それはずっとずっと過去の話。

小さな吸血鬼と、迷い込んだ自称執事の、頭の痛くなるような、それでいてちょっと甘いお話。





――――――アナタだれ?



――――――執事ですが。



――――――いやいや。そんなこと聞いてんじゃなくて、どうしてここにいるのかってこと。



――――――執事だからです。



――――――意味わかんない! つーか出ていってよ! 勝手に部屋に入ってくんな!



――――――執事ですから無理っす。



――――――敬う気ゼロだよね……はぁ。もういいや。名前はなんていうの?



――――――執事です。



――――――よし表に出ろぶっとばす。







君との出会いはこんな感じで。
決して友好的ではなかったと俺は思う。


アナタとの出会いはこうだったっけ。
でも確か、あんまり好きじゃなかったような気がする。


それでも諦めなかったよ。
どんなに痛めつけられても、嫌がれても、拒否されても、


それでもアナタは諦めなくて。
どんなに痛めつけても、嫌がっても、拒否しても、



綺麗な髪と、宝石みたいな両目、不機嫌そうに歪めた表情でも、
俺は君の笑顔が知りたくて、必死に馬鹿なことをやったよな。


馬鹿みたいに笑って、馬鹿みたいに泣いて、馬鹿みたいに微笑んで、
構わないでと言ったら、わかったみたいにぎゅっとしがみ付いてくる。


簡単なことで君は笑ってくれていた。
だから信じて欲しい。その顔を、俺はずっとずっと作り続ける。


嬉しいとは言わなかったけれど、絶対にアナタは気付いていたよね。
わたしも敢えて言わなかったけれど。


それだけで俺は、十分だった。


私はそれだけじゃ、不十分だった。







「グッドモーニング、フランドール様」

「……はよ」

「朝食の準備ができてますので、着替えた後に召し上がりますか?」

「……朝っぱらから超ウザいんだけど。何そのテンション」

「ふっふっふ。今日はとても良いことがあったんですよ!
 知りたいですか? 知りたいですよね? よし言いましょう!」

「え、何も言ってないんだけど? アンタ頭可笑しいんじゃないの?」

「いやいやいや、フランドール様には負けますよー」

「え、なにその謙遜。激しくむかつく」

「いえ、ね? 俺が言ったのは中身じゃない頭の方です」

「???」

「どうせ髪の毛濡れたまま寝たでしょう。寝癖、凄いですよ?」

「え、うそ!」

「ええ嘘です」

「死ね」

「イヤですよ。何言ってんですかこの幼女」

「主人に向かって何たる口のきき方……いやもう解雇処分だよ絶対。クビクビ!」

「蚕勝負? なんですかその斬新なム○キング。糸吐くだけですよ? 勝敗つかなくない?」

「幻想入りしてないゲームネタ口にするな。それとさらっとため口言うのやめろ!」

「ああ、それとも朝食前のシャワーの方がよろしかったでしょうか?」

「流すな! それと何でシャワーなんだよ! 朝から主人虐めて楽しいか!?」

「シャワーだけに流すな、とか。俺の主人マジ天才だわ。土下座させて良いですか?」

「別に狙って言ってないから!
 しかも土下座するのわたしっ!? 何でだよ! お前がしろよ! 跪けよ!」

「ヤダよバーカ」

「バカって言ったな今!?」

「さて。それよりも早く朝食をとってください。せっかくの料理が冷めてしまいます」

「スルーかよ!」

「いらないんですか?」

「食べる! もうっ……」


本当に、この執事は、もう。
溜息を吐きつつも、ベッドまで運ばれてくる朝食にちょっとだけ浮かれてしまう。
この執事は無駄に料理が上手いのだ。
いや、料理だけじゃなくて、裁縫も洗濯も掃除もそれはもう無駄に器用にこなす。
下手したら咲夜より……いやいや。それは言いすぎかも。

屈託なく笑うその顔。背はそれなり、体格も普通。顔もまあまあ。


これが、わたしの執事。


つい最近やってきた、紅魔館の唯一の執事。

名前は知らない。
だからわたしは、彼のことをセバスと呼んでいる。
だって他に呼び方がないのだ。仕方ないだろう。
最初はお姉さまがそう呼んでいたから、いつの間にか館の全員がそう呼んでいる。

神出鬼没。正体不明。唯我独尊。


そんなめちゃくちゃな奴だけど。わたしの執事。





「あ、ちなみにさっきの良いことがあったって話、今日割った一つの卵の卵黄が三つだったって話です

から」

「しょぼっ!」


熱々のプレーンオムレツを食べつつ、でも地味に凄いかもしれないと思いなおした今日の朝だった。





「ところで今日は何をしましょうか?」

「そうね……なんかある?」

「何か、と言われましても、いろいろありますが」

「例えばー?」

「トランプ、UNO、ギャ○、遊○王、」

「ちょっと待て。なんで全部カードものなのよ?」

「嫌いですか?
 ご自分だってスペルカードとか使ってるくせに」

「皮肉は止めなさい。
 別にカードゲームは嫌いじゃないけどさ……で、何で遊ぶの?」

「できればフランドールお嬢様で遊びたいですね」

「主で遊ぶ執事がどこにいるか。しかも若干卑猥」

「ではUNOにしましょう」

「では、のくだりがわかんない。
 よりによってそれっすか。でもなんでギャ○とかあるのよ。外の世界から流れてきたものでしょ?」

「レミリアお嬢様とご一緒にやることが多いんですよ」

「俗に落ちたよね、お姉さまって。この前も外の世界の漫画読み耽ってたし」

「読むのはよろしいのですが、ときおり漫画の台詞をそのままパクってドヤ顔で言ってくるのはやめっ

てほしいですね」

「相手するのが面倒臭いなら素直にファックユーって言えば?」

「フランドールお嬢様も結構いい性格してますよね」

「誉めてないよね、ソレ」

「可愛いですよ?」

「とってつけたようなその台詞がさらにイラッとすることにいい加減気付いてよ」

「じゃあ早速UNOしましょうか。あ、俺がD4全部持ってていいですか?」

「積極的にイカサマしようとするな! つーか最後が絵柄上がりって駄目じゃなかったっけ」

「え……困りましたね。このUNO、数字が一枚もないんですけど」

「は?」

「しかも全部D4」

「それは間違いなく不良品だから返してきて。今すぐ。
 D4だけで、一体どんなUNOやろうとしてたのよアナタ……」

「出すたびに四枚引いて色を変えるゲームになるんじゃないですか?」

「四枚引いてちゃ永遠に上がれないから。山札が尽きちゃうって」

「マジ永久機関。まるでこの世の中のようですよね……」

「意味分かんないこと言って締めくくろうとすんな!」

「まあまあ。とりあえずやりましょうよ」

「えー。まあいいけどさ……」






「はい、これで配り終わりましたね」

「うん。っていうかホントに全部D4だけなんだね。
 じゃあどっちが先攻? ここは公平にじゃんけんで、」

「いえ。ここはお嬢様が決定してくださって結構ですよ」

「は……? え、いいの?」

「ええ。何せ俺、執事ですから。お嬢様の決定が俺の決定です」

「……うわ、なんか久々にじーんときたよ。凄い忠誠心溢れる台詞を聞いちゃった。
 明日グングニルとか振らないかな。心配になってきたんだけど、どうしてくれるのよ」

「パチュリー様にお願いすればリアルに酸性雨くらい余裕じゃないでしょうか」

「やめてよ環境破壊。
 まあいいわ。じゃあ私が先攻で!」

「どうぞどうぞ」

「それじゃあ……」



吸血鬼 → D4×7枚



「ほらほら早速引きな! ドーンと28枚引いちゃいな!」

「ほうほう。なかなかの鬼畜っぷりですね。さすが最終鬼畜」

「どこの歌だよ。まあいいや。ちゃっちゃと引いてよ。そしたらわたしの勝ちだよね!」

「いや。それは無理ですね」

「え?」



執事 → D4×7枚



「D4が同じ枚数あれば返せるんですよ?」

「しまったー!! そうだったー!!」

「ふん、雑魚が」

「は、雑魚!? 今お嬢様に向かって雑魚と言ったな!?」

「いいから引けよ、56枚」

「UNOの枚数越えてるじゃんソレ。引けないよ、無理だよ。そして普通にタメ口だよねアナタ!」

「雑魚にはちょうどいいくらいじゃね?」

「ぐぐぐ、雑魚雑魚と調子に乗って……じゃあ次!
 セカンドバトル! ハリーアップ、ハリーアップ!!」

「ふむ。まあいいでしょう。して、次は俺が先攻ですか?」

「あったりまえでしょ! どう考えても後攻が有利な勝負に、どうして先攻を選ぶのよ」

「さっきの吸血鬼は嬉々として選んでましたが」

「知らないわよそんな吸血鬼」

「おやおや。随分と可愛らしかった吸血鬼の御嬢さんでしたが、フランドール様ではないと?」

「ごめん、やっぱそれわたしだわ」

「はいはい。それじゃ遠慮なく――――」



執事 → D4



「え? 一枚だけ?」

「ええ」

「む。何を考えてるか知らないけど……それならこっちもこうよ!」



吸血鬼 → D4



「さあ、次は何枚!?」

「いえ? 普通に取りますが」

「は?」

「さてさて。1、2、3……8と。
 これで手札が増えてしまいましたね……どうしたものか」

「え、何その薄ら笑い。不気味すぎるんですけど」

「文章では伝わりにくいですよね。まあそれはともかく、今度はそちらが先ですよ?」

「……あ」

「さあさあ、とっとと出して下さい(ニヤリ」

「は、図ったね!? お姉さまにも図られたことないのに!」

「フランドール様も十分外の世界に毒されてますよ。さあ、出して下さい」

「う、うううう」



吸血鬼 → D4



「はい」



執事 → D4



「うううう」



吸血鬼 → D4



「おやおや、そのペースで大丈夫ですか? それならこうしましょう」



執事 → D4×4枚



「えええ!? ちょ、せこっ!」

「これで四枚以上しか出せません。さて、残りの枚数は四枚ですよねぇ。どうします?」

「う、ううううううう」



吸血鬼 →D4×4枚



「逃げずに出したことは誉めてあげましょう。ですが……」



執事 →D4×9枚



「無謀というものですよ」

「う、うわぁああぁぁああああん!!」




思わずカードをばらまいて、逃げ出した。

本当に、わたしの執事はいじわるだ!

──────────────────────────



理解できないことって多い。

そう考えることが多くなった気がする。

ずっと一緒にいて。

いつもそっと傍にいる。

だけどわからないのは、アナタの考えていること。

どうして、とか。

何故、とか。

考えることが多すぎて。

わたしがアナタに対して理解できることなんてあっただろうか。



















さわやかな夕方。
私の起きる時間に、彼はいつも定時でやってくる。


「おはようございますお嬢様」

「ん……」


いつも通りの時間帯。
日も差さないこの部屋に、アナタは音もなくやってくる。
瞼を開ければ、そこにいたのは燕尾服のセバスだった。


「今宵はよく眠れましたか? 枕を新調したので、ご感想を頂きたいのですが」


そういえばそうだったっけ。


「……まあまあかしら」


ちなみにこの感想は建前。
本当は結構ぐっすり眠れたから、今までのよりずっといいんだけど。
そんなこと言って調子に乗られるのも癪だから、絶対に言わない。
けど、さっきみたいにひねくれたことを言っても、このセバスは絶対に渋面なんか見せない。


「左様ですか。ならば今度はもっとぴったりなのを探してきましょう。
 先月辺り、人里に新しい家具屋ができたようなので買出しがてら、店内を見てきます」


ほらこれだ。
笑顔なんて張りつけちゃってまー、憎たらしい。


「ところで俺、思ったんですけど」


この執事はなんだ唐突に。
まあいつものことなんだけどさー。


「なによ起きぬけに」

「おはようございます、って挨拶があるじゃないですか。
 あれって『朝』だから『おはようございます』ですよね。
 でもフランドール様が起きるのって、朝じゃなくて夕方ですよね」


んん?
何を当たり前なことを。


「だから真に正しい挨拶はきっと、『こんばんわ』だと思うんですよ」

「ま、わからないでもないけどさ……それがなに?」

「でもでも、永遠の眠りから主を起こす時ってやっぱり『おはようございます』が正しいかと、俺は思います」

「つーか、永遠の眠りから覚まさせられるわたしの執事が凄い。
 普通に睡眠っていえよ」

「こら。真面目な話してるんで茶化さないでください」

「どっちが茶化してんのよ」

「フランドール様ですが何か」

「毎回毎回そのキメ顔やめてくれる? 朝から不快な気分になるから」

「実はそれこそが俺の狙いです」

「……いつも気になるけど本当にわたしの執事やってんの?
 お姉さまだったら速攻殺してる類いの人種よね、セバス」


本当にお姉さまはよくわからない。
一体何を承知で、こんなわけのわからない人間をわたしのもとに送り込んだのやら。
こんなヤツ、私の能力を使わなくても一瞬で殺せちゃうのにさ。


「はぁ。もういいから、その真面目の話の続きとやらをとっとと喋りなよ。結局何が言いたいの?」

「ああそうでした。
 話は360度戻しますが、」


おいおい。どうやったらそれで戻るんだよセーバースー。


「戻ってない戻ってない。一周してるからソレ」

「では180度?」

「むしろベクトルあったのかさっきの会話……逆走してたんだね、知らなかったよ」

「それは置いといて。挨拶の件に話を戻しますよ。

 寝起きの挨拶は『おはようございます』、しかし夕方の挨拶は『こんばんわ』。
 これではいろいろと障害があります。執事として、けじめをつけなければなりません」

「障害って、大げさな。たかが挨拶でしょ?」

「いえ重大です」


むっ。
いつになく強い口調。
久々にかっこいいかも。口では絶対に言わないけど。


「ほう。例えばどう重大なのさ」

「起こす時の挨拶が二通りもあるんですよ?
 二つという数字は大変よろしくありません。バランスが悪い。
 言霊をご存知ですか? もし二つの言葉を織り交ぜて使った場合、そこには必ずしも意味が生まれます。もしバランスの悪い言葉だとすると、それだけで良くないものを引き寄せる可能性があるのです」

「へぇ。なんかよくわかんないけど詳しいんだね」

「パチュリー様の受け売りですよ」

「ふーん。それでそれで?」

「ええ。そこで考えたのです。
 この世で一番美しい数字は三です。バランスと調和を象徴する数字が三。
 ということは、『おはようございます』『こんばんわ』、そしてもう一つ言葉を作ってしまえばいいのですよフランドール様!」

「な、なんだってー!!」


今日のセバスはちょっと凄い!
いやそれはおかしいとか思ってても言わないけどね!


「で、で? それで、一体どんな言葉を作ったのかしら?」

「ほう。既に俺が新しい言葉を作っている事すらお見通しですか。流石は我がフランドール様です」

「その言い方だとわたしがアナタの所有物みたいね」

「イヤですか?」

「イヤじゃない―――はずがないです」

「ややこしい日本語使わないでください。しかも何で敬語なんですか?」

「いいから。そんなこといいからとっとと新しい三番目の挨拶を言え!」

「素直じゃないなぁホントー。素直に好きって言えばいいのにー」

「素直じゃなくて結構だよ……はぁ」

「惚れました?」

「今のどこに惚れる要素があった!?」

「むしろどこになかったんですか!」

「逆切れかよ」


自意識過剰も甚だしいなセバス。
結局その後も、セバスはその第三の言葉について話すことはなかった。
多分明日起こす時にでも使ってくるんだろーなーと頭で考えつつ、セバスの用意した無駄に豪華な朝食をとることにした。


「ほうひえばへばす」

「口に物を入れたまま喋るのはやめましょうね。はしたないですよ」


熱々にボイルしたソーセージを飲み込めというのか。
鬼畜だなこの執事。
まあやるけどさ。
っごくん。


「そういえばセバス、今日はどうするの?」

「まずはお勉強からですよ」

「えー」

「お嬢様たるもの、常に自分を磨くことから始めなければ……そうすることでより一層美しいレディになれるのです」

「セバスが言うとうすんくさいし、ちょっとエロいよね」

「まあ適当ですし」

「テキトーかよ」

「良い言葉ですよね、適当。あれって本当は良い意味なんですよ、知ってました?」

「たしかいい加減って意味じゃなかったっけ」

「それはフランドール様のいうテキトーですよ。
 適当は本来、適切なようにやれ、という意味です。つまり自分の中で一番だと思うようにやれという意味合いですよ」

「へぇー。知らなかった」


たまにこうして知識を披露してくれるからセバスは面白い。
外の世界のこともについても、いろいろと知っている彼は、よく話をしてくれる。
……さっきから誉めているのかけなしているのか、わかんなくなっちゃった。
結論、この執事はめんどくさいでファイナルアンサー。


「ちなみに今日はなんの勉強すんのよ?」

「予定としましては、人里の歴史について学んでもらおうかと思っています」

「歴史ぃ? アンタ、外の世界からやってきたんでしょ?
 幻想郷に来て間もない癖に、なんでそんなこと知ってんの?」


セバスは外の世界出身……らしい。
らしいというのは、それ以外知らないのだ。
それは良いとしても、流石に外の世界出身の人間に、幻想郷について語られても困る。
役目としてはパチュリーの方が向いてるでしょ。
毎日呆れるほど本読んでいるんだし。
セバスは頷きつつ、相変わらずの嘘くさい笑顔をした。


「たしかに俺の知識は微々たるものです。
 本来ならパチュリー様にお願いするところですが、今日は先約があるようなのでリザーブできませんでした」

「先約?」

「なにやら、新しい魔法を試されるみたいで。素人の俺にはよくわかりません」

「わかったら結構凄いどころじゃないけどね」

「仰る通り。ですので、今日は俺が講師をします。
 少なくとも495年引きこもっていたフランドール様よりは詳しいですよ」

「言い切ったねーセバス。なら教えて貰おうかしら。
 時間は二刻後で。図書館は多分パチュリーの邪魔になるから、わたしの部屋でいいわね」

「御意に。それでは二刻後に再び失礼します」


ま、期待はしないでおこう。
多分付け焼刃の知識しか持ってないだろうし。





















と思っていたわたしが馬鹿でした。


「アナタ本当に人間?」

「DNAでは間違いなく人科ですよ、お嬢様」


教科書を広げ、似合わない銀縁眼鏡(伊達)をつけたセバスは、そう言って肩を竦めた。
っていうかなんだコイツ。
普通にわたしより幻想郷に詳しいんだけど。
出される言葉、知識、なにもかも付け焼刃のものじゃない。
わたしの質問に対しても間髪いれずに返してくる。
一体なんだコイツ。
辞書でも内蔵してんのか?
ちなみに教科書は人里から借りたものらしい。結構作りこんでいて、全体的にわかりやすいが抜けているところもある。
この執事は、その抜けている箇所を完璧にアシストしていた。
セバス……お前何者?


「さて。そろそろ食事にしましょうか」

「もう終わり?」

「詰め込み過ぎるのも毒です。それに、遊びたいでしょう?」

「そりゃまーそうだけど」

「でも弾幕ごっこはやめてくださいね」

「あー、なんか最近はやってるよね」


スペルカードルール。
幻想郷で作られた、妖怪と人間が対峙する時に用いられるもの。
詳しいことはわからないけど、命をかけた勝負には違いないみたい。
わたしも遊びで作ってみたけど、本格的に遊んだことはないかなぁ。
でも遊べるのかな?

こんな狭い部屋にずっといるわたしが。

外に出て、弾幕を飛ばせる?

それは、未来永劫やってこない。


「フランドール様?」

「ん」

「お暗い顔をされてますが、何か思うことでも?」

「……何でもないわ」


心配そうなセバスの声。
気が利くのか利かないのか。やれやれ。
暗くなったけれど、気にしたところで解決するものじゃない。


「それじゃセバス、何をするの?」


笑えたか笑えないかわからない状態で、セバスにこう言うことしかできなかった。


──────────────────

F/B 3


ただ一緒に。

共に。

隣に。

並んで歩くだけでもいいから。

手を握ってくれなくても良いから。

抱っこしてくれなくても良いから。

できるだけ、わたしを笑顔にして欲しい。

望んじゃ駄目かな?

