障子がぼんやりと明るかった。

  天空に太陽が出ているのだろう。

  室内はまだ薄暗かったが、それでも明暗が分かれる程の光度はあった。

  若草が香る畳が何枚も敷かれた部屋には、大き目の布団が一式有るだけだった。

  八雲紫はその布団の上で美麗な瞼をうっすらと開いた。

  寝起きのむくれ気味であってさえ艶やかな印象を失わせない美貌を微かに顰める。

  秋の早朝は肌寒かった。

  乱れた寝間着から晒された透き通るように白い肌に冷気が染みて身体が震えてしまう。

  それでも紫は寝間着を整えるような事はせず、自身の肢体を左隣にある暖かなモノへと摺り寄せた。

  まるで子猫が母猫に甘えるようにして。

  微弱な呻き声が生じた。

  紫はぴくりと反応して胸元を覗き込んだ。

  青年、●●は目を覚ましてはいなかった。

  それもその筈である。

  二人が眠りについてから、まだ二時間も経っていないのだから。

  紫はほっと息を吐くと、更に自身を彼の身体へと寄せた。

  後ろと左右からの冷気が体温を奪い、前からの確かな熱が温める。

  その狭間で紫はこの恋慕の始まりについて考え始めた。

  思えば。

  そう、思えば自分はいつからこの人を好きになっていたのだろう。

  初めは単純に面白い人間だと思った。

  誰もが諦め、実行すらしないような事を平然とやると言い切った男。

  そんな人間を紫は今迄見たことが無かった。

  だから興味を持ったし、力も貸した。

  そして彼の生き様は予想以上に愉快極まりないモノであった。

  新しい娯楽を手に入れた事に、その時の紫は歓喜した。

  けれどその裏側を知ってしまって。

  興味は別の何かへと進化した。

  そして無価値で空虚な人生を知ってしまって。

  凄絶で苛烈な生き方を刻まれてしまって。

  ソレは愛情という名の鎖へと変わった。

  もしかしたら初めて出逢った時から、自分は彼に惹かれていたのかもしれない。

  其処まで考えて彼女は考える事を止めた。

  その名と力を知らぬ者が無い大妖怪でありながら、只の人間を慕う身となった原因など、今の紫にはどうでも良かった。

  重要なのは。

  そう、重要なのは一つだけ。

  この目の前で静かに眠る男が自分を受け入れてくれたということ。

  卑しくも己の古傷を外界に晒した女に、それでも全幅の信頼を寄せ、優しく包み込んでくれたということ。

  過程など関係無かった。

  その結果だけが、紫にとっては身が震える程の歓びであった。

  下腹部に鈍い痛みが走る。

  酷使され続けたことにより許容の限界を超えた女の部分が、神経に抗議を送っていた。

  しかし今の紫にとってその痛みは、自身に内包された幸福の証明であった。

  戯れに青年と身体を重ねた事は何度もあった。

  単なる好奇心だった時もあったし、暇潰しだった時もある。

  溜まった欲求を発散するためだけに行った時もあった。

  だが、昨夜の行為はそのどれとも違っていた。

  情愛という火傷しそうな熱を、互いに奪い合う快感。

  一つの歯車が違った回転をするだけで、此処まで違うモノなのかと紫は思った。

  心の隅で妬ましさを感じてしまう。

  それは彼の寵愛を受けている少女達に向けてのモノだ。

  其処には自分の従者達も含まれている。

  こんなにも穏やかな温もりを彼女達は与えられていたのかと。

  理由も無く泣き出したくなるような安らぎを得ていたのかと。

  ありのままの自分を認められる歓喜を紫は知らなかった。

  意図せずして下唇を噛んでしまう。

  今度親友に逢ったら文句の一つでも言ってやろうと紫は思った。

  理不尽な感情のまま青年に縋り付く。

  苦しそうな呻き声が上がったが、今度は気にしなかった。

  幼子を抱くようにして紫は青年の背中に手を回す。

  度重なる死線を超えてきたその背筋を、彼女は此れまで貰い損ねた愛情を受け取るようにして撫でた。

  暫くそうしていると周りがいつもより静かだという事に気付く。

  そういえば今の彼は鼾を一つも掻いていないと紫は思った。

  睡眠時の彼は基本的に豪快である。

  身体を大の字にしながら弛緩させ、喉元から喧しい大鼾を上げる。

  その姿を紫はスキマを通して何度も見てきた。

  伸ばされた腕を枕にして、騒音を子守唄にしながらさも幸せそうに眠る少女達の寝顔も。

  そしてそれは紫自身も体験している。

  当時の彼女はそれを特に気にしない性格だっただけなので、彼女達とはまた意味が違うのだが。

  豊満な胸の間に挟み込むようにして置かれた青年の顔を覗き見る。

  首を傾けて見下ろした横顔は何処か儚げで、何処か満足そうであった。

  耳を澄まさないと聞こえない程の音量で寝息を立てている。

  その見慣れない寝姿に紫は優越感を覚えた。

  きっとあの子達は貴方のこんな姿を知らないのでしょうね。

  でも自分は知っている。

  それこそ彼の外から内の隅々までを。

  溢れる情念を抑えきれず更に身を寄せる。

  それに応えるようにして青年は彼女の背中に手を回し、弱々しく抱き締めた。

  彼の無意識の行為に、紫の体内に甘く痺れるような衝撃が走った。

  蕩けていきそうな錯覚を感じてしまう。

  そして彼女は、一度は嫌悪した感情を再び元の鞘に戻すと、それを弄び始めた。

  届くようにと念じながら紫は心の中で想いの丈を伝える。

  外界から来た人間。

  無茶苦茶で出鱈目な、荒唐無稽という言葉がとても良く似合う人。

  何があっても平気な顔で。

  何をされても笑って流す。

  無神経なのか鈍感なのか分からない。

  皆思うでしょうね、貴方は強い人だって。

  どんな時でも笑って過ごせる精神を持った人間だって。

  そう思うでしょうね。

  だって貴方は、只の人が望んでも手に入れれないモノを手に入れたのだから。

  この世界の全てと言っても過言では無い、それ程のモノをその手に掴んだのだから。

  でも……

  私は知っているわ。

  貴方は本当はとても弱い人。

  手に入れたモノを失うことが怖くて堪らない。

  いつも失う不安に脅えている。

  手放すことが嫌で嫌で仕方が無い。

  けれど。

  それでも貴方は相手の事を想ってしまう。

  その身を削ってまでして得たモノなのに、貴方は自分の気持ちよりも相手の心を大切に想ってしまう。

  もしその時が来たら貴方は笑顔で別れを告げて、影で歯を食い縛るつもりなのでしょう?

