ここ最近になってめっきり寒くなったこと以外、何も変わらない学校からの帰り道。
 冷たい風の中、ちょっとだけ急いで下宿へと戻っていた。

 「う~、さむ」

 ズズと鼻を鳴らしながらも、暖かなマイホーム(借)へやっと到着。
 ズボンから鍵を取り出し、ドアに捻じ込もうとするが手が震えてうまくいかない。
 寒さに痛めつけられた我が右手に喝を入れ、やっとのことで解錠する。

 「あ~くそぅ。手袋でも買った方がいいかな、こりゃ」

 そう言いながらも靴を脱ぎ、さっさと家に上がる。
 はやく炬燵に入って一息つきたいものだ。

 そして申し訳程度の大きさしかない台所を抜け、居間の戸をあけた。
 
 「あ」
 「……へ?」

 我が目を疑うという状況は、まさしくこのことを言うのだろう。


 居間のど真ん中に、正座してちょこんと一人の少女がいた。
 紫色の癖がかかった髪に少々けだるそうな目。
 フワフワとかゆったりとかいう擬音がぴったりな服。
 胸元には目玉をあしらったようなアクセサリーが付いている。

 少女は茫然とこちらを見つめている。
 あれ? ここ俺の部屋だよね? 間違えてないよね?
 前触れもなく到来した現状に、私の頭は対応できるわけもなく、フリーズを起こしている。

 「えーーっと、その……」

 互いに沈黙を続けているのも辛くなり、何とか現状を打破しようとする。
 なにも状況が分からない中、フリーズした思考を無理やりにでも動かし
 なんとかして言葉をひねり出す。

 「……紅茶でも淹れましょうか?」
 「え、……あ、はい」


     ……もっと違う言葉があったよな、My Brainよ。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 「んと、……貴女の名前は?」

 とりあえず紅茶を淹れ、さっきの少女と炬燵で向かい合いながら会話を切り出す。
 とはいってもまず名前を聞いておくだけだが。

 「……さとり、古明地さとりです」
 「さとりさんね、おれの名前は○○です」

 簡単な自己紹介が済んだところで、そろそろ本題に移ろう。

 「それで、なんで俺の部屋に?」

 いつも学校へ行く際には鍵は忘れず掛けている。ドアも窓もしっかりと。

 「その……なんというか、気づいたらここにいたのですが」

 いやいやいや。気づいたらって……。
 人の部屋をそんなおとぎ話の異世界みたいな場所見たく言われても……。

 「いえ、私にとっては異世界と行っても差し支えないのですが」

 だそうである。割かしきれいにしてあるのに異世界認定されましたよ。俺の部屋よ。

 「いや、汚いからという意味ではなくてですね……」

 なんだ、違うのか。   

 「……って、あれ? 俺口に出してたっけ?」
 「申し遅れましたが、私は妖怪の"覚り"。人の心を読み取ることができます。」

 妖怪ですかそうですかそうですか。じゃあ仕方ないな。
 ……おいィ? 妖怪? 鬼○郎とか○~べ~とかに出てくる奴ですかぃ?

 「はい、多分それで合ってると思いますよ」
 「……本当みたいですね。ってことはさっきの異世界ってのも?」
 「えぇ。幻想郷という言葉に聞き覚えは?」
 「無いですね。全く」

 やはり、とつぶやき古明地さんは参ったような表情になる。

 そんな時、ピリリと機械音が俺のポケットから鳴り響く。
 こんなときに電話とは……いったいだれからやら。
 携帯を取り出して画面を見てみると、全く知らない番号からの発信だった。
 てアレ? 番号おかしくね? 20桁も表示されてんだけどコレ。
 あり得ない番号からの着信にかなり不安になりながらも、電話に出てみる。

 「はい、○○ですが」
 「はじめまして○○さん。私は八雲藍というものです」

 電話から聞こえてきたのは丁寧な大人の女性の声。

 「突然のことで申し訳ありません。貴方のもとへ古明地さとりという人が来ませんでしたか?」
 「あ、はい」
 「……やっぱりか」
 「はい?」

 電話越しに女性はとても小さく何かをつぶやいた。

 「えっと、何か御存じなんですか?」
 「……はい。私が知る限りをお話しいたします」

 電話の彼女-八雲藍さん-が言うには、事故なのだということだ。
 なんでも本来古明地さんがいるのは、現実世界であるこちら側から忘れ去られ
 幻想となったものが住む場所、幻想郷の管理を行っているのが彼女の主だという。
 主は八雲紫といって、境界を操ることができる幻想郷でも屈指の大妖怪であるとのこと。
 その能力で幻想郷に結界を張り、「幻想」と「現実」の境界線の役目をはたしているらしい。

 だがその主は冬になると冬眠に入るらしく、今まさに寝ているのだとか。
 ただ今年は寝つきが悪く、ひどくうなされていたという。

 「……それが何か関係あるんですか?」
 「大変申し上げにくいのですが……寝ているうちに能力を無意識に使われてしまったようで、
  至る所で被害が出てしまったようなのです」

 うわぁめちゃくちゃはためいわくだぁ

 「事態の収拾を図ってたのですが、どうも一人幻想郷の外に送られてしまったことがわかりまして……」
 「……それが古明地さんですか」
 「……お察しの通りです」

 つまり、古明地さんは八雲紫という人の寝返りによって引き起こされた事故の被害者ということになる。
 

 ありえん(笑)


 「なにか解決する方法は?」
 「どうにかしようにも、紫様が目を覚まさなければ何もできませんので…。
  私には式を通じてほんの少しだけそちらに干渉できるくらいしかできません」
 「……紫さんがお目覚めになるのはいつごろに?」
 「……申し訳ありませんが、早くても春の中頃あたりかと…」

 ただいま冬に入ったばっかりの季節ですしおすし。
 春までたっぷり時間ががありますですしおすし。

 「我が主の無礼、式の私が頭を下げたところでどうにもなりませんが、
  本当にすいません。」
 「あ、いえ。俺は良いんですけど、その、古明地さんは?」

 そこが問題だ。さっきから不安そうな目で電話をしている俺を見つめている。
 どうすればいいのかわからないまま、わけもわからぬ異世界に飛ばされてしまったのだ。
 俺なんかより、よっぽど大変である。

 「…重ねての無礼を承知でお願いいたします。どうか貴方のもとで彼女を守っていただけませんか」
 「はい!?俺のとこでですか!?」
 「他の者に頼むわけにもいきませんので。もちろん必要なものや御礼もこちらで用意させていただきます」
 「は、はぁ……」
 「……引き受けていただけますか?」

 引き受けるも何も、少し考えればわかるはずだ。
 ここで彼女を外にほっぽり出してもしてみろ。このクソ寒い中わけもわからぬ土地をふらつき、当てもない毎日に怯えながら生活しなければならないだろう。
 ましてやこんな少女がだ。昨今不審者やらがでて物騒な世の中である今、なおさら放っておくわけにいかない。

 「わかりました。なんとかしてみます」
 「あぁ、ありがとうございます」

 パァっと明るくなった声で藍さんは答える。彼女も、今回の騒動でいろいろ気負うところがあるのだろう。
 なんだか苦労してそうな人だなぁ。

 「では、少々古明地さとりさんに換わっていただけますか?」
 「あ、はい」

 電話を外し、古明地さんに電話を差し出す。

 「さっきから聞こえてると思いますけど、八雲藍さんからです。使い方、わかります?」
 「えっと、…いえ」
 「ここから相手の声が出て、ここに話すと相手に言葉が通じます。
  こう顔の横に当てて、使うんです。」

 身振り手振りを少し交えて、携帯電話の使い方を説明し、古明地さんに電話を渡す。

 「えと、古明地さとりです」
 「古明地さん。今回のことは主人の失態であり、私の失態でもあります。
  謝って済む問題でないことは分かっていますが…」
 「私はいいですけど、それより地底の方は?」
 「私の式を向かわせて事情を説明しました。今はペットの方々が地獄の管理を行っているようです。
  勿論、何か不測の事態があった際には、私たちがフォロー致します」
 「そう、それならいいです。あの子たちによろしく伝えておいてください」
 「はい」

 手短に会話を終えて、古明地さんは俺に携帯を返した。

 「○○さん。まずそちらに金銭の面でいくらかお送りいたしました。
  それ以外に何か必要なものがある場合には、こちらに連絡をください。可能な限り対処します」
 「あ、はい」
 「大変なこととは思いますが、何卒よろしくお願いします」
 「はい。わかりました」

 それでは と言い、電話は途切れた。

 「さてと。事情は大体わかりましたけど、そちらは?」
 「はい。勝手ながら申し訳ないですけど……」
 「いや、古明地さんは悪くないんですし、困っている人を放っておくわけにもいきませんから。
  その、狭くて汚い男の部屋ですが…」
 「とんでもありません。身を置かせてもらうだけでもありがたいことです」
 「そうですか」

 とは言ったものの、これからどうなることやら。
 本来このアパートはうちの大学の指定学生寮であり、しかも工業校なのであろうことにも男子しかいない。
 こんな中生活をしていくなら、様々な面で問題が出てくるだろう。

 ギュルル

 慣れないオーバーワークをしたせいか、頭が栄養を使い果たし腹の虫を響かせた。
 時刻を見れば7時を超えたあたり。腹が減って当然の時間帯である。
 にしたっていまどきギュルルってよぉ。もちっといい音があるだろうよjk。

 「とりあえず、お夕飯にしませんか?」
 「…そうですね」

 ふふっと、小さく笑いながら古明地さんは言った。
 さっきまでの不安な顔も今はなく、すこし表情も明るい。
 うん。弱音を吐くよりもっとやることの方が多いのだ。
 まずは腹ごしらえからだが。


 こんな風に始まった同棲(?)生活。
 果たしてこれからどうなるやら……。


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「なんだってこんなことになったんだか……」

 そうボヤキながら、怨霊と死体をあっちへこっちへと運んでいる少女。
 名前は火焔猫 燐。愛称はお燐。旧地獄跡地、地霊殿の主である古明地さとりのペットの一人(もしくは一匹)である。

 「うにゅ~。……さとりさま~~!はやくかえってきて~~!」

 そう叫びながら、地獄の火力調節やら点窓の開け閉めを行っている少女。
 名前は霊烏路 空。愛称はお空。彼女もまた、古明地さとりのペットの一人(もしくは一羽)である。

 彼女たちがてんてこ舞いになるのも無理はない。
 普段の地獄の管理では、さとりが彼女たちに必要な指示のすべてを与えているからである。
 管理の仕事である以上、数字やら何がしかの対応というものはどこの世界でも必ず付いて回る。
 そういった頭脳労働は、もっぱらさとりの仕事であり、ペットである彼女たちは指示に従い動くのみであった。

 では、そんな場所から頭脳役を引いたらどうなるだろうか。
 答えは簡単。現場の混乱しかあり得ない。

 「あたい、たちの、仕事って、こんな、忙し、かったっけ?」

 猫車を引く手を止めず、息を切らしながらお燐は考える。
 普段は一日のうちに、休憩をはさみつつも3時間も働けば十分すぎる労働時間だった。
 それが今はどうだ。休憩なし。ぶっ通しで6時間労働は当たり前である。そりゃ疲れるって。
 というか、さとりが管理しているときは長年行ってきた地獄管理の仕事の経験から、
 最善の効率をその都度考えていたからである。それをペットは覚えていなっかた様だ。

 「さとりさまって、しっかり、仕事、して、たんだ……」

 今更になって主の偉大さを再確認したペット一同である。
 ていうかお空は無理だとしても、お燐はそう言うの覚えれたのでは?

 そんな疑問も彼女たちの耳に入るわけなどなく、彼女たちは今日も非効率に仕事をこなしていく。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 「さて、じゃあ何を作ろうか」

 とりあえず夕飯を用意することとなり、炬燵から出て起き上がろうとする。
 だが、肩を押さえる手にその行動は中断されてしまう。
 俺の肩を押さえているのは、ついさっき居候となった古明地さとりさんである。

 「貴方は待っていてください。私が作りますから」
 「え、いや。一応お客さんですし…」
 「私は居候でしょう?家主に小さな恩返しくらいさせて頂けませんか?」

 そう言われるとちょっと反論に困ってしまう。
 しかし古明地さん、どんな料理作るんだろうか。ていうか料理できるのかな?

 「…ちょっと失礼ですね。大丈夫ですよ。向こうにいた時も、料理はしっかりしていましたから。
  置いてある食材、いくつか使わせてもらいますね」

 そういって彼女は台所へと向かっていった。
 まぁ、今日も面倒な講義があって少し疲れていたところだ。作ってもらえるのであれば何よりである。
 そうなったら、夕飯が出来上がるのをおとなしく待つとしよう。

 ……てかちょっと待てよ。これって考えてみたら家族以外の女の人に作ってもらう初めての手料理ジャマイカ。
 そう考えると、とたんに気恥ずかしさが顔の温度を押し上げていく。

 そうだった。一応、今俺は彼女と「ひとつ屋根の下」という状態になっている。
 彼女いない歴=年齢な俺にとって、この状況は過酷すぎね?

 ん~と唸っていると、ススと居間の戸が開いた。
 見やれば、古明地さんが少し恥ずかしそうな表情でうつむいている。

 「……えと、その~…」
 「…? どうかしました?」

 何か言い出しにくいことでもあるのだろうか?服をつかみモジモジとしている古明地さん。

 「……すいません。道具の使い方が分からなくって…」

 成程。料理一つ作ろうにも、こっちとあっちじゃ勝手が違うわけか。
 いろいろと見慣れない道具に、戸惑ってしまったというところだろう。

 「…はい。すいません、あれだけ大見栄切って……」
 「いやいや、わからないんじゃ仕方ありませんって」

 そう言いながら、俺は炬燵から出て古明地さんと台所に入る。

 「一応聞きますけど、わからないのはどれです?」
 「えと、そこら辺にある箱って、何に使うんですか?」

 古明地さんは次々と指さしていく。冷蔵庫、ガス代、電子レンジなどなど。
 さすがに全部いちいち答えていたら、時間かかりそうだなこりゃ。

 「ん~と。じゃあ一緒に作りましょうか。作りながら使い方も教えていきますよ」
 「わざわざ、すいません。こんなことで…」

 そう彼女は言うが、俺としてもやっぱり任せっぱなしというのはちょっとなぁ。
 それでもこうすれば互いに納得できる。
 それに、これでも俺は料理をするのは好きな方だ。
 たま~にだが、手の込んだものを作ったりして、自己満足に浸ったりしている。
 アレ、 ナンカ チョット ムナシイ。ナンデダロウ?

 「……プッ。クスクスッ」

 ふと古明地さんの方を見ると、なぜか小さく笑いをこらえていた。
 あ、そうか。俺の心を読んだからか。
 ていうか古明地さんってこういう笑い方するんだ。

 「あ、すいません。決して馬鹿にしているつもりは…」
 「いや、気にしてないですから。むしろ、笑ってくれて嬉しいですから」

 さっきまでどこか目の中に、不安や恐怖といった色が見えていた古明地さんが、
 ほんの少しの間で、笑うようになってくれた。
 打ち解けてくれたと見るのは、自惚れになってしまうだろうが、
 それでも不安が少しでも晴れてくれたのなら、俺はうれしい。

 「……ありがとうございます」
 「こちらこそ。それじゃ、何を作りましょうか?」
 「そうですね……」


 そうして、俺たちは夕飯の共同制作に入った。


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 「おいしかったですね」
 「えぇ、とても」

 あれから材料を見定め、俺たちはたらこパスタとブナシメジとベーコンのソテー、レタスサラダを作った。
 時間も時間だったし、いろいろと教えながら作らなければならなかったので、割と簡単なものにした。
 とはいえ、量もそこそこに味もなかなか。バランスも悪くない食事となったのは良い結果だ。

 「しかし、外は便利ですね。これだけの物が、あんな簡単に、しかもすぐできるなんて」

 料理を作っている間、彼女の家のキッチンがどうだったのか、片手間で聞いてみた。
 なんでも、まず幻想郷に電気というものが普及しておらず、
 冷蔵庫やらの家電品など、目にすることなどないという。
 西洋建築の館に住んでいた彼女の話を聞いた通りでは、
 彼女たちの生活は地獄の熱を利用したレンジやオーブンを使い、
 食料の保存は地下室で行っているという。まんま電気が発明される前の、西洋文化圏の生活だった。

 それにくらべれば、この小さい下宿の部屋でも、だいぶ生活水準は進んでいるのだろう。
 蛇口をひねれば水もお湯も出る。ガスをひねれば火がつく。冷蔵庫の中に入れれば食事の保管もできる。
 どれもこれも文明がもたらした産物なんだよなぁ と再認識するとは。

 「この、こたつというのも、とてもいいですね。ぬくぬくしてて。」

 そういって古明地さんは炬燵布団をかけなおし、なんとも柔らかい表情を見せる。
 うん、なんともかわいい。例えるならば、子猫などの小動物がもつ、あの殺人的なかわいさに通ずるものがあるな。

 「あの……殺人的って、その。…恥ずかしいですから」
 「あっと。す、すいません…」

 そうだった。彼女は"覚り"。人の心を読むことができる妖怪。
 つまり俺の思考など、全部まるっとお見通しだー!ということである。

 ……リアルで無想無念にメリポ振ったら対策できるんだろうか。
 いやだめか。アレたしか効果時間短かったはずだし。それに俺リアルではモンクタイプってわけでもないし。
 どっちかというと……学者?まだ大学生なんだけどなぁ。

 「…? えと、片づけますね」

 首をかしげながらさとりさんは立ち上がる。
 いかん、またやってもうた。 まぁ過ぎたところで、どうしようもないからいっか。
 「あ、じゃあ俺も…」
 「今度は大丈夫ですよ。水道の使い方も、さっき伺いましたし。
  洗いものくらいは、誰にでもできますでしょ?」

 そう諭されて、食器を持って古明地さんはまた台所へと入って行った。
 最初に料理できるのかと疑ったところ、ちょっと気になったのかな?
 まぁ、女性が料理できないとか言われるのは、どこ行っても嫌なことか。

 実際、料理の手つきは俺よりもうまいところがあった。といっても、俺自身そこまで自信があるわけではないが、
 俺自身、包丁はいまだに慣れない。それに比べ、古明地さんはスムーズな手つきで包丁を動かしていた。
 やっぱ包丁の使い方がうまい人っていいなぁ。俺ができないからかもしれないが。
 いつか嫁さんをもらうなら、古明地さんみたいに料理の得意な人が良いなぁ。大体の人が思うことだろうけど。

 その時、バシャンと大きな水音が響く。聞こえてきたのは台所からだ。
 あわてて、台所へと向かう。

 「古明地さん!大丈夫!?」
 「あ…あ、あ。だ、だだ大丈夫、です。ち、ちょっと手が滑っちゃって……」

 相当びっくりしたのだろうか。顔がかなり赤くなっており、耳まで紅潮している。
 シンクを見てみるが、水桶の水が飛散した以外に大きな被害は見つからない。
 皿も、何一つ割れなかったようだ。なら破片で怪我をしたということもないだろう。
 そう確認し、心からホッと息を吐く。本当に冷や冷やしたなぁ。

 「…よかった。無事なら…って」
 「え?……あ」

 あれだけの音がしたのだ。相当な水が飛び散ったにきまっている。
 そして、そのそばにいた古明地さんはモロに直撃を食らったわけで。
 見ているこっちが寒くなるような格好になってしまった。

 「…すいません。洗い物すら、ろくにできなくて……」

 肩を下げ、シュンとしてしまった古明地さん。
 さっきの食事の件も含め、役に立てないことが、彼女の心を責めているように見える。

 「そのくらい、俺は気にしませんから。それより、はやく服を着替えないと……」

 と、そこまで口に出して、俺は重大な事実に気付く。
 それは現時点で、最大級の障害となり、俺の前に立ちはだかった。
 
 
 
               服 どうするよ?
 
