1.ぷろろーぐ

「あれ、留守か」

 博麗神社の石段を登り、ようやく社の前に着いた俺は、肩透かしをくらった気分だった。
 外の世界から来てから世話になっているし、たまにはおすそ分けでもと里でもらった西瓜を持ってやってきたのだが、肝心の霊夢がいない。
 いつもここにいてまったりとお茶を飲んでいる霊夢が、今日に限っていないとは、ついていない。

「しかし霊夢が留守なんて珍しいな……ん?」

 向こうから何かが空を飛んでくる。豆粒のように見えたそれはあっという間に大きくなり、見慣れた魔理沙の姿になった。

「よう、○○じゃないか」

 急ブレーキで止まった魔理沙は、こちらを向いて声をかけてくる。

「お、魔理沙。霊夢なら留守だぞ」
「知ってるぜ。さっきまで一緒だったからな」
「へえ。霊夢が出かけてるなんて珍しいけど、どこ行ってたんだ」
「……霊夢が異変の解決に行くって言うから、紅魔館までついていったんだけどな」

 なるほど、異変の解決か。聞いたところでは他の誰も代わることのできない、博麗の巫女の務めだというけれど。

「そうか。じゃあ何日か帰ってこないんだな」
「いや、私の方が速かっただけで、すぐに後から来るぜ」

 もう解決したのだろうか。だとしたらさすがだ。
 それにしてもさっきから魔理沙は何かにうんざりしたような表情をしているが、そんなにすごい異変だったのだろうか?




 そうこうしている内に、霊夢が帰ってきた。

「ただいま。……あら、○○じゃない。ちょうど良かったわ」

 こちらも疲れきった顔で飛んできた霊夢は、俺に気付くとおもむろに近づいてきた。

「ちょうど良かったって、何が」
「貴方、私の代わりに紅魔館行って異変を解決してきなさい」
「異変を……ってえええええええっ!?」

 何を言い出すかと思えば、いきなりそんな。

「何で俺なんだ。それって霊夢の仕事だろう?」
「私じゃ無理だわ。その点、○○はこの異変に向いてるし」
「そうだな。お前向きの異変だぜ」

 口をそろえて言う紅白巫女と白黒の魔法使い。俺向きの異変ってどういうことだ?

「魔理沙、湖まで送ってあげなさいよ」
「そうだな。暗くならない内に出発するか」
「ちょっと待て、俺はまだ引き受けるとは」
「あ、その西瓜は置いていきなさいね。魔理沙が戻ったら二人でいただいておくわ」

 そう言って、俺の手から西瓜を持っていく。
 この状況に抗議しようとする俺を、魔理沙が半ば無理やり箒の後ろに乗せる。

「おい人の話を」
「心配しなくても向こうでお茶くらい飲めるわよ」
「異変が起こってるんじゃなかったのかー!?」

 抵抗もむなしく、まだ流れが把握できていない俺を乗せて箒は急発進した。




2.宵闇の妖怪と氷精

 全速力で飛ばしたらしく、俺たちを乗せた箒はあっという間に紅魔館が見える辺りまでたどり着いた。
 魔理沙は俺を地面に降ろすと、すぐに飛んでいってしまった。
 せめて異変の内容を教えろと言ったら、返ってきた答えは「行けばわかる」とだけ。

「はあ、全くどうなってるんだ……」

 途方に暮れる俺の元に、二つの影が近づいてくる。

「あー、○○だー」
「あんたこんなところで何やってんのよ?」

 空からやって来たのはルーミアとチルノだった。
 やや遅れて、二人の後ろから大ちゃんが飛んでくる。

「もう、チルノちゃん速すぎるよ……あ、○○さん?」

 三人は俺の前に降りてきた。

「ふふん、○○ったらあたいに遊んでほしくてここまで来たのね?仕方ないから遊んであげるわ!」
「チルノちゃんったら……○○さん、チルノちゃんたちがいつもお世話になってます」
「ねー、今日は何して遊ぶの?」

 寄ってくるチルノとルーミアの後ろで、大ちゃんが困ったような顔をしている。
 自慢じゃないが、俺は面倒見がいいとよく言われる。
 この二人とも時々遊んでやっていたら、何だか懐かれてしまった。

「残念だけど今日は遊べないんだ。紅魔館に用事があってさ」
「……紅魔館に?」

 二人の頭を撫でながら言う俺に、大ちゃんが眉をひそめる。

「行くなら気をつけてくださいね。中に入ったわけじゃないけど、今の紅魔館って何だか普段と違う感じがするから」
「そう?あたいよくわかんないけど」
「わたしもわかんない」

 やはり、異変なのか。その割には幻想郷全体がどうこうという感じはしないのだが。
 ……いや、これからどんどん影響が広まっていくところなのかもしれない。
 ああ、不安になってきた。本当に、俺なんかが来てよかったんだろうか?

「……○○、遊んでくれないのー?」

 寂しそうにこちらの顔を覗き込むルーミアを見て、我にかえった。

「ごめんな。今日はちょっとだめなんだ。また今度な?ほら、これあげるから」

 そう言って、ポケットに入っていた飴を口の中に入れてやる。

「ありがとー!」
「そんなんであたいがごまかせるとでももぐもぐ」
「はい、大ちゃんにも」
「ありがとう。……本当に、気をつけてくださいね」

 三人の見送りを受けながら、俺は目的地へと歩みを進めた。







3.小華人小娘 ほん めいりん

 足元が赤く染まり始めた。紅魔館の領地に足を踏み入れたわけだ。
 普段の紅魔館になら、何度か来たことがある。
 人手が欲しいからと掃除や図書館の整理に借り出されるとか、退屈だからと連れてこられるとか。
 ……まあ、ろくな理由がない気もするが、ついでにお茶をごちそうになったり、フランちゃんの遊び相手になったりと、
 割合とけ込ませてもらっている。
 
 だがそれは、あくまでも普段の話。
 今の紅魔館は異変の中にある。
 いや、そればかりか意図的に異変を起こしているのだとしたら、当然侵入者は排除しようとするだろう。
 弾幕ごっこを挑まれたりしたら、弾一つ撃てない俺に何ができるだろうか。

「あー!」

 突然聞こえた声に身を固くする。
 見れば一人の妖精メイドがこちらを指差している。あの制服は門番隊か?

