「よっこらせ、と」

 朝の陽ざしが窓から差し込む中、○○は新しい中身を足した水瓶を所定の位置である流しの横に据えた。
 電化製品の揃った○○と文の家だが、冷水を供給する水道はない。
 風呂場の蛇口からは間欠泉から引いたお湯が出るが、冷ますのも大変なので、水は井戸から汲んで瓶に溜めている。
 実際なかなかの重労働だし、文に任せてしまった方が効率もいいのだろうが、○○はあえて水汲み役を買って出ている。
 蛇口を捻るだけではないこの作業がなんとなく好きだったのが半分、男の意地で力仕事を請け負ったのがもう半分といったところだ。

「さて、こんなものかな。文もそろそろ帰って――」

 蓋と柄杓を瓶に乗せたちょうどその時、玄関のドアが開く音がした。





「いやー、あちこち飛び回って汗かいちゃいました」

 居間のちゃぶ台に荷物を置くと、文は台所へと向かう。
 荷物と言ってもほとんどが新聞――
 ここしばらくの取材で撮りためた弾幕写真を元に文が書き上げ、ついさっき幻想郷中に配られたばかりの文々。新聞最新号である。

「評判はどう?」
「上々ですよ。今回は最近の異変で中心にいた方の弾幕写真も載せてますからね」

 水瓶の方に足を進めながら、文は背中ごしに○○へ答えた。

「あ、瓶の水さっき足したところだからまだ冷たいと思うよ」
「すみませんねえ――紅魔館では『なかなか面白い』って言ってくれて、いつもより多めに取ってくれましたよ」

 文は柄杓を取り、瓶から水を汲んで口元に運ぶと、あおるように飲み干した。
 柔らかなのどが動く様子は、健康的な魅力を感じさせる。

「ああ、おいしいです」
「これ、俺も読んでいい?」
「……どうぞどうぞ。お待たせした分の面白さは保証しますよ」

 今回の新聞に掲載された記事は、まだ○○も読んでいない。
 文が自信作だというので「後のお楽しみ」にしていたのだ。

「どれどれ……」

 床に座り、わくわくしながら新聞を広げる。
 文々。新聞の最新号を読むのは、まだ文と付き合う前、幻想郷に来たばかりの頃からの楽しみの一つである。
 今では単に楽しみというだけでなく、愛する文の努力や熱意が形になることを喜ばしく思う気持ちもあった。

「――ほぅ」

 思わずため息がもれる。
 まず目に飛び込んできたのは、鮮やかな彩りに満ちた数々の弾幕写真だった。

「今回の写真はまたすごい迫力だな」
「そうでしょうそうでしょう。苦労して撮りためた写真ですからね」

 誇らしげな文を横目に、○○は記事の内容へと目を移す。

「……この、『凶暴な人食い妖怪』って」
「いやあ、けっこう本気で襲ってくるので大変でしたよ」

 記事に添えられた写真には、大きな桶にすっぽりと納まった少女が写っている。

「この間水汲みしてる時に会ったよ」
「おや、そうですか?」

 それとなく視線をそらす文だが、悪びれた様子はない。

「飴あげたら喜んで帰っていったんだけど……本当にそんな危険な妖怪なのか?」

 咎めるような響きこそないものの、文に向けられた○○の視線は多分に呆れ笑いを含んでいる。
 読んでいて楽しいと思う気持ちと、内容の信憑性は別問題である。
 文を愛し、信頼しているとはいえ、記事に書かれたことを鵜呑みにしているわけではない。

「そうは見えないけど実は、っていう方が、読者の興味をそそるんですよ。実際はどうあれ」
「……やれやれ」

 冗談めかした大げさなため息をつく○○の傍に、文がすとんと腰を下ろした。

「ネタなんてのは、なければ自分で作るものです。
 多少不興を買ったところで、どうこうされるほどやわではありませんしね」
「うーん、文のスタイルなんだろうから俺には止められないけど。
 あんまりやりすぎない方がいいとは思うよ?」
「そうですねえ。まあ、もし満身創痍になるようなことがあったら、○○さんお世話してくださいね?」

 甘えるように文がすり寄って来る。

「そりゃもちろん、ちゃんと看病はするけど……」
「手取り足取り、隅々までお願いしますよ?」
「まずそんなことにならないよう祈ってるよ。さて――え」

 紙面に目を戻し、他の記事を読み進めていた○○の表情がこわばった。

「今度はどうしました?」
「文、これ……」

 先ほどと違い、○○の顔には笑いが浮かんでいない。
 理解できないものを見てしまった不安と驚きに、顔が青ざめている。



 記事は山の白狼天狗、犬走椛についてのものだ。
 ○○と文の共通の友人であり、一方ならず世話になってもいる。
 特に文とはずっと以前からの親しい間柄で、とても仲が良い。
 ○○もそのことをよく知っている。
 だというのに、この記事はどうしたことか。
 内容は椛の新作スペルカードについて取り扱ったものだ。だが、
 「同氏は大天狗寄りの立場である一方、鴉天狗に対しては日頃より敵対的であり……」などといった文面には、日頃の文との仲の良さは感じられない。
 写真についた脚注も「本紙記者に対して容赦のない攻撃を加える犬走氏。激しい敵意が感じられる」とある。
 知らない者がこの記事を読んだら、二人はずっと以前からひどい不仲であったかのように思うだろう。

「いったい……」
「――ああ、○○さんにもちゃんと話しておけばよかったですね」

 問いかける○○に、文は困ったような笑いを浮かべる。

「とりあえず、ケンカしたとかそういうことではありませんので」
「じゃあ、何故こんな」
「最近天狗の新聞で、近場を取材するのが流行ってるんです。たまには身内に目を向けて、ってことで」

 椛の記事と並んでにとりが写っている辺り、文も例外ではないように思えてくる。
 その割には他人事のように話しているところを見ると、文自身は流行に乗っているつもりはないらしい。

「で、白狼天狗なんかがよく取材対象になってるんですが、中でも椛は人が良いので特に狙われやすいんですよ。
 いい加減哨戒の仕事にも差し支えが出るようになって困ってたので、ちょっと対策を取ろう、と」

 写真の中の椛は、○○が見たことのないような真剣な表情で弾幕を放っている。 
 山への侵入者に対峙する時の椛はこんな感じなのかもしれない。

「『文々。新聞の射命丸が取材に行ったところでついに椛の堪忍袋の緒が切れて、新作のスペカで反撃された。
  普段仲のいいあいつがあんな記事を書く辺り、相当きつい弾幕のようだ。これは相当怒ってるようだし自重するか』
 と、そんな風に思わせるための記事なわけですよ」
「ははあ」
「そうならないまでも、これをきっかけに椛は堂々と取材拒否ができますからね。
 椛だって真剣にやれば強い方ですから、並大抵の相手なら追っ払ってしまえるでしょう」
「なるほど」

 文の意図を理解し、○○は頷いた。
 そんな○○を見る文の顔は満足げだったが、どこか物憂げだ。

「……なんだか元気ないみたいだけど」
「え?いえ、本来なら、ネタを自分で作ることはあっても、狙って事実に干渉するような記事は書かないのが信条ですから。
 自分で決めたことですから後悔なんかしませんけど、それでもまあ、ちょっと複雑なところはあるんですよ」
「ああ……そういうところ真面目だよな、文は」

 そう言って○○は、招き入れるように腕を伸ばした。

「ほら、おいで」
「――あ」

 ごく自然に、文が腕の中へ身体を預けてくる。

「……よしよし」

 心地よい黒髪の感触を手のひらに感じながら、○○は小さな子供にするように文の頭を撫でる。
 正直なところ、○○には文が正しいかどうかの判断はつかない。
 それでも、文が悩みながら選んで、まだどこかで悩んでいる選択肢を肯定してやりたかった。

「――長いこと生きて長いこと新聞作ってますから、こんなことが全くなかったわけじゃないんですよ」

 気持ち良さそうに撫でられていた文が、幾分安心したような声でぽつりと囁く。

「うん」
「でもこうして○○さんが傍にいてくれるおかげで、今までよりも早く元気が出そうです」
「……そうか」

 微笑を浮かべる文をより深く抱き寄せる。
 自分が多少は役に立てているような気がして、○○は少し嬉しかった。



「とりあえず椛を嘘つきにするわけにもいかないので、しばらく会わないでおこうと思います」

 ちょっと寂しいですけどね、と、文が苦笑する。
 四六時中会っているわけではなくても、会うことができないとなると寂しく感じる。
 友達ってそういうものだよな、と○○は思う。

「そんなに長いこと会わずにいなくても済むんじゃないかな。
 記事の効果で、椛から注目が逸れるのも早くなるだろうし」
「だといいんですけど」
「……もしもさ、俺と文が実は仲悪いとかいう記事が出回ったらどうする?」

 文を元気づけたいのに加えて多少のいたずら心で、○○は訊いてみる。

「それはひどいデマですねえ」
「風化するのを待つ?」
「いえいえ、そんな悠長なことは言ってられません。
 疑いようのない誤情報だとわかるように、たっぷり見せつけちゃいましょう」

 実に楽しそうに笑いながら、文は事もなげにそう言った。





 数日後。
 天気がよかったので、二人は家の近くで草の上に寝転がり、日光浴をしていた。

「そういえば、椛は?」

 椛とは会わずにいるものの相変わらず取材や配達で外を飛び回っている文に、
 気にかけていることを尋ねてみる。

「ええ、目論見がうまいこと当たったのもあって、取材の鴉天狗も来なくなりました。
 ……一人の例外を除いて」

 背中から文が取り出したのは、○○には見慣れない紙名の新聞だった。

「あんまり見たことないな。えーと、はな、か、こ?」
「かかしねんぽう、って読むんですよ。まあ、人気のない新聞ですからね」

 椛のスペルカードを難なくいなす技量があるのか、それとも根性で撮影にこぎつけたのか。
 確かに紙面には椛の写真と記事が載っている。

「生意気に文々。新聞の対抗新聞記者(スポイラー)になるなんて言ってましてね。
 まあ熱意だけはないでもないみたいですけど、本格的な取材は始めたばかりのひよっこですよ」
「スポイラー、か。じゃあ文もますますがんばらないとな」
「ええ。そこで○○さん、一つお願いがあるんですけど」
「ん?」 
「がんばれるように、おまじないのキスしてください」
「お安い御用だ」

 並んで寝そべったまま、○○と文の唇が重なった。
 しばらくそうした後、名残惜しそうに身体が離れる。



「そう言えば、さっきの新聞」
「花果子念報ですか?」
「相手はどんな感じの記者さんなんだ?」
「ああ、それはですね――」

 応えようとした文が、弾かれたように傍らの葉団扇を取った。
 一振りするとともに飛んだ風の弾が、少し離れたところにある茂みを撃ち抜く。
 が、それより速く、茂みの中から何かが飛び出してきた。間一髪のところでかわしたらしい。

「ふふん、人間なんかと……その、えーと、い、イチャついてるなんて、スキャンダルもいいところね!」

 何故か少し頬を赤らめながらこちらを見ている少女。
 頭の左右で髪をまとめ、背中には文と似たような黒い翼、手には携帯電話のようなものを持っている。

「ライバル紙記者の醜聞なんて、スポイラーにはまたとないスクープ!さっそく記事にしてやるわ!」

 一瞬、強い光が襲いかかる。
 ○○が目を開くと、目の前にいた少女は既に飛び去っていた。

「――あんな奴ですよ。花果子念報記者、姫海棠はたて」

 心底呆れた、といった声で文が言葉を続けた。

「……うん、よくわかった」

 ○○も、とりあえずそう口にするのがやっとだった。

「俺と文のことって少し前に散々記事にされてたけど、スクープになるのかな?」
「ならないでしょうね。引き篭ってたせいで、もう旬を過ぎたネタだって知らなかったんでしょう」

 顔を見合わせ、やれやれとため息をつくと、二人は再び寝転がって日光浴を始めた。

「○○さん、腕枕してくれますか?」
「ん、いいよ」
「えへへ。疲れたら言ってくださいね、私の羽を枕にしてあげますから」





 後日。
 「『胸やけしそうなぐらい甘いカップルの日常を、初心な記者が照れながら記事にしている』のが
 透けて見えて、読んでいるとついにやけてしまう」ということで、
 ○○と文の記事を載せた花果子念報が大人気を博することを、二人はまだ知らない。


Megalith 2010/10/31
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「と、とりっかとりー」

 遠慮がちに戸を叩く音と、小さな声が聞こえてくる。
 そういえば今晩はハロウィンだったな、と思いながら、○○は玄関に向かった。

「はいはい……お?」

 戸を開けると、そこには何だかコロコロした生き物がいた。

「あ、あの……とりっかとりー」

 背丈は○○の腰ぐらいだろうか。
 もふもふした白い髪と耳の、白狼天狗の子供が三人。

「よし、ちょっと待っててね」

 作ってあった南瓜のパイを小さく切り分け、紙に包んで台所から持ってくる。

「はい、どうぞ」
「ありがと!」

 嬉しそうにパイを受け取る子供達。
 人数分が行きわたったが、まだ何だか戸惑っている様子だ。

「どうしたの?」
「あ、あの」
「にんげんってはじめてみるんだけど、ちょっとさわらせてもらってもいい?」

 山から出たことも、入って来る人間に接することもまだないのだろう。
 珍しそうにこちらを見ているのが微笑ましい。

「いいよ」
「ほんと?」
「やったあ!」

 屈みこむと、小さな手がぺたぺたと触れてくる。
 可愛らしいが、少しくすぐったい。

「……ふんふん」

 やはり人間よりも嗅覚が重要な情報なのか、感心したように感触を確かめていた一人が、○○に顔を近づけて匂いを嗅ぎ始めた。

「……なんだか、からすてんぐのひとみたいなにおいがする」
「それは○○さんじゃなくて私の匂いです」
「あ、ぶんぶんまるだ!」

 奥にいた文がいつのまにか傍に来て、子供達に優しい目を向けていた。
 文は小さい子に好かれる性質らしく、反応も明るい。

「○○さんは私のものですからね。ちゃんとわかるように匂いをつけてるんですよ」
「そうなんだあ」
「その代わり私も○○さんのものですから。嗅いでみてください。
 ほら、鴉天狗とはちょっと違う匂いもするでしょう?それが人間の、というか○○さんの匂いですよ」
「ふんふん……ほんとだ!」
「おいおい」

