儚恋悲譚
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――そう、信仰は儚き人間の為に。
彼女は小さくそう言うと、柔らかく俺を突き飛ばした。
「また、逢えたら良いね」
悲壮のヒロイン、なんて言葉がぴったりだと思う。
薄らと泣き腫らしただろう、彼女の消えそうな笑顔は、きっと忘れまいと誓える。
鮮烈過ぎる、白熱した閃光が目の前を駆け巡り――
――それっきり、目の前から彼女の姿は掻き消えた。
白く縁取られた彼女のシルエットは、網膜に焼き付いてしばらく離れなかったのに。
……気付いたらもう見えなくなっていた。けど、絶対に忘れない。
もう、ここは幻想郷じゃなかった。
――そう、気付いたのはいつからだったか。別に、彼女とは親しかった訳でもなかったんだけど。
ただ、その質素ながらも惹き付けられるような容貌は、俺以外の男子からもやはり
好評であったものらしい。
その割に彼氏が居たなどと言う話は聴いた事も無く、そうだな、
言うなれば触れ難い大和撫子みたいなモンなんだったと思う。でも、
そう言う色恋沙汰的な意味以外では、普通にそこらの女の子と大差無かった。
……いつからか、その謙虚な横顔を伏せがちにして、時々何かを考え込むかのように
窓から空を眺める。頻繁に、そんな姿を見せるようになったんだ。
彼女、東風谷早苗。何処かの知事みたいな苗字だが、聞く所によると地方の有名な神社の
一人娘らしい。どうも、諏訪だか何だか……あまり、気にした事はない。
釣りをしに、その神社の近くらしい湖に出向いた事はあっても、神社そのものへ
参拝した事は無い。何せ、俺は信仰心、とでも言うのか? とか言うモノはからっきしだし、
仏や墓石へ祈ったり、ましてや胸の前で十字を切ろうなどと思ったことも無いからだ。
一度、その事を早苗さん……いや、早苗に話してみたら、
「駄目です。どんな物にも、いいえ。者にさえも神様は宿る。そう、貴方の体だってそう。
信仰心を忘れちゃ、 神様から見放されてしまいます! だから、
せめて三食きちんと御馳走様くらいは言う事。忘れないように!」
……だったか。そんな台詞を言われた。敬語交じりなのは、あの子の性格を良く表わしているな、
なんて思う。どんな物にも神様は宿る、か。とりあえず、飯くらいはきっちり食べてるつもりだ。
そんな事を言ってのける彼女が落ち込むってのは、一体どういう事なんだろうか。
持ち前の信仰心とやらで、何とかなる問題じゃないのだろうか。
ともあれ、あの時までは何も知らなかった訳だ。
あのまま何も知らぬまま、次の日を迎えてしまえば良かった。
――出来る事なら、知りたくなかった。だけど、知ってしまった。
だから、忘れない。
現在。いつもなら日長寝てる時間だ。早く帰らせてくれ。
放課後、もはや誰も居なくなったがらんどうの教室。
居るのは、俺と早苗さん、だけである。
「掃除当番です」
……なんかのCMの先生みたいに楽しそうだな、君は。
教室ってのは意外に面倒な部類に入る。何せ、机を移動させなきゃならんし、
黒板掃除なんか手が汚れて仕方ない。おまけにゴミ捨てまであると来た。
ま、これは人数居れば楽な仕事なんだが……どうして今日に限って俺と早苗さん
だけなのでしょうか。フラグ? あるいはそういうプレイ?
「そんな嫌そうな顔しないで、ほら」
「……これはアレだぜ、今日休んだ連中に明日倍やらせようぜ……」
「だーめ。そう言う日もありますから」
うぅ、なんというか良いお母さんに成れそうだなこの子は。
でもちょっと俺年頃のオノコだから正直嫌ん成っちゃう。うわぁ、こんな自分が気持ち悪い。
ともあれ、仕事は仕事。さっさと終わらせねば担任辺りに文句を言われる事必至だ。
「んじゃあさっさとやっちまいますか……」
「そうですね。あ、私黒板やりますよ」
「ん。汚れ仕事は俺が」
「いやいや私が」
「いやいや女の子なんだから」
「いやいや私が」
「いやいや俺が」
いやいやいやいや(以下省略)。
良い子すぎるよ……!! まあ、普段なら男子で黒板の取り合いするんだけどな。楽だし。
もう既に机は撤去してあったので、箒をやって貰おうと思ったんだが……。
「仕方ないなぁ。じゃあ、私が箒やるね」
「そ、そうしてくれ」
何とか黒板を譲って(?)貰い、俺は落書きだらけの黒板を拭き始める。何故落書きだらけか?
そんなモン、俺にとっては授業内容も不良の落書きも大差無いってことさ。
分かりたくもない方程式の束をペンチで切るようにぶつ切りに消して行く。
後ろでは、静かに箒を動かす音と、窓の外から響く蝉の声だけが教室を支配していた。
……まるでギャルゲか何か、か。
ま、そんな展開あるはずもないと分かり切ってるんだけど。
「良し、終わった。そっち手伝……?」
とりあえず見える所はすっかり綺麗にし、珍しく働いた自身の勤労意欲に拍手を送りつつ
振り返ると、早苗さんが窓の外を遠い目で、箒を動かそうと言う素振りも無く、ただ眺めていた。
「……早苗、さん?」
返事は、無い。蝉の鳴き声だけが、返事の代わりに焼きつくように響いている。
「早苗さん?」
「はッ!! はいっ、何、何ですか!?」
尾の先を切り落とされた魚類のような反応で、彼女は振り返った。
こう言う反応する子って居ないもんだと思ってたけど、今目の前に居るようだ。
ともあれ、何かに捕らわれていた早苗さんは、俺の一声で現実に引き戻す事が出来たらしい。
「黒板終わったから、箒手伝うよ」
「あ、うん。お願い」
あの目は気のせいで済むものじゃなかった。けど、すぐにいつもの顔に戻った彼女は、
埃を立てぬように先の調子で箒を再び動かし始めた。
まるで、俺の事など目に入っていないように……なんて、思い違いも良い所だよな。
「……あのさ」
「ん? なに?」
あの目は、何だったのか――
そう問おうとして、彼女の真直ぐな瞳に見返されて気圧されてしまう。
「いや、何でもない」
忘れてくれ。そんな風に手を軽く振り、俺は彼女の表情の変遷さえ見ずに振り返り、
空気を読まずに在るだけの塵芥共に制裁を加え始めた。
一歩も歩かぬ内に彼女が言い訳するように呟いたのが聴こえた。
「……別に、何でも無いからね」
「……そか」
……馬鹿だな、そんな事言われたら誰だって気になるだろ。
「……帰り道、一緒だったんだな」
「えぇ。そうですね」
流石にここまでだと作為的な何かを感じる。とは言え、女の子と帰る道のりが
