それは春一番の風が過ぎ去った春のある日。
収まりつつあったとはいえその日も春の訪れを喜ぶかのように吹きすさぶ風の強い日だった。
「暖かくなってはきたけどもまだまだ夜はまだまだ肌寒いな……」
そんなことを口にしながら帰る道すがら、目にしたのは誰かに置き忘れるられたのか道端に野ざらしにされている奇妙な色合いの傘だった。
――風が強くて壊れてそのままにされたのか……
そう思いながらもその奇抜な紫色の色合いに何故か惹かれるものがあり、骨組みまでは折れていなそうだったのもありそのまま持ち帰ることにした。
――それが始まりでそれが全てだった。
次の日の朝、まだまだ吹く風の音に目を覚ます。
仕事の時間にはまだ少し早い為再度まどろみの中に戻ろうとすると扉を叩く音が聞こえる。
こんな時間に来客など珍しいものだと思いながら布団から出て玄関へと向かう。
「はいはい、お待たせしました。今開けますので――」
そう言いながら扉を開けるとそこに居たのは特徴的な目の色をした一人の少女だった。
どことなくそわそわとした様子のその少女に少し驚きながらもとりあえずどの様な用事なのかを尋ねることにした。
「おはようございます、こんな朝早くにどうかされましたか?」
記憶をさぐるもどうにも見たことがない少女である。
そんな自分に対して彼女の放った言葉は――
「おはようございます! 住まわせてください!!」
――そんな訳がわからない言葉だった。
……よし、整理しよう。
今は早朝。 目の前には初めて見る少女。 ここは自宅。
そこから導かれる答えは……
「間に合ってますので大丈夫です」
そう言って扉を閉める。
新聞の勧誘か宗教の類だろう。
最近なんか多くなってきてるって話は聞くし、わざわざこんな早朝に来なくてもなぁ……
そんな取り留めもないことを思いながら二度寝でもしようか迷っていると先程よりもより強く叩かれる扉。
そのままにしていようかとも思ったが如何せんこの騒音では眠ることも出来ないし何より通りすがりの誰かに見られても色々と面倒だ。
そんな事を考えながら再度扉を開くと先程と若干変わり今にも泣き出しそうな表情の少女と目があった。
「いきなり酷いじゃないですか! わたしが何をしたっていうんですか!!」
「いや、早朝にいきなり挨拶と同時に住まわせてくれなんて言われたら至極当然の反応だと思うのですが……」
うん、一般常識でいえば当然だろう。 そして彼女はその常識とは恐らくかけ離れているだろうことは何となくだが理解出来ている。
きょとんとした表情をすると何やら考え出した。
そのままにしていても埒があかなかったのでとりあえず自分から尋ねてみる。
「それで、貴方はどこの誰でどのようなご用件でしょうか?」
「あ、はい! わたし、多々良 小傘と言います! この辺りに忘れ物をしてしまってそれを探しているんです! それで良ければ見つかるまで住まわせてください!!」
「判りました、頑張って見つけてくださいね。 それでは失礼します」
そう言って扉を閉めようとするとすんでのところで手を挟まれてしまった。 意外と素早い反応だな……。
「お願いします! この辺りなのは間違いないんです……! この辺り他にお家もないし私住むところもないんです……!」
そう必死の表情で言ってくる少女。
確かにこの辺りは少し僻地に当たる場所ではあるしその必死な感じに嘘はなさそうではある。
「……はぁ、判りました。 住んでいいかはまた別の問題ですがとりあえず話だけでも聞かせてください」
我ながらお人よしだなぁとは思うがさすがにこのまま放っておくわけにもいかないのでひとまず上がらせることにした。
「それで、忘れ物とは何を忘れたのでしょうか?」
少女……小傘をとりあえず居間に座らせてお茶の用意をして話を聞いてみようとする。
彼女はというと所在なさげに辺りをせわしなくきょろきょろと見渡している。
その姿はどことなく小動物っぽさを見受けられて見てる分には可愛らしいものであった。
「あ、はい。 わたしが忘れたものは……」
「忘れたものは?」
「忘れたものは……なんだっけ?」
「おかえりください」
おちょくられているのだろうか。 本気でそう思う。
「あぁ! 違うんです! えーと、えーと……」
そう言って慌てふためく小傘。 もしかするとこれは……
「とりあえず落ち着いて。 まず君は普段どこに住んでいるんですか?」
「私は……あれ? どこだっけ……?」
そうこめかみに手を当て考え始める小傘。 にわかには信じがたいがやはり……
「もしかして……覚えがない……とか……?」
尋ねてみると戸惑いがちに俯いてしまった。
ふむ、俄かには信じがたいことではあるが小傘の不安気な様子からは嘘などをついているようには感じられなかった。
そのまましばらくの間互いに言葉もなく沈黙が場を覆う。
そうして少しして小傘が口を開く。
「……わたしにもなんでなのか判らないんです……でも、確かにわたしは大事な何かを忘れてしまったんです。 それはなくてはならない大事なものなんです。
それが見つかればどこから来たかとかも思い出せるはずなんです。 だからお願いします……その間だけでもここに居させてもらえませんか……?」
そう一息に告げてまた小傘は俯いてしまった。
――我ながらお人好しであるとは思う。 誰かに話せば馬鹿と言われるだろうことも判る。
ただ、小傘の必死な様子に嘘をついている様子は感じられなかったし……何よりもまだ幼さの残る少女を放っておくわけにもいけない。
「――判りました。 特に何が出来るというわけではないですし、こちらから何かしてあげられることもないですけれどもそれで良ければ探していってください」
「ほ、本当ですか!? ありがとうございます!!」
そう告げると俯いていた様子が嘘の様に一転して花が咲く様な笑顔を浮かばせる。
……少し見惚れて戸惑ってしまったのば年頃の男なら仕方ないことだと思う。
まぁ暖かくなってきたとはいえまだ強い風が吹きすさぶ時期だ。
無慈悲に放っておいて何か起きても寝覚めが悪いから……そんな風に納得することにした。
「それじゃ、とりあえず自分は仕事に行かなくてはいかないので。 特に盗られて困るような物もないですがどこかに探しに行くなら扉だけは閉めていってくださいね」
「判りました、本当にありがとうございます! ……あ……えーと……」
そう言って考え込む小傘。 あぁ、そういえば――
「そういえばまだ教えてなかったですね。 ○○といいます。 ……しばらくの間だとは思いますが、これからよろしくお願いしますね、小傘さん」
「○○……さん。 ……うん、よろしくね! ○○さん!!」
そう、元気な声で笑いかける小傘。
――これが、短くて長い、どこかしらおかしい彼女との生活の始まりだった――
一日の仕事を終え、帰路に着く。
相変わらず風は強く、暖かい日差しの日中はいいのだが夜になると肌寒い毎日だ。
背を押されるように進み、家の扉を開ける。
そうして居間に上り込むと……
「そういえばそうだったな……」
座布団を抱きしめながら眠る小傘の姿を見つける。
軽い気持ちがなかったわけじゃない。
無くしたものというのもすぐに見つかって書置きでも残して居なくなっているだろう。
そんな考えもあったのだがどうやら甘い考えだったらしい。
まぁそれが何かも判らず、まるで空を掴むような話なのだから仕方ない。 それに一度約束したのだ。
今更それを反古にするつもりもない。
そんなことを考えながらもとりあえず小傘に今日の進捗を尋ねなければいけないだろう。
仕事で疲れた身の上、少し思うこともあったがその幸せそうな寝顔を見ていると些細なことだと思ってしまうのは仕方ないことだ。
そう思いながら未だに眠り続ける小傘を起こすことにする。
「そんなところで寝ていると風邪を引きますよ、ほら起きてください」
「うぅん……あと5時間んぅ……」
……また古典的な。 というかその時間じゃ起きても丑三つ時になるだろうに……
そう思いながら肩を揺さぶると億劫そうに目を開ける。
改めて小傘の顔を見る。 やはり特徴的なその瞳。 オッドアイというのだったか。青と赤のその瞳の色合い。
どこか吸い込まれそうなその瞳を見つめているとようやく意識がはっきりした小傘が驚いた表情を見せる。
「んぅ……○○……? ふぇ!?ここは……」
「まだ寝ぼけているんですね、おはようございます。 今戻りました」
「あ……そうか。 うん、おはよう○○。 おかえりなさい!」
そう元気な声で笑いかけてくる。
ん、元気があることはいいことだ。
「はい、ただいまです。 とりあえず今日の結果を聞いておきたいのですがどうでしたでしょうか? 何か思い出せましたか?」
そう問いかけると嬉しそうな表情が一転して俯いてしまった。
まぁ一朝一夕でどうにかなるものとはあまり考えていなかったし気にしないのだが。
「うん……あのね――」
――くぅ……
小傘の報告を聞こうとしたその時そんな可愛らしい音が聞こえてきた。
「……」
「…………」
少しの静寂の後、今まで以上に恥ずかしそうに俯く小傘。
そういえば朝食の後特に何も用意せずに家を出てしまったことを思い出す。
「……とりあえず夕食にしましょうか。 今日の話はその後にでも」
「……うぅ……ごめんなさい」
「気にしないでください、用意しなかった自分も悪いですから」
そう伝えてとりあえず食事の用意に取り掛かることにする。
「あ、わたしも手伝います!」
そう小傘の方から申し出られる。
別に構わないのだが暫定的にではあるが居候の立ち位置になるので思う所があるのだろう。
特に断る理由もなかったので頼むことにした。
――そう思った自分に思い直せと伝えたい。 切実に。
結果は散々なものであった。 料理の仕方を覚えていなかったのは仕方ない。
しかし、食器を落とす、井戸からの水汲みは桶を落とす、極め付けはどのようにしたのか判らないが台拭きを破るなど……
親切心を無碍にするのは心無かったが泣きそうな表情の小傘に大人しく待っててもらうことにした。
不思議なのは作業中にもあれだけ鳴らしていた腹の音がいつのまにか止んでいたことぐらいだが
料理の匂いを嗅いで少し収まったのだろうと納得することにした。
そうして夕食を終えて、改めて今日の出来事を尋ねかける。
「それで、今日はどんな感じだったのでしょうか?」
「あ……えーと……そのぅ……」
そうどこか申し訳なさそうに口ごもる。
進展が特になかったのは理解してはいるがどうしたのだろうかと思っていると……
「……すみません! あの後すぐに眠ってしまって……何も調べてないんです……」
そんな風に謝られた。
「あぁなるほど。 まぁ仕方ないですよ、疲れていたのでしょうしゆっくりと思い出していってもらえれば。
まぁいつまでもというのはこちらとしても約束は出来ないですけれども、出来る限りは助けになれればと思っていますし」
そう、いきなり何処かも知らないところにいて知らない誰かの厄介になるというのだ。
色々と不安に思うことがあるのも当然である。
安易な確約は出来はしないが、かといってそのまま放っておくわけにはいかないと思ったのだ。
お人好しと言われるかもしれないが自分に何かしら出来るのであれば小傘の助けになろうとは決めている。
そんな風に考えを巡らせていると不思議そうにこちらを上目で見上げている小傘に気付く。
「……○○……さんはどうしてそこまで親身になってくれるんでしょうか?