 小さい子相手に言うべきことではないような気がして焦る○○とは裏腹に、
 子供達は納得がいったらしい。

「そろそろかえるね!」
「ばいばい!」
「おかしありがとう!」
「……良いのかなあ」
「良いんですよ」

 手を振りながら帰っていくのを見送ってから、戸を閉める。



「ああいうお客さんが来るってことはさ」
「え?」

 部屋の奥でごそごそと何かを探している文に、○○が声をかける。

「俺も少しは、妖怪の山に受け入れてもらえてるのかな?」
「ええ、最近は結構馴染んでると思いますよ……あ、あったあった」

 奥から再び出てきた時、文の頭には魔法使いのような帽子が載っていた。

「文、その帽子は?」
「せっかくですから私もやろうと思いまして。Trick or Treat?」
「じゃあ、トリートの方で」

 南瓜のパイを一切れ取る。

「はい、あーん」
「あーん」

 文が口を開いたところに、それを差し入れる。

「ん、おいしいですね」
「よかった、やっぱり文にそう言ってもらえるのが一番嬉しいよ」
「○○さんが作ってくれたと思うと、なおさらおいしく思えますよ」

 見るからに幸せそうな顔で、文は口の中の甘味を堪能している。

「……ごちそうさまでした。さて」

 すっ、と、文が○○の眼を覗きこんでくる。

「トリートのお礼ですが、お菓子の用意がないもので」
「?」
「トリックでお返ししましょう」
「え、トリックかトリートどっちかなんじゃ……!」

 ○○の唇を、不意打ちのキスが塞いだ。


Megalith 2010/10/31
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「○○さん、これもお願いしますね」

 よく晴れた空の下、雪が降る前にと二人で布団を干すことにした、冬も間近い秋の朝。
 敷布団を物干し竿に架け終わった○○の元に、文が分厚い掛け布団を運んできた。

「大丈夫ですか?ちょっと重いですよ」
「おーらいおーらい……お、本当だ、結構重たい」
「冬布団ですからね」

 空いたところに架け、手で軽くはたく。
 春先にしまい込んだきりだった布団から、うっすらと埃が立った。

「朝晩は結構冷えるようになりましたし、厚いのにしておこうと思いまして」
「そうだな、そろそろ替えとこうか」
「○○さんと一緒の布団だから、そんなに寒くはないですけどね」

 嬉しそうに文が言い放った言葉が、毎晩眠る時のことを○○に思い出させる。
 柔らかな感触とどこか落ち着く匂い、そして包み込むように伝わってくる体温。

「……うん、それは俺もあるな。毎晩すごくよく眠れる」
「まあ風邪引いてもいけませんからね、ちゃんと冬仕様でいきましょう」

 降り注ぐ光に夏のような強さはないが、それでも空には雲一つない。
 晩には陽射しをよく吸いこんだ布団で眠れそうだ。



「しかしようやく秋が来たと思ったら、あっという間に冬だなあ」
「まだ辛うじて秋、ってとこですかね」

 遅くやってきた秋は早くも冬に追われようとしていた。
 一際冷たい風が吹き込み、○○は思わず身を縮める。

「うわっ、寒い。……こういう秋の寒さを詠んだ俳句あったな。
 ええと――そうそう、『物言えば 唇寒し 秋の風』だったっけ」
「俳句というか、格言ですね」
「そうだっけ?」
「余計なこと言うとひどい目にあいますよ、とかそんな意味ですね。口は災いの門、みたいな感じで」
「あー……」

 心の中にぴたりとはまるものがあり、○○は納得のいった表情で深く頷いた。

「どうしたんですか○○さん、私の顔をじっと見て」
「いや、そう考えると文に合った言葉だなと」
「あ、失礼ですねえ」
「だってさあ」

 言葉として口に出すのではなく、記事や取材でという形ではあるが、
 それで時折痛い目に遭う文には、まさしく打ってつけな言葉だと○○は思う。

「いいですよ、どうせ私は余計なことばっかり言って唇が冷え切ってますよ。
 ああ、秋風が沁みますねー……というわけで」
「で?」
「○○さんがちゃんと温めてください、私の唇」

 そう言って、文が大げさに唇を突き出す。
 ○○は笑いながら、そこに自分の唇を押しつけた。





「……来ないな」

 夜。寝床の中で、○○は独り寝返りを打った。

「まだ書いてるんだろうな。先に休んでてくださいとは言われたけど」

 普段なら一つ布団で文が寝ているところだが、急に原稿書きのインスピレーションが来たらしく、
 「筆がのってきたので、もう少し続けます」とのことで、まだデスクに向かっている。 

「今晩は特に冷えるからなあ」

 河童製の電気ストーブを点けるよう勧めたのだが、
 暖かくすると眠気で集中力が途切れるからと、断られてしまった。
 そう返されるとそれ以上は何も言えなかったが、○○としては少し心配だ。



 ――とは言うものの、日向に干してあった布団には抗いがたい力がある。
 いつしか○○は意志に反してまどろみ始めた。 

「……○○さん?もう寝てますか?」
「うーん」

 足音を立てないように文がそっと部屋に入ってきた、ということに頭では気づいたが、
 反応を返すほどには身体が動かない。

「失礼しますね」

 裾をめくり、文が身体を滑り込ませてくる。足先が○○の脚に触れた。

「つめたぁっ!?」
「わぁっ!?」



「すみません、起こしちゃったみたいですね」
「いやいや、起きてるつもりだったんだけど、ちょっとうとうとしちゃって」

 暖かな冬布団の中、○○と文は向き合って身を横たえていた。
 すっかり目が覚めた○○は全身で抱え込むようにして文にくっつき、体温を分け与えている。

「こんなに冷えちゃって」

 夜の寒気に冷たくなった身体をさするようにして温めていると、次第に熱が戻ってくる。

「まあその分、集中して原稿が書けましたから」
「これからもっと寒くなるんだから、風邪引かないように気を付けなよ?」
「はぁーい」

 甘えるように応えると、文は○○に軽いキスをした。

「おやすみなさい、○○さん」
「おやすみ、文」





 外で鴉や雀の鳴く声がする。陽の短い季節のためまだ外は暗いが、夜明けも近いと思われる。

「朝か……しかし、寒いなあ」

 眠い目をこすり、あくびを一つすると、○○はつぶやいた。
 首から下は暖かいが、その分顔に当たる空気の冷たさが感じられる。

「文はまだ寝てるか。一応起こしとこうかな」

 そっと揺さぶると、安らかな寝顔を見せていた文が小さく唸る。

「……むー」
「朝だよ、文」

 名残を惜しみつつ○○が布団の外へ這い出ると、文は反対にもそもそと中へ潜り込んだ。

「おーい」
「……今の私は、清く正しい美少女新聞記者ではなく、一匹のしがないヤドカリです。
 静かに眠っているところなので、殻から引っ張り出すようなひどいことはしないでください」
「目、覚めてるだろ。そんなこと言えるってことは」

 頭から被った布団をはがして起こそうかとも考えた○○だったが、少し迷って思いとどまる。

「まあ昨夜もがんばってたしな。気が向いたら鴉天狗に戻ってくれよ」

 着替えて、部屋を暖めて、朝食の支度をして。
 一区切りついて、まだ寝てるようならもう一度声をかけようか。
 そんなことを考えながら立ちあがった○○の脚がくいと引っ張られる。

「○○さん」
「……なんだい?」
「もうちょっとヤドカリでいたいんですが、独りだと寂しいんですよね」

 布団の奥の暗がりでは、いたずらっぽく笑う顔が○○を誘っている。



 ……数分後、柔らかくて暖かな殻の中には、幸せそうに二度寝を堪能するヤドカリのつがいがいるのだった。


Megalith 10/12/13
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「ただいまー」

 夕方、○○は長めの散歩から帰ってきた。
 なんとなく空気を読んで出かけたが、雪に覆われた山のそこかしこを歩き回っているうちに結構な時間が過ぎていた。

「おかえりなさいっ、○○さん!」

 元気に○○を迎えた文は、エプロン姿だ。
 フリルのついた白い布地に、ところどころ焦茶色の粉がついているのが見て取れる。

「寒かったでしょう? ささ、温まってください」
「ありがとう。――ああ、生き返るなあ」

 ストーブが隅で赤い光を放っている部屋の中は、心地よい暖かさに満ちていた。

「ところで――問題です。今日は何の日でしょう?」

 冷えた手をストーブにかざしている○○に、文が楽しげに問いかけてくる。 

「んー、なんだっけなあ……煮干しの日?」
「違わないけど違います。もう、○○さんったらわかって言ってるでしょう」
「はは、ちゃんとわかってるって。バレンタインデーだよな?」
「はい、正解です! ……ちゃんと作ってありますよ、チョコレート」 

 そう言いつつ文は、台所から小皿を持ってきた。
 ココアパウダーをまぶされたチョコレートが皿の上に載せられている。

「今年はトリュフチョコに挑戦してみたんですよ」
「お、おいしそうだな」
「後でラッピングしたのをちゃんと渡しますけど、とりあえず味見してみませんか?
 もうすぐ晩御飯ですし、一個だけ」
「そうだな……じゃあ、いただこうかな」
「はい! それでは」

 文の白い指がチョコレートをつまむと、○○の――ではなく、自分の口に運ぶ。

「ん~」
「ん……あむっ」

 子を養う親鳥のように、文は口にくわえたチョコレートを○○の口にそっと舌で押し込んだ。





「実は、もう一つプレゼントがあるんですが」

 夕食の後、チョコレートを○○に渡した文がおもむろに切り出した。

「え、本当に? わあ、なんだろう」

 チョコレートだけでも十二分に嬉しかったところにそう聞いて、○○の胸が期待に膨らむ。
 プレゼントは目に付かないように隠してあったらしく、
 文は一端席をはずすと、ややあって包みを持ってきた。

「外の世界には『だうんじゃけっと』というものがあると聞いたもので
 ――作ってみようと思ったんですが」
「……ダウンジャケットを?」
「はい。ただ、なんだか別のものになってしまって……」

 文に促され、○○は包みを開いた。

「これは……」

 外の世界にいた頃の記憶から手繰り寄せたイメージと、
 広げられたそれはかなりかけ離れている。それはあえて表現するなら、

「……羽織?」
「写真に出ていたようなのは作れそうになかったので……
 でも中身は手製というか、自家製というか、まあ特別ですよ」

 手触りのいい生地でできたそれはどう見ても羽織だったが、
 当初の目標がダウンジャケットだったことを考えなければなかなか良い出来だ。

「着てみてもいい?」
「どうぞどうぞ。ちょっとゴワゴワするかもしれませんが」

 手伝ってもらい、袖を通す。
 文の言う通り、ところどころに硬く細いものが入っているのがわかる。
 とはいえ不快なほどではないし、厚みがあまりない割になかなか暖かい。

「いいね、これ。着心地もいいし、何だかすごく落ち着くよ。ありがとう、文」
「えへへ、お気に召したようで何よりです」
「確かにちょっと硬いような感触があるけど……ダウンではないよな、中身はなに?」

 満足げに微笑む文に、○○は気になっていることを尋ねた。

「知りたいですか?」
「うん」
「私の羽根です」
「え」

 ○○の顔がこわばる。
 とっさに頭をよぎったイメージは「鶴の恩返し」だった。

「心配しなくても、自然に抜けたものだけですよ?」
「ああ、それならよかった」

 ほっと胸をなでおろす。
 贈り物はとても嬉しいけれど、そのために文が心身をすり減らすのは○○の本意ではない。

「ほんとは『だうん』って胸の羽毛とからしいですね。
 でも、私は胸に毛なんかないですし――」
「うん、それは知ってる」

 顔を見合わせた二人の頬が、ほんのりと赤く染まる。

「と、とにかくそういうわけで、羽根を中に詰めてるんですよ」
「なるほど、それならこの落ち着く感じも納得いくな。
 文の羽で包まれてるみたいなものだものね」
「そうですね、でも」

 文が○○をそっと抱きしめる。
 それとともに、背後から広がった翼が二人を優しく包み込んだ。

「直接包まれたくなったら、いつでも言ってください?」
「うん……ああ、なんだか甘くていい匂いがする」
「ふふっ、チョコレート作ってましたからね」
「いやいや、文の匂いが」
「もう、そんなこと言うなら私も○○さんの匂いを堪能させてもらいますからね」



 そのまま二人でしばらく過ごしていた時間は、チョコレートより甘やかなものになった。


Megalith 2011/02/19
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「文、ちょっとこっち来てくれる?」