嫌なものだなんて思った事は無いがな。いや、でも相手によるか。
部活とかは無い。俺は帰宅部だが、彼女はどうなんだろう。
一応良家の御令嬢ってトコなんだろうから、何かしら習っていてもおかしくはなさそうだけど。
「そういや、早苗さんは何か習ってたりするの? 部活とかしてないん?」
「うん、家で色々……習い事、かな」
あまり表情が晴れない所を見ると、言いつけでやらされてるのかな、なんて思う。
未来有望に花嫁修業って感じなんだろうか。親御さんも、良い子には育ってるけど注連縄が
キツ過ぎやしないか……なんてな。
「ふむ。じゃあアレか、ピアノとか弾けたりするのか」
「え? あぁ、えと。まあ楽器だったら色々……最近はやってないけど」
「良いなぁ。ピアノとか弾けるのって憧れるんだが」
「そうかな? 結構、慣れると簡単だよ。難しい曲は上手く弾けないけどね」
「俺なんか口笛が良い所だからなぁ。あとは歌とかそんなモン」
「○○さんは歌が上手いと聞いた事が……」
「はは、何処のガセだ」
普通の会話。うん、まあ。普通以上の何も望まんけどさ。
そんな風に会話してたら、さっきのあの悲しげな顔なんて忘れてしまいそうになる。
――でも、あの時は確かに。彼女は此処ではない何処かを見ていた気がする。
流れを断ち切ってしまうのは惜しい。
だけど、ここで聞かなければ二度と聞けないような、そんな気がしたから。
「――なぁ、さっき。どうして外眺めてボーッとしてたんだ?」
「え……と。別に。ただ、蝉が鳴くのもそろそろ終わるのかな、なんて」
まだ、夏は半ばだ。
「そうか。何か悩みがあるんだったら、俺程度で良けりゃ話聞くぜ?」
「え、あのあの。別に、だだだ、大丈夫だから!」
……の割に狼狽し過ぎなんじゃないかなぁ。
ともあれ、話したくもない事を根掘り葉掘り聞くのは男としても人としてもまずいだろう。
「……ま、話したくなったら話すと良い!」
「え、あう。うん」
何だか間の抜けたような反応だなぁ。ホントは聞いて貰いたかった、とかな。
どちらにしろ、彼女に話す気が無いなら俺はこれ以上聞く事も出来ん。
気楽に、いつもと変わらんように接してやりゃ良い。ここ最近良く話すようになっただけだけどな。
「ありがとう、ございます。○○、さん」
予想外に彼女から飛び出した言葉に、俺は少々反応が遅れてしまった。
「……うん、そうだな。先ずはその、敬語を抜いて欲しい。あと、名前のさん付けも」
なんて、つい早苗さんと逆方向に振り返って言う。べ、別に、こっ恥ずかしくなった訳じゃないぞ。
「え? あの、ごめんなさっ」
「違う違う」
向き直り、せめてものの笑顔と共に俺は口を開いた。
「普通に、ありがとう、それで良いんだ。名前もな」
「…………ありがとう、○○」
「応、早苗」
――そん時だったな、本格的に早苗に惚れちまったのは。
それから何事も無く、彼女の憂いを帯びた横顔が晴れることも無く、数日が過ぎた。
そう、それは良く晴れた、茹だるような炎天下の出来事だった。
「……何してん? 暑くないか?」
「……はぇ?」
放課後の教室、太陽が喚く時間は当に過ぎ、かと言って暑くないかと言われれば
教室中の皆が首を横に振るだろう、そんな中。
早苗が、わざわざ陽の当たるポジションに体育座りなんかして眠っていた。
いや、もう起きてると言うか起こしちゃったけど。
「あ、悪い。寝てたのか」
「いえ……あの。えと……」
よいしょ、と小声で立ち上がる早苗。日当たりの良さが抜群な為か、制服のスカートに
引っ付いた埃が良く目立つ。それでも光の中に神々しく彼女が映えるのは、育ちのせいなのか何なのか。
彼女はそんな埃を軽く追い払うと、俺の方に向き直って苦笑した。
「……つい、勉強してたら眠くなっちゃって」
「……そか。随分、目が赤いみたいだけど」
誤魔化すように笑う早苗に、俺はどうにも違和感が拭えずに呻くように言った。
何故って、泣き腫らしたように、いや違う、泣き腫らしたんだろう。彼女の瞼が、薄らと腫れていた。
「え? そう、かな」
ぐしぐしと目元をこする早苗。
何か隠してるんだろう、なんて事は俺でも分かる。だけど、さして親しい訳でもない
俺がそう遠慮無く突っ込んで良い訳でもないだろう……。
……でも、気になるモンは気になる。
「何かあったなら、誰かに相談するなりした方が良いぜ?」
「え……、うん。でもほら、別に何でもないから」
「馬鹿だなお前、泣いてる女の子を放置出来る男なんて居るかって」
「な、泣いてなんか……あう」
俯き加減に押し黙る早苗。勢いで大それた事を言ってしまった気がするが、男としても
これ以上の進展と発展を望むんならこれくらいの積極性があった方が良い、と自分で思った!
「さあ、おじさん聴いてやるから白状しなさい!」
「あはは、何キャラ……あの、○○さ……じゃなかった。○○?」
「うん? 何だ?」
迷うように視線を空に踊らせ、切羽詰ったような小さな声で彼女は呟いた。
「…………君の家、行って良い?」
――我が世の春が来たアアァァァァァァァァァァァ!!!!?
言うなれば、むしろこれは夏だ。我が世の。
俺はどうやら熱に浮かされて、白昼夢でも見ているらしい。
重量級。そう、格闘技の世界でなくとも、評するとすれば彼に似合う言葉はこれが一番だ。
同タイプのキャラクターとは対称的に鈍重なモーション、緩慢な攻撃速度、そして一線を画す破壊力を秘めている。
とは言え、このキャラクターを好んで使う、そして上手く扱える人間ってのも、俺は今まで見た事が無かった。
――今の今までは、だが。
俺の操作する二足歩行のSF狐が、為す術も無くボロ切れにされて行く。
上に逃げれば拳が飛んで来る。下に逃げれば禍々しいオーラをまとった足が飛んで来る。
突っ込んでやろうと思えば、今度は強烈な一撃を顔面にお見舞いされる。
勝てない。何をどう足掻いても、かすり傷を与えてやるのが精一杯だ。
嘘だ、俺は、俺はこれでも自負出来るほどには強いはずだった。勿論、友達に負けた事なんか
本当に指で数える程度しか無かったのに、それを、それを――
「……ハイ、勝ちー!!」
唯、一戦で――破壊した。
「嘘だアアアァァァァァ!!! 俺のF○Xが、俺のF○Xがガノンド○フ如きにイイィィィィィ!!!」
「伏字に成ってないですよ、それ……」
俺の誇りは打ち砕かれた。今となってはこの誇りは埃でしかない。
地元大会二位の俺様を打ち破ったのが、よもやこんな、こんなうら若き美少女戦士だなんて……!!
