「お嬢様、こちらがよろしいかと」
「うん、いいわ。それにして頂戴」
咲夜に服を選ばせて、もう一時間余りが経っていた。
だが、レミリアは楽しそうに咲夜の差し出す服を代わる代わる着替えては悩んでいる。
「よし、これでいいかしら」
「はい」
「貴女が言うなら間違いないわね」
レミリアは微笑って、くるりと身を翻す。外向きの、いつもより少しだけ洒落た衣装だった。
リボンを、派手でないようにあしらった服に、少しシックな印象を与えるケープを上着代わりに。
片手に付けているシュシュも、いつもとは少し印象を変えて、微かな薄青を基調にした色にしている。
左手には、控えめに指輪が輝いていた。手首に巻いているレースの薄青が、それに填められた紅玉を引き立てている。
「似合う?」
「勿論です、お嬢様」
そう微笑む咲夜の方が、何故かレミリアよりもやり遂げた表情をしていた。
「随分待ってますねえ」
「ああ、ええ。まあ、準備には時間がかかるものでしょう」
門柱にもたれかかっていた青年は、美鈴の言葉に微笑って頷いた。
「しかし朝からお出かけなんて珍しいですね」
「まあ、約束していましたし」
「仲がよろしくて何よりです」
美鈴は闊達に微笑った。そして、空を少し見上げる。晴れ間を横切るように雲が流れていた。
「しかし、いい天気ですから気をつけてくださいね」
「気を付けます。雨は降らない……でしょうかね」
「どうでしょうねえ……まあ、ここのところ大きく崩れてないですし、大丈夫と思います」
「なら、大丈夫ですかね」
空の様子を見ながら、彼は小さく頷いた。本当にいい天気だった。昔ならばはっきりそう頷いていただろう。
今となっては、快晴はいい天気とは本当に言い難い。動くことに支障はないものの、後々日陰に入ったときに疲労を少しだけとはいえ自覚するのだ。
それでも、自分の身を考えれば破格のものなのだろう。それもこれも、全部レミリアのおかげで――
「お待たせ」
声がしたのは、そんなときだった。
「いいえ。そんなには」
青年は首を振って門柱から身体を離し、レミリアの姿を見て軽く微笑んだ。
「可愛いです」
「そう?」
素っ気なく言いながらも、レミリアの機嫌はさらに良くなったようで、羽が上下にゆっくりと動いた。
「では、お願いしますね」
「はい」
咲夜から、念のためと言うことだろう、渡された日傘を受け取り、彼はレミリアに向かって頷く。
「お二人とも、お気をつけて」
「いってらっしゃいませ」
美鈴と咲夜に見送られて、二人は紅魔館を後にした。
二人の姿が見えなくなって、今度は遠くに里の姿が見え始める。
「大丈夫ですか?」
朝から動くことになりますが、と青年は心配そうに尋ねる。
約束していたとは言え、朝から活動するのは吸血鬼にとってはどうなのだろうか。
それに対しては、あっけらかんとした答えが返ってくる。
「一日二日寝なかったからと言って、別にどうとなるほど柔ではないわよ?」
それは貴方も知ってるでしょう、とレミリアは傍らの恋人を見上げる。
「まあ、それはそうですが」
「だから、今日は一日中、貴方のエスコートで、ね」
そう、レミリアは青年の腕に手をかけた。
里の入り口近くには、朝市が並んでいた。
「へえ、面白いことをやっているのね」
「早朝の市はもう終わりでしょうが、ここからは店と市と、両方が開く時間ですからね」
賑やかになりますよ、と彼は微笑う。
レミリアは面白そうに周囲の店をのぞき込み始めた。
「ああでも、こんなところで油を売っても大丈夫なのかしら?」
「ええ、もちろん」
立ち止まって店の物を手にとって眺めていたレミリアの問いに、彼は頷いた。
「時間に余裕を保たせてますので大丈夫ですよ」
「あら、そうなの?」
「がちがちに予定を固めると酷い目に遭うのは経験済みでして」
軽く手を振って、彼は微笑った。
「それは、外での経験?」
「まあ、そんな感じです。学校行事にしてもどうしてああもと思った記憶が」
学校? と首を傾げたレミリアに、簡単に説明をしながら、再び歩き出す。
「そういうことで、またふらりと見て回れればと思います」
「そうね、そうしましょうか」
ゆっくり歩調を合わせて歩く彼に寄り添って、レミリアは微笑った。
幾つか店を冷やかしつつ、喫茶店で一息入れようかと歩いているところに、不意に声がかけられた。
「兄ちゃん!」
「ああ……君は」
「知ってる子?」
声をかけてきた少年に、彼は困ったような曖昧な笑みを向けた。
レミリアは、彼と少年を交互に視線を向け、ああ、と合点がいったように頷く。
「元気に、なりましたか」
「うん、いっときは危なかったーってみんな言ってたけど」
少年は屈託のない笑みを浮かべている。彼の戸惑いがレミリアには手に取るようにわかった。
どういう顔をすればよいのかわからないのだろう。彼にはそれで良い、とは告げてはいるが。
「兄ちゃんもたすけてくれたんだよな、ありがとな」
「……僕は、助けられていない。流されそうになる君を見ることしかできなかった」
青年は首を振った。水に飛び込めなかったのは事実のこと。だが、少年は咎めはしなかった。
「でも兄ちゃんカナヅチだったんだろ? 仕方ないよ。それに、竹林の医者様まで運んでくれたんだろ? だからさ」
笑う少年に、青年は困ったように眉を寄せていた。
「礼を言うことではないわ」
レミリアは口を挟んだ。十分だった。その一言だけで彼には十分なのだろうとわかっていた。
「彼が助けたのは、里との約定。礼を言うならば村長と守護者に告げなさい。私達は約束を破らない。ただそれだけよ」
その言葉もまた事実だった。そして道理でもある。
少年が一歩下がった。レミリアの言葉は吸血鬼としてのものを十分に含んでいた。
たとえ年若の者であっても、その態度は崩さない。崩すわけにもいかない。彼女達は吸血鬼だから。
「え、あ、う、うん」
レミリアに気圧された様子の少年は一つ二つ頷き、やがて、そっかぁ、と青年を見上げ、予想外の言葉を口にした。
「兄ちゃんの彼女ってこの人かあ。可愛い人だなあ」
「な」
「そうでしょうそうでしょう」
ようやく、彼は笑みを浮かべた。少しばかり誇らしげでもある。
「うんうん、兄ちゃんがいっつも自慢してるの、よくわかった!」
「いつも何言ってるのよ!」
レミリアはばさばさと羽を広げて抗議した。どうどう、と宥めて青年はちらりと笑い、少年に声を向ける。
「言っていた通りでしょう」
「うん、みんなにも言っとくよ」
少年の言葉に、レミリアは大きくため息をついたが、特に何も言わなかった。
少なくとも、誉められたのは悪い気はしない。
「そんじゃ、逢い引きの邪魔する奴は馬に蹴られろ、って言ってたし、そろそろ行くよ」
「はい、気をつけて」
「また落ちないようにね」
レミリアの軽口に少年は照れたように笑うと、手を振って走っていってしまった。
「……これで良かったのですね」
「ええ。これでいいの。私達は里との約定をただ守っただけ」
「はい」
彼は頷きを返した。非常に契約主義のようにも見える。が、きっと悪魔とはそれで良いのだ。
そんなことより、と、レミリアはじと目で彼を見上げた。
「いつもあの子達に何を言ってたのかしら?」
「あー、いや、その」
「とりあえず、次の目的地でゆっくり聞きましょうか」
「はい」
レミリアに腕を引かれて、彼は少し困ったように頷いた。
茶屋に着いて、彼は少し困ったように顎に手を当てた。
「満席でしたか」
「あら、どうする?」
レミリアも中をのぞき込んで頷く。店内は非常に賑わっていた。人妖関係なく、甘味に舌包みを打っている。
味が良い上に、値段は味に比して安いため、よく人が集まるだということを失念していたのだった。
さてどうしたものか。和風の店の方が珍しいかと連れてきてみたのだが。
「おや、珍しいね」
聞き覚えのある声が聞こえてきて、レミリアと一緒に彼はその方向を見る。入り口近くの席に、見知った顔が座っていた。
「あら、久しいわね」
「どうも、妹紅さん」
軽く頷いて、妹紅が手を挙げた。意図を理解して、レミリアが彼の手を引く。少し迷ったが、彼も頷いた。
近付いてきた二人を、妹紅は軽く笑って迎える。
「この時間は混むからね、相席も多いよ。ここも今空いたとこ」
「いやはや、リサーチ不足でした」
「まあ、肝心なところ抜けているのがらしいと言えばらしいわ」
レミリアは肩を竦めて、妹紅の向かいに座った。レミリアの隣に腰を下ろして、彼は店員に注文を頼んだ。
「あんみつ……すぺしゃる?」
「ああ、それここの目玉だよ。面白いから食べてみたら?」
「じゃあそれ」
「では僕はお茶だけにしましょう」
いいの? というレミリアに、彼は頷き、妹紅はくくと笑った。
「来たらわかるよ」
「名物なんですよねえ」
彼は何とも言えない曖昧な笑みを漏らした。レミリアはさらに首を傾げる。
そのとき、周りから声がかかった。若い男の声だった。
「おう、兄ちゃんじゃねえかい、なんだ、逢い引きか?」
「そんなところですよ」
周りの席の知り合いが彼に声をかけてきたのだった。
別の席の年かさの男が、彼とレミリアを交互に見て何度か頷いた。
「いや、別嬪さんだのう」
「でしょう?」
「自慢するはずだな」
それに対して笑みを向けた彼に、最初に声をかけた男が余計な言葉をかける。、
「ほほー、いやしかし、やっぱり幼女趣味だったか」
その一言に、ちょっと失礼、と彼は断って席を立った。
「馴染んでるわね」
「まあ、あいつは里の手伝いもしてるからね」
妹紅が茶を口に運びながら相づちを打つ。
「馴染み過ぎは問題だけど」
「まあ、きちんと分はわきまえてるよ、きっと。それに、里との在り方は常に変わっていくものさ」
「そう……」
「何、あいつも外れてはいないさ。妖としての立ち位置にはきちんと立ってる」
「なら、いいんだけどね」
レミリアもそう、茶を一口飲む。そして、彼の方に目を向ける。
「じゃあ、あれも割と?」
「うん、日常までは行かないけど普通かなー。みんな意外に懲りないんだよね」
二人の視線の先では、余計な一言を言った男が彼にアイアンクローを受けていた。
「で、これ?」
「これ」
どん、と効果音が付かんばかりの大きさの器に、あんみつがこれでもかと盛られている。
小豆に、寒天、季節の果物、中にはドライフルーツもちらほら。それにクリームがこれでもかと盛られている。
「いやー、ははは、さすがに予想外だったか」
「名物、かつチャレンジメニューなんですよね」
楽しそうに微笑う妹紅と、美味しいのは美味しいのですけど、と困ったように笑む彼。
レミリアは何回か頷き、彼の前に無言で器とスプーンを置く。彼は従容としてそれを受けた。
それを見やった後、レミリアは妹紅に視線を向ける。
「……蓬莱人」
「はいよ」
「手伝え」
「はいはい」
その会話を横に、彼はあんみつを取り分け始めた。
かくして小半刻後。
「……おや珍しいな。というか何やってるんだ……?」
「慧音、いいところにー」
「手伝え白澤ー」
へるぷーと手をばたばたさせる妹紅とレミリアをよそに、若干青い顔で温かい茶をすする彼の姿があった。
さらに半刻ほどの後、空になった器を前に、レミリアは一つため息をついた。
「……確かに美味しかったのは認めよう。けれどもあの量はないわ……」
「ん、私も甘く見てたわ」
その慨嘆に、妹紅もうんうんと頷いた。
「慧音さんが来てくれて助かりました」
「いや、まあ、私も甘味を取るつもり出来ていたからそれはいいんだが」
昼もまだだったしな、と、何とも表現しがたい表情で、慧音は息をついた。
「珍しいこと尽くしだな。貴女が昼間から出てきているのも、妹紅と相席しているのも」
「まあ、成り行き?」
「そうね、成り行き」
レミリアはそう妹紅に同意の頷きを返して、若干ぬるくなった茶を一口飲んだ。
「まあいいが。逢い引きの邪魔をしていないかな」
「声をかけたのはこちらだしね」
レミリアはくつくつと微笑って、彼の方を見上げた。
「そういえば。里の子供たちに私について何を吹き込んでるの?」
「いや、まあ、その」
忘れてくれてたと思ったのですが、と曖昧に言葉を濁す彼の代わりに、慧音が笑みを漏らした。
「十二分に自慢しているよ、貴女の恋人は」
「あら、そうなの?」
「ああ。安心して良い、貴女の評判を落とすようなものではないさ」
「慧音さん、程々に」
何を言われるのかと不安になった青年が慧音にやんわりと釘を差す。
「おやおや、あれだけ惚気ておいて」
「そうだね、今だって」
妹紅はそう、レミリアの指先に視線を向けた。レミリアの左薬指には、銀色の輝きがある。
「ん、まあ、ね」
レミリアは曖昧な、それでいて満足そうな笑みを向けた。
やれやれ、と慧音は肩を竦め、それでもどこか優しげに微笑う。
「それについてもいろいろ話は聞いてるよ。では、それも含めてかな」
「ええ、いろいろ詳しく」
楽しそうに少女同士話すのを見て、敵うはずもなかったか、という諦めの境地で、彼はもう一度湯飲みを口に運んだ。
しばらく周囲の客も入ったりしながらからかわれ続けた後、吸血鬼主従は茶屋を後にした。
「随分面白かったわ」
「それは良かったです」
「あんみつも美味しかったし、話は面白かったし」
「……それはその」
散々からかわれたのを思いだし、彼は困ったように表情を動かした。
「あれだけ私とのことを吹聴してるなんて思いもしなかったわ」
「すみません」
さらに困ったように眉を下げる彼に、レミリアはくすくすと笑った。
「さっきも散々聞いたし、苛めるのはここまでにしておきましょうか。さ、また案内して頂戴」
「では、服や小物などでも」
さりげなく腕を差し出しながら、彼はそう微笑んだ。
里の中を再び歩く。昼過ぎてだいぶ開いてきた店を、好奇心一杯にレミリアは眺めていた。
手芸店を興味深そうに眺めたり、小物を手に取ったり。その行動はどこか見た目相応にも見えた。
しばらく楽しんだ後、レミリアは彼を見上げる。瞳には真剣な光が漂っていた。
「さ、目的の一つにもいきましょうか」
「……職人の?」
「ええ。会いに行くつもりだったもの」
レミリアの言葉に、彼は頷いた。
「それでは、ご案内します」
こちらです、と、彼はレミリアに道を示した。
「失礼しますよ」
彼は軽く声をかけて、作業場の中に足を踏み入れる。職人はすぐに出てきて、彼とレミリアの姿を目に留めた。
「これはこれは旦那様、おや、御当主様も御一緒でしたか」
職人は丁寧に一礼する。だが、どこか無骨でもあった。レミリアはそれを咎めない。それが最大の礼だとわかっているからだった。
「指輪を見せてもらった」
「それはありがたく」
職人の瞳の奥は笑っていなかった。どこか挑むような瞳にも見えた。
レミリアはそれに満足したようだった。彼もそれでいいのだろうと、納得のまま頷く。
「この通りだ。私に丁度良い」
「そう仰っていただけますれば」
レミリアが左手を見せるように差し出すと、職人は再び静かに礼をした。
彼は何も言わない。レミリアが語るべき場では何も口にする必要はない。
「またそのうち、何事か頼ませてもらうと思う」
「お待ちしております、御当主様」
職人は謹厳な表情に微かな笑みを浮かべた。レミリアも、ここにきて初めてちらりと笑みを浮かべる。
「細工も気に入った。いいものだ」
「あんなに熱心なご注文を受けましたら、私も熱を入れぬわけには」
「それは」
思わず、彼は口を挟む。そして、気恥ずかしさを誤魔化すように口の端を結んだ。
「ふふ、いいことを聞いた」
「おや、ご存知ではなかったので」
「それが聞けたら苦労はしないよ」
レミリアは楽しそうに羽をはためかせ、彼の隣に寄ってくる。
「あまり長居も悪いな、そろそろ失礼しよう」
はあ、と溜めていた息を吐いて、彼は微かに笑みを浮かべると、軽く職人に礼を述べる。
「ありがとうございます、本日もいろいろと」
「いえいえ、ご贔屓にしていただけるならこれ幸いです」
そう応える職人に頷きを返し、レミリアの手を恭しくとる。
「それでは」
「また、何事か頼ませてもらうよ」
それだけの言葉を置いて、礼をしたままの職人を背に、二人は作業場を出た。
陽はすでに傾きかけている。妖の時間はもうすぐだった。
「面白い人間だったわ」
レミリアは微笑っていた。上機嫌であることを示すように、羽はゆったりとはためいている。
