○○はこの数ヶ月、常々『偶然』というモノに感謝していた。
  
  死を覚悟して樹海に入るも、気が付けば何故か偶然幻想郷に迷い込み。

  森の中をなんとなしに彷徨っていると、これまた偶然空を飛んでいた烏天狗こと射命丸文に見つけられ。

  とある事情で幻想郷に永住を決め、働き先を探していれば、またまた偶然里に下りて来ていた文に仕事を手伝って欲しいと頼まれ。

  手伝い中に働き先と住居について相談すれば、更に偶然とばかりに、住み込みで仕事を手伝ってくれる人を探していた、と文に告げられる。

  そしてこの世界に身寄りも頼る宛ても無い彼は、そのまま済し崩し的に射命丸文と同居生活を送ることとなった。

  ……最後の二つの偶然については、偶然でもなんでもなく狙ってやられたということを、彼は知らない。




  『偶然こそが人生を面白くする』




  昔、彼の友人が良く言っていた言葉だ。

  当時の彼は、その意見に賛同出来なかった。

  何も起こらないのが最良、普通が一番。

  それが昔の彼のモットーであった。

  平和が良い、何も無いのが良い、吃驚することなど起きなくて良い。

  外の世界での彼は、日々をそうして生きてきた。

  けれど、今の彼ならば、僅かばかりだがその意見に同意することだろう。

  何故なら今彼がこうしているのは、その『偶然』のお陰なのだから。

  彼は考える。

  もし、今まで起こった偶然の内の一つでも欠けていたらどうなっていただろうか。

  もし、幻想郷に迷い込んでいなかったら?

  もし、射命丸文と会っていなかったら?

  それらのことを考え、そして、考えても仕方無いことだ、と彼は結論付けた。

  全ては起こるべくして起こったのだろうから。

  きっとこの先も偶然という名の出来事が、自分の目の前に現れるのであろう。

  そう考えると、彼はこれからが楽しみで仕方が無かった。

  そう……




 「おおっ、○○じゃねえかっ!」

 「ちょっ!? なんでお前が此処に居るんだよ!?」




  一ヶ月前の、あの日、あの時までは。

  そして彼の運命のレールはこの日を境に、とんでもない方向へと敷かれていくこととなる。















 「ありがとうございました!」

  営業スマイルでそう言いながら礼儀正しく頭を下げた後、それでは失礼しますと言って、彼はゆっくりと戸を閉めた。

  其処から少し歩いた後、彼はぐっとガッツポーズを取る。

 「よしっ、一件ゲット!」

  嬉しそうに声を上げて、片手に持っている封筒を見る。

  その中に入っているのは数枚の紙、所謂契約用紙だった。

  彼は現在、俗に言う営業回りの最中である。

  各家屋を回っては、彼の同居人、射命丸文の発行している『文々。新聞』の契約取りを行っているのであった。

  今日の新規契約は、先程のを合わせて三件。

  普段に比べても、大漁と言って差し支えない収穫だった。

  彼がこのような行動をしているのには訳があった。

  事の始まりは三ヶ月程前に遡る。




  その日、○○と文は自宅にて、次に発行する新聞の記事を書いていた。

  文の書いた記事の添削を行うのが、○○の主な仕事である。

  偶に記事が少なかった時、空いたスペースに○○がコラム等の軽い記事を書いたりすることもあるが、それでもまあ、主な仕事は添削である。

 「次、お願いします」

 「はいよ」

  書きあがった記事を、互いに一言二言の言葉を交えつつ受け取る。

  そしてまた互いに、黙々と記事書く作業、添削をする作業へと戻った。

  二人の作業風景は、いつもこんな感じであった。

  別に普段からこのような雰囲気、という訳ではなく、これは仕事中に限られた光景である。

  このことを○○は不満とは、毛の先程も思っていない。

  作業中の人の大半は、このような姿勢だということも、彼は良く知っていた。

  ……同居を始めた当初は別の意味で緊張してしまい、ぎこちなかったが。

  しかし今では慣れたものであった。

  慣れてしまえばどうということはなく、比例して作業も早くなる。

  それもその筈である。

  外の世界で彼は、広告関係の仕事に勤めていたのだ。

  その彼にとって、添削などという初歩中の初歩の作業など、何の苦にもならない。

  だが、今の彼は少し悩んでいた。

  もっと他のことがしたい。

  最近の彼は、そう思うことが良くあった。

  別に今の仕事が嫌だとか、そういう訳ではない。

  ただ、今やっていることが余りにも楽(というか単純)過ぎて、彼女に申し訳無く思えてくるのだ。

  なんせ添削(偶にコラム)以外の作業を全部彼女が行っているのである。

  これは非常にまずい。

  ネタを集めて記事を書く、という新聞を作る上で一番疲れる作業を彼女一人でやっているのだ。

  正直言って肩身が狭い、もとい心苦しかった。

  出来ることなら手伝いたい。

  しかし、それは出来ぬ相談事であった。

  何故なら自分は空も飛べない只の人間なのだ。

  そんな自分が彼女の様に幻想郷中を駆け巡り、ネタを集めること等、到底出来る筈も無い。

  なら記事を書くのはどうか。

  そちらは別の意味で無理だった。

  文々。新聞は彼女の新聞だ。

  彼女が精根込めて作った、謂わば彼女の子供のようなもの。

  それに手を出すことがどうして出来ようか。

  否、それは間違っても出来ない、しちゃいけない。

  そう考えている内に、案件は手詰まりになってしまう。

  ……結局、何も手出し出来ることは無いのかなぁ。

  途方に暮れる思いで○○は天井を見上げた。

  そういえば、と彼はふと思った。

  この新聞、購読者はどれ位居るんだろう?

  考えてみれば、自分はその点について全くの無知である。

  どのような層に読まれているのか。

  どれ位の人数に配っているのか。

  そういう、読者についての情報を彼は一つも持ち得ていなかった。

  まあ、今まで気付かない方もどうかと思うのだけども。

  もしかしたら、何か手伝うことが出来るかもしれない。

  そう考えた彼は、聞いてみようと文の方を見る。

  タイミングの良い事に、文は一区切りとばかりに伸びをしていた。

 「射命丸さん、ちょっと良い?」

  声を掛けられたことに気付くと、文は笑顔でこちらに振り向いた。

 「はい、なんですか○○さん?」

  笑顔の文を見た○○は、軽く安堵し、聞きたかった質問をする。

 「いや、大したことじゃないんだけどさ。この新聞の購読者層とかって、どうなってるのかなぁ……と思って」

  その質問に、文は微妙な顔を浮かべた。

 「ん? どうしたの射命丸さん?」

  何か問題でもあったのであろうか。

  事情を全く知らない○○は、その表情の意味が分からない。

  もしかして、あまり多くないのだろうか?

  彼が考えていると、やがて文は気まずそうに口を開いた。

 「……ないんです」

 「え?」

  文の言ったことが良く聞き取れなかったため、もう一度聞き返す。

 「そういうの……調べたことが、無いんです」

  彼女は顔を俯かせ、説明を始めた。

  話の要点をまとめると、こうなる。

  一、基本的に新聞は押し売りという形で無理矢理置いていっている。

  二、置かれた新聞を見て、続きを読みたいという人には定期的に新聞を届けている。

  三、その際に、契約等の手続き行為は行っていない。

  以上が、文々。新聞購読者の現状であった。

 「それはまた……」

  話を聞いた○○は若干唖然としていた。

  それもその筈であろう、彼女の話した現状とは、殆ど何もしていないと言って良い程の状態だったのだから。

 「お恥ずかしい限りです……」

  そう言って、文は面目無さそうに頭を垂れた。

  しかし○○に彼女を責める気は無かった。

  確かに今の現状を聞けば、抜けているとしか言い様が無い。

  だが考えてもみれば、今まで彼女は一人で新聞を作っていたのだ。

  記事を作るだけでも重労働だというのに、其処までやれと誰が言え様か。

  第一、それは営業の仕事である。

  記者のする仕事では断じて無い……ん、営業?