でもそうして欲しい。そうあって欲しい。

離れたくないよ。














「おやすみなさいフランドール様」

「……うん」


散々遊んだ日の朝は。
セバスに連れられてベッドに入る瞬間。
このときだけは、セバスが少しだけ優しくなる。
いつもひねくれたことばかり言う口も、無愛想な表情を見せる顔も、
この時間だけ、わたしには、ちょっっとだけ優しくなったと思う。

ねぇ、セバス。


「ねぇ……」

「眠れませんか?」


凄い。的中。
そういえばこのときって、やたらと勘が良いんだよね、アナタって。
ベッドで布団にもぐって、横になったまま、セバスに手を伸ばす。
近くにいるようで、遠く感じる。
まるで月のような人。
それがとても嫌だ。
近くにいて。誰よりも近くに。
一緒に。離れたくない。

だからわたしは呪文を使う。

魔理沙のいう、恋色の魔法。
この呪文だけは、効果てきめんなのだ。


「きて、セバス」

「御意に」


届かないなら、届く距離にきてもらえばいい。

かしこまった口調で、彼は応える。
言葉の後、すぐに月はやってきた。
伸ばした手に触れるように、優しく優しく。

でも、手が届くだけじゃ足りない。


「もっと」

「はい」

「もっと」

「はい」

「もっと……こっちにきて」

「ええ、わかりました」


一体どれだけ言っただろう。いつの間にか彼は、わたしを抱きしめるように布団にもぐってきた。
すかさず両手を腰に回す。温かい。
そしてセバスも、わたしの頭と背中を優しく撫でてくれる。

くすぐったい感触。
それが凄く心地良かった。


「ねぇセバス」

「はい?」

「このまま寝たいな、今日は」

「このまま、ですか」

「うん。無理?」

「うーん」

「難しいかな?」

「そうですね……」

「どうしても?」

「仕事も残ってますから」

「起きた後にやってよ」

「メイド長みたいに時間でも止められたらいいんですけどね」


苦笑し、私を撫でる手は止めずに彼はそう言った。
笑い方が、曖昧すぎて、なんだか不安になる。


「お願い」

「……まったく。わがままな主人ですね」


セバスはそう言いつつも、ちっとも嫌そうな顔じゃなかった。
途端に、するりとわたしの布団から彼は抜け出してしまった。


「セバス?」


堪らず、不安になって声が出てしまった。
離れていくぬくもりが、とても恋しくて、遠くにいってしまった。
彼はそんなわたしを宥めるように声をかけてくれた。


「流石に燕尾服では寝られませんから。部屋に戻って寝巻になってきます。
 それまでご容赦ください。我慢できますか?」

「無理」

「即答ですか」

「いいよ、服くらい皺くちゃになっても。どうせセバスは予備持ってるでしょ?」

「もちろん。ですが、そうだとしても寝づらいもんです」

「なら裸になっちゃえばいいじゃない」

「寒いじゃないですか。アホですかフランドール様」

「アホでいいから、離れないで」

「今日はまた……随分と甘えん坊ですね」


少しだけ驚いたように、セバスは目を見開いた。
言外に、なにかあったのか、と彼は問う。


「なんとなく……かな?」

「ふむ。そういえば今夜は新月でしたか。道理で甘えん坊になるわけですね」

「新月?」

「吸血鬼ならば致し方ないですよ。自分の本調子が出ないんですから」

「そうだったんだ」

「部屋から出ないから、今日がどんな日かも忘れがちになるのです。一度でも部屋から出てみては?」

「無理に決まってるでしょう」


お姉さまが決めた。
わたしを、この地下に幽閉するという決断を下したのはお姉さまだ。
ずっとずっとこの部屋で暮らせ。館の外に一歩も出るな。
そうして経った年月は495年。
やがて外に対する憧れは消え、毎日をどう過ごすかを考える日々だった。
いつかは、もしかしたらいつかは出られるのではないかと思っていても。
心の底ではやっぱり無理だなって諦めが入っている。

待つのは疲れたから。

もういいやって、思ってる。


「外なんか出なくても、むかつく執事が一人いるもの。
 退屈しのぎにはなってるわよ」

「至極恐悦です。ところで今の台詞って俺を馬鹿にしてませんでした?」

「まあね。
 むかつく上に腹立たしいし、余計なことばっかり喋るし慕う気もなさそうだし、跪かないし」

「そんなに跪かせたいんですか。Sですね」

「わたしだってMだと思ってたわよ。でもわたしって設定的にSじゃない?」

「また異次元なことを」

「ちなみにセバスはどれ? S? M?」

「俺はどちらかというとLですよ」

「服のサイズの話じゃねぇよ」


アナタちゃんとわたしの話聞いてる?
っていうか話振ったのセバスじゃん。


「さて。長話もアレです。俺もそろそろ戻りますよ」

「アレですか」

「アレですよ」


まったくわかんないけどね。
とにかく新月か。
これは起きるのが大変そうだ。
結局、彼はわたしと一緒に寝てはくれないみたい。
全く融通が利かない奴。
彼の去り際に、声をかけた。


「セバス」

「はい?」

「おやすみ」

「おやすみなさい、フランドール様」


扉を背に、一礼する彼の姿を見て、わたしはようやく眠りに就くことができそうだ。


いや……やっぱり難しいみたい。

目を閉じても、いつもやってくる筈の睡魔は全然来ない。
サボってんのかしら? 真面目に働いて欲しいな、とくに今日は。
そういえば、こういう時って羊を数えると良いんだっけ。
やってみようっと。


「羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹」


言わなくても良いのだろうけど、わたしは思わず口に出してしまう。
口にした方が思い描き易いし、良いよね別にさ。


「羊が四匹、羊が五匹、羊が……」


飽きた。っていうか羊が五匹もいたらうざい。
意味もなく途方もなく、ただ数えるだけなんて不毛すぎるでしょコレ。
最初に考えた人間は本当に暇人だなー。
大体羊がモチーフなのが気に食わないっての。睡眠として取り挙げられる獣が羊だけというものどうなのだ。
犬とか猫とか蝙蝠とかいろいろあるじゃん。そうだ。
セバスを数えてみよう。


「セバスが一匹、セバスが二匹、セバスが三……」


いや駄目だこれ。
あんな変態が何人もいたらこの世は終わる。
一人でもウザいのに、三人もいたらそれはもう、壮絶に駄目だろう。


「流石に三つ子という設定はありませんがね」

「だよねー。もしそうだったら恐怖だよ」


……ん?


「どうしましたフランドール様」

「まってまってまってまってまって!
 何で何事もなかったかのようにわたしの部屋にいるの!? 気配も何もなかったんだけど!?」

「何故と言われましても、ねぇ」

「ちなみに、いつからいたの?」

「羊さんが五匹になったところです」

「なるほど、羊さんが五匹になったところで入ってきたのね」

「それまでは扉の裏側で聞き耳を立ててました」

「全部聞いてんじゃねーかこのクソ執事!!」


何事もなかったかのように、部屋の中の椅子に座っている執事がそこにいた。
聞き耳立てる従者がどこにいんだよこんちくしょー!!


「ところでフランドール様。何故羊なんか数えてたんです?
 まさか良く眠れなかったとか?」

「うっ」


こう言う時だけやけに鋭いなコイツ。しかしまあ、いつもいつもボケボケしてくれる執事だこと。
思わず、さっきまでの暗欝な気持ちが、どっかに行っちゃった。

来てくれた。

アレだけ無理を言ったのに、来てくれた。

そう考えるとなんか、自分のために来てくれた執事が、とても愛おしくなってしまう。
彼はわたしの顔を見て、苦笑していた。


「なんだ可愛いじゃないですか。まさか吸血鬼が羊に頼ろうとは」

「うっさい」

「だから執事に頼ってみようと、俺を数えてたんですか?
 羊と執事をかけたボケまで考え付くとは流石です。この俺、感服しました」

「別にかけてねーよこのクソ執事」


阿吽の呼吸とも言うべきか、セバスの言葉を返すためには考える時間などいらない。
思ったことを口にすれば良いだけ。それだけで、会話は成立してしまう。
あくまで、会話は、だけど。


「なんと口の悪い! もしかして俺、要りませんでしたか?」

「っ」


だからこうなったとき、素直に思ったことを言うべきなのに。
わたしは、こうした場面でのみ天邪鬼に言葉を使うのだ。


「い、いらないわ」


ただ素直に言えばよかったのに。
思ったまま、深く考えることなく、ただ一つ言えば良かったのに。


「別に寂しくなくなったから大丈夫よ。羊さんだっているし」

「……そうですか」

「ぁ、」


静かに立ちあがった彼。
出ていってしまう。せっかく来てくれた彼が、その扉を開けて出ていってしまう。
……嫌だ。
絶対に、嫌だ。
その言葉を言え。立った一言、『嫌だ』と言えば彼は戻ってきてくれる筈だ。


「ぁ、ぅ」


その一言が、出ない。
何故? どうして?
素直になって、今だけでいい。彼を、引きとめて欲しい。
まるで金縛りになったかのように、動かないわたしの唇が、どうしもようもなくもどかしい。
彼がいなかったら全力で自分の頭を殴っているかもしれない。
行かないで。
行っちゃヤダ。ヤダ。ヤダ。

いてよ、セバス。ここに。

わたしの傍に、居て。

そういえばどうして今日のわたしはこんなに寂しがり屋なんだろう。
新月だから?
いつもの自分じゃないから?
わからない。全然わかんないよ。
セバス。アナタがいないと、わかんないよ。


「セバス……」


届いただろうか。今の彼に。
この言葉が届いてくれれば、彼は、もう一度。
振り返ってくれる。


だが返事は、何もなかった。





「部屋を出るときも、物音立てずに行くなんて、さ。
 下手に気を使わなくてもいいのに。全然、起きてるんだからさ」


ベッドから立ち上がり、静かに閉じた扉へと歩く。
一歩一歩、ふらふらと揺れるように。
扉の傍まで行って、どうしようか?
ノブを回してその先へ行けば、セバスはいるだろうか?
いてどうする?
もう一度、部屋にこいと言うの?
無理だ。わたしは、そんなに素直にできていない。


「あ、ああああ」


ぽたりと、何かが手に落ちた。
これは、水?


「うあぁ、あああああああああああ」


水じゃない。これは涙?
そうか。わたしは今、泣いてるんだ。


「あ、あああああああああああああああああああああああああああ!!」


膝の力が抜けた。硬く、冷たい床の上に膝をつく。
途端に全身から何かが込み上げてきた。
なんだろうと考えて、ややあってこれが「悲しみ」なんだと気付いた。


「ああああああああああああああああああああ!
 うわああああああああああああああああああああああああああああ!!」


あーあ、はしたない。
こんなに大声で泣いたことなんて、かつてないのに。
アナタのせいだよ、セバス。
こんなに、こんなに悲しいのも、愛しいのも。
全部、アナタのせいだ。

だから、早くわたしのもとに来てよ。

でないと、体中の水分が出ちゃうくらい、止まらないんだから。
流れ水を嫌う筈の身体からも、涙って出るんだね、セバス。


「う、う、ぅうう」


閉じた扉は開かれない。
彼の声も聞こえない。
背中に感じた、大きな重みはあった。


「やれやれ。泣き虫さんですねぇ」

「せばす……」

「迷子の迷子のお嬢さん、貴女の名前はなんでしょう?」

「…………ふらん。ふらん、どーる」

「おやおやフランドールさん? 偶然にも我がお嬢様と同じ名前じゃありませんか。
 さては本人ですか。それとも、赤の他人ですか?」

笑いながら彼は言う。
彼はわかっていて、こんなことを言ってるのだ。


「……本人だったら、どうする?」

「ん? そうですねぇ」


一旦考えるような素ぶりの後、背中の重さはより一層、重くなった。
回される腕。その腕をぎゅっと掴んで、額を押しつけた。


「知らない子だったら、このままあやして飴玉の一つでもあげた後に退散するんですが。
 俺の知るフランドール様なら、泣き止ませて、一緒に添い寝でもして、ぎゅっとしてあげましょう」


至近距離の声。くっつけられた頬が、とても熱かった。
涙が溢れてくる。けどこれは、悲しみなんかじゃない。


「それでどうでしょうか? フランドール様」

「うん……うん!」


わたしの執事は、やはりこの人しかいないと思う。
意地悪だけど、優しくて。
捻くれてるけど、素直で。


「ねぇ……」

「はい?」

「一緒に、いてね」



ずっと、ずっと。
わたしの傍で、永遠に。


───────────────────
ずっとずっと。

ずっとずっとずっと……。

続けばいいと思ってる日常がある。

アナタのために。わたしのために。

緩やかに流れる日常で。

紅茶を飲んでたわたしにアナタは突然こういった。




―――――流れ星、見に行きませんか?

























「ふぅん」

「あれ? いきなり何言うんだー、とか否定されると思ったんですけど。意外と肯定的ですね」

「いや、わたしだって見たいし、流れ星」

「ロマンチックですね。
 何か願い事でもあるんですか?」

「うーん。あることはない」

「わかりにくいこと言ってんじゃないですよ。あるんですか? ないんですか?」

「実はあります」

「何です?」

「ふふ、それは言えないなぁ」

「ほう。執事である俺にも言えないことですか? エッチな願い事だったりします?」

「ぶっ殺すよ?
 そんな変なもんじゃないわ。あり来りの、普通の感じのやつ」

「背が伸びますように?」

「違うよ」

「可愛くなりますように?」

「これ以上可愛くなってどうすんのよ」

「言うねぇ」

「事実だし」


っていうか口笛吹いてため口やめろ。
どこの世界に、主に向かって言うねぇとか吐かす奴がいるんだ。


「ふぅむ。じゃあ残るは一つですね」

「ほほう?」

「胸が大きくなりますように」

「マジで殺すわよこの変態執事!」


こ、こいつったら言ってはならない禁句を………。
牙丸出しで威嚇するようにそう言ったのだが、目の前の執事は何故か優しい笑みを浮かべていた。ぶっちゃけキモい。


「何ニヤニヤしてんのよ」

「いいえ。ちょっと意外だなと思ってました」

「はあ」


どういう意味よ、ソレ。


「さて、一体どんな願い事なんです?」

「……いいけど、笑わないでよ?」


わたしの、願い事は。


「この部屋から、出ることかな」


対して彼の反応は、


「へぇ」


だった。なんだお前。


「なによ、その返事は」

「いえ、まあ、なんとなく予想できたので」

「あっそ」

「しかしそれが星に馳せる願いとは……ちょっと小さくないですか?」

「出たくても出れない場所から出るのよ? そりゃ、星にだって願いたくなるわよ」

「見たことないくせに」

「うっさい。興味はあるわよ」

「……まあしかし、知識欲ではなく、こうしたことに対して関心を持つのは良いことです」

「?」

「ただ星に興味があるなら本でもお読みになられれば良い。
 しかし、星ではなくそこに馳せる願いがあるとするなら、それはきっとフランドール様が真に望むものがあるということ。
 妖怪は永い命を得る代わりに、そうした夢に無頓着になりがちだと聞きます。その点フランドール様は素晴らしいですよ」

「夢、ね」


昔はあったような気がする。
今とは違う明確な望み。
わたしの夢。


(お姉さま―――)


「そうね」

「お、今日は素直ですね。
 なんか見た目相応に可愛いくてちょっとどっきりしたりしなかったり」

「してねぇだろ絶対。これでも495歳なんだけどね」

「知ってますよ。じゃあおばあちゃんと言って欲しいんですか?」

「流石にそれは勘弁して……」

「それならアレですよ、エターナルロリータとか」

「必殺技か」


使ったら相手は死ぬ的な。
それにしても、なんで突然こいつは「流れ星」とか言ってんだろ。
アレって確かそうそう頻繁に流れるもんじゃないでしょ。
あともういっこ。コイツ、気付いてるのかしら?


「ねぇセバス。別にセバスが流れ星でもメテオストライクでも何でも見たいって言うなら良いんだけどさ、」

「はい」

「わたし、ここから出られないんだけど」


詳しく言うと、この部屋の中から、だけど。
一体いつ決まったのかわからない。誰が決めたのかは知ってる。
わたしのお姉さまだ。
問題はわたしの能力。
「ありとあらゆるものを破壊する程度」の能力だっけ?
自分でもよく覚えてないのよね。
なにせ、それができたのがいつだったかわからないくらい、自然なモノだったから。

どんなものでも壊せる。

『目』さえ見えれば、どんなものだって壊せる。

掌に集まった『目』を、こうして、きゅっとすれば……


どっかーん


「っ!?」

「ん?」


無意識の内に、何かを壊してしまったらしい。
派手な音を立てて砕けたのは、一体なんだろう?
私の能力だから、原形なんて残ってないだろうけどね。


「おや、新品の枕が酷い有様ですが」

「なんてことを!?」


まさかあの枕を吹っ飛ばしてしまったというのか。
ぐぅ、せっかくの枕が……気に入ってたのに。
セバスに頼んで新しいのを持ってこさせるか。


「セバス、新しいの持ってきて」

「同じものでなければ、御座いますよ」

「それでいいよもう」


嘆息。やってしまったなぁ、ホント。
こんなのだから、わたしはきっとこの部屋の中に495年もいるんだろう。

気付いた時には壊していて。

気付いた時には遅くて。


「しっかしまあ、見事に粉砕しましたね。シーツに汚れがあるかと思いましたが、そんなことはありませんでした」

「……そういえば、アナタがこれを見るのって初めて?」

「フランドール様の能力については、知識しかありませんでした」

「そっか。ねぇ、セバス」

「はい?」

「どう、思う?」


握っただけでなんでも壊してしまうわたしを。
このヘンテコな能力を。
わたしの目から見れば、この世界は壊れ易すぎる。

いろんな『目』が常時見えていて、それを握ればなにかが吹っ飛んで。

きゅっとして、どっかーん。

きゅっとして、どっかーん。

きゅっとして、どっかーん。

きゅっとして、どっかーん。

きゅっとして、どっかーん。

きゅっとして、どっかーん。

きゅっとして、どっかーん。

たぶん何回やっても、壊れないものはないと思う。
いつか幻想郷だって壊せる。
お姉さまも。
咲夜も。
パチュリーも。
めーりんも。
妖精も、みんなみんな。
怖いと思う。だって、わたしが手を握れば死ぬんだもん。
だからこの部屋の中にいろ、って。
お姉さまが、そう言った。
どのくらい前だったか。
どんな顔だったか。
わたしはもう、忘れてしまったけれど。

だけど、セバスの反応は変だった。


「ふぅん」


これだ。おい、とかつっこむぞ。


「おい」

「いえいえ、だって、ねぇ。
 壊せたからどうだと言うのかと……むしろいろんなものを作れたら凄いと思うんですがね」

「で、でもわたしの能力は!
 どんなものだって壊せるんだよ!?」

「人も?」

「うん」

「妖怪も?」

「うん」

「城も?」

「うん」

「山も?」

「うん」

「空も?」

「うん」













「じゃあこの部屋だって壊せますよね」

「うん」












……え?


「そこまで見境がないなら、この部屋だって破壊できるでしょう?
 アナタが右手を握れば済む話だ。どうして、それをしないのです?」

「だ、だってわたしはここにいろって」

「誰の命令です?
 それは貴女が望んだことですか?
 その気になればこんな狭い部屋なんて吹っ飛ばして外へ出ることも可能でしょう。
 なのに何故それをなさらないか。俺には理解できません。その程度ができない能力なんて、大したことないですよ」

「な、」

「そも、壊すことは誰にでもできます。
 貴女が極端に特化してるだけだ。俺にだってできますよ、破壊活動くらい」

「で、でも!
 わたしのはなんでも壊せるんだよ!?」

「ですから、それだけだと言ってるんですよ」


よくわからない。
わたしの右手は、セバスだって余裕で壊せちゃうのに。
わたしの右手には、アナタの命だって有るのに。

どうして、どうして、どうして全く恐れない……?