  本当に、本当に馬鹿な人。

  本当に馬鹿で鈍感ね。

  あの子達が自分から貴方の元を離れる事なんて、有る筈が無いというのに。

  愛情をその瞳に湛えながら安らかに眠る青年を見る。

  青年の呼気と熱を胸に浴びながら紫は尚想いを募らせた。

  ねえ貴方。

  貴方は自分をこの世界から消すと稗田の子に言ったわよね?

  彼女達の心に傷を残さないために。

  悲しみを背負ったまま生きないように。

  愛した者達の中から己の存在を失くすと。

  最初から何も無かった事にすると。

  貴方がそれで良いと言うのなら、私は止めないわ。

  惜しみなく協力してあげるし、白澤の説得も手伝ってあげる。

  でもね、貴方。

  私はどうすれば良いの?

  貴方に特別な感情を抱いていない稗田の子や白澤は構わないでしょうけど。

  この気持ちを知ってしまった私は、一体どうしたら良いの?

  何れ来る別れの日に、紫は喚き出したい衝動に襲われてしまう。

  火の暖かさを知ってしまった獣が二度と野生には戻れない事を、彼女は知っていた。

  この想いを伝えたとしても、彼は自分の考えを曲げないだろうという事も。

  揺ぎ無い信念を否が応にも理解しているが故に、悩ましげな溜息を吐く。

  ねえ貴方。

  貴方は知らないでしょうね。

  私がこんなにも貴方に恋焦がれてしまっているだなんて。

  そんなこと、露ほども想わないでしょうね。

  全く、罪作りな人だこと。

  大事なところだけは何があっても決して譲らないのだから。

  でも許してあげる。

  先に裏切ったのは私なのだから。

  だから耐えてあげる。

  貴方を失ったその日から、いつ終わるともしれない悲しみと絶望にも。

  だから。

  だからその日が来るまで……その時が来るまでで良いから。

  貴方の全てを、私に与えてくださいな。

  その思い出だけで、貴方の居ない世界を生きてゆける気がするから。

  ねえ、●●。

  未だ安らかに眠り続ける青年に祈るような視線を送る。

  その願いに応じるように彼は柔らかな微笑みを浮かべた。

  きっとそれも無意識の行動だろうという事に、紫は気付いている。

  だが分かっていても内面を温かな感情が埋め尽くしてゆくのを止められない。

  肌を触れ合わせ、互いの熱を交換し合うようにして抱き締めあう。

  確かな生命を感じながら、紫はゆっくりと瞼を閉じた。

  鋭敏になった感覚で彼の温もりを満喫しながら確信する。

  多分、これから自分はあの夢を見るだろう。

  全てを周りに与え続ける男の夢。

  自身は何も得ず、何も求めない半生。

  笑顔を貼り付けた仮面で空っぽの内面を隠す生き方。

  そんな哀愁にも似た空しさだけが残る夢。

  でもきっと最後には。

  極彩色の輝きに照らされたその中で、心底からの笑みを浮かべる愛しい人の姿が映る筈。

  絶対の確信を持ったまま紫は意識を手放した。

  答えは彼女と彼だけが知っていた。










  午前の大通りは今日も活気に満ちていた。

  多種多様の生気溢れる声色が端々でざわめき合っている。

  この世界で最も活気有る場所の一つ。

  その道のド真ん中を●●は歩いていた。

  店々に置かれた品々を横目で流し見ながらのんびりと歩を進める。

  時間を気にしない歩き方であるが、本日の彼は用事付きであった。

  というより、彼に目的が無い日の方が珍しい。

  日々を少女達との逢瀬に費やしているのだ。

  数に比例する様にしてその時間は増えていき、結果として●●のプライベートは無いに等しかった。

  まあ彼的には自分の時間よりも少女達との逢瀬の方が余程大事なので、その点についてはさほど問題では無かったのだが。

  しかし今日の目的はそれとは別であった。

  彼の本日の目的地は先日世話になった少女、稗田阿求の屋敷。

  数日前にちょっとした揉め事(●●にとっては既に大した事では無くなっている)があった際に彼女とした約束。

  それを果たしに行くのが今日の彼に課せられた任務であった。

  ちなみにアポ等というモノは取っていない。

  朝方気紛れに思い付いただけなので、事前に連絡等出来る筈が無かった。

  引き篭もりに近いらしいから普段は屋敷に居るだろうという、阿求にとっては至極不名誉な判断の元の行動である。

  ……これを彼女が知ったとしても、他人から見たらぶっちゃけその通りなので何も言い返せないのだけども。

  まあ今となっては気心の知れた相手、突然訪れたとしても多分大丈夫だろう。

  気楽に考えながら●●は足を動かす。

  その適当な読みは多少のズレはあるものの、事実当たっているから恐ろしかった。

  涼しげな秋風を感じながら煙草を取り出し、口に咥えて火を点ける。

  軽めに吸い込み、炎が先端に満遍無く広がったのを確認してから、紫煙を空気中に撒き散らした。

 「何か手土産でも買っていこうかな~っと」

  咥え煙草のまま店先に並んだ品物を遠目から物色する。

  和菓子の類を暫く眺めていると、唐突に後ろから声を掛けられた。

 「こら●●、歩き煙草は良くないと何度も言っているだろう」

  駄目な教え子を窘めるような口調。

  最早耳蛸になった台詞に、彼は一度眉を顰めてから振り向いた。

  其処には案の定、自身が尊敬し、ついでに苦手とする人物の姿。

 「やっぱり慧音先生ですよね~」

 「なにがやっぱりだ」

  舌を出して困った顔を作る●●を、慧音は腰に手を当てた姿勢で咎める。

  そして御馴染みとなった説教を開始させた。

 「全く、歩き煙草は危険だと何回言わせれば気が済むんだお前は?」

 「そうねぇ……慧音先生が飽きるまでかしら?」

  慧音の堅物口調に●●はオネエ言葉で返す。

  ワザとらしくしなりを作る彼に、慧音は声を低くした。

 「ほぅ……なら一度深く刻み込んでやろうか」

  言いながら帽子を取ると、睨みを利かせる。

  速やかに危険を察知した●●は即座に謝罪モードに切り替えた。

 「頭突きを食らいたくないので僕は謝りますごめんなさい! まだ僕は命ロストしたくないんです!」

  見っとも無く平謝りをしながら急いで携帯灰皿を取り出して煙草を揉み消す。

  手の平を返したような青年の態度に、最早慣れ過ぎていた慧音は頭を押さえながら溜息を吐いた。

 「はぁ……お前は返事だけは良いんだよなぁ」

 「ハイ!!」

 「はいじゃないだろう……」

  呆れたように再度溜息。

  彼が改心するつもりなど全く無い事を慧音は理解している。

  それでも強く言えないのは、偏に彼が本当に間違った事をしないためであった。

  肩を落とす慧音に●●は明るい調子で言った。

 「細かい事を気にしちゃ駄目だぜ慧音先生? あんまり考え込むと知恵熱になるぞ?」

 「誰のせいだ誰の」

 「俺でない事は高確率で確定」

  ケラケラと笑う青年に、慧音はやっぱり頭突きしとくかと考えてしまう。

  実行するか否かを決めかねていた時、●●は尋ねた。

 「そんで、今日はどったの? 何か俺に用事でもあった?」

 「ん、ああ……有るといえば有るんだが」

  気まずそうに言葉を濁す。

  はっきりとした物腰が美点の一つである彼女の微妙な態度に、●●は思い当たるモノがあった。

 「もしかしてこの間の事か? アレなら気にしなくて良いって」

 「しかし……」

 「だって慧音先生は頼まれただけなんだから」

  気後れを払拭するように笑い掛ける。

  しかしそれでも慧音の後ろめたさは晴れ切れない。

  幻想郷の為とはいえ、彼女は目の前の男を疑ってしまったのだ。

  どうしようもない馬鹿だが、根は真っ直ぐな青年を。

  少しとはいっても疑った事には変わりは無い。

  故にどうしても謝罪をしなければと思う彼女を、●●は意地の悪い笑みで制した。

 「なら代わりにさ、一つだけ俺の頼み事を聞いてくれねえ?」

 「頼み事?」

  彼の口から出た突拍子も無い発言に慧音は目を丸くする。

  その様子を可笑しそうに彼は笑いながら。

 「イエス、頼み事でございます」

 「一体私に何を頼むつもりなんだ?」

 「まあそれはその内に。それで今回の件については水に流すって事で」

  如何でせうか慧音先生?