 気になったことがあれば、思案にとらわれずに動いてみる。
 文と付き合うようになって、彼女に感化されたところだなと○○は思う。

「はい、なんですか○○さん」

 呼ばれてやってきた文を、○○はいきなり抱きしめた。 

「あややや、どうしたんですか○○さん? なんだか積極的ですよ?」
「ん、ちょっとね」

 適当にはぐらかしつつ、文に頬ずりする。
 血色の良い、滑らかな頬の感触が心地よい。

「……いえ、決していやではないですけど」

 背中に回した手を動かす。
 ちょうど翼のある位置だが今はしまってあるので、柔らかさの下で肩甲骨の硬さが手に触れた。
 小さな子をあやすように優しく撫でさする。

「あ……」

 吐息とともに身体を預けてきた文の重みを受け止めつつ、
 ○○は背中から腰へと手を回して抱き寄せた。
 それに応えるように、文の腕が愛おしげに絡みついてくる。

「文」

 漠然と抱えていた疑問は確信に変わりつつあった。  
 意を決して口を開く。

「……はい」

 耳元で文が、熱っぽく囁く。 




「……ちょっと太った?」




 劇的な変化、というわけではないが、最近そこはかとない違和感があった。
 違和感の正体を確認しておこうと改めて触れてみた文の身体は、以前より柔らかさを増しているような気がした。 
 直接問いかけたのは、最終確認として、だったのだが――



 答は返ってこなかった。
 その代わりに、○○の背中に回した腕に力が込められた。

「痛たたたた!」
「ははは、おおげさですねー。ちょっとかるくちからをいれてるだけですよ?」

 妙に平坦な声で笑いながら、文はさらに力を強める。
 軽くというのは天狗基準でに違いない、と○○は思ったが、
 指摘するほどの余裕はなかった。








「すみません、取り乱してしまって」

 ようやく我に返った文が放してくれたのは、○○が気を失いかけた頃だった。

「いや、こちらこそなんというか、その、ごめんなさい」

 介抱を受けて落ち着いた○○は、文の膝枕に頭を載せてもらっている。
 以前よりクッションの効きがいい、とぼんやり考えたが、さすがに黙っておく。

「それで、ですね。さっきの質問への答えですが」
「う、うん」
「自分でも気になっては、いたんですが」
「……?」
「……確かにちょっと……いえ、だいぶお肉が、増量気味というか……」
「……なんか、本当にごめん」

 眉をひそめ唇を噛みしめた文の表情を下から眺めていると、苦痛と屈辱が伝わってくるようで、
 既に散々締め上げられていることも忘れて、○○が強い罪悪感を覚えるほどだった。



「あー、原因はなんだろうな?」
「……それがわからないんですよね」

 雰囲気を変えようと、○○は努めて明るく話題の方向を微修正する。
 気を取り直したのか、取り直そうとしたのか、ともかく文も乗ってきた。

「運動不足、ではないよな」
「ええ、取材に配達に飛びまわってますからね」
「食事は……でも同じもの食べてる俺はあんまり変わらないしなあ」

 ○○一人で暮らしていた頃に比べれば食べる量は増えたかもしれないが、
 食事の内容が割合と健康的なこともあってか、別段太ったりということはない。

「あとは、精神的なものとか」
「……ストレス?」
「いえ、特にそんなことはないですよ。○○さんと一緒だと毎日が幸せですし……あ」

 文は何かに思い当たったらしく、ぽんと手を打った。 

「むしろ幸せで気が緩んで、それが身体の緩みにつながってるのかもしれませんね。
 あまり聞いたことないですけど、他に思い当たる節もないですし」
「そんなことあるのかな?」
「妖怪の身体なんてけっこう単純なところがありますからねえ」

 困ったものですね、と視線をあらぬ方に向けながら、文が苦笑する。

「でもそれなら、まだ安心だな。どこか悪いとか、不健康だとかいうわけじゃないなら」
「うーん、そうは言ってもやっぱり女の子としては気になりますよ」
「文」
「はい?」

 呼ばれて覗きこんだ文の頬に、○○は優しく手を添える。

「なんとなく気になったってだけのことで、
 俺は多少文の体型が……その、変わったところで別にどうっていうことはないから」
「○○さん……」

 幸せだからというのが原因であるなら、あまり気にせずに、心おきなく幸せでいてほしい。
 そんな気持ちを込めた○○の言葉を、文は嬉しそうに聞いていた。






「でも、逆もまた然り、ってこともありますよね」
「逆?」

 引き続き膝枕を堪能していた○○に、文が声をかけてくる。

「○○さんのためにやせなきゃ、って考えたら、
 それだけでも、元の体型に戻れると思うんですよ」
「うーん」

 いくらなんでもそんなに簡単にいくものだろうか、と○○は内心思ったが、水は差さないでおく。

「そんなわけで、何かこう、私がそういう気持ちになるようなこと……
 できれば○○さんの、嘘偽りのない想いみたいなのを私に言ってくれませんか?
 『俺、スレンダーな文の方が好きだな』とか」
「そうは言ってもなあ……あれ、今のもしかして俺の真似?」
「はい。似てません?」
「自分ではよくわからないから、評価は今度椛とかに訊いてくれ」

 ○○は考え込んだ。
 とりあえず、文が妙な声色で挙げた具体例は、○○の『嘘偽りのない想い』というものにはならなそうだ。

「本当の気持ち、じゃないとだめかな?」
「ええ、その方が効果があると思うんですよ」

 こうだったら嫌いになってしまう、というようなことは思い浮かばない。
 が、文が言ったような『こういう感じの方が好きだ』というのはまだありえそうだ。
 しかし期待に応えられるような言葉はなかなか出てこない。

「『抱き上げやすい重さの方がいいな』……いや、それは俺が鍛えればいいんだから、そうでもないなあ……」



「やっぱり、あんまり余分な重みがない方が、速く飛べる?」

 ○○が口を開いたのは、それからひとしきり悩んだ後である。
 大げさに言えば文の優劣をつける作業、想像以上に難産だった。

「そうですね、筋力で飛んでるわけでもないですけど、
 バランスとか空気抵抗とかはけっこう大事ですから」
「うん、そういうことなら」

 そうつぶやくと○○は文の膝から頭を上げ、身体を起こした。
 振り向いて差し出した手につかまり、文も立ち上がる。

「えーと……こほん」

 姿勢を正し、文の両肩に手を置くと、大きく一つ呼吸して、○○は口を開いた。

「自信たっぷりの笑顔で飛んでる文を見るのが、とても好きだよ」
「……はい」

 ○○の眼を見つめながら、文が微笑を浮かべて頷く。
 考えに考えて捻りだした言葉ではあるが、まさしく「嘘偽りのない気持ち」である。

「だから、速く飛べるように身体のコンディションを整えててくれた方が、嬉しいかもしれない。
 ……こんなところでどうだろう?」
「はい、わかりました。
 ――ありがとうございます、○○さん。これなら効果がありそうです」

 言いながら○○の方によりかかってきた文を優しく受け止め、○○は背中に腕を回す。
 今度は確認のためではなく、純粋に愛情を込めて。

「……でも本当に、俺は気にしないからね?」
「私も、○○さんはそれで私を嫌いになったりはしないってわかってますけど」

 恥ずかしそうに、文が○○の胸に顔を埋める。
 文のことだから黙ってただ待つだけでなく、
 あれこれと努力して元通りの身体に戻そうとするのだろうな、と○○は思う。
 いずれ確実に、元通りスレンダーな文に戻ることだろう。

(今の抱き心地もこれはこれで気持ちいいけれど)

 手櫛で文の髪を梳くと、心地よく甘い匂いが立ち上った。

(以前も今も、こうして文を抱きしめるのは変わらず幸せだよ)

 言葉には出さない。そうするまでもなく、文もわかってくれているだろう。

(大事なのは、腕の中に大好きな文がいてくれることだから)

 温かな想いを胸に、○○は一層強く文を抱きしめた。

Megalith 2011/07/16
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  • 川遊び(○○)

 大きく息を吸い込んで、眼を閉じる。
 ……せーの、で思い切って頭を水に潜ってみる。
 暑苦しい蝉の鳴き声がとたんに聞こえなくなって、代わりに水が流れる低い音が耳に入ってきた。
 外の暑さに火照った顔が、一気に冷やされていく。
 眼を開けると水の中はびっくりするほど透き通っていて、顔のすぐ前を悠々と魚が泳いでいた。



 毎日暑くていい加減ばててるところに、文が

「涼みついでにどこかへ泳ぎに行きませんか」

 と提案してくれたので、二人で妖怪の山を流れる谷川へ遊びに来ている。
 ちょうど淵になっているところで、深さも足がつくくらいだから、ちょっとしたプールみたいなものだ。
 こうして冷たい水に浸かってると、汗に塗れながら暑さにぐったりしてたのが嘘みたいに思えてくる。
 ……浸かってるだけでも気持ちいいけど、それじゃ行水と変わらないか。
 不器用な蛙みたいな感じで泳いで(?)いると、視界の奥で何かが動いた。
 それが一対の白い脚だと気が付いたので、水の中から頭を出して声をかける。

「おーい」 
「あ、○○さんそこにいたんですね」

 少し離れたところに立っていた文は笑って手を振ると、全身を水中に沈めた。
 再び水に潜ると、俺の方に向かって勢いよく泳いでくる文が目に入った。
 上からきらきらと差し込む陽の光に照らされた白いセパレートの水着と、
 水の流れに額を露わにしながら揺れる黒髪が対照的で、とてもきれいだ。

(なんだか、夢を見てるような……)

 本当に、水の中を活き活きと泳ぐ文の姿は、現実離れした美しさだった。
 よりによって幻想郷でそんな風に考えるのも変かもしれないけれど。
 ……ぼんやりとそんなことを考えていたら、息が苦しくなってきた。
 立ち上がって空気を吸いこんだちょうどその時、文の顔が目の前に現れた。

「ふふ、捕まえましたよ、○○さん」

 文の引き締まった腕が俺の頭を抱き、唇と唇が触れる。
 ああ、さっきは『現実離れした』なんて考えが浮かんだけれど。
 この柔らかさは間違いなく現実だ。



 あまり川の中にいると身体が冷え切ってしまうので少し温めることにした。
 日当たりのいい岩の上にうつ伏せになると、身体の裏表両面から熱が伝わってくる。
 どうやらここは絶好の日向ぼっこポイントらしい。
 耳を岩に当てて中にたまった水を抜いたりしていると、ぺたぺたと湿った足音が聞こえてきた。
 どうやら文も水から上がってきたみたいだ。

「いやー、すっかり冷えちゃいました……よいしょ」

 声と足音がすぐ傍までやって来たかと思うと、
 すべすべでひんやりとした柔らかさが、陽射しで温まっていた背中を覆うように押しつけられた。

「あったかいですね……あ、重くないですか?」
「大丈夫だよ。むしろちょうどいい重みで気持ちいい」

 俺の上にうつ伏せで重なっている文に答える。
 実際、ほどよい重みで岩の上に平べったく延ばされる感触は、泳ぎ疲れた身体に心地いい。

「なんだかこうしてると、亀みたいだな」
「亀、ですか」
「うん」

 親亀の上に子亀を乗せて、なんてのが頭に浮かぶ。

「亀も悪くないですね……もうちょっとこうしてていいですか?」

 耳元で囁いた文にうなずく。
 陽射しもちょうどいい具合だし、川面を渡ってくる風も涼やかだ。
 このまま二人で昼寝するのも、悪くないかもしれない。





  • 文明の利器?(椛)

「文さーん、○○さーん、いますかー」

 呼び鈴を押しつつ声をかけてみた。
 ここ数日とにかく暑いので、大丈夫かなと思って寄ってみたのだけど。留守かな?

「椛? 鍵開いてるから入ってー」

 いたいた。声を聞く分にはとりあえず文さんは元気そうだ。
 お二人の家では、河童製の『かでんせいひん』の試験運用をやっているそうだから、
 何か涼しくなるような機械があって、意外と暑さは問題にならないのかもしれない。



「お、いらっしゃい椛。今日も暑いな」

 縁側の近くにちゃぶ台を置いて書きものをしていた○○さんが、笑顔で出迎えてくれた。
 額の汗を拭っているところを見ると、暑さと無縁というわけでもないのかな。

「何書いてるんですか?」
「……ちょっとにとりのところに送るレポートを」

 そう言って天井を指差す○○さん。指の先では、回転する翼のついた機械が天井にぶつかり続けている。
 なんだかさらなる高みへ上昇しようとしてるみたいだけど……

「扇風機に飛行機能は必要ないって言っとかないと。プロポまで付いてたけどすぐ操作不能になったし」
「はあ……」

 よくわからないけど、多分本来はああいうものじゃないんだろうな。

「椛、こっちに来てみて」

 文さんが手招きしてる。あれ、あんまり暑そうじゃない?

「ここに座って?」
「はい、よいしょ……あれ」

 涼しい。すごく涼しい。文さんと私の前に置いてある箱から、なんかひんやりした空気が出てる。
 やっぱりこういうすごい機械があるんだ。

「ね、涼しいでしょ?」
「すごいですね……これも『かでんせいひん』なんですか?」
「ううん」

 あれ、違う?

