ピピピピッ……と、独特の電子音が鳴り、朝の到来を僕に知らせる。
まだ少し寒い空気の中、腕を延ばして携帯電話を取ると、
アラーム音と共に表示されている文字列【入学式】が見える。
「ふぁぁ~……っよし、朝か」
まだ寝ていたいと訴える体を強引に動かし起き上がる。
ベッドの脇にある衣装要れに掛かった制服を持ち、洗面所で顔を洗い着替える。
ネクタイを結ぶのに悪戦苦闘(中学は詰め襟だった)し、鏡の前で乱れが無いか確認する。
うん、若干ネクタイが歪んでいる気がするが、まぁ許容範囲内だろう。
朝食は適当にパンとコーンスープですませ、食器を流し台に置いた所でテレビの時刻が9時を示していた。
「あ、時間だな」
鞄を手に取り、玄関に用意してある真新しい靴に足を入れる。
全く、新入生だからって何でもかんでも新しくしないでも良いだろうにね……
「じゃあ、行ってきます」
そう玄関に置いてある写真に呟く。
海外に出張し、年に一度帰ってくるかどうかすら分からない両親。
それを寂しいと思った事もあるが、大事な日には必ず電話をくれていた。
昨日の夜、久しぶりに両親の声を聞いたが、あちらも元気ならしい。
身体に気を付けて学業に専心せよ との事だ。
まあ、らしいと言えばらしいか……
「おはよう、○○」
「ん? あ、おはようアリス」
通学路になる予定であろう道を歩いていると、後方より声をかけられる。
アリス・マーガトロイド、僕の家の隣に住んでいる幼馴染だ。
昔から何かとお世話になっており、仕事で両親が居ない僕を彼女は色々と気遣ってくれた。
その彼女も、今日から同じ学園に通う事になっている。
学園の制服だが、男子はブレザータイプにYシャツ 黒いズボンと標準タイプな制服だ。
女子に関しては少々状況が異なり、ブレザータイプもあるがセーラータイプもある。
アリスはブレザータイプらしく、リボンを首元に巻いて革製の鞄を持っていた。
うん……まあ、似合っていると思う。
「……○○、ちょっと止まって」
「?」
ふと、何かに気付いたアリスが僕に声をかける。
足を止めてアリスの方を向くと、手が首元を押さえつけていた。
「うわっ、アリス!?」
「じっとしてなさい」
彼女の顔が少し近づき、首元に締めていたネクタイが緩みもう一度キュッ
と気持ちすら引き締まる様にもう一度ネクタイが首元に締まる。
「形が崩れていたし、ずれていたのよ。 全く……
今日から始まるんだから、その日からだらしなくてどうするのよ」
「ご、ごめん……ありがとう」
「別に良いわよ。さっ、行きましょ」
歩き出すアリスに少し遅れて歩きだした僕だが、彼女が歩調を緩め僕の隣を歩く。
春らしく暖かな空気の中、僕たちは初めてその門をくぐった。
【私立東方学園高等学校】 それが僕たちの入学した高校だ。
前年度まで女子専門学校だったらしいが、入学生の激減と共学化を望む声が多かったらしく
本年度より共学化の道を進む事になったらしい。
寮や更衣室等も男女に分けて増設され、その工事が終了したのが去年の終わりだった。
『まず本学に入学おめでとう。これからは本校生徒として……』
と、入学生として体育館に並んでおり、ありがたいお言葉を聞いている途中である。
珍しい、と言うよりも異例だが、クラス事に並んでいる訳ではなく新入生が体育館に
バラバラに……と言うよりも適当に列を作って並んでいるだけである。
『~~であるから~~でして……』
な、長い……
学園長の八雲 紫さんの話は簡単かつ的確であり、生徒達が自主的に拍手をしていた。
それが続く市長やら役員やらはどうだろうか?
「長いわね、それに無意味にありがたいお言葉」
そちらを見るとアリスが正面を向いて、無表情のまま口を動かしている。
無意味にありがたい言葉、とは皮肉なのだろう。
「まあ……確かに長いね」
「これに耐えれば何か得るものがあるのかしら? まあ忍耐と言う物は得られそうだけど」
「はははっ……確かに」
それ以降も話す相手が変わり、延々と同じ様な話が続いた。
「……あ、1-Aだ」
「私も1-Aね、同じクラスで良かったわ」
「そうだね、色々と心強いよ」
体育館での長ったらしい話の後、掲示板に張り出された生徒名簿を確認する。
アリス・マーガトロイドはあ であるから一番探しやすい。
一年A組……それが僕達の一年間過ごすクラスとなるようだ。
「とりあえず教室に行きましょうか? ホームルームもあるだろうしね」
「うん、そうしよう」
その時は気付けなかったが、アリス・マーガトロイドの名前の下に見た事のある
名前があった事に気付けなかった。
「……あの人は……」
そう、その真横にその張本人が居る事にも気付かずに……
──────────────────────
教室内は騒がしい……と言うより浮ついた空気で、至る所で話声が聞こえた。
机の上に名前を書かれた紙が貼っており、その席に座る様黒板に書かれている。
「それじゃ、またね○○」
「うん、また」
出席番号順らしく、アリスの席は一番前らしい。
僕も自分の席に座りつつ、周囲の人達を見まわしてみる。
「~~じゃないかな?」
「うにゅ?」
「…………(煩い)」
「(キョロキョロ)」
と、各々勝手に過ごしている様だ。
本を読んでいる者、周囲の人間と話す者、キョロキョロと辺りを見渡す者……様々だ。
アリスの方を見てみると……やっぱり、机で本を読んでいる様だった。
「はい、皆さん着席して下さい」
パンパンッ と手を鳴らしながら教師らしき人が入ってくる。
騒いでいた生徒も教師が教壇に立つ頃には各々の席に座り、ノートを出してペンを握る者、
教師をしっかりと見る者、もう寝かかっている者……それぞれだ。
「はい、本年このクラスを受け持つ事になりました、聖 白蓮と申します。
教師として、皆さんと共に学園生活を送る事になりますが、宜しくお願い致します。
では、出席を確認致します」
不思議な髪の色をした先生だが、ほんわかとした優しそうな先生だった。
その日の連絡事項は、基本的に来週から授業は始まると言う事、
教科書や体操着の販売は明日行う事、寮に入る生徒はこの後残る様に らしい。
「さ~って……今日は終わりかな」
連絡事項を綴ったメモ帳を閉じ、教室から出る。
改築工事をした後と言う事もあり、新品同様で綺麗な校舎だ。
「○○、一緒に帰ろ」
「あ、うん」
下駄箱でアリスが声をかけてくる。
他の生徒達も帰るらしく、少し混雑した中を歩いてゆく。
「先生が優しそうで良かったね」
「そう? 私は特に何とも思わないわ」
「怖いよりは話し易いから良いよ……」
「怖いと思うのは何か引け目があるからじゃないのかしら?」
「アリスは相変わらず怖い物知らずだよね……正論だと思うけど」
ん~……先生や上司が怖い印象があると話し難いを思うのは僕だけなのかなあ?
中学時代も、ある先生が怖くてとても話辛かったんだけどなあ……
「……怖い物は……貴方に……」
「ん? 何か言った?」
「別に何でもないわ、帰りに書店に行こうと思うけどどうする?」
「え~っと……うん、付き合うよ」
何か言っていた気もするが、アリスが何でもないと言うのだから何でもないのだろう。
それに考え事をしていたから、それが聞こえた事として誤解しているのかもしれないし……
商店街は何時も通りの盛況で、学生向けにたいやきやタコ焼き等の軽食を店先に並べ、
少しお洒落なレストランや軽食屋、ゲームセンター等が立ち並んでいる。
「何か新刊でも出るの?」
「ううん、料理本」
駅前にある大型書店に入りながら問うと、珍しい答えが帰ってきた。
彼女の場合、文庫本(推理小説だったり、恋愛物だったりと種類は様々だが)を
メインに読んでいると思ったが、何か作りたいものでも出来たのだろうか?
「何か作りたいものでもあったの?」
「ん~……美味しいお弁当の作り方を知りたいだけよ」
「なるほど」
中学までは給食だったりもしたけど、これからは弁当か学食か購買か……
あ~……僕はどうしようかなあ……おにぎりでも前夜に適当に作れば良いかな。
まあ生活費には困って無いから、いざとなったら学食かなあ……
「ん~僕は他の所見てるね」
「漫画ばかり読んでたら頭悪くなるわよ」
「……気を付けるよ」
ん~……特に読みたい物は無いなあ……
フラフラと適当に店内を回ってみるが、読みたい物は特に見つからない。
適当に雑誌を広げてみるも、【新学期! 新しい恋の始まり!!】とかの文字が見える。
雑誌を元に戻し、文庫本のコーナーに行ってみると、
アリスなら喜びそうなくらいの量を取り扱っているが僕にはあまり馴染みのある物ではない。
「……むきゅ~」
「ん?」
何と言うのだろうか、よく分からない音を出しながら同じ制服を来た女性が背を
伸ばしている。
どうも上の本を取りたいらしいが、背が届かなくて困っているらしい。
「えっと……これで良いのかな?」
「……その隣」
「あ、これ?」
「そう……」
その本を取り、彼女に渡す。
日本人では無いのだろうか、紫色の髪の毛に隠されて顔はよく見えない。
「……ありがとう」
「別に何もしてないよ」
ペコリ、と頭を下げる彼女に対して僕は手を振る。
「……でも、周りは誰も気に掛けなかったわ」
「僕は何かを探している訳じゃなかったから、周囲が見えていただけだよ。
それで僕が手を貸せるから貸しただけ 当たり前の事でしょ?」
「そうかしら……貴方の言う当たり前は……他の人に取っては当たり前じゃない……かも」
「えっと……まあ、そうかも……他人に自身の考えを押しつけるのは悪いよね、ごめん」
「何故謝るのか分からないわ、助けてくれたお礼を言っただけなのに……」
少し笑うような気配がする。
よくよく考えれば、確かに謝る事は無いのかも知れないが……
「○○~ ○○~?」
「あ、終わったのかな……それじゃ、またね」
「……また」
手を上げて挨拶すると、彼女もヒラヒラと軽く手を振る。
「ごめん、お待たせ」
「何探してたの?」
「適当にフラフラしてただけだよ」
「ふ~ん……てっきりまた漫画でも立ち読みしてるかと思ったわ」
そう話しながら離れて行く彼。
○○……それが彼の名前……覚えておこう。
またね、と言っていたが、次会えるのは何時になるだろうか?
……構わない、同じ学園の学生なら何時か会えるだろう。
その時、もう少しだけ……もう少しだけでも良い、話してみるのも良いかもしれない……
「明日も午前中には終わるのかしら?」
「教科書と体操着購入なら早く終わるんじゃないかな? それに教科書とかは重いし……」
書店の袋を持ちながら他愛の無い話をしながら帰宅する。
何を買ったのか聞いたのだが、特に面白い物じゃない の一点張りで教えてくれなかった。
……まあ話したくないなら良いか……そこまでして聞きたい物ではないし。
「ん? ○○の家の前に誰か居るわよ?」
「へっ? ……本当だ、お客さんかな?」
家の方と、手元を交互に見比べている人が遠目に見える。
隣に大きな鞄を置いているが、どこか遠くから来たのだろうか?
「まあ良いわ、邪魔しちゃ悪いから先に帰るね。それじゃあまた明日」
「あ、うん。また明日」
トトトッ、と僕から離れ、小走りにアリスは家に入っていく。
え~と……流石に遠くから来た人をそのまま放置する訳にはいかない。
僕も少し走り、家の前に居る人の傍に行く。
「えっと……こんにちは、何か御用ですか?」
「……あ」
声をかけると、少しだけ安堵した様な表情を見せる。
綺麗な銀髪に、透き通る様な水色の瞳……誰だろうか?
「えっと……これからお世話になります、義兄さん」
「………………はいっ?」
──────────────────────
「どういう事なの父さん!!」
『ハッハッハッ、どういう事なの? と言われてもそう言う事なんだよ○○』
思考停止した直後、僕が取った行動はとにかく両親に連絡を付ける事だった。
流石に外で待たせておくわけにはいかないので、その女性には居間に通して座って貰っている。
緑茶を出した後、こうして廊下の電話機で両親に連絡を付けたのだが……
どうも電話がかかってくる事を想像していたらしく、直ぐに携帯に繋がった。
「あの子……」
『なんだまだ自己紹介すらしていないのか? 全く……相変わらず行動が遅い奴だな』
「そういう問題じゃないでしょ!? 第一彼女は誰なの!?」
『なんだ薄情な奴だな、幼い頃は一緒に遊んだと思うんだが?』
「幼い頃……って言われても分かる訳無いでしょ?
