―妹紅―


やっぱり今日は餌のかかりが悪い、と私はため息をついた。
川に垂らした糸も、掴んでいる釣り竿もぴくりとも動かない。水面に浮かぶウキは川の流れに漂うだけだ。
澄んだ水には魚の姿がちらほらと見えるのに、彼らは餌を啄ばもうとはしなかった。

ここは妖怪の山の麓にある川。私はここで朝から釣りをしている。
しかし成果は散々だ。いったい何刻をこの川辺で浪費しただろうか。

「あー、もう。今日は本当にだめだめだ」

頭をがしがしと掻き、苛立ちを紛らわせる。
白い髪がぱらりと自分の胸にかかったのを、腹立たしく振り払った。

いつもなら2、3匹の魚を桶に入れているはずなのに。
1日かければ、最低でも自分の食べる分ぐらいは楽に釣ることができるはずなのに。
あわよくば、釣り過ぎたからお裾分けするという名目で○○の家に行けるのに。

捕らぬ狸の皮算用と化した今日の予定。イライラが募るばかり。
唸り声を上げそうなほどに嫌な感情が積もった時、私は己の短気を自省し、ふぅと息を吐く。

「……落ち着こう。焦ると余計に釣れなくなるし」

魚は水面の様子に敏感だ。人の足音がしただけでも水際から逃げてしまう。
ましてや大声をあげれば、釣れる魚も釣れなくなる。

私は釣り竿をぎゅっと握り直し、自分の気配を極力消すように努めた。
釣りに大事なのは何よりも忍耐。我慢我慢だ。

「……」

目を瞑り、さらさらと流れる水の音に私は身を任せた。
風音を聞くことに意識を集中させると、イライラは川と時の流れと共に消えていく。
身体をゆったりと弛緩させる。私の頬を、手を、身体を、足を、風が通り抜けていく。

ふいと吹いたつむじ風が髪を巻き上げ、私は瞼を開いた。何本もの白い髪が宙に舞っている。
緑の草原と青い空に白は映える。もし、この場面を天狗のカメラに撮られたら、とても綺麗に写ったのではないだろうか。
私はゆったりとした動作で髪を押さえつけ、手櫛で毛先を整えた。

座れば地面に触れてしまうこの長い髪。幻想郷の少女たちの中でも、私のものはかなり長い方だろう。
よく「うっとうしくないか?」と聞かれることがあるが、私は決してそうは思わなかった。

何故だろうかと考えると、○○の顔が思い浮かぶ。

それはもういつことだったか。まだ私が○○と出会わず、魔理沙とも友人にはなっておらず、竹林にてひっそりと暮らしていた頃。
私はこの長い髪を邪魔だと思っていた。普段の生活にも弾幕ごっこにも、よく髪が顔にかかって視界を奪っていたからだ。手入れも面倒くさい。
しかし切ることもできない。自分は蓬莱人だから、たとえ切ったとしても気がつけば元に戻っている。
不便な身体だ。髪の毛すら私の思い通りになってくれない。

慧音にこのことを愚痴ると、こう言われた。「綺麗な髪をしているのだから、もったいない」と。
その時の私は「綺麗ねえ」と大して喜びもしなかった。

もし今、慧音に逆のことを言われたら――「長い髪が邪魔じゃないか?」と問われたら、私はどう答えるか?
決まっている。「そんなことはない」だ。

「……私って現金な奴なのかな」

どうしてこんなにも自分の髪が大事になったのか。
それはきっと思い出があるから――○○が私の髪を「綺麗だ」と誉めてくれたからだ。
とても単純だけど、私には大切な理由だった。

「……○○」

ぽつりと呟く愛しい名前。
もう何度この名を呼んだか分からない。
竹林で彼と出会ってから、彼の小説を実際に読んでから、彼と友人になってから。
私の口は先んじて彼の名前を形作り、声は喜びに満ちた調子を帯びてしまう。

『藤原さん、ですか。以前はどうもありがとうございました』
『……』
『ところで、1つお願いしてもよろしいですか?』
『……?』
『藤原さんの髪はとても白くて綺麗なので……よければ触らせていただけないかな、と』

それは○○の好奇心ゆえに発せられた言葉なのかもしれない。私の髪が物珍しいから触りたかっただけなのかもしれない。
しかし、私にとっては……。

初めて、男性に髪を触られ、頭を撫でられた出来事だった。

「……」

風と水の音を感じながら、私は○○を想う。

私は彼の近くにいることができているだろうか。
彼の役に立ちたい、一緒に笑い合いたい、互いに支え支えられるような関係になりたいという目標は、どれだけ達成できているだろうか。
○○の助けになれるのは嬉しい。だから彼が行きたい所には喜んで着いていくし、してほしいと頼まれればなんでもしたい。

たとえ慧音に「甘やかしすぎている」と言われても、魔理沙に「溺愛だ」と言われても、私は○○の側に居続けていたい。

「……」

ちゃぽんとウキが沈んだ。
私はそれに気付きながらも竿を掴むことをしなかった。
頭が変なことを考えていて、釣竿のことなんてほとんど忘れていた。


今のところ、私は○○と一緒にいることができている。
しかし、いったいいつまでそうしていられるのか。
寿命の問題ではなく、もっと別の問題として、私が○○の隣に立てる日はどこかで終わってしまうのではないか。
つまり、私ではなく、他の誰かが隣に立つ日が来るかもしれない。

そう考えると、なんだか怖くなってきて、腕が動かなくなった。

『なっ! お前らも○○が好きなのか!?』
『……これは驚いたな。妹紅も魔理沙も、とは』

かつて○○の家の前でばったりと顔を合わせてから、私たちは仲間になり、ライバルになった。
彼を慕っているのは私だけじゃない。あの2人も彼とずっと一緒にいたいと思っている。

ならば3人のうち、1人がその願いを叶え、2人は叶えられず。
私はいつか、○○の側を離れなくてはいけなくなる可能性がある。

○○がいなくなることはとても怖い。身体が震え、絶望に身をよじらせるほどに。

「……けど」

けれど、怖がってばかりもいられない。
恐怖で二の足を踏めば、それだけ前に進む時間がなくなる。○○と一緒にいられる時間は少なくなる。
時の流れは不可逆だ。無駄になんてしていられない。そのことを誰よりも分かっている。

私は、戻らない過去に悔いを残さないために、永遠の未来に暗い影が落ちないように、今を生きる。そう決めた。
起きてもいないことに恐怖してなんかいられない。

○○の隣にいられないかもしれない? だったらそうならないようにすればいい。
生きるというのはそういうことだ。

「……よし!」

私は竿を掴み、釣り糸を引き上げた。
案の定、餌は取られてしまっていたが気にしない。

○○の家に行こう。たまには食料のお裾分けなんて理由を使わず、ただ会いたいから会いに行けばいい。

私は竿を担ぎ、歩き出す。


白い髪がまた風でたなびいていた。





―慧音―

今日はやけに忙しいな、と私はため息をついた。

寺子屋の授業が終わり、里の雑貨屋で買い物をしようと歩いていたところ、

「これは……財布か」

落とし物の財布を見つけ、

「あ、慧音先生! すみません、これを阿求様に渡しておいてほしいのですが」

知り合いに届け物を頼まれ、

「うえーーん! おかーさーん!」

迷子の子供を見つけた。


「ふむ……手がたりん」

私は財布をポケットに入れ、届け物の紙袋を左腕で担ぎ、右手で子供の手を引いて、里の中をてくてく歩いていた。
まさか仕事終わりに3つも用事が重なるとは思わず、私は忙しさにため息ばかりが出てしまう。
もはや買い物どころではなくなってしまった。

「ぐすんぐすん」

目下の解決すべき事項は迷子の子供だろう。
先ほどからぐずぐずと鼻を鳴らしている男の子。早く親を見つけてやらねば、この子がかわいそうだし、私も動きが取りづらい。

「母親と買い物に来ていたのか?」
「……うん」

子供は親と一緒に買い物をしていたが、途中ではぐれてしまったようだ。
私は商店が並ぶ通りに親がいると当たりをつけ、その周辺を先ほどから歩き回っていた。

(知らない子だな……)

男の子は寺子屋の生徒ではなかった。いや、そもそも寺子屋に来るような年齢に達していなかった。
おそらく年は3、4才だろう。身体はとても小さく、手は赤子のように柔らかい。黒髪の男の子。
瞼は赤く腫れ上がっているが、涙は出ていない。泣きそうではあるが泣いていなかった。

「大丈夫か?」
「うん……」

この年で母親とはぐれるのは相当恐ろしいはずなのに、子供は気丈にも受け答えし、一緒に母親を探してくれている。
たくましいものだ、と思う。幼くとも、この男の子には勇気があった。

「ふむ、どうにも人が多い。これでは見つけにくいか」
「……お母さん」
「ああ、心配するな。私が必ず見つけてやるからな」
「うん」

安心させるために頭を撫でてやると、男の子はくすぐったそうに目を瞑った。
私たちはまた手をつなぎ、商店の間を歩き続ける。



しかし、どうも私は人里では有名人でありすぎる。

「おやまあ、慧音先生、ついに子供が生まれたのかい?」
「冗談は言わないでください。この子は迷子ですよ」

八百屋のおかみさんにはからかわれ、

「ぎゃー! 先生! まさかあの小説家と!? なんてこった!」
「ば、馬鹿を言うな!」

若い男には悲鳴をあげられ、

「せんせー、おさかんだねー」
「だねー」
「子供がそういう言葉を使うんじゃない!」

通りすがりの寺子屋の生徒たちからも煽られる始末。

「まったく、里の者は私をなんだと思っているのだ」

4半刻が過ぎて、里の人間に散々からかわれて疲れた私は、男の子と一緒に茶屋で休むことにした。
子供がおいしそうに団子を食べている横で、私はがくりと肩を落とし、考え込んでしまう。

子供を連れているだけで子持ちに見られるとは……私はそんなに年を取っているように見えるのだろうか。
まあ確かに、実年齢はなかなか言うのもはばかられるが……そういう経験があるように見られるのはどうも心外だ。いや、ない方がおかしいのか?

「おねーさんは、せんせーさんなの?」

ぶつぶつと考えごとをしている私に、団子を食べ終えた男の子が無邪気な笑顔を向けてくる。
彼はもう泣いていない。人懐っこい笑顔で私に親しくしてくれるようになった。
私は笑顔を浮かべて答える。

「ああ、そうだぞ。子供に勉強を教えている」
「そーなんだー。すごいねー」
「君もあと数年すれば、私のところに来るようになるさ」
「……そっかー」
「勉強は嫌か?」
「ううん、おねーさんがおしえてくれるなら、いいよー」
「ははは、そうか」

勉強を嫌わない子供は珍しくて、私はついつい男の子の頭を撫でてしまう。
男の子はくすぐったそうに私の手を受け入れる。ああ、こういう子供を――生徒ではなく実子として――持つのも、悪くはない。

「そういえば、まだお互いに自己紹介していなかったな。私の名前は慧音という。君は?」
「僕はねー、○△っていうんだよ」
「ほう、そうか」

驚いた。私の知っている男となかなか名前が似通っている。
それに顔つきも……普通なところが似ていないこともない。
彼が幼い頃はこのような子供だったのかもしれない。いや、もしくは彼の子供が……

「じゃあ僕、おねーさんのことをけーねせんせーってよぶね」
「ああ、いいぞ。一足先に君は私の生徒だ」
「わーい、やったー!」

無邪気にはしゃぐ子供。実際に寺子屋に来てもこのように喜んでくれたら、と私は微笑む。

まあ、最近は子供たちが私の授業をつまらなさそうに聞くことも少なくなった。
以前、彼――○○にアドバイスを貰って以来、私の授業に不平不満を言う者は減った。それどころか評判が広がり、里の大人も見学にくるようになった。
勉学が広まるのは喜ばしいことであると同時に、教え甲斐をとくとくと感じる今日この頃。

「ねーねー、けーねせんせー、せんせーはなにをおしえてるのー?」
「ああ、私の専門は歴史だな。歴史とはだな」

男の子に説明しながら、私は心の端で別のことを考えていた。
顔が彼と似ているから、思い出してしまったのかもしれない。

『……げん、そうきょう? それはいったい』

この子供のように、○○も最初は表情の無い、暗い顔をしていた。
それは突然異世界に放り込まれたからなのか、何日か飲まず食わずで流浪していたからなのか。
彼の生気のない目は今もよく覚えている。

『この世界でやれることはなんだろう、って考えると、やっぱり俺には小説を書くことしかできないんだなと思ったんです』

しかし、幻想郷に慣れるにつれ、彼は笑顔を浮かべるようになった。
ある日見せてくれた小説を私が褒めると、○○は照れたように笑った。
私がご飯を作ると、「おいしいです!」と手放しに褒めてくれた。

『上白沢さんは寺子屋を? すごい。どのようなことを教えているのですか?』

そして私が行う様々な説明を、彼は目を輝かせて聞いていた。
どんなことでもよく見て、よく聞き、よく理解し。
彼は己の見識をどこまでも広げていった。

そして今も彼は進み続けている。
その姿の、なんと眩しいことか。

「せんせー。僕ね、もう数を数えられるんだよー」
「それはすごいな。やってみせてくれないか?」
「いいよー。まずはねー、いーち、それでそれで、にー、さーん」

かわいらしく数を数え始める子供を、私は目を細めて見つめる。
この子もまた、成長する。前に進んでいる。数だっていつかはどこまでも数えられるようになる。
小さな足で先へ進む姿は、○○と同じように眩しい。私はその眩しさを守りたいと思うから里を守護する。

○○の眩しさも、もっと近くで見守りたい。

だが、そう思っているのは私だけではない。

『なっ! お前らも○○が好きなのか!?』
『こんなことってあるんだ。信じられない』

妹紅と魔理沙。約2年前だっただろうか、約束事を交わした少女たち。

私は彼女らを敵視しない。むしろ仲間だと思っている。
共通の目的を持った仲間。戦友だ。私達はお互いを邪魔しないし、疎ましくも思わない。

それでもいつかは、この関係が変わり、全てが定められる日が来てしまうのだろう。
その日を恐れてはいない。私としては、○○を見守ることができるならそれでいい。

しかし欲を言えば、私を選んでほしくもあった。

「あら? 慧音先生ではないですか?」

道の向こう側から、背の低い儚げな少女が私に声をかけてくる。
和服に身を包み、紫色の髪に花飾りをつけ、おしとやかな笑顔を浮かべているその少女。
人里に住む人間、稗田家当主。稗田阿求だった。

「阿求か。こんにちは」
「はい、こんにちは。慧音先生も団子を? そちらの子供さんは……」

私の隣に視線をやる阿求。男の子はいつの間にか数を数えるのをやめ、団子を頬張っていた。
阿求はどう思い至ったのか、ぽんと手を叩き、にっこりと笑う。

「お子さんですか?」
「……お前もか。お前もなのか」

私が眉間に皺を寄せると、阿求はさらに楽しそうに微笑んだ。

「冗談ですよ。寺子屋の生徒さんですか?」
「いや、迷子だ。母親を探していたのだが」
「ああ、それでしたらあちらに子供を探している女性がいましたよ」
「なに、どこだ?」
「ええと、それほど離れていないはずですが」

「○△!」

遠くから、女性の高い声がこちらに届いた。
見れば、一人の女性が涙目で走り寄ってくる。

「お母さん!」

私の隣に座っていた子供も、勢いよく走り出した。

「どこにいってたの! 心配したのよ!」
「ごめんなさい、ごめんなさーい!」

親子は再会し、抱き合う。
ようやく出会えた大切な人の存在を確かめ合うように、しっかりと。

「よかった……」

私はほっと胸をなで下ろした。



「ありがとうございます。本当にありがとうございます」

母親はぺこぺこと頭を下げ、何度もお礼を述べる。
私はまあまあと彼女をなだめ、顔を上げてもらった。

「次からは気をつけてください」
「はい、それはもちろん。○△を見てくれたのが慧音様で本当にありがたいことでした」
「私はただ一緒に母親を探していただけですよ。なあ、○△?」
「うん! けーねせんせーは一緒に遊んでくれたよ!」

母親のそばにいることで男の子はきらめくような笑顔を浮かべている。
見ているとほんわかとした気持ちになった。やはり子供は笑顔が1番だ。

「それでは、これで失礼します。また改めてお礼を……」
「いえいえ、結構です。これからも仲良くしてください」
「ありがとうございます。○△、さよならを言いなさい」
「もう、けーねせんせーと会えないの?」

男の子が寂しそうな目で私を見つめる。
私に懐いてくれているのだな、と嬉しくなり、優しい手つきで男の子の頭を撫でてやった。

「そんなことはない。私は寺子屋にいるから、いつでも来なさい。いろいろと教えてやるから」
「うん! じゃあ、僕、けーねせんせーのおむこさんになりたいから、そのほーほーをおしえて!」
「そ、それは……あー」

子供はなんとも無邪気に大胆なことを言う。
これには私も母親も苦笑いを浮かべるしかなかった。

「こら、○△。変なことを言わないの。では、これで」
「ばいばーい」

そうして母子は手をつなぎ、去っていった。
いつまでも手を振っている子供。遠くからでも頭を下げる母。
夕焼けに照らされ、消えていく2人の姿。
人の母子とは、こんなにも美しく見える。

「ふぅ……」
「あの子供もかわいそうに。憧れの先生が1人の男性に心を奪われていると知れば、幼い瞳を涙で濡らすことに」
「阿求、からかってくれるな」

阿求の軽口を、私はなるべく平然と受け流す。
しかし阿求の追い込みは止まらない。

「おや、では『彼』以外の方からの求婚を受け入れるのですか?」
「……だからからかってくれるな」

答えなんて決まっていると、阿求も分かっているだろうに。
私は誤魔化すように苦笑いを浮かべるしかなかった。



それから、私と阿求は連れ立って歩きだした。
残りの用事を済ませるためだ。お届け物の配達と、落し物の財布の処理。

その内、お届け物に関してはすぐに終わった。届ける相手が目の前に現れたからだ。

「阿求、古本屋の主人がお前にと」
「ああ、注文していた本ですね。これから大図書館の主と会うので、ちょうどよかったです」
「『動かない大図書館』に?」
「はい。○○さんに紹介していただきました。お互いに本の貸し借りをしていまして……この本はおススメのもので、パチュリーさんに差し上げようかと」
「そうか」

色々と人の縁は広がっているものなのだな、と私は思った。

さて、これで残りは落とし物の財布を自警団に届けるだけだ。
私が自警団の詰め所に向かって早々に歩き出すと、阿求がついてくると言い出した。
どうやら私と話したいことがあるらしい。

里の中を歩いていると、阿求がさりげない調子で質問を繰り出す。

「○○さんとはどうなのですか? 進展は何かありましたか?」

やはりか、と私はうんざりとした気持ちになった。

「いつも通りだ。変わりない」
「そうですか」

ここで私は疑問を抱く。
阿求にしてはやけにあっさりと引き下がったのだ。いつもは「半妖と人間との恋を書き留めたい」と言っては、根ほり葉ほり私と○○との関係を問いつめてくるというのに。
もっと別の話をするつもりなのだろうか。もしや、人里の治安に関してか?