「みんなー!おきゃくさんだよー!」
「ほんと?やったー!」

 わらわらと妖精メイド達が集まってくる。ざっと二、三十はいるだろうか。
 いつの間にか俺は取り囲まれていた。しまった、この状態で弾を撃たれたら……

「かかれーっ!」
「わーい!」

 思わず目をつぶり、身構えた俺に弾幕の嵐が降り注ぐ―
 かと思ったのだが。

「あそぼー!」
「あそんでー!」
「うわっ!?」

 弾は飛んでこなかった。代わりに、妖精メイドたちが一斉に飛び掛ってきた。
 体当たり、ではないらしい。

「ねーねー、なにしてあそぶ?」
「おにごっこ?かくれんぼ?」


 何かおかしい。確かにここのメイドは普段から、「一応仕事はするけど、本質的には賑やかで遊び好きな妖精」だった。
 だがこれはいつもと違う。行動があまりにも幼い。幼いというより、もはや子どもそのもの。
 
「ねー、あそんでよ。さっききたおねーちゃんたちすぐかえっちゃうんだもん、あそぼうとおもったのに」

 おねーちゃん―霊夢と魔理沙か。確かにこりゃ弾幕でふっとばすわけにもいかないし、さぞ困ったろう。
 ……ああ、それですぐ帰ってきたのか。
 異変が起こった時解決しにくるのが大抵あの二人だということを思えば、意外と有効な防衛手段なのかもしれない。

「ねー、おんぶしてー」
「あ、ずるい。じゃあわたしだっこ!」
「はいはい、順番順番……じゃなくて!」

 とはいえ、かなりしまらない状態なのも確かだ。
 こんな手を使ってまで起こそうとする異変っていったい……
 俺をよじ上ってくる妖精メイドたちを構いながら、思わず考え込んでしまった。

「ああほら、おんぶでもだっこでも肩車でもいいけど暴れると落ちちゃうって、ちゃんとつかまって……ん?」

 ふと気付くと、門を正面に見据えて両脇にそびえる変なオブジェ(来るたびに思うが、あれは何なんだろう?)の陰から、誰かがこちらを見ている。
 
「……ねえ、きみ」
「!!!!!」

 人影は俺に気付かれないように見ていたつもりらしく、声をかけられて思いっきり驚いたようだった。

「は、はいすいのじんだ!」

 背中を向けて、屋敷の方に走っていく人影。緑色を基調にした中華っぽい服装、赤くて長めの髪。

「美鈴?」
 
 一つ一つの要素は、美鈴に見える。だが何か変だ。何だ、この違和感は?
 気になった俺は、逃げていくその影を追いかけることにした。

「よーし、今から鬼ごっこだ!俺が鬼!さあ鬼をつかまえろー!」
「えー、そんなのおにごっこじゃないよー!」
「まてー!」




 ……何とか撒いた。
 いつの間にか、紅魔館の門の前まで来ている。
 目の前には、両腕をいっぱいに広げて門にぴったり背中を付けている女の子。
 服装といい、髪型や顔立ちといい、全てが美鈴そのものだ。
 だが、何というか、その、いつもの美鈴と比べて…………平べったい。
 出るところも出ていないし、引っ込むところも引っ込んでいない。
 普段が普段だから、なおさらそれが際立つ。
 ついでに言えば、結構あったはずの身長も低くなっている。頭が俺の腰ぐらいまでしかない。
 誤解を招くことを恐れず、端的に言えば……ロリ。

「つ、ついてくるなよ~」

 涙目でこちらを見ている美鈴、っぽい幼女。

「あの、つかぬ事を訊くけどお嬢さんお名前は」
「……ほん めいりん!」
 
 ……確定。
 妖精メイドたちは普段から小柄だから、わからなかった。
 だが、これで事態がある程度把握できた。
 恐るべき事実!メイドたちも、美鈴も、心身共にロリ化しているのだ!
 俺は何となく悟った。これは異変を起こすにあたっての防衛手段なんかじゃない。
 これが、このロリ化こそが、異変そのものなのだ!

「おにいちゃんひとりでなにやってるの?」
「……気にしないでくれ。ところで美鈴、そこを通してくれないかな?
 お兄ちゃん中に大事な用があるんだ」
「だめ!めいりんはばんにんするひとだから、だれもなかにいれちゃだめなの!」

 短い手足をいっぱいに伸ばし、大の字になって門に張り付く美鈴。

「うーん、お兄ちゃん何度も入れてもらったことあるんだけどな。
 ほら、○○っていうんだけど、わかんないかな?」
「……だめ!しらないひとはいれちゃだめなんだもん!」
 

 ……くそう、この融通の利かなさも子どもならではか。
 いつもの美鈴なら、中に掛け合ってくれたりしそうなところだが。
 しかし、俺のことはわからない一方でしっかり門番をやっているあたり、
 記憶や認識はあいまいになっているものの完全に時間を逆行して幼くなっているわけでもないらしい。



