レミリア分を受信した・・・長いので分けます


  「○○は、ずっと此処にいてもいいと思っているの?」
  唐突に、レミリアが声をかけてきた。

  俺は外から迷い込んできた人間だ。
  最初は見知らぬ世界へ来た事への戸惑いと驚き、そして不安に翻弄されっぱなしであった。
  もちろん今もそうだ。異世界が存在したというだけでも驚きなのに、その上様々な妖怪を目にするのだから。
  それは目の前に座る少女、レミリアも例外ではない。彼女は吸血鬼だというし、人の血も吸う。
  それでも、当面は紅魔館にいる気なのだが。

  俺はそのような事を何度もレミリアの前で口にしてきた。今も同じような事を伝える。
  「……貴方って本当に危機感がないのね。そんな事を、正直に私の目の前で言うなんて」
  「そうか?俺は素直に、思ったままの事を口にしてるだけだけど」
  「ほとんどの人間は震えながら私を敬うわ。レミリア様、貴女は素晴らしいお方です、って」 
  「吸血鬼だしなあ……血を吸われるとでも思ってるんじゃないか?まあ、俺もやっぱり怖いが」
  「だから……!そういうところが危機感がない、って言ってるのよ。そんな事を言って、普通の人間なら真っ先に血を吸われているというのに」
  「へえ。じゃあ俺は、普通じゃないのか」
  「……っ!!」
  レミリアは立ち上がると、ドアの方へ向かう。出ていくようだった。
  「―――覚えておきなさい。貴方はただの血袋。私の食料としてここに置いてあげているの。せいぜい、私へ捧げられる事への恐怖と栄誉を噛みしめながら待っている事ね」
  そう言い残して、彼女は出ていってしまった。
  ……去り際。レミリアの顔がほんの少しだけ赤くなっていたのは、何故だろうか。
  「んー……女の子はよくわからんなぁ」
  そんなだから外の世界でも朴念仁と言われていたのだが。
  ……でもレミリア、悪い。さっきのような事をもう何回も言われているのに、俺はお前に血を吸われる日が来るということが、どうしても想像できない―――




  廊下を小走りに進む。無性に腹が立っている。
  それも、あの男のせいで―――ということが、また余計に腹立たしい。
  なんで私が、あんな人間一人のために。
  「………っ」
  思えばなんであんな質問をしてしまったのだろうか。
  『ずっと此処にいてもいいと思っているのか』
  それは、あいつが決める事ではない。○○の命は私にかかっているのだから。
  本当に、何故なのか。

  ○○は私を敬うという事を知らない。
  食料としてここに拾われてきた事も知っているのに、いつまでたっても恐怖心を見せない。
  いや、吸血鬼に対しての恐怖はあるのだろうが、私個人となると少女扱いしてくるから手に負えない。
  頭を撫でられた事もあった。苛立ったのでその日は館から追い出した。
  いつも笑顔で笑いかけてくる。人間の分際で。あんな人間は見た事がない。
  冷たくしても普通に接してくる。あの無神経さをどうにかできないのか。
  私を怖がらない。私に優しくする。私を怖がらない。優しい。でも、それは嫌だ。だってそれ以上は、
  「……あんなの……っ!」
  あれは食料だ、それ以外に何がある!
  早く血を吸ってしまえばいい、あの赤い血を全て、骨の髄まで貪りつくして、恐怖に怯える瞳を見て、私しか見えないようにして、全部、ぜんぶ、私のものに―――
  「……なんで……」
  ○○の事を考えると、いつもこうなってしまう。どこかおかしいのは自覚している。
  体中が熱くなって、冷静な判断ができなくなって、彼の血を吸いたいと思ってしまって、でも吸えなくて、何故だか声が聞きたくなって……… そして、そして、

  彼の全てが欲しいと、……思って、しまうのだ。



月の光に照らされた紅魔館を歩く。
そこは平常時と何ら変わりのない我が館。闇に沈みながらもその尊大さを失わない、歴史の刻まれた場所。
そうだ、何も変わりない―――あの男が、来るまでは。
一人夜闇の館を歩きながら、こうして思い悩む事もなかったのだ。
ただあいつがここに存在している、たったそれだけの理由で……なんて。

「・・・馬鹿馬鹿しい」
それは、あの男に対してだろうか―――いや違う。あの男は確かに色々な意味で馬鹿だが、そんな人間一人にこうして心乱されている自分こそがどうしようもなく馬鹿に思えてならない。
そして、何故こうにもあいつの事ばかりを気にかけてしまうのか……それすらも謎だ。
…本当に、あいつを拾った事が間違いだったのかもしれない。
あいつさえ来なければ、私はこれから先も変わる事無く、心動かされずにいたことだろう。
じゃあ、追い出すのか?あいつを。
そうしてまた元の生活に戻る?

「・・・そんな事するくらいなら、私が」
私が全部貰う。
勿体ない、だけだ。せっかくの食料を逃してしまうのは、勿体ない。
だから置いている。実際、今までにも血を目当てにここに置いていた人間などいくらでもいた。それだけの存在価値。

だからあいつの手の感触なんて忘れてしまえ。優しい言葉も何もかも。人間はすぐに心変わりする卑しい・・・私の血袋なのだから。
あれもきっと、嘘。私に取り入ろうとするための―――

その時。
「・・・あれは」
廊下の突き当たりで、その頭痛の種らしき人影が見えた。
でもそこにいたのは、○○だけではなく―――






「あら、○○。こんな所でどうかして?」
「あ・・・咲夜さん」
廊下の突き当たりで何ともなしに呆けていると、メイド長である咲夜さんが声をかけてきた。
彼女は働き者だ。ここに来てすぐ分かった事だが、その時を操る能力を使い一日中働いている。
むしろ休んでいるところを見る方が少ない。
彼女は俺にも礼儀正しいし、レミリアに何か言われるたび声をかけてくれたりもする。
あの中国風な門番よりはやはり気難しそうだが、それでも俺にとっては数少ない相談相手でもあった。

「いや、女の子ってよく分からないな、と。またレミリアを怒らせてしまったようで」
「またですか?貴方も学ぶという事を知りませんね。お嬢様に何を言えば機嫌を損ねてしまうか、貴方ならもうよく分かっているはずでしょう?」
「まあ・・・それもそうなんですけど。でもそれは、俺の気持ちじゃないから」

正直に言えば、レミリアを怖がっていればいいのだと思う。
あいつは見るからにそういうのが好きそうだし。前にも言われたように、震えながら彼女を敬えばきっとレミリアは喜ぶだろう。
レミリアもそれを期待しているはずだ。

「きっとレミリアは、俺が怖がっていれば満足なんだと思います」
「あら、分かっているじゃない。お嬢様は自らを恐怖の対象として捉えている人間の血を吸うのがお好きよ。でも貴方が自分の意に沿わないから、それで怒らせてしまうのでしょうね」
「はあ・・・って、この話前にもされた気がします」
「正確に言えば五回目よ」
彼女は苦笑する。

「貴方だって、お嬢様がまるっきり怖くない、というわけではないのでしょう」
「それは勿論。人の血を吸う、って事は怖いのに変わりありません。・・・でも」
でも。
俺は何故かレミリアの事を、吸血鬼としてではなく、普通の少女として捉えてしまう。
それが彼女を怒らせていると分かっているのに、いつか俺が血を吸われる事も知っているのに。
『レミリア』という少女を恐ろしいとは、・・・どうしても、思えない。
「でも・・・ね。その先は言わなくてもよく分かるわ。それも、何回も言われてきた事ですから」


そうだ。
俺の気持ちは、ここに来た時から何も変わっていない。

初めてレミリアの事を聞かされた時だって、どうしても怖いとは思えなかった。

むしろ。
彼女を初めて見た時のあの鮮烈な印象を、何と言えばいいのだろう。

一瞬で目に焼きついた真紅。
深い色の瞳。
惹きつけられてやまなかった、その気持ちは―――

勿論、今でも変わる事無く。


「重要なのは、気付く事・・・かしら」
「・・・気付く、って何に?とりあえずこの馬鹿さ加減ならもう十分に理解してますけど」
「そんなだから朴念仁て言われるのよ」
「う」
それも十分に理解してるって。悲しいけど。

「もう少し、お嬢様ときちんと向き合って素直になってみなさい。・・・まあ、この一件はお嬢様にも少し非がありますけど」
「お。咲夜さんがレミリアに対して何か意見したの初めて見た」
「私の事はどうでもいいのです。あとこれは意見ではなく、煮え切らないお嬢様に対してのコメントですから、お取り違えなきよう」
「はいはい。・・・けど、これ以上何を素直になれって言うんだ?」

