時刻はとっくに日付も変わった深夜の3時。
長いようで短いカウンターには二人の少女が座っていた。
一人は黒白の魔法使い。カウンターに頭を擦り付けてその綺麗な髪を台無しにしている。
もう一人は紅白の巫女。こちらは黒白の二倍もアルコールを摂取しているにもかかわらず、不気味なほどに凛としている。

魔理沙「らからさぁ、あの門番は仕事をしてにゃいのと一緒なんだよ」

突っ伏した顔を半分こちらに傾けて、完全に酒で熟した顔を見せてくる。

○○「そんなこと無いと思いますよ?立っているだけならともかく、門番として一日中、周囲に神経めぐらせるのは大変なことですって」
魔理沙「あいつ、たまに立ったまま寝てるへ?」
○○「それはそれでスゴイと思いますが・・・」
魔理沙「れは!!果たしてそれは門番としての仕事をこなひているのか!?」

ビシッと俺に指すのは結構だが、綺麗な髪が大変なことになっているぞ。

○○「まぁ、それでも紅魔館の門番は美鈴さんしか考えられませんからねぇ・・・」
魔理沙「○○は門番のいみをらかっているのか?門を守るのが仕事だぜ?」
○○「まぁ・・・それは『門番』ですからねぇ・・・」
魔理沙「そう!門を『ししゅ』することこそ門番の役割なんだぜ!」
霊夢「で、その仕事をしていない門番を魔理沙は吹っ飛ばして図書館へ行く・・・と」

グラスをこちらに「スッ」っと、滑らせるように置きながら(この仕草は「おかわり」の合図だと最近分かった)ため息をつく紅白。

魔理沙「じゃまらからな」
○○「ニヤニヤしながら言う言葉じゃありませんよ、魔理沙さん」

俺は霊夢の空いたグラスを引っ込め、新しいグラスにおかわりを入れながら霊夢にうつされたため息を吐き返した。

○○「魔理沙さんが毎回強行突破するもんだから美鈴さんが咲夜さんのナイフで針山になるんじゃないですか・・・」
魔理沙「むぅ・・・」

どうやら魔理沙は納得がいっていないようだ。美鈴さんに何の恨みがあるんだ・・・。

魔理沙「○○はこーまかんぐみの話ににゃるとやけに擁護するな?」
○○「勿論そういう話になりましたら擁護するどころか全力で弁護させていただきますが、今回に関してはその必要すらないような気が・・・」
霊夢「言えてるわね」

グラスに入った酒を半分ほどいっきに呑みながら、「クス」と笑う霊夢。相変わらずこの少女の飲みっぷりといったら気持ちのいいものだ、外の世界でこんな綺麗な呑み方をする女性はもっと年齢を重ねた女性が多いというのに。
恐らく彼女は俺の数倍、いや数百倍あらゆる経験を積んできたのだろう。こういうものを美しいと呼ぶべきなんだろうなぁ・・・

霊夢「さて、そろそろお暇するわよ、魔理沙」

チラリと壁時計に目をやった霊夢は見るや否や席をスッと立った。

魔理沙「いやだ~、ここで寝る~」

あぁ・・・そんなに顔を擦りつけたら折角のかわいい顔が台無しじゃないか・・・

霊夢「馬鹿言ってるんじゃないの、あなたの方が家が近いんだから我侭言わないの」
魔理沙「うー・・・れーむー・・・送ってって~・・・」

その言葉を最後に黒白は寝息をたて始めた。

霊夢「・・・あちゃ~」

頭をポリポリかきながら霊夢はこちらに目をうつす。

○○「霊夢さん、申し訳ないんですが魔理沙さんを送り届けてもらってもよろしいですか?もし、お手を煩わすようでしたら私のベッドで寝かせてしまうのもアリですが・・・」

霊夢「そしたら、あなたの寝る場所がなくなるじゃないの、もぅ・・・」

ぶつくさ言いながらも結局、霊夢が魔理沙を背負って家まで送ることになった。

○○「折角きていただいたのに、後始末と言うか、なんというか・・・申し訳ございません」
霊夢「いいのよ、別にあなたが悪いわけじゃないんだから」

次回は特別なお酒でも出してね、と付け加えて霊夢は既に夢の中にいる魔理沙を背負って空へ消えていった。

○○「霊夢は酒が強いというより、人間ではないのかもしれないな・・・」

そう呟きながら俺は店のプレートを「close」にひっくり返し、ふと霊夢が飛び去った方向に振り返った。
高く聳える山の谷間から、もう朝日がこちらに挨拶をしていた。

○○「とりあえず、俺も店の掃除したら寝ますか・・・」

背伸びをしたら欠伸がでた。どうやら結構疲れがたまっているようだ。
明日は(既に今日だが)定休日。夜雀の屋台に行くも良し、紅魔館に久しぶりに挨拶に行くも良し。
そんなことを考えながら俺は店の中に戻ってカウンターを拭き、魔理沙が呑み残したグラスと霊夢が飲み干したグラスを片付け始めた。

○○「ん・・・?」

霊夢のコースターの下に何か紙が挟んであるのに気づいた。
開いてみるとそこには「来週、ウチで宴会やるから来なさい」と、ぶっきらぼうに書いてあった。
さらにひっくり返して裏側を見てみると、「たまには酒を『一緒』に飲みましょう」と、これまたぶっきらぼうに。

○○「呑んでいるときはそんなこと一言も言っていなかったのに・・・」

いつもお酒を「作る」側にいる俺に対しての気遣いなのだろう。俺は改めて幻想郷に来たことを幸せと感じた。
○○「来週かぁ。どうせ萃香や紫さんも来るんだろうし美味しいお酒を持っていこう」

心なしか顔がニヤけている気がするがそんなのは関係ねぇ。

○○「まぁ、とりあえずは今日だな。今日は何をするかな・・・」

本日二回目の欠伸をしながら横を見ると、帽子掛けに魔理沙の帽子が掛かっているのを発見。

○○「・・・はは、とりあえず魔理沙ん家に帽子を返しにかなきゃな・・・」

今日も今日とて平和な幻想郷だった。




新ろだ604
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とにかく眠かった。
昨日(既に今日だったが)、霊夢と魔理沙が帰ったのは閉店一時間オーバーの午前三時過ぎ。それから簡単な片づけをはじめ、結局俺が布団に入ったのは四時を回ったところだった。
そんな俺が店の入り口から「ガスッ」という物音で目を覚ましたのは、太陽が丁度真上に昇ろうかという時間だった。
いつもだったら散歩がてらに湖までジョギングに行っている頃だ。

「・・・ん」

起き上がろうとする意思とは裏腹に、意識はまるで重りが乗っかっているかのように布団の中に沈みこんでいく。どうやら想像以上に疲れているようだ。
力を振り絞ってなんとか上半身を起こして、まだ半分夢の中にいる俺を現実へ引き戻す。

「今日は予定も約束も何にも無いはずなんだけどな・・・」

そういえば魔理沙が昨日帽子を忘れていったから、もしかしたら取りに来たのかもしれないな、と思いながらなんとか布団から這い出た。
フラフラしながら店内をぬけて扉を開けるとそこには誰もおらず、夏に近づいた幻想郷の香りが部屋に入ってきた。
温度は高くも低くもなく、湿度は高いが不快ではない。

「おかしいな、確かに聞こえたんだが・・・」

一度外に出て、周りを観察してみる。
昨年幽々子さんにいただいた桜の木、香草を育てる目的で作った小さな花壇、紅魔館をモチーフにして作った門・・・と、一通り庭の中を確認したのだが、変わった所は特に無い。
空耳だったのかもしれない、と自分に言い聞かせながら入り口に戻ると、厚手の木で作った自慢の店の扉に、「文々。新聞」と書かれた紙の束が鋭角に突き刺さっていた。