わたしがいうのもなんだとは思うのですが普通は忘れ物を探している知らない人なんて放っておくものだと思うんです」
……うーん、特にこれといった理由もないんだが……
「そうですねぇ、きっと単純にお人好しなんですよ。 後は困った時はお互い様、って感じでしょうか」
「そんなものなのでしょうか……わたしの知っている……であろう人達はそんなことなかったと思います。 忘れたものはそのままに代わりを見つける……使うのが普通というような」
「内容にも拠りますけどね、まぁ見ての通りのあばら家での一人暮らしだし気にすることもないです。 悪いですけれども出来ることもそんなにありませんし」
そう苦笑交じりに笑いかける。 実際問題、自分に出来ることなどそれ程ないのだ。
「っ!! そんなことありません! わたしは本当に助かっているんです!!」
こちらが吃驚する程、力強く否定する小傘。
「そうですか……そう思ってもらえてるなら嬉しいです」
まぁ、頼られて悪い気もしない。 ふとした拍子に忘れたのなら同じように簡単に思い出せるかもしれない。
そんな風に楽観的に考えることにした。
――さて、どうしようかな。
夕食後の会話も終えて、一日の終わり。 言うまでもなくこの家には一人暮らしである。 当然布団も一組のみ。
とりあえず小傘に布団を貸して今日一日くらいは居間で寝るか。
「それじゃ、とりあえず布団使っていいですからね。 夜中はまだ冷え込むので毛布もそこにありますから使ってください」
「そんな!悪いです、わたしがそちらで寝ます!」
「いや、女の子にそんなことさせられませんから。 一日ぐらいなら大丈夫でしょうし気にしないでいいですよ」
そう断り、居間へと向かおうとする。
明日仕事が終わった後にでも買いに行くことになりそうだ……そんなことを考えていると寝間着の裾を引かれる。
「あの……それなら一緒に寝ませんか?」
そんな突拍子もない提案をされる。 ……いやいやありえない。 純粋に善意での提案であろうことは理解している。
ただ自分も男だ。 精神衛生上よくない、色々と。
今まで基本波風立てずに生きてきた。 よく言えば思慮的。 悪く言えばただのヘタレなのだから。
「さすがに女の子と一緒には寝れませんよ、気にしなくていいですからまずはじっくり休んでください。 でないと、見つかるものも見つかりませんから――」
そうやんわりと断ろうとするとぽつりと呟く。
「不安……なんです。」
ぽつりと消えてしまいそうな、か細い声で呟く。
「起きたら全て夢なんじゃないかって。 一人で何処か知らないところにいて他には誰も居ないんじゃないかって……」
――忘れたのではなく、忘れられた身なのではないのか――
そんな、当然の不安を口にして俯く小傘。 よくよく確認してみると裾を握るその手も小さく震えている。
……我慢と我儘は違うな。
そうして踵を返して寝室へと向かう。
不思議そうな表情をしている小傘に笑いかける。
「そろそろいい時間ですね、明日は自分も仕事が休みですので探しものにも付き合えます。 だから今日はもう眠りましょうか?」
「は、はい!!」
そう、心底嬉しそうに笑う。 うん、やっぱり沈んだ顔をされているよりはその方がこちらとしても嬉しいものだ。
そうして小傘と共に布団に潜る。 さすがに向き直るということは恥ずかしくて出来ず、少しでも早く寝付こうと考える。
しかしやはり少なからず意識はしてしまうもので中々意識はまどろんではくれなかった。
――古典的だけども羊でも数えるかな――
そんなことを目を瞑りながら考えているとと隣から同じように寝付けていないのか、小傘から声を掛けられる。
「……もう眠っちゃいましたか?」
「いや、まだ起きてますよ。 どうにもやぱりいつもと勝手が違うんでしょうね。 あぁいや、迷惑とかではないので気にしないでください」
「……本当にありがとうございます。 こんな勝手なお願いまで聞いてくれて。
……わたしも昼間に横になっていたからなのかもしれませんが寝付けなくて……まだ起きていらっしゃるのでしたら少しお話に付き合ってもらってもいいですか?」
「あぁ、もちろんですよ。 何か聞きたいこととかありますか? 答えられる範囲なら答えますよ」
そんな風に小傘と取り留めもない会話をする。
話している内に何かしら思い出せることもあるかもしれない。
この辺りのこと、仕事のこと――小傘に記憶がない為、基本的には必然的に自分のことについて話すこととなっていた。
小傘についても、全く記憶がないというわけではなく自分の名前はもちろん、物の名称などは判るということらしかった。
「○○、さんはここにずっと前から居るんですか?」
話の流れでふとそんなことを尋ねられる。
「あぁそうですね、前はもう少し仕事場……人里に近いところに住んでいたのですけれども以前引っ越してきてからはここに住んでいます。
もうそれなりに住み始めてから長くなっていますかね。 あぁそれと……呼びづらかったら敬語使わなくても構わないですよ?」
名前を呼ばれる際に口籠られるのが少し気になっていたので聞いてみる。
「え……でも……」
やはり居候ということ身の上であるため遠慮もあるのだろう。
ただ、こちらとしても別に必要以上にかしこまられても疲れてしまうだけだ。
戸惑う小傘の様子が背中で伺えるので助け舟を出すことにする。
「とりあえず『さん』付けは外してもらって構わないですよ、もっと気楽にしてもらって構わないので」
「でも……えーと……」
慌てた雰囲気が伝わってくる。 まぁ性格的なのもあるのだろうし無理強いはしたくはないが……
「まぁ無理にとは言いませんので。 ただとりあえずこちらは気にしないということだけ……」
そんな気休めの言葉を掛けようとすると小傘がこちらに向き直った気配がする。
――なんだろう? と思っていると――
「わ、判りました。 でも、○○さん……○○もわたしのこと呼び捨てで構いません。 むしろそうしてもらえるとありがたいです」
そんなか細く、しかし少しの勇気を込めたであろう調子で言う。
――確かにこちらから言い出したことだ。 小傘にだけ強制させるというのもおかしな話ではある。
「それもそうですね、判りました。 生憎、言葉遣いが丁重になってしまうのは性分なので矯正は難しいですが呼び方くらいは変えましょうか。
――改めてしばらくの間、よろしくお願いしますね、小傘」
「わ、判りました! こちらこそです! えーと……○○……」
そう照れくさそうに、でもどことなく嬉しそうに言う小傘。
その様子にこちらも嬉しくなりながら、眠りに就くまでのしばらくの間お互いに他愛もない話をしていた――
朝の日差しに目を覚ます。
今日は少し暖かい陽気なのだろうか……そんなことを考えたが、暖かいのは布団の中なのだということに気付く。
何故だろうと思い身じろぐと――
「んー――えへへ……」
「――朝からこれは多少刺激が強いですね……」
そんな、幸せそうにこちらに手を回す小傘に気付く。
寝癖がそれ程悪くなさそうなのが幸いか。
せっかく幸せそうに寝てるのに起こすのも拙いので起こさないように布団から出る。
さて、朝の用意だけでもしてしまわないと。
「うぅん……ふぁあ……」
朝食の用意をしていると声が聞こえる。
そろそろ起きてくる頃合いだろうか。
「おはようございます、よく眠れましたか?」
「あ……おはよう○○……ふぁあ……」
「それ程朝は強くないみたいですね、もうすぐ朝食が出来ますので顔でも洗ってきてはどうでしょうか?」
「うん……わかったぁ……」
そう言って覚束ない足取りで動き出す小傘。 ふらふらしているけれども大丈夫だろうか……
「うひゃぁ!? つ、冷たい!?」
やっぱりなぁ……
遠くでそんな声が聞こえて苦笑するしかなかった。
「うぅ……吃驚したよぅ……」
「まだまだ朝は肌寒い陽気ですからね、でも目は覚めたでしょう?」
そんな風にふざけながら小傘と共に朝食を食べる。
さて、今日はどうするか。 とりあえず小傘に付き合うとして最低限布団だけは買ってきてしまわなければ。
となると、午後に一度里の方へ向かわなければいけないな――そう思い小傘に相談する。
「とりあえず今日は一度里に向かおうと思っているのですが、小傘さ……小傘はどこか向かいたい所はありますか?」
「わたしは特にはない……かなぁ、というよりもどこに行けば良いのかも判らないし」
「確かにそうですね、それではまずはこの辺りを出歩いて後で里まで向かってみましょうか。 もしかしたら知り合い等もいるかもしれないですし」
「うん、判った! よろしくね○○!!」
「はい、それじゃとりあえず朝食を食べてしまいましょうか」
そう思い箸を進めていると小傘が感心した様子でこちらを見ている。
はて、何か気になる点でもあっただろうか――そう考えていると小傘が口を開く。
「でも○○凄いよね、一人でなんでも出来るし。 料理もすっごく美味しいよ!」
そう、屈託のない笑みで言われる。
一人暮らしで身についた程度の味なので大層なものではないのだが褒められる機会なども今まで当然なかったので素直に嬉しいものだ。
「なんでも、というわけではないのですけれどもね。 でも誰かに食べてもらうことなんてこちらとしても初めてのことなので
そう言ってもらえると素直に嬉しいですよ。――ありがとうございます」
そう、微笑みながら素直な気持ちを言葉にすると、何故か慌てふためき俯く小傘。
はて、何か変なことを口にしただろうか……?
