 彼の叫びが終わるや否や、目にも止まらぬ速さでレミリアは咲夜の隣から壇上まで駆け上がった。

「何人前で恥ずかしいこと言ってるのよ貴方はっ!!」
「レミリア、さん」

 あまりのことに顔を真っ赤にして肩で息をする彼女を少し茫然と見た後、○○は唐突に抱きしめた。

「な、こら、離しなさいっ!!」
「やっと、つかまえた」

 ぽつり、と呟く。

「だいすきです、貴女だけを、ずっとずっと」
「う、あ、○○、その」

 酔った勢いで熱烈なことを言ってくる彼に混乱しつつも、レミリアは腕から逃れようとする。

「おーおー、熱いなー」
「キスしろー!」

 余計な茶々を入れる野次馬達に何やら文句を言おうと気を逸らした隙に、○○の指が顎にかかったのを感じた。

「あ、こら待ちなさ――んん」

 おおー、というどよめきが会場から聞こえる。
 強引に塞がれた口唇を解放されて、レミリアは一瞬だけ茫然となった後――

「い、いい加減に目を覚ましなさいっ!!」

 霊夢の昇天脚もかくや、という鋭さの蹴りを、○○の顎に見事にヒットさせていた。



「はい、師匠から、いつもの酔い覚ましだそうです」

 数分後、会場の片隅に移動したレミリアと気絶している○○のところに、鈴仙が薬を持ってきていた。

「礼を言うわ。代金はいつものでいいのかしら」
「あ、いえ……今日は面白いものが見れたからいいと、姫が」
「……焚きつけておいて何を……まあいいわ、わかった」

 正直酔い覚まし自体はありがたい。後であいつらには礼と言う名の弾幕勝負でも仕掛けてやろう。

「ありがたく貰っておくわ」
「はい、では私はこれで」

 鈴仙はそれだけ言うと、騒いでいる兎達の中に戻っていった。あんな数の妖怪兎を呼んだかどうかはどうも覚えていないのだけど。
 それはいいとして、だ。完全に気絶している○○にどうやって薬を飲ませようか、と考えていると、不意に声がかかった。

「どうも、レミリアさん」
「ん、どうしたの」

 司会を終えたのか、文が近くにやってきていた。

「ほら、渡すものがある、って言っていたでしょう?」

 これですよ、と渡されて、レミリアは片目を眇める。

「写真?」
「ええ、写真です。まあ、よく見てくださいよ……」

 にこにこと何か物凄く裏のありそうな笑顔の文を胡散臭く見た後、レミリアは視線を写真に落とした。





 この後、あちこちで弾幕勝負まで始まったために、パーティは大盛況かつ収拾のつかない事態へと発展した。
 それでも、とりあえず騒々しく楽しく、パーティは大成功を収めた、ということになったらしい。
 特に、弾幕勝負の発端となった館の主は上機嫌で、ここしばらくの不機嫌さを知っていた館の者達はほっと胸をなでおろしたのだが、これは余談である。






 そして、クリスマスパーティがお開きになってしばらくの後。
 部屋の扉をノックする音に、ベッドに座っていたレミリアは機嫌の良い声で応じた。

「どうぞ」
「失礼します」

 三日振りに、レミリアの部屋に尋ねてきた○○の姿がそこにあった。

「いらっしゃい、○○」
「はい」

 ○○を隣に呼びつけて座らせて、レミリアはそっと口を開いた。

「ごめんなさい、○○」
「ん、いえ、すみません、僕こそ」
「いいえ、だって今回は私が天狗に乗せられたり、間が悪かったりしたのは事実だもの」

 ぼそぼそと、自分の勘違いであることをレミリアは認めた。

「……わかってたんですか?」
「…………後で冷静になったら。でも」

 意地とかいろいろ邪魔して、彼の前に出られなかったのだ。
 ふう、と軽く息をついて、○○はレミリアの頭を撫でる。

「僕は、レミリアさんへの誤解が解けていたら十分ですよ」
「私は十分じゃない。だから、ごめんなさい」

 そして、手元の写真を取り出す。

「貴方が、私を想ってくれているのは、知っているはずなのに」
「それは?」
「天狗がくれたの」

 それは、レミリアと彼が一緒に写っている写真。楽しそうに笑い合っている写真。

「いつの間に撮られてたんでしょうか」
「さあ。まあ、別にいいけれど」

 この写真をもらったときに、文に言われたのだ。『貴女の側にいる彼が、一番幸せそうな顔をしているでしょう』と。
 本当は、あの翌日訪ねてきたときにこれを渡すつもりだったらしいが、なるほど間が悪かったものだ。

「ああでも、良かった」

 ○○はほっとしたように笑って、レミリアに写真を返した。

「もう会ってくれなかったらどうしようと、本気で思いました」
「本当に、もう会わないような気がした?」
「大げさだと理解はしてますけど。ここまで避けられると」
「……他のところに、行こうかと思った?」

 輝夜達が巫戯けて言っていたことを、尋ねてみる。彼はきょとんとして、即座に首を振った。

「それでも、僕が居るのは此処だけです」
「そう」

 嬉しそうに言って、レミリアは○○に抱きついた。つまらない意地は張ったけれど、それでもやはり彼女も彼が好きなのだ。
 もし他のところに連れて行かれていたとしたら……力ずくでも、取り戻しに行っただろう。



 しばらく抱き合っていて、ふと、彼は身体を離した。

「……そうだ、レミリアさん」
「ん?」
「これを、お渡ししないと」

 そう言って、持ってきていた箱をレミリアに渡す。あまり大きくない箱が、綺麗にリボンでラッピングされていた。

「私に?」
「ええ……大したものではないですが」
「それでも、嬉しいわ。ありがとう」

 少し小首を傾げて笑って、レミリアはリボンに手をかける。

「……これ」
「あはは、中々いいものが入らなかったのと……まあ、バタバタしたので、これだけですけれど」

 中に入っていたのは、柑橘系の香のする香水と、クリスタルで出来たイルカの置物。

「香霖堂に流れ着いてまして。イルカというのは珍しいかと」
「そうね、とても綺麗……」

 灯りに透かして飽きずに眺めていたレミリアが、ん、と声を上げた。

「外……」
「え? ああ、雪、ですか」
「どこかの雪女が降らせてるんでしょう、どうせ」

 レミリアは小さな小窓から見えるそれを少し眺めて、サイドボードの上に箱ごと置物と香水を置いた。
 そして、こちらに向き直る。

「……○○、ちょっと、後ろ向いてて」
「え? あ、はい」

 言われるままに、後ろを向いた。

「……えと、私からは何も用意してなくて」
「ああ、まあ、僕はここにいれるだけでも」

 しゅる、と布の擦れる音。

「でも、それはやっぱり嫌だから……ん、ちょっと難しいかな」

 羽がはためく音が少しだけして、布の音だけに戻る。何をしているのだろう。

「ん……出来上がり。いいわ、こっち向いて」
「はい。どうし……っ!」

 レミリアに向き直って、○○は息を飲んだ。
 ベッドの上にぺたりと腰を下ろして、手にはさっき渡したプレゼントの、リボンを巻いている。
 正確には、両手の手首にしっかりと、リボン結びで。

「これが、私からのプレゼント」
「………………」

 何と言えばいいのか。上目遣いにリボンを結んだ手を差し出してくる様の破壊力たるや、筆舌に尽くしがたい。

「その、こういうのは、嫌だった?」

 黙ったまま茫然としている彼に、レミリアが少し不安げに首を傾げる。
 即座に返答が出てこず、○○はただレミリアを抱き寄せた。

「あ、えと、その……もらって、くれる?」
「返せといわれても、返しませんよ。喜んでいただきます」
「ん、良かった……あ」

 口付けて、さらに強く抱きしめて。

「大好きです。愛してます、レミリアさん」
「ええ。私も、愛してる……」

 仲直りの意味もこめて囁いた言葉は優しくて。そして、とても、とても温かかった。






 翌日。

「積もりましたねー」
「積もったわねえ」

 廊下で二人して、真っ白になった庭の光景を眺めていた。

「あー、まだ降るかな。振り出すと買い出しがなあ」
「しばらくはいいじゃない」
「ん、まあ、そうですけど。つい習慣で」

 頬をかいて、レミリアをそっと引き寄せる。

「寒くありません?」
「大丈夫よ」

 丈夫だしね、と言って、レミリアは○○を見上げた。

「それより、昨晩の約束」
「ええ、しばらく出来る限り外出は控えますよ。側に居ますから」
「よろしい」

 ぽす、と○○によりかかって、レミリアは頬をほころばせる。

「……お二人とも、仲直りされたのはよろしいですけれど、廊下ではさすがに自重していただけますか」
「あら咲夜、紅茶が入った?」
「ええ。パチュリー様もお待ちです」
「そう。待たせちゃ悪いわね。行きましょうか」
「はい」

 ティールームに向かって歩き出しながら、レミリアが尋ねる。

「そういえば昨日のあれ、パチェ?」
「発案者は別の方ですが」
「ふーん……まあ、新年にでも何か送り付けましょうか」
「はい」
「え、何がですか?」
「ふふ、内緒。さ、急ぎましょう」

 楽しげに微笑って、レミリアは○○の手を引いた。



 この後、黒白やら紅白やら天狗やらの来訪により、また俄かに紅魔館は騒がしくなるのだが。
 そんな少々の騒動もその銀色の中に内包してしまったかのように、幻想郷は今日も平和だった。