 
 
 「あ、そう言われてみると……」

 古明地さんも今まで気づかないでいたようだ。
 勿論、俺は一人暮らしを今まで過ごしていた。そして、俺の性別は男だ。
 英語だったらMale。イタリア語ならMashcio。染色体でいえばXYである。
 そんな俺の部屋に女性用の服飾品が置いてあるだろうか。  あるわけねぇーだろ、えぇ!?
 となると、俺の服を彼女に着せるしか道はない。
 なんていうか、こういうのを、お約束って言うんだろうか?

 「えっと、とりあえずシャワー浴びてきてください。そのままじゃ風邪ひいちゃいますから。
  服は、こっちで一応用意しときますから」
 「すいません、何から何まで」
 「気にしなくていいですから。さ、はやく入らないと本当に風邪ひきますよ?」
 「…それじゃ、お言葉に甘えて」

 そう言って、古明地さんを風呂へ誘導する。といっても、台所から扉一つだけなんだが。
 脱衣所は無いが、シャワーカーテンが付いている浴槽のため、ユニットバスのような使い方になってしまう。
 そのため、洗面台のある部分が脱衣所として機能している。
 
 これがもし脱衣所のない一般的な奴だったとしたら。プライバシーもへったくれもあったもんじゃない。
 よかった。本当によかったよ。イヤ、マジデ。

 「と、それより早く服をなんとかしないと」

 うん。まずは何より古明地さんの服を考えないと。
 なんか古明地さんに失礼なく、着れそうな物とかあったかなぁ?

 そう思いながら、俺はクローゼットをあさり出した。


──────────────────────
「うぅ…。なんでこう、迷惑ばかりかけてしまうのかしら……」

 洗い物しているときに、誤ってずぶ濡れになった私は、見かねた○○さんに諭されシャワーを浴びるように言われた。
 向こうにいたときには、こんな事態など全く持って起きなかった。
 地霊殿を治める主として、落ち着き払ったふるまいだったのに。こっちに来たとたんに、コレである。
 まぁ、今回は原因が原因だからだと思いたい。うん、そうしたい。
 
 「しかし……お嫁さんとは、ちょっと…」
 
 私は妖怪"覚り"。人の心を読む者。
 壁や扉などの障害物で少々聞きづらくなることもあるが、この近い範囲だったらバッチリ聞こえる。
 (いつか嫁さんをもらうなら、古明地さんみたいに料理の得意な人が良いなぁ)
 彼 -○○さん- が先程発した、ふとした心の声である。
 その内容に不意打ちを食らった私は、驚きのあまりに手を滑らせてしまい、
 以下はご存じのとおりである。○○さんに理由がばれなかったのは、不幸中の幸いだった。
 
 「……変わった人ね」
 
 私は"覚り"。人の心を読み散らし、踏みにじる忌み嫌われた妖怪。
 だから地底に住み、旧地獄の管理を行っている。
 
 他者との接触を避けるため。
 
 他者を傷つけないため。
 
 他者に傷つけられないため。

 そしてペット達に囲まれ、小さく閉塞的な幸せの中生きてきた。
 
 だが彼、○○さんは私の知っている"人"とは違った。
 心が読める妖怪であると話した時からそうだ。少し驚いただけで、あとは何も変わらない。
 自分の思考を読まれ続けても、戸惑いはしても嫌悪感は微塵も抱かなかった。
 以前地底を訪れた二人の人間も、彼と似たような感じだった。

 「時代の違い、なのかしら…」
 
 地底に降りたのはかなり昔のことであるから、それから人間たちにも変化が起きたのかもしれない。
 けど、そう。それを抜いても、彼は変わっている気がする。

 いきなり自分の部屋にいた見ず知らずの者を追い出そうともせず、事情を聴いて、救いの手を差し伸べてくれた。
 やさしい。その言葉で片付けるには、まだちょっと何かが足りないような。
 そして、さっきの彼の心。
 
 「私のような……お嫁さん、ですか…」
 
 言葉のアヤというのもあるかもしれないが、私を例として好意を持つ対象を考えていた。
 それは私に対して、少なからず好意があると取っても間違いではない。
 
 まさか、地上で忌み嫌われた私が、異性の人間から好意を向けられるとは。
 嫌悪やら侮蔑やらの念なら、数えられないほど向けられていたが、こればっかりは初めてだった。
 
 「……ッ、クシュッ」
 
 いけない。慣れない感情に流されて、すっかりずぶ濡れという状況を忘れていた。
 あまり○○さんを待たせるわけにもいかない。早くシャワーを浴びるとしよう。
 そうして、私はジットリと湿った服に手をかけていく。
 
 決して広いとは言えない浴室の中に、水を含んだ布の音が小さく響く。
 脱衣を終え、浴槽をまたぎ、カーテンを閉める。
 
 「えと、たしかこっちよね?」
 
 浴槽のそばに備えられた、2つの蛇口を見やる。
 ○○さんに教えてもらったときに、青い方が水で赤いほうがお湯だと聞いたはずだ。
 勝手があまりつかめていないので、すこし慎重に赤い方を捻る。
 キュキュという音に続いて、蛇口の根元から延びる管がうねり…。
 
 「ひゃっ!?」
 
 途端、頭上から盛大にお湯が土砂降りのように降り注いできた。
 またも驚きのあまり、情けない声をあげてしまった。
 ……こんな姿を知り合いに見られたら、もう外を歩けないかも。   もとからあまり外出しないとかは言わないでくださいね。

 だが驚いたのもほんの最初だけ。勝手がわかれば、シャワーの良さがわかってきた。
 冷えた体を、頭からたっぷりのお湯が温めてくれる。ただそれだけなのに、言葉にしがたいほど気持ちが良い。
 すこし暑いくらいの湯温が、これまた絶妙な刺激となり、心地よさを全身に与えてくれる。
 胸の目に当たるのが、ちょっとむずがゆいけど。
 向こうでは湯浴みか、温泉位しかできかったので、とても新しい感覚だ。
  
 「どうしようかしら、病みつきになりそうね」
 
 
 新しく見つけた小さな幸せの中、ちょっとだけシャワーの時間が長引いてしまったのは、ここだけの話ということで。
 
 
 
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 
 
 「服、用意しましたのでドアのそばに置いときますよ」
 「えぇ、どうも」
 
 シャワーを終えて、バスタオルで体を拭いているときに言われた。
 
 (大丈夫かなぁ……変じゃなきゃいいけど)
 
 自分の選んだ服に対する不安が、壁を越して私に伝わる。
 仕方ないとはいえ、○○さんの服を拝借することになったのだが、果たしてどういう服なのだろうか。
 
 そーっとドアを開け、置いてある服に手を伸ばし、脱衣場へと招き入れる。
 そして、用意された服を一つ一つ見ていく。
 
 「えっと、丈の短いズボンに…Tシャツっていう奴かしら。
  あと…これは暖かそうな服ね」
 
 用意されていた服は、丈が短めの伸縮しやすそうな生地でできたスボンと、無地のTシャツ。
 それと、毛糸でできた、モコモコの長袖の服だった。
 予想していたものでは、Yシャツ一枚とかなのかなぁ、と考えたりしていた私が、なんか恥ずかしい。
 
 「まぁ、さすがに下着はないわよね」
 
 当たり前である。そこで用意されていたら、その方がおかしい。
 ということで、下着のみ着まわして用意された服を着てみる。
 
 「ん……やっぱり大きいわね」
 
 ズボンはユルユルで、腰ひもをかなりきつめに締めてやっと腰に落ち着く。
 Tシャツはそれほどひどい大きさではないが。首のあたりが鎖骨まで出ている。
 
 「あとはコレね。……ん、しょっと」
 
 最後に残った長袖の服をかぶり、袖を通していく。
 結果は見えていた通りで、袖が完全に手全体を包み込んでも有り余るほどの長さだった。
 だが、本当の問題はここからだった。
 
 「んと、…アレ?」
 
 首を通した時にそれはわかった。首の部分の布地が、異様に長いのだ。
 首元を引っ張り、何とか頭を出すことには成功したが、
 首の布地は私の顔を、まるで砂漠の砂除けのごとく鼻ごと覆っていた。
 
 「……こういう、服なのかしら?」
 
 外の世界は着ている服も変わっているものが多いのだろうか。
 そう見切りをつけて、脱いだ服をつかみ脱衣所を出て、
 ○○さんが待っている居間へと向かう。
 
 「ふいまへん、おほふなっへ(すいません、遅くなって)」
 
 やっぱりちょっと喋りづらいわね、この服。
 
 「あぁ、どうです?そのふ…く……」
 
 ○○さんは私を見るなり、首をかしげて アレッ? という音が似合いそうな表情を見せている。
 ……やっぱり何か変だったのかしら。コレ。
 
 (一応着方は間違ってないけど、さすがに風呂上がりだったら息しづらいんじゃないのかなぁ?
  そういやな~んかどっかでこんな感じのを見たような…あ、あれだ。サンヒエロニモのマチェット使いか)
 
 そういう○○さんの思考とともに、イメージ像も浮かんでくる。
 出てきたのは大振りのナイフを持ち、口元までピッチリと布で覆った短髪の男の姿だった。

 「はひはににへまふね。ほのひほほ(確かに似てますね。その人と)」
 「……えっと、古明地さん。ちょっと失礼します。」
 
 そういって彼は私の口もとの布を巻くように折りたたみ、首元に畳んでくれた。
 おかげで、息もしやすく声も普通に出せる。
 ちなみに、後で聞いたらこの服はタートルネックというらしい。
 たしかに亀みたいだったわね、あの首。
 
 「一応、ああいう着方もあるんでしょうけど、こっちの方が着やすいでしょう?」
 「…そうですね、口が動かしづらかったですし」
 
 自然に気づくこともできたんじゃなかったんだろうか、私よ…。
 うぅ…。またこうなってしまったか。
 
 「えと、着心地とか大丈夫ですか?」
 「え?あぁ、大丈夫です。とても暖かいですし」
 
 その点は十分すぎるほどだ。モコモコとした毛糸の服だからしっかりと体を温めてくれるし、首元も隙間なく覆われているため、同じように暖かい。
 強いて言うならば足元が覆われてないことだが、元々スカートだったので何も問題はない。
 
 「…あ~っと、それなら、その、よかったです」
 「……?」
 
 なんだか、彼の言葉の歯切れが悪い。まだ何かあるのだろうか?
 
 (なんていうかなぁ。濡れた髪とか風呂から出たばっかの肌とか足とか、綺麗だけど…その、目のやり場に困るなこりゃ……)
 
 だそうである。
 ……って。きき、綺麗とか、そ、そんなことをまたこの人は……。
 そういうことが分かれば、こちらとしても当然意識してしまう。
 せめて足を隠そうと、ぶかぶかの長袖の裾を下へと引っ張る。
 
 「えっと、その~。…き、今日はもう寝ますか?」
 「あ。……あ、は、はい…」
 
 互いにギクシャクとなってしまい、気恥ずかしさ全開の空気がこの場を支配する。
 ○○さんは頬を掻きながら、赤くなった顔をそむけている。
 私も俯いたまま、裾を押さえてモジモジとしている。おそらく、彼と同じように顔も赤いのだろう。
 地底で威厳ある地霊殿の主をやっている私が、今の私を見たらどう思うのだろうか。
 きっと頭を抱えながら、とっても大きな溜息をつくだろう。うん。
 
 ……そういえば、この部屋って寝床はどこなのかしら?
 思い至って、キョロキョロと部屋を見回してみる。
 
 「「あ」」
 
 二人とも同時に気付いたのだろう。
 そう、この部屋にはシングルサイズのベッドが一つしかない。
 部屋の多くを占めていたものなのになぜ気付かなかったのだろうか?
 
 (なんで今まで忘れてたんだよ……俺…)
 
 どうやら彼も同じだったらしい。
 とはいえ、一つしかない以上は一人しか使えないのだ。
 ならこういうときは……
 
 「古明地さんベッド使ってください。俺、炬燵で寝ますんで」
 
 考えきる前に、○○さんの発言に思考は遮られた。
 
 「いえ、私は居候の身ですから。どうぞ○○さんがベッドを使ってください。
  本来は貴方のものなんですから」
 「いや、こういうのは女性に譲るのが相場なんで。そういうわけにはいきませんから」
 「そういうものではありません、私は御厄介になっている身なのですから……」
 「いやですが……」
 「いえいえ……」  
 
 
 
   ~20分後~
 
 
 
 「……仕方ありません。こうするしかないですね」
 「…?どうするんです?」
 
 終わりないベッドの譲り合い討論を終わらせるべく、私は一つの賭けに出ことにした。
 口に出すことを私の羞恥心が全力で止めにかかるが、この際それらはかなぐり捨てることにする。
 
 「……一緒にベッドを使いましょう。それでいいですね?」
 「…………………………へ?」
 
 顔がとても火照っているのが自分でもわかる。
 当たり前だ。今日知りあったばかりの人と、床を共にしようと行ったのだ。
 …………いや、決してそういう意味ではないですよ?ただ単に一緒に寝るだけですからね?

 「え、……っと、古明地さんはそれでいいんですか?」
 「……………はい」
 
 それから、二人してさっきよりも更に顔を赤くさせて、一緒に布団に入る。
 灯りを消して暗くなった部屋の中。沈黙が私の胸に早鐘を打たせる。
 なんとかして鼓動を治めようと、気を紛らわせるために○○さんの心に"目"を向ける。
 
 (明日講義が休みで本当によかったよ。こんなんで行ったら何も頭入るわけない……。今夜寝れるかなぁ?)
 
 彼の方もやはり同じように、心臓が過剰労働に精を出しているようだった。
 私も、今夜寝れるのか全く分からない。
 互いに反対側を向いている状態ではあるが、狭いシングルサイズである以上
 背中はどうしてもくっついてしまう。
 ほんの少し触れているだけだが、それでもやはり意識してしまう。
 
 だが、そうこうしているうちに○○さんの方から静かな寝息が聞こえてきた。
 程なく、私も強い睡魔に襲われる。何分いろいろと起こりすぎた一日だったため、疲れは相当溜まっていたのだろう。
 
 そう考えているうちに、布団の暖かさと背中のぬくもりが誘うまどろみの中へ、私の意識は連れ去られていった。
 


──────────────────────

「ん、…んん……」
 
 カーテンのわずかな隙間から、冬の朝日が差し込んでくる。この光量ならば、今日は快晴だろう。
 それが向かう先に、ちょうど良く俺の目である。眩しいったらありゃしない。
 
 布団の中の温もりという呪縛に、わずかながら覚醒を始めた意識で立ち向かい、目を覚ます。
 朝の睡眠欲との格闘はただでさえ辛いというのに、冬ともなれば状況はさらにこちらに不利となる。
 
 とりあえず起き上がろうと、体を起そうとするが、何かに引っ張られ中断させられる。
 
 「……ん?」
 
 自分の服を見やれば、自分のものではない誰かの手がキュッっと服を握りしめていた。
 寝ぼけて瞼が完全に開いていない目で、その手の行き先を追っていく。
 

 たどり着いた先にいたのは、スゥスゥとかわいい寝息を立てて眠っていらっしゃる古明地さんでしたよ。
 
 
 
            ……ん?古明地さん!?
 