結局、食べ終わるまで小傘はどこかしら慌てた様子だった。
「やはりまだ少し肌寒いですね、上着などは大丈夫ですか?」
「うん、これぐらいなら全然平気かな。 ○○こそ大丈夫?」
「えぇ、私は少し厚着していますからね。 でも上着なら貸せますので気軽に仰ってください」
「うん、わかった! ありがとう○○!!」
そうはしゃぎながら言う小傘。 少しづつ日も照ってきたので大丈夫だろう、とその嬉しそうな様子を見ながら思う。
「それでは、とりあえずこの辺りを散策してみましょうか。 といっても畑と林くらいしかありませんが」
「うん、よろしくね!」
さて、とりあえず外に出てはみたのだが――如何せん手掛かりが皆無ではどこから手を付けていいものやら。
そんなことを考えながら歩いていると向こうから歩いてくる人影を見つける。
彼女は確か――
「おぉ、○○じゃないか。 この時間からだと仕事にでも出掛けるのかな?」
「あぁ慧音さんおはようございます。 いえ、今日はお休みですね。 後で里には買い出しに向かいますが」
そう彼女――里の守り人 上白沢 慧音と談笑する。
この時間に彼女と会うことは珍しいがいつも教鞭を揮っている寺子屋が今日は休みなのだろう。
「そうか、いつも勤勉に働いているのは知っているからな、たまの休みくらいしっかりと休むといい。 ――うん?」
そう言って後ろを気にする慧音。 あぁそういえば紹介しなければいけないな……そう思い後ろを見ると――
「……どうかしましたか? 小傘」
自分の後ろにぴったりとくっつき隠れている小傘に気が付いた。
人見知りする性格だったのだろうか。 少し意外に感じるがとりあえず紹介することにする。
それに里の守り人である慧音ならば小傘のことを知っているかもしれない。
「こちらは小傘、訳あってしばらくの間面倒を見ることになったのです。 ほら、小傘も挨拶をして」
「……」
前に出そうとするが相変わらず警戒してしまっていて前に出てこようとしない。
さて……どうしたものか。 そんな風に考えていると慧音から声をかけられる。
「あぁいいさ、無理にさせてもいいこともない。 ……しかし、小傘か」
「もしかして小傘のことをどこかで見かけたことなどありましたでしょうか?」
どこか考え込んでいる慧音に尋ねる。 確かに小傘が里の人間であったなら慧音の方が覚えがあるかもしれない。
「あぁすまない、どこかで見た覚えがあるのだが……名前にも聞き覚えがあるのだが申し訳ない、どこでだったか少し思い出せないな」
「そうでしたか……でも里に向かう用事が出来ました、ありがとうございます」
慧音ならばもしかしたら、とも思ったがどうやら覚えがないらしい。
だが、見かけたことがあるということならばやはり里に向かってみるべきだと思い慧音に礼を告げる。
「あぁ構わないさ。 こちらこそ悪いな力になってやれず。 また里での仕事の際にはよろしく頼む。 それじゃ、小傘もまた会おう」
「……」
そうして慧音と別れてから歩いていると不意に小傘から話掛けられる。
「……ごめんなさい」
「あぁいえ、覚えがないのでしたら仕方ないですよ」
「わたしもどこかであの人のこと見た気がするんだけど……」
そういって俯く小傘。 思い出せそうで思い出せない歯痒さがあるのだろう。
「大丈夫、思い出せるまでは頼りないかもしれませんが力になりますよ」
安心させようとそう伝える。
そう、乗りかかった舟とはいえ放ってはおけないと決めたのだ。 ならば出来うる限りの手助けはしなければいけない。
「……うぅん、ありがとう!」
はにかむ小傘。 多少は元気を取り戻してくれたようでこちらも安心して里へと共に向かうことにした。
「……うわぁ……人がいっぱいだ」
「今日は休日ですからね、自分と同じように休みの人も多いのでしょう。 迷子にならないようにしてくださいね?」
そう言って小傘の手を取ろうとすると――
「うひゃぁ!?」
そんな驚きの声と共に振り払われてしまう。 女の子である小傘にするには拙かったかな……
「あ、すみません。 迷惑でしたかね。 失礼しました」
せめて一声掛けてからにするべきだったか……とりあえず謝罪してそのまま先へ進もうとすると慌てた小傘の声に遮られる。
「あ、ううん! 迷惑とかじゃなくて吃驚しただけというか……決して嫌だったってわけじゃないの!!」
そう力強く否定される。
「なら良かったです、人混みもこれから増えてくると思いますのでお互いに迷子にならないようしっかり繋いでおきましょう」
「う、うん! よろしくお願いします!!」
緊張した面持ちで恐る恐る手を握る小傘。
……そこまで強張る必要はないと思うんだけども……
特に気にしても仕方がないので痛いくらいに手を握る小傘をそのままにさせておいた。
「おぅ、○○。 休みにこっちに出てくるのは珍しいな」
「あ、次郎さんこんにちは。 まぁ買い出しがてらの散策ですね」
「あっはっは、珍しいこともあるもんだ。 まぁ休みだからって籠りっきりじゃいけねーわな。 いいことだ」
「人を引き籠りみたいに言わないでもらいたいですね……まったく」
そうして歩いていると、不意に里の仕事仲間である次郎さんに声を掛けられる。
確かに休みに買い出しに出ることなどは珍しいのだけども……その言い方はどこか納得がいかない。
そんな風に若干ふて腐れていると次郎さんは当然の様に小傘に気付く。
まぁはぐれない様に手を繋いでいるのだから当然か。
「お、なんだなんだ逢引かー。 今まで浮いた話の一つもなかったがそんな可愛い嬢ちゃんとなんて○○も中々やるじゃねーか」
「か、可愛いなんて……!」
そんなことを言われてまた慌てふためく小傘。
悪い人じゃないんだけども豪快な人なんだよなぁ……
「小傘はそういうんじゃないですよ、少しの縁でしばらくお世話をすることになったんです」
そう訂正を入れる。 自分は特に気にしないが思い出した時に変な噂が立っていれば小傘も困るだろう。
「照れなくってもいいってーの。 どっかで見掛けたことある子だけど良い子そうじゃねーか。 いいじゃねーか幸せそうでよ」
「ですから……」
「おっと、すまねぇこっちも買い出しの途中なんだ。 まぁ詳しくは今度聞かせてもらうよ」
そうしてこちらの肩を叩き行ってしまった。 いい人なんだけどなぁ……
「すみません、きちんと誤解は解いておきますので……」
そう言って小傘の方を向くとどこかしらむくれている小傘に気付く。
はて……? どうかしただろうか?
「どうかしましたか?」
「むぅ……なんでもない!」
そうして急いで前に進む小傘。 何かしら機嫌を損ねることでもあっただろうか……?