「先ほどの、フランドール様の台詞にはこうありましたね」


真剣な目。
多分、わたしが彼の腕を、脚を吹っ飛ばしても、変わらずにわたしを見つめている気がする。
続きを聞いてはいけない。彼の言葉を聞いたら、もう、何かが変わってしまいそうだ。


「願い事がある、と。
 それは部屋から出たいことだと。そう言いましたよね」

「……そうよ」

「それは嘘ですよ」

「なっ!?」


今度こそ、空いた口が塞がらない。
嘘だと言ったのか、この執事。
何を根拠に、一体何を根拠にそんなこと……セバス、ちょっとわたしも怒っちゃうぞ。
止まれ。
しかし彼は止まらなかった。


「いとも容易くできることを夢見る?
 吸血鬼である貴女がそんなちっぽけなことを願う?
 ばかばかしい、有り得ない。そんな強力な能力を持っていながら、ちっぽけですよ。
 この部屋が頑丈だから無理?
 人間の俺が素手で開けられる扉が、どうして堅いと言うのか。
 その右手で握れば、こんな薄い壁くらい簡単に破壊できるでしょう?
 いや、能力なんていらない。吸血鬼の身体能力なら体当たりしても穴を開けられる。
 なのに、何を躊躇っているんですか。ちょっと頑張れば叶う夢など、星に託すほどのものじゃないですよ」

「……て」

「弱い。脆い。
 なんと脆弱なことか、フランドール様。
 一体なんのためにこの部屋に閉じ込められたのか、貴女は。
 無意味だと声を大にして言えますよ。何せ、ここにいるのは――――」

「やめて」

「――――ただの臆病で、羽の生えたクソガキなんですから」


ぷつん、と。

何かが、切れた。





「セェエエエエエエエエバアアアアアアアアアアスゥウウウウウウウウウウ!!」


彼の身体を、壁へと押しつけるように飛ぶ。
みしりと音が鳴ったけど聞かないふりをした。
片手で彼の首を持つ。
軽い。脆い。
少しでも力を入れれば砕けるだろう。これが人間の脆さ。


「勝手に決めるな!!」


出てしまう声があった。


「わたしが経験してきたことを、さも解ったみたいにふざけたことを吐かすな!
 わたしが一体どれだけのことを望んだかわかるか?
 そしてそれがことごとく叶わなかったことも!
 一つもない。一つとして、わたしは自分の願を叶えることができなかった!
 妖怪の百分の一も生き永らえない貴様みたいな人間が…」

「フラン、ドール、さま」

「痛い!? 痛いよね!?
 そんなに脆い身体のくせに、少しでも叩いたら壊れるくせに!
 今日アンタが何を食べたか見てみる!? きっと凄くイイ色をしてるわよ!!
 あはは、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」


壊そう。
こんな奴、さっさとやってしまえ。
一人のわたしが呟いた。

だめよ。彼はかけがえない執事なのよ?
一緒に寝たことを忘れたの? あのぬくもりを忘れたの?
一人のわたしが囁いた。

いいじゃん。所詮人間なんかに、わたしたちの苦しみなんかわかんないって。
それよりどう壊す? とりあえず臓器とかいろいろ引きずり出してみたいんだけど。
一人のわたしが嗤った。

彼のことはどうでもいいのだけど、
とりあえずさ、なんか、わたしの身体って泣いてない?
一人のわたしが驚いた。



「あれ、涙……あれ?」


彼の右手が、静かにわたしの方へと延びて……頬を撫でられた。
いや、拭われた。


「泣き虫、さん、ですね……」

「セバス」

「やっと……貴女の場所まで、来れた、気がします」


微笑む彼の姿を見て、わたしは手の力が緩んでしまった。
泣いてる……? なんで、寂しいわけじゃないのに。


「悲しくても出るもんは出ますよ、フランドール様」

「え」

「まるで自分の願い事が遠い遠いもののようです。
 こんなに感情を露わにして、貴女は一体なにを望んでいたのでしょうね?」


望んだものがあった。
決して手の届かない願いじゃなかった。
かつてのわたしは、そう信じてずっと待ち続けていた。
でも叶わなかった。
固く閉ざされた世界で、わたしの過ごしたときが495年に達した。
そこでようやく気付いたんだ。

信じても救われない。


「……わたしがどんな思いで、何を希望にして、裏切られ続けてきたか…セバスにはわからないわ」


絶望。
望みなんて、希望なんて、わたしには決して届かないものだった。
結局、フランドール・スカーレットには幸せなんて訪れない。
だから諦めよう。わたしには、この世界がお似合いだと。
夢なんて、光なんて、わたしには…眩し過ぎた。







「昔、」


セバス?


「こんな話がありました」


そう呟き、紡がれたのはある昔のお話だった。
天まで手を伸ばそうとした、一人の若者は、蝋で作った翼を背に空を目指す。
だが神の怒りを買った彼は、太陽によって翼を溶かされ地に落ちた。
望みを持ち、運命に裏切られた愚かな人の物語。


「それがなに?」


「似ていると思いませんか?」

似ている。
確かに……わたしと似ているかもしれない。
運命に抗えないわたしと、この物語の主人公はそっくりだ。


「一緒ね、確かに」

「違いますよフランドール様。
貴女が似ているのはここまでだ。だが一緒ではありません」

「え?」

「この物語には続きがあります。
 その主人公は確かに一度諦めました。折れた心はなかなか元に戻りませんでした。
 でも、捨てられなかったんです。彼が追い求め、目指した先はそんなちっぽけなものじゃなかった。 
 だから一生懸命勉強したんですよ。蝋よりも固く、溶けない素材を求め、速く目的地に着くための力を」


力強い台詞だった。
わたしに押さえつけられ、苦しい筈なのに。
真剣な眼差しは、かけらも歪んでいない。
どうして、


「どうして、」

「諦められる夢なんて、初めから持ちませんよ。
 微かでも希望があるから夢は夢です。
 願いは、そんな儚いものじゃない。貴女の願いだってそうでしょう?」

「そんな、こと」


当たり前だ。
でも時間がかかりすぎた。わたしには、もう待てないんだよ、セバス。


「待てないよ。遅すぎるよ」

「永遠を生きる吸血鬼が、たかだか495年で根を上げないで下さい。それに、貴女は努力をしていない」


努力だって?


「じゃあどうしろってのよ!
 こんな狭い暗い場所で、ただ時間が過ぎるのを待つ以外に何を…」

「お嬢様自身ができることはあります」

「……あるの?」

「簡単ですよフランドール様」


彼の右手。
伸ばされ、頭の上に置かれた大きな手は、ゆっくりとわたしの髪を梳いてくれた。


「フランドール様。何故、辛いのなら俺に言わないのですか。俺に言ってください。俺は貴女の願いを叶えたい」


……
なんでこんな、アナタはわたしに尽くしてくれるの?
嬉し過ぎて怖くなっちゃう。


「セバス、アナタは誰?」

「フランドール・スカーレットの執事です。
 貴女が望むものは俺の望み。貴女の欲しかったものは俺が授けましょう。
 期待に応えるのは、俺の役目です。例えそれが、貴女の意に反することだとしても」

「……ランプの精みたいね。でも、嫌じゃないわ。
 ランプの精よ、わたしの願いを聞いてくれる?」

「応えましょう。貴女の望みは?」


言おう。
叶えて欲しいんじゃなくて、彼がどうしようもなく、優しいから言ってしまいたい。


「わたしの、願いは、」





短く、わたしは彼に言った。


「了解です」


短い返事。
だけど、力強い眼。


「必ず貴女の願いを叶える。そう誓います。
 いくつ時が経つかはわからない。ですが、待って頂けますか?」

「……ありがと。何をするかわかんないけど、待ってる」

「ありがとうございます。では、今日はもうお休みになられてください。
 泣き疲れたでしょう? ゆっくり休んで、明日は思い切り遊びましょう」

「……一緒に寝てくれる?」

「御意です。では枕を持ってきますので、少々お待ちを」


温かい右手。
彼の手で撫でられながら、わたしはゆっくりと意識を手放した。



















「あら? 貴方」

「おや咲夜さん。レミリア様のところですか?」

「ええ、今から就寝前のお着替えを手伝いにね。それにしても、なんかボロボロだけどどうしたの?」

「フランドール様といろいろありましてね。おおむねいつも通りです」

「それならいいのだけど……ちょっと待ちなさい。左手、なんかおかしくない?」

「あー、バレました?」

「左手がずっとだらんとしてれば気になるわよ。骨でも折れたの?」

「んや、辛うじて脱臼で済んでます。後で嵌めなおすんで大丈夫ですよ」

「そういう問題じゃないでしょ……」

───────────────────────

運命とは?

誰もが持つ、生きる上での道しるべとなるもの。

全てがそれに沿って生きている以上、捻子曲げることは神であろうと不可能。

だからこそ見てみたい。

その運命を曲げられる、可能性を。











「レミリア様、俺です」


来たか。


「入れ」


椅子に座ったままで、私は彼に言った。
音もなく開けられた扉。その向こう側には、黒い執事がいた。
もっとも、黒いと言っても服装と髪の毛と瞳の色くらいである。
この紅魔館において、黒という色を模ればおそらくこいつになるだろう。


「レミリア様?」

「ああ、なんでもないよ」


顔を見てたのが気になったのか、ジロジロと見られてりゃ当然の反応か。
部屋に調度された椅子と机。向かいの席に、彼を勧める。


「突っ立ってないでこっちに来い」

「はい」

「お前、堅苦しいね」

「お気になさらず」

「……ふん」


フランドールの前じゃ、あんなに砕けていた執事がねぇ。
椅子に座った執事。瞳はずっとこちらを見ていた。
真っ直ぐに。とても真っ直ぐに。


「まずは礼を。今宵は俺のために時間を作って下さり、誠に恐縮で御座います。
 本日趣に上がった件について、早速本題に入らせて頂きたいのですが、」

「コラコラ。せっかちだなお前は。
 お前とは本当に久しぶりの逢引なんだ。少しは楽しもうとしなさいよ」

「……はっ」


指を鳴らす。
すると、何もなかった机の上には一本のワインと二つのグラスが現れた。
何、瀟洒なメイドがやったことだ。違和感など全く感じない。
目の前の執事も驚くことなく、自然に瓶のコルクを持ち、丁寧に抜く。

きゅぽん

乾いた音を立てて、中身を二つのグラスへと注いでいく。
まるで血のように紅い紅いワイン。
注ぎ終わったそれを持ち上げ、


「ひとまず乾杯」

「はっ。有り難き幸せ」


ちぃん、と良い音が鳴り、二人でそれを飲み干していく。


「ほぉ……これ、なんか違うな」

「ええ。手土産もなしでは恰好が悪いと思いまして。急遽ですが、用意させて頂きました」

「ふぅん。なかなか悪くないわ」

「至極恐悦です」


口当たりの良いワイン。いつも飲んでいるものとは違うが、夜に飲むにはちょうど良いかもしれない。


「……さてと。それで、どうして私と会話がしたいなんて?
 まさか、お前の方からそう言ってくるとは思わなかったよ」

「ええ。何時ぞや以来でしょうか、レミリア様と二人で会合など……」

「私がお前を拾って以来さ。それ以上でも以下でもない」












かつて、一人の人間がこの幻想郷に迷い込んだ。
意味もなく、訳もなく、ただ彷徨い、妖怪に喰らわれるだけの人間。

それがこの執事。ただの青年だった、人間。


「懐かしいなぁ、懐かしいなぁセバス。今はそう呼ばれてるんだっけ?」

「ええ。何故か、いつの間にかそうなってしまいました」

「ふぅん。どうして名前で呼ばないのかしらねぇ」

「……レミリア様が、それを仰いますか」

「ふふふ」


この男には名前がない。
ない、というよりは聞いたことがない。
もしかしたらあるのかもしれないし、本当にないのかもしれない。
しかし、そんなことは関係ない。この紅魔館に来た時点で、こいつの名前は私のモノだ。


「それで、ナナシのごんべえが何の用事かしら?」

「知ってるでしょう。レミリア様なら、私の用事程度」

「言われないとわからないわ」

「運命を司る吸血鬼たる貴女が、ただのろくでなしの俺に?」

「二度は言わないわよ」


きしり。握ったグラスが音を立てる。
彼の視線は下へ。
グラスに残った全てのワインを飲み干して、彼は私の眼を真っ直ぐに見つめ返してきた


「お伺いした要件は一つ。フランドール様の外出を認めて頂きたい」

「いいわよ」

「当然反対されると……え?」

「いいわよ別に」


肩すかしを喰らった気分だ。
そんなチャチなことで私と逢引とは……やれやれ。
ま、唖然とした彼の顔を見れただけでもよしとしよう。


「あの、よろしいのですか?」

「ん?」

「フランドール様を、外へ出すことを了承して頂けるということで?」

「構わんさ」

「そう、ですか」


安堵したような顔。
ふぅん。まだまだ、お前は私という吸血鬼を甘く見ていたみたいだな。
許すとは言ったさ。
気付いたか? それがタダとは言ってないことを。


「ならば相応の対価を用意しましょう」

「あ?」

「レミリア様が仰ったことを、よもや何の対価もなく達成できるとは思っていません」


はぁん。


「なかなかどうして物分かりがいいじゃないか。ちょっと見直したよ」

「だって貴女は、悪魔でしょう?」

「そう。この世のどの妖怪よりも狡賢い、圧倒的な力の権威さ。
 さてさて。お前はそんな私に、どんな対価を払うというんだ?
 愛しのフランドールの小さな小さな願いのために、お前が差し出すものを聞こうじゃないか」

「……」


願いを叶えるための、対価を。
お前が叶えたい願いの先にあるモノが見えているなら、容易い筈。
まあ提示したモノを、私が受け取るかどうかは別だけどねぇ。


「……」

「どうした執事?
 言わないとわからないじゃないか。
 断っておくが、貴様の命なんていらん。そんな安いモノに興味はないんでな」

「……っ」

「悩んでるなぁ。そんなお前に一つヒントをやるよ」

「ヒント、でしょうか」

「ああ。例えば、」


空になった私のグラスを、彼の方へ弾く。
執事の目の前に移動した私のグラス。
私の空になったグラスと、彼の中身が残ったグラス。
ワインのボトルを指差し、


「そのグラスにワインを注げ。
 貴様が思う通りにな。好きに注いで構わん」

「はっ……」


しかし彼は動かない。
ニ秒、三秒と時間が過ぎても彼は動く気配を見せない。


「あまり待たせるなよ」

「はっ」


急かしたところで、彼は動かない。
そのまま時計の針の動く音だけが、部屋の中に響いていく。
いい加減じれったくなってきたな。
まあ、慎重になるのもわからないでもないけれど。

やがて、目の前の執事は俯いたまま、手ではなく口を動かす。


「……俺の知っている話でこういうものがあります」

「何だ?」

「殺人を犯した人間が、自分の罪を償う話です。傾聴して頂けますか?」

「その話の後に必ずワインを注ぐのならば」

「有り難き幸せ。
 話の続きですが、その殺人犯は、どうにか自分の罪を償いたいと思っていました。
 しかし償い方がわかりません。
 どうしたらいいのか途方に暮れ、罪深い意識の中を彼は彷徨い続けたのです」

「ふん、まあ人間臭い話だ。で?」

「彼のもとへ、一人の発明家が現れたのです。その発明家が彼に渡したのは、一つの天秤でした」

「ほう」

「その天秤は、どんなものも平等に測ることができる天秤です。
 そこで彼は片方に殺した人間の命を乗せ、もう片方に自分のものを、測りが釣り合うまで載せました


 金を。服を。家具を。腕を。脚を。親から貰った大事な時計も。
 しかし、いくら載せても平等にはなりません。何故天秤は傾いたままなのか、彼にはわかりませんで

した。
 ふと、発明家が言ったのです。その言葉は―――」

「『何故お前自身が載らないのか』だろう?」


私の言葉に、彼は驚いたように表を上げた。


「……知っておられたのですか」

「いいや。だけど、想像は付くさ」


こいつが言わんとしている事はわかる。
優秀だな、やはり。
それが残酷なことだと、今理解しているところだろう。


「願いは誰にも平等だ。
 人も妖怪も妖精も吸血鬼も魔法使いも、みな願いを持つ権利がある。
 当然、その対価もな。対価は平等にならなければならない。
 つまり、お前の話の中では殺人犯の願いは『命』のための贖罪だった。
 命を償うことなど、命以外ではできないことも知らなかった愚かな男の喜劇」

「そうです。願いは平等な対価を支払って、初めて形になる。
 俺が自分の願いを叶えるためには、それに見合うだけのものでなければなりません」


そう言って、彼はワインのボトルを傾け、『ちょうど彼のワインと同じ量になるまで』グラスへ注いだ



グラスを此方へ渡しながら、彼は真っ直ぐに私を見て口を開く。


「このワインのように。そうでしょう?」

「ふ、ふふふふ。
 良い子じゃないか。よくできましたって笑ってやるよ」

「至極恐悦にございます」

「……うー。なんか張り合いがないなお前」


誉めてないんだけどなぁ。
まあいいわ。


「さて。それじゃあフランドールの願いを叶えるために必要なお前の対価はなんだ?」

「……」

「それがなければ諦めるんだな。無償奉仕はしない主義だよ」


執事の命なんて軽いものはいらない。
彼の名前は既に貰ってある。
さてさて。他に何をくれるというのか?


「……レミリア様は運命を操る程度の吸血鬼、ですね」

「ふむ?」

「フランドール様は、ありとあらゆるものを破壊する吸血鬼」

「そうだな。それがどうした?」

「貴女に拾われ、俺は自分が何故フランドール様の執事をやっているのか不思議でした。
 吸血鬼という、妖怪でも危険な存在の巣窟で、俺を執事にするメリットはない筈だと。
 メイドのように瀟洒になれるわけでもなく、魔法使いのように魔法を使えるわけでもなく、門番のよ

うに義理堅いわけでもない。
 ならば俺がこの館に来たのは、たった一つの『運命』に導かれたからでしょう」

「私の力でお前はここに来た、と?」

「どういったものかはわかりませんが、恐らく。
 そしてそれは必要だと感じられたから、俺はここでフランドール様の相手をしている。
 彼女のために必要な『運命』の歯車として。機能を果たすために俺はここにいる、と」

「そう思うわけか」

「そうです、ならばこそ、俺はその機能を果たさなければなりません。
 フランドール様のために。レミリア様のために」

「……上等だよセバス。
 そこまで考えが回っているならば聞こうじゃないか。
 貴様が差し出すものを言え。それを私に寄こすなら、フランドールの外出『も』金輪際認めてやる。
 悪魔の契約だ。必ず破りはしない。だからさ、ちゃんとそれに見合うモノなんだろうな?」


気付いていないと思ったのかセバス?
貴様が願うことが、ただただ妹の外出なんてチープなもんじゃないだろう。
その先に何かある筈だ。まあ明確には知らんがね。
お前の支払う犠牲というのは。

一体、なんだい?


「貴女は運命の吸血鬼。ならば、俺が差し出すモノは一つしかあり得ない。
 
 俺の運命を、貴女に差し上げる。この幻想郷での運命を全て差し上げる」


……。
は、はははははははは。
アッハハハハハハハハハハ!