結構素直、というか正直なつもりなんだが。そしてまさにそのせいでレミリアを怒らせてるんだが。
百面相をしてると、彼女がまた微笑んだ。嫌みのない綺麗な笑みだった。

「まあ、私は結構応援してますよ、貴方達のこと。・・・あら、それでは私はこれで」
「え?応援って何のこと・・・行っちまった」

咲夜さんは急に仕事に戻り、続く闇の中へと消えて行ってしまった。
何かに気付いたようだったが・・・

「って、レミリアじゃないか」
彼女が消えていった廊下の先には、話題の渦中であったレミリアが佇んでいた。






「・・・随分と楽しそうに話していたじゃない。いい御身分ね」
…何故だ。こんな事ぐらいでムキになって、頭が熱くて、私はどうなっている?
咲夜とこいつが笑って話しているのを見かけただけじゃないか。たったそれだけの事。
だというのに、私はまたもや冷静な思考ができていない。最近、こういう事が多すぎる。

「楽しそう、って・・・じゃあお前も入ってくればよかったじゃないか」
いつもと同じ笑顔の○○。それもまた私を苛立たせる要因になる。
「あのね・・・!そういう問題ではないわ、大体私は今来たの。むしろ貴方が私を構いなさい、そしてせいぜい命乞いしてその短い寿命を延ばす事ね」
「・・・なんだ、構ってほしかったのか?ほれ」

○○の手が頭上に伸びてきた。
それはもう何度も繰り返された仕草。
大きくて無骨なそれが私の頭を撫でる度に、子供扱いされているようでたまらなく嫌で、その度に私は彼を叱りつけて、でも腹立たしい事に温かな手の感触がどうにも離れなくて、それも大嫌いで―――
「―――ふざけないで」
ぱしっ、とそれを払いのける。
その手を拒否したのは初めてだ。今までは不意をつかれたりなし崩しにさせていた事もあったが、今はとてもそんな気分じゃない。

手を叩かれた○○はその痛さより先に、不思議そうな顔で私を見ていた。
「何だよ、今日はまたご機嫌斜めだな」
「私が貴方に対して機嫌が良かった日などないわ。本当に―――貴方は、私を怒らせる事だけは一級品のようね」

…顔が、アツイ。
私らしい今の言葉でさえ、ちゃんと言えていたかどうか気になるくらいだ。
認めよう、今の私は少し変だ―――しかもこの男のせいで!
脳裏にちらつくさっきの二人の姿。何を話していたかは知らないがあんな楽しそうな顔で―――

「・・・違う。何も思ってなんか」
「ん?何か言ったか、レミリア」
その言葉に我に返り、何でもないような顔を取り戻す。そうしてまた取り繕う。
「何でもないわ。それより貴方、自分の立場を本当に理解しているの?」

彼には分からせなければいけない。
私の食料なのだから、私の思い通りにならなくてはならないという事を。
でなければ、私がどうにかなってしまう。

「・・・立場、か。それはまあ、一応は」
「嘘ね。それを理解しているのなら、私にあんな愚行を働いたりしないわ」
「愚行って何だよ。言っとくけど、俺はお前を不必要に敬ったりなんかしないし、こうして普通に喋る事を止めたりとかしないからな」
「―――どうして」
なんでいつまでも分からないのか。
こいつがわざとこうして私を遊んでいる、なんて事は考えられない。きっとこの馬鹿な男は、心の底からそう思っているに違いない。

「・・・ああ。もう分かってると思うけど、俺はレミリアを吸血鬼として見れない。血を吸われるなんて想像も出来ない。
 いや、このままだといつかお前は俺の血を吸うんだろうが・・・こうして話している今、レミリアがそんな事をするとは思えないよ」

○○の発言は矛盾している。
血を吸われる事に確信を持っているのに、この私に吸われるという可能性を微塵も考えていない。
私はそんな馬鹿で浅はかな発言に一瞬心を奪われて、
「・・・それは、何故?」
なんて、弱々しく尋ねてしまった。

○○は私の目の前でいつもの笑顔になる。
いつもは無性に腹が立って、その表情が苛立つのに、でも今の私はそれを何の感情もなく見つめていた。

「ん、そうだな・・・俺はレミリアの事をとても大切に思ってる。命の恩人だし、少し話してみれば分かるけどお前はすごくいい奴だ。俺が保証する」
「・・・そんなの。それは違う。○○は、何も分かってない。私は、」
「吸血鬼、か?確かにお前は吸血鬼だ。でもそれにこだわる必要はないんじゃないか?俺はお前の事女の子として見てるし、お前だってそうだろ?
 それともこうして普通に扱ってもらうのは嫌いか?」
「・・・嫌いよ。今だって、こうして普通に話している事も、いつもへらへらと笑っているところも、馴れ馴れしいところも、全部、全部、何もかも・・・!」

声が震えている。
それに気付いているのに、私の口からはとめどなく言葉が溢れてくる。

「そうよ、貴方は何も分かってない・・・!何度言っても自分の立場が分からなくて、私の事を恐れないで、大人しく私に下ってしまえばいいのにそれもなくて!
 いつも私ばっかり気を揉んで、それに気付いてないくせにまた笑顔で話しかけてくる!
 早く私のものになってしまえばいい、そうしたら私も何も悩まないですむのに、貴方のせいで、貴方がいるから、どうして私のものにならないの・・・!」

紡ぎ出す言葉はもはや悲鳴に近い。
これほどまでに早口でまくし立てたのは何十年振りか。そして、こんなに素直に自分の気持ちをさらけ出してしまった事も。

私のものにならないあいつが悪いのだ。
あいつが私の意を汲み感じ取ってくれたら、こんな思いもしなくて済むのに。

言う通りにならないあいつが悪いのだ。
この私の言いなりになって怯えながら喘いでいれば今まで通りだったというのに。

私の意のままにならない○○は嫌いだ。
大嫌いだ。
そのせいで、私はこんなにも心を乱されてしまっている・・・!



「・・・レミリアは、俺がお前の思うように動かないから嫌いなんだな」
「何度もそう言ってるじゃない、人間の分際で私にこんな・・・」
こんな、思いをさせるなんて。

何よりもその事が信じられない。
彼が何かするたびに気に障って、その行動を目で追ってしまうのも、
彼の血が無性に吸いたくなってしまう事も。
早くそうすればいいのに出来ない自分も。

何もかもが初めてだ、こんなもどかしい私なんてあり得ないのに―――!



「・・・私。きっとこのままだと、貴方を今すぐに殺すわ。本当に貴方に腹が立っているの」

血を吸うだけでは済まされない。
もう自分を制御できそうにない。
ぽつりと呟いた言葉は、確かな鋭さと冷たさを含んでいた。

しかし彼はいつまでも表情を崩さないまま。
「そりゃあ、俺はそのためにここに連れて来られたんだからな」
…なんて、いつまでも呑気に。

今、自分の喉元にナイフが突き付けられている状況なのも知らないで。
ああ―――本当に、愚かな人間。


「・・・それでもいいって言うの?私は本気よ。殺すわ。
 貴方がどんな口車を使ってみせても―――今度こそ、ありとあらゆる方法で殺してみせる」
今までの人間は、この牙を見せて殺すとちらつかせただけで恐れおののいていた。
それでいい。
それでこそ、私の求める『人間』の姿。
きっと○○も、最後には自分の命が惜しいはずだ。

だから貪欲に求めろ。自分の生を。
最後まで人間らしく、華々しく命を散らせ。


「―――」
微かな沈黙の間。
再び口を開くであろう○○の言う事が予想できる。

止めてくれ、か。

俺が悪かった、考え直せ、か。

「・・・・・・」

だって人間はそんなもの。
すぐに変わってしまう心。手のひらを返したように変わる、気持ち。



でも――――



何故だろうか。

心の何処かで、この馬鹿な男は私の予想と違う答えを口にするだろうな、と思っている自分がいる。



彼が命乞いの言葉を言えば、私は嬉しく思う反面、落胆もするだろう。
彼の事を侮辱の眼差しで見るに違いない。

…だって私の知っている○○は、そんな事は言わない。
いつだって自分に正直で、そんな上辺だけの言葉など口にしない。


(・・・ふ。私も少し馬鹿になったのかしら)
あんなにも彼が思い通りになる事を期待していたはずなのに、心はそれと裏腹だなんて。


そして案の定。

「・・・いや、殺されてもいい。
 レミリアが俺を殺すって言うんなら、それに従う」
○○は馬鹿正直にまっすぐに、私を見据えて言った。

「馬鹿な人間。生きたいとは思わないの?」
「いや、思ってるさ。でも、それでレミリアが喜ぶのなら」
「私がいいなら自分の命はどうなってもいいと?―――は、とんだ浅はかさね。
 私はそんな人間が一番嫌い」