あ、ただそのままだと――
「うひゃあ!?」
案の定、手を繋いだままだったので派手にこちらへ倒れこむ小傘を慌てて受け止める。
「ととっ……危ないですよ、大丈夫ですか?」
「あ、あぅ……」
思わずこちらに倒れこんだ小傘をしっかり抱き留める。
慌てて怪我などないか確認するがどこかしら顔を赤くしている以外は怪我などもなさそうだ。
「誰かにぶつかってしまうかもしれませんから気を付けてくださいね?」
「うぅ……はい……」
元気なことは良いことなのだがそれで怪我などされては面倒を見ると言った手前、こちらとしても困ってしまうので注意をしておいた。
「ところで、何かしら思い当たることとかありましたでしょうか?」
日も真上に上がりいい時間になってきたので里の茶屋に入り一息付いた時に聞いてみる。
慧音さんが見覚えがあるということは里には来たことがあるはずなのだ。
「うーん……確かにここには何度も来たことあるはずなんだけど……ごめんなさい」
「いえ、気にしないで下さい。 それに、覚え自体があるということだけでも僥倖ですよ」
全くの空振りというわけでもないのだ。 今のところは特にこちらとしても急ぐものではない。
「……ありがとう、○○」
そうはにかみ礼を言う小傘。
多少は打ち解けられてきているのだろうか。 それならば嬉しいものだ。
「いえいえ、お気になさらず。 ゆっくりでいいんですよ」
「うん!」
とりあえず買い物を終え、少し大きい荷物を担ぎながら歩く。
出掛ける時と違い若干雲行きも怪しくなってきた。
しばらくは晴天が続くだろうと思っていたが布団などは干すのはまたにするか……
「そういえば、何か食べられなさそうな物って覚えていますか? もちろん好きな物があればそれがいいのですが」
「うーん……特にはないと思う。 何を食べてたのか覚えてないけども○○の料理美味しいし!」
「そう言ってもらえると嬉しいですね、では戻ったら夕食作りますので」
「うん、楽しみにしてるねっ!」
「はい、もし出掛けるのであればそろそろ暗くなってきますし夜は危険ですからあまり遠出はしないようにしてくださいね」
「わかった!」
昼間は問題ないとはいえ里の外れに位置する我が家である。
最低限の注意だけは伝えておかなければいけない。
「んー……迷子になってしまったかな」
ある程度夕食の準備を終えたのだが出ていった小傘が未だに戻らない。
周りに特になにもないとはいえ同行するべきだったか……
そんなことを考えながら外を見ると今にも降り出してきそうな曇天の空だった。
「――書置きでも残しておきましょうか」
降り出してからではいくらなんでも遅い。
無用な心配かもしれないが小傘を探しに行くことにした。
「あ、良かった。 そこにいらっしゃったんですね」
幸いにもそれ程探すこともなく小傘の後ろ姿を見つける。
こちらに気付いていないのか空を見上げて立ち尽くす小傘に声を掛ける。
「――……○○?」
茫然とした様子でこちらを向く小傘。
先程までの元気な様子は鳴りを潜め、どこか――今にも消えてしまいそうな儚さを纏っていた。
「すみません、余計な心配だったかもしれませんが迎えにきましたよ。
そろそろ周りも暗くなってきましたし雲行きも怪しくなってきました。
夕食の準備も出来ていますのでひとまず戻りましょう」
「……うん、ありがとう」
その様子に心配になりながらもとにかく一度家へと向かう。
ちょうど家へと戻ってきた時、
――ぽつ、ぽつっ――
そんな雨音が聞こえてきた。
「危ない危ない、ちょうど降り出してきましたね。 間に合ってよかった」
「……」
「……とりあえず先にお湯をどうぞ、着替えは今日買ってきた中から置いておきますので」
「うん……ありがとう」
どこかしら元気のなさそうな声色なのが気になったがとりあえずは身体が冷えてしまわない様湯に当たらせることにした。
「ゆっくり温まりましたか?」
「うん……大丈夫、ありがとう○○」
「いえいえ、気になさらず。 でも大丈夫ですか? だいぶ憔悴されてるようでしたが」
「……うん、平気だよ? 大丈夫……」
「……あまり自分の中に背負い込まないでください、無理はし過ぎても良いことがありませんし……
何より私も少しでも小傘の力になれればと思っていますから」
「優しいね、○○は……」
そう無理やり笑顔を作る小傘。
こちらとしてもどうしても聞き出すということはしたくなかったので話してくれるまで待つことにした。
その日の夕食は静かなものだった……
そうして一日の終わり。
互いにそれぞれの布団に付いた。
昨日とは別の意味で眠れずにいると不意に小傘から問い掛けられる。
「○○……まだ起きてる?」
「はい、起きてますよ。 寝付けないのでしょうか?」
「う……ん。 また今日も少しお話してもいいかな」
「えぇ、もちろんですよ。 なんでも仰ってください」
「ありがとう……あのね、今日里に行ったじゃない? その時慧音だったり里の人だったりに声掛けられたりしたけども
皆がわたしを知っていて――覚えてなかった」
それは自分も思っていたことではあった。
皆小傘を見掛けた覚えはあるのだ。 だが、誰一人として小傘を知っている――覚えている者はいなかった。
――忘れられた身なのではないか――
それは昨日小傘が零した言葉。
そんな他愛もないはずの言葉に今更になってどこか薄ら寒い物を感じてしまう。
「だから外に一人で居たら不安になっちゃったの。 あの曇天の空みたく、わたしは流されて居なくなっちゃったんじゃないかって」
――晴れた日には必要なくなって忘れられた傘みたいなものなんじゃないかって――
「そんなことないですよ」
そんな消え去りそうな小傘をそのままにしたくなくてはっきりと声にする。
「確かに誰からも忘れ去られて繋がりがないというのは寂しくて怖いことです」
誰からも忘れられて打ち捨てられているなら――
「でも大丈夫、小傘がここに確かに居るということを自分が絶対に覚えています」
その存在が必要ないと思ってしまっているなら――
「繋がりが消えたりなんてしません、もしも流されていってしまうというなら」
自分が必要としよう――
「流されないよう手を繋げていましょう、もしその手が解けても探しに行きましょう」
そう、あの時不安気に佇む彼女を放っておけないと自分で決めたことなのだから。
「大丈夫、自分が傍に居ますよ。 ……なんて、ちょっと格好つけすぎで――」
そう苦笑しようとすると重みが布団にかかる。
慌てて向き直ると泣きながらこちらに抱き着く小傘が居た。
「ひっく――ありがとう、ぐす、本当にありがとう――」
「……大丈夫、傍に居ますから」
そうして雨音の中、泣き続ける小傘を眠りに就くまであやし続けていた――
――朝日が差し込む。
どうやら昨晩の雨は過ぎ去ったらしい。
どこか暖かな温もりの中、もう一度微睡もうと思い、隣の気配に気付く。
「そうか、そのまま寝てしまってたのか……」
隣には相変わらず幸せそうにこちらに抱き着くようにして眠る小傘の姿。
さすがに朝一にこれは少し刺激が強い。
覚めてしまった頭を揺り起し静かに布団から出ようとするとしっかりと服の袖を握られてしまっていた。
「……まだ時間に余裕はあるし――このままにしてましょうか」
そうして赤子のように満ち足りた表情で眠る小傘を見ていた。
目覚めた小傘に、『乙女の寝顔を覗き見るなんて何事だ!』と憤慨されたのは些細なことだと思っておく。
「さて、とりあえず今日は仕事なので家を空けなければいけません」
朝食を終えた後小傘に告げる。
さすがに毎日が休日というわけにもいかない。 なんせ働かざる者食うべからずなのである。
「うん、わかった。 何かしておくことあったらやっておくけど……」
「うーん……そうですね。 そうしたら今日は天気も崩れなさそうですし布団でも干しておいてもらえれば助かります」
「わかった! しっかりやっておくねっ!!」
そう元気よく答える小傘。
まぁ干す程度なら大丈夫だろう……きっと。
「はい、よろしくお願いしますね。 あ、お弁当を作っておいたのでお昼にでも食べてください」
「やった! ○○のごはん美味しいから大好き!」
「大したものではないですけれどそう言ってもらえると嬉しいですね、では行ってきます」
「うん、行ってらっしゃいー!」
――やってしまったなぁ。
少し空いてきた小腹を押さえる。
小傘の分のお弁当を置いてきた時に誤って自分の分も置いてきてしまったのだ。
忘れてしまったものは仕方がない。
まぁ一食くらいならなんとかなるかなぁ……
「お、なんだ今日はダイエット中か?」
そんな風に休憩中に一人暇を潰していると次郎さんに問い掛けられる。
「いえ、そういうわけではないですよ。 単純に忘れてしまっただけです」
「○○が忘れ物するなんて珍しいなぁ。 人一倍覚えているもんなのに」
「えぇ、記憶力には自信あるんですけどね……ちょっと普段と違ってて――つい」
「あぁもしかしてあの嬢ちゃんのことでか! く~っいいねぇ若いってのは!」
「いえだから小傘はそういうのではなくて――」
訂正しようと思ったその時――
「○○ー! 居るーー?」
今しがた話題に上がった人物――小傘の声が響いた。
「いやぁしかしわざわざ弁当届けになんて甲斐甲斐しいねぇ、それにこんな可愛こちゃんと一つ屋根の下なんて羨ましいもんだ」
「わ、わちきが可愛い!?」
「おう、○○には勿体ないくらいだ。 甲斐甲斐しく尽くす良い奥さんになれるぜ小傘ちゃん」
「お、奥さん……○○と……夫婦……」
「その辺にしておいてあげてください次郎さん、小傘も口調がおかしくなってますよ……」
この二人は結構気が合うのだと今更ながらに気付いたが時すでに遅しだった。
忘れたお弁当に気付いた小傘が里まで持ってきてくれたのだが何故か今、次郎さんと共に昼食を食べている。
普段も共に食べることが多いのだが今日は小傘という気が合う――
「いやいや、謙遜すんなって。 いいじゃねーかこんな別嬪さんなんだ。 何が不満なんだ全く」
「べ、別嬪さん……!!」
――気が合うというよりも弄られているだけかもしれない。
とにかく、小傘が共に居る為こちらとしては若干気が気でない。
特に探られて痛い腹の内などもないのだが――
「しかしこんな美人の子と一緒になんて夜もさぞかしお盛んなんだろうなー」
「夜? 夜はお互い早く寝ちゃうよ? 昨日もわたしが先に泣き疲れて寝ちゃってて、今朝起きたら布団の中で寝顔見られてたし」
――ピシリ――