 いずれにしても、このままでは埒があかない。元凶を突き止めるためにも中に入らなければならないが、無理に通るわけにもいかない。
 とりあえずどこか別の入り口がなかったか探そうと、踵を返したその時だった。
 きゅっと、服が引っ張られた。

「……かえっちゃだめ」

 振り向くと、美鈴が俺の服の端を握っている。

「……どうしろと」
「…………だって、だって……」

 それだけ言うと、美鈴の両目にじわじわと涙があふれてきた。
 そのまま手を離し、ぺたんと座り込んでしまう。

「だって、ずっとだれもこないし、でもばんしなきゃいけないし、だれもいないし……」

 しゃくり上げ始めた美鈴をなんとかなだめようと、俺は彼女の前にしゃがみこむ。

「……寂しかったんだ?」
「うっ、すんっ、う、うん……ぐすっ」
「よしよし、寂しかったね」
「うん……さびしかったよぅ……」

 小さな頭を俺の肩に押し付けるようにして、美鈴を抱きかかえた。
 美鈴はしばらくそのまま泣いていたが、ようやく落ち着いたらしい。
 泣きはらした目でこちらを見上げた。

「だいじょうぶかい?」
「うん……ありがと」
「そうか……美鈴、門の中に入れてくれるかい?
 うまくいったら、美鈴が寂しくないようにしてあげられるかもしれない」

 そうだ。どこまでいけるかわからないけど、もし俺がこの異変を解決できたら、いつもの紅魔館に戻る。
 そうすれば、美鈴も一人でいるのが寂しい小さな女の子ではなくなるのだ。
 美鈴は少し考えていたが、にっこりと笑った。

「いいよ。……とくべつだからね」

 そう言って門の前からどいてくれたロリ美鈴の頭を軽く撫でてやってから、俺は扉を開けた。


 霊夢が、俺向きの異変だと言った理由が分かってきた気がする。
 弾幕ごっこをするわけにもいかないこの状況、比較的子どもの扱いに慣れている俺なら
 ロリ化した館の住人を傷つけずに真相にたどり着けると踏んだのだろう。
 どこまで期待に添えるかわからないが、行けるところまで行ってみよう。
 決意も新たに、俺は館内への第一歩を踏み出した。

「……はっくしゅん!」

 急にくしゃみが出た。夏風邪か?確かに屋敷の中は外よりだいぶ涼しいが……











3.5 いんたーばる

「○○、どうしてるかしらね」

 博麗神社の縁側に腰掛け、霊夢は西瓜を食べていた。
 時折吐き出す種を遠くまで飛ばそうとするが、なかなかうまくいかない。

「まあ、なんとかなってるんじゃないか?」

 ○○を送って戻ってきた魔理沙が、隣にいる。
 霊夢に続いて吐き出した種は、飛距離を伸ばして草むらに落ちた。

「来年あたり生えてこないかしら」
「実がなったら半分もらうぜ」

 二人はそのまま無言になり、しゃくしゃくという音だけがしばらく響いた。
 遠くで蝉が鳴いているのが聞こえる。

「……しかしあれだな、ブン屋から紅魔館がおかしいって聞いて行ってみたら、
 まさかあんなことになってるとはなあ」

 口の周りについた西瓜の汁を手の甲でぐいとぬぐうと、魔理沙は言った。

「そうね。一方的に弾幕で蹴散らすのもあれじゃ寝覚めが悪そうだし」

 霊夢が答える。比較的丁寧に食べているため、あまり顔は汚れていない。

「でもほんと、○○向きの異変だよな」
「そうよね、だってほら、○○って」



『ロリコンだし』

 

 二人が声をそろえていた頃、○○は紅魔館の入り口でくしゃみをしていた。




────────


4.七幼の魔女 ぱちゅりー・のーれっじ

 背後で扉が閉まった。何とはなしに室内を見回す。人影はない。どうやらメイド妖精たちのほとんどが外へ遊びに行ってしまったらしい。
 それにしても、いつ来ても広い屋敷だ。だが心なしか、前来た時よりは狭いような気がする。目の錯覚だろうか?

「さて。どうしたものかな」

 入ったはいいが、どこへ行けばいいのかがわからない。
 変な捻りを加えずストレートに考えるならば、ここ紅魔館で起きている異変の元は当主のレミリアさんだ。
 しかし、肝心の彼女の自室がどこにあるのか俺は知らない。闇雲に探すには広すぎるし……

「……きゃあああああっ!」

 悲鳴!?……聞いたことがあるような、ないような声だ。
 何があったのか知らないが、とにかく放ってはおけない。俺は声のした方に向かって走り出した。




 図書館に来てしまったが、こっちで良かったのだろうか。
 薄暗い室内に立ち並ぶ巨大な本棚の間を歩いていく。下手をすると迷ってしまいそうだが、ここまで来たら進むしかない。
 古い本の香りが漂う中、さっきの声の主を探す。
 
「おーい、誰かいるのかー?」

 返事は返ってこない。自分の声だけがは反響している。 

「……たすけてー」

 その中にかすかに、か細い声が混じった。
 慌ててそちらに駆け出す。
 しばらく走ったところで、床に積みあがった本の山が目の前に現れた。

「たすけてくださいー」

 よく見ると、本の下から小さな足が突き出ている。
 とりあえず無事らしいが、重くて動けないようだ。

「だいじょうぶかい?今どけるから」
「すみません……おねがいします」

 結構な量の本をどけていく内、黒い翼や赤い髪が見えてくる。
 発掘作業が終わると、本に埋もれていた少女はスカートの埃を払いながら立ち上がった。

「おかげで、たすかりました。ありがとうございます」

 彼女も、異変の影響からは逃れられなかったらしい。変わらず礼儀正しいけれど、その姿は普段と比べてあまりにも幼い。
 この図書館の司書である小悪魔。今は子悪魔、といった感じだ。