「認めない!! おぉぉぉお俺は認めないぞォ!!」
「勝ちは勝ち! 負けも負けだよー、だ!!」
――某有名オールスター格闘ゲーム。そいつで和気藹々と出来るほど、俺達は打ち解けていた。
始めは、そうだな。何ともお互い触れ難い空気だった。そりゃ、ゲームみたいにポンポン
シナリオが進んで行くみたいに、仲良く成れれば楽だろうさ。まあ、ゲームみたいに
ゲームで仲良くなった訳なんですけど。
――あ、私これ得意なんだよ。
そう言って彼女が、埃を被ったゲーム機の側から出したのが、前述のアレな訳だ。
勿論、女子供をいたぶるような変質的な趣味はこちとら持ち合わせていない。だから、
ある程度気を抜いて戦ってみるか、なんて思ってしまったのがそもそもの間違いだったんだ。
「フフフ……格の違いを見せ付けてやるわーッ!!」
「あ、アイテム無しで良い?」
「え? あぁ、うん」
「結構慣れてるんだ。あ、CPUレベルは9で大丈夫だよ」
「あ、へぇぁ、うん」
「私はガ○ンドロフー」
「重ッ、いや渋ッ!?」
思えば、この辺で疑っておきゃ良かったんだ――
「もっかい!! 今のはアレだ、コントローラーが何かアレだったんだよ!!」
「またそんな諏訪子様みたいな事を……」
「え?」
「あ、いや何でもない。良いよ、もう一回やろう!」
――幾戦の中に一つとして敗走は無く、ただの一度も傷つけること叶わz……いや、ちょっとは喰らわせたけど。
あのヘビーなオッサンを、俺のスピィーディーな狐で一機しか削れないだなんて、俺は夢でも見ているのか……?!
視界の端に映る、悔しさを増長させてくれる反面ずっと見ていたいと思えるような笑顔。
が、戦場での油断は一瞬でも命取りとなる……ッッ!!
――五度目の爆音と共に現れる、無慈悲なゲームセットの文字。
「……勝てねぇ!! 嘘だアアァァァ!!」
「慣れてるから……えへへ」
何だかすごく嬉しそうだ。学校では見せなかった純粋な笑顔がそこにあった。
……しかし、まさかこんなゲームをやり込んでいるとは思わなかった。もしかしたら、他にも
ゲームやってるんじゃないかな……なんて。物は試しだ、言ってみよう。
「なぁ、これ知ってるか?」
「あ、これ……シリーズで一番好き!!」
「おぉ、分かってくれるか!! アレだよな、海中から飛空挺が飛び立つシーンとかさ……」
「そうそう、あのシーン大好き。今も見ると鳥肌……」
なんてこったい。同志をここに発見してしまったようだ。
ストーリー、音楽、演出、どれを取っても至高。彼女とは意見がしっかりと合致していた。
「序盤で試験のミッションあるじゃないですか。私、あそこでついレベル最大まで上げて
魔法も集めまくっちゃって……」
今度は八作目のアレか。うんうん分かるぞ、あそこは蛙みたいな追跡ロボが強くて……って、待て?
「あそこ一人だけ外れてレベル関係が戻されるんだよな……って、ちょっと待った!! やり過ぎ、やり過ぎだろ!!」
「RPGって、つい攻略本にあるような変な攻略法してみたく成っちゃうんだ……」
……撤回。彼女は俺とは比べ物に成らないヘビーな娘だったようだ。ぼくには とても できない。
「……あ、これ。このゲーム大好き」
「あぁ、俺も好きだなぁ。ゲームシステムが今までに無い感じな所とかさ」
「うん……そうだね」
玄関先は、既に夕暮れの茜色に美しく染まっていた。
いつものように、何も変わる事無いそれは、これからの私の運命を変えてくれるものでもない。
……何だろう、久々に心の底から笑えた。
彼と一緒にゲームしたり、学校の事を話したり、趣味について話したり……刀について熱烈と語る
○○にはちょっと引きそうに成ったけど、ゲームについては私も似たようなものだし……。
誰にも話せない事があったから、学校では誰とも話さなかった。だって、話していたら、
大切な皆と話していたら、尚更別れが辛くなる。
だから、せめて忘れない為に教室を、この目に焼き付ける為に、ずっと残っていた。
馬鹿だな、私。あんな事してたら、誰か来ないはず無いじゃない。
……それとも、誰かが来て、万が一にも有り得るかもしれない、誰かが引き止めてくれるとでも思っていたんだろうか。
案の定○○さんが……そう、彼が来た。
まるで運命のように。彼が来てくれると決まっていたかのように。
私はどうして○○さん……、いいえ、○○と一緒に居るのだろう。
話してると楽しいし、ずっと居たいと思う。
それでも時間は残酷だから、許してくれないから、もう帰らなきゃいけないんだ。
また逢えるかなんて、そんな事考えても仕方ない。
少なくとも今は、まだ向こうに行く時じゃない。
――けれど、必ず行かなきゃいけない所がある。
夕暮れも過ぎ、日が沈むのが早く成りつつある。
御柱が立ち並ぶあの湖が脳裏に浮かび、早く八坂様を、神奈子様をお救いしなければ、
なんて重いプレッシャーじみたものが胃にのしかかる。
あまり気に病まない方が良い。神奈子様からはそう言われているけど……。
この猶予も、思い出をたくさん向こうに持って行く為に下さったものだ。だから、せめて彼と
話していたかったから、なんて……。
馬鹿だな、私。ただ尾を引く辛さを増やしただけじゃない……。
――何で、私なんだろう。
「……○○?」
「ん?」
私の声に、彼は振り返った。
控えめに整った顔は、夕焼けに良く映える。最近話すようになっただけなのに、
彼のことが気になって仕方ない。
声を掛けてくれたから? 一緒に居てくれるから? 趣味が似通ってるから?
分からない、分からないけど……確かなことは在る。
私は現人神で、特別な存在。けれど、彼は普通の人間。
――ただの人である彼に、私を救う事など、私の願いを叶える事など、出来ない。
「私…………」
喉まで出かけた言葉を、蛇のように丸ごと飲み込んだ。
奇跡は、起こらないから奇跡って言うんだ。
私の望んだ勇者様が現れる奇跡なんて、起こる訳が無い。
――でも、光の勇者様は、まだ幻想じゃないよね?
「……うぅん、何でもない。また明日、学校でね」
「ああ。また明日な」
さよなら、なんて言えない。言いたくない。
また明日、そう。きっとまた明日もいつもと同じように繰り返される日々が、待ってるんだ。
……そんな奇跡は、起こらない。
――自分の望んだ奇跡さえ起こせない現人神? そんなモノの、何処が特別なのよ……!!