「・・・これか」

毎回毎回勘弁してくれないだろうか、折角、門の横にポストも建てたんだから届け方っつうものがあるんじゃないだろうか。
力を込めて新聞を歴戦の傷跡が残るドアから引っこ抜いた俺は店内に戻り、傍にあったスツールに腰掛けてその内容に目を通す。
鴉天狗が発行しているこの「文々。新聞」は、読む分には全く問題が無いのだが、内容が真実である可能性が限りなくゼロに近いというもはや娯楽雑誌に近い代物なのだ。
だが、娯楽の少ない幻想郷に住む俺にとっては、この新聞を読むのが日課となっている。今回の鴉天狗のトップ記事は博麗神社で行われる宴会についての詳細とお知らせで、どうやら宴会の案内も兼ねているらしい。
昨日霊夢がコースターに書き置いていった内容と一致するし、今回の記事はどうやらデマでは無さそうだ。霊夢のお言葉に甘えて、今回は飲む側に徹して皆との交流を深めることに専念するとしよう。
ニヤニヤしながら新聞を読んでいると、それを咎める様に再び扉から音が聞こえた。
今回は鴉天狗が投擲する新聞が突き刺さる「ガスッ」や魔理沙のドアを蹴破る「ドカッ」、チルノが突っ込んでくる「バキッ」という異音ではなく、「コンコン」という普通のノックだ。

「はいはい、どなたー?」

返事をすると同時に扉を開けると、そこには小さな荷物を両手で持った上海と、その上海を肩に乗せたアリスが立っていた。

「相手の返事も聞かないで扉を開けるなんて無用心な人ね」
「ブヨージンー」

アリスはともかく、会っていきなり何で上海にまでダメだしされなきゃならんのだ。
こちとら寝起きの気だるさを満喫している最中だぞ。
ボサボサの髪を掻きながらアリスのほうに目をやる。

「なんだ、アリスか。何の用・・・」

何かに違和感を覚えた俺は重たい目蓋を擦りあげ、再びアリスに向き直った。
いつものアリスなら、ワンピースの上にケープを重ね、フリルのついたロングスカートを履き、そして赤いヘッドドレスを着用しているはず。
だが目の前にいるアリスは白のYシャツに青のジャケット、そして極めつけに黒のジーンズを履いているではないか。
不審に思った俺はとりあえず未知の対象に現在の状況の確認を試みた。

「夢か?」
「何がよ」

返答があった、どうやら現実らしい。今度は簡単な質問を試みる。

「誰だ?」
「私よ」

不明確だったのでさらに確認。

「アリスか?」
「そうよ」

そして結論。

「意外と似合う」
「意外が余計よ」

上から下への強烈な拳骨。アニメでしか見たことの無い星が無数に見えたが気にしない。
ふらついているフリをしながら、改めてアリスを観察する。
俺がいた世界で例えるなら、NYのビジネス街に闊歩していそうな若きキャリアウーマンと言ったところか。

「まるで都会派アリスだな・・・」
「惚れた?」
「ノーコメント」

俺はとりあえずそのアクティブな服装についての質問は我慢して、アリスの急な訪問の用件を聞くことにした。

「で、今日は何の用?」
「んー、暇つぶし?」
「魔理沙かお前は」

疑問系にするところ以外は、ほぼ黒白の反応そっくりだ。
魔法使いって皆こんな奴らばかりなのだろうか。

「冗談よ、お茶飲みに来たの」
「ほとんど同じじゃねぇか」

この七色の人形使いは、俺がこの自宅兼店舗を建てた一年前程前からちょくちょくやってくるようになった。しかも夜の営業時間ではなく昼間にしょっちゅう現れる。

「なんかね、美味しい紅茶が飲みたくなったの。ねー上海?」
「シャンハーイ」

首を傾けながら「ねー」という仕草を合わせるアリスと上海。

「悪いが夜に来てくれないか。店の空いている時間にさ」
「いいじゃない、目覚めの紅茶も捨てたもんじゃないわよ」
「目覚めのアリスはいい迷惑だけどな・・・」

アリスには悪いが、着替えやら店の掃除やらで、休日にもかかわらずやることが沢山あるのでお帰りをお願いすることにした。

「むぅ、せっかくクッキーを持参でやってきたのに・・・残念ね」

しかし、その一言で俺は心底残念そうな顔をして帰ろうとするアリスに待ったをかけた。
俺もクッキーは作れるが、アリスのクッキーは別格の美味さがある。初めて食べたときに感動して作り方を教えてもらおうとしたが「企業秘密」と一蹴され、それから会うチャンスがあるたびに作ってもらっているのだ。もうファンと言ってもいいだろう。
しかも頼んでもいないのに折角作ってきてくれたのだから、無下に帰すわけにも行かなくなった。

「それを初めに言わないと、アリスさん」
「え? ひゃあ!」

お茶請けがあるのなら話は別だと言わんばかりに、帰ろうとするアリスの首根っこを掴み、カウンター席の後ろにあるソファーに座らせる。
とりあえず呆然としているアリスには冷たいお水で時間をつぶしてもらい、俺はその間にお湯を沸かしつつ、部屋に戻って寝起きの服装やら髪型やらを整えることにした。

支度が済んでカウンターに戻った俺は、ティーポットとカップを温める為に沸騰したお湯を注ぎつつ茶葉を選び始めた。

「それにしても、紅茶に関してはアリスもプロ並だろうに、なんでわざわざウチに飲みに来るんだ?」
「一人で飲むより二人で飲んだほうが幸せでしょう?」
「ぐっ!?」
「ふふっ」

そう言いながらニコッと微笑むアリス。サラッと言われたもんだから思わず咳き込んでしまった。やっべぇ、すげぇかわいいぞ、この魔女。
そんなことを考えていると、アリスは芝居口調で語りだす。

「“・・・という建前でしたとさ――”」
「やっぱり魔女だな、コノヤロウ」

涙目になった俺を見てクスクスと笑うアリス。
やっぱりどこに行っても女の子の泣き顔と笑顔は凶器だなと改めて痛感させられる。

「(いかん、ここは紅茶に集中しよう)」

器が十分に温められたことを確認してお湯を捨て、選んだ茶葉、そして改めてティーポッドにお湯を注ぎいれる。
そして蓋をしてしばらく蒸らす、蒸らしている間に上海から受け取ったクッキーをさらに盛り付けておくのも忘れない。

「休日だっていうのに仕事スイッチが入っちまったな・・・」
「いい機会じゃない、今度から営業時間をお昼からにしたら?」
「そうしたら俺の睡眠時間が悔やまれるな・・・」

蒸し終わったポットの蓋を開けてスプーンで一混ぜ、ソファー席のローテーブルにティーセットとアリスが作ったクッキーを並べて準備完了だ。

「あいよ、おまたせしました」

コポコポと、心地よい音が店内に響く。いつもだったら紫さんに頼んで幻想入りさせてもらった何かしらの音楽が流れているのだが、たまにはこういう物静かな感じも悪くない。

「うん、いい香りね」

香りを楽しんだアリスは、ストレートでその一杯を楽しんでいた。

「いい午後だわ・・・」
「これが本当の午後ティー、ってか」
「何よ、それ」
「気にするな、こっちの話だ」

アリスが幸福のため息をついたので、俺も一安心して紅茶を飲み始めた。
久々に淹れた紅茶だったが、渋くもなく、苦くもなく丁度いい出来だった。

「次回はいきなり来て『紅茶が飲みたい』は勘弁してくれよ、こうみえても俺は多忙だからな」
「あら、お昼まで寝ている寝坊助さんに予定でもあるのかしら?」
「ぐ・・・」

以前から薄々感づいてはいたのだが、この小娘にはどうやら口では勝ち目が無いらしい。
今度『紫もやし』こと、パチュリーに「ディベート上達術」なる本が図書館にあるか聞いてみよう。
図書館といえば、そういや今日は紅魔館に顔を出すつもりだったんだよな俺。
すっかり忘れていた。

「あー・・・でも一応紅魔館に挨拶に行こうとは思っていたんだ」
「また紅魔館? 近場が好きなのね。こう・・・もっと行動的にならないとヒッキ―になっちゃうわよ」
「いや、紅魔館行くのも十分行動的だと思うんだけどな・・・」