「怪我はない?」
「はいっ、だいじょぶです。あ、でもほんが……」

 床に散乱した本を見回し、困ったような顔をする。

「ひとつだけとろうとしたら、たくさんおちてきちゃって……」
「……片付け、手伝うよ」

 なんだか気の毒になってきたので、声をかける。

「いいんですか?……じゃあ、よろしくおねがいしますっ!」
 
 小悪魔はほっとしたような笑顔で応えてくれた。




「はい、そのほんを、そこのあいてるところにいれて……、はい、これでぜんぶです!」

 ようやく片付け終わった。結構な量の本だったな。

「ありがとーございました」

 ぺこりと頭を下げる小悪魔。

「いえいえ、どういたしまして」

 つられて俺も頭を下げる。
 それにしても、外面的にはともかく内面にはあまり変化が見られない。
 美鈴と違って、小悪魔は異変の影響が少なかったのだろうか?

 ……と、向こうの方からぺたぺたと足音が聞こえてきた。

「こぁー、こぁー、どこー?」

 不安で仕方がないといった感じの呼び声が、足音と共にだんだん近づいてくる。
 やがて奥の暗がりから、小さな人影が姿を現し

「こぁー、おいてかないでー……むきゅ」

 ―あ、こけた。どうも裾を踏んづけたらしい。
 慌てて駆け寄る小悪魔と俺。
 うつぶせに倒れているので顔は見えないが、リボンを結んだ紫色の長い髪はいつもどおりだ。
 予想を裏切らず、人影はパチュリーさんだった。例によって、縮んでいる。

「ぱちゅりーさま、だいじょぶですか?もう、おかたづけするからまっててってゆったのに」
「痛くしなかったかい?」

 動かないロリパチュリーさんを後ろから抱きかかえて起こす。……いかん、ちょっと泣きそうになってる。
 心配そうに側にいる小悪魔は、こうして見ると何となく、手のかかる妹を持った面倒見のいいお姉ちゃんのようだ。
 
「ほらぱちゅりーさま、ないちゃだめですよ。ないたらわらわれちゃいますよ?」
「う……うん、なかない」
「さすがぱちゅりーさまです、さ、おへやにもどってやすみましょうね?」
「うん」

 小悪魔にあやされて何とか落ち着いたらしいパチュリーさんはふとこちらを振り向くと、俺の服の裾をぎゅっと掴んだ。
 
「……だっこ」
「……ん?いいよ」

 抱き上げたパチュリーさんは、びっくりするほど軽い。
 すまなそうな顔をしている小悪魔に笑いかけると、歩き始めた。
 図書館の続き部屋になっているパチュリーさんの私室は、確かこっちだったと思う。
 

 
 ベッドにパチュリーさんの小さな身体を横たえる。
 
「さ、ぱちゅりーさま、ねましょうね。
 ちゃんとやすまないとぐあいがよくならないってゆったでしょう?」
「や」

 ベッドサイドの簡素な椅子に腰掛けた小悪魔の言葉に、パチュリーさんはふるふると頭を振った。

「ごほんよんでくれたらねる」
「……もう、しょうがないですね」
「何か読んであげようか?」
「あ、いいですよ。わたしがよみますから」

 小悪魔は側の棚から、何冊か本を取り出し、中の一冊を開いた。どうやら絵本のようだ。
 この図書館にも絵本なんかあったんだなあ。
 ―ん?何か表紙に書いてある字が見たこともないような字なんだが。

「じゃあ、よみますよ……んと……くおん、に、ふしたるもの、しする、ことなく、かい?な、る、えいごうの……」
「ちょっと待った」

 何だろう、よくわからないが、背筋がざわざわするような気がする。

「それ、なんていう本?」
「えと、『たのしい ねこのみけ……』ううん、『たのしい ねこの みくろん』かな?
 ぱちゅりーさまねこさんがすきだからとおもったんですけど……」

 開かれたページを覗き込んでみる。少なくとも猫の絵本ではないようだ。
 何か……強いて言うなら蛸っぽいものが寝ている絵なんだが……
 選んだ小悪魔自身、あまりわかってはいないようだが、どことなく得体の知れない雰囲気がただよっている。
 SAN値が下がりそうな予感だ。

「うん、それはちょっと違うみたいだし、よしておこうか」
「はい……そうですね」
「ねー、つづきは?」

 パチュリーさんは布団の中で足をぱたぱたと動かしているらしく、掛け布団が波打っている。
 俺はベッドの隅に座ると、パチュリーさんの頭をそっと撫でた。

「じゃあ何かお話してあげるから、一つお話したらちゃんと寝るんだよ?」
「うん……たのしいおはなしがいい」
「はいはい、昔々、あるところに―」

 背中をゆったりしたリズムで軽くとんとんと叩きながら、俺はうろ覚えの昔話を始めた。



「―でした、めでたしめでたし」
「……すー、すー」

 ようやく眠ってくれた。さて、レミリアさんの部屋を探しに行くか。

「あの……」
「ん?」

 小悪魔がこちらを上目遣いで見上げている。
 
「もひとつ、おはなししてくれませんか?」

 何となく、中身はあまり幼くなっていないのかな、と思っていたが、
 どうもそれはパチュリーさんの面倒を見るためにお姉さんらしく振舞っていたかららしい。
 やっぱり、小悪魔も心身ともに縮んでいたようだ。