 さっきよりガッツリかっ開いた目で再度確認する。
 うん、まぎれもなく古明地さんです。
 
 ここで状況を整理してみよう。
 私は今寝起き。そしてベッドから起き上がろうとしたところである。
 そして隣を見やれば、俺の服を握ってかわいらしく寝ている古明地さんの姿があった。
 
 
 
 これらの点から導き出される結論。すなわち、昨日のうちに「そこまでよ!」
 
 
 
 いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや。
 落ち着け俺。落ち着くんだ俺。ま、まだあ、あああわわわあわてるようなじ、じかんじゃあない。
 そうだ。これはただ寝ぼけている俺の脳が誤作動を起こした結果の判断だ。
 そう思い、俺は頭を完全覚醒させるべく、自分の頭部にアイアンクローをかける。
 天国のフリッツ・フォン・エリックよ、今だけ俺に力を貸してくれー!
 ギリギリと頭を締め上げる痛みの中、必死に昨晩の記憶を掘り返す。
 
 「…………あ、そうだった」
 
 そうだ。昨日は寝ることになってからどっちがベッドを使うかで長い論争となり、
 結果として一緒に寝ることになったんだっけ。
 で、講義やら突然の古明地さんの居候決定やらで疲れがたまっていたから、
 結局すぐに寝ちゃったんだ。そうだそうだ、やっと思い出せた。
 
 よかった。俺、人間として最低なところに落ちたわけじゃなかったんだ……。
 
 「…ん、………う~ん、ん……」
 
 自分が許されざる罪を犯した人間でないことを確認していたところで、古明地さんも起き始めたようだ。
 トロンとした目と、力の抜けたような表情でこちらを見つめてくる彼女。
 ちょっと待った。その表情は本当に何人か殺せる威力だ…。
 
 「ん、…おふぁよ……ござ…ま、す……」
 「あ、ああ、はい。おはようございます…」
 
 先の垂れた袖でむにゃむにゃと目をこすりながら、フラフラと舟を漕いでいる。
 古明地さん、朝弱いのかな?
 だが、彼女のその仕草の一つ一つが、可愛さをアピールしまくっている。
 露骨に私を魅了してくる………いやらs…くはない。かわいらしい。
 
 とりあえず、彼女が起きてくれたことで物理的に俺をベッドに縛り付けていた手もほどかれたので、
 ベッドから起き上がる。おそらく赤くなっているだろう顔を、早く洗って来るためである。
 
 「………大丈夫かなぁ、俺」
 
 まだ一夜が明けただけだというのに、(主に理性的な意味で)精神に不安を覚える俺。
 とりあえずは、今脳内にある煩悩を顔の汚れとともに水へと流すことにしよう。
 
 
 
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 
 
 さっさと顔を洗い終えて、居間へと戻る。
 何とか顔の熱もとることができ、ひとまずは大丈夫だ。  …たぶん。
 
 居間の戸をあけると、炬燵で暖まっている古明地さんと目が合った。
 
 「おはようございます、○○さん」
 「おはよう、古明地さん」
 
 寝起きにできなかった朝の挨拶をもう一度ちゃんと交わして、俺も炬燵に入る。
 すでに古明地さんが電源をつけていてくれたので、十分暖かい。
 うん。やっぱり冬には炬燵。異論は認めない。
 
 「っとそうだ。古明地さんも顔洗ってきたらどうですか?
  その間に俺、軽くだけど朝食用意しますから」
 「えと……………じゃあ、お言葉に甘えて」
 
 逡巡してから、古明地さんは立ち上がる。
 大方、また「居候の身で」と言ってもどうせ自分が折れることになるとでも考えたのだろう。
 勿論そうするつもりだったが。
 
 「……お見通しですか」
 「それを言うなら、古明地さんもね」
 
 思考と能力による読み合いを交わし、クスクスと互いに笑い合う。
 そして、俺も炬燵から出て台所へと向かう。
 
 「さて、と………トーストくらいなもんか、やっぱり」
 
 古明地さんが顔を洗っている間に、何か軽いものを作ろうといろいろと食べ物を探してみる。
 が、結果としてはこれから朝食とするには時間がかかるようなものが大半で、無難そうなものはパンくらいだった。
 まぁ、朝だしそんな食えないからいいよね。あと紅茶とインスタントのカップスープでもあれば十分か。
 
 というわけで、トースターにパンを2枚入れ加熱開始。
 その間に電気ケトルでお湯も沸かしておき、紅茶とスープの準備も済ませておく。
 簡単ではあるが、それなりには充実した朝食が見えてきた。
 
 「まぁ、こんなの休日でもなきゃ、やんないしなぁ」
 
 講義などで朝から行かなければならない場合、朝食を用意する気力など微塵もわかない。
 大体何も食べずに学校へ行き、昼まで我慢するというのが日常である。
 朝が面倒なのもあるが、下手に何か少し食べるだけだと、逆にお腹がすいてしまう。
 集中力などにさほど影響も見られないので、普段はそうしてきた。
 
 「……っと、もう沸いたか」
 
 また思考が変なベクトルに向かっている間に、電気ケトルは忠実かつ迅速に自分の任を果たしてくれたようだ。
 結構便利だよね、これ。すぐ沸くし、ガスと比べて安かったはずだし。
 そう考えながらも、スープの粉末を入れたマグカップにお湯を注ぎ、ティースプーンでかき混ぜて、まず一品完成。
 次に、紅茶用のティーポットにもお湯を注いでいく。うん、これで紅茶もそのうち出来上がる。
 
 「あとは、っと」
 
 残るトースターに目を向けようとしたところで、チンと小気味よい音が響いた。
 見てみると、焼け具合もちょうどいい塩梅だ。焦げすぎず、生焼けすぎずという奴である。
 サッと皿に移して、本日の朝食完成である。
 
 「おいしそうですね」
 
 タイミング良く、古明地さんも顔を洗い終わったようだ。

 「えぇ。冷めないうちに食べましょうか。」
 「運ぶの、お手伝いします」
 
 二人で、居間の炬燵の上へと朝食を運び、俺は冷蔵庫からジャムとマーガリンも引っ張り出しておく。
 彼女は紅茶用のカップと砂糖を用意してくれていた。
 こうまでスムーズにご飯が用意できるのは、結構気持ちいい。
 
 「よし。では、いただきましょうか」
 「はい、いただきます」
 
 そう言って俺たちは、簡単ではあるが休日の朝食を食べ始めた。
 
 
 
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 
 
 朝食の片付けを終えて、二人で炬燵にあたりながら紅茶を堪能する。
 
 「さて、とりあえず当面の問題を考えますか」
 
 そう。彼女が居候と決定したのは、ほんの昨日のこと。
 準備も何もあるわけない。なので、当然入用となるものは大量にあるわけで。
 
 「まずは……服、ですかね?」
 「まぁ、そうですよね。その…下着も、一着では足りませんし………」
 「えと、…うん、そう、ですよね……」
 
 まずは古明地さんの着るものの用意だろう。いつまでも俺の服のみを着せるわけにもいかないし、
 ましてや毎日同じ下着なんて、俺だって御免である。
 
 「とはいえ、現状じゃ服屋にも行けないしなぁ……」
 
 今古明地さんが着ている服は、俺が昨日クローゼットから用意した急ごしらえのものである。
 部屋の中で着ることだけしか考えてないため、外に出るには無理がある。
 また、元々彼女が着ていた服も、デザイン性が一般的な服と比べ若干の相違点がある。
 これを乾かして着て行ったとしても、かなり目立つだろう。
 
 「となると………あ、アレがあったか」
 「…? なにかあったんですか?」
 「えーっと、家に居ながら買い物するって方法です」
 「家に居ながら…ですか?」
 
 首をかしげ、全く見当がつかない様子を見せる彼女を尻目に、
 俺はパソコンを起動させる。そうだよ、この方法があったじゃないか。
 
 「インターネットっていうのを使って、お店から商品を送ってもらうことができる方法があるんですよ。
  料金の払い方とかが、ちょっと変わってますけど」
 「………よくわからないですけど、それで家に居ながら買い物ができるんですか?」
 「えぇ、炬燵に入ってお茶を飲みながらでも」
 
 よほど外の世界の文化が予想を超えているからだろうか、
 古明地さんはポカンと口をあけて、唖然とした表情を露にしている。
 そんな古明地さんの表情を見て楽しみつつも、手を動かしながら通販サイトを開く。
 
 「っと。それじゃあ、探していきましょうか」
 「…え、あ、はい」
 
 古明地さんを無我の境地から呼び戻し、一緒の画面に映された女性用衣料品を見ていく。
 
 「外の世界にはこういう服もあるんですね。………あ、これかわいい」
 「んと、これですか?」
 「えぇ。あ、これも……」
 
 
 
 ~しばらくして~
 
 
 
 「とりあえずは、これだけあれば十分ですね」
 「そうですけど、……その、お金の方は…」
 「大丈夫ですよ。これくらいならなんとかなるし、八雲さんからいくらかもらえるみたいですから」
 「えと、そうですか」
 
 いくらか見漁って、4,5着ほど買い物カゴへとつっこんだ。
 出かけることも配慮し、そう不自然には見られないものを選んだ。俺の視点だけれど。
 まぁこれだけあれば当分は大丈夫だし、足りなくなっても服屋に買いに行くこともできる。
 
 まぁ、服のサイズを選ばねばならなくなって、古明地さんが自分サイズを知っていないことに気付いた。
 一応、簡単な裁縫セットの中にメジャーがあってよかったけど………
 一人じゃサイズを測るのはむずかしんだよね。
 こういうところで女性の3サイズ知るなんて思ってもみなかったよ………ホント。
 
 まぁそういうことは早く忘れた方がいい。変に思いだすと後で厄介になるし。
 そして次は……あぁっと………下着、か………
 一難去ってまた一難ですかぃ………
 
 「……えと、下着のほう、なんですけど………」
 「………はい、その、…見させてください………」
 
 そういうことで、俺は生涯自分のパソコンで覘くことはまずなかったであろう女性下着のページを開く。
 表示されて、ざっと販売している商品の写真を彼女に見せていく。
 俺はできる限り見ない。てか見るわけにいかないだろ。人の買おうとしている下着なんて……。
 
 「……えっと、…これとこれと、あとこれを………」
 「………はい」
 
 うん、そうだよね。操作するの俺なんだから結局見なきゃならないんだよね。
 けど大丈夫。なにも見なかったよ俺。ウン、ナニモミテナイデスヨ。      …… ミ テ ナ イ デ ス ヨ
 
 「………まぁ、こんなもんですね……」
 「…えぇ、そうですね……」
 
 なんとか服の注文を終え、最後の注文確定を済ませる。
 勿論、できる限り早く届くように設定した。だが、早くても明日か明後日が限界だろう。
 
 「さすがに、すぐに届くことはないですか」
 「まぁ、注文を受けてから品物用意して、それを送ることになりますからね。
  こればっかりは仕方ないですから。もう少し我慢してください」
 「大丈夫ですよ。少し待てばいいだけの話なのでしょう?」
 
 すぐには用意できないため、それまでの間我慢してもらいたい旨を伝えると、柔らかく微笑みながら快く許してくれた。
 うん、古明地さんってホントやさしいひとだな。
 それにこの笑顔だし。見ているこっちが自然に笑える笑顔ってやつなのかな、こういうのを。
 
 「…貴方も十分やさしい人ですよ。○○さん」
 「え?…そ、そうですか?」
 「いきなり自分の部屋にいた、見ず知らずの妖怪を、流れとはいえ
  居候として迎え入れてしまう人が薄情ですか?」
 「そう言われると、ちょっと照れ臭いですね……」
 
 なんていうか、むず痒いやら恥ずかしいやらいろいろな感情が俺の体を錯綜している。
 こうも言われると、その、なんか照れる。いかん、また顔が赤くなる。
 なんか適当に話題を振って、話を変えなければ。 …多分、この考えもお見通しなんだろうけど。
 
 「ま、まぁ服はこれで大丈夫ですね」
 「ふふ、そうですね」
 
 少々詰まりながら言葉を発する俺と、それを見てクスクスと笑う古明地さん。
 そんな古明地さんを見ていると、ふと目に入ったものがある。
 あの胸の目玉のアクセサリーだ。
 そういえばよく覚えていないけど、昨日シャワー浴びた後もずっとつけてた様な気がする。
 そんなに大事なものなのかな、アレ。
 
 「………アクセサリーじゃなくって、本物の"目"ですよ」
 「へ?本物?」
 「………気付かなかったのですか?」
 
 全然気付かなかった。
 たしかによく見てみると、生き物のような質感であるようにも見える。
 目玉から続く管のようなものをたどってみれば、その一つは彼女の頭へと続いていた。
 
 「これは"覚り"がもつ第三の目。心を見るための目です。
  勿論、体の一部ですよ」
 「第三の目?」
 
 そうだった。彼女は妖怪だったんだ。
 そういう風に言われれば、確かに合点はつく。
 まぁ、普通に考えたらアクセサリーが微妙に宙に浮いてるはずないか。
 
 「……本当に装飾品だと思っていたんですね」
 「えーっと、お恥ずかしい話で…」
 
 心なしか、第三の目が俺を見てあきれたような表情を見せる。
 う~ん。さすがに、ちょっと反省かな。
 
 さて、ほかにやることはあったかなぁ。
 

 
 
  
 
 
 
 まだ、休日は始まったばかり。

──────────────────────

 冷たい空気の中、暖かな炬燵にいながらの(ちょっと恥ずかしかった)買い物を済ませた私たち。
 といっても、私には買い物をした実感なんて全然わかないけれど。
 彼が言うには明日か明後日くらいにはここに服が届くらしい。
 外の世界では面白い商売があるようだ。
 幻想郷でも誰かやってくれないだろうか。なかなかに繁盛できそうなものだとは思うが。
 
 「あーっと、とりあえずは服の代金の払い込みかなぁ。
  ……そういえば服って言ったら、洗濯するの忘れてた」
 
 そうつぶやき、○○さんは立ち上がる。
 いくら外の世界といえども、買い物をするならば代金を払うのは当たり前のようだ。
 彼が言うには、今回はちょっと特殊な払い方らしいけど。
 
 「そういや掃除もしなきゃならないか……買い物も行かなきゃだし、
  思ったよりやること多かったなぁ……」
 
 彼は頭を掻きながら、気だるそうな困ったような表情を浮かべる。
 わりと、今日中にやるべきこと家事がたまっていたようだ。
 加えて、私と言う非常要素も入ったため、さらに仕事は多くなる。
 
 「えと、ちょっと出かけなきゃならないんで、
  古明地さん留守をお願いします」
 「あ、はい。わかりました」
 
 (まずは代金を払わなきゃだからなぁ、コンビニで……。けどお金下ろさなきゃだし、
  コンビニじゃあ手数料とられるから銀行かなぁ……)
 
 上着を着ながら、彼は外でやるべきことを順序立てているようだ。
 こんびに、というのはよくわからないが、いろいろと回らなければならないということはわかった。
 
 「それじゃ、行ってきます。カギは閉めておきますね」
 「はい、いってらっしゃい」
 
 玄関先まで見送り、彼が出払ったことを確認する。
 
 「さて、あの人が外にいるうちに、私もできることをしましょうか」
 
 出かけようにも服がない私は、出掛けることなどできない。
 ならば、家の中での家事をこなしておくだけだ。
 すこしでも彼の負担を減らしておくため、私は行動を開始する。
 
 「まずは、……洗濯からね」
 
 何から始めようかと考えたときに、洗濯かごにたまった彼の洗濯物が目に付いた。
 見ただけでも、おおよそ1週間分はたまっているであろう布の山。
 まずはそれを片づけることにしよう。
 
 「洗濯は、確か…………洗濯機とかいうのを使うのね」
 
 先程、彼が今日の段取りを考えていたときに、私が黙っていたのには理由がある。
 この分だと彼からこちらの道具について聞くことはできないと思い、
 あらかじめ彼の心を読んで、その中から家事に関する記憶を読みだしていたからである。
 そうすれば、なんとか彼の記憶をたどることで、家事を行える。
 私の能力「想起」も、場合によってはこういう使い方だってできるのだ。
 
 

 さぁ、家事を始めましょうか。
 
 
 
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 
 
 
 「本当に外は便利なのねぇ…」
 
 しみじみとそう思う。
 洗濯は洗濯機に入れ、洗剤を入れて後は待つだけ。
 掃除は箒の代わりに掃除機が埃を集めてくれる。
 要は、大体が道具に任せてかなりの工程が省かれているということだ。
 
 「洗濯は干すだけだし、掃除もあっという間に終わってしまうし……」
 
 地霊殿での生活が、嘘のように感じるほどの差である。
 とはいえ、向こうでも私一人で家事すべてをこなしていたわけではないが。
 
 「こっちの主婦の人たちは、さぞ時間が余っているでしょうね」
 
 まだお昼前だというのに、大半の家事がかたづいてしまったのだ。
 そう思ってしまっても無理はない。まぁ、一人暮らしの部屋だから家事の量も少ないのだろうけれど。
 ……そういえば今私のやっていること、まんま主婦のそれよね。
 主婦ということは、要は妻ということで、それはだれかが私の夫であって………
 
 「…………………ッ!わ、私ったら何を!」
 
 変な想像が働いてしまい、とたんに私の顔が熱気に支配される。
 誰かが今私を見ているわけでもないのに、一人で何をやっているの……。
 私、こっちに来てからどうかしてしまったのかしら?
 
 その時、何の前触れもなく私の中の記憶が浮かび上がる。
 
 (いつか嫁さんをもらうなら、古明地さんみたいに料理の得意な人が良いなぁ)
 
 瞬間に、私の頭の熱はさらに上がる。
 
 「いいい、いや。あれはこ、言葉のアヤみたいなもので………
  で、でも、私みたいなって言ってたから…………ッ~!」
 
 もはや止められなくなった無意識の暴走に、顔を押さえながら悶える。
 心を読む妖怪が、自分の妄想に苦しまれるってどういうことなの、もう。
 こんな状態を、○○さんに見られでもしたら次の瞬間には恥ずかしさで死んでるわね、私。
 
 ガチャッと、玄関の方からの音が聞こえた。
 どうやら彼が帰ってきたようだ。
 
 
 え、帰ってきた?
 
 えええええええええええええええええええちょ、ちょっとまって!
 ここここここ、こんな状態見せられないって言ったそばなのに!
 は、はははは、ははやく表情を取り繕わなきゃ!
 え、えっと、たしか落ち着くには素数を数えるのよね。
 2,3,5,7,9,11,13,17,19……………
 
 「ただいま」
 「お、おかえりなさい…せ、洗濯と掃除、やっておきましたよ……」
 「え!?…あ、ほんとだ」
 
 かなり不自然な発音となったが、話題をすぐ逸らすことで何とか回避できたようだ。
 表に出さないように、心の中で大きく息を吐く。
 
 「いやぁ、ありがとう古明地さん。
  お礼という形になるか分からないけど、一緒にこれ食べましょうか」
 
 そういって、彼は出かけた時には持ってなかった白いツルツルの袋から
 小さな変わった形の箱を2つ取り出す。
 
 「え?……なんですかそれ?」
 「雪見大福ってアイスです。炬燵で食べるとおいしいんですよ、コレ」
 
 差し出された1つを受け取り、上着を脱いだ彼と一緒にこたつにつく。
 いまだに渡されたものの正体がよくつかめないが、一応食べ物らしい。
 ということは、これをあけるのだろうか?
 