紅魔館にはここから徒歩で一時間近く掛かるのをアリスは知っているのだろうか・・・。

「じゃあ霊夢の所で昼寝とか、どう?」
「『どう?』と言われてもなぁ・・・。それに博麗神社はちょっと遠出になるからパスだな」

その前に、行動する目的が昼寝ってどうですかアリスさん。

「まったく・・・不便なところに店を建てたものね」

ちなみに俺の店はアリス宅、魔理沙宅、そして香霖堂を結んだ三角形の丁度中心にある。
そしてこの三角形は俺の移動範囲の基準ともなっており、それ以外では紅魔館ぐらいしか足を運ばない。
理由は簡単で、俺が空を飛べる術をもっていないからだ。
ほとんどの幻想郷の住人が空を飛べるのを見て羨ましく思ったことはあるが、それでも生活には支障が無いので、特に不便と思ったことは無い。
主に長距離の移動は、誰かに連れて行ってもらえばいいだけの話な訳で、博麗神社には魔理沙に拉致されて連れて行かれるし、守矢の神社には早苗さんが時々ご挨拶に来たりするので、それに引っ付いていけばいい。

「じゃあ、アリスが連れて行ってくれる?」
「嫌よ、あなた重いし」
「ひでぇな・・・、じゃあ上海に運んでもらうとかは?」

意見を求めるように上海に顔を向けるアリス。

「ダルイー」
「だそうよ」
「どうしようもねぇな」

その後、結局俺はアリスと夕方近くまでお茶会を楽しんだ。
魔理沙も言っていたが、アリスのする話は、ほとんど人形の話だ。
人形の自慢話にはじまり、今日の上海の服のデザイン、試作中の新しい人形のコンセプトについてなど、それはもう嬉しそうに話す。
話し方もいつもの直線的で否定的な口調ではなく、練りに練った言葉を一つ一つ繋ぎ合わせてまるで我が子の話をするように喋る。
その横で表情は変わらずだが、一緒になって楽しそうにしている上海を見ていると、余計にアリスから溢れる母性を感じてしまう。
俺から話題を振ることは無く、ひたすらにアリスの話を聞き続けた。
これは俺が「聞き上手」だからではなく、アリスの「話し上手」によるものなのだろう。
いや、それ程までに人形を大切におもうアリスの愛情のあたたかさに、少しでも長く浸っていたいと願う、俺自身がそうさせていたのかもしれない。

「あら、もうこんな時間」

そんな微笑ましい時間は、夕闇の訪れとともに終わりを告げた。

「楽しい時間は早く過ぎるものだのぅ・・・」
「おじいちゃんになるにはまだ早いわよ」

本日初の突っ込みに小さな感動を味わっていると、アリスは上海とともに帰り支度を始めた。

「なんだ、もう帰るのか?」
「一応晩御飯の時間になるしね、そろそろお暇させてもらうわ」
「じゃあついでだ、晩飯も食べていくか?」
「いいの? 珍しいこともあるのね」

気まぐれで誘ったわけではなかった。
別に一人分の晩飯を作るのも、二人分の晩飯を作るのにも大差は無いし面倒でもない。
理由は「有意義な休日を癒しとともに過ごさせてくれた」、とでも言っておこう。
それに、

「まぁ・・・二人で食べたほうが幸せだろ?」

まだ仕返しが済んでいない。
今日は一日中負けっぱなしだったので、どこかで白星をつけておきたかった。

「えっ!? ・・・あ・・・そ、そうね」

ちくしょう、最近の人形遣いはカウンターまで持っていやがるのか。
先程の仕返しのつもりで軽く茶化したつもりだったのに、そこまで顔を真っ赤にされてしまうと少々気まずい。
とりあえず「冗談だwww」といったら上海(槍装備)に突かれた。名誉の負傷だ。

「アリスさん、そろそろ加減を覚えてくれると助かるんですけどね」
「自業自得でしょ」

むくれているアリスは放っておいて、腹も減ってきたところだし、早速調理に取り掛かることにした。
しばらくするとアリスが手伝いを申し出てきた。

「流石に座ってるだけじゃ申し訳ないわ、何か手伝うわよ」
「『女子厨房に入らず』という言葉を知っているか?」
「それを言うなら『男子厨房に入らず』でしょう・・・」

なんだかんだ理由をつけて席に逆戻りさせた。「男子厨房に入ろう」の会員をなめるな。
晩御飯は残り物のアレンジという、本来お客様に出したらぶっ飛ばされそうなお品書きだったが、アリスは「美味しいじゃない」と喜んで食べてくれた。あまりにも美味しそうに食べるので、店のメニューのレパートリーも付け加えてみようかな、と真剣に考えてしまった。
食事を済ませて食休みをしていると、対面には目と槍装備の上海で脅迫をしてくるアリスがいた。

「せめて料理のお礼にと食器洗いぐらいはやらせてくれるわよね?」

どこの世界に殺気を出しながらお礼をしようとする輩がいるんだ。

「だが断る」
「ジョジョネタ!?」

「お客様の手を煩わせるわけにはいけません!」と説明したが、まだ掃除していなかった汚いシンクの中を見せたくなかったというのがこちらの本音だ。
再びむくれたアリスが破裂しないうちに片づけを済ませてしまおう。
そして片づけが終わったころ、アリスは本日二回目の帰り支度を始めた。

「折角の休みだったのに、お邪魔したわね」
「まったくだ」
「スナオニナアレー」

上海さん、槍で頭はやめていただけませんか。「ぶっすり」いってますね、わかります。
俺は頭に走る痛みをこらえながら、帰り支度を済ませ帰ろうとするアリスに手を振った。

「まぁ、また近いうちに顔を出させてもらうわ」
「今日と同じ服装だったら営業時間外でも来ていいぞ」
「・・・なんで?」
「んー・・・好みだから?」
「!!」

顔を真っ赤にしてバタバタと逃げ出すように帰ろうとするアリス。
してやったり、これで本日は二勝一敗、俺の勝ち越しだ。
高みの見物と言うやつだろうか。二年目にして初勝利を飾った俺はその余韻に浸りつつ、焦って入り口手前で転ぶアリスを「もし今日スカートだったらここで大惨事が起きていたのになぁ」とニヤニヤしながら傍観していた。
体勢を立て直したアリスはそんな俺の気持ちを察してか、再び俺をめった刺しにした。
先日教えてもらったのだが、どうやらこれが「ドールズウォー」というものらしい。
アリスが手加減を覚えるか、俺がドMになるか、一体どちらが早いのだろうか・・・。
そんなことを考えながら床に突っ伏していると、扉の前にいるアリスから小さな声が聞こえてきた。

「・・・今度は」
「ん? なんだって」

「あの、その」ともじもじしているアリスに、床から起き上がりながら俺は聞き返した。

「・・・今度は営業中にお邪魔するわね」

小声だったが、確かにそう言った。
言い終えるとこちらの返答も待たず、照れくさそうにアリスは扉を開けてそのまま暗い空めがけて飛んでいってしまった。
しばし呆然としていた俺だったが、常闇に消えたアリスに向かって静かに言った。

「はい。お待ちしております、アリスさん」

その言葉がアリスに聞こえたかどうかは分からない。
でも俺はしばらくアリスの飛んでいった方向を眺めていた。
アリスが「お客様」として初来店する日が遠からんことを祈りつつ。


新ろだ631
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季節は「秋」。
どうやら四季の概念は、幻想郷も外の世界と同じらしい。
冬はレティが寒さの訪れを自然に知らせ、春はリリィが過ぎ去った寒殺と新しい命の芽生えを感じさせる。そして秋は、あの姉妹が稲などの穀物や果物に「成熟」という名の豊かさを振りまくなど、まさに恵みの季節なのだ。
さらに気候がよく過ごしやすいことから、ここ幻想郷でも秋ならではの収穫祭や運動会などの行事ごとも多く開かれ、たいへん賑やかで快適な時期となっている。
…はずだった。

「暑い…」

店内の温度を管理するためにぶら下げている室温計は、午前中だというのに気温三十度を示している。店内で蜃気楼が見えてもおかしくない。
夏の暑さがやわらぎ過ごしやすい季節だったはずだが、冷夏の影響で残暑厳しい今日この頃というわけだ。

