人里の外れにある○○の家の前。
 冬の間ならまだ薄暗い時間だが、今はもう朝日が辺りを明るく照らしている。
 山の方を眺めていた○○の頬を、不意に穏やかな風が撫でた。
 もうすぐ文が飛んでくる、ということがそれで何となくわかる。
 こちらに向かって飛んでくる小さな影が、文だと認められるくらい近づいてくる。
 やがて○○に気付いた文が、上空から翼をはためかせて降りてくる。
 そんな時間が、○○はとても好きだった。





 文は急いでいた。
 首に提げたカメラはいつもと変わらないが、胸にはバスケットを抱えている。当初の予定より出発が遅くなってしまった。
 妖怪の山から飛び立ち、人里の方へ。自らの能力で起こした追い風に乗り、空を切って飛ぶ。
 やがて、里の風景が見えてきた。外れの方にある簡素な家の前で、愛しい○○が待っているのが目に入る。
 自分を待ってくれている○○の姿を見つけて、その側へと降りていく。
 ただそれだけのことだけれど、文はそれがとても幸せだった。
 例えば長い長い旅をしてきた渡り鳥が、心身ともに安らげる自分だけの止まり木の元へ帰ってきたような。
 空から○○の隣へ降りていく時、いつもそんな気持ちが文の胸を満たしていた。





「すみません○○さん、遅くなってしまいました!」
「いや、大丈夫だよ」

 着陸するなり開口一番謝った文に、○○は笑顔で応える。
 元々の待ち合わせの約束も『朝早くに』といった程度の曖昧なものだったし、
 家の前で待っていたのも単に○○が文を待ち遠しく思っていたからで、遅いと感じたからではない。

「良かった。お弁当を作るのにちょっと時間がかかってしまって」

 文が翼をしまい、落ち着くのを待ってから○○は手を差し出した。

「それじゃ、行こうか」
「ええ、行きましょう」





 外の世界出身の○○と鴉天狗の文が恋仲になってからしばらく経つ。
 二人で何かしようという時、最初に言い出すのは大抵文だ。
 今回、雪も解けてきたのでピクニックにでも行こう、と誘ったのも文の方からだった。
 冬の間、空を飛べない○○の行動範囲は降り積もった雪のためにだいぶ制限されていたので、
 雪解け前には行けなかった所へ春の空気を味わいに行こう、というわけである。
 
「とは言ったものの、どこへ行こうか」
「紅魔館の傍にある湖なんかどうですか?歩いて行ける辺りに意外と日当たりのいいところがあるんですよ」

 そんな会話を交わしたのが、数日前のことだ。







「あー、いい天気だなあ」

 ぽかぽかと暖かい日差しに照らされた湖への小道を歩きながら、○○は、空を仰いで大きく息を吸い込んだ。
 文が○○を運んで飛べばすぐに行ける距離ではあるが、途中の景色を楽しむためにあえて歩いている。

「風が気持ちいいですねー」

 柔らかな風に、文の髪が微かに揺れた。
 道の両脇は若草の緑に染まり、そこかしこに花が咲き始めているのも見える。
 春の陽気に酔ったように、二人はゆらゆらと歩を進めていた。

「……風と言えば」
「はい」
「最近さ、文が来る時何となくわかるような気がするんだ」
「?それはあれですか、虫の知らせというやつですか」

 バスケットを提げて隣を歩く文の問いに、○○は首を傾げた。

「いや、何て言ったらいいのか……外で風に当たりながら文を待ってる時にさ、
 こう、急に『そろそろ来るな』って気がして、空を見るとちょうど文が飛んでくるってことが――」

 そこまで口にして○○は言葉を切る。
 元々取り留めのない話ではあったが、改めて話してみると、ますます大したことのない偶然に思えた。

「ごめん、やっぱりそんな大層な話でもないね」

 話を打ち切ろうと笑いながら文を見ると、意外にも真面目な顔をしている。

「……すごいじゃないですか○○さん。人間の身で風を読めるなんて」
「!?いや、そんなにたいしたもんじゃないって!ただの気のせいとか偶然とかそういう……」
「いえいえ、きっと愛の力のなせる業です!」

 そう言って、文は○○に抱きついた。全身で喜びを表すかのように、しっかりと。

「……気のせいだって、いいんです。きっと、それだけ○○さんが私のことを近くに感じて、待っててくれてるってことですから」
「……うん。それは保証できると思う」

 身を寄せ合う二人の顔が、ほんのりと赤く染まる。
 足取りはさらにゆっくりになった。





 時折春風が水面にさざ波を作っている。
 ○○と文が湖にたどり着いた頃には、太陽が真上あたりまで来ていた。

「どうしましょうか、少しその辺回ってからお昼にしましょうか?」
「そうだなあ……」

 考えている傍から、○○の腹の虫がぐうと音を立てる。

「結構歩いてきたからなあ」
「うふふ、まずは腹ごしらえですね」
「……うん、そうしてもらえると助かる」

 文に笑われ、○○は照れ隠しのように勢いよく青草の上に腰を下ろす。
 その隣に腰を下ろすと、文はてきぱきと弁当を広げ始めた。
 開かれたバスケットの中に、上までしっかりと詰め込まれた竹皮の包みが顔をのぞかせる。

「どうぞ○○さん、まずはお一つ」

 包みを一つ開けて文が取り出したのは、米の白さもまぶしいおにぎりだった。

「お、ありがとう。おいしそうだな」
「早起きしてがんばったんですよ。はりきりすぎてちょっと時間に遅れそうになっちゃいました。
 ……その、あんまりきれいな形じゃないですけど」

 恥ずかしそうにおにぎりを差し出す様子は、千年を生きた妖怪とはとても思えないかわいらしさだ。

「いやいや、よく出来てると思うよ。具は何が入ってるの?」
「それは、食べてみてのお楽しみです。ささ、一口食べてみてください」
「それじゃ、いただきます」

 期待と不安が入り混じった表情で文が見守る中、○○は手にしたおにぎりにかぶりつく。
 ほんのりと塩気を含んだ米の味の後、甘味と辛味、そしてほろ苦い春の味が口の中に広がる。
 
「これは……ふうきみそ?」
「はい、正解です。苦いばっかりでもなんなので、少し甘味を強くしてみたんですけど……どうですか?」
「うん、すごくおいしい」
「よかった。山で採ってきたんですけど、旬のものを食べるのも季節の楽しみですよね」

 どんどん食べてくださいね、と文が嬉しそうに差し出すおにぎりを頬張っていた○○は、ふと視線を感じた。
 隣に座っている文が、自分の分を食べながらちらちらとこっちを見ている、ような気がする。

「ん……何か顔に付いてる?」
「あ、いえ!……付いてないかなー、とか思ったんですけど」

 半ば独り言のように呟いて、明後日の方を向いてしまう。
 釈然としないまま文の横顔を見ていた○○は、その頬に飯粒が付いているのを見つけた。

「文、ご飯粒付いてるよ」

 言うなり、手を伸ばしてつまみ取ったそれを、自分の口に運ぶ。

「――ああ、それがやりたかったのに!」
「そうなの?」
「そうですよ。そんなこともあろうかと水を多めにして粘り気の強いご飯を炊いたんですが、先を越されてしまうとは」
「変なところで用意周到だな……」
「……いーですよ、その分後でいっぱいぺたぺたさせてもらいますから」

 何もなくても普段から存分にイチャついているのに今更だな、と笑いながら、○○はもう一つおにぎりを手に取った。





「はあ、おいしかった。満腹だー」
「そう言ってもらえると作りがいがありますね。ちょっと多いかと思ってたんですけど、そんなこともなかったみたいですし」

 昼食を平らげた二人は並んで寝転がり、日向ぼっこをしていた。
 日差しも、風も、草の感触も心地よい。このまま眠ってしまったら、明日になるまで目が覚めないのではないかとさえ思われる。

「○○さん○○さん」

 呼ばれて、○○は仰向けになったまま首だけを傾けた。
 うつ伏せになった文の背中で、小さく広げられた黒い翼が誘うように揺れているのが見える。

「ほら、私の羽って黒いから、陽射しを吸い込んであったかいですよ。ちょっとくっついてみません?」
「――どれどれ」

 言われて○○は、身体を起こして文の方に近づく。
 十二時を指す針のように重なる――のはさすがに恥ずかしいので、頭を枕にもたせ掛けるようにして、両翼の付け根に顔を埋めた。

「……はあ、ほんとだ。あったかい」

 ふわふわと頬を挟む羽に染み込んだ太陽の熱と、ブラウスの布地ごしに伝わってくる肌の熱。包み込むような温かさに○○は思わずため息をついた。

「気持ちいいなあ……」
「そうでしょうそうでしょう」

 文の鼓動が刻む規則正しいリズムが心を落ち着かせ、眠気を誘う。
 ○○がうとうとし始めた時だった。

「…………よー」
「?……文、何か言った?」
「いえ、私は何も」
「…………すよー」

 だが確かに、文でも○○でもない声がどこからか聞こえてくる。
 どうやら年若い少女のものであるらしいそれは、しかもだんだん近づいてくるようだった。

「んー……あれか?」

 ○○が起き上がって彼方に目を凝らすと、やがてよく晴れた空の一点に声の主と思われる白い点が見えた。
 点は徐々に大きくなり、少女の姿をしていると認められるまでになる。

「誰だろ」

 外の世界ではありえない、少女が空を飛ぶ光景にも、○○はすっかり慣れていた。
 しかし今こちらへ向かってくる人影には見覚えがない。
 どこかで会ったことがあったかなと、○○が記憶の引き出しをぼんやりまさぐっていると――
 
「……春ですよー!」
「うわあっ!?」

 いつの間にか頭上まで近づいていた白い人影が、いきなり弾幕を放った。
 ○○達を狙ったわけではなかったようだが、ばらまかれる赤青の弾は何しろ数が多い。
 相当な数の弾が、○○目がけて飛んできた。
 
「危ない!」
「くぅっ!」

 弾幕ごっこの弾といえど、当たればただではすまない。ましてこの数だ。

「だめだ、避けられない!」
「――○○さん、伏せて!」

 文の叫びに、反射的に身を伏せる。
 だが、弾は今にも当たりそうな位置まで迫っているのだ。
 次の瞬間襲い来るであろう苦痛の予感に、○○はきつく目を閉じた。

「…………?」

 ……が、予想に反して、いつまで経っても弾が当たる感覚はやってこない。

「大丈夫ですか、○○さん!」
「あ、うん……あれ、何ともない」

 おそるおそる目を開く○○。駆け寄ってくる文の手には、カメラが握られていた。





「弾幕を写すためのカメラ?」
「ええ、そうです。○○さんは見たことなかったでしたっけ」

 白い人影は既に飛び去っている。
 ケガがないことを確認して落ち着くと、○○は文にカメラのことを尋ねた。
 どうやらそれのおかげで助かったらしいということはわかったが、何が起こったのかはわかっていない。
 問いかける○○に、文は待ってましたとばかりに解説を始めた。

「フレームに収めたものを写真に撮る、という意味では普通のカメラと同じですね。
 風景や生き物なんかは、ただ単に『写りこむ』だけですが、弾幕は写真の中に『取り込む』んです」

 ちょうど文がそう言った時、レトロな機械音とともにカメラが写真を吐き出した。
 写真には先ほどの人影と、○○に直撃しようとしていた弾幕が写っている。
 鮮やかな赤と青の弾は、今にもこちらに飛んできそうに見える。

「こんな感じですね。撮影した弾幕は傍から見ると消えたように見えますが、写真の中にちゃんとあります。
 まあ、お札に封じこめるようなものだと考えてもらえばわかりやすいでしょうかね」
「……へーえ。そういう仕組みになってるんだ」
「生の弾幕を取り込んでいるから、出来上がりはそこいらのカメラとは比べられないほど鮮やかです。
 さらにポラロイド式で撮った写真をすぐに見られる重宝さ。
 ちょっと前にはこれで綺麗な弾幕写真をたくさん撮って、文々。新聞の売り上げをずいぶん伸ばしたものです。
 ――さ、○○さん」

 ただただ素直に感心している○○の手を、文が引く。
 
「ちょっと妨害が入りましたが、改めて日向ぼっこでもしませんか。
 今度は私が○○さんにくっついてもいいですよね?」





 だんだん日が傾いてきた。
 日向ぼっこの続きをしたり辺りを歩いたりして楽しく過ごした午後の時間も終わり、二人は帰路についていた。
 話題は、ちょうど昼間飛んできたものの正体に及んでいる。

「あれがリリーホワイトだったのか」
「ええ、幻想郷の春の風物詩ですよ」
「噂には聞いてたけど初めて見たなあ。そうか、よく考えたら幻想郷に来て初めての春だもんな」
「大丈夫ですよ。○○さんにとってもいずれ、毎年恒例の春の景色になります」
 
 そう言うと、文は○○の腕を離すまいとするように抱え込んだ。

「来年も、その次も、○○さんと一緒に季節を感じていけたら嬉しいです」
「……うん」

 お互いの体温を確かめ合うようにしばしたたずむと、二人は振り返って今来た方へ向きを変えて歩き出した、
 話しながら歩いている内に、○○の家へ続く道はずいぶん前に通り過ぎていた。
 




「夕飯、食べてく?」

 留守にしていた家に明かりを点けながら、○○は文に声をかける。

「いえ。そうしていきたいところですが、書きかけの原稿がありますので」
「そっか。じゃあ、今日はここで」

 言葉に反して文は帰る素振りを見せず、至近距離で○○の顔を見上げていた。
 文も○○も、満ち足りたような笑顔で見つめ合っている。

「また、明日も来ていいですか?」
「もちろん」

 即座に答えを返す。
 明日になると、また文がやって来る。例え来れなかったとしても、次の日、そのまた次の日にはきっと会える。
 それを思うだけで楽しくて、胸がわくわくする。
 こんなにも明日が待ち遠しいなんていつ以来だろうと感慨にふけるほど、最近の○○は明日という日が楽しみでならなかった。
 
「……じゃあ、また明日」
「うん、明日な」

 別れを惜しむように強く抱擁を交わすと、文は翼を広げ、山の方角へと飛び立った。








 やがて、文の姿が見えなくなると、○○はため息を一つついた。
 同じ妖怪の山の中でも守矢神社ぐらいなら行ったことがある。が、文の家にはまだ行ったことがない。

「私や椛を見てるとそう思わないでしょうけれど、天狗って割と排他的なんですよ」

 などと言われて、天狗の集落までは連れていってもらったことがない。
 仕方のないことだとわかってはいる。別れがあるからこそ、また会える時が楽しみになる、とも考えられる。
 けれど、自分が行ったことのないところへ文が帰っていくことを考えると、いつもどことなく心細かった。
 
「さて、独り寂しく飯でも食べるかな」

 沈んだ気持ちを振り払うように独り言を口にすると、家の中に戻り後ろ手に戸を閉めた。
 雑炊でも作ろうと思い立ち、鍋と七輪を取り出す。
 外の文明からかけ離れた幻想郷の生活に最初は戸惑ったが、今ではだいぶ慣れた。
 それでもこうして火を起こすところから食事の支度を始めなければならない時は、電子レンジが恋しくなる。

「?」

 ふと、何か違和感のようなものを感じた。
 一瞬、文が戻ってきたのかと思ったが戸が開いた様子はない。
 恐る恐る、振り返る。
 帰ってきて、明かりを点けたときには確かに何事もなかったはずだ。

「あ……」

 だが今、そう広くない部屋の中には、○○以外にもう一つの人影があった。
 いつのまに入ってきたのか。それとも初めからそこにいたのか。
 背後には金色の髪をした女性が立っている。
 髪に負けない美しい金色をした9本の尻尾が、ゆっくりと揺れていた。

「藍……さん?」
「…………許せ、○○」

 見知った顔を認めたと思った瞬間、意識が遠のいていく。
 何か術をかけられた、と気がつくより前に、○○の意識は完全に途切れた。





 

「また明日、か」

 家路を急ぎながら、文は独りつぶやいた。
 不定期・個人刊行の文々。新聞には、厳密な意味での締め切りがあるわけではない。
 原稿書きを後回しにして○○の家に泊まる、というのも魅力的なプランではあったが、ネタの鮮度を考えると早く仕上げるに越したことはない。
 それに、明日になればまた○○のところに行くのだ。
 会うことそのものだけでなく、会いに行く途中のことを考えただけでも満ち足りた気持ちになれた。

「ふふ、幸せな言葉ですね♪」

 鼻歌を歌いながら、自宅の前に降り立つ。
 扉を開けようとしたところで、文はぴたりと動きを止めた。
 一瞬で全身に緊迫感が満ちる。

「……これは、どういうこと?」

 振り向かないまま、背後の明らかな一点を目がけて文が鋭い声を発する。
 応えるように、暗闇の中から進み出た一つの影。
 その足取りは、ひどく重かった。

「文さん」
「椛。いったい何があったって言うの?」

 口をぎゅっと引き結んだ椛の表情は、今にも泣きそうになるのを必死でこらえているように見える。
 剣と盾を携えているのは、後輩として文を訪ねる姿ではなく、山の白狼天狗としての任務に身を置く姿だった。

「上意です。大人しく、付いて来てください」

 椛の背後には、十を超える数の白狼天狗が続いている。
 一人残らず、椛と同じように武装していた。

「完全武装で大勢押しかけて来られて、理由も聞かずにはいそうですかというわけにはいかないわ」

 物々しい雰囲気にも、仲の良い椛が自分を連行しに来たことへの動揺にもうつむくことなく、文は凛と立って言った。

「上で指揮を執っている者を出しなさい。話はそれからよ」
「指揮を執っている、ということなら私だけれど……話の出所は私ではありませんよ?」





 ……その声は、白狼天狗達のさらに後ろから聞こえてきた。
 一言響くだけで、場の空気を異質なものに変えてしまうような感覚を生む声。

「貴女は……」

 威圧感を感じさせない、それでいて不安を掻き立てるような捉えどころのない雰囲気。
 のほほんとした振る舞いの裏に見え隠れする、相手の内側を見透かすような視線。
 それでいて相手を取り込んでしまうかのような妖しげな引力。