 「あっと、ここを引っ張ってあけるんです」
 
 見かねたのか、彼が教えながら開けてくれた。
 包装を取り払った中には、窪みに収まった2つの雪玉のようなものだった。
 
 「で、その緑色の楊枝を使って食べてください。おいしいですから」
 「あ、はい」
 
 言われるまま、隅につけられている楊枝をとり、1つのたまに刺す。
 どうも、粉砂糖のようなものが振りかけられてあるようで、こぼさぬよう気をつけて口へと運び、小さく一口。
 
 瞬間、私の舌はかつてない経験に遭遇する。
 
 表面は薄いおもちのようなもので包まれていて、中には冷たくて柔らかい物が入っていた。
 少し歯ごたえがあるくらいのクリームのようなもので、甘くておいしい。
 表面のおもちと一緒に、口の中をやさしい甘さと冷たさが満たされていく。
 さらに言えば、こたつにいて足元は暖かく、口では冷たさが味わえるという不思議な状態が、
 これほど気持ちのいいものだとは、全く予想できなかった。
 
 「これは、とてもおいしいですね」
 「でしょう?俺も好きなんですよ」
 
 彼も、雪見大福をほおばりながら幸せをかみしめるような顔をしている。
 私も、また雪見大福を口に運ぶ。うん、やっぱりおいしい。
 
 (古明地さんの今の表情すごいかわいいなぁ。ホニャッって綻んでるのが特に)
 
 ……またですか。少しは耐性付きましたけど、やっぱり恥ずかしいんですから。こういうこと。
 そういう彼も、似たようなものだと思う。
 今の彼の表情を例えるなら、おやつをあげた子犬のような感じである。
 
 「………貴方だって、人のこと言えませんよ? そんなに幸せそうな顔をしていたら」
 「え?、あ……そ、そうですか?」
 「殺人的なかわいさ、とまでは言えませんが、十分魅力的ですよ」
 
 意地の悪い笑みを浮かべながら、昨日の反撃に出る。こういうのは、言われるほうが結構恥ずかしいのだ。
 
 「あ、あまりからかわないでください……」
 「ふふ、これでおあいこですよ」
 
 頬を染めて、彼は視線をそらす。私はクスクス笑いながら雪見大福をほおばる。
 ○○さんって、案外からかってみると面白い人なのかもしれないわね。
 
 (なんか、古明地さんにはかなわない様な気がしてきたなぁ……
  これからあんまからかわれなきゃいいけど………)
 
 「それは保障できませんね♪」
 「………ほんと、かなわないなぁ」
 
 
 
 互いに頬笑みながら、こたつで雪見大福をつつく。
 また新しく見つけたちょっぴり幸せな時間は、ゆるゆると過ぎて行った。


──────────────────────

 
 「しかし、やることなくなったなぁ………」
 
 午前のまったりとした時間も終わり、昼食も済ませた今、一人つぶやく。
 片づけは古明地さんが今やってくれているので、俺は炬燵でこれから何をしようか思案中といったところだ。
 
 「洗濯と掃除は古明地さんが済ませてくれたからなぁ。
  払い込みも終わったし、買い物も済ませたし、しばらく分のお金も下ろしてきたし…」
 
 先程出かけたときに、外で済ます用事もすべて終わらせた上に、
 家の中のことも、古明地さんがその間に片づけてくれていたため、やるべきことはすべて終わってしまったのだ。
 これから出かけようにも、古明地さんの服がまだ届いてない以上、不可能だ。
 ましてや、自分ひとりだけ出かけて楽しもうものなら、彼女一人を退屈させてしまう。勿論それも却下だ。
 
 「………しかし、さすがにあれはないだろ」
 
 出かけることを考えているうちに、あることを思い出す。
 それは、さっきお金を下ろしに訪れた銀行のATMコーナーでの出来事だった。
 休日の午前中ということで、誰もいない銀行の一角で端末を動かして金を下ろそうとし、
 注文した服の代金+生活費分を入力し、残高の確認画面でそれは起こった。
 
 自分の見間違いでなければ、通帳の残高が6桁から8桁へクラスアップしていたのだ。
 
 あまりに驚いたので、一度手続きを中断して通帳の記帳を行った。
 そして、機長の終わった通帳を手に取り、中からおかしい点を探す。
 すると、一つの行が俺の目にとまった。
 
 「振込(ボーダーショウジ ヤクモ ラン  \********」
 
 見慣れぬ会社からの多額の振込。そこに書かれているヤクモ ランの名前。
 そこでよみがえってきたのは、昨日の電話だった。
 
 (まずそちらに、金銭の面でいくらかお送りいたしました)
 
 いくらかってレベルじゃねーぞおい。勢い余ってレベルアップしてるんですけど、うちの通帳。
 その時の表情を、誰かに見られなかったのは本当によかった。
 人がいたら、大方ハトが散弾銃食らったような顔をしている俺は、周囲からむちゃくちゃ見られてたであろう。
 
 「……まぁお金が必要なのは事実だからいいけど」
 
 そういうことでこの事は諦めることにする。無いより多い方が良いのは当然である。
 とはいえ、それに甘えて自堕落に豪遊するような生活をするつもりは毛頭ない。
 俺はアリとキリギリスでいえば、間違いなくアリ派だと言い切れる。
 まず普段は金を使おうと思わないし、使うのもできる限り必要最低限に抑える。
 というより、大金を使うような勇気がないヘタレなのだが。遊ぶ時などの例外はあるが。
 
 「節制しようと心から思えるのは、いいことだと思いますよ。
  豪遊するのは、勇気があることとは言えませんから」
 「…そう言ってもらえると助かります」
 
 ちょっとネガティブシンキングが入ってきたところで、
 洗い物が終わった古明地さんに突っ込まれる。
 考えを読まれて何か言われるのも、最初は戸惑いもしたが
 慣れてきたら、それはそれで結構楽しい物に思えてきた。
 
 「………本当に貴方は変わった人ですね。考えを読まれるのが楽しいなんて」
 「え?そうですか?」
 「普通なら気味悪く思って、やめてほしいと思いますけど」
 
 炬燵についた彼女に、首を傾げられながら言われてしまった。
 そういうもんなんだろうか?
 まぁ嘘がつけないというのはあるのだろうけど、俺嘘つくの昔っから下手だしなぁ。
 おまけに喋るのもあんま得意じゃないから、会話とかに入るのも全然できなくて、
 言いたいことが言えないなんてことも、今でもしょっちゅうだからなぁ。
 
 その点、彼女と会話してると不思議と会話が進む。
 彼女が思考を読んでくれるおかげで、会話のきっかけはいくらでも生まれてくれる。
 たまに、ちょっと恥ずかしい考えも読まれてしまうけど、
 それらも含めて彼女と話すことが楽しく思えるから、仕方ないものと考える。
 
 「………ほんと、変わった人」
 
 そういう彼女の声はトーンが下がっていて、見てみると表情もどこか愁いのようなものを帯びている。
 
 「えっと、……何かまずいこと考えちゃいました?」
 「いえ………私の知っている人間とは、貴方は違いすぎているから」
 

 それから、彼女の向こうにいた時の話を聞いた。
 
 
 
 彼女は"覚り"。心を読み取る妖怪。
 だが、心を読まれることは普通の者からすれば耐えがたいものである。
 
 自分の考えていることが見透かされて。
 何をしようにもそれすらお見通しで。
 気付いた時には心の傷を見つけられて。
 何のためらいもなくその傷を抉り返されて。
 
 故に、"覚り"は誰からも忌み嫌われる種族として定着した。
 
 向けられる感情はいろいろだった。
 憎悪、恐怖、憤怒……どれもこれも黒いものばかり。
 
 そんな感情に耐えられず、それから逃げる場所を探し、
 人とも妖怪とも相容れず、誰にも接すること無く生活するために、旧地獄の管理を請け負った。
 それがどれだけ前のことだったかは思い出せないという。
 
 地底の奥底。
 地獄の灼熱と地底の寒気が合わさる、暗い暗い地下の地下。
 
 動物と妖精と怨霊だけがそばにいて、他には誰もいない旧地獄。
 
 じめじめと湿っていて、いつまでも暗くって、誰もいない彼女の住処。
 
 けどそれが、"覚り"のいるべき世界。
 
 
 
 「………ごめんなさい。こんな嫌な話をしてしまって」
 「いえ……それより、俺こそすいません。
  嫌なことを思い出させてしまったようで………」
 「いいんです。事実ですから」
 
 そういった彼女の顔は、確かに微笑んでいた。
 だが、目には確かに悲しみと諦めの色が浮かんでいる。
 古明地さんの表情は綺麗なものだが、それを見てもこちらの心はなぜか辛くなった。
 
 「忌み嫌われる私には、あの暗い地底が似合いです。
  私の心と同じように、ジメジメとして、誰からも好かれないあの地獄が。
  それが私ですから」
 
 「………そんなことないです」
 「…え?」
 
 そう、そんなことない。
 今の俺の心が、半ば反射で俺の想いを、言の葉として紡ぎだす。
 
 
 
 
 「たしかに貴女は心を読むけど、それで貴女は不快になるようなことをする人じゃない」
 
 -たった少しの間だけど、俺はそうされなかった-
 
 「それは、貴女が優しい心を持っているからじゃないですか?」
 
 -俺にはそうとしか思えない-
 
 「心を読んでも、そこで相手を思いやる気持ちがあるからじゃないですか?」
 
 -心を読んでなお、相手を気遣うことなど大抵の者にはできない-
 
 「そんな人が嫌われる要素なんてありません」
 
 -そうだ、そうとしか思えない-
 
 「むしろそんな気遣い、普通の人にはできません」
 
 -心を読んでなお、それを思いやれるのはそれだけ心の強い人しかできないことだから-
 
 「少なくとも俺は………」
 
 -ほんの昨日会ったばかりだけど-
 
 
 
 「古明地さんのこと、好きですよ」
 
 
 
 
 
 
 「………………って、俺何言ってんだ!? あ、あと、その、
  すいません。偉そうにベラベラと………」
 
 勝手にしゃべり続けて、今更そのおこがましさに気付いた俺は、急いで弁解する。
 
 「たった昨日会ったばかりの者が、知った風にヅケヅケと、言っ、て…………」
 
 謝る為に古明地さんの方を向く。そこで、俺の目に入った光景。
 
 彼女はポロポロと涙を流していた。
 
 「え、え、あと、ああの、すいません! 本当に勝手なことばっか言って………」
 
 あわてて彼女のそばへと駆け寄り、より深く弁明をする。
 と、突然胸元に衝撃が来る。
 見やれば、そこには紫色の癖のある髪。古明地さんの頭だ。
 
 「え、えと、古明地さん!?」
 「…………すい…せん、………こう…せて……ださい…………」
 
 泣きながらのため、ところどころ聞き取りづらいが、こうしたいということらしい。
 古明地さんは、俺の胸元で声を忍ばせながらも涙を流している。
 
 その姿が、今にも崩れて消え去ってしまいそうなほど儚く見えて。
 その姿を、どうしても守ってあげたくなって。
 俺は彼女の背中に手を回し、ゆっくりさすってあげることにした。
 少しでも、彼女の気分が晴れるようにと。
 
 
 
 
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 
 
 
 「……………少しは、落ち着きました?」
 「……………えぇ…ありがとうございます……」
 
 しばらく泣き続けていた古明地さんも、だいぶ落ち着きを取り戻してきたようだ。
 顔をあげてくれた彼女の顔には、いくらかの涙とほんの少し頬に朱が残っていた。
 
 「……すいません、こんなこと」
 「いえ、大丈夫ですよ」
 
 すこし腫れた目で、こちらを見上げながら謝る古明地さん。
 涙はまだ残っているけど、その表情に悲しそうな色はもう見当たらない。
 
 「こんなことで貴女の気が晴れるなら、俺はよろこんで」
 「………ありがとう」
 
 その時に彼女が見せてくれた笑みは、見たこともないほどきれいで。
 そんな表情にあっけにとられていると、彼女は再び顔をうずめる。
 
 「……一つ、お願いしてもいいですか?」
 「え、あ、はい。なんですか?」
 
 「名前……で呼んでください。あと、敬語もやめてください」
 「へ? 名前、でですか?」
 
 突然の彼女の頼み。それは名前で呼び、敬語をやめるようにとの内容だった。
 
 「えーっと、名前…ですか………」
 「………ダメ、ですか?」
 「……………あの、一つ、条件いいですか?」
 「…………なんですか?」
 
 「古明地さんも、同じようにしてくれませんか?」
 「………私も、ですか?」
 
 顔をあげ、不思議そうな表情でこちらを見つめてくる古明地さん。
 俺だけ、彼女に敬語なし、というのも不自然だし不公平だろう。
 だったら、両方ともにすればいいと思い、提案する。
 
 「…………わかりました」 
 「えと、じゃあせーので呼ぶってことで」
 「…はい」
 
 いざ名前で、しかも敬語抜きともなって、なぜか緊張してきた。
 いや大丈夫だ俺。ただ名前を呼ぶだけなんだから。
 
 「えと、せーのっ」
 
 
 「さとり」「○○」
 
 口に出した瞬間に、なんとも言えない気恥ずかしさが俺たちを包み込む。
 とりあえず俺は、顔を天井の方へとそらした。彼女も、今一度顔をうずめる。
 
 「……え、えと、なんでまた、名前で?」
 
 沈黙を破ろうと、何とか話題をひねり出す。
 
 「………なんとなく、そうしてほしかったから」
 
 そう言ってさとりは、俺の背中に両手を回し、ひしと抱きつく。
 瞬間、俺の心臓はトランザムも真っ青と言うほどの速度で鼓動を開始した。
 
 「え、と、その、…………」
 「………貴方の心臓の音、すごいことになってる」
 「え?」
 
 彼女は俺の胸に耳を当てて、どこか幸せそうな表情を見せている。
 
 「トクン、トクンって、ちょっと速いけど、優しい音が聞こえる………」
 
 そんなさとりの表情を見て、少し落ち着いてきて。
 気がつくと、再び俺も彼女の背中に腕を回していた。
 
 
 
 まだかなり気恥ずかしいけど、それ以上に幸せな気分で。
 何も口に出さなくても、彼女はわかってくれてるから。
 さとりの幸せそうな顔が見れて、こっちも幸せだから。
 そう思いながら、俺たちはしばらく抱き合っていた。
 
 
     おかげで気づいたら夕食の時間だったけどね。
 
 

──────────────────────

 「………ん、うぅん」
 
 冬の朝、ベッドの中の暖かさに包まれながら眠る私に、
 カーテンからの木漏れ日が朝であることを告げる。
 まだ眠気は取れないが、意志を強く持ち目覚めへと向かう。
 ちょっと今日からは、早めに起きたいからだ。
 
 袖の余る借り物の服から指を出し、クシクシと目をこする。
 少しだけはっきりした私の視界には、○○の胸がいっぱいに広がっていた。
 胸板は厚くないけれど、どこか頼りがいというものを感じるのは、彼がやはり男だからだろう。
 
 今の私の状況を簡単に説明すれば、「彼の腕の中に包み込まれている」という表現がぴったり当てはまる。
 寝始めた時はまたちょっと離れていたけれど、冬の冷える夜だからか。
 自然と互いの体が暖かさを求めあった結果、無意識に今のような状態で落ち着いて眠りに落ちたのだと思う。
 私は体を縮めて寄り添い、彼が両腕で私をそっと包んでくれている。
 ただ、やっぱりちょっと恥ずかしい。
 けど、そう。
 
 
 なんていうか、すごく、あたたかい。
 
 
 温度としてもそうだが、何より第三の目 -私の心- が暖かさを感じる。
 漠然としているが、大きな何かに守られる安心感とでもいうのだろうか、それがとても心地よい。
 ずっと触れ続けていたのであれば、このまま溶かされても構わないと思えてしまうほどに。
 
 しかし、そんな誘惑に甘え続けているわけにもいかない。
 彼を起こさぬよう、そっと腕を払いのけながらベッドから抜け出る。
 そう、私にはやるべきことがあるからだ。
 
 昨日の夜、夕食を食べた後の会話を思い出す。
 なんでも、彼は学生と言う身分であり、今は大学と言う施設で専門教育というのを学んでいるとのこと。
 そのため、大体1週間のほとんどは朝から大学へと行かなければならないらしく、
 今日もその大学へと行く日であり、帰ってくるのは夕方あたりになるので、
 すまないがこれから大学へ行く日は、昼のうち留守を預け続けることになると○○は話していた。
 代わりにと、暇つぶしができる物などの場所を教えてもらった。
 
 そこで、大学というものが何か分からない私は、
 彼の心から記憶を探りどういうものか「見て」みた。
 
 はっきりと言わせてもらおう。その場で交わされている言葉が一切わからない。
 
 教鞭をとっているであろう人は何かを壁に描きながら話しているが、
 何に関するものなのかまるでさっぱりだった。話す速度も大変速くて、単語を聞き取ることすら難解である始末だ。
 また、その人の話が終わっても○○は別の場所へと赴き、
 そこで別の人の同じような話を延々聞くという「見ているだけで」耐えがたいものだった。
 彼自身は理解できているようだが、かなり疲れるということが記憶に鮮明に残っていた。
 
 予想を超えて忙しい彼の生活を見て、少しでも楽にしてあげようと私は考えた結果、
 まずは朝食の用意をすることに決めたのだ。
 あんなに頭を酷使するのであれば、朝の栄養はそれに大きくかかわる。
 ほんの些細なことだが、それだけでも彼を支えてあげたい。
 それに、男の人の起きるのを待つのは女の特権みたいなものだし。
     ………って偉そうに言ったって、私もこんなことをするのは初めてなのだけれどね。
 
 「さて、ご飯は炊いてあるけど、他はどうしましょう」
 
 台所に立ち、一人朝食の献立を考える私。
 一応昨日の夜、彼がお風呂に入っているうちに炊飯器で朝に炊きあがるようにしておいた。
 勿論、使い方は彼の記憶に聞いたが。ホント、外の世界って便利ね。
 
