選択肢は生きているのなら数限りない。

それは例えば、誰かとの付き合い方だったり。
それは例えば、大事な何かを手にする為だったり。

それは例えば、何かを捨てなければいけなくなったり。

その度に、選び。
その度に、得て
その度に、捨てて。


大事なのはそれを後悔しないこと。
選んだ結果を、胸を張って誇ること。

その先にあるナニカを求めて。
それまでにあったナニカを捨てて。

そうして人の縁は色を加えながらその形を変えていく。
これは、そんなお話。



「最近は特にこれといって面白い話もないわね」

「だな、こんなんじゃ暇過ぎて死んでしまいそうだよ」

「あの子は、それとは別の理由で死にそうだけれどもね」

「違いない。……なんで学習しないかなぁ、蓮子は」

「最後には処理出来ているんだから、いいんじゃないかしら」

そう言って紅茶を飲む彼女──メリー
旅行がてらの課題も悠々と片付けてきた様で、我が家で幽雅に過ごしている
その様子を見ながら、正反対の様子のアイツ──今ここに居ないもう一人の部員、蓮子のことを考える



「……補講よ」

そう、憮然として言う蓮子。
どうやら、あの海に行った後結局課題の海に溺れてしまったらしい。
山と残ったその課題。
自分だったら、それを片付けることを考えずに現実から逃避するだろう。

──自分の課題ではないので、指を差して笑うに決まっているのだが。
その後に見事なドロップキックを喰らわされたのは、記憶から消したい。
未だに痛むぞチクショウ。
アイツ、見掛けどおりに身体能力高いんだよなぁ……

そうして、大学に籠り切りにならざるを得なくなった蓮子を見送って今、メリーと二人で我が家で過ごしている。
何をするでもなく暇な時間を二人過ごしている。
若い身の上でこんなんでいいのだろうか。
こないだの時もそうだったのだが、もう少し趣味って呼べるものを増やした方がいいのかもなぁ……

「──でもね、貴方と……貴方達と一緒だったら、退屈もいいものだと思っているのよ?」

「そりゃありがたいことで」

「あら、つれないわね。こんな可愛らしい女の子と一緒に居るっていうのに」

紅茶を飲みながら笑うメリー。
その特有の、ブロンドの髪と金色の瞳。
そして余裕を保ったその仕草。

実際、自分の周りでは高嶺の花の様な存在である彼女。
噂話程度の話だけれども、ファンクラブ的なものまで非公式ながら存在しているらしい

「その胡散臭い笑みを隠してからなら俺も緊張ぐらいすると思うよ、多分な」

だけどももう長い付き合いでその様子にも慣れたものだ。
大体メリーがこういった笑い方をしている時は、決まって何かしら悪巧みでも思いついた時だ。
それは蓮子や自分をからかう時だったり──

「疑うなんて酷いわねぇ。──そうねぇ、私もどこか連れてってくれないかしら?」

こんな風に、突拍子もないことを言う時だったりだ

「別に暇だし構わないけど……蓮子と同じ様に海にでも行くか?」

「それでもいいんだけれども蓮子と一緒ってのも面白味に欠けるわね。……山とかどうかしら?」

山か……今の時期だったら、星空とかも綺麗に観えそうかな。

「りょーかい。暇だしな。──エスコートいたしますよ、お姫様?」

「期待しておりますわ。──楽しませてね?」

そう言って笑いあう。
気心なんて当に知れた仲なのだ。
遠慮なんてものは必要ない。

さぁ、時間は待ってはくれない。
退屈に埋もれる前に、また一つの想いでを作りに──



そうして、用意を始める彼を眺める。
思い立ったらすぐに行動に移せるのは彼らしいと言えばらしい。

──それに、惹かれているんだけどもね。

それは、蓮子に対して感じている想いと近い様で違う気持ち。
彼女はとにもかくにも、決めたら突き進んで行く。
その勇敢な行動に時に面食らう時もあるが、それでもその背中をいつまでも追っていたくなる。