「一体何をしてるんだ…秋姉妹」

神様に文句をたれている俺はというと、今さっき拭き上げたばかりのカウンターに突っ伏して、ピカピカになった部分を台無しにしていた。
そうか、今頃妖怪の山にいる秋姉妹も俺と同じく、やる気無くダレているのだろう。
暑い時には水分と言わんばかりにタンブラーに昨日の残りの丸氷と水を入れて飲んでいたのだが、2杯目を飲み始めた辺りから全て汗に変わる始末。
店にはにとりに頼んで作ってもらった冷風機(クーラー)が置いてあることにはある。だが、何分貴重な太陽発電した電力を営業時間外、ましてや自分の為に使うことに気が引けた俺はひとまずTシャツにでも着替えて庭に出ることにした。外に出れば少しは良い風が吹いているかもしれない、と考えたのだ。貧乏性と言えば聞こえが悪いので、節約上手といったところだろうか。どこかの腋巫女が脳裏をよぎったが、気のせいだろう。
庭に出るとこれまた暑い。室内の蒸し暑さとはまた違い、燦々と照る太陽光そのものに焼き殺されそうだ。光合成ができる植物がうらやましい。

「とりあえず木陰に避難するか…」

庭先にある背もたれの付いた椅子、そして小さいスタンド型の机を木陰まで運び、程なくして即席のオアシスは完成した。
外の世界だったら、風鈴で音の涼をとりながら扇子に団扇。よしずの陰に縁台で涼みながら足元には蚊取り線香、たらいに氷水で足を冷やす…と、日本の風情満載で過ごしていたのかもしれない。
だが、ここは相も変わらず『幻想郷』。
椅子に寄りかかった俺は、水に濡らしたタオルを顔に乗せて涼をとることにした。
木陰は思った以上に風が通っていて、初めのうちは噴き出していた汗も、徐々に引いていった。

(なんだか眠くなってきたな…)

 快適なオアシスはどうやら『眠気を誘う程度の能力』をもっているらしい。
店の準備は既に終わっていたこともあり、あまりの心地のよさに敗北した俺は開店前まで昼寝をすることにした。今思ってみれば、今日は久々の早起きで、久々の昼寝だった。仕事柄、中々こんな機会は無い。
濡らし直したタオルを再び額に乗せ、存分に昼寝を堪能することにした。
タオルの水分に俺の温度が伝わり始めた頃には俺の意識は夢の中にあった。





『…ドムッ』

優雅で貴重な時間は、実に短命であった。
店の入り口から鈍い物音で目を覚ましたのは、太陽が丁度真上に昇ろうかという時間だった。

「…なんだかデジャヴな予感がするな」

どうやら太陽が真上に来ると、うちの玄関は異様な音を出すらしい。
体と脳みそをゆっくりと起こしながら、不吉な音の出る方向を確認する。残念ながら間違いなく玄関からだ。
音からしてノックではなさそうだが『ドンドンドン』と、段々早くなっている。厚手の木で作った自慢の扉は、どうやらサンドバック並みにタコ殴りにあっているようだ。
誰かの怒りが爆発し、その捌け口の矛先が我が家の玄関に向けられたのだろうか。
最近は異変も無く平和な日々。俺に対しても、恨みを抱く妖怪も人間もこの辺りにはいないはずなんだが…。
俺は音を立てないように、こっそりと木の陰から玄関を覗いた。

「せい! せい! せい! せい! せい!」

ドンドンドンドン

「…のちゃん…だ・・だよ」

玄関先には、見たことの無い二人の少女がいた。
一人はブラウスに青いワンピース、そしてショートの青い髪よりちょっと色の濃い青のリボンといった可愛らしい格好なのだが、姿勢に違和感がある。具体的には両脇を手の甲で支えており、所謂『おっさんポーズ』で立っているので見るからに怪しい。
一方、普通に立っているもう一人の少女はというと、こちらはブラウスに青いベストに同じ色のスカート、そしてサイドポニーの髪を黄色のリボンで結っている。
二人とも背が低いのと、動く度にゆれるリボンが印象的だ。

「とりゃとりゃー!」

ドンドンドンドン

「だか…やめょ…」

青い髪の女の子は脇目も振らず、腋を締め、腰を据え、更に気合を入れて扉を叩いている。まるでガトリングガンのようだ。
その横にいる薄緑色の髪の女の子は声が小さくてあまり聴き取れないが、どうやら青い髪の女の子を説得しているらしい。
よく見ると、二人とも羽のようなものが背中から生えている事に俺は気づいた。妖怪なのだろうか。まぁ、なんにせよ人間ではないので慎重に行動する必要がありそうだ。
とりあえず、観察がてら声の聞こえる辺りまで近づいてみることにした。

「せい! せい! にんげーん! 出てこーい!」

青い髪の子は一向に扉を叩くのを止めない。あれでは逆に自分の拳を痛めそうだが、表情は全く変わらないまま殴り続けている。しかも、どうやら俺がここに住んでいることを御存知の様子だ。

「駄目だよ、チルノちゃん! 人様の家の扉を乱暴に叩いちゃ!」

それに対し、もう一人の子は常識があるらしく、その行為を咎めている。青い髪の子とは違い、おとなしそうな印象だ。
一方、活発そうで強気な青い髪の子は、怒られたことに不満があったのだろうか。ようやく殴るのを止め、ボコボコに殴られた扉を指差し薄緑色の髪の子に反論していた。

「何言ってるの、出て来ない奴が悪いの!」
「もしかしたら留守かもしれないじゃない!」

ごもっとも、と俺は思った。
まぁ実際は庭で昼寝していただけだが。

「大丈夫よ、大ちゃん。あたいの推理によれば奴は家の中にいるはずなのよ!」
「推理・・? 不安だなぁ…」

不安なのは標的になっている俺も同じだった。

「チルノちゃん、ちなみに根拠は?」

そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、『大ちゃん』と呼ばれた子は今まさに俺が聞きたい質問を的確にしていた。
それに対し、青い髪の子は胸を張って、

「勘よ! それも野性…天性の勘よ!」

と答えた。

「考えてもいないじゃない!!」(考えてもいないじゃねぇか!!)

顔を真っ赤にしながらのツッコミと、俺の心の声がピタリとリンク。
どうやら、あの子となら話が通じそうだ。俺の天性の勘が負けじとそう告げていた。

「大丈夫よ! あたいったら『さいきょー』だもの!」

何処がどう大丈夫なのだろうか。ツッコミ役の子も既に諦めた様子で、深いため息をついていた。どうやらあの子が彼女に何を言っても、状況は変わることはないようだ。
ということは、このまま放って置くと、再び扉にバルカンパンチを浴びせるのは時間の問題だった。
頑丈さに定評のあるウチの扉だが、天狗の新聞といい、魔理沙の蹴りといい、これ以上はあまりに不憫だ。面倒ごとはゴメンだが仕方ない。
自分にそう言い聞かせた俺は、重い腰を上げて彼女たちに近づいた。

「何か用かな?お嬢さんたち」
「!」

俺の声で真っ先に振り向いたのは青い髪の女の子だった。視覚で俺の存在を確認するや否や、その表情は「ぱぁっ」とさらに明るくなった。

「ほら! やっぱりあたいの思った通りよ! みて! みて! 大ちゃん! やっぱりいたよ!」
「…チルノちゃん、確かにいたね」

『大ちゃん』と呼ばれた子は、その後に小さい子声で『外にだけどね…』とため息混じりの肯定と否定を織り交ぜた高度な返しをした。
一方、『チルノ』と呼ばれた子は俺を指差し、今にも外れそうなくらいに腕をブンブンと振っている。
結局のところ俺の質問はスルーらしい。

「いたよ! どうする!? どうする!?」
「え!? 何も決めずに私を誘ったの!?」
「とりあえず!」

元気よく断言するのは健康的で良いのだが、その「とりあえず」でフルボッコにされたウチのドアをどうしてくれるんだろう。

「どうする!? どうする!?」
「わ、私に聞かれても…」

暴走列車とその乗客と言ったところだろうか。とにかく、このままでは俺が会話に入ることも、話を進めることもできない。
 二人のグダグダなやりとりを聞いているうちに、段々と面倒臭くなってきた。
 とはいえ、話が進まない以上こちらから話題を振るしかなかった。

「…あのさ」
「!」「は、はい!」

そんなに強面でもないのに話を切り出しただけでこの驚かれ様、ちょっとショックだ。
唯一の救いは、あちら側が話を聞く姿勢を見せていることだ。敵対意識はそこまで無いようだ。ならば仲良くするきっかけは、ほんの些細なことで良い。
一礼し、顔を上げた俺は。