僕は漫画の主人公とかコー○ィネーターとかな訳じゃ無いんだから」
と、言うか幼いころの記憶を全部覚えていたら壊れてしまいそうだ。
人間の脳は上手く出来ていると思う、
新しい事を覚えたら不要だと思われる記憶を自動的に消去していくのだから。
『やれやれ……妖夢君だ。 魂魄 妖夢』
「妖夢……妖夢って、あの妖夢?」
『あの と言うのがどれか私には想像出来ないが多分その妖夢君だ。
剣道の県大会優勝歴を持ち、幼少の頃お前相手に竹刀を振るった子だよ。
まあ、当時はお前の方が強くて妖夢君は一本も取れなかったがね。
そしてお前も軽く妖夢君に竹刀を突き付けるだけでぶつけはしなかったね』
「……女の子に竹刀で叩くのはどうかと思っただけだよ。
それの体格差もあったし、父さんが僕に色々な運動をさせるから動けただけだし……」
『ハッハッハッ、それがお前の強さでもあり弱さでもある。
私の若い頃は……』
はあ……相変わらず訳の分からない話をする父親だ。
そして陽気な声で次々と線路を脱線させて、いつの間にか銀河鉄道の路線を突っ走っている。
「……話の腰を折って悪いけど父さん」
『ん? 何だこれからが良い所なんだぞ?
私のジム改が活躍して勝利を収めた時の友軍からの通信は……』
「何でその妖夢がここに住む事になってるの?」
恐らくゲームの話だが強引に無視する。
ここで迂闊に突っ込みを入れようものなら、
数十分はそれに話を持って行く事が分かっているからだ。
『ああ、それは私が彼女を引き取ったからだ』
「……相変わらず突拍子も無いね」
『まあ説明するから良く聞きなさい』
どうやら彼女の両親が不慮の事故で無くなり、
身寄りの無い妖夢を父さんが養子として家族に迎えたらしい。
妖夢の実家は相当田舎らしく(もっとも、帰りを待ってくれている人はもう誰も居ないが……)
それならこちらに住んだ方が良いだろう と言う事で荷物を持たせてこちらに来たらしい。
「成程……話は分かったよ、ただ何で一緒に暮らす事になっているの?」
『家族が一緒に暮らす事がそんなにおかしい事かな?』
「そうだね、家族ならおかしくないよね。 血が繋がっていればおかしくないよ。
でも妖夢は血が繋がっていない女の子だよ!? いきなり一緒に住んでくれって言われて
はいそうですか、了解しました。 って言えるほど僕の神経は図太くないよ!!
それに東方学園なら全寮制だから寮があるじゃないか、そっちは駄目なの!?」
『うむ……実はな○○』
「うん」
『寮が全部いっぱいになっちゃって断わられたんだ♪ てへっ☆』
無言で近くにあったMP3の音量を全力にして電話に押しつける。
グオオオオッ!! 等とのた打ち回る声が聞こえるが無視して数10秒続けた後MP3を止める。
「……本気でそんな理由?」
『……まあ隠しても仕方ないか』
そう言う父さんの声は普通、煩いくらい笑い声を上げ陽気に語る。
しかし、真剣な話の場合それらの陽気さは一気に消し去り、重い声になる。
『両親を突然失ってしまった彼女は心に傷を負っている。
心の傷を治すのは大人じゃない、動物か同世代の子供だと思ったんだがな……
妖夢君は剣道一筋で生きてきた子だから、同世代の子と話が全く合わないんだ。
それに生真面目過ぎる性格が損をして、同世代の子は妖夢君を疎ましく思うだろう。
その性で人付き合いが不得意なんだが……
同世代の子にいじめられた経験も妖夢君にはあるんだ、
それ故に妖夢君は少し他人に対して距離を置いている。
それで余計に妖夢君が孤立する……と悪循環なんだ。
そんな彼女を誰も知らない場所にお前は放りこめるか?』
「……それは……」
『妖夢君の心は傷ついている、両親の死は大きい傷跡となっているだろう。
それが癒せるのは多分お前だけだ。 幼い頃共に過ごした【安心できる人】はお前と、
私達しかもうこの世には残っていないんだと思う。
私達は転勤族で今海外に居るから、妖夢君に十分に付き合えないし、
転々とする生活では彼女も落ち着けないと思う。
落ち着いて生活できて、安心できる人が……今はお前しか居ない。
もし、お前が拒絶したら……もう妖夢君は立ち直れないかもしれない。
分かるな? 私の言っている事の重大さが』
「……ううっ……」
そんな事言われたらもう断われないじゃないか……
かと言って、そう簡単に一緒に住むよ と言えやしないけど……
そう返答に困り、周囲を見回すと何時からそこに居たのか妖夢がこちらを見ていた。
視線があうが、妖夢はこちらを見たまま微動だにしない。
透き通るような水色の瞳には、相変わらず冷静に……いや、僅かに変化している。
その変化には身近で、見覚えがあった。
何だっただろうか、と○○は少し考えるがすぐに思い出した。
そうだ、何か大事な者に置いていかれる……または見捨てられるのを恐れる子供の瞳だ。
スゥーッ、と息を吸いながら瞳を閉じる。
瞳の裏には、両親が出張に出かけて行く姿を同じ様な瞳で見送る僕が見えた。
そう……僕にはアリスが居てくれた。 アリスの母親も居てくれた。
彼女には……僕しか居ないんだ。
「……分かった、一緒に暮らすよ。父さん」
『うん、そう言ってくれると本当に助かるよ○○。
これで断わられたら父さん泣きすがるしか無くなっていたからな』
「いや……流石にこんな話を聞いたら断われないしね……でも何時亡くなったの?
妖夢の両親……聞いた事無いんだけど」
『うむ、約三年前だ』
「……はい?」
あれ、今の話し方からだと2か月前とかそういった短い期間じゃないのかな?
『だから約三年前だ、365日一年計算で約1095日前だ』
「……え、それってかなり前だよね? つまり今は父さんが話した様な状態じゃないんじゃ……」
『ハッハッハッ……何の事かな?』
騙したのか!? しかもいつの間にか話し方が戻ってるし!!
「ちょ、父さんもしかして騙した!?」
『そんな訳無いだろう、ただ過程と現状の話す順番を少し動かしただけだ』
「それを騙すって言うんだよ! じゃあ妖夢はもう大丈夫なんじゃないの?」
『いや、他人と付き合うのは相変わらず難しそうだ。
生真面目な性格も良い意味でも悪い意味でもそのままでね……
人付き合いが上手に出来ないだろうから、
すまないがそこの所をフォローしてくれないだろうか?
難しい事を考えないで良い、義兄として義妹の面倒を見るとでも思ってれば良い。
昔みたいに……な』
昔みたいに……ねえ。
……まあ、出来るかどうかは分からないけどやってみるさ。
「頑張ってみるよ」
『うむ、頑張ってくれたまえ』
「しかし父さんは何とも思わないの?
高校生で血がつながって無い男女が同じ屋根の下に住む事について……」
『HAHAHAHAHAHA!!! お前にそんな度胸がある訳が無い!!!!』
うっわ……爆笑してるし声音が高くなってエセ外人っぽい声になっている。
寝ている妖夢に襲いかかる僕……うん、確かに想像出来なかったよ。
「確かに想像出来なかったけどさ……だからって笑う事無いじゃないか……」
『HAHAHA!! まあそう言う心配は全くしてない、むしろお前が誰かに襲われないか心配だった。
何、私も母さんから攻勢をかけられた側であっt……分かった、すまなかった母さん。
だからその掲げた拳を下ろしてくれるととても嬉しい』
あ、相変わらず主導権は母さんが握ってるみたいだ。
『ごほん、そう言う事で……だ。 妖夢を宜しく頼む』
「うん、頑張ってみるよ」
じゃあまた、元気でね と言って電話機を置く。
妖夢が僕に近づくと深く頭を下げる。
「ごめんなさい○○さん、色々とご迷惑をかけて……」
「あ、良いよ気にしないで妖夢。 迷惑とかじゃなくて、
両親の常識の無さに驚くのと同時に呆れているだけだからさ」
「……○○のお義父さんとお義母さんには、とても良くして頂きました」
「もう妖夢のお父さんでもお母さんでもあるよ。 それから僕も……妖夢の義兄さんだ。
まあ僕は頼りなさそうだけどね」
フルフルッ と首を左右に振り、僕の手を両手で包む妖夢。
「○○……義兄さんは、とっても優しい人で、頼りになる人だって私は知っていますから……
だから、自分を卑下しないで下さい」
「あ、うん……ありがとう」
こうして、新しい義妹【魂魄 妖夢】が共に暮らす事になりました。
──────────────────────
ピピピピッ……電子音が朝の到来を告げている。
昨日は入学式で少し疲れたせいか、まだこの暖かい布団の中で寝て居たい……
「義兄さん……時間ですよ、起きて下さい」
「んんっ……?」
あれ、誰かが呼んでいる……しかし僕以外この家には居ないはずだ。
……幻聴か。
「義兄さん、朝ですから起きて下さい」
ゆさゆさ……と身体を揺らされる。
地震か……って、ここまで幻覚だと思うほど僕は変になった覚えは無い。
うっすらと目を開けると、特徴的な銀髪に水色の瞳……
「おはようございます、義兄さん」
「おはよう……妖夢?」
「はい、朝ですから起きて下さい。 朝食の用意も出来ていますよ」
「あ、うん……ありがとう」
「いえ、それでは下でお待ちしていますので」
ペコリッ と頭を下げて扉から出て行く妖夢、タンタンタン……と
階段を下りる軽快な音が聞こえる。
そうか……妖夢と暮らす事になったんだっけ。
待たせるのも悪いので、昨日用意しておいた制服を持ち洗面所に向かう。
顔を洗い、制服に着替え居間に向かうと食卓に妖夢が座って待っていた。
妖夢の制服もブレザータイプの様で、リボンを首元に巻いている。
「ごめん、お待たせ……先に食べても良いよって言った方が良かったかな?」
「いえ、独りで食べる食事は味気ない物ですから……」
「あ、ごめん……えっと、後朝食用意してくれてありがとう」
「早起きですから大丈夫ですよ、それにお世話になっているのですからこれくらいは……」
「ん~お世話になっているとかそういう事言わないの、もう妖夢は家族なんだから。ね?」
「……はい、義兄さん」
擽ったそうに妖夢が笑う。
うん、やっぱり妖夢は笑って居た方が僕は好きだ。
「それじゃ、いただきます」
「いただきます」
ご飯に味噌汁、漬物に焼き魚と卵焼き……と、日本の朝食と思われるメニューである。
その味は長年作り続けているのだろう、安定した美味しさを感じる。
「うん、美味しいよ妖夢」
「お口に合ったのでしたら良かったです、いまどきはパンが主食と聞きましたので……」
「ん~……まあ時間が無ければそうするけどさ、僕はご飯好きだよ?」
「そうですか……良かった」
何が良かったのか良く分からないが、まあ嬉しそうだから良いかな。
朝食を取った後、台所に食器を置いて洗おうとしている妖夢を止める。
「時間が無いから、帰って来てからでいいよ」
「いえ、私は走れば間に合いますから……義兄さんはお先にどうぞ」
「またそうやって……ほら、一緒に行くよ」
妖夢の手を取り、少し強引に居間から連れ出す。
そのまま押し問答をしていた所で無駄な事だし、
何より時間には余裕を持った方が色々と得だと思う。
「ほら、用意してきて」
「あ、はい……少し待って下さい」
そう言い階段を上り、鞄を片手に戻ってくる。
「お待たせいたしました、参りましょう」
「うん……じゃあ、行ってきます」
何時も通り写真に挨拶をして、玄関のカギを締める。
のんびりと妖夢と学園に向かい歩いて行くと、チラホラと学園の生徒達も増えて行く。
「○○~」
「ん? あ、アリス。 おはよう」
「おはよう○○……その子は?」
僕の隣に居る妖夢の事を言っているのだろう。
そちらの方を見ながらアリスが疑問気に聞いてきた。
「あ、うん。 この子は魂魄 妖夢。 僕の義妹だよ」
「……義妹?」
「うん、昨日父さんから電話があって……」
とアリスに説明しながら歩き続ける。
だが何故かアリスの表情が説明を進める事に不機嫌になって行く様な気がする……
気のせいかな?