私は少し身構えた。

「もう1つ、お聞きしたいのですが」

彼女の顔は真剣だ。やはり何か重大な話をするのか。
阿求の口から出てくる言葉に、私は意識を集中する。

しかし予想は外れた。

「○○さんはこれから新しく本を出すご予定はありますか?」
「本?」
「はい、本です」

ほとんど世間話の域を出ていない質問に、私は拍子抜けする。
ただ、阿求の表情は確かに真面目なものだったので、答えなくてはいけないような気にさせられた。
最近の○○の状況を思い返し、答える。

「どうだろうか。最近はそれほど忙しくしていないようだが……天狗の新聞での連載が続いているぐらいだな」
「そうですか。でしたら構いません」

落胆半分、安心半分といった調子で阿求が肩を落とす。
私はその様子にやはり疑問を抱く。

「……○○の本が気になるのか?」
「はい。私と○○さんはライバルですから」

ぐっと拳を握る阿求。彼女にしては活発的なポーズを取る。

ああ、そういえば似たようなことを前にも聞いたことがあった。あれは○○と阿求が連れ立って私の家にやってきた時のことだったか。
○○と阿求、どちらの本が皆に読まれているのか調べてみたい、云々と。私に統計の依頼をしてきたのだ。その時も何故と問うて、『ライバルですから』と阿求は言っていた。
結局その依頼は「里人にアンケートをとる」という、私が提案した単純な方法が採用された(結果として、2人に大きな差はなかった)。

他にも、2人がある本の内容について白熱した議論を交わす光景を目撃したことがある。
ある資料の解釈を巡って、手紙の上で大喧嘩をしたこともあったか。

つまるところ、どうも2人は文筆家としてお互いを意識しているらしい。

「なあ、阿求」
「はい?」
「ジャンルが違うのにライバルになるものなのか? あちらはフィクションばかり書いているぞ」
「お互い文を書く者同士、どうしても競い合ってしまうものなのです。幻想郷には文筆家が少ないですし、己の書いたものを人に読んでもらいたいという欲求ぐらい、私も持ち合わせています」
「少ないのだからこそ、仲間意識はないのか?」
「ありますよ? しかし、仲間でありながらライバルなのです」
「そういうものか……」

作家でない私にはこのあたりのことはよく分からない。
私も歴史を書物に記すことはあるが、彼らのように文章に命をかけているというわけでもない。
文筆家には文筆家なりの、何かプライドのようなものがあるようだ。歴史家にはよく分からない。

「そう言えば、○○がこう言っていたな。『阿求さんのウィッティに事実を伝えている文を読んでると嫉妬してしまう』と」
「……彼は幻想郷縁起を読み進めているんですね」

『幻想郷縁起』。
阿求の家が代々編纂している、幻想郷についてのあらゆることを記した書物。
そこには幻想郷の成り立ちから地理、天候、人物等、様々なことが資料としてまとめられている(私も恥ずかしながら登場する)。

稗田家の中でも『特別な子』が作るその書物も、阿求で9冊目(一代につき一冊出るのが普通らしい)。
まだ編纂途中ではあるが、一部が皆の読み物として発刊されてもいる。評判は上々。
○○には阿求から未発刊の原稿も送られているようで、時折読んでいる姿を見かける。

「○○もなかなか全部は読めないようだがな。何せ、あれは今でも十分長い」
「ええ、私もそう思います。しかし、幻想郷の成り立ちからまとめるとなると、どうしてもああなってしまうのですよ。幻想郷の人々は個性的ですしね。
 ああ、そういえば、彼はやはりまだ、幻想郷に住む者を扱う項目を読んでいないのですか?」
「『実際にその人と出会うまでは、人物評はなるべく読まないようにしている』と言っていた」
「彼らしい。本の意図とは外れていますが」
「その通りだ。妖怪を知り、危険を避けるためにも、きちんと読んでほしいものだ」
「相変わらず心配性ですね、慧音さんは」

阿求はくすりと笑った。

「では彼にはこう伝えてください。『○○さんの的確な描写にはいつも舌を巻きます。しかし、時に幻想郷の常識を無視していることがある』と」

ああ、確かに彼は幻想郷の常識を無視している。
妖怪を恐れず。危機を恐れず。いつも小説を第一に考えている。
だから私は彼から目が離せない。

「妖怪の心理描写や行動様式に少々荒が目立ちますから、その点も伝えていただければ」
「わかった」

阿求の言葉は○○の本をきちんと読んでいなければ出てこないものだ。
きっと○○の本を細かく読み込んでいるのだろう。
○○も幻想郷について知るために幻想郷縁起を精読している。

互いの作品を読み合い、批評し、切磋琢磨する。文学を通じて、彼らは交流を深める。
これがいわゆる文学サロンというものなのだろう。

私には入り込めない世界だ。

「……少し阿求がうらやましくなるよ」
「なぜですか?」
「私の場合、歴史の『記述』はできても『描写』はできないからな。歴史家としてそれは当たり前ではあるが、時々○○と私との間に大きな壁があるように思う」
「壁など得意の頭突きで壊せばいいではないですか。文学を知れば、彼を深く知ることもできるかもしれませんよ」
「……そうだな」

阿求の言うことも最もだ。

私は○○を見守りたいと思っている。
ならば、もう少し○○の仕事について勉強するべきではないか。

○○は小説を書く。時に喜び、時に悩む。
さらには自己嫌悪と自信喪失の波に襲われ、家に引きこもり、己を罵り続けることもある。
彼はいつでも、いつまでも文章と戦い続けている。

ならば私は?
彼を助けたいと思うなら、私は何を知るべきか?

「慧音さん、お財布を届けた後はどこへ?」

考え込む中、阿求が的確な質問をしてくる。
彼女はめざとい人間だから、きっと私がどんなことで悩んでいるか理解しているのだろう。
嫌には思わない。友人が自分を応援してくれているのは、よくわかっている。

私は落ち着いて答えた。

「○○の家へ」

もっと彼の近くにいるために。
彼を理解するために。
彼を見守るために。

私は彼と話がしたかった。







―魔理沙―

今日は厄日なんだろうな、と私はため息をついた。
目の前に出された紅茶もクッキーも、手をつける気が起こらない。
ただただ力ない笑みを浮かべることしかできなかった。

「クリスマスはツリーを作ってプレゼントをあげて、それで終わり? あなたにしては珍しく大人しいのね。もっと積極的にいくのかと思ったわ」

動かない大図書館は、いつもの「動かず話さず」はどこに行ったのやら、熱心に語っている。
曰く「もっと押せ」と。

「いいじゃないそれで。むしろ、最後に○○さんによりかかって眠っていたなんて……ちょっと無防備すぎると思うわ」

7色の人形遣いは、いつものスマートでクールな様は消え失せ、熱心に語っている。
曰く「もっと慎みと恥じらいを」と。

「なぁ……いい加減、私の話はやめにしないか? もう飽きてきたんだぜ」

「何を言ってるの」
「まだまだこれからよ」

パチュリーとアリス、2人に断言されてはぐうの音も出ない。
いつもなら本を「借りていく」はずの大図書館は、今では女達の恋愛談義の場になってしまっていた。

「うぅ……」

私は耳を塞ぎ、追及から逃れようとする。

「「魔理沙、もっと話してちょうだい」」

しかし彼女らは許してくれない。どこまでも私を追い詰めてくる。


どうしてこんなことになってしまったのだろうか。

発端は、アリスからのお茶会のお誘いだった。
「たまにはおしゃべりでもしない?」と、アリスが誘ってきたのが昨日のこと。
私は珍しいなと思いながらも、おいしいケーキがあるという甘言に乗ってしまった。それがいけなかった。

大図書館で始まったお茶会。お茶とお菓子。どちらも咲夜が用意したもので、とてもおいしかった。

「さあ、飲みなさい。もっと食べなさい」
「魔理沙、今日はいくらでも食べていいのよ?」

パチュリーとアリスはなぜかとても機嫌がよかった。ニコニコしていた。いや、ニヤニヤだったかもしれない。
それで気付くべきだった。これは私をはめるための罠だということを。
なのに私はのんきに出されたお菓子をもぐもぐ食べていた。

そして、

「そう言えば、○○さんの誕生日っていつだったかしら?」

というパチュリーの質問から全てが始まった。

「んあ? 誕生日?」

お菓子を食べることに一生懸命だった私は、さっさと誕生日を教えてやった。
しかしそれで終わらなかった。パチュリーは矢継早に質問を繰り出してきた。

「去年の誕生日は何かあげたのか」「お返しはもらえたのか」

という話題からさらに、

「他のイベント事では何かあったのか」「○○さんと週何日会っているのか」「普段はどんな話をしているのか」

と、話題がピンポイントで私的なものに移っていき、

「○○さんと手を繋いだことはあるのか」「お出かけやデートは?」「彼のどこが好きなのか」

というように、いつの間にか赤裸々告白をさせられる羽目になったのだ。


そうして今に至る。もはや途中から私の顔は赤くなりっぱなしだ

「よく頭を撫でられたりするみたいだけど、そういう時ってやっぱり幸せ?」

耳を塞ぐ私の手を無理やりどかしたパチュリーが、また恥ずかしいことを聞いてくる。
これ以上答えられないと思った私は、もごもごと口ごもった。

「うぅ……もう何も言いたくないんだぜ」
「まあまあ、魔理沙、この紅茶を飲みなさいよ」

アリスがまた1杯、カップに紅茶を入れた。
砂糖1つにミルクを数滴入れた紅茶。私の好きな味だ。
目の前にカップを置かれると、手が勝手に取っ手を掴んでしまう。
一口含み、飲み込む。やっぱりおいしい。

「で、どうなの?」

アリスの問いに、私の口が勝手に答えてしまう。

「○○の手はなんだか暖かくって、頭を撫でられると、ぽわぁってする……って、ち、ちがっ、今のは!」

私ははっと気付き、口を抑えた。
なんだかおかしい。この紅茶を飲むと、なぜか心がほんわかとしてきて、口が軽くなってしまう。
普段なら言葉にするのも恥ずかしい単語も、簡単に出てきてしまう。

「そのまま抱きついてしまえばいいのに」

パチュリーがまた過激なことを言う。
私は自分があいつに抱きついた場面を想像し、赤面してしまった。

「そ、そんなこと無理だって……やりたくはなるけど」

すらすらと出てくる自分の欲望。どうしてこんなにも素直になってしまうのだろうか。

きっとこの紅茶に何か入っているに違いない。
そうだ。そうに違いない。
決して、日頃の欲求不満をここで打ち明けたいなんて思っちゃいない。決して……多分。

「それにそんなの私のキャラじゃないぜ……」

私がため息混じりに呟くと、パチュリーが納得行かない様子でびしっと私を指さした。

「魔理沙は誰でも彼でも突撃していくもんでしょ。私やパ――もとい、レミィにもよく後ろから飛びかかってくるじゃない。○○さんにだって色々と性質の悪い冗談言っているんでしょ?」
「そ、それは結局冗談であって……」
「気軽に真正面から抱きついてやったらいいのよ」
「お、男にそんなこと気軽にできるわけないだろ!」

私にできるのは、せいぜいからかい調子で○○を挑発するか、冗談混じりに○○の腕にしがみつくことぐらいだ。
それだって平然を装っているだけで、本当はドキドキしっぱなし。
真正面から抱きつく? ○○に? できるわけがなかった。

私が顔を赤くしてもぞもぞしていると、アリスが私の肩を叩き、うんうんと頷いた。

「それでいいじゃない。女ががつがつするのはよくないわ」
「人形遣いの言うことは面白くない」
「あなたが過激すぎるのよ、パチュリー」

アリスが苦笑混じりに言い、また私のカップに紅茶を注いだ。
淹れたての紅茶の香りが私の鼻をくすぐる。この香りが心の平穏をもたらしてくれた。

「で」

とんっとパチュリーがテーブルを指で叩き、私たちの視線を集めた。

「魔理沙。あなたと○○さんとの出会いって聞いたことがないわ。教えてちょうだい」
「え」
「聞かせて」

私が動揺して口を噤めば、身を乗り出してくるパチュリー。
今までの彼女にはあまり見られないことだった。いつもなら人の話に興味を示してこないはずだが。

何にしろ、パチュリーの質問をきっかけにして、私は過去に思いを馳せる。

「○○との出会い?」
「そうよ」
「……もう結構前だな。2年以上前か」

思い出すのは、魔法の森の傍にある平原。あそこに1本だけ高く延びた木。
私と○○は――

『っと、箒に乗って空を飛ぶって、まるで魔法使いみたいですね』
『まるで、じゃなくて私は魔法使いだぜ?』

――出会って

『霧雨さんは魔法の森に住んでるんですか。あそこは入っちゃいけないって、慧音さんに言われてるんですけど、俺はすごく興味あるんですよね』
『……なあ』
『はい?』
『霧雨さんって呼び方はやめてくれないか? こう、背中がかゆくなるっていうか』
『んー、じゃあ魔理沙さんで』
『魔理沙でいいって』
『いや、さすがに呼び捨てはちょっと』

――言葉を交わして

『では、魔理沙さん』
『だからさん付けはやめろって。敬語もやめてくれ』
『けど、うーん』

私はあいつの距離の取り方が不満だった。
いくら近づこうとしてもあいつは逃げていく。少し親しくなったらすぐに離れていく。
だから私は無理にでもこいつを捕まえたくなって、捕まえると、今度は一緒にいたくなった。
楽しい時間を共有したくなった。

そうしていつの間にか私は――

「秘密、だな」

パチュリーとアリスがこちらを凝視してくる中、私は懐かしい思い出を口から外に出さず、そっと胸にしまった。
あの思い出は人に話したくない。私と○○との間だけにある、大切な思い出だ。

「なにそれ。いいじゃない、出会いぐらい聞かせてくれたって」

眉をひそめて怒ったのはパチュリーだ。
まるで拗ねた子供のように口を尖らせている。
私は「勘弁してくれ」と申し訳なく言った。

「恥ずかしいんだって」
「それでも聞かせなさいよ」
「んんー……おいおい、どうしたんだ、パチュリー。やけに突っかかるんだな」
「別に……なんでもないわ」

ぷいっと顔を背け、机の上に置いていた本を開くパチュリー。
そう言えば、今日初めて、パチュリーが本を読む姿を見た気がする。
それもおかしな話だ。彼女はたとえお茶会でも本を読むのをやめないはず。今日ばかりは本以上に私と○○の話に興味があるのだろうか。そんな彼女ではないはずだが。

「じゃあ、質問を変えましょう」

場の空気を変えるように、アリスがポンっと手を叩いて言った。

「○○さんに思いを寄せてる人って、あなただけじゃないでしょ?」
「……まあな」
「焦ったりしないの?」

純粋に疑問に思ったらしいアリスの質問に、私はまた過去のことを思い出す。

焦る。
確かに少し焦ることはある。○○は優しいし、人当たりもいい。人にも妖怪にも好かれやすい。

私は顔を俯けながら呟く。

「そりゃあ、な。○○って霊夢やレミリアにも好かれてるみたいだし」
「誰があんな人間を」
「ん? パチュリー、何か言ったか?」

パチュリーの呟き声はよく聞こえない。何か文句でもあったのか。

「いーえ、何も」
「そうか? だったらいいけど……うん、焦ることもある。けど、そんなにだな」

昔はもっと焦っていた。
特に、○○の家の前で「あの2人」と鉢合わせした時は、本当に焦った。

『……これは驚いたな。妹紅も魔理沙も、とは』
『こんなことってあるんだ。信じられない』

あの出来事があってから、私たちは共通の目的を持つようになった。
最初は本当にただの共同戦線でしかなかった。持ちつ持たれつな関係でしかなかった。
しかし私達は仲良くなり、4人一緒にいることが当たり前になった。
いつしか、あの空間が随分と居心地よくなってしまった。

焦りも嫉妬も生まれない私たちの間柄。
これが長くは続かないことも、私たちは知っている。いつか、○○の横に立つ人が決まってしまうだろうから。

それでも私は焦らない。
自分が選ばれなくても、納得できるだろうからだ。
たとえ望む未来にならなくとも、その未来を受け入れられるなら、焦りなんて生まれない。

「ま、じっくりいくさ。焦る必要はないと思ってる」

この私の答えに、本を読んでいたパチュリーが顔をあげ、しかめっ面をした。
というか、パチュリーの手元の本は全くページが進んでいない。読んでいなかったのか。

「ああ、もう、さっさと抱きつくなり、いそしむなり、なんなりしてしまえばいいのよ」
「もう……自重しなさい、パチュリー」
「うー」

アリスに諌められると、口をすぼめて拗ねるパチュリー。

やはり今日のパチュリーはおかしい。異様なまでにアクティブだ。
イメチェンでもしたのだろうか。首には珍しくネックレスをかけ、おめかししている。
ぷんぷん怒った顔も、イメチェンの成果か?