小傘以外の全員――聞き耳を立てていたのであろう他の同僚を含め――が一瞬止まった。
「――○○、後で詳しく聞かせてもらおうか」
「いえ、想像しているようなことは」
「聞 か せ て も ら う か ら な ?」
「……判りました」
――どうしてこうなった――
仲良さげに――決して逃がすまいと力を込めながら――肩に手を掛ける次郎さんとの掛け合いを見る小傘だけが楽しそうに笑っていた。
そうして仕事を終えるまで小傘には待っててもらいそのまま帰ろうかという時、次郎さんに声を掛けられる。
「そういや探し物してるみたいだが慧音さんは知らなかったんだろう? 他に思いつく宛てはあんのか?」
「それがどうにも思いつかないんですよね……」
「ふむ……確かに失せもの探しなんて生業の人間は居ないしなぁ……お、そうだ」
「誰か思いつく方がいらっしゃるんですか?」
「若干探し物とは違うがな、ほれ阿礼乙女様なら何かしらそういったのを生業としている人間を知ってるんじゃねーか?」
「阿礼乙女様……確か――稗田家のお嬢様でしたか」
確か名を――稗田 阿求と言ったか。
里でも有数の権力者でこの世界の妖怪や英雄の情報を縁起に纏めていらっしゃる方。
また、『一度見たことを忘れない程度の能力』をお持ちであるという事を人伝に聞いたことがある。
誰もが――本人でさえも――忘れてしまっている小傘についても何かご存じかもしれない。
「確かに阿礼乙女様ならば何かしらご存じかもしれません、次郎さんありがとうございます!」
「小傘ちゃんの為でもあるからな、気にすんな。 礼は今度たっぷり聞かせてもらうからよ」
「ですから……はぁ、判りました。 今度説明させてもらいますね」
「がっはっは! それで良いーんだよ。 まぁ堅物のきらいのある○○もちったぁこれで丸くなれるんじゃねーか?」
「性格的なものなので……善処はさせてもらいますね。 では小傘を待たしているのでそろそろ失礼いたします」
「あ、○○お疲れ様ー! 今日はもう帰るの?」
「すみませんお待たせいたしました、今日はわざわざ届けてくれてありがとうございました。
ちょっと一か所寄ろうと思っている所があるのです。 小傘も一緒に来てもらえますか?」
「ううん、わたしに出来ることなんてこれくらいだから! もちろん一緒に行くけども寄る場所ってどこ?」
「実はですね――」
そうして小傘に事情を説明し、稗田家の前まで来たのだが
さすがに阿礼乙女様にも都合があるということでその日の面会は叶わなかった。
「さすがにその日いきなりは無茶でしたね」
「仕方ないよ、でも明日なら大丈夫ってことだからまた来よう?」
「えぇ、焦っても良いことはないですからね。 それでは、帰りましょうか」
「うん!」
そうしての帰り道、小傘と一日の出来事などを話していると何処かから鳥に似た鳴き声が響く。
そして前方に人影が見えた。
こんな場所に珍しいなと考え――すぐに小傘を背中に隠した。
「うわ!? ○○どうかし――」
「しっ! 静かに!」
そこに立っていたのは少女だった。
――その背中に特徴的な鋭い翼の様な物を生やしていなければ。
必死に考えを巡らす――ここは遠いとはいっても里の領域である。
領域内で危害を加えられる可能性は低い。
低いのだが――今は小傘が居る。
万が一を考え小傘だけでも逃がせる様に様子を見ているとその少女――妖怪が近づいてきた。
「こんなところに人間とは珍しい。 まだ黄昏の時間とはいえ――暗くなって来たら悪い妖怪に食べられてしまうよ?」
「……」
「くすくす……ふふっ、いいねぇその怯え方。 正体の判らないモノに対しての根源の恐怖。 それこそが私の存在意義、ふふっ」
何がおかしいのか――いや、実際彼女には可笑しくて仕方ないのだろう。
哀れでか弱い――恐怖する人間が。
こちらから少し離れ微笑む少女。
対峙しながらも小傘を守る手立てを最大限に考え続ける。
自分だけならばまだ良い、だが小傘を危険に晒すわけにはいかない。
「おや……そいつは――」
そうして少しの間その少女と対峙していると後ろに隠れている小傘に気付かれてしまった。
拙いな――とにかく小傘だけでも逃がせるか――
しかし掛けられた言葉は予想もしなかった言葉だった。
「おやおや、最近見なくなったと思ったらそこに居たのかい――小傘」
告げられた言葉の意味を理解して小傘に振り向く。
だが小傘自身投げ掛けられた言葉の意味を理解出来てないようだ。
「貴女は小傘のことをご存じなのですか?」
今のところはこちらに危害を加える様子はなさそうなので最大限の注意を払いながら問い掛ける。
誰も知らなかった――覚えていなかった小傘を知っている彼女。
小傘の為にも聞いておかなければいけない。
「あぁもちろん知っているよ。 ――ちょっと私の知っている小傘とは変わってはいるみたいだけどね」
「貴女の知っている小傘……どういうことでしょうか」
「――ただの人間風情が私に問い掛けるだと? この私の正体を見破るかもしれない情報を――与えろと?」
「……私の為ではありません。 今、小傘は戸惑っています。 私は――小傘の力になると決めているのです」
「……○○」
安心させようと小傘の手をしっかりと握り締める。
「ふぅん――どうやら中々に面白そうな状況じゃないか。
まぁわざわざ人間なんかに答えを教えてやる気は更々ないがね。
でもそうだね――ヒントくらいは与えてやろうじゃないか」
「ヒントですか?」
「あぁ。 優しい優しいこの私が教えてあげよう。 ――無くして忘れているモノ。
『それ』こそが原因であり――『ソレ』こそが小傘そのものだ。
そして『それ』は恐らくお前が持っているのだろうな」
「私が? それは一体どういう――」
「五月蠅いよ、私は気紛れなのさ。 命を奪わないだけ儲けものだと思うんだな。
――さて、小傘。 戻ってきたらまた一緒に遊んでやるよ」
「ま、待ってくださ……」
そう少女に呼び掛けるが、黒い靄に包まれたかと思うと後には何も残ってはいなかった。
「○○――」
「……とりあえず戻りましょう。 落ち着くのはその後で」
「……判った」
どこか肌寒い気配を未だに感じながらも家へと向かった。
とにかく落ち着かないといけないと思い、小傘の分も淹れて居間で小傘と向き合う。
――場に沈黙が満ちる。
何かしら言葉にしなければと考えていると、先に小傘が口を開く。
「彼女は――人間じゃないの?」
「……えぇ、彼女は人ではありません。 人が恐れ畏怖する存在――妖怪です」
実際この地では珍しいものでもない。 慧音さんなども半妖である。 彼女は守り人として里を守ってくれる存在。
だからこそ限られた場所だとしても人は生活をしていける。
ただ――人に仇なす存在も確かに居るのだ。
彼女は――あの少女はそちら側であろうことはひしひしと感じられた。
「妖怪……ねぇ○○、わたし――」
「大丈夫ですよ」
「――え?」
「大丈夫、私は小傘の傍に居ると決めてありますので。 だから、大丈夫です」
あの妖怪の言葉、小傘を知っているという意味。 恐らくはそういうことなのかもしれない。
だからといって特に何か変わるというわけではない。
――心底困っている少女が居た。
――助けを求められた。
――ならば自分に出来ることをするだけだ。
「今更何かが変わったりはしませんよ。 小傘は小傘です、何も変わりません」
「で、でも判らないじゃない! もしかしたらわたしは――妖怪なのかもしれない。 ○○を傷つけるかもしれないんだよ!?」
「もしそうなったら流石に必死に逃げますよ。 大丈夫、長くこんな辺鄙な所に住んでいるんです」
「大丈夫じゃないよ! わたしが……わたしが嫌だよ!! ○○を傷つけるなんて……!!」
「では信じてください、小傘自身が。 変わることは必ずあるでしょう。 記憶がない今の状態がおかしいことではあるのですから。
それでも――無くなったりなんて、忘れたりなんかしないって」
今の一緒に居るこの時が、吹けば忘れさられてしまう幻想なんかではないのだと――
「○○……」
「逆に考えましょう、これは確かに手掛かりなんです。 阿礼乙女様でしたら先程の妖怪もご存じかもしれません。
小傘が――妖怪だとしたら小傘のことも何かしらご存じかもしれません。
まずは思い出すこと、その後の事はその後に考えればいいのです」
「――判った、でも約束する。 絶対に貴方を傷つけない――忘れない」
「えぇ、約束しましょう――私は小傘の傍に居ますよ」
――必ず。
そうして二人で今稗田家の扉の前に居る。
案内の者に挨拶を交わし稗田家の座敷へと通されて少しの時間が経った頃、襖の開く音が聞こえた。
「お待たせ致しました、阿求と申します」
「初めまして、○○と言います。 本日はお忙しい中お時間を取っていただき誠にありがとうございます」
「……ありがとうございます」
そうして阿求と挨拶を交わす。
慧音と会った時の様にどこか緊張した様子の小傘。
恐らくは――
「いえいえ、大丈夫ですよ。 こちらこそ先日はわざわざ訪ねていただいたのに申し訳ありませんでした。
――さっそくですが御用件をお伺いしても?」
「はい、尋ねたいことというのはこちらの小傘に関してなのですが」
落ち着かせるようしっかりと小傘の手を握りながら尋ねる。
「小傘さん……ですか。 はて、どこかで見掛けたことも名前も憶えがあるのですがおかしいですね。
何かしらが違っていてすっぽり抜け落ちてしまっている感じです。
私に限ってその様なことはあり得ないのですが」
「やはり……阿求様もですか」
「その言い方ですと他の方も同じ印象なのですね、あぁ畏まらなくても構いませんよ」
「ありがとうございます、ただ何分自分の性分なもので。 ではとりあえずもう一つお聞きしたいことがございます。
鋭い異形の羽根の様なモノを纏った――妖怪に関してです」
「異形の羽根――ですか、恐らくは彼女でしょう。 纏めた縁起がこちらにございますのでご覧下さい」
そういって見せられたのは阿求が里の人間の為に纏めているという幻想郷縁起という一冊の冊子だった。
「『封獣 ぬえ』――確かにこの姿でした。 実は彼女は小傘のことを知っていたのです。
なので――ん?」
「あら?どうかされましたか――あら?」
――お困りの忘れ傘 『多々良 小傘』――
目に飛び込んできたのはそんなページだった。
「あら、確かに驚かせることをその目的としている妖怪が居たわね。 ――小傘さん?」
「やっぱりか小傘、君は――」
そうして二人とも小傘へと視線を向ける。
「わたしは……やっぱり……」