それは私には持てない強さだから。
いつも、私は後を追うだけ。
不意に境界に飛び込んでしまう時もあるけれども、いつも待っている。
助けに追ってきてくれるのを。

彼は、少し違う。

もちろん不思議を追い求めるのは一緒だ。
いつだって、その瞳は先を見据えている。

ただ、待っていてくれる。

置いていかない様に。
置いていかれない様に。

それに甘えているという自覚は、ある。
信頼……とは、少し違うのだというのもある。
でも今の私はそれ以外を選択しようとは思っていない。
選択、出来ない。

それでいいのか。
それじゃ、いけないのか。

今は、判らないままだ。


甘えているというのであれば、彼が参加するまでの秘封倶楽部でもそうだった。

いつでも不思議を求めて、探していくのは蓮子で。
私はそれに置いていかれない様に付いていく。
そして同じ景色を──世界を観ようとしていた。

実際には、それは別の世界なのかもしれない。
時間や場所が蓮子にしか観えない様に、境目は──私にしか観えないから。

それでも良いと、思っている。
全てが同じ存在なんて居ないのだから。
必ず、何かしらが違うべきなのだ。

それでも、同じものだって必ずある。

例えば──不思議を求める私達の様に。
例えば──密かに彼を想う私達の様に。

蓮子は隠しているつもりかもしれないけれども、傍から見ていると彼を見る目が違うことがよく判る。
それは同じ女の子であることもそうだし──何より、私もそんな風に彼を見ているだろうから。

それがいつからかは、判らない。
初めての出逢いか、その先の再開の時か。
それとも──

今は、それでいい。
私も、あの子も。
そして、彼も。
いつか訪れるであろう選択は、後回しで。
今のこの不確かな世界をただ一緒に観る為に──

そんなことを、忙しく動き回る彼を見ながら考えていた。



「海もいいけどやっぱこの季節は山もいいなぁ、日差しも隠してくれるし」

「そうね、落ち着けるわ」

それ程遠くないどこにでもある様な山の中。
幽雅に二人で森林浴と洒落込んでいる。
たまの休みなんだ。
忙しない世の中でもそれぐらい許されるだろう。

流れる様な風と、遅れて響く木々のざわめく音。
それは、このうだる様な真夏の暑さを一時の間でも忘れさせてくれる。

この先、こんな風に何処かへ行くとしてその時隣にはいつでも彼女達と一緒に居れたら。
それは、とても素晴らしいことで。
きっと、いつまでも願い続けることなんだろうなぁ、とぼんやり考えていた。

「ねぇ、○○。少し相談してもいいかしら?」

「んー……なんだ?」

横に寝そべり、ふとすれば睡魔に負けそうになっていた時にメリーから尋ねられる。
目を瞑りながらだったのでその表情は生憎と伺えない。
だから、声からその様子を思い浮かべるしかなかった。

「こないだのね、蓮子とのお話あったじゃない?」

「あぁ、あの海での夢物語か。悪いな、俺達だけであんな不思議な体験しちゃって」

「それは構わないのよ。私のタイミングが悪かったんだし。気にしていないわ。
  ──ねぇ、もしも私があの子と同じ様にこの目が狂ってしまったら……それでも同じ様に傍に居てくれるかしら?」

話すメリーの表情は判らない。
どんな顔で、その問いを尋ねているのか。
瞳を開いて、それを見ることは簡単だ。
でも……何故かそれはしてはいけないと、思った。

「……蓮子にも言ったけれども当然だろう。俺は二人の価値を、そんな目なんかで測ったりしてないよ」

「……そう、そうよね。貴方ならそう言ってくれるわよね」

いまいち、メリーが何を聞きたいのかは判らなかった。
けれども、その声の調子から何かしら悩んでいる様子なのは判った。

「なんか、あったのか?」

「そうね、特に何があったというわけではないんだけども……」

そうして瞳を開いてメリーを見ると、どこかぎこちなく微笑んでいた。
まるで、どこか遠くへ行くような。
手に入らないと決まっているものを、欲しがっている様な。

そんなメリーの顔は……見ていたくなくて。

「何かあったのなら言ってくれ。頼りないかもしれないけど、それでも何でも力になるから」

「ありがとう、その気持ちだけで嬉しいわ。でも今は大丈夫だから……気にしないで」

そうして立ち上がり、少し辺りを散策してくると言ってメリーは立ち去っていった。
後を追い掛けようかとも思ったが、その曖昧な、それでも明確な拒絶の態度に、動くことは出来なかった。




──何をしているのだろう。

一人森の中を歩きながら考える。
何故あんなことを言ってしまったのか、自分でも判らない。

それは、彼との出来事を楽しそうに話していた蓮子に対しての嫉妬の様なものなのか。
それとも──立ち位置が違う目を持つ自分に対しての不安からなのか。

蓮子の目は、時と場所を観る。
彼の目は、物の縁を観る。
二つに共通していることはあくまでイマ──この世界の繋がりを観ている。

私の目は、境目を観る。
──この世界とは別の、違う世界との繋がりを観ている。

それぞれ違うものだということは理解している。
それでも、考えてしまうのを止められない。

もしもこの目の持つ力が強くなった時──待ち続けていても、二人は追ってこれなくなるのではないかと。
旅立つにしろ置いていかれるにしろ──私は待ち続けられないのではないかと。

今はただ、不安に思うだけ。
ただ……そう遠くない未来に、現実となってしまうかもしれない。

そんな、漠然とした不安を拭えずにいた。

──あら?