「お茶でも、どう?」
「?」「…え?」

 生まれて初めてナンパ言葉を口にした。


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「うまい!」
「うん、美味しいです」
「そりゃよかった」

店内のソファー席に座って、俺たち三人は少し早い三時のお茶をいただいていた。
お嬢さん方は少し甘くしたアイスティー、俺はガンガンに甘くしたアイスコーヒーを飲み、お茶請けはアリスから貰ったクッキーという内容だ。余談だが、大ちゃんはガラスのグラス。チルノには落としても大丈夫なように木製のカップでアイスティーを作った。
二人をお茶に誘った時は、その後長い間があった。不信感を抱かれたのではないかと肝が冷えたが、青い髪の子の『あたい、喉渇いたー』の一言ですんなりと承諾された。やはり馴れない言葉は口にするものではない。

「おいしーね、これ」
「チルノちゃん、このクッキーも美味しいよ」

アイスコーヒーを啜りながら、俺はここまで観察した二人の行動を印象を頭の中でまとめていた。
コップに刺さったストローで大きな音を立てながらアイスティーを飲み、食べたクッキーは口の周りにベッタリ。青い髪の女の子は初見のイメージ通り、やんちゃ丸出しの性格のようだ。

「もぅ、チルノちゃんったら口の周りがすごいことになってるよ」

もう一人の子は自分のポケットからハンカチを取り出して口元を拭いてあげている。こちらはおとなしめで面倒見の良いしっかりとした性格のようだ。もしかしたらチルノと呼ばれた子のお姉さんなのかもしれない。

「ふもふが…」
「ほらぁ、食べてる時は喋ろうとしないの」

仲の良い姉妹というより、むしろペットと飼い主のような構図だ。

(この光景は…とても和むな)

まとめかけていた思考は再びバラバラになった。この娘たちと一緒にいると、要所要所で考えるのが面倒臭くなってくる。
この状況に飽きがこないうちに本題に入ることにした。

「ところでお二人さんは俺に何用なのかな?」
「?」

可愛らしく両手でコップを持ちながら、青い髪の子は首をかしげた。

「あ…、あの」

その横で、喉でも痛めてるんじゃなかろうかと思うほどかすんだ声がする。遠慮がちそうに咳払いを一つして喉の詰まりをとると、薄緑色の髪の子が代わりに喋り始めた。

「突然お邪魔してすみません、私は『大妖精』と言います。こっちの子は妖精の『チルノ』ちゃんです」
「あたいチルノ!」

一先ず、自己紹介タイムというわけらしい。妖精も礼儀正しいのだなぁ、と感服した。

「あ、ああ、よろしく。俺のことは○○って呼んでくれ」
「はい、宜しくお願いします○○さん」
「あたいもよろしく!」
「はいはい、よろしく頼むよチルノ」

相変わらずこっちの子は無駄に元気だった。ただ、神経を逆撫でするような行動をしてこないので悪い子ではないのだろう。

「それで○○さん、さっきの質問ですけど…」
「うん、『何の用事?』ってところまで言ったね」

俺の質問はスタートラインについてから一向に進んでいなかった。

「実は私、チルノちゃんに『面白いこと見つけた!』とだけ言われて連れて来られたので…その…」

つまり、何にも用は無い。ということだろう。大妖精は申し訳なさそうに俯いてしまった。…となるとこれは当事者本人に聞かざるを得ない。

「…なぁ、チルノ」
「んー? (ぶくぶくぶく…)」

発端になった張本人は、ストローでコップの中を泡だらけにすることに夢中になっていた。俺も昔やったなぁソレ。

「結局さ、チルノは何で俺のとこに来たんだ? なんか用事でも?」

俺の質問にチルノは『決まってるじゃん』と自信満々に話し始めた。

「時々、湖の近くで見かける人間がいるから大ちゃんと一緒に会いに行こうとおもって! 悪そうな奴でもないし、お話とか弾幕ごっことか出来たら楽しいかなぁって!!」

 真っ直ぐに俺を見つめる、澄んだ蒼い眼。俺は言葉が出なかった。
改めて考えてみれば、妖精とはいえども天敵や弱点の一つや二つあるだろう。見知らぬ人間に脅威を持たず、ただ単純に興味だけで接触してきたチルノ達の行動は稚拙だったのかもしれない。
だが、俺はそんなチルノの純粋な好奇心に胸打たれるものを感じた。同時に種族が違えども俺に興味を持ってくれた。その事実が嬉しかった。

「ここらへんに住んでるって聞いたから!」
「そっか…、俺に会いに来てくれたのか」

 俺はまだそんな歳じゃないので良く分からないが、孫が遊びに来たらこんな感じなのだろうか。軽く感動している俺がいる。

「それで扉にアタックすれば出てくるって!」
「私それ初耳だよチルノちゃん!?」

 ヘイ、雰囲気ぶち壊しの問題発言だぜフェアリーガール。

「チルノ、それは誰から聞いたんだ?」
「白黒!」
「あの魔女めが…」
 
元凶はどうやら魔理沙らしい。この前折角帽子を届けてやったのに、恩をあだで返すとはよく言ったものだ。今度来たらサソリ入りの酒でも出してやろうか。いや、あいつなら瓶を目の前にしても平然と飲みそうだから嫌がらせにすらならないか。

「チルノちゃんからもっと早くにこの話を聞いていればこんなことには…」
「大妖精ちゃんが責任を感じる必要はないよ、黒幕も分かったところ…」
「で、でも…」

俺の言葉の途中で大妖精は向かいのソファーから立ち上がり、そのまま俺の横に膝を折って座った。両手は筒の形、内緒話をするお決まりのポーズだ。
何年か振りに見るポーズに萌えた所為もあり、俺は素直に大妖精に耳を近づけた。

「折角のお昼寝の邪魔もしてしまいましたし…」
「あれ?何で知ってるの?」
「チルノちゃんには黙ってたんですけど、門をくぐった辺りでチラリと姿が見えまして…」

もし気がつかなければ、そのまま迷惑をかけずに帰ることができる、と大妖精は続けた。

「そっか、気をつかわせたね」
「でもそのせいで、ドアがボコボコに…。ゴメンなさい」

どうやら大妖精という子は「チルノ」に対する責任感も強いらしい。姉というより、むしろ母親的な存在なのだろう。

「そもそも先導したのは悪い魔女なのだから大妖精ちゃんが謝ることもなかろうに、ほら顔上げてくれ」
「うう…」
「二人に知り合えてこうして仲良くなれたし、それに見てごらん」

俺はドアを指差す。

「あのドア、結構頑丈なんだよ?」

ここからでは見えないが、ドアの損傷は外側の塗装が少し剥げただけで、塗り直せば全く問題ないことを大妖精に話した。

「天狗にも新聞突き刺されたから、いずれは塗り直すつもりだったんだよ」
「そ、それでも…。じゃ、じゃあ、塗り直すの手伝います!」

しかし、大妖精は引き下がらない。

「昔話じゃあるまいし、恩着せがましくするつもりはないんだけどな…」
「そ、それでもです! 何かお返しできることはありませんか!?」
「ふむ…」

俺は考えていた。
どうやら俺は大妖精に完全には信用されていないのかもしれない。
大妖精は何か代価を支払わなければ、と必死なようだ。あの子の行動はチルノを守りたい一心なのだろう。それにしても俺ってそんな悪い奴に見えるのだろうか。

(まぁ、会ったばかりの人間を信用しろという方が難しいのは確かだけどな…)

かといって、妥協して対価を求めるのは更に信用を損なう行為と言える。どうしたものか。どうしたら大妖精と仲良くなれるのか? 今朝方に鏡を見ながら整えた顎髭を弄びながら、俺は答えを探した。
そんな時だった。あさっての方向を見ながら考えていた俺の視界の中に、チルノの姿が映ったのだ。チルノのように大妖精と仲良くなるにはどうしたらいいのか。
己に疑問を投げかけているうちに俺はふと思った。
『チルノと同じ立場になればいいのでは』、と。

