「咲夜さん、ありがとうございます!」

 ○○は私が渡した服に着替えて姿見の前に立つと、ちょっと気取
ったポーズを取ったりして、無邪気に喜ぶ。
 彼が身につけたのは燕尾服と立襟のシャツにネクタイ、白手袋に
皮靴までの新しい仕事着の一式。今まで間に合わせで着させていた
くたびれたシャツやスラックスからすると、かなり上等な代物と言
える。

 ――喜んでもらえてよかった。彼がこれからもずっと紅魔館の仕
事に従事できるようにという意味を込めて贈ったものだけれど、本
当はもう一つの意味があった。

『いつまであの人間に粗末な格好をさせているつもりなの』

 しばらく前に、お嬢様が言っていたことを思い出される。……お
嬢様がなんだかんだ言って、彼のことを気にかけていたことを、私
は嬉しく思う。

「うふふ、どういたしまして。サイズもぴったりだし、思った通り
良く似合っているわ」
「あのとき採寸しに行ったのはこの為だったんですね。……でもこ
れ、ただの使用人には勿体ないくらいの代物じゃないですか。なん
だか執事にでもなった気分ですよ」

 襟を正しながらふと○○がそんな感想を漏らす。私は、そんな彼
の両肩に手を置いて肩越しに微笑みかけた。鏡に映る二人並んだそ
の姿を見て、なんだか安堵感が沸き上がる。なんだかお似合いの二
人だと思わないかしら? 私と○○って。○○はそんな私のことを、
鏡越しにきょとんとした顔で見ていた。

「いいじゃない、執事みたいに見えても。妖精たちには難しい仕事
は任せられないし、いつかは○○にそうなってもらわないと困る
わ」
「はい……そうですよね」

 ○○は自信なさげに答える。この仕事、ちょっと大変だけど、○
○が考えるほどに難しいことは何もないのだけれど、これも彼の性
格みたい。

「それに今日はお嬢様からお呼びがかかっているんですもの、これ
くらいしたほうがお嬢様もお気に召されるでしょう」
「……今なんとおっしゃいました?」
「あら、言っていなかったかしら? 昨晩お嬢様が、明日の晩○○
を私のところに呼んでおくようにと仰っていたのよ」
「聞けるわけないですよ、昨晩の話じゃ……」
「それもそうだったわね」

 前から少し気になっていたことがあった。どうも○○は、お嬢様
のこととなるととても敏感に反応するみたい。お嬢様と何か、あっ
たのかしら……? ○○とお嬢様って、ほとんど関わりがなかった
はずなのに。

「どうしてお嬢様が急にそんなことを言いだしたんでしょう」
「なぜかしら……きっとお嬢様も○○と親睦を深めたいのよ。今ま
でそれほど関わりがなかったでしょう」
「てっきり、もう僕には興味がなくなったんだと思って安心してい
たんですけどね……」
「それは誤解よ。○○は、レミリアお嬢様のことをよく知らないか
ら、そう思ってしまうのよ。だから今回のことはいい機会なんじゃ
ないかしら」
「……実は言うと、お嬢様はちょっと苦手なんです」
「あら、どうして?」
「…………それは、ちょっと、ごにょごにょ……」

 ○○は顔を紅潮させて俯いてしまう。そんな初心な彼の反応に、
私の気持ちが揺らぐ。……もしかして、○○はお嬢様のことを…
…? 年頃の男の子は、強がって自分の気持ちとは逆の態度をとっ
てしまうことがあるって話を聞いたことがあるけれど、でも……。

「心配なのね、お嬢様に会うのが」
「いや、その……はい」
「大丈夫、私はいつでも貴方のことを見ているから、心配しないで
いいのよ」

 私はそっと○○の頬に口づける。お嬢様が相手なら……仕方がな
いわ。でも彼は、私にとって大事な人だということには変わりない。

「もし○○に何かが起きても、すぐに飛んで駆けつけるから」
「咲夜さん……本当に、ありがとうございます」

 私はそれ以上何も言わずに、○○の顔を胸に抱き寄せる。すると
○○は、少し強張った身体の緊張を解いて目を瞑り、エプロンに顔
を埋める。……私が彼を必要なように、○○にももっと私を必要と
して欲しい。ただそれだけを想った。



――



「お待たせしました美鈴さん」
「やったー、今日もありがとうございます♪」

 門の前で私は○○さんから銀のトレイを受け取ると、早速今日の
メニューを確認する。以前ならコッペパン一つにバターと紅茶か
スープというのが常だったのに、近頃は○○さんにも仕事に余裕が
出てきたからか、一品おまけがついてくることがしばしばあった。
ちなみに今日の一品はサンドウィッチ。黄色と赤と緑の色彩が目に
も嬉しい。それに、いつもと違う服装の○○さんがちょっと格好良
く見えた。普段も、ときどき格好良く思えるけど……今日は、特に
そう思う。

「……あれ? どうかなさったんですか? なんだか元気がないみ
たいなんですけど……」
「あははは、個人的な非常事態です」
「それは尋常ではありませんね。話してみてもらえませんか?」

 笑いながらも、表情は完全に晴れているとは言い難い。○○さん
はわかりやすいから、こういうときは大抵何かがある。気の流れを
読む必要すらない。だから私がなんとかしてあげないと……と思わ
せるものを、○○さんは持っている気がする。

「ちょっとお嬢様にお呼ばれしまして……困りましたよ」
「え? 良かったじゃないですか! 大出世ですよ。普通呼ばれる
のは咲夜さんかパチュリー様ぐらいなんですから、使用人の立場で
お呼びがかかるのは、それはもうすごいことです。私だって滅多に
呼ばれることはありませんから」
「今回の場合はなんで呼ばれるのかわからないんですよね……その
せいで余計に不安で」

 私は○○さんの話を聞きながら、サンドウィッチを一切れつまん
で食べた。もぐもぐ……確かに、お嬢様(と咲夜さん)に呼ばれた
ときって、あんまりいい思い出がない気がする。当てのない探し物
とか……でもやっぱり呼ばれた時は嬉しくて、つい何も気にせず行
ってしまうけど。

「うーん、どうなんでしょうねぇ。お嬢様の考えることは気の流れ
を以ってしても読めませんから……あ、今日もいい出来ですよ。こ
のサンドウィッチ」
「ありがとうございます、下ごしらえは咲夜さんに手伝ってもらい
ましたけど」
「でもこういうのに慣れちゃうと、後々大変そうですね。○○さん
がいなくなったら私も困ってしまいます。毎日お腹ぺこぺこに逆戻
りしちゃいますから」

 そうですね、と笑いながら言う○○さん。できることならそのよ
うなことがなければいいんですが、なーんて、ちょっとドキっとし
てしまいました。そして何食わぬ顔で私は紅茶を一口飲む。○○さ
んがそんなこと言ったのは、私があんなことを言ったから? ……
でもそれは勘違いだって、わかっています。

「○○さん、いくらお嬢様でも突然怒ったりはしないですよ。私だ
って、何度か屋敷への侵入を許してしまったことがありましたけど、
今だに門番を続けられているんですから! 我儘だって、言われて
るみたいですけど、案外大らかなところもあるんですよ」
「まあ、意外と器が大きいらしいっていうのは、感じたことはあり
ます」
「それに最近は怒られることもありません。○○さんが来てから、
防衛体制は完璧ですから!」
「どうして僕が来てから……って、あ、そうか、あの規則のせいか
……」

 こうやって夢中になって話しているあいだに、あっという間に食
事が終ってしまう。こうなったら、○○さんももう屋敷に帰るしか
ない。……でもあともう一つだけ、日課がある。


「○○さん、そろそろ……しませんか?」
「……そうですね」

 私は○○さんの手を取ると、敷地内からは見えない塀の外側に○
○さんの身体を押しつける。力では私のほうがずっと上だし、背も
咲夜さんと同じくらいの○○さんとでは、私の方がちょっぴり高い
からもう抵抗できません。腕を押さえて、胸をわざとらしく押し付
けると、○○さんはすっかり黙りこくってしまって、もう自分から
は何もできなくなってしまう。私は自分から唇を重ねた。

「め、美鈴さ、ん……あ」
「んっ……んちゅ、ぱ……ふぅん……はぁ、ちゅっ、ちゅぷ」

 ○○さんは私の味をちゃんと感じてくれているんだろうか? さ
っきのバターやチーズの味が私の口の中にまだ残っているので、き
っとその味で満たされているに違いなかった。

 ときどき○○さんを食べてしまいたいと思ってしまう衝動はまだ
なくならない。そういう衝動にかられて夜、○○さんの部屋に行こ
うとするけれど、○○さんの部屋は咲夜さんによって空間が捻じ曲
げられており、辿り着くことができなかった。多分、私のことを意
識してのものじゃない。主にお嬢様向けの対策だと思う。

「ふ……ぷぁ、んっ、ん、んくっ……ちゅる、ちゅっ、んん」

 ざらついた舌が交わるたびにちりちりと脳髄を焦げていき、雑念
は吹き飛ぶ。十分に攪拌された唾液が○○さんとの間を行き来し、
溢れた分は口元を伝って流れていく。

「んっ……ふぅ、少しは元気になりましたか? ……なってるみた
いですね」
「ちょ、ちょっとこれは……違いますっ!」

 ○○さんは顔を真っ赤にして否定しますが、密着した私の身体が
その主張を見逃しません。……でもこれ以上は、私も本気になって
しまいそうなのでダメです。
 私が戒めを解いて身体を話すと、なんだか名残惜しむような顔を
する○○さん。○○さんも、やっぱり男の人なんだと思う瞬間に、
思わず身体の奥が熱くなる。