新ろだ953
───────────────────────────────────────────────────────────

 年の瀬を控えた紅魔館。掃除も一段落した中、台所で料理をする姿が二つ。
 正確には、料理をしているのは一人だけなのだが。

「出来た?」
「もう少しですね。味見してみます?」
「ええ」

 甘えるような声色で、レミリアが○○の背中に飛びついた。

「っと、危ないですよ」
「貴方がしっかり立っててくれたら大丈夫」
「了解しました。では、どうぞ」

 作っていた料理――雑煮の出し汁を小皿に入れて、彼はレミリアに差し出した。

「熱いので気をつけて」
「わかったわ……ん、ちょっと薄いけど美味しいわね」

 少しずつ口をつけて、レミリアが評する。

「僕の地元……というか、僕の家がこういう味付けだったもので。少し濃くしますか?」
「ん、いいわ。美味しいし、貴方の作ってくれる味だもの」
「では、このままで」
「……お二人とも、妖精メイド達追い出して何なさってるのですか」

 どこか呆れたような咲夜の声が、台所の入り口から聞こえてきて、二人は振り返った。

「ああ、咲夜さん、ちょっと台所お借りして雑煮などを」
「それに追い出したわけじゃないわ。勝手に出ていったんだもの」

 ずれた返答を返す○○と、何でもないように返すレミリアに、咲夜は一つため息をついた。

「お嬢様が台所にいたら、妖精メイド達が怖がって近付けませんわ」
「○○だけだと大丈夫なのね。もう少し威厳を身につけなさい」
「善処します」

 困ったような微笑みを浮かべた彼に、咲夜がもう一つため息をつく。

「……どれくらいで出来上がりそう?」
「もうすぐ出来上がりますよ」
「では作ったら、少しここを空けてもらっていいかしら。今晩の準備もあるし」
「了解ですー。ああ、お餅だけ食べる直前に入れて煮るのですけど」
「作り方は私もわかるし大丈夫よ」
「では、それ以外は作ってしまいます。少々お待ちください」

 鼻歌でも歌うような楽しそうな気配で、○○は鍋に向き直った。
 その背中には、まだレミリアが乗っかって、料理を進める手つきを眺めている。
 羽がパタパタと動いてるのは、こちらも上機嫌だからだろう。
 その様子に、咲夜はやれやれと仕方無さそうに微笑む。

「手が空いたら、外の仕事している子達に差し入れをお願いしていいかしら?」
「ええ、承りましょう」
「私も行くわ」
「程々になさってくださいね」

 咲夜の言葉に、レミリアは判っているのかいないのか、パタ、と一つ羽を動かした。





「美鈴さーん、差し入れでーす」
「あ、ありがとうございまーす……お嬢様も!?」
「あら、私がいたら悪いかしら?」
「いえいえいえいえ、とんでもないです」

 雪かきをしていた美鈴は、手にしていた雪かき用のスコップを置いた。

「咲夜さんからです」
「ど、どうも……ああ、あったかい」

 水筒から注がれた紅茶のカップを手にして、美鈴は一つ白い息を吐く。
 そして、他に作業していた妖精メイド達にも休憩を指示した。

「随分と積もってるわねえ」
「ですね。冬の風物詩でもありますけど」

 レミリアは庭を見回して頷く。

「何か作れそうねえ」
「……作るんですか」
「そうね、雪だるまか何か、大きいのがいいわ」
「…………頑張ります」

 そう項垂れた美鈴は、レミリアの後ろに居た○○の姿がなくなったことに気が付く。
 レミリアも気が付いたようで、後ろを向いて呼びかけた。

「○○?」
「ああ、すみません」

 雪かきで集めた雪山の影から、彼がひょこと顔を出した。

「離れちゃダメじゃない、どうしたの?」
「いえ、これを作ってまして」

 差し出された手に乗っていたのは、小さな雪うさぎ。ハンカチの上に乗せて溶けないようにしている。

「本来耳と目はヒイラギとナンテンを使うんですが……まあ、代用品で」
「扱えないものねえ。ん、いいわね、これ」
「何か器に入れないと溶けてしまいますけどね」
「ええ、中に戻りましょうか……あ、美鈴」
「あ、はい、何でしょうか」
「これ、作って。大きいのを。フランにも見せたいわ」

 ○○から雪うさぎを受け取って、レミリアはそう微笑んだ。

「ああ、はい、これならすぐ作れると思います」
「よろしくお願いね」
「お任せください」

 美鈴も微笑ってその命令を受ける。それを満足そうに見て、○○を見上げた。

「戻りましょうか。パチェとフランのところに行きましょう」
「ええ、その前に咲夜さんに器をいただいてからですね。それでは、また」
「はい、また後で」

 一つ頭を下げると、美鈴は仲良く去っていく二人を見送った。

「仲良いなあ……まあ、この前みたいに喧嘩しているよりは全然いいかな」

 そう呟くと、スコップを再び手に取って未だ降り積もっている雪に向かっていった。





 ティールームでは、既にパチュリーとフランドールが待っていた。

「あらレミィ、遅かったわね」
「お姉さま、遅ーい」
「ごめんなさい、ちょっと寄り道していたの」

 そう言いながら、レミリアはフランドールの前に雪うさぎを置いた。

「わあ、どうしたのこれ?」
「○○が作ったのよ。そのうち大きいのが庭に出来るわ」

 パチュリーも本から視線を上げて、それを眺める。

「雪うさぎ、ね。相変わらずいろいろ作るのね」
「思いつくと唐突に作りたくなって」

 本当に相変わらずね、と言いながら、パチュリーは○○とレミリアを交互に眺めた。
 クリスマスでの喧嘩から仲直りして以来、二人は常に一緒に居る。
 いつもならば、どちらかが――主に彼の方があちこちふらふらしているのだが、ここのところそれも自重しているようだ。

「レミィの命令?」
「いいえ、どちらかというと……」
「○○、お蕎麦は温かいのにするのー?」

 フランドールが割り込んできて、会話が中断される。

「あ、はい、温かいのでお願いします。パチュリーさんも?」
「……ええ、お願いするわ」
「じゃあ、テラスに移動しましょう。間もなく日が変わるわ」

 楽しそうにしながら、レミリアは○○の袖を引く。

「ええ、では、いろいろ持って行きましょうか」

 ○○も頷いて、その場にあったティーセットを手にした。慣れているせいか妙に安定感がある。

「らぶらぶだー……」
「下手につつくと紅茶が甘くなるわよ」

 行きましょう、と、パチュリーはフランドールを促した。





「ああ、また雪ですね」
「そうね」

 ちらちらと降り続ける雪を眺めて、○○は息を吐く。

「星はよく見えるよー」
「すぐに止むかしら」
「ああ、雪うさぎも出来てるわね」

 テラスに用意され椅子に座りながら、レミリアは庭を眺めた。

「………………あんなサイズの雪うさぎ、僕は見るの初めてです」

 紅魔館の庭には、全長十メートルはあろうかという雪うさぎが出来上がっていた。
 雪祭りという単語が頭に浮かんだが、口にはしないでおく。きっと美鈴にとっての悲劇が起きる。

「割と楽しそうに作ってるわね」
「一緒にやりたいなー」

 吸血鬼姉妹は興味深そうにまだ大きくなっていく雪うさぎを見ている。
 二人とも興味が抑えられないのか、羽がパタパタ動いていた。

「……行ってきます?」
「いいわ、そろそろお蕎麦が来る頃だし」
「食べ終わってまだ作ってたら行って来るー」
「フランがいくなら私も行くわ。いいでしょう?」
「はい、お供します」
「私は見てるわ」

 用意されていたワインを口にしながら、パチュリーだけが冷静に答えた。





 咲夜に用意してもらった蕎麦と雑煮を、一緒に用意された蕎麦焼酎と一緒に平らげながら、○○は空を仰いだ。
 蕎麦と雑煮って一緒に食べるものだったか、と、どうでもいいことを思いながら星空を眺めて呟く。

「んー、初日の出はこの分だと見れそうかなあ」
「……太陽を楽しみにする吸血鬼ってきっと稀有よね」
「ああ、確かに。つい癖で」

 照れたように微笑って、彼は気分良さそうに椅子の背にもたれた。

「やっぱり焼酎はちょっと強いなあ……」
「本当に弱いよねー」
「もう少し強くなってもいいのに」

 散々に言われるが、彼はただ笑っただけだった。

「反論しないの?」
「出来るのならば」
「……まあ、確かにね」

 本に目を落として、パチュリーはグラスに口をつけた。それを見て、○○もグラスを空にする。

「ああもう、無理しないで」
「ん、大丈夫ですよ」
「そんなこと言って、結構飲んでるでしょう?」

 熱くなった頬に軽く触れられて、彼は頭をかいた。

「では、もうやめておきます……ああ、ありがとうございます」
「いいえ」

 水の入ったグラスを目の前に置いた咲夜に礼を言って、それを飲み干す。

「もう、学習能力が無いんだから」
「大丈夫ですよ、いつも程じゃないです」
「パチュリー、雪が溶けそうー……」
「全くね。溶けてしまう前に雪うさぎ作りに参加する?」
「行くー!」