…ああ、やっぱり。
彼が何を言おうとも、私の心は静まらない運命だったらしい。

全部、○○がいるから。
結局、彼が何をしても、私の感に障るのなら―――

「・・・本当に、腹立たしい。貴方みたいな人間は、自分より誰かを大切にしようなんて奴は―――」


消えた方がいい。
私の目の前から、今すぐに。

私が殺してあげる。
血の一滴も残さないようにしてあげる。


全部、全部―――今度こそ本当に、私のものにするのだ。


もう言い残す事はない。
彼の前から立ち去ろうと歩みを進めた瞬間、
「―――レミリア」
頭上から声が降ってきた。

「・・・何?」
もう言う事は何もないし、彼の方も言い残す事はないと思うのだが。

「・・・ごめん。さっきのやっぱ、嘘だ。
 俺だって、殺されそうになったら抵抗する。みすみすレミリアに殺されたりなんかしない」

…やっぱり。
まあ、少しは分かっていた事だから、それで表情を変えたりなんかしない。
「そう・・・出来るなら抵抗してみなさい。十秒もったら死体はフランドールの玩具にでもしてあげるわ」
「俺は」

私の話なんか全く聞いていないとばかりに、彼が話を続ける。

「俺は―――レミリアの事、やっぱり好きだから。
 好きな女の子に殺されたりは、しないつもりだ」

「・・・ふん」

たったそれだけ。
その短い問答は、そこで終わりを告げた。
彼は走り去る。

私ももう何も思わない。
殺すと決めた相手に、何を期待しろと言うのだ。

そう、今の言葉も、全てまやかしに過ぎないのだから―――










夜は更ける。
全ての密やかな想いを胸に秘めたまま、ただ夜明けが近づいてくる。

「・・・」
寝台に横たわりながら、ずっと胸の中に残り続けているものは、


『好きだから』


「・・・違う」
あれは気にしない方がいい。きっと嘘に決まっている。

でなければ―――逆に私が崩壊してしまうような、気がする。
今までの私が全て覆されてしまうような。
そんな危険な響きだったのだ、あれは。

「深く考えない方がいいわね・・・」

そして、気付かないままでいい。

結局、彼に対して抱いていたもどかしさは何なのかわからなかったけれど―――
彼を私のものにするのだから、変わりはない。


あの言葉は忘れろ。
その方が、楽になれる気がするから。


「お嬢様。よろしいですか?」
「・・・咲夜」

いつものかっちりしたメイド服を携えて、咲夜が部屋に入ってきた。
こんな時間に、私の呼び付けもなしに来るとは珍しい。

「何か用・・・ああ、いいわ。私もちょうど言いたい事があったから」
「・・・はい、何でしょうか」
彼女をちらりと横目で見やる。
そこには何ら変わりのない咲夜がいる。この館にぴったりとはまったように似合いだ。
これで―――いい。
これ以上、余分なものは必要ない。


「明日、○○を殺すわ。・・・満月が一番高く昇る、真夜中に」


「了解しました。彼にもそのように伝えておきます」
「伝える必要はないわよ。どうせ、もう逃げる気力なんて失ってるんでしょう?」
「ええ・・・実はその事だったのですが。彼があまりにも静かだったもので。
 しかし、お嬢様が何か言われていたのなら、もう言う事はありません」
「何よ。何か文句でもあるの?」
「いえ、そのような事は。では、私はこれで」

いつもの慇懃無礼な調子を崩さぬまま、咲夜は部屋から出ていこうとする。
…いや、そのはずなのだが、今日はなかなか出ていこうとしない。

「まだ何かあるの?」
「・・・いえ。ですが、お嬢様も少し元気がないようでしたので」

元気がない、か。
「見間違いよ」
吸血鬼の私に元気も何もない。元から人間とは違う作りだ。
「もう下がっていいわ」
「・・・はい」

…何故だろうか。
今日は咲夜もおかしい。何がとは言えないが、いつもとは違った。
「まあ、どうでもいい事だけど」

明日で全部終わるのだ。
このわけのわからないもどかしさも。思い悩んでいた気持ちも。
全て、終止符が付く。

彼の首筋に牙を立てたその瞬間、私は何も考えられなくなってしまうだろう。
眷属にするまでもなく、首ごと引きちぎってしまうかもしれない。
それほどまでに、私は彼を欲しがっている。

このままだと―――本当にあいつを壊してしまう。
そのうち抑えがきかなくなって、滅茶苦茶にしてしまう。

腹が立つ。苛立たしい。
あいつの行動全てが。私に優しくしようと接するその全てが、どうしようもなく憎い。

「・・・だって、そんなものを貰っても、私は何も返せない」

温かな手のひらが打算でない事を知っているから、余計に嫌いになる。
あんな温もりを貰った事なんてなかったから、バラバラに壊したくなる。傷つけたくなってしまう。
そんな自分がもっと嫌で、彼を自分の思い通りにさせたくなってしまう。そうすれば彼は私の言いなりになり、心乱される事もない。
でもそれも叶わないから、何もかもが嫌になって―――

「○○は、私のものにならない。なってくれない」

…優しくしないでほしかった。
最後にあんな言葉を言わないでほしかった。
そのせいで、私はこんな土壇場になっても苦しんでいる。

…本当に。

私の言う事を聞かない○○が、何より大嫌いだった―――










―――・・・。
そして、満月の夜になり、約束の時間が来て―――、



「―――嘘」



扉を開けても、そこには誰もいなかった。
そこには○○がいるはずだったのに。


「なんで、なんで、なんで・・・・ここにいるはずなのに」

○○が、部屋のどこにもいない。

今夜、貴方を殺しに行くから、と。
しっかり伝えさせておいたはずなのに。
もう逃げる気も失せていたはずなのに・・・・・!

「・・・咲夜」
傍らに控えていた彼女を恐ろしい形相で睨みつける。
「貴女が見張っていたのよね」
「・・・は。申し訳ございません。
 これは私の失態です、どんな罰でも受ける覚悟で・・・」
彼女は何の言い訳もせず、静かに申し訳なさそうに首を下げただけだった。

―――その程度の謝罪で治まるはずがない。
だって、私が本当に聞きたいのは・・・!!

「貴女・・・逃がしたのね、○○を」
「・・・・・」

咲夜は何も言わず俯いている。
沈黙は肯定と同議だ。
その仕草に、私の熱が高まっていく。

「主人を裏切ったのね・・・貴女!!
 ○○は私が殺すはずだったのに、どうして貴女が・・・!何故逃がしたりしたの!!」
怒りは抑えきれず、直接彼女へと向かう。
渾身の力を持って、何も考えられない真っ白な頭のまま、咲夜を壁へ叩きつけた。

「くっ・・・」
「どうして!?・・・貴女も知っていたのに、私が○○を殺すんだって事・・・!
 一番、一番殺したかったのに・・・殺して私だけのものにしたかったのに・・・!!」

怒りは止まらない。
憤りはそのまま言葉となって降り注ぐ。
体の熱は収まらず、目は憤怒の表情に染まっている事だろう。
ぎりぎりと、彼女の首を締め付ける。もう力の加減も出来ない。
だが―――そのような怒りを目の当たりにしてもなお、咲夜は私から目を逸らさない。

「何よ・・・何か言いたい事があるのなら、言ってみなさい」
「く・・・はっ・・・お、嬢様・・・・っ」
このままでは、先に彼女の首から引きちぎる事になるかも知れない―――それでも、力は緩まない。緩もうとしない。

「・・・っ、お嬢様、も・・・、期待、していたのでは・・・ないので、すかっ・・・」
「・・・期待?何のことかしら」
「わざわざ、私に・・・、彼を殺す事を、お教え、なさったのは・・・!
 心の、どこかで・・・っ、私に彼を、逃がすように仕向ける、事を、考えていたからでは・・・ないのですか・・・っ?」
「―――っ!」

あまりにも馬鹿なその言葉に、一瞬力が緩む。
それでも彼女の細い首を解放するには十分だったようで、彼女は地に伏し呼吸を荒げていた。

「・・・私が、貴女に彼を逃がすように仕向けた、ですって?冗談は止めなさい、そんなつもりは微塵もなかったわ」
「うっ・・・く、それは、どうでしょうか・・・・。
 実際、お嬢様は今、安心なさっているのではありませんか・・・?
 彼が約束通りここにいたのなら、自分は彼を滅茶苦茶に壊してしまっていた・・・
 ・・・でもこれでまだ、彼が生きているという希望が持てる」
「―――咲夜。それ以上そんな戯言を吐くようなら、今度こそその首を引きちぎる」

どこまでも冷たい双眸が、彼女を射抜く。
だが彼女はそれにも怯む事無く続ける。

「・・・ええ、これで私が罰を受けるというのなら、どのような責め苦にも耐えてみせましょう・・・
 しかし、私はこれ以上お嬢様が苦しんでいるのを黙って見過ごすわけにはいきません」
「苦しんでいる?私が?
 これから○○を殺せると思って興奮していたのに?」
「・・・お嬢様が○○を殺せば、彼はいなくなります」

当然の事だ。
今更そんな事を言って何になる?