「……大丈夫ですよ、○○さん。不安なことなんて何ないじゃない
ですか。だって、紅魔館のみんなが貴方の味方なんですよ」

 私は○○さんに、これ以上ないくらいの笑顔を作った。
 ……○○さんには咲夜さんがいる。どうせ叶わぬ願いなら、せめ
て今の状況を楽しもう。私はそう思うことにした

――



「――んッ、ちゅ、む……ン……はぁ……んぷ、んんッ……」

 重ねられた○○の唇から、私の唇を割って舌が入ってくる。私は
○○に肩を押さえつけられ逃げることもできず、ただその行為を受
け入れた。

「ふ、っ……パチュリー、さん……」

 ときどき彼の口が私の名前を囁く。その度に、私の頭の中に甘い
痺れが生まれ、何も考えられなくなる。熱い吐息とともに流れ込む
それには、人の精神を狂わす薬のような、高い常習性があった。…
…だからきっと、今日もまたこんなことを繰り返しているのだろう。
そう思うことにしている。

 ――初めは、可哀想な咲夜のために、仕方なくレミィの遊びに付
き合っただけだった。それが今はどうだろう。このことを一番楽し
んでいるのは実のところ……私なのかもしれない。

「……はぁ、はぁ……ちゅ、はぁ……んッ!? んきゅ……!?」

 ○○はしきりに私の口内を蹂躙し、息つく間も与えられず視界は
どんどん白くなる、白くなる、白く――やがて満足したのかおもむ
ろに唇を離し、私は我に帰った。

「ちゅ、ぴ……え、あッ……終わり?」

 大きく息を吸うと、血の気の引いた身体が徐々に体温を取り戻し、
次第にかっかと熱くなってくる。私は行為で火照った身体を気取ら
れまいと、可能な限り取り澄まして席に着く。……本当は、もう少
し続けていたかったのだが、自分から求めるのは……イヤ。

「ふぅ……今日は、これで終わりにしましょう」
「……そうね、お茶が冷めてしまうものね」

 挨拶代わりの口づけを終えた彼は、少し乱れた襟を整えると、い
つものようにお茶を淹れ始め、私はその背中を頭に薄もやがかかっ
たまま眺めていた。

 この香りは……いつもと違う。ローズに……カモミール? それ
に、マリーゴールドかしら。そのハーブティーのブレンドは、きっ
とまだ錯綜している頭の中をすっきりとさせてくれること請け合い
だろう。匂いだけでそうなのだから。珍しくこんな気の利いたもの
を出してくるなんて、どういう風の吹き回し?

「実はパチュリーさんに、相談したいことがあるんですが……」

 ああ、そういうこと……と私は納得する。本当なら、○○が頼る
のは咲夜であるべきはずなのだが、○○はなぜかそういうことは私
に言ってくることが多い。面倒臭いけど、咲夜は頼りないので私が
聞いてあげるしかない。

「面倒なことでなければ、答えてあげてもいいわ」
「では……あの、お嬢様のことなんですが」

 ○○はどこか喋り辛そうに、目を泳がせ、口ごもりながらその全
容を話す――




「――それは吸血鬼に備わっている、異性を”魅了”する力のせい。
何の抵抗力も持たない貴方じゃ、無理もないわね」

 全てを話し終えた○○に、私は努めて冷静に答える。無知な○○
ならいざ知らず、私にとっては至って単純な解に過ぎない。

「この場合厄介なのは、本人に自覚がないところかしら……。種族
的特性ではなくて、本人の魅力によって好き勝手できると思ってい
る……結局お子様なのよね」
「お嬢様の能力、ですか……それならまだよかったです。てっきり
僕にはそんな隠れた趣味嗜好があったのかと思って不安だったんで
すよ」
「違ったの?」
「違いますよっ!」

 ○○が必死に弁明しようとするが、なんだか腹が立つ。しょうが
ないと言えばしょうがないが、何の気なしに○○を誘惑するレミィ
もそうだが、一瞬でもレミィにその気になった○○に対しても。…
…どうして私がこんなことに腹を立てなきゃいけないのよ……。

 ……今日レミィに会いに行かなければならないとか言っていたわ
よね。どうせならそこでレミィに魅了されたまま、堕ちるところま
で堕ちてしまえばいいんだわ……そう思ったりもする。



 でも…………とても下らない質問だったとはいえ、咲夜にもしな
かった相談を私にするなんて、随分と頼られたものね。……まさか
とは思うけど、まさか咲夜よりも私に……ううん、そんなこと、あ
るはずないと思うけど……。


「……吸血鬼の魅了(チャーム)って、そんなに影響が出るものな
のね。……今度私も試してみようかしら」
「試すって、誰か相手がいるんですか?」
「誰って……私が会う異性なんて、今はあなたぐらいしかいないじ
ゃない。ひと月前ぐらいから、誰も図書館に来ないし」
「い、いや僕はいけませんって! パチュリーさんに何をするかわ
かりませんよ……!」

 普段から力づくで求めてくる○○が言う台詞かしら? ……でも、
力づくで無理矢理っていうのも……それはそれで悪くないかもしれ
ない。

「……パチュリーさん、どうしたんですか?」
「なんでもないわ」

 私はちょっと熱を帯びてきた顔を○○から逸らし、手元の本に視
線を落とす。何を考えてるのかしら、私……。今は○○の顔をまと
もに見れない。


「それでお嬢様の件なんですけど、何か身を守る術はありません
か? このままお嬢様のところに行ったら、またその魅了の餌食に
なってしまいますよね、間違いなく」
「そうなるでしょうね。魔除けでもあれば、あるいは……」

 私はテーブルの上に無造作に置かれていた栞に目を向ける。栞と
して使ってはいるが、タブレット状の護符のようなものだ。思いき
り手を伸ばしてそれを引き寄せ、○○の前にかざす。

「あなたにこれを貸してあげる」
「これは?」
「……魔法の魔除けよ。これならきっとお嬢様の魔力ぐらいなら跳
ね返してくれるでしょう」

 かつて地下に広大な迷宮を築いたと云われる大魔法使いが作った
とされるマジックアイテム、魔法の魔除け。しかしある時を境に、
一枚の護符が百片に分けられることになり、散逸したという。これ
はその中で私が偶然手に入れることが出来た一枚である。

「こんなお守りにそんな効果が?」
「本来なら、絶対魔法障壁だけではなく、持つべきものが持てばそ
れだけで傷を癒し、あらゆる災厄を退け、願えば空間転移すら自由
自在になる……」

 という触れ込みだったが、実際は分割したことでその効果の殆ど
は失われてしまったようだ。しかし精神操作の抵抗は思い込みは重
要な要素になる。○○みたいな単純で、思い込みの強い人間にはか
かりやすい反面、この護符が強力なプラシーボ効果を発揮してくれ
るだろう。

「そんな大層な品を……いいんですか?」
「……どうせ骨董屋で偶然見つけたものよ。ふん……どうせレミィ
もまた下らないことを考えているんでしょうけど、そんな企み、こ
れで潰してやればいいわ」

 どうせ人間(魔理沙と貴方)は退けられないし……何より、○○
にとっては縁起物だ。この魔除けの持ち主だった魔法使いは、吸血
鬼の王を従えていたという逸話があるのだから。

「いえ、そこまで大それたことは考えてませんでしたが……でも、
ありがとうございます。やっぱりパチュリーさんに相談して正解で
したよ。……頼りにしてます」

 魔除けを手に取り、脳天気に喜んでいる様を見ると、これなら大
丈夫だろうと本気で思えてくる。今さらレミィ本人が○○に手を下
したりするようなこともないでしょうけど、これも念のためだ。

 こんなことで死んだりしないでほしいわ……貴方には、これから
も私を満足させる義務があるんだから。この静謐で茫漠たる大図書
館を芳香で満たす、このハーブティーのように。


――


 私はパチュリー様と○○さんの口づけを、本棚の影からじっと見
ていた。最初の頃こそ、私が間に入らなくちゃ○○さんとの口づけ
することすら覚束なかったのに、今ではむしろそれを楽しんでいる
様子。パチュリー様にはもう、私の助力は必要なくなっていた。そ
して、○○さんにも……。

 ……いつぐらいからか、○○さんがここに来たときには、私はパ
チュリー様の傍から離れることにしていた。


 ○○さんはパチュリー様と楽しげに話した後、きょろきょろと辺
りを見回すと、大図書館を後にしようとする。

 パチュリー様の側を離れてからも……私は、なかなか声をかけら
れなかった。……○○さん、今日は正装してるんだ。きっとお嬢様
か、メイド長が送った品なんだろう。それはもう認められているっ
ていうことの、証明みたいに立派な姿に見えた。ついこの間まで私
と同じような立場だったのに、あっという間に追い越されてしまっ
た。……すごいなぁ、○○さん。

 でも、挨拶だけでもしておかなくちゃ。そうしないと、顔を合わ
せられないまま、また明日ってことになってしまうから。そう思っ
て、彼の背中を追いかける。


「お疲れ様でした、○○さん」
「……! こぁさん! ははは、いつものことですよ。図書館に、
いらっしゃったんですね」
「え、ええ、ちょっと作業中でしたので、パチュリー様のところに
は行けなかったんです」

 ○○さんは、私のことを見つけるやいなや、とても嬉しそうな顔
をして駆け寄ってきた。私にはその明るさが痛かった。話題を、変
えないと……。

「それより聞きましたよ、○○さん。なんでもお嬢様からお声が掛
ったとか……」
「ご存知だったんですか?」
「メイド長から話を聞いてましたので」
「パチュリーさんから、対策を講じてもらったので、まあ大丈夫だ
と思うんですけどね」