「魔理沙なら、図書館の本を奪っていくみたいに、○○も奪っちゃえばいいのよ」

鼻息荒いパチュリーに、私は苦笑する。

「そりゃ、押して押して押しまくろうとは思うぜ? けどな、奪うってのはちょっと違うと思ってる」
「違うって?」
「恋愛は、自分と相手との気持ちの重なり合いが大事だってことだ。無理やり自分のところにつなぎ止めるのは、なんか違うと思う」

例えば、好色な物語によくあるような『既成事実を作る』だとか『自分の所におらざるを得なくする』だとか、そういう愛を強いるのとは違う。
私はそんなことで心が通じ合うことを望まない。
もっと、精神的なつながりが大事だと思う。特に○○相手には。

きっと妹紅も慧音も一緒だろう。

「恋はじっくりたっぷりと、だぜ?」

恋色の魔砲使いとして良い事を言ったのではないか、と自画自賛する。
しかしパチュリーにとっては納得のいかない答えだったようだ。

「似合わないことを言うのね。紅魔館の不法侵入常習者とは思えないわ」
「本当に恋する乙女になってしまっているのよ」
「ふーん」

アリスが苦笑気味に言うのを、パチュリーは拗ね顔で相づちを打つ。

私はその間に一口、紅茶を飲んだ。心をリラックスさせるこの紅茶は、やはりおいしい。

「それに、○○はさ」

また私の口が勝手に動き出してしまう。
紅茶のせいで、愚痴を言いたくなったのだろう。

「○○は、鈍すぎるんだぜ。何をやってもスルーされてる気がする。手を握っても何もないし」
「そうかしら、○○さんはけっこう意識してると思うわよ?」

軽くのたまうアリスの言葉に、私はむっとした。
こいつは現実を分かってない。

「嘘つけ」
「嘘じゃないわよ。私たちと話をする時と、あなたと話をする時じゃ、全然違うわ」

あくまでアリスは真剣な顔で説明する。

「私たち相手だと、彼の目は観察のそれに近いのよ。私たちに興味を持って、細部までを知ろうとしているの。けれど、あなたを見つめる目は違う。もっとこう……親しみがあるわ。そして明らかに女性としても意識している」

アリスの言葉に、私はぽかんとしてしまった。
○○が私を意識している?

「ほ、本当か?」
「本当って言ってるでしょ。そもそもね、女の子に傍に寄られて意識しない男なんていないわよ」
「……○○にそんな風に見られてるなんて、そんな、そんなだったら」

もしアリスの言うことが本当だったら……

想像して、ぼわっと心に火が灯る。
もし、○○の瞳に私が映っているならば。
考えるだけで物凄い喜びが湧いてきて、思わず手で顔を覆ってしまった。

「……う、嬉しい」

自分でも顔が熱くなっているのが分かる。
嬉しかった。もっと見てほしかった。
恋しい人に愛でてほしかった。
いつだって、私はそう思っている。

それでもつれないあいつが、憎たらしくなる。

「はぁ……」

ため息ひとつ。
今日の私の心はどうにも乙女ちっくになっているようで、○○への想いばかりが募っていく。

と、アリスとパチュリーがなにやらひそひそ話をしていた。

「や、やばいわね、今の魔理沙は。女の私でも襲い掛かりたくなっちゃったわ」
「魔理沙がここまで『落ちた』とは……なかなかの誤算ね。これもあの人間の魅力というものか」
「ちょっと、パチュリー、口調」
「っと、ごめんなさい。気を抜いてしまったわ」

2人がこちらを見ながら話している中、私はざわつく心を押さえつけるのに精一杯だった。

まずい。
今、すごく○○に会いたくなってる。

「ちょ、ちょっと行ってくるんだぜ!」
「え? 行くってどこに?」
「○○のところ!」

アリスの当惑する声を背に、私は箒を取り出してまたがる。
会いたい。すごく会いたい。
会って、私と話してほしい。私を見てほしい。私を意識してほしい。

恋い焦がれる想いが私を突き動かす。

「行くぜ!」

室内だろうとも構わず箒に乗る。
扉を押し開け、妖精メイドや門番を吹き飛ばし、私は夕焼け空へと飛び上がった。
目指すは○○の家。今なら幻想郷最速になれそうなほど、気分が高揚していた。



「行っちゃった、わね」

魔理沙が飛んでいった名残からか、図書館には今も風が吹いている。
机の上に置いている本がパラパラとめくれていくのを、アリスは手で押さえて止めた。

「はあ、あのままの勢いで変なことになったりしないかしら、心配だわ」
「お前は魔理沙とあの男が付き合ってほしくないのか?」
「そういうわけじゃないけど……勇み足になりすぎて魔理沙に傷ついてほしくないだけよ」

アリスと話をしているのはパチュリー。けれど口調はパチュリーとは似ても似つかない。
そう、アリスと話しているのはパチュリーではない。

「いつまでその格好をしているのかしら、吸血鬼さん」
「そうだった。えーと、この魔法を解くには、と」

パチュリーの身体からパッと光が放たれる。
瞬きする間に、紫色の服を着た魔術師は、蝙蝠の黒い翼を持つ幼い吸血鬼へと変化した。

レミリア・スカーレット。
紅魔館の主がパチュリーの姿に変装していたのだ。

「協力、感謝するわ。ここまで完璧な幻覚魔法は、パチェ以外はお前しか使えなかったでしょうね」
「別にいいわよ。人形の素材をあんなに貰えたんだし。安いものだわ」

ひらひらと手を振るアリス。
レミリアは首にかけていたネックレスを彼女に手渡しする。
これが幻覚魔法の種。アリスによって魔力が込められた、望む姿に変身できる便利アイテムだ。

アリスがネックレスを鞄にしまうのを眺めつつ、レミリアがふと尋ねた。

「ねえ、そんなアイテム、どうして作ったのよ」
「人形の首にかけるのよ。新しい人形を作る時、完成品のイメージを固めるためにね。幻覚魔法で作り出した人形をモデルにするの」
「なるほどね。てっきり自宅で魔理沙にでも変身してるのかと思ったわ」
「どうしてそんなことしなくちゃいけないのよ」
「だって、魔理沙にはすごく過保護に見えるのよ。変な感情でも持ってるんじゃない?」

ニヤニヤと笑うレミリアに対して、アリスは憮然とした表情を返す。

「だったら聞くけど、あなたもどうしてこんなことを計画したのかしら、吸血鬼さん?」
「そんなこと、決まっているわ」

レミリアは薄い胸を大きく張り出した。

「面白いからよ!」
「面白い?」
「不死鳥娘に半妖、そして白黒。その3人に好かれている○○という人間。面白いじゃない。ただの人間が幻想郷の女を惚れさせるなんて」
「……○○さんに気があるの?」

その一言に、レミリアは途端に顔を赤くした。

「そ、そういうのとは違うわ! これは知的好奇心という奴よ!」
「本当かしら?」
「本当よ!」

レミリアの羽がぴんっと硬直している。
これはどんな感情を表していたのかな、とアリスは微笑む。もしかしたら図星を指されるとこうなるのかもしれない。

レミリアの機嫌を悪くしすぎるのもよくないので、アリスはそこで追求を止め、紅茶を1杯淹れてやった。
カップに紅茶が注がれた所で、図書館の扉からノックの音がする。
すかさずレミリアが「誰?」と問いた。

「私です」
「ああ、咲夜、どうしたの?」

扉の開く音もせず(そもそも『本当に』開く場面だけが見えなかった)、紅魔館のメイド長の姿がレミリアの横に現れた。
彼女は少々申し訳なさそうな顔をして、己の主に頭を下げる。

「お話し中、申し訳ありません。図書館から轟音がしたもので……また魔理沙ですか?」
「ええ。何か壊されたの?」
「図書館の窓と門番が1人。どちらも大した損害ではありませんが」
「窓は妖精メイドに直させなさい。門番は晩ご飯抜きよ」
「かしこまりました」

うやうやしく頭を下げる咲夜。相変わらず瀟洒だ。
そのまま去ろうとする背中を、レミリアが呼び止めた。

「そうそう。咲夜、あの紅茶、なかなか良かったわ。魔理沙があんなにしゃべってくれたのは紅茶のおかげね」
「ありがとうございます」
「何か薬でも盛った?」
「いえ、特には。リラックス効果の成分は元々入っていますが……おそらく魔理沙自身に、いろいろとため込んでいたものがあったのではと」
「ふむ、だとしたらパチェの格好をしたのはやはり正解ね。私相手だと絶対に話してくれなかったでしょ」
「そうですね。お嬢様相手だと警戒するでしょうから。そのご様子ですと、収穫があったようで」
「ええ、盛りだくさんよ」

そう言って笑うレミリアは、相当あくどい顔をしていた。
収穫と言っても、魔理沙と○○の蝸牛の歩みのような関係を延々と聞かされていただけのはずだが。
もしかするとレミリアは相当な出歯亀根性の持ち主なのかもしれない。例の裏新聞を書いている天狗と同族なのではないか?

「今度は小説家の家に突撃してみるのもいいわね。いそしんでる現場を押さえるっていうのもアリだし」

なんとも過激な吸血鬼だ。お茶会の最中もそうだったが、外見の幼さとのギャップが激しい。

「ねえ、メイド長さん」
「なにか?」
「ご主人様の教育方法、どこか間違ってないかしら」
「そうね。私も最近、そう思っているところよ。ただ、あんなお嬢様を見ているのも楽しいわ」

こらえきれなくなったかのようにため息をつく咲夜。
しかしそれは呆れているというより、和んでいるような感じだった。

「……あなたも相当ね」
「ありがとう。ああ、それと、しつける役目は私ではなく、他にいるのよ」

他とはどういうことかとアリスが聞き返す前に、図書館の扉が今度は正真正銘開いた。
夕焼けを背に立つのは、紫色の魔法使いと、その使い魔。
パチュリーと小悪魔だ。

「……」

パチュリーは眉をひそめ、かつかつとこちらへ歩いてきた。
どうやら彼女は珍しく外出していたようだ。その手には紙袋がいくつか抱えられている。

「お邪魔しているわ、パチュリー」
「……そ」

アリスはパチュリーに手をあげて挨拶するも、相手はちらりと目配せしただけ。
その紫がかった瞳はレミリアをジトリと見つめていた。怒っているのか呆れているのか、不機嫌であるのは間違いない。
一方でレミリアは、目に見えて慌て始める。

「あ、あら? パチェ、もう帰ってきたの? 稗田の当主と会ってきたらしいけど、どうだった?」
「……レミィ」

パチュリーの重くて低い声に、レミリアの翼がぴんっと跳ねる。
睨みを効かせた顔がどんどんと近づいてくると、レミリアは椅子から立ち上がり、後ずさりし始めた。
しかしパチュリーが逃がすわけもない。

「私ね、図書館の本をとても大事にしているの」
「そ、そうね」
「勝手に持っていかれたりしないよう、色々と防犯対策をしていて」
「そう、それは初耳ね」
「その中にはね、このテーブルに人が近づくと作動する魔術式があって」
「え、え?」
「音と映像を自動的に拾って私に届ける魔法」
「あ、あー、えーとね、これには深いワケが」
「今日外出するって言ったら、やけにニヤニヤしていたけど、こういうことなのね」

わなわなと震えているパチュリーが、とんっと、テーブルの上に紙袋を置く。
何気ない仕草にも、レミリアはびくりと身体を震わせていた。

「ぱ、パチェ、落ち着いて?」
「私の姿を勝手に使って、あんな、あんな恥ずかしい言葉をたくさん……稗田阿求の前で何度倒れそうになったことか」

『そういうこと』への道徳観念の強いパチュリーのことだ。
どれだけの恥ずかしさに耐え、ツッコミを我慢していたのか、想像に難くない。

「とりあえず、私から一言、言わせてもらうわ」

すぅ、と息を吸い込むパチュリー。
病弱な身体だとは思えない、相当量の怒気と共に、一喝。

「色々とそこまでよ!」

びしぃ!とパチュリーチョップが炸裂した。

あれは痛い。

「まったく!」

怒り心頭のパチュリーは、そのまま図書館の奥へと引っ込んでいった。

それを見送ることもなく「うーうー」と半泣きで頭を押さえているレミリア。
そんな主をかわいいものを見る目で眺めている咲夜。
あははと小さく笑っている小悪魔。

加えて、今遠くで「また晩御飯抜き!?」という悲鳴に近い声も聞こえた気がした。

「あらあら」

さすが紅魔館、変人が多いのだな、とアリスは笑うのであった。





―○○―


今日は最悪な1日だ、と俺はため息をついた。

身体はだるく、咳が出て、鼻水はじゅるじゅる。頭はがんがんと痛む。
布団に入っているのに寒気は止まらず、気分は最悪。

そう、俺は風邪をひいてしまっていた。

「あ゛ー」

絞り出した声もかすれ気味だ。
もぞもぞと身体を動かし、枕そばに置いているコップの水を飲み干す。
しかし気分は晴れず、むしろ空っぽの胃をいたずらに刺激するだけだった。

体調は昨日から優れなかった。寒気と咳が止まらず、風邪の初期症状が明らかに出ていた。
しかし俺はまあ大丈夫だろうとタカをくくり、何も対策をせずに就寝。
すると、今日は朝から高熱と節々の痛みでダウン、だ。

そうして今日は一度も起き上がっていない。いや、起き上がれない。
なんとか這って水場に赴き、水分だけは補給しているが、栄養は何も取っていなかった。

今はもう夜になる刻。栄養不足の脳は機能停止寸前で、意識は朦朧していた。

「あ゛ー……」

無意味に出た声が、誰もいない部屋にむなしく響いた。
こういう時、一人暮らしは不便だし、寂しい。

俺は布団を頭から被り、風邪からくる寂しさに耐える。
身体が弱れば精神も弱る。俺は隣に誰かいてほしいと、柄にもなく思った。

外の世界にいた時からずっと1人暮らしだったのに、今更そんなことを願ってしまうのは、おそらく人が傍にいる温かさを知ったからなのだろう。
この家に集まる彼女たち。食卓を囲み、談笑するあの時間は、俺を強くも弱くもした。

「……」

そう言えば、と俺は思い出す。

まだ幻想郷に来たばかりの、慧音さんの家に居候していた頃も、風邪をひいてしまったことがあった。
あの頃はまだ、慧音さん、妹紅、魔理沙とも知り合ったばかりで、今ほど仲良くしてはいなかった。妹紅と魔理沙に至ってはほとんど顔見知り程度だっただろう。

けれど、

『風邪か。今日は1日寝ておけ』

慧音さんは優しい笑顔でおいしいお粥を作ってくれたし、

『ほんと貧弱だね。ほら、これでも食べなよ』

妹紅は呆れながらもお見舞いの果物をくれたし、

『お、この林檎うまいなー。ほれ、○○も』

その果物を勝手に食べた魔理沙が、笑顔を振りまき気分を明るくしてくれた。

ちょっとした知り合いだっただけの俺に対し、彼女たちはあんなにも優しくしてくれた。
その優しさが身に染みて、いつしか幻想郷に残る決意をして。

「……えあ゛ー」

急激に沸き立つ孤独感を吹き飛ばすように、俺はかすれた声をあげる。
昔を思い出して感傷的になるなんて、そろそろ本当に身体がまずいのかもしれない。
燃え尽きる前の蝋燭、もしくは走馬燈。
通信手段もろくにないこの世界では、助けを呼ぶこともできない。

「……うぅ」

怖くなる。このまま1人寂しく、この家で朽ちてしまうのだろうかと。
せめて書きかけの小説を全部仕上げてしまってから、と思うものの、もはや指1本動きそうになかった。
何も成せず、何も残せずに消えてしまう。なんという恐怖と孤独感だろうか。

俺は涙が出そうになるのを堪えて目を瞑り、消えていく意識に身を任せようとした。

だがその時、ふと家の外から物音がした。

誰かの足音。それも複数。扉の前で歩き回っているようだ。

「――お前たちも――なのか?」
「――釣りが――それで――」
「私はちょっと―――だぜ」

この声はまさか。

俺は弱々しい手つきで布団を顔からどかしつける。
まさかとは思う。もしかしたら幻聴や幻覚なのかもしれない。
しかし確かに扉は開いた。人影が見えた。声がした。

俺は荒々しく呼吸をしながら、その先を凝視する。
そこにいたのは見知った女性たち。

「失礼するぞ」

慇懃な調子で家に入ってきた慧音さん。

「○○? って、あれ、もう寝てたんだ」

布団に入っている俺を見て、首を傾げる妹紅。

「寝るったって、まだ早くないか? それになんか顔が赤いような」

部屋に入るなり俺の横に座る魔理沙。

3人が、来てくれた。

「みん゛な……」

俺はなんとか座位に移ろうとしてみるものの、叶わず、中途半端に肘を立てたまま、また布団に突っ伏してしまった。
呼吸が苦しい。声をひねりだそうとすればするほど、胸がつかえる。

「風邪を゛……はぁはぁ……ひい゛て」
「か、風邪? 大丈夫?」

妹紅がすかさず寄ってくる。心配そうに俺の顔をのぞきこみ、とても驚いた顔をした。よほど俺の顔色が悪かったらしい。

「ちょ、ちょっと、○○! ○○!」
「あ゛ー……」

妹紅の声ががんがんと頭に響く。静かにしてくれと言いたいものの、もはや声が出ない。
だめだ、本格的に頭が働かない。彼女たちに助けてもらいたくても、何を頼めばいいのかが思いつかない。

「しっかり!」
「落ち着け妹紅。○○、失礼するぞ」

慧音さんがしゃがんで俺の顔をのぞき込み、額に手を当ててくる。その手が冷たくて気持ちよかった。
少しすると、慧音さんは難しい顔をする。

「熱が高いな。とりあえず寝ておけ」

慧音さんはそのまま俺を寝かしつけ、静かに布団を被せてくれた。
俺はふぅと息を吐く。横になると呼吸の苦しさもなくなった。

「……○○」

慧音さんがさらりと俺の髪を撫ぜる。その顔はとても優しげだった。
だが次の瞬間、きりと引き締まり、魔理沙と妹紅の方へと向き直った。

「魔理沙、水を汲んできてくれないか」
「おっし、任せろ」
「妹紅は薬だ。私の家から取ってきてくれ」
「わかった! 全速力で行ってくる!」

魔理沙と妹紅はそれぞれものすごいスピードで外へと出ていった。
慧音さんはそれを見送ると、「よし」と俺の布団をぽんっと叩いた。

「私は家のことをやろう。○○、台所を借りるからな」

わかりましたと答えたくても、口が動かない。
いや、もう答えなくてもいいのだ。彼女たちに任せておけば大丈夫。
俺が一番信用している人たちが来てくれた。その安心感は寂しさを簡単に吹き飛ばしてくれた。



魔理沙と妹紅は5分もしないうちに戻ってきた。
妹紅なぞ、慧音さんの家までかなり遠いであろうに、いったいどれほどのスピードを出したのか、3分ほどで戻ってきた。天狗を越えたのではないか。

「ほれ、○○。これでいいか?」
「ん……」

魔理沙が布を水に浸し、十分冷えたところで俺の額に乗せた。
火照った頭にはちょうどいい冷たさで、俺は彼女に視線でお礼を言う。
魔理沙は照れくさそうな顔をして、「じゃな」と炊事場に行ってしまった。慧音さんの手伝いにでも行ったのだろう。