「お久しぶりね、記者さん。冬以来かしら?」

 文の前に現れたのは、――八雲紫その人だった。
 


──────────────────────





 遡ること数日前の朝。
 マヨヒガの奥にある紫の寝室では、冬眠から覚めた紫が伸びをしていた。

「……おはようございます、紫さま。そろそろお目覚めになるかと思ってました」

 襖が静かに開いた。
 正座したまま一礼した藍が、横に置いていた紫の服を抱えて立ち上がり、部屋に入ってくる。 
 
「おはよう、藍。今何時かしら?」
「午前八時です。今年はちゃんと朝の内に起きられましたね」
「うっかり夜に起きるとしばらくリズムが戻らないものね。……ふわあ」

 あくびを一つすると、紫は布団から上体を起こした。

「目覚ましにシャワーでも浴びますか?」
「……とりあえず、お茶でももらおうかしら」
「わかりました。着替え、ここに置きますね」

 腕に抱えていた服を置き、部屋を出て行く藍。
 襖が閉じられ……不意打ちのようにまた開く。

「――二度寝しちゃだめですよ」
「わ、わかってるわよ」

 もう少し包まっていようと思った布団の中から、紫は名残惜しそうに這い出した。





「よく寝たわー」

 藍が淹れてくれたお茶を啜りながら、紫は居間でくつろいでいた。
 いつもの服装に着替え、寝乱れた髪も整えてある。

「……ふあ」

 が、まだ少し眠気が残っているようだ。

「今回は冬眠に入られるのが遅かったですからね」
「まあね。十分眠れたけれど」
「……ところで、紫様」

 少し居住まいを正して、藍が切り出す。

「なあに、いきなり改まって」
「妖怪の山の天狗から書状が届いているんです。
 近々紫様が目を覚まされると思ったので、目だけは通して返答は保留してあるのですが」
「あら、珍しいわね」

 どうぞ、と藍が差し出した書状は、結構な厚みを持っている。
 
「紫様に依頼したいことがあるようですので、まずは確認していただこうかと」
「面倒くさそうねえ。差出人は、と。この名前は……大天狗だったかしら」
「ええ。山では結構な位置にあったように記憶しています」
「ふんふん」

 書き出しの部分から広げ、読み始める。

「えー、何々……『気候も少しずつ暖かくなり、雪解けの水が山を潤しております――』」
「あ、紫様」

 藍に声をかけられ、紫は細かな字で書かれた文面から顔を上げた。

「最初の三分の一ぐらいは全部時候の挨拶ですから、読み飛ばして大丈夫です」
「……そのようね。くどい文章だこと」

 流し読みで挨拶の切れ目を探すうち、文章はようやく本題の部分に入る。

「――ああ、あの二人のことなのね」

 『あの二人』とは、一組のカップルのことだ。
 結構な昔から幻想郷で暮らしている鴉天狗の文と、しばらく前に外の世界から迷い込んできた人間の○○。
 文はもちろん○○とも、紫や藍は何度も顔を合わせている。

「なかなか感じのよい青年ではありましたけれどね」
「やっぱりあのイチャつき様は、目を付けられたみたいね」

 要約すると、手紙の内容はこうである。
 鴉天狗である射命丸文と人間である○○、これまで黙認してきたがあまりに近づきすぎる。
 このままでは天狗の社会と人間の境界が崩れかねず、示しがつかない。
 実力行使で解決しようにも文の力を考えると難しい。ついては、紫の力を貸してもらいたい。
 ……要約すればこの程度になる内容がそれはそれは丁寧に、むしろ癇に障る慇懃さで書かれているのだった。

「何だかねえ」

 開口一番、紫はため息混じりに言った。

「大体、好き合っている男女を引き裂くなんて年寄りの役どころよ。
 ねえ藍、そう思わない?」

 水を向けられた藍はと言うと、特に何の反応も示さない。
 
「……つっこまないの?」
「何のことです?」

 「十分長く生きているではありませんか」などと返ってきたら、スキマから金だらいでも落としてやろうと密かに期待していたのだが、
 見透かされたか、そもそもそんなことは考えもしないのか。
 ともかく紫は、話題を本筋に戻すことにした。
 
「そもそも、何故私にお鉢が回ってくるのかしらね。面倒くさいことこの上ないのだけれど」
「……まだ続きがありますので、そちらをご覧ください」

 何故か渋い顔で、藍はそう言った。
 なるほどよく見れば、まだ書状には続きがある。
 
「…………うわ」

 続きを読み進めて、紫は思わず顔をしかめる。
 曰く、そもそも事の起こりは○○が外の世界から迷い込んできたことである。
 曰く、結界の管理が完全であれば外の人間が幻想郷に入ってくることはないはずである。
 曰く、結界の細かな管理は八雲紫とその眷族が行っていることは周知の事実であり――
 ――要するに、今回の事態は紫のせいでもある、というのが書状の送り主の主張するところなのだ。
 もちろん直接難詰するような書き方はしていないが、遠まわしに、それでいて明らかに紫の責任を問うている。

「やれやれだわ」

 ようやく最後まで読み終えると、紫は大げさに額を押さえた。

「どうなさいますか紫様」

 黙って控えていた藍が、困ったような声で問いかける。

「断るとまたうるさそうではありますが」
「……天狗の思い通りに動いてやるのも面白くないわね」
「……では、断りの返事を?」

 心なしかほっとしたような表情の藍に、紫はうなずかなかった。

「そうは言ってないわ」
「え?それでは……」
「ちょっとシャワーを浴びてくるわね。藍、貴女は返事を書く支度をしておいて」

 戸惑う藍を置いて立ち上がる。

「……まあ、たまには、ね」

 廊下に続く襖を開けながら、自分にだけ聞こえるように、紫は呟いた。







 
 風に揺れる木々の音が静かに響いている、夜の山。
 いつの間にか昇っていた丸い月が妖怪達を照らしている。

「……紫さんじゃないですか。どうしたんですか、こんなところまで出張ってきて」

 そう言いながら文は、不敵に微笑んだ。
 妖怪の山の中という自分寄りの場所にも関わらず、口調が丁寧なのは相手が幻想郷屈指の大妖怪だからか。
 だがその声は、隠そうともしないとげとげしさに満ちている。
 
「貴女方のところのお偉いさんに頼まれたのよ」

 一方紫は、文の発する威圧感を物ともせずに笑顔で受け流していた。
 後ろに立つ白狼天狗達が緊迫した様子で二人を見守る中、更に言葉を続ける。

「貴女と○○を別れさせてくれ、って」
「なっ……!」

 文の表情が強張った。
 頬からは血の気が引き、肌が蒼白に見える。
 
「天狗の社会の秩序を守るために、ということでね。
 まあ色々考えたけれど、手勢を借りてこうしてやって来たというわけ」
「誰の差し金だろうと、そんなことさせません!」

 即座に言い切る文に、白狼天狗達の間でざわめきが起こる。
 天狗の社会で上に逆らうということの重大さがわかっているからこそ、
 それすら超えて○○への愛を貫こうとする文の決意の強さに、ざわめきは大きくなる。

「させません、と言われてもね。もうどうすることもできないわよ?
 貴女はここから動けないし、今頃うちの藍が○○を確保しているわ」
「っ!!」

 聞くやいなや、文は翼を広げた。
 全速力でも間に合うかどうかはわからないが、○○の家へ。
 とにかく藍よりも早く○○を確保しなければならない。
 地面を強く蹴り、飛び立とうとする。
 だが。

「どうすることもできない、と言ったでしょう?」
「ああっ!?」

 不意に翼が動かなくなった。
 続いて腕が、脚が。

「……くっ!」

 紫の作り出した結界に自由を奪われていると、一瞬遅れてわかる。

「異変の時用の四重結界、とまではいかないけれどね。まあどのみち、間に合わないわよ?」
「やってみなければわかりませんよ……大体、こんなもので動けないようにしたつもりですか?」

 全身に力を込める文。
 その言葉がただの強がりでない証拠に、身体が封じられていた動きを徐々に取り戻していく。
 無理やりに結界を破ろうと振り絞る力の余波で、巻き起こった風が紫の衣の裾を大きくはためかせる。

「……そんなに」

 自らの結界が今にも破られそうなことにも動じず、紫が呟く。
 その顔には文の抵抗に対する怒りも、自分の力への自信も浮かんでおらず、
 むしろ感情らしきものをほとんど感じさせない、静まり返った水面のようなおもむきを漂わせている。

「そんなに、○○のことを愛しているの?」
「ええ、愛してます!」

 叫ぶように答えながらも、文は力を緩めない。
 もう少しで、束縛を解くことが出来そうだ。

「天狗として、記者として、千年間積み上げてきたものを失っても?」
「○○さんが、好きです。例え全てを失っても、離したくないんです!」
「……そう」

 ゆっくりと紫がうなずく。
 その表情は、むしろ優しささえ湛えているように見える。

「でも、それは○○にとって幸せなことなのかしら」
「!」

 文の動きが止まる。結界の力が強まったわけではない。

「貴女、恋仲になってから○○に訊いたことがあるかしら。『帰りたいとは思わないのか』って」
「そ、それは」

 うつむいてしまった文の声に、先ほどまでの力はない。
 確かに、文は○○に想いを伝えてからその質問をしたことはなかった。

「幻想郷は、全てを受け入れるわ」

 なおも続ける紫の口調に嗜虐的な響きは微塵も含まれていない。しかし確実に文の心は追い詰められていく。
 
「でも、所詮○○は外の人間。自分の世界を懐かしまないはずはないでしょうね」
「私が……その分私が、○○さんを幸せにしてみせます!
 元いた世界でなくても、幻想郷でも、幸せだって思えるように!」 

 紫にと言うよりも、むしろ自分自身に言い聞かせるように、文は叫ぶ。

「貴女にそれができるかしら。貴女は妖怪で、○○は人間。寿命も、力も、違うことばかり。
 今は良くても、いつか年を取ったら、自分だけが衰えていったら、
 ……老いるほどに膨らむであろう彼の望郷の念を、貴女に抑えられるかしら?」
「私は……私は……」

 人間同士、妖怪同士でないことについて○○と話したことが、ないわけではない。
 そこに絶望しか見出せないわけではなかったし、きっと幸せになれると笑い合えたけれど。
 不安を完全に拭い去ることが、文にはできなかった。
 さらには、生まれた世界の違い。
 紫が投げかけた問いは、正に文が心に抱いてきた不安だった。

「いつか外の世界に焦がれたまま虚ろに死んでいくくらいなら、
 自分の生まれた世界に帰って生きるのが幸せなのではないのかしら?」
「……だったら」

 気力を振り絞って、文は顔を上げた。
 折れてしまいそうな心を必死で支えながら立つその顔は、悲痛な色を浮かべている。

「だったら、私が外の世界に行きます。
 ○○さんと一緒に、生きてみせます!」
「……そうね。○○はきっと、受け入れてくれるでしょうね」

 紫の声はどこまでも優しく、瞳は慈愛に満ちてさえ見えた。
 それがなおいっそう、文の精神を揺さぶる。

「でもね。外の世界は幻想郷よりも、ある意味ではずっと生き難いところなのよ。
 死なないだけのことを生きていると言わないなら、なおのことね」
「私なら、大丈夫です。きっと、ちゃんと生きていけま――」
「幻想郷で千年を生きた貴女は、ここで生きることに長けている。
 でも外の世界に帰ったところで、若い○○はそこで生きることにさほど長けているわけではないわ。
 少なくとも、幻想郷における貴女ほどにはね」

 反論をさえぎって、紫は言葉を並べていく。

「外の世界は、幻想をそう易々と受け入れない世界。
 そして私達妖怪は、幻想の産物とも言える存在なのよ。貴女のように、永く幻想郷で生きた者なら、なおのこと」
「………………」
「○○は、貴女という幻想を抱えたまま、外の世界で生きていくことができるかしら?」
「……あ、あああ」
「例えできたとしても……それはどれほど○○の重荷になるかしら?」
「…………あああああああ!!」

 魂までも吐き出してしまうかのような絶叫とともに、文は膝から地面に崩れ落ちた。 
 結界で縛られるまでもなく、全身に力が入らない。
 苦し紛れに放った最後の弾をも跳ね返され、文の心は、行き止まりへと追い詰められていた。
 
「長い間人間を見てきた貴女なら、妖怪が人間と共に在ることの難しさは痛いほどわかっているでしょうね」
「…………」
「外の世界の人間ならなおさら。例え、今回のようなことがなくても……いずれにしても幸せな結末は、待っていないんじゃないかしら?」
「…………」

 どこか悲しげな紫の声に、文は返事をしなかった。
 頬を伝う涙を拭うこともせず、ただ耳に入ってくる周りの音を聞くともなしに聞いていた。





「さて……誰か一人、ちょっと来てもらえるかしら」
 
 呼ばれて、白狼天狗の一人が、紫の前に進み出る。
 紫の指示に従うように命令されているのだろう、その動きは機敏なものだ。
 一方でその表情が複雑なのは、外部の者の命令で動くことへの抵抗か、文に対する同情か。
 
「目標を確保した、と上層部に伝えてちょうだい。
 もう片方も藍が捕まえただろうけれど……今晩は満月でしょう?
 私みたいに人間味が少ないと、力が安定しないのよ。外へのスキマを開くなんて大仕事ならなおさらね」

 目の前にいる相手に話しているにしては、妙に声を張り上げて紫が言う。

「明日の晩よ。
 明日月が真上に昇ったら、博麗神社で○○を外の世界に送り返すわ。
 ……あと、最初に伝えたけれどこんな風に手を貸すのはこれ一回きり。以上」

 そのように伝えます、と生真面目な返事をすると、伝令を任された白狼天狗は飛び去った。

「それじゃあ藍の方の首尾も確認しないといけないし、私はマヨヒガに帰りますわ。――犬走さん、だったかしら」
「…………はい」

 声をかけられた椛は、噛み締めた歯の奥から絞り出すような声で答えた。
 その目は、紫に対する敵意を必死で抑えようとして、なお抑えられないことを雄弁に語っている。

「こちらはもう、その時まで止めに入らないようにしておくだけですから。
 全部済むまで監視を続けてくださいな。上に言っておいた場所はちゃんと準備してあるの?」
「……ええ。守矢神社に話を通してあるとのことです」
「そう、まあそんなところでしょうね」

 椛の視線を気にする様子もなく、紫は自分のすぐ横にスキマを開いた。
 一気にマヨヒガまで移動するつもりなのだろう。

「……記者さん」

 スキマを潜ろうとしていた紫は、ふいに文の方を振り返った。

「○○を外の世界に帰してしまえば、それ以上貴方への咎めはないそうよ。
 失うものは○○だけ。むしろ、元に戻るとも言えるわね」

 そう言い残し、紫は姿を消した。

「文さん……」

 椛が力なく促して文を立たせる。
 椛の肩に身体を預けるようにして、文は歩き始めた。
 自分の手足がひどく重たく感じられたのは、紫の結界のせいだけではなかった。










 守矢神社の居間。
 めいめいの前に置かれた湯飲みのお茶は、手をつけられないままぬるくなっている。

「私達は、何もしてあげられないんでしょうか」

 重く立ち込めていた沈黙を破り、押し黙ったまま座っている二柱の神へ早苗が悲痛な声を投げかけた。
 一団の白狼天狗が文を連れてやってきたのは、つい先ほどのことだ。
 
「○○さんを外の世界に送り返すまでの間、文さんを預かってもらいたいって……軟禁じゃないですか」
 
 迷惑はかけないので神社の離れを少しの間貸してもらいたい、という連絡は前もって山の天狗から受けていた。
 だが詳しい事情を聞いたのは文が連れて来られてからのこと、それも、比較的親しい椛からやっとのことで聞き出したのだ。

「大体、なんでうちの神社をそんなことに使うんですか」
「……一時的に規範を乱したとはいえ、身内を自分達の領分で軟禁するのはさすがに気が咎めるんだろう」

 無理に感情を殺したような低い声で、神奈子が答える。
 
「何も……何もできないんでしょうか」
「早苗――」
「私、お二人のこと……○○さんと文さんのこと、好きでした。すごく幸せそうで……
 神奈子様だって、仰ってたじゃないですか、結婚式やるならうちの神社に来なさいって」
「……早苗ー」
「無理やり別れさせるなんて、そんな――」

 なおも言い募ったところで、早苗は神奈子の苦渋に満ちた表情と、諏訪子の悲しそうな目に気が付く。

「……すみません、お二人も……」
「うん。私も神奈子も気持ちは同じだよ」

 薄々わかっていたこととはいえ、諏訪子のその言葉に早苗は内心安堵を感じた。
 
「私だって、こんなことの片棒を担ぎたくはないわ。けれど、ここで天狗とことを構えるのはね……
 リスクがでかい割りには時間稼ぎがいいところで、根本的な問題の解決にはならない」
「神奈子の言うとおり、守矢神社としては今動くわけにはいかないよ……不本意だけどね」
「神奈子様、諏訪子様……」

 妖怪の山の只中に守矢神社がやってきた時はひと悶着あったが、それでも今は丸く収まっている。
 が、表立って方針を違えるようなことをすれば、芳しくない事態になるのは目に見えていた。

「早苗、せめてちょっと行って様子を見てあげなよ。あんなに憔悴してたんじゃ、身体も心ももたないよ」
「……はい」

 再び戻ってきた沈黙の中、早苗は立ち上がる。
 無意識に噛み締めていた唇が、痛かった。




 夜も更けた神社の中は、息苦しいほど静かだった。
 板張りの冷たい廊下をひたひたと歩き、早苗は離れに向かっている。
 引き戸の前に、見張り番の椛が背筋を伸ばして立っているのが見えた。

「椛さん、少し中に入っても構いませんか」
「……どうぞ」

 おそらくは、面会程度なら問題ないということになっているのだろう。
 尋ねかけられた椛は、引き結んでいた口をわずかに開いて答えると、小さくうなずいた。
 この場所の責任者の一人とはいえ、第三者である早苗が面会を許されるということは、
 今回の一件を任せた八雲紫の力に対する天狗達の評価が確かなものであることの表れなのかもしれない。
 
 早苗は、文を離れに連れて行った後に経緯を説明してくれた椛の様子を思い出していた。
 神奈子や諏訪子に促されながら訥々と語るその顔は、今にも泣き出しそうだった。
 
『私、文さんを助けられませんでした』

 ここへ来るまでに起こったことを話し終えた時、椛は苦しそうにそう呟いていた。
 自らの肩を抱く両腕には、己を責めるようにきつく力が込められていた。
 椛もまた、文を――文と○○を添わせてやりたいと願っているのだった。 

『助けられないまでも、せめて味方でいてあげたかったのに、私――』

 そして、しがらみに縛られてそれが出来ずにいる。
 それは取りも直さず、今の早苗と同じ状況である。
 
(椛さん……)

 なればこそ、どうすることもできない。
 椛を励ますことも、許すことも、早苗にはできなかった。





 普段は来客用に空けられている離れの中は、掃除が行き届いている一方調度は最低限のもののみで、
 明かりのない暗闇の中、生活の熱が感じられないことも手伝って少し寒々しい。
 畳の上には、文が糸の切れた操り人形のように横たわっていた。