そんな風に木にもたれながら悩んでいると──可愛らしい彼女と出逢った。



少しの時間が過ぎたけれども、相変わらずメリーは戻らない。
さすがに迷ってしまったということはないとは思うけれども、先程の様子からも心配が募る。

──行くか。

もし、追いかけて嫌われてしまったとしても。
このまま待ち続けているというのは、後に後悔しか残りそうにない。

もしもメリーが何かを不安に思っているのだったら、しっかりと話を聞かなければいけない。

──大切な、仲間なのだから。

そうして立ち上がり、メリーの立ち去った方に向かおうとした時。
その方向から歩いてくる人影が、見えた。



すぐそこに咲いていた、猫じゃらしを彼女の前で揺らす。
面白そうに反応していたのは最初だけで、今はやる気がなさそうに欠伸をしながら寝そべっている。
その何も悩みなんてなさそうな様子が少しだけ羨ましい。

こんな山奥に、黒猫が一匹。
首輪はされていなかったが、元飼い猫なのか片耳にはピアスの様な装飾を付けていた。
その可愛らしい猫とじゃれあっていて、結構な時間が過ぎていたことに気付く。

──集中しちゃうと、時間を忘れちゃうのは悪い癖ね。

そろそろ戻らなければ、さすがに彼を心配させてしまうかもしれない。
名残惜しく感じながら立ち上がると、後ろから彼の声が聞こえた。

「メリー! こんな所に居たのか、心配させないでくれよ」

「ごめんなさい、今戻ろうとしたところだった──あら?」

「こんなところに居たのか。──戻るぞ、橙」

彼の傍らには見慣れない──見慣れないはずの、女性の姿。
凜とした引き締まった表情と長身の格好。
その彼女を初めて見たはずなのに──何故か不思議なデジャヴを感じていた。

「……どうやら相手をしていてくれたみたいだね、礼を言うよ。ありがとう」

「あ……いえ、そんな……」

丁重に頭を下げるその女性に面を喰らっていると、彼から助け舟を出される。

「メリーを探しに行こうとしたら、ちょうどそこの黒猫を探している彼女に会ってさ。一緒に探していたんだ」

「藍という。そこの黒猫は橙というんだが、たまに気ままに出歩くことがあってね」

「あ……マエリベリー・ハーンと言います。私は特に何もしてないです……」

「──ハーン……そうか。いや、確かに相手してもらってたのは事実だ。──よければ、礼をさせてもらえないかな。
  すぐそこに住んでいる家がある。よければ寄っていくといい」

その突然の提案に、彼と二人目を合わせる。
どうしようかと思っていると──スタスタと歩き始める黒猫。
その仕草が、付いてこいと言っている様で。

「それじゃ、よければお邪魔させていただきますね」

「あぁ、久方ぶりの客人だ。特に何もない場所だけれども出来る限りはもてなそう」

歩き始める藍さんの後を彼が続く。
折角の好意だ、無碍にしてはいけないわよね。
そうして、彼と二人で彼女──藍さんの後ろを付いていく。

その先に何があるか。
選ばなければいけない選択肢が待っていると、今はまだ判らないままに──



一目見て、びっくりしたのはその衣装。
この日本ではあまり馴染みのない。
ただ式典などでたまにテレビに映ることのある──道教服……だったか。
それを見事に着こなしている彼女。

どこか魔性のものすら感じられる様な、その完成された立ち居振る舞い。
それに言葉を無くしていると、彼女から声を掛けられる。

「こんな山奥に人とは珍しいですわね。申し訳ありませんが──どこかで黒猫を見掛けませんでしたか?」

人では持ちえないとすら感じる程だった、その雰囲気。
ただ、その落ち着いた言葉とは裏腹にどこか懐かしさを感じさせてくれる。

──だからだろうか。
その美貌に目を奪われながらも、どこか安心出来たのは。

「すみません、ちょっと見掛けてないですね……あ、逆に聞いて申し訳ないんですが向こうに女の子を見掛けませんでしたか?」

「女の子……ごめんなさい、ちょっと判らないですわね」

「そうですか……すみません、お急ぎのところを」

どうやら、結構な遠くまで行ってしまったらしい。
いくらまだ日は落ちていないとはいえ、山奥の森の中だ。
早めに合流しなければ……

「──よければご一緒しましょうか。この辺りの勝手を知ってる者と一緒の方が、探しやすいのでは?」

別れて先へ向かおうとすると、そんな事を言われた。
その申し出に、少し悩んでしまう。
確かに、右も左も判らない場所で一人で闇雲に探すよりも、土地勘のある人と一緒の方が良いのかもしれないが……