 フランドールは椅子から立ち上がると、庭に向かって勢いよく飛んでいった。

「あ、フランばかり、私も……あ」
「いいですよ、行ってきてください」
「……ん、後で埋め合わせるわ」

 それだけの会話を交わして、レミリアもフランドールの飛んでいった方向を追いかける。
 きゃいきゃいともう雪うさぎと言っていいのかわからなくなったものの回りで遊ぶ姉妹を少し眺めて、パチュリーが口を開いた。

「……で、訊いてもいいの?」
「何をでしょう?」
「さっきの話。レミィの命令でない、っていう」
「ああ……大したことじゃないですよ。僕はしばらく館にいる、レミリアさんは僕の近くにいる、それだけです」

 照れたように頭をかきながら、彼は注がれた手元の水をもう一杯飲んだ。

「……両方ともレミィからの命令ではないの?」
「いえ、命令ではないですし、後者は僕ですからね。その、つい」
「…………いつそんな約束したかは聞かないほうが良さそうね」
「それだと助かります、まあその、あまり人に言うことでは」
「……それで大体理解したわ。了解」

 熱いことで、と言って、パチュリーは咲夜に追加を求めた。

「蕎麦焼酎で良いのですか?」
「素面で聞いてるのも恥ずかしいわ、全く。咲夜もどう?」
「多少ならば、お付き合いいたします」

 微苦笑して、咲夜はその案に乗った。





 遠く日が昇り始めて、吸血鬼達は館の中に戻る。パチュリーはもう少し星を眺めていると言って残った。

「今年の明星はどうかしらね」
「ん、勝つと妖怪の年になるってあれですか」

 うろ覚えの知識で、○○はベッドに腰を下ろした。

「ええ、暗黒の年になるの、素敵でしょう?」
「……何ともコメントしがたいですねえ」

 手招きしてレミリアを抱き上げながら困った表情をする。

「後で霊夢の顔見に行ってみましょうか。勝ったか負けたかすぐわかるわ」
「初詣がてら、ですか」
「ええ」

 上機嫌で擦り寄ってくるレミリアに軽く頷く。初詣する吸血鬼ってどうだろうと思ったが口には出さずにおいた。

「みんなで一緒に」
「そうですね……いろいろ準備して」
「いいわね」

 くすくす笑って、レミリアは彼に向き直るとベッドに倒した。

「じゃあ、少し休みましょう……さっきの埋め合わせも」
「僕が行っていいですよ、と言ったことですけど」
「それでも私の気が済まないの……約束だもの」

 すり、ともう一度胸元に擦り寄って、レミリアが甘えたような声を出す。

「それでは、こうしていましょうか」
「ん、よろしい」

 抱きしめ返すと、満足そうな声が返ってきた。

「大好きよ、○○」
「ええ、僕も、大好きですよ」

 楽しそうに笑い合って、○○は上掛けを取って自分達にかける。

「冷えないうちに、寝てしまいましょうか」
「そうね、おやすみ」
「はい、おやすみなさい」

 強く抱きしめて、彼も目を閉じた。
 また新しい一年が始まることに、今年も彼女の傍に居られることに感謝をしながら。




 今年もまた、良い一年でありますように。


新ろだ962
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 香霖堂で珍しいものを見つけた。

「あれ、へー、炭酸水か」
「ああ、この前流れてきたんだ、名称、用途ともにわかりやすいものだったよ」

 霖之助はそういって、手元の何かを机の上に置いた。

「飲んでもあまり美味しいとは言いがたくてね」
「まあ、何かを割るときに使うものですからねえ。そうだ、ワインとかあります?」
「君のいるところのに比べたら安酒だけれどね。味も香りもそんなに楽しめるものではないよ」
「安酒でもいいんですよ」

 彼は笑って、グラスに差し出されたワインを入れ、炭酸水を注いだ。

「おいおい」
「まあ、そういわず一つ。安い酒でも、こうするとなかなかいけるものです」

 霖之助にも勧めて、彼はグラスを傾けた。こうすると安いワインでもなかなか飲めるものなのだ。
 学生時代によくやった。懐かしいとも思う。

「……意外だな、こういう飲み方もあるんだね」
「でしょう? 外に居た頃はたまに飲んでました。まあ、好き嫌いがあるのと邪道なのは理解してます」
「なるほどね。まあでも、だとすると、君のご主人に知られると怒られるんじゃないかな?」
「あー、レミリアさんは怒りそうですねえ、こういう飲み方」

 そう言いながら、もう一口にすする。

「私が何だって?」

 吹きかけた。

「おや、いらっしゃい。お一人かい?」
「ええ、一人よ。咲夜は里に買い物。お邪魔するわね。○○がこっちに来てるって聞いたから寄ってみたんだけど」

 ゴホゴホとむせているこちらを見ながら、店にやって来たレミリアが首を傾げる。

「何、何か飲んでたの?」
「あ、ああ、ええ」

 グラスをカウンターに置きながら、○○は応えた。

「ワインの炭酸割り、だそうだ。外に居た頃飲んでたそうだよ」

 霖之助が、彼に代わって説明する。レミリアはその説明に頷いて、○○の置いたグラスに視線を向けた。

「……飲んでみて、いい?」
「……いいですけど、レミリアさんの舌に合うかどうか」
「安い酒を飲みやすくしていたそうだよ。ということで、それも安酒だ」

 霖之助があっさりと言う。飲んだ後に何だかんだといちゃもんをつけられてはかなわないと思ったのだろうか。

「ふーん……まあ、物は試しよね」

 そう言って、レミリアは手に取ったグラスを傾ける。こくん、と喉が鳴った。

「…………安酒ね」
「……ええ、ええと、まあ」

 しばらく考えていたが、レミリアは一つため息をついてグラスを置いた。

「まあ、庶民の飲み物、って感じだけど、飲めないわけじゃないわね」
「それなら、いいのですけれど」

 ほっとしたように○○が応える。

「文句を言うとでも思った?」
「物凄く美味しい、とは言えないものだと思いますので」
「でも、向こうではよく飲んでたんでしょう?」
「結構、好きだったんですよ、飲みやすくて」
「○○はお酒弱いものねえ……」

 楽しげに会話するのを見遣って、霖之助は手元のグラスを手に取った。さすがに話しかける無粋はしないらしい。
 それをわかってかわかっていないのか、それとも構いもしないのか、レミリアは○○の襟元に手を伸ばした。

「でも、口直しは必要よねえ……?」
「……レミリアさん、何狙っておられますか?」

 嫌な予感に身体を引こうとするが、しっかりと掴まれていて逃げられない。

「ね?」
「ちょ、待ってください、人が見て――っ」

 霖之助の見ている前で、いきなり○○を引き寄せたかと思うと、レミリアは彼の首筋に牙を立てた。
 血を吸う音が聞こえ、しばらくの後の口を離す。

「ん……ふっ……はあ、ごちそうさま」
「……あー、その……」

 困ったように頭をかく○○と満足そうなレミリアを交互に見遣って、霖之助が深々とため息を吐く。

「…………とりあえず、そういうことは外でやってくれないか」
「すみません、香霖さん」
「君達の仲が良いのはよく知っているけれどね」

 どこかぐったりとする霖之助に申し訳なさそうに謝っていると、店のドアが乱暴に開いた。

「お、珍しい、お前らがいるなんて」
「あら、魔理沙」
「どうも」
「……今日ほど君の来訪が有り難いと思ったことはないよ」

 霖之助の言葉に一瞬不思議そうな顔をして、すぐに合点がいったように魔理沙は笑った。

「あはは、なるほど。私たちの苦労がわかったか香霖」
「苦労って何よ、ねえ、○○」
「まあ、何とも」

 見上げてくる主に少しだけ微笑んで、○○は返事をはぐらかせた。



「年始から妙にべったりだよな、お前ら」
「別に、そういうわけでは」

 咲夜がこちらに来るらしく、それまで待機することになった吸血鬼主従と魔理沙と霖之助で簡単な茶会となった。
 茶会といいつつ、飲んでるのもワインがあったり紅茶があったり緑茶があったりと、かなりフリーダムだが。

「普通よ、魔理沙」
「……普通はそういう風に膝の上に乗ったりしないものだと思うぜ」
「席がないんだからいいじゃない」

 空ければ席が出来るのだから、これは我侭以外の何ものでもない。

「いつもこうなのかい?」
「いつも……かな?」

 炭酸割りのワインを啜りながら、○○は首を傾げた。

「いつもだいつも。私が行ったときは大概そうだろう」
「いいじゃない別に。○○は私のものなんだもの。私がどうしようと勝手でしょ」

 満足そうにレミリアは言って、○○の手からワインを奪った。

「あ、レミリアさん」
「大丈夫よ、今度は悪ふざけはしないわ」
「……まったく、早く咲夜来ないかな、と、噂をすれば何とやら、待ち人来るって奴か」
「あら、待たれていたのかしら」

 咲夜は入るなりの言葉に首を傾げ、ついで奥の主達を見て事態を理解したようだった。

「お嬢様、ご自重なさってください」
「ん、考えておくわ」

 そう言いつつ、○○の膝の上から降りる様子はないし、彼も困りながらも下ろす様子はない。
 それを見ながら、魔理沙は仕方なさそうに笑った。

「被害拡大、だな、香霖」
「やれやれ、僕としては商売の邪魔にならなければいいんだけどね」

 後場所をわきまえてもらえれば、と言う言葉は、楽しそうな主従達にはどうやら届いていないようであった。



新ろだ2-050
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「あ、やばい」
「ん、どうしたんだい?」