「運命だと? 私に? 既に掌握してるかもしれないのなに?」

「確かに貴女は運命を操るレミリア・スカーレット様。
 しからば、貴女の操る運命に、俺の運命はもう操作されている。
 故に俺は誓いましょう。貴女の運命操作から逃れられる運命を辿ってみせる。それが俺の対価です」

「ほう、」


運命を壊す。

自分の決められたレールを、外す。

外された人間が辿る末路なんて、一つしかありあえないというのに……。


「良いだろう。お前の度胸、私が貰い受けた。約束は守れよ?」

「有り難き幸せです。必ずや、レミリア様を満足させることを誓いましょう」

「……ふん。今日はもういい、部屋に帰って妹に添い寝でもしてやれ」

「了解しました。ではこれで失礼します」













「まったく……良い執事になったもんだ」


それが例え、残酷なエンディングを迎える一人の人間だとしてもな。

───────────────────────

悲しい気持ち。

いつもアナタを見てるから気付く。

最近のアナタの表情は、なんだからしくない。

どうしたの?

何があったの?

聞いたら答えてくれる?

多分答えてくれないよね絶対。

薄っぺらい表情で、隠し通そうとしているんだもの。

凄く滑稽。言わないアナタも、聞き出せないわたしも。






















「おはようございますフランドール様」

「……うん」


目が覚めて、いつも通りのアナタがいる。
もう何回も繰り返した挨拶の交わし方。
眠たい頭を一気に覚まさしてくれる声。
でもなんだろう、この違和感。


「今回の食事は少し大人っぽくしてみました。お口に合えばいいのですが……先にお着替えしましょう」

「ん」


いつもの服。綺麗に畳まれたそれを広げて、彼はわたしに近づいてきた。
着替えることなんて本当に一瞬。袖を通して、ボタンを留めて。
最後に髪を結えば、いつも通りのわたしになった。
さすがセバスだと、正直に思う。

っていうか男だった。女の子の着替えを手伝う執事ってどうなんだろ?

わたしが一人で着替えればいいんだけど、起き抜けってどうも頭が働かない。
結局セバスの言葉を左から右に聞き流しながら、朝食をとって、食後のアップルティーを飲んでようやく意識が覚醒した。
相変わらず砂糖の量がちょうど良い。甘い香りと、べたべたしない後味。


「ふぅ」

「んん? どうされましたフランドール様。何か御元気がないようですが?」

「別になんでもないわ」


こんなにも林檎の味がすっきりしてるのに。
セバス。
アナタの顔を見てると、どうもすっきりしないなぁ。


「セバスこそ、何かあるんじゃないの?」

「はっはっは。何を妄言を!」

「妄言、っていやいや。もう少しマシな言い方できないかな?」

「さて。何を世迷言を!」

「ぬ、まさかそう言われるとは思わなんだ。でもあまり調子に乗らないでよ?」

「戯言はそこまでにしましょうかお嬢様」

「こっちの台詞だこのバカ執事!」


ソーサーをカップの下から取って円盤投げ。
避けるかと思ってたけど、むかつくことに何なくキャッチしやがった。
セバスって人間じゃなかったっけ?


「一応人型ですがねぇ」

「そりゃわたしもだよ。っていうか思考読むなよ」

「失礼しましたお嬢様」


頭を下げつつ、器用に人指し指の上でソーサーを回転するセバス。
むかつくのでスプーンも投げてやった。
しかし今度も空いてる手で見事にキャッチ。ぬぅ。
残ったカップも投げようかと思ったけど、まだ中身が入ってるから流石にそれは自重しよう。


「さてとお嬢様。本日のご予定はおありでしょうか?」

「ん? 別にないけど。いつもわたしの予定を決めてるのセバスじゃん」

「左様ですか」

「さようよ」


何か問題でもあるのかしら?
皿に追加して今度はスプーンを器量に指の中で弄ぶセバスに、そんな意味を込めて睨んでみる。
早っ。スプーンがまるで縦横無尽に手の中を駆け巡っているみたいだ。
そっちに気を取られたわたしは、思わず聞くしかなかった


「セバス、それなに?」

「これですか?」

「そう、その生き物みたいに動くスプーン」

「ふむ……」

「うわ加速した!」


指の動きが気持ち悪いことこの上ない。もはやスプーンという原形をとどめておらず、銀色の何かにしか私は見えなかった。
一応わたし吸血鬼なんだけど、なんかもう早いとかレベルじゃない。


「すごくね? セバスすごくね?」

「まあペン回しの応用です。箸ならもっと上手く出来ますよ」

「箸ってあったっけ」

「くそ重たい銀箸ならありますが」

「なんで、ウチって何でもかんでも銀製にしたがるんだろうね。食器一式ほとんど銀じゃない?」

「言われてみれば確かに。まあ銀は見た目が高級ですし、食材に悪影響を及ぼしにくい金属ですからね



「吸血鬼がいる館にどうなのよソレ」

「いつでも殺せますね、吸血鬼」

「セバスにゃ無理っしょ」

「砕けすぎでしょうお嬢様。今日び、女の子が語尾に「っしょ」とか。
 初見の人がこれを見たらどうすんですか。人気が薄れますよロリっ娘として」

「いまどきキャラ崩壊なんて当たり前だのアッキーなのよ。
 見た目が若いからって、セバスのことをお兄ちゃんとか呼ばないのと一緒と思え」

「呼んで欲しいと言ったらどうします?」

「お兄ちゃん♪」

「……今度はパパでお願いします」

「良いから鼻血拭けみっともない」

「良いんですか!?」


反応良すぎだろ。そこまで興奮したかセバス。

やっぱりわたしの気のせいかな。
いつも通りのセバスだ。
よし、気のせいにしよう。じゃないと、また不安になっちゃそうだから。
……不安?
わたしが、不安?
ちょっと待て。今わたしは、不安と思ったのか?

何が?

一体何に対して?


「セバス……」


気付きたくなくて、思わず彼を呼んだ。


「なんでしょう?」

「今日は、」


だから余計なことを聞いてしまう。





「一体何をするの?」






いつもの台詞の筈。
だが……彼は、セバスは、いつもの笑顔ではない顔で、俯きつつ、思いもよらないことを言った。




「すいませんお嬢様。今日は、わたしは別用です。咲夜さんと入れ替わりで、本日はレミリアお嬢様のところへ行かなければなりません」














……何?
今、なんと言った?
何を言ってるのか、全然わからない。



「セバス、今何て言った?」


自分でも驚くくらい、暗い声が出た。
そうでもしないと、セバス、アナタを○○しちゃいそうだ
怖い。自分でも感じるくらい、今の私は普通じゃないと思う。

掌には、いくつもの『目』と『目』と『目』。

これを握れば、アイツは○ぬ。

アイツ? 誰の?

この目玉は、誰の……


「っ!!!」


思わず立ち上がってしまった。食器が音を立てて落下するのも構わず、わたしの両手は机の上で、樹木製の表面を削りながらバラバラになった食器を見ていた。
料理は全部食べ終わっていたから汚くないけど、粉々になった陶器がわたしの机の上で踊っているようだった。

ところで今、わたしは何を考えていた?

一体この手で、誰の『目』を手にとって、潰そうとしていた?

なんで、どうして。


「………そん、な」

「お嬢様」

「そんな! そんなそんなそんな!」


バカな筈がない。
わたしが、セバスのことで、いちいち怒ったりするわけない。
彼が、お姉さまのところにいくだけだ。たったそれだけ。
それだけなのに、心が、凄く痛い。


「ぐぅ……」

「お嬢様。お気を確かに」

「!! 誰のせいでこんな!!」


机をに思い切り、自分の掌を叩きつけた。
真っ二つになった机。散らばる食器の群れ。
唯一無事だったアップルティーが、床へとぶちまけられた。


「……」

「ハァ、ハァ、ハァ」

「お嬢様」

「答えろセバス。さっき、お前はなんて言ったの!?」

「はて。どのさっきでしょうか?」

「ごまかすな! さっき、お姉さまのところに行くって言ったでしょ!」

「聞いてたんじゃないですか」

「貴様が言ったんじゃないかぁああ!」


彼の襟を掴んで、壁際へと叩きつける。
たったそれだけのことにも、わたしの胸はどんどん熱くなってしまう。


「何でだよ! 何でアンタがお姉さまのところにいくんだよ!
 ここにいて、わたしの世話をするのが貴様の仕事でしょう!?」

「それは重々承知しています。ですが、必要なことなんです」

「ないよそんなもん! アイツに会いに行くことに、意味なんてない!」


よりにもよって、わたしがいながらアイツに会いに行くというこの執事が、どうしようもなく腹立たしい。
なんでだよセバス。お前は、わたしの味方じゃなかったの?
わたしを閉じ込めた奴に、どうして積極的に行こうとするんだよ!


「行くな、これは命令よ。
 どうしても行くんなら、アンタの手足を引きちぎっても行かせるもんですか」


ここまで言えば、コイツだって黙るだろう。
わたしは吸血鬼。セバスは人間だ。
本気で脅せば、一時の気の迷いだってすぐに抜ける。
そう、信じていたのに。






「俺は行きますよ」

「っ!?」

「行かなければなりません。例えそれが、貴女の障害となろうとも」

「……本気で言ってるの?」

「腕を削がれても、脚を吹き飛ばされても行かなければならないのです」

「どうして?」

「言えません」


言えない……?
わたしにも言えないことを、貴様はお姉さまのところでするっていうのか。
手を放し、今度は扉の前に立った。
今度手に持ったのは、炎。
燃え盛る炎。こんな狭い部屋を吹き飛ばすかもしれないくらい、凄く熱くて強いやつ。

片手に持って、わたしは最後の望みに賭けた。


「なら出なさい。わたしを倒してでも、お姉さまのところへ」

「フランドール様、」

「気安く呼ぶな。もう、アンタとは執事とお嬢様なんかじゃない。人間と妖怪よ」

「……」

「土下座して謝れば許すわ。尚反抗するというなら、もう容赦なんかしない。
 砕いて焼いて、血の一滴まで残らず食ってやる! 絶対に、アンタを○○してやる!」

「左様ですか」


さあ跪け。
謝れ。
諦めろ。
屈服してよ。
じゃないと、本当にアナタを……。
彼の真剣な眼。
対してわたしは、どんな眼をしていたのかな?
懇願か。悲哀か。怒りか。




「どいてください」




多分、どうしようもない悲しみだったと思う。
手にした炎は消え、膝の力が抜け、わたしは、彼の前で屈服した。


「……行かないでよ」


最後の言葉。


「無理です」


拒否された。


「傍にいてよ」


いるって言ったじゃん。


「できません」


拒否された。


「帰ってくるよね」


そうでしょ? すぐに戻ってくるよね?


「わかりません」


否定された。


「わたしのこと、嫌い?」




彼は答えてくれなかった。
わたしの横を通り過ぎて、扉を開けて、そのまま出ていった。
去り際の最後の礼が、もう終わりなんだなって、感じさせてくれた。


「ふ、あああ」


終わったんだな、って感じた。
この前よりもずっと、悲しかった。
泣けば戻ってきてくれるのか?
そんなわけないか。

だって去り際の礼が、

『サヨウナラ』

だったもん。



声にならない鳴き声。
獣みたいな声だった。
その部屋にいるのが辛くなって、でも出るのが無理で。
結局、蝙蝠になって部屋の中に漂うしかなかった。



―――――そして、誰もいなくなった。

───────────────
会ったときはどんな感じだった?

わたしは特に何も思ってなかったよ。

そのときは。

でも今は違う。

好きです。

とても好きです。

愛してるのかわかんないけど好きです。

アナタは、どう思ってたのかな?


















……これは、わたしと執事が会った時の話





こんこん


「……だれ?」

『咲夜です。入りますよ』

「ん」


なんだろ。

いつもの起きる時間。
毎日違う妖精たちがわたしの部屋に訪れ、着替えを世話してくれる筈なのに。
咲夜がやってくるなんて、本当に珍しいと思った。


「おはようございます、妹様」


妹様……ねぇ?
実はわたし、まともに名前を呼ばれることはほとんどない。

『お嬢様』って呼ばれるのは、レミリア・スカーレットっていうわたしのお姉さま。

『妹様』って呼ばれるのは、フランドール・スカーレットであるわたし。

フランドールと呼ぶのはお姉さまくらいか。
別に呼ばれたいわけじゃない。
でも、呼んでも良いんじゃないかなって思う。
わたしにはフランドールって名前があって、妹様なんて呼ばれ方をするのはレミリアお姉さまよりも大事に思われてないみたいで、その、嫌だ。


「……おはよう。で、どうしたの?」

「妹様にお知らせを。今日から、妹様に専属の執事がつくことになりました」

「またぁ?」


今まで、お姉さまに付く咲夜みたいな専属メイドがいなかったわけじゃない。
いた。でも、残らずわたしが怖がらせていなくなっただけだ。
そりゃそうだろう。

何でも破壊してしまう、気の狂った妹なんて言われてるんだもん。

つーか誰よそんなこと言ったの。別に狂ってねーっての。

……まあいいや。一人で地下とかに引き籠ってたらそう思われても仕方ないだろうし。
ついでに言うと、また、というのはちょっと違う。
これまでの付き人は全部『メイド』だった。
でも今度は、『執事』。
つまり男だ。


「執事ぃ? なんでまた……どこの命知らずよ」

「お嬢様が連れてこられた方ですよ。人間です」

「人間んん?」


余計意味がわからない。吸血鬼の住む館に人間が執事をやりに来るなんて。
お姉さまも何を考えてんのかしら。○して欲しいの?


「吸血鬼の館にただの人間なんて。餌をやるようなもんでしょうに」

「私をお忘れですか妹様」

「アンタ人間辞めてなかったっけ?」


未だに人間の自覚があったのが驚きだよ。
いとも簡単に時間止められるのはただの人間とは言わないだろうし。
それともまた変な能力でも持ってんのかしら?
まあ、持ってたとしても、わたしの相手をさせられる時点で運が悪いことは明白。

なんて言っても、わたしは『ありとあらゆるものを破壊する』程度の吸血鬼なんだから。


「はぁ。それで、どいつよ?
 その、私の世話をするために死にに来る馬鹿な男は」

「こちらに」


咲夜が一歩横にずれ、後ろに立っていた人物かわたしの前に露わになった。
黒い髪と、黒い燕尾服。
そして真っ直ぐな瞳。例えるなら硝子か。

奥には何もない。

人間らしい、無垢な瞳。

その奥には何も、ない。


(なんだ、コイツ)


咲夜と全く違う色の人間が、そこにいた。


「アンタ、だれ?」


放心していたかもしれない。
だが、思わず漏れたその台詞にも、


「執事ですが」


まったく臆した様子もなく、こいつは平然とそう言った。


これが、彼とわたしの出会い。
ビー玉みたいな澄んだ眼の色をした、今までで唯一の男性との出会いだった。


でも、ただの人間だ。

魔力も、妖怪としての気配も何も感じない。
他の人間なんて咲夜しか知らないから、これが人間だーなんて言えないけれど。
少なくとも、咲夜よりも変な感じは一切しない。
加えて咲夜と同じ生物の匂い。
これがただの人間だと、初めて知った。
……よくわかんないなぁ。
何でこいつは、ここにいるんだろ?


「いやいや。そんなこと聞いてんじゃなくて、どうしてここにいるのかってこと」

「執事だからです」


……イラッ。


「意味わかんない! つーか出ていってよ! 勝手に部屋に入ってくんな!」

「執事ですから無理っす」

「敬う気ゼロだよね……はぁ。もういいや。名前はなんていうの?」

「執事です」

「よし表に出ろぶっとばす」


手加減抜きで殴り飛ばしてやろうかこの野郎。


「まあそれはともかくとして、」

「何事もなく仕切るなよこのクソ執事」

「ともかくとして!」


こほん、とかわざとらしい咳払いの後、ものすごい笑顔でそいつは言った。


「朝ご飯とかどうでしょう?」


どういう話の転換の仕方だ。


「朝ご飯? 何勝手に抜かしてんのよこの、」






―――くぅ。

鳴っちゃったよオイ。



「………」

「………」

「………」

「………」

「……まあ、いいけど」

「それではこちらをどうぞ」


と、こいつが言い、指をさした先には何故かベッドサイドテーブル。
その上には純白のクロスと、銀の食器、そして朝食が置かれていた。


「……え、いつのまに?」

「朝と言えば水ですよねー」

「聞けよ」


湯気を立てるコンソメスープ。
カリカリのベーコンとふわふわのスクランブルエッグ。
みずみずしい野菜のサラダ。
綺麗な焼き色のトーストが二枚と、横に添えられた蜂蜜とバター。
脇には真っ赤な色をした液体の入ったグラス……ん?


「ちょっと待てオイ。さっき「朝と言えば水」的なこと言ってなかったか?」

「そうですね」

「じゃあこのグラスに入ってんのは何よ。真っ赤じゃん」

「だってトマトジュースですもん」

「水は何処に行ったのかしら」

「……」

「……」

「さあ、冷めないうちにどうぞ」

「流すなよ」


全身を襲う脱力感。
適当な奴だ。
しかも吸血鬼を全く恐れてないし。
でも、なんだろ。
全然不快じゃないや。

こんな人間、いるんだ。














「あ、今考えたらトマトジュースも水分含んでるから広義的には水ですよね」

「ならねぇわよバカ」


屁理屈か。









わたしはどうせすぐやめると思っていた。
妖怪だらけの巣窟。
ワインのように真っ赤な館。
もちろん、人間の生活と妖怪の生活は全く違うわけで。
起きる時間も、食料も、思考も、年齢も。
どうしてお姉さまは引きこんだのかしら?

ただの食糧か。

気まぐれか。

どっちでもいいや。どうせすぐやめる。

それか、わたしが壊しちゃうか。

死んだらそうね、ミートパテくらいにはして食べてあげる。









「ねぇ人間」

「はい?」





それはどのくらい経っただろうか。
やめると思い込んでた人間は、思ったよりもずっと生き残っている。

洗濯も掃除も料理も着付けも何もかも上手くこなしてる。

同じ人間の咲夜とは違って、何もできない筈なのに。

何でこいつはしぶとく生きてんだろ?


「アンタなんで生きてんの?」


ドストレートに聞いてみた。


「そりゃあ、貴女の執事ですからね」


わけのわからない答えをされた。
なんじゃそら。


「ちゃんと答えなよ。
 どうして生きてんの? ここがどこかわかってる?」

「紅魔館。幻想郷で唯一、吸血鬼の住む場所でしょう?
 幻想郷縁起での危険度は”高”。霧の湖の岬に立つ、真っ赤で窓の少ない館。
 遭遇する妖怪は主に吸血鬼と魔法使い。
 とくに有名なのは紅魔館のトップであるレミリア・スカーレットととの付き人である十六夜咲夜。
 レミリア・スカーレットは運命を操る程度の能力を持ち、正直どの程度凄いのか本人にもわかっていない。
 付き人の十六夜咲夜は時間を止める程度の能力を持つ。お気に入りの懐中時計やナイフは全て銀製。
 なんつーか、吸血鬼に喧嘩売ってますよねこの人」


なげぇよ。
そして個人的感想入れんな。わたしもそう思うけどさ。
そしてそして何でそんなに詳しいんだよお前。


「幻想郷縁起にあるじゃないですか」

「心読むな」


サトリかあんたわ。


「ねぇ、あんたさぁ」

「はい」

「もしかして、自分が死なないと思ってる?」

「は?」

「見た目こんな感じだけどさ、わたしだって吸血鬼よ」

「金髪の幼女ですよね、確かに」

「見た目にしか反応してないじゃんアンタ!」

「495歳の幼女って犯罪じゃない?」

「ため口かてめー!!」

「……ふふ」

「何で笑ったし!」

「だって、可愛いじゃないですか。
 自分が吸血鬼であることをアピールしてまで、俺を怖がらせたいなんて」

「か、かわいい!?」


突然何を言い出すんだコイツ!


