僕があの不思議な女の子に会ったのは、陽光が燦々と降り注ぐ夏のことだった。










纏まったお金が欲しくて、お菓子屋でバイトをしていたときのことだ。
毎日のように通う、一人の変わった女の子が居た。
年頃は小学校に入って少ししたぐらいだろうか。
黒いハットを被り、ボーイッシュな雰囲気の彼女は、何かを買うわけでもなく、いつも店内を飽きもせず眺めていた。

「・・・・・・」

彼女が特にご執心なのは金平糖のようだった。他のものに比べ、じーっと眺めてる時間が長かった。
だが、買うわけでもなく。暫く眺め続けたら、彼女は溜め息をついて帰っていく。
そんなことの繰り返しだった。

彼女は子供だ。家庭によっては、ああやって満足にお菓子を買うことが出来ないののも当たり前なのかもしれない。
僕は、それを不憫に思いながらも、横目に見ていただけだった。















それから暫く経ったとき。
大学に顔を出さなければいけないというのに、僕は珍しく寝坊してしまった。
慌てて着替え、荷物を手に取り、部屋から飛び出した。
・・・・・・その時。

ドンッ

何かがぶつかった音。そして軽い衝撃。
どうやら人とぶつかってしまったようだ。・・・・・・にしては衝撃は下のほうにしかない。
ぶつかったのは、子供?
そう思い、視線を下に向けると・・・・・・。

「いったぁ~・・・・・・!」
「あ、ごめん。痛かったかい?」

予想通り、ランドセルを背負った子供が頭を手で抑えてうずくまっていた。
黒髪で元気の良さそうな女の子だ。
どこかで見覚えがあるような・・・・・・。
そう思ったが、何故かどこで見た子供か思い出せなかった。

「ちょっと~!気をつけてよね!うぅ、痛い・・・・・・」

彼女は立ち上がって僕に指を指すと、恨みがましい目を向けながら、そう言った。

「あ、あぁ。すまなかった。ちょっと慌てててね・・・・・・。それじゃ、行くよ。ほんとにごめん!」

だが急いでいた僕は、手を合わせ、謝りながら、その場を逃げるように去った。
そんな、初めての、出会い。





「あれ、お菓子屋さんのお兄ちゃんだ・・・・・・」

そんな呟きは、当然僕の耳に入ってるはずもなかった。
















大学の講義から帰ると、いつものようにバイトに励む。
後少しで目標の額に届きそうだったあの時は、特に一生懸命だったと思う。
自動ドアが開く音がしたので、いつもどおり挨拶をする。

「いらっしゃいませー」

入ってきたのはいつもながらの、彼女だった。
最早お馴染みのの光景に僕は苦笑しつつ。商品の陳列に戻る。
――だが、そこからは、いつもと違った。
いつもなら直ぐにお菓子をまじまじと見つめ始めるのだが。
今回は何かを探すようにキョロキョロしている。
どうしたのだろう?
そう思うと同時に、その澄んだ瞳に、僕が映った。。
すると、驚くことに、僕のほうにむかってずんずんと歩き出してくるではないか。
・・・・・・唐突過ぎて、手が止まってしまった僕の目の前に、彼女はやってきた。










「お兄ちゃん」
「・・・・・・なんだい?」

僕は一人っ子だ。加えて子供と話す機会も少ない。
だからこうしてお兄ちゃん、などと呼ばれるのは少しこそばゆかった。

「こんにちは。また会ったね」

え?
・・・・・・僕は思わず固まった。
そりゃ、僕も覚えてるほど、この店に来ていたのだから、僕のことを覚えていても不思議じゃないが。
また「会ったね」・・・・・・遠目で見知ってるだけじゃ言えない言葉だ。
どういうことだろうか?

「むー・・・・・・覚えてないの?」

不満そうに頬を膨らませる。加えて上目遣い。
こういう仕草は、子供の特権だろう。

「・・・・・・お詫び」
「え?」

彼女は更に、僕に向けて手を出した。まるで、何かを欲するように。

「朝、ごめんって言ったじゃん。だから、お詫び!」
「・・・・・・」

お詫び。そして、朝。・・・・・・ようやく、僕の中で糸が繋がった。
見覚えを感じたのは、間違いじゃなかったのだ。
今こうして、黒ハットを被った彼女と、あの朝のランドセル少女と、繋がった。
あまりに特徴的な帽子を被っていたためか、そちらに印象が引っ張られていたのだろう。
今の今、こうして気づいて見てみれば、彼女はあの時の少女そのままだった。
見つめなおしてみれば、小悪魔のような、意地の悪い笑み。
これで、分かるでしょ?とでも言いたげだった。

「成る程。これは失礼した。すっかり気づかなかったよ。あの時の子供か、君は」
「そういうこと!」

彼女は、満面の笑みで、肯定した。















あれから。彼女の遊び相手の選択肢に、僕という相手が増えたようだった。
・・・・・・お詫びにと金平糖を買ってあげたら、幾度となく要求されるようにもなったので、お菓子をくれる都合の良いお兄さん、と思われている節もありそうだが。
彼女はかなり変わった子だ。名を宇佐美蓮子、というらしい。
相変わらずお菓子屋には顔を出しては、僕をわざわざ待ってお菓子を要求したりするし。
今もかなり年上である僕の部屋に遠慮せず転がり込んできている。
前者はまぁ、分からなくもないんだが、後者が良く分からない。
この年頃だと、もっと同じ年代の友達と遊ぶことを好むと思ったのだが・・・・・・。

「そういや、何でまた、僕なんかのところに来るんだ?」

ふと、疑問に思って聞いてみた。

「僕みたいな年の離れた大人より、同い年の友達と遊んでたほうが楽しいと思うけれど」
「んー。○○兄と遊んでたほうが楽しいし。同い年の子と喋っててもつまらないんだもん。それに、お菓子だってくれるしね」

金平糖を食べながら本を読んでいた彼女は本から顔を上げて、またあの時のような意地悪い笑みを浮かべてそう言うのだ。
本当に、変わっている。
金平糖を好きな理由は、『お星様に似てるから』なんて可愛らしい理由だけれど。
そうして視線をまた本に移した。
この静かな時間を共有する仲間がまさか小学生の少女とは。
僕も思わず苦笑してしまう。

彼女は、本を読むのを好んだ。今もその幼く、あどけない容姿に似つかわしくない本を読んでいる。
蓮子・・・・・蓮子か。










・・・・・・蓮子とは蓮の種子を意味する。蓮の花言葉は「雄弁」
加えて蓮葉女(はすはめ)という言葉もある。
悪い意味も含むが、お転婆で、生意気な言動をする女性を形容する言葉だ。
そして、『子』供故にそれも可愛らしさの要素になる。
『蓮女』という概念もまた、連想するが、流石に似合わない。
だが、このあどけない少女も、何れ成長すれば、或いは、『蓮女』に相応しい女性にもなるのだろうか。










・・・・・・いずれにせよ、これ程、彼女に似合った名もないな、と初め名を聞いたとき、思ったものだ。
本を読みふける彼女を見ながら、いつの間にか、そんな取り留めのない思考をしていた僕だったが。

「ねー」

甘い声を出して、僕に用事があることを教えてくれた。
子供らしい愛嬌のある子だ。子供らしからぬようで、その仕草は実に幼い部分ももっている。
それは彼女のアンバランスな魅力の1つなのかもしれない。・・・・・・と、僕は何を考えてるんだ。
首をブンブンと振り、妙な思考を振り払い、僕は返事をしてやる。

「んー?」
「こと座の神話だけれど、何で、冥界を出るまでは、決して後ろを振り返ってはいけないって言われてたのを、 オルフェウスは破っちゃったのかな?
 約束を守るのって当たり前のことじゃない?」

・・・・・・なんとも。子供らしい質問だ。
星は専門じゃないんだけどな、と呟きつつも、どう答えたものか考える。
こうやって彼女が本を読んで疑問に思ったことを僕が答える。
いつものことだった。

「・・・・・・そうだなぁ。僕が考えるには、愛が足らなかったんじゃないか、と思うよ。信頼、と置き換えても良い」
「愛・・・・・・?」
「そう、愛だ。こと座の物語は悲恋として語られることも多く、また一般論で言えばその通りだ。
 けれど、僕はこの結末は、信じきることの大事さと難しさを教えてくれているような気がする。
 冥界の王が嘘を言っているのではないか?これは自分の音楽への疑いだ。
 自身の妻が本当についてきてくれているのか?これは妻との愛そのものへの疑いだ。
 冥界の王にまで直訴し、そしてその承諾を得るほどの者でも、信じきることはこれ程難しい。
 ・・・・・・そういうことだと、思うよ」
「約束も、破りたくなっちゃう時があるっていうこと?」
「そういうことだね。だから、もし蓮子も大事な人が出来たら、信じ続けてあげなさい。
 それは多分、簡単なことじゃなく、尊いことだからね」
「・・・・・・うん」