 里からの使いで香霖堂にきていた○○は、窓から空を見上げて顔をしかめた。

「雨です」
「ああ、午後から丸一日降る感じだ、とか聞いたね」
「……どうしよう」

 頭を抱えて、○○は壁にもたれた。霖之助は首を傾げ、合点がいったように手を打った。

「ああそうか、君も流水が駄目だったな。らしくないから、君が何なのかつい忘れる」
「そうなんですよ。すみませんが、香霖さん、手伝いするんで雨が止むまで雨宿りさせていただけませんか」
「ああ、僕は構わないよ。いろいろ外からの物についての談義もできそうだからね。だが君の方はいいのかい?」
「うーん、それなんですよねえ……里からの用事も完遂できてないし」

 香霖堂に荷物を持ってきて、それと引き換えにするものを里に持って帰って、今日の仕事は終わるはずだった。
 雲行きが妖しくなっていたのは知っていたが、仕事を途中で放り出すことも出来なかった。
 昔からの性格と、吸血鬼になってからの『里に仕事に出た際は、依頼を受ける』が変に曖昧な約束となっていたらしい。
 今度もっと細かく約束決めておこう、と決意していると、香霖堂に客が入ってきた。

「いらっしゃい」
「お邪魔する。ああ、やっぱりここにいた」
「慧音さん、すみません、ちょっと帰れそうにないです」

 わかっている、と慧音は頷く。

「貴方の仕事は私が引き継ぐ。帰り掛けに紅魔館にも連絡しておこう」
「ありがとうございます」
「何、きちんと伝えておかないと私が殺されかねない」

 冗談めかして笑い、慧音は丁寧な口調で霖之助に告げた。

「申し訳ありませんが、彼をお願いできますか」
「構わないよ、手伝いもしてくれるようだし」

 頷いて、慧音は○○に訊ねる。

「すまないな、私のミスだ。何か伝えておくことはあるか?」
「雨が上がり次第、すぐに戻ります、と」
「わかった、では、失礼する」

 霖之助から商品を受け取って、慧音が香霖堂を出て行く。

「あー、しかし迂闊だったなあ……」
「まあ、現状は変らないさ。ところで、この前見つけてきたこれなんだが……」

 ごそごそと近くの箱からいろいろ物を取り出しながら、霖之助は気落ちしている○○に話題を振った。





 雨に煙る紅魔館。その客間で、既に起きて来ていたレミリアに、慧音が謝罪していた。

「……そう、香霖堂にね」
「ああ、真に申し訳ない」
「雨ならば仕方が無いわ」

 レミリアは静かに言うと、咲夜に視線を向けた。

「後で香霖堂に使いに立ってもらうわね、咲夜」
「はい、かしこまりました」

 一礼した咲夜に頷き返すと、レミリアは大きくため息をついた。

「今まで起こらなかったのが不思議なくらいね、白沢」
「まったくだ。そもそも雨の多い時期には出てこなかったりしていたしな」
「次からは気を付けさせるわ。そちらも、雲行きが怪しくなったらすぐに帰らせる等して欲しい」
「わかった」

 頷いた慧音に頷き返して、レミリアは態度を崩す。

「ご苦労様。貴女も仕事の途中なんでしょう?」
「後は荷物を里に届けるくらいだから、何と言うことはない」

 慧音も微苦笑して、気配を和らげた。

「ただ、彼に頼ってばかりのところはあったな。反省している」
「こちらも○○の好きにさせていたからね」

 レミリアは紅茶のカップを軽く弾く。

「帰ってきたら、しばらくは里に出させないようにするわ」
「了解した」

 レミリアの言葉の中にあるものを理解した慧音は頷いて、時計を見上げた。そして、近くに置いていた帽子を手に取る。

「では、私はそろそろお暇するとしよう」
「手間を取らせたわね。咲夜」
「はい」

 慧音はレミリアに一礼し、咲夜に案内されて客間を出て行った。
 それを見送った後、レミリアはソファに沈み込むように力を抜いた。

「……○○の、馬鹿」





「それでこれが……ん?」

 気晴らしにと会話してい最中、店の扉が開く音に霖之助は顔を上げた。

「やあ、いらっしゃい」
「失礼しますわ」
「ああ、咲夜さん。外はまだ」
「ええ、強い雨よ」

 呆れたように微笑んで、咲夜は霖之助に持っていた袋を渡した。

「こちらはお嬢様から店主殿に」
「これは?」
「手間賃、とのことです。世話をかけてすまないと」

 中を確かめて、霖之助は軽く頷いた。

「ありがたく頂いておくよ」
「はい。さて、○○さん」
「わかってます。レミリアさんは怒ってらっしゃいましたか?」
「むしろ呆れてたわね。『雨が上がったらすぐに帰ってきなさい』だそうよ」
「了解しましたー……雨さえ降ってなければ、飛んででも帰るんですけど」

 微苦笑しつつ、○○は髪をかき回す。咲夜も仕方ない、というように微笑みながら軽いため息をついた。

「伝えておくわね。後何かある?」
「いえ、出来るだけ早く帰る、ということしか」
「了解。では、私は帰るわね」

 一礼して出て行く咲夜を見送って、○○は大きくため息をついた。

「怒ってるかなあ」
「さてね、女性の心理ばかりは何とも難しい。ところで、いただいたこれを早速飲もうかと思うんだがどうだい?」
「いただきます」

 袋から取り出されたウイスキーのビンを見て、○○は軽く頷いた。





「……………………」

 ベッドの上で横になりながら、レミリアはぼんやりと部屋を眺めていた。

「……こんなに、広かったかしら」

 ころん、と転がって、普段は彼がいる場所にぽす、と手を置いてみる。
 当然だが何の感触も無く、一つ大きく息を吐いた。

「……暇ね」

 ころんころんと転がりながら呟く。妙に広く感じるベッドが、何だか物足りない。
 図書館にでも行こうか。そう思って身体を起こす。一人きりだと、どうもいろいろ考えていけない。
 寂しいのか、と自分の中の何かに問われた気がして、レミリアは紅い瞳を切なげに伏せた。

「……寂しい、なんて」

 夜の王には必要の無い感情。そのはずだ。
 それでも、彼がいないと言うその一点だけで、こんなにも気分が乱される。
 ふるふると強く首を振って、レミリアは自室の扉を力強く開いた。
 蝶番が妙な音を立てたが、気にも留めず彼女は図書館へと歩き出した。





「んー、これはまた珍しい。久々に見るなあ」
「ほう、君は使ったことが?」
「これと全く同じではないですし子供の頃ですけどね。幻想入りしちゃったのか……」

 ウイスキーグラスの中身をちびちび舐めながら、彼は霖之助が集めてきた外来品を眺めていた。
 今手にしているのは携帯型ゲームの走りの頃の物だったりする。

「河童の人たちが見たら喜びそうですねえ」
「持ってかれないように気を付けているよ」

 グラスを傾けながら、霖之助が応じる。そして、カウンターの上にことりと音を立ててグラスを置いた。

「さて、だいぶ落ち着いたようだね」
「え?」
「雨が降り出した辺りは大分混乱していたようだからね。錯乱かな、君にしては珍しい」
「……そんな風になっていましたか」
「心此処に有らずで外ばかり見ていればね」
「まあ、帰りたいのは事実ですけれど、そこまでなっていましたか」

 ○○は苦笑して、ウイスキーを舐めた。舌がひり付く様な感覚が、逆に落ち着く。

「犬が飼い主の所に帰りたがる心理かな?」
「確かにレミリアさんは主ですけれど、僕は犬ですか」
「似ているかもしれないよ、悪魔と言うのは契約に従順だからね」

 霖之助はそう言って、グラスにウイスキーを注いだ。

「別に、契約だからってわけじゃないですよ」
「ふむ。まあ君は、自ら望んで吸血鬼になったわけだしね、見解も違うか」
「まあ、悪魔が契約や約束を守る、というのは同感ですけれどね」

 微笑して、○○は認める。彼の気性と性質が現在の状況を呼び寄せたのも事実であるから。

「でも、僕はただ、レミリアさんを愛しているだけですよ」
「これはまた、凄い発言が出たものだ」

 呆れたような苦笑を浮かべて、霖之助は肩を竦めた。

「僕が帰る場所は、結局のところレミリアさんの傍なんです。一番落ち着けるところというのかな」
「……そういえば何だかんだと、君が紅魔館を丸一日離れたことはなかったね」
「そうですね。だからなのかな、妙に落ち着かないんです。早く帰りたい、逢いたいと。重症なのも理解はしてるんですが」
「かなりの重態だね。いや、瀕死かな」

 ○○は笑って頷くと、また外を眺めた。

「明日の午後には止むんですよね」
「まあ、この時期だしそこまで長続きはしないだろう。梅雨時だと大変だっただろうけれどね」
「長雨には本当に注意します」
「次からはそういうときは君のお嬢様が外に出さなくなるような気がするけれどね」