ページへ視線を落とし震える小傘を落ち着かせるようもう一度握っている手に力を込める。
「――阿求様、一つ伝えておきたいのは小傘に悪意などはございません。 それは自分が誓います」
確信が持てなかったとはいえ稗田家に――妖怪――を招き入れてしまったのだ。 その非礼は詫びておいた。
「あぁいえ気にしないでください。 私から妖怪に話を聞きに行くことも多いですし――ここには守り人もいらっしゃいますから」
慧音さん以外にもね――くすり、と笑いながら答える阿求。
慧音さん以外の守り人というのは覚えがなかったがとりあえずすぐにでも追い出されることはなさそうなので安心する。
「御理解ありがとうございます、失礼ですがこの記述をしっかり見させていただいてもいいでしょうか?」
「えぇもちろんですよ。 本は読まれる為にありますから。 でもこの記述を見る限り、どうやら小傘さんは一番特徴的な『モノ』がないようですね」
「特徴的――二つ名にもなっているこの傘ですね」
その名を示す様な独特の茄子色の一本傘。
おどけたような表情で描かれた『多々良 小傘』の記述にはその傘こそが本体であるという記述が載っていた。
この傘は――そうか。 だから自分なのか。
あの妖怪――ぬえが自分に言った言葉の意味を理解出来たような気がする。
「恐らくはこの傘を無くした――忘れた為に違う存在と認識されているのでしょう。
基本的には認識されることで妖怪は恐れられ、そして忘れ去られることによってその存在を消すモノですから」
「つまりはこの傘を見つければ――小傘は記憶を思い出すと」
「恐らくではありますが。 何分、私もこの様な事は長く記憶を持っていますが初めてですので」
「そこまで判れば十分です、今日は本当にありがとうございました」
「いえいえ、助けになれたのでしたら十分ですよ」
そう礼を告げ、小傘と共に立ち去ろうとした時に不意に阿求に尋ねられる。
「そうそう、○○さん一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「はい、なんでしょうか?」
「貴方は――傘を見つけたら小傘さんにお返しするのでしょうか?」
そんな疑問を投げかけられる。
「当然です。 最後まで傍に居ると約束しましたので」
「記憶を取り戻した小傘さんが――今の小傘さんと違う存在であったとしてもですか?」
――確かに小傘と『多々良 小傘』は違うのだろう。
逆に思い出すことによって今日までの思い出が忘れ去られるかもしれない。
「えぇ、自分にとっては今ここに居る小傘が小傘ですから。
自分は小傘に出来ることをするだけです」
それでも構わない。 それに小傘とは約束をしているのだ。
「自分が危険になるかもしれないと判っていてもでしょうか?」
些細な口約束かもしれない。
「えぇ、承知の上ですよ」
それでも――
傷つけないと。
忘れないと。
――傍に寄り添うと約束をしたのだ――
「成程、意志は強いようですね判りました。 お急ぎのところお時間をお取りして申し訳ありませんでした。
では最後に一つだけ。 ――何故貴方は彼女の為にそこまでされるのでしょうか?」
「自分でもよく判らないんですけれども……放っておけない、というのが一番なんだと思います」
「――お人好しなんですね、ありがとうございます。 では私は作業が残っていますのでここで」
「はい、本当に今日はありがとうございました」
そうして阿求と別れ小傘と共に家へと向かう。
――あの日見つけて、仕舞ってある忘れ物を持ち主に返す為に。
――そうして○○さんと別れ居間へと戻る。
悪い人ではないのだろう。 誰かの為に必死になれるというのはとても大切な美徳である。
「――それで、何故この様な戯れをされたのでしょうか?」
「あら、戯れだなんて酷い物言いだわ。 私は里で暴れる悪い妖怪を懲らしめただけだというのに」
私以外誰も居ない居間で問い掛けると、すぐに答えが返ってくる。
判っていたことなので別段驚きはしない。
確かに妖怪は忘れ去られることによってその存在を終える。
だがそれはそれ程急激なものではないし――記述が残っていて記憶だけ誰からも忘れ去られるなどということはない。
――誰かがその認識を弄ばなければ。
「成程、確かに悪い妖怪にお灸を据えただけなのでしょうね。 ――この世界の守り人様?」
「えぇ、そして里の外れに住んでいた哀れな一人の村人がその被害に今遭ってしまっている――それだけの話ですわ」
多少の嫌味を込めて言葉を投げかけるもどこ吹く風だ。
こちらとしては編集の作業が遅れてしまうだけだというのに……
「判りました、とりあえずは彼ならば大丈夫でしょう」
「えぇ――世は全て事もなし、ですわ」
そうして気配が消える。
あの方の戯れ癖にも困ったものだ。
私に迷惑が掛からなければ逆に面白おかしく脚色するのだが――
そんな事を思いながら、縁起に追記が必要になるだろうなと思い、机へと筆を取り直した――
そうして戻ってきた。
あの日拾った落し物を元の持ち主へと返す為に。
――たとえその結果がどうなろうとも。
「小傘はここで待っててもらえますか? 少し物置へと行ってきますので」
結局戻るまで口を開くことのなかった小傘に語り掛ける。
「……ねぇ、やっぱりやめよう? わたしならこのままでも大丈夫だから――」
小傘なりに思うことがあるのかもしれない。
その弱弱しい口調を聞いてそう思う。
――でも、それでは駄目なのだ。
「大丈夫ですよ、小傘が良い子なのはよく知っていますから。 すぐに戻ってきますし――その後に夕食の用意もあります。
小傘には――これからも用意を手伝っていただかなければいけまぜんからね」
「○○……」
そうしてその場を離れ物置で目的の物を探す。
ある程度雑多になっている室内の片隅に『ソレ』はあった。
コ ガ サ
今まで忘れ去られ、置き去られていた――忘れ傘――
しっかりとその柄を握り締める。
二度と忘れたりしないように。
「――大丈夫、忘れたりなんかしない。 ――させない」
自分に言い聞かせるように、一人呟いた。
小傘の元へ戻った時、空は曇りがちになってきていた。
まるで今にも降り出してきそうな――泣き出しそうな空だった。
「お待たせしました――探し物はこちらでよろしいでしょうか?」
そう言って小傘の前に立つ。
すぐにでも手渡せる距離ではある。
だが互いに何も言わず立ち尽くすままだった
「――○○は」
長く感じられていた静寂を破ったのは小傘だった。
今にも泣き出してしまいそうなくしゃくしゃの表情をしながら口を開く。
「ひっく――○○は、どうしてそこまでしてくれるの? ぐすっ、だっておかしいじゃない。
どこの誰かも判らない他人が困っているならまだ判るよ
――でも妖怪だよ? ○○を襲うかもしれないんだよ!?」
もう泣き顔を隠そうともせず堰を切ったように言葉を零す。
阿求にも似たようなことを言われた。
だからこそ、悩まずに答えられた。
「放っておけないんですよ。 小傘が。 ――その気持ちに妖怪だからとかは関係ありません」
誰であっても同じように助けたであろうと思う。
ただ、ここまで親身に、最後まで手助けをしようと思ったかは判らない。
「しいていえば――小傘だからでしょうね、ここまでしたいと思えるのは」
そう、おどけて悩んで、放っておけないと思える存在。
――傍に居て見守りたいと思えるのは小傘だからなのだろう、きっと。
さぁ、最後まで見守ろう。
未だに泣き止まない小傘の顔を上げさせ、手に持っている落し物を手渡す。
「私は絶対に忘れないですよ――小傘を」
「うん、わたしも絶対に忘れない――貴方を」
手渡したその瞬間、ぐにゃりと小傘の認識が歪む。
そうして瞬きの間に――多々良 小傘 ――がそこに居た。
「……」
「…………小傘?」
見た目にはただ傘を手に持っているだけに見えた。
いや――その傘から伸びている長い舌と特徴的な一つ眼がなければ。
ツクモガミ
「わたしは……わたしは小傘。 誰かを驚かす為に居る忘れ傘」
コガサ
「えぇ、貴方は忘れ傘。 そして今まで私以外から忘れられていた存在です」
傘に隠れ小傘表情は伺えない。
一歩踏み出そうとするとふわりと小傘の身体が浮かび上がる。
――まさか……
「ありがとう○○、貴方のお陰でわたしはまたこうしてここに居る。 ――そしてだからこそ、人と妖怪は共には居れないの」
そんな――決別の言葉を口にされた。
「何を……そんなことはありません。 私は小傘が妖怪だったとしても――」
必死に手を伸ばすが小傘には手が届かない。
だけど――こんな結末は認められない!
「ありがとう、貴方と居た時間は楽しかったよ? 吃驚させる為の嘘じゃない。 さよなら○○――大好きだよ」
そうして掻き消える様に小傘の姿は立ち消えていってしまった。
一人取り残される。 自分以外誰も居なくなった家で。
――迷惑を掛けるから一緒に居られない?
――楽しかった?
――さよなら?
ふざけている。 ふつふつと身体に力を込める。
誰かに対してこれ程怒っているのは初めてかもしれない。
やらなければいけないことは決まっていた。
「おやおや、何やら浮かない顔をしているね、小傘?」
「……ぬえちゃんか、ごめん――今は一人で居たいの」
あてもなくふらふらと空を漂っているとぬえちゃんに声を掛けられた。
彼女は自分なんかよりもずっと凄い大妖怪だ。
だからこそわたしのことも憶えていたのだろう。
でも今は何も考えずに一人で居たかった。
「せっかく元の力を取り戻したというのに浮かないもんだ。 そんなにあんな人間と離れるのが嫌だったのかい?」
でもぬえちゃんは放っておいてくれなかった。
「……あの人のことを悪く言わないで」
「少しの間あんな人間と共に居たからって随分な入れ込みようだねぇ、――どうせすぐに居なくなってしまうのにっ、ととっ」
無意識の内に弾を放っていた。
適うはずないなんてことは判り切っているのにわたしはほんとバカだなぁ……
「暇潰しがしたいなら付き合うよ。 ――その方が色々考えないで済むし」
「おぉこわいこわい。 まぁその方が小傘らしいね、だけど私と遊ぶには足りないな、少し痛い目見るといいよっ!」
わたしは妖怪、彼は人間。
傷つけないと約束したんだ。
なら絶対に傷つけないやり方を取らないといけないだけだ。
頭では判っているのに――久しぶりの弾幕ごっこの最中も流れ出る涙は止まってくれなかった。
「あはは! 何を嘆くことがある!? 初めから判っていたことだろう! 人と妖怪は違うんだよ!