彼女は何か、その言葉を噛み締めるように、頷いた。
すると、何を思ったのか。

「お、おい!?」
「えへへ~」

本を放り出して、僕に抱きつくように飛び込んできた。
おいおい、今の行動のどこに脈略があるんだ。
僕は思わず慌てた。男女を意識するような子ではないのだけれど、何故か。

「・・・・・・こうすれば」
「え?」
「こうやって、ずっと。手で掴んでいれば。離さない。離れない、よね」
「・・・・・・」

時々、彼女の表情に陰が差すことを僕はここ最近の付き合いで知っていた。
よく考えたら、さっき質問したことは、配慮のないものだったのかもしれない。
お菓子を自分で買わない子供。こんな陰気な大学生の元を、好んで訪れては、本を読みふける子供。
あまり考えないようにしていたことが、過ってしまう。
――宇佐見蓮子は、孤独なのではないかと。
理由は分からない。こんな子が孤独であると思ったことも、またその理由も。
けれど、そう思ったから。思ってしまったから。僕は彼女に答えるように抱き返してやる。

「あぁ。そうだな。大事なものはずっとずっとその手に掴み続けると良い。
 そうすれば離れない。消えない。皆、皆、時々大事なものがなにかを忘れちゃうけれど。
 忘れないように、ずっと掴んであげれば、きっと消えない」
「・・・・・・うん」

僕は。彼女をぎゅっと抱きしめた。
彼女も、僕のことを強く感じるように、力を込めた。
その体温の暖かさは、きっと僕たちの繋がりの証。










それは、不思議な少女、宇佐見蓮子との、ひと夏の思い出。


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永遠などそこにないことは解っていた。けれど彼女を拒むことは出来なかった。










夏の陽射しが雲に隠れたある日。

「ねぇ。○○兄」
「ん。なんだい?」
「連れて行きたいところがあるの。夜、良い?」

そう言って、蓮子は僕をあの小悪魔のような笑みで誘った。
今日の予定をすぐさま思い起こす。・・・・・・大丈夫か。
そもそも、僕が行かないなんて行ってもきっと彼女はどこかでに出て行ってしまうに違いない。
それは流石に危険だ。

「良いよ。でも何処に行くつもりだ?」
「んふふ~。秘密よ。行ってからのお楽しみ♪」
「・・・・・・ま、いいけど」

全く。子供のお守りなんて性に合わないと思っていたんだけれど。
中々どうしてか。彼女に振り回され、一緒に居る時間というのも悪くないと思えてしまう自分が居る。
それはきっと良いことなのだろうけれど。










そして夜。まんまると輝く月に照らされるのは一人の青年と少女。
少女という案内人に導かれる青年はさながら幻想への旅路を歩んでいるようで―
なんて。意味が解らないな。自分でも良く分からない意味のない想像だ。
あながち間違ってもいなそうだけれど。

「おいおい。どこまで行く気だい?」
「いいからいいから!」

僕の手を引いて、元気よく先へとずんずん行く。
だが流石に僕も不安になってきた。
ある程度月が明るく照らしているからまだいいが、この辺は確かあまり人が立ち入らない自然地帯だったはずだ。
――田舎に色濃く、僅少ながら残る本物の自然。その一部。
それを貴重として、わざわざ国が保存しているのは如何なものかと僕は思わなくもない。
だからまぁ、立ち入ることに関してそこまで文句を言うつもりはないんだが・・・・・・何かあっても面倒だ。

「危険じゃないのか?」
「ううん。大丈夫よ。何度か来てるけど一度も何もなかったもん」
「・・・・・・ま、いいか」

・・・・・・どうやら、僕は彼女に付き合ううちに諦観癖が付いたらしい。















木々草々を分け入って、緩やかな丘を登っていく。
そして、その頂上、開けた場所に来て、ようやく蓮子は元気よく目的地への到着を告げた。

「とーっちゃく!」
「ようやく着い・・・・・・」

僕は、飛び込んできた光景に、言葉を失った。
文字通りの光の景色。人が生み出した光の演舞。
遠くから見て初めて知る人の小ささと、儚い美しさ。
――それは、とびっきりの夜景。

それだけじゃない。

「上を見て」
「・・・・・・これは」

それは、満点の星空だった。
夜空に輝く星々は、とてもロマンチックなもので。
そして、目の前の夜景と見比べれば、酷く対照的で。
けれど、そのどちらも美しい。
そして。この光景を見せたいがために、ここに僕を引っ張ってきた蓮子。
彼女は振り向いて、手を広げ、満面の笑みで言った。

「どう?綺麗でしょ!」

それは、人の光と自然の光の混じりあう舞台。
その境界に立ち、舞い踊るようにしている可憐なる少女。
それは、とても。幻想的で、魅惑的な光景だった。















「これ程綺麗な光景は初めて見た」
「でしょ?私のお気に入りの場所なのよ」

彼女は、上を見上げながらも、僕の言葉に笑って応えた。

ヴァーチャルで幾らでもリアリティある、いや、リアルよりも素晴らしい映像をも見ることの出来る時代。
だけど、これ程感嘆する眺めは、他にないと思った。
それは――きっと。現実の光景だとか。星と夜景の素晴らしさとか。そうじゃなく。
この少女が、見せてくれたものだから、なのだろう。
柄にもなく、そんなことを思ってしまった。

「・・・・・・今ね、21時32分42秒なの」

彼女の呟きの意味を、僕は図りかねた。
けれど、その言葉は、とても真剣で、無視できなくて。どういうことなのだろう、と考えた。
その言霊は、きっと時刻を意味するのだろう。
だけれど、それを発する理由も、発した根拠も、分からない。

       ・・・・・・・・
だって彼女は、時計をしていないのだから。

「どういうことだい?」

思わず、僕は聞き返す。

「いいから!今は21時33分30秒・・・・・・31、32・・・」

意図は分からないが、どうして欲しいかは、分かった。
その時刻の正しさを証明して欲しいということなのだろう。
そして、それがきっと彼女にとって意味があるということ。
僕は、その手に嵌めた安物の腕時計の時計盤をその目に留めた。
その時を刻む役割を果たす針達。それが示した時刻は――
まさしく、彼女の発した言葉の通りだった。

「私ね」

その事実を知り、どういうことなのだろうと固まっていた僕に。
いつの間にかとても真剣な表情で、その澄んだ眼で僕の眼を見つめて。
彼女は、その神秘の少女は。

「――とても不思議な眼をもってるんだ。星を見れば今の時間が分かる。月を見れば今居る場所が分かる。気持ち悪いでしょ?」

そんな、告白をした。
そのとき、僕は、彼女のもつミステリアスな空気と、年齢と容姿に似つかわしくない、孤独を初めて理解した。
だから僕は。君に、思ったことを。素直に伝えてあげる義務がある。
君のその勇気ある告白と行為に、報いるためにも。
そう思って。静かに言葉を紡ぐ。

「・・・・・・素敵な、眼だと思う」
「ほんとに?気持ち悪い、とか、嘘だとか、思わないの?」

そうか。普通の人間はそう感じるのか。
だとしたら、僕もきっと異端で。彼女と同じ側の人間なのだろう。
特別な何かはもっていないけれど、そうであると、自然と受け入れられた。

「嘘なんか言わないさ。言ったことなかったかもしれないけど、僕はずっと」
「ずっと?」
「非現実的な現象を信じ、追い求めた。いわば、夢追い人の変人なんだ。
 大学では超統一物理学なんてやっているが・・・・・・なんていっても分からんな。
 ま、ともかく趣味では結界とそういった現象の研究の方をし続けているんだ。
 だから、そういった力が、眼があっても不思議じゃないと思うし、僕はそれはとても素敵なものだと思う」
「○○兄・・・・・・」

多分僕の言ったことは、あまり理解していないだろう。けれど、それでもいい。
今彼女に伝えたいことはただ1つだけだから。

「僕は、君のことを信じる。宇佐美蓮子はとても素敵な眼をもった一人の少女だと。
 ・・・・・・それじゃ、駄目かい?」
「ううん。嬉しいっ!」

いきなり、彼女は。
僕の言葉に破顔させて、飛びついてきた。
抱きしめてやり、そして、その頭を撫でてやる。
すると、彼女は感極まったように言ってくれた。

「有難う・・・・・・!私の、初めての大切な人・・・!」

その重みは、不思議と、心地よかった。















僕はなんて馬鹿なんだろう。夢を追うために、飛び出さなきゃいけないというのに。
大事なものを、作ってしまった。大事なものが、出来てしまった。















「え?本当ですか!教授!」
「嘘を言ってどうするのよ」

赤いマントを羽織った女性――僕がお世話になっている教授だ――は僕の大声に、呆れたように答え、ロシアンティーを傾けた。
流石にイチゴジャムをこんもりはどうかと思うが、この人に苺について語らせると72時間連続で続くのは堅いのでやめておく。