「早苗」
「え、あっ、何?」
呼び止める声に振り返ると、彼は小さく微笑みながら言った。
「また一緒にゲームやろうな」
「……うん」
――精一杯の笑顔で、応えた。
「……ふぅ。何だろ、あんな娘だとは思わなかったなぁ」
自室に戻りながら一言ぼやく。勿論、良い意味だ。
活き活きとした彼女の笑顔を脳内再生して、つい口の端が歪んでしまう。
いかんいかん、これでは変態ではないか……。
部屋に入り、ベッドに座って一息。最近慣れてしまったはずの一人という状況が、
彼女という存在が欠けただけで何故かまた物悲しいものに成ってしまった気がした。
ふと見れば、長いこと使わなかったゲーム機は何故だか輝きを取り戻したかのように埃が吹き飛び、
これからもしっかり使ってくれ、と言わんばかりに自己主張の光を放っている気がした。
……そうだな、たまには悪友共と久々にゲームをするのも悪くないかな。
夕暮れの明かりに目を細めながら、机の側に立て掛けてある模造刀の手入れでもしようかと
ベッドから立ち上がると、何処からか反射して来る淡い光が目を叩いた。
「眩し……って、あれ。忘れ物か?」
窓辺から差し込んだ茜色の夕日の中に、小さな蛙の髪飾りが落ちていた。
「……意外に子供っぽいよな、コレ。何だろ、随分使い古されてるみたいだし……」
早苗がいつも着けている、まるでワッペンのような蛙の髪飾り。思い出の品か何かなんだろうか、
豪く古ぼけているみたいだが、それでも大事にしている所が窺える。
――明日届けるか? いや、フラグ的に考えてここは今すぐに……!!
……何をニヤニヤしているんだ、俺。
ここ最近感じた事が無かった気分を味わいながら、俺は嬉々と部屋を飛び出した。
「……何だよ、コレ……?」
髪飾りが、握った手の中で小さな音を立てる。
異様過ぎる光景が、幻想的過ぎて現実感が吹っ飛んじまってる光景が、確かに見える。
言うなれば、そう、RPGで言う所の、時空転移だのワープ航法だの波動砲だの、そんな言葉でしか
表現出来ない現象が、空の向こうで起きているのが見える。
俺は確かに早苗の家に向かって、髪飾りを届けに、そして、そして――
――思い出せない。
目の前には、気味の悪いグロテスクな柱みたいなものが立ち並ぶ、巨大な湖が広がっていた。
空に瞬くオーロラなら、綺麗の一言で済んだのに。ビルみたいなものを好き放題打ち立てた湖なんて、
今時SF漫画でも見た事は無い。
……少なくとも、ここは変なのは間違い無い。ずっと居ちゃヤバイ。
『――生ある者が此処へ何をしに来た!!』
「その声はまさかいやそんな事は無いだろ嘘だ俺死んだあああぁぁぁ!?」
「あーうー」
振り返った先に居たのは、珍妙な麦藁帽子のようなものを被った、金髪の女の子。
「……あー、うー?」
「真似するな」
ムッとしたように睨んで来る、身の丈小さな少女。どうにもその格好は現実離れしていて、
妙ちくりんな帽子に合わせるみたいに奇天烈な顔した蛙の刺繍が施されたスカートに、
ダルダルの袖を取って付けたような変テコ極まりない服。
……感想を言うとすれば、それ何のコスプレ?
「一度言ってみたかったのよね、今の台詞。神繋がりで」
「…………えーと? どちら、さま?」
どう返せば良いか分からず、とりあえず浮かんだ質問をそのままぶつけてみる。
「それはこっちの台詞だわね。全く、綻びが出来るなんて早苗らしくもない」
「……さな、え?」
聞き慣れたその名を発した少女に、気付かぬ内に俺は詰め寄っていた。
『……触レルナ小僧。祟リ殺サレタイノカ』
「ッ……?!」
帽子の下から覗く、蛇のようにギラついたおぞましい瞳。
体が、動かない。少女の姿をした『それ』は俺の手を振り払うと、それと同時に俺の手の中から、
握り締めていたはずの髪飾りを容易く抜き取った。
「全く失礼な奴……あー。コレがあったからこっちに来れたワケ、ね……ふーん」
奪われた蛙の髪飾りは、まるで飼い主にじゃれる猫のように少女の周りをフワリフワリと舞う。
……な、何の手品、だ? それにあの眼は、特殊メイクとかそう言う代物じゃない。しかも、
力を入れてたはずなのに、髪飾りが簡単に盗られた。
――人間じゃない……!?
「――で、アンタは早苗の『何』なのかな?」
「ッわ……!!」
近い。吐息がかかるほどに近い距離に詰め寄られているのに、向こうは瞬き一つせず、切れ長の
アーモンドのようなその瞳を真っ直ぐにこちらに向けてくる。
喉の奥が乾いて、上手く声が出ない。冷や汗とも違う嫌な汗が、後から後から滴り落ちる。
何なんだ、何なんだよコイツ。コイツは一体、一体何者……早苗と何の関係があるんだよ……!?
「何にせよ、こんな情けない男が早苗の『何か』である訳でも無さそうね」
――声が、出ない。
「とりあえず要らない子みたいだし……帰って貰おうかな。早苗とちゃんとお別れした?
ま、どうでも良いか。どうせ早苗もアンタも、すぐ忘れるでしょう」
勿体付けるようにその華奢な手を上げ、化物女はケラと笑った。
「……何が、だって?」
体が、動いた。その、訳の分からない事を言っている口を閉ざせ。
「どうせアンタは早苗に忘れられるし、アンタも早苗を忘れる。それが一番幸せ」
――何を言ってる? 撤回しろ、黙れ。
「……お前が何者かなんて知らん。だけどな、お前みたいなのが、早苗の幸せを勝手に決めるな」
ケラ、また化物は笑った。
「ハ、何が? 八百万の神の名も知らず、八百万の恩義も知らず、八百万の祟りも知らず、
無知な人の子風情が、何も知らないただの子供が、あの娘の幸せを語るか」
「もう一度言う、お前が何者かなんざ知らん。だけどな、人様の幸せを勝手に決めるのが神様ってモンなのか」
――それが神だ。
「……そんな神、バラバラになっちまえ」
水底に沈められたかのような寒気が、速やかに俺を包み込んだ気がした。
――↓ここから壮大な蛇足。読み飛ばし可↓――
――稗田阿求の幻想郷妖怪講座、壱の巻!!