「と、言う事なんだ」
「ふ~ん……つまりあの家で二人で住んでいるのね」
「うん、そうだけど?」
「そう……まあ良いわ、私には関係無いし……魂魄 妖夢だっけ?
私はアリス・マーガトロイド ○○とは幼馴染(←強調)で、
彼とは長い付き合い(←やっぱり強調)よ、宜しく」
「あ、えっと……魂魄 妖夢と申します。
○○さんの義妹です。私こそこれから(←少し力を籠めて)宜しくお願い致します」
何故か両人ともぎこちない笑顔で握手している。……どうしたんだろう?
それに何故か両人の間の空気が冷たい様な感覚がある。
「それはそうと○○、またネクタイが曲がっているわ」
「へっ? ……あ~……ごめん」
「ったく、しょうがないんだから」
そう言いながら首元のネクタイを締め直してくれるアリス。
何故かスッ と目を細めた様な気がする妖夢……
あれ、確かその目って昔僕が剣道の相手をした時に見た気がするんだけどなあ……
「良し、しっかりしなさいよね」
「ごめん……ありがとう」
「別に良いわよ、ほら、行くわよ」
「あ、うん……妖夢も行こう」
「……はい」
あれ~……今度は何故か妖夢の機嫌が悪くなった気がするんだが……気のせいかな?
そんな通学路を通う中、何故か殺気の籠った視線を感じた様な気がしたが……
まあ気のせいだろう、恨みを買う様な事をした覚えは無いし……
学年は同学年であったのだが、良く見てみると妖夢も一緒だったらしい。
僕達と一緒のクラスである事はとても心強いし、他のクラスで無くて良かったと思う。
もし、妖夢に何かあってもアリスに相談する事も出来るし、
僕の目が届く距離に妖夢が居るから手助けもし易い……と思う。
流石にそう簡単に他のクラスに乱入する訳にはいかないからね……
今日の授業(?)は教科書を買うだけだから午前中だけで簡単に終わってしまった。
教科書等を購入したのは良いが……これを全部一気に持ち帰るのは重いんじゃないか?
現に二重にしたビニール袋でも持つ部分がかなり伸びている。
「どうしたの○○?」
「アリス、教科書を入れたビニールが伸びているからさ……これ、切れないよね?」
「切れないよね? って聞かれても……
ビニールの耐久力と重量と運動エネルギーを計算しないと何とも言えないわ」
あ、相変わらず冷静に僕の質問を真剣に答えてくれるよね……
アリスも教科書の量は変わらない筈だから、相当重いと思うんだけど……
「アリスの方は平気なの?」
「私は鞄をちゃんと持ってきているのよ」
そう言うとクルリ とその場で一回転。
確かに何時も持っている革の鞄と、背中に同じ様な鞄を背負っている。
恐らくそちらにも教科書を分けて持つ事にしているのだろう。
「用意が良いね」
「今日は教科書を買うって分かってるんだから準備するのは当たり前でしょ?」
「あ~……僕が迂闊でした、と言う事で……」
「はあっ……全く、ほら」
呆れた様な、どこか嬉しそうな複雑な表情でアリスが紙袋を差し出して来る。
しっかりとした作りで、教科書を全部入れても取っ手の部分が破れそうな気配も無い。
「ありがとう、アリス」
「全く、本当に世話が焼けるわね」
微笑を浮かべながら額に指を当て、少し突く様に指を弾くアリス。
少し擽ったい程度で痛くはないが、少し恥ずかしい。
「義兄さん、早く帰りましょう」
「へっ? どうしたんだい妖夢?」
アリスを少し押し退ける様に妖夢は会話に割り込んでくる。
何だか言葉に棘を感じるのだけど……
「少々空腹ですので、早めに帰りたいだけです」
「あ、鍵は僕しか持って無かったっけ……ごめん、なら昼食取るついでに鍵を作りに行く?」
「いえ、家に昼食は用意してありますので」
「そっか……分かった、それじゃアリスも帰ろうか?」
「……ええ、帰りましょうか」
少しむっ とした様だったが、僕が帰ろうと声をかけると少しだけ表情が明るくなる。
逆に妖夢の目が少し睨むような目線になる……何なのだろうか?
夜、教科書に乱丁や破れなどが無いかパラパラと自室で捲っていると、
窓に何かが当たる音がする。
カーテンを開けて窓の外を見ると、向かいのテラスにアリスが居た。
お隣であるし、部屋が真向いである為ベランダで話す事も、移動する事も出来る。
ヒラヒラと手を振っている事から、何か用事があるのだろうと思いベランダに出る。
「こんばんは、アリス」
「こんばんは○○……ちょっと聞きたい事があるんだけど良いかしら?」
「うん、良いけど……どうしたの?」
「あの子……妖夢の事だけど」
「うん」
「○○は……正直どう思っているの?」
正直どう思っているか……か。
確かに驚きはしたし、今でも同じ家に住んでいると言う事には緊張している。
でも……頼ってくれているのと同時に、妖夢は妖夢なりに頑張っている。
ただ、その頑張るって事が妖夢を追い詰め無いか心配ではある。
そう、頑張っているのは……居場所を失わない為、子供が親に必要だと褒めて貰う様に……
「……妖夢は、あの子は昔の僕を見ている様な感覚になるんだ。
アリスに、手を引いてもらう前の孤独な僕を……だから放っておけない。
僕には君が居てくれた、神綺さんが居てくれたから……それに両親は生きているしね。
でも妖夢には……もう、両親は居ないし居場所もここしか無いのかもしれない。
だから、僕は妖夢の手を引きたい。 アリスが僕の手を引いてくれた様に……
確かに、いきなり義妹だから宜しく! なんて父さんに言われた時は驚いたけどさ……
でも、僕は僕の出来る事をしてあげたいと思う」
「……そっか、そうだね」
アリスの瞳が優しい色になる。
表情も真剣だったものから落ち着いた微笑を浮かべる。
「だからさ……えっと……アリスも、妖夢の友達になってくれないかな?
あ、行き成りとか直ぐにとかじゃなくても良いんだ。 ゆっくりで良いから……お願い」
「……まあ、善処するわ。 他ならぬ○○のお願いだからね」
良かった……少なくともアリスは友達になってくれるかもしれない。
妖夢も、僕だけよりも色々な人と話して欲しいし、友達も多くなれば良いな……と思う。
「……やっぱ、優しいね○○は。 何時でも誰かの事を考えてあげてる」
「そうかな?」
「うん、そうだよ……だから……」
「? どうかした?」
声が徐々に小さくなっていくので、何を言っているか良く分からない。
聞き返してみたが、フルフル、と首を軽く左右に振る。
「別に何でも無いわ、また明日も早いしそろそろ寝た方が良いわよ」
「あ、うん。 準備したら寝るよ……じゃあ、また明日ねアリス」
「また明日、○○……おやすみ」
「おやすみ、アリス」
そう、そうやって誰にでも優しいから……私は惹かれたのかもしれない。
妖夢に対して、まだ○○は本当に妹の事を考えている兄の心情……まだ恋じゃない。
妖夢は……どうなんだろう? 見た感じ恋敵みたいだけど……
話してはっきりさせる方が良いかもしれない。
まあ……今は○○の心情が知れただけ満足、まだ私の方が妖夢よりリードしている。
……油断したら抜かされる程度のリードではあるが。
「……弱気になるな、アリス・マーガトロイド」
生徒手帳を開き、挟んである写真を見る。
○○がこちらを見て笑っている写真……それを見るだけで少しだけ心が落ち着いた。
「明日もまた、私らしく……」
──────────────────────
「はい、今日はオリエンテーリングとして、校内を散策しますよ~」
と、笑顔で『東方学園 1-A組』の旅行会社が持つような旗をパタパタと振る聖先生。
まだ授業日程の用紙も配られていないからと言って、全部の教科書を持ってきた僕が何となく
馬鹿らしく思えてしまうのも仕方ないだろう……
「先生、今日は校内を見て回るだけなのですか?」
「はい、学園はかなり広いので案内をしないといけません。
毎年必ず迷子になる生徒が出るので、その対策としてオリエンテーリングを致します」
迷子になるってどんだけ広いんだ……と突っ込みたいのは山々だが、確かにこの学園は
高等部と大学部が一緒であり、エスカレーター式の学園でもある為敷地は広大だった。
運動場も複数あり、部室棟と呼ばれる部活動専用の建物すらある。
……八雲学園長ってどれだけ大金持ちなんだろうか……
「それでは、手元のしおりをご覧下さい」
先ほど配られた手製のしおり【聖先生が案内する学園MAP】
小さい聖先生が学園の事について細々と説明してくれているしおりだ。
……手が込んでいるよね、それに可愛い文字やイラストだ。
「……と、言う事で学園はかなり広い作りとなっており……」
聖先生が高等部の敷地について説明しているが、何と言うか……
そう、僕は基本的に説明書を読むより実践するタイプなんだ。
頭の中で地図を広げて、出来る人はその場その場を頭の中に描けるのだろうが……
「……なので、皆さんには指示された各教室を回り、
教員の方からスタンプを貰って帰ってきて下さいね」
「「「は~い(分かりました)」」」
「なを、回れなかった人は放課後に居残りがありますからサボらない様に……では解散っ!」
わらわらと教室を出て行くクラスメイト達。
え、ちょっとアリスや妖夢と正反対の方向に流され……
「あれ? ○○?」
「義兄さん?」
そう僕を探す声が聞こえたが、激流に流される小枝の如く人波に流される。
居残りは嫌だと言う生徒達の力強さには逆らえないし、
逆らわない方が身のためかも知れない……
「え~……と……ここは何処だろう?」
ポツンッ、 と放り出された校舎の一角。
流れに逆らわず、適当に歩いていたらこんな静かな場所に……
周囲の人に道を聞こうにも、恐らく授業中なのだろうか? 周囲は誰か通る気配すら無い。
「参ったなあ……どうしようか?」
1 適当に歩き回る
2 居残り覚悟で教室に戻る
3 まずは案内板を探す事にしよう
と、適当に選択肢を脳内に描くが、安全な選択肢である3以外はあり得ない。
階段か出入り口付近にはここが何処の何番棟か、とかぐらい書いてあるだろう。
それさえ分かれば後はしおりを頼りに歩ける……
少なくとも、適当に歩き回るよりはマシな筈だ。
「え~っと……ああ、中庭を抜けると近道で技術棟に行けるのか」
左手の法則で壁を歩き回る事数分、ようやく出入り口にある案内板から現在位置を知る。
また校舎に戻り技術棟に行くと言うのは却下した、
勿論建物の中の方が同じ景色で迷いやすいという理由からだ。
「あら、そこの少年。 少し待ちなさい」
「え、はい? 僕ですか?」
「君以外に人が居るならその人を連れてきなさいな」
周囲を見渡しても僕以外には見当たらない為、多分僕の事を言っているのだろう。
日傘を差し、白いカフェテリアに置いてありそうな椅子に腰かけ、
テーブルに肘をついている緑髪の女性がこちらを見て居た。
「え~と……何か僕に用事ですか?」
「ええ、君は一年生かしら?」
「はい、本年より入学しました○○と言います」
「そう……私は三年A組の風見よ。 風見 幽香」
「え、あ、すみません、風見先輩」
ペコッ と頭を下げる。
構わない と言う様に手を軽く振る風見先輩。
「構わないわ、私の事は風見さんとでも幽香さんとでも好きにお呼びなさい」
「は、はあ……じゃあ風見さん。 僕に何か用事ですか?」
「ええ、重要な用事よ。 私の暇つぶしに話し相手になりなさいな」
そうにこやかに言い放つ風見さん。
……え~と……それは重要……なのかなあ?