「ありがたいのですが……いいんですか? そちらも探している様ですが」

「構いませんわ、実際私はそれ程心配していないですし。慣れたものでもありますのよ。
  それに……あの子達は優秀だから。ただ目の届く範囲に居てほしいという親心くらいなものですわ」

親心──そんな言葉をすんなりと言えるぐらいに、大事な黒猫なのだろう。
すぐにでも、メリーの安否を、様子を確かめたいのもあったのでここは素直に好意に甘えることにした。

「では、よろしくお願いします。……えぇと──」

「あぁ、そういえば名乗っていなかったね。──私は……そうね、藍と言います。短い間かもしれませんが、よろしくお願いしますわ」

「はい、よろしくお願いします。藍さん」

そうして彼女と一緒に、森の奥へと踏み入れる。
迷い込んだ、お姫様を探す為に──



そうして藍という女性に案内されたのは、この山奥にあるのが不釣り合いな程に立派な御屋敷だった。
こんな、言ってしまえば辺鄙とも言える様な場所でこんな立派な建物……
とも思ったが、考えてみればこういった場所の方が昔の人々はこういった建物を建てるものなのかもしれない。

それは不思議を淘汰した結果でもあるし──不思議と共にいつまでもありたいと思ったから、なのかもしれなかった。

とたとたと、勝手知ったるかの様に奥へと進む黒猫。
それに続くべきか迷っていると、藍さんも入口をくぐっていった。
彼と共に続けて向かう。
どこか妖しさすら感じられる、その屋敷に。

まだ、目立った境目は観えない。
それに──彼も一緒に居る。
一緒に居てくれる、傍に居るという安心に包まれて。

不思議な雰囲気だけを感じながら、私はその屋敷へと足を踏み入れた──


通された御座敷は、外から見た雰囲気の通りに住んでいる人の手が行き届いていて立派なものだった。
その中でどこか恐縮しながらも、辺りを見渡す彼に少し笑えてくる。
普段だったら、私が彼や蓮子にあまりきょろきょろと辺りを見るものじゃない、と怒られるのが常だったから。

「少しは落ち着いたら?」

「ぐっ……子供っぽくて悪かったな」

そうして彼の様子を笑っていると、奥の襖が開き藍さんが戻ってきた。

「そんなに御屋敷が珍しいかな?」

笑いあっていた私達に藍さんが言う。
少し、恥ずかしいと思ってしまう。

「住んでいるところにはビルやフローリングの建物が多いもので……」

「ですね、私も──」

そう言おうとして、少し考える。
私は、こういった屋敷に慣れていなかっただろうか──

「──まぁそれはそれとして、お待たせしてしまったかな」

考えていた思考に藍さんの声が届く。
纏まらないでいた頭を置いておいてとりあえず彼と共に、藍さんに向き直る。
改めて見ると、凄まじく整った顔立ちをしている彼女。
それはどこか人では有り得ない様な美貌で──