「海外の××大学。正式にあなたを受け入れると回答が来たわ」
「・・・・・・有難うございます!これも教授のお陰です!」

精一杯僕は教授に感謝の気持ちをこめて頭を下げる。
ほんとにこの人にはお世話になりっぱなしだ。
この大学で、僕の夢を理解し、応援してくれる唯一の人。
彼女もまた、大学・・・・・・いや、学会から異端の目を向けられているらしい。
こうして教授として大学に籍を置けているのは、一重に彼女の優秀さによるものなのだろう。
何でも助手の人に聞けば、過去には稀代の天才少女と言われ、教授生活も年齢の割りに長いというのだから。

「・・・・・・あっちでも研究は?」
「えぇ。続けますよ。両方とも。学生としてまず卒業して、そこから本格的なスタートになるとは思いますけれど」
「そう。あなたの言う、科学と幻想の統一。結界の解明。・・・・・・簡単な道のりじゃないわ。それでも?」

教授は試すような視線を僕に送る。
そんなことは百も承知ではある、あるが覚悟はあるか、ということなのだろう。

「はい。僕は」
「?」
「本物の霊能者を、知りましたから。ですから、仮に暗中模索になっても、大丈夫です。
 いつになっても、信じることの出来る光がある」
「そう。・・・・・・頑張りなさい」

私の分も。そう言われた気がした。
その、優しく送り出してくれる言葉に、僕は、深々と礼を返した。

「有難うございます。で、詳しい話は?」
「はい、このプリントに目を通して頂戴。纏めておいたわ。手続きは気にしなくて良いわ。そういうのは私に任せて」
「本当に・・・・・・色々お手数を」
「いいのよ。私もあなたならやれると思って、こうして支援しているのだから」

ね?と笑いかけてくれる教授。
それに、僕は応えなければならない。・・・・・・研究の成果を出す形で。

「・・・・・・僕は、必ず。必ずこの世界の全てを、見てみせます。幻想に、勝ってみせます」
決意を、しっかりと表明する。
教授は、それに柔らかい笑みでこたえてくれた。

「その時を楽しみにしてるわね」
「では、失礼します」
「えぇ。行ってらっしゃい」
「はい。行ってきます」

そうして、僕は部屋を出た。
夢のための一歩。それは、とても尊くて、凄く嬉しいことだった。





けれど、それならば。この心に残る引っかかりは何なのだろう?











――縁日など、久々だな。そう思った。
僕は、あまり人ごみを好まない。
そこそこ外に出ないこともないが、基本的に友人との付き合いも程ほどにして、趣味に没頭するタイプだ。
だから、そう。本当に、久々。
東京に未だ尚残る形式だけの祭祀にかこつけたお祭り騒ぎ。
そんな中に、飛び込むのは。

「○○兄ー!早く行こうよ!」

おっと。また考え事をしていたらしいな。これはいけない。
今日はこの子と一緒に来ていたんだった。

「おっと。すまない。考え事をしていた」
「○○兄っていっつも何か考えてるよね。たまには息抜きしないともたないよ~?」

ニッと笑って目の前の少女はそう言った。
これは手厳しい。

「はは・・・・・・それもそうだな。それにしても浴衣、似合ってるじゃないか」
「えへへ・・・・・・おかーさんがやってくれたんだよ」

ふむ。母親、か。
聞いていると正直一般的な家庭よりは若干放任な部分もあるが。
なんだかんだ親というものは、子供は可愛いらしい。
・・・・・・例え、良く分からないものが見える子供でも。

おっといけない。これではまた二の舞だ。
加えて彼女、ひいては彼女の親に失礼な話だ。気をつけよう。今は楽しむ場だ。

「良し、行こうか」
「うん!」

そして僕と蓮子は夜のお祭りに飛び込んだ。





たこ焼き。カキ氷。アンズ飴。
特にカキ氷なんか、二人して頭を抱えてしまった。
「冷たくて甘くておいしーけど・・・・・・いったーいっ!」とは蓮子の弁。

そして、くじ引き。射的。ヨーヨー釣り。金魚掬い。
意外と蓮子は器用で、中々の戦果を出していた。
要領よく景品をゲットしていく彼女のその笑みはとても輝いていた。
僕たちはめいいっぱい遊び。そして、笑った。





・・・・・・遊びすぎた、ように思う。
幾らなんでも、彼女の年齢を考えると22時という時間は少々遅い。
こりゃ親御さんに怒られるかな、と半ば夢心地のぼーっとした頭で考えながら、僕らは帰路についていた。

「あー、楽しかった。お祭りなんてあまり行かないから」
「そうだな。楽しかった。たまにはああいうのも良いものだ」
「○○兄があそこまで射撃が下手だとは思わなかったけどね」
「ぐ・・・・・・ほっとけ」

二人して笑った。それはきっと純粋に楽しんでいる笑い。
――不思議と。この少女は。僕の心も純粋にしてくれる。

「――ねぇ」

ひとしきり笑った後に、彼女はとても楽しげに言った。

「また、一緒に行こうね!」

そう。それは子供ながらの純粋な思い。
そしてそれをぶつけてくれる、というのは嬉しくもあったが、僕は困惑もしていた。
・・・・・・あぁ、そうか。
今まで感じていたこの引っかかりは。

――彼女と共に過ごす時間がもう殆ど、ないからなのか。

答えを見つけた僕は、その戸惑いを出来るだけ顔に出さないようにして。

「あぁ、そうだな。また一緒に行こう」

嘘を、ついた。多分、許されない嘘を。
もう、彼女と過ごす夏は、多分二度とないというのに。
僕はそのことを伝えたくなくて。傷つけたくなくて。・・・・・・いや。
多分それだけじゃない。きっと。
僕自身、そうであれば良かった、と思っているのだろう。

「ほんと!?絶対だよ!約束ね!」

目を輝かせながら、僕の方を見上げる。
この真っ直ぐな眼は、きっと僕にはないものだ。
僕は繋いだ手に力を込めて、答えた。

「あぁ、勿論だ。嘘はつかないさ」

――大人とは、なんと醜いのだろう。
それはきっと、とても自分勝手な話。
彼女が傷つく姿を見たくなかった。彼女の笑顔を絶やしたくなかった。
それだけのために、僕は嘘をついたのだ。
だから。

「来年が、楽しみだな。今度はもっと・・・・・・」

先のことを楽しげに語る、彼女の笑顔に。
心がチクリと、痛んだ。



──────────────────────────────
私があの人と出会ったのは太陽が憎らしくなる程に暑い夏の一時だった。










私は、昔から一人で時間を潰すことが多かった。
外に出ることの方が多い両親を持ち。
友達とも距離を置いていた。
そう、プライベートで遊ぶことが殆どない程度に。

会話がないわけではない。
寧ろそれなりに輪の中にも居た方だろう。
だけど、それだけだ。
ただ、明るくて、元気だけれど、何となくそこに居る子。
これは自他共に認める私への評価だろう。

怖いのだ。只管に。
遊び盛りの子供だし、友達と遊びたい。
そう思っても、何故か自分を許すことが出来なくて。
どこか線を引いてしまう。

理由はこの不気味な眼。
今よりもっと小さな子供の時は、当たり前なのだと思っていた。
皆、何かしらこういうものを持っているものなのだと。
けれど、親にも、先生にも、そして友達にも。

――返ってきたのは否定の反応。拒絶の意思。

大人たちは私が冗談を言っているように思ったのだろう。
子供に有り勝ちな妄想だと。テレビなどに憧れて、自身に酔っているのだと。
だから、まだ親も私のことをちょっと変わっているけど、ちゃんと娘だと思ってくれている。
・・・・・・本当のことは、もう信じてもらえないだろうけれど。

問題は友達の方だ。子供とは残酷なまでに純粋で。
かつ、異端は弾こうとする傾向がある。
私は変人として、孤立した。

「気持ち悪い」「近づいちゃ駄目よ。変なのが感染るわ」「化け物」

そういった、人を傷つける言葉のなんたる強さか。
その刃は、純粋であるためか、とてもとても強い。
小さな子供だった私に・・・・・・トラウマを植え付けるに、足るものだった。

小学校に上がってからは。
この眼のことは言わないように。
出来るだけ、近づき過ぎないように。
それだけを考えながら日々を過ごした。
それなりに楽しければ、それで良い。
嫌われなければ、それで良い。
ひたすら、そんなことを考えて。





だからこそ、あの人に、私はどうしようもなく。
子供ながらに、惹かれてしまったのだ。
















私は、良くお菓子屋さんを見に行った。
あまりお小遣いなんて縁がなかった家庭だったけれど、眺めているだけでも幸せだったのだ。
元々想像力はそれなりにあるほうで、あれはどんな味かな。これはどういうお菓子だろう。
そんなことを考えるだけでも、時間が潰せた。
夏場は冷房も効いていて、お気に入りのスポットだったのだ。
特にお気に入りは金平糖。味も、形も大好きだった。
星を連想させるその形は、私の好みだったのだ。
この眼は、忌まわしいけれど。
綺麗な星々に、罪はない。