「すみません……一応僕は授業中なんですが……」
「私も授業中よ、何か問題があるかしら?」
「そちらはかなり問題がある様な気がしますが……」
「まあ良いじゃない、私の事なんて……それで、早く座りなさいな」
テーブルの対面に出した椅子を指さす。 どうも拒否権は無い様だ。
はあ……これは、今日は居残りかな……
「分かりました……では、失礼しますね」
「はい、どうぞ」
僕が着席するのと同時に紅茶を差し出す風見さん。
しっかりとしたティーカップにソーサー付きで、暖かいらしく湯気が立っている。
「いただきます……あ、おいしい」
「それはダージリン、ストレートティー向けの茶葉で原産は北インドよ」
そう説明する風見さん、口元にカップを持って行くが飲まずに、
しばらく持ったまま香りを楽しんで知る様子だった。
「まあ、別にどう楽しむのも自由だからね…… でも香りを楽しむのも一興よ」
「えっと……良い匂いだとしか……」
「まあ初めて飲む感想なんてそんなものよね、次にはもっと良い感想を期待するわ」
「ど、努力します……」
むう……こんな事なら緑茶以外にも飲んでおくべきだったかな……
と、言っても紅茶なんて午○の紅茶ぐらいしか浮かばないからなあ……
「まあ、また飲みたければここにいらっしゃい。
話し相手になる事を引き換えに紅茶をご馳走してあげるわ。多分ほとんどここに居るだろうし」
「えっと……授業に出なくて良いのですか?」
「まあ、人それぞれ事情があるのよ」
はあ……まあ、話したくない事なのかも知れないから深く聞くのは止めておこう。
それからも少し雑談をしていたが、風見さんは色々と物知りだと思う。
特に園芸関係は饒舌になり、僕が良く分からない事を随分丁寧に話してくれた。
キーンコーンカーーンコーーン……
「あら、もうお昼ね……まあまあ楽しかったわ」
「僕も色々とお話が聞けて楽しかったです、また来ますね……今度は休み時間中に」
「授業中でも歓迎するわよ?」
「……一年生の時から成績不良で留年する訳にはいきませんから……」
「あら残念ね、一年生からこういった普通の人と違う学生生活……と言うのも中々良い物よ?」
「ええっと……出来れば普通に過ごしたいです……友達も居ますし」
「……そう、まあ貴方の人生だから貴方が決めれば良いけどね」
少しだけ悲しそうな表情を見せた様な気がしたが、
瞬きをした時にはすでに先ほどの微笑を表情に浮かべていた。
「さて、またね○○君」
「はい、風見さん」
軽く手を振り見送る風見さん。
その姿は何と言うか……中庭に独りしか居ないからだろうか? 酷く寂しい様な印象を受けた。
……時間が出来たら、また来るのも良いかもしれない。 紅茶も美味しかったし……
「……○○君、今まで何処に行っていたのでしょうか?」
「え、あ、はい……その……」
そして現在、僕の前には何時もニコニコとほほ笑んでいる聖先生が、
プンプンと擬音でも付きそうな勢いで怒っていた。
教室にはもう誰も居なく聖先生と僕だけであり、
どうやら帰りのホームルームも終わってしまったらしい。
アリスと妖夢の机にも鞄が無い事から先に帰ったのだろう。
「その……ま、迷いました……」
「どの辺りで迷っていたのでしょうか?
私も○○君を探してチェックポイントまでの道筋を全部探したのですけど……」
「え、えっとその……中庭で……」
「……もしかして○○君って、方向音痴ですか?」
それはそうだ、チェックポイントである技術棟と教室までの道筋には、
中庭なんて通らなくて良い。 むしろ廊下だけで行ける。
「その様な事は無かったのですけど……」
「それじゃあ何故そんな所にまで行ってしまうのですか?」
「……流されて適当に歩いたら……」
「はあっ……まあ良いです。
今日はもう授業もありませんから先生がちゃんと案内してあげますから……
今度は迷子にならない様にしましょうね?」
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「学生食堂だからと言って馬鹿にしてはいけませんよ? 量、質、早さ。
この三点が当学園ではかなり高いのですから。 勿論、お値段もお手頃なんですよ?」
「はあ……まあ確かに値段の割には美味しいですよね」
正面でニコニコと僕を見ながら学食の説明をしてくれる聖先生。
何故こんな場所に居るか? それは今がお昼時だからで僕たちは人間だからだ。
学食も食堂棟に分かれており、ファーストフードから和洋中の料理屋、
レストランまでもある。
ついでに僕達が居るのは学生達の為に時間帯だけ開いている学生食堂だ。
寮生は基本的にこの学生食堂を利用しているのだが、
別に強制では無いので他のお気に入りの店を持っている生徒もいる。
「ここの食堂棟もかなりの大きさを持っていますね。
ここは学生達をアルバイトとして雇ってもくれているのですよ?
何でも社会教育の一環として良いでしょう という学長のお考えでして……」
八雲学園長、型破りってレベルじゃないんじゃないかな……
まあ、それだけ自由度が高い学園だから、責任も多く自身にかかってくる。
成績が良いより人間性が良い事を誇りに思いなさい と入学式で言っていたが……
どういう事だろうか?
「○○君? 聞いてますか?」
「え、 あ、 はい。 すみません……ちょっと考え事をしてました」
「ふう……ではもう一度説明しますね?」
「すみません、 お願いします」
それからも聖先生に、食堂棟や他の施設について説明して貰った。
……何故か同じ一年生ぐらいの生徒や、
大学生らしき男性から殺気の籠った視線を貰った気がする……
僕は何かしただろうか……?
聖先生に○○がゴゴゴッ と怒られている時……
妖夢とアリスは学園が一望できる展望台に来ていた。
「それで……アリスさん、お話とはなんでしょうか?」
放課後、義兄さんを待っているつもりだった私が、
幼馴染のアリスさんに呼ばれてここまで来ていた。
「ん~……まあ大事な話よ」
「それは重々承知しております、教室で呼ばれた時にそう感じました為、
ついて来たのですから」
「そう、なら聞く準備は出来てるって事で良いのね?」
「準備も何もありません、どうぞ」
確かに、教室で呼ばれた時はどんな要件かと思ったが、
その表情が真剣であった為に私も付き合う事を決めたのだった。
しかし、こんな人通りの少ない場所に連れてきてなんの要件なのやら……
「○○の事なんだけど」
ドクンッ と少し心臓が跳ね上がった気がした。
義兄さんの事……落ち着け、まだ何がどうなのかは分から
「妖夢、貴女は○○の事をどう思っているの?」
「っ……!!?」
どう思っている……?
それは家族……いや、私の場合は義理なのか? いやそんな事はどうでも良い。
頼りになるとかそう言った事なのだろうか?
「ついでに、私は○○の事……好きよ」
「なっ……えっ……!!?」
頭が真っ白になる。
え、アリスさんは義兄さんが好き……え、それってライク?
「言っておくけど、ライクの好きじゃないわよ? ラヴ……つまり愛しているって事」
「…………」
……冗談……では無いか。
私は……私はどうなんだろうか?
あの人は……確かに優しく、強い。
……どうなんだろう、私はあの人が必要だと思っているが……
目の前の人はどうなんだろう? 長年共に苦楽を過ごしていたのだろうか?
幼馴染と言う事は……一番近くに居たのだろうし……
義父様の話を聞く限り、彼女と彼女の母は義兄さんと家族同然に過ごしていたと聞く。
私は……幼少の頃を共に過ごした程度で……
「妖夢」
「……はい」
「もう一度だけ言うわ、私は○○が好きです。 恋をしていると言う意味よ」
「……はい」
「貴女はどうなのかしら?」
「私は……っ、 私は……」
私は……義兄さんの事は好きなんだろうか?
憧れを勘違いしていないだろうか?
私は男女として……義兄さん、○○さんを好きなのだろうか?
「妖夢、何も言わないのなら今から独り事を言うわ」
「……はっ?」
「○○に義妹が突然出来た時の夜にね、私は義妹の事を聞いたのよ。
突然だから驚いたって言ってたわ。
でもね、○○は義妹の事を本気で心配しているのよ。
私に友達になって欲しいって頼むくらいにね」
クスクス と少し笑うアリスさん。
「私ね、その義妹が羨ましいと思ったわ。
だってそうじゃないかしら? 何時も傍に居る私って、
頼りがいのある友達にしか思われて無いんじゃないかしらね?
それなのにその義妹は○○に本気で心配されているのよ」
少しだけ悲しそうな表情をしながら、アリスさんは【独り事】を続ける。
「だからね、私とその義妹の立っている場所は大体同じなの。
私は気心知れた幼馴染、義妹は放っておけない家族。
両人とも、まだ○○の恋人でも無いし、気になる人でも無いの」
学園の方を向いてしまった彼女の表情は私には見えない。
ただ、その声から先ほどの様な悲しさは感じなかった。
「私ね、卑怯な事はしたくない。 だから正々堂々とその義妹に話しておきたかったの。
私は○○が好きですって……
だって、見た所その義妹も○○に恋してるって思うんだもの。
そうじゃないと、私と○○の仲が好さそうなのを見て嫌そうな表情なんてしないでしょ?」
……私は、そんな表情をしていたのか。
……いや、そうなんだろう。 アリスさんに義兄さんをとられたくなかったんだ。
義兄さんは私を義妹としてしか見てくれていないかもしれない。
でも……私は……
「でもね、それが分かったからって、
裏でこそこそして○○を奪うなんて事はしたくない。
私に対して負い目を感じる事も無い、その義妹は義妹の思うとおりに……
好きだって言うのなら、その気持ちに遠慮する必要は無いの。
私は私である事を、 胸を張って全て誇れるんですもの。
その義妹にだって負ける気は無いんだからね」
振り返るアリスさん、その瞳は優しさと厳しさを兼ね備えた……
義兄さんに近い瞳をしていた。
「さて、誰にも聞かれ無い独り事が終わった所で……もう一度聞くわ。
妖夢、貴女は○○の事をどう思っているのかしら?
貴女の言葉で、ちゃんと私に伝えてくれないかしら?
そうしないと、私は貴女を認められない」
「……私は、義兄さんが大切です。
それは好きなんだって、そう思います」
義兄さんが好き。
そう口に出してみると、胸の奥底が温かくなる感じがする。
そうか……私は義兄さんが好きなのか。
「そう、分かった」
「アリスさん……ありがとうございます」
「何か私はやったかしら? だって私は貴女に宣戦布告しただけですもの」
挑戦的に微笑みながら、手を差し出して来るアリスさん。
負けじと笑いながら彼女の手を取り、堅く握手する。
「友達で恋敵って、どうなのかしらね?」
「分かりません、でも義兄さんを大切に思っているのは分かりますから……」
「そうね、まあ……頑張りましょうね。 あいつ相当な鈍感だからね」
「は、はあ……気を付けます」
幼馴染が言うと説得力がありますよね……
「まあ、喧嘩するつもりは無いわ。 ○○から仲良くしてってもお願いされているからね。
でも……手加減はしない。 ○○は私が恋人として貰うからね」
「私とて、アリスさんに負けるつもりはありません」
「義姉さんって呼んでも……」
「呼びません!」
──────────────────────
オリエンテーリング翌日
「○○、おはよう」
「あれ? アリス……おはよう。 どうしたの?」
「一緒に登校しようと思って待ってただけよ」
「えっと……お待たせ?」
「そんなに待ってないわ。 妖夢もおはよう」
「おはようございますアリスさん」
笑いながら挨拶を交わすアリス達。
何があったのか知らないが、彼女達の仲が何故か良くなっている。
詳しい事を聞こうとしたが、両人とも「まあ、色々とあったのよ(ですよ)」
とだけで詳しくは教えてくれなかった。
まあ、なにがあったかは良く分からないが……
お互い仲良くなってくれたのならそれで良しとしよう。
「今日から授業ね」
「ついでに行き成り5時限目まであります」
アリスも妖夢も僕の両隣りを歩きながら世間話をしていく。
天気の良い春麗らかな日であった。
「歴史担当 上白沢 慧音だ、 宜しくお願いする。
言っておくが、授業中の私語・居眠りは厳禁だぞ。 それを破ったら……
それ相応の覚悟をして置く様に」
一時限目、上白沢先生による歴史。
早速爆睡した生徒Aがチョーク飛ばしによる洗礼を受けていた。
……気をつけよう。
「数学担当、八雲 藍だ。 分からない部分があったら手を上げ質問する様に。
また放課後も教員室に居るから、気軽に聞きに来てくれて良いぞ」
二時限目、八雲先生による数学。
しかしいきなり小テストをするとは思っていなかった。
くっ……とりあえず全部解けたが、どれだけ正解しているか……
ついでに、アリスも妖夢も涼しい顔をして受けていた。
勿論、全問解けたらしく
「まあまあじゃないかしら? 多分、生徒の腕試しだと思うわ」
「少し時間がかかりましたが、応用問題では無く基本形でしたから……」
……僕、学力低いのかな……
「現代国語担当、聖 白蓮です。 先生だからって、成績はちゃんとつけますからね?