  悪代官みたいな厭らしい笑みを浮かべる。

  何と無く嫌な予感がしたが、否があるのはこちらなので仕方無い。

  一つ堰払いをしてから慧音は承った。

 「良いだろう。言っとくが悪企みには協力しないからな」

 「大丈夫大丈夫。んな事はしねぇから」

  否定を表すように●●は手を顔の前で左右に振る。

  それを彼女は胡散臭そうに見つめた。

 「さてどうだか」

 「ひどっ! 慧音先生は俺を信じられないって言うの!?」

  悔しげにハンカチを噛む真似をする●●。

  だから何でオネエ口調なんだお前は。

  そう突っ込みたい衝動を抑えながら彼女は苦々しげに言葉を漏らす。

 「……自分が今までやってきた事を思い出してみろ」

 「え~……」

  ●●は慧音の指示通りに顎に手を当てて考える仕草をする。

  が、実際のところ本当に考えているのかは彼女には分からない。

  数秒黙った後、彼は大真面な顔で自身の潔白を訴えた。

 「俺が思うに何も悪い事をしていないのではないか? 良かれと思ってやった事がたまたま悪く取られる事が結構有るらしい」

 「よし、頭を出せ」

 「スミマセンでしたあっ!!」

  全速力で頭を下げる。

  その潔すぎる降伏ところころ変わる態度に慧音はおかしくなってしまう。

  やっぱりコイツは面白いヤツだ。

  先日稗田阿求に聞かされた内容を思い出す。

  そして即座に否定を下した。

  これ程までに愚直な青年がどうして幻想郷の危険人物足りえるのか。

  そんな馬鹿な事があるか。

  コイツはそんなくだらない真似をするような人間じゃない。

  同じ様な感想を阿礼乙女と隙間妖怪が最終的に抱いたという事を、彼女は知る由も無かった。

  彼女が彼と交えた約束の意味を知るのは、まだ当分先の話である。

  頭を下げたまま硬直する●●に慧音は教師然と告げた。

 「分かったなら宜しい。以後気を付けるように」

 「ハイ慧音先生!!」

 「良し。で、今日は何処へ行くつもりなんだ?」

 「今日は阿求ちゃん家に行こうかと思ってんだ」

 「稗田の家に?」

  てっきりまた地底にでも乗り込むかと思っていた慧音は、予想だにしていなかった行き先に首を傾げた。

 「どうしてまた其処なんだ? この間の話はもう済んだんじゃなかったのか?」

  もしやまだ何か問題でも。

  嫌な想像を膨らまし始めた彼女に、●●は暢気に答えた。

 「いやね? この間お邪魔した時にさ、また行く約束をしたんだ。だから今日行くってワケ」  

  なんて事無い訪問理由に、慧音は胸を撫で下ろした。

 「そうだったのか」

 「おう。まあ、連絡も何もしてないんだけどね?」

  なんせ今朝方思いついたものですから。

  悪びれもせずにそう告げる●●に慧音は眉を歪めた。

  全くコイツは、礼儀もクソもあったモンじゃないな。

  どうせ言っても聞かないだろうと慧音は思ってはいたが、一応叱っておくことにする。

 「●●、事前に連絡くらいしろ。それが礼儀ってモノだ」

 「だって阿求ちゃんって、大抵は家に篭もりっきりなんだろ? なら、いつ行っても大丈夫じゃない」

 「そういう問題じゃなくてだな」

 「それに約束した時の阿求ちゃん、嬉しそうだったし」

 「なに? 阿求が?」

 「うむ、何かキラキラしてたぞ。まぁ、今回のはちょっとしたサプライズってヤツですな。突然お邪魔する事によって再会の喜びは加速した!」

  イエーイと、一人で勝手に盛り上がる●●をほったらかしにして慧音は考え込んだ。

  深い思案の渦に身を埋める。

  あの阿求がねぇ……

  歴史にしか興味を見せず、他人と一線を引いた所に自分を置く少女。

  人生を達観したような態度を見せる彼女。

  そんな彼女が他者に関心を示した。

  これはまた、好奇心を掻き立てられてしまう話ではないか。

  興味をひた隠しにして慧音は尋ねた。

 「●●、阿求と話をしてどう思った?」

 「お? そうねぇ……最初はお固いイメージだったけど、話してみると結構面白い子だったぞ?」

 「そうか」

 「あーそうそう、あの子かなりの毒舌の使い手だな。この前も何度凹まされた事か。でもそれがまた楽しいんだけどな?」

 「ほほぅ……」

  楽しそうに報告を続ける●●に、慧音は意味有り気な声を出す。

  気分は既に恋愛相談係であった。

  桃色の思惑が頭の中を飛び回る。

  いつも礼儀正しい少女が初対面の人間に対して随分と砕けた態度を取った。

  約束をした時にとても嬉しそうに笑った。

  そして次に来る日を心待ちにしている。

  三つの事柄が導き出すのは桜色の回答一つ。

  成程々々、つまりそうゆうことか。

  納得した彼女の脳内スクリーンには、一文字の漢字がでかでかと映し出されていた。

  どうやら頭でっかちの阿求にも遂に春が来たみたいだな。

  吃驚仰天の出来事に思わずしてにやけが鬼なってしまう。

  情報がこれだけなのだから、もしかしたら先走り過ぎの考えかもしれんが。

  まあ、好意を持っているのは確かだろう。

  顔をひくつかせる慧音に、●●は不思議そうに尋ねた。

 「どったの慧音先生。そんなニヤニヤしちゃってからに。俺、何か変な事言ったっけ?」

 「気にするな、こっちの話だ」

 「あそう? なら良いんだけどさ~」

  特に気にかけもせず●●は追求を止める。

  のほほんとした青年の様子に慧音は内心で呆れてしまった。

  コイツ、やっぱり気付いてないな。

  話好きのコイツのことだ、大方良い話友達を見つけた位にしか思っていまい。

  慧音は青年の心理をそう推察した。

  そしてその予想は実に的確であった。

  実際のところ、●●は阿求の事を良い友達程度にしか思っていなかった。

  自身から好意を寄せる事を知ってまだ一年強しか経たない彼が、相手から寄せられる好意を察するなど、到底無理な話である。

  まあ、愛する少女達からの好意だけはそこそこ感じ取れる程度の器量は獲得してはいたが。

  大変なヤツに惹かれてしまった少女に、慧音は心からのエールを送った。

  そして鈍感な青年に唐変木という言葉を贈呈する。

  彼女がそんな事を考えているとは全く思わない●●は、そろそろ行くかと話題を切り上げた。

 「んじゃ、もうそろそろ行くわ。早めに行かないと阿求ちゃん家の昼飯に間に合わなくなっちまう」

 「おいおい、昼餉まで御馳走になるつもりなのか?」

  何処まで図々しいんだお前は。

  そう叱る慧音に、彼は図々しい理由を持ち出した。

 「だって御馳走してくれるって言ってたし? 折角の厚意を無碍に扱うワケにはいかないと思うんですけども?」

 「む、なら仕方無いな」

  相応の理由に渋々ながら納得する慧音に、●●はしてやったりと笑みを浮かべた。

  偶にしか出来ない反撃を行えた事に満足しながら彼女に背を向ける。