「いい話も聞けた」
「それは、その」
青年は返答に困る。確かに、全身全霊をかけた頼みであったかもしれないが。
「今日は本当に楽しいわ。さて、これからはどうするの?」
「酒肴にしようかと。まあ、そこはある程度どうするかですが」
「そうねえ……たまには、このあたりのも面白そうだけど」
「ミスティアさんが近くに出していますかね」
「夜雀か……そういえば何か面白いお酒が入ったって聞いたわね」
踊り出すとか何とか、という言葉に、彼は何とも言えない表情をする。
「……それは、どうなのでしょう」
「あら、乗り気じゃない?」
「……踊るのは、ちょっと……」
難色を示す彼に、レミリアは逆に面白味を得たようだ。
「まあ、いいじゃない。それを飲まなければいいし、ほかの店をふらりと回ってもいいわ」
「梯子ですか、それも悪くはないかもですね」
「酔いつぶれないようにね」
善処します、と、こればかりは本当に苦笑を漏らして、青年はレミリアに腕を貸しながら、日が暮れた里を歩き始める。
かくして、様々な場所で酒を飲み、あるいは話をし、夜が更ける中、二人の吸血鬼は里を回った。
ある場所では顔見知りの人妖にからかわれ、ある場所では初めて会う者達と話をし。
日常の中の非日常を楽しむように、二人は里を回っていた。
紅魔館に戻ってきたのは、日が昇り始める頃合いだった。
「結局、一日遊び倒したわね」
「ええ。こういうのもたまには」
「いいものね、本当に」
彼の胸の上に肘をついて顔をのぞき込みながら、レミリアは微笑った。
「面白かったわ」
「それは何より」
僕はいろいろと大変でもありましたけれど、と、からかわれたことを指しているのか、彼はそう微笑った。
「そうね、本当にいろいろ聞かせてもらって楽しかったわ」
「もう少し自重しようと思いましたよ、僕は」
気を付けてね、と笑いながら、レミリアは湯浴みをした後のしっとりした頬を、彼の胸元に擦りつける。
そして、少し甘えを含んだ声で囁いた。
「貴方のいろいろな姿も見えたわ」
「人間の頃から、あまり変わってはいませんが」
「それでも、よ。貴方がどう生きているのかも見えた」
レミリアは身体を起こして、そっと彼の髪に触れた。撫でるように、指を絡めて。
「でも、やっぱり今は独り占めしていたい」
「僕はいついかなる時も、レミリアさんのものですよ」
「うん、それでも」
軽く口唇を重ねて、レミリアは瞳を細めた。
「貴方を私のものにしていたいの」
「それは、僕の台詞のような気も」
青年は困ったような表情をした後、真剣な瞳をしてレミリアの髪に手を伸ばした。
「いつでも、僕は貴女を思っていますし、僕のものにしていたいのに」
甘言であり、本心であり、珍しい、彼が口にする我儘だった。
それがわかって、レミリアは嬉しそうに瞳を細める。
「ん、私も、貴方のもの。すべての時間に置いてそうだとは言えないけど」
そう、レミリアは青年の手にその小さな手を重ねた。
「だから、今の時間からは」
――全部、貴方のものにして。
小さな呟きには、優しげなため息が返ってきた。
「過不足なく応えるのが、僕の役目ですかね」
「過ぎても、いいのよ」
貴方からのならどれだけもらっても足りないもの、とレミリアは微笑った。
そう、何もかも足りない。想いも、何もかも。
彼を自分のものにしていたいという欲は、きっと誰にも負けないのだから。
「それでは、仰せのままに」
頬に触れた大きな手に、満足そうにもう一度微笑んで、レミリアは目を閉じた。
窓の外はもうきっと明るい。初夏の朝は早い。
けれども、そんなことももうどうでも良かった。
ただ、愛しいこの人を、自分の物にしていられる時間の方がもっと、ずっと、大事だった。
Megalith 2012/06/22
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「暑いー」
「暑いー」
紅魔館の風通しの良い一室。その部屋にやはり風がよく当たるように置かれたソファから、二対の羽が気だるそうに動くのが見えていた。
片やこの紅魔館の主、レミリア・スカーレットのもの。もう片方は、その妹、フランドール・スカーレットのもの。
二人とも気だるげに横になり、夏の熱気に文句を言っていたのだった。
「お二人ともはしたないですよ」
「だって暑いのだもの」
「暑いのばかりはねえ」
咲夜に窘められるが、そんなことはどこ吹く風と言わんばかりに、二人の吸血鬼は抗議した。
「何か冷たいものでもお持ちしましょうか……と、私が持ってくるまでもないようですが」
「え?」
レミリアの疑問の声に、それには応えず一礼した咲夜が扉を開けると、トレイを持った青年の姿がそこにあった。
「あ、ありがとうございます。びっくりしました」
「いいえ」
「それ何ー?」
フランドールが起きあがり、青年が持ってきたトレイの上の物について尋ねる。透明なグラスの中に氷と何か飲み物が入れられていた。既にグラスは随分と汗をかいている。
「レモネードです。レモンシロップを分けてもらったので」
そう言いながら、二人の目の前にコースターを並べ、グラスを丁寧に置く。氷が少し崩れて、涼しそうな音を立てた。
「酸っぱくない?」
「蜂蜜も入っていますから大丈夫ですよ。ああ、冷水で割ってるので、今回炭酸は入ってないですが」
「かまわないわ」
レミリアは軽く頷いて、ストローに口をつける。ひんやりとした甘味と酸味が、心地よく喉を通っていった。
フランドールも同じことを思ったようで、上機嫌にばたばたと羽を動かす。
「美味しい!」
「ええ、まあまあね」
そう言いつつも、レミリアの羽も上下している。暑い中だったのも相俟ってか、随分と美味しく感じられた。
「二人も飲んだら?」
「よろしいのですか?」
「疲労の回復にもいいですからね。まだだいぶもらってきてますから」
彼の言葉に頷いて、レミリアは咲夜に命じた。
「そうね咲夜、貴女の分を作るついでに、パチェにも分けてきなさい。ああ、後は好きにしていいわ」
その言葉の意味を理解して、咲夜は丁重に一礼する。そして、失礼します、と告げて、その場を立ち去った。
「貴方は?」
「僕は後でも。先に軽く水はいただいてますし」
「けれどもそれじゃあ、乾きは癒えないんじゃない?」
フランドールが、少しばかり意地悪な視線を向ける。何のことかなど、この場にいる者にはよくわかっていた。
ばつが悪そうに、彼はフランドールに対して首を振る。
「あまり意地悪を言わないでください、フランさん」
「ふふふー、隠さなくてもいいのに。ねえ、お姉様?」
「フラン」
窘めるように、レミリアは鋭く妹の名を呼んだ。はーい、と形ばかりの返事をして、にこにこしながらフランドールはストローを咥える。
「まったく、貴女の暇潰しで苛めないの」
「いいじゃないー」
「僕暇潰しで弄られてるんですか」
困ったように微笑って、彼はもう一度かぶりを振った。どう足掻いてもこの二人の気ままさからは逃げられないのだろう。無論、逃げる気さえもないのだが。
フランドールはそういったことを意に介した風もなく、レモネードを吸い上げてぼやく。
「こう暑いと暇だもんー。暴れたいー」
「ま、フランもこうだから、そろそろガス抜きさせないと、とは思うのだけどね」
レミリアはそう、何か案はないかと彼に振ってきた。暇なのはレミリアも同じなのだろう。
「ふーむ……納涼、かつ暇潰し……」
いきなり言われて、早々簡単に案は出てこない。
唐突に言われて、何だかんだ言いながらも案を出せるパチュリーがいかに無茶振りに慣れているかわかる気がした。
「花火、とか」
「花火!?」
フランドールの羽がぴこぴこと動いた。どうやら興味を刺激したらしい。
「祭りの時とかに上がってるあれね」
「はい。ああ、でも今は特にその予定はないんでしたっけ」
祭りはもう少し後の頃になる。そこまで待てるだろうか。
「何言ってるの」
「え?」
「どこもやらないなら、私達がやればいいじゃない!」
レミリアは、名案を思いついたとばかりに立ち上がる。
「お姉さま、じゃあ」
「ええ、今宵は花火大会よ!」
満面の笑みで、レミリアはそう宣言した。
そして、晩。青年は紅魔館の庭で皿や料理を並べながら、空を仰いでぼんやりと呟いた。
「……花火ってこういうものだったかなあ」
レミリアと咲夜が、空で弾幕を広げている。
夜空を紅く染める弾幕に、それを飾りたてるような銀の弾幕。
一見すれば、弾幕ごっこにも見えなくはないその情景を眺めていると、不意に背後から声がかかった。
「何やってるのよ、紅魔館」
「随分騒がしいようだがな」
霊夢と魔理沙だった。咲夜がレミリアの相手をしているため、彼が代わりに応対する。
「いらっしゃいませ。花火大会です」
「……あれ花火っていうの?」
「…………いや、ううむ」
どうだろう、と彼は空を再び見上げる。レミリアと咲夜が、変わらず踊るように弾幕を繰り広げている。
ただの弾幕ごっこ、ではない。好き放題に魅せているだけの弾幕だ。いつもの弾幕ごっこがで互いの意志も競わせるのだとするならば、今日はただ美しさのみを競っている、とも言うべきかもしれない。
「まあ、この分なら大したことじゃないわね」
「何事か、拙いことがありましたか」
霊夢のぼやきに、彼は尋ねる。
「里が、紅魔館が何かしでかすんじゃないかって心配してたぜ」
「で、依頼が来てね。私らに見てこいって」
「なるほど」
納得と共に頷く。確かに、紅魔館が何かしらしているとなれば、人里からすれば気にもなるだろう。
何より、ここまで派手に、かつ目立つようにやっているのだ。それは向こうからも目に留まるに違いない。
「今日は買い物だけのつもりだったのに」
「まあ、居合わせたのが運の尽きだな。まあいいじゃないか、報酬の分は買い物代なんだろ?」
「思い切り買ってやるんだから」
不機嫌そうな霊夢を、魔理沙が混ぜっ返してからかう。楽しそうなことだ、と思っていると、レミリアと咲夜が弾幕を収めて降りてきた。
「あら、霊夢、魔理沙、いらっしゃい」
「あんた達のおかげてこの暑い中駆り出されたのをどうしてくれようか考え中よ」
霊夢の言葉に肩をすくめ、レミリアは咲夜に目配せした。
「かしこまりました」
さっと消えた咲夜が、霊夢達の分の飲み物を持って再び現れる。
「じゃあ、一杯だけもらっていくぜ」
「私も」
「あら、いいの?」
咲夜の言葉に、霊夢が大きくため息をついた。
「里に報告に行かなきゃいけないもの」
「珍しく仕事熱心ね」
失礼ね、いつもよ、と文句を口にする霊夢をよそに、魔理沙が説明する。
「そういう約束なんだ。まあ、信用のないことだな」
くくく、と嘯くように魔理沙が笑う。青年とレミリアが顔を見合わせて肩をすくめた。
「じゃあ、私から書状でも出して上げましょうか。何も心配いらないから楽しめって」
「言葉だけもらっとくぜ。とにかく、心配ないから花火代わりに楽しめ、ってことだな」
「花火よ。ほら、次が始まるわ」
見上げれば、美鈴とフランドールが夜空に上がっていくところだった。
楽しそうに笑いながら、二人で何か打ち合わせている。
「フランもやるのか」
「それが主目的だもの」
「とりあえず、私達は行くわ。後で駆り出された分の借りは返してもらいに来るからね」
「あ、霊夢早い。私も行くぜ」
二人の人間は空に再び浮かび上がった。人里の方に向かっていく彼女達の背を、七色の光が照らし始めていた。
「パチェも加わるとさらに華やかねー」
青年の膝の上に座って、レミリアは夜空を眺めていた。そうですね、と応じながら、彼は大人しく椅子になっている。
夜空の弾幕は、フランドールと美鈴の虹に、パチュリーの五色が加わってさらに派手さを増していた。
ちなみにパーティの方はと言えば、後は私がするから、と咲夜が全部請け負ってしまっている。あちこちに現れたり消えたりしながら、庭の全てを掌握していた。流石だった。
「綺麗ですねえ」
小悪魔は隣に立ったまま、のんびりとそう口にした。羽が上下しているあたり、彼女も楽しんではいるらしい。
だが、ただ立っていて暇ではないのだろうか。そう思った彼の代わりに、レミリアが尋ねた。
「小悪魔、貴女はいいの?」
「あー、いえ、私今パチュリー様のアンプ役なんですよ」
そう告げた小悪魔の周囲には、淡い光を放つ魔法陣がいくつも浮いている。
レミリアは傍らの彼と顔を見合わせた後、呆れたような声でさらに尋ねた。
「……もしかしてパチェ、結構ノリノリ?」
「かなりノリノリです。花火が決まってからいろいろ文献引っ張り出しましたし」
「ああ、もしかしてちょっと前に片付けたあれですか」
「あれです」
のんびりと会話しながら、三人はパチュリー達が織りなす弾幕を眺めやる。
途中、咲夜が顔を出して冷えた飲み物を用意してくれた。
「小悪魔はいいの?」
「私はパチュリー様が戻られてから一緒に」
「了解」
そう会話をする従者達の会話を聞いていると、また夜空に影がかかった。
「ああ、おかえりなさい、霊夢さん、魔理沙さん」
「その表現は何だか妙な気がするけどね」
レミリアは呆れた声でそうため息をつき、彼の膝から降りて霊夢と魔理沙に相対した。
「埋め合わせしてもらいに来たわ」
「はいはい。咲夜、よろしく」
そう咲夜に命じるレミリアに、魔理沙は空の弾幕を眺めながら告げる。
「それにしても、随分また妙なことをやったもんだな」
「フランの暇潰しに、ね」
「それにしては大がかりだ」
「いいのよ、大がかりで」
そう呟いたレミリアに対して、魔理沙がさらに何かを告げようとする前に、咲夜がグラスを魔理沙に渡した。
「はい、魔理沙。霊夢も」
「おお、サンキュ」
アイスティーを渡されて、魔理沙はそれを一息にあおる。もう少し女の子らしく、と咲夜は呆れているが、本人はどこ吹く風であった。
霊夢の方は、ありがと、とだけ言ってグラスを口に運んでいる。
「しかし、私を呼ばないとはな」
「あんたを呼ぶといろいろ大変でしょう。それに今日決まったのだもの」
「あら、けど新聞はさっき届いてたわよ」
「文さんいつの間にかいましたからねえ」
霊夢の言葉に返して、彼は、夜空を虹色に染めている美鈴とフランドール、そして二人の弾幕にうまく調和する色の弾幕を選んでいるパチュリーを眺めながら呟いた。
「しかし、あれだな、もう少し欲しいところだな」
そう、魔理沙がさっと箒に乗る。何をするのかわかった周囲が一歩下がった。
「ブレイジングスター!」
「わぁい魔理沙だー!」
フランドールの歓喜の声が聞こえる。虹を横切るように星の帯が夜空に一筋の明かりを描いていた。
それを見た美鈴が、パチュリーに何事か声をかけて一緒に降りてくる。
「おかえりなさいませ」
咲夜の声に、パチュリーは軽く頷いて夜空を降り仰いだ。
「魔理沙がいるなら私達はいいでしょう。小悪魔、何か飲み物をちょうだい」
「はいっ、ただいま!」
小悪魔が魔法陣をしまって、パチュリーのためのグラスを用意する。そちらを任せて、咲夜は美鈴に声をかけた。
「美鈴もお疲れさま」
「ああ、ありがとうございます。まあ、あれ以上は私達は邪魔になるだけですし」
その言葉をかき消すような轟音が、頭上から聞こえる。フランドールが弾幕を放ってはそれを破壊する、という遊びを始めているようだった。
「ああいう音も、花火の醍醐味だっけ?」
「ああ、ええ、うん、そうだとは、思いますが」
レミリアの、どこかのんびりした言葉に、彼は首を傾げつつ同意した。
いや確かに花火は音もするものだが、それとはまた全く違うもののようにも思える。深くは考えないことにした。
「それで、貴方は?」
いつの間にかすっかりくつろいでいる霊夢の問いに、青年は首を傾げた。
「僕ですか?」
「弾幕使えないものねえ」
レミリアがため息と共に、アイスティーのストローを回した。それに頭をかいて、彼は誤魔化すように応える。
「まあ、最近少しばかりは」
「いつになることやら」
レミリアの視線は、そう言いつつも優しい。今度は頬をかいて、がんばりますよ、と彼は応じた。
その様子を、霊夢は呆れた目で見ている。見ているだけでなく口にも出した。
「はいはい、暑いんだからさらに暑くしない。咲夜、おかわりー」
「はい、砂糖抜きね」