 紫が文に施した結界は巧妙な仕組みになっているらしかった。
 今は当初のような強力な束縛を与えてはおらず、歩いたり手を動かしたりする程度ならさして問題なく行える。
 だが試みに能力を使おうとしたり、空を飛ぼうとしたりすると、途端に力を増してそれを邪魔するのだ。
 カメラや葉団扇などの持ち物も取り上げられてしまった今、これでは監視の囲みを破ることも、○○の元へ飛んでいくこともできない。
 いつもの文であれば、それでもこの程度の結界なら無理やり破壊することができただろう。
 だが、今はそれさえもままならなかった。
 
「○○さん……」

 愛しい人の名を、力なく呟く。
 長く生きてきた中で、自分に引け目を感じたことなど全くと言っていいほどなかった。
 強さを、速さを、誇りこそすれ負担に思うことなどなかった。
 けれど○○と出会って、互いの名を呼ぶ声に隠さず愛情を込めるようになってからは、そこにわずかな変化が生じていた。
 
 自分は○○と共に在ることを紛れもない幸せだと感じるし、○○もまた幸せだと言ってくれる。
 その言葉は嘘ではないだろうし、疑ったこともない。
 だが、自分達妖怪と人間が異なる存在であるということを、文は知っている。
 それは、千年の長きにわたり傍で見続けてなおわからないことが多い人間というものについて、
 文が確かにわかっていると言えることの一つだった。
 妖怪である自分では、どうあっても○○を幸せにできなくなるのではないか。
 幻想郷で生きていく日々の中、いつか○○の心が外の世界に吸い寄せられてしまうのではないか。
 時折頭をよぎるたびに振り払ってきた答えの出ない問いを、紫は目の前に突きつけてきたのだ。

『でも、それは○○にとって幸せなことなのかしら』
『自分の生まれた世界に帰って生きるのが幸せなのではないのかしら?』
『いずれにしても幸せな結末は、待っていないんじゃないかしら?』

 頭の中に反響する言葉が、文から抗う力を奪っていた。





「文さん、入りますよ」

 部屋の入り口から声が聞こえる。
 返事をしないままでいると、早苗がそっと戸を開けて中に入ってきた。
 戸口の横に早苗が手を伸ばすと、不意に部屋が明るくなる。
 河童の技術によって電灯が取り付けられているのだが、
 今の文には部屋が明るかろうと暗かろうと、またそれが何によるものだろうと、さほど問題ではなかった。
 起き上がる力もないまま、細めた目を早苗の方に向ける。

「その……そうしてると、身体に毒ですよ。お布団、出しましょうか」

 そう尋ねる早苗は、どこか申し訳なさそうだ。
 文にしてみれば、現状悩み苦しんでいるのは○○と自分の在り方についてで、
 早苗にも、自分を連行しに来ていた椛にも、別段含むところはない。
 だから、努めて柔らかく答えようとしたのだが、出てきた声はひどくかすれていて、別人のもののように思えた。

「…………いえ、結構です。どうか、お構いなく」
「……そう、ですか」

 そのまま会話が途切れる。
 早苗はしばらく何か言おうとして言葉を探していた。
 言いかけては止まり、止まってはまた考え込んでいたが、やがて今までにも増して悲しげな表情になると、打ち沈んだ様子で踵を返す。
 その背中に、文は声をかけた。

「早苗さん」
 
 ほんの少しの間躊躇していたが、意を決したかのように、振り返る早苗に問いかける。

「外の世界へ帰りたいと、思いますか?」

 それは、○○に聞くことが出来なかった質問だった。
 今思えば、どんな答えが返ってくるのか以前に、○○に外に帰ることを考えさせるのを心のどこかで怖れていたのだろう。
 今更、しかも○○ではなく早苗に尋ねたところで、何が変わるわけでもない。
 それでも今、何故かその問いが口をついて出た。

「……私は」

 視線を落としつつも神妙な面持ちで、早苗は注意深く言葉を紡いでいる。

「守矢神社の風祝として、東風谷早苗として、この幻想郷に来ることを選びました。だから、ここが私の生きる場所です。
 住んでいた世界を懐かしむことがないとは言いません。でも、帰りたいとは思いません。
 今は、この幻想郷が私の世界、私の帰る場所ですから」

 迷うような素振りを見せながらも、早苗は顔を上げた。

「私は……今私には……助けてあげられませんが……」
「………………」
「でも○○さんの気持ちは……○○さんに聞かないとわからないです。
 このままでは……それさえもう……」

 途切れ途切れに早苗が口にする言葉は、文の心を針のように突き刺す。
 早苗もそれに気付いたのだろう。

「!……すっ、すみません!私……」

 言葉を切ると身を縮めるようにして、また俯いてしまう。
 
「ごめんなさい、何ができるわけでもないのに……でもどうか、どうか諦めないでください」

 そう言い残すと、早苗は静かに部屋を出て行った。



 戸が閉められ、再び戻ってきた静寂の中で文はぼんやりと考えている。

 紫の言葉の中には、一つ明らかな嘘が混じっていた。

『今晩は満月でしょう?私みたいに人間味が少ないと、力が安定しないのよ。外へのスキマを開くなんて大仕事ならなおさらね』

 スキマ妖怪八雲紫の力は、月の満ち欠けに影響されるようなかわいらしいものではない。
 式神の藍であればまだ満月に高揚することもあるようだが、紫にはそういった影響がないように見える。 
 本当に何の影響もないのかと言えば真実は不明だが、少なくとも月の満ち欠けで力が不安定になったという話は聞かない。

 「人間味が少ない」というのも、過去の紫の言動に反する。
 何かの宴会の際だったろうか。
 文は、紫が「私は藍と違って人間味に溢れてるから、満月に左右されたりしない」と言っているのを耳にしたことがある。
 同席していた霊夢や魔理沙が「また始まった」と苦笑いしていた辺り、過去にも口にしていることらしかった。
 実際紫がどれほどの人間味を持ち合わせているかはさておき、今回の言葉は以前のそれと食い違っているのだ。

 白狼天狗達はともかく文には確実にそうとわかるような嘘を、わざわざつく理由。

『明日月が真上に昇ったら、博麗神社で○○を外の世界に送り返すわ』

 ○○を外の世界に送り返す場所と日時を、明言した理由。
 やろうと思えば今すぐにでもできるはずのそれを、嘘をついてまで明日に伸ばした理由。
 それは――

(挑発、ですか……)

 何を思ってそうするのかまではわからない。
 だがおそらく、紫は文を挑発し、誘っている。
 猶予は与える。時間と場所も教える。できるものなら、結界を打ち破って○○を取り戻しに来るがいい。
 文は、紫がそんなことを言っているように思えた。いかにも紫が言いそうなことではある。
 あるいは罠なのかもしれないが、早苗にも言われたように、
 ここで流れに身を任せてしまえばもう○○の気持ちを直接確かめることさえできなくなる。

(今の私にはそんな力は……でも……)

 ○○の幸せを思うならば諦めるのが正しいのかもしれないという考えに縛られ、今の文にはそもそも誘いに乗る力がない。
 だが。

「○○さん……○○さんっ……!」

 恋しくて、悲しくて、涙が溢れてくる。
 決別を選ぶには、○○への想いは未だ大きすぎた。








「ん……俺は、いったい……」

 ○○が目を覚ますと、そこは見知らぬ和室の中だった。
 
「マヨヒガへようこそ。お目覚めかしら?」

 目の前には紫と、どこかすまなそうな顔の藍が立っていた。
 二人の姿を目にして、○○は自分が家に帰ってきて、藍の姿を認めたところで意識を失ったことを思い出す。

「紫さん、藍さん、これは……」
「藍に貴方を運び出してもらったの。
 貴方と、射命丸文。人と天狗の境を越えて近づきすぎると、山から私に依頼が来たのよ。
 明日の晩に、貴方を外の世界へ送り返すわ」
「っ、そんな……!」
「いきなりで申し訳ないけれど、もう決まったことなのよ。
 ……ああ、逃げるのは無理よ?」

 弾かれるように立ち上がり、○○は手近な襖を開けた。
 紫の言葉を背に、前も見ずに駆け込む。
 
「……え?」

 そこは今通り抜けたのと反対側の襖だった。
 前にも後ろにも、妖しげな笑みを浮かべた紫が見える。

「そういう風につなげてあるのよ。……さて」

 青ざめた○○の顔を見ながら、
 紫は小さな子供に教え諭すようにゆっくりと、はっきりした言葉で語りかけてくる。

「どのみち貴方にはどうすることもできないけれど、せめて納得して別れた方がいいでしょう?」
「……しませんよ、納得なんか」
「あくまで山に逆らって二人で一緒にいようとするなら、
 それはあの娘が千年間この幻想郷で築いてきたものを奪い取ることになりかねない。
 貴方は、それらと引き換えにできるほどの幸せを与えられるのかしら?」
「それは――」
「相手の幸せを考えるならば、この機に終わりにするのが正しいのではないかしら?」

 ○○は、言葉に詰まった。
 確かに、百年も生きられない自分が千年分の時間に見合う幸福を与えられるかと言われると、
 胸を張って頷くことはできなかった。

「――確かに、その方が文の幸せなのかもしれません」

 だがその言葉に反して、○○はうつむかなかった。
 目には抵抗の光を宿し、紫の目をそらさず見つめている。
 
「でも、この先どうするかは俺と文で決めることです。
 文が、そうした方が幸せだから別れようと言うなら、そうなるかもしれないけれど」

 紫は何も言わず、目を丸くして○○の顔を見ている。
 力を振り絞るようにして、○○は更に続ける。

「それに、また明日会おうって約束したんです」
「……明日?」
「だから、これっきりで終わりになんてしません。
 約束したのに俺がいなかったら、きっと文は悲しむだろうし」
「このことは彼女にも伝えてあるわ」
「なら問題ないです。きっと文の方から来てくれる」
「そう簡単には貴方のところへ来られないようにしてあるのよ」
「!?……文に何をしたっ!!!」

 思わず声を荒げる。拳を強く握り締め、○○は紫を睨みつけた。
 手を出したりはしないが、その視線は刺し貫くような怒りに満ちている。

「安心なさい。直接危害を加えるような真似はしていないわ」

 その言葉を聞いて、○○は安堵とともに少し心を落ち着けた。

「……とにかく、俺は文が来るのを信じてます。
 何もできないけれど、せめて信じて待ちます。その先のことは、それから考えます」
「……そう」

 何故か満足げな紫の表情が、ぼんやりと歪む。
 ついさっき味わったような感覚とともに、○○の意識はまた遠のき始めていた。

「時間までお休みなさい。日が昇って、また沈む頃には起こしてあげましょう」

 その言葉を聞き終えるか終えないかの内に、○○は眠りの海に深く沈んでいった。





「長く生きたせいで見えてしまうものも、
 短い命のおかげで見失わずにいられるものもある、ということかしらね」

 畳の上に倒れこんだ○○を見下ろしながら、紫は独りごちた。
 
「心配してた方は意外とタフだったわね。後はもう片方が誘いに乗ってくるか……
 藍、○○に毛布でもかけておいて。私も少し寝ることにするわ」
「はい、わかりました」

 押入れから出した毛布を藍が○○にかけてやるのを見届けてから、紫はスキマを開いた。
 八雲家主従が通り抜けるとそれは掻き消え、閉鎖された部屋には眠り続ける○○が一人残された。




──────────────────────




 眠りの底へと沈みこむ寸前、○○は紫との会話を反芻していた。

『この先どうするかは俺と文で決めることです』

 ただの人間である自分にできる唯一の抵抗だと思えばこそ、精一杯強がって、胸を張ってはみた、が。

『相手の幸せを考えるならば、この機に終わりにするのが正しいのではないかしら?』

 自分に文を幸せにできるのか、考え始めれば不安で仕方がなかった。

『文が、そうした方が幸せだから別れようと言うなら、そうなるかもしれないけれど』

 さらりと言ってはみたものの、内心ではそんな想像をしただけで胸が締め付けられるように痛んだ。
 けれど実際に文がその選択肢を取るなら、○○にはどうすることもできないだろう。

『……とにかく、俺は文が来るのを信じてます。何もできないけれど、せめて信じて待ちます』

 紫の術を破ってマヨヒガを飛び出し、文の元へと駆けつけて強く抱きしめ、二人を引き離そうとするものに立ち向かうことを誓う。
 ○○に力があったならそうしただろうし、実際そうできたならと思うが、○○は無力な人間の若者でしかない。
 ならばせめて、愛する女性を信じていたかった。

 そんなことを考えていたせいだろうか。
 ○○の意識は、記憶の波間をたゆたい始めた。
 それは幻想郷に来た頃、文と初めて出会ってからの記憶だった。





 なけなしの力を手足に込めて、のろのろと起き上がる。
 なんとかスイッチのところまで歩くと、文は部屋の明かりを消し、そのまま崩れ落ちるように身体を横たえた。

(身体が……動かない……)

 重い疲労が全身にまとわりついている。
 身をさいなむ鉛のような無力感が手足の先まで流れ込み、指一本さえ動かすのが辛い。

(私は、どうしたら……)

 目をつぶればそのまま意識を失ってしまいそうで、文は懸命にまぶたを閉じまいとした。
 だが暗闇の中、いつしか目を開いているのか、閉じているのかさえわからなくなってくる。
 乾いた涙で引きつった頬に伝わるひんやりとした畳の感触で、まだ辛うじて自分が目覚めているとわかる。
 
(○○さん……)

 動かない身体を置いて、心だけが動いている。
 揺れる心は、○○の思い出を映し出していた。








(初めは、何がどうなったのか全然わからなかったんだよな)

 旅行中に山道の途中で古びた神社を見つけたのが、そもそものきっかけだった。
 朽ちかけた鳥居をくぐった先、もう誰もお参りになど来ないような社の裏。
 偶然見つけた小道に足を踏み入れたのは、ほんの気まぐれだった。
 せっかくだからもう少し先まで、ここまで来たらあと少し先へと進んでいくうちに開けた場所に出て、振り向くと何故か歩いてきた道はもうない。
 異なる世界、幻想郷に入り込んでしまったと、その時の○○には知る由もなかった。

 場所や時間が悪ければ妖怪に襲われ、最悪命を落としていたかもしれないが、
 幸いなことに、○○がたどり着いたのは竹林と里の間にある開けた道の傍で、まだ日も高かった。
 ちょうど道の向こうから歩いてきた女性に道に迷ったらしいと話し、人里まで案内してもらえたのも運がよかった。

「……もこう、さんですか。珍しいお名前ですね」

 本当は服装や髪の色も珍しいと思ったが、それはさすがに失礼になりそうなので言わなかった。

「そうかな。○○ってのも、この辺ではあんまり聞かないような名前だと思うよ」

 女性――妹紅と道すがらそんな話をしながらも、○○は周囲の景色に心をひかれていた。
 小道を抜けた辺りから、自分を取り巻く空気は明らかに変わっていた。
 青空は高く、木々は瑞々しく、風が心地良い。
 自分がどこにいるのかもわからないという不安を、○○はほとんど忘れそうになっていた。



「突拍子もないことを言うと思うかもしれないが、担ぐ気は全くないので落ち着いて聞いてくれ」

 たぶんあんたは『外』から来た人だろうからまずは現状を把握してくれ、と妹紅が引き合わせてくれた女性、
 上白沢慧音は、そんな前置きをしてから話し始めた。
 まず、ここが幻想郷という土地で、○○がいたところとは別の世界であること。
 幻想郷は妖怪が跋扈し、魔法が飛び交う世界であること。
 ○○が暮らしていた世界は幻想郷から見て『外の世界』や『外界』と呼ばれていること。
 なるほど突拍子もない話だったが、慧音の言葉にはそれを真実として受け止めさせる重みと説得力があった。

「外の情報は時折入ってくるから、その格好を見ればだいたいわかる。最近神社ごと外から越してきた人間もいるしな」

 なぜ自分が『外の世界』から来たとわかるのかと訊いた○○に、慧音はそう答えた。
 確かにシャツにジーンズという服装は、慧音や妹紅、道すがらすれ違った人々と比べて浮いて見えた。

「それから、この先が重要なところなんだが……」

 さらに言葉を継いだ慧音によれば、元いた世界に帰る手段は一応ある。
 が、今すぐというわけにはいかないのでしばらくは幻想郷で暮らしてもらうことになる。
 慧音の家に泊めてもいいのだが、それでは少し都合の悪いことがある。
 ついては里の外れに空き家があるので、不便とは思うがそこでしばらく生活してもらいたい。

「外来人は珍しいから、色々なものがたくさん来ると思う。危険はないだろうが、人里の真ん中ではちょっと、な」

 そう言う慧音は少し困ったような顔をしていた。
 『色々なもの』というのはおそらくさほど悪いものでもないが、慧音としては手放しで歓迎もできないのだろう。
 そんなことを○○に考えさせる、微妙な表情だった。





(初めは、まさかこんなことになるとは思ってもみませんでした)

 外の人間が来たようだ、ということを、文は文々。新聞の新刊を配達に来たカフェで耳にした。
 珍しいものとすれ違った、と仲間に話し始めた客の一人によれば、
 外来人と思しき変わった格好の人間は、寺子屋の方へ連れられていった、ということだった。
 
「……これは、いいネタになるかもしれませんね」

 おそらく外来人は、寺子屋の上白沢慧音のところに案内されたに違いない。
 運が良ければまだそこにいるだろうし、そうでなくても手がかりはつかめるだろう。
 善は急げ、とばかりに、文は走り出した。





(今思えば『色々なもの』第一号が文だったわけだよなあ……)

 ○○には見慣れない設備の使い方を丁寧に教えてくれた上、当座の生活用品まで提供してくれた慧音と妹紅に何度もお礼を言い、
 里の方へ帰っていく彼女達を見送った後。
 家の外から大きな鳥が羽撃くような音が聞こえて、○○は戸を開けた。
 ……幻想郷には妖怪がいる、と聞いてはいた。
 しかし実際に黒い翼をはためかせながら空から降りてくる少女を目にすると、自分が夢を見ているのではないかという気がした。

「こんにちは!毎度おなじみ……じゃないですね。初めまして、『文々。新聞』記者の射命丸文です!
 外来人の方ですね?本日は外の世界の話などうかがいたいと思いまして、お邪魔させていただきました!」
「あ……はい、どうもこちらこそ初めまして」

 立て板に水といった具合で言葉を浴びせかける少女に、戸惑いつつもあいさつを返す。

「えーと、あの、文、さん?失礼ですがその……妖怪の方ですか?」
「ええ、鴉天狗です。ささ、どうかそう固くならずに、もっとフランクに話してくださって結構ですよ?」

 状況に流されるまま、立ち話もなんだからと○○は家の中へ少女を招き入れた。
 どこか上の空だったのは、初めて妖怪らしい妖怪を目の当たりにしたためだけではなかった。 
 黒く美しい髪。明るい笑顔。
 宝石のように輝く真っ赤な瞳。
 白く滑らかな頬。しなやかな手足。
 そして艶々した黒い翼。
 それが一目ぼれというものだと意識せずとも、○○の鼓動は速く、強く打ち鳴らされていた。