 再びグラスを傾けながら、霖之助は笑う。

「ですかね、今回のことも帰ったらだいぶ怒られそうですけれど」
「どうかな。怒るよりも先に、帰ったら喜ぶんじゃないかね」

 そうだと嬉しい、と微笑んで、○○はグラスの中身をぐっとあおった。
 喉を焼く熱さにむせながらため息をついて、酔いが回ったような声で呻く。

「帰りたいなあ……レミリアさん……」
「本当に重症だね」

 苦笑しながら、霖之助はもう一杯、彼のグラスにウイスキーを注いでくれた。





 図書館に踏み入れたレミリアはきょろきょろと見回して、親友がいつもの場所にいることを確認した。

「パチェー」
「あら、レミィ。珍しいわね」
「ちょっとね」

 パチュリーの目の前の椅子に座ると、小悪魔が紅茶を持ってきた。受け取って、一つ息をつく。

「先に言っておくけど、いくら私でも、香霖堂までの道の雨は止ませられないわよ?」
「そんな無理は言ってないわよ」

 心外、とでも言うように、レミリアは返した。

「あらそう? 出来るなら今すぐにでも迎えに行きたいって顔だけど」
「そんな顔なんてしてない」

 むう、とむくれて、紅茶のカップを傾ける。温かいそれは、少し落ち着く気がした。

「ここにきても退屈が紛れるわけじゃないわよ」
「わかってるわよ、そんなの」
「……大事なのは、それでも尚、ここに来なければならなかった理由かしら?」

 パチュリーに言われて、レミリアは押し黙る。

「寂しいと思うのは、罪ではないと思うけれど」
「……私は、吸血鬼よ、パチェ」
「わかっているわ。だから敢えて言うの」

 そう、パチュリーは紅茶のカップを手に取った。

「それに、別に口に出せなんて言ってないのよ」
「暗に言っているように聞こえるわ」

 不満そうな声で、レミリアは応じた。そして、しばらくカップを見つめた後、口を開く。

「……落ち着かないの」

 パチュリーはカップをソーサーに戻すと、黙ったまま本をめくる。レミリアは構わず続けた。

「妙に部屋が広いのよ。空間に何か足りないの」
「…………」
「テーブルもベッドも、何もかも広すぎて嫌になるの。前までは、そんなこと思いもしなかったのに」

 足りないの、とレミリアは紅茶に視線を落とす。

「……重症ね」

 ため息をついて、パチュリーは魔道書の続きに目を走らせた。

「……ねえ、パチェ」
「何?」
「……私は、寂しいのかしら」
「…………訊く相手が、違うんじゃないかしら?」
「………………かも、しれないわ」

 そう呟いて、レミリアは再び、大きくため息をついた。





 翌日昼前、香霖堂に入ってきた魔理沙は、挨拶と共に呆れた声を上げた。

「よう、香霖……って、何か死んでるのがいるな」
「雨に降られてこの有様だよ」

 椅子に座ってテーブルに突っ伏して寝ている○○を見て、霖之助が応じる。

「僕は適当に休ませてもらったんだがね、しばらく外を見てると言って」
「で、これってことか。しかし、随分惚気を聞かされたんじゃないか?」
「男同士だから話せるってこともあるさ」

 魔理沙に緑茶を淹れてやりながら、霖之助は軽く応じる。

「……ん」
「あ、起きた」

 頭を起こした○○は、眠そうな目で周りを見回すと落胆したような表情になった。
 だがすぐに我に返ったように、魔理沙に目を留めた。

「あれ、おはようございます、魔理沙さん」
「よう、おはよう。随分寝起きは悪そうだな」
「いやはや、椅子で寝てしまうとは。すいません、おはようございます、香霖さん」
「おはよう。構わないさ」

 片手を振った霖之助に一礼して、○○は外を見てがたんと立ち上がる。雲の切れ目から陽の光が差し込んでいた。

「雨、止みましたか」
「いや、まだ少し降って……っと、待て待て!」
「まだ完全に止んだわけではないよ。もう少し待つといい」

 ドアに向かっていこうとする○○を、魔理沙と霖之助で制する。

「……ですか」
「ったく、香霖の苦労がわかるぜ」

 魔理沙が苦笑して、帽子をテーブルに置いた。

「面目ない。どうも気が逸って」
「雲が完全に切れてしまってからでも遅くはないさ。ほら」

 指す先では、雲がどんどんと晴れていく様子が伺えた。
 しばらくそれをもどかしそうに見ていたが、完全に雨雲らしきものが見えなくなってきた辺りで、彼はドアノブに手をかけた。

「香霖さん、そろそろ帰ります。今日はありがとうございました」
「いいさ、また別の形で返してもらえれば」
「はい、必ず。魔理沙さんも、また」
「ああ、またそのうち行くからよろしくな」

 笑って返して、○○は外に飛び出した。それを見送って、やれやれと魔理沙は息を吐く。

「……今日は紅魔館に行かない方が良さそうだな」
「おや、からかうネタになるんじゃないか?」
「糖分の取りすぎは身体に悪い」

 肩を竦める魔理沙に、まったくだ、と霖之助も笑った。







「雨、止んだわね」
「はい、お嬢様」

 本来もう眠る時間はとうに過ぎていると言うのに、レミリアはまだ外を眺めていた。

「……ん、帰ってきた」
「お嬢様?」

 咲夜の問いに答えず、レミリアは階下に下りて玄関に向かう。
 扉を開けると、全速で走ってきたらしい○○が、門の美鈴に声をかけてこちらに向かってくるところだった。

「○○……」

 呟くが早いか、自分でも気が付かないままに駆け出していた。

「あ、レミリアさん……っ!?」

 こちらも駆け出そうとしていたらしい彼に飛びつくように激突し――

「おわっ!?」

 彼がバランスを崩して後ろに倒れこむのを、抱きついたままレミリアは感じていた。

「つつつ……ただいま戻りました、レミリアさん」
「遅いわ、○○」
「すみません」

 胸に顔を埋めたままの彼女に、身体を起こした○○は謝罪してきた。

「ですが、今は曇ってるから良かったものの、晴れてたらどうするつもりだったんですか」
「そのときはそのときよ」

 顔を埋めたまま言う。どうしてこんなことをしたのか自分でもわからないが、少なくとも顔が上げられる状況ではなかった。

「……レミリアさん」
「何」
「……ただいま」
「…………お帰りなさい」

 優しい声に、少しだけ顔を上げる。柔らかい微笑みがこちらに向いていて、頬が紅くなった。
 誤魔化すように服に顔を押し付ける。

「ああ、昨日仕事したままですからね。汗臭いですか?」
「……そうでも、ないわ」

 むしろ、どこか落ち着く匂いで、レミリアはそのまま抱きしめる。

「……あの、レミリアさん、これはこれで非常に嬉しいのですが、その、そろそろ中に入らないと」

 言われて、ここが玄関先、というか中庭であることを思い出した。
 慌てて離れて、真っ赤な顔を誤魔化すように首を振る。

「……お嬢様」
「咲夜」

 念のためにか日傘を差しかけてくれていた咲夜にも今気が付く。
 意識せずとはいえ、人の目にも着きかねないところで一体何をやっていたのか。
 動揺する心を抑えながら、レミリアは○○に囁いた。

「……○○、湯浴みが終わったら、部屋に来て」
「はい」
「…………待ってるから」

 それだけを告げて、先にレミリアは館の中に戻っていった。





「お疲れ様、○○さん」
「ええ、ご迷惑を」

 さっさと戻って湯浴みを終えた○○は、廊下の先を歩く咲夜に対して頷き返す。

「お嬢様、随分と待っていたから。次からは気をつけないと駄目よ」
「ええ、本当に痛感してます」

 微笑いながら、○○は頬をかいた。

「さ、着いたわ。私は紅茶だけ淹れたらすぐに退散するから」
「……すみません」

 咲夜は微笑むと、ノックをして許可を取って中に入る。

「ご苦労様。そして、お帰りなさい、○○」
「はい」

 ○○がレミリアの傍まで言ったのを見て、咲夜は手早く紅茶を用意した。

「では、お嬢様」
「ええ、後はよろしく」

 部屋を出て行く咲夜を見送った後、レミリアは○○の袖を引いた。

「レミリアさん?」
「○○」

 腕を伸ばされ、○○はその求めに従って小柄なその身体を抱き上げる。
 レミリアの体温は少し低くて、そのひんやりとした感覚が何だか彼を落ち着かせた。

「運んで」
「はい。もう休まれます?」
「ええ」

 丁寧に抱き上げて運びながら、紅茶のカップだけサイドボードに移しておく。

「随分器用になったわね」
「まあ、多少は」
「……ね、○○」

 ベッドに下ろしてもらいながら、レミリアはそのまま○○を引っ張った。

「……貴方のいない部屋は、広かったわ」
「…………はい」
「どこかが抜け落ちた気がして、落ち着かなかった」

 そう言って、レミリアは○○の腕を強引に枕にする。

「早々に寝ようかと思ったけど、寝れなかったわ」
「はい」
「……どこも、広すぎたの。私だけじゃ、もう広すぎる」

 擦り寄ってきながら、レミリアは囁くように告げた。

「……僕は、いていいってことですか?」
「いなきゃ駄目、ってこと」

 服をぎゅっと掴んで、レミリアは紅い顔を隠すように肩口に顔を寄せた。

「貴方は? ○○はどうなのかしら? 私がいなかったら……ん」

 言いかけた言葉を口付けで遮って、○○はレミリアを抱き寄せた。

「早く帰りたくてたまりませんでしたよ」
「……うん」
「傍にいられないとか、帰れないってことが、こんなに落ち着かないものなんて思いもしなかった」

 それがもし、言われたように帰巣本能のようなものであったとしても。
 不慮の事態であっても、いや不慮の事態だったからこそ、愛する人の傍にいられないことが耐えがたかった。