「いいよ。じゃあ、どんなお話にしようか」

 抱き上げて膝に乗せると、小悪魔は嬉しそうな顔で体を預けてきた。



 ちょうど話が終わる頃には寝付いてしまった小悪魔に予備の毛布をかけ、俺は部屋を出ようとした。
 ―ふと、机の上に広げられたままの便箋に目がいく。
 他人の手紙を盗み読みするつもりはないが、出しっぱなしになっているだけかもしれない。
 もしそうなら片付けておこうと思い、近づいた。

「これは……」

 パチュリーさんのものと思しき字で書かれたそれは、異変が起こる直前に記されたらしかった。

『……不覚だった。珍しく図書館で調べ物をしている時点で、変に思うべきだった。
 差し当たり生命その他に危険はないだろうが、巻き込まれて動けないのは性に合わない。
 まあ、実害はないと思うけど、これを見た人は早めの解決を。ああ、意識が、というよりは知性が遠のく……むきゅー』

 うん、割と楽しんでる気もするが、がんばって早めの解決を目指すか。
 解決……できるのか?





5.かんぜんでしょーしゃなさくやちゃん

 真っ赤な廊下を進んでいく。いつもながら、目が痛くなりそうだ。
 妖精メイドがいつにも増して仕事をしていないので、動くものが全然見えない。
 窓の少ない屋敷だが、それでもこの廊下には窓があり、光が差し込んでいる。

「よいしょ、よいしょ」

 視界の隅で何かが動いた。
 あれは、脚立だろうか。
 床を引きずるように前方からゆっくり近寄ってきた脚立は、窓の下まで来て止まった。
 小さな人影が、一歩一歩上に上っていく。

「あー、おそうじがすすまない!」

 人影は文句を言いながら、窓の桟にはたきをかけ始めた。
 あれは―

「咲夜、さん?」
「なあに?」

 おなじみのメイド服―サイズは一回り以上小さいが―に身を包んで一生懸命掃除している咲夜さんは、例によってロリ化している。
 普段がしっかりしているから、余計にあどけなく見えるようだ。
 細身で背が高いいつもの咲夜さんと比べて、何だかぷにぷにした印象を受ける。

「いや……掃除、手伝おうか」

 レミリアさんの部屋を探さないといけないのだが、咲夜さん一人に任せるのが気の毒で、ついそんな言葉が口をついた。
 窓だけでも、まだ俺の後ろに結構な数が並んでいるのだ。
 普段ならまだしも、縮んだ咲夜さんじゃ大変だろう。 

「んと、それじゃあおねがいしようかしら。えーっとねえ……」



「ん、もうちょっとみぎね」
「はいはい」

 で、何を頼まれるかと思ったら脚立の代わりに咲夜さんを肩車することになった。
 確かに、いちいち脚立を運ぶよりは効率がいい。これだと、咲夜さんの方が手伝いをしたがる子どものようだけど。
 片手でしっかりと俺につかまりながら、もう片方の手ではたきをかけるのは、心温まる光景だ。
 
「……よし、このまどでさいごね」
「はい、お疲れ様。じゃあおろすよ」

 しゃがもうとしたら、ぎゅっと頭にしがみつかれた。

「ま、まって」
「?」
「てつだってくれたおれいにおちゃをごちそうするから、きっちんまでのっけてってくれる?」

 甘えられている、のだろうか。何だか微笑ましい。



「ちょっと、まっててね」

 妙にサイズの合わないエプロンを着けた咲夜さんは、紅茶を淹れる準備をしてくれている。
 手際はいいけれど、その小さな背中に違和感を覚えた。

(ああ、そうか)

 いつもなら、こういったことは時間を止めてやるところなんだろう。
 だから普段咲夜さんが紅茶を淹れているところを見た覚えがないのだ。
 そういえば館が狭い気がしたが、これも咲夜さんの空間操作がなかったせいか。

「はい、おまたせ」

 考え事から我に返ると、目の前には紅茶のカップと、クッキーの載った皿があった。

「……いただきます」

 カップから紅茶を一口啜った。
 味も温度もちょうどよく、とてもおいしい。普段の咲夜さんと比べても遜色のない完璧さだ。
 クッキーに手を伸ばす。甘すぎず、紅茶に合う味。
 よく見ると犬の形をしている。顔を上げると、エプロンも可愛い子犬柄だった。

「どう?おいしい?」

 心配そうに聞いてくる。普段の咲夜さんなら決してしない質問だ。
 こちらから賛辞を伝えれば軽く微笑んで会釈してくれたりはするが、自ら出来を尋ねたりはしない。
 きっと問うまでもなく万全を期しているからなのだろう。それでこそ完全で瀟洒な従者、なのだろうが……
 うん、これはこれで新鮮。

「うん、すごくおいしいよ」
「よかった。このくっきーもわたしがやいたんだよ。おゆはんだってちゃんとつくれるよ」
「そうか。偉いね」

 ついつい頭を撫でてしまった。

「えへへ。ねえ、さくやいい   になれるかな?」

 ちょっとよく聞こえなかったな。何になれるか、だって?
 やっぱりメイド長とかかな。

「そうだね、いいメイド長になれると思うよ」
「ちがうよー。いいおよめさんになれるかなってきいたんだよ」

 危うくクッキーをのどに詰まらせるところだった。
 小さくなっているとはいえ、咲夜さんからこんな質問が来るとは。

「……うん、大丈夫。きっといいお嫁さんになれるんじゃないかな」
「ありがと!」

 突然目の前にいた咲夜さんが消えた。
 
「あ」
「……あ」

 消えたと思った咲夜さんが、俺のすぐ横に現れる。
 一瞬恥ずかしそうな顔をした咲夜さんだったが、俺の頬に軽くキスすると、キッチンから走り去っていった。
 どうも時間を止めている間にキスをしようとして、タイムリミットが予想より早く来てしまったらしい。
 能力が使えないわけではないけれど、いつものようには上手くいかないらしい。