「お前、わたしのことバカにしてるでしょ!?」

「してませんよ」

「嘘つけ!」

「本当に可愛いと思うから言ってるだけです」

「っ! このォ……!!」

「吸血鬼だろうが妖怪だろうが、貴女は可愛い。
 少なくとも俺はそう思いますよ、フランドール様」


気が抜けた。
間違いなく、こいつはバカだ。
バカにしてるとかじゃない。
本気で、こいつはわたしに「可愛い」って言ってる。
そんなこと、この執事は平然と言ってる。
吸血鬼で、妖怪で。
指先で殺すことなんて容易いのに。
恐れないの?
怖くないの?


「……お前さ、わたしのこと可愛いって言ったよね」

「ええ」

「それはさ、例えば」


たん

床を蹴った音。

どすん

彼を押し倒した音。


「こういう状態でも言えるのかしら?」


マウントポジションだっけ。
お姉さま辺りが見たらはしたないと殴られそうだけど。
やっぱり呆気なく、目の前の男は地面に転がった。
特別な何かなんて感じない。力も弱い。
弱い、弱い。
彼の首に両手をあてる。
蛇口をひねるみたいに、ちょっと力を込めるだけでこいつは死ぬ。
死ぬことは、誰だって恐ろしいんじゃなかったっけ。
ねぇ。

何で、貴方はそんなにも真っ直ぐにわたしを見られるのかな。


「フランドール様の眼は、綺麗な色ですね」


ぽろっとこぼれたような台詞。
自分がいなくなる恐怖がないのかしら?
だけど彼は続ける。


「紅い、紅い、ワインを零したような色。
 俺みたいな黒い色はしていませんね。そして貴女の髪は鮮やかな金色だ」


手を伸ばされた。
髪を撫でる彼の手から、変な感じがする。
むずがゆい。くすぐったい。
でも温かい。
なんだろ、これ。


「思った通り、凄い手触りだ。
 さらっさらの糸みたい。何をどうしたらこんな髪が生えてくるんでしょうね」

「……お前も吸血鬼になればわかるわよ」

「多分分からないと思いますよ。この髪は、吸血鬼の髪ではなくフランドール様の髪ですから
 貴女以外に、この瞳も、髪も、誰も持っていない唯一無二の代物だと思いますがね」

「……欲しいの?」

「くれるのなら、是非」

「ふん……」


この人間は、本当に。
よく、わかんない。


「面白いじゃん」

「は?」

「アンタに興味が沸いた。
 今日から正式にアンタはわたしの執事にする」

「……はぁ」


気の抜けた返事をするな。
なんか恥ずかしいじゃん。


「ま、まず! そのためにアンタの名前を教えてよ」

「名前?」

「これからキチンと名前で呼んであげるっての。
 お前とか、貴方とか、執事とか、なんか違うでしょ。
 ちゃんと呼ばないとねやっぱり。だからあるでしょう?貴方にも名前が」

「ありませんよ、そんなもの」

「……へ?」

「幻想郷が忘れ去られたものがいきつく場所なら、俺はそうなんですよ
 俺、外の世界から来たんです。言ってなかったと思うから今言いましたけど」


外の世界から来た、名前がない人間。
普通はこっちまで来れないらしいけど、外の世界でもいろいろあった奴は稀に来れるらしい。
詳しくは知らないわ。
まあ、ありきたりっちゃありきたりよね。
でもそれじゃあ困るなぁ。
いつまでも「お前」とか「アンタ」とか呼びたくないし。
せっかく手に入れた執事だし。
どうしようかなぁ……。


「じゃあわたしがあげるわよ」


咄嗟に動いた口が放ったのは、なんかもうわけのわからないくらい動揺した声だった。


「名前。これから紅魔館で呼ばれる名前を、貴方にあげる」

「……変なのは勘弁して下さい」

「まかせなさいよ。そうねぇ、貴方は執事なんだからぁー」



セバスチャンからとって、セバスでどうよ?



「……セバス?」

「執事だし、これなら文句ないでしょ。ありきたりすぎるとかツッコミはなしね」

「……ええ、それではこれから俺はセバス。貴方のために従える執事の名前は、セバス」

「そうよ。じゃあ手始めにさ、その、命令? してもいいかしら」

「なんなりと。ちなみに金銭的なことは勘弁して下さい」

「言うかアホ。
 そうね、セバス。さっき貴方は「わたしの髪と瞳が欲しい」と、そう言ったわね」

「……くれるんですか?」

「できるわけないでしょ。わたしは一応吸血鬼よ吸血鬼。
 お姉さま風に言うなら誇り高い妖怪の一族なんだからね。
 ぽっと出のセバスにくれてやるもんなんか何もありゃしないって」

「左様ですか」

「左様も右様よ。まあ、あげることはできないけど、その」


彼の手を、わたしは手にとって頭へと持っていく。
ぽふっと、大きな掌が帽子みたいにわたしの頭の上に置かれた。
うん、悪くない。


「髪を触ることなら許すわ。
 気が向いたら好きなだけ触っていいから、ちゃんとわたしの命令を聞くこと。いいわね?」

「頭撫でて欲しいだけじゃないっすかねソレ」

「うるさい!!」


別に照れてないし!
笑うなこのアホ執事!

今は黙って、わたしの髪を撫でてりゃいいのよ!

































どのくらい経ったかな。



セバス、これとってよ。


セバス、あれとってよ。


セバス、髪の毛乾かしてよ。


セバス、今日のご飯は何? でも納豆は止めてよね。


セバス、疲れたー抱っこしてー。


セバス、そろそろ寝るから一緒に来い。


セバス、セバス、セバス








何度呼んだだろうか。

あの日、彼にセバスという名前をあげて、わたしは何度彼を呼び、彼にすがり、抱きつき、悪態を言い合ったか。



忘れてしまいそうな今日この頃。


貴方は、わたしの部屋に訪れない。




昔を懐かしむ余裕だって生まれるほど、もう何年も会ってないような感覚に陥るほど、わたしは彼の姿を見ることはできなかった。



部屋から出ることができれば、この部屋を壊せれば、わたしはまた、セバスの笑顔を見ることができるのだろうか?


一度でいい。


もう一度でいい。


たった一瞬でも刹那でもいい。


セバス、わたしは貴方に会いたい。


部屋のドアを開けて、わたしを見に来てよ。


待ってるよ。それまでずっと待ってる。


部屋を壊すことなんてしない。セバスは、わたしの執事なんだから。


戻ってくるって、信じてる。


信じて、信じ続けて、裏切られたとしても。


わたしはずっと待ってるよ。


閉じた扉の向こうを見るように、ずっとずっと。












ぎぃ











「なんだこりゃ? 真っ暗でなにも見えやしないじゃないか」






扉が、開いた?







「……セバス?」

「ああん? 誰だそりゃ。
 私は霧雨魔理沙だぜ、吸血鬼の御嬢さんよ」

────────────

「……セバス?」

「ああん? 誰だそりゃ。
 私は霧雨魔理沙だぜ、吸血鬼の御嬢さんよ」


なんでだろう。
いきなり部屋に現れた黒白のおんなのこ。
わたしと同じ金色の髪。
まるで輝く星みたいな瞳で、こっちを見ている。


「貴女、誰?」

「オイオイ、今言ったろー。
 私は霧雨魔理沙。普通の魔法使いだぜ」


魔法使いに普通も異常もあるのかしら?
紅魔館にも一人、魔女がいるけどアレは普通とは言い難いし。

まあいいけど。

目の前の霧雨魔理沙、だっけ。こいつは多分、匂いからして人間だと思う。
ただの人間ではなく、魔法使いの人間というわけか。

っていうか、


「なんで貴女、扉を開けられたの?」

「はぁ?
 扉なんて開ける以外に用途があるのか? まるで一度も開けたことのないような台詞、モノホンの引

きこもりお嬢様みたいだなぁ」

「みたいじゃなくて、そうなんだけどね
 一度も出たことないわ。この部屋から、出たくないのよ」

「……ふうん。なんか外に出たくないように魔法でもかかってんのかな。
 まあいい。こっちはそんなこといちいち気にしちゃられないんだぜ」

「気にしちゃうんだけど、こっちは」

「そんな細かいことはほっとけよ。
 今は私がここにいて、お前がここにいる。それだけで十分異変の解決ができるってもんだ」


だから細かくねーっての。

誰?
このドアを開けたのは……いや、心当たりなら二人いる。
一人は執事で、もう一人はお姉さまだ。
パチュリーやメイリンがこんなことするとは思えない。
それも開けただけじゃない。わたしのいる地下までピンポイントで辿りつけるわけがない。
ただの人間がそんなことできるわけない。
あの二人のうちどちらかが、この扉を開けた。そしてこの人間をわたしの元に誘導したんだ。
まあいいや、とにかく、吸血鬼のテリトリーに入ってきたってことは、


「侵入者ってことよね!」


わけもわかんなくて、ただ全力で、
空の彼方までぶっ飛ばせるだけの閃光を、目の前にぶち込む。
けど、


「おお、なんじゃこりゃ!? いきなり全力か!」

「避けた!?」


いきなり避けられた。
ならもう一発!


「そんな単純な弾幕に当たる魔理沙さんじゃないってね!」

「また! ちょろちょろうっとおしいわね!」

「おっとと。まだまだ甘いなぁ吸血鬼の御嬢さんよ、弾幕ごっこってのはこう、」

「なにを、」

「撃つもんだ! いっけぇ『マスタースパーク』!」


白い光?









……
………






「始まったみたいね」


紅魔館の深夜のテラス。
満月の空は、吸血鬼の身体にとても心地よい光を浴びせてくれる。
こんな良い夜は、紅いワインが良く合う。
つまみには数種類のチーズ。プレーン、ゴーダ、チェダー。それと何故かブルー。
私的には正直全然合わないと思うんだけど、隣の従者は何故か他のチーズよりも多めにそれをおきやが

った。
福寿草といい、本当にヘンテコなことしかしない従者だと思うね。


「お嬢様」

「ん?」

「よろしいのですか?」

「このブルーチーズのこと? 悪いけど、今日のワインには死ぬほど合わないんだけれど」

「いえ、そうではなくて」


違うのか、紛らわしい。


「妹様のことですよ」

「……ああ、アレか」


全く今夜は千客万来だった。
ちょっと紅い霧で幻想郷を覆った瞬間に巫女がやってきて、スペルカードルールに則っていきなりバト

ルと来たもんだ。
幻想郷に住む人妖が争う際に組み込まれた新しい”お遊び”のルール。
私たち妖怪が本気でヤレば人間などと話にもならず、反対に巫女のような人間に対して我々はひどく無

防備でもある。
両者の力量のギリギリ、中間を取ったのがスペルカードルールというわけだ。
やってみるとわりと楽しかったから文句はないけどね。
しっかしあの巫女は強かったわ……。
咲夜も結構人間辞めてる方だけど、アレはガチで化物だった。
スペルカードみたいなおもちゃじゃなくて、純粋にヤッてみたい相手だね。
と、まあそんなことはどうでもいい。
その後に来た黒白が、咲夜の言った「よろしいのですか」の意味だろう。
結論から言うと、


「いいよ」

「……やけにあっさりしてますね」

「だってこの件に関しては、私はほとんどノータッチだし」


ただ扉を開けてやっただけだ。
それ以上でも以下でもない。
次いで言えば、


「約束、したからな」

「契約の間違いでは?」

「言うようになったねぇ咲夜。その通りだけどもさ」

「それは彼との契約ですか?」


知ってたのか。
彼の、セバスとの契約。
それはもちろん、私の可愛い妹のフランドール・スカーレットのことに他ならない。
彼は己の運命をベットした。
ならば私は相応の願いを叶えてやらないといけない。
これは、その第一歩。
先は思ったより短く、そして大事な大事な一歩だった。


「ねぇ咲夜」


隣で強張った顔をしながら、外に広がる弾幕を見ている彼女へと問いかける。
弾ける弾幕。
カラフルな星と、真っ赤な炎の剣。
さっき来た黒白と、うちのじゃじゃ馬の弾幕ごっこが開始した。
しかしあまり見惚れていては、咲夜に話しかけた意味がない。


「あの執事は、フランのことが大好きなんですってね」

「知ってますよそんなこと。
 あれだけ妹様がデレデレになって彼にまとわりついてて、彼もそれを是としてるんですから」

「ふふふ。ま、そうよね。
 でもさ咲夜。彼と同じ人間のお前に聞くけど、”好きな人のために犠牲になる”ってのは、人間なら

ではの思考なのかね?」

「………」

「答えられないか。それでもいいよ。
 お前はまだ多分、誰かを愛したことがないのかもしれない」

「お嬢様はその経験がおありなのですか?」

「ん?」

「誰かを好きになったことが、あると」

「……さあ? でも、あそこまで面白い男はなかなかいなかったなぁ」

「彼ですか」

「そ。うちのお気に入りのセバスだよ。
 フランドールのために、アイツはありとあらゆるものを賭けようとした。そして結果的に賭けた。
 代償としてフランドールは館の外を出て、ああして遊んでる。
 でもね、それがフランの本当に望んでいたことじゃないことも知っていたんだよ。
 あの子が心の底で願っていたことを、セバスはきちんと理解していた。
 私でも把握できないことを、アイツは把握できていた。
 凄いことよね。実の姉を超えてまで、セバスという人間はフランドールへと踏み込んでいくことがで

きたのだから」

「? 妹様が、本当に望んでいたことですか?」

「ずっと地下に篭っていた子が願うことなんて単純なんだよ。
 でもフランは、そのありきたりの選択肢を二番目にして、一番目にはもっと単純で、複雑なことにし

ていたのさ」

「……お嬢様は相変わらず、私には理解できないことを仰いますね」

「理解なんてしなくていいさ。
 ただ、今はあそこでフランが遊んでる。それだけをしっかり覚えていて。ソレを為したのが、セバス

であることもね」

「なぜ、今それを仰るのですか?」


敢えて言わなかった。
あいつはもう、この幻想郷に姿を見せていないから。


「ねぇ吸血鬼さん」

「ん? ああ、博麗の巫女さんか。まだいたの?」

「そりゃまだ終わってないからね」


紅白の巫女。
私の出した紅い霧。それが異変となって幻想郷に広まった。
それに引きつられてやってきた異変解決を専門とする巫女。
博麗霊夢だ。実は一人、余計な奴もいたけれどね。
ふん、異変ねぇ。
私からしたら大したもんじゃない。ただ太陽が邪魔で、いなくなってしまえばいいと思ってしまっただ

けだ。
吸血鬼の力を幻想郷に知らしめる意味で、これはかなり効果があったものだと思う。
紅魔館の地位を明確にするため。それともう一つは、


「なぁに、すぐ終わるさ。私の親友の魔女を倒すくらいの実力があれば、容易く終わるさ」


一応妹の部屋の前にパチェを置いといた。
置いといた、っていうかアイツが勝手に行っただけなんだけどね。
ただの好奇心とは言っていたけど、全く魔法使いのすることは難しすぎてよくわからない。
幻想郷で初めての同類に会えたことが、嬉しかったのかもしれないな。
しかし巫女の顔は晴れなった。


「相手はアンタの妹なんでしょ? それなりに強いんじゃないの?」

「強い? おいおい、弾幕ごっこに”強さ”なんて概念はないだろう。
 あるとすれば、それは”優雅さ”だ。どれだけ綺麗な弾幕を描けるか、それを競い合うのがこの弾幕

ごっこだろう?
 それを言ったのはお前の筈だけどねぇ、博麗の巫女さん」

「”優雅さ”か。吸血鬼らしいと言えばいいのかしらね。私からしたらそれも含めての強さよ」

「あいにくとこの遊びは初めてだ。
 うちの妹は弾幕ごっこならあの魔法使いにも勝てんと思うよ。あの魔法使いは博麗の巫女と同じくら

い上手いんだろう?」

「まあね。でも弾幕ごっこじゃなければ違うような言い方だけど」

「こんな遊びじゃなけりゃ瞬殺だよ。お前も、魔法使いも。
 あの子の能力は「ありとあらゆるものを破壊する程度」。死にたくなかったら下手に刺激しないこと

だね」


下手をすれば私も。
そうさ、フランドールは最強最悪の力を持つ吸血鬼だ。
怖いさ、恐ろしいだろ。
でもアイツは、セバスは、それでもフランに歩み寄っていたんだ。


「大した奴だよ」

「? なんのこと?」

「さあね。良いから静かに待ってなよ。紅茶も酒もつまみもある。
 魔法使いと妹の遊びについて、観賞会と行こうじゃないか。弾幕ごっこの採点でもしながらね」





………
……





光の束は、私の部屋から地上までぶち抜かれた。
そのまま押し出されるように外へ。冷たい風。思わず上へと見上げた。

最初に、眼に入ったのは星だった。
それも一つじゃない。両手で数えるには、とてもじゃないけど足りない星の数々。

次に見えたのは月。綺麗に欠けた、ブーメランみたいな三日月。

最後に、黒くて暗い空の色。
月明かりと星の光りが映える真っ黒な絨毯を見た。



これが、セバスの見せたかった外の景色。
わたしが求めていた一つの願い事の答え。


……凄いなぁ。


「凄い」

「アレをまともに食らってノーダメージかよ……。
 つーか何だ? お前、星を見たことないのか。こんなに綺麗な空なのに勿体無いぜ」

「いろいろあったのよ。
今まで、外になんて出たことなかったから」

「ふぅん。いろいろとあるんだな。
じゃあ今日はその記念日だな。ついでに弾幕ごっこだ」

「ついでの意味がわかんない」

「まあまあいいじゃないか。それとも何だ、自信がないのかい?」

「言ってくれるじゃん。なに? ただの人間ごときが誰に向かって言ってんの?」

「ただの金髪のクソガキだろ」


……はぁ?
この吸血鬼を、クソガキだと?
セバスも同じことを言ってたなぁ。なんとなく雰囲気も似てるし。
飄々として、掴みどころがなくて。
そしてむかつく。何よりも腹が立つ。
セバスはいないのに、どうしてアンタがここにいるのか。
似てるだけで違う。わたしが欲しいのは、アンタじゃなくてセバスなのに!!


「上等じゃん。まだ三桁も生きてないクソアマがこの吸血鬼に喧嘩を売ったこと、後悔させてやる」

「おお、いい雰囲気じゃないか。
やっぱり弾幕ごっこはこうでないとなあ!」

「ぶっ潰す! とりえあずさっき貰った一発は絶対に返してあげるわ!」


威力より数だ。たくさんの、ありったけを。
この空をふっ飛ばすくらいの、ありったけを!


「いっっっけえええええええええええええええ!!!」

─────────
いつか見た夢の中よりも、彼が語ってくれた話の中よりも、現実はもっともっときれい。
言葉にすることも難しく、声に出すこともできないくらい、わたしはこの光景に心を奪われそうになっ

た。


いや、なるハズだった。


なんでかな、

身体を包む外の空気も、

夜空に佇む星と月の輝きも、

わたしには喉から手が出るほど欲しかったのに。

今は嬉しいよりも、楽しい。


「アハハハハハハ!!」


喉が渇くほど、雲が割れるほどの声が辺りに響き渡っている。
それはわたしの、無意識の声だった。
歓喜。殺意。狂気。
それらをごちゃごちゃにして、わたしはただ嗤っていた。


「どうしたぁ人間! そんなんじゃ夜明けまで持たないわよ!?」


質より量。
雨を降らせるように、大量の弾を地表へぶち込む。
溢れ出る力の限り連射連射連射。
跡形も残さない。
髪の毛一本、細胞一粒残さない!


「そらそらそらそらそらそらそらぁ!」

「過激な弾幕だなぁオイ!? 殺す気満々かぁこのヴァンパイアめ!」

「とりえあず一発返すって言ったでしょ」

「一発どころじゃないだろってあっぶなぁ!」


闇を真っ赤に染めるほどの量を乱射した。
物量で押し切る。
威力を押さえたとはいえ、一発一発がその辺の木をなぎ倒し、地面を抉り抜く程度の破壊力だ。
ただの人間相手に打ち込んだことなんてない。
それでも、わたしはただただ弾を打つ。
ランダムに動く的に目掛けるのではなく、その周辺もろとも吹き飛ばすイメージで。


「消し飛べ!」

「そうはいかんってなぁ!」


振り向いた魔女がこちらに掌を向けた。
その手には、白い光?
……またアレか!