 そう言って、○○さんは私に一枚の護符を見せる。遠くからでは
よく見えなかったけれど、あれは確かパチュリー様の使っていた栞
じゃなかっただろうか? 確か、魔除けの役割もあるというものだ
ったはず。……どうやらそれが、パチュリー様のお心遣いらしい。
 ………………実は言うと、私もこっそり○○さんを”魅了”して
いた。そのことは誰にも気付かれなかったはずなのに……無論、パ
チュリー様にも。

「……そうですよね、○○さんならきっと大丈夫です」
「ありがとう、こぁさん。こぁさんに言ってもらえると、その気に
なっちゃうよ」

 ○○さんの笑顔はとても自然なもので、それが私を安心させる。
……いつの間に、こんな気持ちになったんだろう……最初は、ちょ
っとした悪戯ぐらいのつもりだったのに。いつの間にか……私まで
○○さんのことを待ち望むようになっていた。

「○○さんは随分とお変わりになられましたね。ひと月前までは、
ちょっと頼りない、普通の男の子だったのに」
「あははは、そう見られていたなんてお恥ずかしい限りです」

 それでも、根本的なところは全然変わっていない。だから○○さ
んを見ると安心できる。頑張ってる○○さんを見て、応援したくな
る。それでいて、はにかみ屋で奥手な○○さんを、ちょっとからか
ってみたくなったのだ。

「うふふ、でも今ではとてもそんなことは言えません。その執事の
格好も、よく似合っていますよ」
「え、あ、ありがとうございます……執事ではないんですけど、ま
いったな……」

 ○○さんは頭を掻きながら照れくさそうにはにかんだ。こういう
ところが以前と変わらないところだった。

 ……そうこうしている間にもう外の扉の前に来てしまう。図書館
はいつの間にこんなに狭くなったんだろう? 遅くなるように、飛
ばずにちゃんと歩いてきたにもかかわらず。

「あ……もうついてしまいましたね」
「そうですね。……図書館が狭くなったのかな? でも咲夜さんが
仕事をサボるはずないもんなぁ」

 奇しくも○○さんも同じ気持ちだったみたいで、嬉しくなる。楽
しい時間は早く過ぎるって言うし、きっと○○さんにもそうであっ
てほしい。……これじゃあまるで、魅了されているのは私の方だ。

「ええ、名残惜しいですけど、それじゃあ今日はこの辺で……」
「忘れてますよ……こぁさん」
「えっ……ひゃあっ!」

 ○○さんに呼び止められ、振り返るが早いか私は○○さんにいき
なり抱き寄せられ、彼の胸に収まった。

「いきなりですみません……正直、さっきからちょっと不安だった
んです」
「あは、あはは……どうしたんですか、○○さん」

 私は○○さんに抱かれ、少しずつ体温が上昇していくのを感じて
いた。不安……? どうして○○さんが、不安になる必要があるん
だろう。パチュリー様すら味方につけた○○さんが、どうして?

「もしかして僕、こぁさんに避けられてるのかなぁって思って……
最近はずっと読書空間にもいないじゃないですか」
「え! そ、そんなことありませんよ! ○○さんを避ける理由な
んて私にはありませんし……少し忙しくて」
「それなら、いいんですけど」
「それは、その……パチュリー様の邪魔をしちゃいけませんから、
使い魔として」
「でも、今も……挨拶もなしに別れようとしましたよね?」
「それは……」

 ○○さんは真剣な眼差しで私の顔を覗き込む。どうしよう……こ
んなの、逃げられるわけないっ……。あ、あぁっ……。

「こぁさんは嫌かもしれませんけど……これも、僕の我儘です」
「んっ、んっ……○○さんっ……ちゅ……はぁ……」

 唇が触れると、○○さんはあっという間に私の舌を絡め取った。
強く背中を抱かれて仰け反り、思わず私も彼の背中に腕を回した。
そうすることで、より深く繋がれる気がしたから。

「ぷぁ……んふ……ん、あ、あぁ……」
「こぁ……こぁさん……綺麗だ」

 ○○さんは頭の羽を上手に避けながら、髪を梳くように撫でてく
る。……ああ、初めから関係なかったのかも、この人には。心の中
はより安堵感で満たされ、私はさらに○○さんとのキスに没頭する。

「○○さぁん……はぁ、ンっ……ふッ、うぅん……」

 しかし自ずと限界がくる。息苦しくなり、絡まりあった舌が自ず
と解かれる。お互いの口元から伸びる唾液が混じり合った糸が千切
れるまで、ずっと見つめ合ったままだった。

「はぁ……はぁ……」
「……すみません、大丈夫でしたか?」
「ずるいですよ、○○さんばかり……でも、心配しないでください、
私だって、小さいですけど悪魔なんですよ?」

 少し不安げな顔で私のことを見る○○さん。その割に、思い切り
が良すぎます。……私はゆっくりと身体を離し、また元の、努めて
自然な私に戻る。

「避けてなんかいませんよ。分かっていただけましたか?」
「それはもう、存分に」
「うふふふ……ならいいんです!」

 なんだか落ち込んでいた私が馬鹿みたいに思えてきて、無駄に元
気が溢れてきた。私も、○○さんに恥ずかしくないように、頑張れ
ばいいんだ。そう考えたら、もういつも通りの関係に戻れそうだっ
た。

 でも、パチュリー様のことはどうしよう? ○○さんの取り合い
なんかになったりしたら、私じゃ敵いません。そうだ……それなら、
いっそのこと二人一緒にっていうのも、いいかもしれません……う
ふふ。



――

 ――ねえ、どうして? 胸がつまる。


 今宵もせつなく輝く幻想郷の月灯り。満月を明日に控え、夜の種
族としてこれ以上に魅せられぬものなどない……はずだった。

「はぁぁぁ……」
「お嬢様、どうなさいました? そんなに大きく溜息をつかれて」

 月光浴に浸っていた意識を咲夜が呼び戻す。私は咲夜をじっと睨
む。別に咲夜が情緒をあまり理解せず、無粋なことに憤ったわけで
はない。そんなことは前々から分かりきっていることだから。

「???」

 咲夜は自分が原因の一つだとは思ってすらいないようだ。私はそ
の小首を傾げてキョトンとした様子を少し忌々しく思う。

「なんでもないわ」
「はぁ、そうですか。体調が優れないようでしたらすぐに言って下
さいね」

 この浮ついた気持ちの原因はわかっている。一人は咲夜、そして
あともう一人……○○という人間の所為。

 ○○とは咲夜が拾ってきた人間の名前だ。直に名前を聞いたこと
があったかどうかは忘れてしまったが、咲夜が度々口に出すおかげ
で私もすっかり覚えてしまった。


 あれから月齢も一巡し、○○も今では正式に屋敷の使用人の一人
として働いているようだが、私自身は数えるほどしか顔を合わせた
ことはない。その○○がどうしてこんなにも私を悩ませる要因とな
るのか。それは――








 ――咲夜と○○の口づけ。

 私の目の前で行われたソレは予想を大きく裏切るものだった。…
…私は、咲夜が”あんな顔”をしたのを今まで見たことがなかった
から。

 その表情は、私が血を吸うときの人間のものに良く似ていたのだ。
それは相手に全てを委ねた者の、安堵と恍惚に他ならない。

 咲夜はどんなに忠誠を示してはいても私の吸血を受け入れたこと
がないのに、○○のソレはいとも簡単に受け入れたのだ。

 ……全く、理解できないわ。




 それに理解できないのは咲夜のことだけじゃなかった。パチェも
そうなのだ。○○のことに関してはひどく過保護で、そのことを理
解しない私を子供扱いして憚らない。何がパチェをそうさせている
のか、よくわからない。そしてパチェの使い魔も、あの門番ですら
も、今の私には理解できない……。


 それもこれも○○がこの館に来てからなのだ。ただの凡愚だと思
っていたはずのあの人間によって、この館は変わりつつある。

 ……そもそも退屈しのぎのために面白おかしく運命を弄ったのは
私自身で、特に細かく考えていなかったおかげで今回はたまたま○
○がその特異点になってしまったというだけの話なのだが、多くの
不確定要素も重なりこの館で私だけがなんだか孤立している。

 今さら関係の修復を図るのも、癪だし……。


 でも咲夜を骨抜きにしたあの一件から○○に多少の興味はある。
○○は魔法にも似た力を使うことができる? だとすれば余程の使
い手なのかもしれない。パチェですら、その術にかかってしまった
のだから。よってそれが絶対私にもかからないとは……言い切れな
い。

 そうなったら、私もあのときの咲夜のようになってしまうのかし
ら? たかが人間の男に我が身を委ねるなんてことは、あってはな
らない。
 
 でも興味深いわ……そのことを想像すると背中がゾクゾクと震え
てくる。なんでかしら? ――まったくの未知の感覚に心揺さぶら
れる思いだった。


「フフフ……ウフフフフ……」
「お、お嬢様……どうなさいました?」
「咲夜、紅茶を入れて頂戴。目の覚めるくらい、砂糖のたっぷり入
った紅茶を」

 いつもなら結局下らない提案だと切って捨てるところだが、今は
それがとても愉快なことのように思えてくるじゃない。これも月の
位相の生み出す魔性によるものなのか、それとも……。

「明日、○○を私の部屋に連れてくるのよ」


 私はうろたえる咲夜を余所に、テラスの手摺まで歩いていき両手
を大きく広げ身体いっぱいに月の光を浴びる。

 明日は満月。楽しいことが先に待つ時は、いつもこうなのだ。








――








「よく来たわね、○○……咲夜、貴方は下がっていなさい」
「はい、お嬢様」

 月光降り注ぐテラスで寛ぐ私の元へとやってきた咲夜、そして○
○。咲夜は恭しく頭を垂れ、屋敷の中へと戻っていく。

 そして私は久しぶりに○○と顔を合わせた。その顔には幾ばくか
の緊張があるようだが、これまで見てきた多くの人間たちと同じよ
うな、恐れや怯え、卑屈な態度は感じられない。今はそれどころか
御し難い自信を身につけたようにも思える。

「お久しゅうございます、お嬢様」
「固くならなくてもいいのよ、別に今日は怖がらせるつもりなんて
ないから」
「はっ、以前は大変な失礼を致しました。本来ならば、ええと…
…」
「気にしていないわ。それよりも――」

 焦りの見え隠れする○○の顔を見上げる。粗末な衣服を与えてい
た咲夜に代わり、身なりを整えてやるとそこそこ見られるようにな
ったんじゃないかと思う。少しはこの紅魔館に相応しい使用人にな
ったと言えるんじゃないかしら?