私が初めてあの人と、会話したのは。
単なる偶然で。だけれど、私にとっては運命的で。
そんな、ありふれているようで、中々ない、出会いだった。

「あ、ごめん。痛かったかい?」

後から思えば、あんなどこかの物語のような出会い方はそうないだろう。
何せ、お互い急いでて同じアパートに住んで居て。
そしでぶつかって。それが、終いにはお互いに遠目には知っていた相手だったのだ。

あの私に向けてくれた、心配そうな眼と優しい言葉。
こんな子供相手に、急いでいながらも。無言ではなく声をかけて、そして謝ったということ。
小さなことなのだけれど、今でも忘れられない出来事だ。
だから私は、何故か彼ともっと喋ってみたい。彼に近づいてみたい。
そんなことを子供心に願ったのだろう。





それからだ。私が彼のところに行くようになったのは。
子供だから遠慮や相手が迷惑かどうかなんてあまり考えていなかった。
だから毎日のように、彼に会いに行った。
とはいえ、彼も色々あったから、本当に毎日ずっと、なんてわけにはいかなかったのだけれど。
それでも私にとってはそれは刺激的で、また、幸福な時間だった。

彼のもとに行くと、私はその部屋の本棚から適当な本を取り出して読むことが多かった。
元々読書は好きな方で。子供らしい遊びが他にもあるんじゃないかと言われそうだけれど。
私はそれだけで楽しかった。彼と同じ空間で。たまに会話を交わして。
顔を上げれば彼の顔があって。声をかければ返してくれる。
それだけで、何故か胸が満たされたのだ。
彼も、きっと同じようになんだかんだ楽しんでくれていたのだと思う。
勝手な思いかもしれないけれど、そうでなければ。
あんな、笑顔は・・・・・・浮かべないと思うから。





色々と出かけたりもした。
彼の通っているという大学まで駄々をこねて連れて行ってもらったこともあるし。
気分転換なんて言って、近所の植物園とか、公園とかに行ったりもした。
縁日に連れて行ってもらったこともあった。
私は彼と出かけるというだけで、何処でもきっと笑ってはしゃいでいて。
本当に楽しい一時を過ごしていた。
だからだろうか。こんな我侭な想いを抱いたのは。

――私の全てを知ってほしい。受け入れてほしい。

よっぽど私は彼に依存していたのだろう。
何せ初めてそこまで関った他人だ。
親はともかくとして、ここまで一緒に居た人は私の短い人生の中で、他に居なかったのだ。
私は彼なら、この忌まわしいものに対し、救いの言葉をくれるのではないかと、そう考えたのだ。
日に日に、その欲求は強まるばかりだった。

・・・・・・そして。他人へ打ち明ける恐怖より、理解者を求める願望が。
私の中で、強く強くなってしまった時。
私は、人生初めての勝負に打って出た。










私は、自分の一番お気に入りの場所で、告白しようと決めた。
星は、ずるい。私の眼は星から気味の悪いものを読み取るけれど。
あの煌きだけは、恨む気にならなかった。
だから、その下で。私は、宇佐見蓮子は。
彼――○○に、全てを晒す。





出来事は。意外な程にあっさりしたものだった。
私は少してんぱってしまって、上手く自分のことが言えなかったけれど。
彼は、あっさりと。
この眼を、素敵な眼だと言い切ったのだ。
この、普通でない異端の印を。よりによって素敵だと。そう彼は形容したのだ!

・・・・・・私は、嬉しかった。
初めて、否定でもない、肯定の言葉を得たから。
私はここに居てもいいんだ。そういう存在でも良いんだ。
初めてそう思えたから。
あまりに嬉しくて。嬉しくて。彼が愛おしくて。
思わず抱きついてしまったりもした。
彼の前では、恥ずかしかったから、帰ってから一人、嬉し泣きを沢山した。
親には、ちょっと不審がられたりもしたっけ。





苦しくて苦しくて、自分が嫌いだった少女は。
あの時理解者を得ることによって、初めて自分という存在を認めたのだ。





それから過ごした時間は、この私の人生の中でも更に忘れがたいものであった。
何も隠さないで過ごして良いというのはあれほどまでに解放感のあるものなのか。
全てを委ねられる人と一緒に居られるその満足感は、まさに麻薬のようなもので。
私はどんどん彼に依存した。
年の差なんて関係なかった。間違いなく、私は彼を好いていた。
あの時は、そんな感情など分からなかったけれど。今思い返せば間違いなく、私は彼を好いていた。
今でも、忘れられない。
忘れることなど、できるものですか。
けれど、時と、運命は残酷で。
唐突な出会いは、唐突な別れをもって、思い出の幕は閉じてしまう。














・・・・・・あの縁日の日から、僕は一日一日を噛み締めるようにして過ごした。
特に彼女と過ごす時間は、大事にした。
あの時には、僕にとっての心の安寧もまた、彼女によってもたらされていたのだから。
友人知人に話せば笑い話かもしれない。
僕が、あんな小さな女の子とあれだけ一緒に居て、また僕も満更でもないなどと。
けれど、事実は事実だ。あの不思議な子は、何処か、暖かい。

いっそ突き放すべきか、とも思った。直に来る別れの先払い。
だけれど、僕は。罪深くも。自分の都合で去る癖に。
彼女と出来るだけ共に居たいと。
そして、彼女に別れで涙して欲しいなどと。
そんなことを、望んでしまっていたのだ。
だから僕は、彼女を引き離すことが出来なかった。
出来る限り一緒に居てしまった。思えば、それは、彼女を傷つける行為だったかもしれない。










――あの日。全ては、あの日に。泡沫のように(僕は・彼は)消えたのだから















別れは、何とも唐突で、呆気ないものだった。
いつでも物語の終焉が劇的なものとは限らない。現実のものなど、特にそうだ。
こんな物語の脚本を書いた者がもし居たなら。
それが神であろうと、世界であろうと、力強く罵倒してやりたい気持ちだった。
・・・・・・あの時の私はあれが終わりだなんて、信じたくもなかったに違いない。
現実を現実と認めたくない思いが、強く強くあった。










私は、いつものように彼の住む部屋に向かった。
だけれど、何度チャイムを鳴らしても反応がなく。

「あれ・・・・・・居ないのかな?」

彼は暇があれば家に居て、また、いつ来ても私を拒むことはしなかった。
今思えば、大分私も非常識だったことと、彼が優しかったことが良く分かる。

――どんなに、仲が良くても。関係が深くても。相手を常に歓迎できる人間性を持つ者が、どれだけ居るだろうか

・・・・・・ともかく。だから私は、留守にしているということは、忙しいのだろうと合点をつけた。
また、明日来よう。そう心に誓って、その日は名残惜しくも帰ったのだ。















だけれど。次の日も、その次の日も。
彼は部屋に居ない。
流石に、不安に駆られた私は、大家さんに彼のことを聞こうとした。

返ってきた答えは、とても。
とても残酷なものだった。










私はその答えを、直ぐに受け入れることが、出来なかった。
その現実は、あの時の私には、とてもじゃないが。
夢だと思いたい、そんな事実だったのだ。

「嘘だっ!何で!何で!そんな嘘つくの!?」
「蓮子ちゃん、これは本当のことだよ。彼は・・・・・・○○さんは、このアパートを出て行った」

私は、呆然とした。
目の前が真っ暗になったような感覚を。どこかに落ちるような感覚を、覚えた。
私は、泣きながら大家さんに詰め寄った。

「じゃあその行き先は何処よ!?聞いてるんでしょ!?ねぇ!?」
「何処に行ったかまでは・・・・・・」

あの時の私は子供ながらに余程の剣幕だったらしい。
大家さんが、少し身を引いて困ったような顔を浮かべていたのが印象的だった。
けれど、あの時は、そんなことに気が回らないほどに、必死だったのだ。

「そんな・・・・・・!じゃあ、じゃあ!」

混乱して言葉が出ない。頭の中は”何故?””何処へ?”その言葉ばかりだったからだ。
――何よりも

・・・・・・自惚れかもしれないけれど。私に黙って、出て行くなんて。
信じられなかったのだ。

「そ、そうだ!」

大家さんが何かを思い出したように大きな声をあげる。

「れ、蓮子ちゃんに、○○さんがこれをって・・・・・・」

そうして、差し出されたのは。一通の封筒だった。
私はそれを引っ手繰るようにして受け取った。

「・・・・・・!ちょうだい!どーしてそんな大事なこと言わないのよ!?」
「あ、あぁ。突然のことでそこまで気が回らなくてね・・・・・・」

言い訳じみた言葉を発する大家さんを無視して。
私は封筒を慌しく開け、その中の便箋の文字に急いで目を通した。
それには、こう記されていた。















――親愛なる蓮子へ。

まず、謝らなければならないだろう。
君がこの手紙を読んでくれている時には、僕は日本には居ない。
僕は、海外の大学に行く。
話さなかったのは、君と別れるのが辛かったからだ。
君の悲しみの涙だけは、見たくなかったのだ。
・・・・・・自惚れている、と思われるかもしれないけれど。
君には本当に悪いことをしたと思う。
だけれど、僕は行かなければならない。それを分かって欲しいと思う。