  その単語に彼の頭の中で閃くことがあった。

 「あぁそうか、その手があったか」

 「どうかされたんですか、○○さん?」

 「うん。俺、営業をしようと思う」

 「営業……ですか?」

 「うん、営業」

  突拍子の無い発言に、不思議そうに文は首を傾げる。

  その様子を気にせず、彼は嬉しそうに笑った。

  そうだ、彼女が出来ないのなら俺がすれば良い。

  何てったって自分は暇だ、丁度良い。

  添削という仕事もあるが、夜にやっても充分間に合うだろう。

  山と里の往復は疲れるだろうが、やってやれないことは無い。

  何より……

 「よし決めた、俺は明日から営業マンになる!」

  何より、彼女の力になることが出来るのだ。

  そのことが、彼に一層のやる気を出させていた。

  突然飛び出した彼の提案に、一人置いてきぼりの文は戸惑うだけだった。

  彼女が何かを言う間に、彼はテキパキとその準備を進め……

  そしてその翌日、営業マン○○が誕生したのであった。




  身体に吹き付ける寒風に○○は身を竦めた。

 「う~、さむ~……」

  ごちながら羽織っているジャケットのジッパーを首元まで閉じる。

  気が付けば、もう日は暮れかけていた。

  オレンジ色の太陽が里中を紅く染めている。

  そろそろ帰ろうかと思い、彼は里の中心部を目指して歩き始めた。

  歩きながら、今日の夕飯は何にしようかと○○は考える。

  本日の夕食当番は○○であった。

  本日の、とはいっているが、実際の所、夕食を作っているのは○○と言っても過言では無い。

  別に無理矢理させられている、という訳ではない。

  彼の同居人、射命丸文は新聞記者であるため、ほぼ毎日といって良いほど帰宅時間が遅い。

  そのため、夕食を作るのはどうしても○○になってしまうことが多いのである。

  そのことに対し、○○は文句の一つも言わない。

  寧ろ仕事を終えて帰ってきた彼女に、食事を作って上げれることを嬉しく思ってさえいた。

  再び風が吹いた。

  先程よりも強い風が、彼の横っ腹の辺りを冷やしていく。

  今日はまた、一段と寒いな。

  冷える身体を手で擦りながら彼は決めた。

  よし、今夜は鍋にしよう。

  寒い日には鍋が一番。

  と、誰が言ったのか分からない言葉を後押しに、彼は鍋の材料を買いに行くことにした。

  まずは八百屋、その後に魚屋と、目的地とそれに向かう最短ルートを頭の中で検索する。

  時間が無い訳ではないが、それでも早く行った方が良いだろう。

  彼は早足で歩き始める。

  異変が起きたのは、その時だった。




 「うおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」




  若干の必死さの篭った叫び声が、○○の耳に届いた。

  その声を聞いた彼は、顔を引き攣らせ、その場に立ち止まった。

  直後、声のした方向から爆発音が響いた。

 「うおわぁぁぁぁあああああっ!? ちょっ! やべええええええええっ!!」

  爆発音に混じって聞こえる叫び声。

  再び聞こえたその声に、彼は眼を顰めた。

  まさか、という思いと。

  またか、という思いが頭の中を交互に巡る。

  半場予想はしつつも、間違いであってくれと願いながら彼は声のした方角に視線を向ける。

  其処には夕陽をバックに、ありえない速さでこちらに向かってくる、見慣れたくないが悲しくも見慣れている、一人の男の姿があった。

  その表情は険しい……が、何故か口元には笑みを浮かべている。

  更にその後ろには、紅白の巫女服に身を包んだ空飛ぶ少女、博麗霊夢の姿。

  顔には憤怒を張り付かせ、真っ赤な顔で目の前を走る男に玉櫛や御札を投げつけていた。

  様子から、怒りの原因が目の前の男であることは明白であった。

  巫女は彼以外には目もくれずに、ありったけの玉櫛を投げつける。

  飛来した玉櫛を、男は紙一重のところで身体を逸らして避けていた。

  この状況を見た人達の考えは須らくこうであろう。

  関わったら危ないから、放って置こう。

  その考えを実行するように、村の人達は彼等から距離を置くような位置に立ち、ことの成り行きを見守っていた。
 
  全く以って正しい行動だと、彼も思う。

  出来ることなら彼も同じ行動を取りたかった。

  しかし、彼にはその行動を取れない理由があった。

  それは……

 「おっ、○○じゃねえかっ! 良い所に!」

  追いかけられている男は、彼の姿を見つけると嬉しそうに声を掛けてきた。

  足の速度は緩めず、手を振りながらこちらに向かってくる。

  だから何で俺に声を掛ける、と彼は口元を引き攣らせ、ちょっとヤケ気味に声を張り上げた。

 「一応聞いておこうか、お前は一体何してる!?」

 「今霊夢から逃げてんだ! お前も逃げた方が良いぞっ!」

  そんな彼の様子、言ってること等お構い無しに、男は後ろを指差して叫んだ。

  見れば博麗の巫女は、男のすぐ後ろの上空に迫ってきていた。

  先程の投げた分で玉櫛は尽きたのか、手には大量の御札を持っている。

 「よっしゃ、逃げるぞ○○っ!」

 「なんで俺まで逃げる……」

  すぐ傍まで来ている男の誘いに断りを入れようとして、彼は見てしまった。

  彼の後ろ上空に居る博麗の巫女が、自分が居る場所目掛けて腕を振りかぶっているのを。

 「必要があるんだよなチクショオオオオオオオオオオオオッ!!」

  瞬間、彼は叫び声と共に駆け出していた。

 「そうだろ~~?」

  男もそれに習い、スピードを上げて彼に並ぶ。

  元居た場所が爆発したのは、加速した男が○○に並んだ直後であった。

  爆風が追い風の如く、二人の背中を押し付ける。

 「うわぁおっ! 危機一髪だったな○○っ!」

 「お前のせいだろうが、この野郎っ!!」

  後ろを見ながら上がった男の声に、○○は怒鳴り声を被せた。

  叫びつつも、走る速度は緩めない。

  緩めた次の瞬間に、やられるのは目に見えているからだ。

 「俺のせいじゃねえってーの!」

 「黙れ馬鹿! じゃあその頭と首に着けてるのは何だよ!?」

  怒鳴りながら○○は、男の頭と首元を指差す。

  男の頭には、女性用と思われる純白のパンツ、首元にはこれまた純白のブラジャーが装着されていた。

  つまり彼は今、頭にパンツを被りブラジャーを首からぶら下げて走っているのである。

  誰がどう見ても変態の二文字しか思い浮かばない格好の男は、その質問に眩しい笑顔で返した。

 「仮面ライダーごっこって、知ってるか?」

 「知るかぼけえええええええええええええええっ!!」

  男の笑顔に、彼は最大級の声量を持って怒鳴り返した。

  二人が異常に気付いたのはその時であった。

  突然彼等を中心にして、大きな影が広がったのである。

 「おお?」

 「なんだ?」

  突如発生した異常事態に彼等は驚きの声を上げる。
 
  何だこの影は?

  彼と男は、共に同じ感想を抱いた。

  日が落ちたにしては早すぎる、時刻はまだ夕方過ぎの筈だ。

  なにより、日はまだ落ちていなかった。

  彼等の背後には、紅く染まった夕陽が本日最後の明かりを提供中である。

  不思議なことに、薄暗いのは彼等の周囲だけだった。

  これは一体どういうことだ?