「外の世界には『クーラー』っていう機械があるって○○さんから聞いたんだけど」
「ちょっと作りようがないから、せめて雰囲気だけでも再現すれば記事のネタになるかもと思って……」

 と、眼の前の箱がガタガタと揺れ出した。何事かと思っている内に箱の蓋が開いて――

「ねえ、もういいー?」

 あ、麓の氷精。



「里に行った時にチルノに会って、協力してもらったらクーラーが再現できるんじゃないかってことになってさ」
「さ、約束どおり『ちゃんとした』っての教えてよね。氷は出したげるから」
「ちゃんとした、ってなんですか?」
「ああ、クーラーもどきに協力してもらう代わりに、水味じゃないかき氷がどういうもんか教えることになってて」
「○○さん、ここでいいですか?」

 種明かしをしてもらってるところに、文さんが部屋の隅から何かの機械を持ってきた。

「うん、そこでいいよ」

 ちゃぶ台の上に置かれた機械の蓋を開けると、
 ○○さんは次々と作られる小さな氷を受け取る傍から放り込んでいった。
 ハンドルがついてないけど、どうもかき氷を作る機械みたいだ。

「椛も食べてくでしょ?」
「――いただきます」

 少し冷気に当たっていたとはいえやっぱりまだ暑いし、中から冷やすのはとても魅力的だ。

「まあ俺は手回しの方が風情があっていいと思うけど、人数もいるし」

 スイッチが押されると、機械は粉雪のような氷を器に向けて噴き出した。



「なるほど、みんなこういうのが好きなのね」
「おいしいか?」
「うん! あたいはみずあじもおいしいと思うけど、こっちも悪くないわ」
「ほらほらチルノさん、これ食べると舌が真っ赤になるんですよ」

 わいわいとにぎやかな部屋の中、私も器から赤い氷をすくって口に運ぶ。
 ああ、おいしい。内側からすぅっと涼しくなる。

「あー、ほんとだ! あたいも赤い?」
「赤いですねえ。鏡見てみます?」
「まだ食べるなら言ってくれれば作るからね。他の味もできるし」

 ……なんだかこうしてると、新婚の夫婦と親戚の子、とかそんな感じに見えるなあ。

「ん、どうした椛? 食べたいなら遠慮しなくていいよ?」

 まあ、言わないでおこう。変に意識しちゃうかもしれないし。

「すみません、それじゃあお願いします」

 今度はどの味にしようかな?





  • 鍋(はたて)

「こんばんはー」

 玄関を入ると、ちゃぶ台を囲んでる文、椛、それから文のカレ。

「あ、はたてさん来ましたよ」
「いらっしゃい」
「先に火だけ点けさせてもらったわよ、さ、座って座って」

 さほど長い付き合いでもないけど、文とはなんというか、腐れ縁というか。
 なんていうの、強敵と書いてともとか、そんな感じ?
 新聞作りでは相変わらずライバルだけど、それ以外も含めれば、最近は角突き合わせるだけの間柄ってわけでもない。
 だからこうして、晩ごはんに誘ってくれるのは素直に嬉しい。

「鍋?」
「そう。暑い時こそ熱い鍋ってのもいいでしょ」

 煮立ってる鍋の中身は、なんか赤い。多分辛いんだろうなー。
 ま、普段一人だと鍋とかなかなかやらないし、確かにこういうのもいいかな。

「今日は猪鍋よ」
「ご近所で狩ったのをお裾わけでもらったので、せっかくだから文さんとこに持ってきて皆でと思って」

 鍋の中では人参とかキノコとかと一緒に、赤白のコントラストがきれいな肉がぐつぐついってる。

「それじゃあ、はたてさんも来たことだし……」
「始めましょうかね」

 あー、なんかお腹へってきたー。



「やっぱりこの時期の陽射しは鴉天狗にはきついわね」
「だよねー。羽根が黒いとどうしてもね。その点、椛はそういうのないでしょ?」
「色は白くてもこの毛ですからね。夏毛に生え換わってもこの時期やっぱりつらいですよ」

 取り留めのない話をしつつ、お酒をちょっと一口。くぅ、沁みるわー。

「はたてさん、肉よそおうか?」
「……あ、ども」

 よそってもらった熱々の肉を一切れ噛みしめる。
 肉の旨みと脂の甘み、それを後から追いかけてくる唐辛子の辛さが絡み合ってて、おいしい。
 身体が熱くなって汗が噴き出てくるけどいやな感じじゃなく、むしろすっきりする。
 にしても……

「はい、椛も」
「ありがとうございまーす」

 あまり会うことのない人間の男だってのを差し引いても、『友達のカレ』ってのはちょっと落ち着かない、微妙な位置だ。
 まあ何度か記事のネタにして、そんなとんでもない奴じゃないのは一応わかってるけどね。
 ていうかむしろ、はっきり言って割りと何の変哲もない人間だ。文のやつ、どこに惚れたんだろ?

「ちょっとはたて」
「ん?」
「さっきから○○さんのこと見てるけど」
「え、私そんなだった?」

 まあ考え事しながらついぼーっと見てたかもしんないけど、そんなジト目でにらまなくても――

「あげないわよ? ○○さんは私のだからね」

 って、なんだそりゃ。

「あほか! 取らないわよ!」

 人をなんだと思ってるのか、失礼にも程があるわ。
 っとに、取材合戦の時なんかはギラギラしてるのに、こういう時の文ってば
 ――何て言うの? ネジが外れてるって言うか、すっかり色ボケしてるんだから。

「まあまあ。ほら、文も肉取ってあげるから器を」
「……あーん」

 文は器を渡さずに、口を開けた。
 うわ、目線をこっちにちょっと向けるあたり、見せ付けてるっぽい。
 カレの方はカレの方でちょっと戸惑ってたけど、箸で鍋から肉を取って、

「ふー、ふー」

 ……冷ましてやってる。
 多分こっちは見せ付けてるわけじゃなくて、文に火傷させないようにほとんど無意識にやってるんだと思う、けど。
 うあー、甘ったるくて見てるこっちがむずむずする。

「はい」
「あー……ん。――ん、おいしいですね」
「……なんか暑くなってきたわ」

 手元のお酒を飲み干すと、椛がおかわりを注いでくれた。
 何を言うでもなかったけど「その内はたてさんも慣れますよ」って言ってるようなにこやかさで。
 あんまり慣れたいものでもないなあなんて思いつつ、ぐいっと酒をあおった。





  • 縁側(文)

「ん……」

 あややや、うとうとしてたみたいですね。

「あ、起きた?」

 ○○さんの優しい声が聞こえて、頭の下が少し動きました。
 少し硬いけどあったかい、○○さんの膝枕。
 晩御飯の後、月がきれいだからと二人で縁側に腰を下ろして。
 日中は暑くても山の夜風は気持ちのいい涼しさで、ブタの蚊遣りから漂う煙は夏を感じさせる匂いで。
 ○○さんに甘えてちょっと膝を枕にさせてもらったら、つい眠りかけてしまいました。

「あんまり良く寝てるようだったら、運んで布団敷こうかと思ってたとこだよ」

 柔らかく髪を撫でてくれる手に、なんだかまた眠く……と、いけません。

「や、起きます起きます」

 言いつつ起きてはみたものの、まだぼーっとしますね……ちょっと○○さんの肩によりかからせてもらいましょう。
 ――ああ、なんだか安心します。

「瓜、切ろうか」

 そういえば、せっかくだから縁側で食べようって言って持ってきてたんでしたね。

「食べちゃいましょうか」
「ん、じゃあちょっと待ってて」

 さくさくと気持ちのいい音がして、目の前に瓜が一切れ。
 ごく自然に差し出されたそれに、ぱくりと――

「甘い?」
「――けっこう甘いです」

 ○○さんの指も少し口に入れてしまいましたが。

「七夕の話って、縦と横とどっちの切り方がだめだったんだっけ」
「間違った切り方をして瓜から水が溢れてくる話ですか? うーん、どっちでしたかねえ」

 瓜から溢れてきた水が天の川になって、彦星と織姫が会えなくなってしまう話でしたか。
 ○○さんには申し訳ないですが、ちょっと思い出せませんね……あ。

「まあ大丈夫ですよ。間違って切った瓜から川ができてしまっても」

 次の一切れを剥いてくれてる○○さんに、私なりの答えを。

「うん?」
「どんなに川の幅があっても私なら、大好きな○○さんのところまですぐに飛んでいけますから」

 ……あれ、○○さん黙っちゃいました。顔、真っ赤ですね。

「どうしました、○○さん? 照れちゃいました? もう○○さんったらかわいいんですか……あむっ」

 照れ隠しに口に押し込まれた瓜を味わいながら、もうしばらくこうしてまったりしていたいな、なんて思いました。


Megalith 2011/10/01
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「なんだかいい人だったな」
「そうですね。活動的だからまだまだこれからもネタになってくれそうですし、そういう意味では」

 里の外れを通る道を、○○と文は二人で歩いていた。
 命蓮寺住職である聖白蓮への取材を終えて帰る道すがら、取り留めのない会話が続いている。

「『人間が、神仏と同じように妖怪も受け入れて、一緒に暮らしていけるように』、か」
「まあ、私はそんな大仰な形でなくても気楽にやれればいいですけどね」

 今のところの話題は、取材で聞いた命蓮寺の理念についてだった。
 ○○としてはそれなりに感じ入るところもあったのだが、文は意外と冷めている。

「人間妖怪問わず、取材に協力的で購読者になってくれるならそれで御の字ですよ」

 普段から新聞記者として、臆せずどこにでも踏み込んでいく性質だからかもしれない。



「……あ、○○さんは別ですよ?」

 冷静な記者の目が甘えるような恋人の目に変わり、○○を見つめた。

「どんどん受け入れてください、私限定で」
「もう十二分に深く受け入れてる気がするけどなあ」
「いくら深くても構いませんよ……あ、あの尼さんが神仏云々と言ってたからって、
 信仰とかそういう他人行儀なのはなしですからね? もっとこう、対等で濃厚な」
「そう? そう言われると、信仰とかしたくなっちゃうなあ」

 言い募る文に、冗談めかして答える。

「もう、○○さんったら――」

 頬をふくらませ、大げさに怒ったふりをする文。
 その顔を自分の胸に押しつけるようにして、抱きしめる。

「おお、ありがたいありがたい」

 黙ってしまった文の髪を、○○の手が撫でた。
 口調は相変わらず軽いが、その手つきは優しい。

「……こういう信仰だったら、いっぱいしてほしいです」

 ひとしきりされるがままになっていた文がぽつりとつぶやくのが聞こえて、
 ○○はそれまでにも増してしっかりと彼女を抱き寄せた。
 今の自分達と同じような人間と妖怪の幸せなカップルが増えるなら、
 やはり白蓮の話はそう悪くないのではないかな、という気がした。

Megalith 2012/04/11
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「うー……」

 デスクに向かっていた文が、おそらく無意識に低くうなった。
 空中をにらむ目はどこか虚ろで、ペンを持った手は先ほどから動いていない。

「文、大丈夫か?」
「え……え、だいじょぶ、です」

 心配そうに声をかける○○に、サムズアップで応える文。
 しかしその目の下にははっきりとした隈ができている。

「コーヒーもう一杯淹れようか?」
「いえ、あんまり飲むと却って集中が途切れるので」

 良いネタが手に入りました、とほくほくしながら、文がカメラを携えて帰ってきたのが昨日の昼過ぎ。
 それ以来、文は一睡もせずに原稿にかじりついている。 
 新聞作りとなると、文は倒れるまで根を詰めかねないところがある。
 ○○はそんな文の熱意が好きだったが、時折心配でもあった。

「少し、仮眠取ってみたら?」

 だから、最近はこう提案するようにしている。水を挿さないよう、よほど疲れて見える場合に限って控えめに、だが。

「仮眠、ですか」
「うん、ちょうど洗濯ものたたむところだから、膝貸すよ」

 文が乗ってくるかどうかは、五分五分ぐらいだろうか。
 それでも仮眠の効き目は実感しつつあるようで、
 勢いをキープしたいという時以外は少しずつ提案を容れることが増えてきた気がする。

「……じゃあ、ちょっとだけ」

 ペンを置き、大きく伸びをして立ち上がる文を見て、○○は少しほっとした。
 今回は乗ってきてくれたようだ。



「じゃあ、30分たったら起こしてくださいね」
「わかった。30分だね」

 ○○の膝に頭を預け、文が横になる。
 委ねる文も、受け取める○○も、どこか嬉しそうだ。

「○○さん」
「ん?」
「起こしてくれる人がいるって、いいですね」

 マーキングするかのように頬を擦りつけながら、しみじみと文が言う。

「いえ、便利だとかそういうことじゃなく、 
 なんか幸せだな、って、そんなことを少し」
「そうだな、俺も――」

 愛する人がいて、一緒に暮らしていて、その人を起こしてあげられる。
 それがとても、

「幸せだよ……あ」

 ○○がそう言って視線を落とすと、文はもう寝息を立てていた。
 よほど疲れていたのだろう、どことなく難しい顔をして眠っている。
 乱れた髪を直すように撫でると、いくらか表情が和らいだ気がした。

「文……」

 文々。新聞に関わる作業は文の世界であり、○○にできることと言えばちょっとしたサポートしかない。
 それでも、文のパートナーとして、文々。新聞を愛読する一読者として、
 ○○にはそのちょっとしたサポートができることが嬉しかった。