「――貴方、調子はどう? 紅魔館の使用人として、ちゃんとやっ
ているの?」
「あ、は、はい、咲夜さんの教えのもと、毎日仕事に精励しており
ます」
「そう、それは良かったわね。人間なんだから、せめて妖精メイド
たちよりは仕事ができないと困るわ」
「それはその、いずれはそうなりたいと思っていますが……」

 私がそう言うと、○○は答えづらそうに苦笑する。ちょっと突い
てやったら、少しづつボロが出てきた。クスクス、面白いわね。ま
だ毒にも薬にもならないようだったら、フランの部屋に一緒に入れ
てあげようかとも思ったけど、まだその必要はなさそうだ。

 でも、今私が求めているのはそんなものじゃない。けれど打ち解
けるにはまだまだ時間が掛かりそうで、もどかしい。でもそんなと
きのために”アレ”があるんじゃない。……うまくできているわね、
本当に。

「パチェや咲夜、門番ともうまくやっているようね」
「ええ、皆とは特に問題もなくやれていると思いますが……」
「じゃあ○○、貴方何か忘れていないかしら?」

 なんのことですか、とでも言いたげな○○の表情。パチェや咲夜
や美鈴、そして小悪魔にまで平気でしているというのに、私には、
私にだけは全くその気がない……。

「この紅魔館の挨拶を忘れたとは言わせないわよ」
「……そうでしたね」
「それとも貴方は主人に対して挨拶をしないほど躾がなっていない
の? 咲夜の教育ってその程度なのね――」
「お嬢様がそう仰るのでしたら……そのように致しますが」
「……いいわ、なら今からしてもらおうじゃない」


 思った通り、咲夜の名前を出すと○○は従順になる。心の中でほ
くそ笑んでいると、○○は私と同じ目線にまで屈みこむ。かなり狼
狽している様子が窺えた。

「どうしてそう迷う必要があるのかしら。貴方が皆としているのは
知っているのよ。普段咲夜にしているように、私にすればいいじゃ
ない」
「それもどうかと、思いますが……」
「私を誰だと思っているの。命令よ、聞きなさい」
「……それでは、少しだけですよ」

 ○○は笑ってしまうほどの真剣な面持ちで私の肩を抱き、そっと
口づけてくる。慣れた手つきだ……そう思った。そうやって勿体ぶ
ると、なんだか特別な行為をしているみたいじゃない。

「んッ、むぅ……」

 仄かな温かさが○○からもたらされ、私の体温が混じり合って一
つになる。でも……どうしてかしら? 思ったほどじゃない。これ
ならパチェや咲夜のものと大差ないような気がする。あのときの咲
夜のものとは程遠い。期待はずれもいいところだわ!


「終わりましたよ、お嬢様、これで満足されましたか?」
「……違うわ」
「え?」
「隠しているんでしょう? 知っているのよ。でなければ……咲夜
があんな風になるわけないじゃない。パチェがあんな風になるわけ
ないじゃない……。貴方がおかしくしたんでしょう?」

 あまりにあっさりとしたその行為に私は納得できなかった。思わ
ず○○に詰め寄る。私の思い通りになるように、強く、強く意思を
込めて囁きかける。

「……僕にはお嬢様が考えていらっしゃるような隠し事は何もござ
いません。それはきっとお嬢様の誤解です……ですが」

 ○○の眼の色が変わった。これまで私に跪き、足蹴にしていたも
のたちと同じものだ。

「そんなに咲夜さんと同じがよろしいのでしたら、そうして差し上
げますよ」
「……んっ? んんんッ!?」

 急に私の腕を掴み、唇が押し割られたかと思うと、○○の舌が私
の中に入ってくる。身を竦ませている間に、私の舌はすぐに絡め取
られ、じっとしていることを許されなかった。

「んっ、ちゅぱ……ちゅ……あぁ……」
「ここでは、いささか場所がよろしくないですが……仕方ありませ
んね」

 力の抜けた私の身体はいとも簡単に抱え上げられ、○○の胸の中
に収まった。こうしていると、なんだか少しずつ身体が熱を帯びて
くる。闘いの興奮に身を躍らせているわけじゃなく、月の魔力のせ
いでもなく……全くの、未知の感覚。それを何と呼べばいいのか私
にはわからない。……パチェなら、既に知っているかもしれない。
ふとそんなことを思う。

 私はそのままテラスに横たえられた。背中には火照った身体には
ほどよく気持ちよく感じられる冷たさ。どうする……つもりなのか
しら? 添い寝でもするというの???


「今までは、お嬢様にはあまり会いたくなかったんですが……とん
だ誤解だったみたいですね。こうしておられるほうがずっと可愛い
ですよ」
「う、ぁ……な、なにをするつもりなの……?」
「いつも咲夜さんとしていることじゃないですか。お嬢様が仰った
んでしょう?」
「ま、まだ続きが……あるの……ひっ」

 ○○は私に覆い被さり、また唇を重ねてくる。今度はさっきまで
の生易しいものとは違う。まるで私のすべてを吸い尽くそうとして
くるかのようで……おかしいっ、抵抗できない……!

 咲夜はいつも○○とこんなことをしているの……!?

「んんんッ……! んむ、ぅ! はぁっ……んぁぁぁッ!! ああ
っ、いやっ……もう、んふっ、ちゅ……はぁ……んんぁ」

 ぐいぐいと○○の胸を腕で押し返そうとしてみるも大して意味が
なく、○○に抱きしめられたまま私は口内を蹂躙され続けている。
これまで自分より圧倒的に大きい数多の敵を撃ち滅ぼしてきたのに、
ただの人間の男一人すら押し返せないだなんてどうかしている……。

「はあっ……はぁっ……はぁ、ふぅん……」

 ○○に見下ろされ、満足に声を上げることも許されず、ただ○○
の為すがままになっていた。身体を撫でる手のくすぐったさに身を
捩じらせ、足をすり合わせながら、いつの間にか私は次に来る○○
の行為を心待ちにしていた。

「ふふっ、レミリアお嬢様……お楽しみはこれからです」
「だめ、だめよ……さくや、パチェ……うー」

 服のボタンが一つ、また一つと外され、私は目を瞑りぎゅっと床
を掴みただじっと耐える。これからどんな行為に至るのか……それ
は○○のみが知っていた――















「そこまでよ!」


 ガッ!!!!



 ――不意に鈍い音がして、○○は私の体の上に倒れこんでくる。
パチェの声……?

「えっ……ま、待ちなさい、○○。まだ心の準備が……」
「………………」

 返事がない、ただ……気を失っているだけのようだ。

「…………? ねえ○○? ねえったら……」
「いつまでやっているのよ、レミィ」

 ○○の肩越しに見える見慣れた姿。闇の中から現れたその紫色の
姿を見ると急速に冷静さを取り戻す。

「パチェ……? どうしてここに? 咲夜には誰も通さないように
言っておいたはず……」
「お疲れのようだったから眠っていてもらったわよ……まったく、
いくら満月だからといって火遊びが過ぎるようね」

 覆いかぶさる○○の身体をひっくり返し、立ち上がって埃を払う
と何事もなかったかのように取り繕う。……床に横たわり間抜けな
顔で伸びている○○を見ると、なんだか複雑な気持ちになる。

「ところで何の用?」
「……ただ様子を見に来ただけよ。まったく、今日が満月の夜だっ
たなんて○○もついてなかったわね……いえ、満月の夜だったから
こそね、レミィがこんなことを実行に移すのは」

 途中からパチェは座り込んで○○の顔を覗き込みながらぶつぶつ
と呟いていた。よく見ると、頬をぐにーっと引っ張ったり、鼻をつ
まんだり、瞼を開けたりしている。

「……でもちょっとお仕置きね。せっかく護符をあげたのにレミィ
の魔力に負けちゃうんだから。……それに、もし私が来なかったら
どうするつもりだったのかしら……」

 パチェは再び立ち上がると、私の顔をまじまじと見つめた。

「な、何よ」
「レミィ、あなたもしかして泣いてる?」
「な、泣いてなんかいないわ! ……こ、こんなこと初めてだった
から、ちょっと驚いただけよ」
「そう……?」

 パチェに言われて初めて霞んでいた目をこする。

「…………うん」
「○○は、小悪魔を呼んで手当をさせましょう……その前に乱れた
衣服を直しなさい」
「はっ?」

 私は少しはだけていた胸を腕でさっと覆い隠した。パチェとは長
い付き合いなのに……なんでこんなに恥ずかしいのよっ。

「ふふふ、でも貴方もようやく私と同じになったのね」
「……なんのことよ」
「教えてあげない。レミィが自分で気づくまではね」

 不敵な笑みで勿体ぶるパチェに苛立ちを感じながらも、私は○○
のことを考えていた。……あのとき、パチェが邪魔に入らなかった
ら私はどうなっていたの? もしも次があれば、あの続きを知るこ
とができるのかしら……。


 そんなことを考えている間、パチェもまた苛立ちをぶつけるよう
に○○のことを踏みつけていた。



――



 今日は朝起きてからというもの、ずっと後頭部の鈍痛に悩まされ
ていた。昨日の夜、お嬢様の部屋に呼ばれていって、少し話をして
いたら僕の受け答えが不服だったのか急に詰め寄られてしまい……
それからのことは?