蓮子。君の目の前にはまだまだ長い道が広がっている。
だからこそ、君には無限の未来があるし、また、出会いも沢山あるだろう。
君を本当に理解してくれる人に出会うことも出来るはずだ。
・・・・・・いや、もしかしたらかけがえのない『仲間』に出会えるかもしれない。
人は、同種の者と惹きあう。君は似合わないなんて笑うかもしれないが、それは運命のようなものなのかもしれない。
君と出会えたことは、運命なのだろう。だけれど、ほんの一時期の交差だった。
もし君にとって良い思い出を残せているならば僕にとってそれ以上のことはない。
僕にとっても、君との出会いは宝物だったのだから。

もし、僕との別れを悲しんでくれるのだとしたら。それは一夜に留めてくれ。
きっと、こんな身勝手な僕なんかよりも、きっと良い人に出会えるから。
僕は少しでも。先の君の思い出の片隅に居れたなら、それだけで幸せだ。
・・・・・・こんなことをしておいて、こんな都合の良いことを言うなんて我侭、だと思う。
だけれど、僕は。
君に幸せになってほしい。そう。

――大好きな、君の幸せを、心から、願っている。
                         ○○
















手紙は。私に幸せになってほしい、という言葉で締めくくられていた。
それほどまでに彼は私のことを想ってくれていたのか。
そして、これほどまでに私は彼のことを想っていたのか。
想えば想うほど、哀しくなった。
・・・・・・何故なら。

「えっぐ・・・・・・うぅ、どうして・・・・・・?」
「・・・・・・・・・・・・」

何故。何故。私は彼と別れなければならないのか。
そのことだけが、私の中で渦巻くのだ。
きっと、どうしようもないのだろう。彼の選択を責めることは出来ないのだろう。
私は、泣いた。大家さんの前だったけれど。沢山、泣いた。

家に帰ってからも。心の雨は、いつまでもいつまでも。止むことはなかった。
両親に、どうしたの?などと心配される程だった。
それほどまでに、表情に出ていたのだろう。

・・・・・・それだけ、私は。彼に依存していたのだろう。

初めての理解者だったから?
初めての一緒に遊んでくれる他人だったから?
初めて大切に思えた人で、沢山の初めてをくれた人だから?

・・・・・・多分、違う。それもあるのだろうけど、一番は違う。
それが、何か。今の私にははっきりとは分からない。
けれど、これだけは言える。

「私は・・・・・・○○兄のこと、忘れられそうに、ないな」

多分、それは事実だろう。私には彼のことを忘れることなんて、ずっと無理だ。
そして、彼との別れを悲しまないなんてことも、無理だ。
私にとって。初めての悲しい別れなのだから。






























「え・・・・・・?そこで終わり?」
「そう、終わり。蓮子さんの初恋話は以上!」

大学近くのカフェテラス。いつも講義が終わったらやってくるお馴染みの場所だ。
そこにこの私、宇佐美蓮子と、我が同士たるマエリベリー=ハーンことメリーは居た。
構内のカフェも悪くはないのだけれど、私達はこちらを最近は好む。
理由は・・・・・・。

「全く。途中まで甘かったから食べるのも止めてたのに。終わりはそれかぁ」

メリーが今再び口にした、ショートケーキ。
そう、ここのケーキは美味しいのだ。
その上あまり学生も集まらない古風な、静かな店。悪くない。

「そう言わないの。初恋は叶わないからロマンチックなのよ。
 ・・・・・・まぁあの時はあれが恋だなんていう意識は零だったけどね」

私は苦笑しながらそう言う。そもそも私のこんな話をしたのは彼女が初めてだ。
彼女は私にとって大事な友人であり、相棒でもある。
今の私は、世の渡り方も覚えて、また、世界も大人になったからか友人も沢山出来たが、その中でも彼女は特別だ。

――結界を視る眼。

彼女の眼は、そういう眼だ。
彼女相手には気持ち悪い、なんて笑って言っているけど、私は内心では安心を覚える。
あぁ、私にも仲間は居たんだ、と。彼の言っていたことは本当だったんだ、と。
彼女と出会ったのは大学で、本当に偶然のことだった。
だけれど、それはやはり運命なのだろうか。そんなことを夢想する。





「けれど、蓮子の初恋ねぇ。正直あなたに色恋沙汰は無縁だったと思ったわ」

――だが、ケーキを頬張りながら雑誌を捲る彼女が、そんなことを言って現実に引き戻してくれた。

「あら、随分失礼な発言ね。愛の光なき人生は無意味なのよ?」
「蓮子からそんな言葉を聴く日が来るとはねぇ。詩人ですこと」
「・・・・・・むぅ。馬鹿にされてる気がする」

そんなことを言って、膨れてやる。
すると、メリーも冗談よ、などと笑いながら私の頬を突っつく。
くすぐったい。

「そういうメリーはどうなのよ?何かあるんじゃないの?」
「んー。まぁ、ないこともない、かな」
「何よそれ」
「まあまあ。今度話してあげるわよ。あなたの素敵な思い出の後にはちょっと話せないわ」

そんなことを茶化すようにして言う。
私は顔を真っ赤にする。大抵のことは気にしないで生きていけるようになったと自負しているが、流石にこれは恥ずかしい。

「でもほんと意外ねぇ。蓮子ってそんな小さいころにこんな素敵な彼氏が居たんだ」
「彼・・・・・・!違うっ。違うわよ!付き合ってなんかいないし、っていうか付き合うような歳じゃなかったし!」
「あれだけ嬉しそうにさんざ語って?そんなに毎日のように一緒に居て?
 というかその能力の告白って実際の告白も一緒にしてると思うけど?
 それとあの手紙の内容で?付き合ってないなんていうんだ?へー、ふーん?」
「うぐぅ・・・・・・」

実に愉しそうに眼を細め、悪戯な笑みを浮かべて突いて来る我が友人。
全くもってむず痒いではないか。
だがそれを悪くないと思える自分が居るのも、また事実だった。
私は、恥ずかしさを振り払うように、自分のモンブランを口にする。
美味しい。美味しいが、今はその能天気な甘さが沁みるようだった。

・・・・・・そもそも、私がこんな恥ずかしい目に遭わなくてはならない理由は。
今、メリーが捲っている古びた雑誌にある。

中の内容は、彼・・・・・・○○の研究成果がでかでかと特集されたものだ。
写真にインタビューまである。
彼は研究者として優秀だったらしい。
科学雑誌などをアーカイブから探してみれば、掲載論文の中に彼の名が、それなりの数散見された。
思わず私は幾つか借りてきて、このカフェテラスで読み耽っていた。
そこに、メリーが偶然やってきてその現場を見られ・・・・・・そこから先は言うまでもない。
・・・・・・私が自爆したのだ。
で、根堀葉堀聞かれてこの有様と、そういうわけだ。

「・・・・・・まぁ、まだエピソードはあるんだけどね」

小さく、独り言のように呟く。
それを耳ざとく聞きつけるのが我が相棒な訳ではあるが。

「そうよねぇ。あれで終わりなわけないわよね?」

クスクスと彼女は笑いながら私に先を促す。
あぁもうこうなれば全部話してしまおう。後で倍返しするつもりで。

「彼が残した封筒は1つじゃなかったのよね。もう1つ、あったのよ」

そう――彼は封筒を2つ残していった。
1つは別れを私に告げるための手紙。
もう1つは・・・・・・大きくなった私へ。
そう。彼は小さかった私だけでなく。未来の私にも、メッセージを残してくれたのだ。

「内容は・・・・・・んー」
「何よ。勿体ぶって」
「何ていえばいいのかしら。ちゃんとした事情についての説明とか、私に対する心配ごととか・・・・・・まぁそんな感じのことがつらつらと」
「へぇ・・・・・・」

目の前の彼女は組んだ手に顎を乗せて、今までより一層気味の悪い笑みを浮かべている。
・・・・・・傍目から見ればニコニコした金髪美少女なんだろうけど、私にはどうにも。
微笑ましいものを見るような目に見えて、気持ち悪い。

「何よ、ニマニマ笑って。気持ち悪い」
「べつに~?なんというか遠くに居る恋人からの手紙みたいだな~、なんて微塵も思ってないわよ~?」
「・・・・・・あぁ、成る程。そういうこと」

私は。彼女のそのからかう様な言葉に、どこか冷たい返事をした。
慣れた、とかじゃない。ただ、私にとって。
彼が本当に『遠い』場所に居ることは事実だったから。

「おかしいわね。随分と反応が変わったじゃない」
「まぁ、ねぇ」

あらかたケーキは食べ終えたので、食後の珈琲を啜って間を作る。
うん、ほろ苦い。

「私が彼に会うことは・・・・・・ないかも、しれないから」
「・・・・・・そういえば疑問だったわ。それだけあなたが想う彼にどうしてあなたは連絡を取らないのか
 今のあなたなら連絡を取ることも・・・・・・いや、頑張れば会うことも可能な筈なのに」