※ここでの○○は適当に好きな○○をご想像下さい。
「ええ、そうです。幻想郷の最賢人ことオモイカネブレインも真っ青な歴史探訪追求家、
そう。それがこの私、九代目御阿礼の娘にして絶世美人、月下美人、上白沢もビックリな
美貌を持つ(予定)薄命美人、稗田阿求です。オイ、今あっきゅんっつったヤツ表出ろ。
……けふん。失礼しました。私をあっきゅんと呼んで良いのは○○だけです!!!!
あ、惚気話は良い? これまた失礼を。それでは早速ですが、妖怪講座の方、
始めさせて頂きたいと思います。なおこの放送は、お値段以上、河童巻き☆河城にとり、
幻想郷随一のフリー☆カメラマン、射命丸文さんの提供によりお送り致します。
さて、妖怪に遭遇した時に最も大事なのは身を守ること。これは当然ですが、
やっぱり身を守るだけってのも人間の沽券的に何か腹立たしいものを感じざるを得ないので
今回は妖怪の退治法、と言う観点から妖怪に迫ってみたいと思います。
そこ、カメラの文さん。ほらにとりさんも。嫌そうな顔しないの。スマイルスマイル! 射命丸アゲイン!
えー、妖怪を倒す、と言うのは簡単なようで難しい事です。何せ彼ら、体だけは無闇に丈夫ですし、
殆どが精神資本の存在とは言え、口先八丁で倒せるようなら苦労しないです。そんなんだったら
私、紫様倒してますよ? 口先と言う名の鋭いナイフで十七つくらいに切り刻んでますよ?
まあ、成り立ての妖怪や精神の弱い妖怪なんかには戯言でも有効かもしれません。あんまり
イジメると、逆上して手痛い報復なんかを受けちゃうかもしれないけど。
あ、相手がいくら妖怪でも女の子をイジメるのはナンセンス。女同士なら泥沼の修羅場でしょうが。
……えと、話が逸れました。知っておいて損は無いですけどね、私の話だもの。
妖怪を倒す……完全な意味で滅するには、何か『謂われ』の在る武器で攻撃するのが一番です。
その妖怪自身の精神、あるいは築き上げて来た功績なんかが霞んじゃうくらいに有名な、
それこそ神話や伝承にしか現れないような伝説の武具、これを持って戦うのが最良の手段なのです。
勿論、人間の方々にそんな大層な代物を使えと言っている訳ではありません。名や銘というものには
例え贋作や模造品であろうと、本物を模して造られたのであれば少なからず『言霊』としての力が宿るので、
お遊び程度の戦闘にはこれで問題無いです。能力的な面では真作には到底及びませんが、
弾幕ごっこくらいになら十分使えます。そうですね、存在が曖昧な、強い意志を持っていないすべからく
矮小な存在に対してなら、妖怪や幽霊問わず殺傷用にも成り得るかも。知りませんけど。
それじゃ強い妖怪は完全に倒せないだろうって? あやややや、文さん。仮にも天狗なのですから、
もう少し智慧を深めて頂きたっ、ぃあ、やめっ、ひゃん!! そんな風の使い方して良っ、ひゃうぅ!!?
…………あの、何と言いますか。今の時代、妖怪と生死を賭けて戦う、なんて事は無くなったも同然。
人間側にそんな地球破壊爆弾みたいな武器があっても仕方ないのです。あ、今の爆弾について
詳しくは香霖堂に置いてある青い狸が表紙の漫画を参照して下さい。冷やかしに行ってやって下さい。
えー、つまり。強力な妖怪を倒すのは、神話級の力が無ければ到底不可能、と言う事です。
まあ、悔しかろうがこれが現在の人間と妖怪の関係なんですよね。そこの河童照明切るな。胡瓜食うな。
もう一つある事も無いんですが、その辺は博麗の巫女と寄り合い付けないとダメっぽいです。
霊力的な力場を探し出し、巫女の力と共に場の霊力を借りて妖怪を封印、封殺する。物騒な話のようですが、
札の消費期限が切れれば妖怪は出て来ちゃいますし、力の流れが崩れればやっぱり出て来ちゃいます。
ま、高いお賽銭を払ってあげれば、永遠の力を操ってでもあの巫女は封印し続けてくれそうですが……。
結局、倒すと言うより対等に遊ぶ事しか出来ないんですよね。ですから、
妖怪達とは適度にお祭り騒ぎをして、弾幕ごっこをして、お互い怨恨無く過ごして行くのが一番。
今の時代、弾幕ごっことはまた違う形の人妖模様が出来つつあるようだけど……。
そんな事より○○が私の伴侶に成るに当たっての経緯を(省略)。
えと。
正直な所、妖怪と下手に渡り合おうものなら、一瞬でやられてしまいますから。色々な意味で。
文さん意味深に笑いながら手をわきわきさせないで下さい。にとりさんも何撮ろうとしてるんですか。
それは貴方の仕事じゃなくて文さんの、あっ、や、ちょっ嘘!? やめ、待って待って待ってー!!
……ふえ? 神様の退治、ですか? 神殺しなんて、また随分と大きく出ましたね。
『言霊』が効かない事は無いと思います。存在的には、祀り上げられているか否かの違いだと思いますから――」
――↑ここまで壮絶な蛇足↑――
アー(゚д゚)ウー
――↓ここから凄絶な本編↓――
「…………寒いな」
体がだるい。風邪ん時みたいに、体の節々が痛い。吐き気もするし、頭も痛い。
こめかみを揉みながら起き上がり、丑三つ時を指し示す時計を見ながらため息をつく。
何時に寝たのか記憶に無い。そもそも布団に入った事さえ記憶に無いし、
扇風機だって点けた覚えは無い。なのに、黙々と首を振り続ける扇風機が隣に鎮座していた。
……何か、忘れてる気がする。
宿題だったかな。けど今日は、普通に何も無い日だったし、家でゲームしてただけ……だよな。
何処かの店先で模造刀に見惚れた記憶はあるけど……あれ。出かけたっけ、俺。
そうだ、風邪。風邪引いたんだ……。
何か体に悪い事したっけかな……夏風邪は馬鹿が引くって言うが、まさしくその通りなのか。
寒い。着込む気力が起きない。布団の端に上着があるのに、手を伸ばす気も起きない。
まるで俺以外の誰かが、俺の身体を操ってるような不快な気分。
……あれ。何で俺泣いてるんだ……?