しっかりと勉強しましょう」
三時限目、聖先生の現代国語。
国語は得意な方であり、先生に当てられた時も冷静に答えられた。
でも先生、お願いですから答えられたときにパチパチパチパチ……
と、嬉しそうに拍手されるのは……恥ずかしいです。
「八意 永琳。 科学教師兼保険医よ。 まあ分からなくても諦めずに付いてきなさい。
努力した人間はそれだけの評価はするわ……見えた努力は、だけど」
四時限目、八意先生による科学。
しかしどうして科学って、こうも公式が多いのだろうか……
まあ、理数と言われるくらいだから数学とかなり近い所があるんだろうけど……
あまり得意では無いなあ。
「では、今回はこれまで。 日直」
「礼!」
チャイムの5分前に八意先生は授業を切り上げ、教室を出て行く。
数人の生徒達が同じ様に教室を出て行き、急ぐように学食棟へと向かって行った。
「○○、昼食はどうするの?」
「ん~……実は何も考えていない。 適当にしようかと思ってる」
「なら、屋上に行かない? 風通しが良いみたいで気持ちいいみたいよ」
「へえ……ならパンでも買っていくよ」
「分かった、とりあえず妖夢にも言ってあげたら?」
「? アリスが誘ってあげれば良いんじゃない?」
「私は先に行って場所取っておくから、妖夢も弁当なんて持ってきてないでしょ?
一緒に買ってきなさいよ」
ああ、なるほど……
良く見てみるとアリスは手に弁当が入っている様な包みを持っていた。
なら、アリスの言うとおりにした方が無駄が無くて良さそうだ。
「分かった、そうするよ」
「それじゃ、屋上で待ってるからね」
そう言い、アリスも教室から出て行く。
さて……それじゃあ妖夢を誘ってみようかな。
「妖夢、お昼買いに行かないか?」
「義兄さん、学食ですか?」
「いや、パンか何か買って屋上に行こうと思うんだけど」
「分かりました、お付き合い致します」
「それじゃ、行こうか」
どこか嬉しそうな妖夢を連れて学食棟に向かう。
昨日聖先生に教わった為、迷うことなくパンや弁当等が販売している場所に行ける。
5分前に授業が終わったおかげで、まだ本格的に混雑する前に昼食を買えた。
妖夢はおにぎり、僕は適当にサンドイッチを数個買って屋上に向かう。
「アリス~、お待たせ」
「ん、別にそんなに待ってないわ」
アリスは設置されている木製の椅子に座って待っていた。
部活で作られたらしく、工作部作成 ~~年△月◆日進呈と書かれている。
「アリスさん? ああ、なるほど」
「まあそういう事よ」
「なにが?」
「「別になんでもないわ(ですよ)」」
むう……独りだけ置いて行かれた気分だが……まあ良しとしよう。
アリスの正面に僕が座り、その隣を妖夢が座る。
空は快晴で、雲ひとつない蒼が広がっている。
風もあまり強くないから、日差しが気持ち良い……
「○○、唐揚げ食べる?」
「ん? 貰っていいの?」
「味の感想も聞いてみたいからね」
「なら貰おうかな」
そう右手を差し出す僕、唐揚げを貰おうと思ったのだが……
「はい、あ~ん」
「……はい?」
「箸が一つしかないのだから仕方がないでしょう?」
「あ、いや、手に置いてくれてもいいんだけど……」
見ると妖夢もおにぎり片手にアリスを見ながら呆然としている。
「で、食べてくれないかしら?」
「え~と……できればそのままくれた方が……」
「そうすると私はかなり見っとも無い事になるんだけど?」
じっ、とこちらを見つめてくるアリス。
確かにそうかもしれないけど……
1 仕方なしとあ~んを甘受する
2 やっぱり恥ずかしいよ
3 妖夢からなら……
「分かったよ、あ~……」
「宜しい、あ~ん」
とアリスに食べさせて貰う。
中々良い味であり、冷えているがそれが気にならない程度の美味しさだ。
「うん、美味しいよ」
「そう、もう一個居る?」
「あ~……次は揚げたてを食べてみたいかな」
「分かった、今度ご馳走するわ」
「楽しみにしてるよ。アリス」
そう話していると、妖夢から足を抓られた。
そちらを向いても、妖夢はそっぽを向くだけでこちらを向いてはくれなかった。
「どうしたの?」
「別に……義兄さんの馬鹿……」
「? 何か」
「別に!!」
最後は小声で良く聞こえなかったので聞き返そうとしたが、
怒ったような声で遮られてしまったので、聞くのは諦めよう……
昼食も食べ終わった後、少し休憩も兼ねてそのまま話していたのだが、
ふと周囲を見渡した時、気になる人を見かけた。
屋上には、転落防止用に柵が付いているのだが……
その向こう側をずっと見たまま動かない人が居るのだ。
「ん?」
「どうかしたの? ○○」
「いや……ごめん、ちょっと先に教室に帰ってて」
「? まあ良いけど……妖夢、行きましょ」
「……はい」
まだあまり機嫌の良くない妖夢を連れてアリスが屋上から去っていく。
授業までもうあまり時間が無いが……
何と言うのだろうか、本能が放っておくな と言って居る。
「えっと……ごめんなさい、ちょっと良いですか?」
「……余り近づかない方が良いわ」
柵の向こうを見たまま、その人は言った。
近づかない方が良い……とは、どういう事なんだろうか?
「近づかない方が良い……とは?」
「不幸にはなりたくないでしょう? あまり近づきすぎると厄がうつるわよ」
良くは分からないが、余り近づかれたくないのだろう。
「……まあ、じゃあここで話させて貰うけど……そんなに端だと危なくない?」
「そうかもしれないわね」
「そうかもって……はずれたら落ちちゃうよ?」
「落ちたら死ぬだけでしょ? ……その方が喜ぶ人も居るわ……」
「……そんなにあっさり死ぬなんて言わないでよ。
それに喜ぶ人なんて居ないよ、皆悲しむよ……
少なくとも僕は悲しむよ?」
「……そう、見ず知らずの人の為に泣けるのね。 貴方は」
見ず知らずの人……か。
「僕は1-A ○○です。 これで知らないって事は無いと思うけど?」
初めて女性がこっちを振り向いた。
緑髪にリボンを付けた人で、不思議な事に胸の前で長い髪をリボンで纏めている。
エメラルドみたいな瞳だが、どこかその瞳が虚ろな気がする。
「くすくす……変な子ね。 何をムキになっているのかしら?」
「……死ぬとかそんな事言われたら、誰だってムキになるよ」
「そうかしら? 私の周りにはそういう子は居ないわ」
またそう言いながら笑う彼女。
何が可笑しいのかは……良く分からない。
「良い蒼空よね」
「……? そうだね」
何故突然空の話になるのだろうか?
いや……まだ死ぬとかそういう話よりは健全じゃないだろうか?
「良い日よね……本当……吸い込まれそうなくらい」
「…………」
「鍵山 雛」
「え?」
「私の名前。 鍵山 雛よ」
「あ、ああ……鍵山さんね」
自己紹介にしてはあっさりしすぎているが……
まあ、名前が分かれば相手を呼べるから良いんじゃないだろうか?
「そろそろ帰らないと、チャイム……鳴るわよ?」
「鍵山さんは?」
「私も戻るわ……君が行ってからね」
「……気をつけてね」
「何を気をつけるのか良く分からないけど」
「じゃあ、また」
「……また」
屋上の扉を開き、校舎内に戻る時に振りかえるが、
鍵山さんはまだその場に立ったままであった。
──────────────────────
「○○、遅かったわね? どうかしたの?」
「ん、いや……ちょっとね」
「ふ~ん……まあ、詳しくは聞かないけど」
「ありがとう、アリス」
五時限目は英語の筈だが……チャイムが鳴ってから五分程たっているのだが、
教師が来る気配が無い。
「どうしたんだろうね?」
「さあ? 準備でも遅れているのかしら?」
そうアリスと話していたのだが(アリスが適当に椅子を持ってきている)
それを咎める者も居ないし、むしろ教室全体がざわついている。
『全校生徒に通達致します、五時限目は自習と致します。
繰り返します、五時限目は自習とし、各自各教科の勉強を行って下さい……』
校内放送で教員が話している。
何があったのだろうか? その後ろではざわざわとざわついて居り、
放送の声は切羽詰まった様な緊張感が見て取れた。
「……どうしたんだ?」
「さあ……事故かしら?」
そう話していた所に妖夢が近付いてきて耳打ちする。
「義兄さん、今の放送は屋上がどうとか言ってましたよ」
「何でわかるんだい?」
「耳は良い方ですから、後ろのざわついていた声が分かりましたので」
「……他には何か分からない?」
「えっと……止める とか説得、とか……断片的で良くは……」
屋上……止める、説得……まさか……
いや、そんな事は……でもあの人は……
≪良い蒼空よね≫
≪良い日よね……本当……吸い込まれそうなくらい≫
僕はここで聞いておくべきだったのかも知れない。
その言葉の意味を、真意を問いただしておけば……ここまで不安にはならないだろうに。
「……アリス、妖夢、ちょっと屋上に行きたいんだけど……」
「ええっ? 無茶じゃないかしら……」
「難しいと思いますよ?
屋上で何かあるのだとしたら先生方は全員集まって居るでしょうし……」
「それでも、なんとかできないかな?」
アリスは額に人差し指を突き付けながら目を閉じ、妖夢は顎に手を置き考え始める。
流石に難しいかな……
「ふふふっ、お困りの様ですね一年生君」
「あの……突然誰ですか?」
制服のリボンからして、一年上の二年生だとは分かるんだけど……
濡れる様な黒髪と同じ様に背中から黒い翼を生やした先輩。
と、言うか一年生の教室に乱入してきて良いのかな?
「まあまあ、細かい事は気にしてはいけませんよ」
「細かい……ですかね?」
「まあ良いけど……で、何の用なんですか? 先輩」
「屋上に行きたいのでしょう? 裏道を教えますよ」
「本当ですか!?」
「ええ勿論、教師に見つからない最良の道をお教えしますよ?」
「是非!」
「○○!! こんな名前すら名乗らない怪しい人について行く気なの!?」
アリスが睨みつける様に先輩を見る。
妖夢は何も言わないが、目線で反対の意思を知らしている。
「おやおや、嫌われたものですね……まあ良いでしょう。
私は射命丸 文。 広報部兼報道委員ですよ」
「そんな人が何故私達に協力してくれるのですか?」
「いやいや……スクープあれば何処にでも、
そこの男子生徒は何かしらしてくれそうな目をしてますからね。
協力してみようって事ですよ、
ついでに私も今から屋上に行くのでついでにと言う所ですかね」
「……どうする? ○○」
1 文先輩に案内を頼む
2 やはり大人しくしていよう
3 他の方法を考えよう
「時間が無いんだ、文先輩に案内してもらうのが一番安全だし早いと思う」
「決まりましたら行きましょうか?」
「……まあ、好きにしたら良いわ」
「義兄さん、危険な事はしないでくださいね?」
「うん、それじゃあ、お願いします。 文先輩」
「了解、ではこちらです」
「どうですか? 確かに見つからないでしょう」
「た、確かに見つかりませんけど……」
見つからない方法とは簡単な事だった、つまり階段の無い窓から屋上に上がる……
よくこんな荒業を考え付くものだ、文先輩曰く報道魂らしい。
「ほらほら、あそこみたいですよ」
給水塔やエアコンの排気口等、屋上に設置されている障害物を頼りに近づく。
教師陣が遠巻きに話している為、その先に居る生徒がはっきりと見える。
「鍵山さん……やっぱり!」
「おや、お知り合いですか?」
「今日知り合ったばかりですけど……」
「はあ……まあ、それは置いておいてあれ、かなり不味いんじゃないんでしょうかねえ?
あんな場所……強風が吹くかバランスを崩したら一気に落ちますよ」
どうも一部の金網が壊れていたらしく、そこから金網外の少しの足場に立つ鍵山さん。
文先輩の言うとおり、下手するとそのまま落ちる……
周囲で教師陣が止めなさい! 等と制止する声が聞こえるが、
鍵山さんは外の……蒼い空を見たまま振り向く事は無い。
「本当に止めたいのなら……」
いや、初めて反応を見せた。
振り返りながら彼女は手を軽く校舎側に広げ、教師陣に向き直り言う。
「手……握って頂けますか?」
そう言うが、教師陣(男性教諭ばかり)は誰一人動こうとしない。
何で……何で誰も動かないんだ!?