「…じゃあ、一つお願いしてもいいかな?」
「は、はい! で、で、出来る範囲でお願いします!」

緊張しているのだろうか、大妖精はガチガチに固まっていた。
少しでもその緊張が解れるように、一呼吸ほど間をおいて俺は続けた。チルノと同じ立場に近づく方法を。

「俺も、君のことを『大ちゃん』って呼んでもいい?」
「…ほぇ? な、なんて?」

ドコから出したか分からないような声で大妖精は聞き返してきた。

「俺もチルノと同じように『大ちゃん』って呼ばせて欲しいんだ。『大妖精』って堅苦しい呼び方じゃなくて、『大ちゃん』って方が気軽に呼べるしさ。駄目かな?」
「で、でも…いいんですか? そんなことで…」

不安そうな表情を見せる大妖精に俺は再び問いかける。

「『そんなことで』…ということは了承してくれたってこと? 大ちゃん?」

俯き、伏せていた大ちゃんの表情が明るくなっているのが分かった。笑顔になった大ちゃんに俺は、『改めて』の意を込めて手を差し出した。

「よろしく、大ちゃん」

小さく、細い。だが温もりのある手が俺の手に触れる。

「はい! ○○さん!」

手を力強く握られたとき、俺は大ちゃんから何かを得たような気がした。安心か信頼か、できれば両方ともいただきたかったのだが。
 頬を紅く染めた大ちゃんの可愛らしい笑顔が見れたので、とりあえず満足した。


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「ところで○○さん、さっきから気になっていることがあるんですけど…」
「なんだい? 大ちゃん」
「このお店は何屋さんなんですか?」
「あー、それあたいも知りたい」

俺の膝に頭を乗せて寝転んでいたチルノも顔だけ上げて尋ねてきた。

「手っ取り早く言うとBarかな」
「『ばー』…?」

 やはりBarなど幻想郷には無いのだろう。二人とも頭の上に『?』マークを浮かべている。

「うーん、主に飲み物を出してるんだけど…。ほら、このアイスティーみたいに」
「ごはんは!?」
「一応材料は用意してるから、ある程度ならお作りするよ」
「じゃあ『ばー』っていうのは、ごはん屋ってこと!?」

チルノはまるで犯人を見つけたかのように指を突きつけた。ちなみに指した方向には誰もいないし何も無いので、これまた哲学的な絵になっている。

「うん、それも正解」
「正解? あたいすごい!?」

すごいすごい、と頭を撫でてやるとチルノは満足したようだ。

「『それも』というのは?」
「良い質問だね、大ちゃん」
「茶化さないでくださいよ~、結構真剣に聞いてるんですから」
「ゴメンゴメン、真面目に話すよ」

 正直こういう真面目な話は苦手だ。特に自分の価値観を曝け出す事に関しては、否が応でもナルシストみたいになるので尚更だ。
 俺は煙草に火をつけ、一呼吸間を空けた。

「俺が思うBarっていうのは『休憩所』なんだ」
「休憩所…?」
「そう、飛び疲れた鳥が羽を休める止まり木みたいなもんだよ。お腹が空いていたら料理をお出しする。嫌な事があったり悩み事があるのなら、『麻酔』をかけて刺さった釘を抜くお手伝いをしてあげる、とかね」
「なんか壮大ですね…」
「そんなこと無いよ、本当は誰にでも出来ることなんだ。ただ気づかないだけさ」
「誰にでも出来ること…」

 俺の言葉を繰り返す大ちゃん。自分の中で反芻し、言葉の意味を考えているのだろう。

「そう、そのくらいのお手伝いなら誰にでも出来るのさ」
「じゃあ、○○さんは一体何をするんですか?」
「アレ見てごらん」

 ソファーに座ったまま、俺は振り返りもせず後方を指差す。

「…ドアですか?」
「そう、俺の仕事は『あの重い扉をいかに軽くするか』、なんだ。入る時はとても重く感じたあの扉を、帰る時は軽く押して帰れるようにする。俺の役目は少しでも皆のココロを幸せにするお手伝いをすることなんだよ」

肺から紫煙を吐き出しながら俺は答えた。やはりとてもむず痒い。言い終えた後に恥ずかしさと後悔がいっぺんに襲ってくる。そんな念を押し殺すべく、俺は再び肺の中を煙で満たした。

「ん~、ムズかしい…」

チルノは頭を抱えて唸っていた。やること成すこといちいち可愛いなコイツ。

「難しく考えること無いよ。例えばチルノ、そのアイスティー美味しい?」

 俺はチルノのコップを指差す。

「うん? おいしいよ?」
「じゃあOK!」
「よく分からないけど、おっけー!?」
「おっけー!」

俺のグッジョブポーズにチルノはあわせて親指を立てて元気な返事をした。そう、難しいことは何もいらない。単純に皆が楽しくあればいい。

「よし! じゃあハイタッチだ!」
「いえー!」
「チルノも可愛いな~、よしよし」

 ノッてきた俺はチルノの頭を撫で始めた。父親ってこんな感じなのだろうか。爺様の気分を味わった後は、一世代飛び越えてパパの気分を味わう俺。段々と若返ってきている。

「こ、こら頭撫でるなよぉ」
「フカフカだな、よしよ…ん?」

 撫でた右手に感じる違和感。
ひやっとした冷気を感じる。確認の為もう一度チルノを撫でる。

わしゃわしゃ

「あ、あによぅ」

やはり冷たい。どうやら更年期障害の類ではないようなので一安心だ。

「大ちゃん、大ちゃん」
「…へ? 何ですか?」
「チルノが…冷たい」
「まるで死体に触れたような口調ですね…」 

 ネタが古いのだろうか、大ちゃんに軽く呆れられてしまった。

「○○さん、チルノちゃんは『氷精』という妖精なんです」
「『ひょうせい』…?」
「はい、冷気を操ることのできる妖精をそう呼ぶんです」
「ふぅん…冷気をね」

そう言えば、さっきから膝の辺りが冷たいと思った。この年で冷え性になってしまったのかと思ったじゃないか。

「チルノ、ちょっとおいで」
「なーに?」

座りなおした俺は、膝をポンポンと叩いた。チルノは素直にその上に座り、俺に身を預けた。

(おお…涼しい)

思った通りとても快適な温度だ。幻想郷での涼はこうとるのか。

「○○―?」
「あぁ、悪い悪い。チルノが側に来れば涼しいかなって思ってさ」

 チルノの背中から心地よい冷気を感じる。俺の胸の中にすっぽり入る、コンパクト冷却機だ。

「ん~? ○○すずしくなりたいの?」

俺の返事を待たず、チルノは服の中からカードを取り出していた。何処かで見たことのあるカードで、何故かそのカードを見た途端寒気が走った。

「だ、駄目だよチルノちゃん! スペカ使ったら○○さん凍っちゃうよ!」
「えー、この方が手っ取り早いのに」

思い出した。あのカードは「スペルカード」だ。氷精と言われるチルノのことだ、得意な分野は凍らせる類に間違いないだろう。危うく氷像にされるところだったのか。

「と、とりあえずスペカは仕舞ってくれ、これで十分だからさ」
「むぅ~」

なんとか宥めようとするのだが、チルノは腑に落ちないらしい。せっかく俺を冷やそうとしたのに、その手段を否定されたからいじけているのだろう。だが、ここは俺の生死が懸かっているので妥協はできない。
 しばらく怒っていたチルノだったが、数秒後、その頭上に豆電球が出現した。何かひらめいたらしい。

「ねぇ○○! これならどう?」

言うや否や、振り向いたチルノは「ぎゅう」と抱きついてきた。

「お、おい、チルノ!?」
「これなら大丈夫でしょ?」

確かにこれなら凍傷もしないで済みそうな温度だし、全体的に涼しくなれそうではある。

(だけどコレはこれで色々とマズイだろ…)

始めに言っておくが、俺は決してロリコンではない。
だが、この状況はかなりマズイ。今日知り合ったばかりの女の子に抱きつかれるというこのシチュエーションは、異変と言って相違ない。

「ほら○○、もっとぎゅっとしないとすずしくならないよ?」
「お、おう」

抱きつきからの上目遣いは相手に致命傷を与えやすい。
動揺を隠しきれぬまま同意してしまった俺は、訳も分からぬうちにチルノの背中に手を回して抱き寄せていた。チルノはというと、足を俺の腰に回して、ガッチリとしがみついている。

(い、イカン。このままでは俺の心の何かが折れる! むしろ変なスイッチが押されてしまう!)