いつの間にか零れ出た涙を拭い、立ち上がる。額に手を当てた感じ熱は無く、
それどころか吐く息さえも冷たいものに成っている気がする。
涙だけがやたら温かかったのに、拭った手からすぐにその温もりは消えてしまった。
消えてしまった、と言うより。何だろう、奪われてしまったかのような――
じわりじわりと体温が下がって行く気がして、布団を羽織るもやはり大差は無い。
だけど、風呂に入ろうなんて思えるほどの元気が出なかった。
……寝れば治るかな。
「あ、そうだ刀の手入れしとこ……」
最近久しく聴かなかった電子音に誘われ居間へ入ると、見慣れたあの帽子が目に入る。
「早苗早苗!! ほら、ほら見てよコレー!! 91階よ91階!! あとちょっと、あとちょっと!!」
「……またですか。それよりほら、外伝やりましょうよ」
「イヤ。エレキ箱とか何なの? 育てるの面倒。私のミシャグジ達の方がずっと便利じゃない。
カエルっぽい仲間は見てて腹立つし、河童は本物とは似ても似つかないし何なのよ!!」
「……はぁ」
そろそろ保証が切れるとか言うゲーム機に嬉々として噛り付きながら、人間の作ったゲームをやり続ける
神様って、正直どうかと思う。確かに私達人間なんかよりずっと寿命も長いし、暇潰しはあるべきだと思うけど、
威厳も何もあったものじゃない。
「あああぁぁぁぁぁあーうううぅぅぅぅぅぅぅぅー!!!? ちょっ、何よこれ!! この化け牛強すぎでしょ!!
四体同時に出てくるとか反則じゃない!! しかもクリティカルヒット連発!!!? 嫌アアアァァァァァァァァァ!!!」
何処のロシア人だろう……。そんな事を思いながら、ふと違和感を覚え頭に手をやる。
…………あれ? 無い。洩矢様から、諏訪子様から頂いた髪飾りが、無い。
「――そうそう早苗。そろそろ向こう、行くからね」
何処で落としたのか、なんて杞憂する間も無く、抑揚の無い諏訪子様の声。
気付くと、負け犬認定な番付画面を背に諏訪子様がこちらを振り返っていた。何故だろう、
いつもと何も違わない楽しそうなお顔なのに、言いようの無い含みがある気がして、少しばかり反応が遅れてしまった。
「……はい。幻想郷へ、ですか」
「そ。後始末とかは私達がするからさ。準備は早めにしときなさいな」
ケラケラと笑う諏訪子様に何故か同調出来なくて、何も言わぬまま私は振り返る。
私は、皆の中から消える。それこそ最初から居なかったみたいに、私と言う存在は無くなる。
皆を悲しませたりしないで向こうへ行けるのは、確かに嬉しい。
――けど、けど。本当は皆といつまでも一緒に居たい。
何より、○○に私を覚えていて欲しい。ずっと、忘れないで欲しい。
少しだけで良い、ほんの少しだけで良いから……まだ、離れたくない。
「そうそう、コレ」
「は、はい?」
振り返る事無く手元にフワフワと落ちて来た、見慣れた髪飾り。
「ちょっと散歩に出た時ね、拾って来たわ」
「…………何処で、ですか?」
「貴方の通学路、って所かしら?」
振り返る。諏訪子様はいつもと変わらぬ笑顔のまま、首を傾げた。
――何故だろう、すごく嫌な気分がする。
理由は分からないけど、何か大事なものを盗られてしまったような、そんな――
「……八坂様は、もうあちらに居るのでしょうか」
「えぇ。向こうの空気に馴染んでおきたいんですって。豪快に見えるけどその辺殊勝よね、神奈子は」
「分かりました……準備、しておきますね」
言い知れぬ不安を胸に、私は髪飾りを着けぬまま居間を後にした。
「……すまん。矢に刺された覚えは無いんだが」
「私ハ『すたんど』デモナケレバ『ぺるそな』、『あばたー』トヤラデモナイ。分カッタナラ、ソノ刀ヲ下ロセ」
何だコイツは。俺もついにスタンドに開眼したのか、それともペルソナ使いにでもなったのか、
はたまた憑神か何かなのか。少なくとも、場を弁えず叫んだら出て来た訳じゃないので違うと思う。
それに当のコイツに聞く限り、ンなこた無いみたいだし。
――そう、刀の手入れを始めようと思った辺りでコイツが出てきたんだ。
立て掛けてある刀を使いもしないのに、わざわざ手入れの為に鹿の粉や専用の用具まで
揃えてたまに綺麗にしている。素振りくらいはした事があるが、武道として剣術を習っている訳でもない。
兎角、手入れしようと思って刀を抜いた途端、全身が総毛立った。
『――ソノ音ハ不快ダ。今スグ刃ヲ納メヨ。サモナクバ祟リ殺シテクレルゾ』
何とも間の抜けたと言うか、それで脅しのつもりかと思った。
それでも随分はっきりと聴こえたモンだったので、とりあえず刀を納めると、寒気と共にまた声が聴こえた。
『ダカラ不快ダト言ッテオロウ。死ニタイノk――』
ムカついたので刀をひたすら抜いたり納めたりを繰り返したら、声の主は悲鳴を上げた。
で、今に至る……と。
普段の俺ならもう少しくらい驚いていたような気がする。けど、何処かでもっと恐ろしい何かを見たような、
そんな気がして、俺の『中』から聴こえた声に大した動揺を覚えなかった。
……やっぱり、何か忘れている気がする。
「……で、お前は何なんだ。とりあえず、俺の中から出てけ」
「ソレハ無理ナ相談ダ。我等ガ主ノ命ニヨリ、オ前ヲ見張レト受ケ賜ッテイル」
「誰の命令なんだよ、誰の」
鏡の前で自分自身と向き合って独り言を言う男ってのは、頭がどうにかしてると思われかねない。
つっても仕方ないんだ、鏡が無いとマトモにコイツの姿が見えないんだからな。
振り返ってもコイツの姿は――そうだな、言うなれば白い蛇。胴回りがやたらデカくて、ニシキヘビみたいだ。
その割に頭頂部の周りには藍色の毛みたいなものが生えてて、気色悪い。目付きも悪い。――見えず、
鏡を通してしか見えないようになってるらしい。
コイツが顔を出してから気分が悪いのは治まったし、身体も温まったんだが、精神的な据わりは更に悪くなった。
とりあえず、何者なのかと、何の目的で俺に引っ付いているのかを教えてもらわんとな。
鏡の中と照らし合わせて白蛇の首元辺りを掴もうとすると、逃げる。どうやら見えないけど触れるらしい。
と言っても鰌か鰻みたいにヒョイヒョイ逃げおってからに、捕まえようにも手が届かない。
「……とりあえず、信じられん事がいきなり起こってるのにも困ってるけど、
お前が俺の中に居るのが一番不快だ。さっさと出てってくれ。コラ、逃げんな!!」
「ソレハコチラノ台詞ダ。洩矢様ノ命ガ無ケレバ、貴様ナゾ即刻憑キ殺シテヤr……アッ!!」