「あやや……まあ、噂が噂ですからねえ」
「噂ってなんですか? 文先輩」
「ん? 新入生なら知りませんか……いえね、
あの鍵山さんって子の周囲では不幸が続発するのですよ。
それも人為的では無い、自然現象的なもので……何時からか、
あの子は厄神とすら呼ばれています。 近づく者に厄際を齎す不幸の象徴」
「……そんな」
「それ故、生徒はおろか一部を除く教師陣も彼女には近づきたがらないと聞きます。
まあ、四季映姫先生だけは彼女の傍に居たみたいですけど……」
文先輩に説明を受けている間にも、彼女の手が下ろされてしまう。
あの手を握らないと……独りじゃないって、誰かが証明してあげないと!!
「あ、あやや? ちょっと何故急に立ちあがって見つかりますよ!?」
「鍵山さん!!!」
ビクッ、と下がりかけていた手がその場で止まる。
教師陣も全員こちらを見て、何故そんな場所に居るのか? といった顔になる。
文先輩は手を顔に当て、あちゃ~ばれましたよこれは確実に 等とため息をついて居る。
「○○……君?」
「待ってて、そっちに行くから!」
教師陣の視線を物ともせず歩き出す僕。
カツッカツッ……と、コンクリートを叩く靴音が妙に大きく聞こえた。
「……来ないで」
「嫌だ」
「来た所で掴めないわ、貴方も知って居るんでしょう?」
「今さっき聞いた、周囲の人が不幸になるって」
「だったら」
「僕が不幸になるの? 構わないよ、それで君が救われるなら」
教師陣の横を通り過ぎる。
止めようとした人が居たが、乱暴に腕を払いのけ歩く事を止めない。
金網を潜り、鍵山さんと一緒の場所……
少しでもバランスを崩すと転落してしまいそうな場所に立つ。
「ほら、手を出して」
「……嫌、嫌よ。 昔は皆貴方みたいだった。 でも皆離れて行った、私を独りにして」
虚ろ気な瞳に輝く物があふれだす。
それが頬を伝わり、風に流されて乾いたコンクリートを叩く。
「もう嫌よ……皆私を避けて行く、皆私を邪魔者扱いする。私は……居場所が無いの……」
「ある! 居場所なら僕がなる!! だから……死ぬな!!」
「っ……!!」
フラッ、と足元が揺らぐ鍵山さん。
だが揺らぐ場所が校舎側なら良いのだけれども、反対側に……
「……あっ」
「雛っ!!」
落ちる直前に差し出した手をしっかり握り、柵の間に足を引っ掛けて固定する。
離さない……絶対に!!
屋上から落ちる……折角……見つけたのに。
無意識のうちに伸ばした手が温かい何かに包まれ、落下が止まり宙ぶらりんとなる。
目の前には一階下の教室の窓があり、見慣れた人……四季映姫先生が立っていた。
「鍵山 雛、私は言いましたよね? 周囲が不幸になるのは、
思いこみによるものも含まれていると……どうですか、
貴女の傍に居た私は不幸でしょうか?」
「…………」
「私は自身が不幸だとは思っていませんし、
貴女の傍に居たから不幸になったという事例もありません。
貴女が、私の周囲は不幸になる……そう思う事により、無意識にそうなってしまうのです」
四季先生はそうクドクドと……相変わらず説教を続ける。
何時も通りの姿が、何故か私には嬉しい気がした。
「……まあ、続きはまた後としましょう。
鍵山、貴女はまだ死にたいと本気では思って居ないでしょう?
本当にそう思うなら貴女は手を差し出さなかった、そうでなければ彼は手を掴めなかった。
……まあ、そう言う事です」
「……死にたく……無いです……せんせい」
ふうっ、と先生が息を吐く。 その瞳は優しく、手のかかる子を見る親の瞳だった。
「とにかく、窓の縁に足をかけなさい。 聖先生は身体を支えて下さい」
「はい、分かりました」
階下に鍵山さんが保護されるのを見た瞬間、安堵した為か一気に力が抜ける。
視界が少しずつ黒くなり、気が付いたら見知らぬ天井が見えた。
「……あれ? 屋上……じゃない?」
「気が付いた?」
声のした方向をまだ焦点の合わない瞳でみると、緑色の髪が見える。
椅子に座っていたのだが、僕が顔を動かすと床に立ち膝を付いたのか、
顔の位置が同じになった。
「鍵山さん?」
「大丈夫? 痛い所とかは無い?」
「……うん、特には平気」
「そう……良かった」
そう微笑む彼女。 今まで見た様な儚い、諦めた様な笑みでは無く柔らかい笑みだった。
「授業とかはどうなったのですか?」
「今は六時限目よ、私は貴方について居て良いって言われたから……」
「そっか……ねえ、鍵山さん」
「出来れば、雛って呼んで欲しい……」
「えっと……じゃあ雛、もう死ぬなんて言わないでね?
居場所が無いとかも駄目、僕が居場所になれるかは分からないけど……頑張るから。
だから……雛も頑張ろう? ね?」
「……うん、分かった」
僕の手を両手で包みながら雛が言う。 それが誓いであるかの様に……
「貴方に助けられて命……大事にする。 私は貴方の為に生きます」
──────────────────────
「と、言う事でクラスの親睦を深める為、花見をしようと思います」
「「「おおお~~!!」」」
聖先生の言う事には、学園では毎年クラスの親睦を深める為花見を行うらしい。
ほとんどの生徒は盛り上がっているが、一部の冷静(というか静かな事を好む)生徒は
呆れた様なため息をついている。
「花見の日程は今週の土曜日、午前授業全てを使って行います。
持ち込み等は特に制限されません、自身の常識に乗っ取った行動を行って下さい」
自身の常識……ねえ……一体どうなる事やら……
と、心配していたのがほぼ先週である。
花見の場所は、学園のほぼ真裏に植林されたらしい桜の園で行われていた。
噂ではあるが、この桜園には一本だけ大きい桜があり、その元には霊が集まるらしい。
まあここまで美しい桜が集まっているんだ、生きている人だけで楽しむのは勿体無いだろう。
「義兄さん、現実逃避しないで手伝って下さい!!」
そう妖夢が慌てた様な声で僕を呼ぶ声がするが、正直現実逃避したい。
目の前に広がるのは死屍累々の戦場……いや、生きてはいるが泥酔している。
妖夢やアリス等、この教室ではあまり騒がない生徒達数名が正気を保っている為、
手当てしている状況だが……被害は拡大の一途をたどっている。
「こっちに来たぞおおお!!!」
「退避! 退避しろお!!」
「駄目だ、逃げれ……あああっ!!!」
「逃げる事ないだろう? 私の酒が飲めないってのかあ?」
「そうだぜ~? お前等もこっちの世界においで~?」
「み、未成n……ごぼごぼごぼ……」
八雲学園長は東方学園全生徒が一堂に集まり、
年上・年下関係無く全ての学園生徒の友好を深め、
仲間の大切さ等を教えようとしているのだろうが……
無礼講になると言う事は、つまり暴走する連中も出てくると言う事だ。
そして祭り騒ぎが騒乱に、騒乱が暴走に移行するのに時間はあまりかからなかった。
しばらく時間を戻して、この現実から逃避するとしよう。
最初は学年やクラス別に場所が決まっており、
その場で教員やクラスメイト達と共に親睦を深める……
まあ雑談したり、簡単なゲームをしたりしていたのだ。
私立らしく、飲食はすべて学園側で用意されていたし、
各員持ち込んだりした物も多かった為時間が経つのは早かった。
昼食も屋台等が出ている為、その辺りを歩き回れば大抵の食べ物は買えた為、
生徒達は花を見るよりは、ただ宴会みたいな物を楽しんでいた。
その宴会らしきものが、本当の宴会になったのが大体午後13時あたり。
3年生辺りから騒ぎ始め、その騒ぎが2・1年生に広がり、
騒ぎを収集しようとした一部の真面目な教師陣が星熊体育教師により轟沈。
星熊教師、3年生に進軍を開始。 一部のお祭り好き+騒ぎ好きの生徒が星熊教師に合流。
星熊側生徒、2・1年生にも同時侵攻を開始、
生真面目な生徒の口に酒瓶を突っ込むという荒業により抵抗を排除。
(この生徒達は特殊な訓練を受けています、
実際に一気飲み等無理な飲酒を行った場合、
急性アルコール中毒等により命にかかわる危険性がある為、決して真似しないでください。
お酒は二十歳から、無理せず楽しく飲みましょう)
そして現在に至り、この戦場の様な世界を曝している。
「○○さん~……ひっく、どうりぇすか~?」
「聖先生……うわっ、お酒臭い……」
フラフラと足取り危なく聖先生が歩いて来る。
このクラス最初の被害者で、酒瓶片手に突撃してきた生徒を説得しようとしたらしいが……
物の見事に話を聞かれずに飲まされた……と言った所である。
頼りない足取りで先生は僕の横に座る……と言うより、腰が砕けた様に地面に座り込む。
とろん……とした焦点が少し合わない瞳で僕を見ている。
妖夢の方に視線を向けると、他の生徒を世話している様で【そちらは任せました】と、
視線で訴えてくる。 少なくとも引き受けてはくれそうに無い。
「んんんん~? どうですか~? たのしいんでいましゅか~?」
「ええ、まあ……多分。 大丈夫ですか聖先生?」
「らいじょ~ぶれす、わらしこうめひてるよいんれすよ?」
「……はあ」
途中から何を言っているのか分からないのだが、
まあ強いんですよ? とか言っているのだろう。 泥酔者の常套文句だ。
……そういう人に限って、弱かったり酔っていたりするんだよね……
「ん~……○○君はきゃわいいれすねえ?」
「うわっ!? せ、先生何を!?」
ぼ~っ、と見ていた先生が、何を考えたのか僕に両手を広げ抱きしめてくる。
バタバタと手を上下させるが、気にせず先生は僕の頭を撫でている。
「……弟に似ていて……ごめんなさい……」
「……先生?」
「…………」
悲しげな声が聞こえた気がするが、聖先生は僕を抱き締めたまま眠っていた。
……先生にも、何かあったのだろうか……?
抱きしめられていた力は弱かった為、そこから抜け出し着ていた上着を聖先生にかける。
春になり暖かくなったとは言え、何もかけないで寝るのは少々寒いだろう。
さて……どうしようかな?
1 アリスの様子を見に行く。
2 妖夢の手伝いをする。
3 雛の様子を見に行く。
先週の事だし……雛の様子でも見に行こうかな?
アリスなら上手く逃げ切るだろうし、妖夢はさっき見捨ててくれたから……
(最初に現実逃避した事は棚に上げている。 良い根性だ)
「雛~、大丈夫?」
「○○君? 大丈夫よ、まあまあ強いからね」
二年生の花見場所から少し離れた、桜の木に寄りかかりながら座っていた。
お猪口を持っている事から、飲まされた量は少ないのだろうけど……
「○○君も飲む?」
「え~っと……未成年だから遠慮しておくよ」
「そう、ならジュースにしておくわね」
雛が僕にコップを持たせ、隣に座る様に手を振る。
ジュースのペットボトルを持ち、僕のコップに注いでくれる雛。
「どうぞ」
「ありがとう、先輩なのに何だか悪いなあ……」
「ううん、関係無いよ。 私は貴方に喜んで欲しいだけだもの」
そう柔らかく微笑む雛、あの屋上での自殺未遂以来彼女は何かと僕に気遣ってくれる。
僕の為に生きる……と言っていたが、何て言うのか……勿体無いと思うんだけどなあ……
雛は美人だと思うし、どこか儚げな印象があるからとても目を惹かれる。
つまり、僕みたいな凡人には釣り合わないくらい可愛いって事だ。
……思ってて悲しくなってきた。
「ねえ、手……抱握っても良い?」
「……うんっ? あ~……まあ、別に良いけど……」
わざわざ聞かなくても良いと思うんだけどなあ……
まあ、相手は女の子だから気になるのかな?
嬉しそうに僕の手を取り、両手で壊れ物を扱う様に優しくギュッ と握る。
お酒を飲まされたからなのだろうか? 少し雛の顔が紅い気がする。
「酔いが回ってきたかな? 少し顔が紅いよ?」
「……そういう訳じゃないんだけどな……」
「ふむ……良し、ちょっと横になろっ」
「へっ? あのっ?」
否定した事は酔った人の定番文句、そう判断して何か言いたそうだった雛の手を引き、
正座した僕の膝に頭を乗せて髪を撫でる。
酔った人はとにかく安静にして、静かに休ませた方が良い……と本で読んだ気がする。
雛の頬に若干赤色が増した事から、本格的に回ってきたのかもしれない。
「堅くてごめんね、でもこうして居た方が安全だからね」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
こうして居た方が安全……ね。
確かに彼に触れている面積が増えたし、目を開ければ彼の顔が見える。
私の視線に気づいて、ニコッ と笑う彼の笑顔が私を嬉しさで包み込む。
○○君の事だ、多分親切心から酔いが回っても頭を打たない様に、
とかそんな事を考えてくれてくれているのだろうけど……
(私の心臓が保たないよ……)
ドクン、ドクンと煩いくらい波打つ心臓。
彼に聞こえるんじゃないかと思うくらいに大きく感じるが、
○○君は私の頭を撫でながら、桜が舞う世界を見ている。
(こ、恋人なら……その、キ、キスとかもしちゃったりするんだろうけどなあ……
私を助けてくれた人……でも、彼の周囲には沢山(?)女の子が居る。
私は……彼の中でどんな存在なんだろう? 目の離せない上級生?