「……あのエプロン、ぶかぶかだったな」

 ということは、あの可愛らしいエプロンは咲夜さんが小さくなる前から持ってたわけか。
 そんなことをしみじみ考えながら、俺はもう一枚クッキーを口に運んだ。





6.永遠に幼すぎるれみりゃ

 廊下を進んでいくと、一際立派な扉の前にたどりついた。
 おそらくここがレミリアさんの部屋だ。
 この中にたぶんこの異変の張本人であるレミリアさんがいるに違いない。
 ついにここまで来てしまったが、どうしたものか。
 頼んだら異変を元に戻してくれるだろうか?
 弾幕ごっこを挑まれたらどうしよう?
 緊張が走る。カリスマに満ちた紅魔館当主、これまで顔を合わせた時はそれでも友好的な雰囲気だった。
 果たして、今扉の向こうにいるレミリアさんはどうだろうか。
 意を決して扉を……開ける!

「ぎゃおー!」
「うわっ!?」

 何かふかふかしたものが、いきなりぶつかってきた。
 目の前が真っ白に、いや、真っ赤、か?
 とにかく視界がふさがれたと気付いた時には、押し倒されていた。
 
「たーべちゃうぞー!」

 頭を打つかと思ったが、床が柔らかい絨毯だったのでそれほど痛くない。
 仰向けに倒れた俺の上から、声が聞こえてくる。

「ねえ、ちゃんとにげなきゃだめだよー。もけーれにたべられちゃうよ?」
「……レミリアさん?」

 聞き覚えのある声だとは思っていたが。
 扉を開けると同時に飛び掛ってきて、俺の顔に覆いかぶさったのはレミリアさんだった。
 まさかと思ったけれど、俺の胸の上にちょこんと座っている姿を見てしまった以上もはや疑いようもない。
 そしてこの反応。外見が幼いのは普段からだが、内面も他のみんなと同じように幼くなっている。
 しかし、しかしだ。
 じゃあこの異変は誰が起こしたんだ?自分までも巻き込んだ壮大な現実逃避だとでも言うのか!?
 
「いったい……いっひゃいひょうなっへ」
「ねー、あそんでよー!」
 
 俺が無視して考え込んでいるのに痺れを切らしたのか、レミリアさんは俺の頬を引っ張り始めた。

「ふぁ……わかった、遊んであげるから!まずはそこから降りてくれないかな?」
「わーい!」

 ようやく降りてくれた。立ち上がると、レミリアさんはわくわくした目でこちらを見上げている。
 こうなりゃやけだ。

「よーし、何して遊ぼうか?」
「もけーれごっこ!」
「……もけーれ?」
「にげなきゃたべちゃうぞー!」
「わー、食べられるー!」

 走り出す俺、追いかけるレミリアさん。
 
「……えい!つかまえた!」

 ひとしきり走ったところで、背中に飛びつかれた。
 さっきは不意打ちだったので倒れてしまったが、軽いので落ち着いていれば大丈夫だ。

「わ、捕まっちゃった」
「はしれー!」
「まだ走るの!?」

 レミリアさんをおんぶし、さらに部屋の中を走る。

「ふぅ……お嬢さん、どちらまで?」
「…………」
「レミリアさん?」
「……くー」

 どうやら遊び疲れて眠ってしまったようだ。
 ……俺も疲れた。

「やれやれ」

 ベッドにレミリアさんを降ろし、布団をかける。
 
「それにしても、この異変はいったい―」
「ご苦労様だったわね、○○。子守は大変だったでしょう?」
「―誰だ?」

 振り返ろうとした瞬間、身体が宙に浮くような感覚に襲われた。





6.5 いんたーばる 2

「あら?萃香じゃないの」
「よお、萃香」

 ○○がレミリアとの死闘(?)を繰り広げていた頃。
 霊夢は、神社の縁側に見慣れた顔がやってきたことに気付いた。
 
「やっほ~、霊夢。あ、魔理沙も~」
 
 いつものごとく酔っ払った萃香は、二人の傍らに詰まれた西瓜の皮に目をやった。

「あ、西瓜!ねえ、私の分は~?」
「……ごめん、もう食べちゃったわ」
「残念だったなー、共食いできなくて」
「え~!?」

 不服そうに口を尖らせた萃香は、縁側に腰を下ろした。

「いーもん、お酒分けてあげないから」

 取り出したのは、いつもの瓢箪―ではない。
 明らかに年代物の、ワインの瓶だった。

「珍しいわね、萃香がワインだなんて」
「へへ~、昨日紅魔館でもらったんだよ~」

 その言葉に、霊夢と魔理沙は顔を見合わせる。

「おい霊夢、異変の知らせをブン屋が持ってきたのいつだった?」
「……一昨日よ。萃香、まさか盗んできたわけじゃないわよね」
「人聞きの悪いこと言わないでよ~、魔理沙じゃあるまいし。
 ちゃんと渡してもらったんだよ……あ」

 萃香は、自分の発言が拙いものだったことに気付いたらしい。
 もはや後の祭り、ごまかそうにも鬼が嘘をつくわけにはいかないのだ。

「あんた、『昨日』紅魔館からそのワインもらったわけね?
 まともな応対なんかできないようなあの状態の紅魔館から」
「異変のこと、何か知ってるんだろ?きっちり吐いてもらうぜ」