「食らえ、二度目の『マスタースパーク』!」

「同じ手を使うなんて! 調子に、」


悪いけど、さっきの攻撃は対策済みだっての。
大体、力で吸血鬼に勝てると思うな人間。
イメージしたのは、紅い紅い炎の剣。
深紅に燃えるこの剣。そんな脆弱な力なんて、木っ端みじんにしてやる!


「だぁああああああああああああ!!」

「いいぃ!? 私の魔法を真っ二つにしやがった!?」

「できないわけないだろ! 吸血鬼を、舐めるな!」


そのまま振りかぶって、叩きつける。
まるで鼠を踏みつぶす象を連想した一撃。
感じたことのない熱風と、何度も聞いたことのある爆発音が眼下で鳴り響いた。


「……ふん」


直撃したかどうかは知らないけど、多分死んだわね。
地面にでっかいでっかい穴を開けるほどの力なんて、使ったこともあんまりないのに。
大体なんだったんだ、あの魔女は。
わたしの部屋まで来て、異変解決?
知るかっての。異変って何よ。
わたしにとっての異変は、セバスに会えないことだけなのに。
解決してほしいことは一つも解決しないで、厄介なことだけが増える。
むかつく。

帰ろう。


わたしはそう思った。実際にその場所から動くつもりだった。
後ろからあの魔女の声が聞こえるまでは。


「あたたた、まったく、宣言もなしにあんなバカでかいもの使うなよ。ルール違反じゃないか?」

「……うっとおしいわね。さっさと死になさいよ。
 今は最高に機嫌が悪いの。おとなしく帰るならこのまま見逃してもいいわよ?」

「異変を解決するために来たんだぜ? 異変の首謀者をほっといたら霊夢にどやされるぜ」

「さっきから異変異変って……面倒なのよ、いい加減!」

「そうは言ってもなぁ。おおっと!」


ああもう、ちょろちょろと逃げ回ってばかりで!


「ああもう逃げんな! 最初の威勢はどうしたぁ!」

「ほっ、よっ、と。確かに威力はあるが、そんな単純な弾幕じゃあ当たるもんも当たらないぜ。
 もしかして弾幕ごっこを知らないのかぁ?
 なら教えてやるよ。通常弾だけで乗りきれるほど甘いゲームじゃあないってな!」

「ゲーム?」


弾幕ごっこ?
セバスが言っていたっけ。幻想郷で始まった新しい遊びだって。
なんだっけなぁ……まあいいや。
帽子を取った魔女が、その中から取り出したのは一枚のカードだった。


「何そのカード? トランプでもするの?」

「スペルカードだよ。やっぱり知らないんだなぁお前」

「どうでもいいわよ。こっちはアンタをギッタギタにしたくてウズウズしてんだから」

「むう。ここまで恨まれる筋合いはないんだが。
 大体私とお前は初対面だろ。なんかしたっけ?」

「存在そのものよ」


わたしの大好きなあの人と、貴女があまりもそっくりだから。
雰囲気も、声も、仕草も、台詞も、何もかもがむかつく。
だから壊す。全てを。
こんな世界が嫌だ。わたし自身も含めて……何もかもが壊れてしまえばいい。

どうしてこんなことになってんだろ?

どうして彼が来ないだけで、わたしは泣かなきゃならないんだろう?

悔しい。ただ待ってるだけの自分が。
何もできない運命になっているような、このときが。
歯がゆくて、泣きたくて、泣いて、悔しくて、また泣いて。
わたしは何度も声を張り上げていいたかったのに。
好きだ、って。


「なんで、どうして、セバスが来ないのに、なんでアンタなんかが、」

「……うだうだと弱音ばっかり吐く奴だなぁ。ちょっとどころじゃなくかなりめんどくさいぜお前」

「なんだと?」

「手に入らないなら手を伸ばす。できなかったらならできるまで努力をする。
 こんなもん生まれたての赤ん坊だってやってることだ。お前さんはそんなこともできないのかい?」

「事情も知らないくせに、勝手なことばかり!」

「おおうよ知らんさ。でもなぁ、仮に同じ立場だとしても、ただ泣くだけのお前よりも有意義に時間を

使えるぜ、わたしはな」

「減らず口を……」


さっきの炎の剣を振りまわす。
だが、この魔女は箒に跨ったまま、空を駆け抜けて避け続けた。
耳には、憎たらしいあの魔女の声がする。


「熱くなるなよお嬢ちゃん。さっき私に言ってたな、誰が来ないって?」

「セバスよ! 執事、わたしの執事!」

「なんだ執事なんていたのか。その様子だと初めての付き人かあ? それとも、その執事が初恋の人だ

ったのか?」

「どっちもよ!」

「ふぅん」

「興味ないくせに聞くな!? なんだそのテンションの下がり具合!」

「いやぁ、そんなことはないぜ。恋の相談や恋話なら大歓迎さ。何せ私は、恋色の魔法使いだからな」

「でも彼氏いなさそうじゃん」

「うるさい小娘だぜ! しっかしさっき私に似てるとか言ってたけど、そいつ人間か?」

「悪いの?」

「いやぁ、吸血鬼が人間に恋をしちゃいけないなんて理はないぜ。
 人種を超えても恋はある。お互いが想ってさえすれば、境界なんて存在しない」

「好きな人もいないくせ、何を偉そうに!」

「ああいないさ。でもなぁ、お前は今、恋をしている。
 それでいて私は恋色の魔法使いだ。だったら教えてやることも救ってやることもできるってもんだ」


ぐんぐんと速度を上げて、空の上へ。
もしかしたらわたしの飛ぶ速度より早いかもしれない。
ただの魔法使いが、こんなバカげた速度でわたしの弾幕を避けながら、月の彼方へと飛ぶ。
箒の端から星をまき散らしながら夜空を駆けていく魔女。まるで金色の流星。







その光景があまりにも綺麗で。
自分が一体何をしているのかわからなくなるほどに。
見惚れていた。


「あっ」

「いくぜ吸血鬼の御嬢さん! これが私の全力全開!」


金色の流星は急転換して、こちらへと突進してきた。
これは、セバスが言ってた流星なんかじゃない。

それよりも大きい、これもセバスが言ってたなあ。なんだっけ?

あ、そっか。


「彗星、」

「『ブレイジングスター』!!」


輝く金平糖みたいにちっぽけだったものが、気付いた時には輝く満月になってわたしの目の前にいた。
これを食らったら負ける。

何に負けるとか全然わからなかったけど、でも負ける。

はっきりと、それだけはわかった。
だから咄嗟に箒に乗って突っ込んできた魔女の箒を、思いっきり掴むことしかできなかった。
負けたくない。

負けたら、魔女の言っていた通り、わたしは無駄な時間を過ごしていたことになる!


「こんなもので!」

「うぉおおりゃああああああああああああ!!」


どんどん近づいてくる地上の気配。
ありったけの力を使って、押し返そうとするけど勢いが強すぎる!
わたしにこの『星』は受け止められない?
押し負ける? 吸血鬼のわたしが?
『ありとあらゆるものを破壊する程度』の吸血鬼のわたしが?


「っざけるな」


負けない。
押し返す。
わたしは負けない。認めない。
ずっと我慢してきた。彼に会えると。
いつか彼に会えるよう、ずっと願ってきた。
この想いも否定されるなんて、絶対に嫌だ。

こんな棒きれ一つで、わたしを否定できるなんて、


「認めない……」

「あ? なんか言ったかオイ!」

「嫌だぁあああああ! 負けるかああああ!」

「一体どうしたんだお前! まあいいけどなぁあ!」


ありったけの力を使って上空へ。
上へ。上へ。上へ。ただ愚直に上へと押し返す!


「セバスは絶対にわたしに会いに来るって言ってた!
 言ってないけど、思ってるんだ! だからわたしは待ってるんだ!」

「押しつけがましい奴だな、ただお前が思ってるだけだろそんなもの!」

「いいじゃない、ずっと会いたいって思ってるだけなら! だってわたしは、アイツが、彼が、」
 

徐々に失速する勢い。これなら……!


「てめぇいい加減にしろぉ!
 待ってるだけのお嬢様に、誰が来るってんだ!
 そんなにそいつのことが好きならなぁ! どうしても会いたいならなぁ!」


魔女の手が箒から離れ……た?


「お前から会いに行けばいいだろうが!
 もうお前は外にいるんだからよぉおおおおお! ファイナルスパーク!!」


あの時の光よりも大きな大きな光が、わたしの目の前で爆発した。






好きだ。
貴方への想いが、好きで埋め尽くされるほど。
否定されたくなくて、一緒にいたいだけなのに。

会いに来てくれると信じているわたしと、

会いに行こうとするわたし。


セバス、貴方はどっちが好き?


それとも負けちゃったわたしなんて、嫌いかな。

何でだろうね。
どうしてだろうね。
わたしと貴方はずっと一緒だと思っていたのに。
こんなつまんない運命なんて思わなかった。
この魔女の言うとおり、わたしはただのクソガキだったのかもしれない。

セバス、わたしは……。


あれ……運命?

その単語で連想されるもう一つの単語。

まさか、いや、そんな。

そんなことあって、たまるか。

あの人がこんなことを願うのか。

─────────────
白と黒の魔法使いがやってきたあの日。
わたしが初めて外に出て、初めて弾幕ごっこをしたあの日。

魔女に倒された私は、その後我に返ったように彼を探した。
館の中を駆け回り、飛びまわり、縦横無尽に走った結果、見つからなかった。

来てくれなかった彼を。どうしても会いたくてたまらなかった彼を。

気配を必死に探った。蝙蝠になってそこいらじゅうを探した。

けれど彼は見つからなかった。


まさか、と思った。


でも、とも思った。


途方に暮れたわたしに、傍までやってきたお姉さまがいった一言がこれ。





『何を探してるか知らないけど、執事なら外の世界に返したわよ。貴女を外に出す代わりにね、彼を外に返すことにしたから』






このクソ姉、と本気で思った。
























それから一週間も経ってない頃。なんかものすごく遠いことのように思えた、今日という一日。
あの時から、わたしの生活は全く違ったモノになったと言っても過言じゃない。

大きく変わったのは、外に出ることが日常になったこと。
一人ではまだまだ無理だけど、咲夜や門番がいてくれるときは大抵、付き添いになってくれる。
パチュリーよりも多分外に出てるんじゃないかってくらい館の外へ出ている。

朝も、昼も、夜も。

忌まわしい筈の太陽だって、いつか自然に受け入れることができるようになった。
それともう一つ変わったのは、弾幕ごっこをするようになったことだ。
ルールはよくわかんないけど、とにかく派手に弾をぶっ放して相手よりも大きく強く綺麗に魅せることが勝負らしい。
言っててもなんかよくわかんない。楽しいからやってるけどね。
ストレス発散というか、なんというか。

今までずっと溜まってたものが盛大に出た気がする。もやもやした感情、鬱になろうとする心とか。

……ただ、一つだけ残ってる心がある。
いくら弾幕を出そうとも残り続けて、燻ってる変な想い。
忘れたくても絶対に無理で、わたしの頭の中で大きく強くなっていく想い。

この正体はわかってる。理解できていても、やっぱりわたしだけじゃ解決できない。

解決したいのか、そのままでいたいのかも曖昧だ。


「ハァ」

「妹様、聞いてらっしゃいますか?」

「んあ、咲夜?」

「先程から何度も説明しているのですけど、上の空ですが。おまけに溜息を吐かれるとなると、流石に傷つきますわ」

「ごめんごめん、いろいろ考えててさ」

「確かに、ここ最近で妹様の周りは大きく変わりましたからね。
 こうして外出できるようになったのが、やはり一番変わったところでしょう」

「ん、まあ、そうだね」

「如何です? 今日の散歩のコースは」

「今日のか」


紅魔館の近くにある、霧の湖。
今日はそこへ、咲夜と一緒に回ることになっていた。
薄い霧のかかった、視界のちょっとだけ悪い湖。
天気は快晴らしく、日傘をさしてないと死ぬレベルだったから湖はあんまり近寄らない。
だって反射した太陽光を浴びてもそこそこ痛いってお姉さまが言ってたし。
それでも景色を見るだけなら、って感じで今日はここにした。

結論。まあまあかな。

咲夜の手に下げられたバスケットには、昼食のサンドウィッチが詰まっている。
実はわたしもちょっとだけお手伝いした。時間がなくて味見なんてしてないから、食べるのが怖いんだけど。

ああ、そういえばこれも変わった点かもしれない。

ほとんど咲夜に手伝ってもらってるけど、少しずつ料理も始めた、
意味はないんだけどね。ただ、なんとなく。暇だったし。
一つでも何か作れるようになれば、喜んでくれる人がいるかもしれないから。
それだけ。


歩き続けて三千里……ってほどでもないけど、そこそこ歩いた先は、湖より微妙に離れた場所。
草しか生えてないそこに、咲夜は折りたたまれたシートを広げた。


「あれ、もう食べちゃうの?」

「ええ。そろそろ頃合いですから」


銀時計をちらりと確認し、咲夜はそう言う。
外に出ると相変わらず、時間の感覚がおかしくなる。
太陽が昇ってるときがお昼。沈んでるときが夜。
そのくらいは知っていたけれど、実際に日が沈むまで外にいるとごちゃごちゃになってしまう。

吸血鬼にとって太陽は、天敵だ。

浴びたらところから焼けて、灰になる。
ましてや見るだけでも、明りがわたしの肌を照らしても。
外には出られないと思ってた。部屋の中で、蝋燭の明りだけで生きてると思ってた。


「そう、ずっと思ってたのにね」

「妹様?」

「ん、なんでもないよ」

澄んだ湖と、蒼い森。
彼のいない外の世界は、思ったよりも澄んでいて、綺麗だ。
ねぇ、セバス。
できれば貴方と一緒に見たかったよ。
……いや、見たかったじゃない。
見るんだ。
貴方が言っていた世界が、こんなにも綺麗だから。

まだ終わってないよ、セバス。


「妹様、そろそろ帰りましょうか」

「うん」


綺麗な景色を目に焼き付け、わたしは咲夜の声に返答した。















それからさらに一週間経った。

いつもの部屋。暗い部屋。
あの日から外に出ることも簡単にいくようになった。
部屋から出るのもスムーズで。入るのもスムーズ。

代わりに付き人ではなく、一人の妖精になったけど。
夕食の時間にやってきた妖精メイドに、質問した。


「ねぇ、アンタさ。これできる?」

「は?」

「このフォークあるじゃん。これを、こうして、こう」

「わわ! なんですかその気持ち悪い動き!」


キモイ言うなし。
彼がやって見せたわけのわかんない技(?)を披露すると、やっぱり驚かれた。


「どうやってそんなことやってるんですか!?」

「まー、あれよ、吸血鬼パワーとかそのへん」

「思ったより適当ですね」

「ああ、違うよソレ。適当じゃなくてテキトーね」

「? 何か違うんですか?」

「違うよ全然! 貴女が言ったのはいい加減の方のテキトーで、わたしのは良い意味での適当だもん」

「わぁ、二つも意味があるんですか。博識ですねお嬢様」

「つーか……執事に習ったことなんだけどね」

「執事というと、ああ。前回フランドール様のお相手をされていた方でしょうか」

「妖精のくせにモノ覚えがいいわね。
 さっきのペン回しも彼に教えてもらったのよ」

「へぇ、ペン回しっていうんですかさっきの」

「ホントは鉛筆とか回すんだけど、慣れればフォークでもスプーンでもいけるみたい」


ちなみにわたしの執事だった奴は「気合で回す」とか言ってたぞ。もっとテキトーである。


「確かお名前は、セバスさんでしたっけ?」

「わたしが勝手につけただけだけどね。本当の名前は知らないわ」


悪魔の館に入ったのだから、彼の名前は取られて当然だった。
だからわたしは名前をあげた。
この館で呼べる、彼だけの名前を。
でも多分、外の世界に帰ったと言うことはきっと。

名前を返してもらったんだろうなー。

や、それにしても驚いた。


「まだ覚えてるもんなんだなー」

「はい?」

「んにゃ、セバスに教えてもらったこと」


思い返すのは簡単だった。
月が昇る方向も。
太陽が昇る方向も。
星の光がじつはずっと昔の光だってことも。
彼に教えてもらったことは、何一つわすれていなかった。

あー、会いたいな。
ホント。


「会いたいなぁ」

「……その、差し出がましい質問で申し訳ありませんけどぉ」

「ん?」

「好きだったんですか? 彼のこと」

「……ん」


好きだと、今なら自信が持てる。
でも伝える相手がいないんじゃあ意味がないし。
どうしようかねぇ。


「どうしようかねぇ」

「? どうしたんですか、いきなり」

「いや、あんまり遠くに行っちゃったからさ、どうやって会ったらいいもんかと」

「もう御外に出られることは容易でしょう? それとも、そんなに遠いんですか?」

「物理的な距離じゃないのよねー。結界の向こう側だもん」


わたしができるのは壊すことだけだ。距離を無視して会えるほど便利な力はない。
ああもう、今度会ったら絶対に一発殴ってキスでもしてやろう。
会えないんだけどね。
と、憂鬱気に、隣の妖精メイドを睨みつけた。


「はぁ、それなら簡単じゃないですか」

「どこがよ」

「お嬢様は壊すことがお得意なら、その結界を壊しちゃえばいいじゃないですか」

「ハァ!?」


なにそれ斬新。
いや、地味な顔してすげーこと言ったなこの地味妖精メイド。

でも、できるか?

できな……いや、やる。


「よし、妖精メイド」

「はぁ、なんでしょうか?」

「これから図書館に行こう。夜のお散歩は中止だ」

「え、えええ? 何故です?」

「決まってんでしょうが、勉強よ」


彼に会うための準備をしないとね。














































彼がいなくなって一年が過ぎた。



「んー、」


図書館で読書。
ぱらぱらとページをめくりながら、必要なことだけを頭に入れる作業。
作業自体はなんてことはなく、見ただけでおおよそは頭が覚えてくれるから。

内容は、最初はわかんないことだらけだった。
パチュリーや小悪魔に聞いてなんとか理解が出来ていた昔だったけど、今はすんなりと読解できる。やればできるじゃん、わたし。


「あら、妹様?」

「お、出たな紫もやし」

「食らえロイヤルフレア」

「な、なにをするだー!」


まさかのガチツッコミとは。
親友の妹相手に手を抜かない、そこに痺れるというか燃える。魔法的に。


「ぐう、灰になるところだった」

「死になさい」

「なんか冷たくない!?
いや、魔法は熱いけどね!」

「世の中には言って良いことと悪いことがあるのよ。例え事実でもね」

「自覚あるんだ」

「それはさておき、一体何をやっているのかしら? いつもの?」

「うん、いつもの」


パチュリーはそう、と呟いた後、いつもの無表情に少しだけ、暗い影を落として口を開いた。


「ねぇ、フラン」

「うん?」

「そのお勉強は、彼に会うための方法を探るためだと私は知ってる。
 けれどその結果もわかっていると承知の上で聞くわね。貴女のお勉強に、何か成果はあったの?」

「……意地の悪い質問だなぁ。
 でも残念だったね。あったよ。無理だってことがわかった」

「ふぅん。それなら止めるの?」

「いやいや、違うよパチュリー。だからこそ、やるんだよ」


本を閉じて、椅子から立ち上がった。
わたしが勉強を始めたことは、紅魔館のみんなが知ってる。
でも、なんの勉強をしてるかはわかってないと思う。
知ってるのはパチュリーと小悪魔だけだ。そうじゃないと質問とかできないしね。

私の閉じた本の上に掌を乗せたパチュリーが、私の眼を見た。


「馬鹿な娘。手段なんて、元々1つしかないくせに。
どうにかして何事もなく彼の元へ行ける方法を探していたのでしょう?
 そして知った。そんなことはできない。貴女の能力でも不可能。できるのはきっと、博麗の巫女かスキマの妖怪だけ。
 それでもやるのね。貴女の姉はきっと怒るわ。そして止めるでしょう」

「でも逢いたいの」

「私は、貴女がきっと後悔をすると思うけどね。
それに、ないんでしょう? 最愛の彼に逢う方法」

「あるよ」


パチュリーは何か勘違いしてるけど、わたしは諦めたわけじゃない。
プラン1が潰れただけだ。それなら、最初から考えてたリスクの高いプラン2を使うだけ。

外の世界に行って、彼に会う。
向こうが来ないならこっちから会いに行ってやる。


「やるの、これだけはやりたいの」

「……妹様、私は」

「今更止めないでパチュリー」


頃合いだと、思った。

願い事全部を叶えられるとは思わない。
だって自分はいっぱい叶ってる。
それでも、彼だけは外せない。

わがままかな?