放っておけない人? それとも……ただ、困っていたから手を差し伸べた人かも……)
……嫌だな、周囲の一般の人と同じってのは……
恋……かな、恋何だろうか? 吊り橋効果って奴で、○○君に恋してるのかな……私。
分からない、でも……生きて行くのに○○君が必要。
それは、多分変わらない、偽りの無い事だと思う。
彼が居てくれたから……手を伸ばしてくれたから、私は立って歩けているのだから……
「○○君」
「ん? あ、何か欲しい物でもある?」
「……好き……ょ」
そう言った後、意識が急速に暗闇に包まれていく。
ああ、全く……もう少し起きていられれば……返事……聞けたのにな……
雛が何か言った様だったが、呟く様な小声で何と言ったか聞き取れなかった。
聞き返そうにも、目を閉じて安らかな寝息が聞こえてくるのではどうしようもない。
まあ……重要な事なら起きてから聞けば良いか。
桜が舞う世界で、月がその舞に花を添える様に光を注ぐ。
一種の幻想的な空間。 だが僕にはそれが何だか非常に寂しく思った。
何でだろう……
「○○」
「……アリス?」
「そうよ、全く……一年生の所から勝手に離れるわ、何にも言わずに消えるんだから……
心配かけないでよね」
桜の木々から出てくるアリス。
月明りを受けた金髪が風でふんわりと舞い、キラキラと輝く様に見える。
桜の舞うステージに、主演が登場した……そう全身が語っている。
「ごめん、あの戦場から逃げたかったんだ」
「敵前逃亡は銃殺刑よ」
「か、勘弁して下さい……」
「ふふっ……今日だけよ、 それにそんなに綺麗な上級生と逢引? 随分と手が速いのね」
アリスがジト目でこちらを睨みつける。
雛の事は、屋上の事件の日に話しては居るが……会うのは初めてかもしれない。
「この人が例の鍵山 雛さんだよ」
「ふ~ん……あの、屋上から飛び降りそうだった?」
「うん、まだそんなに日が経ってないからさ……ちょっと心配だったんだ」
「……そう、それならそうと言いなさいよね」
横、座るわよ。 そう言いながらアリスが僕の隣に座り、肩に顔を預ける。
どうしたの? と聞こうとすると「疲れただけよ」 と彼女から話し出す。
「○○探して、この広い桜の園を歩き回ったんだから……少しくらい肩貸しなさい」
「……ごめん、アリス」
「良いわ、特に怪我した訳でも無いみたいだし……」
ふぁ……と小さく欠伸をして、寝むそうに瞼を閉じるアリス。
そのまま僕の肩を枕に眠ってしまった様だ、相当疲れていたのかな……
やれやれ、どうしよう。
「義兄さん」
「……やあ、妖夢」
さて、一番会ったら怖い子に見つかってしまったぞ。
クラスメイト救出を手伝わず、更に無言で雛の所に行った事からかなり怒って……
「……ぐすっ」
「え、妖夢? ちょっ、泣いて?」
無言でアリスと反対方向の腕に抱きつき、顔を押し付ける。
「義兄さん……置いて行くなんて……酷いですよぉ……
私の事……嫌いなんですか? 私は義兄さんに必要無い子ですか?」
「ああ、嫌、そんな事は無いよ……酔ってる?」
「酔ってません! 酔ってませんとも!!」
喜怒哀楽の差が激しくなっている。
目に涙を湛えたまま、キリリッと 細い眉を吊り上げる。
……いかん、少し見とれていたのかもしれない。
「ごめんごめん、妖夢……妖夢は必要無い訳じゃないよ。
ただしっかりしていると思ったから、平気かな……って思ったんだけどね。
不安にさせたならごめんね」
アリスを起こす訳にはいかないので、ポンポンッと頭を軽く撫でる。
嬉しそうに目を細め、腕を抱きしめる力を強める。
「義兄さん……」
そのまま妖夢も眠ってしまった。
はあ……酒は飲んでも飲まれるな、だよね。
しかし……しかしだ、この状況どうすべきだろうか……
膝上に緑髪の上級生、右肩に金髪の幼馴染、左肩に銀髪の義妹……
自制心はある……と思っていたが、お酒を飲まされたせいか、
少し暑いらしく全員の制服の胸元が開いている。
更には微かに香る香水……何だろう、良い匂いだ。
(……いけないいけない、落ち着け。 彼女達は安心して……僕を信じてここに居るんだ。
その信頼を裏切っちゃいけない!!)
気を紛らわせるために、もう一度月に視線を向ける。
桜が舞い散る向こう側に見える月は……少し紅に近いピンクに見えた。
───────────────────────────
その事件は、校内に不定期的に出される新聞(発行者は文々。新聞と名付けているが、
周囲の人達は校内新聞と定義付けている)によって知らされた。
曰く、校内の桜が見える場所で化け物を見た。
曰く、屋上に続く階段で翼を広げた悪魔を見た。
曰く、食堂棟が月明りで紅く染まったのを見た。
曰く、テストの用紙が真っ赤に染まった。
良くは分からないが、校内の数か所で化け物、
またはそれに類する怪奇現象が発生しているらしい。
校内を巡回している警備員(紅さん)への取材では、
その様な現象・または化け物を目撃したと言う事は無い と新聞で書かれているが、
記者曰く【昼寝をしている様な人が真面目に夜仕事をしているとは……思えますか?】
と、言う事であまり信頼性がある証言だとは思われて居ない様だった。
「しかし化け物ねえ……お化けとからなまだしも、怪物とかそう言った物なのかな?」
「○○、どうせゴシップネタなんだから、本気で考えていると損するわよ?」
教室で新聞を広げ、疑問に思った事を口に出した所でアリスに言われる。
どうもアリスは文先輩の事が嫌い……と言うか、あまり快く思ってない様だった。
あまり人見知りをしない性格に、明るい言動・取材にかける情熱……
まあ、快活な人であるから、傍に居られるとアリスにとっては煩いのかもしれない。
「妖夢はどう思う?」
「はあ……実質今の所被害が出た訳では無いですし、
夜中だけでしたら生徒も居ないでしょうから……放っておいても良いのでは?」
「そうだよねえ……夜中に学園に残っているのって、当直の先生か警備員さん、
又は忘れ物した寮生くらいだよね」
「まあ、私達にはあまり関係無いわ。 人の噂も四十九日、そのうち消えるわよ」
「ふっふ~ん……ところが単なる噂話じゃないんですよね~これが」
突然の事に驚き、声のした方を振り向くと窓の上部からぶら下がる文先輩。
廊下側……ではなく校庭側の窓であり、落ちれば怪我をする事は間違いないだろうが、
この人ならこれくらいやるだろうなあ……と、妙な所で納得してしまった。
「文先輩……なんでしょ」
「ふん!!」
「はあっ!!」
アリスが窓を閉め、妖夢がカギをかけカーテンを閉めた。
息の合ったコンビネーション、阿吽の呼吸と言う奴だろうか……
外からドンドン! と窓を叩く音がするが……
アリスも妖夢も何事も無かったかの様に元に位置に戻ってきた。
「さて、騒音が煩いけど授業の準備でもしましょうか」
「義兄さん、次は科学でしたよね?」
「ああ~……うん、科学だけど……良いの?」
「あの人なら何とかするでしょ」
そう冷たく言い切るアリス。
妖夢も全く気にする様子は無く、科学の教科書を出しに机へと戻って行った。
良いのかなあ……とは思ったが、授業の時間が迫っているのも事実であり、
まあ良いかと準備を始める僕だった。
【放課後、広報部の部室にて待っています】
その書き置きが机に入れられていたのに気付いたのは、
教科書を詰めていた帰りのHRの時だった。
文字からして女性、更にはかなり書きなれた感があった事+報道部と言う事で、
恐らくは文先輩だろうと辺りを付け、僕は部室棟の報道部へと足を運んでいた。
新入生が学校に慣れ始めた時期の為か、
部室棟は各部活動が新人を勧誘しようと様々な呼び込みを行っていた。
興味はあるのだが……人を待たせているのでゆっくりと見学する訳にはいかなかった。
「で、何の用事でしょうか文先輩」
「へえ~……人を数時間前に閉めだしておいてそのお言葉ですか~……
私悲しくて泣けてきますね~……」
ノックをした数秒で返事があり、
中に入ると文先輩が机の上に顔を預けながら恨めしそうな視線を向けていた。
「その件に関してはごめんなさい、
でもあんな奇怪な行動をするのは止めた方が良いかと……」
「……まあそれは置いておきまして、例の噂話ですがね……どうも本当みたいなんですよ」
何時もの明るい表情から、真剣な顔に表情を引き締める。
(僕の控えめな提案は完璧にスルーされた模様だ)
長くなりますので座って下さい、との言葉にありがたく椅子を借りる。
僕が座るとお茶が横から差しだされ、お礼を言うと仕事ですから……
と部室に居たもう一人の女性は微笑んだ。
制服のリボンからすると一年生なのだろうが、もう部室には慣れているのだろう。
まあ文先輩の話を要約すると……
1 夜に何人かの生徒がすでに襲われている。
2 当直の教師も襲われているらしいのだが、その当時の事は全く覚えていないらしい。
3 月夜の晩、その化け物は現れる。
……?
あれ、覚えてないのに何でそんな話が出ているんだろう……?
「え~と……なぜ誰も覚えていない筈なのにそんな話が出ているのでしょうか?」
「襲われなくても、目撃者という者はいるんですよ。 名前までは出せませんがかなり信頼性の高い情報ですよ!」
片手に持ったメモ帳を確認しながら、キラキラとした瞳で力説する文先輩。
部室に居るもう一人の女性は、またか……とでも言いたげにため息を吐いていた。
恐らく苦労しているのだろう。
「まあそういった経緯でして」
「どういった経緯なんですか……」
「今夜泊まり込みで取材をしようと思いましてね」
「はあ……頑張って下さい」
「ええ、頑張りましょうね!」
……あれ、何故か言い方に違和感を覚えるんだけど。
そして目の前で笑顔で手を差し出す文先輩に、違和感は確信へと繋がった。
「……この手はなんでしょうか?」
「まあまあ、握手すれば良いんじゃないですかね? 一夜限りとはいえパートナーは大切にしますよ?」
……無いよ、うんそれは無い。 今すぐ反転してこの部屋から撤退しようそうしよう。
咄嗟に椅子から腰を上げ、ドアに向かって走ろうとするが……
「椛」
「はいっ、文様」
ささっ、と後ろにいたはずの女性がドアの前に立ちふさがり退路を断たれる。
にこやかに微笑んでいるのだが、彼女の目は僕の挙動を一瞬たりとも見逃すまいと光っていた。
「さって、交渉再開と行きましょうかね」
カッ、と上履きの踵を打ち鳴らす音がする。
ギギギッ、と何処か錆びついた様な首で振り返ると、
相変わらず不適な笑みを浮かべながら文先輩は堂々と言い放った。
「取材に協力して頂くか、それともみっちり説得して協力するか、どちらが良いですかね?」
(商取引法違反だ!! というか選択肢の意味無いよね!?)
などと悪態をついてみたいものの、彼女には全く通用しないだろうし柳に風と受け流されてしまうだろう。
付き合いがあまり長くない自分でも良く分かる……まあ、雛を助けるのを手伝ってもらったと言えばそうなる。
ここで手伝わないのも、あまり義に反しているのでは無いだろうか……と思わないでもない。
はあ……と一息ため息を付いてから、文先輩に向かって手を差し出す。
「分かりました、今夜だけですからね」
「ふふ、話の分かる人は嫌いじゃありませんよ」
僕が差し出した手を、見た目と反せず柔らかい文先輩の手が包む。
その時彼女が見せた笑顔は、記者として不適に笑うものではなく、年相応の純粋な笑顔だったと思う。
では夕食後に学園で! そう言いながら彼女は僕を見送ってくれた。
傍らにいた椛、と呼ばれた女性も苦笑しながら手を振っていた。 恐らく彼女も来るのだろう。
さて……夜に学園に潜入する(?) 事になってしまったが、誰かに相談すべきだろうか?