 まったく思い出せない。気が付いたら朝で、自分の硬いベッドの
上だったのだ。その瞬間冷や水をぶっかけられたような気分になっ
て、それからはまったく仕事が手につかなかった。その後ろめたさ
で朝咲夜さんとも目を合わせられなかった。

 そんな気も漫ろな状態で廊下を歩いていたのが良くなかった。突
然背中に何かが乗っかってきたが思いのほか軽く、態勢を崩すまで
には至らない。またどこかの妖精メイドの悪戯か何かかと思って振
り向いた僕の表情はきっと凍りついていたんだろうと思う。

「お、お嬢様でしたか……」

 搾り出すように声を出した僕を肩越しに見つめるのは、ぱたぱた
と背中の翼を羽ばたかせているレミリア・スカーレットだった。

 萎縮している僕とは裏腹に、レミリアは面白いおもちゃを見つけ
たかのように笑顔だった。……その様子を見る限り、昨日の僕は何
かしでかしてしまったというわけではないのだろうか? そう思う
と、今のお嬢様からはいつかのような威圧感は微塵もなくただ無邪
気に、好奇心からこのようなことをしているようも思える。一体何
を考えているのだろう?

「変ね……本当に昨日の貴方と一緒?」
「そう仰られましても、僕には何の事だか」
「しらばっくれてもいいことないよ。まさか本当に覚えてないって
わけじゃないよねぇ?」

 彼女は少し考え込んだ様子を見せると、すぐにまたぱぁっと明る
い笑顔に変わる。そしてどこか楽しげに僕の身体をゆすった。

「まぁいいわ。ところで○○、今夜は久しぶりにパーティーをやろ
うと思うの」
「パーティー、ですか? ええ、咲夜さんにお話は窺っていますけ
ど」
「そういえばお前が来てからは一度もやっていなかったね。主賓は
○○ということで、今日は楽しむとしようじゃない。久しぶりに全
員集めるよ」
「え、本当ですか?」
「きっと楽しくなるわ。でも、昨日の晩も悪くなかったよ。あんな
ことをされたの初めてだったから」
「いや、そういうつもりはなかったんですけど……っていうか何の
話ですか!?」

 ころころと変わる表情を見て、僕は今までのレミリアのイメージ
を改めざるを得なかった。こんなにも近くで、赤い薔薇の陰鬱な香
りを漂わせる彼女。以前感じた威圧感も、”魅了”の嫌悪感もなく、
自然に惹かれるものがある。なんとなく、皆が仕えている理由がわ
からなくもないと今なら思える。

「そういうわけで、途中で一言貰うからちゃんといい挨拶を考えて
おきなさいよ。いいわね?」
「はぁ、わかりました……」

 上の空で返事をすると、レミリアはぱちぱちと瞬きした後不意に
僕の唇を奪った。それは鳥が啄ばむような軽い、遊びのようなもの
だ。

「んっ……ふ……じゃあ、また後で会いましょ。ふぁぁぁ~、それ
じゃあ夜まで眠るから」

 そうして館の主は飄然と廊下の暗がりの中に消えていく。頭痛は、
いつの間にか和らいでいた。





――





「あの、僕が何か気に障ることをしましたっけ?」

 パチュリーさんは僕をしばしの間じっとりとした視線で狙い撃ち
にすると、再び視線を本に落とす。大図書館に来てからずっとこん
な調子で、僕に対する不機嫌さを隠そうともしていない。

「…………」

 静かな図書館にはゆっくりとページをめくる音だけが微かに聞こ
えるだけで、小悪魔さんの姿も見えない。本当に、僕が何かをした
ってわけじゃない……と思う。僕はただ昨日パチュリーさんに道具
を借りたので、そのことについて報告する義務があるだろうと思っ
て来ただけだったのに。

 ぺらり。また一ページ、捲られると何かぼそっと呟くような声が
聞こえた。

「……昨日の魔除け、役に立った?」
「あっ、はい、そのことなんですが……途中から、なんだか覚えて
ないんですよね、何が起きたか」

 さっき廊下で遭遇したお嬢様の様子を見て、今の僕はすっかりそ
のことについて安心しきっていた。しかしよくよく考えてみれば魔
除けの効果があったかどうかについてははっきりいって無かったと
言ってもよくて、記憶が飛んだことから考えて、”魅了”に掛かっ
たのはまず間違いなかっただろうと思う。頭痛との因果関係は不明
だけど……。

「じゃあ役に立たなかったのね、魔法の魔除け」
「ええと、多分……」
「申し訳なかったわね、お役に立てなくて」
「いえっ、そういうわけじゃなくてですね」
「じゃあどういうわけなのかしら……嫌味を言いにきただけならも
う帰ってもいいのよ」
「でも、お嬢様とは何事もなく終わったみたいで、結果的にはよか
ったみたいです。魔除けを借りられなかったら行こうとも思えなか
ったわけで、そういう意味では……」
「何事もなかった、ね。本当にそうかしら」

 妙に拘るパチュリーさんの口調からは静かな怒気が感じられる。
一体何がそうさせっているのか、まるで分からなかった。

「いや、何もない……はずです。パチュリーさん、機嫌直してくだ
さい」
「…………」
「パチュリーさん、お願いします」
「…………」
「何でもしますから」
「…………」

 ついには返事が何も返ってこなくなり不安にかられる。重苦しい
雰囲気。もしここに小悪魔さんがいたのなら、少しはそれが緩和さ
れただろうと思う。

「…………」
「あの……?」
「…………」
「ぱちゅりーさん?」

 いつの間にかページを捲る音はしなくなっていた。僕は微動だに
していないパチュリーさんの顔を恐る恐る覗き込む。するとちらり
と薄く瞼を開けてこちらを窺っているのが見えた。一瞬目が合って、
顔を背けられる。気まずい。

「……どうして、今日に限って強引じゃないの」
「べ、別にいつもそんなに強引じゃないですよ」
「昨日のレミィは無理やり押し倒したくせに……」

 背筋が凍りつくのが分かる。なんだって? レミリアを押し倒し
た? 何を馬鹿なことを言ってるんですかと本当は言いたい。しか
し確証はないので容易に心が揺れる。

「し、知りません。本当に昨日のことは覚えてないんですよ」
「……本当かしら?」

 ぶんぶんと力強く頷いて見せる。きっと情けないほどに必死に見
えただろう。それでもこのままでいるよりはずっとマシだと思った
から気にしていられない。一方パチュリーさんは未だ釈然としてい
ない様子で首を傾げた。

「その必死さに免じて信じてあげるけど……納得は、してないわ
よ」
「すみません、ありがとうございます……。どうすれば納得してい
ただけますか」
「……いつものように、すればいいわ。わかるでしょう、やり方な
んて」

 パチュリーさんゆっくり顔を上げると本を閉じて膝の上に置いた。
彼女はどこか挑発的な眼差しで、僕を見ていた。

「……でもやっぱり腹立つわ」

 僕が彼女の傍まで来るとそんな風に呟いた。そう言われると、結
構怖いんですけど……。でもそうも言ってはいられない。そう、い
つものように、彼女の、望むとおりにするだけだ。

「じゃあ……いきますよ」

 僕はてっきりパチュリーさんは怒っているものだと考えていたけ
れど、今にして思えばそうではなかったんじゃないかと思った。
その証拠に、傍に来てからはだんだんと顔を紅潮させていく様子が
見て取れたから。その可愛い反応に、僕もすっかりその気になって
しまった。

「……んぅ、んん……ちゅ、ふぁ……むぅ」

 パチュリーさんの冷めた温もりが唇に伝わる。しかしすぐに離れ
てしまいそうになる。それは彼女がわざわざ背筋を伸ばしていたか
らで、口づけをした途端に張りつめた糸が弾けるように脱力して、
倒れそうになってしまったからだ。僕は咄嗟に背中を支えようとし
た。

「ちゅ、ぷ……はぁ、ぁん……んむ……ふ、ぅ」

 まだこれからなのに……というところでパチュリーさんの方から
離れていってしまう。僕は物足りなさを感じながらも、つい昨日の
夜のことがあったばかりだからと自省した。

「はぁ……なんだか我慢ができなかったのよ……」
「ははは、いや、でも安心しました。パチュリーさんとこうしてい
ると」
「……私は、別に、どうでもいいけど……」
「あらあら、良かったですねぇパチュリー様」
「むきゅっ!?」

 びくりとパチュリーさんが身体を震わせる。どこからともなく聞
こえた声は小悪魔さんのものだった。いつの間に隠れたのか、ひょ
いっとパチュリーさんの後ろから姿を現す。

「いやですよぉ、パチュリー様。○○さんとの口づけに夢中になっ
て、私のことも気にならなくなってしまわれたんですか?」
「あ、あんた○○が来るとすぐにどっか行っちゃうじゃない」
「……それはパチュリー様に気を遣ってですね、ようやくお一人で
も満足にできるようになったんですから、それを邪魔してはいけま
せんし」
「こぁさん」
「でも今日はなんだか楽しそうでしたので、出て来ちゃいました♪
 ……ですから、私もご一緒してよろしいですか?」
「一緒って、何を……」
「二人一緒じゃ、いけませんか?」