メリーも、何となく話の方向を察してか、真顔に戻る。
うむ、その察しのよさは流石は我が相棒。
・・・・・・などと心の中でふざけて頷いて見つつ。

「うん。もう1つの手紙の方には、連絡先も書いてあった。
 その頃には割り切って大人の付き合いが出来るだろう、という彼の配慮だったみたいね
 けど、私は手紙を1つ送るに留めたわ。”いつかあなたの隣に行くからそれまで待ってて”と」
「ほんっとに一途ねぇ・・・・・・。蓮子も案外乙女だったのね」
「ははは・・・・・・で、ここからが問題。彼が研究していたものは何だったでしょう?」
「そりゃ物理学・・・・・・いや、待って。そういえば」

それだけじゃなかった、とメリーは思い出したようだ。
そう、話のほんの一欠けらに混ざっていて見逃しちゃいそうなるかもしれないけれど。
彼はもう1つ、研究していたものがあった。
彼女はそれを、忘れてないでくれたようだ。

「そ。幸か不幸か小さかった私にはさっぱり分からなかったけれど。
 言葉だけは焼きついていたし、その件についてはもう1つの手紙でも説明されていた。
 彼が個人で進めていた『結界』の研究。これはつまり――」
「私達が追っているものと同じ、ということ?」

正確には彼の追っていたものを私達も追っているんだけれどね。
と、心の中で苦笑し。

「正解。じゃあここで更に問題。もしそのもう1つの手紙の方に。
 『僕が行くところは神隠しに類似したケースが多い。僕はそれを調べるつもりだ』
 などと書かれていたら、この場合起こりうることは?」
「まさか・・・・・・彼は神隠しに?」
「或いは、だけれどね。単純に何か事件に巻き込まれたとかも、あるけれど」

私は頷いて、1つの新聞記事を取り出し、何年か前のなのだけれど、と前置きしてメリーに見えるように差出した。
デジタル端末で検索をかければ一発なのだろうが、私個人はこういったアナログなものに何故か執着がある部分があった。

「なになに・・・・・・?△△国西部で××大学の研究者失踪・・・・・・?これって・・・・・・」
「そ。○○は、今。行方不明」
「嘘・・・・・・っ」

メリーは口元に思わず手を当て、驚いた顔を見せた。
蓮子は事実を知った時に、自分の中で気持ちの整理をしたから、平然とした風を装えているが。
――内心は、まだ動揺があった。
気持ちは整理しているつもりだったのに。
行方不明。そんな単語を口にするのが苦しい。
こういうところで、まだやはり割り切れていないのだな、と思う。

「こういうとメリーは怒るかもしれないのだけれど」

私はそうやって前置きした。
この友人に嘘はつきたくなかったが、それでもこのことを言えば、私のことを軽蔑するかもしれない。
見捨てるかもしれない。付き合いをやめるかもしれない。
そんなことを、思ったから。

「私はやっぱりまだ○○の幻影を見ている。
 幻想の世界、結界の向こう側。それらに私の興味があるのもまた事実だけれど。
 その原点はやっぱり○○にあって。彼がもしも向こう側に居るなら、私も、なんて思いもちらりとあって。
 ・・・・・・私は、まだ彼を追っている。ここまでくると一途というよりただの馬鹿なのだけれどね。
 秘封倶楽部を作って、こうして色々なものを追って、探しているのも、やっぱりそこなのよ。
 ・・・・・・メリーには嘘をつきたくないから全部打ち明けるわ。
 あなたはとても大事な友人だし、素晴らしい仲間だし、掛け替えのない相棒なのだけれど。
 やっぱり私は彼を忘れられないの。どう思う、かしら?」

言った。一思いに、言い切れた。
私の、奥底に潜み続けてきた、思い。
私が進める、原動力の全て。

「どうもこうも、ねぇ・・・・・・」

その割りにメリーは淡白な反応だ。
そして弄んでいた手元のティーカップをカタ、と置き。一言。

「私が怒る理由が何処にあるのかしら?」

あっけらかん、とこう言ってのけた。

「い、いやほらだって。なんというかメリーを蔑ろにしてるように思われてもおかしくないかなとか!
 何でそんなことに私はつき合わされなきゃいけないのよとか!
 そういう・・・・・・!」

私は、思わず捲くし立てた。
それに対し、はぁ・・・・・・とため息を彼女はつく。

「あのね。私は貴女と出会えて良かったと思っている。
 そりゃあ待ち合わせには毎回遅れるし、毎度毎度色んな所に連れまわされて、たまには勘弁と思うこともないわけじゃない。
 あなたのテンションや行動に付いていけないこともあるしね」

そこまで言うか、と蓮子は思った。
まぁ事実が事実なので、否定しようがなく、反論も出来ないが。

「・・・・・・けど。だけど宇佐美蓮子という人間は。
 これ以上なく凛々しくて、前を向いていて。
 簡単にはへこたれなくて、ひたすらに・・・・・・一途で。
 私はとっても素敵で魅力ある友人だと思っているのだけど?
 そして、そんなあなたと一緒に活動する、この秘封倶楽部が、大好きなの。
 ・・・・・・あなたは違うのかしら?」

ね?、などといって小首を傾げて微笑んでくるメリーを見て蓮子は思った。
あぁ、勝てないな、と。
けどそれ口説き文句じゃないだろうか、この天然女、とも同時に思ったりした。
私が女だから良いもののそれ男が相手だったら120%陥落してるぞこんちくしょう。

「・・・・・・メリーは凄いなぁ」
「?」
「いや、なんというか私も友人に恵まれたな、って。後ごめん。変なこと言った」

これも本心だ。本当に救われた思いがした。
何処か晴れやかな気持ちでまだ残っていた珈琲を再び啜る。

「まぁ蓮子が私の恋人とかなら嫉妬の1つや2つしてここで修羅場やるでしょうけどね。
 でも違うし。あくまで良き友人だし」
「ぶふぅっ!?」

噴いた。盛大に。そして噎せた。

「けほっ、ごほっ・・・・・・!」

ドンドンと胸を叩いてみる。痛い。
そしてクッションがないことを実感し心の中で泣いた。
――こんなとこで悲しい気持ちになってもなぁ。
というか周りの視線が痛い痛い痛い。

「メ、メリー!」
「何よ。でも本当のことでしょ?」

にやにやと笑っている。こいつ、絶対確信犯だ。
後で絶対復讐する。そう誓った。これは確定事項。決定。
脳内国際蓮子さん会議の最高決定である。

「ま、まぁ言いたいことは分かったわ」
「そりゃようございました」

要は友人なんだから、自分の好きで付き合ってるんだから気にするな、と言いたいのだろう。
彼と私は関係が違う、と。そう言いたいのだ。表現の仕方こそアレだが。
・・・・・・全く、難儀な相棒である。最高なのは間違いないが。

「それで?どうするの?本気であの世界・・・・・・あちら側を目指すんでしょ?」
「えぇ。そのための資料はかき集めてきたわ」

借りてきたものをどっさりと積み上げる。やっぱ時代は流れても本は良い。

「とりあえず片っ端から当たってみるつもり」
「ま、私も協力するわよ。そりゃもう全面的に。蓮子がここまで想い続ける人、この目で見ておきたいですわ」
「やめてよ・・・・・・。恥ずかしいから」

赤面する。やっぱり何度言われても慣れない。
あぁもう言うべきじゃなかったとか思ったり、けど言って楽になったなと思ったり、凄い複雑な思い。

「うむ、やはり○○さんのこととなるとレアな蓮子が見れて良いわ~♪」

眼福眼福、とばかりに上機嫌な語調のメリー。
・・・・・・あぁ、もう。

「・・・・・・むぅ。ともかく、後は○○の昔居た大学で世話になったって話してた教授。
 その人なら何か知ってるかもしれないと思うから当たってみたいなと思ってる」
「露骨に話を逸らしたわね・・・・・・ま、良いでしょ。で、その人って今何処に?」
「んー、今も同じところで教授してるんじゃないかな・・・・・・。
 まぁ東京だからヒロシゲに乗れば直ぐよ」
「ふぅん。まぁ今度の休み、取り敢えず行ってみましょう。何か手がかりがあると、良いわね。
 絶対にあちらに行きたい理由も出来たことだし」

手伝うわ、と彼女は笑いながら言ってくれた。
あぁなんて有り難いことか。
私はそれに対し、力強い決意で答える。

「えぇ。・・・・・・必ず」

これ程力強い相棒が、友人が、力になってくれると言ってくれたのだ。
一緒に、あちらに行きましょうと言ってくれたのだ。
ならば、出来る。諦めかけていたけれど、出来る。
私はメリーとなら、出来ないことはないような、そんな心持で居た。