「……」

妹紅はずっと俺の横で心配そうな顔をして座り込んでいた。
話しかけてくることはない。慧音さんに静かにしておくように言われたからだ。
時々俺が横に視線をやると、妹紅は無理したような笑顔を浮かべる。安心させようとしてくれているのだろう。それがまたありがたく、安心して目を瞑る。

額の冷たさと、妹紅の気持ちの暖かさのおかげで、徐々に気分がよくなっていった。
しばらくして喋られる程度に回復する頃になると、炊事場で作業していた慧音さんと魔理沙がくるりとこちらを向いた。

「○○、お粥ができたが、どうだ。食べられるか?」
「はい゛……」

慧音さんがお粥の入った鍋をテーブルの上に置く。
俺が何も食べていないことを分かっていたのだろう、さすが慧音さんだ。

食欲はあまりなかったが、食べなくては身体が弱る一方だ。
俺は起きあがろうと力を入れた。

しかし、身体はやはりぴくりとも動かない。

「無理するなって。ほら、ゆっくり」

妹紅が俺の身体が支えてくれたおかげで、なんとか上半身を起こすことができた。
俺は妹紅に礼を言いつつ、今度はテーブルの上に置かれているレンゲに手を伸ばすも、やはり身体が言うことを聞かず、うまくつかんでくれない。
これでは1人で食べられそうになかった。

「おっし、私が食べさせてやるよ」

俺の困った様子に気づいた魔理沙が、意気揚々とレンゲをつかんだ。

「あ、ずるい」
「へへ、早いもの勝ちだぜ」
「ぅー」

俺の背中を支えている妹紅が悔しそうに唸っている。何がずるいのだろうか?
ともかく、魔理沙は適量のお粥をすくって俺の口へ運ぼうとする。
魔理沙もこんなことをやるのは初めてなのだろう、少し手元がおぼつかない。

「ほれ」
「ん……」

俺がひな鳥よろしく口を開ける。
が、そこで慧音さんが魔理沙の手を止めた。

「待て。そのままでは熱いだろう。冷ましてからにしろ」
「おっと、すまん。ふーふー」

魔理沙が一生懸命お粥を冷まし始めた。

「わ、私もする!」

なぜか妹紅まで加わる。2人でやれば早いと思ったのだろうか。

「ふーふー」
「ふーふー」

少女2人にご飯を冷ましてもらう。
普段なら見ているだけで動揺してしまいそうな光景だったが、体調が最悪な今はぼーっと眺めていることしかできなかった。

と、俺の視線に気付いた魔理沙と妹紅は、

「な、なんだよお。見るなって」
「み、見られると恥ずかしくなるから」

2人しておろおろし始め、背を向けてしまう。
それでも彼女らはお粥に息を吹きかけるのをやめなかった。

そうして十分冷めきったお粥の乗ったレンゲがやってくる。
俺は小さく口を開け、ついばむようにしてお粥を口の中に入れた。
久々の食事に口が驚き、思わずむせそうになったが、そこは我慢して飲み込む。
味はよく分からないが、塩味が効いていて身体に染みる。

「どうだ?」
「お゛いしいです……」

簡潔な感想しか出なかったものの、慧音さんは「そうか」と嬉しそうな笑顔を浮かべた。

何口か食べて食事は終わった。
次に慧音さんが水を持ってくる。妹紅が取ってきた薬を飲むためだ。

「妹紅、これはどこから持ってきた薬だ? 私の家のものではないようだが」
「えーと、慧音の家まで飛んでる途中、薬師の弟子兎に会ったから、そいつの持ってた薬を」
「まさか、力づくに奪ったのか?」
「○○のための薬なのに、そんなことしない。後でお金は払うって言っておいたよ」
「……まあいい」

慧音さんが薬包紙を開き、俺に渡す。

「粉薬だが、飲めるか?」

俺はこくりと頷く。
たどたどしい手つきで薬を口に含み、水で飲み込む。
少し苦かったが、効きそうだった。

「あーあ、私が口移しでもしてやったのに」
「魔理沙……変な冗談は言うんじゃない」
「冗談じゃないぜ?」

にやりと笑う魔理沙に、ため息をつく慧音さん。
妹紅は「必要なら私が」と隅っこで顔を赤くしている。

魔理沙が調子にのり、慧音さんが戒め、妹紅が変にのっかってしまう。
いつもの温かさを感じながら、俺はどさりと布団の上に力なく寝ころんだ。

「ああ、寝るのか、○○」
「はい゛……」

慧音さんが俺の頭の下に枕を挟み込み、

「布団は3枚ぐらいで大丈夫かな」

妹紅がかけ布団をかけてくれて、

「ネギでも首に巻いとくか?」

魔理沙が冗談混じりにネギを取り出す。

俺は下から彼女らの顔を順番に見ていく。

慧音さんの病状を伺う誠実な顔、妹紅の心底不安そうな顔、魔理沙のこんな時でも人を明るくしてくれる笑顔。

三者三様な表情を浮かべる彼女たち。
共通しているのは、彼女たちが、ただの風邪だというのに献身的に看病してくれていること。
それが嬉しくて、自然と笑顔が出てきた。

「○○?」

もう寝てしまいそうだった。
薄れゆく意識では、今の声が誰のものなのかは、もうわからない。
けれど、とても大事な人の声だというのは分かる。

寂しさも孤独感もなくなった。また明日から生きていこうという気力も湧いてきた。
それはきっと彼女たちのおかげ。

ああ、俺は。

「大好きだ……」

小さな呟きを残し、俺の意識はそこで途切れた。



釣りを切り上げた妹紅。
用事を済ませてきた慧音。
衝動に突き動かされた魔理沙。

それぞれ共通の目的を持ってこの家にやってきた3人の女性たちは、目の前で眠りについた男を見つめながら、一様に顔を赤くしていた。

「な、なあ。最後に○○が言ったことだけど」

耳まで赤くなった魔理沙が他の2人に確認する。

先ほど、○○が呟いた言葉。
確かに○○は「大好きだ」と言った。
それが誰に対してのものなのか……皆か、それとも?

「な、何か言っていたか?」

慧音も珍しく慌て、

「わ、わわ私は聞いてない、うん、聞いてない」

妹紅に至っては顔から火が出かねない始末。

「……」
「……」
「……」

3人はそれぞれ顔を見合わせる。
全員が顔を赤くしている様はなんだかおかしくて、3人はふっと笑った。

「明日になっても熱が下がらないようなら、永遠亭に連れていこう」
「……ん、だね」
「だな」

慧音の提案に妹紅と魔理沙が同意する。

結局、3人は話をそこで打ち切った。
もやもやを抱えたまま、それぞれ後片づけと家事を始める(3人共今日は泊まり込むつもりだ)。

さっきの言葉が誰に向けてのものなのか、○○が眠ってしまっては確かめようもない。
それにあれは、ただの感謝の言葉かもしれない。風邪の上でのたわ言かもしれない。
何にしろ、あまり本気に取らない方がいいのは確かだ。○○は恋愛ごとに疎い人だから。

けれど、と3人は同じ思いを抱く。

慧音は洗い物をしながら、妹紅は薪割りをしながら、魔理沙は掃除をしながら、夢想する。

それが自分に向けての言葉なのだとしたら。
どれだけ幸せなのだろうか、と。

Megalith 10/12/12
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2月3日、節分。
竹林へと向かう道を行く2人の女性がいた。

「確か昨日が〆切だったから、今日はもう仕事休みに入ってると思うよ」

1人は藤原妹紅。白い髪をたなびかせ、ウキウキとした笑顔を浮かべる彼女の背中には風呂敷が担がれていた。

「そうか。ここ1週間は相当の修羅場だったようだが、体調は崩していないだろうか」

もう1人は上白沢慧音。右手に布鞄を持つ彼女は、先行く妹紅の後を追いつつ、今から向かう家の主に思いを馳せる。

向かう先は通い慣れた○○の家だ。
2人がいつになく浮き足だっているのは、○○に会うのが久しぶりのことだからだった。
直近1週間、○○は小説の仕事に追われ、家の中に缶詰め状態となってしまったため、会おうにも会えなかったのだ。
そもそも会ったとしても、小説に没頭している○○とまともに話などできない。ブツブツと思い詰めた顔で万年筆を走らせる彼に、いったいどんな話ができるだろうか。

しかしそれも昨日まで。今日から彼は休みに入ったはずだ。
奇しくも本日節分の日。イベント事という建前でもって○○に会えるこの日を、彼女らが利用しないわけがなかった。

「○○、また泥のように眠ってるんだろうなあ。もしかしたら、まだ起きてないかも」

妹紅の予想に、慧音は驚いた顔をする。

「まさか。もう昼は過ぎているぞ」
「〆切後の○○だもん。ありえるって」
「ふむ……だとするとこの恵方巻きは夕飯になりそうだな」

彼女らの風呂敷の中にあるのは、節分を過ごすための必須アイテム「恵方巻き」だった。
卵やかんぴょうなどの具材を酢飯の中に入れ、海苔で丸める。シンプルながら奥の深い料理だ。
幻想郷には存在しないものだが、2人はかつて○○に教えてもらったことがあり、今日のために作ってきたのである。

これを彼の家に持っていき、あわよくば一緒にご飯でも食べる。それが2人の計画であった。

「ふんふーん。○○とごはんー♪」

妹紅など、よほど会いたい思いが積み重なっていたのだろう。
普段のぶっきらぼうな態度からは想像もできない浮かれよう、鼻歌まで歌いだす始末だ。

「おいしいと言ってくれるといいのだが……」

慧音もどことなくソワソワしていた。歩きながら、何度も自分の髪を撫でて髪型チェックをしている。
(いつもの服ではなく、もう少し節分らしい服装の方がよかったか、しかし節分らしいとはいったいどういうものだ?)
などと、果てなく意味のない思考を繰り広げる彼女の頭も、やはり浮かれきっていた。

2人の歩くスピードは徐々に上がっていく。



ほどなくして、彼女らは竹林傍の○○宅に到着した。
木造小屋はいつもと変わらず、ひっそりと冬の寒空の下に建っている。

「ふう、やっと着いた」
「歩くのが速いぞ、妹紅……ん? 家の前にいるのは○○じゃないか?」

ちょうど2人が玄関に向かおうとした時、家の中から1人の優男が出てきた。
まさしく家の主であり、2人の目的地である○○だった。

「あれ? 妹紅に慧音さん、こんにちは」

○○は2人が玄関前にいたことに驚きつつ、きちんと挨拶をする。
妹紅は「やほー」と、慧音は「こんにちは」と挨拶を返す。
気安い間柄の彼らでも、この辺りの礼儀は忘れていない(妹紅は少々慇懃さが足りていないが)

と、慧音が○○を見て、おやと疑問符を浮かべた。
○○の服装がお出かけ用のジャケットだったのだ。

「もしや、どこかに出かけるのか?」
「あー、はい。ちょっとばかし人の家にお呼ばれしてまして」
「そうなのか……」

これはタイミングが悪かったな、と慧音は落胆する。
○○が出かけるとなると、今日の予定は一気に破綻する。彼の用事が仕事関係であった場合は、夕飯すら一緒に食べられないかもしれない。
非常に残念だった。今日を期待していた妹紅なぞ、さぞ落ち込むだろう。
そう思い、落ち込む友人を励まそうとする慧音だったが、妹紅は何やら口を半開きにしてぽかんと呆けていた。

「妹紅?」

声をかけても反応がない。
彼女の白い頬は赤く染まり、目は潤んでいる。何かに目を奪われているような、そんな顔だった。

「妹紅、どうした?」

肩を叩く。すると妹紅はびくりと飛び上がり、赤い顔をさらに赤くした。

「あ、その、ち、違う! いつもと違う雰囲気の○○に見とれてなんかいないっ!」

慌ててまくしたてる妹紅だが、語るに落ちるとはこのことか。
手をぶんぶんと振る彼女に、慧音は落ち着けと声をかけてやる。
彼女の気持ちは分からないでもない。いつもは外見に無頓着な彼が正装をしていれば、こうもなる。
慧音がよしよしと頭を撫でてやると、妹紅は恥ずかしそうに顔を俯けた。

「? いきなり何を?」

1人、○○だけが事情を把握できていない。やはり彼は鈍かった。
話を変えるために、慧音は用事のことを尋ねてみた。

「それで、○○はどこの家に招待されているんだ?」
「あ、はい。実は……1週間前の手紙にこんなものがありまして」

○○が取り出したのは赤い封筒に入った手紙だ。
裏面を見ると、差出人として「レミリア・スカーレット」の名前があった。

「これって……あの吸血鬼か!」

妹紅はたいそう忌々しそうに手紙を睨みつける。妹紅とレミリアにはいろいろと因縁があるようだ。
対して○○はあっけらかんとした顔で封筒を開け、中の手紙を取り出した。

「いやー、さっき手紙の束を整理してたら見つけて……郵便受けって1週間放置すると満杯になるものなんですねー。初めての経験です」
「あまりしてはならない経験だろうがな」

慧音はため息をつく。もう少し彼は自分のことを気に掛けるべきだった。

「○○、これ、読んでいい?」
「ん、いいぞー」

妹紅が早速手紙を読み始めたので、慧音も便乗して横から覗き込んだ。
手紙には筆ペンで書いたらしい達筆な文字が並んでいた。



―レミリアからの手紙―


『来る2月3日、私たち【吸血鬼】にとっても因縁深い節分の日がやってくるわ。
 鬼は外に追いやられ、不当な迫害を受けてしまうこの恒例行事に、私は断固として抗う。
 よってこの度、紅魔館にて、
 【鬼は内、福も内、悪魔も内。あー、なんでもいいから「ウチ」に来い! けれど一番多く豆に当たった奴は罰ゲーム大パーティ(命名:咲夜)】
 を開くことにしたから、あなたも来なさい。
 
 P.S.このパーティにはパートナーが必要なのだけれど、用意できなくてもいいわよ。こちらでパートナーをあてがってやるから』



「ふーん、罰ゲーム大パーティねえ」

手紙を読み終えた妹紅は、予想していた内容(紅魔館に住めとかそういうもの)と違って若干安堵しながらも、よく分からないパーティへのお誘いに首を傾げる。

「おそらく2人タッグになって、弾幕の代わりに豆をぶつけ合うとか、そういう類の遊びだろう」

慧音の予想に、○○と妹紅は「なるほど」と納得する。
いかにもどんちゃん騒ぎの好きな幻想郷の少女たちが考えそうな遊びだ。

「で、○○はこれに参加するってこと?」
「レミリアさんにはお世話になってるからな。断る理由も特にないし」
「けど……私と恵方巻きを……うー」

妹紅がぶつぶつと何か言っているが、○○の人付き合いにそこまで口出ししたくないのか、はっきりと言葉にはできないでいるようだ。
慧音は妹紅の謙虚さに感心しつつ、○○に手紙の一文を指さし示した。

「パートナーが必要と書いているが、誰と行くつもりなんだ?」
「あー、こういうことを頼める人って、俺にはそんなにいないわけでして」
「ということは?」

○○は申し訳なさそうに頬を掻く。

「今から慧音さんの所に行こうかと思ってました、はい。だめなら妹紅か魔理沙に頼もうかなと」
「そうか。では、行こうか」

はっきりと○○が誘ったわけでもないのに、慧音は迷うことなくパーティに参加することを了承してしまった。
これには妹紅も○○も驚いていた。2人ともポカンとしている。

「どうした? パーティに行かないのか?」
「えーと、いいんですか?」
「私をパーティに誘ってくれているんだろう? 受けないわけがないよ、○○のお誘いならな」

このままさよならするよりは、摩訶不思議なパーティに参加する方がずっといい。それが慧音の本音だった。
慧音が微笑むと、○○も照れ臭そうに笑った。

「ありがとうございます。けれど、2人は何か用事があって来たのでは?」
「今日は節分だから、恵方巻きを作ってきたんだ。これは○○にあげるよ。また食べてくれ」
「これは……すごいですね。以前話した作り方を覚えてたんですか?」
「ああ。うまくできているといいんだが」
「大丈夫ですよ。慧音さんが作ったものなら、きっとおいしい」

○○が微笑み、柔らかな雰囲気が漂う。
彼が笑っていると自然と嬉しくなるのはどうしてだろうと、慧音は自分の単純さに呆れもした。

「わ、私も作ったんだぞ! それに、私だってそのパーティ、一緒に行くんだからな!」

良い雰囲気を振り払うかのように、慌てた様子で宣言する妹紅。
慧音と○○はその慌て様に、顔を見合わせて笑うのであった。




紅魔館までは徒歩で向かうことにした。
○○が飛べないのも理由の一つだが、この日は冬にしてはとても良い天気で気温も高く、散歩するのにぴったりだったからだ。

枯れ木に暖かい陽光が当たる草原を抜け、大きな湖に氷精が浮いているのを横目にしつつ、赤い館が見えてきたのは半刻ほど経った頃だった。
大図書館によく訪れるという○○の先導で、紅魔館の門へと足を運ぶ。
大きな鉄製の門にたどり着くと、そこには1人の女性が立っていた。

「あ、みりんだ。久しぶり」

妹紅がさっそく声をかけるも、門番の女性――紅美鈴は掴みかからん勢いで声をあげる。

「みりんじゃありません! 美鈴です! ほん・めい・りん!」
「わかった、本みりん」
「違う! 何か似てるけど違います! あーもう……毎回毎回わざとじゃないんですか?」
「さあ?」

釈然としない様子の美鈴と、意地の悪い笑みを浮かべる妹紅。
慧音はそんな2人のじゃれ合いを見て、この2人はこんなに仲が良かっただろうかと訝しんだ。
確かに2人は知り合いだ。以前、呉服屋でなんやかんやとやっていた時は、自分も一緒にいたのでよく知っている。
だが、美鈴が「毎回毎回」と言っていることから推測するに、どうやらあれ以降も付き合いがあったようだ。

妹紅とは長らく友人をやっているが、こんな風に自分たち以外の相手とじゃれ合う姿を見ると、少々驚く。
これもまた人の縁の広がりか、それとも妹紅が変わろうとしているのか。嬉しくもあり、どこか寂しくもある。