  その答えを、彼等は身を以って知った。




 「死ねええええええええええええっ!!」




  怒りの込められた絶叫が、後ろ上空から届く。

  反応した二人が後ろを向くと、其処にはこちらに向かって投げられた陰陽玉が。

  通常の陰陽玉の何倍、何十倍、何百倍もの大きさの陰陽玉が。

  彼等に急スピードで迫ってきていた。

 「ちょっ、やめ……」

  ○○は静止の声を掛けようとするも、それが手遅れだと気が付いた。

  何故ならこの陰陽玉は彼女の手から離れているのだから。

  手綱から解き放たれた暴れ馬を止める手立てが無いように。

  今目の前に迫る物体を止めるなど、誰にも不可能だった。

 「あらら~、こりゃマズイわ……」

  隣から聞こえる諦めを込めている様で、実のところ何も考えてない声。

  その声の主に対し文句を言おうかと、彼が男の方に振り向いた瞬間だった。

  辺りに響く、先程とは一線を画した音量の轟音。

  その轟音と共に起きた爆風により、彼と男は吹っ飛ばされた。

  自分より更に上昇する男の身体を眺めつつ、彼が思ったことは一つだけ。

  ああ、やっぱり。

  やっぱりコイツと会うと、碌なことにならない。

  その思考を最後に、彼は意識を暗闇の中へと手放した。















  眼を覚ました○○が紅い空を見つめて最初に思ったことは、まだ買い物に間に合うな、であった。

  見上げた空は、彼が吹き飛ばされる前に比べると若干暗くなっていたが、それでもまだ紅みは残っていた。

 「お、やっと起きたか」

  覚醒したことに気付いたのか、声を掛けられる。

  声を掛けられた方に○○が視線を向けると、其処には先程まで一緒に疾走していた男の姿があった。

  男は先に眼が覚めたのか、暢気に煙草をふかしていた。

 「お互い派手にやられたな~」

  男は愉快気にそう言って煙を吐く。

  見れば、男の服装は所々破けていていた。

  肌が露出している部分には、擦り傷らしきモノが多々見える。

  それは○○も同じであった。

 「誰のせいだと思ってんだよ……」

  擦り傷で痛む身体に顔を顰めつつ、身体を起こしながら、○○は唸る様に言った。

 「霊夢のせいだな!」

  教師が生徒にモノを教える様に、人差し指をピンと上げながら、彼は大真面目にそう言った。

  口の端からは煙草の煙が漏れている。

  その顔を見て彼は溜息を吐いた後、男に向けて手を差し出した。

 「はいよ」

  差し出された手の意味を訪ねるまでもなく理解している彼は、ポケットから煙草の箱を取り出し、その内の一本を○○に差し出した。

  ○○がそれを口に咥えると同時に、男が百円ライターに火を点け、○○の口元に近づけた。

  数瞬の後、○○の口から大きな紫煙が上がった。

 「良いのか、文ちゃんにバレるぞ?」

 「うるせえ、これが吸わずに居られるか」

  微妙に心配したような口調に○○は乱暴な言葉で返し、そして大きく煙を吸い込んだ。

  肺の奥深くまで満遍なく煙で埋め尽くされる感覚を堪能し、煙を外界に吐き出す。

  その行為を数回繰り返した後、幾分か落ち着いた○○は男に訪ねた。

 「で、今度は何をやらかしたんだ?」

 「それがな~……」

  男の話はこういう内容のモノだった。

  霊夢のところに遊びに行った彼だったが、霊夢は出掛けていて居なかった。

  このまま帰るのも癪なので、暇潰しに箪笥の中を漁っていると、ブラジャーとパンツを発見したという。

  霊夢も大人になったんだなぁ、としみじみ彼は思う。

  が、そこで彼の脳裏に、昔の記憶が鮮明に映し出された。

  それは仮面ライダーごっこと少年時代の彼が名付けた遊び。

  過去を懐かしげに振り返っていると、何故だか無性に今すぐやりたい衝動に彼は襲われる。

  幸いにして、今此処には誰も居ない。

  ならば迷う必要は無いとばかりに彼は瞬く間に下着を着け、否、装着した。

  少年の頃に描いた憧れのヒーロー、それが再び誕生した感動的瞬間であった。

  久しぶりの装着感に少年時代の懐かしさが溢れ出した彼は、夢中になって何度も真似をしたヒーローの技を繰り出す。

  パンチ、キック、チョップ。

  其々の技を三巡程繰り返した時、脅威は現れた。

  障子を開いて現れるは紅白の巫女。

  目の前の状況を理解し切れていないのか、口を開いたまま硬直している。

  彼女の姿を見た彼は、役に入りきっていたためか、逃げれば良いのにこんなことを口走ってしまった。

  出たな、怪人ワキバサミ!