 僕には一瞬、小悪魔さんの言っていることを理解しかねた。あま
りにも有り得ないことは頭が拒否をするらしい。しかし彼女がパチ
ュリーさんの場所に割り込むようにして入ってきて、頬に口づけし
てくるとその意味を深く理解した。

「こぁ、邪魔を……しないで」
「邪魔かどうか、○○さんにお訊ねしてみれば宜しいんじゃないで
すか? ねっ、○○さん?」
「…………」

 小悪魔さんのウィンクの意味。それを受け入れるかどうかについ
ては、果たして僕から言っていいものだろうか? そもそも挨拶わ
りとしての口づけがレミリアの定めたルールだった。しかしそれも
徐々に逸脱しつつあった。そういうことが今までないわけじゃなか
った。咲夜さんと里へ行った帰りのこととか、色々……。

「はぁぁ……自律し過ぎた使い魔を持つのも苦労するわね……」
「えへへ、お褒めいただきありがとうございます♪」

 そう言うと、小悪魔さんはそっとパチュリーさんに口づけた。舌
を絡め合い、唾液交換が目の前で行われる。

「んっ……こぁ、ちゅ、ぴ……」
「うふふ、パチュリー様、ちゅ、ちゅっ、くちゅぅ……まずは、魔
力を回復させませんと」
「はぁ……」

 淫靡に微笑む小悪魔さんにどきりと胸が高鳴る。僕は思わず唾を
飲み込んだ。パチュリーさんもまた、それに引っ張られているのか
熱い溜息を漏らした。

「ぷあぁ……じゅるっ、ちゅう……準備はよろしいようですね」
「……ふぅ、○○、いつまで見ているつもりなの? 早くして…
…」

 そのときの僕は、きっと食い入るようにその光景に目を奪われて
いたことだろう。何を言うわけでもなく、二人の言葉に誘われるよ
うに唾液に濡れそぼった唇に寄せられていった。すると二人は餌を
求める小鳥のように、自らのそれを差し出した。

「あはっ、○○さんったらなかなか大胆なんですから」
「……贅沢もいいところだわ、こんなこと、他の誰にもさせないも
の」

 二人で位置を争ったら、背の高い小悪魔さんが勝る。しかし小悪
魔さんはまずパチュリーさんに譲った。まず頬に唇が軽く触れると、
湿った淡い感触が残る。こういうところ、やっぱり二人の関係が見
えて僕はなんだか安心した。そして、パチュリーさんと唇が触れる。

「ふぅぅん……はぁ……んちゅ」
「ああん、パチュリー様ばかり……私にも分けてくださいな」

 小悪魔さんはちろりと舌を出して僕とパチュリーさんの間に割っ
て入ってくる。パチュリーさんは横目でそれを見ながら、『仕方な
いわね……』といった風情で少し場所をずらした。すると次第に唇
が離れ、ミルクを必死に飲む猫のようにお互いの舌だけを絡めあい、
それは一つの生き物ののように蠢いた。溢れでる唾液は掬う余裕さ
えなくなり、下に落ちるままになり、大図書館の赤絨毯に小さな泉
を作った。まるで夢に落ちるように僕の意識はまばらになり、その
行為に没頭せざるを得なくなった。あまりにも、気持ちよすぎるせ
いだ……。

 いつの間にか血流がひどく脈打っていることに気づいて、僕はそ
れがとても恥ずかしくなって、行為を中断して二人から離れた。

「ぷぁ……どうしたのよ? せっかくよくなってきたのに……」
「んんんっ……○○さん……もう終わりですか?」

 二人は頬を上気させて、とろんとした視線で僕を熱く見つめてき
た。そのせいで僕はますます気まずくなった。

「これで、終わりにしましょう。今日はパーティもあるそうじゃな
いですか……あまりここで盛り上がりすぎても、その」

 僕がそう言うと、パチュリーさんはじと目であからさまな不満の
態度を見せた。それを小悪魔さんが宥める。

「まぁまぁ、パチュリー様……今日は久しぶりにパーティーも御座
いますし、そちらを楽しみにしましょう。それにずっと口づけなさ
っていると、その、○○さんも色々大変なようですから」

 小悪魔さんのその一言で僕はぎくりと背筋を伸ばした。確かに、
いろんな意味で大変なことになっていたのは事実だったから。それ
に僕は思った。パーティーで一堂に会したときのことを。それはき
っと、ただの妄想では済まされないことのように感じたのだった。




――




 僕は大図書館を逃げるように後にした。しかしその後別に僕に何
か仕事があるというわけじゃなかった。咲夜さんに「主賓が働いち
ゃだめでしょ」と言われて何も仕事が振られていなかったからだ。
それでも手持無沙汰に何かないものかと館をふらついていた。

 夕暮れを前にして、紅魔館はにわかに慌ただしい雰囲気に包まれ
ていくのが感じられた。今晩行われるというそのパーティーに、リ
ソースの多くを費やしているようだ。廊下を横切っていく普段はの
んびりとしていたり、さぼりがちな妖精メイドたちも、今日ばかり
は楽しさと煩わしさの中間ぐらいにまではその熱意を傾けているよ
うだった。

 会場となるホールを覗くと、妖精メイドたちがテーブルやら燭台
なんかをせっせと運んでいる。その中で指揮を執っているのは咲夜
さん……ではなくある妖精メイドの一人だった。黒髪に眼鏡と、地
味な印象を与える子だけれど、妖精としては珍しいちゃんと言うこ
とを聞いてくれる子ということで、咲夜さんからそういう役回りを
与えられることがあるようだった。そんな子からの指示をみんなが
それなりに従っているということは、やはり少なからず咲夜さんか、
もしくはお嬢様の働きかけがあるということなのだろう。……しか
しなんというか、見ていると手を差し延べたくなるというか、そん
な子なのだ。

「ええーと、それはそっちで……、これは、そこでぇ……うぅー
ん」
「大丈夫? 何か手伝えることはある?」
「えっ? あ、こ、こんにちは」
「今、丁度手が空いてるんだ」
「いいえっ、大丈夫です……○○さんに、そのようなことをさせて
しまっては、私がメイド長に怒られてしまいます」
「うっ、ちゃんと伝わってるんだなぁ……」

 僕はがっくりと項垂れた。なんというか何もすることがないと落
ち着かないのだ。

「す、すみません……でも、そう言っていただけで、嬉しかったで
す」
「あっ」

 彼女はぺこりと会釈をすると、再び他の妖精メイドたちの指揮に
戻ろうとした。そのときに、ふと思ったのがいつもの”挨拶”のこ
とだった。……なんだか、とても惜しい気がして。ふと気付けば彼
女の唇ばかり見ていた。小さくて可愛らしいそれを蹂躙したときの
ことを想像し、密かな快感を得る。……ぞっとするほどおぞましい
考えだ。だいたい規則には妖精メイドは含まれていないし、相手は
人間ではないとは言え、見た目は小さな女の子。レミリアと大差な
い。

「あ、あの」
「ん? あ、ごめん邪魔しちゃって。なんでもないから」
「はぁ……え、ちょ、ちょっとまってー! 勝手に動かさない
でー!」

 僕を見上げていた彼女は元に向き直ると、少しの間放っておかれ
た同僚の妖精メイドは適当に仕事を済ませようとしたところを制止
した。本当は手伝うべきなんだろうけど、怒られるのがこの子じゃ
あ可哀想だからなぁ……。咲夜さんもどこから見てるかわからない
し。

 しかしあんなことを考えるようになってしまうなんて、毎日口づ
けしているせいで、少しずつ頭のネジが緩んできているのだろうか。
危ないな……。


 ホールを後にした僕は次に厨房に向かう。そろそろパーティ用の
料理を作り始めていてもいい頃合いだと思ったからだ。そこでなら、
さすがに咲夜さんから仕事の一つや二つ、直接貰えるだろうと考え
て。忙しければさすがに自分もやらずにはいられまい。

 何度か慌ただしい妖精メイドたちとすれ違うと、廊下の先に二つ
の良く見知った後ろ姿を発見する。長身のメイド服姿とチャイナド
レスの後ろ姿は本来ならミスマッチのはずだがすらりとした長身で
格好良い二人だと妙に絵になっている。しかしこの時間、美鈴さん
を館内で見かけるというのは珍しい。

「咲夜さん、美鈴さん」

 僕は後ろから声をかけると、二人一緒に振りかえる。

「あら、○○」
「わぁっ、○○さんっ」

 二人の反応は同時だったけれど、美鈴さんは真っ先に僕に飛びつ
いてきた。思わず身構える。しかしその感触は鳥の羽根のように軽
やかにふわりと抱きついてきたのだ。

「えへへへーー。こんにちは、○○さんっ」
「…………あ、ははは、どうも」
「はぁ……」

 にこにこと満面の笑みの美鈴さんの後ろで、苦い顔をしている咲
夜さん。美鈴さんがいきなり抱きついてきたことが既に驚きだが、
できれば咲夜さんにも、こんな風にしてほしかったと思っている自
分もいた。でもこういうのは、咲夜さんのキャラじゃないからな…
…。

「それにしても、どうしたんです? こんな時間に珍しい」
「今日は二人で一緒に、パーティ用のお料理を作るんですよ~!」
「ええ、まあお嬢様の希望で、献立を増やせと仰ったのよ。私も中
華はできるけど、美鈴の方が得意だから」
「というわけで助っ人として呼ばれたのです」
「……門番は、大丈夫なんですか?」
「妖精メイドたちが今は就いてるけど、お嬢様のお考えだから私に
は何とも言えないわ」
「まあそういうわけですから、私も料理に専念できます。○○さん、
何かご希望はありますか? 幻想郷では素材がそれほど多くはない
ので、ご希望に添えられるかどうかはわかりませんけど……」