「はぁ……それで、今日はどうしたんですか? ○○さんと上白沢先生も一緒で……図書館ですか?」

美鈴の問いに、○○が懐から手紙を取り出し、答えた。

「いえ、今日はこの手紙でパーティのお誘いを受けたのですが」
「パーティ? えーと……あれれ?」

美鈴は腕を組み、奇妙な声をあげた。
どうも様子がおかしかった。パーティがあるのなら門番は客を中へと案内するはずなのに、そんな素振りを見せない。
美鈴は手渡しされた手紙を受け取ると、中身を確認し、うーんと唸る。

「この手紙は○○さん宛てですね。今日届きました?」
「えーと、一応読んだのは今日ですが……」
「おかしいなあ。お嬢様の気が変わったのかも……すみません。ちょっと咲夜さんに確認を取ってみますね」
「あ、だけど投函されたのは、って、あ」

○○が説明を付け足そうとするも、その口は突然の出来事に止まってしまった。
美鈴の後ろに、メイドカチューシャが現れたのだ。

「美鈴」
「うわぁ!」

肩に手を置かれた美鈴が、大仰に驚く。
それを呆れた目で見つめているのは、紅魔館のメイド、十六夜咲夜だった。
どうやら時間停止の能力を使って、ここにやってきたようだ。

気配すら感じなかったことに慧音は感嘆した。弾幕ごっこの時と違い、彼女の能力がフルに使われると攻撃に反応すらできないのかもしれない。
そう感心しつつも、思わず攻撃しそうになっている妹紅を止めておくことも忘れない。

「さ、咲夜さん、どうしてここに?」

まだ驚きで声が震えている美鈴。

「あなたの大声が館まで聞こえてきたからよ。もう少し静かにするよう注意しにきたのだけど」

大声とは、先ほど美鈴が妹紅に詰め寄った時のことだろう。
咲夜は訪問者を確認すると、すぐに居住まいを正し、深々とお辞儀をした。

「これは○○様。今日はどのようなご用件でしょうか。あいにく今日は図書館にパチュリー様はおられませんが」
「いえ、今日は図書館ではなく、この手紙を貰ったので訪ねさせていただいたのですが」
「これは……節分パーティですか? しかしこれは中止になったのですが……」
「中止?」

「はい」と咲夜は答えた。
○○が説明を求めると、咲夜はとつとつと語り始める。

「この手紙をお嬢様のお知り合いの方々にお送りしたのは5日前のことなのですが、招待した方々がことごとく不参加の返事をされてきたのです。
 博麗霊夢は妖怪退治の依頼があるため。アリス・マーガトロイドは人形制作で忙しいため。
 マヨヒガの方々は八雲紫が冬眠中なので辞退。永遠亭の方々はお姫様の作業の手伝いで余裕がない、などなど……」
「輝夜が作業? なにそれ」

妹紅が口を挟むが、咲夜はさあ?と答えるだけ。
説明は続く。

「参加率は2割を切り、どういう形でパーティを開くか私どもも悩んでいたところ……その」

咲夜には珍しく、言葉の歯切れが悪い。
○○たちが黙って続きを促すと、彼女は観念したように呟いた。

「お嬢様が、拗ねてしまわれて」
「『来ないなら、パーティなんて開いてやらない!』って、部屋に籠っちゃったんですよね」

美鈴が付け足すも、咲夜が「余計なことを言わない」ときつくとがめる

この理由には、○○たちも乾いた笑い声をあげるしかなかった。
友達を遊びに誘い、断られたら怒る。まるで子供の怒り方だ。
500歳を超えてもまだまだ精神的には幼いのか、それとも断られたことがよほどショックだったのか。

呆れる○○たちに、咲夜がさらに申し訳なさそうに続けた。

「よって、今日のパーティは中止。その旨を3日前、手紙で皆様に送ったのですが、○○様のお宅には届いていませんでしたか?」
「あー、もしかしたら……」

○○の言いたいことは、慧音にも妹紅にもよく分かった。
1週間分の溜まりに溜まった手紙の束の中にあるかもしれない、ということだろう。
手紙があまりにも大量にあったため、見逃したのかもしれない。
○○は申し訳なさそうに頭を下げる。

「俺が2通目の手紙を見落としてたみたいですね。すみません」
「いえ、もしかしたら本当に届いていないのかもしれません。今日はとりあえず館にお越しいただき、できる限りのおもてなしを」
「そんな、悪いですよ。手紙を確認せずに来たこちらの不手際ですし、今日はこのままお暇させていただきます」
「そうですか……あ、それなら良いお土産がありますわ。少々お待ちを」

少々は本当に「少々」だった。
咲夜がまた時間を止めたらしく、一瞬にして消えた彼女は瞬きする間もなく再び現れた。
右手に1人の少女をつまんで。

「おお? なんだなんだ、○○じゃないか」

咲夜に首根っこを掴まれているのは恋色魔法使い、霧雨魔理沙だった。
彼女の身体は白い袋に入れられ、首だけが表に出されていた。
多少の飾りのつもりなのか、袋口の紐はリボン結びにされている。

○○は突然現れた友人の奇妙な姿に、目を丸くした。

「お土産って、魔理沙がですか?」
「ええ、どうぞ。お持ち帰りしてください」

営業スマイルと共にさらりと言う咲夜。彼女の『お持ち帰り』には別の意味も込められているようだ。
お土産扱いされている魔理沙はというと、まんざらでも顔をしている。

「私が○○にお持ち帰りされるのか? おいおい、そういうのはもっと雰囲気を重視してだな」

雰囲気が良ければお持ち帰りされてもいいようだ。
しかし○○はその『お持ち帰り』の意味を理解していないのか、ただただ不思議そうな顔をしている。

「どうしてまた、魔理沙がこんなことに?」
「今日のパーティのために用意していた食べ物を、ことごとくつまみ食いしてくださりまして」
「中止になったんだから、別にいいだろ? お前たちだけじゃ食べきれないだろうしな」

むしろ感謝してくれ、とでも言いそうな魔理沙の態度。
袋に詰められたのはつまみ食いの犯人として捕まったためなのに、まるで反省していない。
○○も含め、全員が呆れ気味だ。

咲夜が軽く袋口の紐をきつく縛ると、魔理沙が「ぐえ」とカエルような声をあげる。

「そもそも、あなたには手紙を送っていないのに、どうしてパーティがあると知っていたのかしら?」
「うー、首が痛いぜ……どうして知ってたかって? フランが教えてくれたぜ? だいたいな、どうして今回のパーティ、私には手紙が来なかったんだ? 霊夢には来たのに」
「そういえば、私も来てないや。まあ、それほど仲がいいわけじゃないけど。んー、それでも魔理沙には来てないっていうのはちょっとおかしいね」

妹紅の言葉に、慧音も同意する。
咲夜の話では、手紙はレミリアの知り合い全員に送られたそうではないか。
自分や妹紅はまだ紅魔館とのつながりは薄い。しかし、魔理沙は違う。彼女はレミリアの妹のフランドールと懇意にしていると聞く。
だというのに手紙が来ないというのはおかしい。

疑問をぶつけられた咲夜は、何やら言いにくそうに手を口に当てている。

「それについては……お嬢様の考えですので、私の関知するところではありません」
「その顔は『知ってる』って顔だぜ?」

袋に入れられたままの魔理沙が揺さぶりをかけるも、咲夜は口を割るつもりがないようだ。
この話題はこれでおしまいとばかりに「ともかく」と○○の方へ向き直る。

「○○様、どうぞ魔理沙をお持ち帰りくださいませ」

咲夜の『お持ち帰り』には「さっさと疫病神を引き取ってください」という意味も含まれているようだ。
魔理沙(in白袋)を差し出され、○○は困ったように笑う。

「それは構いませんが……魔理沙、とりあえず俺たちと一緒に帰るか?」
「おう、帰るぜ。だから早く私をお持ち帰りしてくれよ」
「では、私が持とう」

代わりに白い袋を受け取ったのは慧音だった。
すぐに魔理沙のブーイングが入る。

「ぶーぶー、私は○○に背負ってもらいたいぞー」
「私で我慢しろ」
「体力のない○○に重い荷物を担がせるなんて、なんて酷いこと言うのかなあ、魔理沙は」

妹紅がからかい気味に言うと、魔理沙が「なんだとー!」と頬を膨らませて拗ねる。また喧嘩が始まりそうだ。

一方で慧音は、手にかかる重みに驚いていた。重いわけではない、とても軽いのだ。
魔理沙が小柄な少女であることを今更になって実感する。そうだ、小動物のような可愛さが魔理沙にはあるのだ。
そんな魔理沙を『重い』とからかう妹紅も、全体的に細く、可愛らしい。
2人とも自分とは違う。最も身長の高い自分は一番可愛げがないのではないか。いやしかし……

「それでは、今日はこれで失礼させていただきますね」

考え込んでいる間に、○○が咲夜と美鈴に別れの挨拶をしていた。
慧音も慌てて頭を下げ、妹紅もそれにならう。魔理沙はまだ抗議をあげていた。

そうして3人と1つの袋は紅魔館を後にした。




「それで、咲夜さん、実際のところ、あの3人に手紙を送らなかったのはどうしてなんでしょうか?」
「……お嬢様が『あの男が誰を連れてくるのか見てみたい』とおっしゃったからよ」
「ああ、なるほど。○○さんがパートナーとして誰を選ぶのか、興味があったと」
「お嬢様にも困ったものだわ。あの人にちょっかいを出しすぎている。要らぬ騒動を持ち込んでほしくはないのだけれど」
「今までこういう恋愛話ってなかったですもんねー。天狗の裏新聞にもあんなにハマっちゃいましたし」
「はぁ……胃が痛くなりそうだわ」



幻想郷の草原の上を、○○たち4人が歩いていた。
すでに魔理沙は白い袋から外に出されており、4人は横に並んで歩を進めている。
紅魔館を後にして四半刻ほど経ち、太陽は西に傾き始めていた。
○○の家に到着すれば、おそらく夕方になるだろう。

4人の間では晩御飯についての話題が上っていた。

「慧音さん、帰ったらウチで晩御飯食べますか? いただいた恵方巻き、一緒に食べましょう」
「ああ、そのつもりだ。1人増えたが、まあ量はあるから大丈夫だろう」

提案を快諾した慧音は、○○の家に保管している恵方巻きが何本だったかを思い出す。
慧音と妹紅が持ってきた恵方巻きは、彼の家の冷蔵箱(氷を入れた木の箱)に保管してあった。
恵方巻きは全部で6本。すべて同じ具材で作られたもので、○○1人で食べるにはつらい量だっただろう。
今日の節分パーティが中止になって、むしろ良かったのかもしれなかった。

「お、恵方巻きか。去年も食べたなあ。○○が作ったんだったっけか?」

魔理沙が涎を垂らしそうになっている。紅魔館でも色々とつまみ食いしたくせに、まだ食べられるらしい。
○○はそんな魔理沙に苦笑しつつ、答える。

「そうだな。幻想郷は海がないから、なかなか寿司は作りにくいけど……卵とかきゅうりとかでも、十分巻物にはなるからな」
「今日作ってきたのには八目鰻も入ってるよ。知り合いからもらったんだ」
「へえ。ありがとな、妹紅。その知り合いにはよくお礼を言っといてくれ」
「ん、分かった」

妹紅は○○から顔を背けて答える。
○○からは見えていないだろうが、今の妹紅はたいそう嬉しそうな顔をしていた。
彼女は○○に感謝されると、見ていてびっくりするぐらい顔を赤くする。そして物凄く良い笑顔になるのだ。
だが、彼女はその照れを隠すためにそっぽを向く。曰く「恥ずかしい」らしい。

その可愛らしい笑顔をまっすぐと○○に向けられたら、どうなるだろう。
慧音は想像して、少し焦る。
きっと○○の目が奪われてしまうと思ったから。

そう考えてしまうのは自分に自信がないからか、と慧音は自嘲する。

「ねえねえ、その恵方巻きっていう食べ物はおいしいのかしら?」

物思いにふける慧音の横から、自分たちのものではない声がした。
○○たち全員が驚き、声の主へと視線を向ける。

そこにはネグリジェのような青色の服を着て、ふわふわと宙に浮いた女性――いや、亡霊がいた。

「さ、西行寺幽々子殿……!」
「あらら? あなたは人里の守護者さんね。お久しぶり」

冥界の管理人、死を操る程度の能力を持つ亡霊、西行寺幽々子。
白玉楼という彼岸の地にいるはずの彼女が、どういうわけか此方側にいた。

「うふふ」

幽々子は妖艶に微笑むと、○○たちの顔ぶれを興味深そうに見回していく。
ピンク色の髪の周りには青白い人魂がいくつか浮いている。此岸では滅多に見られない珍しい光景だった。

慧音は彼女の目的を推察し、魔理沙は大して興味もなさそうに事態を見守り、妹紅は警戒心を隠すことなく闖入者の動向を注視している。
そうして一同の注目を集めている幽々子は、子供のように輝く瞳を熱心に○○へと注いでいた。

「ねえ、そこのお兄さん。私に恵方巻きという食べ物をちょうだいな?」
「はあ、えーと……あなたはどちら様でしょうか?」

○○は幽々子のことを知らないようだ。
それもそうだろう。特別な事情でもない限り、こちら側の人間が彼岸の亡霊のことを知っているはずもない。
彼は幻想郷縁起の人物欄を読まない主義でもあるし、博麗神社の宴会に出たこともない。知り合う機会があるはずもなかった。

名前を尋ねられた幽々子は、にんまりと笑い、手に持っていた扇子を意味もなく広げた。

「私は幽々子。見ての通り、亡霊よ」
「亡霊? 亡霊がご飯を食べる……ご飯を……」

慧音は嫌な予感を覚えた。

「あの、少しお聞きしたいのですが」

○○の声の抑揚が強くなり、若干張りつめたものが混じるようになった。
それは、彼が好奇心に支配されたことを示している。よく慧音に歴史のことを尋ねる際に聞かれる声色だ。

このままではまずい。
そう思って彼を止めようとするも、遅かった。

「亡霊というのはご飯を食べるものなのですか? そもそもご飯を食べる行為はエネルギーや栄養の吸収と密接に結びついているのですけれど、亡霊になれば肉体的な器をなくすはずですから、エネルギーの消費はなくなるはずではないですか?
 もしや霊魂がその存在を維持するためにエネルギーが必要なのだということなのでしょうか。だとすれば生者であっても霊魂の維持にエネルギーが必要であり、食物から得られるカロリーを人間の身体は何らかの方法で霊的エネルギーに変換しているということになるわけで――」
「……あ、あらあ? 何だか、変なところを刺激しちゃったみたいねえ」

○○の豹変ぶりに、幽々子も面喰らっている。。
このように好奇心を刺激されると、相手を質問攻めにしてしまうのが○○の悪いところだ。
一度スイッチが入れば、彼の頭の中には色々な質問・話題が渦巻き、カオスフルになる。本人曰く「とめどなく話が溢れる」らしい。

「弾幕を撃つにも魔力や霊力等の力が必要らしいですが、亡霊の身体でもそれを放てるとなると、やはり弾幕エネルギーの根源は魂や精神に因っているということで」
「落ち着け、○○」

慧音が○○の頭を軽くはたく。
それでようやく自分の無礼に気付いた○○は、すかさずいつもの調子に戻り、「すみません……」と頭を下げた。
気にしていない風の幽々子は優雅に微笑み、○○の顔を上げさせる。

「気にしなくていいわよ~。それよりも、恵方巻きという食べ物についてを教えてくれない?」
「……あの、答えたいところですが、まずどうして腕に抱き着いているんでしょうか」

早業だった。○○が顔を上げたその瞬間に、幽々子は朗らかな笑顔と共に○○と腕を絡ませたのだ。
これには慧音、妹紅、魔理沙の3人の顔がこわばり、引きつる。
彼女らは嫉妬のこもった目で幽々子を睨みつけるが、当の本人は気にせず、○○に向かって笑いかけている。

「殿方にご飯を奢ってほしければ、色気で誘惑するのが良いと紫が」
「は、はあ。なんだか非常に偏った知識のような」

○○がさほど嫌がるそぶりを見せていないことも、慧音たちをさらに不機嫌にさせた。
まさか、幽々子の豊満な身体の感触を楽しんでいるとでもいうのか。
いや○○に限ってそんなことは、と思いたいものの、彼もまた男だ、女性を求めてもおかしくはない。

「うふふ」
「あー……そろそろ離していただけないかと」

○○はあくまでスマートに幽々子から逃げようとする。
それは初めて会った人への遠慮からか、それとも冷静なフリをして感触を楽しんでいるだけなのか。

(○○は、ああいう女性が好みなのか?)