1 妖夢に話してみようかな
2 困ったときはアリスに相談だ
3 雛なら何か知っているかな?
4 巻き込む訳にはいかない。 誰にも相談しない
───────────────────────
4 巻き込む訳にはいかない。 誰にも相談しない
「巻き込む訳にも行かないよね……それにアリスも妖夢も文先輩の事苦手みたいだし、
雛は……うん、もし本当に化け物が出てきても困る」
アリスや妖夢の態度から見ても、文先輩の事を好意的に捉えては居ないだろう。
もし夜に学園に潜入する、それも文先輩の付き合いで……なんて言ったら猛烈に反対されるだろう。
噂話検証などの為に貴重な睡眠時間を削らせる訳にも行かないし、こうなったら一人でやるしかないだろう。
今日はやけに早く寝るんですね、義兄さん。 と不思議そうに言っていた妖夢を何とか誤魔化し、自室に戻る。
まあ……まだ19時になったかならないかの時間帯であり、普段なら今日の復習を妖夢とやっているか、
居間でテレビを見ている時間だからだろう。
(ごめん、妖夢)
そう思いながら準備したバッグを背負い、窓からベランダへと出る。
正面のアリスの部屋も暗く、どうやら居ない様だった。
(まあ、この時間帯なら居間で夕食だと辺りを付けて出てきてるんだけどね)
そう考えながらアリス宅と自分の家を仕切る塀に降り、自宅の物置を経由して地面に降り立つ。
庭からはリビングが見えるが、明かりは付いていない事から妖夢も別の場所にいるのだろう。
さて、学園に文先輩はもういるのだろうか……
「遅いですよ○○君!」
「お疲れ様です」
あ~やっぱり居ますよね~そうですよね~。
文先輩は待ちくたびれました! 等と文句を言っているが、時間を指定しなかったのは文先輩じゃなかっただろうか……
「すみません、お待たせいたしました」
「御気になさらずに……文様は気が早いですし行動も早すぎるだけですから」
誰が気が早くて口より手が先に出るですか!! 等と椛さんの後ろで騒いで居るのだが、
椛さんは何時もの事ですから……とあまり本気で相手にしてはいない様子だ。
「ああ、申し遅れましたが私は犬走 椛と申します。 文様とは……まあ上司と部下+友達みたいな関係です」
「僕は○○と申します……上司ですか」
「ええ」
「苦労してますね……」
「……察して頂ければ」
等と、苦労人独特のため息が漏れる。
文先輩がやはり何か言っていたようだが、意識して聴覚から遮断する。
「まあ、早く調べて早く帰りましょうか」
「ええ、そういたしましょう」
(文に)振り回される同盟がここに誕生した!
「私だけ置いてけぼりな気がしますよ……ええ、悲しくなんてありませんとも。 ジャーナリストは常に孤独です……」
と、のの字を地面に書き始めた文先輩の姿は滑稽でもあり、可愛い様な気もした。
そう漫才(?)を繰り広げる○○達とは別に学校正門。
「……と言う事なので入校許可をお願いします」
「はい、分かりました。 また出る時には守衛小屋に寄って下さいね」
「分かりました。 ありがとうございます」
はあっ~……何でこんなことになっちゃってんだろ。 私……
ため息を吐きながら、学園正門に設置されている守衛小屋を抜け校庭を歩いていく。
これが日中ならば問題ないのだが今は夜。 間違えようも無い月明かり。
そんな中を鈴仙・優曇華院・イナバは歩いていた。
「姫様も姫様よ……何でこんな日に提出する用紙忘れるのかな……」
そう、こんな夜にこんな場所に居るのは彼女の師匠の上司(?)蓬莱山 輝夜のお願い(強制ではない)があったからだ。
曰く、明日提出しないと成績が容赦無く下がるだろう慧音先生の宿題を学園に忘れてきた との事だ。
ここでコピーでもすれば良いじゃないか という考えは甘い。
慧音先生は各クラス、生徒ごとバラバラに問題を作り、それを提出させているのだ。(作る時間も採点するのも大変だろうが……)
昔、それに気づかずコピーした宿題を提出した生徒は、頭突きとありがたいお説教を放課後頂いたとか……
もちろん、そんな事輝夜が望むはずがない。(いや、誰だって嫌だろう)
そこで白羽の矢が立ってしまったのが鈴仙だった ということだ。
「お、お願いだから何も出ないでよ……」
美鈴から借りたマスターキーで入口を開け、下駄箱で上履きに履き替えるともう逃げられない様な気がするのは何故だろうか?
懐に入れてあるガスガン……M-92FS ミリタリーをゆっくりと取り出し右手に構え、
左手に懐中電灯を持ち(夜中の学園内はほぼ電気が消されおり、非常誘導灯だけが緑色の光を放っている)、
ゆっくりと校舎の中を歩いて行く様は、(非現実的すぎて)映画のワンシーンすら彷彿するが、
行っている本人からすれば怖い事この上ない。
何事もなく済みますように……そう切に願いながら鈴仙は校舎内を進むのだった。
「で、文先輩。 どうやって中に入るんですか? 正門からですと守衛さんに話をしないといけませんけど……」
化け物を調査したいので校内に入らせて下さい!! なんて言おうものなら呆れられて追い返されるだろう。
だからと言って、忘れ物を取りに来た……ならば、多く見ても40分以内に帰らなくては不審に思われる。
その短い間にこの広い学園を回る事など不可能だ。
「ふっふ~ん、そこの所甘く見られちゃ困りますよ○○君。 まあ着いて来て下さい」
何時もの不適な笑いを浮かべながら、ガサガサと正門から少し離れた藪を進んでいく文先輩。
椛さんも、やれやれ……と言いながらもう諦めの境地なのだろうか、文先輩に続いていく。
僕だけ残ったところでどうしようもない、 毒を食わば皿まで だ。
しばらく藪の中を進むと、文先輩が突如としてしゃがみこみ、学園を覆っている壁をもぐり始めた。
ここだけ何故か穴が開いているんですよね~ とは彼女の弁。 これで良いのか学園警備……
と言うか文先輩、男性の僕が居る前でいきなりそんな事しないで下さい、見えそうでしたよ……
咄嗟に顔を背け、椛さんが潜り抜けた後に僕も壁を潜り抜ける。
「内緒ですよ? 遅刻した時とかに便利なんですからね」
「はあ……」
自慢げに話す文先輩に、賞賛すれば良いのか同意すれば良いのか良く分からず曖昧な返事を返す。
潜り抜けてみるとそこは校舎の裏、それも木が生い茂っていて人目に付きにくい裏庭であった。
成程、ここなら滅多なことでもない限り気付かれ難いだろう。
「さって、それでは早速調査開始です!」
「何処から行くんですか? いえ、そもそも校舎内に入れるんでしょうか……」
「な~に、簡単ですよ。 その為のドライb」
「三角突きとかライターで窓ガラス割る……と言うのは無しの方向で」
そんな事したら停学どころか退学処分だ。
流石にやらないだろう……とは思いたいが、文先輩の行動力は時に非常識な所がある事は昼間に経験済みだ。
用心に越した事はないだろう。
「いえいえ、流石にそんな事は出来ません。 帰り際に一部の窓に細工をしてありますからそこから入りますよ」
と、やはり校舎の目立たない窓に近づき、透明な糸らしき物を引くとカチッ と窓の鍵が開く音がする。
その糸らしき物をポシェットに仕舞い込み、そそくさと窓枠を乗り越え校内に入っていく。
「下準備の良し悪しによって勝敗は分かれるのですよ!」
校舎内入った文先輩は渾身のガッツポーズ それにしてもテンションの高い人だ……
椛さんは何も言わないが、窓をしっかりと閉めてハンカチで手を付いた場所を拭いている。
恐らく証拠隠滅中、何も言わずに黙々と作業するその背中に哀愁を覚えた。
「さって、じゃあ○○君は本館、椛は特別棟、私は食堂棟と外部 と言う事で」
「……え?」
「え? って、割振りですよ~調べる場所の」
「え、いえいえいえいえ……全員一緒に行くんじゃなかったんですか?」
「そんな時間の無駄出来る訳無いじゃないですか~」
カラカラと笑う文先輩、どうやら本気の様だ。
見つかったらなんて言い訳すれば良いのだろうか……いや、逃げたい。 今すぐ逃げたい。
「じゃあ、一時間後に携帯電話で集合場所を伝えますからちゃんと調べて下さいね~
もちろん、そのまま帰ったら……どうなるか分かりますよね?」
月明かりと非常照明しか光源の無い中、文先輩の瞳が紅く光った気がする。
元々あの人は紅い瞳をしていた筈だから、多分気圧されたとかそんな所で錯覚しただけだろう。
「ではでは、解散!!」
タンッタンッ と軽い靴音を立てながら廊下を駈けて行く文先輩。
ではまた と軽くお辞儀をして歩いて行く椛さん。
「……泣けるね」
と、某ゲーム主人公のセリフを思いつきで呟いて見るものの、何の解決にもならない。
致し方無い……と、背負ってきたバッグから懐中電灯を取り出し点灯する。
やるからにはしっかりやらないといけない、と妙な責任感がある○○に、サボるという選択肢は無かった。
ガタガタガタッ!! と窓枠が大げさに揺れる。 恐らく風が強くなってきたのだろう。
その音にビクッ! と鈴仙の背中が跳ねる。
出口まであと少しなのだが、ここで懐中電灯の電池が尽きたのか電気が付かなくなってしまったのだ。
この懐中電灯は、寮を出る際に輝夜から渡された物だから電池の確認なんてしていない。
予備を持っていこうとしたのだが、輝夜から大丈夫大丈夫 と追い出されるように押し出されてしまったのだ。
その送り出した時の顔が、妙に笑顔だった事を今更思い出す。
(姫様のいじわるううううううう!!!)
そのお蔭で視界に移るのは緑色の非常照明と月明かりのみ……
視界が限られる事により聴覚に意識が集中してしまうのだが、耳が良い彼女は些細な音すら全て拾ってしまう。
タッタッタッタッ…… チッ……チッ…… コツッコツッコツッ……
ガタガタガタガタ…… だ……報…… ザワザワザワザワ……
? ふと耳に聞こえてきた音を疑問に思う。
足音 誰かが話す声 風の音 窓が風を受ける音 ありえない音が幾つも聞こえてくる。
自分自身に狂気の波長でも当てたかしら? 幻聴を聞くようになるなんて私もまだまだ未熟よね♪
と現実逃避しながら波長を診てみると、正常 オールグリーン 問題ありません。
つまり正気 圧倒的正気 聴力に問題が見つからない限り錯覚では無い。
「……あ、あははっ……馬っ鹿じゃないのこれえええ!!!」
脱兎の如く(いや、脱兎と言ってもいいが)階段へと走る。
廊下が、窓が紅く染まっているように見えるが錯覚だ。
白いはずの校舎が紅く見えるのも、自身の恐怖心が噂話を思い出して錯覚しているに違いない。
≪曰く、屋上に続く階段で翼を広げた悪魔を見た≫
唐突に思い出す一文、校内新聞の一行。
昇降口に一番近い階段は、確か唯一屋上に繋がっている階段だった筈だ。
私が向かっているのはまさにそこ、氷水……いや、南極海の水を注ぎこまれた感覚。
不覚、今更引き返すことも出来ない。 後ろから何かが来ている気がする。
タンタンタンタンッ! と靴音高く階段を駈け下る。
昇降口まであと……
「あら、今日の獲物は貴方かしら?」
「いやああああああああああああ!!!!」
「な、何だ!?」
校舎内に響く女性らしき悲鳴。
一瞬怯むものの、咄嗟に声がしたであろう方向へ駆け出す。
ユラユラと頼りげなく揺れるライトが地面を照らしていく中、昇降口付近の階段に付いた私が見たものは
「あら、またお客人かしら? ふふっ……今宵は随分の賑やかな夜になるわね」
赤い月を背負い、階段の踊り場に立つ翼の生えた少女だった。
新ろだ2-011,2-016,2-018,2-021,2-025,2-026,2-028,2-030,2-056
Megalith 2011/05/24,2011/06/14
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最終更新:2011年12月03日 22:34