本当は、少し疑っていた。彼が居なくなったこと。そのこと自体もそうだったけれど。それ以上に。
居なくなった理由。それは神隠しによるものなのか。人によるものではないのか。
何度も思った。苦労して苦労して、仮に幻想の世に届いても、あの人は居ないのかもしれないと。
・・・・・・けれど、構うものか、と思った。信じよう。
彼は、きっと待っていてくれてると。自分の背中を追っている私のことを。
もしかしたら、呆れてるかな。或いはもう忘れちゃってるのかな。
けれど、彼ならきっと覚えていてくれて。あの手紙を信じていてくれて。
そして、会ったら、笑いながら。私達のことを、迎えてくれる気がする。
何故か、そう思うのだ。そう思わせてしまうのだ。彼は。
――だから、私は忘れられない。諦められない。



































私はあなたのことを忘れることが出来ませんでした。
私は今でもあなたのことを想っています。
必ず。あなたの元に、追いついて見せるから。
いつかの手紙の約束、果たして見せるんだから。
だから待ってて。○○兄、いや。○○。
そしてまた、あの輝く夏の夜を、メリーも入れて、再び。
そう、あの祭りの約束をも、再び。

――私は、最高の相棒と共に、遠き地の最愛の人へ、会いに行く。





「だから、待ってて。○○」




新ろだ2-267,2-279,2-317
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※注意事項というか前置き
この作品は蓮子を題材とした長編、『真っ直ぐな瞳を持つ君と』の続きです。
(URLはttp://www26.atwiki.jp/propoichathre/pages/1627.html)
まずはそちらをご覧いただければと思います。
(蛇)の名を冠しているのはその名の通り蛇足編だからです。
もしも、もしも。もっと違う結末を思い描いてくださっていたならば。
そうであるべきだと思ってくださったならば。
この作品は1つの有り得た結末にしか過ぎない、と考えていただければ有り難く思います。




















――それはきっと。有触れていてつまらない。けれど素晴らしいハッピーエンド。





いつも通り、目が覚める。カーテンから漏れる陽光が眩しい。

「ん・・・・・・んん」

意識が徐々に覚醒していく。このまどろみが少しずつ醒めていく。
自分は赤ん坊ではないから、夢心地からは覚めねばならない。
そして徐々に身体の感覚を取り戻していく。
寝汗がべっとりと服に染み付いている。気持ち悪い。
身体もまだ倦怠感が残っている。少なくとも、気持ちの良い寝起きとは言えなかった。

「・・・・・・んぅ、んー」

何となくゴロゴロと横たえていた身体を転がしてみる。
誰かが見てたら呆れていただろうが今の私は一人暮らし。その心配はない。
が。

「・・・・・・飽きた」

というか気力が続かない。それでも起きねばならないのが困ったものだが。
――あの友人がこんな姿を見たら笑うのだろうなぁ、似合わないなんて。
そんなことを思いながら、ゴソゴソと起き上がり、ボサボサな髪を掻きながら。
とにかく着替えないと、と思い。あたりを探す。
・・・・・・両親が見たら怒るだろうなぁ、この部屋。

「そういえば。○○兄と一緒に寝たことも、あったなぁ」

ようやく探し出した着替えに袖を通し、ボタンを付けるうちに、そんなことを呟く。
ふと、思い出した。

そう。子供ながら家出した時だ。
彼は仕方ないなぁ、と苦笑しながら一晩過ごしてくれたのだ。
勿論しっかり次の日には家に送られ。また、○○と両親にはきつく怒られたのだが。
・・・・・・たった一夜の思い出。けれど鮮明に残っている。
一緒に寝たときはどことなく高揚感があって。一杯お喋りをして。
そして気持ちよく眠った。・・・・・・寝起きも自分には珍しく爽快な気分だったっけ。
何故だろう・・・・・・。今考えても納得いく理由は搾り出せない。

「また食べたいな。一緒に朝食を」

そんなことを、思う。やはりどこまでもその想いの残滓は捨てきれない。
自分でも馬鹿みたいだな、と思うこともある。けれど、馬鹿なんだから仕方ない。
現実は、残酷だ。夢は、とても優しい。
ならばこのままいっそ、覚めない眠り姫にでもなってやろうか。
そんなことを何度思っただろう。
後から出来た友人達が・・・・・・、メリーが居なければ、今頃そうなっていたかもしれない。
自分を現実に繋ぎ止めている糸に、少しばかり感謝する朝だった。
だって。

「現実の中にこそ、幻想はあるのだもの。夢は、その紛い物にしか過ぎないわ」

そう。それが、私が諦めることなく進む大事なものだから。
メリーが聞いたら怒るんだろうなぁ。いやまぁ現代の常識そのものなんだけどさ。
夢と現実に違いがない、っていうのは。・・・・・・けど、やはり現実にこそ価値がある。
そう、私は考えている。信じている。

「よっし。とりあえずまぁ、活動開始と行きますか!」

いつものネクタイも締め。ハットを被り。宇佐見蓮子は元気に外の世界へ。
今日も良い日でありますように。











「ごめーん、待ったー?」
「17分32秒遅刻」
「あはは、ごめんごめん」

このいつもの会話が愛おしい。そう、最近思える。
いつものように遅れちゃったけれど。
相方はむくれながらも待っててくれて。
有り難いなぁ、と思う。
まぁ こ の 顔 が 見 た い か ら 遅 れ る ん だ け ど ね !
よし、そこの外道と思ったやつ、正直に手を挙げなさい。
鉄拳制裁してあげるから。

「・・・・・・蓮子ぉ?」
「はっ。ごめんごめん、ちょっと考えごとしてた」
「はぁ。まぁいいけど。妄想への旅立ちは後にしてよね」

すっかり怒る気力をなくしたのか呆れたようにため息をつく彼女。

「全く。貴女が遅れる時間込みで時間設定して正解だったわね」
「ふふん」
「そこ威張らない!」

全くもう、と呟きながら時計を見るメリー。
もうちょっとで出発かな。

「やだっ、もう出発時刻直ぐじゃない」

と思ったらもうだったようだ。

「あらら」
「あららじゃなくてー!あぁもう、行きましょ!」





そうして手を引いて一緒に乗り込むのは卯酉新幹線「ヒロシゲ」。
京都と東京を僅か53分で繋ぐ新幹線だ。

「便利は便利。けれどいい加減飽きるわねぇ」
「メリーったら乗る度にそれ言ってない?気持ちは分かるけれど」

この新幹線の売りである半パノラマビューからのカレイドスクリーンの映像。
それはとてもリアリティある情景で、素晴らしくもあるのだが。
どうにもこの二人の肌には合わない。
偽物という意識故に。

「でも、本当にその教授は居るの?無駄足は嫌よ」
「ふっふっふ~♪ちゃあんとアポ取っておいたわよ、この蓮子さんにお任せ!」

そう。東京に向かう理由。それは。
彼がお世話になったという教授に会いに行くため。
幸いにして大学に連れて行ってもらった記憶が活きた。
それを元に調べ、連絡をどうにかつけたのだ。

「向こうも私のことは覚えていてくれてて。なんかくすぐったい気持ちだったなぁ」
「へー。どんな人?」
「んー・・・・・・」

思考を巡らせる。記憶の糸を辿る。

「・・・・・・若い人、かなぁ」
「なにそれ」

メリーは苦笑した。
どんな人って言われてそれはなにそれと言われてもおかしくない。

「いや本当なんだってば。
 まぁ確かに今時、教授になるのに凄い年季を要するなんてことはなく、実力と実績次第だけど。
 それでも若すぎる感じ。だって、学生と見た目全然変わらない、ううん。学生より下手したら若かったんじゃないかなぁ」
「・・・・・・へぇ」

思い出しながら語る。
そう、そうだ。そんな感じの人だった。
その場の誰よりも活発で誰よりも行動的で、その癖誰よりも思慮深い。
子供ながらに、いや子供だからこそ。彼女の持つ才気というものを感じたものだ。

「天才ってああいう人のことを言うんでしょうね、きっと」
「プランク並の頭脳を自称する蓮子がそこまで言うなんて余程なのね」
「まぁ私にとっては・・・・・・大事な人の恩師、ってことになるんだろうしね。あー、けど」
「けど?」

メリーは私の言葉に小首を傾げる。
あぁもう可愛いなぁこんちくしょう。

「イチゴが大好きな超甘党だったし、たまに子供っぽかったりもしたなぁ。そういう意味では年齢相応だったのかしら」
「甘党と年齢は関係ないと思うけどね・・・・・・」
「そうかもね。頭脳労働には糖分が欲しいし」

そう言いながら私も持ってきたチョコレートを口に放る。ん、甘い。
今もあの人は。助手と学生を振り回しながらも、楽しそうに研究に勤しんでいるんだろうか。
少しだけ楽しみになって私はふと笑みを零した。