「へぇ、『洩矢様』ねぇ……」
途中までヘラヘラ笑っていたかと思ったら、自分が何か取り返しのつかない事を
言った事に気付いたらしい。漫画みたいに沈黙してから、歪な顔が慌てたように跳ね上がる。
……ちょっと可愛いかもしれん。
しかし、聞いてもいないのに答えてくれたのは有難いんだが、まずは俺から出てって欲しい。
「で、お前さんは何者だ。ただの蛇じゃないよな。」
「ミシャグジ様ト呼ベ。蔑キ人間風情ガ私ト会話出来ル事自体ニ感謝s……」
刀を抜こうとしたらおとなしくなった。何喋ってるか分からんわ。
そう言えば、刀の立てる音には退魔の力があるとか聞いた事があるな。コイツは模造品だが、
それでもこう言う邪そうなヤツには効くって事なんだろうか。
「小癪ナ刀……貴様、何ノ末裔ダ……」
「ただの健全な一学生だよ。コイツも本物じゃなくて、模造刀、居合用の規定に沿った実用品だけどな」
「ソンナ事デハナイ……妖異ナ刀ヨ……。ソレヲ我ニ向ケルナ!」
異とか言われても知らん。この刀は贋作の村正、その上模造刀で、斬れるものじゃない。
それとも、俺が何かに選ばれたとか。まさかそんな、年頃の中学生が妄想するような話が身近に、
しかもよりによって俺の身なんかに降りかかるはずが無い。
勇者様に向いてるのは、もっとこう秀才タイプとかそう言う人種だろう。
ヒロイン役になら、早苗を持って来ればピッタリだとは思うけどさ。兎も角、俺にヒーローの気は無い。
ま、成れるものなら成りたいけどな、そんなもの。
「んで、どうしたら出て行ってくれるんだ? 俺はその『洩矢様』とやらに恨みを買った覚えは無いし、
面識も無い。モリヤって苗字の友達なら、二人くらい居るけどな」
「貴様ガ洩矢様ノ意スル所ヲ知ル必要ハ無イ。オトナシク、私ニシバラク身ヲ委ネテオケバ良イノダ」
「ふざけんな。俺の身体だぞ」
このムカッ腹の立つ蛇野郎はどうにも俺の身体がお気に入りらしく。出て行く気は無いらしい。
それだけ言うと、白蛇はニヤリと笑い――と言っても顔が歪んだようにしか見えなかったけど――
空気へ溶けるように俺の背でフェードアウトし、消えた。
「ちょっ、待て!! 逃げ……ん、な?」
また重くなる体。先にも増して寒気が酷くなり、急速に目の前が霞む。
フローリングの冷たいはずの床に手をついて気付いた。床の温度より、手の方がずっと冷え切っている。
……嘘だろ、殺される……のか?
「……な、なぁ。このまま、俺を殺す気じゃない……よな?」
『殺シハシナイ。オ前ノ記憶シテイル余計ナ事ヲ消サセテ貰ウダケダ』
「よ、余計な……だって?」
コイツが現れた時に感じたあの感覚と共に、眠くなるように意識が落ちて行く。
何故だろう、伴って体温が下がって行くにつれ、悲しくも無いのに涙が少しずつ目尻から零れる。
溢れる水滴は、手で受け止めると体の温度よりずっと温かい。
――悲しい時に涙を流せるのは人間だけ。そんな言葉が不意に顔を出す。
どんな記憶かさえ、もはやはっきりしないけど。
無意識の何処かに残る記憶は、奪われることを絶対に許すな、そう言っている気がした。
「……お前が、俺の中のどんな記憶を喰ってるかなんて……知らん、けどな。人様のモノを勝手に盗るな……!!」
『我等ガ主ガ望ンダ事。死ヌヨリハ良カロウ』
「ふざけんな、勝手な事…………あ」
…………思い出した。
二度と見たくないあの目を。また遭わなきゃならないアイツを。
――どうせアンタは早苗に忘れられるし、アンタも早苗を忘れる。それが一番幸せ。
……何が、神だって……!?
「…………オイ、蛇野郎。お前、この刀が嫌いだって言ったよな……?」
『……何ヲ、スル気ダ?』
刀を抜く。遅れて、じわりと体が温かくなる。が、それでも白蛇は顔を出さない。
何度も何度も、それこそ何度も抜き差しを繰り返す。意識がどんどん落ちかけるが、流れる涙の温かさがそれを押し留める。
「この音が……嫌、なんだろ。好きなだけ、聴かせてやるよ……!!」
「ヌ……忌々……シイ、真似ヲ……!!」
コイツが嫌がるこの音なら、アイツにだって効くはず。
……思い出した。涙が溢れる理由も、取り戻した。
「ヤメロト……言ッテイル……!!」
「…………出て来たな、ミシャグジとやら」
自分の体から、白く巨大な寄生虫が涌いて来たようで気色が悪い。
背から流れ出て来た白蛇の眼は赤々と光り、怒りを露に歯を剥き出して俺を威嚇している。
だけど、俺を殺せないなら。野良猫を相手にするよりずっと楽……!!
「貴様、八代先マデ祟ラレタイカ……!!」
「八代先の事なんか知るか!!」
首根っこを引っ掴んで、硬い床へ、蛇野郎の頭を思いっ切り叩き付けた。
「――俺が流した涙の分、しっかり返して貰おうか……!!」
「…………へぇ。ラスボス気取りも、無駄じゃなかったかしら?」
――また記憶が飛んでる。それより何より、遭いたかった奴が目の前に居るのはどう言う了見だ。
気付けば、あの異様な柱共が立ち並ぶ場所に俺は居た。
湖は風も無いのにざわざわと漣だっていて、雷鳴の光が雲の向こうに見える。
……さながら、魔王を前にした勇者って所か。
手元には、しっかりと握っていたであろう模造刀。刃の先端が、テラテラとした紅で彩られている。
そしてその紅の先には、頭部に鋭い裂傷が穿たれた白蛇。
……そう、俺が殺った。
――見上げれば、柱の内、やたらとデカい一本に偉そうに座り、こちらを見下ろすあの女。
「……よう。俺に何か恨みでもあんのか、帽子女」
「失礼ね、コレ気に入ってるのに……そうね、今までは別に無かったんだけど」
重力を無視して、風船が逆戻しに地面へもどって行くように帽子女は水面へ降り立つ。
波一つ立てぬままに浮かぶ女は、帽子で目元を隠してにやりと笑った。
「アンタが『何か』でないのに出しゃばってるから、おとなしく消えて貰おうと思っただけ」
「へぇ、偉そうに言ってくれる。で、俺がその『何か』だとしたら?」
「そうだったとしても、知った事じゃないわ。黙っていれば記憶だけで済ませてあげたのに……」
――背筋が、音を立てて凍った気がした。
帽子の下から、底知れぬほどに紅い瞳が覗く。
その裏、夜闇より深く暗い中、凄まじい量の眼が覗いているのが見える。
帽子に据えられた、あの間の抜けた目でさえ、今は恐ろしい何かに見える。
――ははは、なんてとんでもないモノに喧嘩を吹っ掛けちまったんだろうな、俺……。