「いえ、そんなことありませんよ。ところで、こんな立派な御屋敷に藍さんと先程の黒猫の二人で住まわれているんですか?」

「いや、もう一人──家主が居るんだけどね。今日は御友人の所に行かれているんだ」

「そうでしたか、そんな中お邪魔させてもらって申し訳ないです」

「なに、気にすることはないよ。迷っている者を、放ってはおけないからね」

迷い人──
そんな言い方をして、こちらを見る彼女。
確かに彼と離れて一人で居たが……思い返してみると少しばかり恥ずかしい。

「目を離すとすぐに居なくなるんですよね。心配ばかり募っちゃって……」

「……そんな言い方ないじゃない」

そう彼に、少しばかりの抗議の声をあげる。
さすがに、一人で居た私が全面的に悪いので強くは出れないが。

「……二人は、仲が良いんだね。良いことだ」

そう言って笑う藍さんの顔をしっかりと見れなくて、顔を伏せる。
あぁ恥ずかしいわ……

「ところで、君たちは何故こんなところに? 住んでいる身で言うのもなんだが……あまり見知らぬ人が立ち入るという場所でもないからね」

確かに、こんな山の森の中に男女二人というのは、近隣の人からしたら不思議に思うかもしれない。
どう説明しようかと迷っていると、彼が口を開く。

「涼みがてらの散策というのが一つと──何か起こらないかな、という部活動ですかね」

そう言って出されていたお茶を飲む彼に続けて口を付ける。
あぁ──凄い美味しい。なんだろうこの茶葉……

「そういえば外は今そんな季節だったか。こちらと少し違うから気付かなかったよ。──それと、部活動とは? 差し支えなければ教えてもらえないかな」

その言い方に少しの違和感を感じながら、部活動──秘封倶楽部について話す。

不思議を探して。
不思議を観て。
不思議を暴く。

さすがに、私達の目のことについては伏せたままだけれども、秘封倶楽部について話す。
その話に呆れることなく、また茶々を入れるでもなく──真摯な姿勢で彼女は話を聞いてくれた。
普段こういった活動を話すようなものなら、そのどちらかの対応をされることが多いので少しばかり、嬉しかった。

「……なるほど。若さ故のものかな。いいものだよ」

そう言って遠くを見ながら微笑む彼女。
ふと隣の彼を見ると──案の定惚けた様な表情をしていた。
それが少し気にいらなくて、彼の足を少し抓る。
驚いてこちらを見る彼には、気付かない振りをしておいた。

「そうだね……二人の活動の糧になるかは判らないけれども、よければこの辺りに伝わる昔話でもしてあげようか?」

そんな風に二人、少しじゃれあっていた所で言われたその言葉。
その言葉に、二人とも目の色が変わる。

そう、私達は秘封倶楽部──こういった話には、目がない人種なのだから。

「よければ、お聞きしてもいいでしょうか?」

その私の言葉に、微笑んで──手を叩く。
何事かと驚く間もなく、襖が開く。
そこには──

「お呼びでしょうか、藍様」

初めから控えていたのかは判らないが、可愛らしい女の子が居た。
どこかで見掛けた憶えがあったけれども……確か初めて会う子、だったはずだ。

「少しばかり長話をすることになりそうだからね。菓子受けの用意と──よければ貴方も聞いていくと良いよ」

「はい、判りました。……良いんですか?」

「折角の御客人だ。失礼があってはいけないからね。──それにあの方も、もしかしたら後で帰ってくるかもしれない。
  もしそうなら、久方ぶりの御客人だ。きっと喜ぶだろうさ」

「……判りました」

そう言って奥へと戻る少女
彼女も、ここに住んでいる住人なんだろうか──?
そんな風に考えていると、表情に出ていたのか藍さんが苦笑交じりに言う。

「あぁびっくりさせたかな。彼女はそう──私の、弟子であり娘の様な子さ」

「弟子……ですか」

「あぁ、君達には少し馴染みがないかもしれないかもしれないかな。これでも、この地域に古くから伝わっている伝承の身の上でね。こんな格好をしているのもそのせいさ」

そう言ってひらひらと、その衣装を振るう。
大人の余裕と言うのだろうか……その仕草一つとっても、洗練された振る舞いが感じ取れた。

「だからかな、君達が好みそうな話というのも色々と知っていてね。だから手慰み程度だと思ってくれて構わないよ。
  ──語られない物語は、語り部が居なくなればいつか消えてしまうだけだからね」

いつか、消えてしまう──
彼女の言ったその言葉が、何故か胸に残った。

「お待たせしました」

襖の開く音と声と共に、少女が茶請けと共に戻ってきた。
そうして、私達から少し離れた場所へと座り込む。
これで準備は出来たとばかりに、藍さんの目が細められて──

「さて、では始めようか。古くは遠野にも伝わる昔話──マヨヒガのお話を」



──それはどこにあるのかは誰にも判らない。
ただ、旅人が迷った末に辿り着く場所。

曰く──そこは人の身で辿り着ければ訪れた者に幸を与える場所。
曰く──強欲な者はそれ故にその身を滅ぼすということ。

そんな、どこかで聞いたことがある様な伝承だった。



「──と、いうお話さ。どこかで聞いたことあったかな?」

「えぇ、遠野物語のマヨイガですね。文献は見たことがあります」

そう彼が答える。
そう……遠野物語で見たことがある話だ。
……そのはず、だ

この屋敷に入った時から──もっと言えば、彼女と出逢った時から感じているこのデジャヴはきっと、気のせいだ。
遠野物語……その本を何時どこで読んだのか、それは憶えてはいなかった。