 二人は、萃香に詰め寄った。





EX.ふりゃんちゃん

「ここは……?」

 気がつくと、俺は見たことのない部屋の中にいた。

「ここは、私の部屋よ。紅魔館の地下にある、私の部屋」

 さっきの声が答える。声のした方には、紅い人影。
 聞いたことのある、しかし聞き覚えのないその声は、
 今日この屋敷に足を踏み入れてからついぞ聞かないような、しっとりと落ち着いた大人の女性の声だ。
 目の覚めるような真紅のドレスを着た彼女の顔は誰かに似ていた。

「君は……フラン、ちゃん?」
「そう。フランドール・スカーレットよ」

 確かに目の前の人物は、フランちゃんの面影を備えている。
 だが、少なくともいつものフランちゃんではない。何故なら。

「大人、だ」

 高い背丈。落ち着いた、大人びた顔つき、物腰。
 驚いている俺に、彼女は微笑んだ。

「立ち話もなんだから、座らない?」

 そう言って、しつらえてあった小さなテーブルに着く。
 吸い込まれるように、俺は向かい側に座った。
 テーブルの上には年代物のワインの瓶と、グラスが二つ載っている。

「いかが?」
「……いただこうかな」

 フランちゃんが手ずから注いでくれたワインを、少し多めに口に含む。
 重厚な香りがのどを通り抜けていったが、今は味よりも気付けとしてアルコールが必要な心境だった。
 
「何から話せばいいかしらね……○○は、新月の時にここへ来たことはなかったわね?」
「うん、ない」
「お姉さまを見たでしょう?新月の時はいつもああなの。
 詳しい理屈は知らないけれど、外見はそのまま、中身が幼くなってしまう。私は、その逆」
「外見はそのまま、中身は大人になる?」

 だが目の前のフランちゃんは、外見も大人だ。加えて今日は、新月ではない。
 確か数日前だったはずだ。

「この間の新月の晩に、あの鬼に頼んだの。
 新月の魔力を、私に萃めてくれって。このワインと引き換えにって言ったら承知してくれたわ」

 鬼……萃香か。あいつ酒好きだからなあ。

「萃めた魔力は、図書館で調べた術式で固定してある。パチェに気付かれなくて助かったわ」

 ああ、あのメモ書き。寸前で気が付いたけど、時既に遅し、だったわけか。

「目論見通り、私は身体も心も大人になった。私を媒介に起こった魔力の反動で皆小さくなってしまったのも計算通り」
「なぜ、こんなことを」
「……○○、貴方がそれを訊くの?」

 フランちゃんは、自分のグラスからワインを一口含むと、こくりと飲み込んだ。
 白いのどが、艶かしく動いた。

「私が、貴方を好きだからよ」

 俺は混乱していた。この異変の黒幕がフランちゃんだったこと、フランちゃんが俺を好きだと言ったこと、
 そして、質問の答えが理解できないことにも。
 
「時折屋敷にやってくる貴方のこと、私は好きになった。
 思考が幼い普段も、新月の時も、貴方が好きだった。
 ただ一つの誤算は、貴方が」
「俺が?」
「ロリコンだったことよ」

 思わず俺はテーブルに突っ伏した。

「違うの?魔理沙から聞いたんだけど。
 ○○って優しくていい人ね、って言ったら
 『あー、あいつロリコンだからなあ』って」

 出掛けに魔理沙と霊夢が、俺にぴったりの異変だと言った真の理由がわかった気がする。

「確かに普段の私は心身共に幼いけれど、それで○○を惹きつけるのでは困るの。
 新月の時のお姉さまだって似たようなものだし、私だっていつかは大きくなるもの」
「……いつ?」
「……いつかはなるの!」

 怒った顔を見せるフランちゃん。だってなあ、五百年近く生きて今の状態なわけだし。

「その頃には自分はいないと思ってるなら大間違いよ。
 無事両想いになれたら、貴方には眷属になってもらうから」

 くい、とフランちゃんはグラスを乾した。
 おそらくは、これから核心に触れるために。

「今回の異変を起こせば、魔理沙や霊夢には不向きのこの状況、必ず貴方を解決によこすと思ったわ。
 やってきた貴方は、ここまでたどり着く頃にはさすがにロリに食傷しているはず。
 そこで私が、大人の魅力でロリコンを矯正しつつ貴方を魅了する。
 貴方が『小さい子だから』ではなく、『ただ一人のフランドールだから』私を好きになることで、私の目的は達成されるわ」
「……その計画には前提の段階で重大な欠陥がある」
「何?」
「俺はロリコンじゃない」

 全くひどい言いがかりだ。

「『仮に』そうだとしても」

 妙に力を入れて応えるフランちゃん。あれは絶対信用していないな。

「変わらないわ。紅魔館の住人はみんな貴方のことを憎からず思っている。
 美鈴も、小悪魔も、パチェも、咲夜も、それからお姉さまも。
 ずいぶん懐かれたでしょう?私はそんな魔法はかけていないの。
 例え記憶があやふやでも、幼く素直になったみんなの無意識下の気持ちが現れたのがあの状況よ」
「……信じられないな」
「ほんと、鈍いわね。そんなところも好きだけれど」

 そう言って席を立ち、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
 逃げられない。吸血鬼のプレッシャーだけではない、情念の網に絡め取られたように脚が動かない。
 どうやら俺は獲物であるらしかった。

「だからこそ、私はこの異変を起こしたの。新月の時の理性が続く内に計画を整えるのは、大変だったわ。
 この状況下で、誰にも負けないように、私は貴方を―
 ―○○を、墜としてみせる」