話し合ったわけでもないのに、3人は同じことを懸念し始めていた。

「幽々子さまー!」

また闖入者が1人現れた。
腰に刀を2本差した銀髪の少女が、幽霊を引きずりながら飛んでくる。

「あら、妖夢。どうしたの、そんなに息を切らせて」
「ゆ、幽々子様が、いきなり消えてしまうからじゃないですか、もう」

彼女は魂魄妖夢。幽々子の従者で、庭師兼剣術指南役。小さな身体をして2本の太刀を操る凄腕の剣士だ。
生真面目な性格で、主人に対しても遠慮なく忠言する、というのが慧音たちの持つ彼女への印象だった。
今も息を切らせながら、「勝手に消えたりしないでください」と主人に注意している。

しかし幽々子はにへらと笑うだけでどこ吹く風。
さすがに自分の部下相手に体面は気にするのか、妖夢の声が聞こえた途端に○○の腕から離れていたが。

「いったい何をして……あ、これはどうも。魔理沙さんに慧音さん、妹紅さんも」

妖夢が頭を下げて会釈してきたので、慧音たちも同じように返す。

妖夢は冥界を出てきた幽々子を護衛兼案内するためについてきたのだろう。
しかし幽々子が1人で勝手に行動して、慌てて探していたというところか。
相変わらずこの従者さんは苦労しているようだ。

「妖夢、恵方巻きという食べ物を聞いたことがある?」
「なんですか、それ。知りませんよ……とにかく行きましょう。紅魔館のパーティ、もう始まってますよ」
「あらあら、もうそんな時間? 料理がなくなるかもだわ、行きましょう」

この2人も紅魔館のパーティに参加するつもりでやってきたようだ。
しかし、中止になったことは知らないらしい。また手紙の行き違いでもあったのか。
慧音は彼女らに事情を話してやることにする。

「幽々子殿、そのパーティなのですが」
「妖夢。全速力で行くわよ」

話を聞いていない。
その瞳は遠く蜃気楼のように浮かび上がる食べ物たちを捉えているようで、もはやこちらに意識が向いていないようだ。

「あ、はい。それでは皆さん、今日はとりあえずここで失礼します」
「ごめんねえ。また恵方巻きのこと、教えてね」

そうして妖夢と幽々子は急いだ様子で宙に浮き、空を飛んでいってしまったのだった。
声をかける暇もなく、慧音たちは飛んでいく彼女らを見送ることしかできなかった。

「……結局、どういう人たちだったんだろう」

○○がぽつりと呟いた。

女性陣は険しい顔のまま、ついさっきまで幽々子が抱き着いていた○○の腕を見つめ続けていた。



「あれが例の男ねえ。噂通り、複雑な人間関係を持っているようね」
「幽々子さま、あの方を知っているのですか?」
「ええ。直接会ったことはないけれど、話だけは聞いているわ。紫とか新聞とか本とか、色々とね」
「そうなんですか。普通の人間に見えましたが、有名な方なのでしょうか」
「あなたもあの人の本を読んだことがあるんじゃないかしら。ほら、人間と大妖怪の恋物語を書いた人よ」
「え! あの小説のですか!? うわあ……サインでも貰えばよかったです」
「ふふふ。まあ、縁があればまた会うことになるわ。彼という支柱に結ばれた縁は、大きな広がりを見せるでしょうから」



前を歩くのは白髪と金髪の少女。妹紅と魔理沙。

「魔理沙はさ、そういう盗人猛々しい態度は改めた方がいいんじゃない?」
「妹紅は可愛げがないな。もっと女の子らしくしてみたらどうだ?」

彼女らは先ほどから口喧嘩を繰り広げている。
紅魔館の門前で妹紅が魔理沙を『重い』と言ったことが、今更になって争いの種になっているようだ。
先ほどまで仲良くしていたのに、いきなり少し前のことを蒸し返しているのは、○○のことで機嫌が悪くなってしまったからなのか。

「あの人たち、今頃パーティが中止になってるって知って、落ち込んでるんでしょうね」
「そうだな……」

後ろを歩くのは○○と慧音。
先ほどから○○が幾度か話しかけているが、話相手はどうにも上の空で、なかなか会話が続かなかった。
慧音は何事かを考えこんでいて、そのため○○も気を遣い、いつしか話を振るのを止める。

前を歩く妹紅と魔理沙の口喧嘩だけが聞こえる中、慧音がふと、足を止めた。

「なあ、○○」
「はい、なんですか?」
「○○は、スタイルの良い女性の方がいいか?」

皆の足が止まった。

「……それは、女性の好みでということですか?」

○○の問いに慧音はうなずく。彼女の目はあくまで真摯な色に染まっている。
いつの間にか口喧嘩を一時休戦したらしい妹紅と魔理沙も、じっと○○を見つめている。

皆、真剣な顔で○○の答えを待っている。

「えーと……」

3人の女性の鋭い視線に囲まれ、戸惑う○○。
彼はどうしてこんな質問を投げかけられたのか、理解できていないのだろう。
けれども、慧音たちが答えを待っている。ならば誠実な態度でもって答えなくてはいけない――それぐらいの空気なら、○○も読めているに違いない。

しばらく考え込む○○。結局その口から出てきたのは、

「……特にない、かな。多分好きになった人の容姿が、一番好きですよ」

けっこう無難な答えだった。

「そうか。なら、いい」

慧音はまだ何かを考えているような難しい顔をし、

「んー、なんかなあ」

魔理沙は納得できないように唸り、

「……ふぅ」

妹紅は気を緩めたように息をついた。

彼女たちは○○がそういう答え方をするのではと、どこかで予想していた。
○○は、あまり自分の「好み」というものに興味を持っていないし、明確に「~~が好きだ」と言葉にすることも少ない。
それが彼の美点の1つだし、色々な人と分け隔てなく付き合える所以でもある。彼はその好奇心でもってどんな人とも話を合わせられる。
「鬼は内、福も内、悪魔も内」とは彼のための言葉のようにも聞こえる。

しかし、そのような態度は時に掴みどころがなく、本心が窺えないこともあって不安になる。
もう少し距離を縮めて彼の心に触れられたら。3人はずっと以前からそう望んでいた。

そんな彼女たちの気持ちに気付いているのかいないのか、

「帰ったら豆まきでもしよっか?」

剣呑な雰囲気を入れ替えたかったのか、○○は明るい口調で提案する。
こちらの気も知らずに、と彼女たちはため息をつきつつ、

「ああ、そうだな」

慧音は微笑み、

「魔法で豆を撃つのはありか?」

魔理沙は早速物騒な考えを抱き、

「それはなしでしょ、普通にやろうよ……○○と豆まきかあ」

妹紅は嬉しそうに顔を赤くする。


もう少し彼らのこんな関係は続きそうだった。



Megalith 2011/02/14
───────────────────────────────────────────────────────────

魔法の森の入り口近くには、一軒の道具屋がぽつんと建っている。
周囲の木々に溶け込めていない、存在感ばっちりの異国風の雑貨屋だ

通常、魔法の森は瘴気に包まれているため人が簡単に立ち入ることはできないが、その道具屋周辺だけは土地が整備されており、普通の人間でも気軽に立ち寄ることができた。
ただし場所が人里からも妖怪の山からも離れているという交通アクセスの悪さから、「空を飛ぶ」という移動手段を持つ特別な者ぐらいしかやって来ない。
そんな立地で経営が大丈夫なのか、とよく人から思われているが、趣味で店をやっているらしい店主はこの集客能力のなさも気にしていないようだ。

店の名は「香霖堂」。お得意様は巫女や魔法使いやメイドや妖怪ネズミ、その他変な人ばかり。
ある人にとっては宝の倉庫であり、またある人にとってはガラクタの山でもあるような、そんなアンビバレンスな一戸建ての店舗兼住宅。

そんな香霖堂の戸を叩く開く若者がいた。1人の人間、それも純朴そうな普通の男だ。
ちりんちりんと鳴るベルの音に、奥のカウンターで本を読んでいた店主が顔を上げる。

「おや、君は確か人里の……えーと、すまない名前は聞いていなかったね。けれど、以前野菜を貰ったことは覚えているよ。あの時はありがとう」

店主の素っ気無いながらも誠意のこもったお礼に、青年は照れくさそうに頭を掻いた。

「それで、今日はどうしたんだい? 何かご入用かな?」

青年は店内をぐるりと見渡すと、この辺ぴな店にやってきた目的を話す。
曰く、農作業用の道具が欲しい、いつもは里の農具屋で買っているが今は在庫切れだったのでここに来た、と。

「なるほど。それは急ぎのものかい?」

青年はこくりと頷いた。

「分かった。ちょっと待ってくれよ」

店主ががたがたと立ち上がり、色々な物で溢れかえっている棚の一つに手を伸ばす。
一見雑然としているように見えて、店主はどこに何があるのかをおぼろげに把握しているのだろう。
彼は鉄同士がこすれる音をたてながら、棚の商品をさらい始めた。

「確か、この辺りに暇つぶしで作った農具があるんだ」

店主が、腰の丈ほどある円柱型の赤い物(値札には『コーン』と書いてある)を隅に追いやり、棚に乗せているものをどかしていく。
はぁ、と青年は相づちを打った。

「その農具は、チャージされた魔力を解放すると10平米の土地を耕せる代物でね、魔法使いの補助さえあれば1日100平米ぐらいは――」

聞いてもいないのに、店主は農具の説明をし始める。魔法や道具の話だ。青年には生返事しかできない。
だが店主は青年がまともに話を聞いていなくとも、一人で勝手に話し続けていた。説明が楽しくて仕方ないのだろう。
接客業として褒められた態度ではないが、店主の楽しそうな様子を見ていると止める気にもならない。ただただ変な人だと思うばかりである。
青年は密かに、客が少ないのは店主にも原因があるのでは、と思った。

「一振りで半径5メートル弱の範囲の稲を刈り取る鎌もあったんだけど、あれは失敗だった。まさかカマイタチまで呼んでしまうとは思いもよらなくてね、危うく僕の腕が――」

店主が店の中をうろうろしている間、青年は椅子に座って商品が出てくるのを待つことにした。
お茶も出してくれていたので、それを一口飲んで息をつく。
そうしてしばらく休んでいると、ただ座っているだけなのも暇だったので、適当に近くの商品棚を観察してみることにした。

棚には色々なものがごちゃ混ぜになって置かれていた。商品であるはずなのに、値札がついていないものもある。
見たこともない文字で書かれた本、キラキラと輝いている透明な玉、麦藁帽子……とここまではいい。
青年にはよくわからないものもたくさんあった。例えばあの小さな箱がよく分からない。手の平に乗るぐらいの白い箱で、黒色の透明な板がはめ込まれ、板の下には数字が規則正しく並んでいる。
何に使うものなのかてんで分からない。おそらく妖怪の山や外の世界由来のものなのだろう。

青年がその箱を手に取ろうとすると、ちょうど近くにあった窓が突然割れた。

驚いたなんてものじゃなかった。静かな店内に響くガラスの砕け散る音に、青年は大きく身体をびくつかせた。
落ち着いて状況を確認する。まさか白い箱に触れようとしたから割れたのかと思ったが、違った。
どうやら外から何かが飛んできて、それが窓を突き破って店内に入ってきたようだった。

恐る恐る床に落ちているものを見る。
紙。
そう、紙だ。
筒状に丸めた紙が、床に突き刺さっていた。紙なのに。

青年は勇気を出して近づいてみた。
つんっと突くと、柔らかくしなった。
紙であることに間違いはなく、到底ガラスを突き破るような代物に見えない。

「何かあったのかい?」

音を聞きつけた店主がやってきたので、青年は床に突き刺さる紙を指差して答えた。
空から紙が降ってくるなんて、博霊の巫女を呼ぶべき事態ではないか。そう店主に告げようともした。

だが、店主は驚くわけでもなく、

「ああ、新聞か。まったく、窓はやめてくれと言ってるんだけどね」

ため息混じりに紙――曰く新聞を拾い上げ、パンパンとガラスを掃う店主。

「天狗のお嬢さんに会ったら言っておかないと……あ、君、ガラスの破片が危ないから、動かないでくれ。今掃除するから」

店主は慣れた手つきで箒を操り、ガラスを集めていく。
青年はその場で立ち尽くし、店主の持つ新聞とやらをじっと凝視していた。
新聞があんなやり方で投函されるということに、ただただ驚いていた。

おそらく妖怪の山に住む天狗が発行している新聞なのだろう。
人里でもたまに見かけることがある。「号外ー号外ー」と空飛ぶ少女が無造作に紙を振り撒くことがままあるのだ。
大抵は「博霊の巫女、実は冬が寒かった!」「鬼と天人の飲み比べ、鬼の勝利!」といったような、どうでもいい話題ばかりだが、読めば楽しい。

「ん? これに興味があるのかい?」

店主が青年の好奇心に気付いたようだ。
青年はこくりと頷く。

「そうか……けれどこの新聞は、普通のものとは少し違っていてね。果たして君が読んで楽しいものかどうか」

店主は掃除を終えると、難しい顔をして元いたカウンターに座り、新聞を広げた。

「これは『裏文々。新聞』と言ってね。射命丸文という天狗は知っているかい?」

青年は頷いて応えた。射命丸文という天狗はなかなかの有名人だ。
「幻想郷最速」「妖怪の中でも随一の強さ」など、色々と言われているが、彼女の名が広まっている最たる理由は『文々。新聞』という新聞を作っていることにある。
この新聞は彼女が取材した幻想郷についての面白おかしい出来事を記したものだ。天狗の新聞の中でも有力なものの1つで、号外が幻想郷の空を舞うのを目撃しない者はいない。
幻想郷に住んでいれば、嫌でも目にする新聞だ。

しかし、『裏』と付く新聞は聞いたことがない。普通の新聞とは違うのか。

「そう、違うんだ……君は上白沢慧音、霧雨魔理沙、藤原妹紅という3人の女性を知っているかい?」

店主が口にした名前には、青年もいくらか心当たりがあった。


まず、上白沢慧音。彼女は青年にとってもよく知る存在だった。
彼女は恩師だった。幼い頃、青年は慧音先生の寺子屋に通っていた。
青年となった今でも、寺子屋ことはよく覚えている。彼女の授業は難しかったが、それでも文字の読み書きや計算、幻想郷の歴史などを教えてもらえたのは感謝している。
それに、慧音先生は綺麗だった。青年自身、幼いながらも彼女に恋心を抱いていた時期もあった。少年特有の、年上のお姉さんへの憧れの気持ちだ。

今の青年はもう寺子屋に通うような年齢でなくなったが、慧音先生はまだまだ身近な存在だ。
彼女は今も俺のことを1人の生徒として見ているようで、人里で顔を合わせた時にだらしない格好をしていると「居住まいを正すように」と軽く注意される。ただしそこに嫌味などなく、暖かな心配りが感じられる。
昔のような恋心は抱いてはいないが、多少の憧れと尊敬の念はまだある。大人のお姉さんとは彼女のような人のことを言うのだろう。


霧雨魔理沙、という少女はよく聞くが、人里で見かけることは少ない。
人間にして魔法使いである彼女は、里に居を構える霧雨道具店の一人娘ではあるものの、親とは絶縁状態であるため、里に来ることがあまりないのだ。
それでも友人が里にいるようで、彼女の姿を見かけたことは度々ある。箒に乗って空を飛ぶ金髪少女は、まさしく魔法使いだ。

霧雨魔理沙についての有名な話と言えば、里の本屋の本を盗んでいくことだろう。
本人は「借りていくぜ」と言っているようだが、返ってきたことは一度もないらしい。本屋の店主が居酒屋で恨めしげに愚痴を言っていたのを、よく覚えている。
しかし一方で妖怪退治に手を貸すこともあり、善人なのか悪人なのかよく分からない人、というのが青年の持つ彼女に対しての印象だった。


最後に藤原妹紅。名前だけは聞いたことがある。確か、迷いの竹林に住む案内人だったはずだ。
彼女は妖怪に襲われた迷い人を助けたり、急病人を竹林の中にある病院に運んだりしているらしい。青年の友人も一度世話になったことがあった。
だが、それ以上のことは知らない。とにかく謎が多い少女だった。

青年は藤原妹紅の姿を見かけたことは一度もない。だが世話になった友人の話によると、大層綺麗な白髪の持ち主で、炎を自在に操る幻想少女なのだとか。
普通の人間のようで少し違う、謎に満ちた少女。どうやら慧音先生と交友があるようなので、半妖や妖怪の類だと思われた。

「おや? 君はあまり人の噂に敏感というわけでもなさそうだね。この3人の名前を聞いても分からないなんて」

感心深げに笑う店主。青年はぽりぽりと頬を掻き、苦笑いを浮かべた。

普通はこの3人の名前を聞けば、新聞の内容を推測することができるらしい。
だが、青年は噂話に耳ざといわけではなかった。青年は農家を営んでおり、毎日が土と草との格闘の日々だ。
よって人里の中心部、商店路などを訪れることもあまりなく、世間話に興じることもない。
農作業に従事する身としてはそれが当たり前。流行にも疎いという自覚はあった。

「小説家の○○という人を知っているかい?」

尋ねられ、青年は、はて?と首を捻る。
普段から本を読まない性質なので、小説家と言われてもぴんと来ない。
そういえば、外の世界からやってきた小説家の本が面白いと聞いたことはある。その人のことだろうか。

青年は、よく知らない、と答えた。

「そうか。だったらこの新聞を読むと新鮮に思うかもしれないね。うん、一度読んでみるといい」

店主はそう言って、新聞を差し出した。
そんな気楽に読ませてもらってもいいものなのだろうかと思いつつも、好奇心を抑えることはできず、青年は『裏文々。新聞』とやらを読み始めたのだった。


――


裏☆文々。新聞 

第百二三季 卯月の三


『三途川の河原に空いた大穴! 原因は恋の炎!?』


 先日未明に見つかった、三途川の河原の巨大な穴に関して、是非曲直庁は『河原の地下を通る水脈が崩壊したことによる地盤沈下である』と正式な発表を出した。
 河原は現在も急ピッチで修復されており、三途川の一部区域は立ち入り禁止となっている。
 船の発着場所が狭くなったことで、河原には船待ちの幽霊の行列ができているという話は、読者の方々も知るところだろう。

 冥界と中有の道関係者を大いに騒がせた今回の事件であるが、この話には裏があるとの情報を取材班は掴み、急いで聞き込みに回った。
 そうしていくつかの事実を掴み、やはり今回の大穴発生の原因が別にあることが判明した。
 賢明な読者の方々ならばもうお分かりだろう。そう、今回の事件もまた、彼ら「四人」が引き起こしたものだったのだ。


 まずは、人里で本屋を営んでいる人間Bさん(三十五歳)の証言。

『あの日は慧音先生と○○さんに、本の追加発注をかけにお伺いしたのです。ええ、最近は妖怪の方々もお買い求めくださるので、すこぶる売上が好調でして。
 しかし、慧音先生も○○さんも家にはいらっしゃいませんでした。慧音先生の家の扉には【所用により留守とする。夜までには帰宅する】という張り紙がありました。
 いえ、そこまで珍しいことではありませんよ。最近の慧音先生はそうして家を留守にすることがよくあります。先生はこれまで里のために身を粉にして働いてくださりましたから、自分の時間を持てないのではと里人も心配しておりました。
 しかし、○○さんとの付き合いなのか、どこかに出かけられることも多くなり、笑顔を絶やしておりません。私たちはホッと胸を撫で下ろしています。
 おそらくあの日も○○さんとどこかへお出かけになっていたのでしょう』


 次に、中有の道で地獄銘菓「溶岩ゼリーパイ」を販売している罪人Aさん(外見年齢五十歳)の証言。

『ああ、確かに空を飛んでる人間を見かけたよ。女三人と男が一人だったはずだ。
 特徴? あー、女の一人は箒に乗ってて、男がその下を飛んでて……いや、ありゃ、箒にぶら下がってたのかもな。
 おう、そうだそうだ。白髪の女もいたな。くそなげえ髪だったからよく覚えてる。
 連れ立って三途の川方面に飛んでったぞ』


 どうやら、その日○○氏他三名が三途川を訪れていたことは間違いないようだ。


 そうして聞き込みを続けている内に、取材班は決定的な情報を入手した。
 なんと、冥界の関係者O・K氏(年齢不詳)へのインタビューに成功したのだ!
 O・K氏は、○○氏、上白沢慧音氏、藤原妹紅氏、霧雨魔理沙氏が三途川を訪問したと証言してくれた。