  そしてその後は察しの通り、怒り狂った腋巫女もとい怪人ワキバサミとの弾幕鬼ごっこが始まったのであった。

  男は話し終えると、ぐいと、汗も掻いてないのに額を拭う動作をした。

 「ふぅ~、熱いバトルだったぜ……」

  そしてやり切った漢の顔でそう言った。

  一方、話を聞き終えた○○は、頬をひくつかせていた。

  彼の顔には、げんなりとした空気が漂っている。

 「まあ、大方の予想はしてたさ……」

  顔と同じくげんなりとした口調で彼は言った。

  いつものことだが聞いた俺が馬鹿だった、と彼は自分を責める。

  男の思考・行動パターンを思い出せば、それはすぐ分かる話だったのだ。

 「でもな……」

  ○○は言葉を続ける。

  そう、それでも。

  それでも納得が行かないことが一つだけあった。

  たった一つのソレに、精一杯の抗議を込めて彼は叫ぶ。

 「どうしていつも俺を巻き込むんだよっ!?」

  彼の全力の抗議に男は笑って言った。

 「そんなつれないこと言うなよ○○~。友達だろ~?」

  男の馴れ馴れしい笑顔と声を切り裂く様に○○は吼えた。

 「ああ、そうだな●●! なら、その友達を巻き込むような真似なんて、普通しないよな!?」

 「其処はほら、俺達の友情は特別だから。友情パワーって素晴らしいな!」

  ●●と呼ばれた男は、○○の抗議にそう切り返しながら眩しいばかりの笑顔を見せる。

  と、己の笑顔に受けたのか、勢い良く笑い出す。

  もはや怒る気力も失せた○○は、疲れたと言わんばかりにがくりと肩を落とした。




  この男の名前は●●。

  今から一ヶ月と少し前に、此処幻想郷に迷い込んだ外来人である。

  とある理由から、幻想郷に永住することを決め、今に至っている。

  彼、○○とは外の世界に居た時からの付き合いであった。

  ○○とは所謂悪友と呼ばれる間柄で、外の世界に居た時から親交はかなり深かった。

  普段は大人しく礼儀正しい○○が、彼の前では幾段か活発、もとい凶暴的になるのは付き合いが深いためである。

  所謂二人は、気の置けない仲、というものであった。

  しかし、余りにも暴力的な言動が見られるため、○○は寧ろこっちが素なのではないかと思う人も少なくないという。

  閑話休題。

  彼、●●の性格は、明朗快活で楽天的、好奇心旺盛で無鉄砲、豪放磊落で荒唐無稽、そして人妖問わず好かれやすい、という良く分からない人柄である。

  まあそれらに関しては別にそれ程の問題も無く、そのことが原因で何か事が起きたとしても、笑って済ませられる範囲であった。

  ただ、一つ彼には別の問題があった。

  寧ろ上記のことなど、どうでも良くなる程の大問題が。

  この男、●●は、とてつもなく女好きであったのだ。

  それは人妖問わず、可愛い子なら問答無用に。

  なにせ幻想郷に永住を決めた理由が、最初に会った博麗霊夢が可愛かったから、という理由なのだ。

  この事柄だけでも、彼の女好き具合が伺えるであろう。

  幻想郷に俺のハーレムを作る。

  永住を決めた時、最初に彼が言った言葉がこれである。

  この言葉からして、彼の馬鹿さ加減が伺えるであろう。

  そして彼の意志は鋼より固く、行動は稲妻より早かった。

  幻想郷に永住を決め、ハーレム宣言をしてから一ヶ月。

  その一月の間に、彼はあの伊吹の鬼を攻略し、八雲一家と協力関係を結ぶという快挙を成し遂げた。

  彼の本気と馬鹿さと実行力を、周りの人間が理解したのはその時であった。

  『本気でやるとは思わなかった、止めなかったことを今は反省している』とは、里の守護者の言である。

  ある意味妖怪より恐ろしい人間、それが●●であった。

  だが、彼の野望はまだまだ終わっていない。

  彼の目的はハーレムなのだ、この程度では到底足り得ない。

  そんな彼は現状に甘んじることなく、目下博麗神社と守矢神社を攻略中であった。

  これが終わったら次は紅魔館だ、とは彼の談である。

  だが、○○にとって彼の野望云々は、別にそこまでの問題では無かった。

  別に彼がどの女性とくっつこうが、○○は特に興味が無い。

  そして迫られている側の彼女達も、実はそこまで彼のことを嫌っている訳ではないことを、彼は知っていた。

  無理強いで無いのならば別に問題は無い、そう彼は思っていた。

  まあ多数の少女と関係を持つのはどうかとは思うのだが……これは言っても聞かないので○○は当の昔に諦めている。

  一つだけ問題があるとすれば、それは彼が『彼女』に手を出した時だと○○は思っていた。

  その時だけは、幾ら友とはいえ、実力行使で排除させて貰う。

  ○○は本気でそう考えていた。

  だが、彼はその点に関してはちゃんと考えているらしく、既に交際中の者や想い人の居る者には、手を出さないようにしているらしい。

  交際相手という言葉に、その時の○○は若干心苦しい気分になったのだが、それはまた別の話である。

  ちなみに、先程の内容は彼の悩む問題とは関係が無い。

  では彼の悩む問題とは何か?