「うん、君達は博識だね。若い身の上なのに感心だ。
  さて──ここが、そのマヨイガだと言ったら驚くかい?」

その言葉に、すぐに返すことが出来ない。
ここがあの伝承に聞くマヨイガ……?
そんなこと……

「──俄かには、信じ難いですね」

「えぇ、だって……」

彼と共に懐疑の視線を向ける。

きっと、彼は純粋にこの辺りに伝わる昔話だと思っているから。
よくある伝承程度のことで、本当の話ではないだろうと。
でも私は──

「そうだね、信じられるはずもないよね。──貴女は、そういったものが観えるから? それとも──ここにそういったものが観れないから?」

その言葉にゾワリと背筋に悪寒が走る。
確かに、私が信じられない理由は彼とは違う。

何も、観えないのだ。
マヨイガなんていう伝承の異界の地。
そんな場所にもしも迷い込んだとすれば……その境目は必ず私には、観える。
あの──神社の様に。
だから、信じられない。

だが……もちろん彼女にこの目について話した覚えはない。
なのに何故……彼女はそんなことを……

「また、あの方の戯れなのかね。それとも貴女達の異能故、かしらね。本来──こんな巡り会わせは有り得ないはずなのに」

淡々と話すその様子に、悪寒が止まらない。
ここに居ては危険だと、この場所はどこか異常だと、彼にここから逃げなければ──と伝えようとして

「──○○っ!?」

今まですぐ傍に居たはずだった彼の姿が──ない。
まるで、初めから私一人だったみたいに。

混乱した頭で必死に出口を見やる。
そこには、いつ移動したのか、先程の少女が通すまいと立ちふさがっていた。

「さて、あの方が戻るまでもう少々掛かりそうだ。それまでゆっくりしていくといい──貴女が強欲ならば厄災が、貴女が選択を間違えなければ幸が、待っているだろうさ」

そうして、いつの間にか生えていたのか沢山の金色の尻尾を生やした彼女──藍が近寄ってくる。
息が届く程の間近までその端正な顔立ちが近づいてきて──

「──御客人を苛めるのは、あまり感心しないわね」

その、どこかで聞いた覚えのある声を聞いて振り向いてしまう。

──そして、見てしまった。
──観て、しまった。

境目を身体中に走らせた──歪過ぎるその存在を。

そうして私は意識を手放した。
最後に蓮子と──彼のことを思い浮かべながら。



「中々見つからないですね……」

「そうね、こんな森の中で迷い込んでしまって探している彼女は大丈夫なのかしら?」

あれから、メリーの去った方向に歩き続けているが中々その姿は見つけられない。
さすがに心配も募ってきた。
もしも藍さんの言う様に彼女に何かあったら俺は──

「随分と、大事な方なのね」

その声が後ろから聞こえたことに気付く。
意識していなかったが、大分早歩きになっていたようだ。
後ろから投げ掛けられた声に振り向くと少し離れた位置に藍さんは居た。

「あ……すみません……。えぇ、大事な仲間なんです」

「そう……それだけの縁をその手に出来るなんて、少し羨ましいわね」

「離れてしまって、心細いはずなんです。いつもは余裕そうにしてますけど、案外打たれ弱い奴なんで」

そう、恐らくはメリーは実はとても打たれ弱い。
そして、その弱さを自分で抱え込んでしまう性質だ。
先程の様子も、きっとしょうもないことで悩んでしまった結果なのだろう。
だからこそ、傍に居てあげたい。
話してみれば、大したことない悩みなんだと笑い飛ばしてやりたい。

──傍に居なければ、そんな簡単なことすらも出来やしない。

だからこそ、こんなに焦ってしまっているんだろう。

「──良い縁を……紡げているようね」

「え、何か言いましたか?」

「早く見つけてあげられるといいわね。そのお姫様を」

悪戯にそう言って笑う藍さんに、少し顔が赤くなる。
その仕草はどこかメリーに似ていて──

「あら──こんな所で珍しいわね」

そんな、彼女ではない女性の声が聞こえた。



──ここは、何処だろう

ふわふわとした意識のまま、目を開く。
どこにいるのかは判らない。
きっとこんな時、蓮子だったら即座に判るのだろうか。
そう考えて──空を見上げると真っ白な景色が広がるだけ。
月も星も雲も太陽も──何一つ存在しない。

──あぁ、夢だ。

どこか落ち着いている頭でそう考える。
何度も経験した憶えがある。
その内容を、話す度に呆れながら、それでも楽しそうにしながら。
彼女は聞いてくれたから。
まるで自分も体験したかの様に。
体験出来ないことを、共有したいかの様に。