 俺は大ちゃんに助けを求めようと振り向いた。
案の定というかなんというか、大ちゃんは顔を真っ赤にしてアタフタしていた。助けが要るのは俺だけではないようだ。
チルノはというと、俺の膝が御気に召したらしくリラックスしている。初めは無理にでも引っぺがしてしまおうかと考えたのだが、気持ちよさそうなチルノの顔を見ていると流石に出来なかった。
 天国と地獄が混ざった混沌とした状況下で、俺は必死に自分の意識を保っていた。


「こんなもんでいい?」

 十分程して俺は解放された。どこかの庭師に似た半霊が口から出ているが特に気にしなくて結構だ。数分とは言え、カオスの中で意識を保ち続けることが出来た自分を褒めてやりたい。
 そんな精気の抜けきった俺にチルノは微笑む。

「すずしくなった?」
「だいぶ」

 俺は短く答えた。

「もしかして冷やしすぎた?」
「だいぶ」

俺は体を小刻みに震わせて同じように短く答えた。おそらくプールから出た後のように唇がちょっと紫色になっているかもしれない。
 震えていると大ちゃんが側においてあった毛布を持ってきてくれた。『大丈夫?』との問いに『だいぶ』と答えると、二枚目を持ってきてくれた。

「じゃあ、次は大ちゃんの番!」

一瞬何を言っているのか理解できなかった。おそらく寒さのせいで、思考が凍っていたのだろう。

「何を言ってるのチルノちゃん!?」

 思考を常温解凍しようとしている横で、大ちゃんはメダパニをかけられていた。自慢のサイドポニーを逆立てながら大声を出している。
 顔が真っ赤なところから怒っているのではなく、恥ずかしいが故の反応と考えていいだろう。

「だって大ちゃん暖かそうだし」

 言葉になっていない声を様々な音量で発する大ちゃん。
隣にいた俺は『確かに』と思った。なんとなくだが、大ちゃんは春先の太陽のような、ほんわかとした温もりを持っている気がする。『気』がする。

「ほら、○○だって、『うんうん』って言ってるよ?」
「○○さんまで! なに頷いてるんですか!?」

 しまった。どうやら自分でも気づかないうちにチルノに相槌をうっていたらしい。いつの間にか俺も悪者扱いになってしまっている。

「それに大ちゃんも、ぎゅーってしたいんでしょ?」

大ちゃんの顔が再び赤に染まる。

「そ、そんなこと…」

 モジモジしながらどんどん小さくなっていく大ちゃん。俯くと同時に背中に生えている羽が可愛らしくヘタっていく。

「だって大ちゃん、さっき羨ましそうに見てたじゃない?」
「わー!! わー!!」

 こういう時に限ってチルノは精密射撃が得意になるらしい。先程までの大人しさはどこへやら、大ちゃんにかけられたメダパニが本領を発揮し始めたようだ。
 チルノはそんな大ちゃんを見て大笑いしている。しばらくは二人のおしゃべりを聞きながら体でも温めよう。風邪で店を休みにするなんて勿体ない。
 俺は新しいお湯を沸かしながら妖精の漫談を楽しんだ。





「○○さん、そろそろお暇しますね」
「もうそんな時間?」

時計を見ると時刻はまもなく七時。『秋の日はつるべ落とし』と言うように、窓の外は既に日も落ちて暗くなっていた。
 晩御飯を誘ったのだが、大ちゃんは首を横に振った。

「いただきたいのは山々なんですけど…」

チラリと横に目をやる大ちゃん。その視線の先には、眠そうに欠伸をするチルノの姿があった。

「チルノちゃんはいつでも元気なんですけど、今日は色々あったから疲れちゃったみたいですね」
「そうみたいだね」
「んぅ~?」

チルノは欠伸で出た涙を拭きながら唸った。本格的にオネムさんのようだ。

「チルノちゃん、送っていってあげるから。ほら、立てる?」
「さ、さいきょ~!」

 大ちゃんに差し出された手を握ると、チルノは謎の掛け声でソファーから立ち上がった。

「○○さん、今日はありがとうございました」
「こちらこそ、楽しい話をありがとう。また遊びに来てね」
「また来るからね!」
「待ってるよ。ただし、次はドアにアタックしちゃ駄目だぞ」

 アタックが発展してスペカ攻撃になる事態だけは避けたいので、ここは念を押して注意をしておくべきだろう。軽いノックのやり方をレクチャーして再びチルノの頭を撫でた。
別れ際に大ちゃんが「今度は営業時間中に来ますね!」と楽しそうに話してくれたので、次回までに『妖精』っぽいカクテルやメニューを作っておくと約束した。チルノと同じように頭を撫でたら顔を真っ赤にして固まったので、ここぞとばかりに感触を楽しんだ。
 この後チルノに「大ちゃんばっかりずるい」と言われて二人交互に頭を撫でる破目になったのはご愛嬌だ。


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 俺は二人が消えていった空を見ながら思いに耽っていた。

(綺麗な空だな…)

夜が長くなったせいか、最近は月や星を眺めたりする時間が多い。幻想郷というだけあって、その景色も外の世界の空とは一味違う『幻想』に彩られている。
先程まで騒がしかったこの場所に漂う言い様の無い寂しさ、それをまるで陰ながら癒してくれているような感覚に囚われる。
 そんな幻想に浸っていると、いきなり目の前が真っ暗になった。

「なーに感傷に浸ってるんだよ」

後方から聞き知った魔女の声がした。

「居たのか…」

 俺は目を覆った手を退けて振り返った。本日の黒幕、「霧雨魔理沙」のご登場である。

「なんだか反応薄いような気がするぜ?」
「魔理沙が来そうな予感がしたからな」

冷静に、そしてぶっきらぼうに俺は答えた。無論、登場の際の盛大な拍手など必要ない。

「今は営業時間中の筈だぜ? 『魔理沙さん』って呼ばなくていいのか?」

 魔理沙はニヤニヤしながら肩を突っついてきた。

「今晩は特別でな、開店は八時からなんだ」

 なるべく店舗営業時間内は客に対してバーマンとしての振る舞いをする。それが俺のモットーであり常識的なルールなのだが今日は例外といえよう。ここは幻想郷、常識に囚われてはいけないのだ。

「それで、何しに来た」
「うへぇ、言い方キツイな。根にもってるのか?」
「心当たりでもあるのか?」
「全然」

 無い胸を張りながら当然のように答える。

「なら問題ないだろう」

 俺は苦笑しながら店に向けて歩き出した。 

「美味い秋酒が手に入ったんだ、一緒に呑むぞ」
「そうこなくっちゃ」

 今日は特に月が綺麗だった。こんな日は庭でゴザでも引いて月見酒と洒落込むのが一番だ。 乾杯を済ませた俺達は夜空と残り物の付け出しをつまみに一杯始めていた。

「…にしても珍しいな、○○から呑もうだなんて」
「良いことがあったんだよ。なんだかんだ魔理沙にも感謝しなくちゃならん」
「妖精のことか?」
「あぁ、場所教えてくれたんだろ?」
「大したことでもないぜ」

魔理沙は笑った。付け出しのチーズを舐め、冷酒を気持ちよさそうに飲み干す。

「いい奴らだったろ?」

 『とっても』、そう付け足して俺は頷いた。
 魔理沙の杯が俺の杯にぶつかる。

「新しい出会いに」
「乾杯ってか」

秋も深まり、酒が益々美味くなるのだろう。次の酒の席ではあの二人とも一緒に酌み交わしたいものだ。杯に映った月を覗き込み、そして飲み干した。

「そういえばアタックはどうだった?」
「心当たりオオアリじゃねぇか」
「なんのことだぜ?」

今日この良き日、今宵の夜は長い。



新ろだ774
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霜月
十一月九日
 
絹ごし豆腐が半丁だけ残る。
紫さんのリクエストで湯豆腐を作ったのだが、一丁は平らげられないとのことで、半丁分残すことに相成った。
どうやら八雲の式は熱いものが苦手らしい。
明日の朝、俺の味噌汁に回すことにしよう。
それにしてもこの豆腐。里の人が作っているのだが、かなりの美味だ。今度是非作り方を教えてもらおう。
 寝る前に白菜を漬けた。