  ○○の悩む問題とは、これらとは別次元の処にあった。

  別次元の問題。

  それは『●●が起こした騒動に、ほぼ必ず○○が巻き込まれる』というモノだった。

  そう、何故かは分からないがそうなのだ。

  一月程前に幻想郷で再び彼と出会ってから今までずっと。

  彼が騒動を起こした際、ほぼ九割九分の確率で○○は巻き込まれいるのだった。

  まるで磁石のS極が、N極を引っ張ってくるかの様に。

  この一ヶ月の間に、彼が空を飛んだ回数は軽く二桁になっていた。

  彼の起こす騒動に偶々○○が居合わせるのか、●●が寄って来るのかは定かではない。

  思えば外の世界に居た時からそうだった。

  トラブルメーカーと聞いて○○が浮かび上がるのは、何時も彼だった。

  ○○が巻き込まれるハプニングの裏には、いつも●●の影があった。

  そのことを事有るごとに言及しても、その度●●は偶然って怖いよなぁ、と笑って言った。

  彼の言葉に対し、そんな偶然欲しくねえよと○○は常々思っていた。

  ……余談ではあるが『偶然こそが人生を面白くする』とは、彼のモットーである。




 「はぁ、もう良いよ。いつものことだし」

 「そうそう。いつものことだから、あんま気にすんなって」

  溜息を吐く○○の肩に手を置きながら●●が明るく言った。

  お前が言うな、と言外に含みながら睨みつけるも●●はそしらぬ風であった。

  一発殴っても良いよなと思って居た時、○○は自分が今買い物に行く途中だったのを思い出す。

  見ると夕陽は沈み掛けていた。

 「これはまずいな……今から行って間に合うか?」

  書類を手に持ち駆け出す。

  それに伴うように●●も駆け出した。

 「なんだなんだ? なんか用事でもあったのか?」

  ●●の問い掛けに、○○は顔を合わせず答えた。

 「買い物の途中だったんだよ。今から行っても間に合うか……」

 「オッケー、じゃあ手伝うぜ! 二人でやれば早いだろ?」

  ●●の提案に、彼はにべもなく頷いた。

 「じゃあ八百屋を頼む、鍋の材料を買って来てくれ。金は後から払う」

  手短にそう説明すると、○○は魚屋の方向目掛けて走り出そうとした。

  ……が。

 「鍋とはまた豪勢だな! 俺ってばラッキー!」

  ●●の口から出た、有り得ない言葉が耳に届いた瞬間、彼はその場でターンを決めた。

  そして走り出そうとせんばかりの●●の襟首を音速の速さで掴んだ。

 「ぐえっ」

  突然掴まれたためか、●●の口から気味の悪い呻き声が零れ出る。

  それを気にせず○○は襟首を掴んでいた手を離し、咽ている目の前の馬鹿目掛けて冷たく言い放った。

 「誰がお前を招待すると言った?」

 「うえっ!?」

  本人にとっては予想外だったのか、●●は○○の方に顔を向ける。

  子犬の様な視線には、自分は招待してくれないのかという言葉が書き込まれていた。

  懇願の視線を無視して○○は告げた。

 「言っとくが、買うのは二人分だげだぞ。三人分じゃなくて、二人分だ」

 「俺の分と○○の分ですね、分かります!」

  尚も抵抗するかの様に●●は軽口を叩く。

  その軽口に○○は取り合わなかった。

 「死ね。俺と射命丸さんの分に決まってるだろうが」 

 「軽々と死ねとか言うなよ! 傷付くだろ、俺が!」

 「分かった、本気で死ね」

 「ちょっ!?」

  冷たい対応に、●●は驚愕の顔を大げさに作って○○を見つめた。

  だがそれに対して○○は何の突っ込みも入れずに言うべきことだけを言った。

 「兎に角、買ってくるのは二人分だ。わかったな?」

 「じゃあ俺は、今日何処で晩飯を食えば良いんだYO!?」

 「知らん」

  危機感が有るのか無いのか分からないラップ調の言葉を、○○は修羅の如く一太刀で切り捨てる。

 「ぬぅ……」

  最後の一言で、○○に救いの手を差し伸べるつもりが全く無いと悟った●●は、黙り込んだ。

  彼が考えるのは今後の身の振り方だ。

  霊夢の処は今日は無理っぽいし……さて、どうしようか。

  何か良い手は無いモノかと考える。

  数秒後、●●の頭の中の電球が点灯した。

  彼の脳裏に移るは、山の上にある神社の姿。

  其処に居るのは現在攻略中の少女達……よし。

  そして●●は決断を下した。

  ○○に視線を向ける。

  その顔は、去り際の悪役に良く似ていた。

 「そこまで言うなら仕方ねえ、今日の処は守矢神社で勘弁しといてやるぜ!」

  やられた悪役のお約束とばかりに、高らかに守矢神社に夕餉を集りに行くことを宣言する。

  そして彼は守矢神社に狙いを定め、勢い良く駆け出した。

 「じゃあな、ヘタレ○○! いい加減、文ちゃんとにゃんにゃんしろよ~!」

  悪役御馴染みの捨て台詞も忘れずに。

  最後の台詞に、○○は瞬間湯沸し器の如く顔を紅くした。

  そして紅い顔のまま怒鳴り返そうとしたが、一瞬の内に加速した●●の姿は、今や米粒の如く小さくなっていた。

 「はえぇよ……」

  呟きは届かず、その場には○○だけが取り残された。

 「まあ仕方無い……か」

  友人の突然の裏切りに、別段憤慨する様子も無く○○は溜息を吐く。

  彼との付き合いの長いに○○とって、その行動はある程度予想出来ていたことだった。

  なのでこれといって文句も出ず、あっさりと気持ちを切り替え、彼は再び買い物を再開した。

 「さてと、行きますか」

  一言自分に呟いて、彼は駆け出した。

  現在地から最も近い八百屋目掛けて、全速力で疾走する。

  道のド真ん中を疾駆しながら○○は神様に願った。

  今日の晩御飯のため、彼女のため。

  どうかお店が開いてますように。

  モノのついでに彼はもう一つ願った。

  世界の平和のため、俺のため。

  どうか。

  どうかあの馬鹿の巻き込えにあいません様に。

  真摯に願いながら彼は走った。

  二番目の願いごとに対し、蛇と蛙が『そりゃ無理だわ』と言ったのを、彼は知らない。















  ぐつぐつと煮えっている鍋の中にお玉を入れ、出し汁を軽く掬い、味を確かめる。

  口にした瞬間、昆布の出汁と鮭の旨味、野菜の甘みが口内に広がった。

 「よし、良い感じだな」

  出来上がりに満足して、○○は鍋の蓋を閉めた。

  あれからなんとか買い物を終え、夜の帳が降りる間際に自宅に辿り着いた彼は、現在夕餉の準備をしていた。

 「さてと、後は弱火にして、射命丸さんが帰ってくるのを待つだけだな」

  エプロンを外しながら腕に嵌めた外界産の時計を見ると、時計の針は八時前を指していた。

  もうそろそろ帰ってくるだろうと思った○○は、食器の用意を始める。

  食器棚に向かい、二人分の取り皿を出す。

  不意に視界に飛び込んだ、皿に彫られた文字に、○○は顔を綻ばせた。

  彼の持った皿に彫られているのは、○○という文字。

  それはその食器が彼専用ということに他ならなかった。

  もう一つの皿には、文の文字。

  こちらは彼女専用の食器であった。

  この家には、二枚ずつ存在する食器が多数ある。

  そしてその二枚ずつの食器全てには、彼と彼の同居人の名前が彫られていた。

  名前が彫られている食器は、彼が此処に住む様になってから新しく買った食器であった。

  そのことを彼は無性に嬉しく思っていた。

  止めようと思っても、笑みは収まらず彼の顔に有り続けている。

  ○○と射命丸文は、同居人で仕事仲間である。

  現在のお互いの関係を示す言葉はこれだけだ。
  
  否、その中にもう一つ入れるべき単語がある、と○○は思った。

  それは周りに言ったら信じてくれるとは思うが、言った当人は苦笑いを浮かべてしまう様な言葉。

  恋人関係。

  ○○と文は、世間的にはそう言われる関係であった。

  それが何故苦笑いなのか?

  別にお互いに好きと言い合っていない、所謂友達以上恋人未満などということでは決して無い。

  二人はちゃんと、互いのことを好きと認め合っている(告白の際、しどろもどろだったことは、彼にとって忘れたい過去ではあるが)

  では何が問題なのか?