(やっぱりあれが最初のきっかけ、だったでしょうか)

 第一印象としては、○○はこれといって目立ったところのない普通の人間で、
 服装を除けば文がこれまで見てきた幻想郷の人間と変わりがないように見えた。
 若干ぼんやりしているものの優しそうな雰囲気についても、取材が進めやすそうだぐらいにしか思わなかった。
 実際、○○は快く質問に答えてくれた。
 最初こそどことなく緊張していたが、それも次第にほぐれていったようだ。
 まずは基本からということで聞き出したプロフィールなどを一通り書き留め、文は手帳をぱたんと閉じる。

「――そうだ、これ。よろしかったら読んでください」

 新聞が残っていたのを思い出し、文は取り出した一部を○○に手渡した。

「え、いいの?」
「どうぞどうぞ。最新刊ですよ」
「……ありがとう、文。すごく助かる」

 心からの歓喜と安堵の入り混じった感情を顔や声に表しながら、○○はそれを受け取った。
 文としてはちょっとしたサービスのつもりだったが、渡された○○の喜び様は、文が予想した以上だった。

「そんなに喜んでもらえるとは光栄ですね」
「ちょうど何か読むものが欲しかったんだ。
 活字中毒の気があるし、それに――幻想郷、だっけ。どんなところなのかも色々知りたいし。
 そういう意味では新聞は理想的だから、本当に助かるよ」

 そう答えると、○○は興味深そうに紙面に目を通した。
 文にしてみれば、自分が一生懸命作った新聞が喜ばれるのは悪い気がせず、自然と顔が綻んだ。

「バックナンバーもありますから、今度持ってきますね。それで、取材のお礼ですけど……」

 ○○も喜んでいることだし、現物支給ということでさっきの新聞をそれに当ててもよかった。
 しかし機嫌のいい文は、もう少し色を付けてあげたいと思った。
 食料というのも良さそうだが、見たところ十分に足りている。慧音達が持ってきたらしい。

「……何か、欲しいものとか、してほしいこととかないですか?」





(色んな意味で、夢みたいな時間だったよなあ)

 さっきまで立っていた地面の、はるか上空。
 背後から文に抱えられたまま、○○は足の下に広がる幻想郷を眺めていた。
 飛行機に乗ったことはあるが、こんな視点で――生身で高空に静止して、下を見た経験などもちろんない。
 文が支えてくれているせいか、未知の体験と景色に胸が躍りこそすれ、不思議と恐怖は感じなかった。

「すごいな……」
「そうですか?……まあ確かにいい景色だとは思いますが、私は見慣れていますからねえ」

 取材のお礼は何がいいか、と聞かれ、少し考えた末に○○が出した答えは、「幻想郷を空の上から見てみたい」というものだった。
 道中見た景色に心引かれるものがあったこと、先ほど文が空から降りてきたことを思い出し、頼んでみたのだ。
 文はそんなことならと二つ返事で了承し、○○を抱えて空へ飛んでくれた。

 この頃には○○も、自分が文に好意を抱き始めていると気づいていた。
 第一印象もさることながら、明るく活発で、溢れんばかりの熱意を以って取材に取り組む文の姿が、一層○○を惹きつけていた。
 何とか友達になれたなら。それだけでも嬉しいけれど、もし気持ちを伝えて、もっと親密になることができたなら。
 そんな考えが○○の中で、元いた世界に帰ることを暫し忘れさせるほどに膨らんだ。

 ……とはいえ、○○はさほど活動的な性格でもなく、異性と交際した経験もない。
 仮定の中でさえ『その先』へ一足飛びに進まないあたりがいい証拠である。
 そんな○○だから、別段この頼みごとについて下心などなかったのだが、
 それが聞き入れられた結果、否応なく文と密着することになっていた。
 数時間後家で一人になってから、文の柔らかさ、体温、ほのかに薫る香り、息遣いなどが突然思い返され、
 ○○は激しく身もだえする事になる。

 だが、空の上で○○の心を震わせていたのは、それとは別の気持ちだった。

「はあ……」

 空の上は静かで、風の音が聞こえるばかり。
 高層ビルも、アスファルトも見えない。
 建物が並んだ人里が占める範囲はわずかなもので、後は草原の緑と、秋の森や山を彩る赤や黄色が大地のほとんどを埋めていた。
 徐々に傾き始めた日の光を受けて輝いているのは、湖だろうか。
 地平線の上に広がる空の青色は、見ている内に魂が吸い込まれるのではと思えるほど澄み切っている。
 
「大丈夫ですか、○○さん?ちょっと高すぎましたか?」
「え?あ、いや、大丈夫。その、あんまりきれいだから」

 肩越しに聞こえた心配そうな文の声で我に返った○○は、自分が涙を流していたことに気がついた。
 ……幻想郷は、美しかった。 

 
 
 

(だんだん、○○さんに興味がわいてきたんですよね)

 眼下の景色に涙する○○の姿は、文にとって新鮮なものを感じさせた。
 もちろん文も、幻想郷とその風景には愛着がある。
 けれど千年近く見続けたためか、○○のように感動することはほとんどない。
 外から来た人間だからなのか、○○個人の感性によるのか、
 いずれにしても自分とは異なるその視点に触れることは、文の新聞作りに新風を吹き込んでくれそうだった。

 だがそれにも増して文の心に満ち始めていたのは、もっと彼に幻想郷を見せてあげたいという気持ちだった。
 自分の生きてきた幻想郷のことをもっと伝えたい。
 彼の知らない景色、知らないものに、たくさん触れさせてあげたい。
 幼い子供のように素直に感動を示す○○の姿は、文にそんな思いを抱かせた。

「……まだ色々お聞きしたいことがあるので、また、取材させてくれませんか」

 少し恥ずかしそうに涙をぬぐう○○を支えながら、文は優しい声でそう言った。

「取材料代わりに、幻想郷の色んな所を案内しますよ?空の上から見ただけじゃ魅力が伝わらない場所もあると思いますから」





(帰ろうと思えば、すぐに帰れたんだろうけど)

 翌日訪れた慧音に、開口一番、しばらく幻想郷に留まることはできないかと切り出した○○。
 文と別れ難かったというのが大きな理由だが、土地の美しさに惹かれたというもう一つの理由を話すにとどめておいた。
 慧音は不思議そうな顔をしていたが、ともかく承諾してくれた。
 彼女としても、幻想郷に暮らす者の一人として、自分達の世界が好意的に受け止められるのは嬉しかったらしい。

 かくして○○の幻想郷生活が始まった。
 文の取材を受ける以外にも、時には古い文々。新聞の行間に漂う幻想郷の空気に思いを馳せ、
 またある時は、好意に甘えてばかりもいられないからと内職や寺子屋の手伝いを引き受けた。
 そんな風に過ごす時間は、外の世界に比べてゆっくりと流れているように感じられた。

 文は結構な頻度で取材にやって来て、○○にしてみればたわいないような外の世界の話を熱心に聞き取っていく。
 ○○の文に対する気持ちは日々確かなものになっていったが、あからさまにそれを表に出すことはしなかった。
 積極性に欠けていた、とも言える。
 だが、いつかは元いた世界に帰るつもりでいた○○にとって、幻想郷の住人である文に想いを伝えることにはまだ迷いがあったし、
 何よりそういった経験のない○○にとって、女性への愛の告白というのは、きちんと順を追わなければとてもできない一大事だった。





(思えば、自覚するよりもっと前から――)

 初めての出会い以来、文はこまめに○○の元へ赴いていた。
 ○○はいつも快く取材に応じてくれ、文もそのお礼として○○を様々な場所へ連れて行く。
 笑ったり、驚いたりする○○を見るたび、文は自分が幻想郷の住人であることがどこか誇らしかった。
 そんな日々を繰り返すうち、文の心に少しずつ変化が生じ始めていた。

 その日の昼過ぎ、文は山にある自分の家で、デスクに向かって原稿を書いていた。
 溜まった取材内容をまとめて文章にするつもりで、この数日間は○○のところにも行かず、家にこもっている。  
 ○○から聞いた話をまとめた特集記事はなかなかの好評を博していた。
 外界の情報源としては他に守矢神社の巫女もいるが、
 立場や性別、年代の差(文から見ればわずかな年月だが)などがまた違った味わいを生むらしい。
 
「そうですね、ここの表現はもっとこう……」

 取材した時の○○の顔を思い出しながら、執筆を進める。
 ……ペンを動かす手が止まった。ふと思い浮かべただけだったはずの○○の顔が、消えない。
 
「……えーと」

 頭を振り、作業に集中しようとする。
 だが、何故か無性に○○のことが思い出される。
 浮かんだイメージは、やがて実物に対する欲求として凝り固まっていった。 
 声が聞きたい。顔が見たい。会いたい。
 その感情が何なのかを考え始めるより先に、文は手早く執筆の道具をまとめた。
 行動力は記者の必須条件だ。

 数分後、文は○○の住まいに来ていた。
 戸を叩くと、すぐに向こうから足音が聞こえてくる。
 最後に取材に来た時にここ数日の予定は伝えてあったので、出迎えてくれた○○は少し驚いていたようだった。
  
「あれ、どうしたの?原稿書きがあるからしばらく来れないんじゃ」
「ええ、ちょっと……○○さんに聞き忘れたことがあったもので。御迷惑だったでしょうか?」

 なんだかわからないけど会いたくなった、とはさすがに言えず、適当に理由をでっち上げる。

「そんな、とんでもない。さ、上がって」

 そんなこととは露知らず、○○は優しく文を迎え入れてくれた。
 板敷きの床の隅には、寺子屋の教材作りでも頼まれたのか、竹ひごや木片が並べてあった。
 どうやら作業の手を止めてくれたらしい。
 
「すみません、忙しいところにお邪魔したみたいで」
「いやいや、気にしないで。今お茶でも淹れるから」       

 恐縮しながらも、文は居心地の良さを感じていた。
 取材メモをめくり、いくつか質問をした後、結局文は○○の家で原稿の続きを書いた。
 執筆は嘘のように順調に進んだ。





(それでもしばらくは、迷ったな)

 文の『取材料代わり』で、○○は色々な場所に連れて行ってもらった。
 人里の外では何があるかわからないし、人間の足では行きにくいところも多いので、○○の幻想郷見聞は常に文と一緒だった。
 霧の湖、獣道、大蝦蟇の池、ついでにあちこちでの宴会。行く先々で様々な景色を見るとともに、多くの人妖に出会った。
 博麗神社に行ったとき、○○が外来人で、神社を見るために来たのだと知ると、
 境内を掃除していた巫女さん――霊夢は不思議そうな顔をした。 

「帰るんじゃないの?今すぐあっという間、ってわけじゃないけど、私か紫なら多分外の世界に帰してあげられるわよ?」

 八雲紫とその式である八雲藍には、先日里で出会っている。
 自分が知らず知らずのうちに、慧音の言っていた『帰る手段』に接触していたことに驚きながら、
 ○○は言葉を返そうとした。

 慧音から幻想郷について聞いた直後なら、「それじゃあお願いします」と答えたはずだ。
 初めて文の取材を受けた後なら、「今はいいけれど、いずれ」などと言っただろう。
 しかしその時、口を衝いて出たのは、

「いや、本当に神社を見に来ただけだから。ああ、見るだけってのもなんだし、一応参拝も」

 ……このような言葉だった。
 元いた世界へ帰ることについて一言も口にしなかったことを一瞬遅れて自覚した時、○○は内心愕然とした。
 
 外の世界には、両親がいる。
 楽しいことも苦しいことも含めて、そのままそこにいたなら何事もなく続いていたはずの日常がある。
 それなのに、○○の心は迷い込んだ異世界である幻想郷に根を張り始めているのだ。
 
 ○○は悩んだ。もしかすると、自分が文に想いを寄せるのは、元いた世界からの逃避なのかもしれない。
 そうでなくても、このまま幻想郷に残ることは、正しいことではないのかもしれない。
 しかし、ならばとあっさり帰ってしまうこともできない。揺れる気持ちがそれを許してくれない。
 文と過ごす時間は、そんな迷いを心の隅に押しやってくれた。
 だが迷いは押しやられただけで消えはせず、確かに息づいていた。





(気付いてしまえば、後はもう……)
 
 博麗神社で霊夢に問い掛けられた○○が帰ることを口にしなかった時、文はどこかほっとしている自分に気付いた。
 そこで初めて、文は○○に恋心を抱いていることをはっきり自覚した。
 
 色恋沙汰について、知識がなかったわけではない。
 むしろ、ゴシップの基本でもあるそれは、新聞記者として山ほど触れてきたものだった。
 だがそれはあくまでも他人事として、である。
 いざ我が事として起こってみると、文はひどく戸惑った。
 確かな定義を与えられた想いは、急速に膨らんでいく。
 ○○のことを考えるだけで、胸が高鳴り、顔が熱くなり、頭がぼうっとしてきた。
 このままではいけないとしばらくは○○と顔を合わせず、苦心して何とか表面上だけは気持ちを隠せるようになった。
 だが、やっとの思いで○○を訪ねても、胸の内を告白することはできなかった。速さが信条の自分らしくもないとは思ったが、とてもそんな勇気はなかった。
 その代わり、文の○○に対する接し方は変わった。
 取材という名目を抜きにして、○○の家に遊びに行くようになった。
 ○○から外の話を聞くだけでなく、自分のことを話すことも多くなった。
 そんな風に○○と一緒に過ごす時間は幸せで、想いはどんどん深まっていった。
 
「椛、実は、なんだけど、私ね……」

 任務明けの椛と自宅で飲みながら、そう切り出したのは秋の終わりも近づいた頃だったろうか。

「その、好きな人が、できたみたいなの」
「――もしかして○○さんですか?」

 文は慌てふためいた。これまでにも何度か、椛に○○の話はしていた。山の外で会う機会があった時に、紹介もした。
 だがそれは、あくまでも取材対象の外来人としてであって、好意を寄せているなどとは一度も言っていないはずだった。  
 
「な、何でそれを」
「いや、最近○○さんの話をする時、文さんすごく嬉しそうなので、そうかなと思ったんですけど」

 白狼天狗の野生の勘侮り難しと、文はほろ酔い加減の頭に刻み込んだ。

「……とにかく、そうなの。○○さん、誠実で、優しくて、感性が豊かでね。側にいると、何だか安心できるの」
「はー。それで、もう告白したんですか?」
「それはまだだけど。近いうちに、とは思ってるわ。で、このことなんだけど」

 人間相手の恋というものが、天狗の社会ではあまり歓迎されないということは、その時の文も一応わかっていた。
 その事実が想いを妨げるわけではなかったし、取り立てて秘していこうとも思わなかったが、告白もしないうちから吹聴して回るような真似をするつもりはさすがになかった。
 それでも、親しい椛には打ち明けておきたかったのだ。

「内緒、ですよ?」
「わかってますって。ちゃあんと内緒にしておきます!」

 ひょっとして反対されるだろうかと思いつつ冗談めかして口調を変えた文に、椛は元気よく答えた。





(結局、先に言われちゃったんだよな)

 迷っていたところに文の方から想いを伝えてきた時、○○は本当に驚いた。
 自分が文のことを好きなように、文も自分のことを好いていたとは夢にも思わなかった。
 そして何より、嬉しくてしかたがなかった。
 天にも昇る気持ちとは、あのようなものを言うのだろう。
 ○○の胸に身体を埋めたまま溢れる感情にしゃくり上げる文を抱きしめた時、○○の心から迷いが消えた。
 短い人生、何が正しいかという絶対の判断などできない。
 あるいは手に入れ、あるいは投げ出し、選んだ道を進むしかないのだ。  
 幻想郷で、文と生きていくと、○○は心に決めた。
 例え、外の世界に残してきたものと別れる――投げ出すことになっても。

(そうだ、あの時決心したんだ)
(ずっと、文と一緒に生きていこうって)
(なら、幸せにできるかどうか悩むんじゃなく、幸せにするために進み続けるだけだよな)
(今は、他に何もできないからじゃなく、心から好きになった人だから、俺を好きになってくれた人だから)
(文を、信じて――)



「……時間だ、○○」

 ○○は目を開いた。
 意識を失う前と同じ、閉ざされたマヨヒガの一室。目の前には、藍が立っている。

「もう日が沈む。そろそろ博麗神社に移動するぞ」

 感情を込めずに促す藍の声に、○○は黙って立ち上がった。





(ああ、少しだけ、勘違いしてたかもしれません)

「文、俺も文のことが好きだよ。恋人に、なってくれないか」

 泣きながら告白した文に答えてくれた○○の言葉を、文は今でもはっきり思い出せる。
 晴れて恋人同士となってから、文が○○と過ごす時間は格段に増えた。
 しかし、そうして一緒にいる時はもちろん、離れている時も、○○の姿は文の胸中にあった。
 家で原稿を書いている時、天狗としての任務に就いている時、○○の家に向かう時。
 ○○が恋人であるということ、絆が繋がっていることが、文を力づけ、支えていた。
 もう会えないかもしれない今、そのことが強く胸に沁みていた。

(私にとって○○さんは、止まり木だと思ってました)
(いつだって優しく迎えてくれて、心と身体を癒してくれる、そんな存在だと思ってました)
(でもそれだけじゃなかったですね)
(あなたは、私と一緒に飛んでくれるんですね)
(あなたなしではもう、私は――)



 文は目を開いた。
 離れの外からわずかに差し込む陽光は血のように赤く、もうすぐ日が沈みきることを示している。

『○○を外の世界に帰してしまえば、それ以上貴方への咎めはないそうよ。
 失うものは○○だけ。むしろ、元に戻るとも言えるわね』  

 紫はそう言っていたが、それは間違いだ。
 ○○のいない幻想郷で、文はもう以前のようには飛べないだろう。
 いつのまにか、文の翼は片方だけになってしまったらしい。
 なくしたもう片方は、○○の背にあるはずだ。

 それでもいつかは時が忘れさせてくれる、長い時間を生きる妖怪なればなおのこと、と人は言うかもしれない。
 だが文は確信していた。
 このまま別れれば、時の流れが癒してくれるよりも先に、文は壊れてしまうだろう。
 それこそ、肉体より精神に依存する妖怪なればなおのこと、だ。

「行きましょう」

 誰もいない離れの中で、文はつぶやいた。
 どのみち、○○を失っては生きていけないのなら。
  
「あなたの側が、私の居場所です」

 ○○と一緒にいたい。
 ○○が外の世界に――文の生きていけない世界に戻ることになるのなら。
 文が一緒にいても不幸にしかできないのなら。
 それならば、その腕の中を最後の場所にするのでも構わない。
 どんな結果が待っているとしても、このまま○○と離れることなど、もう文にはできなかった。