 しかし、それ以外のおかずに関してはまだまだである。
 まぁそれが普通なのだが。
 
 「たしか、朝はあまり食べられないって言ってたわね………」
 
 彼はたしか、昨日の朝当たりにそう言っていた気がする。
 「言ってた」というより「心の中でつぶやいてた」のだが、まぁ私にはどっちも大差ない。
 ともかく、作りすぎてもだめならば、簡単に食べられる物を作ろう。
 
 「そうなると……ソーセージと卵焼きに…あと即席のお味噌汁だけでいいかしら」
 
 さぁこれで献立も決まった。
 というわけで、いまだ寝ている彼のためにも、はやく作ってしまおうか。
 
 
 
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 「……と、こんなところかしら」
 「ふあぁ…………おはよう、古明…じゃなかった、…さとり」
 「えぇ、おはよう○○」
 
 サッと朝食を作り、こたつに並べ終えたところでタイミング良く彼も起きた。
 少し寝ぼけているけれど、しっかり昨日の約束も覚えてくれていたようで、ちょっぴりうれしい。
 古明地さん、と敬語交じりの他人行儀に呼ばれるのがどこか居心地が悪くて、
 よくわからないけど、名前で呼んでほしかったので、そう彼に頼んだ。
 まぁ、私も同じように敬語抜きで名前呼びになるとは思ってなかったけれど。
 自分でしてみると少し恥ずかしいものなのね、こういうのって。
 
 けど、○○に名前を呼んでもらったとき、また私の中で知らない感情が芽生えた。
 
 心の奥底を、ゆっくりと温めてくれるような感触。
 ふわふわと、どこかへ浮かんで行ってしまうような飛ぶのとはまた違う浮遊感。
 
 これがどういった感情なのかは、私にはまだよくわからない。
 ただ一つわかっていることは、その感覚が心地よいということだけだ。
 
 「…………ってあれ? これは……」
 「朝ごはん用意しておいたわ。冷めないうちに食べましょ」
 
 やっと意識がはっきりしてきた彼が、こたつの上を見てキョトンとしながらつぶやく。
 そんなに驚かれるようなことしたかしら、私。
 
 (このためにわざわざ早く起きてくれたんだ……朝弱そうなのに)
 
 「…朝弱そうは余計よ」
 「いや、はは…。じゃあ、顔洗ってくるよ」
 
 そう言って、彼は立ち上がり洗面所へと向かっていった。
 どこか嬉しそうな顔は隠そうともせずに。
 
 ちょっと照れ臭そうだけど、とても優しい笑顔。
 ちょうど昨日もあの笑顔だった。
 
 人の心を弄ぶ覚りである私を、優しいと言ってくれた。
 幻想ですら忌み嫌われた私を、好きだと言ってくれた。
 彼の言葉に思わず涙する私を、そっとあやしてくれた。
 
 今まで見たこともないほどの優しい心を持った人、○○。
 
 地霊殿にいた時も、周りにいた子たちは優しくしてくれた。
 お空、お燐、そしてこいし。みんなみんな優しい子たちだ。
 けど、○○の優しさは、彼女たちとは何か違う気がして。
 心を読む妖怪なのに、それがどう違うのかよくわからなくて。
 
 ただ、そんな優しい彼の心に、もっと触れてみたい。
 短い間だけど、少しでも支えていてあげたい。
 何故かは知らないけれど、そう心から思うのだ。
 
 (少なくとも俺は………古明地さんのこと、好きですよ)
 
 そして、彼のこの言葉。
 心で思ったことではなく、私が読む前に発した彼のキモチ。
 それが人としての好意か、はたまた異性としての好意なのか。
 そんな感情を向けられたことなんてまずない私には、
 その心の色を見分けることなんてできない。
 
 「好き……か…………」
 
 その言葉が私の中でずっと引っかかっていて。
 けど、それは決して悪い気分ではない。
 どこか恥ずかしいけれど、知らず知らずのうちに、嬉しい気分が私の中にある。
 
 もしかしたら………なのかしら、ね。
 
 「えと、ごめん。待たせちゃったかな」
 「…いえ、全然」
 
 いろいろと考えているうちに、彼は洗面台から顔を洗い終えて戻ってきたようだ。
 冷えてしまった手を温めようと、いそいそとこたつに入る○○。
 
 「う~、さみ~」
 「温まるのはいいけれど、早くご飯食べないと大学に遅れるんじゃないの?」
 「あっとそうだ。えと、それじゃ頂きます」
 
 まぁ、今すぐ考える必要はどこにもないのだ。
 ともかくは、この簡単な朝食が冷めないうちに彼と一緒に食べるとしよう。
 
 
 
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 
 
 「よい、しょっと。……さて、もう行かないと」
 
 朝食を済ませた後、その片付けを私がしている間に
 ○○は着替え、「ぱそこん」とかいうものや本などの荷物を鞄に詰めて、それを背負う。
 これから、彼は大学へと向かい、あのとんでもなく難しいお話を聞きに行くのだ。
 
 「勉強、がんばって」
 「うん。…じゃあ、いってきます」
 「はい、いってらっしゃい」
 
 朝の冷たい風が吹きつける中出かけていく彼を、玄関先で見送る。
 おそらくは、これが毎日の光景となっていくのだろう。
 
 「さぁ、何からしようかしら」
 
 そんなことを頭のすみで考えながらも、まずは彼が帰ってきたときに
 ゆっくり休めるよう部屋を奇麗にしておいて、御夕飯も用意して待っていよう。
 少しでも彼が、楽になるように。
 少しでも彼が、喜んでくれるように。
 
 
 
 私の一日は、まだまだこれから。

──────────────────────

 「風は無いけど、やっぱ寒いなぁ…」
 
 少し前まで夕暮れ時だったはずの午後6時も、
 今となってはすっかり薄暗がりの時間帯となってしまった。
 
 そんな中を下宿へ向かい歩く俺。
 両手はコートのポケットの中、首は少し下げて肌が外気に触れないようにしながら。
 今日は比較的天気は暖かいらしいのだが、それでも夜が近づけば寒いことに変わりはない。
 
 面倒な講義によって蓄積された疲労を、家に帰って早く休めたい。
 そう思いながら歩けば、いつの間にやらアパートの前だったりする。
 
 鍵を開け、靴を脱ぎ、リュックを背から下ろしつつ居間の戸を開ける。
 
 「ただい、ま………」
 「あ、○○………」
 
 戸を抜けた先、そこに待つのは見慣れた居間と、つい最近居候となったさとりがいる光景のはずだった。
 だがどうだ、今の俺の目に入っている光景は。
 
 淡い水色の逆三角状の布。
 その下二辺から床へと延びる何か。
 白磁のような透き通った色をして、なおかつ桃のような瑞々しさを併せ持っている一対のもの。
 その向こう側には、少しかがんだ状態のままこちらを振り向いているさとり。
 
 おわかりいただけただろうか?
 わからないという方のために、要約して説明しよう。
 
 
 
 
 さとりがお尻こっちに向けて着替えてます。
 
 
 バン
 
 体を反対方向へ捻る動作を行うと同時に、戸を閉める。
 あまりの事態に俺の中の本能的な部分が体を動かしたようだ。
 GJ、俺の本能。お前なら無想陰殺も体得できるよ。
 
 「え、えと、その、あの……ご、ゴメン!」
 「い、いい、いや、い、いいの!き、気にしないから……」
 
 戸の向こう側ではパタパタとあわただしい音がたっている。
 ちなみに言うと、俺の心臓はオーバーヒートを起こしそうなほどに加速している。
 おかげで頬限定だが、温まってくれた。熱いくらいにだけど。
 
 「……………も、もういいわよ」
 
 しばらくたって音が止むと、彼女から入室の許可が下りる。
 も、もう大丈夫だよね?
 
 そっと戸に手をかけ、中に入る。
 
 「えと、おかえりなさい」
 「…………………………………………………………」
 
 こと~、ばに~、できな~い~。(ラーラーラー、ララーラー………)
 小田和正のあの曲が脳内で自動的に再生される。
 そう、本当に言葉にできない。
 
 「その……似合う?」
 
 グレーのカーディガンと白のプリーツスカートを完全無欠なまでに着こなしているさとり。
 シンプルな服だからこそ、素材が光るとはだれが言った言葉だろうか。
 カーディガンは、元々彼女が着ていたものと似たような、少しゆったり目で袖口が広くなるような形となっている。
 スカートもかなり短めのものだが、そこに近頃の若者のような下品な雰囲気は微塵も感じられない。
 清楚であり、可愛さも万全という完全なる状態がそこにあった。
 目の前にいる彼女は問う。似合ってるのか、と。
 
 考えるまでもなく、答えは決まっている。
 
 「すごい、可愛い…」
 「……あ、ありがとう」
 
 茫然としたまま答える俺に、顔を赤らめてさとりは返す。
 いや、この状態でその表情は某世紀末ゲーのトベウリャ並みに反則だって。
 微妙にモジモジしながら顔をそらすのとか、ほんのちょっとだけ嬉しそうな顔とか本気でやばいよ。
 オーラゲージも尽きて、俺の理性がガークラ寸前です。
 まじでとんでもないくらいのかわいさですよ、えぇ。
 
 「ま、またそうやって恥ずかしいことを………」
 「いや、本当にそのくらい可愛いから…」
 
 より朱色が濃くなった顔で反抗するさとり。
 怒ってもかわいいとかもうどうしようもないくらいやばいんだけど。
 
 「……もぅ………と、とりあえず御夕飯できてるから、食べましょう」
 「あ、うん…」
 
 そう言うと、彼女はそのまま台所へと向かい夕食の用意を始めた。
 俺もいつまでも上着を着たままでいるのもあれなので、さっさと着替えるとしよう。
 
 
 
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 
 
 「ところで、さっきの服だけど…」
 「えぇ、今日お昼くらいに届いたの。サインするのなんて初めてだったわ」
 
 夕飯の片付けを終え、炬燵についたさとりに聞いてみる。
 そうすると、彼女は近くに置いてある開封されたダンボールを指して答えた。
 成程、どうりでなんか見覚えがあったような気がしたわけだ。
 そりゃ注文するときに一緒に選んでたからなぁ、今になって思えば確かに注文した服だったな。
 
 「それで、御夕飯も作り終えて時間があったから、ちょっと着てみようと思って」
 
 炬燵から立ち上がり、どう? と見せるようにその場で回るさとり。
 改めて見てもなんというか、服自体がとてもシンプルに仕上がっている上に
 色もどちらかというと無彩色なため、彼女の紫色の髪がとても映えている。
 デザインもおとなしめなようではあるが、それがかえって素材となっているさとりのかわいさを十分に引き出している。
 言うなれば、これ以上なく似合っているということくらいしか俺には判断できない。
 
 「うん、本当にすごく似合ってるよ」
 「ふふっ、ありがとう」
 
 そう言って微笑む彼女の顔には、昨日のような悲しそうな色はどこにも見えない。
 ここにあるのは、とてもやさしいさとりの笑顔だけだ。
 
 あの時、彼女があんなに涙したのは、正直言ってびっくりした。
 俺が好き放題に喋ったせいで、彼女の心の傷を広げてしまったのかと思い、その時ばっかりは本当に焦ってしまったけど、
 泣きやんだ後のあの笑顔は、当分、下手したら生涯忘れられないかもしれない。
 
 「そ、そういうのはもういいから。恥ずかしい……」
 「あっと、ご、ごめん……」
 
 いかんいかん、またこのパターンか。
 まぁ恥ずかしがってるさとりの表情もとてもかわいいんだけど……ってちがうちがう。
 えと、とりあえず、服の話題へと話を戻そう。うん。
 
 「え~っと……他にもいろいろ買ったよね、服」
 「えぇ、今着ているこれを入れて、あと4着ほどあるわね」
 
 先程さとりが指さしたダンボールを見やれば、まだ中にはたっぷり衣類が詰め込まれている。
 端の方にチラッと見えた、ヒラヒラとした様なものは見なかったことにする。
 ………見てないからな!黒いヒラヒラなんて絶対に見てないからな!
 
 と、ともかく、まだいろいろと残っていることが分かった以上、
 それを着たさとりがどんなふうになるのか見てみたくなってきた。
 なんたって、今の時点でとんでもなく高スペックなのだ。
 他のを着てどうなるのか気になるのも、まず無理ないと思う。
 
 「そ、そう……じゃあ着替えて来るから、ちょっと待ってて」
 「うん、楽しみにしてるよ」
 
 そう言って、ちょっぴり嬉しそうな表情をしたまま、彼女は他の服を持って洗面所へと向かっていった。
 
 
 
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 
 
 「さすがに、ちょっと冷えちゃったかしら」
 
 着替えを繰り返していたからだろう。さとりは小さく体を震わせながら炬燵にもぐる。
 ちょっと、悪いことさせちゃったかな?
 
 「気にしなくていいから。私だって、どんな感じか感想を聞きたかったもの」
 「それだったら、本当にどれもかわいかったよ。これ以上なく似合ってた」
 
 あの後、とても小さなファッションショーもどきを行った俺たちだが、本当にすごかったとしか言いようがない。
 どの服を着てもそこいらのモデル以上に可愛く見えるさとりに、俺は終始目を奪われ続けていた。
 というより、そこいらのモデル以上にさとりが可愛いからだとも思う。
 華奢で小柄な体に、透き通るような白い肌。すこしだけ癖がある、柔らかそうな紫色の髪。
 顔だって俺が今まで生きてきた中で、これほど整っている人に会ったことなどないほどである。
 
 「だ、だから……恥ずかしいのに………」
 
 赤くなっている拗ねたような顔を、炬燵布団に埋めて隠すさとり。
 そういう細かい仕草とかも、本当にかわいいよなぁ。
 
 「も、もぅ……」
 
 彼女は布団で顔を隠しながら、ジト目でこちらを睨みつけてくる。
 とはいえ、耳まで真っ赤になっている状態では、威圧する意味としてはつかえないだろう。
 まぁあまりからかいすぎても、そのうち返り討ちにあった時が恐ろしくなりそうなので、
 もうそろそろやめにしようか。
 
 と、ふとある疑問が俺の中にこみあげてきた。
 
 「そういえば第三の目がさっき見えなかったけど、服の中にしまってたの?」
 
 そう、さっき彼女が着替えていた時に、彼女の第三の目が見当たらなかったのだ。
 なにかが足りないような違和感はほんの少しだけ感じていたが、
 それの正体に気付いたのは今となってだった。
 
 「あぁ、それなら……んっ、ほら」
 
 彼女がそう言うと、途端に彼女の胸元へ第三の目がスッと入り込んでいった。
 まるで、色のついた水面へと何かがゆっくりと沈んでいくかのように。
 
 「え、え~と、どうなってるの?」
 「言ったでしょう? これは心を見るための目。
  わかりやすく言うなら、心の目ってことになるわ」
 「…と、言うと?」
 「これは私の"心"そのもの。それを目という形に実体化して相手の心を見つめる。
  それが"覚り"という種族なのよ」
 
 そういいながら、再び"目"を露にするさとり。
 成程、人の目を見つめるためには自分も目で見つめなければならないように、
 心もまた然り、ということなのかな。
 
 「そういうことで合ってると思うわ」
 「へぇ……ん? けど、なんで出したり消したりできるの?」
 
 そう、当初の疑問はそこである。
 
 「一応私の心だもの。私の中にしまうことだってできるわ。
  ちょっとだけ不都合はあるけど」
 「不都合って、どういうの?」
 「心が読めなくなるの。"目"という形でなければ心は読めないから。
  あと、ちょっとだけ違和感があるから」
 「違和感?」
 「えぇ、なんていうか……慣れない大きめの貴金属を身につけるような感覚かしら?
  そんな感覚なの」
 
 つまり、できなくはないけど、やろうとはそうそう思えないということか。
 
 「そういうことね」
 「たしかに、それならちょっと気は進まないかもね。」
 
 まぁ俺もゴツい装飾品を身につけるのはなんかこう、ちょっと居心地が悪い。
 そういう気分だというのなら、無理にさせたくはない。
 というより、別にそこまで不都合があるわけじゃ…………
 あ、出掛ける時とかはさすがに目立っちゃうか。
 
 「外に出るときはさすがになんとかするわ。
  そんなことで、貴方に迷惑をかけたくないもの」
 「迷惑じゃあないけど、まぁそうしてくれた方が助かるかな」
 「けど、出掛けるなら一緒にお願いしてもいいかしら。
  違和感はいいとしても、心が読めないのは………その、ちょっと怖いから」
 
 第三の目にそっと触れながら、さとりは言う。
 普段から人の心を見ている彼女が、その目を使えない状態のまま
 外出するのは、さすがに怖いらしい。
 人間でいえば、目隠しをしたまま出かけるのに近いのだろう。
 普段できることができない恐怖というのは、誰だって感じるものだ。
 
 「勿論。とはいえ、頼りになるか自信はあまりないけどね」
 「その気持ちだけでいいの。一人だと、"目"を閉じて外に出るのは心細いから……」
 
 そういうことなら、しっかりさとりを支えてやらねばなるまい。
 たとえ及ばずながらも、できる限りは彼女を不安にさせないようにしよう。
 こういう時こそ、男子の役目とか言う奴だ。………………たぶん。
 
 「ふふっ、期待させてもらいます」
 「はは、できる限り尽力させていただきます」
 
 軽い冗談を交わし、笑い合う俺とさとり。
 
 うん。出かけるときだけじゃなく、いつも彼女を支えてあげたい。
 こんな幸せな時間を、少しでも長く味わいたいから。
 少しでも長く、さとりの笑顔を見ていたいから。
 そう、心の奥底から、何故か自然と思える。
 
 さて、次の休日は、どこにいってみようかな。
 せっかく一緒に出かけられるようになったのだ。
 できることなら、彼女にこっちの世界を楽しんでもらいたい。
 
 街に出て、買い物でもしようか。
 気になっていた喫茶店にでも入って、食事でもしようか。
 
 
 
 
 あぁ、次の休日が楽しみだな。

──────────────────────

 
 「んっと………これで、大丈夫かしら?」
 
 鏡の前で私は一人つぶやく。
 鏡の向こうに見えるのは、普段とは違う古明地さとりの姿。
 
 ベージュ色の柔らかい感触の生地でできているコート。
 膝より少し上までの丈の、黒いフレアスカート。
 その下には、紫色のレギンスというものを着けて。
 胸に見えるはずの第三の目は、今は私の体の中に
 