「さて、洗濯ものを片付けますか」

 膝にすがりつくようにして眠っている文を起こさないようにしながら、
 ○○はまず文のブラウスをたたみ始めた。





 30分経って、○○に起こされた文は、猛烈な勢いでペンを動かし始めた。

「よし、とりあえずできました!」

 そう言った文の声が、タンスに服をしまい終えて戻ってきた○○の耳にちょうど飛び込んできた。

「お、できた?」
「ええ、まだ一応形になった、というところですが」
「そっか、これからだな」
「そうですね、まずは校正のためにじっくり目を通さないと」

 椅子から下りると、文は原稿を手にしたまま床に正座する。

「あれ、デスクでやらないのか」
「それでもいいんですけど……○○さん、さっきのお返しに私の膝、枕にしません?」

 ぽんぽん、と自分の膝を叩きながら、文は○○を誘っている。

「え、いや俺はいいよ、別に徹夜したとかじゃないし」
「まあまあ、そういわずに。眠らなくたっていいんです。
 私もちょっと、○○さんの重みを感じていた方が作業がはかどりそうというか、温もりを感じていたいというか」

 だめですか、と小首を傾げる仕草まで付いてしまうと、もはや○○には拒めなかった。
 実際その提案は魅力的で、拒もうとしても拒みきれなかっただろうが。

「じゃあ、ちょっとだけ」
「ええ、どうぞどうぞ」

 すべすべした文のふとももに頬をくっつけると、柔らかさと弾力の絶妙な調和が○○を出迎える。
 見上げると、嬉しそうに微笑む文と目が合った。



 頭の上からは、時折紙をめくる音が聞こえてくる。
 邪魔してもいけない、という気持ちと、温かくて心地よい、という気持ちから、
 動かないようにじっとしていると、だんだん身体から力が抜けてきた。
 ふと閉じたまぶたを、そのまま開けずにいるのもいいんじゃないか、という気がしてくる。
 そうして取り留めのないことをぼんやりと考えているうちに、いつしか○○は安らかな眠りに落ちていった。


うpろだ0029
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「……文?」

 玄関をくぐり、我が家に足を踏み入れた○○は、首をかしげた。

 ちょっと用事を足しにと出かけた時、文は家の中にいて、玄関で見送ってくれた。
 戸に鍵はかかっていなかったし、あの後出かけたということもないはずだった。
 だから、いつもならここで、足音も軽やかに文が迎えに出てくるところなのだ。
 別に決めごととしているわけではないが、○○が一人で出かけていた時はそうだし、
 逆に、留守にしていた文が帰ってきた時も、○○の足は自然と玄関に向かう。

「あやー?」

 何か手が離せないとか、そういったことだろうか。
 それにしてもたいして広い家でもないのだから、返事ぐらいは返ってきそうなものなのだが。
 ついでに買ってきたものをちゃぶ台に置き、○○はあちこちを探し始めた。

「台所――は、いないか。いたら返事するだろうし」

 念のため勝手口を開けてみたが、やはり見当たらない。

「じゃあトイレ、でもないし風呂……は違うな。あとは」

 寝室の戸を開ける。
 布団は朝起きたときに畳んで押入れにしまってあるので、目に付くものはほとんど何もない。
 部屋の真ん中に鎮座している、タオルケットの塊を除けば。 

「…………」

 両手両脚を抱えてうつぶせに丸くなった鴉天狗の少女を一人、中にくるみこんだぐらいの塊だ。

「おーい」

 眠るには相当無理のある姿勢だが、万が一そうなら起こしてはいけないと、そっと呼びかける。
 二、三度軽く叩いてみると、もそりと揺れた。
 ……どうやら『中身』は起きているらしい。

「なにやってるの?」
「タマゴです」

 布一枚を隔ててくぐもった、それでいてどこか誇らしげな文の声が答える。

「あっためてください」
「……毛布で上から包んでおけばいいかな」
「だめですよー。ちゃんと愛情を込めて、○○さんが抱いてあっためてくださいね」
「はいはい」

 苦笑しながらも、○○は自称タマゴに優しく覆いかぶさった。
 時折、こういった唐突で意味のない遊びを二人でするのが、○○も文も好きだった。





「なんだか、いい匂いがするタマゴだなあ」

 肌触りの良い布地に顔をうずめながら、○○はつぶやいた。

「いい匂いですか」

 声の聞こえる位置や感触から判断すると、○○の鼻先にあるのはちょうど文のうなじ辺りらしい。
 文自身からだけでなく、繊維に染み込んだものでもあるのだろう甘い匂いは、
 どこか○○を安心させてくれるものだった。

「うん。文の匂いがする」
「あやややや……あれ、でも私は○○さんの匂いに包まれてる感じがしますよ?」
「え、そう?」
「はい。いい匂いがします」

 まあ、よく考えれば二人で使っているものなのだから、
 二人分の匂いが染みついていてもおかしくはない。

「まあ、自分の匂いって自分ではわからないものなのかも」
「そうですねえ」
「あ、でもこうやってくっついてると少し混ざったりとか」
「…………」
「文?」

 返事がない。呼吸の音が、次第に大きく規則正しいものになっていくのがわかる。
 ○○は息を吸い込むと、軽く開けた口をタオルケットにぴったりと押し付け、ゆっくりと吐いた。

「ふー」
「あちち」

 声が上がった。とりあえず、目は覚めたらしい。

「そのまま寝たら身体痛くなるよ?」
「いやあ、あったかくていい匂いがするのでついうとうとと」
「毎晩いっしょに寝てるんだから、それと変わらないんじゃ……」
「言われてみればそうですけど、でもなんかこう、包まれてる感じで安らぐんですよ。
 千年以上前ではっきり覚えてるわけじゃないですけど、それこそタマゴの頃に戻ったような」
「そろそろ孵化した方がいいんじゃないのかな?」
「んー……もう少しこのままでお願いしようかな、と」

 そうは言っても、このまま続けていたら文がまた寝息を立て始めるのは目に見えている。
 意を決した○○は、真横に転がるようにして文の上から下りる。

「あれ、○○さん?」

 どうしたんですかー、寂しいじゃないですかー、と呼びかける文には答えず、
 ○○はタオルケットと床の隙間に手を差し込み、

「――――――そりゃ!」

 勢いよくひっくり返した。

「ひゃあ!?」

 悲鳴とともにころんと転がった文が、半回転して止まる。
 タオルケットの裾が見えるものの、それでも二人用の大判サイズだけあって、
 内側が覗けたりということはまだない。

「もう、なにするんですかぁ!」
「いやほら、ちゃんと孵すためには時々転がさないと」

 先ほどまでよりも少し安定が悪いのを両脚で挟んで支えると、
 ○○は改めてタマゴに覆いかぶさった。
 背中の丸みに代わって、抱え込んだ膝やすねの少し固い感触が伝わってきた。

「どれどれ、どのくらい育ったかな」

 顔と思われる部分に手をやり、タオルケットの向こうを指でなぞる。

「ここが耳で、ここが鼻かな? うんうん、順調に育ってるな」
「ちょっとくすぐったいです……」
「で、ここが口、と。それじゃ、早く孵りたくなるように」

 そう言って、たった今探り当てた文の唇に、○○は自分の唇を重ねた。
 布地一枚隔ててのため濃厚に絡まることはできないが、その分力強く押しつけるようにキスする。

「……出てこないと、布団ごしにしかキスできないよ?」
「もう……そう言われたら、出ざるをえませんね」

 ○○が身体を離すと、殻代わりのタオルケットがはらりと開き、
 中から姿を現した文は、仰向けに寝そべったまま手足を伸ばした。
 キスの余韻か布団にくるまれていたせいか、ほのかに頬を染めている。
 うるんだ紅い瞳が○○をじっと見つめていた。

「どうしたの? 何か付いてる?」
「このとおり、殻の外に出てから最初に○○さんを見ましたので。
 ずーっと○○さんにくっついていきますからね」
「刷り込みか。じゃあせっかくついてきてくれるんだし、いっぱい可愛がってあげないと」
「うふふ、ではさしあたってはちゅーしていただけると嬉しいです。今度は直に」

 ○○としてもそれは望むところだったので、喜んで期待に応えることにした。



「――――さて、ヒナ鳥にはご飯をあげないと。お団子買ってきたけど食べる?」
「お、いいですねえ。じゃあお茶にしましょうか」

 よっ、というかけ声とともに、○○の差し出した手につかまって文が立ちあがる。
 その手を離さずにつないだまま、二人は寝室を後にした。



うpろだ0052
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「ただいま、○○さん」
「おかえり、文」

 家のあちこちを片付けていた○○が、文を出迎える。

「いやー、遅くなってすみません。なにしろ写真の枚数を確保するのが大変で」
「え、もうそんなに遅い?」
「あややや、もう戌の刻近くですよ?
 外の世界では19時過ぎ、って言うところでしたっけ」

 わあ、と○○が声を上げた。
 慌ててはいるが焦ってはいない、といった風だ。

「まだ明るいからそんなでもないかと思ってた。
 ご飯は炊けてるはずだから、今支度するよ」
「あ、お夕飯の前にですね」

 台所へ駆けていこうとする○○を文が止めた。

「せっかく明るいですし、ちょっと散歩に行きませんか?」
「散歩?」
「ええ、空中散歩」





 金色の黄昏はもう見えない。
 山の端にほのかなオレンジ色と、呆けたような薄青い昼の名残。

 文に抱えられて、二人で西へ向かってゆっくりと飛びながら、空を眺めている。
 きれいだな、と心から思う気持ちを、○○は口に出しはしなかった。
 身体を支える文の腕に柔らかく力が加わるのを感じて、優しく手を添える。
 風の音だけが聞こえる中、それだけで、お互い同じ気持ちだとわかりあうことができた。


「さて、そろそろ帰りましょうか」
「そうだね」

 振り返った東の空は、群青色の夜が濃さを増していた。
 背中の翼を大きく一つはばたかせて、文が方向転換する。

「そういえば今度、人里で夏至のお祭りがあるそうですよ」
「お祭りか……出店とかもあるのかな」
「ええ、それはもう。○○さんも行きません? 取材終わったら一緒にあちこち回って」
「いいなあ、今から楽しみだ」

 言いつつ、○○はもう一度西の薄明かりに目を向ける。
 同じ時刻でも、もう何週間かすればもっと暗くなっているだろう。
 この空の色をこの時間に楽しめるのは、来年のことだ。

「夏至って、ちょっと寂しいな」
「え?」
「いや、せっかく陽が長くなってきてたのに、またどんどん短くなってくと思うと」
「そうですね。でも、昼や夜が長くても短くても、それぞれ楽しみ方がありますから。二人でなら、なおさら」
「……そうか。そうだな」
「さしあたっては、夏の短い夜を味わいながら晩酌でもいかがです?」
「そうしよう。茄子があったから、焼き茄子でもするかなあ」

 そうと決まれば、とばかりに速度が上がった。
 さすがに熱燗の季節ではないが、夜空を飛んだ後なら麦酒よりは冷酒だろうか。



 暑さも寒さも、昼も夜も。
 二人で過ごす季節は、きっと温かい。

うpろだ0020
───────────────────────────────────────────────────────────

「○○さーん!」

 昼過ぎの一仕事を終えて縁側で読書中だった○○の視界に、文が上から飛びこんできた。

「わっ、文!? 取材もう終わったの?」
「ええ、それなんですがちょっと。○○さんも一緒に来てもらえます?」
「え、一緒に? いいけどまたなんで」
「それが取材先からのたっての希望でして。
 いいネタ元になってくれそうなので少しは応えてあげようかと」

 さあさあ善は急げですよ、と、本を置いた○○の手を取る文。

「いや、でも身だしなみとか」
「博麗神社ですから大丈夫ですよ。では、出発!」

 なんとか靴は履いた○○をいつものように抱えると、文は地面を一蹴りする。
 庭先に残った二人の影はあっという間に小さくなり、東の方へ駆けて行った。





「あ、帰ってきた」

 ものの数分で博麗神社の縁側に到着すると、気だるげな霊夢の声に出迎えられた。
 他には誰もいないように見えるので、○○は内心首を傾げる。
 霊夢なら、文とは長い付き合い(霊夢曰く『くされ縁』)だし、
 ○○ともよく顔を合わせるので、今さらぜひ会いたいと呼び出すこともない気がする。

 そんなことを考えていたので、

「さ、針妙丸さん、約束どおり連れてきましたよ。こちらがさっき話していた彼です」
「あの、は、初めまして! 少名針妙丸といいます! あなたが○○さんですね?」

 人形のように小さな姿が深々とおじぎをしてきたときは少し驚いた。
 それでも幻想郷にだいぶ慣れてきたせいか、顔には出さずに済んだが。

「ええ、○○といいます。こちらこそ初めまして」

 初対面に加え、文の取材相手でもある。○○は丁寧に頭を下げた。

「あの、記者さんから聞いたんですけど、○○さんは人間の男の人なんですよね?」
「ええ」
「その、本当に、記者さんの恋人さんなんですか?」
「…………ええ」

 ○○としては別段、隠していることでもない。
 むしろ幻想郷中に知られても構わないし、実際知れ渡っていると思う。
 ただ、こうして面と向かって訊かれると、さすがに少し照れくさかった。

「わあ、すごい。ほんとに種族が違うんだ。いいなあ」

 そう言って針妙丸は、嬉しげな笑顔を見せた。
 腕を大きく動かしながら少し大げさに感情を表すのは、サイズ差が違う相手にもわかりやすいようにとの配慮なのかもしれない。
 ちまちまとした動きがかわいらしい。

「初代様も、人間のお嫁さんをもらったって聞いたから、私ずっと、どんな感じなのかなあって思ってて。
 そんな話をしたら記者さんが『私の恋人も普通の人間ですよ』って色々教えてくれて」
「そうそう、本当に『色々』ね。だから私は『こんなのと一緒にいちゃいちゃ暮らしてけるのが普通の人間かしらね』って」