「くっ!」

 立ち上がって四肢に力を込め、翼を広げようとする。
 破ろうとする力に反応して、結界が再び拘束を開始した。

「もう……止めさせませんよ……」

 動きを封じようとする力に抗い、文は歯を食いしばる。

「○○さんの、ところへ」

 結界を壊そうと振り絞った渾身の力が身体を熱くする。

「行かなきゃ、ならないんです!」

 叫ぶと同時に、何かが砕けるような音がした。
 手足を動かしてみる。束縛する力は感じられない。
 結界は完全に破壊されていた。

 戸の向こうで、足音が響いた。物音を聞きつけて、白狼天狗達が駆けつけてきたのだろう。
 ぐずぐずしてはいられない。
 
「……すみませんね、早苗さん。玄関からは出られそうにないもので」

 具合を確かめるように、翼を二、三度羽撃かせる。
 室内にもかかわらず、ごう、という音を響かせて風が巻き起こった。
 
「――はっ!」

 掛け声とともに、文は畳を蹴る。
 風をまとい、飛ぶ。
 壁を打ち破り、文は外に躍り出た。




──────────────────────





 砕けた壁の破片が散らばる中に、身をかがめるような体勢で着地する。
 靴下ごしに感触を伝える乾いた土を踏みしめ、文は身体を起こした。
 空に残る夕日の赤色はわずかのみで、東からの月明かりが広がり始めた夜の闇を照らしている。
 場所は博麗神社、刻限は、月が真上に昇った時。
 紫が何のためにそれを言い残したのかなど、この際問題ではない。
 ○○の元へ向かうと、心に決めたのだ。
 そこに彼がいるというのなら、全身全霊をかけて飛んでいくだけのことだった。

「……来ましたね」

 いくつもの足音が集まってくる。
 その数、十数人といったところだろうか。
 神社の中から、周囲の木立から、姿を現した白狼天狗達が、文を取り囲む。

「あくまで立ちふさがる気なら、相手になるわよ?」

 数の差に怯むことなく放つ文の気迫に、白狼天狗達の方が気おされた様子を見せる。
 文の実力からすれば、何人いようと切り抜けるのは困難ではない。
 だが数が多ければ多いほど、時間を取られることになる。
 やりすごすこともできそうにない以上、何とか間に合うように立ち回るしかない。
 覚悟を決めた文が構えを取ろうとした、その時だった。

「文さん」

 囲みの外側から、その声は聞こえた。
 
「……椛」

 包囲の一角が、押し開かれるように左右に割れる。
 その間をゆっくりと歩いてくるのは、他の白狼天狗と同じように剣と盾を構えた椛だった。

「止める、のね。それが貴女の務めだものね」

 苦しそうにつぶやく文に構わず、椛は近づいてくる。

「それでも、私は行かないと――」

 文が身構えるより一瞬速く、椛が踏み込み、右手の剣を――地面に突き刺した。

「文さん、落ち着いてください」

 場違いな言葉に事態が飲み込めず、文が思わず見つめた椛の顔は、普段見慣れた明るい笑顔だった。

「はい、これ。靴ぐらい履いていった方がいいですよ」

 あっけに取られる文に向かって椛が差し出したのは、守矢神社に入る時に脱いだ文の靴だ。
 よく見ると左手に持った盾の陰には、風呂敷包みが隠されている。

「椛?」
「それから、葉団扇と、ペンと……あ、文さんと言えばこれ忘れちゃいけませんよね。はい、カメラ」

 風呂敷包みの中身を次々と取り出す椛。それは取り上げられていた文の持ち物だった。  
 守矢神社の中に保管されていたはずだが、椛が取ってきてくれたらしい。
     
「椛?貴女何をしてるかわかってるの?」

 驚きと焦りを含んだ文の声とほぼ同時に、沈黙していた周囲の天狗達がざわめき始める。
 椛の行動は明らかに任務違反であり、上層部から咎めを受けることになりかねない。

「そんなことをしたら、貴女……」
 
 確かに椛と争いたくはなかったが、自分のために椛が責められるのは本意ではない。
 文はなおも言い募ろうとする。

「いいんです」

 椛はそれを手で制し、そう言いきった。

「私、文さんが嬉しそうに○○さんの話をしてるのが、好きでした。
 お二人が一緒にいて幸せそうにしてるのを見るのも、すごく嬉しかったんです。
 なのにこのまま文さんたちのために何もしなかったら、ずっと後悔しちゃいますから」

 ふさふさした尻尾が、優しげに揺れる。

「○○さんのところに行くんですよね?これは、私からのせめてもの応援です。何も言わずに受け取ってください」

 椛の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
 山に背き、外の世界へ送り返される○○を追っていけば、文はもうここに帰ってこられないかも知れない。
 椛にもそれがわかっているのだろう。

「椛……ありがとう」
 
 溢れる感謝の気持ちを詰め込んで、文はそう口にした。
 椛に肩を借りながら靴下についた土を片足ずつ払い、靴を履く。
 靴底に据えた一本歯の分、素足よりも視点が高くなる。

「やっぱり、普段の高さの方が落ち着きますね」

 独りごちながら胸ポケットにペンを挿し、カメラのストラップを調節する。
 首が締まらないよう気をつけて、普段とは逆、背中側にカメラが来るように首を通した。
 最後に葉団扇を手に持ったところで、支度はすっかり整った。
 



 周囲を取り巻く白狼天狗達はこの状況にどうしていいかわからなくなっていたらしく、
 しばらくうろたえていたが、やがて文を止めるべきだという結論に達したようだ。
 剣を構え直す音に、文と椛は向き直った。
 
「ここは私が何とかします!文さんは早く!」
「っ、でも椛、いくらなんでもあの数を貴女一人では」

 地面から剣を引き抜いた椛を見て、白狼天狗達が一様に困ったような顔をする。
 仲間意識の強い白狼天狗としては、椛相手に立ち回りはしにくいのだろう。

「私なら大丈夫ですから、さあ、早く!」
「椛――」
「おっと、うちの神社の敷地で、勝手にチャンバラやられちゃあ困るわね」

 突然聞こえた声に、その場にいた全員の視線が集められる。
 母屋の方角から歩いてきたのは、神奈子、諏訪子、早苗――守矢神社の面々だった。

「逃げ出したのを捕まえ直してやる義理はないけれど……ここで暴れようっていうなら、私たちが相手になろうじゃないか。早苗!」
「はい、神奈子様!」

 不敵な笑みを浮かべて堂々と立つ神奈子の呼び声に応え、早苗が前に進み出た。
 やけに楽しそうな笑顔で、御幣を構える。 

「弾幕ごっこなんてまだるっこしいことは言わない。守矢神社の業を以って相手をしてやりなさい!」
「……はい、仰るとおりに!」
「ほらほら、巻き込まれたくなかったら離れた方がいいよ~?
 どのみち結界解かれちゃった時点でかなう相手じゃないでしょ?」

 諏訪子に促され、白狼天狗達が慌てて距離を取る。 
 
「そ、そんな……」

 突然悪化したかに見える状況に、椛がうろたえている。
 だが文は少しも慌てていない。むしろその顔には笑みさえ浮かんでいる。

「椛、下がって」
「え、でも」
「いいから、私を信じて」

 文の余裕に満ちた表情に戸惑いながらも、椛は頷き、言われるままに文から離れた。

「……行ってくるわ。きっとまた、会えるから」

 文がそっと口にした言葉は、椛に届いただろうか。
 後には対峙する文と早苗、早苗の後ろに控える二柱の神が残る。

「すみませんが、先を急ぐもので。この辺りで失礼させていただきますよ」

 口の端に微笑を浮かべ、文はそう言った。
 ちょうど、先ほどの神奈子と同じような笑みだ。
 早苗が前に出てきた時、神奈子がそっと目配せしてきたのを文は見ていた。
 直後に続いた言葉を聞いて、神奈子たちがこれからやろうとしていることも理解できていた。

「そうはいきません!見逃してもらえるなんて思わないでください!」

 そう言った早苗の口元にも、神奈子や文と似たような笑みが浮かべられている。
 それは何かの企みを共有している者同士に浮かぶような――平たく言えば、共犯者の笑みだ。
 早苗は目を閉じ、精神を集中し始めた。周囲の空気がざわめき出す。


 
 手にした葉団扇を一振りする。文の足元から勢いよく風が巻き起こった。
 無秩序に暴れているかに見える風は、主である文の周りに集まっていく。
 力の限り吹き荒れるその音は、さながら歓喜の咆哮のようだ。
 風は木々を揺らし、土埃を巻き上げながら勢いを増していく。
 事態を離れて見守っていた白狼天狗達も、もはや目を開けていることができない。

「神奈子様、お力を!」
「応!」

 目を見開くとともに発せられる早苗の勧請に、神奈子が凜と響く声で応えた。
 ざわめきは最高潮に達している。

「八坂の神風よ!」

 御幣を高々と掲げ、早苗が叫ぶ。
 その声を待っていたかのように、突如激しい風の渦が生じた。早苗を芯にした渦は一気に膨らみ、文に近づいていく。
 そのまま文を巻き込むかに見えた早苗の風を、文の風が飲み込んだ。
 更なる力を得た喜びに荒れ狂い、全てをなぎ倒さんばかりの風の中、文は早苗たちに向かって一礼すると、翼に意識を集めた。

(もっと……)

 翼が大きく展開していく。より多くの風を捉えられるように、大きく。

(もっと、もっと速く飛べるように……!)

 広がり続ける文の両翼は、今や人一人を易々と包みこめるほどに広げられていた。   
 大きく息を吸い込み、すっかり暗くなった空を見据える。
 力を込めて、文は大地を蹴った。
 瞬間、風は轟音とともに爆発的な上昇気流に変わる。
 早苗の起こした神風を取り込んだその勢いは凄まじいものになっており、
 重力から解き放たれた文の身体を急速に押し上げていく。

(○○さん、今、行きます……!)

 翼一杯に風をはらみ、文は夜空へと飛び立った。
 


 
 
「……行っちゃったね」
「文さん、間に合うでしょうか」
「私たちに手助けできるのはここまでよ。あとは当事者次第……さて」

 文が飛んで行った方角を眺めていた神奈子が、振り向く。

「借りた場所は原状回復で返すべきだと思うのだけれどね」

 物陰に隠れていた白狼天狗達が恐る恐る顔を出す。
 神奈子の言葉に、戸惑いが隠せないようだ。

「……だから、この惨状はちゃんと修復していってもらう、と言っているのよ」

 確かに、辺りはひどい有様だった。
 ところどころでえぐれた地面、散乱する折れた枝や木の葉、極めつけは離れの壁に開けられた大穴である。
 とはいえほとんど、というより全てが文と早苗によるものなので、白狼天狗達が後片付けをするのは筋違いと言えなくもない。
 そういった抗議をしようとしたのだろう、何か言おうとした白狼天狗の一人を、神奈子は一睨みして黙らせた。

「元はといえばそっちの上司が、結界を破られた場合のことを想定してないせいでこっちが出張ることになったんだ。しっかり片づけていってもらうよ」

 有無を言わせない神奈子の勢いに白狼天狗達はすっかり飲み込まれてしまった。
 慌てて剣と盾を置き、諏訪子が持ってきた箒や熊手を手に取ると、せかせかと掃除を始める。

「きりきり働いてねー、上には後でちゃんと話通しておくから」
「はい、椛さんも」

 早苗が椛に箒を渡す。
 
「え、あ、はい」

 状況に流されるまま、椛も他の白狼天狗達に加わり、一緒に働きだした。
 作業を押しつけることで、失敗の報告と追手の派遣を遅らせるだけでなく、あわよくば椛が一人文に味方しようとしていたことをもうやむやにする。
 そんな神奈子の目論見の内、とりあえず後者についてはうまくいっているようだった。





 神社の裏手から応急補修用の板を運んできていた一人の白狼天狗が立ち止まる。
 ちょうど周囲には誰もいない。
 しばらく迷うような素振りを見せた後、小さく口笛を吹いた。
 それに応えて近くの草むらが動き、一羽の大きな鴉が現れる。
 おそらくは使い魔なのだろう、二言三言囁かれた主の言葉を聞くと、鴉は飛び立った。
 後で話を通しておくと諏訪子は言っていたが、急いで上層部に報告すれば早めの対処が講じられるかもしれないと、考えた末の行動。
 鴉に託したのは、計画失敗の伝令だった。



 主の視界を外れ、伝令の鴉が速度を上げようとした時、ふいに背後から一つの影が追いついてきた。
 それは鴉の周りを飛び回り、先に進ませまいと妨害してくる。
 振り切ろうとしてもぴったりと張り付き、回り込もうとしても巧みに先を取ってくる。
 隙を見せれば爪と嘴が襲いかかってくるため、ちょっとやそっとではやりすごせそうにない。
 影もまた、一羽の鴉だった。文のことを知っている者が見れば、その赤い眼はどこか彼女に似ていると思ったかもしれない。

 







 ぐう、と、○○の腹の虫が鳴いた。
 紫の術で眠っていたとはいえ、丸一日何も口にしていない。
 藍には何か食べておいた方がいいと勧められたが、とても食事をとる気にはなれなかった。

「……向こうに着いたら、何かおごるわ。ファーストフードでも」

 夜だというのに日傘を差した紫が、少なくとも上辺は気の毒そうな声でそう言った。
 向こうに着いたら、という紫の言葉は一瞬色々なものを思い出させたが、懐かしいはずのそれらは○○に希望を与えてはくれない。
 そこに文がいないのなら、何もかもが色あせてしまう。望郷の念よりも、離れたくないという気持ちが勝っていた。

 博麗神社の境内は、しんと静まり返っている。
 霊夢はどこかの宴会に呼ばれているそうで、今ここにいるのは○○と紫、藍の三人だけだ。
 ○○を物理的に拘束するものは何もない。しかし逃げようと走り出したところですぐに連れ戻されるため、どうしようもない。
 少しだけ欠けた月は無情にも刻一刻と夜空を昇っていた。
  
 突然、空気がざわめいた。
 まだつぼみもついていない桜の枝が、大きく揺れている。
 それまでそよとも吹いていなかったのが嘘のように、吹きつける風は力強い。
 八雲主従が思わず法衣の裾や帽子を押さえる。
 ○○はその横に立ち尽くし、髪や服をはためくに任せていた。
 しばし呆然と風の吹いてきた方を見つめていた彼は、弾かれるように走り出した。

「あっ!?」

 気付いた藍が声を上げるのにも構わない。
 そもそも逃げだそうとしているわけではない。
 博麗神社の本殿を背にして、石段の手前で立ち止まる。
 風はちょうど、真正面から吹いていた。

(文……)

 理性が告げる。
 昨日自分でそう言ったように、気のせいに過ぎないと。
 ただの人間に風を読む力などない以上、今感じているものは願望が生み出した幻でしかないと。
 だが○○はその声を振り払った。
 身体が、心が、魂が感じている。
 ――この風の向こうから、愛しい文がこちらへ向かって飛んでくる。

「あやあああああぁぁぁっ!」 

 空の果てまで響けとばかりに、○○は力いっぱい叫んだ。





 風に乗り、風を受け、風を切って文は飛ぶ。
 月明かりに照らされた幻想郷の景色が後ろへと流れていくのに目もくれず、博麗神社へと近づいていく。

「どうか、どうか間に合ってください……!」

 振り絞った力を速さに変えて、前へ。
 まだ神社は見えてこないが、もうすぐのはずだ。
 
「!……○○さん!?」

 文は目を見開いた。唸りを上げて流れていく風の音に混じって、○○の声を聞いた気がしたのだ。
 
「○○さん……そこに、いるんですね?」

 博麗神社までの距離を考えれば、普通ここまで人の声が届くことはないはずだった。
 だが、確かに文は自分の名を呼ぶ○○の声を耳にしたと思った。

「私を、呼んでくれてるんですね――!」

 思わず涙がこぼれそうになるのをこらえ、文はさらに速度を上げた。





「文っ、ここだぁぁぁぁっ!」

 声を張り上げ、腕を振りまわすようにして呼びかける。
 明るい夜空の下大きく翼を広げた文の姿は、既に○○にも見えていた。文の方からも、○○が見えているだろう。
 小さな影が見る間に大きくなっていくのは、確実にこちらへ近づいてきている証拠だ。
 叫びすぎてのどが痛かったが、喜びと安堵の気持ちが勝っているせいであまり気にならない。

「思ってたより早かったわね」

 すぐ横で聞こえた声にぎょっとして、○○は手を止める。
 気配を微塵も感じさせることなく、いつの間にか紫が隣に立っていた。

「せっかく急いで来てくれたことだし、もう少し盛り上げてみようかしら」

 そう言い終わるか終らないかの内に、紫の前方、何もなかった空間に色も大きさも様々ないくつもの弾が出現する。
 弾幕ごっこの経験こそないものの、○○は文の写真を通して多種多様な弾幕を目にしている。
 ひしめき合う弾は、そんな彼を青ざめさせるのに十分な量があった。
 
「……軽く弾幕ごっこといきましょうか」

 紫が手を一振りしたのを合図に、弾は意志を持つかのように文目がけて殺到していく。
 それだけでも高密度の弾幕を補強するかのように、目の前の空間には次から次へと新たな弾が湧き出てくる。
 
「さて、そろそろ外に通じるスキマを開いておこうかしら。撃墜しちゃったらそこでゲームオーバーですし」

 一転して不安な表情を浮かべた○○をよそに、紫は踵を返して歩きだした。
 
 




「――はっ!」

 文の全身を丸ごと包みこんでしまえそうな大きさの弾を、すんでのところでかわす。
 そのまま前進するという選択を瞬時に切り替え、真横を通り過ぎようとした小さな弾の波を縫うように避けていく。
 数秒前に文がいた位置を、空を灼いて出現したレーザーの帯が薙いでいった。

 もうどのくらいこうしているのか。文には数分にも、数時間にも思えた。
 まだ月が昇りきっていないことはかろうじて確認している。
 こちらに向けて手を振っている○○の姿を認めて安心したのも束の間、進み出た紫の放った弾幕が襲いかかってきた。
 高密度の弾幕は、紫を狙い弾を撃つ余地も、スペルカードを発動して態勢を立て直す余裕も与えてくれそうにない。
 さりとて避け続けるだけでは、タイムリミットが来てしまう。
 少しずつ確実に前進し、○○を取り戻すことだけが、この弾幕ごっこにおける文の勝利条件だった。

(もう少し……もう少し近づいて……)