 「まさか私がこんなおしゃれをして、外の世界を歩く時が来るなんてね」
 
 人生とは分からないものであるという言葉はいつからあったのだろうか。
 今の私ほど、その言葉の意味を噛みしめているものはそういないだろう。
 
 つい最近まで、ずっと旧地獄跡の地霊殿で静かに暮らしていた私。
 気が付いたら全く見覚えのない部屋に飛ばされ、そこである青年と同居生活を始める。
 本当に奇想天外なことばかりの最近である。
 
 「まぁ………私も楽しんでいるのだけれどね」
 
 つぶやきつつ、玄関で真新しいモコモコとした靴をはく。
 服を買ったときに、一緒に注文しておいたものの一つだ。
 ○○に教えてもらったら、ムートンブーツという名前らしい。
 割とはきやすい上に、見た目も可愛いし暖かいのね、これ。
 
 靴を履き終えて玄関を出て、先に支度を済ませていた○○のもとへ行く。
 
 「ごめんなさい、遅くなっちゃって」
 「全然、俺もさっき出たばっかりだから」
 
 そういって彼は小さく微笑む。
 黒の上着(トレンチコートというものらしい)に黒のズボン。
 濃い灰色のマフラーと、ほとんど黒一色の格好をしている彼。
 けど不自然な感じは見受けられず、とても落ち着いた風に見える。
 こういうのを、シックな装い、っていうのかしら?
 思っていたより大人っぽい印象の服で、少し新鮮な感じだ。
 
 「うん、やっぱり似合ってるよ、その服」
 「それを言うなら、貴方もね」
 「はは、ありがとう。じゃあ行こうか」
 「えぇ、楽しみにしてるから」
 
 互いに笑みをこぼしながら、ある晴れた寒空の下。
 二人で外へと繰り出して行く。
 
 
 
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 
 
 事の発端は約一週間ほど前のこと。
 注文していた服が届き、外出できるようになったため、
 ならば次の休日にどこかへ出かけてみないか、という彼の誘いだった。
 
 (できることなら、さとりにこっちの世界を楽しんでもらいたい)
 
 彼はそう思いながら、私に語ってきた。
 
 本来だったら、私は人の多い場所などには絶対に行けない。
 私を"覚り"たらしめる第三の目が、大量の"心"という負荷に耐えられないからだ。
 
 ただし、第三の目をしまうことでそれを回避する方法もあったのだが、
 そうすると今度は、心を読むことができなくなってしまう。
 それは私のような"覚り"にとっては、とても大きな恐怖となる。
 
 大量の視線が交差する中、一人で心を読めないまま立ち尽くす。
 私に対して、誰が、何を、どのように考えているのか。
 不安はとどまるところを知らず膨れ上がり続け、
 いずれは私という風船を、いともたやすく破裂させる。
 
 だが、彼の心を見せられ、私の気は移ろいだ。
 
 -なんとか不安を感じさせたくない-
 -出かけるときだけでなく、いつもそうでありたい-
 -さとりの笑顔が見たいから-
 
 心の奥底が温められるような感覚。
 彼のこういう優しい心に触れるたびに、私はこの気分を味わえる。
 この気持ちの時だけは、いろいろな不安などがふっと消えて行って。
 私の心の中は、暖かい何かで満たされる。
 
 それともう一つ、彼の心から見て取れたもの。
 あそこに行ってみようか。いや、あっちも行ってみたいな。
 無邪気な子供のように、次の休日の日程を考えている○○の心。
 (さとりとなら、あのお店に入れるかな? いや、彼女が喜びそうなお店だったらやっぱりあっちかなぁ……)
 話しかけながら他のことを考えるって、結構器用なことするのね、○○。
 
 そんな彼の心を見ているうちに、私も見えないことに対する恐怖心より、
 ○○と出かけることに対する興味の方が勝るようになった。
 彼が教えてくれるこちらの世界とは、どのようなものなのか。
 彼と一緒に巡る場所は、私の目にどのように映るのか。
 最初はそうでもなかったけど、一度増えだした好奇心というのは、なかなか止められないものだ。
 
 結果、私は彼に了承の意を告げた。
 ただ、後になって気付いたのだけれども、
 これって、その……いわゆるデートよね?
 そう考えると、恥ずかしいやら何やら形容しがたい感情が湧きあがってきてしまった。
 それを静めるために、シャワーの時間がちょっと長引いたのはここだけの話。
 
 
 
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 
 
 「とりあえず、まずはバスで街にいこうか」
 「バス?」
 
 歩きながら話しかけてくる彼の隣りをついて行く私。
 バスとは何だろうか? また聞きなれない言葉だ。
 少しはこちらのこともわかってきたと思っていたけど、やっぱりまだ知らないことはたくさんあるみたいね。
 ただ、今は彼の心を読んでその正体を知ることもできない。
 先にもあったように、今"目"は私の体の中である。
  
 「え~っと……みんなで使える移動手段の一種、ってとこかな。
  こっちは幻想郷みたく、飛んで移動なんて誰もできないから、その代わりだね」
 
 とのことらしい。以前私が話した幻想郷での生活(私の主観だが)と比べて説明をしてくれている。
 まぁ、普通人間は空なんて飛べないのが常識だ。地霊殿に来たあの二人はどう見たって例外であるが。
 
 「あ、ちょうど来たみたいだね。これはついてる」
 
 そう言う彼の視線の先には、とても大きな長細い箱が走っていた。
 
 「あれが、バス?」
 「そ、あれに乗ってある程度の場所まで行けるんだ。
  自分の車とかがない人でも、簡単に移動できるようにね」
 
 車、というものに関しては少し前に○○から話を聞かせてもらった。
 人が簡単に移動できる手段として開発され、今ではとても広く普及しているものらしい。
 社会もそれに合わせたルールを作るなど、影響力はすさまじいようだ。
 
 ただ、外に出る際は車に気をつけるように、と強く言われた。
 なんでも、車は全体が鉄でできている上にとても速く動くため、
 ちょっとした事で命にかかわる大事故につながってしまうとのことだ。
 だから、しっかり注意してほしいと強く念を押された。
 
 実際に外に出て見れば、彼の言いたいことがよくわかった。
 私たちが歩いているすぐ隣を、すごい勢いで走り去っていく鉄塊。
 数も一つや二つではなく、とても多い。
 これは気をつけないと、たしかに危ないかもしれないわね。
 
 「ほら、足元気をつけてね」
 「え…あ、うん」
 
 物思いにふけっていたら、いつの間にかバスは目の前に止まっており、
 空いた扉から私たちは中へと乗り込んでいた。
 中には数人ほど乗り込んでいたが、全体的にみると本来の収容数と比べて少ないように見て取れる。
 
 「土日だけど、まだ早い時間だから混んでもないね。ここ座ろうか」
 
 ○○の後ろについて行き、言われるがままに彼の隣りに座る。
 途端、バス全体が揺れ出して、窓の外の景色が後ろへと流れていく。
 こうやって中で座っている間に、これ自体が移動してくれるとは、なんとも便利なことだ。
 
 「座りながら移動できるって、外の人は面白いものを考えるものね」
 「より便利なものを、って続けてきた結果ってやつなのかなぁ。
  まぁ、より上を求め続けるのが人ってものらしいから」
 
 向上心が強いのね、人って。
 そんなことを考えながら、近くの窓から外を覘いてみる。
 
 そこらじゅうにある石造りの大きな建物。
 透明なガラスがそこかしこに設けられ、日の光に当たりそれらをキラキラと跳ね返す。
 道を視線を向ければ、車が行きかう向こう側に、人がわんさかと往来を闊歩している姿が見える。
 
 「人が、こんなに………」
 「休日で街の中心に近いってのもあるんだろうけど、
  まだ都会に比べたら全然少ない方だよ」
 「こ、これで少ないの?」
 「本当に多いところは、道に人がいっぱいで肩が必ずぶつかるくらいだね。
  だから都会はあんま好きじゃないんだ、俺」
 
 そんな所に住んでいたら、気が滅入ってしまうわね。
 たくさんの心に押しつぶされる以前に、喧騒だけで心がやられてしまうでしょうし。
 もし"目"なんて出そうものなら…………考えただけで酔いそう。
 
 「おっと、もう着くかな。そろそろ降りるから、準備しといて」
 「え? あ、うん」
 
 そのすぐ後、バスは速度をゆるめながら道の端へと寄って行き、軽い揺れの後に止まった。
 他に乗っていた内の何人かが立ち上がり始め、前方へと歩いて行っている。
 
 「さ、ここで降りるよ」
 
 そう言いながら立ち上がる彼の後に、少しだけ遅れてついて行く。
 追いついたところで、彼はバスの前の方にある扉のそばにある変な箱に硬貨を入れた。
 あぁ、こうやって稼ぐ商売なのね、バスって。
 また一つだけ外の知識を増やしながら、お金を払い終えた彼と一緒に外に降りる。
 
 「やっぱ片田舎とはいえ、駅前となると人が多いか」
 
 ○○も少しだけ驚いているが、それ以上に私は呆気にとられている。
 
 視界いっぱいに溢れんばかりの人、ひと、ヒト。
 そこかしこがキラキラと光り輝く飾り付けでいっぱいに溢れ、
 人々の喧騒にまぎれ、いろいろな音楽が流れている。
 道のそばの店先では、呼び込みの人が大きな声で行きかう人々に向けて品物を宣伝している。
 
 「すごい賑わいね………これがこっちの日常なの?」
 「いや、どうだろう。もうクリスマスが近いから、いつもより活気づいてるんだと思うなぁ」
 「クリスマス?」
 「えっと、幻想郷にはクリスマスってないの?」
 
 ○○の問いに、首を横に振り答える私。
 クリスマスなんて単語、聞いたことなんて一度もない。
 地霊殿で様々な本を読んだりもしたが、そこでも触れられることはなかった。
 
 「んと、簡単にいえば大きな行事だね。一年に一回、冬にある」
 「お正月とは違うの?」
 「え~っと、あれは日本文化の行事であって、クリスマスは一応西洋文化の行事………
  ん~………とりあえず、どこか座れる場所を探そうか。そこで何か飲みながら話そう」
 「えぇ、そうしましょうか」
 
 人混みの中、彼から離れないようについて行く。
 こうして、私たちの………デ、デートは始まりの鐘を鳴らした。
 
 
 
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 
 
 少しして、角地にある小さなガラス張りのお店へと入る私たち。
 お店の中の雰囲気は、小さなテーブルがいくつも並んでいる喫茶店のようなところに見える。
 漂うにおいが、おそらくコーヒーや紅茶のものであるところからもそう窺える。
 
 「俺は……カフェモカかな。さとりはどうする?」
 「え~っと、そうね………暖かいレモンティーかしら」
 「レモンティーだね。…すいません、カフェモカとホットレモンティーを一つずつ」
 
 彼はカウンター越しに店員へと注文を告げ、少しだけ待って二つの入れ物をもらう。
 手渡されたものを見ると、ツルツルとしたさわり心地の素材でできたカップに注がれたレモンティーだった。
 なんなのかしら、このカップ? 透けているけどガラスじゃないみたいだし………。
 その疑問を歩きながら聞いてみると、これはプラスチックという素材らしい。
 軽くて安く作れるもののため、日常の色々なところで使われているのだとか。
 などと話しながら、彼と一緒に二人掛けのテーブルへと掛ける。
 
 「しかし綺麗ね。そこらじゅうがキラキラしてて」
 「クリスマスだと大体こうなるね。街とかは人を呼ぶためにやるのが恒例だし」
 「それで、クリスマスってどういう行事なの?」
 
 さっきからの素朴な疑問をぶつけると、彼は簡潔に話してくれた。
 
 元々は西洋の神様キリストの誕生日であり、クリスマスとはそれを祝うための行事であったらしい。
 それが、外国文化を取り入れようとした日本によってとりこまれ、
 単なる冬のお祭りのようなものとして定着したらしい。
 今では恋人などの異性と過ごす日で、ひとり者には辛いだけの日という
 暗黙の了解が出来上がってしまったということだ。
 本来は家族などのごく親しい人間と静かに過ごすものだというのに、
 日本人の身勝手な解釈のしようは、もはや笑うしかないと彼は言っていた。
 
 そこで、ふと悪戯心が芽生えた私は、口を動かす。
 
 「それなら、私はあなたとクリスマスを過ごすのかしら?」
 「ッ!………ど、どういうことで?」
 
 喉にカフェモカを詰まらせながら、尋ねる○○。
 
 「だって、私は貴方の部屋の居候でしょう?
  そうなると、一緒に過ごさなきゃいけないじゃない」
 「あ、そうか。……うん、そうだね」
 
 ちょっとだけ声色が下がった彼を見て、ニヤつきながら私は続ける。
 
 「それに、親しい異性というのなら、私たちはそうなるでしょう? 違う?」
 「ぐッ!…ゲホッ………そ、そういう、のは……まぁ、そう、だけど……ゲホッ、ゲホッ」
 「ふふっ、大丈夫?」
 
 ○○は盛大にむせながら、顔を真っ赤にしている。
 やっぱりからかいがいがある人ね、○○って。
 意地の悪い笑みを浮かべながら、身を乗り出して彼の肩をさする。
 
 「……ふぅ、それはちょっといきなりだとキツいって」
 「貴方だって、いつもそうしているじゃないの。おあいこよ」
 「ん~………そうなるかもね」
 
 ははは、と笑い合いながら、他愛もない話を積み重ねていく私たち。
 心は読めないけれど、不安や不便さは感じられないひと時。
 外に出てお茶を飲みながらお話っていうだけでも、こんなに楽しいものなのね。
 
 
 
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 
 
 しばらくたって、そろそろお昼の時間ということで
 どこか食事のできるところを探して、私たちは街中を散策する。
 
 「やっぱり、休日に出かけた時はここかなぁ」
 
 そう言う彼が見つめる先には、赤と黄色を基調とした派手な外装のお店だ。
 外からガラス越しではあるが、店内は人であふれかえっているのがよく見える。
 
 「ここって、何を売っているお店なの?」
 「ハンバーガーっていって、パンに肉とかの具をはさんだ簡単に食べられるものだよ。
  けど、これが結構おいしいんだ」
 
 聞くだけだと、それってサンドイッチと変わらない様な気がする。
 そんなことを考えながら、彼と一緒に店内へと入る。
 
 ザワザワ ガヤガヤ ザワザワ ガヤガヤ
 
 お店の中は客の話声と店員の受け答えの声などで、もはや混沌に近い状態であった。
 並んだ客の列が、流れ作業のごとくどんどん進んでいく裏で、
 カウンターの向こうでは制服のようなものを来た人たちが、
 大きな声で合図のようなものを出し合いながら、あっちこっちへと忙しなさそうに動き回っている。
 すごい大変そうね、みんな。
 
 「さとりはどうする? 俺は決まっているけど」
 
 どうやらもうじき、注文の順が回ってくるようだ。
 しかし、メニューと思しき写真を見てもどれがどういうものなのかサッパリわからない。
 そんな状態で、注文するものなど決めようがないのである。
 
 「えっと………よくわからないから、貴方が選んでくれないかしら?」
 「え? そ、そうだなぁ……じゃあ、あれかな」
 
 上の方に掛けられた写真を見つめながら、彼は何かを決めたようだ。
 すぐに順番は私達へと回ってきて、彼は注文と会計を手早くすませた。
 
 「あとは、ほんの少し待てば出来上がるから」
 「そんなにすぐに出来上がるものなの? ハンバーガーって」
 「ファストフードって言葉ができるくらいだからね。手軽に手早く食べられるっていう食べ物だから」
 「外はなんでも早くすませてしまうのね」
 「その分の時間を仕事とか遊びの時間に費やすのが一般的だね。俺はのんびりする時間に使っちゃうけど」
 「そうでしょうね。暇さえあれば炬燵に入って、のほほんとした顔をしているもの、貴方」
 「うぅ……否定できない」
 
 クスクスと笑う私と、苦笑いで少しだけ頭を抱える○○。
 そんなやり取りをしているうちに、店員の呼びかけに彼が反応する。
 どうやら注文の品が出来上がったようだ。ほんとに早いわね。
 トレーを持った彼と一緒に、窓側の席へと着く。
 
 乗せられていたものは紙で包まれた丸いものと、紙製のコップに細いポテトフライだった。
 たぶんポテトのことを指しているとは思えないので、消去法で考えて
 この紙で包まれているのがハンバーガーというものなのだろう。
 
 「最近食べてなかったから無性に食べたかったんだよなぁ、これ」
 「へぇ…そんなにおいしいものなの」
 
 百聞は一見に如かずとも言う。まずは食べてみよう。
 紙包みを手に取り、端から包装を広げていくと中身が見えてきた。
 たしかに彼の言った通り、丸い形のパンの間に肉とチーズ、少量の野菜が挟まれており、
 具と一緒に赤いソースがかけられていた。
 
 食べ方は………このまま食べるしかない様ね。
 ちらと周囲を見渡してみても、若い女性も皆が一様にかぶりついている。
 簡単に食べられるものというだけあって、食べ方も単純そのもののようだ。
 そういうことなら、難しいことは考えずに食べるとしよう。
 具とソースをこぼさないように気をつけながら、一口かじりつく。
 
 「ん……おいしい」
 
 ふと言葉にこぼれてしまったが、これは確かにおいしい。
 内容はサンドイッチと似通っているが、味付けが強く個々の具との相性も特徴的だ。
 やわらかい肉に少しとろけたチーズ、しゃくしゃくとした玉ねぎに酸っぱいキュウリ。
 それらを咀嚼するたびにソースと更に絡まり、味の調和を見せつけてくる。
 すこし味付けがきつい気もするが、それを含めても気にならない味である。
 
 「あまりこういうものばかり食べるのはよくないってわかっているけど、
  ついつい食べたくなるんだよなぁ」
 「その気持ち、わかるかも」
 
 少し喉につかえてきたので、飲み物を飲もうとコップに手を伸ばして、瞬間ためらう。
 上のふたから透けて見える中の液体は、光を一切通さない様な真っ黒なものだったからだ。
 しかも、中からは本当に微々たるものだが、聞きなれない音が聞こえてくる。
 