 「んじゃ、そーゆう事で。またな、慧音先生」

  そして恩師に別れを告げ、再度目的地に向かって歩き出そうとした時。

  がしりと肩を掴まれた。

 「待て」

  前を向いたまま言葉を返す。

 「なんでしょうか?」

 「まさかお前、手ぶらで行くつもりじゃないだろうな?」

 「最初は買って行くつもりだったんですか、慧音先生と話している内にその時間が無くなってしまいまして……」

 「ほぅ、自分の不手際を人のせいにするつもりか」

  低音になった彼女の声に●●は説教(追加で頭突き)の予感を再び感じてしまう。

  二度も聞いて堪るかと彼は慌てて自己弁護を開始した。

 「滅相も御座いませんっ! これは私の不手際で御座います! しかし買って行こうにも阿求ちゃんの好みなぞ、自分には到底検討も付かない次第でありまして……」

  尻すぼみの言葉に、自身の肩を掴む手が離れる。

  まただよ。

  これから始まる大レースもとい大説教タイムに、●●は遅れる覚悟を決めた。

  間も無くして耳元に届くであろうお叱りの声に、さてどう避けたモノかと考える。

  ……が、いつまでたっても有り難い御言葉は届かない。

  どうしたのかしらんと●●が恐る恐る振り向くと同時に、目の前に紙袋を突きつけられた。

 「何コレ?」

 「見て分からんか。手土産だ」

  むすっとした顔で慧音は言葉短めに言った。

  訳が分からないまま受け取って中身を見る。

  袋の中には包装された棒状の物体が数本入っていた。

 「羊羹……ですかな?」

 「そうだ。お茶菓子には丁度良いだろう。これを持って行け」

 「マジっすか」

 「嘘を言ってどうする。お前の保護者は一応私だからな。躾がなってないと思われたら困る」

  ぶっきらぼうにそう言い切って、慧音はついと顔を背ける。

  照れているのかその頬は少し紅く染まっていた。

  ホントもう、この人は……

  頑固で堅物な保護者の不器用な親切心に、●●は一気に嬉しくなってしまう。

  ニヤニヤを全面に押し出しながら彼は感謝を口にした。

 「やはり慧音先生は最高だと思った。ツンデレ感謝」

 「……本気で頭突きするぞ」

 「すんませんっ!!」

  またもやお約束の儀式を行った後、彼は顔を上げると慧音に実直な笑みを向けた。

 「ありがとな、慧音先生!!」

 「最初から素直にそう言え」

  溌剌な礼に、慧音は微かな照れ臭さを残しながら答える。

  そして朗らかな微笑を作ると彼女は言った。

 「道中気を付けるんだぞ●●? といってもお前は人の話なんかこれっぽっちも聞かないだろうが」

 「わかってるって! そんじゃ行って来るわ!」

  まるで心配性の母親の様な言葉に●●は元気一杯に答えると、力強く踵を返す。

 「ああ、いってらっしゃい」

  今にも駆け出さんばかりの青年の背中に、危なっかしい我が子を見守る様な色を瞳に湛えながら慧音は答えた。

  それは物語の一頁を開いたかのような、仲の良い母子の光景であった。

  見る者の気持ちを和ませてしまう微笑ましい雰囲気。

  しかしソレは次の瞬間……




 「見つけたわよ●●ーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」

 「遂に見つけたぜーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」

 「やっと見つけたーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」

 「この大馬鹿者ーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」




  彼が良く聞き慣れた少女達の叫び声によって、無残にも引き裂かれてしまう事となった。

  声を置き去りにしながら弾丸を連想させる勢いで彼女達は自身の目の前に着地、もとい着弾する。

  突風と砂埃を巻き起こしながら出現した乱入者達の姿に●●と慧音の二人は目を見開かせた。

  何が何やらといった具合で少女達に声を掛ける。

 「れ、霊夢? いきなりどったの、えらい勢いで突っ込んできて。それに魔理沙にアリスにパチェまで……」

  今日って、何か大事な約束とかあったっけか?

  息を切らす少女達の様子に、●●は頭の引き出しから記憶のノートを引っ張り出す。

  だが開いてみても、本日の日付に重要な事柄は何も書かれていなかった。

  パチェが出会い頭に言った言葉で、自分が何か特別ヤバい事でもしたかと思ったが、それも最近では身に覚えが無い。

  つーか、逢っていきなり大馬鹿って酷くね?

  彼のとぼけた質問に、少女達は黙ったまま鋭い視線を送り返した。

  全員の双眸には自分への確かな怒りが込められている。

  それを感じ取った●●は取り敢えず理由を尋ねてみる事にした。

 「なんでお前等がそんなに怒っているのか聞きたいと思った。いや一般論でね?」

  独特の質問口調に、少女達は一斉に視線に込める怒りを強めた。

  どの少女のこめかみにも血管が浮き上がり、どくどくと脈打っている。

  これはマジでヤバい。

  彼女達の尋常では無い怒りっぷりにそう直感するも、彼は未だ理解に至っていない。

  さてどうすっかと思った矢先、自身の巫女服よりも更に紅い紅蓮を身に纏った霊夢が口を開いた。

 「……アンタ、自分が何をやったか分かってんの?」

  それは盛大な失望を業火で焼き尽くした様な声色であった。

  追従する様にして魔女達が言った。

 「馬鹿だ馬鹿だとは思ってたけど、まさかここまでとは思わなかったぜ……」

 「人の話を聞けってあれほど言ってるのに……」

 「今日ほど馬鹿にかける魔法が欲しいと思った日は無いわ……」

  思い思いに自身の怒りを口走る少女達に●●は心の中で突っ込んだ。

  いやだから、主語を入れてくんないと分かんねーって。

  要点からずれた発言をされた事で更に意味不明状態になっている●●に、慧音がそっと耳打ちした。

 「おい●●、お前一体コイツ等に何をやったんだ? 奴等、今にも襲い掛からん勢いだぞ」

 「いやそれが皆目検討が付かないんですわ」

 「そんな筈は無いだろう。何かまた馬鹿をやったんじゃないのか?」

 「馬鹿って、それはもうしょっちゅうやってるんですけどね…………っと、あ~」

  慧音の言葉で、一つだけ思い当たる節があったのを彼は思い出した。

  最近やった馬鹿な真似の中で、彼女達が怒る事といったらアレしかない。

  偶然にも今居るメンバーはその事件の間接的な関係者である……が。

  待てよと●●は思い留まった。

  それをコイツ等が知ってる筈は無いよなぁ。

  だってアレをやらかした場所は守矢神社だし。

  早苗達が言いふらしたとか?