 迫りくる弾を紙一重でかわしながら、文は勝機をうかがう。





「粘るわねー」

 汗ばんだ手のひらを握りしめて文を見守る○○の後方で、紫がのほほんとつぶやく。
 その態度はないだろうと眉をひそめて振り向いた○○は言葉を失った。
 本殿の前には、紫の開いたスキマが浮かんでいた。
 スキマの向こう側も夜であるらしく、暗くてよく見えない。
 だがそこは確実に、○○の元いた世界であるはずだった。
 ほんの数メートル先にあるそのスキマを潜れば、○○は幻想郷を追われ、文と引き離されてしまうのだ。

「じゃ、そろそろ最後にしましょう」

 藍とともにスキマの横に立った紫は、どこから取り出したのか洒落た作りのオペラグラスで文を眺めていたが、
 それを畳んで袖に放り込むと、手にしていた日傘を振りかざした。

「うわっ!?」

 一筋のレーザーがすぐ横をかすめ、思わず○○は声を上げる。
 瞬間、紫の周囲からは、無数の細いレーザーが出現していた。
 その先端は文を捉えてこそいないものの、彼女の周りを檻のように取り囲み、動きを封じている。
 だというのに、次の瞬間虚空から放たれた弾は先ほどにも増して大量で、まるで一つの巨大な弾のように文へ押し寄せていくのだ。

「……絶対避けられない弾幕は反則なんじゃなかったんですか!?」

 文のいる方から紫に向き直り、思わず上擦った声で抗議する○○。

「ええ、そうよ」

 それに答える紫は、いたって涼しい顔だ。

「避けられないわけじゃないわ。
 種を明かせば、あの位置にとどまっている限り弾は一つも当たらない。この弾幕は、そんな風に飛んでいくの。
 だから、別に弾幕ごっこのルールには違反していないことになるわね。まあ、全ての弾が通り過ぎる頃には時間切れだけれど」
「そんな……」
「安全かつ相手の用事に間に合うように弾幕を配置しないといけない、なんてルールはないのよ。
 それに頑張れば抜けられないこともないわ。どのくらい頑張らないといけないのかはちょっと口にしたくないくらいだけど、そうね――」

 聞いていられなくなって、○○が文の方を向いた、その時だった。





「派手な弾幕ですねえ」

 レーザーの間、わずかに開いた空間に陣取った文は、山ほどの弾が向かってくるのを認めていた。
 だというのに、その口元には笑みが浮かんでいる。

「接近は十分。なんとかいけますね……まったく」

 大きく、勢いよく上体をひねる。
 背後に回していたカメラが首を軸に回転し、手元に飛び込んできた。
 以前紫相手にも使ったことがあるので念のため隠していたが、今こそ使い時だ。

「記事にできないのが」

 素早く構え、ファインダーを覗き込む。○○と文を結ぶ直線上の弾が残らず写りこむように、角度を調整する。
 
「残念ですよっ!!!」

 文の白い指が、シャッターを切った。





「――あら、まあ」

 後ろで拍子抜けしたような声を出している紫のことは、もう気にならなかった。
 弾幕がすっぽりと切り取られた空白地帯を突っ切って、文が飛んでくる。
 黒い翼をいっぱいに広げたその姿を、○○は心から美しいと思った。

「○○さん!」

 すぐそこまで近づいてきた文が、両腕を伸ばす。

「文!」

 迷わず、○○は石段を蹴って飛んだ。
 柔らかな感触が、空中に投げだされた身体をつかまえる。
 絶妙なタイミングで○○を受け止めた文は、そのまま急上昇していく。
 ぎゅっと抱きついた身体から薫る文の匂いを、○○は胸いっぱいに吸い込んだ。

「すみません○○さん、遅くなってしまいました!」

 ○○をしっかりと抱きかかえながら、今にも泣き出しそうな声で文が言う。

「大丈夫だよ」

 もう決して離すまいと思いながら、○○は答えた。

「きっと来てくれるって信じてたから」

 お互いを抱きしめる腕に力がこもる。
 たった一日離れていただけなのに、もう長い間会っていなかったような気がした。


 
「……このまま飛んでいては、逃げ切れそうにありません」

 喜びに満ちた様子から打って変って、文が真剣な声で囁いた。
 確かに、○○を抱えたまま飛んでいてはいずれ捕まってしまうだろう。

「私に、任せてもらえますか?」
「わかった。文に任せるよ」
「では、しっかり、つかまっててくださいね!」
 
 文が言い終わるのと同時に、一瞬空中に停止した二人の身体の上下が反転し、
 博麗神社目がけて急降下を始めた。





「紫様、こちらに向かってきます!」
「……そのようね」
「落ち着いてる場合じゃありません!避けてください!」

 藍に引っ張られて紫が退く。
 目にもとまらぬ速さで頭から落ちてきた文と○○は、風を巻き起こしながらその横をすり抜け、スキマの中へと飛び込んだ。
 ……風が収まった後には、開いたままのスキマと、立ち尽くす紫と藍が残された。
 空の上では、ちょうど月が真上に達しようとしている。

「そういえばあったわね、あんなカメラ」
「……どうするんですか、これから」
「どうするもこうするも……意表を突かれた形になったわね。
 ○○だけを送り返すはずが二人で向こう側に行かれちゃったんだから、これはこちらの負けということになるわ」

 あっけらかんと言い放つ紫に、藍はため息をつく。

「じゃあこのまま外の世界に?」
「そうもいかないわね。まあ、ちょっと行ってくるわ」

 そう言って、紫はスキマの方に向き直った。








 気がつくと、○○は土の上に横たわっていた。目の前には文の顔がある。
 降下の勢いに思わず目を閉じたところまでは覚えている。どうやらスキマを潜る時に気を失ってしまったらしい。  
 結構なスピードが出ていたと思うが、文がうまく着地してくれたのだろう、怪我はどこにもない。

「……文?」

 翼をしまい、○○と並んで身を横たえている文は、目を閉じたままだ。
 
「文!?文!」

 慌てて起き上がると、○○は膝をつき、文の上体を抱き上げて揺さぶる。

「う……ん……」

 意識を取り戻しうっすらと目を開けた文を見て、ほっと息をつく。



 木立の中、少し開けた場所に○○と文はいた。
 春先の湿った土の匂いがする。○○は辺りを見回してみたが、なにぶん暗いため、見知ったところなのかどうかはわからない。
 ただ、空気の感触は明らかに幻想郷のそれと違う。木々の間に見える夜空も、どこか暗さが足りない気がする。
 どの辺りかはともかく、ここが外の世界であることは確かなようだった。

「○○さん……」
「文、大丈夫か?」
「ええ……スキマを抜けてここに着地したところで、安心したら急に疲れが出てしまって。
 ちょっと横になるだけのつもりだったんですけど、そのまま少し眠ってしまったみたいです」

 まだ疲れのにじんだ声でそう言って、照れたように笑う。
 ひとまずはこの笑顔を失わずに済んだ、というだけで、○○の胸に安堵の気持ちがこみ上げてくる。
 とりあえず少しでも楽なようにと、持ち上げた文の頭を自分の膝枕に載せた。

「……○○さん、聞いてください」

 無言で、○○はうなずく。
 慈しむように○○を見つめる目の奥にある光が、文の真剣さを物語っている。

「どんなに○○さんのことを愛していても私は妖怪で、人間の○○さんとは存在からして別のものです」

 今さらですけどね、と苦笑を浮かべる。

「二人で外に……○○さんの世界にいようとしても、私は○○さんの負担になるだけかもしれない。
 幻想郷で一緒に暮らしていくとしても、どんなに頑張ってもいつかは○○さんを幸せにできなくなるかもしれない。
 紫さんに言われたことですが――悔しいけれど、そんなこと絶対ないとは私には言えませんでしたし、実際そうなのかもしれません」

 そんなことない、と否定しようとする○○を、文の手が優しく止めた。 

「わかってます。種族の違いのことなんて、もう何度も話しましたよね。
 でも、鴉天狗として千年近く人間を見続けた私は、どこかで不安を拭いきれてなかったみたいで……
 ……それでも」  

 水平線に沈む夕陽のように、紅い瞳がじわりとにじむ。
 
「それでも、私は○○さんのことが好きです。たとえ離れた方がお互い幸せだと言われても、もう離れ離れになって生きていくことなんて、考えられないんです」

 文の手が、○○の手を握る。そうしないと○○がもう届かないところに行ってしまうとでも言うかのように、強く。

「私の我儘で○○さんの人生を犠牲にすることになるとしたら、謝っても謝りきれないことでしょうね。
 でも、それでも……射命丸文を、○○さんの傍にいさせて、くれませんか?」

 震える唇が、苦しげに言葉を紡ぐ。
 
「貴方がどこで生きていくのであっても、その隣で一緒に生きていきたいんです。それが叶わなくなるのなら、せめて……んっ」
 
 なけなしの甲斐性にかけて、意地でもその先を言わせるわけにはいかなかった。
 抱き寄せるようにして、○○は文の口を自分の唇でふさいだ。

「――はあっ」

 息が苦しくなるまでそうした後、文を解放した○○は、空気を取り込む間も惜しむように言葉を吐きだした。

「俺、だって、不安だったよ」

 荒い息を整えることすら許さず、感情があふれ出てくる。

「ただの、人間の俺で、文を幸せにできるのかって。
 文に、これで終わりにした方がいいなんて言われたら、どうしようって」

 大きく深呼吸し、まっすぐに文を見据えた○○の視線は、○○を見つめていた文の視線とぶつかった。

「だけどもう迷わない。文は俺を望んでくれたけれど、改めて俺から言わせてくれ」

 目が眩み、自分の鼓動で耳がふさがれそうだった。
 それでも力を振り絞って、○○は口を開く。

「離れた方が幸せだとか、そんなんじゃなくて。
 幸せになるのも不幸になるのも、ずっと一緒に。二人で、どこまでも一緒に行こう」

 言葉は返ってこなかった。
 今度は文の方から○○にしがみつくように、二人の唇が重ねられた。



 ふいに、○○の腕にかかる重みが増した。
 
「――文?」

 文の身体からは力が抜けきっているが、呼吸の音も、鼓動も、確かに伝わってくる。
 博麗神社まで飛んできて、弾幕ごっこを繰り広げ、スキマを突き抜けてここまで来たところで、気力も体力も限界だったのだろう。
 安心しきった顔で、文は眠っていた。
 ○○は優しく微笑み、閉じた目の端に残る涙をそっと拭ってやった。

「で、そろそろよろしいかしら?」

 静かに響いた声が、幸福な時間の終わりを告げる。
 声のした方に向けた視線の先に、○○は紫の姿を認める。
 全身に緊張が走る中、微かな機械音が聞こえた。





「もう一度訊くけれど」

 文をそっと地面に横たえ、立ち上がった○○に紫が語りかけてくる。
 藍はついてこなかったのか、○○から10メートルほど離れたところに一人立つ紫は、親しげな、それでいて信用できない笑顔を見せている。
 対峙する○○の背を、冷や汗が伝った。

「せっかく元いた世界にいることだし、このまま別れた方が幸せなのではなくて?」
「……もう、その手には乗りませんよ」

 目をそらしたくなる気持ちを必死で押しとどめ、○○はかろうじて毅然と言い返す。

「文と、二人で決めました。俺も文も離れるつもりはありません」
「そう。それは残念ね」

 さほど残念ではなさそうな声でそう言うと、紫は右手を上げた。
 
「言っておくけれど、『大人しく別れる』じゃない方の選択肢は『別れない』ではないの」

 圧迫感に耐えて脚を踏みしめ、○○は立ち続けている。
 気を抜けば、その場にくずおれてしまいそうだ。

「――『力ずくで引き離される』よ」

 紫が差し上げた右手の指を音高く鳴らすと同時に光が辺りを包み、○○は思わず目を閉じる。
 一瞬後に開いた目に飛び込んできたのは、三人のいる場所を取り囲むように現れた白く光る結界の輪だった。

「これは……」
「ただの目印みたいなものよ。触っても何事もなくすり抜けられる。メインは、こっち」

 手品師のようにもったいぶった動作で紫が指差した先、○○と紫のちょうど中間の位置で、空間が揺れた。
 
「今からそこに、幻想郷に通じるスキマが開くわ。妖怪専用の、ね。
 開ききるまで、そうね……5分。完全に開いたところで結界の中にいる者を全て吸い込むけれど、幻想郷へ送られるのは妖怪だけ」

 にやにやと笑う紫が言うとおり、現れた小さなスキマが少しずつ大きくなっていく。

「フィルターみたいなものね。人間と妖怪を区別して通すか通さないかを決めるの。
 人間は吸い込まれても、外へ弾き出される。……死ぬほどの苦痛を与えられてね。○○程度だったら、ほんとに死んじゃうかもしれないわ」

 詳しい理屈は○○にはよくわからなかったが、
 このままここに立っていれば強制的に文と引き離され、その上悪くすれば自分は命を落とす、ということは理解できた。
 それなら大人しく待っているわけにはいかない。紫はさっき、結界自体は触ってもなんともないと言っていたはずだ。
 
「だめよ」

 いちかばちか、横たわっている文を抱えて結界の外に駆け出そうと踏み出した一歩を、○○は慌てて引っ込める。
 一瞬遅れて、紫の放った針のような弾が足を置こうとした場所に穴を開けていた。
 もう少し遅ければ穴が開いていたのは地面ではなく足の方だったかと思うと、○○は背筋が寒くなった。

「大人しく一人で逃げるなら見逃してあげるけれど、彼女には近づかせないわ。
 ……ほらほら、もう後4分よ。死に別れになるよりは、別れ別れでも二人とも生きてた方がいいんじゃないかしら?
 誰だって死にたくはないんだし、彼女もわかってくれると思うけれど」
  
 一理あるようにも聞こえるが、とても承服できる案ではない。
 どこまでも一緒にと誓った約束は、既に○○の胸に固く刻み込まれている。
 ここで、はいそうですかと退くわけにはいかない。じりじりと紫の方に近づく。

「逃げないの?死んでも離れない、ということかしら?」
「そうでもないです。俺がどうなるにしろ二人だけで幻想郷に行かれたら、
 紫さん、向こうに着いてから文に何を吹きこむかわからないですし」
「失礼ねえ……後3分ね。それはつまり」

 紫から伝わる威圧感が膨れ上がる。

「まだ二人で逃げるのをあきらめてない、ということかしら?」
「……ええ」
「後ろに隠しているのも、何かそのためのもの?」

 ○○はぎくりとした。慎重に隠していたつもりだったが、見破られていたらしい。

「もしかしてさっきのカメラ?それなら無駄なことよ。
 カメラを構えて弾を消しながら、意識のない女性一人抱えて逃げるのはどう考えても無理ね」

 答えを返す余裕はない。
 足元を踏みしめ、震える手を背後に回し、○○が取りだしたのは一枚の紙のようなものだった。

「それは……」

 胡散臭いながらも一応笑顔を見せていた紫が、顔をしかめた。

「○○、貴方弾幕はできないはずよね。
 ……まさかスペルカードとか言わないわよね?」

 言いませんよ。そうだったらいいなとは思わなくもないですが。
 そんな軽口を叩いてやりたかったが、口を開くと力が抜けてしまいそうで、○○は黙っていた。
 黙ったまま、手にしたものを目の前に掲げる。

「後2分。その紙切れで何をするつもりなのかしら」

 正直なところ、うまくいくという確信は持てない。根拠は「こうすればこうなるのではないか」という想像だけだ。
 だが今は、それ以外に事態を打開する方法が思いつかなかった。
 裏返して、表を紫の方に向ける。
 それが何であるかを紫が認識するより先に、勢いよく引き裂いた。

 ――次の瞬間、色とりどりの閃光が辺りを染めた。
 一瞬見えた紫の驚いた顔に背を向け、○○は文の方へ走る。

「えいっ!」

 屈みこみ、首の後ろと膝の裏に手を差し入れると、勢いよく文の身体を持ち上げる。
 さほど重くはなかったが、それでも重心が前に傾いてよろけそうになる。 
 なんとか体勢を立て直し、前に向かって駆け出した。



 それは先ほど文が撮った、紫の弾幕を写した写真だった。
 紫の声が聞こえた時、ちょうどカメラから吐き出されたのを取っておいたものだ。

『撮影した弾幕は傍から見ると消えたように見えますが、写真の中にちゃんとあります』

 写真を見て思い出した文の言葉に、中にあるのなら取り出すことはできないだろうかという考えが浮かんだ。

『まあ、お札に封じこめるようなものだと考えてもらえばわかりやすいでしょうかね』
 
 お札に封印したもの――写真の中の弾幕を解放する方法。
 昔話などにおいてお札で封印しているものを解き放つ方法といえば、思いつくのはお札を破るか、はがすか。
 意味合いの微妙な違いはこの際気にしていられなかった。
 うまく思惑どおりになったとしても、所詮は弾幕ごっこの弾。
 当たったところで即再起不能になるような深刻なものではないだろうし、そんなことがしたいわけではなかった。
 ただ、文を抱えて結界の外へ、あわよくばもっと遠くまで逃げるための目くらましになってくれればと思ってしたことだったのだが――

 果たして写真の中に取り込まれていた紫の弾幕は、紫自身に向けて解き放たれていた。 
 突然の強い光に加え、ただの人間に自分の放った弾幕をぶつけられるという事態は、予想以上に紫を驚かせたらしい。
 地面に当たった弾が巻き上げた土や枯れ葉も手伝って、
 ○○のとった行動は、期待したよりはるかに優秀な目くらましとして機能したようだった。



 とにかくこの場を離れなければという一心で、○○は文を抱えて無我夢中で走る。
 目の前に迫る白い結界が、ゴールテープのようだ。

(あと三歩、あと二歩、一歩……)
「よし越えたっ!!」

 感触らしい感触もなく、○○の身体は結界をすり抜けていた。
 ひとまず危機を乗り越えたが、まだ安心することはできない。視界が回復すれば、また紫が追いかけてくるだろう。
 ○○は、足を止めずにとにかく前へ走り続けようとした。

「あっ」

 それでもやはり結界を越えたことで油断が生じたのか、しばらく走ったところで不意に何かに足を取られた。
 宙に浮いた身体を、文を落としたくない一心でとっさに捻る。
 普段なら絶対うまくいかない急な動作だったが、なんとか自分をクッションにして文をかばうことができた。
 ――が、代わりに背中をしたたかに地面に打ちつけてしまった。

「……痛ぁ」
「…………うーん……」

 衝撃で目を覚ました文が声を上げた。
 少しの間事態が飲み込めずにいたようだが、○○に抱えられている自分と下敷きになるように倒れている○○に気付くと、慌てて身を起こす。