「私の愛しいミジャグジを傷モノにした上、聖域であるこの場に人の身で侵入するなぞ、許される事ではない」
「……逃がさん、お前だけは……ってか?」
「ふふ、分かってるじゃない。けれど、私は英雄なんてレベルじゃない。神だもの」
「へ。バラバラにされた神も居る。石化させられた邪神も居れば、ハメ殺された戦乙女も居るぜ」
――まだ、減らず口を叩く余裕はある、けど。
喉はカラカラ、指先は冷え切ってるのに湿ってるし、震えが止まらない。目尻がヒリヒリする、
足なんか動かす気にも成れない、刀なんか振ったらスッポ抜けそうだし、走ったりなんかしたらきっとすっ転ぶ。
でも、啖呵切っちまった手前、もう戻れないし、戻る道も無い。
――せめて、コイツと早苗との関係を知りたかったもんだ。もう、無理だろうけど。
「さぁ、最期に貴方を裁く神の名を教えておいてあげる。洩矢諏訪子。坤を司る、土着神」
「捌く? 腹でも掻っ捌かれるのか俺は。俺は○○。早苗の『何か』とやらさ」
「…………ふん、お望み通り、掻っ捌いてあげるわ」
これと言って、反応は無い。言葉を誤ったか、それとも元々教える気が無いのか……。
「アンタとは、別の形で遭いたかったわね」
「話は、合いそうなのに、な。残念だよ」
「……えぇ、本当に」
一歩、また一歩。底の知れない何かは、諏訪子は近づいて来る。
肉食獣に追い詰められた草食獣ってのは、本当にこんな気分なんだろう。
けど、こっちには立てるだけの歯が残ってる……。
……タダで、タダで殺されてたまるかよ。
刀を鞘へ納める。しかし、諏訪子が怯む様子は無い。
何度繰り返そうと、やはり変わらずに冷徹な笑みを浮かべたまま。それこそ更に笑みを深めて、
楽しげにこちらを睨んでいる。
「効かないわよ、そんな音。知ってるでしょ? ボスモンスターは状態異常に成らないの」
「……分かりやすい説明どうも。そうか、そんなら物理攻撃は効くんだな?」
「えぇ。殺れるモンなら殺ってみな、さ…………ぁー、ぅ?」
躊躇い無く、深々と貫き通した。
その柔らかそうな腹に、模造とは言えど鋭い刃先を真っ直ぐに突き通す。
いや、柔らかそうではなく、柔らかかった。根元まで思い切り刺さったらしく、呼吸してるらしい腹の動きに合わせて
血が大量に噴き出して来る。
――生温い、生きている血が、俺の手元を汚す。
――仮にも、人型の『モノ』を刺してしまった。
「へ、へへ……刃先だけは、ホンモノと変わんないモン、だな……」
「……この、人間風情……ッッッ!!」
何故だろう、諏訪子がどんな力を秘めているかは知らないが、刃がガタガタとやかましい音を立てる。
ほんの一瞬の後、ホットプレートで肉を焼くように軽快な、けれど耳障りな音が響く。
――もしかしなくても、効いてるのか……!?
「……音は効かなくても、刀そのものは効くみたいだな」
「離れろ、離れろ離れろ離れろオオオォォォォォ!!」
「――言われなくてもッッッ!!」
突き飛ばされると同時に、根限りの力を込めて刃を引き下ろす。
熱された鉄板の上を引き摺られた肉のような音が響き、視界が真っ赤に染まった。
「――ッッッ!!!」
声に成らない悲鳴を上げ、天高く諏訪子が飛び上がる。血を撒き散らすのもお構い無しに、
あの巨大な柱の上へと着地した。
「――よくも、よくもよくも…………!!」
遠すぎて顔が窺えないが、怒髪天を衝くとでも言うべきか、はたまた逆鱗に触れたとでも言うべきなのか。
怒りを露に震えているのだろう、真一文字に傷口のある腹を抱えて、事も在ろうか笑っている……。
……釣られた訳じゃないけど、当の俺は笑みなんか浮かべてしまっていた。
人の形をしたものをこの手で傷付けたのに、どうしてだろう、震えと笑いが止まらない。
もっと、斬りたい、そんな風に思った、のかもしれない。
「ははははは、良くも、何だって? 村正が騒いで聴こえないぜ、血が欲しい、血が欲しいってな!!」
「黙れ、童……!!」
もはや苦し紛れの遠吠えにしか聴こえないぞ、諏訪子とやら。
徳川家に深い因縁を持つ妖刀、村正。妖刀と言われる由縁は、徳川家に惑乱があった際に必ず近くに在り、
その時々の徳川家当主の首を落とす役目を担った、忌まわしい刀だからだと言う。
――神殺しをするのに、丁度良い業物じゃないか……!!
「――祟り殺しテ……ヤル』
途中からひっくり返り、ソプラノから更にハイトーンへ移行する、嫌な声。
――何度目だろうか、全身を駆け巡る寒気。
ゲームでしか目に出来ないような禍々しい深緑の闘気のような何かを噴き出しながら、
諏訪子が少なくとも笑んでいるのが見える。柱の天辺までの距離が遠すぎて、表情の細部までは読めない。
そしてヤツの身体から湧き出る、白蛇の群れ。
噴き出す血は当に止まっていて、まるでその代わりに蛇が抜け出してきたような、シュールな光景。
だけどその姿は神と呼ぶにふさわしく、まあ邪神と言う類かもしれないが、邪な方向に神々しかった。
「……って、遠距離攻撃とか反則だろ!! 正々堂々戦えよ!!」
五秒ほど見惚れて、今更のようにツッコミを入れる。
不意打ちをしといて何を、なんて言えるかも知れないが、そうでもしなきゃ俺に勝つ見込みは無かったろう。
――しかし、聴いちゃいない。蛇は巣穴から湧くように溢れ、もはや諏訪子の様子は分からない。
……これは、マズイんしゃないか? 調子に乗り過ぎた、と言うより今までが上手く行き過ぎてたのか?
こちらは地上に居る。手出しする事は出来ないし、アイツがどんな力を持っているかなんて、
初めて遭った相手なんだから分かるはずも無い。
……そもそも、人智を超えた存在がどんな力を振るうかなんて、人間が窺い知れるものじゃない。
――『崇符「ミシャグジさま」』――
気付けば浮かんでいた待宵お月様を背に、白蛇の華が中空に咲いた。
綺麗だな、なんて思ってしまって。相変わらず、漏れる笑いは抑えられなくて。
そして、そしてそんな白くて気味の悪い花弁が爆散して、全て俺に殺到して――
――――あぁ、俺、死ぬのか。
「――逃げて」
――聴きたかった声が、した気がする。
「な……早苗!?」
……少なくとも、夢ではなかったらしい。
それが分かった瞬間、もう俺の意識は無かったみたいだけど。
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最終更新:2010年05月10日 20:59