十一月十日

にとりに作ってもらった冷蔵庫を覗くと、十二時間前に漬けた白菜の浅漬けが、丁度いい感じに出来上がっていた。
古漬けにしてもよかったのだが、なにせウケが悪いので作るのは自重している。
おととい買い物に行ったばかりなので、仕込む材料は山ほどある。午後は暇にならずに済んだ。
そのわりにお客は来なかった。どうやら、たくさん仕込んだ日には客が来ないらしい。
残った汁物で晩御飯を済ました。朝から汁物ばかりの一日だった。


十月十一日

昼間に魔理沙がドアを吹っ飛ばした。とりあえずグーで殴って正座させた。
用件を聞くと、明日の夜に何人か集まって宴会をしたいとの事だ。料理についてリクエストは特にないらしく、おまかせで作ることになった。
仕込みの最中にふと思ったのだが、最近俺の店が「バー」ではなく「小料理屋」、もしくは「居酒屋」と化している。
折角、紫さんに借りている『境界を操る程度の能力』が活かせていない。『境界』と言っても、能力が及ぶ範囲は限定されている。
『酒に関する境界を操る程度の能力』
異空間での物の出し入れが可能で、取り出せる物は酒に関する物のみ。そしてなおかつ幻想郷にないものに限定される。
例えば、幻想郷にはない酒を外界から持ってこれる。蔵や、お店、はたまた大切に仕舞っていたお酒が無くなるのは俺の所為です。外の皆様本当に申し訳ないです。
お酒以外にもロックで使う氷、それをグラスでまわすためのバースプーンなども取り寄せることが出来る。ちなみに氷は幻想郷でも作れるので、「南アルプスの水」など水を限定する必要がある。
その他にも自分が酔わないように境界をいじったりと面白い使い方も出来る。
そんな便利な能力にもかかわらず、俺は主力にすべき「お酒」ではなく、「酒の肴にするための材料」をスキマから取り出すという納得の出来ない使い方をしていた。
思わずため息が出る。
バーテンの修行時代の前に板前修行をしていたのが、こんな形で、しかも別世界で役立つとは思わなかった
まな板の上には取り出したばかりのマグロの赤身。醤油で漬けにすることにした。
とても美味そうだが、釈然としなかった。
今日も仕込みをたくさんした所為なのか、お客はあまり来なかった。

日記まで愚痴ばかりの一日になってしまった。反省だな。


十月十二日

開店直後に予約客は現れた。
今日のメンバーは魔理沙、霊夢、萃香、アリスの四人組。「神社ひなたぼっこ組」と俺は呼んでいる。
メインに鱈の鍋を出した。鍋をはじめる前に、酒の肴にでもと思い立ち、かぶと豚肉の炒め物をこしらえた。これが意外に好評で、鍋が半分進んだ辺りで萃香以外の三人の端の動きが止まる。三つ葉、しいたけ、春菊、ねぎ、鱈、またしても豆腐、ぜんぶ少しずつ、手付かずのまま材料が残る。

「ごめんなさい、調子に乗って食べてたらお腹一杯になっちゃった」

あの霊夢が言うのだ。量が多すぎたか、と反省した。
美味しかったから持って帰りたい、霊夢とアリスが言ってきたのだが、もって帰る最中に痛んで、お腹を壊すといけないのでやんわりと断った。
皆が帰った後で、白菜キムチ足してチゲ風の小鍋に仕立てようと思いついた。明日は定休日のことだし口臭も気にしないで済みそうだ
鍋を煮ていると扉が開いた。

「○○~? 起きてる?」

少し開いた扉の隙間から萃香が顔を覗かせてきた。忘れ物でもしたのかと思った。

「さっきの残りってまだあるかい?」
「味付けを変えちゃったけど大丈夫?」
「おぉ、そりゃあ楽しみだ♪」

そんなこんなで、嬉しそうに小躍りする萃香と一緒に夜食を食べることになった。
鍋の蓋に手をかけた時、萃香が小さい声で話し始めた。

「本当は残すつもりとかはなかったんだけど」
「…ん?」
「ほら、あの三人の前でバクバク食べるとなんていうかさ……その恥ずかしいというか…」
 
顔には出さなかったが、心の中で驚いた。なんていうか、「鬼」という豪快な萃香のイメージが変わった。
顔を真っ赤にしてうつむく萃香に、不覚にも本気で可愛いと思った。
もしかしたら俺の顔も真っ赤になっていたのかもしれない。
柄にも無く恥ずかしくなった俺は、鍋の中身を取り分ける作業に全力を注いだ。

「お、辛いけどこれまた美味いねぇ」

本当に美味しそうに食べるなぁ、と思った。

「萃香、なんなら呑み直すか?」
「○○が付き合ってくれるなら」
「勿論」

今日出し忘れたマグロの漬けをあてにしながら俺たちは朝方まで呑んでいた。
流石は鬼っ娘、酒がべらぼうに強い。普段なら自分『酔いの境界』に悪戯して素面で相手することが多いのだが、今日は二日酔いしても構わないという気持ちで萃香のペースについていった。
途中からの記憶は途切れ途切れで、何を話したかすら思い出せないが、帰り際に萃香が言った

「また一緒に呑もうね、○○」

という言葉は何故か覚えていた。
こんなバーがあってもいいかな、と思った。


十一月十三日

 あたまがいたい。
 久々の二日酔いだ。
 卵を飲んで一日寝ていた。


十一月十四日

体はまだ本調子ではなかった。
頭痛は無くなったが食欲がない。
とはいえ、食べないのはもっと体に悪いので、土鍋のなかに一昨日残したごはんと水をいれてお粥をこしらえた。
臨時休業」の看板を出して一眠りした。
晩御飯もお粥を食べ、早めに就寝。


十一月十五日

冷蔵庫の奥で、行方不明になっていた干しいもの齧りかけを救出。しかし赤いカビが浮いており、いもに謝る。
二日間休んでいた所為か、今日は盛況だった。
妖精やら妖怪やらが入れかわり立ちかわりで、十二時までノンストップでの営業となった。
満席でガヤガヤ。バーらしからぬ光景だがこんな日もあっていいと思う。
だが、こういうときに限って仕込み不足。酒と料理が瞬く間にお客の胃袋に収まっていく。
そんなこんなで忙しく働いていると、見かねたミスティアが手伝ってくれた。
流石は蒲焼き屋の夜雀。
煮物や焼き物を馴れた手つきでこしらえていく。
手伝ってくれた御礼に、今度は俺がヘルプとして出張する約束をした。
ミスティアは俺のことを同業者として認識はしているが敵対意識をまるでもっていないので、こうして仲良く「飲食店の主」として交流を深めている。
そんなこともあってうちの店では鶏肉を使った料理がほとんど無い。
新聞屋にしてもそうだが、鳥類として同じ種族の肉を食べるのはあまり気の進む話ではないだろうという俺なりの配慮だ。
とにもかくにもミスティアに借りを作ってしまった。近いうちに遊びに行くとしよう。


十一月十六日

今日は一見のお客さんが来た。
昨日の日記に書いた話に釣られてなのだろうか、でかい鳥さんがやってきた。
話を聞くと、この娘は地底人らしい。羽が生えているのに地底人とはこれいかに。
とりあえずお茶を出す。沸かしたばかりのお湯で作った煎茶だった。
メニューを見ながらお茶を啜る。
啜る。啜る。啜る。

「おかわりっ!」

勢い良く湯飲みを返された。
四杯目のお茶を飲み終えたところで、「おすすめください!」と言われた。
俺は少し考えて、ハンバーグを出すことに決めた。
彼女にはアルコールではなく、食事のほうが好まれると思ったからだ。
ハンバーグにしたのは、この子にどこか『チルノ臭』を感じたからだった。

「おかわりっ!」

本日二回目のおかわりだった。どうやら気に入ってもらえたらしい。
帰り際に「今度はご主人を連れてくる」と言った。
彼女は従者なのだろうか。
そんなことを考えながら席を片付けていると、変な六角形の棒を見つけた。
彼女の忘れ物だろう。
ご主人に会えるのは、そう遠い話ではないだろう。


十一月十七日

今日は一日中雨だった。
客は来なかった。
魔理沙に借りた本を読みながら午後を過ごした。
読み終えた本を「紅魔館大図書館」の棚に仕舞う。
来週にでも持って行こう。


新ろだ2-063
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最終更新:2010年07月02日 23:20