「○○さん!大丈夫ですか!」
「……あ、うん、大丈夫、だと思う」
「今下ります……立てますか?」

 隣に膝をついた文が心配そうに見守る中、○○は立ち上がろうとする。

「痛っ」
「○○さん!」

 上体を起こすまでは問題なかったが、立とうとして力を入れた足に痛みが走る。さっきつまずいた方の足だ。 

「……捻ったかな。まずいな」
「何があったんです?……もしかして、紫さんが」
「そうだ、くそ、早く逃げないと――」

 言いかけた○○の耳に、足音が聞こえてきた。
 さっきまで、二人がいた方からだ。
 
「――文、俺を抱えて飛べる?」
「……まだ、無理そうです」
「走れる?」
「難しいです……ついでに言えば、戦うのも」
「……そっか」
  
 ふう、と、○○は息をつく。
 見合わせた二人の顔に困ったような微笑が浮かび、手と手がしっかりとつながれた。
 
「離さないで、くださいね」
「ああ、もちろん」

 足音はゆっくりと近づいてくる。
 やがて二人が見つめる先、木々の間の暗がりから紫が姿を現した。 



「お待たせ」

 座り込んだ二人に向かって、紫の声が投げかけられる。
 
「避けるの大変だったわ。自分の弾幕を味わうなんてそうそうない経験ね」

 そうは言うものの、紫にはかすり傷どころか、服の乱れ一つなかった。
 発せられる威圧感は少し前に対峙していた時と変わらない。
 だが文の手を握っているだけで、○○は心を強く保てる気がした。

「さて、お二人さん?覚悟はできているかしら」

 頷くことも、答えを返すことも二人はしなかった。
 視線をそらさず、お互いの手をぎゅっと強く握りしめる。
 紫の目の前、頭より数センチ高い位置にスキマが開いた。
 伸ばした手を下からそのスキマに差し入れると、紫はにやりと笑い、









「――おめでとう。貴方達の勝ちよ」








 勢いよく引き下ろした。








「あの結界の中で時間切れまで逃げださなかったら、そこでOKにする予定だったのだけど」

 文に支えられて立っている○○と、彼の痛めた足の側に立って支えている文、そして二人と向き合う紫。
 三人の間に、先ほどまでのような緊張感は漂っていない。
 ただ、ころころと笑う紫とは対照的に、文は渋い顔をしている。

 スキマから引き出された紫の手には紐が握られており、スキマからは紙吹雪とともに「よくできました」と書かれた垂れ幕が落ちてきた。
 あっけにとられ、どういうことなのかと問い詰める二人に紫から返ってきたのは、もう別れさせようとはしないという答えだった。
 騙しているのではないのかと何度も念を押し、ようやく嘘ではないらしいとわかったところで○○はほっとしたが、文はまだ納得がいかない様子だった。

「あんな手段で結界の外まで逃げられるとは思わなかったわ。花丸付きで合格ってところね」
「じゃあなんですか。私と○○さんを試していたとでも言うつもりですか?」

 そう言って文は紫に食ってかかる。

「試していただなんて……山からの依頼に乗って人間と妖怪のカップルを別れさせるために暗躍することになったけれど、
 二人がそれでも負けずに添い遂げようとするなら、別れさせるのはやめにしようと思っていただけですわ」
「それを試してるって言うんです!」
「まあいいじゃないの、二人の絆も深まったようだし。ねえ○○」
「えっ、いや、そのなんというか」

 急に自分に話が回ってきて戸惑う○○とまだ不機嫌な文をよそに、紫は宙に浮かべたスキマに腰を下ろした。

「……ともかく、○○。貴方は山の思惑に抗い、私の揺さぶりにも負けなかった。最後は、予想の少し上をいく活躍までして、ね」

 優しく慈しむように紫は言った。
 少なくとも○○は、そこにいつものような裏側や胡散臭さを感じなかった。

「おとぎ話の昔から、妖怪に勝った人間にはごほうびがあるものよ。私も、貴方にごほうびをあげるわ」
「ごほうび……?」
「今回のあれこれについてのお詫びも兼ねてかしらね。
 貴方達二人がどこで生きていくにしても、私はそれがうまくいくように手助けをしてあげましょう。外の世界であれ、幻想郷であれ」

 最後の言葉はわずかに文の心に触れたらしく、抱えられている腕に微かな震えが伝わるのを、○○は感じた。 
 
「もう、そういうことは話し合ったのかしら?まだなら、今すぐ答えなくてもいいけれど……」
「○○さん」
「――文?」
「○○さんが、決めてください。私は、貴方に付いていきます」

 迷いのない瞳が、○○を見つめる。
 頷いて紫の方に向き直る○○もまた、迷いはなかった。

「もう、決めてるんです。俺は、幻想郷で生きていきます」
「……○○さん、それでいいんですか?」
「元々そのつもりだったけれど、博麗神社へ飛んできてくれた文を見て改めて思ったんです。
 文が自由に飛べる空の下で、一緒に生きていきたいって」
「○○さん……」

 ○○の言葉を黙って聞いていた紫は、微笑んで頷いた。

「よろしい。それじゃ、これからの明るい幻想郷生活のために、まずは記念写真を撮りましょうか」
「……え?」
「何を言ってるんです?」
「いいからいいから。カメラ貸してくれるかしら?普通の写真を撮ることもできるんでしょう?」
「……いいですけど」

 半ば押し切られるように、文はカメラを渡した。

「ここを押せばいいのかしら?天狗のカメラって外のと違って今一つ手になじまないのよねえ」
「壊さないで下さいよ」

 大丈夫大丈夫、と笑いながら、紫はファインダーを覗き込んだ。
 
「はい、二人とも笑ってー」

 文とお互いの肩を抱き合い、○○はレンズに向かって笑顔を見せた。

「ほら、文も笑って」
「……まだ何か企んでるような気がするんですよね」

 文はまだ腑に落ちないことがあるようだったが、思い直したように笑顔を見せ、○○に自分の身体を押しつけた。

(帰ろう)

 ○○は、文に触れているところから温もりと安らぎが心と広がるのを感じていた。

(幻想郷に、帰ろう)

 文と出会った場所。文と生きていく場所。
 幻想郷は既に、○○にとって第二の故郷だった。  
 
「撮るわよー、3、2、1、はい!」

 白い光が、二人を祝福するように包んだ。
 



──────────────────────




 ○○と文が外の世界へのスキマを潜った、翌朝。



「……百の言葉を重ねるより、一つの苦難を一緒に越えることで癒される不安もあるのよね」

 博麗神社の石段に腰かけ、ぼんやりと山の方を眺めながら紫が言った。

「そうですね」
「恋ってそういうものなのよ」
「おや紫様、経験がおありなんですか?」

 箒を動かす手を止めた藍は、ことさらに白々しい声を返した。

「……人がせっかくいい話をしてるんだから、水を差さないの」
「いい話も結構ですけど、紫様も少しは手伝ってくださいよ」

 神社で勝手に弾幕ごっこを繰り広げたかどで、紫と藍は宴会から帰ってきた霊夢にたっぷりと叱られた。
 罰として境内の掃除をするよう言いつけられたのは二人ともだったはずだが、実際働いているのは今のところ藍だけだ。

「ところで藍、手筈通りに進んでいるかしら?」
「ええ、言いつけどおり、あの写真は妖怪の山の中に落としておきました。二人はマヨヒガで休ませてます」
「よろしい」
「……本当によろしいのですか?」
 
 咎めるような言葉とは裏腹に、穏やかな声で藍は尋ねる。
 わかりきった答えをあえて確認するためのその問いに、紫は大きく頷いてくれた。

「いいのよ。このままだと状況そのものは改善されないし、何より帰りづらいでしょうから。
 ○○にも約束したことだし、アフターケアまできちんとしてあげないとね。私の権威なんて瑣末なことよ」
「……もし○○達の行動が眼鏡にかなわなかったら、本当に別れさせるつもりだったんですか?」
「さあてね。でももしその程度なら、いつかは何かに負けてしまったと思うけれど。
 少なくとも私は、二人にその価値があるなら応援すると初めから決めていたし、この結果を望ましいと思うわ」

 背を向けているためにその表情は見えないが、藍は主がいつもの人の悪い笑みを浮かべている気がした。 

「あの書状を送った天狗は、こんなことになるとは思わなかったでしょうね」
「私に思い通りの役をやらせようなんて、数千年は早いのよ。それにね」

 振り向いた紫の表情は、藍の想像よりも幾分優しさが混じっているようだった。
 その肩越しに、山の方角からいくつもの影が飛んでくるのが見える。

「たまにはいいものよ。悪役を買って出るのも」

 服の裾を払いながら、紫が立ち上がる。

「それから、恋人達を助ける良い魔法使いの役をやるのも、ね」

 近づくにつれ、影達は一様に黒い翼を持っているのが見て取れた。

「さあ、記者会見の時間ですわ。これが済めば、後は山の神様辺りがうまく動いてくれるでしょう」





 ○○と文が外の世界へのスキマを潜った、三日後。



「よっし、ウノ!」
「なんだ、またかい」
「今日は強いですね諏訪子様」

 日が落ちた神社の外とは対照的に、守矢神社の居間は明るい文明の光で照らされている。
 外の世界から持ってきたカードゲームに興じていた3人の耳に、古めかしい電話のベルが飛び込んできた。

「……来たわね」

 手持ちの札をちゃぶ台に伏せ、神奈子がすっくと立ち上がる。

「神奈子様、がんばってくださいね」
「うまいこと頼むよー」

 黙ってOKサインを出すと、神奈子は壁際の電話台に置かれた黒電話の受話器を取る。
 一見ただの電話機だが、河童の技術で改造されたそれは、山の天狗と守矢神社をつなぐホットラインだった。

「ああ、私だ」

 外向きの威厳ある声で、神奈子が受話器の向こうに話しかけた。

「――まあ、こんなのが出回っちゃえば、電話の一つもかけたくなるよねえ」

 卓袱台の隅に積んであった新聞を何部か手に取り、ぱらぱらと眺めながら諏訪子がつぶやく。
 人里で配られていたのを早苗が集めて持ち帰ったものだ。

 山のようにある新聞は一部一部が違った名前で、それぞれ別の鴉天狗の手になるものだとわかる。
 ある程度関係者への取材に基づいて書かれたものから、一の情報を百に膨らませたようなものまで、質も量も様々な記事。
 それらは、全て同じ内容を扱っている。
 『特報!スキマ妖怪に勝利した人間!』『人間と鴉天狗、恋路の果てに』『八雲紫氏語る「愛の力に負けた」』等々。
 ○○と文の交際のこと、○○が紫に「勝った」こと、そして笑顔を見せる○○と文の写真が紙面を飾っていた。

「『八雲紫氏(年齢不詳)への取材によれば、○○(××歳)、射命丸文(××××歳)両氏は近日中に幻想郷へ帰還するとのこと。
 山の中で発見された写真から突き止めたこの事件について得られた情報は限られており、本紙では両氏の帰還を確認次第、取材を敢行する予定』……ですか」
「人間と天狗のカップルは歓迎できないけど、これだけネタになるなら割り切ってネタにしようってことになったんだろうね」

 新聞がばら撒かれるにつれ、○○と文、二人の種族を超えた関係は、山の上層部の意に反してどんどん知れ渡っていくことになる。
 二人が戻ってきて、人里にいる○○に取材が殺到するようになればなおさらだ。
 そうなる前に救援要請が来るとしたら、既にこの件に関わっている守矢神社。
 記事を見た神奈子と諏訪子のそんな読みは、的中したようだ。

「……言っておくがうちにそこまでしてやる義理はない。そもそも何日か前のあれも……
 ……協力しないというわけじゃあないけどね。こちらも条件を……
 ……嫌ならそこまで。だいたいあれだけやってしくじったものを、今さら……
 ……よろしい。後はこちらで対処しといてやるよ。じゃあ、これで切る」

 切れ切れに聞こえていた通話はどうやら終わったらしく、受話器を置く音が響いた。

「……どうでした?」
「ばっちりだ。○○の身柄は守矢神社の預かりとして山に移す。
 人里に置いておいて、里の人間の目に騒ぎが晒されるよりはずいぶんましだろう。
 第三者として協力する代わりに、これ以上あの二人には手出しをさせない約束も取り付けた」

 どっこいしょ、と腰を下ろし、神奈子は早苗の差し出したお茶を飲み干した。

「よかったです……」
「マヨヒガにも連絡を取らないとね。さて、続きをやろうか。――ほい諏訪子、4枚引きな」
「あーうー!?」





 ○○と文が外の世界へのスキマを潜った、5日後。



 今朝がた、二人がスキマ経由でマヨヒガから守矢神社へ移動する前。
 山に戻ることに不安を感じていた文に、紫はこの数日間に発行された天狗の新聞を差し出した。
 読み進めた二人が驚き困惑したのも無理はない。知らない間に自分達の話題が紙面を派手に飾っているのだ。
 特に○○は、自分が『紫に勝った人間』として扱われていることに頭を抱えた。
 実際のところは紫を出し抜いたとも言えない、精々ほんの少し驚かせた程度だと思っていたのに、とんでもないところまで話が膨らんでいる。
 いささか気まずくなって恐る恐る顔を上げたが、紫はにやにやと笑っているだけだった。
 何とかならないかと考えてはみたものの、もはや自然に収まるのを待つ以外、解決策が見つからない。
 どんな混乱が待っているかを想像すると、○○は気が重くなった。

 とはいうものの、この状況下なら○○はある意味好意的に山に受け入れられそうだし、文もなんだかんだで元の生活に戻れそうではある。
 紫達に礼を述べると、若干の安堵と新たに湧きあがる不安を胸に、二人はスキマを潜った。


 
 そして現在。

「あの写真はこのためのものだったんですね……」
「そろそろ落ち着いたかな」
「甘いです○○さん。記者の執念というのはこんなものでは済みませんよ」
「まだ続くんだ……」
「……まあ、歓迎されてると言えなくもないですけど」
 
 守矢神社の面々へのあいさつも済ませ、一度家に戻るという文に○○も付いてきている。
 取材攻勢から守るため一緒に行くという早苗の申し出を、さすがにそこまでしてもらっては申し訳ないと断り、目立つのを避けるために空を飛ばず歩いて数十分。
 距離はそう遠くなかったのだが、目的地に近付いた二人の足取りには、少し疲れが見える。
 深々とため息をついた文の背中を、○○は励ましの気持ちを込めて軽くたたいた。

 天狗の新聞記者達による襲撃は、しばらく前から続いていた。
 取材を名目としてはいるのだが、その勢いは○○が一瞬生命の危険を感じたほどである。
 異変の時の妖精もかくやという量をなんとかさばき、ようやく小休止したところなのが、まだ油断はできないらしい。



「あ、帰ってきた」
「どうでした?……そうですか、やっぱり家の周りにはたくさん待ち伏せているみたいですね」

 偵察に飛んでいた鴉が戻ってきた。文が時折連れている、○○とも面識のある鴉だ。
 守矢神社に着いた二人の元へ真っ先に飛んできて、定位置である文の肩に止まったままここまで付いてきた。
 ところどころに怪我の跡が見られたが、文曰く理由は話してくれないらしい。

「ありがとう、助かりました。帰って休んでいいですよ」

 ねぐらに向かうのか、文の労いに一声鳴いて応え、鴉が飛び立つ。その姿に○○は、心なしか誇らしげなものを感じた。

「……もう、余計なこと言わなくていいのに」
「余計なこと?」
「『後は二人水入らずで』だそうです。全く……」

 そう言いながら調子を確かめるように肩を回すと、文は手に葉団扇を握った。

「さてと。○○さん、ちょっと待っててくださいね。軽く掃除をしてきますから」
「ん、気をつけて」
「大丈夫ですよ」

 ウインクを添えてそう言うと、文は前方に一人歩いていく。
 その姿が見えなくなって数秒後。
 
「……わあ、ずいぶんいたなあ」

 轟音と共に巻き起こった竜巻に黒い翼のある人影がいくつも飛ばされていくのを、○○はぼんやりと見上げていた。





「さ、どうぞ」

 先に鍵を開けて中に入った文に招き入れられて、家の中に足を踏み入れる。

「おじゃましまーす」
「ふふ、男の人を家に上げるのって初めてな気がしますよ」

 ○○にとっても、恋愛関係にある女性の家に上がるのは初めてだ。
 文が初めての恋人なのだから、当然と言えば当然である。

「あやや、やっぱりちょっと寒いですね」
「何日も家空けると、まだこの時期は冷えるよね」
「待っててくださいね、今炬燵に火を入れますから」
「何か手伝えることある?」
「いえいえ、大丈夫です。まあくつろいでてくださいな」

 任せきりにしておくのも申し訳ない気がしたが、
 ○○の家に来た時の文と違い、初めてこの家を訪れる○○では、勝手知ったる、というわけにもいかない。
 炬燵の支度をしている文を待ちながら、○○は所在なげに部屋の中を見回した。
 ……○○の住んでいる家と同じか、少し広いぐらいだろう。
 原稿書き用と思しいデスクの周りに雑然と資料が積まれているのを除けば、概ねこざっぱりと片付いている。

「?」

 壁に掛けられた板が○○の目を引いた。
 よく見ると、たくさんの写真がピンで留められている。
 ○○はそれらが全て自分の写真であることに気付いた。

「……普段会えない時は、その写真を見てるんですよ」

 視線の先に気付いた文のはにかむような言葉に、○○は赤面した。






「あれ、何ですかそれ?」

 ○○が取りだしたものを見て、文が声を上げる。
 独り暮らし用の炬燵は二人で入ると意外に狭く、布団の下で膝と膝が触れ合っている。

「ああ、これ?」

 天板の上に広げられたのは、数枚の真っ白な便箋だった。
 
「外の世界にいる両親に手紙を出せないか、紫さんに頼んでみたら、一式くれたんだ」
「手紙、ですか」
「うん。一度無事を伝えておこうと思って。書いたら届けてくれるってさ」

 ペンを執ると、○○はしばらく会っていない両親への便りを綴り始めた。
 横では文が見守るように覗き込んでいる。

「『まずは、色々置いたままいなくなってしまい、迷惑と心配をかけてすみませんでした。本当に申し訳ないです』と」
「心配なさってるでしょうね」
「行方不明扱いなんだろうなあ……消息がわかってるより落ち着かない思いをさせてる気がする。
 『詳しく説明できませんが、生きています。帰れないこともなかったのですが、色々考えた末にこちらで生きていくことにしました。
  一応、外国ではありません。遠いような近いような感じで、自然が豊かで美しく、とても良い土地です。不孝かとは思いますが、お許しください』」

 一度手を休め、少し文の顔を眺め、また続きを書き始める。

「『まさかと思うかもしれませんが、こちらに来てから恋人ができました。とても幸せに暮らしています』……と。
 これ書いておけば大体のことは大目に見てもらえそうな気がするな。まあ、それはそれで何だか複雑な気もするけど」
「……どんな方なんですか、その、ええと――」
「ん?うちの両親?」
「え、えと」