 ○○が思わず文の方を見ると、文は決まりが悪そうに目をそらした。

「えーとですね、針妙丸さんの御先祖様はかの一寸法師なんですよ。すごいですよね」

 どこかしらじらしい様子で、補足情報を教えてくれる。
 なんのことはない、『取材先からのたっての希望』と言っても、きっかけは文があれこれと話したことだったようだ。
 霊夢がどこかげんなりしているあたり、「色々」の中身はずいぶん濃密だったのだろう。

「私、人間の男の人と全然話したことないし、
 それで、直接おはなししてみたいなって思ったんです。……いいですか?」
「もちろん、構わないですよ」

 内心苦笑しつつ、○○は答える。

「ありがとうございます! えーと、じゃあまずは……」

 テーブルいっぱいのお菓子を前にした子供のように目を輝かせながら、針妙丸はインタビューする側へ回った。





「なんだかすみませんでしたね、○○さん」

 高下駄の音をかつかつと響かせながら、文はぽつりとそう言った。
 下まで歩いてから飛びましょうか、という文の提案で、二人は博麗神社の石段を並んで下りている。

「私が口を滑らせたばっかりに、○○さんを長いことつきあわせてしまって」
「いやいや、全然かまわないよ」

 結局、なれそめから日々の暮らしまで話は大いに盛り上がり、
 満足げな針妙丸と胸焼け気味な霊夢に見送られて鳥居をくぐる頃には、だいぶ陽が傾いていた。

「まあ、口を滑らせた程度じゃなかったろうなとは思うけど」
「あややややや、こうも幸せだと時折人に話したくなるのですよ。
 自慢するわけじゃあありませんが、お裾わけ、とでもいいますか」
「……うん、わかる気がする。俺も今日はなんだか楽しかったし」

 自分達のことを知らない相手が話を聞いてくれる状況で恋人について語るというのは
 少し気恥ずかしいものの、なんとなく心が浮き立つ気がした。

「幸い針妙丸ちゃんも喜んでくれたみたいで――ん、針妙丸ちゃん? さん?」
「まあ、人間換算でいけば霊夢さんより少し下、ぐらいじゃないでしょうか?」

 ○○は霊夢に歳を聞いたことはなかったが、
 少なくとも霊夢とさほど違わないのなら、ちゃん付けがふさわしい歳ではないようにも思える。

「あんまり意識してなかったけど、変に小さい子扱いしたりしてなかったかなあ」
「大丈夫だったと思いますけど……まあ仕方ないんじゃありませんか。実寸がああ小さいと」
「あー、うん。やっぱりあの大きさだとどうしてもかわいい感じがするよね」
「…………」
「?」

 返事がないので○○が隣を見ると、文はわざとらしく口をとがらせていた。

「……私の子供の頃も、それはそれはかわいかったですよ。小さくて、ふわふわで」

 あからさまにすねて見せる様がおかしくて愛おしくて、○○は思わず微笑んだ。。
 膨らませていた頬を指先で柔らかくつつくと、文も笑顔になる。

「まだ天狗じゃなかった頃?」
「ええ、だから写真とかはないですね。○○さんに見せられなくて残念ですが」

 そう言いながら文は、○○の腕に絡んできた。

「なので、今の私をいっぱいかわいがってくださいね」
「うん、了解」

 肩に預けられた頭を優しく撫でながら、○○は胸に広がるぬくもりをしみじみと感じていた。

「あ……」

 文が小さく声を上げた。
 気が付くと、石段はもう残りわずかだ。

「…………もうちょっとだけ歩こうか」
「そうですね。まだ明るいですし、もう少し」

 神社の傍である上に文がいるのなら、暗くなったところで危ないことはない。
 ただ、そろそろ夕飯どきなことを思えば、帰るにせよ里へ足を延ばすにせよ、陽が落ちきる前に飛び始めた方がいいだろう。
 むしろ、すぐに飛び立った方が有効に時間を使えるかもしれない。

(それでも)

 もっとこのままこうして歩いていたい、と○○は思った。
 速さが信条の鴉天狗らしからぬ足取りの文も、きっと同じように考えてくれているのだろう。



 幻想郷の時間はゆっくりと流れていく。
 二人で過ごす幸せな時間であればなおのこと。
 ○○と文の時間は、ことさらにゆっくりと進んでいるようだった。

うpろだ0038
───────────────────────────────────────────────────────────

「あれ、○○さん『すうぱあふぁみこん』ですか? 久しぶりですね」
「うん、昔やったことあるソフトを早苗さんにもらったもんだから。
 無縁塚経由で手に入ったけれど、事情があってやらないから、って」
「事情、ですか?」
「神奈子様と諏訪子様が複雑な表情になるから、って」
「ははあ?」



 なんじのなをなのれ

「主人公の名前は自由につけられるんだよ」
「こういうのって、○○さんはいつもどうしてるんですか?」
「あれこれ考えてつけるよ。けっこう長い時間悩んだりもする」
「自分の名前つけたりはしないんですか」
「昔はやったけど――そうだな、久しぶりにそうしてみようか」



 はやく わたしの なまえをよんで!

「この女の子はあれですか、ヒロインですか?」
「そうだね」
「○○さん、このゲームやったことあるんですよね。
 ……その、大丈夫ですか?」
「え、大丈夫って何が?」
「途中でもっとすごい美人の本命ヒロインが出てきて、
 この子は退場したっきりもう出てこないとか、そんなことないですよね?」
「………………大丈夫だよ。まあ、いろいろあるけど」
「よかった。じゃ、名前は決まりですね」



 >TALK
 アクマでも あいしてくれる?
 >はい
 ¥108 ちょうだい! 
 >はい
 これで いいわ・・・
 こんごとも やさしくしてね!

「戦うだけじゃなくて、交渉して協力してもらったりできるんだよ」
「ふーん……○○さん?」
「ん?」
「ヨーカイでも愛してくれますか?」
「もちろん、はい」
「それじゃあ、キスを一つくださいな」
「喜んで、はい」
「んっ……よろしい。今後とも、優しくしてくださいね」

「ところで私、というかアヤちゃんはまだ仲間にならないんですか。
 さっきお隣さんで出てきましたけど」
「あれは違う人だから……もうちょっとしたら出てくるよ」



 アヤ:
 ゆめと おなじように たすけてくれたのね
 ありがとう

「いいですね、こういうの」
「実際は文に助けられてばっかりだからなあ」
「そんなことありませんよ。二人で住み始める前に○○さん、一緒にいられるようにがんばってくれたじゃないですか。
 あの時だけじゃなく、その前も、それからも、この先も、○○さんは私をいっぱい助けてくれてるんですよ」
「――ありがとう。まあ、こういう直接的なのはさすがにないだろうけど」
「ないことを楽しめるのも『げえむ』のいいところ、なんじゃないですか」



 アヤ:
 このままでは ふたりとも しんでしまうわ
 せめて あなただけでも いきのびて!

「あやややややや……切ないですねえ」
「……………………」
「……………………」

「あれ、これって、アヤちゃんは? どうなっちゃうんですか?」
「あー、うん。これで終わりじゃないけど、しばらくは出てこないかな……」
「……なるべく早く進めてください!」



 アヤ:
 わたし うまれかわって
 このせかいに きたのね・・・
 ほかのことは ぜんぶわすれたけど
 あなたのことだけは わすれなかった

「……くすん。泣かせますね」
「うん……昔やった時とはまた何か違うものが」
「こんな風に、傍にいても離れても結ばれてるのって、いいですね」
「うん」
「ちょっと、ぎゅってしてもいいですか。なんだか、結ばれてるのを感じたくて」
「いいよ、おいで」
「……○○さん。今後とも、よろしくお願いしますね」



 アヤ:
 どこまでもいくわ いっしょに

うpろだ0042
───────────────────────────────────────────────────────────
「――じゃあ、白和えと田楽を一つずつ。文はあと何か頼む?」
「いえ、とりあえずそんなところで。足りなかったら追加しましょう」
「それじゃ、以上で」

 かしこまりましたー、とエプロンを着けた若い女給さんが下がっていく。



 ちょっと早い時間ですが行ってみませんか、と文に誘われて入った里の酒処。
 四つ辻に面した大きな店の二階座敷は、こざっぱりと片付いていて居心地がいい。
 案内された席の他にもいくつかの座卓が置いてあるが、今のところ二階は貸切状態だ。
 開け放った窓の外はまだ明るくて、時折大通りの喧騒が舞い込んでくる。



「考えてみたら、こういう店って来たことなかったな」

 そう呟きながら、○○は部屋の中を見渡した。
 文の取材に付き合って人里に下りることはないでもないし、
 ついでに二人で甘味処や蕎麦屋を楽しむことも少なくなかったが、酒処は初めてだ。
 造り自体は甘味処とも蕎麦屋ともさほど違わないようだったが、
 空気の中に染み込んだ酒と煙の残り香が独特の雰囲気を主張している。

「私もそんなにはないですよ」

 先ほど女給さんが手渡してくれたおしぼりで手を拭きながら文が言う。

「一緒に暮らすようになってからはもちろんですが、
 ○○さんと会う前も、人里で腰を据えて一人で飲む機会ってあんまりなかったんですよね」
「一席設けてインタビューとかは?」
「だいたい相手のところに押しかけますからねえ」

 ○○は、無言で何度も、心から頷いた。

「だから、たまにはこういうところに来てみるのもいいかな、と思いまして」
「そうだね。外で、っていうとミスティアさんの屋台ぐらいだし」
「あとはどこかの宴会に参加するとか、そんなところですよね」

 ちょうど階下から、宴会なのだろう、
 昼酒にメートルを上げた団体客と思しき大人数の歓声が響いた。

「昼間なのに賑やかだね」
「博麗神社とか紅魔館とかの宴会ほどじゃないですけどね」

 人間の酔っ払いというのも大概やかましいものだが、
 鬼も悪魔も神も妖怪も入り混じった大騒ぎに比べれば、大人しい方だろう。

「あ、でもここも結構妖怪のお客が来てるらしいですよ?
 誰かと鉢合わせしたりはしないように軽く下調べをしてきましたから、大丈夫だとは思いますけど」
「鉢合わせしないように?」
「……二人っきりの時間を大事にしたいじゃないですか」

 始まりは二人でデートでも、三人、四人と集まればなし崩しに宴会になってしまうのが幻想郷である。
 不思議とそういった場合、段々と人数が増えていくことが多く、それはそれで楽しいのだが。
 普段は二人っきりの時間がなかなか取れないか、というとそんなこともなく、むしろいつも一緒にいるのだが。
 それでも○○は文の気持ちが嬉しくて、机の上で文の手を取った。
 その手を握り返しながら、文も幸せそうに笑っている。



「しつれいしまーす」

 先ほどの女給さんが盆を運んできたのに気付き、二人は慌てて手を離した。

「おまたせしました、こちら、グラスでーす」

 ○○の前に、金色のビールを満たした小ぶりのグラスが置かれた。
 白い泡の蓋の下、細かな泡が軽快に踊っている。

「それとこちら……よっと……どうぞ」

 続いて、巨大なジョッキが文の前にごとりと置かれた。
 数人分に注ぎ分けるためと言われてもおかしくない大きさだ。
 事実○○はそうだとばかり思っていた。どうりで他に器がないわけだ。

「では、ごゆっくり」

 女給さんの姿が階段の下へ消えてからも、○○は文のジョッキをしげしげと眺めていた。

「すごい大きさだな。この店の特注品かな?」
「そうでもないですよ。まあ、天狗や鬼が来るような店なら割と置いてあるんじゃないですかね。
 ……それにしても、迷わず私の前にこれ置きましたね」
「文は新聞絡みで顔が売れてるから、天狗だってすぐにわかったんじゃないのかな。兜巾のせいかもしれないけど」
「まあ、文々。新聞の人気の副産物と思っておきましょう。それじゃあまずは――」

 文が軽々と特大ジョッキを持ち上げた。○○もグラスを手に取る。

「「かんぱいっ」」

 ちりん、と、控えめにガラスを打ち合わせる音を響かせ、二人でビールをあおる。
 唇に触れた柔らかな泡を突き抜けて舌の上を転がるほのかな苦味と麦の甘味。
 追いかけるようにして、冷えた炭酸の刺激が喉へと通り抜けていく。

「――――っはぁ。旨いな」 
「ふぅ。いやぁ、五臓六腑に染みますねえ」
「……ずいぶん減ったな」

 文の手にした巨大なジョッキは、既に三分の一ほど中身が減っている。

「炭酸ってあんまり一気に飲むと苦しくならない?」
「割と大丈夫ですね。慣れもありますけど」
「俺もだいぶ慣れてきた気はするけど、まだまだかなあ」
「まあ、美味しく飲めているようですし、そのうちもっと楽にいけるようになりますよ。
 その点でいくと、この間取材に行った永遠亭の新しい強壮剤、
 一気に飲めとはいうもののあの味は――」



 それから○○と文は、ビールを飲みながらあれこれと話を続けた。
 最近取材した相手のこと。読んでいる本のこと。山の購買で新しく発売されたシャンプーのこと。
 少し前の異変のこと。家の近くに咲いた花のこと。季節のおいしいもののこと。
 毎日一緒に暮らして、顔を合わせているはずなのに、話は途切れない。

 職業柄か妖怪としての年季のたまものか、文は話すのも話させるのも上手い。
 まだ二人が記者と取材相手だった頃、幻想郷に迷い込んで間もない○○は、
 聞き役に回っているつもりでいつの間にか饒舌になっている自分によく驚かされたものだ。  