『いやー、最初はただの見学だったんだよ。地獄の。
 ああ、おかしい話だね、生きてる人間が地獄を見たいだなんて』

 O・K氏によると、どうやら○○氏は小説の資料を求めて、地獄見学を是非曲直庁に申し込んだらしい。
 心配性の女性三人はその付添いだったのだと言う。(読者の方々はすでに彼女らの心配性がどれほどのものか、ご存じだろう)

 だが、O・K氏は言う。『あたいらはあの子たちを甘く見ていたんだ』と。

『対応をした閻魔様がちょいとばかし意地悪しちゃってね。
【地獄はピクニック気分で来るような場所ではない。一度お灸を据えなくてはいけません】なんて言って……
 木偶人形を使ってあの人間の男を拘束しちゃったもんだから、さあ大変だ』

 なんと○○氏に危害を加えてしまったのだ。無謀である。

『付添いの子の怒りようったら、すごかったよ。いやあ、あたいは生きた心地がしなかった。
 閻魔様ですらちょっと震えてたぐらいだ。あの子ら、本当に妖怪とか神様の類じゃないのかね。ありゃ修羅だよ修羅』

 愛しい人を傷つけられ、怒り心頭に発した恋する乙女三名は、巨大木偶人形(推定六十尺)を破壊。
 その余波で地面にも大きな穴が空いてしまった。そう、あの大穴の真実はこれだったのである。

『あれがトラウマになったのか、閻魔様は最近、若い男女が一緒にいるのを見ると、妙にびくびくしちゃうようになっちゃってねえ。
 【恋する人間とは恐ろしいものなのですね】って、いやいや、そんだけ長生きしてて何おっしゃるのかと(笑)。
 まあ、魂を裁く閻魔様が愛を知らないってのもどうかと思うし、あたしゃ良い傾向だと思うよ、うん』

 どこの世界でも、人の恋路を邪魔すれば馬に蹴られてしまうものらしい。

 それにしても、乙女の恋のエネルギーは冥界の裁判官ですら焼くことができるのか。
 これまでにも、いたずらで○○氏の原稿を墨で塗りつぶした妖精三人組が、藤原妹紅氏にお仕置きされたなどの出来事があったが、彼女らは閻魔様ですら『お仕置き』できるようだ。
 くわばらくわばら。雷より恋の炎の方が怖い。被災したくなければ、距離を取るか友好関係を築くかである。
 いや、○○氏の住宅に逃げ込むのもアリかもしれない。(彼女らは彼の前だと女の子らしくなるし、あの家は色々な意味で『要塞』なのだから)


 なお、O・K氏は○○氏らの関係についてこのように言及している。

『最初はただの友人同士かな、って思ったよ。もしくはあの小説家さんが護衛を頼んだのかね、とか。
 けどねえ、全員が――あの霧雨のお嬢ちゃんですら何の騒ぎも起こそうとしないのを見て、あたいは気付いたのさ。
 だってねえ、片時も離れようとしないんだよ? あたいらの目がなければ、三人同時に腕とか背中に抱き着いてたんじゃないかって思うぐらい。
 帰りも、気絶した小説家さんの頭撫でたりして気遣ってたしさ……あの子ら、相当惚れ込んでるみたいだね』

 彼らはどこに行っても甘い空気を振りまくようだ。

 (射命丸 文)


――


裏表にまたがる長い記事をきちんと読み終えた青年は、書かれている内容を幾度も反芻した上で、なんだこれ、と呟いた。

「どうだい? 面白かったかい?」

香霖堂店主にそう問われ、青年は答えに窮した。
これはただの新聞ではなかった。ある1人の男と、3人の少女&女性の関係を、つまびらかに暴いている――艶聞新聞だったのだ。

「驚いているみたいだね。こんな新聞がどうして作られているのか不思議だと思っている顔だ」

その通りだった。こんな、人の色恋だけを扱った新聞を作ってどうするのだろうか。
店主は苦笑いを浮かべつつ、説明してくれた。

「需要があるんだよ。驚いたことに、けっこう人気があるんだ。これは購読希望者にしか配達されないんだけど、発行部数は表の新聞に匹敵するんじゃないかな。
 それに表の新聞は妖怪の山ぐらいにしか購読者がいないけど、この新聞の購読者層は幅広い。
 僕が知っているだけでも、博麗神社、紅魔館、マヨヒガ、永遠亭、白玉楼、人里の一部、妖精の集まり、妖怪の山と……人妖様々な存在がこの新聞を買っているんだ」

そしてこの店主も購読者の1人なのだろう。
幻想郷でも有名な人間・妖怪がこの新聞を読んでいることに、青年はただただ驚くばかりである。

「購読する理由は人それぞれだ。単に人の恋物語に興味があるから、笑い話の種にでもなるから、この新聞に登場する人間と個人的な知り合いだから、などなど」

では、あなたがこの新聞を取る理由は?
青年が目でそう問いかけていることに気付いたらしく、店主は優しい笑顔を浮かべて、新聞上に書かれている1人の名前の上に指を置いた。
指は「霧雨魔理沙」の文字をなぞっている。

「この子とは昔から仲良くしていてね。僕の娘か妹のようなものなんだ。娘や妹が男と仲良くしてるとなると、父や兄は気になるものじゃないかな?
 まあ、僕が心配するまでもなく、彼女は楽しくやってるようだけどね。新聞を読んでいるだけでも、あの輝くばかりの笑顔が想像できるよ」

店主の柔らかな微笑みには父性すら感じられる。よほど霧雨魔理沙のことを大事に思っているようだ。
他人に興味のなさそうな店主の意外な顔に驚きつつ、青年は新聞を改めて読み直し、確認する。
どうやら、新聞の中に出てくる『上白沢慧音氏』とはあの慧音先生であることに間違いはないようだった。

慧音先生がこの小説家と良い関係にある、という事実に、青年は少なからずショックを受けていた。
青年にはすでに恋仲となっている女性がいる。将来結婚しようと思っている、大事な恋人だ。
だが、それとはまた別の問題で、憧れの女性の男女関係を目の当りにするというのは複雑な気分だった。

だからこそ新聞記事に多少なりとも興味が湧いてしまうのも事実だったが。

「興味があるなら、バックナンバーも読んでみるかい?」

青年はこくりと頷いた。
すると店主が店の奥から大量の新聞を持ってきてくれて、青年はその量に辟易しながらも、内容をかいつまんで読み進めていった。


――


裏☆文々。新聞

第一二二季 如月の八

『太巻き寿司に願いを込める』


 如月の三は節分の日。読者の方々はいかがお過ごしだっただろうか。
 鬼に豆まき福を呼び、鰯の頭を玄関先に飾られた方も多いだろう。ちなみに博麗の巫女は小鬼に宴会を開かされて、たいそう苦労したらしい。

 さて、そんな鬼と戯れる日である節分の日だが、外の世界では少々勝手が違う、との話を如月の五日に取材班は掴み、早速外界出身者に話を聞きにいった。
 なんでも外界では『恵方巻き』という太巻き寿司にかぶりつく習慣があるとのことである。
 新聞に載せるために詳しく話を聞きたかったものの、外来人でも由来や歴史といった詳細な話を知っている者は少なく、取材は難航。記事することは不可能かと思われた。

 しかし、人里の人間から『実際に恵方巻きを作った人間がいる』という情報を得て、その人物のお宅へ直行した。
 今回裏新聞にこの記事が載っていることから、もう予想できている方もいるだろう。そう、作ったのは外界出身者である○○氏だ。

「恵方巻き? ああ、うん、食べましたよ」

 ○○氏は節分の日のために恵方巻きを自分で作り、友人たちと一緒に食べたのだという。

「恵方は、歳徳神っていう神様がいる場所で、その方向に向かって色々やれば吉と言われてるんです。その年ごとに方角は変わります。
 由来としては元々外の世界の大阪で――」

 恵方巻きの由来については割愛する。○○氏の話は時々長すぎるきらいがある。

「で、恵方に向かってまず目を閉じます。それから一言も喋らず、願い事を頭に浮かべながら恵方巻きを食べれば、願い事が叶うと言われてます」

 願い事、と言われてピンとこない記者がいないはずがない。
 早速、○○氏に「どのような願い事をしたか」と尋ねてみると、

「いい小説が書けますようにと。あと、皆が平和に暮らせますように、ですね」

 非常に面白くない答えが返ってきた。彼には恋愛願望が存在しないのだろうか。
 これでは何の趣もないので、取材班は次に上白沢慧音氏、藤原妹紅氏、霧雨魔理沙氏を訪問し、いったいどのような願い事を(おそらく恋愛絡みであると記者は推測した)、恵方巻きに込めたのかを尋ねることにした。

 裏新聞の存在を悟られないように取材するのは難しかったが、なんとか聞き出せた答えは次の通り。

『日々平穏無事。加えて大願成就』(上白沢慧音氏)
『○○が良い小説を書けますように。それとできればもう少し私を……って、何言わせるんだバカ!』←この後弾幕ごっこに発展 (藤原妹紅氏)
『欲しいものを手に入れる、だな』←取材料としてお昼ご飯を要求される (霧雨魔理沙氏)

色気のない言葉ばかりだが、その裏には『○○氏への想い』が隠されていると当記者は見る。
彼女らの大きな願い事。叶う日が来るのは何時のことだろうか。

(射命丸 文)


――


……新聞を読み進めること半刻ほど。
青年は全ての記事を読んでいるわけでない。斜め読みして気になった記事だけをピックアップしているだけだ。
それでも総勢2年分の新聞を読むのはなかなか一苦労。店主の用意してくれた紙の山は簡単に崩せない。

他に気になった記事としては、

・○○氏と慧音氏、人間の里会議で言い争い。後の八目鰻の屋台で仲直り。
・藤原妹紅氏、紅魔館門番の紅美鈴氏と密かに会っている模様。
・霧雨魔理沙氏、山の上に新しくできた神社にて縁結びのお守りを買う
・○○氏の新居が、どういうわけか対妖怪に特化した要塞になり、取材班も被害に会う。

と、彼氏彼女らの色々な話は、読んでいてとても面白い。
射命丸文という記者は何年もかけて彼らのことを追いかけているらしく、新聞内で「彼らが結ばれるまで追いかけ続ける所存である」とまで宣言している。
出歯亀もここまでくると尊敬の域に達する。よくこんな根性があるものだ。

青年は興味深く大量の新聞を流し読みしていく。
と、ある1枚の新聞に目が留まった。これは1年前の夏の新聞のようだ。
社説欄に掲載された『○○氏の正体』と題された小さな記事。青年は多少の興味を引かれ、詳しく読み込んでいくことにした。


――


『○○氏の正体? 噂の彼はどのような人間なのか』


 結論から言おう。○○氏は謎に満ち溢れた人間だ。
 
 もちろん、外の世界の人間であることは確か。物珍しい服装、開明的な知識、農作業の1つもできないひ弱な身体と、典型的な外来人の特徴を兼ね備えている。
 だが、外来人であること以外に彼の素性はとんと分からない。
 
 小説を書くことが上手なので、外の世界でもそういう仕事についていたのか――だが、幻想郷にいる外来人に「○○という小説家を知っているか」と尋ねても、一様に「知らない」と答えるばかり。
 では○○氏に直接素性を尋ねればいいのか――容易ではない。彼は外の世界の知識についてなら色々語ってくれても、彼自身については表面的なことしか教えてくれない。
 例の3人の女性ならば何か知っているのか――彼女らも多くを語ってくれない。いや、そもそも彼女らでさえ知らないのかもしれない。

 そもそも彼がどうして幻想郷にいるのかさえ定かではない。色々と取材を重ねても、彼が幻想郷にやってきた理由が分からないのだ。
 外来人が幻想郷にやってくる理由としては主に、
 1:神隠しにあう
 2:結界のスキマを偶然通り抜けてしまう
 3:自発的に結界を抜ける・破る
 の3つのパターンがあるが、彼はそのどれでもないようだ。
 これは結界の管理人に取材して判明した事実なので、まず間違いない。
 ならばどうやって幻想郷に来たのか、それがまったく分からない。

 彼はどこからともなく幻想郷に現れた、正体不明の小説家――害はなくとも謎は満ち溢れている。
 私はこれからもこの問題について取材を続けていくつもりだ。何か有力な手がかりを持っている方は、是非協力をお願いしたい。

(射命丸 文)


――


幻想郷のブン屋が調べても判明しない、○○という男の正体。これにはとても不気味な感じがした。
はたして慧音先生はこんな男と関わっていて大丈夫なのだろうか。
今までの新聞記事を読む限り、この男が悪い人間でないことは分かる。
しかしそれでも……恩人の身を心配してしまうのは、行き過ぎだろうか。

「ようやく見つけたよ。ほら、お望みの品だ」

店の奥に引っ込んでいた店主が、肩にクワを抱えてやってきた。
ようやく目的の品を見つけ出してくれたようだ。
青年は新聞を閉じ、店主からクワを受け取る。持った感じは普通のクワと違いがなかった。
だが、先の店主の発言から考えて、これには何か不思議な力が込められているに違いない。

知らずに使って魔法を暴発させたくはない。青年は詳しい話を聞こうとしたが、チリンチリンという鈴の音に阻まれる。
店に新しい客がやってきたようだ。この店に客とは珍しい。
緩やかな足音と共に、新しい客が青年たちの前に姿を現した。

「どうも。お久しぶりです、森近さん」
「やあ、いらっしゃい。○○君」

青年は驚きで言葉を失う。
着流しの袖に両手を入れ、柔らかな笑みを浮かべて店主に挨拶したその人物。
男にしてはとても線が細いが、背筋はピンと伸びていて芯が入っている男。

これが新聞の中に出てきた小説家、のようだ

今まで紙上でしか見られなかった人間が突然目の前に現れたことに青年は動揺しつつも、興味を持って彼を観察してしまう。
新聞の写真でも何度か顔を目にしたが、間近で見ると本当に普通の男だった。
特に顔がいいわけでも、男らしさに溢れているわけでもない。むしろひ弱。
だというのに、幻想少女3人の心を奪っている……どこにそんな魅力があるのか、疑問に思う。

青年が目を丸くしているのを尻目に、店主と○○氏が和やかに会話を始めた。

「それで、今日はどうしたんだい? いつもの子たちは一緒じゃないみたいだね」
「ええと、万年筆のインクが切れてしまったんです。在庫はまだありますか?」
「ああ、あるよ。ちょっと待ってくれ。インクは確か倉庫の方にあったはずだ、取ってくる」
「すみません、お願いします」

店主が再び店の奥に消えてしまった。残されたのは青年と小説家のみ。
青年は意識的に○○氏と目を合わせないようにした。

とても気まずかったのだ。先ほどまで彼の艶聞話を読んでいただけに、彼を見ているとどうも気恥ずかしい。
だがそんなことも知らない○○氏は、気楽な調子で声をかけてきた。

「それは農作業のクワですか?」

青年は目を合わせないまま、そうだと答える。
すると○○氏は顎に手をやり、興味深そうな声をあげた。

「なるほど。となると人里で農業を営んでいる方ですね。今年の夏は陽射しがきつくて、作物の管理が難しかったのでは?」

さらりと出された話題の意外性に、青年は驚いた。
確かに今年の夏は陽射しが強すぎて、水の量の調整が難しかった。ともすれば土壌が干上がり、収穫量に被害が出かねなかった。

「今年は客土したのに、水不足とは災難でしたね。ご苦労をお察しします」

客土。「栄養のある土を余所の土地からもらってくること」。土壌改良の1つだ。
今年はこれを行ったおかげで収穫量の増加を見込めたのに、水不足の被害は確かに運が悪かった。
だが、この男はどうしてそんなことを知っているのだろう。農作業でもしているのだろうか。

青年がそう尋ねると。

「俺には農作業ができるほど体力はないですよ。ただ知っているだけです」

不思議だった。どうして自分には何の関係もない農業の知識を、彼は得ているのだろうか。
勉強した? 何のために? 分からない。そんな何の役にも立たない知識を得て、何になるのか。

理解に苦しんでいると、ちょうど店主が店の奥から戻ってきた。

「おやおや、○○君は相変わらずだね。小説家としての勉強を続けているようだ」
「勉強しないとやっていけませんからね」
「ふむ、幻想郷にやってきた頃とは大違いだ」
「あ、そのことは……」
「ねえ君、○○君は今でこそ1人で暮らしていけてるけど、外の世界からやってきた時はそれはもう、失敗続きだったんだよ」

店主が楽しそうに笑い、秘密めいた顔で青年に耳打ちする。
○○氏が慌てた様子で止めようとするも、店主の口は塞げない。

「例えば、彼は最初洗濯の仕方が分からなくてね。居候していた頃は、家主に自分の下着までも洗われてしまいそうになって」
「あ、あーあー! 森近さん! その話はやめっ!」
「さすがに恥ずかしいからと服を自分で洗ったはいいけど、失敗して下着とズボンを破ってしまったからさあ大変だ。
 その日1日、家主が代わりの服を買ってきてくれるまで、布を腰に巻いて過ごしていたらしいよ。とても恥ずかしかったみたいだね」

くくっと笑う店主と、顔を赤くする○○氏。

青年は小説家のうぶな反応を意外に思った。
新聞を読んだ限りでは、3人の女性にモテモテだという○○氏はよほどの完璧人間なのかとも思ったが、どうも違うようだ。
最初の落ち着いた雰囲気と、今の恥ずかしそうな顔のどちらもが彼の人となりを示していた。
子供のような大人のような。つまるところ、とても人間臭い。

「はぁ……もうあの時のことは消し去りたい歴史ですよ、ほんと」
「それならちょうどいい人がいるんじゃないかな?」
「いえいえ、本当に消し去るのも惜しい経験ですので……恥ずかしくとも耐えます、はぁ」

苦笑する○○氏。店主が差し出したインクを受け取り、代金を払う。
そういえば、いつの間にか机に置かれていた新聞の山がなくなっている。○○氏にばれないよう、店主が片づけたのだろうか。

「ああ、そうだ。○○君。近く魔理沙と会う予定はあるかい?」
「え? そうですね……俺が会おうとしなくても、あいつは勝手に家に来ますからね。もしかしたら今日も来るかも」
「そうか。だったら、伝言をお願いするよ。『八卦炉の調整がしたいから店に来てくれ』とね」
「分かりました。魔理沙はあまりここに来ないんですか?」