  それは彼の性格に起因する。

  彼は外の世界では、俗に言う『良い人』であった。

  好きな子にアタックするよりも、周りの輪を大事にする。

  自分が惚れていた子を、他の友達が好きだと言えばそちらを応援する。

  彼はそんな人間であった。

  自分よりも他者、自分よりも場の空気を大事にする、それが彼という男であった。

  だから、今こうして文と恋人関係になれたという事実は、彼にとって偶然の奇跡としか良い様が無い。

  だが此処で、一つ問題が発生することとなった。

  それは彼の恋愛レベルの低さである。

  昔から他者の恋を応援していただけの彼が、女の子との付き合い方など当然ながら知っている筈も無かった。

  故に、告白して恋人関係になった今も、彼等の関係は今までから何も進展していないのであった。

  別に○○もその関係に甘んじているばかりではない。

  時には彼氏らしく振舞おうと努力した時もあった。

  だが生来の度胸の無さが、それらを悉く邪魔していき、結果としていつも通りの日常を送る羽目となっていた。

  彼の友人が先程去り際に放った『ヘタレ』という言葉も、あながち間違いではないのである。

  唯一の救いは、射命丸文もその点に関して純情だったということだろう。

  付き合ってそろそろ半年、何とかして一歩先へと進みたい。

  そう思ってはいても、彼の前に立ちはだかるのは、行動がそれに追いつかないという現実であった。

  もやもやとそんなことを考えている彼の耳に、がちゃ、と玄関の鍵が開く音が届く。

  それは彼女の帰宅を伝える音であった。

  お、帰って来たみたいだな。

  ダイブしていた思考をストップさせ、彼女を出迎えるため持っていた食器を卓袱台に置いて、彼は玄関に向かった。

 「ただいま帰りました~!」

  元気良く帰宅の声を上げる天狗少女を、彼は穏やかな笑顔で出迎える。

 「おかえり、外寒かっただろう? もう夕御飯出来てるよ」

 「ありがとうございます! おおっ! この匂いはお鍋、石狩鍋ですね!?」

 「正解。今出来上がったばっかりだから、ナイスタイミングだったよ」

  くんくんと鼻を鳴らす文に、○○は顔を綻ばせて言った。

 「こっちもナイスタイミングです! これなら一人増えても大丈夫ですしね!」

 「ん? 誰か連れて来たの?」

  文の発言に、疑問を浮かべながら○○は訪ねた。

  来客とは珍しいこともあるものだと、彼は思った。

  文は自分の家に人を入れたことが余りない。

  別に人を入れるのが嫌ということではなく、外出するのが基本なので家に居ることが無いためだ。

  まあ偶に、部下の白狼天狗の犬走椛や、河童の河城にとりを連れて来ることもあるのだが。

  それも稀れなことであった。

 「どうぞ、気軽に上がって下さい!」

  文は玄関から一歩下がって、隣に居るであろう来客を促した。

  誰が来たんだろう。

  犬走さんか、にとりさんか、それとも別の方か、特に危惧せず客の予想をしていた○○は、来客の姿を見た次の瞬間絶句して固まった。

  急遽断絶された思考回路が悲鳴を上げ、警告音が鳴り響く。

 「いや~悪いね~!」

  姿を現した人物は、文に軽く手を上げて玄関の中、○○の前に立った。

  ○○は凍りついた様に動けないでいた。

 「よっ!!」

  びしっと効果音が付きそうな程に上げられた手と、ノリの良い声。

  その声を聞き、僅かながら声帯の機能が回復した○○は、口をぱくぱくと動かす。

 「な……」

  そして、彼の口から出たのは絶望と驚愕であった。

 「なんでお前が此処に居るんだよおおおおおおおおおおおおっ!?」

  大絶叫と呼ぶに相応しい叫びが辺りに轟く。

  発言の内容に、お前と呼ばれた人物は楽しげに口元を歪ませた。

 「文ちゃんに誘われたんだよ、なあ文ちゃん?」

 「はい。帰る途中、山の中を歩いている●●さんを見掛けたモノですから」

  夜道は危ないと思いまして、と、にこやかに文は事の経緯を説明した。

  何も知らずに笑う彼女に対し、○○はこの時初めて思った。

  空気を読んでくれ、射命丸さん……

  自身の恋人が連れてきた最悪の客に、頭痛がしたような気がした○○は、親指で眉間を押さえた。

 「えっと……何か問題でもあったんでしょうか?」

  神妙な○○の様子に何か感じたのか、文はおずおずと尋ねた。

  その瞳には、不安が少量入り混じっていた。

 「いや、なんでもないよ。ちょっと驚いただけだから」

  震える小鳥のような瞳に気付いた○○は、眉間に当てた指を離して慌ててフォローを入れる。

 「そうですか……良かったぁ」

  ○○の言葉に、文はホッと胸を撫で下ろす。

  文の様子を見て、○○は一安心し、そして思った。

  そうだ、別に彼女が悪い訳じゃない。

  彼女は自分の友人に気を遣っただけだ。

  そう彼女の行動、●●の身を案じての行動だったのだ。

  其処には善意以外含まれていない。

  寧ろ他者の友人にまで気遣いが出来る彼女を、○○は好ましく思った。

  文はこちらの様子を伺うように上目遣いで○○覗いていた。

  それに気付いた彼は、文の不安を取り除くため、彼女の頭に手を置いた。

  優しく頭を撫でる。

  サラサラとした黒髪が手に心地良い、と彼は思った。

 「○○さん……?」

  突然の行動に、眼を丸くして文は○○を見る。

  気にせず○○は頭を撫で続けた。

  ポンポンと軽く頭を叩いた後、彼は言った。

 「気を遣ってくれて、ありがとう射命丸さん」

  彼の言葉に、文は破顔した。

  向日葵の様な笑顔を○○に向けた後、はい、と頬を桃色に染めて彼女は小声で言った。

  若干甘い雰囲気が彼等の間に流れる。

 「そうかそうか、俺が来たのがそんなに嬉しかったのか! いや~、俺って愛されてるぅ!」

  その雰囲気をブチ壊す様に、●●は暢気に笑った。

  彼に対しては心の中で、死ねよもう、と○○は呪い混じりに呟いておいた。















  突然の●●来訪から数分後、彼等は卓袱台を囲んで鍋を突付いていた。

  煮込まれ程良い触感を持った鮭が、シャキシャキとした長ネギが、出汁をたっぷりと吸ってクタクタになった白菜が、それぞれの口の中に放り込まれていく。

 「美味し~」

  文が感嘆の声を上げる。

  鮭を頬張った口元は幸せそうに緩んでいた。

 「それは何より」

  満足気な文の声に、○○は嬉しそうに返事を返し、口に含んだ長ネギの触感を楽しんだ。

  シャキシャキと歯触りの良い触感に○○はこれぞ長ネギと、一人満足する。

 「白菜うめぇ~……あ、長ネギ入ってる。○○~、長ネギやるわ~」

  自身の嫌いな長ネギを箸で掴んで、○○の器に入れようとする●●。

  その彼を、○○は無言で殴った。

  ごすっ、という音が部屋の中に響く。

  呻き声と共に●●は頭を押さえながら苦言を吐いた。

 「いって~! なにすんだよブラザー!」

 「うっせえ、好き嫌いせずに黙って食え!」

  文句を言う●●を、彼は一喝した。

 「大体、いい年して嫌いな食べ物があるとか、子供かお前は!?」

 「嫌いなモンは嫌いなんだからしょうがねぇだろ~?」

 「五月蝿え馬鹿、少しは射命丸さんを見習え!」

  言いながら○○は文の座っている方向を指差す。

  突然指名されたことに気付いた文は、こちらに目線を向けつつ、鍋の具をお玉で掬っていた。

  こちらに意識を向けつつも、手は食事を放棄しておらず。

  手に持った箸は、手際良く口に食材を運んでいた。

  その食への姿勢に●●は納得したように頷いた。

 「成程。つまり文ちゃんみたいに食い意地を張れと、そう言いたい訳だな?」

 「まあ、確かにアレは食い意地張ってると思われても仕方無い……って違うわーーーーーーーっ!!」

  途中まで同意しかけた発言を掻き消すように○○は叫んだ。

  指摘された文は恥ずかしそうに顔を紅く染めて俯いた。

  しかし、箸を動かすその手は止まっていない。

  その飽くなき食への執念に、『あ、結局食べるんだ』と、二人は心の中で突っ込みを入れた。

 「はぁ、もういいや。そういえばさ……」

  溜息と一緒に気を取り直した○○は、話題を変えることにした。

 「お前、守矢神社に行くって言ってなかったか?」

  その疑問に●●は残念そうな顔を作って答えた。

 「いや~、行ったんだけど居なくてさ~」

  ○○と分かれた後、●●は山の上にある、守矢神社へと向かった。

  が、神社には誰も居なかったため、仕方無くその場を後にした。

  その帰り道に文ちゃんと会った、と●●は続けた。

 「鍵掛かってなかったら、中で待ってたんだけどな~」

 「それは良かった」

  ●●のif物語に、○○はお玉で具を掬いながら言った。

  気の利かない発言に、●●はムッとして反論する。

 「いやいや、良くねえだろ」

 「良かったっていうのは、東風谷さん達に対して言ったんだよ」

 「なんでよ?」

 「博麗さんみたく、お前に変なことをされなくて良かったなぁ、と思ってさ」

  言いながら○○は、鮭の切り身を口の中に放り込む。

  魚の旨味を堪能しながら咀嚼していると、何時の間にか復活した文が話に入ってきた。

 「変なことって、何かあったんですか?」

  文は好奇心を宿した瞳で、○○を見つめた。

  両の瞳は既に記者のソレへと変化している。

 「いや、コイツがまた馬鹿をやったっていう話だよ」

  言いながら視線を●●に向ける。

 「おっ、何だ俺に説明しろってか? まあ別に良いんだけどさ~」

  彼の視線に気付いた●●は、話しをするのが楽しいのか、嬉しそうに笑った。

  助かった、と○○は思った。
  
  詳しい説明を彼はしたくなかったのだ。

  自分がやったことでは無いにせよ、女性に『女物の下着を被って遊んでいた男の話』など、どうして話せ様か。

  特に彼女、射命丸文に対しては尚更だった。

 「じゃあ話すとしますか」

  笑顔で会話を始めようとする●●を見て、文は愛用の手帳を取り出した。

  ふぅ、危なかった。

  二人を見て、○○は安堵を漏らす。

  だが、その安心も一瞬のモノであった。

 「さてと……それじゃあ文ちゃん、早速で悪いんだけど下着貸してくれねえ?」

  ●●の口から飛び出した基地外染みた発言。

  文がその言葉の意味を理解するよりも早く、彼のやろうとしていることが解った○○は己の右拳を友人目掛けて叩き付けた。

  錐揉み状に回転しながら部屋の端までブッ飛ぶ●●。

  突然の出来事にあっけに取られている文。

  鍋は未だ冷めず、温かな湯気と香しい匂いを発していた。















  ご馳走様でした。

  騒がしかった夕餉は、三人が口を揃って言った言葉により終わりを迎えた。

  始まる前には盛り沢山の食材が詰まっていた鍋は、今や外見だけそのままに、中は綺麗な空洞と化している。

  卓袱台の周りには、○○、文、そして左頬を赤く腫らした●●が、形は其々に、食後の余韻に浸っていた。

 「う~食った食った、食いすぎた~……っと」

  腫れた頬のことなど気にも留めずに、●●は満腹々々とその場に寝転がり、腹を押さえて唸る。

 「ホント、お前は良く食いやがったよ……」

  ぐでっと倒れる●●の姿を、食後のお茶を啜りながら見つめ、○○は苦言を漏らした。

 「遠慮無しに馬鹿々々食いやがってコノヤロウ……」

 「まあまあ、良いじゃないですか○○さん」

  愚痴る○○を、同じく食後のお茶を啜っていた文が窘める。

  それに乗る様に、●●は調子に乗って追従した。

 「そうだそうだ、こまけぇこと気にすんなって~。若い内からそんなだと、禿るぞ~?」

 「禿たらお前を真っ先にしばきに行くから安心しとけ」

 「おお、こわ。文ちゃ~ん、○○が俺のこと苛めるよ~!」

  いじめられっこが親に泣き付く様に、起き上がって文に抱きつこうとする彼を、○○は思い切り蹴飛ばした。

 「ノゥフ!」

  意味不明の悲鳴を上げて彼は部屋の隅まで転がっていった。

 「死ね!」

  部屋の隅で倒れる●●にそう吐き捨てた後、○○は食べ終わった食器類を洗うため、鍋を掴んだ。

 「あ、私が洗いますから」

  声を掛ける文に、○○は微笑で返す。

 「良いよ良いよ、疲れてるだろ? ゆっくりしてなって」

 「でも、悪いですよ」

 「気にしなくていいって」

  そうして両者譲らないでいると、不意に鍋を持つ○○の手と、鍋を持とうとする文の手が触れ合った。

 「っ!!」

  息を呑んだのはどちらだったのか、二人共かもしれない。

  触れ合った手の温もりは共に温かく、両者の頬がそれに伴う様に熱く紅く染まってゆく。

  鼓動が早くなるのを○○は感じた。

  何かに絡め取られているかのように、○○は動けないでいる。

  目と目が合った。

  潤んだ文の瞳が○○の瞳に映った瞬間、○○の動悸は一層激しくなった。

  その時、○○の中にある願望が芽生えた。

  これはもしかして、キスとかしても良い雰囲気、なのか?