「何が言いたいのよ」
「お嬢様は本当に、それでいいのですか・・・?
 彼は確かに貴女の思い通りにならなかったかもしれません、そのせいでお嬢様を怒らせた事も多々あったでしょう・・・
 ・・・でも。それがなくなったらどうなるか、考えた事がありますか・・・?」

そんな事は知らない。いや、分かりきっているのか。
彼がいなくなってもまた元の生活に戻るだけだ。そこに彼がいた頃との何の差異もない。
…ただ、少し。
私を悩ませていたものが一つなくなるだけ。


いつも私を撫でていた温かい手のひらと、

冗談混じりに話しかけてくるあの声と、

優しく私を見つめていた瞳と、

私に殺される事なんて少しも考えていなかった馬鹿で愚かな男が消えるだけだ。



そう  たった  それだけ――――



「・・・っ」
何でこんな時に限って、あいつの残像がちらつくのか。
憎い。私のものにする。私の思い通りにする。
でもそれが出来ないから、殺す。


「・・・お嬢様?」
「あいつを探してくるわ。殺してくるけれど―――もう今更文句なんてないわよね?」
「・・・はい。どうか、ご無事で」
咲夜を一人残し、窓から飛び出す。
真紅の羽を羽ばたかせ、高く高く、何も考えなくていいように、ずっと高い所へ。

「・・・もう、どうにもできないなら。殺すだけ」
前からそうだった。
あいつの事を考えるだけで冷静な判断が出来なくなった。
それが何故かはわからない。あいつが馬鹿で変な行動ばかりとるせいだと思っていた。
私の方にも原因はあった。
ただ、今はその気持ちがよくわからないだけで。



…どうして私は、○○の全てが欲しいと 思い始めたんだっけ―――。











「・・・寒いな」
いつのまにか雨が降っていた。
雨は冷たく、肌を直接刺してくるかのような鋭さを持っている。
最初は小降りだったものがどんどん激しさを増し、今では到底止まないような大雨になっていた。
空は曇天、灰色のまま。依然として変わる気配を見せない。

「それにしても、どこだ?ここ」
咲夜さんにわけもわからぬまま逃がされ、館を出て辿り着いた先は木の生い茂った森だった。
いや、迷い込んだ、の方が正しいかもしれない。この森は相当深く、道も道を成しておらず戻るにも戻れない状況だった。
「そういえば、あんまり紅魔館から出たことなかったな・・・」
こんな時に地理を学んでおかなかった事を悔む。
しかし進まなければ何事も始まらない。
というわけで傘も持たぬ濡れ鼠のまま、俺は森を彷徨い歩いているのだった。



「・・・レミリア・・・怒ってるかな」
逃がされた時は本当に突然だった。


『レミリア様は次の晩に貴方を殺す、と仰っています。どうかその前に逃げてください』
『え、いやその、咲夜さん?』
『私の事は構いません。お嬢様はお怒りになるでしょうが・・・』


「『お嬢様が自らの手で貴方を手にかければ、きっととても悲しまれるでしょうから』・・・か」
レミリアは本当に俺を殺したがっているようだった。
あれで悲しむというのだろうか。
…しかし、悲しんでくれるのなら不謹慎だが嬉しい。
それは、レミリアの中に俺という存在が少しでも残ってくれていた、という事なのだから。

「考えてみれば、一目惚れだったんだよな」

今まで気付いていなかったのが恨めしい。
あの時は勢いに任せてしまい「好きだ」などと言ってしまったが、よくよく考えてみればあれはとても重大な事だった。

レミリアに出会い、レミリアという少女を知り、そして好きになった。
でもそれ以前に、初めて彼女を見た時から、俺の心は奪われていたに等しい。

あの真紅の羽を見た時から。

あの瞳で射抜かれてから。

あの存在を目の当たりにした時から。

…全てに、惹かれた。

今まで見てきた他の「綺麗なもの」が霞むほどに鮮烈に焼きついたその姿。
二重の意味で俺の世界が変わった日。


「・・・本当に、何やってるんだろうな俺」
だというのにこのザマだ。
レミリアを怒らせた挙句本当に殺されそうになっている。

そういえば、咲夜さんは大丈夫だろうか。
レミリアは何かあるとすぐに彼女に当たるから、何もなければよいのだが。
「・・・でもごめん、咲夜さん」
せっかく貴女が逃がしてくれたのに、馬鹿な奴なのは分かってる。
このまま逃げてどこかの里で暮らした方が安全なのは分かってる。


でも俺は、紅魔館に帰らなくてはならない。


帰って、レミリアにもう一度自分の気持ちを伝えなくてはならない。

命乞いというわけではないし、それに今更何を言ったって変わらない。
俺がどんなに「違う」と思っていても、レミリアは人を殺す事に何も厭わないのだから。
だけど―――

「・・・うん。やっぱり、好きだしな」

何よりもう一度、会いたい。
そして叶うものなら、彼女をまた撫でてあげたい。
レミリアは嫌がるだろうが、一番最初に頭を撫でた時、不意を突かれて少し満更でもなさそうな顔だった事を知っている。


…俺だって死にたいわけではない。レミリアがそれで喜ぶと知っても、やはり何事も生きていないと始まらない。
けど、この大馬鹿者は自ら死にに行くような選択肢を選んだ。
咲夜さんの気遣いも無駄にして、結局ふり出しに戻るという、それしか出来ない木偶の坊。


…でも、それでも。
こいつは目の前の安全より、一瞬先の死を選んだのだ。
そこにどんな理由があったかなんて、そんなのは彼女の事しか考えてないに決まってる。
自分に自信が持てた日などないが、今だけはこいつの選んだ道を信じたい。

―――それは決して、間違いではないはずだから。





激しい雨の中進む。
ここがどこだかなんて分かるはずもないけれど、歩いていればいつか届くものもある。
それが強く願っていたものなら尚更だ。







―――だが。
俺はそこで、本当にアリエナイものを見た。





…森の中、少し開けた場所にあった赤い塊。

「―――おいおい、あれはまさか」

でも見てしまったからには幻覚とかでは済まされない。
済まされないので―――






「レミリア―――――――――――っ!!」





その、レミリアらしき塊目がけて、全速力で走って行った。









「―――」
温かい。

さっきまではとても冷たくて暗かったのに、今はとても優しい温かさが私を抱いている。

これは、知っているようで知らないような微妙な温度。
でもいつも傍にあったような、懐かしくて近いぬくもり。


…そうだ。
急に雨が降ってきて、でも今はそんな事考えられなくて、あいつを探そうと躍起になってて、でも結局ふらついてきてしまって・・・
それで、手頃な広場で休んでいたのだっけ。
羽で冷たい雨から身を守っていたのだが、それも限界で、突然眠くなってきて、それで―――



「・・・ア、リア・・・」

誰かが呼んでいる。私の、名前。
…そうだ、この声も知っている。
本当に近かった人、でも思い出せない―――思い出さなくちゃいけないはずなのに。


「リア、レミリア・・・!!」
その人は必死に私を呼んでいる。
心の底からの訴えのように、ものすごく懸命に。
…私が目覚めるかどうかも分からないのに。ほんとうに、ばかな、ひと。



…私が一番馬鹿だと思って、一番愚かだと思って、
そして最後まで私の思う通りにならなかった、そうだ・・・彼は、初めての―――





目を開ける。
「レミリア・・・!よかった、無事か!?」
「・・・・・」
そして、虚ろな瞳で彼を見つめた。
ああ―――どうして彼がこんなところにいるのか―――これだけ時間があったならもっと遠くへ行けただろう―――いや、そんな、ことより。


こいつは―――私に殺されに、出てきたとでも言うのか。



「・・・放しなさい」
「え?」
「放せ、と言ったのよ」
彼に抱きすくめられていた体を無理やりよじり、その拘束から抜け出す。
「レミリア?それより大丈夫か、お前」
「私の心配をしていていいの?そんな事より、逃げる事を考えなさい。




 ―――まあ、どうせ逃がさないけれど」




「・・・っ!」
一息で彼をぬかるんだ地面に押し倒す。
鋭く尖った爪は彼の首元に突き付け、もう一方の手は肩をしっかりつかんで放さない。
これでもうチェックメイトだ。
行動に移してみれば、何という事のない、実にあっけないものだった。