  ……まさか~。

  振って湧いた疑問を、彼は一握りの不安を残しつつ自己解決しようとする……と、その時。

  そのまさかが目の前に現れた。

  新たな乱入者達が上空から六人の前に降り立った瞬間、彼は嫌な展開を過敏に察知した。

  先程とは正反対な静かさで乱入した彼女達は、怒り狂う霊夢達をちらりと覗き見た後、おずおずと彼の元へと近付いてくる。

  出来うる限りの明るさで彼は少女達に挨拶をした。

 「これはこれは、早苗さんに神奈子さんに諏訪子さんじゃないですか。本日はどうしてこちらへ?」

  青年のカクカクの丁寧語に、風祝の巫女と二人の神はごめんなさいと、申し訳無さそうに頭を下げた。

  何があったのかを悟るにはそれだけで充分であった。

  思わずして動揺を声に出してしまう。

 「ちょっとコレ洒落にならんしょ……」

  えらいこっちゃあ、と苦い顔になった●●に、早苗は小さな声で告げた。

 「すみません●●さん、あの時の事が嬉しすぎてつい言っちゃいました……」

  ついて、ちょっと早苗さん。

  重なるようにして二柱も言った。

 「いや●●の素晴らしさを語ってたらつい口が滑って……」

 「●●の良いところを言い合ってたら、ぽろりと言っちゃた」

  ぽろりとか、バラエティ番組ですか。

  頬を薄く染めながら縮こまる三人を、●●はじと目で見つめる。

  どうやら霊夢達と自分の話をしている最中に、あの時の事を漏らしてしまったらしい。

  ……そういえば、口止めすんの忘れてたっけ。

  今更乍に気付く彼だったが、時既に時間切れであった。

 「アンタ達が謝る必要なんて無いわよ。悪いのは其処の馬鹿なんだから」

  彼の思考を遮るようにして霊夢は言い切った。

  情状酌量の余地等一切無しと言わんばかりの物言いであった。

  同意するように魔女達も首を縦に振る。

  そして彼女達は眼光を更に鋭く尖らせた。

  確固たる感情を込めて少女達が自分を睨み付ける状況に、どうしてか●●は心が弾んでしまった。

  最悪が一転して最高の瞬間に思えてしまう。

  良く考えてみると、これは喜ばしい事ではないか。

  何故なら……そう何故なら今、彼女達は自分のために怒っているのだ。

  好意的解釈をしなくとも、それは己の身を心配してのこと。

  つまりそれは懸念、イコール愛情に他ならない。

  その事実を、彼は只管に嬉しく感じてしまう。

  自分は彼女達に愛されているという実感が心を激しく燃え上がらせてしまう。

  無意識に両頬がひくついた。

  内面の変化に少女達は気付いていない。

  冷気と熱気を混同させた声で霊夢は聞いた。

 「それで、覚悟は出来ているかしら●●?」

 「覚悟、ねぇ……」

  愚問過ぎる少女の言葉に、●●は鼻で哂いそうになってしまう。

  覚悟が出来ているかって?