そんなことを、懐かしく感じる。

いつからだろう、夢を見なくなったのは。
いつからだろう、現を夢よりも楽しく感じる様になったのは。

──彼が、居るからかしらね。

思い返してみればそう思う。
彼と出逢って、彼と再開して、彼と過ごして。

いつからか、私が追い求めていたのはまだ見ぬ夢ではなく。
それを追い求める、二人の姿だった。

私にはないモノを持つ彼ら。
彼らにはないモノを持つ私。

それを、悔しいと思った事はない。
それを、羨ましいと思った事はない。

だって、例え違っていたって──


──ほんとうに?

私ではない、誰かの声が世界に響く。
その声に振り向くと後ろには──私とよく似た誰かが立っていた。

驚きはあまりない。
ここは夢だ。
ならば、何でも起こりえるのだろう。

──本当よ。私は私。彼らとは違うのだから。

気持ち悪い目を持つ彼ら。
でもそれは私も同じ。
だからこそ──どうしようもなく、惹かれるのだから。

──酷い欺瞞ね。

夢は、自分を映す鏡だと言う。
ならば、この言葉は私が思っていることなのだろう。
深い意識の、奥底で。

──どういうことかしら?

だからこそ、私は私に問い掛ける。
想いの全てを、知らなければいけないから。
マエリベリー・ハーンとして……秘封倶楽部として。

──ほんとうは、羨ましくて堪らないくせに。自分にはないモノを持つ彼女を、飾ることなく心を伝えられる彼女を。

蓮子のことだということは判る。
そして──彼に対しての台詞だということも。

──私は、三人で居れる今が好きなの。やっと見つけた、居場所なの。それを壊すかもしれないなんて……出来ないわ。

きっとそれは私の弱さ。
恐らくは……蓮子も同じ様な気持ちだろう。

この完成された、でもほんの少しの切っ掛けで壊れてしまうかもしれないトライアングル。
今は、まだその切っ掛けを起こすつもりはない。
今は、まだこの曖昧な関係性を保っていたいのだ。

──でも、そうしている内に……居なくなっちゃうんではなくて?

彼か、彼女か、私か。
いつまでも変わらないものなんて有り得ない。
多かれ少なかれ、誰しも選択肢を選び、その度に変わりゆくのだから。

──そうかも……しれないわね。

きっと、その切っ掛けを作るのは弱い私達ではなく何もまだ知らない彼なのだろう。
彼が選び取る選択。
その時、彼女は……私は──

──メリー、マエリベリー・ハーン。哀れな、迷い子。
──貴女が選択肢を誤らない様に観せてあげる。
──いつか来るかもしれない、結末を。

そう言って妖しく笑う私──いや、よく似た『誰か』
その、私によく似た金色の瞳が煌めいて──

残酷で優しい世界は、その可能性を映しだした。



「でもこんな所に珍しいわねぇ、またあの子がサボったりしてるのかしら?」

「今回はイレギュラーみたいなものよ、あの子の影響も大きいしね」

「あまりホイホイ越えられるのも困るのだけれどねぇ。またあの方に怒られるのは嫌だわ」

「出来れば私もあの方に御高説いただくのは御免こうむりたいわね。まぁ適度なところで帰すわよ」

仲良さそうに──実際顔見知りなのだろう、話す二人を遠目に見る。
片やこちらは、連れそいであろう少女と二人会話もなく黙ったままだ。

……微妙に居心地が悪い。

さて、どうしたものやら。


あの後、声を掛けられた方を見ると二人の女性が歩いてくるところだった。
どこかふわふわとした雰囲気を纏った女性と、付き添いであろう真面目そうな少女。

見事な色合いで染まっているその桜の様に綺麗な桃色の髪の女性が、藍さんへと話しかける。

「こんなところで貴女を見掛けるなんて本当、珍しいわね。どこかへお出掛けかしら?」

「あら、私はどこでも居ますわ。ちょっと迷い人を探しにね、幽々子は散歩かしら?」

「えぇ、妖夢と一緒にね。そうそう、ちょっとお話してもいいかしら?」

「えぇ、構わないわよ。──○○、ちょっと時間いただいてもいいかしら? その子を見掛けたかどうかも聞いてみるから」

正直、早いところメリーを探したい気持ちはあったが、一緒に探してもらっている手前、その申し出を無碍には出来なかった。
なので、それ程掛からなければ──と断りを入れて、少しの間待つことになった。