 「○○…………こ、これなに?」
 「あぁ、コーラっていう炭酸飲料だよ。ハンバーガーには外せないね。
  ただ、最初はちょっとだけ気をつけて飲んだ方が良いかな」
 「き、気をつけるってどういうこと?」
 「まぁまぁ、飲んだらわかるよ。決してまずいものじゃないから」
 
 同じものを飲みながら○○は告げる。
 むぅ、こういうときに心が読めたら、これがどういう代物かわかるというのに。
 興味と不安を半々、ほんの少しの緊張感を抱きながらもストローに口をつける。
 ちょっとずつ吸い上げていき、いくらかが口の中に入った時、彼の言葉の意味がわかった。
 
 「………ッ!……どうなってるの? これ」
 
 口に含んだ途端に、液体がとても小さな泡を出してきたのだ。
 それも少量ではなく、含んだ液体の全体からとめどなくである。
 
 「原理はよくおぼえてないけど、液のなかに空気を閉じ込めてあるんだ。
  それが飲んだ時に中からはじけて出るようになっているわけ」
 「それでこんな………」
 
 なんとも不思議な飲み物だ。これを初めて作った人は、何を思って作ったのかしら。
 ただまぁ、初めこそ驚いたけれど……わかれば中々ね、炭酸というのも。
 サワサワとした音とともに、私の口の中をほの甘い味と爽快感が駆け巡っていく。
 あまり多く含むとむせてしまいそうになるが、節度を守れば悪くはない味である。
 
 「食べ物一つとっても、外は本当に面白いわね。
  今日のほんの少しの間だけで、向こうでの10年分くらい驚いたかも」
 「それなら、ひとまずは目的を達成できてるのかな。
  喜んでもらえたなら何よりだよ。」
 「ふふ、ありがとう」
 
 外の世界の変わった食べ物を堪能しつつ、ゆるゆるとおしゃべりをしながら過ごすひと時。
 こういうのも、たまには良いかもしれないわね。
 
 
 
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 
 
 「○○、これはどう?」
 「ん~、こっちのほうがいいんじゃないかなぁ?」
 
 食事を終えた私たちが次に向かったのはひときわ大きな建物で、
 今はその建物の中にあるお店の一つで色々な商品を物色している最中である。
 
 店の天井にはズラッと横に長く伸びた垂れ幕に「クリスマスセール」の文字が印字されている。
 彼が言うには、「どんな些細な事だろうと、それにセールと付けて
 客を呼び込むのがこの手の商売のやり方だから」とのことらしい。
 たくましいのね、外の商店の人って。
 まぁ、そのおかげで私たちは楽しく買い物ができるわけなのだけれど。

 それからなんやかんやと様々な店を見て回り、様々なものを買って回った。
 服や小物、カップやカトラリー類など、衣料品と生活雑貨を中心に見て歩いた。
 建物を出るころには、彼の両手には大きめの袋が下げられていた。
 私よりは断然体つきのいい○○ではあるが、この量はさすがに重そうに見える
 
 「本当にいいの? 少しだけでも私が持った方が………」
 「大丈夫だよ、そこまで多くないから。
  それに、こういうときの荷物持ちは男の義務みたいなものだし」
 「…変な義務ね」
 
 とはいえ、いくらか持とうかと提案したところでこう返されてしまうのだが。
 
 「まぁ、わかりやすく言うなら格好つけたがりって言った方が早いかな」
 「そう……だったら、しっかり格好をつけてもらいましょうかしら?」
 「はははっ、仰せのままに、お嬢様」
 
 軽口をはさみつつ、もときたバス乗り場へと向かう私たち。
 こうやって会話に冗談を交えるようになったのはいつからだったかしら。
 最初はガチガチに緊張していたけど、すぐにそれも解けて行って。
 知り合ったのもつい最近のはずだというのに、
 こうして過ごしていると、なんだか時間が早く経過しているように感じてしまう。
 それだけ私が今を楽しんでいるってことなのかしら?
 
 そんなことを考えているとき、、ふと私の目前にちらつく白いものが見えた。
 
 「あ、雪…………」
 「おぉ、ほんとだ。どうりで冷えると思ったわけだ」
 
 空から舞い降りて来た冬の妖精たちに、足を止めて見上げる私と○○。
 思えば向こうにいた時も、ほとんどを地底で過ごしていたから雪を見たことなどなかった。
 
 「いやぁ、雪なんて初めてだからなぁ。綺麗なもんだ」
 「え? 貴方も初めて見るの?」
 「元々は雪の降らないところに住んでいたからね。
  大学に行くために、今年になってからこっちに引っ越してきたんだ」
 「そうなの………私も、向こうでは見る機会なんてなかったから」
 「じゃあ、初めてどうしってことだね」
 「クスッ、そうね」
 
 一緒に手のひらに小さく積もった雪を見つめながら、微笑み合う。
 そうこうしているうちに、いつの間にやらバスは到着していたようだ。
 手の上の妖精に別れを告げて、二人で乗り込む。
 朝と比べて人は増えているが、何とか席は空いていたようだ。
 荷物を置き座る形となったため、今の私たちは自然とぴったり隣り合う形となっている。
 
 「しっかし、今日はいろいろ回ったね。
  どうだった? こっちの外は」
 「とても楽しかったわ。ずっと驚き通しだったもの。
  本当にありがとう、○○」
 「どういたしまして。それがきけて、俺もうれしいよ」
 
 さて、帰ったらすぐに御夕飯の支度をしなくちゃいけないわね。
 雪も降って冷えてきてしまったし、なにか暖まるようなものにしようかしら。
 けど時間もあまりとれないしい、となると………う~ん、どうしようかしら?
 
 トスッ
 
 本日の夕食の献立について思案していると、肩に何か重みがかかってきた。
 何かと思い首をめぐらせると、そこにはもたれかかる○○の頭があった。
 
 「スゥ…………スゥ……………」
 
 聞こえてくるのは小さな呼吸音。どうやら眠ってしまったようである。
 昨日も学校に行って今日は朝から出かけたのだ、疲れがたまっていたのだろう。
 時折スリスリと動く彼の動きが、なんとも可愛らしい。
 
 「ふふっ………お疲れ様」
 
 頑張ってくれた彼を起こさないよう、小さな声で感謝を伝える。
 
 最初、外に出かけることに対する不安は大きかった。
 だが、今日という日を彼と一緒に過ごして、杞憂だったかもしれないと思う。
 心が見えない事に対する恐怖も、まるで感じなかった。
 彼と一緒にいただけで、周囲の視線を苦しく思うことなんてなかった。
 
 それともう一つ。
 心を読むことはできなくても、心に触れることはできる。
 寄りかかって寝ている彼の寝顔を見て、どこか安心する私。
 寄り添いながらの帰り道のバス。彼にまたひとつ、教えてもらった。
 
 楽しかった1日、彼と作った外の世界での思い出。
 触れ合っている体の暖かさを感じながら、バスはどんどんと進んでいく。
 
 
 
 ○○を起こさないようにしていたら、いつの間にか降りる場所を過ぎてしまっていて、
 それに気付いたのもだいぶ後だったというのは、そっとどこかにしまっておこう。
 
 

──────────────────────

 
 「っぅ~……あ、足が痛い…………」
 
 すっかり日も沈みきった中、俺はアパートの玄関先で痛みに耐える。
 雪の降り積もった道を歩く経験など無い俺に、
 積雪地帯はその辛さをまざまざと見せつけてくれた。
 
 たとえブーツを履いてたとしても、雪の冷たさは肌に十分伝わってくる。
 ましてや足の先に雪が付着した場合などは、より長く冷やされることとなる。
 待ち受ける結果は、爪先の感覚がなくなるような状態ということを身をもって知った。
 
 「早く暖めないと壊死するんじゃないか? これは………」
 
 初めこそ綺麗だなどと言ってはいたし、たしかに白一色の景色は風情を感じる。
 とはいえ、この積もった雪の中を歩く機会はできる限り少なくしていきたいと心から思う。
 これは、本当に、痛い。
 
 「まぁ、これのために頑張ったんだし………今日くらいは我慢かな」
 
 そうつぶやきながら、右手に提げた箱を見やる。
 今日という日をさとりと楽しく過ごすため、わざわざ学校帰りに遠出して買ってきたもの。
 
 今日は12月24日。
 イエス・キリスト誕生祭の前夜祭である。
 
 
 
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 
 
 「おかえりなさい、寒かったでしょう?」
 「これだけ雪が降ってるからね。こっちの人たちはよく平気だと思うよ………」
 
 台所に先程の箱を置いてから居間に入ると、さとりが出迎えながら上着をとってくれる。
 この状態に段々と慣れてきてしまった自分を改めて考え、慣れとは恐ろしいものだと深く思う。
 普通、大学生が下宿に帰って待ってくれている人がいるなどあり得ない。
 少し前の自分もそうだったというのに、今はこっちの習慣がすっかりなじんでいる。
 まぁさとりに出迎えてもらえるなんて嬉しい限りではあるんだが。
 
 「ま、またそうやって……」
 「いやいや、本当に嬉しいんだよ」
 「もぅ………」
 
 頬を染めあげながらコートをハンガーに掛けるさとり。
 すぐにわかる照れ隠しほど、可愛く見えるものだと彼女を見て知った。
 というか、さとりが可愛いだけか。
 もし俺なんかが同じようにやってみたら…………うん、ぶん殴りたい。
 
 「あらあら、貴方だって十分可愛いところはあるわよ?
  特に、バスでの寝顔なんて………」
 「そ、それはもう勘弁して………」
 
 この間の外出以来、彼女はこれを強みにしている。
 どうにもあの帰りに俺は、さとりにすり寄るように寝ていたらしい。
 彼女曰く、喉を鳴らしている子猫のようにひっついてきていたとのこと。
 さすがにそれは、成年男子として恥ずかしく思わざるを得ない。
 
 「そんなことないわ、本当に可愛かったもの♪」
 「いや、だ、だから………」
 
 わたわたとする俺を、意地悪な子供のような視線で見つめるさとり。
 なんていうか………尻に敷かれるというのはこういうことを言うんじゃ…………。
 
 「そう言うかもしれないわね♪」
 「……はは、こりゃ敵わないや」
 「ふふっ、じゃあ御夕飯用意するわ」
 
 微笑みながら戸を抜けていく彼女を見ながら、俺は炬燵に入り足に血を戻す作業に入る。
 ぐうぅ、次から靴下2枚重ねでもしようかなぁ…………
 
 「ねぇ、この箱は何?」
 
 炬燵の中で足を揉んでいると、さっきの箱を持ったさとりが尋ねてくる。
 
 「クリスマスのケーキだよ。今日と明日の夜、一緒に食べようと思って買ってきたんだ」
 「あぁ、今日がクリスマスなのね」
 
 彼女は両手の中にあるお土産 -ケーキの箱- を眺めながら、納得したような表情をみせる。
 
 「まぁ、開けるのは夕飯の後にじゃないとだね」
 「それもそうね。早く支度するわ」
 
 ケーキを抱えて再び台所へと戻っていくさとり。
 やっぱり、お楽しみは後に取っておくものだよね。
 
 そんなことを考えつつ、また炬燵の中で爪先を柔らかくマッサージする。
 夕食ができるまでには、なんとかして足を治しておこうか。
 
 
 
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 
 
 「けど、クリスマスって何をするの?」
 「何って言われても………ケーキ食べたりして楽しく過ごすだけかなぁ」
 「……ほんとうにただのお祭りみたいなものなのね」
 
 夕食後、片付けを終えてのゆるゆるとした時間の会話だ。
 クリスマスと言って日本全国同じようにクリスマスムードを出してはいるが、
 本来日本にあった行事ではないためそこら辺は曖昧となっている。
 
 …いや、無駄にしっかりしている部分もあるか。
 大体は恋人などと静かに過ごす……わけもなく、
 思慮の足りない若者たちはこぞって街へと出かける。
 やること自体はカラオケだのボーリングだのと普段とさして変わるわけでもないのに、
 クリスマスとかこつけて異様なまでにテンションを上げていく。
 周囲のことをいつも以上にないがしろにして、迷惑など一切考えず。
 まぁ世間もそういう雰囲気なので言うほどひどくは感じられないが。
 
 自分も世間一般からすれば、ああいう"若者"という部類に含まれて見られてしまうのがなんとも恥ずかしいと思う。
 年は若くとも思慮分別くらい付いている者もいるのだ。少なからず程度だが。
 
 「えっと……若い恋人同士のための日ってことなの?」
 「ん~……情けないけど、そういう認識が世間的には強いかな」
 
 小首をかしげるさとりに、少しためらいながらも俺は答える。
 嘆かわしいという言葉は、こういうときのために用意されていた言葉なのかなぁ。
 
 「でも、それ以外の人たちはどうするの?
  たとえば………小さな子供のいる家族とか」
 「そういうところは、小さなパーティーとかをして楽しむかな。
  あと、クリスマス用のプレゼントを渡したりとか」
 
 そういえばうちもやったなぁ、そういうの。
 あんまり豪勢にはできなかったけど、ケーキをみんなでつついたりとかしたのは楽しかったなぁ。
 
 「クリスマス用の、プレゼント?」
 
 またも首を傾けてさとりは問いをぶつけてくる。
 どうもクリスマスプレゼントというものがよくわからないようだ。
 
 「あぁ、クリスマスには外せないお話があるんだ」
 「どういうものなの? そのお話は」
 「偉大な聖人の、とある小さなお話さ」
 
 それから、簡潔に自分が知っているサンタクロース -聖ニコラウス- の話をした。
 
 
 ある貧しい家庭に3人の娘がいた。
 その家庭は貧しかったために娘たちを嫁がせてやることができず、
 いずれは彼女たちを身売りに出さなければならなかった。
 
 そんな状況を知った司教ニコラウスは、真夜中にその家へと訪れ煙突から金貨を一枚投げ入れた。
 その金貨は煙突を滑り落ち、暖炉のそばに掛けられていた靴下の中へと収まった。
 翌日家の者がその金貨に気付き、おかげで娘を身売りに出さなくて済んだという。
 
 それが時を経ていき、サンタクロースと名を変えたお爺さんが
 クリスマスの夜に良い子のもとへプレゼントを配っていくというお話として定着した。
 
 
 「………それがもととなるお話の一つ。
  ほかにもいろいろとあって、それらと合わさった結果が、
  今のサンタクロースとクリスマスプレゼントの習慣になったというわけさ」
 「そんなお話があるのね」
 「まぁ、細かく知ってる人は多くないんだけどね。
  ただプレゼントを渡したり楽しむだけの行事になってるから」
 
 いわゆる雑学の類いだ。
 そういったものを調べたりするのがが好きなんだけれどね、俺。
 
 と、そうこう話しているうちにちょうどいい時間が経った。
 もうそろそろケーキを持ってきていい頃合いだろう。
 
 「そうね、じゃあ持ってくるわ」
 「っと、俺も手伝うよ。紅茶もほしいし」
 
 言いながら、二人で炬燵を抜け出て台所へと入る。
 さとりはケーキに切れ目を入れて分けられるように。
 俺は紅茶と小皿の用意をするために。
 
 それから少しして、簡素なものだがクリスマスのお茶会が出来上がる。
 まぁ炬燵でケーキという考えてみれば無茶苦茶な組み合わせなのだが。
 
 「いいじゃない、暖かいんだもの」
 「まぁ、それもそうだよね」
 
 うん。細かいことばかり気にしていては物事は楽しめない。
 さて、そうとなったら始めようか。
 
 「それじゃ、メリークリスマス」
 「えと……メリークリスマス」
 
 祈りの言葉か、乾杯の音頭かわからなくなってしまった挨拶を交わし、
 俺たちは静かにクリスマスを楽しむことにした。
 
 
 
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 
 
 「ふぅ………さすがに、これ以上は食べすぎだな」
 「後は明日、だったかしら?」
 「そうだね。本来は明日がクリスマス当日だし」
 
 二切れずつ食べたところで、さすがに腹にたまってきた。
 話を楽しみながらゆっくりと食べていたが、それでも限界というものはある。
 この前に夕食もはさんだのだから、デザートとしては多い方だろう。
 
 「ケーキしまってくるわ。ついでに、紅茶も淹れなおさなきゃ」
 「うん、ありがとう」
 
 ケーキを持ち席を立つさとり。
 さて、そろそろ"アレ"を出しておこうか。
 
 そう思い、俺は置いてあったカバンの中から件のものを取り出す。
 今日の帰りが遅くなった、もう一つの要因でもあったりするものだ。
 それを一旦自分のそばに見えづらくなるように置いておく。
 あとは、さとりが戻ってくれば準備は整う。
 
 「何の準備が整うのかしら?」
 「そりゃあ……って、もう戻ってきたんだ」
 「ほんの少しの作業だもの、すぐに終わるわ。
  で、何をするつもりなの?」
 
 むぅ、ちょっとは驚かせたかったけど、
 やっぱり"覚り"である彼女にはお見通しか。
 まぁいいや、こうなったら素直に行動あるのみだ。
 
 「はは、クリスマスだからね。
  というわけで……はい、プレゼント」
 「え? わ、私に?」
 「他に渡すような人はいないよ、今の俺には」
 
 取り出したのは先程の"アレ"。
 緑と赤の包装で包まれた、小さな箱である。
 手渡そうとする先の彼女は、少し戸惑っているようだ。
 おぉ、ちょっとだけ驚かすのに成功したかな。
 
 「けど私、良い子なんて言える年じゃないわよ……。
  少なくとも、貴方よりずっと生きてるんだから…………」
 「いやいや、クリスマスには親しい人に贈ることもあるよ。
  そういうわけだから、はい」
 「……えと、あ、ありがとう」
 
 受け取ったさとりの顔は、すこし頬に朱がさしている。
 微妙に表情が綻んでいるあたり、どうやら喜んでもらえたようだ。
 
 「えっと、開けてもいい?」
 「どうぞ」
 
 そう俺が答えると、彼女は箱の包み紙を丁寧にはがしていく。
 彼女も中身がどういうものかドキドキしているであろうし、
 俺自身も彼女が中身を見てどういう反応をするのかドキドキして待っている。
 
 包みをはがし終えた箱を開け、彼女は中身を取り出し見つめる。
 
 「これって……」
 「この間出かけた時、そういうのを見てたでしょ?
  だからプレゼントに良いかなぁって思って」
 
 さとりの手のひらの上には、革でできた細い紐。
 その先には銀色の葉っぱを模した飾りが繋がっている。
 俗に言う、チョーカーというやつだ。
 
 「……素敵。ありがとう、○○」
 「どういたしまして。試しに着けてみてよ」
 
 そうね、と言いながら、彼女はチョーカーに首を通す。
 下げた飾りは、彼女の胸元で小さく輝きを放つ。
 斜め下にある第三の目にも干渉してないようなので、
 買おうか悩んだ時の問題もどうやらクリアできたようだ。
 さとりも、喜んでいるようで何よりである。
 
 「あ、けど私、○○になにも用意してない………」
 
 彼女は途端に表情を一変させ、難しい顔をする。
 
 「気にしなくていいよ。さとりの喜んでいる顔が見れたから、
  それで俺は十分嬉しいさ」
 「けど、そういうわけにもいかないわ………」
 
 何かないだろうかとさとりは必死に頭を巡らせる。
 とはいえ、俺はさとりとこうしてクリスマスを楽しく過ごせていることだけでも
 十分すぎるプレゼントなんだけどなぁ。
 
 「それじゃダメよ………あ」
 
 どうやら彼女に電流が駆け巡ったようで、ハッとした表情で顔を上げる。
 だが、すぐにその表情を赤く変化させながらまたも俯いてしまった。
 一体なにを思いついたのだろうか?
 