  そんなモノ……

  不敵な笑みを口元に携えながら●●は答えた。

 「んなモン、とっくの昔に出来てるっつーの」

  そうだ。

  そんなモノ、当の昔に出来ている。

  お前等と出逢っちまったその瞬間から。

  自分の生き方を決めちまったその時から。

  いつでも消える覚悟は出来ている。

  青年の舐め腐っているとしか思えないその態度に、霊夢達は怒りの炉に大量の薪をくべた。

  天にも届かんばかりの憤怒をその身から上げる。

  各々の得意武器を取り出す。

  其処で状況の深刻さを感じ取った慧音が、彼と彼女達の間に割り込んだ。

 「待て待て!! お前等一体何をするつもりだ!!」

 「はいはい、危ないから慧音先生はちょっと隅に行ってて下さいね~」

 「お、おいっ!! 何をする●●!!」

  恐らくは自分を守るために間に入ったであろう彼女を、●●は空気を読めと言わんばかりの態度で端に押しやる。

  そして彼は生真面目一辺倒な平和主義者の両手に紙袋を持たすと、身に降り注ぐ情でお腹一杯といった様子で依頼した。

 「スマン慧音先生、ちょっと阿求ちゃんに今日は行けないって伝えといてくれねえか?」

 「何場違いな事を言っている!! アイツ等を止めなくても良いのか!?」

 「良いの良いの。コレもアイツ等の愛情表現の一つだから」

 「阿呆かお前は!!」

 「まあまあ、良いから黙って見ててくれって」

  不満と文句を叫ぶ慧音に表情の豊かさを五割増しにしたアルカイックスマイルを送る。

  充分にソレを見せ付けた後で●●は己が愛する少女達に身体を向けると、落ち着き払った声で言った。

 「一つだけ言っても良いか?」

 「何かしら?」

 「先に言っとくが、許すつもりは無いぜ?」

 「構わないわよ」

 「冥土の土産に聞いてあげる」

  強者の余裕か断罪の慈悲か、戦闘準備を完了させた少女達はその進言を言葉一つで認める。

  言い終えた瞬間に其々の得意技をブチかますつもりなのだろう。

  獰猛極まりない肉食獣にも似た殺気を全身に浴びながら、それでも●●は歓びを抑えられない。

  唇を微弱に動かす。

  少女達の力が破裂寸前の風船のように膨らんだ。

  彼は生まれた事を感謝する赤ん坊みたいに。




 「俺はお前等のためなら何だってやってやる。何故なら俺はお前等を、皆の事を心の底から愛してるからな!!!!」




 「「「「なっ!!!!????」」」」

  そして彼は脱兎の如く駆け出した。

  瞬時に顔面と脳を沸騰させられた少女達は、遠ざかる青年の背中を陶然とした顔付きで見送ってしまう。

  脚力が全開になる寸前、彼は恩師に向けて叫んだ。

 「慧音先生ーーーーーーっ!! 阿求ちゃんに宜しく言っといてくれなーーーーーーーーーーっ!!」

  振り上げた右手を大きく振る。

  それからきっかり十秒後に夢心地から帰って来た霊夢達は、もう一度怒りを剥き出しにした。

 「こら待てーーーーーーーーーーーーっ!!」

 「くっそーーーーーっ!! またしてもやられたーーーーーっ!!」

 「待ちなさい●●!! 今日はそんなので誤魔化されないわよっ!!」

 「え~っと、目の前のすけこましを全力で改心させる方法は……」

  ほぼ同時に吠え、ほぼ同時に浮遊し、ほぼ同時に疾駆する。

  非難の声を上げながら既に米粒大の大きさとなった青年の後を追いかけようとする彼女達の頬は、どれも真っ赤に染まっていた。

  飛翔の際に起こった衝撃波を肌に感じながら、飛び立った少女達の後ろ姿を見やった後。

  青年からの熱愛宣言から逸早く復帰していた諏訪子は、未だ陶酔状態の早苗と神奈子に声を掛けた。

 「ほら二人とも、●●を追わなくても良いの? あの様子だと、結構ピンチかもよ?」

 「えっ!? あ……はい、そうですねっ! 早く追いかけましょう!」

 「そ、そうね。今回の件は私達にも責任があると思うし……」

  伝えられた想い人の危機に、二人は心配と責任感で先程までの夢気分に蓋をしようとするも、どうもそれは上手くいかないみたいである。

  ふにゃふにゃに緩んだ口の端と赤い薔薇を散りばめた両者の顔に、諏訪子は自身の愛する男を真似た厭らしい笑みを浮かべた。

 「それじゃ、行きますか」

  まるで祭りにでも行くかのように二人を促す。

  そんな彼女の両頬にも、恋心が溶けた薄紅色が塗られていた。

  蚊帳の外に居た守矢神社一行も去った後。

  初期の暴風発生源に最後に取り残された慧音は、誰に言うことも無く呟いた。

 「本当、大したヤツだよお前は」

    彼の起こす騒動をリアルタイムで体験した感想に、彼女は礼節を捨てて笑った。




  そして今迄で最高の喜劇は始まった。




  危機的状況からの大脱走を始めてから約一分程。

  ●●は圧倒的な暴威に曝されていた。

  先手必勝の不意打ちで、このまま逃げ切り圧勝かと考えたのも束の間。

  五秒もしない内に少女達に追いつかれた彼は、現在一方的な弾幕ごっこの最中であった。

  千に届きそうな程の総数の御札と星と熱線と岩石を身体に叩き込んだ経験則で避けまくる。

  一撃でも食らったとすれば直ちに意識を刈り取られるであろうソレ等を撃ち込まれつつも、それでも彼は口元から笑みを絶やさなかった。

 「いい加減観念しなさい!!」

 「今なら手加減してやるぜ!!」

 「上海と蓬莱も半殺しで許してあげるって言ってるわ!!」