「・・・レミリア」
「何?遺言なら聞かないわよ」
これでようやく―――彼を殺せる。
それで、言う事を聞かない心も静まってくれるはずだ。

今まで苦しんだこと。
こいつを思うだけで苛立たしかったあの感情も、これで終わりになる。

言う事を聞かないのなら、全部私のものにしてしまえ。



「レミリア・・・お前」
「―――煩い。もう喋らないで」
その声も。
何もかも、壊してやる。

「・・・ずっと、貴方に悩まされてきた。
 貴方が傍にいて、何かしてくる度に煩わしかった。
 貴方が変に私に構うから―――いつまでも私の言う通りにならないから。
 こんな人間一人に悩まされているという事実が嫌だった。
 どうにもならないのに貴方の事で悩んでしまうのが、一番嫌だった」

「レミリア」
「でもそれもこれで終わる。
 ・・・貴方を殺せば確実に何かが変わる。それなら、殺してみるのも悪くない」

感情のない声。自分でもぞっとする。

「・・・○○。あなたを、ころす」

あくまで静かに。

…この心の内が痛いくらいに叫んでいるのは気にしない。
そんなもの気にしてはいられない。
本当に、こいつのせいで・・・ずっと、こいつを壊したいというこの衝動と戦ってきて、
壊してしまえば―――○○は永遠に私のもの。


…爪を突き立てる。
あと少し力をいれてしまえば、ここから血が噴き出て首は飛び○○はいなくなり―――





「・・・さようなら。○○」

すっ、と爪を滑らせ―――










ぽたり。
血が、彼の首から滴った。










「――――え?」



それは、ほんの数滴だった。
首を飛ばすにはあまりにも足りない量。
爪がかすった程度の傷。


なぜなら―――







「・・・○○」
彼の腕が私を包み込む。

私が行動を仕掛ける前に―――、○○が、私を抱きすくめていた。




「・・・体、冷えてるだろ」
真横に見える彼の耳は真っ赤で。
こんな状況なのに―――こんな状態なのに!



「○○、何、を」
「だから。体が冷えてるって!
 このままだと風邪ひく。いや、吸血鬼って風邪とかひくのか?そもそも・・・」
「―――ふざけないで!」


もがき脱出を試みるが、彼は意外とがっしりと私を捕まえており、びくともしない。
…こんなに、力が強い、男の人の体であったことを実感する。


「貴方、今の状況が分かってるの!?私は貴方を殺「分かってるさ、そんな事」
遮られるように言葉が入り込んでくる。
「でも・・・レミリア、寒いだろ。
 俺はお前が寒い思いをしてるのは我慢ならない。だから、こうした」
「さ、寒くなんか・・・!」
「体が冷えてるって。芯から冷えてるから、こうした方が早い」

…なんて理由だ。
彼は本当に、それだけの理由で、あそこで一歩間違っていたら死んでいたのに、それなのに、それなのに―――


「・・・・」
彼の腕の中に収まっていて初めて、本当に体が冷えていた事を知った。
彼も雨の中を歩いていた筈なのに―――私とは正反対で、じんわりと温まってくる。
さっきまでは、彼の事で必死で、こんな事全然気が付かなかった。
でも、○○は―――。




「・・・貴方って本当に馬鹿」
「ん・・・」
「馬鹿中の馬鹿よ、今こうしている時だって、私に殺される事なんか考えていないんでしょう!?」
「・・・ああ。レミリアは今そんな事をするような子じゃないからな」
「貴方に、私の何が分かるって言うの・・・っ」

彼の馬鹿さと自分の愚かさに腹が立ってくる。
今だ。今、殺してしまえばいい。
距離はないのだから、容易く殺せるはずだ。
それなのに、それなのに・・・!!


「・・・離してよ」
「嫌だ」
「放しなさいって言ってるでしょう」
「まだ温まってない。・・・俺はレミリアが好きだからな、ここで放す訳にはいかないんだよ」
「・・・・っ」

まただ。
またそんな風に簡単に、私の心を乱していく。

乱すだけ乱しておいて、そして自分は何もしないのだ。
迷惑極まりない。
人の心に土足で踏み込んでおいて、○○のせいで私はこんなに苦しいのに・・・!


「○○は、何も分かってない・・・っ!
 私の言いなりにならないし、すぐ頭とか撫でてくるし突飛な行動ばかりとるし!
 私にも予想がつかないから、悩んで悩んで、すごくすごく苦しいのに・・・!」


いつも○○の事で悩んできた。
私の言う事を聞かない人間なんて、初めてだったから。
優しくされる度に、○○を思う度に、○○が他の女と一緒にいるのを見る度に、
苛々は募っていった。


その何もかもが本当に苛立たしくて、何故苛々しているのかよくわからないから余計に悩んで、
私一人じゃどうにもできなくなって、○○を私のものにしたいと思って―――、
そして、殺すという行動に出た。


「○○は、私の気持ちなんて知る由もないからっ」
「・・・馬鹿言うな。俺だってずっと悩んでたんだぞ!」


耳元で必死な声が響く。
その声は、今まで聞いたどんなものより辛そうで―――苦しそうで。

「・・・俺はいつもレミリアを怒らせてばかりだった。
 普段通りにしてるだけなのに、レミリアは俺が何かすると怒るし。
 どうすればお前が怒らないのか、何をすれば喜んでくれるのか―――ずっと、不安だった」
「・・・あ」


「俺はレミリアの笑顔が見たかった。
 一度も見たことがないし、それに―――笑ってほしかった。
 お前に、幸せだと感じてもらいたかった。
 俺がお前を幸せにしてやりたかった。・・・レミリアの事が、好きだから」
「あ・・・」


「でもお前は何をしても逆に怒る。
 それどころか―――お前をここまで追い詰めた。
 お前を信じていたから殺されないと思っていたけど、ここまで俺が追い詰めた。
 ・・・・本当に、ごめん」
「え・・・○○」


○○がまっすぐに、私の瞳を見据えてくる。
申し訳なさそうな表情で、今にも泣き出しそうな表情で。

「でも、俺がレミリアの事を好きなのは、間違いじゃない」
「・・・っ」
「好きだ。レミリア」


…なんで。なんでいつも、そんな事。
お願いだからこれ以上言わないでほしい。
これ以上深く私の中に踏み込んできてしまえば―――また私は滅茶苦茶になってしまう。
○○への感情が抑えきれなくなって、私、わたし、は―――


「私・・・もう、どうしたらいいかわからない」
「レミリア・・・」
「○○がいるから、○○のせいで悩んでるのに、○○なんて大嫌いで、今も憎いのに―――
 また○○のせいで悩んじゃう。心を乱されてしまう。
 もう、これ以上悩むのは、嫌なの・・・・っ!」


嗚咽を繰り返す。
なんで泣いてるかすら分からないのに、こうして○○の前で涙を見せている事がとてつもなく恥ずかしい。
酷く―――心を乱されていた。
その涙の意味も分からないのに、止まる事はない。



すると―――




「あ・・・」
「ん、よしよし」

○○の手が、私の頭を撫でている。


…一番嫌いな行為。
見下されているようでいつも嫌だった。
でも拒否したのは一回だけ。
止めさせよう止めさせようとずっと思っていたのに、最後まで自由にさせていた大きくて温かな手のひら。


本当に、嫌、なのに。
…何故なのか。

今はこの温かさを拒否する事が、どうしてもできない――――。



「・・・ほら、な?やっぱり嫌じゃないだろ?」
「何、勘違い、してるのよ・・・嫌よ、こんなの、一番大嫌い・・・っ!」

今は何を言っても虚勢にしかならない。
私はひどく惨めな泣き顔のまま、○○の朗らかな笑顔を見つめていた。


…あたたかい、手のひら。
それはまるで私を守ってくれているようでもあり、
大切にしてくれているようでもあった。
見上げればそこには必ず○○の笑顔があって、
そしてそれを叱りつける私がいる。
それはもう、他愛ない日常の一部。
もう二度と帰ってこないような、素晴らしかった日々の欠片。


そうだ―――
私が一番欲しかったものは、


「・・・レミリア、今は悩んでもいい。俺も悩んでるんだからな。
 でも、そうだな・・・俺も勇気を出して言ったんだから、レミリアもちょっとだけ勇気を見せてほしい」


物言わぬ死体として私のものになった○○じゃなくて、


「・・・馬鹿、私から言う事なんて、何にもないわよ・・・っ!
 なんで言わなくちゃいけないのよ、嫌い・・・なんだから・・・っ」
「はは、そっか。まあ、いつか素直になってくれることを祈ろう」







この温かな笑顔でいつまでもいてくれる○○だ。
きっと、そう。
今はよくわからないけれど、これが私に必要なものなのだと、感じ取ることができるから。





だから、もう少しだけ。
あともう少しだけだから、撫でていてほしい。



私はもうこの温もりを知ってしまったから、簡単には手放す事ができなかった。
…きっと、これからもできないだろう。
○○が悪いのだ。
私にこんなに悩ませて、きっとこれからも悩んでいく。