 なんともいえない表情咲夜さんと笑顔の美鈴さんが対照的で、僕
も迂闊なことは言わずに沈黙を守っていた。

「あ、でもそれは、挨拶のちゅーをしてくれたらってことで」
「あははは、タダより高いものは無いとはこのことですね」
「……○○、あなた料理のために口づけをするつもりなの?」
「いやいや、咲夜さん、別に口づけは挨拶代わりですから……」

 そう言っても、なんだか取り合ってくれなさそうな咲夜さんの態
度。僕の頭の中にはまだ大図書館でのことがありありと思い浮かん
でいた。今思い返しても、ありうべかざるシチュエーションであっ
た。もし、もしもだが咲夜さんと美鈴さんで、同じことになったの
なら……と考えずにはいられなかった。不埒にもほどがあるという
ものだ。そう考えていると、美鈴さんはまるで僕の邪な考えを見透
かすかのようにじっと僕の顔を覗き込んでいた。

「…………」
「な、何でしょう?」
「……でもお料理よりも、もっと○○さんを満足させられる方法が
ありそうなんですよねぇ。それには、咲夜さんにも手伝っていただ
く必要がありそうです」
「……あなた、何を企んでるの」
「まぁまぁ、ここではちょっと目立ち過ぎますね……ちょっとそこ
の空き部屋にでも入りましょうか」

 美鈴さんは僕と咲夜さんの腕を取ると、手近な部屋の中へと引っ
張っていった。その様子を、通りすがりの妖精メイドが訝しげに見
ているのがやけに印象に残った。


「ふう……というわけで」

 部屋の中に入って美鈴さんは一息つくと、くるりと向き直った。

「お料理の前に、これから私”たち”が○○さんにちゅーをしま
す!」
「あの、私”たち”って、もしかして私のことも含まれてるの?」
「ええ、なにか御不満でも? ……○○さんは、特に無いようです
けど」

 いくら美鈴さんに気を使う能力があって、僕の緊張を和らげたり
することができるからといって、まさか心の中まで読むことができ
るなどとはさすがに思えない。というかそんなことをされては困っ
てしまう。

「ちょ、ちょっと○○……」
「咲夜さんがされないのでしたら、私が先にしてしまいますよ? 
……では失礼して、○○さん、あーん……」

 逡巡する咲夜さんを余所に、美鈴さんは悪戯っぽい笑みを浮かべ
ると、僕に口づけてきた。

「ふぅぅん……はぁん……ちゅ……ん、んふ、はぁ……○○さん」
「ちょ、ちょっと……美鈴」

 美鈴さんは口づけをしながらも僕の身体にこれでもかというくら
いに身を寄せてくる。服の上からでも感じられる豊満な身体の確か
な圧力に僕は気が狂いそうになる。そしてじゅるるると舌を吸われ
て意識が飛びそうになるのだ。

「ん……あ?」
「……はぁ、○○さん、気持ち良さそうですね。私、段々○○さん
のツボがわかってきちゃいました」
「む……」

 そうやって囁いてくる美鈴さんの向こうで、咲夜さんはむっとし
た表情を見せると、僕の腕に自分の腕を絡めて来て、美鈴さんとは
対照的なその慎ましい胸を健気に押しつけてきた。そりゃあ、美鈴
さんと単純に比較してしまったら、紅魔館で一番スタイルのいい彼
女には敵わない。しかし……それを咲夜さんがやっているというこ
とに、驚きと感動がある。

「ねえ○○……次は私の番よ。いつまでも美鈴の好きなようにさせ
ていられないでしょう?」

 左右同時に与えられる女性の柔らかさ、しなやかさ、体温や息遣
いに僕は頭をくらくらさせながら咲夜さんの方を振り向く。美鈴さ
んは僕の頬にちゅっとキスをすると、「やっとその気になってくれ
ましたね」と僕にだけ聞こえるように耳打ちしてきた。一体どうい
うつもりでそんなことを言ったのか、僕にはわからない……。ただ、
この目まぐるしい状況に対応するのが精いっぱいだった。

「はぁ……はぁ……咲夜さん」
「ちゅ、む……うぅん……はぁ……じゅる……ちゅぅ」

 美鈴さんと比べると、積極性に欠けるが、だからこそ僕の方から
求める甲斐があるというもの。

「はむ……んぅ……ふぁ、んんっ……あ、○○っ」

 舌を尖らせて咲夜さんのそれを絡め取ろうとすると、少し苦しそ
うに喘いだ。それに僕のなけなしの嗜虐心がそそられて、ついつい
一方的な攻めになる。

「ふふふ、咲夜さんもう蕩けちゃってますね……見たこともない顔
になっちゃって」

 そう言って美鈴さんは僕の戒めを解いた。

「美鈴さん?」
「あ……? ふぅ、ん、ちゅぴ……美鈴のせいで、こんなことにな
ってしまったけれど……一体どういうつもりなの……?」
「えへへ……まぁ、○○さんの気の流れが、いつもと違ったので、
ちょっとしてみたかったんです。それに……咲夜さんの前でしたか
らねー、咲夜さんも思ったよりその気になってくれてよかったです
♪」
「……っ、もう二度としないわ、こんなこと!」

 そうなんだ、と少し残念な気持ちはある。咲夜さんはぷいと不機
嫌になるって美鈴さんから顔を背ける。一方の美鈴さんは、それを
宥めるながらもあははと笑顔を絶やさない。

「さ、○○さんも満足したことですし、行きましょうか」
「もうっ、美鈴のせいで時間を無駄にしたわ」
「そんなこと言って、嬉しいくせに~」

 三人でそっと部屋を出る。

「じゃあ……行きましょうか」
「はい。それではパーティを楽しみにしていてくださいね。腕によ
りをかけますので」
「……パーティが心配よ、もう」
「は、ははは……楽しみにしてます」

 そうして厨房へ向かう二人を見送った。つい勢いにまかせてしま
った……恐るべし、美鈴さん。そろそろ日が暮れる。夜になればレ
ミリアが目を覚ます。そしてパーティーが始まる……一体どうなっ
てしまうんだろう?







――







 それはパーティーも佳境に差しかかった頃に起きた。とは言え別
にそれまでが平穏無事なパーティーだったというわけじゃない。そ
の出来事だけでそれまでの全ては吹き飛んでしまった……それだけ
センセーショナルな出来事だったのだ。それに比べれば、みんなが
一堂に会したときのちょっとした緊張や、殺到する妖精たちから逃
げ回ったり、美鈴さんがこの料理はどちらが作ったのか訊かれて滅
茶苦茶困惑したりしたことなんかはまだ良い方だった。


「宴もたけなわだけど、ここで一つ言っておかなきゃいけないこと
があるの」

 そうレミリアが切り出したのは、妖精たちがもう酔っぱらっても
う屋敷中に散り散りになってしまった後のこと。ホールにはレミリ
ア、咲夜さん、パチュリーさん、美鈴さん、小悪魔さん……そして
僕が一つのテーブルに集まっていた。

「……勿体ぶってるからには、さぞ重要なことなんでしょうね?」
「重要かどうかは、人に由るんじゃない? 少なくとも、私にとっ
てはそうよ」

 そう言ってレミリアはワイングラスを傾ける。あまり関係のない
ことだけど、このパーティーまでパチュリーさんとレミリアが親友
であったということを僕は知らなかったので、二人が気心の知れた
間柄であるのを見たときは驚いたものだ。

「お嬢様、そのようなことがあるとは私も初耳ですが」
「そりゃあそうよ、楽しみは後に取っておくものでしょ」
「……あまりいい予感はしませんねぇ」

 レミリアが咲夜さんと話している間に、美鈴さんが僕にこっそり
耳打ちしてくる。その意見には僕も賛同する。それだけに何を考え
ているのか分からないレミリアの発言は怖い。

「そういうわけだから、よく聞きなさいよ。○○もね」
「は、はい?」
「いい、今回集めたのは他でもなく」

 レミリアの一挙手一投足に、めいめいのの視線が注がれる。パチ
ュリーさんはあきれたように、その隣の小悪魔さんは少しおどおど
しながら、咲夜さんはいたって冷静に、美鈴さんは苦笑いでその話
に耳を傾けている。

「この前紅魔館の挨拶は口づけでやるって言ったでしょ? あれは
もう止めることにするわ」

 そのとき皆に戦慄走……ったのかどうかについては定かじゃない。
少なくとも僕は特にその意味も考えず、身に危険の及ばないことだ
なと安堵していた。

「……それってどういうこと?」
「どういうことも何も言ったまんまよ。もう面倒くさいでしょ? 
それにそろそろ飽きた頃だと思うし」
「そう、なのね」

 真っ先にレミリアに尋ねたのはパチュリーさんだった。レミリア
の応えに、彼女がなんだか少し寂しそうに見えたのは気のせいだっ
たか。

「え、それじゃあいつもの挨拶が無くなっちゃうってことですか」

 そう僕に訊いてきたのは美鈴さんだ。そこで初めて気づいたのだ。
つまりそういうことなんだと。僕にとってみんなとの口づけは紅魔
館の生活ともはや切っても切れない関係だった。新参の自分がこん
なにも皆の中に早く溶け込めたのもその規則の影響が大きかったと
思ってる。そりゃあ初めは有り得ないことだったけど……それによ
るみんなとのコミュニケーションは僕にとってはとても、とても大
事なことだった。だから美鈴さんの発言でそれに気づいたときは、
なんだかぽっかりと胸に穴が空いたような、寂しい気持ちになった。
しかし言いだしっぺがレミリアならそれを終わらせるのもレミリア
だ。みんながその影響下にある以上、しょうがないことだ。

「そうなりますね……」
「ちょっと、残念ですね」

 美鈴さんと少し気持ちがシンクロした気がして嬉しかった。けど
それも束の間のことだ。

「ま、そういうわけだから、今日からまた前の生活に戻りなさい。
私は別に、口づけするのも悪くなかったから続けるわ。ねぇ○○」
「え? お止めにならないんですか?」

 咲夜さんの疑問は至極もっともだ。それってつまりレミリアが好
きにやりたいだけじゃないか。でもどうして?