「……次からは、絶対こんなことないようにしますから」
「お願いね。白沢にも約束させたけれど、貴方自身も気を付けて」

 抱きしめられるがままになりながら、レミリアが、それと、と続ける。

「……しばらく、傍にいて」
「はい」
「二、三日でいいから。この気持ちが落ち着くまで、一緒に」
「いくらでも」

 少しまだ不安げなレミリアをさらに強く抱きしめて、○○は一つ息をついた。
 自分が寂しがっていたように、レミリアもまた寂しいと感じていてくれたのだろうか。
 だとするならば、これほど嬉しいことはない、と思う。
 想いが一方だけでなく、双方向であるというのは、本当に幸せなことだ。

「○○」
「はい」
「……また、キス、して」
「……はい」

 常にないおねだりに少しだけ動揺しながらも、○○はレミリアの口唇を塞ぐ。

「ん……ぁ……ありがと。やっぱり、安心するわ……」
「落ち着き、ますか?」
「ええ、とても」

 レミリアは満足そうに微笑んだ。
 情欲を煽るものではない、親愛の情のこもった口付け。
 不安な心を落ち着けるには、最適のものなのかもしれない。

「……寝ましょうか」
「そうですね。おやすみなさい」
「ええ、おやすみ……○○」
「はい……っ!?」

 レミリアから不意打ちに近いキスをされて、○○は目を丸くする。

「ふふ、お返し、よ。おやすみなさい……」
「眠れなくさせる気ですか、全く……おやすみなさい」

 ぬくもりを感じながら目を閉じる。閉じれば、あまり意識していなかった睡魔が一気に襲ってきた。
 腕の中でレミリアが身動ぎするのを感じながら、○○は大人しく意識を手放すことにした。



 しばらくの後、陽の光の入らぬ一室では、穏やかに寝息を立てる二人の吸血鬼の姿があった。


新ろだ2-150
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「抱きつかれたいとき、かあ」

 ふむ、と手にしたアンケートを眺めて、○○は首を傾げた。

「……帰ってきたときに抱きついてくれると嬉しいだろうなあ」

 考えながら、アンケートにペンを走らせる。

「でも、寝ているときに抱きついてくれるのは嬉しいな」

 それは確定なので問題ない。
 自然に頬が緩む。あまり人に見せられない顔になってるだろうなあ、と思いながら顔を叩いた。

「後は、抱きつきたいとき、か。いつもとか言ったら怒られるな」

 それでも、ふと抱きつきたくなるときはあるのだ。
 嬉しそうな笑顔を見たとき、とか。
 羽をぴょこぴょこさせながら、上機嫌で歩いているとき、とか。
 風呂上りに、楽しそうに一日あったことを教えてくれるとき、とか。
 正面からでも、背中からでも、ぎゅっと抱きしめたくなる。
 二人きりのときならばそれも許してくれるだろうが、人目があったら怒られる。

「僕が覚えてないときも多いけど」

 クリスマスとか月見とか。それでも、何だかんだと最後には許してくれるのだ。

「んー、こんなもんかな」

 書きあがったら、レミリアの顔を見たくなった。
 いきなり抱きしめたら怒られるだろうか。怒られてもいい。どうせ一緒にいるのは咲夜だけだろう。
 窓を向くと、鴉が待機していた。アンケート回収係なのだろう。

「お待たせしました。はい」

 ついでに木の実をやると、カア、と一声鳴いて鴉は飛び去っていった。
 それを見遣った後、さて、と○○は部屋の外に出る。

「レミリアさんを探しますかね」






「うー……」
「お嬢様? どうなさいました?」
「い、いえ、何でもないわ」

 紅茶を頂戴、と咲夜に告げて、レミリアはアンケートとのにらめっこに入った。

「抱きつきたいとき、抱きつかれたいとき、ねえ」

 レミリアは小さく呟いた。

「……何だかんだで、よく抱きしめられてる気がするのよね」

 油断すると、ひょいと抱きしめてくる。

「……別にいいんだけど、あまり羽とかは……」

 あまり触られているとくすぐったいから、程ほどにするように、といつも言っているのだが。
 ふう、とため息をついて、アンケートを再び眺める。抱きつきたいとき、と呟いた。
 抱きつく、とは少し違うかもしれないが、くっついていたいときは、ないわけではない。
 寝ているときは――あれは向こうが手を広げてくるからだけれど、抱きつくわけだし。
 ああでも、ふとしたときに抱きつきたくなることは、ないわけでは、ない。
 こちらに向かって、優しい笑顔を向けているとき、とか。
 咲夜に代わって紅茶を淹れてくれてるときの、真剣な表情を見たとき、とか。
 少し難しそうな顔をして、本を眺めているとき、とか。
 不意に、ぎゅっと抱きしめたくなる。きっとそういうことをしても、彼は微笑って抱き返してくれるのだろうけれど。

「……こんな感じかしら」

 言いながら、レミリアはペンを走らせた。咲夜に紅茶をもらって、訊ねる。

「○○はどこにいるかしら?」
「今は部屋にいると思いますけれど」
「じゃあ、呼んできてもらえる? 後、これをその辺りに鴉か天狗がいるはずだから、渡しておいて」
「かしこまりました」

 咲夜が部屋を出るのと入れ違いに、○○が入ってきた。

「随分早いわね、今呼びに行かせたのに」
「僕がこちらに向かってもいましたから。レミリアさん」
「ん」

 差し出された腕に抵抗せず、レミリアは彼の腕の中におさまった。

「どうしたの、急に」
「急に抱きしめたくなったんです。駄目でした?」
「いいえ、私も、こうしたかったから」

 レミリアも、彼の首に腕を回す。そのまま、軽く、彼の口唇を奪った。

「っ!? レミリアさん?」
「たまには、不意打ちもいいでしょ?」
「……唐突過ぎますよ」

 そう言いつつ、彼も優しい口付けを、レミリアに返してくれる。

「ね、もっと、強くぎゅっとしていて」
「はい」

 少し強くなった腕の力に満足して、レミリアは頬を摺り寄せた。

「随分、甘えたがりですね」
「いいじゃない。たまには」
「たまに、ですか?」
「ええ、たまに、よ」

 そう言いながら、レミリアは○○に、もう一度口付けた。







「とりあえず相変わらずと言うか何と言うか……」
「ああ、いた。本当に館の中にいたのね。何してるの?」

 テラスの隅。咲夜は鴉を相手に何かしている文を発見した。

「ああ、咲夜さん、これを……って、そちらはレミリアさんのですか」

 文に紙を渡しながら、逆に差し出された紙を眺めて、咲夜は軽いため息をついた。

「アンケート、ね」
「ええ、アンケートです。これは○○さんに書いていただいたものですね。で、今いただいたのがレミリアさん、と」

 中を確認して、文はそちらも咲夜に見せる。

「本当にお二人とも相変わらずといいますか」
「……了解、しばらく紅魔館には近寄らない方が良いかもしれないわね」
「やっぱり甘々になりますかー。ですが、館のみなさんは?」
「慣れてるわよみんな」

 やれやれ、とため息をついて、咲夜はアンケートを返す。

「さて、私は仕事に戻るわ。貴女も見逃すから早く帰りなさい」
「そうですねー。そろそろ新聞にもまとめないといけませんし」

 では、と、文は立ち去っていく。それを見送って、咲夜も館の中に戻っていく。
 しばらくは、ずっとくっついている主と彼の姿が見受けられるはずだ。
 とりあえず、場所と時間は選ぶように後々忠言しておこうと決めながら、咲夜は館内の仕事に戻る。
 どうせ今は入れる状況ではないだろうから、次に紅茶のおかわりを求められたときにでも伝えよう。
 空気を読むのも、従者としては大事なことなのだ。


 兎にも角にも、紅魔館は今日も平和である。


新ろだ2-162
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「くー……」
「はてさて、どうしたものですかね」

 だらしなくソファに転がった青年は、自分の上で寝ているレミリアの髪を撫でながら呟いた。
 梅雨時は暇だ。外には出れず、やることと言えば読書やボードゲームといったことだけ。
 今日も下手ながらもレミリアのチェスの相手をしていたのだが、レミリアが少し疲れたといって――この状態である。

「まあ、今日は少し早かったしなあ」

 しかし胸元にひっつくようにして眠られては、身動きも出来ない。
 申し訳なく思いつつも、手の届く位置に置いてある鈴を振った。

「お呼びでしょうか……あら」
「すみません咲夜さん、呼び出して」

 鈴が鳴ると同時に現れた咲夜に、○○はすまなそうに片手を上げた。
 咲夜は即座に状況を理解したらしく、軽く了解の意を示すように頷く。

「いいのよ、貴方も客人なんだから。で、どうする? 紅茶か何か持ってくる?」
「すみません、お願いします。ああ、本も一冊二冊持ってきていただけませんか。それと、薄掛けを一枚」
「了解。では、少し待ってて」