「ええ、砂糖抜きで」
このあたりの呼吸が合ってきてしまっているのは如何すべきか。
軽く息をついて、彼は夜空を楽しげに舞っている二人を眺めやっていた。
「楽しかったー!」
ご機嫌なフランドールが、咲夜から渡されたグラスのストローに口を付けている。
「まあ、こんなもんだろ」
魔理沙も機嫌良さそうにそう笑ってグラスを傾ける。グラスに入れる飲み物は、アイスティーからいつしかアルコールに変わっていた。
「フランも随分ストレス発散できたようね。何より」
レミリアも上機嫌に笑みを浮かべて、そう言えば、と青年の方を見上げる。
「貴方は見るだけだったけど良かった?」
「……いや、花火ってこうやって参加するものではないような気も」
ずっと思っていたことを小さく呟いた後、彼は、ああ、とポケットの中から何かを取り出した。
「こういう補助具をパチュリーさんにいただいてはいましたが。何となく使う機会がなくて」
「パチェどれだけノリノリだったの……でも何か紐みたいね、これ」
「線香花火ですかね。本にも載っていましたし」
火を灯すと、パチパチ、と、小さな火花が弾けた。魔法の火ではあるが、なるほど線香花火に似ている。
「だいぶ地味ね」
「まあ、そういうものですからね」
ですが、と彼は笑う。レミリアの興味を引いているのはわかっていた。
「これをいかに落とさないままでいられるか、というのがまた楽しいもので」
「ふぅん、そういうものなの?」
「まあ、楽しみ方の一つ、ですかね。こういう風情を楽しむのも一興という。やりますか?」
「そうね、そこまで言うなら」
口調とは裏腹に、好奇心一杯に羽をバタバタさせながら、レミリアはその花火を手に取った。
「私もやるー!」
「はい、ええと……」
フランドールの求めに、彼はポケットをさぐる。全員分あっただろうか。
内心の疑問が読まれたかのように、パチュリーが大量に取り出した。どこに持っていたのか。
「大丈夫、まだあるわよ」
「では、最後はそれにしましょうか。霊夢と魔理沙もやるわよね?」
レミリアはそう水を向ける。向けられた魔理沙が、楽しそうに破顔した。どうやら少し酒も回っているらしい。
「おお、勝負なら負けないぜ?」
「私も負けないよ、魔理沙、霊夢」
「え、何で私まで入ってるの」
まあまあ、と咲夜に宥められながら、霊夢も魔理沙と共にフランドールの隣にしゃがみこんだ。
あれ、これ火どうするの。私が点けるよ? フランお前はやめとけ。という微笑ましい会話が聞こえる。
「咲夜、火を準備して、貴女達も」
「はい」
咲夜は頷き、火の灯った蝋燭をどこからか持ってきた。花火を始めた面々の真ん中に置く。
「これ爆発とかしないですよね」
「確率ね」
「するんですか!?」
「冗談よ」
美鈴と小悪魔を脅かすような発言をさらりとしたパチュリーも、花火に火を点け始めていた。
「こういうのも悪くないわね」
「そうですね。ああ、レミリアさん」
「ん」
線香花火に火を灯して、彼はレミリアに手渡した。パチパチと弾ける火を、レミリアはじっと見つめている。
「綺麗ね。どこか寂しくもあるけれども」
「ええ」
しばらく無言で見つめ続ける。何も言わず、ただ二人で見つめ続けた。
やがて、小さく、ジジ、という音を残して、線香花火の火は地に落ちる。
「……終わると呆気ないのね」
「……そういうものですから」
そうね、と、レミリアは目を細めてそれを見やった。彼も何も言わずその横顔を見ていた――が。
「あー! 落ちたー!」
「揺らすからだ。って、あ、私のまで落とすなフラン!」
「煩いわよあんたたちは……」
フランドール達のところを中心にしたところから、大きな声があがる。
どうやら勝負をしていたのか、落ちた落ちないで騒いでいるようだった。
レミリアは大きく息を吐くと、軽く首を振って苦笑気味の微笑みを浮かべた。
「ああもう、向こうは賑やかね」
「行きますか」
「ええ」
彼がレミリアの手を恭しく取る。そして、二人は騒いでいる友人達の方に向かった。
夏も、気が付けば終わりに向かっている。
けれども、こうした一つ一つのことが思い出になるのならば、それはきっと寂しいだけのものではないのだろう。
きっと、どれくらいの時間が経ったとしても。
何の根拠もないことだったが、手を繋ぎながら、ただ、そんなことを思った。
Megalith 2012/08/20
───────────────────────────────────
「外界旅行、か」
「スキマもよくやるわねえ」
配られた用紙を眺める青年の後ろから、レミリアが顔をのぞかせた。
ソファにだらしなく座っていた彼は少し姿勢を正して、レミリアに用紙を見せる。
ざっと眺めた後、レミリアは彼の頬に頬をつけるようにしながら尋ねてきた。
「……里帰りしてみる?」
「あちらに未練はないですけれど」
「……私が行きたい」
囁くように呟いた一言に、彼は笑った。おそらく、自分から言うよりこちらに言わせたかったのだろうことがわかったからだった。
「笑わないでよ」
「いえいえ。では、申し込んでおきましょう」
むくれた主の髪を撫でて機嫌を取る。
「ん、お願いね」
少し機嫌が直ったかのように、羽が一つ、ぱたりと動いた。
外界に行く、と連絡してから程なくして、八雲紫が訪ねてきた。
というより、気が付いたらソファで紅茶を飲んでいた。相変わらず神出鬼没である。
「さて、どこに行きたいの? 何処でもオーケーよ」
挨拶もそこそこに、そう紫は切り出す。
どうやら、何処に行くかの打ち合わせのために来たらしい。
「僕はどこでも。レミリアさんはどこか希望がありますか?」
「じゃあ……ここ。と、ここ」
レミリアが指し示した地図を見て、紫は扇を開いて口元を隠す。
「随分移動するわねえ。貴女は日中大丈夫?」
「何とかするわ。雨だったら予定を延ばせばいいし。出来るでしょ?」
「相変わらずね。了解したわ」
「貴方もいいわね?」
紫とレミリアが眺めている地図を隣から覗き込んで、彼は目を丸くした。
「レミリアさん……ここは」
「一度行ってみたいの」
「……わかりました」
「では、出発の日時は追って伝えるわ。よろしくね」
紫が立ち去った後も、青年とレミリアは地図を眺めていた。
「……嫌だった?」
あまりにも地図を見つめる様子に、袖を引いてそう尋ねたレミリアに、彼は首を振った。
「いいえ……まさか、ここに行きたいと言い出されるとは思ってなくて」
「……行ってみたかったのよ」
「何もないところですよ……ああ、それでも懐かしいですね、故郷というのは」
出発当日。羽を霧にして隠したレミリアと共に、青年は外界に立っていた。
「いやはや、ここに直接来るとは」
「その方が早いんだもの。出発場所は指定可能だったし」
人気のない小高い峠の上。すぐ下に町が見える。夜ならば、町の明かりが見えるはずだった。
「まあ、貴女達はまた随分と移動するしねえ」
二人を送りに来た紫が、呆れたように言う。
「ま、何かあったら呼びなさいな」
「ええ。お土産の件に関しても」
「それに対しては伝えたとおり。ああ、このメモに書いてるのも一緒に買っておいてもらえるかしら」
「はい、了解です」
「行くわよー」
メモを受け取る彼を置いて、レミリアが日傘を差したまま歩いていこうとしていた。
「ああ、待ってください。それでは紫さん、また」
「ええ、良い旅を」
手を振ってスキマに去っていく紫を見送り、彼はきょろきょろと周りを見回す主の下に急ぐ。
先に歩くレミリアに追いついて、彼は隣に並んだ。近くなっていく町を眺めながら、レミリアがぽつりと呟く。
「本当に、何もないのね、幻想郷……程じゃないけど」
「まあ、田んぼばかりですから……それでも、ここが僕の生まれた……ある程度までは育った、町です」
その言葉に、曖昧に頷いてレミリアは目を眇めた。
「ああ、でもあれはあるのね。ええと、パチェの本にあった……」
「自動車、ですか?」
「うん、それそれ。それは結構あるのね……忙しないわ」
「田舎だと逆に、こういう足が必要ですからねえ……」
思わずしみじみと呟いてしまう。それに、レミリアはくすりと笑った。
「まあ、ゆっくり行くわ。だいぶ長い旅行になりそうだものね」
「まったくです」
肩をすくめて笑って、彼は今回の行程を頭の中で確認した。
何しろ、彼が外界で生活した場所を回りたい、というものだから、かなりの長距離移動である。百キロ単位で移動するくらいに。
夜に基本移動するとして、さてその他諸々をどうするか。
「とりあえず……僕が小さい頃居たところを、ふらふら回ってみますか」
「ええ……もう、そこには?」
「まあ、誰も居ないですよ。でも引っ越すまでは住んでた辺りですから」
昔とそう変わらないから、勝手はわかる。というよりも、見通しが良いのでほとんど迷わない。
田舎を絵に描いたようなところだった。
「……いいところね」
「そうですね、若干不便なところもありますけれど……久々に戻ってくると、そんな気もします」
レミリアは曖昧に頷いて、日傘をくるくると回しながら、彼の隣に並んだ。
「ああ、すみません、傘持ちますか」
「いいわ。それより」
くい、と袖を引っ張られて、何かを要求するように見上げてくる。
「あ、ええと、これ、でいいですか?」
「ん、よろしい」
間違ってないかな、と思いながら手を差し出すと、レミリアは嬉しそうにその手を握り返してきた。
「……そうだ、近くに行く前に、ちょっと喫茶店でも寄って行きますか」
「この辺りにあるの?」
「ええ、パフェが名物だった気が……とりあえず、行ってみましょうか」
歩いたら歩いたで結構な距離になるのだが、まあそれも悪くはないだろう。
しばらくの後、ようやく着いた喫茶店で、二人は文字通り一息ついていた。
「しかし、結構歩くのね。飛べないし不便よねえ……」
運ばれてきたパフェにスプーンを入れながら、レミリアが呟いた。
ちなみにパフェは中々のボリュームと花火がささっているという仕様だったりする。
アイスも何種類か乗っているので、いろいろな味が楽しめると言うものだ。
「まあ、そうですね。後でバスにも乗ってみます? 移動には便利ですよ」
「いろいろ体験するのも悪くないわね。乗りましょう」
一口クリームを口に運んで、楽しそうに笑う。
「あ、そういえば貴方は珈琲だけで良かったの? 一口食べる?」
「ああ、いただきます。さすがに一つ入る気はしなくて……」
本心を言えば、レミリアが一人で食べれるかも心配だったのだが。
記憶の中にあるものよりは随分と小さく感じたものだが、それでも大きめである。
まあそれでも、甘いものは何とやら、という奴らしい。
「はい、じゃあ」
パフェを掬ったスプーンを目の前に出されて、彼は困惑する。
「えーと、その、それは」
「はい、あーん」
物凄くいい笑顔である。心底楽しんでいるに違いない。
それはいいとして、周りの目があるのですが。かなり恥ずかしいのですが。
そんな心の声が届くわけがなく、催促するように小首を傾げてくる。
「どうしたの?」
「あ、い、いただきます」
意を決してスプーンを咥える。甘いが、こういうことはそれ以上に気恥ずかしさが先に立つものだ。
「どう?」
「十分甘いです、ありがとうございます」
周囲からの視線が刺さるような気がするが、気のせいと言うことにしておく。
照れ隠しに窓の外に目をやると、懐かしい景色が見えた。
喫茶店を出る際に、この辺りに縁の場所はないか、と聞かれ、思いついたのは学校くらいのものだった。
幸い下校時間も過ぎているためか、人気はない。警備員は流石にいたが、卒業生ということを丁寧に説明して、無理を言って入れてもらった。
レミリアもいたので、何か悪いことをするとは思われなかったらしい。まあ、危険度は別の意味で高いはずなのだが。
「何だか、随分殺風景ねえ」
「まあ、幻想郷で言う寺子屋に似たようなものですよ。人が住んでるわけではないですから」
「ん、それはそうなんだろうけど」
彼に傘を持たせて、レミリアは手を繋いでいた。建物や校庭を眺めた後、彼を見上げる。
「懐かしい?」
「ん、まあ、そうですね。小さい頃を思い出します」
「思い出したこと、少しずつ聞いていっていい?」
「ええ、もちろん」
手を繋ぎながら歩く。歩きながら話をする。学校の周りをのんびりと歩きながら、他愛のない話に花を咲かせた。
途中、遊具に目を留めたレミリアが袖を引っ張ってきた。
「ね、あれ何?」
「ああ、ジャングルジムとか鉄棒とかですね。よく遊んだなあ」
近くまで寄って、傘を渡して軽く逆上がりをしてみる。久し振りだが、意外と上手くいった。
「小さい頃は、こういうのが楽しかったですねー」
「私もやってみていい?」
物凄くわくわくしているのがわかるが、スカートでこれは拙い。
「……陽がありますよ」
「ああ、そうか、残念ね……じゃあ、あれに上るのはいいかしら」
言うが早いか、レミリアはジャングルジムに上る。
傘を差したままというのは器用だが、それでも下からは見えそうだと気が付いて欲しい。
とりあえず隣にまで上って、一番上に腰掛けているレミリアの隣に腰を下ろした。
「昔はここが随分と高く感じたものですよ」
「今は、ねえ」
「確かに」
くすくすと笑い合って、またしばらく、二人で誰も居ない校庭を眺めた。
行きたい場所がある、とレミリアは言った。青年の方もわかっていたから、素直に案内する。
やはりしばらく歩いてたどり着いた家屋の近くで、レミリアが尋ねた。
「……ここが?」
「ええ、僕の実家だったところです」
引っ越した後は誰も居ないですけど、と呟く。
彼がかつて住んでいた家は、既に空き家になっていた。引っ越してからは、戻ってこなかった場所。
「寂れてるわね」
「人が住んでいないと、どうしても、ですね」
既に陽は暮れ始め、空気まで寂しげな雰囲気をまとっているようだ。
しばらく佇んだ後、彼はレミリアを促す。
「行きましょうか。懐かしいですが、ここにはもう」
「……ええ」
並んで歩きながら、レミリアは彼を見上げて、その手を取る。
「?」
「何か話しながら行きましょう」
「ああ、ええ、そうですね」
思い出は寂しいものだけではないからと。何か昔のことを共有したくて、レミリアはそう促したのだと、鈍い彼にもわかった。
一つ頷いて、彼は子供の頃の話をし始める。どういう風に遊んでいたか、過ごしていたか。
話しながら、不意と視線を空いた土地に向けて、彼は微笑った。
「……この広場も、よく駆け回りました」
「意外と活動的……意外でもないか」
「向こうでも里の子達と遊ぶのは楽しいですしね」
たまに一緒に慧音に怒られるのだが、それは伏せておく。
だが、それはすでにレミリアの知るところだったようで。
「時々白澤に怒られてるらしいわね?」
「バレてるんですか……咲夜さんから?」
「本人からも聞いたわよ」
「……危険なことはさせてないつもりなんですけどねえ」
頬をかいて、誤魔化すように呟く。
「余計なものも寄ってくるからだそうよ。妖精とか」
どこか拗ねたような物言いに、彼はレミリアの顔を覗き込む。
「妬いてくれてたりします?」
「………………馬鹿」
顔を微かに紅く染めて、行くわよ、とレミリアは彼を引っ張った。
太陽が既に山の端に姿を隠した頃、さて、と青年は声を上げた。
「そろそろ移動しますか」
「この町で泊まるんじゃないの?」
「いや、この町のはさすがに知らないんですよ。それに、移動するにもそちらの方がいいので」
「その辺りは任せるわ。ここでやり残したことはない?」
「特には……ないかな、友人達には便りも出しましたし。返信は紫さん任せで」
「…………まあ、いいけど」
微妙な顔をしたレミリアに、彼は軽く肩を竦める。それで、レミリアは何の用件か察したようだった。
「……ああ、そうか。そういう用件だったのね」
「もしかしたらどこかで道も交わるかもしれません。けれども一応、けじめとして」
「まあ、またこうして来ることもあるでしょう」
レミリアは素っ気なくそう言った。そんな態度を取りながら、彼の傍に寄り添う。
「ありがとうございます。では、行きましょうか」
その気遣いに感謝しながら、彼はレミリアの手を取った。
日が暮れてからでなければ、長距離の移動は難しい。昼間、レミリアが興味を惹かれて乗ったバスは細心の注意を払って移動した。