 けれど、今の文には、そうしたテクニックは感じられない。
 ○○と話している文の嬉しそうな様子には露ほどの手管も見えず、
 記者でも妖怪でもない、見た目どおりの少女のようだ。
 そんな文の幸せそうな笑顔が、時折声に混じる甘えたような色が、
 ○○にとっても嬉しくて、自然と話に熱が入るのだった。





 時間を忘れて話し込んでふと見ると、明るかった窓の外はもう夕暮れ時だった。
 階下から聞こえる声も、仕事帰りで集まってきた客たちの雑多な喧騒に変わりつつある。

「おや、もう空が真っ赤ですね」
「そんなに話してたかなあ、なんかあっという間だ」
「楽しい時間ってほんと早いですよね。そろそろ帰りますか」
「そうだな、よっ……と」

 文はもちろんだが、○○も正体を失うような酔い方はしていない。
 とはいえ結構な量を飲んでいるせいか、少し足元がおぼつかない。

「大丈夫ですか?」

 文がそっと手を貸す。

「ありがとう、平気だよ」
「まだ階段降りなきゃいけないんですから、気を付けてくださいね」
「いやいや、そこまでは酔ってないから」
「○○さん、それは酔ってる人のせりふですよ」

 からかうように言う文への照れ隠しに、○○が支える文の手を小さく握ると、

「――ほんとに、気を付けなきゃだめですよ?」

 文はそう言って、優しく握り返してきた。




 階下で支払を済ませ、後は店を出るばかりというときだった。

「おや、珍しいね、ブン屋じゃないか」

 背後からの声に文が「ひっ」と小さく息をのんだのが聞こえた。
 振り向くと、そこには着崩した和服姿の女性が一人で立っている。
 長身にどこか野性味のある金色の長い髪、額には隆とした一本角――元・山の四天王、鬼の星熊勇儀だった。
 上下関係に縛られた妖怪の山の天狗にとって逆らい難い、
 そして、それでなくとも、文が苦手としている相手だ。

「こ、こここれは星熊様。今日は地底で伊吹様と飲み会ではなかったので?」
「……よく知ってるね。いやなに、旧都の酒屋で飲ってたんだけど店の酒全部飲んじゃってね。
 ちょっと飲み足しに来たところさ。この店、たまに萃香と来るんだよ」
「ははあ、それはそれは。で、伊吹様は」
「あいつは今日は神社に帰るって言うんでね。今送ってきたところさ」

 どうやら文の「軽く下調べ」は主に勇儀のような鬼とかち合うのを避けるためだったらしい。
 結果として、読みを外してしまったようだが。

「連れ合いと一緒かい?」
「え、ええ。まあそういったところで――」
「ちょうどいい、付き合いなよ。一人酒も味気ないと思ってたとこさ」
「えっ!?」

 黙ってはいるがそこまで緊張してはいない○○がそっと横目で見ると、
 文が動揺を表に出さないように懸命に抑えているのがわかった。
 勇儀はわかっていないのか、わかっていても気にしていないのか。

「えー、お誘いいただき誠に身に余る光栄なのでございますが」

 わずかに震える声で、文が口を開く。

「そのう、連れが人間の身にしてはいささか過分に飲んでしまっているので、
 失礼とは存じますが今日のところはご勘弁いただいて、場所を変えて休ませようかと……」

 酩酊・泥酔とまではいかないものの、確かに○○の飲んだビールもそこそこの量ではあったので、嘘ではない。
 その辺り、嘘を嫌う鬼相手にはなかなか上手い言い訳だ。いや、ではあった。

「なあに、私も鬼じゃ……いや、鬼か。だけど酒は楽しく飲むもんだからね、
 人間相手に死ぬほど無理させたりはしないさ。
 ちょいと横で休ませておくとして、おまえさんはまだまだ飲めるだろ?」

 傍から見ていて、悪気も裏表もない人(鬼?)なのは○○もわかっている。
 ただ、力業でマイペースに押し切ってくるあたりを文がとてつもなく苦手にしているのも痛いほどわかる。
 実質差し向かいで飲み直すことになったら、文にとっては針のむしろだろう。  
 そんなわけで、少しだけ勇儀に申し訳なく思ったものの、
 実際冷や汗をかかんばかりに困っている文を見て、○○の身体は自然に動いていた。
 ……もしかしたら、思った以上に酔いが回っていたのかもしれない。

「――すみません、勇儀さん」

 そう言いながら、○○は文の肩を勢いよく抱き寄せた。

「もう少しデートを続けたいので、今日はここで失礼します。またの機会にぜひ」

 勇儀は目を丸くして、驚いて声が出ないまま肩を抱かれている文としっかり抱いている○○を交互に見ていたが、
 やがてにやっと笑った。 

「デートかい」
「はい、デートです」
「……そうか、デートじゃあ仕方ない。無理しないで楽しみな」

 勇儀は楽しげに言うと、一礼する○○に引っ張られて腰を折った文に向かって

「いい男じゃないか。大事にしなよ」

 と声をかけた。

「……ええ、それはもう」

 こればかりははっきりと答えて、文は○○と寄り添ったまま店を出る。
 背後で「とりあえず焼酎、いつもの特大ジョッキで」という勇儀の声が響いた。





「今更だけどあれで良かったのかな。後から文が余計大変な目にあったりとか」
「いえ、あれでOKです。男女のことには割と好意的ですし、何よりなんだかんだで人間好きな方ですから。
 特に鬼相手に我を通そうとするような人間が」
「そんな大層なものじゃないんだけど」
「そうだとしても、私は嬉しかったですよ?」

 酒処を出たときのまま、二人はくっついて里の通りを歩いていた。
 西の空はまだわずかに明るいが、通りに面した店にはぽつぽつと明かりが灯り出している。

「これからどうしようか? 山に帰る?」
「もう少しこのまま歩きません? ……実を言うと私なんだか力が抜けちゃって、すぐに飛び立つのはちょっと」

 鬼と対峙する緊張から解放された反動か、確かに文の足もとは少しふらついている。

「大丈夫!? 少し休んだ方が」
「いえいえ、大丈夫ですよ。気抜けしただけなので、しばらく風に当たっていれば」
「じゃあ、肩貸すよ。その方が楽だろうし」
「ありがとうございます……あ、私の肩もそのまま抱いててくれませんか」

 外では文が高下駄を履いているので、肩に手を回すにはちょうどいい高さになる。
 お互いにそうしていると、肩を貸すというより「肩を組む」といった姿勢だ。
 確かに安定していて、○○が文を支えて歩くのにも良さそうだ、が。

「……なんか、こういう酔っぱらいっているよね」
「まあ素面ではありませんけど。かなり出来上がった二人組、って感じですよね」

 もっと酔うか、いっそ素面ならできたかもしれないが、
 この時間、この程度の酔い方でそれをするのは、むしろ恥ずかしいような気がして、
 ○○と文は、どちらからともなく腕を肩からほどいた。

「じゃあ、こんなのはどうでしょう」

 そう言うと、文は肩から外された○○の腕を抱きかかえるようにして寄りかかってきた。
 酒気のせいか、○○の腕にかかる重みは普段に比べてじわりと熱い。

「……ああ、これなら」
「すみませんね、すぐに落ち着いて、飛べるようになると思いますので」
「無理しないで……でも、いつも思うけど呑んだ後に空飛ぶのって危なくないか?」
「人間ならともかく、天狗はよっぽどのことでもない限り問題ありませんよ
 ……そうですね、あのまま星熊様に付き合ってたりしたらわかりませんでしたが」

 文は思い出したように震えて、しがみつく腕の力を強める。

「じゃあ、ゆっくり行こうか」
「はい。二人でこうやってぶらぶらするのも、悪くありませんし」

 宵の口、昼間とは違った賑わいが湧きつつある大通りを、二人は笑い交わしながら歩き始めた。


うpろだ0064
───────────────────────────────────────────────────────────

「○○さーん」

 玄関で文の声が聞こえて、○○は夕飯の支度をする手を止めた。
 台所から続いている居間を抜けて、廊下に出ると、
 文はいつもの下駄靴を脱いでちょうど上がってきたところだった。

「貴方のかわいいカラスがただいま帰ってきましたよー」
「はい、おかえり」

 両腕を広げて満面の笑顔を向けてくる文を、いつものように抱きしめる。
 外の空気で少し冷えた文の頬に顔を寄せると、文も嬉しげに肌をくっつけてきた。

「あれ?」

 ふと、○○は違和感を感じた。いつもなら両方とも背中に巻きついてくる文の腕の感触が、
 今日は右腕の分しか感じられない。

「文、何か手に持ってる?」

 耳元で呟くと、文もいたずらっぽく笑いながら

「そうなんですよ。今日はちょっとしたお土産がありましてね」

 そう言って身体を離すと、左手にぶら下げていた包みを○○に差し出した。
 竹皮を何枚も重ねて紐でくくられたそれは、片手に収まらないぐらい大きい。
 両手で受け取るとしっかりした重さがあり、まだ温かかった。

「晩酌の肴にどうかな、と思いまして」

 脱いだ下駄をきちんと揃え、文は居間へと向かった。
 ○○もその後ろに付いていき、ちゃぶ台の上に包みを置くとその前に座った。

「開けてもいい?」
「どうぞどうぞ」

 言いながら上着とマフラーを脱ぎ、ハンガーにかけて鴨居からぶら下げると、文も○○の隣に座った。
 丈夫なこより紐をほどくと、竹皮の包みを開く前から独特な肉の匂いが漂ってくる。

「……お、とんそくだ」

 とんそく。豚の足である。
 大部分が骨で、皮や軟骨といった食べられる部分は意外に少ない上、
 見た目も人によってはグロテスクに感じかねないものだが、、
 好きな者には病みつきになる味と食感で、幻想郷でも割合ポピュラーな酒の肴だ。
 醤油や味噌でよく煮込んで出す店が多かったが、最近はしっかり下茹でしてから塩を振って炙ったものも人気がある。
 文が立ち寄った屋台は後者だったようで、ぶつ切りにして焼き目を付けたとんそくからは、
 立ち上る湯気とともに、食欲をそそる炭火の香りが漂っている。

「旨そうだな。ずいぶんたくさんあるね」
「屋台が出てたんですけど、ちょうど残りを売り切ったら店じまいということだったもので。
 少しおまけしてもらって、まとめて買ってきちゃいました」
「よし、ちょうどご飯炊けるまで間があるし、これで一杯――」
「あ、ちょっと」

 酒の支度をしようと立ち上がる○○を、文が手で制した。

「普通に飲むのもいいですけど、ちょっと趣向を考えましてね」
「趣向?」
「ほら、とんそく食べるときってどうしても手が汚れるでしょう?」
「……あー、そうだね。手づかみでないと上手く食べられないけど
 その手で箸とかグラスとか持つのはためらわれるというか」
「そうですよね。そんなわけで」文は少し言葉を切ると、いたずらっぽく笑いながら、
「役割分担、してみません?」
「役割分担?」
「ええ。じゃんけんで負けた方が持って、勝った方に食べさせるんです。
 もちろん、半分くらい食べたら交代はしますけど」
「……ふむ」
「どうです? やりませんか?」

 こうも楽しそうな文を見て、否やはない。

「よし、乗った」
「さっすが○○さん! ではさっそくじゃんけんしましょう。どちらが先に食べられるか」

 そう言って文は、握りこぶしを構えた。
 ……最近の文は始めにチョキを出すことが多く、
 ○○はそれに気づいているが、文はまだ気づいていない。

「よし、行くぞ――」
「「最初はグー、じゃんけんぽん!」」

 文の手はやはりチョキ、○○が出したのは――

「やった、私の勝ち!」
「負けたかー」

 人間の○○にとって、天狗の文を相手に優位に立てるようなことは、ほとんどないと言っていい。、
 こんな風に、密かな優しさを発揮できる場面はとても貴重なのである。



「焼酎も合うと思いますけど、今日は日本酒にしましょうか」
「そっちの方がいいかな。俺はどっちかというと日本酒の方が好きかも」
「焼酎も呑み慣れれば悪くないですよ?」

 ○○はちょっと苦笑した。焼酎の味、というか癖にはまだどうにも馴染めないのだ。
 台所奥の戸棚から一升瓶を取り出す。
 この間二人で里に下りたとき酒屋で見つけ、初めて買った酒だが、さらりと飲みやすい逸品だと言う。

「お燗つける?」

 背中越しに文に問いかける。

「いえ、冷やでいきましょう」
「りょーかい」

 ○○が瓶を抱えて戻ってくると、文は酒用の夫婦茶碗を準備してくれていた。

「よっ、と」

 文の隣に腰を下ろし、脚を崩して座る。
 瓶の封を切って酒蓋を外し、とぷりと中身が揺れる瓶を両手で掲げると、阿吽の呼吸で茶碗(無論、大きい方が文のだ)が差し出された。

「ま、おひとつ」
「どーもどーも、すみませんねえ」

 こぼさないように注意しながらゆっくりと瓶を傾け、○○はなみなみと酒を注いだ。
 八分目ほどまで透明な液体を湛えた茶碗から、爽やかな芳香がふわりと漂った。

「いい香りです。ではまず」

 そっと茶碗を傾けて一口酒を含むと、文は神妙な顔つきでそれを味わい、飲み込む。

「……いけますね。正に水の如しといった感じの、いいお酒ですよ。○○さんも少し味見しません?」
「どれどれ」

 差し出された文の茶碗に、○○はごく自然に口を付けた。

「……うん、おいしい」

 変に絡みつくようなことはなく、口の中を洗うようにして喉へと流れていく癖のなさ。
 それでいて甘すぎず辛すぎず、舌には旨味を、胸には心地よい酒精の熱を置いていく。
 どうやらなかなかの「当たり」だったようだ。  