この手のひらのことも。全部。全部。



でも今は、ただこの温もりを感じていたい。
どうか、今だけは――――





…最近、少し変わった事がある。




それは俺からしてみれば何の変わりもないけれど、
それでも確実に何かが動き出した特別な日々。


それはレミリアからしてみればきっと大きく変化した日々。
…いや、そう思いたい。
そしてそれは俺がいるからなんだと・・・少しだけ自惚れてもいいんだろうか。


まあ、とにかく。
俺は相変わらず背の低い彼女を笑顔で見下ろしていて、
彼女は顔を赤くしてそれに怒って、
でもその表情が可愛いから思わず抱きしめたくなって、本当にそうしようとするともっと赤くなってしまって、
…まあ、結局俺がひっぱたかれて終わりなんだが。


それはそれは愛しい彼女と俺の、他愛もないやり取り―――。











話は少し前にさかのぼる。





「う~・・・」
「何変に唸ってるのよ、少しは静かにしてちょうだい」


…あの激しい雨の中、レミリアを連れて帰ったその次の日。
当然といえば当然なのだが、俺はばっちりと風邪をひいてしまった。

そんなわけで俺がいるのはベッドの中だ。
たくさん服を着こんで(咲夜さんに着こまされて)、情けない事に鼻水をすすりながらベッドで大人しくしている。

さっきまで咲夜さんが付きっきりで看病していてくれたのだが、その時から一緒にいたレミリアは今も俺の隣で悪態をつきつつも傍にいてくれている。
レミリアも雨で少しばかり弱っていただろうに、それでもここにいてくれる事が素直に嬉しい。
はっきり言ってベッドはふかふかだし、部屋はなんか豪華で暖かいし、レミリアがいてくれるしでいい事づくめな状態なのだ。

…でもここ、レミリアの私室じゃなかったっけ?
熱出してぶっ倒れて目覚めたらここにいたから詳しい事が何も分からない。
いや、そんな事ないと思うが・・・熱で朦朧としているのかもしれない。
そうだとしたら大変だ。主に俺の精神が耐えきれない。


「・・・る、○○・・・何ボーッとしてるのよ」
「ん、レミリア・・・」
「もう、さっきよりひどくなってるんじゃないの?とっとと治しなさい。じゃないと許さないわよ」
「・・・もしかして、心配してくれてるのか・・・?」
「っ!!
 ・・・それくらいの減らず口が叩けるなら、もうここにいて様子見る必要もないわねっ」


それは困る。
今の俺にとってレミリアだけが命綱のようなものなんだ。
レミリアを見ているといくらか元気が出る気がするから。お願いだから傍にいてくれ。
せめてレミリアと一緒にいたいんだ。それだけなんだ。




ぼごっ
「い、痛っ!!」
「な、なんて事言ってるのよっ!!」
殴られた。
…どうやら思っていた事がそのまま声に出ていたらしい。

とりあえず、レミリアの顔は林檎みたいに真っ赤でした。







「・・・ふん。そこまで謝るなら許してあげない事もないわ」
「お前が謝らせたんだろうが・・・っと、もうグーは勘弁してくれ。スペルカードを出すのもナシだ」
ああもう、なんだって俺は風邪をひいて辛いというのにレミリアを命がけでいさめなくちゃならんのか。
お願いだから今はあんまり気苦労をかけすぎないでくれよ。



「・・・人間って、弱いのね」
「・・・ん?なんだいきなり」
さっきまでの威勢の良さもどこへやら、レミリアは立ち上がると物憂げな顔をしてそう言った。
「少し雨に打たれただけで風邪なんてひくし、脆いからすぐ死んじゃうし」
「何をそんなに心配してるか知らんが、俺は今のところ丈夫だから死ぬ予定はないぞ。風邪もすぐ治る」

「・・・はあ・・・そこは『心配するな』とか言うところじゃないの?
 真面目な雰囲気を進んで壊しに行かないで頂戴」
「なんだよ、言って欲しかったのか?結構ロマンチックだったんだな、レミrぐはっ!!」
蹴られた。
痛い。真面目に痛いですレミリア様。
貴女に蹴られて回ってる頭が高い熱と相乗効果で俺を苦しめてきやがります。


「・・・もういいわ。はぁ、やっぱり悩んでるのは私だけか・・・」
「いや、ちょっと待てレミリア。あの雰囲気を戻す訳じゃないが、一つ頼みがある」

うん、やっぱり風邪で寝込んでる女が看病してくれてる男にお願い事をするのはセオリーだよな。
…ちょっと男女が逆転してるが。

「何よ、改まって・・・別に本気で出て行くわけじゃないわよ、・・・その、貴重な非常食の世話をするのも、やぶさかじゃないし」
とりあえず俺は非常食という立ち位置に収まったらしい。
まあ、それはともかく。

「・・・あのさ」
「な、何?えっと、ご飯ならもう食べたわよね。それとも別に食べたい物があるとか?
 持ってきてほしい物でもあるのかしら。暇つぶしの道具が欲しいの?
 で、でもその、えっと・・・」
妙に慌てているレミリア。さっきから背中の羽が落ち着かない様子でパタパタやっている。
その悩ましげな表情は非常に愛らしいのだが、言いたい事があるなら言ってくれ。

「そ、その―――か、体を拭いてほしいとか言うのはダメよっ!
 私にそんな事できるわけないじゃない、それに軽々しく肌を晒すのもいけないわ、そういうのはメイドに頼んで・・・
 ・・・・・・や、やっぱりメイドもダメっ!」

「・・・俺が女の子にそういう事を言うわけないだろうが」
大体まだお互いの肌を見せ合ってすらいないのに。
「そ、そう・・・じゃあ、何かしら」
どこかホッとした様子のレミリア。
俺はそんな彼女の手を取って言う。

「・・・手、少しでいいから貸しててくれないか」
「え・・・って、ええっ!?ま、○○、手っ」
「・・・ダメか?レミリアの手、冷たくて気持ちいいんだけど」
そして、その白くて小さい手のひらを自分の頬にそっと当てる。
…うん、やっぱりひんやりして気持ちいい。
火照った頬が少し落ち着いてくる気がする。

レミリアはまだ動揺していた。
「な、なんで、その勝手にっ、私の手を無断で借りるなんていい度胸ねっ・・・!」
「いいだろ、少しくらい。俺は病人だ」
頬に当てた小さな手が震えている。
心なしか、レミリアの頬も赤いようだ。

「・・・ふん、仕方ないわね。少しの間貸してあげる。人間の分際で私を独占できる事、光栄に思いなさい」
「はいはい。ありがたき幸せ。・・・あ、もう一個も貸してくれないか?そしたら幸せになれるんだけど」
「なっ・・・」

今日は熱でボーッとしているせいなのか、えらく積極的だと自分でも思う。
驚いているレミリアのもう一方の手も取り、空いている頬にくっつけた。
…熱のせいにしといてもらいたい。元気になって理性が戻ればやった事を思い出して恥ずか死ぬだろうから。

「んー・・・気持ちいいよ、レミリア」
「今日はとことん勝手ね、○○」
「あと・・・少しで、元気になるから。だから・・・今はそうしててくれ」
「・・・わかったわよ、もう・・・まるで幼子みたいなんだから」

レミリアが薄く笑った。
…ん、何気に始めてかも知れない。レミリアが素直に微笑んでくれたのって。
それが俺が風邪の時だというのが惜しまれるが・・・。


「ほら、こうしててあげるから・・・少し寝なさい」
「サンキュ、レミリア・・・じゃあ少し寝させてもらうかな」
レミリアはずっとここにいてくれるというし、冷たい手はこのまま触れ合ったままだし。
よく考えてみれば人生に一度あるかないかのすごい幸福なのだが、今は素直に寝た方がよさそうだ。
体もそれを訴えている。
それに、早く治して、レミリアにこの恩返しをしなくちゃな・・・