 蟲惑的な笑みを浮かべて歩を進めてきたフランちゃんの表情が

「っ!そんな!」

 突然凍りついた。

「どうしたんだ!?」

 状況も忘れて立ち上がる。
 自分の両肩を抱きしめるようにして膝をついてしまったフランちゃんの様子は、
 それほどまでに唐突で、辛そうだった。

「どうして!?力が、ぬけてく、新月の魔力が、散って」
「フランちゃん?しっかりして!」

 霧が晴れるように何かが消えていくのが、ただの人間の俺にも感じられる。
 目の前のフランちゃんは、少なくとも外見だけはいつも通りのフランちゃんに戻っていた。

「やだ……ここまできたのに……これじゃ、○○のロリコンを直せないよ……」
「……だから、違うってば」

 どうしてわかってもらえないのだろう。何か悪いことでもしただろうか。

「じゃあ、勝負よ。私を襲わなかったらロリコンじゃないと認めてあげる。
 一気に魔力を手放したショックで、私はしばらく動けないから、今なら無抵抗よ?」

 とんでもない難題を出しているつもりらしいが、そもそも俺はロリコンではないのだから手を出したりはしない。
 だいたい、動けない女性を襲うような真似などするつもりはない。
 ただ―

「あ」

 悔しそうに、悲しそうに涙を流すフランちゃんが、かわいそうで

「さ、もうおしまいにしよう」
「○○……」

 そっと、抱きしめた。

「あったかいね……」

 疑惑は晴れないかもしれないけれど、その時はその時。
 がんばって、無実を証明することにしよう。
 フランちゃんは、糸が切れたように俺によりかかると、やがて眠りについた。





 えんでぃんぐ

 あれから数日。俺は紅魔館に招待されていた。
 あの時フランちゃんから魔力が抜けたのは、萃香が事情を知った霊夢たちに叱られて、
 萃めていた魔力を疎の状態にしたからだったようだ。

「あ、○○さん!」

 門の前まで来た。辺りを門番隊の妖精メイドたちが飛び回っている。
 美鈴がこちらに気付いて手を振っている。

「やあ、美鈴」
「いらっしゃいませ、○○さん」

 笑顔で迎えてくれた美鈴は、ちゃんと元に戻っていた。
 いつものナイスバディな美鈴だ。

「ささ、広間へどーぞ」
「ありがとう」
 
 扉を開けてもらい、中へと進む。

「あの、○○さん?」
「ん、何?」
「い、いえ!なんでもないです!」

 美鈴は顔を赤くして、俯いてしまった。



「あら、○○」
「こんにちは、○○さん」

 館内を歩いていると、パチュリーさんと小悪魔に出会った。

「レミィに呼ばれたのね」
「はい、広間に来るようにって」
「私も後から行くわ。ところで○○」
「なんですか?」
「魔導書の読み方とか、覚える気はないかしら?」

 なんか既視感を覚える流れだな。

「えーっと、何でまた急に」
「……横で内容を口述してもらうと、研究がはかどるかと思ったのよ」
「小悪魔がいるじゃないですか」
「いや、私も図書整理とかがありますから。ねっ、パチュリーさま」
「……まあ、考えておいて」

 そう言い残すと、二人は歩いていった。



「いらっしゃい、○○」

 咲夜さんだ。子犬のエプロンは、普段も使うことがあるのだろうか。

「今日はこの後何か予定はあるのかしら?」
「いえ、特には」
「そう。じゃあおゆはん食べていきなさいな」
「ありがとうございます。楽しみにしてますね」
「ええ、腕によりをかけて作るから。さあ、お嬢様がお待ちかねよ」

 そう言うやいなや、咲夜さんの姿が消える。
 気がついた時には、少し離れたところを歩いている咲夜さん。
 俺の頬には、柔らかな感触がうっすらと残っていた。





 紅魔館の広間。
 テーブルに着いた俺の正面にはレミリアさんが、その隣にはフランちゃんが座っている。
 しばらくして、美鈴、パチュリーさんと小悪魔、そして咲夜さんが入ってきたところでレミリアさんは話し始めた。

「○○、今回はフランが迷惑をかけてしまったようね。
 当主として、姉として申し訳なく思うわ。ほら、フランも」
「うん……○○、色々とごめんね?」

 威厳あふれる態度のレミリアさんと、すまなそうにしているフランちゃん。
 俺としては、異変解決の役目を背負ってしまったという緊張感こそあったが、
 さほど迷惑を受けたという感じもしないので、かえって恐縮してしまう。

「いえ、別にそんな、気にしてないですから」
「……お詫び、と言っては何なのだけれど」

 言葉を切ったレミリアさんは、一呼吸置いて、

「○○を紅魔館に迎えようと思うわ」
「……へ?」

 予想もしなかった言葉を口にした。

「どのように、かはあなたに任せるけれどね」

 一瞬あぜんとしていたところに、それまで黙っていた他の皆も口を開く。

「その、私の隣で門番やりませんか!」
「司書の仕事もやりがいがありますよ?」
「私の専属サポート、でもいいわね。就寝前に何か一冊読んでもらったりするのも、悪くないわ」
「その……お嫁さん、とか……いやいや、執事として一緒に働くというのはどうかしら?」

 ……縮んでいた時のことは、どれほどまで覚えているものなんだろうか。
  
「まあ、ゆっくり考えるといいわ。あなたは私を選んでもいいし、私以外を選ばなくてもいい」
「あー、お姉さまそれじゃお姉さまが○○独り占めじゃない!
 ○○、フランの遊び相手でもいいんだからね?」

 異変を解決しても、必ずしも平和になる、というわけではない。
 でもそれで帰ってくる日常は、とてもいとおしく、騒がしく、楽しいものだ。
 俺は霊夢たちの気持ちが、ちょっとだけわかったような気がした。

「まあ、いずれにしても、ロリコンは直しなさい」
「……だから俺はロリコンじゃないですってば」




うpろだ1306、1376
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最終更新:2010年06月05日 00:23