 さっと消えた咲夜は、すぐに注文したものを持ってきた。

「はい。では、また何かあったら呼んで」
「すみません、ありがとうございます」
「いいのよ、お嬢様第一なのは変わらないんだから。私は仕事に戻るわね」
「はい」

 咲夜を見送って、○○は薄掛けをレミリアにかけると、手元の本を開いた。
 とにかく、レミリアが起きるまでの暇は潰せそうだ。




「……しかし自堕落な格好だな」

 手持ち無沙汰にレミリアの羽を撫でながら、○○は呟いた。
 片足を床に投げ出すようにしてソファに横になっていて、身体の上にはレミリアがいて、片手には本。
 手の届く場所には入れてもらった紅茶。
 とにかく、駄目な人間――自分は人間ではもうないが、その見本のような格好だ。

「……まあいいか」

 呟いて、羽を撫でるのを再開する。○○は羽を撫でるのが好きだった。
 自分にはないものだから気になるというのもあるし、何より触っていて気持ちいい。
 付け根から先の方までをなぞり、皮膜を軽く撫でる。いつもながら不思議な感触だが、それがたまらない。
 普段はくすぐったいからと途中で怒られるのだが、熟睡しているらしく文句もない。
 ぴく、と動くのは反射なのだろうか。微笑ましく思いながら、手元の本に視線を落とした。
 内容はあまり頭に入っていない。指先の感触にどうしても気を取られてしまう。
 羽だけでなく、髪も撫でてみる。さらさらとした感触が指の間にこぼれた。
 自然に笑みが浮かぶ。寝所でも思うが、この触り心地には何も敵わないだろう。
 もう読書が主なのか撫でてる方が主なのかわからなくなってきた。 

「……よし」

 本を閉じて、テーブルの上に置く。
 読書を放棄することにした。




 片手で抱き寄せて、髪を撫でる。梳くように髪の間に指を通して、丁寧に。
 さらりと指からこぼれる感覚を楽しむように、何度も何度も。
 テーブルの上の灯りに照らされた銀糸が、きらきらときらめく。
 それに目を奪われて、○○は軽くため息をついた。綺麗だと、美しいと、素直にそう思う。

「ん……」

 甘えたような声が漏れて、一瞬起こしたかとも思ったが、すりすりと胸に擦り寄って寝息を立て始めた。
 安心して、今度は羽に手を伸ばす。半分たたまれたようになっているのは、リラックスしているからだと知っている。
 羽が表情のバロメータだと知ったのはいつだったか。
 楽しいときや興味を示したときはパタパタと動くし、驚けば広がる。
 こうして気を許してくれているときは、ぺたりと寝せたりたたんでいたりする。大変に光栄なことだ。
 ゆっくりと、撫でるように触れる。最初見たときは硬いかとも思っていたが、思っていたよりも柔らかいのだ。
 触れるたびに、ぱた、ぱた、と揺れる様は、猫や犬の耳を触っているときの感じに似ている。 
 あれも過ぎると怒られるものな、と思いながら、指先から手のひら、全体を使って撫でていく。
 たまに、びく、と震えるが、それもまた可愛らしくて楽しい。
 楽しむままに、羽の付け根まで撫でていって――

「んんっ……!」

 羽と肌との境目に触れたとき、大きく、レミリアの身体が震えた。

「……ん?」

 ぱた、ぱたと羽は動いているが、それが先ほどまでの自然な動きではない、気がする。
 見れば、胸元に押し付けている顔の表情は見えないが、耳は真っ赤に染まっている。
 これは、つまり。

「…………レミリアさん、起きてます?」

 返答は羽で返ってきた。一瞬大きく広がって動きが硬直し、そのまま静かにたたまれていく。

「……いつから起きてました?」
「………………本閉じて、髪、撫でてもらってた辺りから」

 それはほとんど起きていたということではないだろうか。

「……起きてたなら、声かけてくれれば良かったのに」
「だって、楽しそうだったもの……」

 もぞもぞと動いて、レミリアは呟く。

「……それに」
「それに?」
「……その、気持ち、良いんだもの」

 さらに胸に顔を押し付けられて、○○は反応に困る。怒られるのだとばかり思っていた。

「……怒らないんですか? いつも、くすぐったいと怒るのに」
「………………でも、嫌なわけじゃ、ないの」

 物凄く可愛らしい反応を返されてしまった。
 羽はぱたぱたと軽く揺らめいているが、それも照れ隠しだと理解する。
 嬉しくなって、優しく髪と羽を撫でる。

「ん……」

 気持ち良さそうに、レミリアが手に擦り寄ってきた。
 それに相好を崩していると、レミリアに楽しそうな声で言われた。

「……随分、嬉しそうね」
「そんな顔してますか」
「ええ」

 だが、○○の胸に擦り寄っているレミリアも随分楽しそうだ。

「ね、○○」
「はい?」

 甘えた声に油断した瞬間、レミリアに口を塞がれた。
 触れるだけの軽いものではなく、ぎこちなく舌を口唇の中に滑り込ませてくる。
 始めは驚いたものの、そのいつまでもどこか不慣れな口付けを受け入れ、逆に攻め返してみる。

「ん、んん……はあ、ん……」

 口を離すと、少し拗ねたような視線が返ってきた。

「むー、私から不意打ちしてやろうと思ったのに」
「不意打ちにはなりましたけど、まあ、その」
「○○ばかり余裕なんだもの」
「いや、余裕ってわけではなくて……レミリアさん?」

 気が付けば、馬乗りのような体勢になってしまっている。
 少し嫌な予感がした。

「あの、何をしようとしてます?」
「そうね、まずは血をもらって……それから、いろいろするのも悪くないかもね」
「……血はまだ良いとして。いろいろとは」
「いろいろ、よ」

 余裕を持たせようとしているのだろうが、顔を真っ赤にしていてはそれも半減というところだろうか。
 いろいろの内容も予測がつかないわけではない。ないが、此処では拙いような。

「あの、レミリアさ……っ!」

 制止は間に合わず、かぷ、と首筋を噛まれる。血を飲むのではない、甘噛みのような噛み方。
 はむ、と何度も首筋を軽く食んでくる。しばらく遊ぶように食まれた後、耳元で囁かれた。

「…………どう?」
「どう、と言われましても」

 微妙に声が動揺する。恋人にこんなことをされて、どうも思わない男がいるものか。
 いろいろなものが湧き上がってくるのを、彼女は理解しているのだろうか。

「ふふ、久し振りに見たわ、貴方の慌てたところ」
「大抵いつも、余裕なんてないんですがね」
「そうかしら?」

 いつもレミリアの方がどこかしら慌てているからなのだが、それは口にしない。
 それよりも、だ。現在の状況の方が拙い。
 具体的には理性が警鐘を鳴らしっ放しである。

「……あの、レミリアさん、そろそろ」
「あら、駄目よ。私が主導権を握るの」

 楽しそうに囁いて、頬にキスされる。
 ああもう、理性など放棄してしまおうか――そう、レミリアの背に腕を回そうとした、そのとき。




「……とりあえず、場は弁えましょうか、二人とも」

 救いの手なのかどうなのかよくわからない声が届いて、レミリアと○○は扉の方を見た。




「あら、パチェ」
「あら、じゃないわよ。そういうことは自分の部屋でしなさい」

 呆れながら、パチュリーが入ってくる。後ろからは咲夜が。何か用でもあったのだろうか。

「別に良いじゃない、少しくらい」
「少しくらいじゃないから言ってるのよ。入っていきなりそれだと次はロイヤルフレア撃つわよ」
「それは勘弁ね」

 そう言いながら、レミリアは○○の上から退く。若干欲求不満ではあるが、大人しく腕を引いた。

「○○さんも、レミィをきちんと止めなさい」
「すみません」
「もう、説教はいいわ。どうしたのよ」

 話題を変えるレミリアを見ると、羽がせわしなく動いている。
 平静を装ってはいるが、随分慌ててはいるらしい。
 当然、パチュリーもわかっているはずだが、そこには触れない。さすがというべきか。

「○○さんの持っていった魔道書。あれ少し難しかったかと思って、まだ初歩のを持ってきたのだけど」
「……あ」
「○○がさっきまで読んでた奴? どんなの?」
「……えーと」

 頭に入ってなかったとは言い難い。だが、表情で察されたらしく、パチュリーはため息をついた。

「……どうせ、レミィに気を取られてろくに読んでないんでしょう?」
「そうなの?」
「……ノーコメントで」

 声に照れが混じったのを見逃さず、レミリアは機嫌良さそうに○○の膝の上に座る。
 柔らかく髪を梳くと、さらに満足気な笑みを浮かべた。

「ああもう、見せ付けるのはいいけれど、紅茶を無駄に甘くしないで」
「そろそろ慣れてきたんじゃない? パチェ」

 楽しそうにレミリアが応じる。やれやれ、とパチュリーも咲夜に紅茶のお代わりを頼んだ。

「ねえ、○○?」
「?」

 小声で囁いてきたレミリアに、首をかしげて訊き返す。

「続きは後で、ね?」

 照れたように微笑を浮かべたレミリアに、○○は頷いて髪をもう一度撫でた。

「密談は終わり?」
「ええ、終わりよ。ところでパチェ、持ってきたの見せてよ」
「いいけど、簡単よ?」
「僕には難しいんですけどねえ……」

 ○○は困ったように微笑いながら、レミリアが手に取った本を覗き込んだ。

「まあ、程々に、ね。あまり見せ付けるのもいいけれど、一足先に夏が来てしまうわ」
「そうしたら、アイスティーでも飲んで涼みましょう?」
「はいはい」

 呆れたような、微笑ましいような調子を含んだ声で、パチュリーは応じる。



 外からは雨の音。蛙の声。初夏の音色。
 それをBGMにして、のんびりと紅魔館の夜は更けていく。


新ろだ2-196
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 がーりがーり。
 聞きなれない音に、レミリアは首を傾げながら食堂を覗き込んだ。