 「えっと………○、○○」
 「なに?」
 「その………す、少し驚かせたいから……目をつぶってくれない?」
 「へ?……んっと、こう?」
 
 言われるがままに両眼を閉じる俺。
 驚かせたいということだが、いったい何が出てくるんだ?
 もしかして用意してないというのは嘘で、
 しっかりと何か用意してあったりするのかもしれないのかな?
 
 待つことしばらく、唐突にその瞬間は訪れた。
 
 まだかまだかと待っていると、突然俺の頬にフッと何かが触れた。
 それはほんの少しだけ湿り気を帯びており、とても柔らかい感触をしていたものだった。
 
 目を開けて振り向けば、真っ赤になっている顔を手で隠しているさとりがいた。
 えっと………この恥ずかしがり方とさっきの感触ときたら……………。
 行動を思いついた瞬間、俺の顔も茹であがった蛸のごとく赤く染まる。
 
 「………このぐらいしか、できることがないから」
 「そ、そう………」
 
 互いに顔を真っ赤にさせたまま、俯く俺たち。
 そっと頬に手を伸ばし先程の場所へと触れてみれば、ほんのりと温かみが残っていた。
 その……さとりって、結構大胆なことをするなぁ……………。
 
 「こん……と……貴…じゃなきゃ……しない…」
 「え?」
 「な、なんでもない!」
 
 何やら小さくつぶやいていた後、彼女はぷいと顔をそむけてしまう。
 なんて言ってたんだろう、今。
 しかし、今はまだ俺も恥ずかしさでいっぱいなので、
 これ以上は口が動いてくれそうにない。
 
 ただ、なんていうか。
 気恥ずかしいけど、どこか嬉しい気持ちで満たされている今の俺の心。
 思えば、さとりにからかわれている時も似たような感じである。
 少し困りつつも、内心では楽しさを感じているあの感じに。
 度合いは全然違うけど、それとよく似ているような気もする。
 
 
 
 
 二人して炬燵で照れている間も、聖夜の時間はゆっくり流れていく。
 
 嬉しいやら恥ずかしいやら色々とあったけど、
 まぁさとりと一緒に過ごせたし、良かったクリスマスということにしておこう。
 
 

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 寒い寒い風が一陣、晴れたお昼の少し前に
 軒先へと干された衣類を揺らしていく。
 なんてことのない窓の外の光景。
 いつもと変わらないはずの日常。
 
 ただ違うところが一つだけ。
 それは、気味の悪い開放感がこの場を支配していること。
 
 「………はぁ」
 
 どこからともなく溜息がこみ上げ私の口から這い出た後、
 冷たい空気の中へ飛び込み、白い軌跡を少し残して消え去っていった。
 
 今いるこの6畳間も本来は狭く感じるはずが、何故かとても広く感じてしまう。
 それに対して思い当たるような理由は一つしかない。
 
 今はこの部屋に私しかいないからだ。
 
 「いつ、帰ってくるのかしら……○○………」
 
 ふと出たつぶやきも、嫌な静けさの中へと溶けていってしまった。
 
 
 
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 「ちょっと、しばらく家を空けなきゃならないんだ」
 
 ほんの数日前、彼の口から出た頼みごと。
 聞いた内容を簡潔にまとめると、
 少しの間実家へと戻らなければならないので、
 悪いがその間こっちのことを任せたいということだった。
 
 「正月くらいは顔見せろって言われちゃったから、
  そんなに長くはならないと思うけど…………」
 「あら、私なら一人でも大丈夫よ。安心して行ってらっしゃい」
 
 いくらか前に家事を手伝い始めてから、
 今やすっかりとこっちでの家事が板についてきた私である。
 ほんの数日間を乗り切るくらい何のことは無い。
 
 「できることなら一緒に連れて行きたいけど、
  そうしたら色々とややこしいことになるからなぁ」
 「気にしないで。帰っている間くらいは、
  家族水入らず楽しんできなさい」
 
 そういうことで、彼は大きなカバン一つに荷物をまとめて出て行った。
 カレンダーで見れば、ほんの少し指を動かすだけ。
 けど、私にとってはもう遠い昔のように感じてしまう時間。
 たかだか5、6日前だというのに。
 なぜかそれよりも前のことばかりがつい最近のことのように思える。
 
 
 
 12月の24日。
 クリスマスというお祭りを○○と過ごし、プレゼントまで貰った。
 小さな葉の形をした銀色のチョーカー。
 今も私の胸元でチラチラと反射しながら揺られている。
 家の中でまでするのはどうなんだろ と彼に言われたこともあったが、
 今はまだこうしていたい。せっかくの素敵なプレゼントなんだもの。
 そのお返しに、ちょっと思いきったことをしちゃったけど。
 ……さ、さすがにアレはやりすぎたかしら?
 
 25日。
 ○○が言うには本当のクリスマスというのはこの日のことだったらしい。
 とはいえ、夜には前日のケーキを食べて、
 楽しく静かな時間を満喫した。
 ちょっとだけ御夕飯を豪勢にした以外は昨日とそんなに変わらない。
 けど、外に降る雪を見ながらゆっくりと過ごすのも良いものだと思った。
 
 26日。
 年末ということで、大掃除をしなければ ということになった。
 昨日までクリスマスだったというのに、すぐにお正月に備えなければならないとは
 外はなんとも忙しない年末を送るようだ。
 ともあれ、掃除ということで私たち二人掛かりで部屋の徹底清掃が開始された。
 初日ということで手間のかかるものから片づけようとの○○の提案で、
 玄関や台所の普段触らない場所を掃除した。
 あまり汚してないとはいえ、結構たまってるものなのね、汚れって。
 終わった後、クタクタになって二人してこたつで寝てしまったのにはちょっと笑ってしまった。
 
 27日。
 大掃除の二日目。
 前日に大体の場所が済んでしまったので、居間の清掃くらいしか残っていなかった。
 途中本棚を整理していると、奥まった場所からある一冊の本が出てきた。
 それを手に取った瞬間、私は目を大きく見開いて停止してしまった。
 それは……その………女体の露な姿を捉えた写真がたくさん載っているものだった。
 直後○○が声を上げながら本を取り上げて破り捨てたところは記憶に焼き付いている。
 ……彼も一応、男だったのよね。
 
 28日。
 ○○の電話の音が鳴り響く。
 掛けてきたのは彼のご両親からだったようだ。
 その後彼は、用件を述べてさっさと荷造りを始めた。
 この時はまだほんの数日だけだと、別段気にしてはいなかった。
 
 29日。
 朝早くから彼は出て行った。
 急に広くなった部屋は生活感が無くなるまで行った清掃の甲斐もあって、
 もの寂しさを十二分に醸し出してくれていた。
 夜にベッドに入ると、ただのシングルサイズのベッドがやけに大きく感じた。
 だが、この時はまだそれらに耐えられていた。
 
 
 
 それから先はもうよく覚えていない。
 朝に起きて、お洗濯をして、掃除をして、
 食事をして、片づけて、お風呂に入って、ベッドに潜る。
 単なるルーチンワークをこなすように、毎日を過ごす。
 ○○に教えてもらった娯楽に手を伸ばす気力もわかなかった。
 
 私はどうしてしまったんだろう。
 一人で過ごす時間なんて、今まで腐っても腐りきらないほど積み重ねてきたというのに。
 地底での私とはすっかり変わってしまった。
 
 理由は大体わかっている。
 ○○と過ごすようになったから。
 ○○の心に触れるようになったから。
 
 心の奥底の凍っていたところを、彼が融かしてくれたから。
 知らず知らずのうちに掛けられていた「諦め」という鍵を、「優しさ」で開けてくれたから。
 
 だがそんな彼がいない今の私はどうだ。
 気力などが大きく欠損し、暗い感情ばかりが覆いかぶさってくる。
 頭の中では十分に理解している。
 今の私はダメだと。
 
 一度暖かさを知ってしまった反動だろうか。
 なんてことのないはずの孤独が、こんなにも辛く感じてしまうのは。
 
 「本当に…………ダメ、ね…私…………」
 
 光を寄せ付けない色が、私の心にどんどんと積み重なってくる。
 欝屈とした気分が体を前へと歪ませ、自然とこたつに伏せるような形になっていく。
 
 普段だったら、彼が学校から帰ってくるまでの間に
 掃除洗濯をすませ、御夕飯を作ったりしていれば彼の帰る時間になっていることが大抵だ。
 だが、私一人分の家事の量はすぐに終わってしまう。
 そのうえ、夕方になって彼が帰ってくることもない。
 気分転換をしようという気持ちすら湧きあがらない今に、
 憂鬱という言葉がぴったりと当てはまる。
 
 そのままでいると、次第に瞼が重くなっていくのを感じる。
 もしかしたら、私の無意識が寂しい現実を一時的にでも忘れさせようと
 夢の世界へ手招きしているのかもしれない。
 
 普段は拒むことの多い誘いだが、
 今だけは、その招待を受けたい。
 
 
 
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 「…………んっ、うぅん」
 
 何の前触れもなく、少しだけ幸せな気分になれた夢の中から引き戻される。
 未だ開けづらい両目を開けてみれば、辺りの色は黒が侵食し始めていた。
 いけない、思っていた以上に寝てしまったみたいね。
 
 起き上がろうとしたところであることに気付く。
 寝てしまう前には無かった微妙な重さが、私の背中に感じられることだ。
 
 首をめぐらせてみると、そこには見覚えのある大きな布地。
 ○○のよく着ている上着だった。
 
 「起きたみたいだね」
 
 かけられたのはしばらく聞いていなかった声。
 声の方向へと振り返れば、ベッドに腰掛けて洗濯物をたたむ姿が視界に入る。
 
 「…………○、○?」
 「うん。ただいま、さとり」
 
 紛れもない、○○だった。
 
 「一週間ほど遅れちゃったけど、あけまし……」
 
 彼が言いかけた何かは、私の行動で遮られた。
 意識なんてしていない。"心"が私を突き動かして、
 いつの間にか彼へと飛びついていた。
 
 「え、えと、さとり!?」
 「……………おかえり…なさい」
 
 とりあえず今私の口から出せる言葉は、このくらいしかない。
 なにより、そう私が言いたくて仕方なかったから。
 ただ普通に、 おかえりなさい と、彼に言いたかったから。
 
 「……ただいま」
 
 くしゃくしゃになった衣類をどけながら、
 優しい声とともにそっと私を包み込む両手。
 少し冷えているけれど、とても暖かい○○の腕。
 
 途端、胸の奥底から暖かい色が私の中に積もった黒を払いのけていく。
 
 あぁ、これなんだ。これが私を変えてくれたものなんだ。
 
 彼の背に回っている両手に込める力を、ほんの少しだけ強める。
 この暖かさから、離れたくないから。
 
 「………もしかして、寂しくさせちゃったかな」
 「…………ごめんなさい、大丈夫だなんて言っておいて」
 「いや、俺の方こそごめん。あんまり楽しんでこれなかったから」
 「え?」
 「向こうにいる間、ずっとソワソワした感じが続いてね。
  だから課題が残ってるって理由にして、早めに帰ってきたんだ」
 
 ギュッと、彼が腕に込める力を強める。
 すると、彼に触れている"目"から彼の記憶が流れ込んでくる。
 
 家族や親類、友人たちと話している光景。
 楽しげな表情で、周囲に微笑む○○。
 しかし、心情は楽しさだけではなかった。
 そこにあったのは焦燥感。彼自身、それがどこから来るのかわからない焦り。
 日を追うごとにそれは募っていき、必要な用事が無くなったとわかって
 すぐにこちらへと戻ってきたようだ。
 
 「今なら、なんでソワソワしていたのかよくわかるんだ」
 
 口に出そうとする彼を尻目に、
 "目"からはその理由が伝わってきている。
 けど、それを私はまだ理解してはいなかった。
 
 「………さとりのそばにいたいから、って。
  何より……その…………」
 
 
 
 -さとりが好きだから-
 
 
 
 彼が口に出すより早く、本心が私の中へと流れ込んでくる。
 当の本人はというと、未だに口に出すのをためらっているようだ。
 しかし、そんなことは今はどうでも良く感じる。
 
 はっきりと聞こえた彼の心。
 好きであるという、嘘偽りない気持ち。
 まだ私はこの言葉の意味を飲み込めず、頭は真っ白の状態のまま。
 
 「……って、さ、さとり!?」
 「え?」
 
 彼の呼びかけでハッと我に返る。
 視界に移ったのは、驚いた表情でこちらを見つめる○○の顔。
 
 「え、えと…あの………」
 
 -さとりを泣かせてしまうなんて、最低だ、俺……-
 
 不安と自分に対する嫌悪感が○○の心に浮かびあがる。
 ……泣かせてしまう?
 
 「……あ」
 
 左手を彼の背から戻し、それで頬を触ってみる。
 手には冷たい水の感覚が僅かに感じられた。
 
 どうやら、私は泣いているらしい。
 だが、私の心にはどこにも暗い感情は見当たらない。
 強いて挙げるならば、どこかで覚えているような感覚があるだけ。
 
 あぁ、あの時もそうだった。
 まだ私たちが敬語で話し合っていた時。
 些細な会話の中で、彼の優しさに触れた瞬間。
 
 
 
 忌み嫌われた覚りである私に、そんなことはないと言ってくれた。
 
 他者の心を読み漁る私を、心の優しい人だと言ってくれた。
 
 ヒトから憎まれ続けた私に、好きだと言ってくれた。
 
 
 
 あの時のような、とても暖かい気分。
 先程からの真っ白い感覚は、これだった。
 
 やっぱり、そうだったんだ。
 
 
 「……私も」
 「へ?」
 
 そう、私もいつからか心に秘めていた
 自分でもよくわからなかった、この気持ちの正体。
 今になって、何なのか分かった感情。
 
 なおも流れ出てくる涙のせいで、歪になっている顔を
 精一杯笑う形に整えて彼へと向けて、想いを紡ぐ。
 
 
 
 「私も……○○が好き」
 
 
 
 下半分が揺らいでいる視界の中には、
 茫然としている○○の顔が映っている。
 
 けど、その光景もすぐに真っ暗になって見えなくなってしまった。
 ○○が私の頭を抱えるように抱きしめたからだ。
 
 「多分もう"見た"と思うけど、
  ……好きだ、さとり」
 
 少し強く、けどとても優しく包み込まれたまま、耳元でそっと彼は告げる。
 自身の本心を、自信の口を介し、言葉へと姿を変えて。
 
 至上の幸福というものがあるとするならば、まさに今のことを指すのだと思う。
 ○○に包まれる体が、○○の心からの思いが、私の心に強く響く。
 今までの長い生の中で、初めて味わう感覚。
 例えるならば、五感が完全に麻痺するほどの麻薬のような。
 味わったらもう二度と抜け出せないであろう、強い強い幸福感。
 
 しかし抜け出そうなどとは微塵も思わない。
 誰よりも優しく、何よりも愛おしい人を手放そうなど
 何人が考えられるだろうか。
 
 先程から止まることなく流れている涙は、幸せの証なんだと思う。
 盛大に彼の胸を濡らしてしまっていることについては、後で謝ろう。
 今はただ、こうして抱きしめられていたいから。
 
 
 
 そのまま抱き合い続けていたが、しばらくしてどちらからともなく体を少し離す。
 
 瞬間に見つめ合う私と彼の両目。
 同時に、鼓動が速まり胸が熱くなっていくのを感じる。
 
 思考など全く機能していない。
 存在するのは、ただただ○○に触れたいという想い。
 
 少しだけ茶が入っている黒の瞳に映った、二人の私。
 その姿がだんだんと大きくなっていく気がして。
 気がつけば彼の瞳に吸い込まれるように体が動いていて。
 
 
 互いの距離がゼロになる前に、自然と目は閉じていた。
 
 
 ただ互いの唇が軽く触れるだけ。
 それでも、私たちの心が一つになるには十分すぎるもの。
 
 
 
 -好き- という気持ちを伝えあうには、十分すぎる近さ。
 
 
 
 互いの背に回した腕に力を込め、離れまいとしっかり抱きしめる。
 時間も、寒さも、何もかもがどうでもいい。
 
 だって、とても暖かくて、とても幸せなんだもの。
 
 
 私と彼の"2つ"は閉じているが、私の"1つ"はずっと見つめ続けている。
 
 私にこんな暖かさをくれた、優しい優しい○○の心を。
 
 私の心を彼が同じように知ることはできない。
 だからこそ、彼にしっかりと伝えたい。
 
 感謝と……そして何より、好きであると。
 
 
 
 黒に包まれた部屋の中、重なり合う二つの影。
 
 大きな幸せに包まれている間も、
 冬は終わりへと確実に歩を進めているとも知らずに。
 

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最終更新:2010年07月02日 23:31