「……うーん、しかし随分かかるのですよね」
「そんなに?」
「乗り換えもありますしね」
「乗り換え?」
無邪気に首を傾げられて、彼は視線を彷徨わせた後、一つ咳払いした。
「……移動しながら説明しますね」
いろいろ思考が飛びそうなくらい可愛らしい仕草だった。人気が少ないとはいえ、さすがに危なかった。
駅に着き、物珍しさにきょろきょろするレミリアに合わせながら、電車をしばらく待ち。
そしてやってきた電車に、がたんがたんとしばらく揺られて乗換駅に着いた。
「面白いものを作るのね、人と言うのは」
「ええ、本当に」
くるりと見回して、ああ、と青年は声を上げた。
「ついでだから、一つ面白いものを買ってきましょうか」
「え?」
「少し待っていてください」
そう、荷物をおいて、青年は駆けていく。レミリアがきょとんとしているうちに、近くにあった売店で何かを買ってすぐに戻ってきた。
「電車の中で食べようかと」
「それは?」
「お弁当です。駅弁ですね。流石に向こうではないものですから」
そう言っている彼の方が楽しそうに見えて、レミリアはくすくすと微笑った。
「何か?」
「いいえ。そうね、珍しいのを食べるのも楽しそう」
言いながら、レミリアは目の前にやってきた電車に視線を向けた。
空席がほとんどの列車の中、隣り合って座り、弁当を広げる。
「……結構美味しい」
「でしょう? ここのは名物なんですよ」
彼の言葉に頷きながら、一緒に買ってきてもらった茶を口に運ぶ。
「特急にして正解だったかもですね、席も空いていますし弁当も食べられますし」
「列車って弾幕に使うものかとばかり思ってたわ」
「……そんなこと出来るのは紫さんだけだと思いますよ」
そんなどうでもいい話をしながら、弁当をつまみつづける。
少し強めの味だが、それもまたレミリアには気に入った。安いものなのかもしれないが、そうしたものを食べるのもまた面白いというものだ。
そう思いながら、隅にあった紅いものを一口食べる。
「っ!?」
「どうしました?」
レミリアは慌てて茶を手に取ると、くいと喉に流し込んだ。
それでも、口の中に辛いような妙な味が残る。
「……これ、あげる」
「ああ、紅しょうがですね? ……辛かったです?」
「…………」
レミリアは無言で見上げた。辛さで舌先はまだおかしいし、目尻には涙がにじむ。
「あ、ああ、わかりましたわかりました! 僕が食べますから」
「……うん」
こく、とレミリアは頷いて、箸で紅しょうがを彼の弁当に移していった。
随分と長く乗っていたような気にまでなっていた電車を降りて、駅の大きさと広さに感心しながら外に出る。
くるりと見回して、青年はレミリアに軽く説明した。
「ここが、まあ、この辺りの中心の街というか」
「さっきまでいたところとは似ても似つかないわねえ」
「僕もそんなに知っている街ではないのですけどね」
馴染みのない街は、逆に旅の気分を味わわせてくれる。一つ深く呼吸をして、彼はレミリアの手を取った。
「とりあえず宿にチェックインだけして……それからどうしましょうか。お疲れでしたらもう休みます?」
「……そうね、そうしましょう」
「では」
手を取ろうかと思ったが、レミリアは首を振って腕を絡めてきた。
「昼間はこう出来ないもの」
楽しそうな言葉に頷いて、彼は地図を片手で確認しながら、宿の場所を確認する。
随分と海の方だった。それはそれでいいのかもしれない。少し長めに歩くことになるが。
「少し歩きますが、バスに乗りましょうか」
「ん、それがいい?」
「そうですね。街の様子も見れますし」
そういうことなら、と乗ったバスから外を見て、レミリアが何ともいえないため息をもらす。
「ここは随分明るいのね。夜でも昼間かと思うほど」
「まあ、都会はこういう感じですよ」
「これでは確かに、幻想の入る余地はないのかもね」
かもしれません、と返しながら、二人はしばらく過ぎていく街並みを眺めていた。
宿に着いてからチェックイン自体はすぐに終わった。
姓のところも、レミリアの方を書いているから、奇異には見えるだろうが止められはしない。
止められても大いに困るけれども、と思いながら、案内された部屋に入る。
「ん、ようやく一息ね」
そう言いながら、レミリアはベッドに腰掛けて翼を現した。そちらの方が落ち着くのだろうか。
「そうですね。今日はもうゆっくり休んで、明日またどこかに行きましょうか」
「ええ。どこか面白い場所はある?」
「それは……ううむ、天気にもよりますが、景色の良いところや遊ぶところは」
「じゃあ、その辺りは任せるわね」
微笑ったレミリアに、はい、と返しながら、彼は電話に目を向けた。
「それでは、休む前に何か飲み物でも」
「ん、お願い」
フロントに電話をかけながら、青年は窓の向こうに気が付いた。受話器を置いて、窓際にレミリアを手招く。
招かれるままに寄ってきたレミリアは、外を見てぽつりと呟いた。
「……海」
「ええ。幻想郷にはないですし……ああでも、月で見たのでしたっけ?」
こく、と頷いて、でも、とレミリアは続けた。
「向こうのと違って、こっちにはいろいろ生き物がいるのよね」
「明日にでも見に行きますか」
「ん、そうする……」
ぼんやりと外を眺めていると、部屋のチャイムが鳴った。レミリアをそのまま残して、彼だけが取りに出る。
ワインと紅茶を受け取って戻ってくると、窓際のテーブルに置いた。
「海を見ながらというのも」
「ん、いいわね」
レミリアは窓から離れて、こちらに近寄ってきた。座りやすいように、軽く椅子を引く。
「ありがとう。でも、その前に」
「はい? ……っ」
背伸びしたレミリアに、ちゅ、と軽く不意打ちで口付けられて、彼は口元を押さえて言葉を失った。
本人は悪戯っぽく微笑って椅子に腰掛ける。それに合わせて椅子を戻した。この辺りは不意を打たれても抜かりなくやらねばならない。
「今日は一日ご苦労様。労いには十分でしょう?」
「ええ、本当に。かないませんね」
彼は困ったように微笑って、レミリアと自分の分のグラスに紅いワインを注いだ。そうして、レミリアの向かいに座る。
「では」
「ええ、この旅行がもっと楽しめるように」
彼女らしい言い方で、レミリアはグラスを掲げた。それに合わせて、彼も唱和する。
「乾杯」
思い出を偲ぶ旅行は、まだ始まったばかり。
次はどこを巡ろうかと考えながら、青年は、軽くグラスを傾けた。
うpろだ0009
───────────────────────────────────
久々に曇り空の合間から陽が差し込む、二月にしては温かい日だった。
とはいえ、館の中にあまり差し込んでは困るのでカーテンはほとんど閉められたままだ。
それでも暖を取るためにいくつか開けてはいる。妖精メイド達がたまにそこでたまってもいるが、まあそれくらいは許容範囲だろう。
そうしていても、レミリアのよく行動する一角はやはり閉ざされたままである。間違っても日が射さないようにされている。
そんなことを考えながらティールームの扉をノックした。今日は昼間からフランドールも上がってきていると聞いたからおそらく一緒にいるのだろう。
「どうぞー」
「いいよー」
「失礼します」
二人分の声に、やはり一緒かと中に入って――絶句した。
あまりに唐突に止まったからか、ソファに腰掛けている二人に疑問の声を投げかけられる。
「んー」
「どうしたのー」
「僕の台詞ですそれは」
どうしてレミリアとフランドールの頭に猫耳がついているのか。
どうしてお尻の方にぱたぱたと動く尻尾がついているのか。
どうして二人とも気怠そうにこちらを見ているのか。
そう、まるで昼寝前の猫であるかのように。
眠そうなのは百歩譲ろう。今は昼間だ。だが問題はそこではない。
「どうしたんですか、その耳と尻尾」
「どうしたんだっけ……?」
「何か今日はこういう日だからーとか聞いたような……」
よほど眠たいのか全く要領を得ない会話になっている。
誰かを問い詰めようか、という気分になってきた。この館内でこういうことをしそうなのは一人しかいない。
「ね」
「は、い、なんでしょう」
レミリアに手招かれて、ソファの近くに寄る。
近くに寄るとよくわかるが、レミリアの耳と尻尾は銀を基調とした毛並みで、フランは金を基調とした毛並みだった。
その滑らかさとふわふわした感じは、見ているだけで思わず手を伸ばしたくなるほどのもの。
それをぐっとこらえて、二人の要求を聞こうとした。
「どうしまし……わっ!?」
「眠い」
「眠い」
二人してこちらにしがみつこうと手を伸ばしてくる。どうやら頭はほとんど回っていないようだ。確かに日の高い、普段ならば寝ているような時間。
だが、この唐突すぎる行為には流石に急には対応できなかった。
「え、あ、ちょっと待ってください二人いっぺんは流石に」
「じゃあ私こっち」
「私背中ー」
「ちょ、ちょっと待ってください、ああ落ちるから!」
しがみつこうとしてバランスを崩しかける二人を何とか宥める。
最終的には安定した形でレミリアを腕に抱き上げ、フランドールを背中に負うことが出来た。
「……とりあえずパチュリーさんのところに行くか」
早くもまどろみ始めた二人を連れ、彼はティールームを出て図書館へと足を向けた。
「私が原因ではないわよ」
「……でしょうね」
二人の吸血鬼を抱えた彼の姿を軽く見やった後のパチュリーの言葉に、彼は軽く頷き返した。
理由は明白。図書館の書斎机に掛けているパチュリーからも耳と尻尾が生えていたからだ。こういった悪戯をするときはパチュリーは自分を標的にしないだろう。
「原因は?」
「八雲紫よ。外の世界では猫の日とか言ってたわ」
「その結果がこれですか」
レミリアは彼の腕の中で、フランドールは背負われたまま眠っている。
時折、ぱた、ぱたと尻尾が動くのはこう可愛らしい。可愛らしいのは可愛らしいが、この状態では何も出来ない。
かつ、二人とも非常に動きが猫っぽい。普段からどちらかというと猫気質のような気もするが、今日は特にだ。
「……ですが、普段とこう行動が変わるものですか?」
「妙に凝ってるみたいね。私も普段は眠くならないのにだいぶ眠いのよ」
「そんな風にはお見受けできませんが」
「せっかくの体験だからたっぷりデータを取らないともったいないでしょう」
魔法使いらしい返答に納得もしながら、パチュリーがこの案を受けたことを少し不思議にも思う。
「しかし、よくパチュリーさんもお受けしましたね」
「ああ、幻想郷の人妖を巻き込んでるみたいよ」
「……拒否不可とはまた」
「拒否しても無理矢理付けるでしょうしね。まあ害はないみたいだし、一日二日もしたら取れるでしょう」
そう言いながら、パチュリーは手元の本を閉じると小悪魔を呼んだ。すぐにぱたぱたと足音がする。
「はーい。あら、お嬢様と妹様もですか」
「……小悪魔さんも」
「ええ、たまにはこういうのもいいですねー」
猫耳をぴこぴこさせて非常に楽しそうにしている小悪魔に、パチュリーは紅茶を一杯持ってくるように頼む。
「お願いするわ」
「はーい。あ、そちらは……」
「僕はいいですよ。どのみち飲めそうにもないです」
肩を竦めようとしたが、竦めるとフランドールが落ちる。
小悪魔は、そうですね、と微笑むと、踵を返していってしまった。普段悪魔の尻尾のそれが猫のものになってる。
「……普段から生えてる人はどうなったのでしょう」
「ああ、アンケートみたいなものが送られてきたらしいわ」
「行き届いてますねえ……」
こういったおふざけに全力を出すというのは何となく理解は出来る。もうここに住んで長いのだ。だが、長くても慣れないというものはある。
とにかく、目下の問題は彼にしがみついている吸血鬼二人だった。
「しかしこれはどうしましょう。僕身動きあまり取れないのですが」
「ベッドに放っておけば? まだ昼だし、夜になれば元気になるでしょう」
「そうしますか……」
咲夜を呼ぼうか、と考えていたところで、腕の中のレミリアがもぞもぞと動いた。目を覚ましたらしい。
「起きました?」
「ん、ねむいけど……フランをなんとかしてあげないとね」
目をこすって、レミリアはパチュリーの書斎机の上の鈴を鳴らす。
「お呼びでしょうか」
「ん、咲夜、フランを地下室に」
「はい」
現れた咲夜は、青年の背中からフランドールを離して抱き上げた。
行動は常の通り瀟洒で無駄がない。彼女の頭にも猫耳が見えることを除けば普段通りだ。
「……本当にみんな生えてるんですね」
「ええ、でも割と普段通りよ」
微笑みを返して、咲夜は一瞬だけ消えるとすぐに戻ってきた。
「お嬢様も戻られますか?」
「うん」
そして彼に、連れて行って、と囁く。軽く頷いて、彼はレミリアを再び抱き上げた。
「それでは後ほど」
「ええ、今日のお茶の時間には上がるから」
そう答えたパチュリーに一礼して、彼はレミリアと咲夜と図書館を後にする。
「咲夜さんは大丈夫ですか? パチュリーさんでさえ少し眠いと言っておられましたが」
「一応は大丈夫よ」
「咲夜も眠かったら今日は休みを取りなさい。命令よ」
「はい、かしこまりました」
レミリアの言葉には素直に頷いて、咲夜は懐中時計を取り出した。
「まだ時間がございますから、もう少しお眠りになってよろしいかと」
「ええ、そうするわ」
それから軽く夜からの予定の話をしながら廊下を歩き、レミリアの部屋の前で立ち止まる。
「それでは」
「咲夜、また後で」
「はい」
咲夜に扉を開けてもらい、中に入ってベッドの方に向かう。扉が閉まる音がしたが咲夜が来た気配はない。仕事に戻ったのだろう。
薄暗い部屋の中を進み、ベッドにそっとレミリアを下ろした。もう目隠ししてでもこの部屋には何があるか大体わかっている。
下ろされたレミリアは、そのまま彼の方に手を伸ばしてきた。
「ね、少し休むから付き合って」
「はい」
ぎゅ、と抱きついてくるレミリアのなすがままに出来るように、青年もベッドに寝転がった。
そして一刻ほどの後。少し寝てすっきりしたのか目覚めたレミリアの隣で、不機嫌そうに青年が横になっていた。
「……どういう時間差なのでしょうか」
「さあ? 私達だけでは不公平だと思ったんじゃないかしら」
「……言っては何ですが、男の猫耳尻尾って一体誰が得するのでしょうね……」
ベッドに仰向けになるように身を沈めたまま、青年は大きくため息をついた。大体こういうのは可愛い女の子だからいいのであって男にするのが良いとは到底思えない。
レミリアの猫耳尻尾を見れて眼福だったのだが、まさか自分がこういうことになるとは思わなかった。
「あら、私は得してるわよ?」
そう、楽しそうにレミリアは彼の上に乗って尻尾を扱っていた。不機嫌なのでしっぽがぱた、ぱたと動いているのだが、それにじゃれるのが楽しいらしい。
意外にぱたぱた動かせるもので、レミリアの前でゆらゆらと揺らしてやると楽しそうに手で捕まえている。
「楽しいですか」
「楽しいわ」
指先で楽しそうにわしゃわしゃと弄っている。よほど楽しいのか、ゆらゆらとレミリアの尻尾が目の前で揺れていた。
ふらふらと楽しそうに動いているそれは、何共も言えずこちらの関心を誘う。
おそらくこれも猫化の影響なのだろう。衝動のままに手を伸ばして尻尾をそっと撫でた。
「にゃっ!?」
「すみませんつい」
撫でた瞬間、レミリアに思い切り逃げられてしまった。しゃーと警戒するように耳をぴんと立てて抗議してくる。
「いきなり何するの」
「いや、ゆらゆら揺れててつい」
すみません、と言いながら、身体を起こしてベッドの端まで逃げてしまったレミリアに手を伸ばす。
むう、と警戒したままレミリアは寄ってきた。そのまま頭も撫でる。耳の辺りも。気持ちいいのか、耳がぴょこぴょこ動いた。
「んー……」
「気持ちいいです?」
「ええ。気持ちいい」
もっと、と言いながらレミリアは彼の傍まで寄ってきた。尻尾が揺れていて思わず手を出したくなる。
衝動をこらえながら撫でていると、その手を外された。
「何か?」
「私もやってあげる」
「ああ、はい」
ぴょんと胸元に飛びついてきて、レミリアは彼の頭をわしゃわしゃと撫でた。
耳に当たる手がくすぐったい。だが、悪い気はしない。
「気持ちいい?」
「……ええ、まあ」