姿形も違えば寿命だって違う。 所詮は傍になど居れないのさ!」
「そんなことっ……! ぬえちゃんに言われなくたって判ってるよ!」
そう、だからこそ彼から離れた。
彼以外の人間、果ては自分さえ傷ついても全然構わなかった。
彼さえ傷つかなければ――
「判っている? 嘘だね、じゃなけりゃ何故涙を流す!」
会話の間も弾幕は止まない――
必死に避けながら撃っているのはわたしだけでぬえちゃんは不思議な形の船に腰掛けながら悠々と避ける。
「いいじゃない! わたしは彼と居て楽しかったよ、安心出来たんだよ――彼は憶えていてくれたんだよっ!!」
放って朽ち果てるだけだった忘れ傘を――見捨てることなく傍に居ると言ってくれた。
それが――堪らなく嬉しかったのだ。
「その癖自分から離れる? 傷つけるかもしれないから? ――そんな甘ちゃんだから、お前はここで終わりなんだよ!!」
ぬえちゃんから無数の弓矢が放たれる。
避けようとする身体に力が入らず、当たるその瞬間に浮かんだのは最後に見た○○の必死な表情だった――
「やれやれ、小傘はどこまでも甘ちゃんだなぁ……――そう思わないかい?」
「それに付き合う貴女も相当ですけれどもね」
「冗談、私はただの暇潰しさ。 ――あんたと同じようにね」
正体不明――その名を冠するモノが私ならコイツは神出鬼没――
その言葉が一番似合うのだろう。
目の前の空間に亀裂が入り、そこに腰掛ける妖怪の姿が現れる。
「阿求にも言いましたが私は悪い妖怪を懲らしめただけですわ。
――その後のことは知りませんが」
「胡散臭いもんだ、まぁそれなりに面白い見世物だったけれどもね」
「まぁ酷い。 それに――舞台は最後まで判りませんことよ?」
「とんでもない、三文小説なんてオチも判り切ってるものさ。 さして興味もないよ。
――それより。 小傘じゃ弱っち過ぎて消化不良なんだ――遊びましょう?」
「あらあら物騒ねぇ……でも、鵺が正体を見破られても――いいのかしら?」
妖怪――八雲 紫の背後の亀裂が広がる。 私でさえ正体が掴めない隙間。
だけども判らないからこそ判ることもある。
「境界を更に曖昧に、その正体を誰にも判らないようにしてやるよ――正体不明の弾幕に怯えて死ね!!」
まぁ小傘には後で甘ったるくなるような与太話くらいは聞かせてもらおうか――そんなことを思った。
目を覚ます。
どうやら森の中らしい。
「いたた……負けちゃったか。 あーあ――わたしってやっぱり弱っちいなぁ」
あれだけ負けたくないと思ったのに結局は負けてしまった。
ぽつぽつと身体に雨が当たる。
いつの間にか降り出していたらしい小雨は、未だに止まってくれない泣き顔を隠してくれてちょうどいい。
束の間とはいえ一人になることが出来てほっとする。
だけど静かになると思い浮かぶのは――彼の顔、しぐさ、表情、声。
「こんなんじゃダメだって判ってるんだけどなぁ」
でも良いのだ、今は止まらなくてもきっと時間が解決してくれる。
「うん、大丈夫。 今まで通りに戻っただけだもんね」
彼だってきっとすぐに――
「――忘れてくれるよね」
「――そんなわけあるか」
そんな、もう聞くことはないだろうとと思っていた声が後ろから聞こえた。
「そういった事情なのです――小傘の居る場所を知りませんか?」
あの後すぐに、稗田家の扉を叩いた。
非常識な時間帯なのは判っているがじっとしているわけにはいかなかった。
幸いにも阿求もまだ寝付いてはいなく、話を聞いてもらうことが出来た。
「彼女、小傘さんの場所ですか……さすがに今すぐは判りませんねぇ」
「いつも居たであろう場所でもいいのです、些細な事でも構いません、お願いします!」
額を擦り付ける勢いで頼み込む。
無茶な願いだということは百も承知の上だ、それでも何かしらの情報が欲しかった。
「あらあら、お困りの様ですわね――優しいお姉さんが教えてあげましょうか?」
不意に阿求でも自分でもない声が響く。
驚いて顔を上げるといつの間に居たのか、不思議な雰囲気を纏った女性が居た。
「貴女は……?」
「通りすがりのただの観客ですわ、それで――貴方が望むなら彼女の所へ送ってあげますがいかがでしょう?」
「お願いします」
反射的に頼み込む。
彼女が何者なのかは判らない。 その雰囲気から恐らくは――妖怪の類なのだろう。
だが今はそんなことは些細なことでしかない。
「紫様いいのですか……?」
阿求が問い掛ける。
知己の仲なのかもしれない。
「あら? 何も気にすることなんてないではありませんか。 勝手に出ていった探し人を追掛けたいという殿方のお手伝いをするだけですわ」
「貴方がそれを言いますか……全く」
「それで、どうすればいいのでしょうか? しなければいけないことがあるならばなんでもさせていただきます」
頼るしかない身というのは理解しているが、正直今は一分一秒すら惜しい。
「あら、失礼致しました。 でも一つだけ――貴方は彼女の元に行ってどうしたいというのかしら? また無碍にされて逃げられるかもしれないのですよ?」
「構いません。 何度でも納得行くまで話すだけです」
「それが貴方のエゴでしかないとしてもですか? 人と妖、その境界は果てしなく違うものであるのですから彼女の考えは至極当然のことです」
「そんなことは百も承知の上です。 甘く考えているのかもしれない……でも構いません。 境界なんて曖昧なものは――越えようと思えば越えられるものだと信じています」
「その想いは立派なことですが――それがあの子を傷つけるかもしれないとしてもですか?」
確かに無理矢理に小傘の元に行っても意味がない、傷つけることになるのかもしれない。
――それでも
「約束、ですから。 ――傍に居ると」
まっすぐに彼女、紫の眼を見て伝える。
後悔なら後からいくらでも出来る。
ただ、こんな終わり方は認められない。
「――判りました、その感情がどの様なものに起因するのかということは気付いてないみたいですが……まぁ及第点としときましょう」
そう言って彼女が空間に手をかざすと何もなかった場所に穴が開く。
――ここを通れば、小傘の居る場所に出るのだろう。
「ありがとうございます、このお礼は必ず――」
「この世界は全てを受け入れるのですわ、それは残酷ですが素敵なことでもあるのです――」
穴が閉じる前に礼を伝えると閉じる瞬間にそんな声が聞こえた。
そうして今ここに居る。
涙を流す小傘の前に。
「○○……どうして!?」
どうして――どうしてかと言えば、
「勝手に居なくなるから文句の一つでも言いに来たんですよ」
俯く小傘。 でも言わなければいけないことは言わなければいけない。
「――帰って。 感謝はしてる。 でもわたしは貴方とは一緒に居れない」
「その理由を聞いても?」
思った以上に冷静な自分に驚く。
「理由なんて一つしかないじゃない。 わたしは妖怪で○○は人間、それが全てだよ」
「だから離れると?」
初めて判ったが自分は感情的になる性質ではなく。
「そうよ、そんな当たり前のこと。 だから――」
「――ふざけるな」
本当に怒りを感じた時は表情には出ないらしい。
「○○――?」
「ふざけるなよ……? 勝手に来て、勝手に居なくなるだって? そんなこと……許せるわけがないだろうが!」
始まりは落し物を拾ったこと――
「人間? 妖怪? それの何が違う、確かに『多々良 小傘』は妖怪だ。 だけれども俺が共に居たのは小傘だ。 人間だと思ったから傍に居たわけじゃない!」
扉を叩き必死に助けてほしいと願われた――
「でもわたしは人間じゃなかった! それが判った! 人と妖怪が一緒にいても苦しめてしまうだけなんだよっ!!」
雨で濡れる顔を隠そうともせず、小傘は言葉を紡ぐ。 共には居られないという否定の言葉を。
不安に怯える気持ちを安心させようと手を握った夜――
「そんなこと誰が絶対だと決めたっ!?」
共に里へと向かい、探し物をした日――
「絶対だよっ! 何もかもがわたしと○○じゃ違うんだから!!」
わざわざ忘れ物を届けてくれたあの日――
「違いなんて気にするか! 小傘が不安に思うなら、どうしようもないというのなら――」
全ては明確に思い出せる。 大切な小傘との思い出なのだから。
「そんな不安なんて笑い飛ばしてやるっ! 俺を苦しめることになる!?
バカにするな、そんなこといくらでも構わない――たとえそうであったとしても……それでも俺は小傘の傍に居たいんだっ!!」
二人の間に静寂が満ちる――
久しぶりに大声を張り上げて息が切れる。
だが、自分が伝えたいことは伝え終えた。
これで小傘が離れるなら仕方がない――
そう考えているといると――小傘の嗚咽が聞こえた。
「――なんで、なんでなのよぅ……ひっく、傷つけたく無いのに……ぐすっ、困らせたくないのに――」
堰を切ったように遂に顔を覆い泣き出す小傘。
「わたしだって……ぐすっ、わたしだって離れたくないよぅ……もっとずっと一緒に居たいよぅ――」
「それでも一緒に居たら傷つけちゃう、離れなくちゃいけなくなっちゃう――貴方とわたしは違うんだから!」
「それならいっそのことと思ってわたしから離れたのに……――あ」
小傘の震える小さな肩をそっと抱き留める。
彼女の居場所になれるように。
彼女が忘れられることなんて二度と無い様に。
「大丈夫、何度口にしたか判らないけども――それでも何度でも繰り返すよ、傍に居る」
それしか自分には出来ないし、する気もない。
「富める時も病める時なんて言う気はない、それでも何時迄も共に居ると――手を繋ぐと誓うよ」
「不安になる時も困らせられる時もあると思う、それでも構わない」
「小傘と共に居させてくれないか――?」
しっかりと言葉にする。
誰かに決められた当たり前なんて知ったことか。
誰に何を言われようとも構わない。
――自分で決めたことなのだから。
「○○――」
「――なんて、ちょっと格好つけすぎですかね」
「……ううん、そんなことない、ぐすっ――そんなことないよ」
いつの間にか小雨も降り止んでいるようだ、雲の切れ目から日差しが差し込み――
「わたしも約束する、貴方と一緒に居るって。 ううん、嫌だって言っても絶対に一緒に居る!」
「えぇ、こちらこそ――よろしくお願いしますね」
空に掛かる小さな虹を見ながら、小傘の事をしっかりと抱きしめ続けていた――
「――と、そんな感じでよろしいですかね」
「えぇ、十分ですよ。 しかしこれはしばらくの間は甘味は必要なさそうですね」
長く語った為乾いた喉をお茶を飲み潤していると、阿求にそんなことを言われる。
今日は、縁起に追記するのに話を聞きたいということで誘われて稗田家へとお邪魔しているのだ。
「どういう意味かよく判りませんが……」
「糖分の過剰摂取は身体に良くないということですよ。 まぁ余り心配もしていませんでしたが――それで彼女は?」
今日お邪魔させていただいたのは自分だけだ。
彼女――小傘はきっとどこかで誰かを驚かせているのだろう。 中々、その成果は上手くいかない様であるが。
「あまり積極的に迷惑掛けないようにしてもらいたいんですがね……まぁ可愛いものでしょう」
「あはは……言っておきますね」
「そうそう、それにそんなに束縛しちゃうと離れちゃうかもしれないですわよ?」
いきなり第三者の声が居間に響く。
何時の間に居たのか――彼女ならばいつものことだが――紫がそこに居た。
「こんにちは紫様。 束縛だなんて……自由にさせていますよ。 それに自分が何か言うことでもないですし、それに必ず戻ってきてくれますよ小傘は」
「自覚がないというのも恐ろしいことねぇ、私もしばらくは甘味は必要なさそうね」
「全くです」
阿求と共に二人して苦虫を噛み潰したような表情をする。 何か変なことを言っただろうか?