「いらっしゃい。良く来たわね」
「お久しぶりです。教授もお変わりないようで」

アポイントメントを取っておいた甲斐があった。
大学で私達の名前を出すと直ぐにこの部屋まで通してもらえたのだ。
しかし、本当に変わりがない。
その燃えるような赤に染まった姿も、若々しい声も。
彼女・・・・・・岡崎教授は十数年経った今尚も、若き天才研究者で在り続けていた。

「そういう貴女は随分大きくなったわね。あのやんちゃ娘が・・・・・・」
「あれから何年経ったと思ってるんですか。私も成長しますよ」
「ふふ、それもそうね。・・・・・・そちらは?」

それでもやはり記憶よりは大人びたような笑みを浮かべ、彼女は私の相方を紹介してくれ、と話題を振った。
で、その肝心のメリーは、初対面の人と会う時特有の居心地の悪そうな雰囲気で私のほうを縋る様に見てきた。
・・・・・・可愛いじゃないか。

「あ、私の学友のメリーです。専門は相対性精神学」
「マエリベリー・ハーンです。蓮子の言うとおりメリーで構いません。初めまして。岡崎教授」

私が紹介すると、慌てたようにメリーはぺこりと頭を下げながら自己紹介した。

「メリーさん、ね。よろしく。岡崎夢美よ。まぁ、何処にでも居るようなしがない教授。だからそう硬くならないで頂戴」
「い、いえ。岡崎教授の高名は専門が違えど私達学生は存じていますよ」
「異端者として、ね。と、そんなことは良いわ。ちゆり!お茶を用意して差し上げて」

はいよ、と手をヒラヒラと振りながら部屋を出て行く助手・・・・・・ちゆりさんを見ながら私はふと呟いた。

「・・・・・・本当に、変わってないですね。何も」
「そうね。そうかもね」

少しだけ。少しだけほっとしたような気分だった。
まだここには私の知っていたものが、人が居たのだと。
あの時のことは夢ではなくって。現実だったのだと。そう思えたから。

その後、ちゆりさんがお茶に入れるイチゴジャムを忘れ、岡崎教授にラリアットされるまで奇妙な沈黙が続いていた。





「・・・・・・さて。本題に入りましょうか」

ようやく落ち着いて教授は話を切り出した。

「貴女のことは良く覚えてるわ。そして今になって訪ねてきたのは・・・・・・彼のことね?」
「はい。私は彼を追いかけるように学問の徒になりました。そして、彼の足跡を見つけました」
「ま、そうなれば気になってしまうのも無理はない、か」

そう教授は呟くと息をついて背もたれに身体を預けた。
その様子は何かを思案しているように思える。
まぁ実際どう話を持っていくかを考えているのだろう・・・・・・そう私は考えながらも出していただいたロシアンティーに口をつける。
うん、美味しい。

「どうでもいいけどロシアンティーっていえばジャム、ってなんで定着したイメージなのかしら」
「さぁ?名探偵蓮子さんに分からないものは私にも分からないわ。確かにあっちでは甘いものは良くお茶請けにされるらしいけど」
「誰が名探偵よ誰が」
「私はイチゴジャム入れるけどね」
「「「それは教授だけだと思います」」」

・・・・・・まさか助手の人とまでハモるとは。

「相変わらず好奇心は旺盛なのね」
「蓮子は永遠に夢見る少女の心と大人な頭脳を併せ持つ人間だと思ってます」
「あはは、確かにそうかもしれないわね。メリーさん」
「・・・・・・むぅ」

なんというか褒められてる気がしない。
かといって馬鹿にされてるわけでもなさそうだから力いっぱい反論する気力はなくなる。
結果和やかな雰囲気があたりを包んだ。

「そんなことより。このままではいつまで経っても用件が済まないわ」
「そうね。それじゃ・・・・・・彼の研究していたことについては、知っているのかしら」
「はい。物理学だけではなく、結界についての研究を行っていたと」
「そう。彼は結界、と呼ばれる空間の境を研究していた。・・・・・・それがどういうことか、分かるかしら」
「それはある種の異空間への探求・・・・・・結界の存在そのものは認められているけれど、
 それは触れてはいけないタブーともされている・・・・・・」

そう。結界は存在する。そしてそれを探求するのが秘封倶楽部なのだ。
現に・・・・・・メリーと一緒に私達は不思議な体験を幾度もしている。

「そう。彼は結界の先に未だ見ぬ・・・・・・まさに未知のものを求めた。
 彼は口癖のように言っていたわ。幻想とされるものがそこには在るはずだと。
 そしてそれを解き明かし、人類の知を広げる――幻想と科学文明の統一を果たして見せると」
「・・・・・・そんなことを」
「えぇ。凄い大志だと思わない?私も変わり者で通ってるけど、流石に驚いたわ。
 そしてそれは決してただの夢いっぱいの妄想なんかではなく、それを実現しようと本気でもがいていた。
 そしてそれだけの才もあった。初めてだった。・・・・・・同類に出会ったのはね」
「・・・・・・」

そういえば、この人も。魔法の存在を証明して見せる、って大騒ぎを起こしてたんだっけ。
・・・・・・同類。確かにそうなのかもしれない。
あの人と、彼女と、そして・・・・・・今の私達。
私達は、きっとその二人の道を今辿っているのだろう。
教授は、真剣な眼差しで私のことを見つめた。
私の思いを確かめようとしているのかもしれない。

「・・・・・・それでも、貴女は彼を追いかけたいの?」
「はい」
「茨の道よ」
「はい」
「何が起こるか分からない。それこそ、命さえ賭けることになるのかもしれない」
「それでも、です」

私は言い切った。自分の覚悟を確認するように。
自分の覚悟を伝える為に。
暫しの沈黙の後、教授は目線を外して、溜息をついた。

「はぁ。貴女も変わらないわね。あの時のまーんま。
 ただひたすらに真っ直ぐな眼で、求めるものに向かってる。
 ・・・・・・そんなにまで、彼のことが大事なのね」
「私にとって、最初の大事な人ですから。
 そして、どんなに大変でも挫けない自信も有ります。
 だって今の私は一人じゃないですから。最高の相棒が、ここに居てくれる。
 それだけで、私は前を向ける。そんな気がするんです」
「・・・・・・ですってよ。メリーさん。止めるなら今しかないけど?」
「止める気なんて有りませんよ。私はハチャメチャで足を前に進めてく蓮子が好きだから。
 そんな歩みを止めることなんて出来ないです」

それは私達の、決意。
愚かなのかもしれないけれど、だけど言い切ってすっきりと、無性に気持ちよく感じた。
そして教授は腕を組み。

「成る程ね。貴女達の思いは分かったわ。
 揃いも揃って、大馬鹿なんだから。彼も、貴女達も、・・・・・・私も」

・・・・・・クスリ、と笑んだその顔はとても印象に残った。

























それから、少しばかり、時は流れて。少女が、親に電話する光景。
それはきっと有触れていて。けれど、少しだけ違った。
それは――最後に自身を吐露し、その上で決別を決意する為の、電話。

「私、ね。星や月から時間と場所が分かっちゃう眼を持ってるんだ。凄いでしょ?」
「あはは、少し違うって?お母さん、それは時計が狂ってるんだよ。私の眼時計は、そんなのよりずっとずっと正確なのよ?」
「なんでこんな時間に電話って?・・・・・・何となく。寂しかったから、じゃ駄目かな」
「ふふ、じゃあね。・・・・・・バイバイ」





その日こそが、宇佐美蓮子と、その相棒が世界から消えた日だったのだと。
知る者は、居ない。































「それが、君の辿った軌跡・・・・・・かな」
「うん。私、頑張ったんだよ。また、あなたに会うために」
「ほんと。蓮子ったら○○さんのことになると眼の色が変わったんだから。
 あ、それは今でも変わらないか」
「・・・・・・そうか。頑張ったんだね」
「ふぁ・・・・・・」
「全く、妬けちゃうわね。人前でイチャイチャと」
「うふふ、メリーも早くいい人見つけるがいいー」
「はいはい。お邪魔虫は退散するわ」
「――あぁ、そうだ。メリーさん」
「はい?」



「蓮子の力になってくれて、有難う。そして――ごめん」
「はぁ、・・・・・・敵わないわね。
 謝られることなんて、何もないから、気にしないでよ。
 私は、蓮子の隣が好き。幸せな蓮子を見ているのが好き。それだけの話なの。
 勿論友達として、相棒として、ね。・・・・・・あなたも、蓮子が好きなんでしょ?
 だからこそ――いや、そもそも、これだけの愛に応えないなら私はあなたを――」
「それは、大丈夫。もう二度と、彼女を悲しませたりはしない」
「・・・・・・安心したわ。それが聞けて」
「メリーも心配性ねぇ」





















「世界を違えても一緒になったカップルは、永遠に結ばれたも同然なのよ」

・・・・・・それは、幻想の一欠片。
1つの奇妙な物語の、恐らくは幸せな、1つの結末。


Megalith 2011/01/06
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最終更新:2011年06月24日 23:14