尻尾が上機嫌に揺れる。我ながら正直なことだ、と思いながら、レミリアの手に撫でられるままになる。
「……僕も撫でていいですか」
「ん、いいけど」
答えが来るか来ないかのうちにレミリアの腰に腕を回して抱き寄せて、もう片方の手で頭を撫でる。
「もう、いきなり」
「駄目ですか」
「駄目って言ってもするんでしょう、もう……」
文句を言いながらも、レミリアはわしゃわしゃする手を両手に変えた。思い切り髪が乱されていく。
そのお返しとばかりに、腰に回した方の手をレミリアの尻尾に伸ばした。
「ひゃ!?」
「今度は逃がしませんよ」
冗談めかして言いながら、逃げては戻ってくる尻尾を撫でたり指先でくすぐったりしてみる。
本当にいい手触りだった。髪を撫でているときもかなり気持ちいいのだが、それとはまた違った心地よさがある。
そんなことを思いながら弄っていると、かぷ、と首筋に軽く甘噛みされた。気が付けば頭を撫でていた手は離されて、胸元を掴んできている。
「くすぐったいから、やめて」
むう、と見上げてくる目は少し潤んでいた。ざわざわと騒ぐ気持ちを無理に押さえつけて手を離す。
「これは失礼」
「わかればいいの」
ぱた、ぱた、とレミリアの尻尾と羽が同じタイミングで上下する。そのまま、胸にすりすりと頬を寄せてきた。
「けど、まだもう少し時間はありそうね」
「まあ、そうですね。夜になったらフランさんも起きてくるでしょうし」
「ん、じゃあそれまで、もう少し貴方を独占することにするわ」
そう言いながら、レミリアは胸から身体を離すと、軽く口唇を重ねてくる。
「いいでしょう?」
「ええ」
そう答えると、ぴょこぴょこと耳が嬉しそうに動いた。ぎゅうともう一度抱きついてきて、こちらの口唇をなぞった。
「じゃあ、ちょうだい?」
「はい」
自分の耳と尻尾が上機嫌を示しているものになってるだろうな、という考えは、口づけの甘さの前に溶けていった。
「で、結局全員猫のままと」
「朝には解けるでしょ」
ティールームで紅茶を傾けながら、レミリアとパチュリーがそう言葉を交わしている。
「面白いのにねー」
「そうねえ、たまにはいいかもしれないわよね」
フランドールの言葉に同意して、レミリアは尻尾をパタパタと動かした。
「……普段から猫っぽいのにねえ」
「そんなことと思うけど。ねえお姉様」
「ええ。猫はこの館にはいないと思うけど」
「よく言うわ。そう思わない?」
「この状態で僕に同意を求めますか」
黙ってカップを傾けていた青年は、返事を曖昧にするために肩を竦めた。
「僕には何とも」
「忠義なことね。そうね、貴方はどちらかというと犬よね」
「うん、犬だよねー」
パチュリーとフランドールの言葉に、彼はさらに微妙な表情になった。だが、レミリアだけがぽつりと異を唱えた。
「……猫も悪くないと思うけどね」
「あらレミィ、何か心当たりでも?」
「良いじゃない別に。ねえ」
そう言いながらも、レミリアの尻尾が照れ隠しをするかのようにぱたぱた動いているのを、パチュリーは見逃さず、だが追求はしなかった。
「はいはい。さて咲夜」
「はい、もう一杯、少し濃いめの」
咲夜が差し出す紅茶に頷きを返す。何よ、と返しながら、レミリアは自分にもと咲夜に求める。
どういうことなのか、とフランドールに尋ねられて困っている彼を、どういうタイミングで助けるかと考えながら。
そう紅茶を傾けるレミリアの尻尾は、ゆらゆらとどこか楽しげに動いていた。
うpろだ0020
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幻想郷の春。桜の季節はそう長くはない。だからこそか、宴会が多く開かれる。
昼も夜も。だが、結局のところ、青年が主と共に参加するのは夜の宴会が主だった。
無論昼のものにもたまに参加することはある。けれども、やはり夜の方が落ち着くのも事実。
今宵もまたそうであった。博麗神社の境内で、いつものように花見の席が開かれていた。
その片隅。手頃な大きさの岩に片胡座で腰掛けている青年と、その膝の上で抱かれたような状態で座っているレミリアの姿があった。
「いい月ね」
「ええ、本当に」
相槌を打ちながら、さてどうしてこうなったのか、と考えても仕方のないことを考える。
レミリアの声は既に酔っていた。まるで猫のように目を細めて、くすくすと微笑いながら腕に寄りかかっている。
ため息混じりに、膝の上のレミリアに声をかけた。
「酔ってらっしゃるでしょう」
「酔わなければ楽しくないわよ」
くすくす、と紅い悪魔は身を寄せて笑った。今日の酒はどうやら強めのものが用意されていたようで、随分酔客が多い。
かくいう自分も結構酒は回っている。派手に乱れていないのは自制しているからだった。
そう、自制。自分をきちんと抑えておかなければ、そもそもこの状態の主を膝の上において平然と出来るはずがない。
傍らには盃が二つ。水面にゆらゆらと月が揺れている。
澄んだ、きついが良い酒だった。ちびちびと彼も傾けている。つまみはないが、ゆっくり飲んでいるならば酔い止めを持っておけば何とでもなる。
が、レミリアはお構いなしに盃を傾けていた。大丈夫だろうかとちょっと不安になる。
今年の桜は花々の主でさえ誉めたという程の見事なもので、それに十三夜の美しい月がかかっているとなれば、上機嫌になるのも道理かもしれないけれども。
そんな見事な桜の宴席の中、どこからか酒瓶を一本くすねてきて、それをこうして二人で酌み交わしている。
「あまり飲んでないんじゃない?」
「そうでもないですよ」
盃を揺らして、彼は口元に笑みを浮かべた。大して会話をしているわけではない。
何も話さずにただ寄り添っているだけ、というようにも見えもするだろう。
だがそれでもいいのだ。常に何かを話していなければならないような関係ではない。
ただ黙って二人で並んで酒を飲むのも、これ以上なく落ち着く時間なのであった。
「ね」
「はい? っ!?」
不意に、く、とレミリアは盃を傾けると、彼の口唇を塞いだ。香りの強い液体が口の中に流し込まれる。酒精が鼻に抜けていく。
「っ……!」
「ん、ん」
レミリアは彼の服の襟元を掴んで逃げないようにしながら、口移しで酒を飲ませてきたのだった。
酒がなくなっても、レミリアは離す様子を見せなかった。そのまましばらく、口付けを続ける。
「ん、うぅ」
やられっぱなしは何となく悔しくて、レミリアにちょっとした反撃を試みる。
こちらの口の中にある舌を甘く噛んでみるとレミリアの身体が震えた。
「ん、あ、もう」
ちろ、と舌先を舐めて、レミリアの口唇が離れていった。瞳はやはり酔っている。
だが何に酔っているのか、それは考えないようにした。考えると抑えていられない気がした。
酒かそれ以外のものかが零れそうになったのを指先で拭って、レミリアのしてやったりという表情を何とも言えない想いで見やる。
「どう?」
「……随分と美味で」
「あら、成長したわね」
以前なら味なんてわからない、なんて言ってたのに。そう、レミリアは上機嫌に告げる。
一つため息をついて、酒精が身に染み込むのを感じながら空を見上げる。
ざあ、とざわめく風の音に合わせて桜の花びらが舞っていた。その向こうに月が昇っている。
「綺麗ね」
「……ええ、本当に、綺麗な月です」
こちらを向いたレミリアと視線が合った。レミリアは嬉しそうに微笑んで、もう一度、口付けしてくれた。
「あんたらねえ……」
しっとりとした空気を破るように、微かに怒気を含んだ声がした。この神社の巫女、霊夢の姿だった。
彼女も幾分か酒は入っているようで頬が赤い。
「神社の片隅で砂糖まき散らすな」
「あら、甘い物が似合うお酒もあったはずだけど」
「そういう問題じゃなくて」
レミリアのにべもない反応に、はあ、とため息をついて、霊夢が青年の方を軽く睨む。
「貴方も止めないさいよ。レミリア止められるの貴方だけでしょうに」
「いやはや」
「誤魔化さないの。向こう、甘さにあてられて飲んで大変になってるんだから」
「ああ、随分騒がしいと思ったら」
くつくつとレミリアは笑った。つい、と酔眼を宴会場に向ける。騒がしい、という単語が控えめに見えるような惨状になっていた。
「もう少し、こうしていたかったけど」
「家でやれ家で」
「桜の下、月の明かりの下でやるからいいんじゃない。無粋ねえ」
とはいえ、と言いながら、レミリアは名残惜しそうに彼の膝の上を退いた。
「騒がしくしすぎて桜も月も楽しめないのはもっと無粋。行ってくるわね」
「お気をつけて」
レミリアの手の甲に軽く口付けて、青年はレミリアを見送る。
弾幕ごっこも加わっていた騒ぎは、レミリアの参戦によりさらに悪化していた。
「まったく、見せつけるわねえ」
悪態をつきながらも、あまり気にはしていない様子で霊夢が肩を竦めた。
「まあまあ、こういったのもこの季節しかできませんから」
「年中いちゃついてるくせに?」
「それを言われますと」
ああ、否定しないんだ、と呆れる霊夢に、今度は青年が肩を竦める。
その会話に割り込むように、爆音と閃光が降ってきた。二人して空を見上げる。
いつの間にかレミリアが中心で暴れているようだった。何事か起こすときには自分を中心にしたがるレミリアらしいとも言えた。
「派手にやってるわね」
「ええ。夜空に映える、綺麗な紅い月ですよ、本当に」
「惚気はもうお腹いっぱいだわ。そうだ、あれが終わる前に何か軽いの作ってくれないかしら。お茶も」
彼は頷いた。霊夢の要求は、レミリアが騒がした分の迷惑料のようなものだった。否応もない。
「承知しました。数は適当で良いでしょうか」
「いいんじゃない? じゃあよろしく」
ひらひらと手を振って宴席に戻る霊夢を見送って、彼は神社の台所に入る前にもう一度空を仰ぐ。
美しい彼の紅い月が、煌々と、活き活きと、輝いていた。
うpろだ0034
───────────────────────────────────
「暑くなりましたねえ」
「いきなり暑くならなくてもねえ」
館の、風通しの良い一角で青年とかき氷を食べながら、レミリアはため息をついた。
「まあ、それでも湖からの風でだいぶ涼しいですが」
「外はもっと暑いんでしょう? よく耐えられていたわねえ」
「まあ、そこは涼しくするものがいろいろありましたので」
かちゃ、とスプーンを器の中において、青年は微笑った。
紅魔館は窓こそ少ないが、風通しのよいところにきちんと備えられてもいる。最近はそこのほとんどを全開にして空気がこもらないようにしていた。
図書館の方は、パチュリーが以前に空気を循環させたり入れ替えたりする法を作って何とかしているらしい。地下にある分、ある程度涼しいのが救いでもある。
「後で咲夜にフランにも持ってくように言わないと」
「ああ、そうですね。今はまだおやすみ中のようですが」
「暑くて起きちゃったものねえ」
レミリアが不満そうな声を上げる。青年は困ったように微笑った。彼もまた同じような理由で起きたのだった。
まあ、たいていどちらかが起きれば起きてしまう、というのもあるのだが。
「もう少し風通しでもよくしようかしら」
「それもありかもですね、ここまで暑いと。蚊帳をかけて窓を開けておくのもいいかもですが」
レミリアの部屋にも一応小さめの窓はある。月明かりを取り込むためにいくつか窓はきちんと用意されているのだった。
それもその用途のためで、たまに部屋の窓から月を鑑賞することもある。
「明日からそうしましょうか」
レミリアがそう、器を行儀悪くスプーンで鳴らした。涼やかなガラスの音がする。
その音を破るように、ノックの音が聞こえてきた。
「咲夜?」
「失礼いたします、お嬢様。招かれざる客です」
咲夜の口調はいつもの真面目なものながら、ちょっとした諧謔味が混じっていた。
暇を潰せるものはこの際何でもありがたくある。レミリアは入るように声をかけた。
咲夜が開けた扉の向こうには、見慣れた紅白と黒白の姿があった。
「よう」
「あら、美味しそうな食べてたみたいじゃない」
「何、たかりにきたの?」
「是非にと言うなら仕方がない」
軽妙な返しに、やれやれと肩を竦めるレミリアを視線で宥めて、青年は立ち上がった。
「作ってきましょうか」
「ええ、私の分もお願い。ああ、咲夜にさっきの話も」
「かしこまりました」
青年はそう頷いて、霊夢達と入れ違いになるように部屋の外で出た。
咲夜に用件を伝え、台所でかき氷を作り――ついでに咲夜の分のかき氷も作って――少しの時間の後、彼はかき氷の入った器を三つトレイに乗せて部屋に戻ってきていた。
「霊夢さんもいらっしゃるとは珍しいですね」
「涼みにね。ああ、ありがと」
霊夢の前に氷をおく。シロップは作り置きをしていたレモンのシロップだった。疲労回復にも良い。
「ん、美味しいな」
しゃく、と聞いているだけで涼しくなるような音を立てて、魔理沙の前に置かれた氷が崩される。
「人里の氷室もこの分だと大変そうよね」
「そうだなあ。ああでも、今年は氷も多めに取れてたらしいから、とんとんじゃないかな」
「上手くできているものですね」
「そんなものでしょう」
霊夢が何ということもないようにしゃくしゃくと崩して口に運ぶ。そういうものか、と彼も納得した。
「貴方はよかったの?」
「もう十分先ほどいただきましたしね」
「遠慮しなくてもいいのに」
レミリアも氷を崩して口に運んだ。その様子を、青年は楽しそうに見ている。
「……幸せそうだなあ、お前」
「ん? 僕です?」
「他に誰がいるんだ、全く。まあ、仲良いのはいいことだろうけど」
「そうねー……」
霊夢はしみじみと同意した。この二人は喧嘩を始めたりトラブルを起こしたりする度、否応なしにいろいろ周囲を巻き込んでいくのだから尤もな感想だった。
現に以前何度か巻き込まれているのだから、そうも言いたくなることだろう。
「そういえば、霊夢と魔理沙は何か涼しくなる方法知らない?」
「すごい無茶振りが飛んできた」
「暑いんだもの。人間はこういうときどうするのかなって」
「横にも元人間いるじゃない」
「僕はそもそも外の人間ですから、こちらでは出来ないのも多いですし」
青年は軽く両手をひらひらと振ってお手上げの意を示した。
「まあ、こう暑いとそういうのが気になるのもわかるが」
「大体変わらないんじゃない? 風通しをよくして冷たいもの食べたり飲んだり。まあ逆に熱いお茶を飲んで汗流したりするけど」
「ああ、汗かいたときは湯浴みもありだなー」
魔理沙と霊夢がぽんぽんと案を上げていく。ふむ、と彼は顎に手を当てた。
「湯浴み……は逆に暑くなりそうですからねえ。そもそも汗はほとんどかかないですし」
「涼しくするなら水かしら。今日は水浴びにしましょう。流れてなければ問題はないし。私も貴方も」
「そうですね、後で準備しておきます」
言葉の端々から、一緒に入っていることを察した人間二人が、何とも言えない視線を吸血鬼に向けた。
「……それは、お前ら、素か」
「素でしょうよ。折角涼しくなったのにね」
霊夢がやれやれと首を振った。魔理沙も肩を竦めて、ああでも、と話題を転じた。
「夏の温泉もいいけどな」
「暑いけどね。上がった後のお酒が美味しいのよねー」
うんうん、と頷きながら、霊夢は空にした器にスプーンを置いた。
以前の地底の異変の関係で、博麗神社の近くにも温泉が湧いているところがあるのだった。
「あ、いいわねそれ」
「え、食いつくのそこに。というか温泉大丈夫なの、流れあるけど」
「湯は水に非ずだもの。今日はそうしましょう」
良い案だというように、レミリアは手を打ち合わせた。青年もその案に乗る。
「そうですね、桃のワインがあったような。咲夜さんに聞いて準備しましょうか」
「それ、当然私達も貰えるわよね?」
「そうだな、惚気をきいてやったんだから当然の給付だよな」
「勝手に押し掛けてきたのはそっちだろうに」
レミリアは図々しい二人に呆れつつも、青年に向かって一つ頷いた。青年もそれに返して、それでは、と部屋を出ていく。
それを見送って、呆れたような口調のまま霊夢が呟いた。
「涼みにきたのに変なことになったわねえ」
「ま、酒をもらえるんだから良しとしよう」
魔理沙の声には宥めるような響きがあった。レミリアもまた呆れた声で返す。