  ○○と文は恋人同士である。

  だが、それは名前だけの関係で、今まで恋人らしいことなど一度も経験していなかった。

  そう、キスさえも。

  ○○は桃色に染まり掛けている脳細胞をフル活動させ、現状を解析する。

  これは果たして、してしまっても良いのだろうか?

  ……いや、手が触れ合っただけだぞ、流石にまだ早くないか?

  けどこの機会を逃したら、次は何時になるかわかんねえぞ?

  結論の出ないまま、ぐるぐると巡る頭を回転させていると、文が瞼を閉じた。

  そして可愛らしい唇を○○の方に、軽く突き出す。

  間近に迫った彼女の頬は、薄紅色に染まっていた。

  その行動に、これはいけると○○は確信する。

  そして彼にしては珍しく早く、覚悟を決めた。

  よし、やってやる。

  意気込みを実現するかのように、○○は空いた手で、文の肩を掴む。

  いきなり肩を掴まれたためか、ぴくん、と文は肩を震わせたが、それも一瞬のことだった。

  眼前にあるは、愛しい少女の顔。

  ○○はその少女の唇に、己の唇をゆっくりと近づける。

  五十、四十、三十、二十、と彼と彼女の距離は徐々に零へと近づいていく。

  ああ、遂にこの時が来たのか。
 
  父さん母さん婆ちゃん、俺は今日、一歩大人になります。

  外の世界に居る家族に報告する。

  感動の瞬間まで、残り十。

  距離が狭まるにつれ、背中合わせの興奮と鼓動がビートを刻む。

  あと少し、あと少しで。




  そして悲劇は残り五センチのところで起きた。




  突然、巨大な何かが倒れるような音が辺りに響いた。

 「なっ、なんだ急に!?」

 「なんですか一体!?」

  ○○と文は二人の世界に割り込んできた破壊音に自我を取り戻し、揃って疑問の声を上げる。

  声を上げる間にも、何かが倒れる音は止まらない。

  めきめきと音を立て、振動と共に轟音を上げる。

  状況が全く掴めない二人は、警戒しながら周囲を見回す。

  何処ぞの妖怪でも襲ってきたのか、否、それはありえない。

  相手は天狗なのだ、生半可な妖怪では相対することすら避けるであろう。

  近くで妖怪同士が争っている、否、それもありえない。

  此処は哨戒天狗の監視エリア内だ、わざわざそんなところで争う必要など有る筈も無い。

  ならば、何だ?

  ○○は警戒しつつ、思考を進めた。

  その時、二人の耳に巨大な声が飛び込んで来た。





 「■■■■■■■■■■■■ッ!!!!」





  雄叫びと呼んでも差し支えの無い程の気迫を込めた叫びに、○○と文は互いの顔を見合わせる。

 「射命丸さん、今の聞こえた?」

 「はい、何を言っているのかは聞き取れませんでしたが……」

  その咆哮、もとい声は、二人にとって聞き覚えのある声だった。

  山の上の神社に住む巫女。

  ○○と同じく外の世界から来たという一人の少女の姿が、彼と彼女の脳裏に思い浮かぶ。

 「さっきの声って、東風谷さん……だよな?」

 「聞き間違いではなければ、そうだと思うんですけど……」

  声の主に辺りを付けるも、二人はその答えに何処か否定的であった。

  何故あの子がこんなことをしているのか?

  彼等の知る東風谷早苗は、優しくて礼儀正しい少女だ。

  最近少し常識に囚われなくなっていると聞くが……それでも理由無く、もし理由があってもこんな乱暴なことはしない。

  その彼女が何故?

  疑問に、○○と文は同時に首を捻らせる。

  首を捻らした二人の視線の先、其処に彼等の疑問の答えは、居た。

 「あ~、やっぱり来たか~」

  つい先程まで甘い世界の傍観者となっていた男は、響く轟音と咆哮に、頭を掻きながらそう言った。

  その様子を見て○○は、本日何度目かは分からないが、本日最絶頂の怒りを迎えた。

  やっぱりお前かこの野郎っ!!

  怒りの赴くまま、犯人であろう友人を問い質すため駆け出す○○。

  しかしその途中に浮かんだ疑問に、ちょっと待て、と行動にストップを掛けた。

  待てよ、何かがおかしい。

  突如自身の中に浮かび上がったハテナマーク。

  確かコイツはさっき……

  そして○○は、新たに浮上した疑問を問い質すより先に口にした。

 「待て。さっきお前、神社には行ったけど、誰も居なくて鍵が閉まってたって、言ってなかったか?」

 「おう、言ったな」

  問われた●●は、それは嘘じゃないぜ、と語尾に付け足して頷く。

 「なら……」

  一体何をしたんだコイツは?

  神社には誰も居なかったのに、●●は何をして彼女を怒らせたのか?

  激昂した精神状態のまま、○○は考える。

  ハテナの解消は悪戯小僧が行った。

  眉を顰めて睨みつける○○に、彼はニヤリと笑ってこう言った。

 「ただ、洗濯物が干してあったからさ~」

  そして左右のポケットから、二つの布の塊を出し、左右に持って広げた。

  その光景に、○○はこれでもかと自身の両眼を見開いた。

  右手には、薄緑の小さくフリルの付いたブラジャーが。

  左手には、同じく薄緑の小さなフリルの付いたパンツが。

  真ん中には、それらを嬉しそうに見せびらかせる馬鹿の顔が。

  そして馬鹿は、してやったりと言わんばかりに口を開いた。

 「早苗の下着、ゲットだぜ!」

 「この大馬鹿やろおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

  ○○が怒鳴り声を上げると同時に、大量の米粒(のような弾幕)が彼等を襲った。

  色取り取りの様々な色彩の米粒型弾幕が問答無用とばかりに彼等を襲う。

  当然の事ながら、彼等に逃れる術は無く……




 「うわっほおおおおおおおおおおおおおおおおいっ!!」

 「おわあああああああああああああああああああっ!!」

 