「・・・ん、でも、その前に」
「レミリア・・・?」


彼女の突然の声に、眠りに移行しかけていた意識が再び浮上する。
…俺を上から覗き込むその視線は、どこまでも熱かった。

「・・・貴方、顔が真っ赤よ。血よりも赤いわ」
「おいおい、それはないだろ・・・それに、レミリアも赤いぞ?」
「私の事はどうでもいいのよ・・・それより」


何故だろう。
その時、確かな確証もないのに、俺はレミリアが熱に浮かされていると思ってしまった。

瞳は熱く蕩けるように俺を見据え。
そして、赤い顔がゆっくりと俺に近づいてきて―――



「って、ちょっと待てレミリアっ」

「何よ」
今度は俺が驚く番だった。
「あのさ、その、顔が近、」
「―――熱」
「え?」


「熱を―――測ろうとしてるのよ」



「・・・額をくっつければ、熱が測れるんでしょう?
 ○○が、あまりにも赤いから・・・測るだけよ、それだけだからね」

囁く声は甘く。
うってかわって毒のように、脳に直接響く。

「いや、その―――」
「断るなんて許してないわよ。・・・今くらい、私の言う事を聞きなさい」

心臓の音が、やけにうるさい。
みっともないくらいにバクバクとその鼓動を高鳴らせている。
ええい、落ち着け。こう言って落ち着いた試しなどないがとにかく落ち着くんだ。
そうだ、こういう時はアレだ、奇数、じゃなくて素数を数えればいいんだっけ?1、2・・・・・・

…ダメだ、続きやしない。


…ぐらぐらと、湯気が立ち上っているような錯覚。
熱い。
顔が熱くて、ふらふらする。
確実に、熱が出ているせいだけではなく―――


「・・・レミリア」
「ん・・・じっとしてなさいよ」


レミリアの両手は俺の頬に添えられたまま。
彼女の顔はどんどん近付いてくる。
これでは、傍から見るとまるで、彼女の方から俺に、


「・・・・・」

言葉はもうない。
彼女の顔が驚くほど近く、少し動けば口づけ出来てしまうそうな距離。

そんな―――何よりも近い距離。

静まり返った部屋には時計の針の音だけが緩やかにこだましている。
お互いの息遣いが何よりも鮮明に聞こえる幸福。
彼女の吐息が俺にそっとかかり、ああもうどうにでもなれと小さな勇気を振り絞って―――



























「レミリア様ー!!永遠亭から追加のお薬届きましたよーっ!!
 あ、やっぱりここにいた。もう門番の仕事ほっぽり出して来ちゃいましたよ、○○さんもお見舞いしたいし!
 でもこれ注文間違いじゃないんですか、精力増強のお薬なんです、けど・・・・・・・・
 
 ・・・・・・・・・あ」




 




…いや、まあ。
こうなる事を予想していなかったわけじゃない。

でも。
でもだな。


…これだけは、言わせてくれ。






「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この」
「ひっ・・・そ、その、レミリア、様?
 わ、私何も見てませんから、見てないったら見てないですから、メイド長にかけて誓いますから、だから、どうか落ち着いて・・・!!」
「こ、の・・・・・・・・・・・・!!」


「ひぎぃっ!!だ、弾幕やめてくださいっ、それだけはーーーっ!!!」
ぴちゅーん。







…それはあまりにも、ベタすぎやしないか・・・・・・・?
















「―――だからっ、○○がすごく腹が立つのよ!聞いてるの、パチェ」
「ええ、聞いてるわよ一応は」


今日は久しぶりにレミィとお茶会である。
ダージリンの紅茶にちょうどいい焼き加減のサブレ。
この二つをお供にレミィと色々語り合う事は結構楽しみな私の定例行事―――だったのだが。


「何をしても言う事を聞かないし、私を子ども扱いしたような態度を取るのよ」
「はいはい。・・・それもう三回目」
ぼそりと呟く。
案の定レミィは今の呟きに気付いていないようで、つまりはこのままだと話が無限ループに陥ってしまいそうだ。

うん、仕方ない。
彼女が思う存分語りつくすまで、この甘いサブレを味わっているとしようか。
レミィの話題の渦中にある、彼の事を考えながら。






…○○という男は、ある日ふらりと紅魔館にやってきた。

いや、連れて来られた、の方が正しいかもしれない。実際彼は自分でそう言っていた。


『レミリアに連れて来られたんだ。あれは有難かったな、右も左もわからなかった俺を館に入れてくれて』


…それは決して親切心ではないという事を私は知っていた。
今まで何人も同じような人間がいたから。
彼女は外から来る、後腐れのない人間の血を好むから。

だから教えた。
彼は見るからにお人好しそうでこのままだとすぐにレミリアを信じ切ってしまうだろう。
そうなる前に、せめて自分を喰う者の正体くらいは見定めておけるように、そんな何の手助けにもならないような忠告をした。
もう手遅れだと分かっていながら。

(・・・ああ、でも)

その時から、彼は少し変わっていたのかもしれない。
そしてだからこそ―――レミリアの目に止まった。否、止まってしまった。


『俺は、レミリアはそんな事しないと思うよ』
『理由は何?信じるに足る根拠を貴方は持ち合わせているの?』
『いや、ないけど・・・これは俺の直感。
 なんでだろう。・・・そうだな、ちゃんと理由はあるんだろうけど、今の俺じゃまだそれに気付けない。
 でも、それでもいいから、今の俺は彼女を信じ続けていたいんだ』


…そんなの、理由にもなっていない。
言い訳としては三流以下。
いくらでもその隙間をついて疑心暗鬼を呼び起こす事は出来た。

でも、そう言いきった彼の瞳が全てを物語っていて。
…悔しいけれど、その時の私には、何も言い返す事ができなかったのだ。








(信じ続けていたい・・・か)
目の前の友人は、はしたない事に彼への怒りを言いながらサブレに噛り付いている。

…彼の事となると、見事に見境がなくなるらしい。

まあ、もうこんなのは慣れっこだったが。
何せ、彼が来てからこの方、その一挙手一投足が話題にのぼらなかった事などない。
正確に言えば、レミィが一方的に怒って私はそれに相槌を打っていただけだったのだが。


見境がなくなると言えば、つい一週間ほど前まで彼女は別の意味で見境がなくなっていた。

とにかく、情緒不安定だったのだ、あの頃は。
お茶会の度に○○への恨み事を聞かされるこっちの身にもなってほしかった。
いや、恨み事というのなら今でも同じなのだが、あの頃はどこか違った。
雰囲気・・・とでも言えばいいのだろうか。
今なら感じられる微笑ましさというものが、全くもって皆無だったのだ。

彼が欲しいという、衝動。
一人の人間に悩まされているという嫌悪。
そして、それを解決できない自分へのもどかしさ。

これらがない交ぜになって、・・・つまり、人間でいう軽い鬱状態だったのだと思う。
でも、私にはどうする事も出来なかった。
私が何と言っても、「どうにもできない」「どうしたらいいのかわからない」とかぶりを振るだけ。
そこに私が何を言おうとも根本的な解決にはならないような気がしたのだ。

本当に、彼の事で頭がいっぱいだった。
彼女の表面上は正常に見えても、心の奥底に何を潜ませているのか不安になった事もあった。


けれど。

それを解決したのも、また○○だったのだ。







「そうそう、この前の看病の時だって・・・!」
顔を赤くしながらレミリアは熱弁している。


そう、変わったのはそこだ。
○○の話をしている時は決まって頬が紅潮し、照れ隠しするように俯き、そしてその時の表情といったらまるで―――


「・・・恋する乙女、ね」
これは手がつけられないのも納得だ。
まあ、乙女・・・と称するには少し素直さが足りない気もするが。

「何?何か言った、パチェ」
「ううん何も。いいから続けて、レミィ」
「・・・もう、パチェはどうしたらいいと思う?○○ってばね―――」

何処からどう見ても惚気。
他人の惚気は聞いていて決して良いものではないらしいが、彼女の惚気は聞いていて気持ちがいい。
気持ちがいい・・・というか、まるで娘を見る母親の目線だ。
昔は人間になんて興味がなかったというのに、この成長ぶりと言ったら。


(本当に、○○のおかげね)
レミィは少し丸くなったような気がする。いや、体型ではなく性格が。
それもこれも、彼がいてくれたからなのだろうか。
レミィは彼の事でとても悩んでいるというが、それはむしろ幸せな悩みだ。
…吸血鬼にも青春はあったらしい。

…でも、少しだけ悔しい。
今の私は母親目線だから、例えるなら娘を男にとられてしまったようだ。
お茶会という二人きりの時間でさえ、○○はレミィの心を支配して離さないのだから。

だから、友人がどこか遠い所にいってしまったような気がして、少し・・・寂しい。


「私もまだまだなのかしら・・・」
「ぱ、パチュリー様、真顔で私の羽を引っ張るのはお止めください~っ」
「あら、いたの小悪魔」
「ひとの羽引っ張っておいて何言ってるんですか!」


いつのまにか私の手は小悪魔の羽をつまんでいたようだ。
くいくい。
…何だろう、この気持ちは。
ちょうどいい手触りだ。


「結構いいわね。暇つぶしに使えそう」
「暇つぶしって・・・れ、レミリア様まで!なんなんですか二人して私の羽をっ」
「(くいくい)・・・あら、何か気持ちいいじゃない」
「でしょ?この伸縮性もいい感じだし」
「だから、お二人とも放してください~っ!!」
小悪魔はすでに涙目である。