「吸血鬼の館に勝手に押し掛けてきて涼んでお酒をせびっていくって結構だと思うんだけど」
「いつも押し掛けてくるのはそっちじゃないの」
「まあ、そうだけどさ」
釈然としない調子でレミリアが答えたとき、再び部屋の扉が叩かれた。顔を出したのは青年だった。
「失礼します。少し多めに頂いてきました。出かけるときは一言お願いします、とのことです」
「ん、わかったわ。陽も落ちるし、そろそろ行きましょうか」
レミリアは霊夢と魔理沙を急かすように立ち上がる。仕方なさそうに二人も席を立った。
「もう少し涼んでいようと思ったが仕方ないか」
先に行こう、と言うように魔理沙は霊夢に頷いて見せた。霊夢も諦めたように頷く。
「ま、私達は先に行くわ。仲良く来るのもいいけど、程々にね」
「あ、風呂は別に入れよ。私達はそこまであてられたくない」
言いたい放題言って、先に二人が部屋の外に出た。そして、館の入り口の方に歩いていく。
その後ろ姿を見ながら、レミリアは大きくため息をついた。
「全く、それくらいはわかってるのに。ねえ」
「ええ、まあ。流石にそこまでの度胸はないですからねえ」
ずれた会話をかわしながら、二人は並んで廊下を歩き始める。
「そういえばどう冷やしておくの?」
「神社の井戸水でも借りようかと」
「……神社で宴会が始まりそうね」
そうなったらどのみちいつもの通りかしら、とレミリアは楽しそうに笑う。
「まあ、それも良いかと。また暑くなってしまいそうですが」
「そうね。そうなったら、寝る前に水を浴びるのもいいわね」
「……そう、ですね」
「あら、温泉に行くと聞いて残念だったかと思ったのだけど」
レミリアのからかうような視線に、彼は複雑な表情をした後、はあ、と一つ息をついた。
「下心を見透かされるのはその、少し」
「あら、いいじゃない。どうせ隠すようなことでもなし」
「まあ、それもそうですが」
くすくすと笑うレミリアに、心の底から降参の意を示す。
結局、いつまで経ってもレミリアの手のひらの上なのだった。中々意趣返しも出来ないのは残念だが、悪い気分ではない。
「これ以上不利になる前に行きましょうか」
「ええ、咲夜に言付けて。楽しみだわ」
レミリアは上機嫌にそう笑った。彼も笑みを返して、手を恭しく差し出す。
結局のところ、予想通りと言うべきか、神社に着いて温泉を楽しんだ後は人妖が集まってきてしまい宴会の騒ぎになってしまった。
そういうのも暑気払いには悪くないでしょう、と笑う主に、改めて敵わないという想いを抱く。
そして、彼は主と並んで眺める夏の喧噪を、何ともかけがえないのないもののように感じていた。
うpろだ0049
───────────────────────────────────
野分の後の空気は、大抵澄んだものになる。埃っぽい空気も何もかも吹き飛ばしてしまうから。
少しだけ湿った空気が残るような夜は、冷え込みながらもとても綺麗な空が見える。
「随分冷えますが、大丈夫ですか」
「うん、大丈夫よ」
レミリア・スカーレットの言葉に頷きながらも、青年は自分の上着の中に抱え込むように彼女を寄せた。
空を見ているレミリアは、その行為をすんなりと受け入れた。自分から寄ったようにも見える。
十三夜の月はよく澄み渡っている。確か一年で一番月が綺麗に見える夜ではなかっただろうか。
そんなことを呟いたのがきっかけで、誰にも何も伝えずに紅魔館から出かけて散歩をしている。
適当に紅茶をポットに詰めて、少しばかりの用意をして、そっと出かけてきた。
「野分は酷かったわね」
「ええ、里の方も無事だといいのですが」
「また、貴方も借り出されるかしら?」
「かもしれません。ただ、作物への被害は心配はないでしょう。もうほとんど刈り入れてましたし」
とりとめない話をしながら、静かな夜を歩く。月は昇っていた。満月に少し足りない月の光が、辺り一面に降り注いでいる。
ここのところは冬への準備でいろいろと忙しかった。何気ない話をしながら歩くのも、どこか心躍る。
「冬になるわね、すぐに」
「ええ、台風が全部持って行ってしまった気がしますね」
「台風、か。何となく、テュポーンを思わせるわね。語原だったかしら」
「ええ、そういう説もありますね」
「でもそうだとしたら、この程度には収まらない気もするけれど」
「どれにしろ、人にとっては恐れるものだったということでしょうね」
「ん」
レミリアは曖昧に頷いて、彼を振り仰ぐ。
「どこかでゆっくり出来るかしら」
「ええ、そうですね。少し先にちょうど良いところがありますから、そこで」
青年は頷いて、レミリアの肩に手を乗せて引き寄せた。
少しばかり開けた草原の端、自然の岩が無造作に並ぶ場所。
その一つの上に、持ってきた布を敷いて、簡単な椅子代わりにする。
「どうぞ」
「貴方が先に座って」
「ああ、はい」
何を求めているのか理解して、彼は岩に座る。その膝の上に、レミリアが乗った。
それをもはや当然のこととして、青年はポットを開けると、中に入れていた器に紅茶を注いでレミリアに手渡した。
「ありがとう」
「いいえ」
月の光を十分に浴びながら彼の身体に背を預けている。何も特に話すこともなく、ただくっついているだけ。
たまにはこういう時間もいいものだ、と青年は思っていた。
もしこれが図書館の魔女殿辺りに聞かれていれば、いつもそうしているくせに何を言っているのだこいつらは、という顔をされていただろう。
レミリアにとっても不満などなかった。不満があれば、即座にそれを口に出す。それを躊躇いはしない。
時にはそれを『察してほしい』という我儘は述べるものの、その程度だ。
「寒くないですか」
「大丈夫。貴方は?」
「大丈夫ですよ、こうしているだけで暖かいです」
「体温は、貴方の方が温かいくらいだけど」
「そればかりというわけでもないですから」
青年はそう言って、膝の上のレミリアをさらに引き寄せた。吸血鬼だからか、肌はやはり少しひんやりしている。
けれどもその中にあるものは温かくて、それをさらに感じられるように、強く抱きしめた。
「どうしたの?」
「ああ、いえ、何となく」
自分の行動を誤魔化すために、話題を探す。この辺りは、まだ未熟と言っていいのかもしれない。
「しかし、黙って出てきて、後で咲夜さん辺りに怒られそうですね」
「もう」
レミリアは仕方なさそうな、どこか拗ねたようなため息をついた。
「折角二人きりの時に、そうやって別の子の名前を出すのは無粋でしょう? たとえそれが咲夜でも」
「これは、失礼しました」
素直に非を認めて、彼は膝の上でこちらを向いてきたレミリアに降参の意を示した。
無粋で気の利かないところはどうにかしないと、と心に思いつつ、宥めるようにレミリアの髪を撫でる。
「全く、こんなのでは誤魔化されないわよ」
言いながらも、背中の羽は機嫌を直したように上下している。
それに少し安堵して、髪を撫でながら、月明かりが降り注いでいるレミリアの背中をぼんやりと眺める。
いつしか、誘われるように首筋に口付けていた。唐突なそれに、レミリアが身動ぎする。
「……お腹でも空いた?」
「ああ、いや、そういうつもりではなかったのですが」
そうなのかもしれないですね、と誤魔化す。少し月にあてられたのだろうか。
普段はあまり外でこういうことはしないのだが。していないはずなのだが。
「食べてもいいけど?」
「誰が見ているかわからないでしょう」
含みのある言葉に、青年は困ったように首を振った。
「見せつけてやればいいのに」
「生憎と、誰かに見せるのは好きではないので」
「あら、意外に独占欲は強いのかしら」
「もうご存知でしょうに」
拗ねたように言うと、レミリアはこちらの顔をのぞき込んでくすくすと笑った。
その様子さえ可愛らしくて、どうにもかなわない気分になる。
「まあ、それは後に取っておきましょうか」
「そうしてください」
「でも」
レミリアは青年の頬に手を伸ばすと、口唇を奪うように重ねた。
「これくらいなら、いいでしょう?」
「不意打ちは卑怯ですよ」
「いつもは貴方から存分に不意打ちしてくるじゃない。だから、ね」
そう言って、レミリアはもう一度、口唇を塞いでくる。
月からは、変わらずに柔らかな光が降り注いでいた。
夜明け前に帰った後、咲夜に二人してしっかり怒られた。
満月までは大人しくしておくから、というレミリアの言葉に、とりあえず場は収めてもらった。
部屋に戻って、休む用意を終えながら、彼はレミリアに尋ねた。
「よかったのですか?」
満月まで二日とはいえ、それまで暇ではないのか、という含みを持たせた問いに、レミリアに楽しげに笑った。
「あら、貴方が相手してくれるんでしょう?」
「ああ、ええ、まあ」
「退屈させないように、楽しませてね」
くすりと笑った姿に、曖昧な返答を返す。本当にいつもレミリアの手のひらの上なのだ。
それもまた悪くない、というのは、やはり惚れた弱みと言うものだろう。
妙なおかしさを感じながら、レミリアを自分の方に抱き寄せる。
カーテン越しの外からは、中秋から晩秋にかけての朝の気配が漂ってきていた。
秋の終わりの気配を感じながら、愛しい月を腕の中に抱いて眠るのも悪くはない。
眠りに意識を手放す前に、そんなことを、思った。
うpろだ0054
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夕暮れの中、青年は里を歩いていた。仕事を終わらせたので、これから紅魔館に帰ろうとしているところだった。
日中の強い日差しも弱くなり、暑さも少しばかりマシになっている。
何か甘味でも買うか、それともまっすぐ帰るか、と考えていると、後ろから声をかけられた。
「あら」
「ああ」
「お疲れさま。帰りかしら?」
「はい。咲夜さんは買い出しに?」
「ええ」
十六夜咲夜だった。どうやら買い物に来ていたらしい。
日中はあまりに暑いので、夕方頃に動くことも多いのだった。
「今日来られるなら、先に聞いておけば良かったですね」
手に持っている荷物を幾つか受け取りながら、青年はそう咲夜に声をかけた。
「急に足りないものが出たから。今日は?」
「もう終わりです。レミリアさんが起きるまでには帰れそうで。まあ今日は、幾人かこの日差しで体調を崩してたので代わりに日中荷物を運ぶ仕事でしたので」
楽なものでした、と笑う青年に、咲夜は何とも言い難い表情をした。
「……吸血鬼の発言とは誰も思わないでしょうね」
「……ですねえ」
呆れた声に、それもそうだというような笑いを含んだ声で彼も答えた。
「香霖堂の店主は煙草を吸ってたかしら」
「ええ、たまに。ああ、もしかして煙草の匂いが」
「少し残ってるわね。後で洗濯してしまうから出しておいて」
「了解しました」
咲夜の言葉に、素直に青年は頷いた。
日は傾いたところから落ち始めている。沈む前には、紅魔館に帰れそうであった。
「何度か言ってるけれど」
「はい」
「貴方はもう少し自分が何なのか自覚すべきだと思うの」
自分の主に説教されて、青年は少しばかり小さくなりながら頷いた。
帰ってきて呼ばれたティールームにて、今日の報告をしていたのだった。
もっとも、報告というほど仰々しいものでなく、今日何をしていたか、くらいなのだが。
怒っているのは無論報告内容のことだった。彼女の眷属でありながら、太陽の下で仕事をするとは何事かと。
「確かに貴方は日差しが大丈夫だけれど。消耗は大きいでしょう?」
「いや、その、香霖堂でも、休みましたので」
「そういう問題じゃないの」
仁王立ちのまま、羽をばさりと広げて、レミリア・スカーレットが不満を漏らす。
「第一、陽に当たりながら仕事する吸血鬼がどこの世界にいるのよ」
目の前に、という言葉は流石に飲み込んだ。軽口は軽口で許されもするのだが、大きな不満と共に心配している気配もあったから。
反省しているのを感じたからか、まだ不満そうな表情ではあったものの、一つ息をついてレミリアは説教から解放してくれた。
「まあ、いいわ。咲夜、お茶」
「はい」
ただいま、という声と共に、咲夜がティーセットを持って現れる。レミリアはソファに先に座ると、青年にも座るように促した。
「また後で呼ぶわ」
「かしこまりました」
咲夜はそれぞれの前に紅茶を置くと、一礼してその場を立ち去る。
レミリアは一口紅茶を飲むと、ふうと気を抜くようなため息をついた。
「心配しているのも本当だから。気を付けなさい?」
「はい」
それを申し訳なく思いながら、紅茶に口を付ける。柔らかい香りが漂った。
少しばかり腹が満たされる気分になったのは、血が入っているからだろう。
「足りる?」
「ああ、ええ。そこまで消耗もしてませんし」
「ならいいけど。貴方は私よりも食べるしね」
そう、微かに甘えるような声色で言った後、レミリアは不意打ちのように軽く口付けてきた。
そして、苦いものを食べたときのように少し顔をしかめる。
「煙草の匂いがする」
「わかりますか」
「当たり前でしょう」
レミリアは拗ねたような口調で言うと、青年の膝に乗った。肩を竦めて、彼は説明する。
「香霖さんのところで一ついただきまして」
「意外。吸わない人だと思ってたわ」
「滅多に吸いませんよ。普段は貰いませんし。今回だって――そうですね、こちらに来てすぐくらいに一本もらって、それ以来ですね」
青年は軽く笑った。こちらに来てすぐということは彼がまだ人間であった頃のことだった。
一瞬だけ切なそうな瞳をしたが、すぐに不満そうな表情をして、レミリアは羽をバタバタと動かした。
「ああ、ええと、拙かったですか」
「不味くなるのは確かね」
レミリアはそう言って、青年の膝の上で向かい合うように座り直した。
何事か、と思う前に、レミリアに軽く口唇を塞がれる。
「キスが苦いのは、嫌」
「はい」
声が妙に艶っぽくも聞こえて、思わず息を呑む。子供っぽい仕草からこれは反則ではないだろうか。
悪戯っぽい光が紅い瞳の奥に揺らいで、レミリアはもう一度口唇を重ねてきた。
今度は少しだけ深くて、だがその舌に感じたのであろう苦みに少しだけ眉をしかめた。
口唇を離して、少し恨みがましい口調で告げる。
「もう、吸っては駄目よ?」
「仰せのままに」
レミリアの言葉は絶対である。許しが出ない限りは生涯の禁煙も同じだが、そもそもそんなに吸う方でもない。
これが愛煙家だったら随分辛かっただろうな、と少しだけ笑う
「何を笑っているの?」
「いや、煙草がそこまで好きでなくてよかったな、と」
「好きじゃないならそもそも吸わないでよ、まったく」
むうとむくれるレミリアを宥めるように肩を抱いて、今度はこちらから口唇を塞ぐ。
まだ苦いのか、僅かに身じろぎした。構わず少し押さえつけるように、口付けを深くする。
「ん……嫌がるの、楽しんでない?」
「いやいや、そういうつもりは」
ありませんが、と言いながら、青年はまた一つレミリアと口唇を重ねた。
今度は、思った以上に素直に受け入れてくれた。
「ということで、今日はご遠慮を」
「おや残念だ」
少しも残念そうでない口調で香霖堂の主はそう答えた。
外からのものをまた拾ってきた店主と、これはどういうものかと話をしているところだった。
その途中、手間賃代わりにと薦められた煙草を簡単な説明付きで断った青年に、霖之助は肩を竦める。
「君もいい加減染まってきたんじゃないのかな」
「そうですかねえ……まだまだ足りない、とはいつも言われていますが」
「いや、幻想郷に、だよ」
外からの人間と聞いたときはどうなるかと思ったけどね、と煙草をくゆらせて霖之助は続けた。
「そちらですか。慣れはしますよ」
「何もかも、かな」
「かもしれません。まあ、日々の変化も大きいですが」
青年は小さく笑った。これはこれで楽しい人生ではあると思っている。もう人でない身で言うのは妙かもしれないが。
「楽しいものですよ、こういうのも」
「楽しそうでいいけれど、惚気は程々にね」
「……気を付けます」
自覚があって何よりだ、という言葉に肩を竦めた青年は、館に買って帰る土産を選びはじめ、店主の苦笑を深めることになった。
うpろだ0024
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空気の澄んだ夜であった。