  二人分の悲鳴と壮大な破壊音が妖怪の山に響いた。

  爆風に巻き込まれた二人は夜空を翔る。

  遥か上空を飛行しながら○○は思った。

  やっぱりコイツと居ると碌なことが無い、と。

  夜空を流れる一筋の星に成り掛けながら●●は思った。

  しまった変身するのを忘れていた、と。

  逸早く戦線離脱を果たしていた射命丸文は、遥か彼方へと飛んでゆく二人を遠巻きに眺めながら思った。

  これは永遠亭コースですね、と。

  それぞれの思いは満天の星空にまもなく消え、そして夜は更けていった。















  ○○が目覚めた時、最初に視界に映ったのは板張りの天井であった。

 「知らない天井だ……」

  まだ覚醒しきってない、朧げな意識の中、彼は呟いた。

  彼の視界に映るのは、年季の入った和式の板張り。

  当たり前のことだが、知らないということは無い。

  何故なら彼にとってこれは、もはや見慣れた光景だったから。

  未だぼんやりとしていた○○であったが、部屋の戸が開く音が聞こえたことにより、意識をはっきりとさせる。

 「あ、起きてたんですか」

  入ってきた女性は彼が起きたことに気付くと、明るさのレベルを一段階上げた。

 「うん、おはよう射命丸さん」

 「はい、おはようございます○○さん」

  挨拶を交わし、二人は微笑みあう。

  彼が今居る場所は、竹林の奥深くにある『永遠亭』という場所であった。

  月の姫とその従者、その他多数の兎達の住まう土地である。

  何故彼が此処に居るのかというと、治療のために運ばれたからであった。

  月の姫の従者、八意永琳は、月の頭脳とも呼ばれる程の天才である。

  その知能は主に薬学に特化し、様々な薬を製造することが可能だ。

  彼女はその知識を生かし、此処永遠亭にて診療所を開いているのであった。

  そして彼は一月程前から、この診療所の常連となっていた。

  理由は言わずもがなである。

 「此処へは射命丸さんが?」

 「はい、頑張って運びました!」

  訪ねる○○に、腕まくりをする動作をしながら文は答えた。

 「迷惑を掛けちゃったみたいだな」

 「気にしないで下さい、好きでやってるんですから」

  申し訳無く頭を下げる○○に、文は気にしてないといった風に手を振った。

 「でも、仕事とかマズイんじゃないか? そろそろ仕上げの段階だろ?」

  案じる様に言う。

  ○○の心配はどうやら的中したみたいだった。

 「え、いや、そんなことはないですよ?」

  しどろもどろになって弁明する文を見て、○○はやっぱりと思った。

 「俺のことは気にしなくて良いから」

  だから早く仕事に戻ってくれ。

  と言外に付け足して言うも、文は首を縦には振らなかった。

 「いいんです、今日は一日中○○さんの傍に居ます」

 「いや、それはマズイだろ……」

 「いいんですっ!」

  仕事に戻る様促す○○の言葉を、文は頑なに断る。

  何を剥きになってるんだ?

  不思議に思う○○は、文の頬が紅く染まっていることに気付かなかった。

  微妙な雰囲気になり、気まずくなった○○は大人しく黙った。

  暫くして文が口を開いた。

 「その代わり、昨日の続きをして下さい」

 「はい? 何の……」

  何のことだと文に問い掛ける時、○○は見てしまった。

  昨晩、あの時、あの瞬間の様に、潤んだ彼女の瞳を。

  そして○○は文の言葉の意味を動揺と共に理解した。

  彼女の求める行為に、彼は眼を見開く。

  文の求める行為とは、つまり……

  つまり、キスしろってことか!?

  今、此処で!?

  …………マジで!?

  つまり、そういうことであった。

  文は昨晩の続きを○○に所望していたのだった。

  幾ら純情な文であっても、流石に昨日のお預けはクルものがあったらしい。

  しかし、もう一方の純情青年はそれどころではなかった。

  急展開に○○の思考回路はパンク寸前に陥る。

  元々恋愛事には不慣れな人間なのだ、昨夜の行動は奇跡といっても良い。

  その奇跡をもう一度起こさなければいけないという事実に、○○は混乱した。

  そんなの、無理に決まってるだろーーーっ!!

  心の中でそう叫ぶも、誰も助けてはくれない。

  そうこうしている内に、文は準備を終えていた。

 「っっ!?」

  気が付くと、すぐそばには少女の端正な顔。

  好奇心旺盛の大きな黒い瞳は今は閉じられている。

  瑞々しい唇は、受け入れやすいよう軽く突き出していた。

  甘い香りが○○の鼻腔を擽った。

  ごくり、と喉が鳴った。

  今、彼の目の前に居るのは、自身の求めた只一人の少女。

  いつも自分に笑いかけてくれる、天使の様な女の子。

  こんな自分を好きだといってくれた彼女。

  その彼女に俺はキスの一つも出来ないのか?

  彼女自ら、して欲しいと願っているのに?

  そこまで自分は根性無しなのか?

  彼は全力でソレを否定する。

  ふざけるな、そんなことがあるものか。

  好きなんだ。

  大好きなんだ。

  泣きたくなる位、キミのことが好きなんだ。

  キミの居ない世界なんてもう考えられないんだ。

  なら……

  ならば、それを伝えれば良い。

  そして彼は覚悟を決めた。

  自身の震える両の手を、彼女の両の肩に置く。

  以前とは違って、受け入れる準備が出来ていたのか、文は震えず、眼を閉じたまま微笑んだ。

  その微笑に力を貰い、彼は茹蛸の如く真っ赤に染まった顔を唇を彼女に近づけた。

  大切な少女の唇を奪うまで残り五。

  四。

  三。

  二。

  一。




 「のおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」




  そして再び悲劇は舞い降りた。

  いざめくるめく愛の世界へと飛び立たんとする二人の耳に今度届いたのは、非常に聞き慣れた叫び声だった。

  お約束の様だが、あまりにもあんまりなムードブレイクに、○○と文はまたもや呆然とする。

 「入院したって聞いたから折角見舞いに来てあげた結果がコレとはどういうことじゃああああいっ!!」

 「自分が悪いと思っていた私が馬鹿でしたーーーーーーーーーーっ!!」

 「おまっ! ちょっ、待てっ! 落ち着けマイラバーズっ!!」

 「ちょ、ちょっと待ってっ! 私は関係無いんじゃないのっ!?」

  呆けている二人の耳に、次から次へと多様な轟音と多人数の叫び声が届く。

  一人は男性、三人は女性のモノだった。

  そのどれもが聞き覚えのあるモノだったが、○○はその内の一人に対して猛烈な殺意を抱かせた。

  殺意を抱かれた男の名は、●●という。

  気配だけで相手を殺せそうな程の殺意を、笑顔で隠蔽し、○○は文に告げる。

 「射命丸さん。申し訳無いけど、この続きはまた今度ということで良いか?」

  その笑顔に隠された意味を理解した文は、困った様に笑って頷いた。

 「仕方ありませんねぇ、次が早く来ることを期待しています」

 「善処する!」

  気合の入った声で叫ぶ様にそう答えると、○○はベットから飛び出し、爆音のする方へと駆け出して行った。

  彼が出て行くのを見送った後。

  走り去った方向を見ながら、射命丸文は片目を閉じ……

 「延長コース、決定ですね」

  そう、呟いた。

  そしてその呟きの約三分後。




 「●●の馬鹿たれえええええええええええええっ!!」

 「●●さんのアホーーーーーーーーーーーーーっ!!」

 「ちょっ、おまっ、ダブルはキツイって! ちょ、ギャーーーーーーーーーーーース!!」

 「てめえ●●コノヤロウっ! 折角の良い雰囲気をよくも邪魔して……って、うおおおおおおおおおおおっ!?」

 「だから何で私までーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」




  彼女の予感は二人の巫女の怒号と、愛しの恋人と男女の悲鳴、それらを掻き消すような盛大な爆発音と共に見事的中し……

  ボロボロになった○○と消し炭寸前の●●、そして何故か黒焦げの鈴仙は、速やかに永遠亭のベッドに運ばれることとなった。




  こうして彼、○○の運命のレールは、悪友の出現により未だ迷走中である。

  再び彼が元の日常に戻ることは、果たしてあるのだろうか。

  それは誰にも分からない。

  気紛れに彼の運命を見た吸血鬼が、爽やかな笑顔で親指を立て『頑張れ』と言ったことを、○○は知る由も無かった。




新ろだ520
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最終更新:2011年03月27日 23:23