 「そろそろ一発でかいのをブチかました方が良いかしら?」

 「はっはっはっはっはーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」

  脅迫とも私刑予告とも取れる少女達の言葉に楽しそうな笑い声を送り返す。

  ●●は今この時が心地良くて仕方無かった。

  自身の身を案じる気持ちを超過させて怒りに変え、大元である想い人にぶつける。

  その矛盾した行動と其処まで至ってしまう程に果てしない愛情。

  それは男にとって、否、自分にとって最高の歓喜に近かった。

  彼女達の複雑な感情、その全てを愛しく想ってしまう。

  有る意味で突き抜けている彼の思考はいつまでもこの時間を楽しみたかったが、反面ではそろそろ謝ろうかとも考えていた。

  ああは言ったが悪いのは十割の確率で自分なのだ。

  後悔は塵ほどもしていなかったが、それでも彼女達に心配を掛けた事に違いは無い。

  故にその点に関しては大人しく謝罪すべきだと。

  自身より大切なモノの心を絶対的に優先する信念はそう判断を下す。

  だがしかし。

  既に事態は謝れば丸く収まるというレベルでは無くなっていた。

  それは彼女達の激情が最早止まらない勢いだという事では無く。

  また、彼が何かするつもりという訳でも無い。

  例えるならそれは、ありとあらゆるモノを問答無用で巻き込む大地震。

  ソレに当て嵌めると現在の状況は所謂P波に相当する。

  予兆前兆の類。

  そして次に来るのは当然……

  からかうような青年の笑い方に、少女達は彼に本格的にお灸を据えようと霊力魔力を集中し始めた。

  この気配はやばいと感じた●●はいつでもハリウッドダイブが出来るよう心の準備をする。

  やがて充電完了と言わんばかりに各自が見慣れたカードを掲げた時……




  史上最大のS波は起こった。




  最初にソレに気付いたのは意外にも少女達の方であった。

  眼前に高速で迫っているソレ等に気付いた彼女達は、怒り狂う感情を潜めさせて自身の動きを止め、何処か間抜けな面構えで前方を見つめた。

  黒い豆粒の様なソレ等は遥か遠方からこちらに接近し、更には西から東からも出現した。

  近付くにつれやがてその黒い粒の軍団は大多数の人の形へと変化してゆく。

  そして人の形をした影達は、瞬く間に顔の輪郭も服装も肉眼で捉えられる程の距離へと前進した。

  歓声にも似た叫声が届いたのは、いつまで経っても襲撃が来ない事を不自然に思った●●が後ろを振り向いた時であった。

  幾重にも重なった様々な単語に彼は反射的に首を戻す。

  視界に映った光景に●●は唖然とした。

  目の前に在るのは喜劇の舞台に乗り込もうとする役者達の姿。

 「遊びに来たよ●●ーーーーーーーーーーーーーっ!!」

  第一声を上げたのは天下無敵の暴れん坊プリンセス。

  我慢出来ないといった感じでこちらに向かってくるフランドールであった。

 「待ちなさいフラン! 姉である私を差し置いて●●と逢引なんて許さないわよ!?」

 「お嬢様、それに妹様。お気持ちは痛いほど分かりますが少しは落ち着いて下さい」

 「こんにちは●●さーーーーーーーーん!!」

 「パチュリー様ーーーーーーーーっ!! それに●●さーーーーーーーーん!!」

  虹色の羽が付いた紅い弾丸の背後、視界の真正面上空には紅魔館の面々。

  自身のカリスマを恋慕に押しやられながら妹を窘めるレミリア。

  表向きは瀟洒な従者を演じて勇み足の主達を抑えてはいるが内面の喜びを隠し切れていない咲夜と、それとは対照的に嬉しさを素直に表現する美鈴と小悪魔。

 「今日のお昼御飯は貴方よ●●~~~主に性的な意味で~~~」

 「幽々子様、昼間からそのような発言は控えてください……」

  彼女達の右隣には白玉楼の主と従者。

  お腹を空かせた子供のような笑みに暴食的な妖艶さを瞳に携えた幽々子と、それをとても恥ずかしそうに止める妖夢。

  その更に右隣には永遠亭のメンバー。

 「●●ーーーーーっ!! 今から竜王の系譜やるから付き合いなさーーーーーーーーいっ!!」

 「それは諦めて下さい姫様、●●はこれから私と大人の時間を過ごすので」

 「待ってくださいよ二人とも! 独り占めはずるいですって!」

 「とかなんとか言っちゃって、本当は鈴仙ちゃんも●●を独り占めしたい癖に~」

  相も変わらず己を自分の趣味に付き合わせようとする輝夜に、大人の色気を豊満な胸元から出しながら独占欲を剥き出しにする永琳。

  中間管理者的立場から平等を推す鈴仙を、てゐは意地悪気にからかう。

 「●●! 本日の貴方の善行は私達に一日付き合う事です! 地獄に行きたくなければ黙って従いなさい!」

 「四季様、それって横暴じゃ……まあその意見についてはあたいも賛成ですけどね」

  紅魔館組の左隣からは楽園の裁判長と三途の川の死神。

  恋の熱暴走の名の元に生真面目な顔で無茶苦茶な道理を強制する映姫に、苦言を口にしつつも内容の中には自分も入っているため余り強く言えない小町。

  二人組の少し左側を飛んでいるのは向日葵の主と毒人形。

 「御機嫌よう●●。これから秋の花々を眺めに行こうかと思うのだけれど……御一緒にどうかしら?」

 「一緒に日向ぼっこしようよ●●~~~!! 勿論スーさんも一緒だよっ!!」

  穏やかな口調に否定を許さない気迫を込めて誘いの言葉を投げかける幽香と、無邪気さを全開にしながら笑い掛けるメディスン。