夜だというのに、人里はにわかに活気づいている。青年はそれを何ともなしに眺めやった。
秋祭りではない。たまに試験的に行われている夜市であった。
屋台を出したり、雑貨を売ったりと内容は雑多なもの。だが、そういった場を予めあつらえるということが大事らしい。
夜と言うことで、客層は妖怪が多い。とはいえ人間も居ないわけではない。人里が不可侵領域だからこそ出来ることであった。
紅魔の主、青年の愛しき主であるレミリア・スカーレットも、その雑踏の中に十六夜咲夜を伴って足を踏み入れている。
その姿を視界内におきながら、一歩下がって彼は歩いていた。女同士の買い物に口を挟むのも無粋である。
とはいえ、急に話を振られたときのために、いろいろと考えておかねばならないが。
その彼に、不意に声がかけられた。知っている声だった。
「おや」
「ああ、慧音さん。どうも」
軽く会釈をすると、向こうも会釈を返してくれた。人里の守護者、上白沢慧音だった。
「一人……というわけではないか」
「ええ」
慧音は少し気遣わしそうに、レミリアと咲夜の方を見やった。とにかく目立つ二人ではある。
「大丈夫ですよ」
「まあ、騒動を起こす方ではないだろうけれど」
彼は頷いて、もう一度夜市を眺めやる。思ったよりも賑わいでいた。
「この時期の夜市は珍しいですね」
「少し前に野分もあった影響で、いろいろずれこんで……それでも、みんな楽しみにしているみたいだからね」
慧音はそう応えた。元々、それほど娯楽があるわけでもない。楽しみとしては確かによいものだろう。
それでも、これ自体は統制を必要とするから、人里と神社と妖と、三者が共同で行うのだが。
「まあ、それで僕達も出てきたわけですが」
「そのようだな。まあ、来る者拒まずだから問題はないが。騒動さえ起こさなければ」
「大丈夫ですよ。どうやら楽しんでいただけているようですし」
咲夜と一緒に楽しそうに夜市を見回っているレミリアに、青年は嬉しそうな視線を送っている。
その反応に、慧音は少しばかり呆れたようなため息をついた。
「どうやら機嫌もいいようだな」
「ここのところいい天気でしょう。月もよく見えて、それでレミリアさんの機嫌もよくて」
「なるほど」
慧音が言及したのはただレミリアに対してだけではないのだが、それ以上は何も言わなかった。
代わりに、ふと思いついたように尋ねる。
「月、といえば、あの格言は彼女は知っているのかな」
貴方はよく口にしている気がするが、と言葉を続ける。
少しばかり考えて、青年はああと頷いて笑った。
「さあ、どうでしょうか。どちらでも構わないのですけどね。僕にとって最も美しい月はただ一人ですから」
「……ごちそうさま」
慧音は肩を竦めた。息をするように惚けられてはたまらないというような、少しばかり呆れた微苦笑を浮かべている。
そう話しているうち、こちらの様子に気が付いたのか、咲夜をつれてレミリアが近付いてきた。
慧音は軽くその姿に会釈する。それに応じた後、首を傾げてレミリアは尋ねた。
「こんばんは、白澤。何か彼に用でもあった?」
彼と慧音が話していることはとっくに知っていただろうに、レミリアはあえてそう言っているようだった。
慧音は再び肩を竦め、少しばかり軽い口調で返す。
「随分と惚けられていたよ」
「あら、それは良かったわね」
ぱた、とレミリアの羽が上下する。その答えに満足したのだった。
そして、青年の方にちらりと視線を向ける。青年が何か言う前に、咲夜が動いた。
「お嬢様」
「ええ、よろしく、咲夜」
咲夜は頷いて、青年の背を軽く押した。慧音も隣で了解したような表情をしている。
レミリアといえば、何かを催促するように羽をパタパタと動かしていた。
「はい、交代。後のエスコートはよろしくね」
「ああ、ええ。いいのですか?」
「貴方が他の女性と話していることの方が気がかりみたいだから」
咲夜は小声でそう言って、ほら、行きなさい、と青年を促した。
レミリアの手をとって、市を見て回る。
先程までは少しばかり不満そうだったが、今はまた機嫌が戻ったようだった。
市には彼や咲夜、美鈴といった紅魔館でも使いに出る面々はたまに顔を出すが、当主であるレミリアは当然出て来はしない。
自然、物珍しいものが多くなるためか、好奇心のままに店を眺めている。
「さっきも咲夜と話してたんだけど」
ふいとレミリアが口を開いた。視線は様々な店に向けられたままだ。
「祭りのときとはだいぶ傾向が違うのね。あのときは娯楽が多い感じだったけど」
「ああ、そうですね。あれは完全にお祭りの感じですから。今回は特に冬に向けての市を立てている形ですからね。祭りの時よりも生活に直に触れている感じはすると思います」
今回の夜市は、日用品や日持ちのする食料品を売っている店も多い。おそらく他の里から来ている物もいるのだろう。
そういう者達はここで買い物をして夜を越してから帰って行く。流石に夜に里の外を出歩く者はいない。
そして夜の市ということで、妖怪達も店を出したり客に回っていたりする。なので、祭りの時と同じく賑やかだ。
「ふぅん……冬に向けて、か。里は大変ね」
「かもしれませんが、こうして人が集まるのも見ていて面白いものですよ。人だけでなく妖も店を出していますし」
「全く、うまくやっているものね……」
レミリアが感心したのは、この市に対してか、この市を企画し最終的に全て統制している者に対してか、その口調からは読みとれなかった。
ゆるりと首を振って、レミリアが彼の手を引く。どこか楽しそうな笑みを浮かべていた。
「今はそれはいいわね。楽しみましょう。たまにはこうしたものを見て回るのも楽しいわ」
「はい」
青年は頷いて、レミリアに引かれるまま彼女の隣に並ぶ。
辺りを照らす提灯の上から、月の光も降り注いでいた。
そのどこか幻惑的な光の中を、二人は歩いていく。
しばらく店を冷やかしながら歩いていると、市から少し外れた、人もまばらな場所に出た。喧噪は背後に遠い。
「こちらはここで終わりですね。戻りますか?」
「いいえ。少し休んでいきましょう」
レミリアはそう言って、彼を近くに呼び寄せてきた。ぽすりと背を預けてくる。
人通りはほぼないとはいえ、若干の人目はある。だがそれを気にした風もなく、レミリアは寄りかかっていた。
青年も、レミリアが求めるならば大して気にしない。視線を向けてくる者はいるが、煩わしいほどでもなかった。
寄りかかったまま、レミリアは空を見上げた。彼もつられて空に視線を向ける。煌々とした月が空に浮かんでいた。
「ねえ」
「はい」
「月が綺麗ね」
レミリアは澄ました顔でそう言った。羽はぱた、ぱたと揺れている。気が付くかどうかを図っているのだ。
真っ正面から言ってくれないのは、それは趣がないと思っているのか、それとも気が付いてほしいという想いの表れか。
どちらでもよかった。ただそんな様子が愛しくてならなかった。
「ええ。綺麗です。愛しています」
後ろから抱きしめて、そう囁く。レミリアは満足そうにぱたりと音を立てて羽を畳んだ。
けれどもその畳んだ羽がゆらゆらと揺れている。機嫌がいいことは一目瞭然だった。
それの触れる感触が嬉しくて、少し腕の力を強める。
「苦しいわ」
「これは、失礼を」
腕を緩めると、レミリアは軽く微笑んで彼を見上げてきた。
表情は満足そうで、少しばかり軽口を叩く気分も生まれてくる。
「もしかして返事は、死んでもいい、の方がよかったですか?」
「それは駄目。私とずっと一緒にいるんだから」
「はい」
むうとむくれたレミリアにに謝罪して笑って、その頬に触れる。少し冷えていた。
レミリアはその手に自分の手を重ねて少し頬を寄せるようにした後、彼の腕から離れて向き直る。
月を背にしてこちらに微笑む姿は綺麗で、その様子に少しばかり見とれた後、少しぼうとした声で青年は告げた。
彼がずっと恋し続けている姿に、囁くような声で告げた。
「ああ、本当に月が綺麗です」
「でしょう?」
レミリアはそう、月明かりの中で、嬉しそうに笑った。
笑って、再び彼の手元に戻ってくる。彼は顔を寄せて、彼の愛しい主を迎え入れた。
二人の上に、晩秋の澄んだ月の光が柔らかに降り注いでいる。
うpろだ0029
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春の風が鼻をくすぐっていく。
紅魔館のテラスから見える景色にも、桜色のものが混じっていた。もうすぐ満開になり、また散るまでの間宴会が何度も開かれるのだろう。
「あら、先に来ていたのね」
声をかけられて、青年は振り返る。紅魔館のメイド長、十六夜咲夜がそこにいた。
「湯を頂いたので、それでそのまま」
「なるほど、それでそんな格好なのね」
青年は、紅魔館でくつろぐ格好としては珍しく、普段の服の上に羽織をかけている。少し前に調達した書生羽織で、冷えそうなときなどにそれを着ていた。
もっとも、大して寒さなど感じない身になっているから、大して意味はない。ただ少しばかり格好を付けたいだけでもあった。
「まあたまには」
「いいけどね。じゃあ、お嬢様をお呼びしてくるわ。その間お茶でも飲んでる?」
「ああ、いいですね。いただきます」
頷いた咲夜が、テラスにあるテーブルの上に焙じ茶の入った湯飲みを置いてくれた。入れ立てのようで、湯気が上っている。わざわざ持ってきてくれたのだろう。
「ありがとうございます」
「いいえ」
では行ってくるわ、と言って、咲夜はその場から姿を消す。湯飲みを手にとって、中身を啜りながらもう一度テラスの向こうの光景に視線を移す。
月明かりにぼんやりと遠くの桜が照らされて、中々の風景になっている。春になっていく幻想郷をここから眺めるのが面白い、とかつてレミリアが言っていたが、確かにそうだと思う。
暫く、茶を啜りながらテラスに腕を預けて景色を眺めていた。
「あら、先に楽しんでたの?」
声に、青年は再び館の方を向いた。館の当主にして最愛の主、レミリア・スカーレットの姿がある。
「すみません、湯上がりにそのまま」
「春になって里仕事も増えているのはわかるし、汚れるのもわかるけど。私の方に顔を出しても良かったじゃない」
そう言いながら、レミリアは青年の隣に並んだ。持っている湯飲みに興味を示し、温かい焙じ茶だと知ると一口寄越すように求めてきた。
「もうだいぶ冷めてはいますし、残り少しですけど」
「それでもいいわ」
そう彼から受け取ると、レミリアは湯飲みを傾けた。少しだけ残っていた温もりに一つ息をついて、彼に湯飲みを返す。
「後でパチェも来るわ。観測しに」
その言葉に頷いて、受け取った湯飲みをテーブルの上に置きに行く。咲夜はパチュリーを呼びに行っているのか、茶の用意をしているのか、まだ来ていない。
あるいは、二人きりの時間を邪魔しないでいてくれているのかもしれない。どれにしろ有り難いことだった。
レミリアの隣に戻って、青年は湖とその向こうの桜に視線を向ける。
「いい眺めです。いつも、花見というと神社ですが」
「ここからでも見えるから、たまにはね。まして今日は満月だもの」
「ええ、本当に綺麗です」
そう呟いて息を吐く。この季節の夜はまだ少し冷える。少しばかり息は白かった。
花見と月見を今日は同時に行おうというのだった。全く贅沢な話である。今日の目的はもう一つあるのだが、とにかくも贅沢な眺めだった。
外ではこういう光景も中々見られまい、と思っている。完全な月明かりだけの中で、桜を眺めるというのはそれだけで心が躍った。
まあきっと、心が躍るのは、自分が人間でないことも含めて、なのだろうけれども。
「冷えるわね」
レミリアはそう小さく呟いて、羽織の中に身を滑り込ませてきた。身体は少し冷たかった。
「これは、気が利かず」
「全くだわ」
レミリアはそう言いつつも楽しそうだった。羽織の前を合わせて、彼に身体を預けてくる。
温めるように、腕を前に回す。よろしいとレミリアは言った。機嫌は悪くないようで少しほっとする。
「ああ」
暫くそうして彼に身を預けるままになっていたレミリアが声を上げた。何事か、と思う前に、そっと片手を空に向ける。
「月が欠けるわよ」
「ああ、はい」
今日の月見の目的はそうだった。皆既月食。月が欠ける夜に桜見をするいうのもまた一興、ということだった。
腕の中のレミリアは赤く欠けていく月を眺めている。青年はそのレミリアに視線を落とした後、同じように月を見上げた。
月が陰る。月が見えなくなっていくのが何となく、何となく――
「怖いの?」
レミリアに言われて、自分が強くレミリアを抱きしめていたことに気がついた。
「ああ……意識はしてなかったのですが」
そうかもしれません、と、青年は素直に認めた。何が怖かったのかよくわからない。けれども、月が欠けるのが何故かどこか怖いような気がしたのだ。
「私は此処にいるわ」
「はい」
青年の手に頬を寄せて、レミリアは微笑む。彼の子供っぽい様子を楽しむような様子だった。けれどもそうして頬を寄せるレミリアの仕草もまた、外見年齢相応に見えた。
その行動に、寄せられるだけでなく、青年もレミリアの頬を撫でた。くすぐったそうな表情をして、レミリアは目を細める。
「此処に」
「ええ」
レミリアはそっと顔を近付けるように背伸びした。青年はそれに応じる。身体を屈めて少しだけ口唇を触れさせる。
「よろしい」
満足そうに言ったレミリアは、背伸びをやめてまた月を見上げた。青年もそれに倣った。月はまだ欠けていく途中だった。
もう青年にそれは怖いものとは映らなかった。永遠の紅い月は、陰ることはないのだから。
羽織の中の温もりを少しだけ寄せて、二人は月を見上げている。
その背後のテーブルでは、呆れた表情のパチュリーが咲夜に茶を用意してもらいながら、その様子と月食を眺めている。
「私達もいるんだけどね」
「まあ、しばらくはあのままで」
咲夜はそうくすりと笑って、紅く変わった月を同じように見上げた。直に、月はいつもの姿を取り戻すのだろう。
パチュリーは頷いて、咲夜と共にそれを待つことにした。普段通りに戻った親友を、どうからかってやろうかと考えているようだった。
うpろだ0036
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随分涼しくなった、と誰かが呟いた。
紅魔館から働きに来ている青年も全く同感だった。空は高くなっている。
複数人で、里の補修のための資材の運搬をしているところだった。
「もう刈り入れの季節になりますかねえ」
「だなあ。そうなると里中の手がちょい足りなくなるか」
「だからこそ僕もお仕事できるわけですが。あ、この木材こちらでいいです?」
よろしく、という声を背に木材を抱え上げ、指定された場所に置いていく。
秋になれば野分も増える。その前に補修すべきものは多い。
畑や田圃などの水に関わることは出来ないが、こうした力仕事は青年の割り当てであり、得意分野だった。
得意になってしまったともいう。もう、こちらに来て人を辞めて随分経つからだ。
「兄ちゃん、休憩だぞー」
「あ、はい、行きます」
木材を積んで固定した後、昼休憩に入った作業員達の中に彼も混じった。
秋口になれば、もう日の落ちるのも早い。これからどんどん夜が長くなるのだろう。いや、夜が長い方が彼の主にとってもいろいろと都合はよいのだが。
仕事が終わった後、その夕日が照らす里の中を青年はふらふらと店を見て回っている。
人里で妖怪が歩き回るというのは珍しいことではないし、外見が人間と変わらなければ大概見逃されるものだ。第一陽の光の中でゆったりと歩いている者が吸血鬼だなどと誰も思わない。
「やあ、兄ちゃん、帰りかい」
「ああ、ええ。今日はもう上がりでして」
「じゃあちょっと買ってかないかい。お土産にどうかね」
声をかけてきたのは、顔なじみの甘味屋の女将だった。彼自身が甘いものが好きなこと、彼の主であり恋人であるレミリア・スカーレットが甘いものを好むことで、よく土産に買って帰るのだ。
その関係で、よく顔を合わせる甘味屋は多い。この女将もそうした知り合いだった。
「そうですね、何かあります?」
「もうぼちぼち甘藷が出回ってるからね、茶巾絞りなんてどうだい」
「茶巾ですか」