「どうしたの?」
「あ、あのお嬢様はああ仰ってますけど……」

 僕の隣には小悪魔さんがやってきていた。ぎゅっと手が温かい感
触に包まれる。これは小悪魔さんの手だ。

「ええと、○○さん……私は別に、関係ないですから……お嬢様の
言ったこととは」
「え、でも」
「私はあくまで、自分の意志でしていましたから」
「じゃあもしかして、最初から?」
「はい……」

 この期に及んで判明した事実。顔を赤くした小悪魔さんから、何
を意味するのか想像するに難くない。しかし、それを受け止めるの
には少し時間が必要だった。

「私が○○さんに、その……口づけをするのは、特別な、意味が…
…」
「ちょっと小悪魔、何をしているの?」

 小悪魔さんの行動が不審に思えたのか、レミリアがそれに気づい
て咎めようとした。でも小悪魔さんはそれを意に介さず、僕の首に
腕を回すとそのまま唇が……。

「はぁ、む……ちゅ…………んっ、はぁ……○○さん」
「こ、こぁさん」
「……ですから、これからも、その」

 唇が離れると小悪魔さんは顔を伏せ、僕の身体から離れると走っ
てホールを出て行った。みんながその一部始終を見ていた。

「な、なんなのよあいつ……」

 何かあきれたようなレミリアの前を一人の影が横切った。身体の
ラインは限りなく隠され、服の裾を引き摺って歩くその姿は紛れも
なくパチュリーさんのものだ。

「……まさか、こぁが一番最初なんてね。やられたわ」

 パチュリーさんが目の前まで来ると、まるで自嘲するかのように
そう言った。

「自分の使い魔に教わるなんて、まだまだね私も」
「パチュリーさん……」
「……正直、レミィの思惑通りになるのも腹立たしいし、それに…
…」

 パチュリーさんはふっと意地悪そうに笑うと、僕から少し目を逸
らした。

「……私は、別に特別とかそういうのじゃないわ。ただ、嫌いじゃ
ないだけよ。……私にも、お願いできる?」
「ええ……こ、こちらこそ」
「んふぅ……はぁ……ちゅむ……」

 パチュリーさんは少し背伸びをして、唇を近付ける。それはほん
の短い間だった。

「ふふ、じゃあまたね。いつでも図書館で待ってるわ」

 小悪魔さんの時とは違い、パチュリーさんは悠然とレミリアを一
瞥し、歩いてホールを出て行った。

「パチェまで……」
「あはは……いやぁ、パチュリー様も隅に置けませんね」
「美鈴さん」
「パチュリー様と、小悪魔さんに、あそこまで見せつけられてしま
ったら、私も黙っていられません。お嬢様に楯突くみたいで、気が
引けますけど……」

 そう言って、今度僕の前にやってきたのは美鈴さんだ。彼女は人
差し指で頬を掻きながら、照れ臭そうに向かい合う。

「えへへ、改めてこう向かい合うと、恥ずかしいですね」
「いや、まったくです……」
「私はこれからも……○○さんと、キス……したいなぁって」
「…………」
「そういう気持ちに、お嬢様は関係ありませんからね」
「……うん」
「これからもどうかよろしくおねがいします……んーっ」

 ちゅっと軽く唇同士が触れ合う。

「それじゃあ、あんまり残ってると後が怖いので私はこれでー!」
「あっ、美鈴さん」

 言うが早いか、美鈴さんは手を翼のように広げて滑走し、ホール
を飛び出していった。……あっという間の出来事だった。後に残っ
たのは、たったの三人。

「なんなのよ、皆して……○○を独り占めしようと思ったのに、そ
んなに○○のことが欲しいわけ? まぁ、いいわ……却って面白い
ことになったじゃない。私に楯突いたらどうなるか、ちゃんと教え
てやらないとね」

 案の定、レミリアは皆に悪態をつきながら、鋭い目つきで嘲笑っ
た。僕が顔を上げると、今まで何も言わなかった咲夜さんと目があ
った。彼女は意を決したように、誰とはなしに頷くと、すたすたと
僕の所にやってきた。

「ちょ、咲夜、もしかしてあんたも!」
「……すみません、お嬢様。○○、少しの間我慢してね」

 咲夜さんが僕の手を掴んだその刹那。周囲の空気の流れが停止し
て、全てのものが味気ないものに変化した。レミリアさえも動かな
くなったその中で、咲夜さんだけが生気に溢れた輝かしいもののよ
うに見えた。

「……お嬢様には申し訳ないけど、場所を変えましょう。私の手を
離さないでね」

 咲夜さんはそう言うと、僕の手を引いて歩きだす。僕もまた、唯
一の温もりを頼りに、ただ彼女の後をついていく。





――





 黎明が空を染める頃、僕と咲夜さんは先程までの喧騒が嘘のよう
に静まり返った紅魔館を抜けて、二人で湖の畔まで来ていた。停止
した時間の海を泳いでようやくここに辿り着いた。咲夜さんがそれ
を望んだから。

 二人して靴を脱ぎ、湖の縁に腰掛けて足を水に浸す。パーティー
の間ずっと立ちっぱなしで張った脹脛に冷たい水が心地よい。

「お嬢様、放置してきてよかったんでしょうか」
「いいのよ、たまには。それくらいさせていただかないと、私の方
の楽しみが無くなってしまうもの」
「そういうものなんですか」

 今頃血眼になって僕たちを探しているかもしれない。しかしもう
すぐ夜が明ける。吸血鬼であるレミリアは何の準備もなしに外に飛
び出してくることはできないだろうから、時間の余裕はそれなりに
あるだろう。

「……こうして一夜を明かすのは幻想郷に来て初めてのことだった
でしょう?」
「そうですね。今まで夜は大人しく寝てましたし、パーティーなん
てありませんでしたから」
「でもこれからは多分、あなたも参加せざるを得ないでしょうね」
「ははは……それは結構、きついですね。昼に仕事が出来なくなっ
てしまいます」
「普通の人間が今までいなかったものだから、あなたがただの人だ
ってことを忘れているのよ、きっと」
「嬉しいやら悲しいやら……」

 僕が情けなく呻くと、咲夜さんは何が面白いのか交互に水面を蹴
って水飛沫を上げさせる。いつになく、子供っぽく思えた。

「……さっきね、驚いたわ。お嬢様が規則を元に戻すって言ったと
きね、別にみんな何も言わないと思っていたの。○○を特別に想っ
ているのは私だけ……だからこれは私の為にお嬢様が気を使ってく
れたのかしらって」

 にわかに白んでいる山の方角を見ながら、咲夜さんが言った。僕
はその横顔をただじっと見つめていた。

「うふふ、ちょっと自意識過剰だったかしら。結局お嬢様も、○○
を欲しがっていたんですものね。……○○があんなに好かれている
なんて、私知らなかったのよ」
「それは僕も驚きましたよ……」
「だからもしかしたら、誰かに○○を取られてしまうんじゃないか
と思っていたのよ。特に美鈴なんかは積極的だから……パチュリー
様や小悪魔は意外だったけど。でもそのとき強く思ったの、あなた
を、取られたくない……って」

 咲夜さんの薄く潤った唇が言葉を紡ぎだす度に、僕の胸の内が熱
くなっていくのが分かる。

「今まで、あなたのことを弟だとか、そんな風に思っていたけど、
やっぱり違うのね。初めて自分より大事なものが出来たの……だか
ら○○。私は……あなたが好き。好きよ……」

 夜が明けた。差し込む曙光に咲夜さんの銀髪が照り返す。僕はそ
の眩しさに目を細める。その向こうにある不安げな顔。微風に揺れ
る二本のおさげ。どうすればいいかぐらい、もう分かってる。

「さっきみんなと改めてキスをして……正直自分の気持ちが分から
なくなっていました。でもずっと気になっていたんですよ、咲夜さ
んはどうなんだろうって」
「私はあのとき、見てることしかできなかったわ……。何も言えな
かったの」
「だから不安でした。もし咲夜さんが何も言ってくれなかったら、
僕はどうしたらいいのかと」

 僕は隣に座っている咲夜さんの肩を抱き寄せる。吐息がお互いの
顔に掛かってしまうほどに近付いた。

「そう思ったのは、咲夜さんが好きだからなんです。それが僕の今
の正直な気持ちです」
「○○……私も、好きよ」

 昇りゆく太陽で出来た影が一つに重なっていく。僕は強く咲夜さ
んを抱きしめる。例え時間を止めたって逃げられないうように。

「ちゅ……ん、ふ……はぁ……んんっ……○○……」」
「咲夜さん……」
「私も、頑張らないといけないわね。なにせライバルがたくさんい
るんだもの。取られたりしないようにしなくちゃ」
「僕も気をつけないとなぁ」
「……馬鹿」

 幻想郷の朝。辺りはまだ静まり返って妖精さえもまだ目を覚まし
ていないようだ。今はまだどこまでも静かな、僕と咲夜の世界。そ
こで僕たちはもう一度だけキスをした。





おしまい


新ろだ463,490,666 Megalith 11/05/10
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最終更新:2011年06月28日 03:33