「それじゃあ○○さん、そろそろアテの方をお願いできますか」
「そだね、それじゃあ大きそうなを……」

 なるべく大きそうな肉塊を選ぶと、○○は両端に少し突き出た骨をつまむようにして取った。
 食べやすいように、てかてかと脂で光る皮の部分を文に向ける。

「それじゃあどうぞ、召し上がれ」
「――いただきます」

 差し出したとんそくに、文が大きく口を開けてかぶりつく。
 きれいに並んだ白い歯が肉を噛み裂き、骨から引きはがした。

「むぐむぐ……」
「味はどう? 美味しい?」
「……んむ、いけますね。塩加減もちょうどいいです」

 そう言って文はぐい、と茶碗の酒をあおった。

「うん、お酒にもよく合います。というわけでもう一口……」
「はいはい」

 少し角度を変えて、残っている肉を前に向け、文の口元へ持っていく。

「はむ……っむ、んぐ? ん~っ」

 再びかぶりついた文の動きが止まる。
 ……腱や軟骨が絡み合っていて、なかなか噛み切れないらしい。

「大丈夫? よっ……とっ」
「んぅ」

 持って行かれそうになるとんそくを、○○は慌てて押さえた。
 文は歯を食いしばるようにして、骨の際に噛みついている。
 おそらく一人で食べるときなら無意識に手と顎の力加減を調節しているところなのだろうが、
 二人羽織状態ではそうもいかない。
 意外に神経を使わせられる引っ張り合いの末、ぶちりと音を立てて肉が食いちぎられた。



「……なんといいますか」

 いくつか食べ終えたところで、文が切り出す。

「ん?」
「本気でとんそく食べるとなると、人に見せられない顔になりますね。
 さっきまでの私、清く正しい美少女新聞記者がしちゃいけない顔をしてたような気がします」

 一般的な文の評価はさておき、確かに、あれやこれやをかなぐり捨てて肉塊に喰らいつく様は上品とはほど遠い。
 とはいえ、とんそくを味わい尽くすとなれば、そんなことに構ってはいられないのも事実だ。

「外ならよっぽど気の置けない集まりか、少なくとも殿方であれば○○さんだけですね、
 一緒にとんそくで一杯やろうなんて言い出せるのは」
「そんなもんかなあ」
「……あ、○○さんのことを軽んじているわけではないですよ? むしろその逆と言うか」
「大丈夫、わかってるよ」

 慌てて言い添える文に○○は笑ってそう返した。
 他所に見せないところをさらけ出せるぐらい気を許してくれている、というのは、割と心地よいものだ。
 そもそも○○が食べるときも似たようなことになるのだ。
 そう思うと、外向きの体裁という壁の内側に二人で潜む、共犯意識のような喜びさえある。

「だいたい、こんな風に食べさせ合ってる時点でそういうのは振り切ってる気がするけど」
「それはまあ、そうですね。ところで、そろそろ攻守交代しませんか?」

 見ればちょうど買ってきたとんそくは半分ぐらいになっている。

「十分堪能した? それじゃあちょっと手を……」

 粘り気のある脂と肉汁でべたつく手を洗おうと、○○は立ち上がりかけた。
 ――その腕を、文がそっとつかんで留める。

「最後にもう少し味わっておこうかな、と思いまして」

 そう言って、座りなおした○○の手を取り、そっと自分の口元へ持っていく。
 どこか蠱惑的な表情さえ浮かべながら、文の舌が○○の指先に触れ、
 艶々と光る唇の間へ絡め取った。



うpろだ0066
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「あれ、はたてさんは? もう帰ったの?」

 縁側に座っていた○○が、文の方を振り返った。

「ええ、打ち合わせも済みましたので」

 立ち上がろうとする○○を手で留めて、文は彼の近くへそっと足を進めた。

「異変を記事にする話?」
「――わかります?」
「天狗の仕事関係だけの話ならあんまり家でしないだろうし、
 そんな風にわくわくしてるとこを見るといいネタがあったんだろうけれど、
 普段ならはたてさんと言えども他と組んだりしないだろうから」
「○○さん、流石です。私のことをわかってくれてますね」

 文は膝を突くと、○○の背中に注意深く視線を注いでいたが、
 ややあってほっとしたように力を抜くと、その背中を包むように抱きついた。

「でも、日付またいで取材に行って帰ってきたのに、全然執筆の話しないからさ。
 よっぽど大きいネタで、なんかまだ解決してないのかな、って思って」
「……そんなところです」

 ○○の肩に顔を埋めながら、文はふぅ、とため息をついた。

「○○さん」
「んー?」
「○○さんは天狗、好きですか?」
「そうだなあ、ちょっと範囲が広すぎてわからないけど、文のことがすごく好きだから、平均すれば好きだと思う」
「そうですか……いえ、幻想郷には元をたどれば天狗と同じですが似て非なる、なんてのもいるんですよ」
「へーえ」
「後ろで踊ることで人間や妖怪を強くできるんです。
 ――○○さんが強くなりたかったら、私が手助けしますからね?」
「うん、その時はお願いする」
「○○さん――」

 文の指が、○○の背中をそっとなぞる。
 肩甲骨の後ろ、片側からもう片方。
 そこから真っ直ぐ下がってまた反対側。
 もし背中に扉を付けるとしたら、この辺りだろうという四角形。

「私、○○さんにこうやって後ろから抱きつくの、好きです」
「そうか。俺も文を抱きしめるの好きだよ。前からでも後ろからでも」
「…………よかった」

 文はそっと○○から身体を離し、ゆっくりと立ち上がった。

「……今度の異変は、すごく大きなネタになりそうなんです。
 これからきちんと仕上げをすれば、ですけどね。
 だから文々。新聞の記者としては、異変解決のモチベーションは十分以上です。が」

 振り向く○○の視線を、文は真正面で受け止めた。
 その顔に浮かぶのは、記者としての高揚感、だけではない。

「○○さんの伴侶たる一人の美少女、射命丸文としても、
 是が非でも解決しなければいけない理由ができました。
 ……○○さんに抱きしめられるのも、私は好きですよ。前からだけでなく後ろからでも」
「……?」

 狐につままれたような顔をしている○○に悪戯っぽく笑いかけながら、文は後ずさる。
 背中を○○に見せないように。

「下準備をしてから、異変に私なりのケリをつけてきます。
 そんなに長くはかからないと思いますが……
 帰ってきたらすぐにでも記事を書き始めたいですけど、流石にちょっとだけ休まないといけないと思います。
 だから、○○さんの腕の中で休ませてください。後ろからぎゅーっと抱きしめながら」
「――わかった。行ってらっしゃい、文。気をつけて」
「はい。……行ってきます、○○さん」

 後ずさりで居間を出ようとする文の手を、○○が取る。
 足を止めた文の唇に、○○はそっとキスをした。

「俺がやっても様にならないし、どのみち文は勝って帰ってくると思うけれど
 ……まあその、駄目押しということで」
「そんな、最高の後押しですよ。じゃあこれはお返しに、無事帰ってくる約束のキスです」

 ……深く深く、唇が重ねられる。
 やがて重なった唇が離れると、文は幸せそうな笑みを浮かべながら、居間を出て、ドアをそっと閉めた。


うpろだ0074
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 一頃幻想郷を騒がせた動物霊の話もめっきり聞かなくなった。
 妖怪の山にある○○と文の家でも、
 取材に飛び回っていた文が溜まったネタの取りまとめに入ったことで、
 ○○独りで過ごす割合が減り、いつものように二人で過ごす時間の方が多くなっていた。





 自室から出てきた文は、
 難しい顔をしながらふらふらと○○の方に歩いてきた。 

「おつかれ様。お茶でも淹れる?」

 そう言いながら、○○は読んでいた本を置いて立ち上がった。
 原稿書きに煮詰まった文が難しい顔で部屋から出てくるのは、そこまで珍しいことではない。
 一息入れて二人でお茶など飲んでいる内に、自然と今書いている記事の話になり、
 ○○がそれを聞いている内に文のイメージがまとまって、また執筆に戻る。
 最近はそうした流れがよくあるものだから、○○はそんな風に声をかけたのだが。

「……○○さん」

 問いかけには答えず、文は○○の傍に立つ。

「な、なに?」
「ちょっとお聞きしたいのですが」

 妙な真剣さを帯びた目で○○の方へにじり寄ってきた文は、

「……黒い髪は、好きですか?」

 と、意を決したように口にした。



 黒い髪。
 ○○は、文の艶やかな黒い髪が好きだ。
 文を抱きしめて髪を撫でているときに指先から伝わってくる、極上の絹織物に触れているような心地よさ。
 屋内で並んで立ったり、寄り添って腰を掛けたりすると、文の頭が○○より若干低いところにくるが、
 そんな風に「ちょうどよい」位置関係のとき、文の髪からシャンプーの匂いと、文自身の匂いがほのかに香る瞬間。
 日常の中の、そんなちょっとしたことを思い出すだけでも、○○は暖かな気持ちになれる。

 ――そうしたことを細かく語ってもよかったのだが、
 それもどうかという気がしたので、○○は、

「好きだよ」

 と答えるに留めておいた。

「……そうですか」

 普段ならそれを聞いて相好を崩したであろう文は、どうしたことか、少し不安げに眉をひそめると

「では――赤い眼は、好きですか?」

 と、重ねて訊ねてきた。



 赤い眼。
 沈む間際の夕陽のような、濃い赤色をした文の眼は、
 それを覗き込むときも、それに見つめられるときも、○○を惹きつけてやまない。
 朝○○が起きるとき、大抵は一つ布団で寝ている文の方が先に目覚めているのだが、
 ごくまれに、○○の方が先に目を覚ますことがある。
 そのまま寝顔を見つめている内に、ゆっくりと開いた瞼の隙間から真紅の瞳が覗き、
 ○○の姿をみとめた文が幸せそうに微笑んで「おはようございます」とつぶやく。
 その瞬間に、○○は心の底から嬉しさが込み上げてくるのだった。

 ――などといったことを熱く語ろうかとも思ったのだが、
 少し照れくさかったので、○○は、

「好きだよ」

 とだけ答えておくことにした。

「…………そう、ですか」

 文は、何故かますます表情を険しくすると

「○○さん…………黒い翼は好きですか?」

 と、絞り出すように問いかけてきた。



 黒い翼。
 顕さなくても十二分に速く飛べるので、文は普段翼をしまっているが、
 彼女が時折伸ばしてみせる、数多の色を融かし込んだような漆黒の羽を、○○はこの上なく美しいと思う。
 高速飛行の最中に地上の○○を見つけて、翼をはためかせながら嬉しそうに降下してくるとき。
 過ぎ行く季節に寂しさを感じている○○を、両の腕だけでなく、広げた翼も使って包み込んでくれるとき。
 羽の軽く柔らかな感触が、舞い散る羽根の美しさが、眼を引き寄せる深い黒が、自身の魂を文の元へ吸い込んでいくような。
 ○○は、そんな錯覚にとらわれることがある。
 文の翼は、○○にとって、幻想郷で最も身近で、最も麗しい幻想と言えるかもしれなかった。

 ――などと語りつくしたら流石に困惑されるだろうか、
 と我に返ってしまったので、○○は、

「好きだよ」

 としか答えられなかった。





 文はというと、実に複雑な顔をしていた。
 たとえて言うなら、大好物を口に入れたものの砂が付いているのに気づかず、
 舌の上に味が広がると同時に歯が砂を噛んでしまった、その瞬間のような。
 どうやら○○もそれに気付いたらしく、そして気付いた以上、○○の行動は速かった。

「あっ」

 ○○に抱きしめられた文が、声を上げる。

「文」
「……はい」
「言葉が足りなかったかもしれないけれど、好きなのは文がそうだからだよ。
 だから、例えば文が虹色の髪に金色の眼で、腕が六本あったとしても、
 俺が文のことを好きなのは変わらないし、そういうところを好きでいると思うよ」 

 数秒の間を置いて、文はふぅっと息をついた。
 腕の中に納まった身体から力が抜けるのが、○○にも伝わってきた。

「すみません○○さん、大丈夫です」
「……落ち着いた?」
「ええ。ちょっと、要らない心配をして取り乱してたみたいです」

 そう言って、文は○○の背に腕を回した。
 ○○も、文の背を優しくぽんぽんと叩く。





「新聞は順調ですよ。あとは写真を選別するぐらいですね。
 さっきは、地上征服を目論んで畜生界から飛び出してきた侵略者、というのの写真を見てました。
 霊廟の関係者だという噂なんですが」

 すっかり落ち着いた様子の文は、お茶を飲みながら○○と寄り添って座っていた。

「畜生界?」
「ええ、地獄の隣にある、弱肉強食の世界です……○○さん」

 文は一層○○に身を寄せてきた。赤い眼が、○○の眼を覗き込む。

「なんだい、文」
「私は、○○さんよりずっと強いです」
「そうだね。知ってるよ」
「……でも」

 文の腕が、○○の頭の後ろに優しく回され、二人の顔が近づく。

「○○さんなら、いいですよ? 私を、食べても」
「……文」

 ○○は文を抱き寄せると、流れるような黒髪に顔を埋めた。
 音もなく広げられた文の翼が、そっと○○の身体を覆っていった。

うpろだ 2020/02/16
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最終更新:2020年06月01日 19:27