 文はしばらく言いあぐねていたようだったが、やがて赤くなった顔を俯かせ、口を開いた。

「お義父さん、と、お義母さん、は……」
「――あ、ああ」

 少しの間考えて、それがどんな風に表記される言葉なのかに思い当たると、○○は急に気恥ずかしさが溢れてきた。

「ああ、そう、まあ、普通だと思うよ。そんなに頭が硬いとかいうこともないし」

 早口になりながら答える間も、顔が熱い。 

「……もしいつかお会いできることがあったら、その時はちゃんと私のこと紹介してくださいね?」
「ああ、もちろん」

 頷く○○に、文の顔が綻ぶ。
 

 


「『それでは、どうか身体に気をつけてお過ごしください   ○○』……よし、できた」

 白紙の便箋を一枚添えて畳み、封筒に入れているところで呼び鈴が鳴った。

「また取材かな」
「あらかた吹き飛ばしたはずなんですけどねー……はーい」

 少し警戒しながら、文が玄関の方に向かう。
 慎重に扉の向こうと二言三言言葉を交わしていたが、緊張はすぐに解けたようだ。
 扉が開くと同時に、白くてもふもふしたものが飛び込んでくる。

「文さぁーん!」

 顔から飛び込むように、椛が文の胸に抱きついた。尻尾がちぎれんばかりに振られている。

「文さん、帰ってこれたんですね!良か、う、ぐずっ、よがっだですよう」
「ああほらもう、椛ったら泣かないの。○○さんあきれてるわよ?」

 言われて我に返った椛と、○○の目が合う。
 椛は照れくさそうに、袖口でごしごしと目元を拭った。

「あの、もしかしてお邪魔でした?」
「いやいや、そんなことないよ。文が助けてもらったんだって?ありがとうな」
「いえ、私は自分がしたいようにしただけですから……」

 感謝の言葉に落ち着かない様子で頭を掻きながらも、椛は嬉しそうだ。

「そういえば椛、貴女は大丈夫だったの?私はとりあえず不問に付されたみたいだけど――」
「あ、私もです、なんだかうやむやになっちゃったみたいで。
 今も仕事の帰りで、文さんと○○さんが帰ってきたらしいって聞いて、ちょっと寄ってみたんですよ」

 にこにこと笑う椛を見て、文がほっとしたような表情を浮かべる。

「でもお二人とも元気そうで安心しました。じゃあ、私はこれで……」
「ああ、ちょっと待って椛」

 文は奥からカメラを持ってくると、それを椛に手渡した。

「○○さんのご両親宛の手紙と一緒に写真を送ろうと思って。悪いけど、シャッター押してくれる?」
「いいですよ。じゃあ、えと」
「ここに座るんで、お願いするわ。さ、○○さんも。文字だけよりもきっと喜んでくれますよ」
「……新聞に載ってたやつでいいんじゃないかな」
「あ、わかってませんね○○さん。あの時は散々飛び回ってぼろぼろだったじゃないですか。も少しちゃんとした写真を見ていただきたいんですよ」
「そう?……なんか照れるな」
「ささ、座ってくださいな」

 促されるまま、○○は文と並んで正座する。
 履物を脱いで上がってきた椛が、カメラを構える。
 文の腕が、さりげなく○○の腕に絡んだ。

「……薄目にした方がいいですかね?」
「なんで?」
「外の世界には、こういう色した目の人間はあんまりいないんでしょう?変な感じがするかなと」
「気にすることないって。ほら、前見て」
「いいですかー?はい、撮りますよー」

 絡み合う腕を中心に二人の身体がより密着したところで、フラッシュが焚かれた。






「それじゃあ文さん、○○さん、またそのうちに」
「ええ、今度は飲みにでも行きましょう」
「色々お世話になったね」

 玄関を出て、飛び立つ椛を二人で見送る。

「――今回は、ずいぶんたくさんの人に助けられましたね」

 見上げた先に手を振りながら、文が言う。

「そうだな、皆に感謝しないと」

 言いつつ、○○の腕が文の肩に回される。

「でも、俺が一番感謝したいのは、こうして文が俺の隣にいてくれることだよ」
「○○さん……」 

 文は○○の肩に頭を持たせかけると、そっと目を閉じた。

「外の世界に帰りたいって思ったこと、ありました?」

 それは文にとって、ずっと訊けなかった質問だった。
 今さらその答えによって何かが変わるわけではなかったが、それでも訊いておきたかったのだ。

「一番最初は、帰りたいというよりどうすればいいかわからなかったな。帰れるかどうかもわからなかったし。
 残してきたものもあったし、帰らなきゃいけない気がしたことはあるけど」 

 ○○は淀みなく答える。
 少し前なら迷ったかもしれないが、今は確かな答えが胸の内にあった。

「でも文と離れることになると思うと、帰りたくはなかったよ」
「……そうですか」

 安心しきった様子で、文はつぶやいた。○○の肩にかかる重みが少し増す。

「……一度くらい外に行ってもいいかとは思うけど、やっぱりこっちに帰ってきたいな。ここで二人で、一緒に暮らしていきたい」
「私は、○○さんが傍にいてくれるなら、どんなところでも幸せですよ」

 流れるように身体の位置を替え、○○の真正面に回る文。
 ○○の胸に手を添えながら、その潤んだ眼で○○を見上げている。

「これから先二人で過ごす中でどんなことがあるか、わくわくしますね」
「ああ、そうだな」
「……愛してます、○○さん」
「愛してるよ、文」

 温かな風が、二人の髪を撫でていく。
 触れ合った唇から一つに融け合うように、深く口づけが交わされた。  



新ろだ577,637,754,901,977(修正版 新ろだ2-225)
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「○○、ちょっといいかい」
「あ、はい」

 忙しく箒を動かす手を休め、○○は神奈子の声に応える。
 守矢神社の離れに住まわせてもらうようになって数週間、せめてお礼にと手伝い始めた掃除の手際もだいぶ良くなってきていた。
 通い妻よろしくやって来る文と一緒に出かけたり、文の家へ行ったりすることもあるが、そうでない時は大抵こうして境内を掃除している。

「一段落したらでいいから縁側の方に来てくれ、話したいことがあるから」

 そう言って神奈子は奥へと去っていく。
 何事だろうと思いながら、○○は再び春先の土埃と格闘し始めた。





「神奈子様、さっきの……お?」
「やあ盟友」
「来たか、まあ座りなさいな」

 掃除を終えた○○を待っていたのは神奈子と、何度か会ったことのある河童のにとりだった。
 早苗や諏訪子は出かけているらしい。  
 
「実は、○○にモニターを頼もうと思ってね」

 腰を下ろした○○に、神奈子が切り出す。

「モニター……ですか?」
「そう。間欠泉地下センターから電力を供給するめどが付いたから、外の世界にあるような電化製品を色々再現していこうと思うんだ。
 ついては、外の世界出身の○○にも試作品について意見をもらいたい」
「試作品はいただいた資料を参考に私が作るんだよ。
 そこから意見を集約して、改良に改良を重ねていくのさ!」
 
 えっへん、と胸を張り、にとりはいくつもあるポケットの一つから紙を取り出した。

「とりあえず今作ってるのがこれだよ、『でんしれんじ』ってやつ」
「…………?」

 紙に描かれた完成予想図と、上の方に書いてある『電子レンジ』の文字がうまくかみ合わない。
 少なくとも外の世界で使っていた電子レンジには、砲身は付いていなかったはずだ。

「あれ、少し違ったかな?『まいくろうぇーぶ』で食べものをあっためたり、キャノン砲を撃ったりする機械でしょ?」
「キャノン砲?」
「早苗にも資料を作ってもらったんだけど、ところどころ趣味が入ってるようでね。他にも――」
「……あ、で、でもあの離れって、コンセントはなかったような。増設するんですか?」

 ここでそれ以上話を掘り下げるのに不安を感じて、○○は話題を切り替える。

「いや、一軒それ用の家を建てて、色々詰め込むつもりだよ。
 そこに住んで、暮らしの中で実際に使った感想なんかを聞かせてくれればいい」

 大がかりな改装工事でもするのか、と思っていた○○だったが、返ってきたのはさらにスケールの大きい答えだった。

「それはまたずいぶんと景気がいい話ですが……いいんですか?」

 驚く○○に、神奈子は楽しそうに笑った。

「なに、私と諏訪子はそういうの得意だし、気にするほどの手間じゃない。
 それにその方が彼女が来た時に気がねなくイチャつけるだろう?――お、ちょうどよかった」

 頭上から、大きな鳥のような羽音が聞こえてくる。
 ○○にとっては耳になじんだ、幸せな音だ。






「ほうほう、家庭用機械の住み込みモニターですか」

 取材が一段落したので来てみたという文は、話を聞いて興味を持ったようだった。
 ○○のすぐ隣に座り込み、メモを取る手を盛んに動かしている。

「ああ、電気だけで動くものに限るけどね」

 媒体がないから冷蔵庫なんかはだめだね、という神奈子の言葉を○○はなんとなく理解できたが、
 文とにとりにはよくわからなかったらしく、首を傾げている。

「しかしあれですね、発電がうまくいってるということは、彼女ががんばってるということですか」
「ああ、よく働いてくれてるよ」
「私も地下センターで見かけたけど、楽しそうにしてたなあ」
「……?」

 今度は○○が首を傾げる番だった。

「あ、○○会ったことなかったっけ?」
「ほら、地霊殿の空さんですよ、地獄烏の。地下センターの核融合制御は彼女がやってるんですよ」
「ああ、そうなんだ」
 
 言われてみれば冬の終わり頃だったろうか、確かに文々。新聞に載っていたのを見たことがある。
 だが、電力供給にそこまで深く彼女が関わっているとは思わなかった。

「そういえば、会ったことはないなあ。写真は見たけど」
「今度紹介し……いや、やめておきます」
「え、なんで?」

 そう問いかけた○○の腕を、文がぎゅっと抱え込む。

「彼女も私も、多少の違いはあれど同じカラスです。
 私がこんなに○○さんを好きなことを考慮すると、取り合いになってしまうかもしれません」
「おいおい」
「○○さんは浮気なんかしないですし私も取られる気はありませんけど、
 周りに甚大な被害が出そうですからね。もめごとの種はまかないでおきます」
「確かに俺は文一筋だけど……じゃなくて、冗談だよね?」
「……ええ、まあ」

 話していること自体は冗談でも、それにかこつけて送られる愛情は本物だ。
 それがわかっているから、○○は嬉しいと同時に少しこそばゆい。
 
「……うわあ、噂には聞いてたけどアツアツだあ」
「おーい、話、続けてもいいかい」

 当人達以外からしてみれば、少しどころではなかったようだ。
 ○○は慌てて神奈子の方に向き直った。
 






「……いやあ、それにしても」
 
 神奈子の話が一段落したところで、文が口を開く。

「すみませんね神奈子さん、色々お世話になってる上に、○○さんと私の愛の巣を提供していただけるとは」
「いやいや気にすることは……ん、『愛の巣』?」
「○○さんと『私の』……?」
「ええ、○○さんと私は一蓮托生、一心同体ですから!」

 さも当然のように言い放つ文に、神奈子とにとりが顔を見合わせる。

「どうかしましたか?」
「いや、一応モニターで住み込むのは○○一人に頼むつもりだったんだが」
「……ああ、そんなご無体な!」

 大げさに泣き崩れる真似をしていた文が、ふと真顔に返る。
 ○○の方に向き直った目は、少し不安そうに揺れていた。

「あの、○○さん?もしかして、まだ一人暮らしを謳歌したいとか、そういうことは……」
「いや、そんなことないよ。文さえよければその内二人で暮らせるところを探そうかと思ってたけれど」
「よかった、それなら問題ないですね!」

 ○○が即答したことに気を良くしたのか、文の様子は目に見えて明るくなった。

「でも、文は今の家から持ってくるものもあるだろうし、どのみち急に引っ越しってわけにはいかないんじゃないか?」
「私の方で運び出すのはせいぜい、身の回りの品が少しと執筆用のデスクぐらいですから、すぐにでも動けますよ。
 借家というわけでもなし、置いておくものは置いておけばいいんです。後は家主さんの……」

 ちらちらと見つめる視線に、神奈子は愉快そうに笑った。

「いいよ、どのみちこれから家ごと作るところなんだ。
 間取りなんかを直してしまえばいいだけの話だからね。
 別に日限を決めたりはしないから、二人で住むといい」
「……いいんですか?」

 なんとなく申し訳ないような気持ちになって、○○は思わず聞き返してしまう。

「なに、構わないよ。遠慮は無用さ」
「……ありがとうございます」
「ありがとうございます!」
 
 恐縮する○○の声と、元気な文の声が重なった。




「――よし、じゃあ差し当たり寝室と風呂の拡張だな」
 
 にやにやと笑いながら神奈子が言う。

「えっ!?」
「二人で使うんだから、広い方がいいだろう?」

 確かに、一人で住むのと二人で住むのとでは快適に暮らすために必要な広さも変わってくるものだ。
 だが、神奈子の言葉には明らかにそれとは違った意味が含まれている。

「ええと……文、どうかな」
「そうですねえ」
 
 助けを求めるように送られた○○の視線に、文は楽しげに考え込んでいる。

「お風呂はともかく、寝室はそんなに広くなくてもいいですよ。
 布団は一組だけ敷ければいいんです。あ、枕は二つですよ?」

 はっきりした声で文が述べた答は、○○にとってはさらなる追い打ちだったかもしれない。
 
「……うわあ、やっぱりアツアツだあ」

 感心したような声のにとりは、むしろ○○や文よりも恥ずかしそうだ。

「こほん。……あとは家電と、コンセントの位置か。この辺は○○の担当だな」

 神奈子は毒気を抜かれてしまったようで、話を軌道修正した。

「そ、そうですね、とりあえず、食事時に使うから電子レンジは水回りの傍で……」
「ねえ、自爆装置のスイッチはどこにする?」
「いや、いりませんって」

 

 そんな風にどたばたしながらも図面は何とか出来上がり。

「あ、諏訪子様、これはそっちにお願いします」
「あいよー。……別に二人は手伝わなくてもいいんだよ?」
「いえ、住まわせてもらうわけですし」
「私も、鴉のはしくれですからね。ちゃんと巣作りしないと」
「ねえ、対空迎撃用のミサイルランチャーここでいいかな?」
「おい待て、そんなの設計図になかったはずだぞ?」

 さらにどたばたしながら、数週間後。



 ○○が考えていたよりもかなり早く、家は完成した。
 荷物を運び込み、二柱立ち会いの元で電化製品の基本的な試運転も済ませた。
 もう遅い時間なこともあって既に皆帰っており、家の中は○○と文の二人きり。
 片づけもある程度済ませ、居間のちゃぶ台の前に座って一息ついたところだ。
  
「とりあえず、今日からここが我が家、なんだな」
「ええ、私と○○さんのおうちですよ」

 借家以上持家未満といったところか、しばらく電化製品のモニター役を務めるのと引き替えとはいえ、
 一応無期限に居住可能なこの家は、初めての「二人の」家だった。
 そこかしこにコンセントと電化製品があることを除けば、人里で○○が住んでいた家や山にある文の家とそう変わらない。

「………………」
「………………」

 会話が途切れてしまった。
 慌ただしい中であまり考えなかったが、○○にとっては生まれて初めての同棲だ。
 何かの拍子に静かになると、そのことを変に意識してしゃべれなくなってしまう。 
 文も何故か黙っているので、とても静かだ。



 と、そこへ突然蒸気の吹きあがる音が聞こえた。
 とりあえずお湯でも沸かそうと、さっき○○がセットしておいた電気式ポットだ。

「あ、お湯沸いたみたいだよ」

 会話の糸口を逃すまいと、○○が口を開く。

「……うーん、やっぱり早いですね。これが文明の利器ってやつですかね」

 感心したようにそう言う文も、少しほっとしたような顔をしている。
 やはり話題を探そうとしていたのかもしれない。

「使い方、だいたい理解できたとは思うんですけど、わからなくなったら教えてくださいね?」
「うん、わかるところなら。まあ俺にもわからないオリジナル要素とかもあるけど」

 電化製品の取り扱いは、珍しく○○にアドバンテージがある分野だった。
 ちなみに、ポットに山ほど付いていたボタンやつまみはお湯を沸かすに当たっては全く使わずに済んだ。
 いずれは使い方を詳しく聞いておいた方がいいだろう。
 
「お茶でも淹れようか」
「あ、ちょ、ちょっと待ってください」

 文は慌てた様子で立ち上がると、台所の隅から何かを持って戻ってきた。

「――いつ切り出そうか迷ってて、なかなか出せなかったんですけど」

 それは真っ白な磁器でできた、小さな徳利と二つの盃だった。
 水音がしたところをみると、徳利には中身が入っているらしい。

「これは――」
「……その。一緒の家に住むってことは、鴉で言えばツガイなわけですよね」
 
 ほんのり赤く染まった文の顔が、恥ずかしそうに俯く。
 
「まだ、旦那さまとか、お嫁さんとか、そういった関係まではいかないかもしれませんけど。
 でもその、一応、一つのけじめということで用意してみたんですが」
「……固めの盃、ってとこか」

 言葉として口に出したその響きに、○○はなんとなく居住まいを正した。

「よし、やろうか」
「はい!」

 ……とは言うものの、やり方などは全く分からないため、動くに動けない。

「文、作法とかなにか知ってる?」
「…………実を言うと、知りません。○○さんは?」
「いや、俺も全然」

 顔を見合わせて笑ったところで、二人の間にそこはかとなく漂っていた緊張感は程良く解けていた。

「とりあえず注ごうか。まあお一つ」
「あややや、これはどうも」

 徳利を取り、文が手にした盃になみなみと注ぐ。
 盃を満たす透明な液体からは、果物のような爽やかな香りがした。

「いい匂いだね」
「ちょっといいお酒なんですよ。さ、○○さんもどうぞ」
「おっとっと」

 ○○に酒を注ぎ自分の盃を取ると、文は○○の傍に寄ってきた。
 床に盃を置き、向かい合って正座する。
 
「では○○さん」
「ああ」

 文と同時に取り上げた盃を○○はくい、と干した。
 ほのかな甘みと一緒に、熱い酒気がのどから胸へと通り抜けていった。

「……はぁ」

 空の盃を置き、視線を戻す。

「顔赤いですよ、○○さん。お酒きつかったですか?」
「いや、そんなでもないけど……そういう文も赤いよ?」
「……これから一緒に暮らすんだなって思ったら、なんだか」

 照れくさそうに、だが幸せそうに、文が微笑む。

「○○さん、その……今後ともよろしくお願いしますね」
「うん。……こちらこそ、よろしく」

 どちらからともなく顔を近づけていく。
 重ねた唇は、先ほど飲んだ酒よりも甘く、熱かった。



新ろだ2-259
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最終更新:2010年10月24日 00:38