「……何、それ?」
「あ、お姉様! 暑いから、美味しいの○○が作ってくれるんだって!」
「……ええ、それはいいんだけど」

 一心不乱に○○が回しているあのハンドルがついた、氷を台と台の間に挟んでいるようなアレは何なのだろう。

「ああ、レミリアさん。レミリアさんも食べますか?」
「ん、食べる……けど、それは何?」
「かき氷機です。香霖堂で安かったのがあったんでもらってきたんですよ」

 ハンドルを一旦止めて、○○は楽しそうに微笑う。

「懐かしい型のですけどね、整備したら普通に動いたので氷とシロップ調達して」
「かき氷作ってる、と」
「はい」
「ね、ね、急がないと溶けちゃわない?」

 フランドールが待ちきれない様子で尋ねる。

「そうですね、それでは」

 がりがりがりがりがりがり。
 ○○は勢い良くハンドルを回し始め、砕けた氷が器に山を作っていく。
 程なく、二人分の氷の山が出来上がった。

「お二人ともいちごで良いですかね」
「うん、いいよー」
「ん、これは?」
「ああ、練乳もかけたほうが良いかなって。甘くて美味しいんですよ」

 作った○○の方が、心なしかレミリアとフランドールより楽しそうである。

「随分手際よく手に入ったものね」
「何でも大量に仕入れがあったとかで……まあ、おそらくは」

 予想される名前を悟ってか、レミリアは仕方なさ気に首を振った。

「まあいいわ。溶ける前に食べてしまいましょう」
「はーい!」

 シロップと練乳をたっぷりかけたかき氷を、レミリアとフランドールは勢い良く食べ始め――





「……○○さん、いいかしら?」
「……何でしょうか、咲夜さん」
「お嬢様と妹様、お二人ともどうして椅子に座ったまましゃがみガードしてるの?」
「……かき氷が原因としか」





「いたたたた……びっくりしたわ」
「頭がキーンっていってる……」

 頭を押さえながら、二人が顔を上げる。

「すみません、注意が遅れました」
「もー! 先に言ってよー!」

 フランドールが、むー、と頬を膨らませる。困ったように微笑って、彼は軽く誤魔化した。

「まあ、それもかき氷の醍醐味ということで」
「いいわ、もう。美味しいのは確かだし、暑いから冷たいのは丁度良いわ」

 しゃく、とレミリアがまた一口スプーンを運ぶ。氷の崩れる音も涼やかで良い。

「夜でも暑くなってきたもんねー……あ、○○、お代わり欲しいな」
「あまり食べ過ぎるとお腹壊しますよ?」
「えー」
「ま、いいでしょう、作ってあげて」

 レミリアに取り成されて、○○は頷いた。

「はい。ああ、咲夜さんもどうです?」
「私も?」

 一連の会話を聞いていた咲夜が首を傾げる。

「そうね、咲夜も暑い中働いてるし、少し休憩しなさい」
「よろしいので?」

 鷹揚にレミリアは頷き、○○に視線を向けた。頷いて、○○は氷をセットした。

「では、行きますよー」

 またがりがりと楽しそうに作り出す。





 途中、パチュリー達や休憩に来た美鈴などがやってきて、○○は彼女達の分も作ることになった。

「いいわね、こういうのも」
「暑い中にずっといたんで助かりますよー」
「いえ、僕も久々に作れて楽しかったですから」

 途中から腕まくりをして作っていた○○は、そう微笑った。
 楽しかったが、さすがに少し疲れた。自分の分を最後に作って、今日は終わりにしよう。

「あ、私やってみたーい!」
「私も、少しやってみていいかしら?」

 そう、羽をパタパタさせている姉妹に提案される。どうやらあのがりがりとやるのが楽しそうに見えていたようだ。

「ああ、いいですよ。ただあまり力こめすぎると壊れますから気を付けて」

 普通ならばあまり削れない、程度なのだけれど、吸血鬼の力でやるのはちょっと怖い。
 ○○は加減してやっていたが、はてさて二人に出来るのか。

「大丈夫。じゃあ、私からね、お姉様」
「はいはい。私の分も残しておいてよ?」

 そしてがりがりと回しだす。氷が砕けていくに従って、フランドールの瞳が輝きを増した。どうやら相当楽しいようだ。
 しばらく一人で回していたが、それに待ちきれなくなったのかレミリアも手を伸ばした。

「私もやるわ」
「えー?」
「いいじゃない、少しくらい」

 そう言いながら、レミリアも回し始める。こちらも楽しそうに表情が変わった。
 というか、二人とも羽が凄い勢いでパタパタしている。どれだけ楽しいのやら。

「……楽しそうね」
「そうですねえ」
「喧嘩せずに仲良くしていただけているだけでもよろしいかと思いますわ」

 パチュリーと○○と咲夜は、どこか微笑ましげに言葉を交し合った。





「ああ、うん、美味い。やっぱり夏はかき氷ですねえ」
「さっぱりしたしね。こんなことやってる間に、もう夜明けが近いけれど」

 まあ、あれだけ作ればそうもなる。とりあえずその場に用意していた氷全部を使ったのだから。
 運の良い妖精メイドは相伴にも預かれた。今はもう仕事に戻ってしまっているが。
 調達のあては幾つもあるので、氷不足にはならないのが救いか。またチルノ辺りに菓子と交換してもらおう。

「フランも戻ったし、○○が食べたら私達も部屋に戻りましょうか」
「そうですね。今日は涼しく寝れそうです」
「昼間はどうしても暑いものねえ……」

 そう言うレミリアの口元にもスプーンを運びながら、○○は相槌を打つように頷く。
 一人で食べてるのか二人で食べてるのかわからない光景であるが、二人とも気にしていない。
 パチュリーなどが見ていたら「熱帯夜が更に暑くなる」と言う様な状況だ。幸い周りに人が居ないので被害はない。

「食べ終わったら、軽く汗を流してきます。さすがに少し暑かったので」
「ええ、待ってるわ」

 しゃく、と食べながら、○○は、それにしても、と楽しそうに相好を崩す。

「みんなでかき氷を食べる、なんて、お祭りみたいで楽しかったです」
「もう少ししたら、本当の夏祭りもあるんじゃないの?」
「そうですね、里でかな、神社かな、とにかくどこかでは開かれるでしょう」
「紅魔館で開いてもいいしね」
「毎日どこかで祭りがあるような状態になりますね、それだと」
「それも退屈しないわ」

 楽しげに言って、レミリアは何かを思いついたように頷いた。

「紅魔館で屋台を出すのもいいかもね」
「かき氷屋ですか? それもいいかもしれないですね。こう、山ほど作って」

 がりがりと回す仕草をして、○○は微笑う。

「楽しそうだけど……あー、でも、やっぱり駄目」
「へ? どうしてです?」

 首を傾げる○○に、レミリアはぼそぼそと小さな声で告げた。

「……回れないじゃない」
「え?」
「だから、○○が屋台やってたら、一緒に回れないじゃない」

 だから駄目、とレミリアはふいと顔をそらした。その照れ隠しが微笑ましくて、○○は頷く。

「……わかりました」
「……顔がにやけてる」
「いや、可愛いなと……いたたたた」
「……ばか」

 頬をつねって、レミリアは本当に拗ねてしまったようだった。

「すみません、ですが本当のことですし」
「余裕綽々なのが気に食わないの」
「すみません」

 もう一度謝って、○○はレミリアの髪を撫でた。
 しばらく不満そうな顔をしていたが、撫でられているうちに機嫌も少し直ってきたのか、レミリアが口を開く。

「そういえば、咲夜ももう休ませちゃったわね」
「ああ、ええ、そうですね」
「湯浴みの人手が必要だわ」
「……僕ですか」
「他に誰が居るの?」

 悪戯っぽい笑みを浮かべて、レミリアは椅子から立ち上がった。

「さ、○○」
「はい、了解しました」

 器を片付けて、○○はレミリアの後ろに従う。






「またかき氷、作って欲しいわ」
「ええ、またそのうちに。毎日はさすがに身体を冷やしすぎるでしょうから」
「そうね、暑くて暑くて眠れないような、そんな夜に」

 微笑いながら、レミリアは閨の中で、○○の首に腕を回して抱きついた。

「もしかすると、祭りにもかき氷の屋台が出るかもしれないですね。行くのもいいかもしれません」
「あ、いいわね」
「楽しみですね」
「……○○って、結構お祭りとか好きよね。子供っぽいというか」
「いいじゃないですか。小さい頃から好きなんですよ」

 拗ねたような○○にくすくすと微笑って、レミリアは小さく欠伸をした。

「とりあえず、今日は寝ましょうか。おやすみ」
「はい、おやすみなさい」

 夏の行事に思いを巡らせながら、二人は目を閉じた。



 夏はまだ、これから。


新ろだ2-269
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最終更新:2010年10月24日 00:30