「○○ー! 居るー?」
「あらあら、噂をすれば――」
外から声が響く、どうやら小傘が来たらしい。
待たせるわけにもいかないな――
「それでは、今日はこの辺りで失礼させていただきますね」
「えぇ、今日はありがとうございました。 またお話を聞かせていただきますね」
「何か困ったことがあったら言いなさい、ある程度なら助けてあげるわよ?」
「お二人共ご厚意ありがとうございます、それでは」
そうして稗田家を後にする。
「しかし、結局当然の結末に終わりましたねぇ」
「当たり前が一番良いのよ。 ――御伽噺の結末はハッピーエンドが一番。 たとえ妖恋譚であろうともね」
「そんなものですか」
「えぇ、そんなものですわ」
くすくすと互いに微笑む。
春の嵐も当の昔に過ぎ去り、晴天が空には広がっていた――
「あ、○○お疲れ様ー!」
「はい、お待たせしました。 用事は終わりましたがこれから何処か行きますか?」
「んー……特にないかなぁ? でもいい天気だし散歩しながら帰ろう!」
「判りました、では帰りましょうか。 あ、少し日差しが強いので傘入れさせていただきますね」
当たり前の様に小傘と共に家路へ向かう。
この選択に後悔はない。
これから先も色々とあるだろうとは思う。
それでも――
「もちろんだよ! ずっと一緒の傘に○○には入ってもらわないといけないんだから!」
「えぇ、もちろんです」
この愉快な忘れ傘と共に居続ける。
それこそが自分の幸せなのだ。
「えへへ――大好きっ!」
願わくば二度と忘れられることも忘れることもないように。
――そんなこれからも変わらぬであろう日常を願った。
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「さ、寒いよぅー……」
「確かに今日は肌寒いですね、まぁこの雨模様じゃ仕方ないです」
「○○はなんでそんな平気そうなのよっ!?」
「炬燵に入ってますし……小傘も立ってないで入ればいいのでは?」
「はっ!? そんな便利な物があったのね! ――あー、あったかいー」
そう言いながら炬燵に入り込む小傘。
こんな天気じゃ出歩くこともままならず、今日は家で二人大人しくしている。
「あー……あったかぃー」
ごろごろと器用に炬燵で転がる小傘。
あー……でもそんなに動くと――
「あー……――あちゃぁ!?」
やっぱり熱い部分に当たったか。
苦笑して手拭いを濡らしてきて小傘の足に当てる。
「何をしているんですか……まったく」
「うぅ……ありがとう……吃驚した」
小傘は人を驚かす妖怪のはずなんだけどなぁ――
大人しく手拭いを当てられている様子からは全くそうは見えないが。
「気を付けてくださいね? 火傷は跡が残ってしまうこともありますし」
「はーい。 ――でも跡が残ったとしても一緒に居てくれるんでしょ?」
「――もちろんですよ」
「うぅ……吃驚させようとしたのに」
こちらも若干顔が赤くなるが小傘はまるで茹蛸の様だった。
恥ずかしいなら言わなければいいのに――と思ったが言うとよりムキになるので黙っておいた。
「おぅおぅ――お熱い様子で」
「あ、ぬえちゃんこんにちはー」
「こんにちは、ぬえさんもどうですか?」
「アンタも適応早いよね……まぁ寒いし入るけど」
いつの間に現れたのか――妖怪らしい妖怪、ぬえがからかい半分で声を掛けてくる。
出逢いこそは戸惑ったものだが、小傘の親友でもあるし危害を加える気はない、と言うので今では小傘と同じ様に接している。
――あの隙間との約束だからね。
そんなことを二回目に出逢った時ぼやいていたのが印象的だった。
恐らくは紫様との間に何かあったのだろうけどもその不機嫌な様子に敢えて聞こうとは思えなかった。
「んで、小傘はいつまでここにいるの?」
「ん? どういうこと?」
炬燵に顎を乗せて煎餅を頬張りながらぬえが小傘に聞く。
その様子はまるで猫の様で可愛らしい印象だった。
「だから、いつまで厄介になる予定なの? ずっと○○の家に居ると迷惑なんじゃない?」
「えぇっ!? わたし迷惑っ!?」
二人して――ぬえはにやにやしながら、小傘はこの世の終わりの様な表情をしながら――こちらを見る。
――多分判って言ってるんだろうなぁ……
「迷惑なんて全く思ってないですよ。 ――むしろ、居てもらわないと困ります」
それでも恥ずかしがるものでもないので素直な気持ちを口にする。
そう、居なくなられては困るのだ。
なんせ、ずっと傍に居ると約束した。
約束は守りなさい、と母親に口を酸っぱくして言われたことを不意に思い出す。
「あーあ……○○は弄り甲斐がないなぁ。 ――コイツみたいに慌てふためく様を見たいのに」
「わ、わたしもだよっ! 絶対に一緒に居るんだからっ!! ――うぅ、恥ずかしい」
「まぁ性分なもので。 出来るだけお手柔らかにお願いしますね、私にも小傘にも」
そう苦笑する。
まぁ、なんだかんだで二人は仲がいい。
恐らくは大妖怪であるぬえに対して、臆することなく気さくに接する小傘の存在はかけがえのないものなのだろう。
その様子は親友か――仲のいい姉妹の様であった。
ぬえの分も用意し直してお茶を飲む、二人で話している様子を見ながら、思えば我が家も賑やかになったものだ――そんな風に思っていると
「そういえば――二人はもうキスとかはされたのかしら?」
「げほっ!? ごほっ……!?」
「ふぇ? ――な……な……なにをーっっ!?」
そんな爆弾が投下された――
聞こえてきた言葉に思わず噴き出してしまう。
――タイミング謀ったな……紫様。
「おやおや、それは私も気になるねぇ。 ただその様子だとまだかな、まぁプラトニックな事で」
「えぇ、私も助け舟を出した身としてはその顛末が気になるところなのですわ。
若い男女が一つ屋根の下。 気にするなというのが無理な話です」
にやにやと笑いながら相槌を打つぬえと紫様。
二人共に神出鬼没なのは判っていたが……
二人相手じゃ勝ち目があるはずがない――
「そ、そんな二人が面白がるような事なんて、な、無いかと思われますが――」
「そ、そうよ! ○○は全く手を出すそぶりすらないんだからっ!! ――そりゃちょっとはしたいと思っているけど!」
なんとか切り抜ける手段を探そうと考えていると――盛大に小傘が自爆していた。
思わず上を見上げる。
天井の皺の数でも数えようか――
「予想通りの反応をありがとう、小傘」
「では、その辺りのことをしっかり聞かせてもらおうかしら?」
「え? え?」
「殿方の居る場所では話しづらいこともあるでしょうし場所を変えましょうか」
「あの小傘がねぇ……感慨深いもんだ。 ――手加減はしないがなっ!」
見たくない現実から逃げていると両肩をがっしりと掴まれている小傘が泣き出しそうな表情をして、助けを求めるようにこちらを見やる。
「○、○○――?」
「――夕飯までには戻ってきてくださいね?」
「は、はくじょうものおぉぉぉぉーーーー!?」
叫び声を上げてドップラー効果を起こしながら隙間に消えていく小傘。
か弱い人間の身では出来ないこともあるのだ――と喧騒が消えて静かになった居間で一人思った。
「うぅ……大変な目にあったよ……」
「まぁあの人たちに目を付けられたのが運が悪かったかと」
結局、小傘が解放されて戻ってきたのは日も落ちようとしている夕暮れ時だった。
憔悴しきったその様子から、何を聞かれたのかは怖くて確認出来なかった。
「でも――ほんとに思ってるのよ?」
「ん? 何がでしょうか?」
不意に小傘が俯き加減で、ぼそぼそとこぼした。
意味が判らなかったので聞き返すと――
「○○と――キスとかしてみたいなぁ、って」
「――」
その仕草、表情、言い方。
そしてその言葉の意味。
その全てに――おかしくなってしまいそうだった。
「いや、あのね! ○○には感謝してるし! お世話になってるし! それにええと……――大好きだし」
慌てふためきながら、最後は消えそうなか細い声で恥ずかしそうに言う小傘。
「ぬえちゃん達にも言われたんだ、『アイツは妙に義理堅いからアンタからいかなきゃ変わらないよ?』って」
「わたしは今の○○と居れるこの時間が好き、とても大切。 でも――もっと、って考えちゃうの」
「――迷惑、かな? うわっ!?」
そこまで女の子に言わせておいて男として良いわけがない。
そのままだと後先を考えられなくなりそうなのもあったが、何かを思うよりも先に小傘をしっかりと抱きしめていた。
「迷惑なんかに思うわけがない――私、いや、俺も小傘と一緒に居れる今が、とても幸せに思ってる」
「○○……」
「小傘のことが――大好きなんだ」
小傘の顔を見つめる。
透き通るような――その、青と赤の瞳。
その瞳をまっすぐに見つめていると瞳が閉じられる。
そうして、自分も吸い込まれる様に顔を近付けて――
「いやぁ……若いっていいわねぇ……」
「その台詞はさすがにどうかと思いますよ……」
「私は二人を弄ぶネタが増えればなんでもいいんだけどね」
小傘の後ろに出来た隙間から、楽しそうにこちらを見ている紫様、阿求、ぬえの三人の姿が見えた。
「――す、少しくらいは空気を読めよおまえらぁっーーーー!?」
人里の外れにそんな絶叫が響いた――
うpろだ0028,0030
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最終更新:2013年07月16日 01:25