…少しくらい構ってくれてもいいんじゃないだろうか。
どうせこれからこの友人は、さらに彼につきっきりになってしまうだろうから。
その前に人間と吸血鬼じゃ釣り合わないだとか、寿命の問題とか色々山積みだが―――
きっとレミィは何とかするのだろう。

私が思うに。
もう、二人は離れられない気がする。
…特にレミィのこの執着心を見てると。

○○も朴念仁に見えてあれはあれで、レミィの事をしっかり愛しているし。
あと何年かしたら挙式かしら。なんか複雑。


「それはそうと、その○○はどこにいるの?」
ぴくり。
緩やかな笑顔だったレミィの顔が突然強張った。
「・・・レミィ?」
「・・・・・・・・・の、・・・ろ」
「何?」

「・・・フランの、ところ・・・・!」

おや。
それはそれは大層な表情でレミィは震えながら言い放った。
その威圧にティーカップも震えている。
小悪魔なんか青ざめてるし。

「それはまた、どうして?」
「知らないわよ!どうしてか知らないけどフランが○○の事気に入った、とか言って・・・!!
 おかげで朝から付き合わされっぱなしなのよ・・・っ、全く・・・私を放っておいて何を・・・!」
「いいい痛たたたたレミリア様っ、そんなに強く引っ張るとっ」

レミィの怒りはそのまま指先へ、ひいてはつままれている小悪魔の羽がヤバイ事になっている。
…あれは結構薄そうだし、そんなに強い力で引っ張ると破れてしまうんじゃないだろうか。
でも今は何を言っても無駄だ。それにレミィの八つ当たりを止めるとこっちに被害が及んでくる。

「○○もなかなか大変ね、あの妹の相手をするなんて」
妹にとっては遊びだろうが、そのままだと彼はいつか死んでしまうと思う。
今頃は弾幕を避けるのに大忙しな事だろう。
「で、レミィは大事な○○が妹にとられて悔しいと」
「だ、誰もそんな事言ってないじゃない!あいつは私のものなんだから、まず私を優先しなさいって事よ」
つまり自分の事だけ考えていろと。
この傲慢ぶりが今は微笑ましい。

「ちなみに、○○が毎朝中国と門の所で太極拳の練習してるのは知ってる?」
「・・・もちろんっ、知ってるわよ!ああもう苛々するわ!
 ちゃんとお仕置きはしたけどねっ!」
ぎゅぎゅぎゅーーっ
「あう、だ、だから痛いですってばレミリア様ぁ!!これ以上するとホントにもげ・・・」
ぎゅぐぐぐーーーっ!
「うぎゃああああああぁぁぁ理不尽!」

余談だが○○は私のいる地下図書館にも通っている。
なんでも幻想郷の事をたくさん勉強したいんだそうだ。本当にここにいる決意を固めたらしい。
あと魔理沙も○○と知り合いだったりする。彼女が本を狩りに(誤字にあらず)来た時に仲良くなったらしい。
…でもそれを言うと大変な事になるから絶対に言わない。君子危うきに近寄らず。

でもそれでも彼を束縛しきれないのがレミィらしい。
本当は、自分以外の女と話してもらいたくはないんでしょう?
ずっと傍にいてほしいんでしょう?
咲夜の手伝いも、中国との修行も、妹とも遊んでもらいたくはないんでしょう?

…だったらそう言えばいいのに。
お人好しな彼は言っても聞かないだろうけど、
少しはレミィの真剣さが伝わるんじゃないかしら。

この調子だと、言えるようになる日が来るのかどうかわからないけど。


「・・・本当に、素直じゃないんだから」
呟く。
本当に、素直じゃなくて怒りっぽくて嫉妬深いレミィ。
でも、そんなレミィだからこそ○○が愛した。


貴方の彼女はとても我が儘だけれど。
…私の大切な友人をこれからもよろしくね、○○。











「・・・宴会?」
「何呆けてるのよ○○。これから神社に行くんだから、早く支度なさい」


そろそろ夜かという頃、レミリアが唐突にそんな事を言った。
レミリアらしい、尊大な物言いで。
しかし宴会?この俺が?


「・・・宴会って、俺が行くんだよな。レミリアと」
「さっきからそう言ってるじゃない。何?それとも○○は私と行くのが嫌だって言うの?」
「いや、そんなつもりじゃないけど・・・」
「ならいいでしょう。ほら、急ぐわよ。咲夜はもう行っちゃったし。
 それに大勢人が来るんだから、遅れないようにしないと」

情けないのだが、まだ状況がつかめていない。
レミリアが俺を宴会に誘ってくれたのは分かる。レミリアはこの世界に顔が広そうだし、きっとたくさんの妖怪もお呼ばれしてるんだろう。
だが、しかし。
何故レミリアはそんな気になったのだろう。

「あのさ、レミリア。お前この前まで咲夜さんと二人で行ってなかったか?」
「そうだけどそれがどうかした?」
「なんで俺を連れていくんだ?俺を連れて行って得になるような事なんか何もないだろ?
 妖怪だらけの中に俺が突然入っていくのは変じゃないのか」
「人間もいるわよ。少し特殊な奴だけど」
「そういう問題じゃなくて・・・お前、今まで俺を外に出さないようにしてたのに、どうして」

レミリアは俺を外に出したがらなかった。
譲歩して湖の周囲を歩くだけ、そこから先は絶対に出さないようにしていた。
非常食である俺に逃げられるのを防ぐため・・・だと思っていたのだが、今になってどうして急に。

「・・・それは、その・・・そろそろいいかなって」
「何がさ」


「・・・紹介。しても、いいかなって」


レミリアは、頬を染めてそんな事を言った。
…やばい。
つまり、紹介って事は、その―――



「何勘違いしてるのよっ」
殴られた。
「ぐっ・・・馬鹿な、俺の考えてる事が何故分かった!?」
「あんたの思考なんて穴だらけで見破れない方が難しいのよ!・・・ふん、紹介は別にそういう意味じゃないわ」

なんだ、違うのか。
実は少し期待していたのだが・・・肩を落とす。

「まあ、あながち間違いじゃないけどね」
「何っ!?」
「・・・そ、そんなに喜ばないでよ・・・調子狂うじゃない」

レミリアはこほんと咳払いを一つ。



「・・・今のところは、そうね・・・私の従者として紹介しておこうかしら。
 私のモノだって言っておけば、誰も手を出したり取って食ったりしないものね」



「・・・レミリア」

まずい、かなり嬉しい。
だってそれは、つまり。

「―――俺の事信頼してくれてるってことだよな?」
「当たり前じゃない。こんなの・・・○○しかいない。
 だから、光栄に思いなさい」
レミリアが、自信に満ちた眼差しを俺に送ってきた。

…珍しい事もあったものだ。
レミリアが怒らずに俺に応えてくれるなんて。
もちろん嬉しくないわけがない。むしろ飛び上がってしまいそうだ。

「その代わり、私の従者として恥ずかしくない振舞いをしなさいよ。
 幽霊とか鬼とか獣娘とか色々いるけど、その一つ一つに驚いていてはダメよ」
「げ、そんなに・・・」
いやその他にも色々いるのか。この世界は広い。
「まあ、お手柔らかにお願いします」
「どうかしらね?ここで生活していくんだから、多少の事は慣れておきなさい。
 ・・・じゃないと私の隣にいるなんてもたないわよ」


そんなの、とっくに知ってる。
その全てを知って、それでもレミリアの隣にいたいと思った。


「それじゃ、行こうかレミリア」
「何勝手に私の前を歩いてるのかしら。むしろ貴方が私について来るのよっ」


それはいつものやり取り。
でも、明らかに何かが変わった会話。



二人でこれから歩んでいく道。
俺は何事も勇んでしまう急ぎ足だからすぐすっ転ぶ。
しかし彼女はそれにも動じず悪態をつきながら隣に来てくれる。
そして、相変わらず素直じゃないなと思いながら差し出された手を掴むのだ。
そうしてまたそれを繰り返しながら歩んでいく。


ちぐはぐな二人。
でも、俺の隣にはレミリアがいて、
レミリアの隣には俺がいる。
そしてそこにどんな壁があっても、手を繋いでいれば二人が離ればなれになってしまう事はない。
だから―――




「○○っ、何で手を繋いでるのよ!」
「こうしとけば迷子にならないだろ?それに―――」






俺が、いつまでもレミリアを感じていたいから。
これからも、ずっと。














あとがき
一応完結編。
そしてレミリア様別人。前作品とも別人。
相変わらず足りないイチャ分。オチのつかない話。


それはともかくレミリア様は俺の嫁、というお話でした。
愛は十分だぜ!



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最終更新:2010年05月23日 02:05