○○氏のこの質問に、店主はニヤリと笑った。

「君と遊ぶことに夢中のようでね。まあ、彼女をお守りしなくて済むのは楽でありがたいよ」
「はあ、そうなんですか……」
「いっそのこと君が魔理沙をもらってくれたら、僕としても安心できるのだけどね」

おおっ、と青年は心の中で感嘆の声をあげた。
店主はやけに踏み込んだ話をしているではないか。○○氏はさぞかし反応に困るはず。
そう予想したが、しかし○○氏の反応は鈍かった。

「だったら、俺は魔理沙のパワーについていけるだけの体力をつけないとですね。今はとてもとても」

肩をすくめる○○氏。普通なら店主の言葉に何かしら感づいてもおかしくないのに、○○氏は冗談交じりの笑顔で答えている。
おそらく店主が言葉の裏に込めた意味――「霧雨魔理沙のことはどう思っているのか?」という意味も悟っていないに違いない。
これが新聞で言っていた○○氏の「鈍さ」というものなのだろうか。

「そろそろ失礼します。時間があれば、俺が魔理沙を連れてきますね」
「ああ、頼むよ」
「では」

最後に頭を下げた○○氏は、青年にもきちんと笑顔を残し、扉の外へと消えていった。
たった1人の人間が去っただけなのに、場の雰囲気がやけに寂しげなものに変わったような気がした。
それは○○氏の持つ温かさがなくなったからかもしれない。

「どうだった?」

店主に問われ、青年は何のことかと問い返す。

「実際に見た彼はどうだったかなと。新聞通りというわけでもなかっただろう?」

確かにそうだった。
新聞上であれだけ騒がれているのだから、もっと堂々としたオーラに溢れていると思った。
それこそ博麗霊夢やアリス・マーガトロイドといった、幻想郷の有名人たちと張り合えるような。
しかし、実際の彼はそんなことはなかった。

「彼は何も特別なところなんてない普通の人間だ。だからこそ、彼は努力しているのだろうけど」

父性溢れる笑顔を扉に向ける店主。柔らかな視線の先に、おそらく○○氏を思い浮かべているのだろう。

「ああいう前へ進む姿を見ていると、人外の存在としては少しばかり……見習わなくちゃいけないと思うね」

それは人外だけでなく、同じ人間としてもそう思う。
外来人であるあの小説家は、幻想郷で今の生活を送るために、どれだけの努力をしてきたのだろうか。
決して読書人口の多くないこの世界で、彼は数多くの試行錯誤を繰り返してきたに違いない。

人外の存在のように先天的な才能に恵まれているわけでもないのに、彼は妖怪や精霊にも認められる男になった。
そんな努力をしている人を見ると、自分もやらなければ、という思いに駆られる。
手始めに、帰ったら頑張って畑を耕そう、新しいクワで。
そう青年は決意する。


ただ1つ、○○氏に言いたいことがあるとすれば。

「ほんと、早く魔理沙を安心させてあげてほしいものだよ」

店主の言葉と同じく。
『さっさと3人の誰かを選ぶなり、全員振るなり、全員ものにするなりしてしまえばいいのに』。
そういう野次馬根性だけが青年の胸にもたげたのだった。







(以下、裏☆文々。新聞の一部を引用)






裏☆文々。新聞

第一二一季 睦月の七

『雨降れども既に地は固く』

 睦月の五、夕方にさしかかろうとしていた時分、当記者は正月ボケの頭を奮い立たせ、取材のため人里を訪れた。
 先日八年ぶりに復活した幺樂団の演奏について、人間側の感想を聞くためだった。
 しかし、期待していたほどの成果はなく、どうやって記事を埋めようかと悩みつつ、妖怪の山へ帰ろうと空を飛んでいたところ、妙な光景が目に入った。

 人里の人間が、ある一軒家の窓や扉の前にたむろし、一様に中を覗いていたのだ。
 それも皆が眉間に皺を寄せ、難しそうな顔をしている。
のどかなこの里ではあまり見かけない光景だった。
 興味を引かれ、私は近くの物陰に降り立ち、背中の翼を隠して人混みの中に紛れた。

「―――!!」
「!!―――!!」

 家屋に近づくにつれて、誰かの怒鳴り声が聞こえてきた。言い争いをしているようだ。
 私は集まる人を押しのけつつ、窓からそっと中を覗き込んでみる。

 そこには見たこともない光景が広がっていた。

「そんなことは分かっている! だからこそ計画的に木を伐採しつつ、苗木を植えるという対策を取ろうと私は再三言っているだろう!」

 なんと里の守護者――上白沢慧音氏が物凄い剣幕で声を張り上げ、

「植林活動は慎重にやらないと! 里の人たちでも比較的育成しやすいスギやヒノキは、単一に植えすぎれば生態系を破壊するんです! 外の世界でも環境問題になっているんですよ!」

 かの小説家――○○氏が、彼のイメージに合わない大声で反論している。

 そう、二人は珍しく、本当に珍しく、口論を繰り広げていたのだ。
 家の中には他にも里の長老や商工会の代表者がいたが、皆、慧音氏と○○氏の言い争いに気後れしているのか、口をはさめないでいるようだった。

 二人の口論は続く。

「ならば調べた上で行えば、何も問題はないだろう!」
「調べるにしても資料が足りなさすぎます! 中途半端にやれば、幻想郷の森が『緑の砂漠』と呼ばれかねません!」
「しかし資料を集めている暇はない! 今伐採しなくては、今年の冬を乗り切れなくなるんだぞ!」
「薪が足りなくなったのは今年に限ってのことでしょう! だったら妖怪の山と材木のやり取りをすれば済むことです! どうしてその選択肢を避けるんですか!?」
「里と山が交流するのは難しいんだ! 個人としてならともかく、里という共同体が妖怪と交われば人妖のバランスを崩す!」

 すさまじい光景だった。普段は仲のいい二人が、この時ばかりは互いを親の仇のようににらみ合っている。
 いったい何が起こっているのか。私は困惑するばかりだ。

「新聞記者さん、こんなところで何を?」

 そんな私に声をかけてきたのは、幻想郷の情報記録人、稗田阿求だった。
 部屋の中にいた彼女が窓から顔を出し、私の困惑顔をニコニコと眺めている。
 私は早速、中で起こっている出来事について尋ねてみた。

「中ですか? 里の長会議を行っているところですよ」

――慧音さんはともかく、どうして○○さんが?

「○○さんは有識者として里の長から頼まれて参加しています。彼はいろいろな知識を持っていますから。
 今は里の燃料の確保について話し合っていたのですが、少々こじれてまして」

――燃料の確保?

「今年の冬は厳しいですからね。里に保管していた薪や藁が底を尽きてしまいそうなのですよ。
 よって新たに近隣の森を伐採しようという提案が出たのですが、○○さんがそれに異を唱えまして……
 ええと、確か『すでに自然回復の限度を超えた伐採を行っているため、これ以上木を伐れば環境を壊しかねない』と」

――なるほど。

「しかし慧音先生は『対策を立てれば影響は少ない』と主張して、○○さんがさらに反論して……それから強烈な口論に発展してしまいました。
 どちらの言っていることも正しいように聞こえますので、私も含め、里の人間はどちらにもつけないでいる状況です」

 そう言って阿求氏は困った顔をし、怒声渦巻く部屋を振り返り見てため息をつく。
 周囲の人間が事態を見守る中、慧音氏と○○氏は互いの主張をぶつけ合っている。
 結論が出るまでまだまだ時間がかかりそうだ、と阿求氏は苦笑いを浮かべた。

 私もしばらくは二人の様子を観察していたが、話が平行線のまま進展しそうにないのを見て取り、その場を後にした。
 あの二人でもあんな喧嘩をすることもあるのだなと、その時は思っていた。


 後日、私は興味深い情報を得た。
 情報源は最近幻想郷で人気が出始めた八目鰻の屋台を経営する、ミスティア・ローレライ氏だ。
 彼女によると、あの論争があった日の夜、慧音氏と○○氏は連れ立って彼女の屋台へやってきたらしい。

 あんな口喧嘩の後ならば、屋台で一緒にいる間も相当気まずい空気が流れたに違いない。もしかしたらまた言い争いをしたのかも。
 私はそう予想したが、違った。ミスティア氏はこう証言してくれた。

「二人とも楽しそうに飲んでいたわよ」

――楽しそうに? 本当ですか?

「もちろん。詳しい話の内容までは覚えていないけど……確か、木材がどうのっていう話だったかな」

――燃料の話ですか?

「そうそう。『資料を集める』とか『商店を通して妖怪の山から燃料を仕入れる』とか、そういう話だったわね。
 けど、固いお話をしていたのも最初の方だけで、あとは普通の世間話。ちなみにお客さんのプライベートをこれ以上話せません」

――二人は仲が良さそうでしたか?

「こっちが辟易しそうなぐらいにね。あれだけ仲がいいのに恋人同士じゃないんだから、男と女ってよく分からないわね。
 ああそうそう、男の人の方がお酒に酔っちゃって、頭がぐらんぐらんとなってたの。それを女の人が介抱しようとしたんだけど……
 その時、男の人が突然『慧音先生に会えてよかったです』とかなんとか言って、女の人の頬に口づけをしたの」

――ほう、それは楽しい場面ですね

「多分あれだけ酔ってたら、男の人は覚えてないんでしょうけどね。男の人はそのまま地面にダウン。女の人は顔を真っ赤にして呆然としてたわ」



 この取材の後、私は○○氏に口づけの件をそれとなく尋ねてみたが、やはり彼は覚えていなかった。
 一方、上白沢氏にも取材を試みたが拒否されてしまった。『会議の夜』という単語を出しただけで顔を真っ赤にしていたので、覚えているに違いない。

 ちなみに二人ともお互いを嫌っているような様子はなかったため、会議でのいざこざが彼らの仲を悪くしてはいないようだ。
 多少の言い争いも、彼らにとっては交流の一つ。雨は降れども既に地は固く、なのだろう。


(射命丸 文)







裏☆文々。新聞

第一二二季 神無月の二三


『妹紅氏、紅魔館の門番と密会。その理由は……』


 この情報を得たのは本当に偶然だった。
 ある日、幻想郷を駆け回って取材を行っていた当記者は、迷いの竹林に入っていく紅美鈴氏を目撃した。
 当記者はまず驚き、そして訝しんだ。美鈴氏は紅魔館の門番として、四六時中あの館の前で立っている。時々昼寝はすれども、その勤務態度は比較的真面目。
 たとえ非番の日であっても、侵入者に備えて紅魔館にいることが多いという彼女が、どうしてまた迷いの竹林に入っていくのか。

 当記者はここに事件の匂いを感じとり、彼女を追跡することにした。
 迷いの竹林は隠れる場所に事欠かない。美鈴氏にばれないよう、当記者は彼女の後ろをついていく。

「ふんふふーん」

 美鈴氏は鼻歌交じりに歩いていた。ちなみに鼻歌は下手だ。音程がかなりずれていた。
 四半刻ほどして、彼女が訪れたのは、

「妹紅さーん、来ましたよー」

 竹林にひっそりと建てられている、藤原妹紅氏の家だった。
 美鈴氏が大きく声をあげると、家の扉が開き、中から白髪の頭が現れる。

「やっときた……遅い、みりん」
「すみません。ちょっと咲夜さんに捕まってまして。それと、私はみりんじゃなくて美鈴ですからね」
「分かった、みりん」
「……わざとですよね? 私、怒っちゃいますよ? いいんですか? キックしちゃいますよ?」
「はいはい。いいから、さっさと始めよう」
「うー、私が教える側なのに、なんだか立場が逆転してるような」

 漫才もそこそこに、二人は連れだって家の中へと消えていく。
 この意外な組み合わせにますます興味を引かれ、気配を消して窓の前にスタンバイ。
 さすがに中を覗けば、実力派である二人に見つかってしまうため、壁越しの会話を聞き取ることに専念する。

 以下、聞こえてきた会話である。

「野菜は、料理の種類によって切り方が変わります。炒め物なら火が通りやすいように、煮物なら煮崩れしないように、と。
 大根ひとつをとっても、千切りやぶつ切り、桂剥きなどがありますから、全部覚えていきましょうね」

 これは美鈴氏の声だ。

「……こんなの、焼けば全部同じじゃ」

 次に妹紅氏の声。困惑しているようだ。

「全然違います。切り方1つでおいしさも変わってくるんです。妹紅さん、おいしい料理を○○さんに食べさせたいんですよね?」
「そ、そりゃあそうだけど……わかった。覚える、覚えるよ」
「それでいいんです。花嫁の基本は料理です。男は胃袋で捕まえろ、ですよ。さあ、人参を切りましょう!」

 どうも二人は料理をしているようだった。
 包丁の音やかまどに火が灯る音だけが聞こえ、会話は料理に関するものだけになる。

 いったいどうして料理を、と不思議に思っていると、ちょうどよくそれに関する会話が聞こえ始めた。

「以前教えたお裁縫、役に立ちましたか?」
「ああ……ちょうど○○の服で破れてたのがあったから、直してみたけどさ……失敗して、逆に穴が大きくなっちゃって」
「初めてですから仕方ないですね。もっと練習していきましょう」
「……こんなことで私、本当にちゃんとした嫁になれるのかな」

 ぽつりと呟く妹紅氏。かなり気落ちしているようだ。

「なれますよ」

 美鈴氏が明るい声で答えた。

「恋する乙女は誰だって花嫁になる資格があります。あとは相手を惚れさせるために、自分を磨くのみ!
 武術と同じです。何事も日々の努力が大切なんですよ」
「……そっか。みりんの言う通りかもな」
「そうです、だから頑張って花嫁修業をしましょう。それと私は美鈴ですからね」

 ここで当記者は合点がいった。

 藤原妹紅氏は生活能力が皆無。このままでは、もし○○氏と結ばれて一緒に暮らし始めた時、絶対に苦労する。
 そう思い、彼女は美鈴氏に助力を乞うて花嫁修業をしているのだろう。

 なんともいじらしい。妹紅氏の思いの強さが見えるようではないか。

「では、次の野菜も切りましょう。この籠の野菜を洗ってください」
「分かった。石鹸はこれでいいかな?」
「妹紅さん、食べ物は石鹸で洗わない、という基本を忘れてますよ」
「あ、そうか。忘れてた」

 しかし「花嫁」への道はとても遠いように、当記者は思うのであった。


(射命丸 文)







裏☆文々。新聞


第一二二季 師走の一二


『恋色魔砲使いの恋はボム!』


 今年の長月、妖怪の山に新しく神社ができたことは読者の皆さんもご存じだろう。
 主に妖怪相手の信仰を得ており、最近は人間の中でもお賽銭を入れる人が出てきたため、博麗神社の巫女さんは大層ご立腹のようだが、それはともかく。
 
 守矢神社ではお守りも売られている。これはただの気休めではなく、実際に神通力やら何やらが込められているようで、なかなかの御利益があるとの噂だ。
 いくつかお守りの例を上げてみよう。

『弾幕安全』……弾幕ごっこでの身の安全を祈るものらしい。低威力の弾なら防御してくれるようだが、妖精の本気の弾すら防げないので、弾幕ごっこ上級者には実用性がない。
『奇跡成就』……守矢神社の巫女さんの力が込められていて、ちょっとした偶然や奇跡を起こしてくれるらしい。

 他にも色々とあるが、一番売れているのは『縁結びのお守り』だとのことだ。
 さて、このお守りをどのような人物が購入しているのかという話を、守矢神社の緑髪の巫女さんに聞いてみたところ、意外な人物の名前が挙がった。
 霧雨魔理沙氏、恋色魔砲使いで神様や御利益なんて全然信じていなさそうな彼女が買っていったというのだ。

 私は巫女さんに詳しく話を聞いた。

「はい、確かに買っていかれましたよ」

――彼女が1人で買いに来られたんですか?

「そうですね。私が境内の掃除をしていると、突然砂埃が舞い上がり、空から誰かが降りてきたんです。
 私が風を操って砂埃を吹き飛ばすと、お守り売り場に魔理沙さんが立っているのを見つけました」

――そこで『縁結びのお守り』を?

「そもそも魔理沙さんはお守りがどういうものか分からなかったようで、説明をしても最初は『本当に効くのか?』と疑っていました。
 しかしこのお守りは本当に御利益があるのです! 私が神奈子さまと諏訪子さまのお力をお借りし、護符に限界ギリギリの神通力を込めているため、妖怪は滅殺し、幽霊が持てば成仏なのです!」

――……それは『お守り』というよりむしろ『武器』なのでは?

「ともかく、御利益は絶対にあります!」

 そんなに御利益があるのなら外の世界でも売れて、信仰も確保できたのではと当記者は思ったが、黙っておいた。

――その説明を聞いた魔理沙氏は?

「半信半疑でしたが、『縁結びのお守り』の説明だけはとても興味深そうに聞いていました。
 外の世界で実際にこのお守りによっていくつものカップルが誕生したことを教えると、『まあ、気休めにはなるか』と言って買っていかれましたよ。
 私の熱心な説明の成果ですね!」

――そうですね。魔理沙氏は、お守りを買う目的について何か話していましたか?

「目的……ああ、お相手の話ですか。尋ねてみましたよ。けれど教えてくれませんでしたね。
 とても熱心な恋をされているようですけど……誰なんですか?」

――裏☆文々。新聞の購読をおすすめします



 さて、当記者はこの取材の後、霧雨魔理沙氏と弾幕ごっこを行った。理由はなんてことはない、当記者が弾幕の写真を撮るためだ。
 霧雨魔理沙氏は会う度に新技を披露してくるのが常だが、その日に繰り出してきた技を見た時、私はギョッとした。

恋符『ラブダイナマイト』

 これは強烈な弾幕だった。守矢神社で購入したお守りを媒介にし、局地的な爆発を何度も起こしてくるため、非常に避けにくい。
 おそらくお守りに込められた神通力が魔力を増幅しているに違いないのだが、魔理沙氏は「私の愛は爆発なんだぜ!」と発言しており、詳しい仕組みを理解していないようだ。
 きっと○○氏への愛が強ければ強いだけ、弾幕の威力が上がると思っているのだろう。ひどい勘違いだが、実際に威力が高いのだからそう思うのも仕方ない。


 ……やはりこのお守りは武器として売り出した方がいいのではないかと、当記者は思うのであった。


(射命丸 文)


Megalith 2011/04/06
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最終更新:2011年06月24日 23:17