女将が勧めてくれたのを見れば、どうやらできあがったばかりらしい茶巾絞りが並んでいた。甘く、心地よい香りが花をくすぐる。
「ちょっと早いけどね。味は保証するよ」
「ああ、ではこれだけ包んでいただけますか」
はいよ、と女将が茶巾絞りを包んでいく。それを待ちながら、夕暮れの里を眺める。
ぼちぼち閉まっていく店も、これからが本番だという店もある。人と妖の間で商売する者達にとっては、時間が多少遅くなっても構わないのだろう。
ぼんやりとしていると、再び声をかけられた。
「はい、出来たよ」
「ありがとうございます」
代金を払い、出来上がったばかりの茶巾を手にして、再び里中を歩き出す。ついでに茶でも見ていくかと思ったが、その辺りは咲夜なり美鈴なりに相談した方が早いと気が付いてやめた。
やめて正解だった。里の出入り口の付近で買い出しに来ていたらしい咲夜と行き合ったからだった。
「あら、お疲れさま」
「お疲れさまです、咲夜さん。ああ、荷物持ちます」
大きめの荷物を受け取った後、つぶれそうだったので茶巾の入った包みだけ咲夜にお願いした。咲夜は少し首を傾げて、ああ、と頷いた。
「茶巾絞りね? もう甘藷は出回っているのかしら」
「少し早めのようですが」
なるほど、と頷いて、咲夜は思考を巡らせるように宙を見上げた。
「……美鈴に何かお茶をお願いしようかしら」
「紅茶よりはそちらですよね」
「そうと決まったら早めに帰りましょうか。お嬢様がお目覚めになってしまうわ」
「はい」
一つ頷いて、紅魔館への帰路に足を進める。
「ただいま戻りました」
「おかえりなさい」
起きたレミリアを迎えに行く仕事は、今日は彼に振られていた。
ここのところ仕事で中々時間が合っていないから、という咲夜の配慮であった。まことにありがたいことだと思う。
「貴方が迎えに来てくれるのは久々ね」
「すみません。夏の終わりから秋にかけてはどうしても」
「わかってるわ。許可してるのは私だもの」
ベッドの上で手を伸ばして、レミリアは彼を呼んだ。
呼ばれるままに側によって、着替えを手伝い始める。その途中、不意にレミリアが少し顔を寄せてきた。
「……何か、匂いがするわ」
「あれ、汗は流してきたんですが」
「そういうのじゃなくて、甘い香り?」
「ああ、和菓子を買ってきたのでそれかもですね。台所にも寄ってきたもので」
流石に、その香りは自分ではわからない。レミリアは楽しそうな表情をして、首を傾げた。
「じゃあ、今日はそれかしら?」
「ええ。お茶も菓子に合うように、と」
「そうね、趣向としては気に入ったわ」
そう微笑んで、レミリアは青年の袖をちょいと引いた。どうしたのか、と思う間もなく、レミリアに抱きしめられる。
胸元に顔を埋めて、レミリアは囁くように言った。
「もう少し、香りを楽しんでいって良いかしら?」
「……構いませんけど、お茶が冷めてしまいますよ?」
返しながら、レミリアの背に手を回す。流石にこうした甘え方をしてくるのは、二人きりの時だけだ。
「咲夜が調整してくれるわよ。それに少しだけだもの」
「はい」
レミリアがそう言うならば、彼には止める理由などない。最近は、少し活動時間がずれることも珍しくなかった。こうして甘えられるのも悪くない。
しばらくレミリアのしたいように、抱きしめられるがままになることにした。
四半刻ほどの後、レミリアと青年はティールームに向かって廊下を歩いていた。
「あまり待たせても悪いものね。パチェも呼んでるんでしょう?」
「ええ、おそらく」
少しばかり残念な思いもないわけではない。だがまあ、レミリアの言うことも道理だった。
それに長く待たせたらそれはそれでまた呆れられるのも目に見えている。
呆れられてもそちらは気にはしないのだが、待たせることに関してはやはり申し訳なさがある。
レミリアがふと立ち止まった。薄い月の光が、夜になってカーテンが開けられた窓から差し込んでいる。
「細いけど、良い月ね」
「ええ。後で散歩に行きますか? 随分涼しくなって過ごしやすいですよ」
「じゃあ、お茶の後はそうしましょう」
そう、嬉しそうなレミリアに腕を引かれた。
「それでデートの約束していたと」
「そういうわけじゃないけど」
「同じようなものでしょう」
どのみちパチュリーには呆れられてしまった。青年は礼儀正しく沈黙を守っている。
茶巾絞りは甘かった。その分、しっとりとした渋みを持った茶が美味しい。中国茶のようだが一体何だろうか。後で聞いてみることにしよう。
現実逃避にも思えなくはないが、親友同士の会話に水を差すのは野暮というものだ。大人しく二人の会話を聞いていることにする。
「直に月見はするけどね。まあ、こういうのもいいかなって」
「まあ、確かにね。季節が変転する時期だからいろいろ魔力の流れも変わるし、気晴らしにはいいんじゃない?」
「別に気が塞いでたわけじゃないけど」
「暇にはしてたでしょう?」
パチュリーのからかうような言葉に、僅かに不機嫌そうにレミリアはふいと顔を逸らす。
「ということで、レミィの暇を適度に潰してあげなさいな」
「ここで僕に振りますか」
「黙っているのは正解だけど、それだとイニシアティブはこちらよ」
額をかいて、それは何とも、と意味のない言葉を返す。
おそらくレミリアが暇していたときはパチュリーのところに行っていたのだろうから、その分も含めた言葉なのだろう。
「まあ、それではご期待に応えられるよう頑張りましょうか」
「だそうよ、レミィ?」
「……まあ、それならいいかな」
レミリアは崩していた機嫌を直したように、微かに笑った。
その後しばし歓談した後、レミリアは席を立って親友に断りを入れた。
「じゃあ、行ってくるわ」
「行ってらっしゃい」
ティールームを出たレミリアに続いて廊下に出て、咲夜から念のための日傘を受け取った。
「よろしくね」
「はい」
咲夜の言葉に頷いて、そういえば前にもこんなことがあったなと思いながら、レミリアと並んで館の外に出る。
心地よい風が吹く中、秋の夜空を見上げた。細い月と星が瞬いている。良い夜だ。
「さ、エスコートをよろしくね」
隣で楽しげなレミリアに、一つ頷いて手を差し出す。
よろしい、という微笑む様子を、可愛らしく、愛しく、思った。
さあ、どこに行こうか。
まだ賑やかだろう里の近くまで出るのも良いし、少し足を伸ばして、広い場所で空を眺めるのも良い。
きっと二人でいれば、どこでも素敵な夜になるだろう。
うpろだ0044
───────────────────────────────────
雪が降り続いている。冬は幻想郷自体が白く閉ざされてしまう期間だった。
無論それでも日々の営みが完全に止まるわけではないが、どうしても制限されるところは多い。
それは霧の湖の湖畔にある紅い館とて、変わるものではない。
「暇ね」
館の主、レミリア・スカーレットは、窓の外を見ながらそう呟いた。
「どうにも退屈にはなりますね、こう雪が続きますと」
青年も珍しくそう困ったように笑って応じる。紅魔館には似つかわしくない将棋の駒を手にしていた。秋頃に手に入れて、たまにそれで詰め将棋などをして遊んでいるのだった。
「貴方はずっとパズルをやってて楽しそうだけど」
「まあ確かにこれはこれで楽しいですが。チェスでもあるでしょう、ええと」
「チェス・プロブレム? まあそうだけど、一人で延々とやるのはつまらないわ」
要するに、盤にばかり向かっていないで構えということか、と青年は理解した。
「これは、失礼しました」
「わかればいいの」
窓際から身体を離して、レミリアは盤を片付けた青年の膝の上に収まる。
窓の側にいたからか、少し冷えたその身体を抱きしめる。ありがと、と少し甘い声でレミリアは応えた。
心地よさそうに目を細めていたが、それだけではどうやら足りないらしい。
「とはいえ、何か暇つぶしの遊び道具がほしいわね」
「ううん、里に何か売ってますかね」
青年はそう首を傾げた。いまいち思いつかない。本を読む、というのがせいぜいだ。
「外の式使ったものも、地味に最近増えてきてるらしいけど……」
「里ではそうでもないですが、そういえば妖怪の中では結構回ってきてますよねゲームとかの娯楽。電気の供給も大きいのかもですが」
「地底だとそういうのもっとあるのかしら。今度さとり辺りに聞いてみましょうか」
地底の友人の名前を呟いて、レミリアはうんうんと頷いた。
「核融合の要のお空さんが地底ですしね。後は守矢神社ですか」
発電を担っているのは、霊烏路空の能力に依るところが大きい、らしい。
この辺りはどうにも伝聞でしかないのだが、そのためか、地底の方が電力を回されているらしいとも聞く。
無論、発電自体の管理をしている守矢神社も同様だ。
「神のところに行くのは何か癪ねえ」
「神社なら霊夢さんのところにも行ってるじゃないですか。しかし後となると」
行きやすい場所は、と青年は思考を回す。レミリアも同じように何かを考え始めた。
暫くして、レミリアがぽつりと考えを漏らす。
「古道具屋とかはどうかしら」
「ああー、香霖さんのところならあるかもですね」
「じゃあ、丁度雪も小降りになったことだし行ってみましょうか」
機嫌良く応えて、レミリアは青年の腕の中からすり抜ける。
若干名残惜しくも感じながら、それでは準備しましょう、と青年も応じた。
香霖堂に入って、レミリアは青年と顔を見合わせて目を瞬かせた。いらっしゃい、と店の奥から聞こえてきた声に、レミリアが応じる。
「どうも、店主。大量仕入れでもしたの?」
「そのつもりはなかったんだが、いつの間にかね」
香霖堂の店主、森近霖之助が奥から出てくる。店内に比べて、いつもと変わらない様子だった。
店はストーブが常備されていることもあって暖かい。その暖気の中を歩き回りながら、青年は首を傾げた。
「見たことないものが多いですね」
彼が示しているのは、大量に棚に並べられたボードゲームだった。
馴染みの深い人生ゲームなどから、外国語で書かれたものもたくさん置かれている。
「この時期はあまり物は増えないはずなのだけどね」
「本当にいろいろ入ってきてますね。ああ、でも丁度よかった」
「何かお探しかな」
「ちょっと遊び道具を。ここまでボードゲームが揃ってるとは思いませんでしたが」
「店主、ちょっと見ていっていい?」
レミリアの問いに、どうぞと返して霖之助は帳場に座った。何かしら買って行くものだと思われているらしい。
確かにそれは間違いないだろう。レミリアは興味津々にボードゲームを眺めている。
「こんなにあると大変じゃないの? そもそも広い店でもないし。この冬?」
「冬になる頃にどっと入ってきてね。とはいえ、売れ行きも上々だからとんとんかな」
霖之助はそう返しながら、軽く苦笑していた。それでもだいぶ場所には難儀したのだろう。
「暇な奴は多い、ということかしら。ええと、あれは何かしら」
「ええと……駄目です、読めない」
レミリアが指したものを取り出して見たものの、英語ですらない言語が並んでいる。
これがドイツ語で作られていることはわかるのだが、その程度しかわからないようでは説明書を読むなど覚束ないだろう。
「見せて見せて。んー……資源使って点数貯めて、十点になったら勝ちね」
「……もう少し言語の勉強もした方がいいでしょうか、僕」
「そうね、パチェの蔵書はこの程度じゃないし」
レミリアはくすりと微笑い、霖之助に向かって告げた。彼女自身が調べていたゲームも手にしている。
「在庫在るならこれとこれ、後これも欲しいんだけど」
「いいよ、どうにも多くて逆に場所を取ってしまっていてね。お買い上げいただけると助かる」
「魔理沙辺りとか持って行かないの?」
「ここで霊夢と遊ぶだけ遊ぶんだがね。生憎場所は取ったままさ」
軽く肩を竦めた店主に、それは残念ね、と返してレミリアは笑った。
楽しそうに上下する羽を見ながら、レミリアが求めたゲームを手に取っていく。随分な量だ。
「では、帰ったらみなさんで遊びましょうか」
「そうね。店主、包んで頂戴」
レミリアは上機嫌にそう、香霖堂の店主に求めた。
紅魔館に帰った後はまた雪になった。酷くなる前に帰れてよかったというべきか。
この状態では門を守るのもあまり意味がないだろう、ということで、レミリアは美鈴を呼び戻している。
内心としては、ゲームをするメンバーを増やしたかった、というのもあるが。
ともかく、暖炉のある談話室に集まって、買ってきたゲームを順に開けながらみなで遊んでいる。
「あ、はーい、それ私カウンター!」
「あああ、また減点です……」
「フランの手札が強いわね……」
少し困ったように羽をへにょと下げる小悪魔と、悩みながらカードを選ぶパチュリー。
レミリアが強引に連れてきたものの、二人ともそれなりに楽しんでいるようだった。
「それでは私もこれで。咲夜さんはそれでターン終わりですか?」
「ええ」
美鈴が咲夜にそう促す声を聞きながら、レミリアは紅茶を手にそれを眺めていた。
参加していない青年もまた、テーブルを眺められる位置の、少しゲームテーブルから離れた椅子に座ってゲームを見ている。
空になったカップを置いて、レミリアは青年のソファに近付く。
「楽しそうね」
「ええ、見ているのも中々楽しいものです」
青年はそう笑った。先ほどまでは彼もゲームをしていたのだが、今は休憩時間だった。確かに、少し離れて眺めるのも楽しい。
「一巡りするだけで随分遊べそうですね」
「物足りなくなったらまた買いに行けばいいわ」
そう言いながら、青年の腕の中に収まる。彼はレミリアのしたいようにさせてくれながら頷いた。
「ルール把握が大変そうですが。でも勉強にもなって楽しいものです」
「それならよかったわ」
楽しそうに青年の姿を見るのは嬉しくて、レミリアも頬を綻ばせる。
「ま、これだけあれば梅雨でも遊べるしね」
「外に出れないときは多いですからね」
「いろいろ暇潰しはあるけれど、多くて困ることはないわ」
青年の頬に頬を寄せて、ゲームの邪魔にならないよう囁くような声でレミリアは告げる。
彼も笑って頷いた。そして、少し冗談のような口調で応える。
「何で遊ぶか迷ってしまいそうですけどね」
「それなら片端から遊んでいけばいいわ。ね、貴方はそれに付き合ってくれるんでしょう?」
「それは勿論」
くすくすと笑い合っていると、呆れたような声がゲームをしているテーブルからかけられた。
「レミィ、そこでいちゃついててもいいけど、こっちワンゲーム終わったわよ」
「あ、じゃあ次私やる。さ、貴方も」
はい、と身体を離したレミリアに手を引かれるままに、青年もゲームに加わる。
もう一回やる! と言っているフランドールと、それに付き合った美鈴が残留して、咲夜と小悪魔がお茶と菓子の追加にかかった。
もう今宵は遊び倒してしまおう、とレミリアは思っている。こうして、みなで遊ぶ時間は楽しいものだ。
ふと窓の外を見れば、やはりまだ雪は降り注いでいた。今年は後どれだけ降るだろうか。
とはいえ、少なくとも退屈はあまりしないで済みそうだ、と思う。
「お姉様の番よ」
「ああ、ごめんなさい」
視線をゲームに戻してカードを引き、自分の手番を始める。
こうして過ごせる間は、きっと何も退屈しない。そう思いながら、妨害の目的を持ったカードを場に出す。
「……そのカード来ますか」
「何か手はある?」
「す、少し待ってください……」
真剣に悩む青年にちらりと笑って、他の面々の対応も眺める。
フランドールは楽しそうにカードを選び、美鈴は首を傾げながらカードを見つめている。
パチュリーは本をめくりながらこちらをたまに眺め、咲夜と小悪魔はそれぞれの手元に茶と茶菓子を用意している。
その光景が何故だか嬉しくて、目を細めた。
「ではこれで。レミリアさん、何か嬉しそうですね」
「ええ、そうね」
青年の言葉に応えて、また口の端に笑みを浮かべる。彼が気が付いてくれたことも、何となく嬉しかった。
そう、こういう時間を持てるのは、きっと幸いなことで、それが何より楽しいのだと。
レミリアは咲夜の淹れてくれた紅茶のカップを手にしながら、そう心に小さく呟いていた。
うpろだ0061
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最終更新:2016年12月29日 02:55