  其処から更に左にずれた先には旧地獄の住人達に伊吹の鬼が交じった団体様。

 「はぁ……やっと着きました」

 「●●ーーーーーーーーっ!! 私と一緒にフュージョンしよーーーーーーーーーーっ!!」

 「こらお空! 言っとくけど順番だからね?」

 「逢いたかったよおにいちゃーーーーーーーーーーーーーんっ!!」

 「おやおや、病の匂いがプンプンするねぇ……ま、私もその一人なんだけど」

 「妬ましい……こんなにも愛されている貴方が妬ましい……そんな貴方が好きな自分も妬ましい……」

 「良い酒が手に入ったもんだから、はるばる地底から持って来てやったよ!! さぁ、今日は呑み明かそうか!!」

 「●●と一緒に宴会だーーーーーーーーっ!!」

  若干の疲れを感じさせながらも想い人に出逢えた事に対して頬を薄紅色に染めるさとり。

  快活な声色で中身にそぐわない問題発言を放つ空と、それを間違った方向で修正する燐。

  我関せずの勢いで純粋な感情を推進力に変換させながら突っ込んで来るこいし。

  恋に逆上せ上がっている少女達を眺めながら自分もその一人だと自覚するヤマメに、それ等の感情達に自身を含めて嫉妬するパルスィ。

  六人の少し後ろには、大きな酒樽を両肩に載せながら豪快に笑う勇儀と自前の瓢箪をテンション高めに振り回す萃香の姿。

  そして最後の役者達の登場は真上から。

 「天にして大地を制し!! 地にして要を除き!! ●●の愛を、私の心に映し出せ!!」

  唯我独尊を地で行くような謳い文句が舞台の全域に響き渡る。

  見上げた先には不良天人と竜宮の使い。

 「夢の中では一緒だったのに朝起きたら●●が居ない事で私の寂しさが有頂天になった!! この寂しさはかなり甘えないと収まらない!!」

 「総領娘様がこのような有様ですので伺わせて頂きました。そのついでに私も甘えようかと思います」

  要石の上で怒りにも似た表情と声色で欲求不満を訴える天子と、それに仕方無く付き合った素振りを見せながらもちゃっかりと自分の願望を伝える衣玖。

  あれよあれよという間に集まったのは、自身と深い繋がりを持つ少女達の、その殆ど。

  全員が全員共同じ目的を果たすため、幻想郷の主力勢はこの場に集結する。

 「は、ははは……」

  天変地異にも匹敵する異常事態に●●は戸惑うような笑い声を漏らした。

  色取り取りの言の葉と同質の情念が己に集中するのが分かる。

  或いは純粋、或いは照れ隠し、或いは練磨。

  彼女達の心の中で熟成された想いが己の心身を包み込み、じんわりと沁み込んでゆく。

  零れても気にせずに注がれ、溢れてもまだ入りきらない。

  到底抑え切れそうもない驚喜と共愛に、やがて彼は着火された鉄砲玉の様に飛び出した。




 「だぁーーーーーーーーーっはっはっはっはっはっはーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」




  心底からの爆笑を轟かせながら走り出す。

  何故そうしたのかは自分でも良く分からない。

  けれど走り続ける、止まる事など考えもしない。

 「貴女達、●●を追いかけるわよ!!」

 「妖夢、目の前の逃亡者を捕まえてきなさい」

 「行くわよ三人ともっ! 捕獲したらそのまま永遠亭に直行コースで!!」

 「お待ちなさい●●! くっ……行きますよ小町!!」

 「あらあら、鬼ごっこなんて久しぶりねぇ。折角だし、昔みたいに遊びましょうか。ねぇメディ?」

 「何か知らんが取り敢えず逃げろ、ですか。やれやれ、本当に変な人ですねぇ……さてと、それでは後を追いましょうか皆さん」

 「このままだと寿命が寂しさでマッハな私は天界でひっそり幕を閉じる事になる。想像を絶する悲しみに襲われる前に早く追いかけるのよ衣玖!!」

  逃げる様にして駆け出した想い人の姿に其々の長は自身の従者と部下と友人に指示を飛ばす。

  それに彼女達は一も二も無く頷くと、嬉々とした表情で大空を駆け出した。

 「ほらアンタ達! いつまでもぼけっとしてないで私達も行くわよ!!」

 「うわ~、なんか凄い事になってるみたいだねぇ…………私達も行こっか?」

  茫然自失状態から覚醒した霊夢達と、やっとこさ現地に到着した守矢一行も彼女等に倣って後を追う。

  制止と罵声が入り混じった求愛を背後から浴びせられながら、●●は意識を遥か遠くへと送った。

  きっと……いや、間違い無く自分は笑って逝けるだろう事を彼は確信する。

  異世界で出逢った大切な大切な少女達。

  自身には終ぞ持ち得ないと絶望していた光。

  泣いて笑って怒って照れて。

  今日も明日もそのまた次の日も。

  最早迷う必要など無いくらいに自分は幸せなのだろうと決定付ける。

  いつか来る別れの日、それすらも愛しい筈だと。

  天の光をその手に掴んだ青年は、その光を死ぬまで手放さない事を固く心に誓う。

  そして彼は空虚な過去を現在と未来への喜びと歓びと慶びと悦びで掻き消しながら極上の笑みを浮かべ。

  此の世の全ての幸福を詰め込んだかのような高らかな笑い声を上げた。

  舞台の上空で開いたスキマ。

  その奥で彼女は、優しく微笑んでいた。


新ろだ655
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最終更新:2010年07月02日 21:46