お姉さまはきっと馬鹿って言うだろうなぁ。


わたしは彼に会いに外の世界に行く。

一年間ずっと、調べてた。
外の世界のこと、幻想郷のこと。
妖怪のことも。自分のことも。

もう充分だ。


今日、わたしは外の世界に行く。
荷物は最低限。下着と服しかないけど。それ以外は彼に買わせよう。
可愛い女の子1人養うくらいはして欲しい。


「いくらパチュリーでも、邪魔するんなら容赦しない」

「……はあ。知恵を付けさせたのは私だから、その尻拭いはしとかないとね。
一応レミィの親友だし。姉のために妹を罰するのも親友の役目でしょう」

「ハッ、」


上等じゃん。
久しぶりの弾幕ごっこ。
さあさあ、カードは何枚必要かしら?


「できれば思い直してくれると助かるのだけれどね。
 貴女にはきちんと現実を見て欲しい。現実を見て、そして判断して欲しい」

「もう判断してるよ。決めたから誰にも邪魔されたくない。
 ごめんねパチュリー。今日は満月だし、手加減なんてしないんだから!」











……
………




「いててて……」


いやぁ爽快。
すごく久々に本気のパチュリーを見た気がする。
滅多に怒らないあの人が、すごい剣幕で弾幕を撃ってきた。
けれど、今日のわたしは絶好調だ。

絶対に負けてなんかやれない。

さて。
とりあえず次は玄関を出ないとね。


「さあ、そろそろ御戻り下さい妹様」

「うわぁいやっぱり来たか」


瀟洒なメイド、十六夜咲夜が玄関の前に立っていた。
突然視界いっぱいに広がる銀色の海。
これは、ナイフ?
しかもこの嫌な感じは、恐らく銀のナイフだろう。
魔女といい、瀟洒なメイドといい、ガチで吸血鬼狩りに来てるなコレ。


「どいてよ咲夜。その先に用があるんだけど」

「あいにくですが外は雨です。吸血鬼である妹様では外にお出かけはできませんわ」

「嘘つけ。雨の音なんて一つも鳴ってないじゃん。
 アンタまで邪魔するの? わたしはこの先に行きたいだけなのに」

「その先がただの庭先であれば容赦致しますわ。
 されど、そうではないのでしょう? 貴女が行こうとしているのはきっと彼のいる外の世界です。なればここは通せません」

「それ、お姉さまの命令なの?」

「そこは内緒にしておきましょう」


言えよ。


「ただ………」

「ん?」

「フランドール様のことが、心配ですから」


……やっぱり。
優しいんだなー、咲夜は。
でもね。


「咲夜、ごめん」


通させてもらうから。











……
………




「まだまだ……こんなもんで諦めてたまるもんですか」


つーかあのメイド何本ナイフ持ってんだ。
回避するのも億劫になる量はマジ勘弁。
思わずレーヴァテインで咲夜ごと薙ぎ払ったけど、まあ大丈夫でしょ。
つぎは門かあ。


「あれ? フラン様? 一体どちらに」

「げっ、起きてたのか貴様」


昼間は寝てるくせに夜は起きてるとかねーわ、この門番。


「ただの散歩よ。気にしないで」

「はぁ。外の世界に行く距離がただの散歩ですか」


……うわーばれてるじゃーん。


「なんで知ってんの……あー、やっぱいいや」

「あれだけ館内でドンパチやられてたら気付きますって。私の能力をお忘れですか?」

「気を使う程度の能力だっけ? どうでもいいけど」


空気を読むぐらいにしか能がない能力かと思ってました。


「邪魔するならどいてもらうから」

「おお怖い怖い。まさか『内部から出る者』も止めなければならないとは。
 あのですね、念のため確認しますけどお気持ちを変えるつもりはございますか?
 このままおとなしく、可及的速やかに自室にお戻りになられるのであれば、安心して仕事を続けられるんですけどね」

「寝てるだけでしょアンタ。
 こんなときくらい仕事しなくてもいいのよ?」

「し、失礼な。私は職務に忠実な一介の門番です。
 それとですねフランドール様。私の主は館の主であるレミリア様ただ御一人です。
 既にこの身は主より命を承っています。故に申し訳ありませんが、フランドール様の命令は却下させて頂きたい」

「はぁん、つーかやっぱりお姉さまの命令か。
 お姉さまは気付いてたのか。ま、いっか。
 それにしてもむかつくくらい忠実な門番をどうにかしないとね」

「ほう、随分と強気ですね。
 連戦で消耗した後に、私の後ろを通れるとでも?」

「当然よ」


むしろバカかお前は、と罵ってやりたい。

今日は何だ?

満月だ。


「さてと、とりあえず門番。最初からハードにいくけど付いてこれるかしら?」

「おやまぁ、ちんちくりんの御嬢さんが何を偉そうに。
 エスコートにはまだ時期尚早かと。あと大分身長を伸ばして出直してきて下さいね。ついでに胸も」

「よしきたルナティックにイくぜクソババア」


マジコロス。ロリ舐めんな。









……
………






「ふん、雑魚め」


流石にやりすぎたかな。
門を粉々になるまで弾幕を張り続けたのは正直悪かったと思ってる。
手足吹っ飛んでたけど、妖怪だから大丈夫でしょ。

さてと。
ようやく着いた。

お目当ての場所、無縁塚。
外の世界からのモノが流れてくるこの場所なら、他の場所よりも結界が薄い。
つまり、外と繋がり易い。


「って、考えてたんだけど、やっぱりばれちゃうよね。お姉さま」

「そりゃアンタの姉だし」


満月の下、大きな翼をもった吸血鬼の姉がいた。


「夜、しかも満月となれば結局私くらいしか止められないわよね」

「同じ吸血鬼だから?」

「そういうことさ」


妖怪としての力なら、確かに同じ吸血鬼だし互角。
でも単純なスペックならどうかな。


「勝てると思ってんの? ただの力押しならわたしのが上よ」

「はん、495年も引き籠ってたクソガキが姉に勝てると思ってるのかしら?」

「ざけんなクソ姉!
 こっちはいろいろ溜まってんのよ。発散次いでにここで洗いざらい吐いてもらうからね」

「いいよ。もちろん勝てたら、だけどね」


馬鹿にしてるなこの姉。
悪いけどこっちは連戦連勝。テンション上げっぱなしなんだから。
絶対に勝つ!























……
………







そう思ってたわたしがアホでした。


「っ、禁忌『レーヴァテイン』!!」

「遅い。神槍『スピア・ザ・グングニル』」

「いっ!?」


振りかぶったタイミングで胸に突き刺さった大きな槍。
これで……三枚目。
一方的に破られて、しかもわたしに直撃したスペルカードの枚数が。
こんなに強いなんて。


「聞いて、ないし!」

「そりゃ言っていないしね。
 そもそも、いつも外で弾幕ごっこしてる私が引きこもりの貴女に負けるわけがないでしょ」

「言って、くれるじゃん!」


四枚目のスペルカード、今度はスターボウブレイクで焼き払ってやる。


「だから遅いのよ。レッドマジック」

「くっ」


紅い雨みたいな弾幕と、それを相殺するわたしのスターボウブレイク。
やることすべてに先手を取られる。やっぱり経験不足は、大きなハンデになるか。
先手を打たれたのは正直きついけど絶対に負けるわけにはいかない。

たくさんの光と大きな炸裂音。
魔理沙のときはあんなに楽しかった筈の弾幕ごっこは、なんでかな。
今は悲しいだけで、イライラする。
とにかくお姉さまに聞きたいことだらけだった。
何で彼がいないのか。
どうして彼がいなくなったのか。
彼が去った理由は何なのか。


「それ、全部一緒じゃない?」

「心を読むな!」


吸血鬼の分際でさとりの真似事か!
四枚目……相殺!


「まだまだぁ!」

「そろそろ通常弾で遊びましょうか、それ」

「でかっ!?」


唐突にでかい弾撃ってくるとは。
同じ大きさの弾をぶち込みまくって相殺相殺。
埒が明かない。くそっ。
もう限界だ。
何もかも、いやになるほど。


「いっつも、いっつもいっつもいつもいつもいつも邪魔ばっかりして!!」

「あー?」

「何よ邪魔ばっかり!
 外に出ることも、誰かと遊ぶことも、従者も何もかもお姉さまの意見ひとつで決定して!」

「私は館の主よ? そのくらいするわよ」

「だったら何してもいいの!? わたしの好きなセバスを取り上げることも許されるの!?
 ふざけないでよ、わたしはそんなこと望んでない! わたしがやりたいことはわたしが決めたい!」

「……どうやら私がセバスを外に返したみたいになってるけど、違うわ。
 彼が『自発的に外に帰った』だけ。ただそれだけよ。そして私はその願いを叶えた」

「うそだぁ!!」


特大の魔力弾をこれでもかと撃ち込む。
けれど、撃ち込む先から全部破壊された。


「話を聞かないのね。それでも言わせてもらうわ。
 彼は私と契約をしたの。一つの契約をね。
 その結果が、貴女がこの外にいる理由。そして、その対価が彼の帰還だった」


聞きたくなかった。
だって後悔するから。
セバスがわたしのために、何を掛けたのか。
人間の命は、妖怪にとってとても軽い。
死ぬっていう感覚が欠けている妖怪には、人間の死という感覚が理解できないからだ。
だとしたらセバスは、お姉さまになにを対価にして契約したのか?

聞きたくない。


「答えてよ!
 セバスはどこ!? なんでアイツがここにいないのよ!」


クランベリートラップ


「だから今から全部話すわよ。
 さっきからそう言ってあげているじゃない」


不夜城レッド


「全部はいらないってのよ!
 アンタ蛇足って言葉知ってる!?」


フォービドゥンフルーツ


「知ってるわ。
 じゃあ"ぬかに釘"って単語はご存じかしら?
 まさしく今のフランに対してなのだけれど」


スターオブダビデ


「何が意味がないってのよ!
 お姉さまが素直に答えればいいだけでしょうに!」


フォーオブアカインド


「四倍面倒くさくなったわね。
 ねぇフラン、どうして貴女は外に出ているのかしらね……」


スカーレットデビル


「セバスが、お姉さまと契約したから!」


わたしのスペルが、お姉さまのスペルで相殺されたあと、何故か次の弾幕は飛んで来なかった。
代わりに見えたのは、見たことないようなお姉さまの表情。
思わずわたしも止まってしまった。

なんだろ、怒ってる?
泣きそうなの?
どうして、


「お姉さま?」

「さっきも言ったわよね。
 確かに彼は貴女を外に出すことを願っていたわ」

「やっぱり!」

「最後まで聞けフラン。
 彼が貴女を外に出すため『だけ』に、私と契約したと。
 本気で思ってるのか? そんなちっぽけな願いのためだけに?」

「ちっぽけ、ですって?
 あの地下にわたしを置き去りにして、閉じ込めてたアンタが言うの!?」

「フラン、」

「ふざけないでよ!
 わたしだって、お姉さまみたいに外に出たかった!
 お洋服とかぬいぐるみとか小物とかたくさんたくさん見てみたかった!」


太陽の下で日傘をさして。
人里まで歩いて。
日が暮れるまでお店を見て回って。
もちろん隣にはセバスがいて。
いっぱい荷物を担いでもらう。
そんなことが、したかった。

そして、もう片方の隣には……


「どうして、なの」

「あー、貴女やっぱり気付いてたのね」

「だってもうそれしかないじゃない」


わかってしまう。
彼に言われて、彼に打ち明けたのはわたしなのだから。



  それが貴女の望みですか?

  うん。

  何故、と聞いてもよろしいでしょうか?

  恨んでるーとか思ってたの?

  そりゃ普通は思うでしょう。

  実際、全く恨んでないわけじゃないもん。今でも顔を合わせたらぶっ飛ばしたくなるけど。

  恐ろしい恐ろしい。

  でもさー

  はい?

  何だかんだで、やっぱり好きなんだよね。恨んでも妬んでも、それでも好きなんだぁ。

  成る程。

  だからセバス、わたしはね、





「お姉さまと、二人でお出掛けしたかっただけなのに……なんでこうなっちゃうのさ、あのばかぁ!」


いつでも良かった。
ただわたしは、お姉さまと一緒に歩けるだけで良かった。
セバス、貴方がわたしに会うまでは。


「彼は、フランのことが大好きだって言ってたわ」

「……当然よ」

「会ったときからずっと変わらないとも。
 何よりも貴女のためだけに。フランのため、フランドール・スカーレットのためだけに彼は生きる。
 この幻想郷にたどり着いた彼には、実際その運命しか見えなかった。
 いくつも存在する筈の運命の線が、道が、彼は一本しか有り得なかった。
 だから私は彼を館に呼んだ。生きるならこい。まだ死ねない理由があるかもしれない。私が教えてやる、そう口説いてね」

「彼の運命を操ったの?」

「逆よ。運命に従っただけ。
 私は見てみたかった。彼がフランへどう干渉していくのか。
 二人の未来を見てみたかったのよ。もちろん問題はあった」

「その問題がセバスがいないことじゃないの?」

「それも逆。彼は将来貴女と共にいる筈だったのよ」

「え、」

「同じ吸血鬼となった彼は貴女と同じ未来を歩む。私はその運命を見ていた。
 それ以外に見えなかった。貴女は彼と一緒にいる筈だったのに……彼はそれを否定して、私に自分の運命を売った」

「嘘、何で」

「……そこに私がいないから。
 彼と貴女、二人はいつも一緒にいても、私が隣に並ぶことは決してなかった。
 フランが一番望んでいた未来はなかった。私は彼に対して言ったことがあるの。後悔はないのかって。フランが、好きではないのかと」

「……」

「当たり前だって、彼は断言したわ。
 それでも、私をフランと結びつけたいって、そう宣言して契約した」


……なんとなく、理解できた。
あのバカが思ってることが。

わたしを外に出したいことだって、アイツの目的に入ってたのだろう。
でもアイツは何よりも、レミリア・スカーレットとフランドール・スカーレットが共にいる世界を選んだ。
すれ違ったままの姉妹が、端から見ていたアイツからはどんな風に見えたのか。

わたしと、お姉さまが並んで歩ける世界が、光景が、アイツにとって何よりもまぶしいものだとしたら。

それはきっと、彼が何を投げ売ったとしても、見てみたかったことなのかな。

わたしの、ために。

あのバカは自分が見ることもできない未来を悪魔と約束してしまった。


「バカ、本当に、バカよ」

「そうね。でも私は、おかげで一歩を踏み出すことができる」

「お姉さま?」


ふやけた視界の中で、お姉さまの姿がよく見えない。
ざっざっと、こっちに近づいてくる音がしたと思ったら、


ギュッ


力強く引き寄せられて、お姉さまの匂いが強くなった。
抱きしめられた。


「ごめんね、フラン」


時間が止まったかと思った。
それくらい衝撃的。
初めて聞いた、レミリア・スカーレットからの謝罪だった。


「お、お姉さま?」

「これまで、貴女の自由を奪っていてごめんなさい。
 でも私はしなければならなかった。貴女の危険な能力が辺りに影響を及ぼさないように。
 それには、貴女を地下に入れることしかできなかった。こうでもしないと貴女を抑えきれないから」

「……」

「私だって、貴女と一緒に外に出たいと、ずっと思っていたのよ?
 でも怖くてできない。フランが何かを壊すかもしれない。そんな不安がつきまとうから。
 だから待つことにしたのよ。
 フランがいつか、自分の意思で能力を使えるようになるまで。
 精神的に成長するまで。ふふ、おかげで495年も待ってしまったけれど」

「……綺麗事にしか聞こえない」

「そう感じてもらって構わないわ。確かに綺麗事だもの。
 セバスだってそうだった。彼は綺麗事を、本当に心から望んだ。
 綺麗事を嘘にしないために。現実にするために。
 今回のことがなければ、私は貴女とすれ違ったままだったかもしれないわね。その点だけは感謝しているわ、彼に対して、ね」


綺麗事かぁ。
アイツならなんていうかな。
決まってるか。
どうせセバスは、綺麗なことがあるならそれを目指せばいい、とか言うんだろうなぁ。
だって、誰もが望んでいることは嘘偽りない綺麗なことばかりだから。
悲しみなんていらない。ただみんなが笑っている世界が、アイツにとって綺麗な世界だったんだ。

例えセバスがその場にいなくても。
わたしとお姉さまが二人、並んで歩ける世界が眩し過ぎて憧れた。


「ああ、そうか。アイツやっぱり」


バカだ。

全身の力が抜けちゃった。
立てない。膝が地について、そのまま地面に激突する瞬間。
お姉さまが、支えてくれた。


「ごめんね」

「お姉さまのせいじゃないわ」

「それでも、謝りたいの」


約束をしたのは、セバスとお姉さまだ。
良いとか悪いとか、そういう次元の話じゃなくて。

わたしは、どうすればいいんだろう?

お姉さまと二人で外に遊びに行って、幸せになれと?

セバスは本気で考えてたんだろうね。
貴方がいないと、全然成り立たない幸せなんて欲しくない。
わたしはセバスが欲しい。
彼と並べる世界が、わたしには凄く綺麗な未来だ。

ごめんお姉さま。

わたしは、やっぱり彼が一番だったみたい。
ひねくれて、生意気で、凄く温かくて、優しくて。
例え三人並べる世界がなくてもいいから。
わたしは、彼と一緒にいたいんだ。


「ごめんお姉さま」

「フラン?」

「望んどいてアレだけどさ、わたしはやっぱり彼と一緒がいいよ」


お姉さまがいて、

メイドがいて、

図書館の引きこもりがいて、

門番がいて、

わたしがいる紅魔館に。

彼がいてほしい。



きっとそんなことは無理だ。
お姉さまとアイツは契約してしまった。
悪魔と人間の契約は絶対。
まして、アイツは契約とか約束を裏切る奴じゃない。
死んでも守ろうとするバカだし。
じゃあわたしはどうしよう?
お姉さまと彼を天秤にかけて、わたしは彼が良いって言った。
嘘じゃないよ。
本気だと思う。
なら、ひとつしかないよね。
わたしが、取りたい行動なんて。


「ごめんね、お姉さま」

「……行くのねやっぱり。どうしても?」

「うん。大好きなの」


右手を上げた。
掌には、たくさんの目、目、目。
こんなに握れるかわかんないくらい、こぼれ落ちそうなほど多くの目。
さて。
どのくらい破壊しようかしら?

なるべく多く、この幻想郷から追い出されるくらいありったけを。


「ぶっ壊す。この結界を。そんでアイツに会うんだから!」

「あー、それだけは勘弁願えます?」

「「誰だお前!?」」


お姉さまと一緒に叫んじゃったよ。
声の聞こえた方向、空を見上げた。

八雲、紫か。


「出たなラスボスめ」

「お初ですわ吸血鬼の妹さん。さて、結界を破壊すると聞いてやってきましたけれど」

「邪魔すんなっての。今のわたしは、アンタなんかに止められるほど優しくないから」

「ほう? スペルカードを使い切った挙句に連戦で消耗しすぎている貴女が、私に勝てるとでも?」

「ぐ……」


確かに厳しい。
これ以上消耗すると能力も使えなくなる。
でも、よりによってこの妖怪が出てくるなんて。
噂しか知らないけど、八雲紫は最強の妖怪。多分弾幕ごっこもお姉さまと同じくらい強い筈。
詰んだ、かも。


「何か必死に私を睨んでいるみたいですけど、もしかして戦う気なのかしら?
 それなら無駄なことをしなさんな。別にここで貴女を始末する気は一切ないから」

「はぁ?」

「会いたい人がいる。その人は外の世界にいて、手が届かない。
 でも会いたい。彼に会って、この想いを届けたい。そういうことならば私もただの妖怪ではないわ」

「べ、別にそこまで思ってないし」


ただ一発殴って、一言言いたかっただけだ。
好きだ、と。


「そう。ならそれでも良いわ。
 私はそれに加勢するだけ。貴女の想いを届けるための手助けをね」

「……はぁ? ナニソレ?」

「噛み砕いて言いましょうか。私はね、
















貴女を外の世界に送ると言ってるの」













「うそ……」

「な、正気か八雲紫!?
 フランを外の世界に送るだなんて!」

「幻想郷を破壊されるよりマシですから。
 逆に彼を引き入れることはできませんし。なんせ、悪魔の契約ですからね」

「そんなもの、人間はいつだって約束を破るものだろうに!」

「馬鹿だと私も思います。でも馬鹿だったからこそ、彼は妖怪と通じ合えたのではないかと」

「……そんな」

「どうするかは本人次第ですけれど。どうなさいます?」

「行くに決まってんでしょ、今更確認すんな」

「そう。ご家族と一生離ればなれになるかもしれないのに?」

「私は彼を選ぶよ」


迷わないって決めた。
そのための覚悟もしたつもり。
だから、わたしは彼を選ぶよ。




「そう……なら案内しましょう。彼のいる場所まで」






なんか予定が狂ったけど、まあいいや。
さあ覚悟しろよセバス。
私は絶対に諦めないから。

─────────────────────

「ごめんねお姉さま。館のみんなにごめんって伝えてくれるかな」

「いいわよ……ホント、なんて妹なのかしら。
 でも好きよ。行って来なさい。そして彼に会って、言いたいことを伝えてきなさい」

「ならフラン。あとこれを教えてあげる」

「うん?」

「彼の名前。本当の名前よ。会ったら、呼んであげて」

「! りょーかい!」




































八雲紫の言うままに黒いトンネルを抜けると、そこは見たことのない世界だった。
同じ夜。同じ月。
光を放っている長い棒が、あっちこっちに立っていたり、屋根のある小さな家がたくさんあったり、眩しくて大きな箱がちらほらとあったり。
なんだここ。幻想郷と違うと思ってたけど、こんなに違うんだ。


「へんなの」

『”ここ”の世界からしたら、貴女の方がよっぽど変だけどね』

「うわっ、いきなり頭に話しかけてくんな!」

『失礼なことを言うのね。貴女のためになるかと思ってわざわざ脳に直接言葉を送ってるのに』

「なにそれ。そんなことできるの?」

『できないことを上げる方が説明が簡単なんだけどね。まあそれは置いておきましょう。
 兎にも角にも、ここは彼が住んでいる街です。今ちょっとコンビニまで買い物に行ってるから待っていれば帰ってくるわ。この道を通ってね』

「こんびに?」

「一日中開いてるお店よ。幻想郷以外では、割とポピュラーなお店ね。
 何でも置いてあるから、こっちに来る時は私も何度かお世話になってるわ」

「ふぅん」

『後悔しない自信はあるかしら? 幻想郷から出た妖怪は、決して長らく生きることはできない。
 この世界で暮らすには、私たち妖怪という種族は時代に乗り遅れすぎている。最悪、一日も持たずに消えるでしょう。
 空も飛んではいけないし、弾幕ごっこなんてこの世界にはない。
 幻想として縛りのある世界で、妖怪としての能力が消え、いつかは死ぬようになる。それでも、いいの?』

「ん、まあ、そうだよね」

『質問に答えなさい。このままだと貴女は妖怪として死を迎える、という意味なのよ?』

「いいよ、別に」


考えてたよりずっとあっさりと口にできた。
そうだ、いろいろと考えてたけど、結局はそうなんだ。


「わたしは一緒に居たいの」


幻想郷で彼と共にいる未来はなかった。
なら、わたしはここで彼と一緒になる。


「まずはどこにアイツがいるかよね。アンタは何か知らないの?」

『……ここで待ってなさい。一分もしないうちに来るわ。
 ホント、頑固なんだから。いったい誰に似たのかしらね?』

「決まってんじゃんそんなの」



世界最強のお姉さまだろう。


































その言葉通り、道の向こう側から一人、歩いてくるのを見た。
なつかしい風貌、相変わらず黒い髪と黒い服。
見慣れた執事服ではなかったけれど見間違えるはずがない。
それは、彼も同じだったようで、


「フランドール、様?」

「なによ、元気そうじゃん」


久々に顔を見たセバスは、やっぱりいつものセバスだった。


ここは幻想郷じゃない。
外の世界。そしてセバスの故郷。
私の知らない彼。彼の知っているこの世界。

どうしてるかな、何やってるかな。
いつも何してんだろ?
ご飯ちゃんと食べてるかな?
もしかして誰かと一緒に住んでるのかしら?
彼女とかできたのかな?
そんな下らないことばかり考えてたのに、コイツの顔をみた瞬間に、何もかも吹っ飛んじゃった。

それにしても珍しい顔だ。
こんなに驚いた顔なんて、幻想郷で見たことあったっけ?


「え、フランドール様? つーかなんでここに?」

「外の世界だもんね。まあ、仕方ないよね」

「偽物とかじゃなくて?」

「羽生えた幼女って他にも外の世界にもいるの?」

「そんな特殊な幼女はいませんよ」

「幻想郷じゃ珍しくないけど、やっぱりこっちにはそんなのいないんだ」

「いるわけないでしょう。でも、」

「うん。何でここにいるのか、って顔してるね」

「ええ……妖怪が、幻想の貴女が、この世界にいられる筈がないでしょう」


やっぱりそう思うよね。けど、


「結構頑張っちゃった」

「頑張ったって……できるんスかそんな感じで」

「うん、大体そんな感じで」

「んなわけないでしょう」


あらら、断言されちゃったわ。
外の世界に帰るための手段を知ってるセバスなら、当然だと思うけどね。
なにせ当事者だもん。どれだけこの世界に戻るのが大変なのか、彼は知っている筈だ。
でもさーセバス。
何も考えなくて、貴方に会いに来るわけないわよ。


「変な質問するなし。決まってるでしょそんなの」

「……えーと、何が、いつから?」

「わたしがここにいる理由。それはアンタが勝手に幻想郷から出ていった瞬間に決まったのよ」


さあ言おう。
ここにきて、ようやく彼に言うことができる。
思えば、彼に面と向かって言ったことは一度もない。
甘えているときも、怒ってるときも、見つめているときも、一緒の布団で横になってるときも。
凄く優しいわけではなかった。
わたしにだけ親切というわけでもなかった。
むしろ軽口なんて当たり前だったし、わたしには敬意なんて持ってなかったとさえ思える。

ただただ、彼は温かかったから。

わたしを抱きしめてくれる時の彼の匂いと、心まで安らぐような温かさがとても大好きだった。

それだけ。

ただ、彼がわたしの傍にいるだけで、わたしは彼に恋をしていた。
触れあう温かさを、セバスがわたしにくれた。
だから少しでもいい。
わたしは、彼に何かしてあげたい。
これはそれの第一歩だ。
些細だけど大きくて、わたしが望んでいた瞬間の一歩。

言うんだ。

言え。

口が、全然動かない。
気合で何とか動くようになってよ。
早く、言って。

ここまで来て言わないの?

そのためだけに、ううん、やっぱりそのためだけじゃないけど。

言いたいことがあって、どうしても彼に会いたくて。
わたしがそうしたくて、彼に会いに来たのに。
お願いだから、動いて。


「フランドール様」

「セバス?」

「お帰りください、フランドール様」

「え、」

「貴女はここにいられない」


……。
きっぱりと、言うねぇ。
いつになく真面目な顔で、どうしてそう言うのかな貴方は。

傷つくじゃん。

お気に入りの枕を吹っ飛ばしたときよりも、

熱々のコンソメスープを膝の上に零したときよりも、

そして、貴方が紅魔館から黙っていなくなったときよりも、

ずっと、ずっとずっと痛い言葉だよ。

目が霞みだした。
あ、これは泣いてるんじゃないかなきっと。
頬っぺたが冷たい。なんか湿ってるし。
多分下を見れば、雨みたいに濡れた地面が見られるに違いない。ま、今は霞んでるけど。
良い感じにセバスの姿がぼやけてきた。残像かお前。


「どうして?」


疑問が口から出ていた。


「貴女が、吸血鬼だからです」

「……」

「外の世界に吸血鬼はいない。幻想郷にしか存在しない。
 妖怪も精霊も吸血鬼も、そして貴女も。ここにいてはならない。ここにいては駄目なんです。フランドール様、そうでなくては貴女は、」


わかってるよ、そんなもんさ、
この世界から消えてしまうってことくらいさ。
外の世界は、外の世界の常識で生きている。
幻想郷の生き物はかつて、外の世界から流れ込んだものだって、本には書いてあった。
忘れ去られたモノたち。
忘れたものは再び外の世界に行けるわけがない。


「だから何よ」

「フランドール様?」

「そうだから、消えちゃうから何だってのよ!」


なんだろ、この感じ。
せっかくこっちが会いに来たってのに、帰れとか、いられないとか、どうしてそんなこと言うのかな。

この駄目執事め。

もう怒ったわ。

このクソ執事に、一言も二言も、何度でも言ってやらないと気が済まない!


「バカ!! アホ!! このアホ執事!!
 いや、もう執事じゃないからただのセバスか……とにかくこのバカ!」

「ちょ、なんですか一体?」

「どうしたもこうしたもさかしたもあるかぁ!!
 わたしがなんのために貴方のところまで来たと思ってんのよォー!!」

「はぁ」

「どんなに辛くても、きつくても、痛くても悲しくても泣きたくても壊したくても○○したくても我慢したわよ!
 それはセバス! 貴方が絶対に悲しむと思ったから!
 わたしの笑顔のために自分を犠牲にしてくれたって、ようやく理解したから我慢したわ!
 でもこの気持ちだけは、こればっかりは無理。絶対に我慢できない。だからわたしは、貴方のところに来たのに! どうしてわかってくれないのよこのバカァ!!」


半分涙目だったし、裏返った声で何を言ってるかわかんなかったかな。
セバス。でもわたしは貴方に言いたいことがあるんだ。
聞いてよ。今なら、素直に言えるから。


「な、何をわけのわからんことを……!
 とにかくお帰り下さいフランドール様。
 いつ貴女が消えるかわからないこの状況で、この場所に留まっていい筈がない。貴女がいなくなれば、レミリア様と他の紅魔館の人たちが悲しむでしょう!」

「やだ!
 そんな半端な覚悟できた覚えはないよ!
 他の人なんて知るか! わたしはわたしの意思でここにいるんだ!
 この世界にいたら妖怪は消える? はっ、上等じゃん! 消せるもんなら消してみろっての!
 わたしは悪魔の妹、吸血鬼のフランドール・スカーレットよ! そんじょそこらの妖怪と一緒にすんな!」

「いい加減にしろ!!
 家族だろ! 大事にしろよ! こんなわがままで、お前一人のわがままで何人が悲しむと思ってんだ!
 どうやって外の世界に来たかわからないけどな、お前がいなきゃ悲しむ人たちがいるんだよ! 幻想郷だけがお前の居場所だろ!? だったらいなくちゃ駄目なんだ!」




「それなら、だとしたら! アンタも家族だっ―――」





――と、わたしの口から出た咆哮の最後には、彼の本当の名前が出てしまった。










「な、俺の名前……どうして、フランが」

「お姉さまに教えてもらった。
 貴方の名前。この世界での本当の名前。幻想郷で、紅魔館で奪われた筈の名前を」


ねえ、とわたしはもう一度彼の名前を呼んだ。


「わたしと貴方が出会ったときから、貴方はわたしの家族だよ。
 みんな知ってる。貴方がずっと、ずっと一緒にいれたらいいなって思ってたことくらいわかるよ。
 ここに貴方の知り合いとか、親とかいるかもしれない。
 それでも、幻想郷を記憶から失くして欲しくないから、わたしは貴方と一緒にいたいからここに来たんだよ」

「だけど、俺は契約をした」

「馬っ鹿だなぁ。わたしの望みはね、ずっとずっと貴方と、お姉さまと一緒にいられることだったのに。
 素直に言えなかったわたしも、愚直に夢を叶えようとした貴方も、本当に馬鹿だよ。
 けれど、どっちもは選べないから。三人で一緒にはいられないから。
 だからわたしは貴方を選ぶよ。ずっと一緒にいて。そして忘れないで。誰かの記憶にわたしがいる限り、ずっとずっとここで暮らせる。
 忘れ去られないように、わたしは貴方と共にいたい。
 
 好きよセバス。
 
 わたしと一緒にいて。ずっとずっと」

「っ……でも、俺は貴女を一度っ!?」


言わせない。
一足でセバスの目の前まで飛び、その腰に腕を回す。
わたしとは違う、大きな大きなセバスの身体があった。


「……やっと、」

「お嬢様?」


やっと、届いた。



わたしの居場所。

安心できる場所。

わたしだけの、わたしが望む場所。

それでも、足りない。
まだ、足りない。

足りないから欲しいよ。
ねぇ、ちょうだい?


「……アスファルトを蹴り砕いてまで抱っこされたかったのか」


なんだ、あすふぁると、って。
ああ、この灰色の地面のことか。
えらく脆いのを蹴ったなーと思ったわ。
それよりはやくちょうだいよ。
ほら、手が空いてるでしょう?


「帽子まで落として、全く。お嬢様のくせにはしたない」

「くせにとか言うな。お前は執事のくせに生意気すぎ」

「でも貴女にとってそれぐらいが、丁度いいでしょう?」

「なーにまた執事の口調で。……まあね。クソ生意気なセバスくらいが、わたしには丁度いいよ」

「勿体なきお言葉」

「それよりさ、とっととちょうだいよ。もう我慢できないわ」

「はい?」

「手、空いてるじゃん」

「……なるほど」


途端にぎゅっとされる感触。
強く感じる彼の匂い。温かみ。それらの気配全てが、愛おしい。
わたしの髪を柔らかく梳いてくれる大きな手の温かさと優しさが、わたしはとても大好き。
何度も何度も彼の名を小さく呼ぶ。
ぐしゃぐしゃになったセバスの服なんて気にならない。
わたしは手を放さない。放したくない。


「……勝手に消えたことを、怒ってらっしゃいますか?」

「怒れるわけ、ないでしょう……」


どのくらいの時間、彼がわたしの頭を撫でながらあやしていてくれたのかわからない。
ややあって、彼が言った言葉をわたしは否定した。


「わたしのために貴方が払った対価を、わたしは怒れない」

「そうですか」

「貴方はわたしのことを考えて、お姉さまに願いを言った。
 お姉さまはそれを叶える代わりに貴方から代償を受け取った。
 わたしに怒る権利なんてないわ。でも、それでも言うのであれば、悲しかった」

「……」

「怒りよりも、ずっとずっと悲しかったよ。
 貴方はわたしの執事で、わたしの願いは貴方の願いだとセバスは言った。
 けれど、わたしの願いには貴方がいなきゃ駄目なんだから。
 一緒に居て、一緒に笑って、泣いた時はあやしてくれて、寂しい時は抱っこをしてくれて、背伸びをしたらキスをしてくれる。貴方が伸ばす手を、わたしが掴んで歩く。
 わたしはそんな風に居たかったんだよセバス。
 お姉さまとわたしのことで、貴方に辛い思いをさせてごめんなさい。だから、今度はわたしが貴方に手を伸ばす。
 一緒にいて。わたしに貴方の人生を全てちょうだい。代わりにわたしは、わたしを全部あげるから」

「フランドール様、」


急に、彼の腕の力が強くなった気がした。


「セバス……?」

「俺は、貴女が大好きです」

「本当?」

「本当です。好きでは足りません。
 どうしてこの世界は、好きと愛してるの二言でしか相手に伝えられないのか。
 これだけの想いは言葉では足りない。いくら言っても、俺は貴女への想いを伝えられたと思えないんです」

「っ! わたしだって!」


そう言って、彼よりも強く抱きしめる。
本気でやったら死んじゃうから、もちろん手加減はしてるけど。


「わたしだって足りない!
 好きだって、愛してるって! そんな言葉じゃ足りないもの!
 ずっとずっとずっと傍にいたい! 例え死んだとしても、わたしはきっと絶対一緒にいる!」

「俺だって一緒です!
 貴女を、フランドール・スカーレットと同じ世界にいられないことなんて……考えたくなかった。
 それでも俺には、貴女と隣にいたとしても、レミリア様と同じ未来を歩けない貴女を、捨てることをなんてできはしなかったんです。
 貴女たちは一緒にいるべき存在です。姉妹として、同じ血族として、家族として。俺はそう思ってここに帰ってきました」

「バカ……確かにわたしは望んでいたわ。お姉さまと並んで外に出るっていう願いを。
 でもその願いは、貴方が隣にいることが前提。お姉さまには凄く申し訳ないけれど、それでも!」



わたしは貴方を選ぶ。片方しか繋げない運命なら、わたしは貴方を選びたいんだ。
腰に回した腕を放し、彼の眼前まで手を伸ばす。


「誓って」


彼への想いを。
わたしからの想いを。


「絶対に、この手を放さないって」


彼よりも小さく、か細い指先。
けれど力は、彼の何百倍も強い指先。
貴方へ伸ばすには届かないけれど、わたしが足りない分だけ貴方がその長い手を伸ばしてくれれば繋げられるから。


「……後悔はしませんか?
 俺と一緒に。人という短い人生のために、貴女という存在を賭けてまで、外の世界で刹那の時間を共有することを」

「くどい。わたしは貴方が大好きよ」

「俺も大好きです。故に誓いましょう。
 もう決して放さない。嫌だと言われようとずっと、ずっと一緒にいます。俺の生涯を賭けて」

「ホントに? 絶対、絶対に一緒よ」

「永遠は無理でしょうが、できる限り」

「……そこはもうちょっと、せめて永遠にくらいは言ってほしいんだけどなぁ」

「でもまあ、事実ですからね」

「このへたれ」


でも、大好き。
声にはしないけど、心からそう感じてる。
彼もきっとそうだろう。だって、こんなにやさしくわたしの手を取り、握り返してくれるのだから。


彼の匂いをいっぱい吸い込んで、安心する。



ここがわたしの居場所。

彼と一緒にいる、この世界で。

























「……さて。ずっと外にいるのも何なのでどこに行きます?」

「うん。ってあれ? いつの間にか八雲紫の気配が消えてるし」

「あの人ですか。
 とにもかくにも、外で抱き合ってたらさすがに目立ちますのでうちに行きましょうか」

「うわーダイタン」

「張っ倒すぞこのロリ」

「はん、押し倒すならベッドの上だけにしろよへたれ」

「……笑えないジョークはやめて下さい。
 お嬢様も荷物があるみたいですから、ささっと置いてしまいましょう」

「ふーん。じゃあその後でいいや」

「は? 何がです?」

「再会のちゅー」

「……ええ、はい」


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最終更新:2014年07月04日 21:21