そうして、今に至る。
傍に居る少女──妖夢と言ったか、は未だに目を閉じたまま一言も喋らない。
雰囲気からも伝わってくるが、どうにも真面目な子の様だ。

さて、いつまで待とうか……そう思っていると、話し終えたのか二人が戻ってくる。
ちょっとした道草をくってしまったが、早いところメリーを探しに行かなければ──

そう考えていると、幽々子と呼ばれた女性がこちらをまじまじと見上げてくる。
その近さにびっくりして後ずさると、面白そうな物を見つけた、という風な子供みたいな表情を浮かべた。

あの二人と付き合っているからこそ判る……これは、何か碌でもないことを思いついた時の顔だ。

「こんなところで出逢ったのも何かの縁かしらね。私は西行寺と申しますの、貴方は?」

珍しい名前だな、とは感じたもののこの辺り特有の名前なのかもしれないと納得して、こちらも名乗り返す。

「○○と言います、連れと一緒に来たのですがはぐれてしまいまして……今藍さんと一緒に探しているところです」

その言葉に、一瞬妖夢が少し顔を細めたが幽々子さんに視線を送られまた元の表情に戻る。

「そうだったの、それはさぞかし心配でしょうね。──よければ私達もご一緒いたしましょうか?」

「幽々子様っ!?」

その言葉は予想していなかったのか、隣の妖夢と呼ばれた少女が声をあげる。
今までずっと黙っていただけに、その大声に驚く。
こちらとしても手を煩わせる程のことではないのだが……

「いやそんな……悪いですよ。それに、どこかへ向かわれていたのではないですか?」

「散策程度のものだったから気にしないでいいわよ。それに、楽しい時間は皆で過ごした方がいいわ」

楽しい時間……そんな気楽なものではないのだけれども……
そうしてどうするか悩んでいると、藍さんが助け舟を出す。

「あら、いいじゃないの。幽々子もこの辺りは詳しいから、早く見付かるかもしれないわよ?」

……幽々子さんに対して。
まぁ、知り合いなのだから当然と言えば当然だろう。

「それなら助かりますが……特にお礼とか出来ませんよ?」

「あら、退屈を埋められるわ。永くここにいる身からしたら、それが一番のお礼になるわ」

話し方や見た目からして、品の良さそうなお嬢様っぽいのでこの辺りに住んでいる箱入り娘なのかもしれない。
とにかく、善意からなのであればこちらとしても無碍には出来ないので、改めてこちらからもお願いしておいた。

「幽々子様……いいのですか?」

「いいのよ妖夢。彼女も居るのだから、問題なんて何もないわ。それに貴女も少しは外に触れてもいいのよ、見識が広まる良い機会だわ」

「……はぁ、判りました」

そんなやりとりを、ぼそぼそと二人でしているのを横目で見る。
そんな立派な人間ではないんだけどなぁ……

そうして連れ添いを増やしてお姫様を探し続ける。
さて──件のお姫様は、一体どこまで迷い込んだのやら。



──そうして観ているのは有り得るかもしれない世界。

蓮子が──居る。
彼が──居る。
誰かが──居る。

──私が、居ない。

沢山の切っ掛けがあった。

例えば、引っ越しだったり。
例えば、進路によってだったり。

例えば──誰かが夢を追わなくなったり。

その映し出される全ての選択の先において、私は彼らと共に居なかった。
今先延ばしにしている選択肢の先において、私は彼らと別れていた。

置いていかれたこともあった。
置いていったことも……あった。

追いかけていくと思っていた。
でも勇気のない私は、彼らの後を追わず、一人同じ場所で立ち竦んでしまっていた。

追いかけてくれると思っていた。
でも、三人が二人になってもその円は変わらず回っていた。

頭では、理解出来る。

──これは、約束された未来ではない。
私や彼ら、その考え方一つで簡単に変わる来るかもしれない、結末。

でも、それを観る私は考えてしまう。思ってしまう。
いつか訪れるその時、同じ様な選択をしてしまうのではないかと。
別れは、すぐそこまで迫っているのではないかと。

「判っているとは思うけど──」

「えぇ、判っているわ」

未だに目の前で流れる風景──未来を観ながら響いた声に応える。
彼女が何者で、何故こんなものを観せているのかは判らない。
本当に自分自身で、今観ているのはただの夢なのかもしれない。

でも、私はそれから目を離すことが出来ない。
それはずっと考えていたからかもしれない。
このままずっと一緒になんてそれこそ──夢物語にしか過ぎないのだということなんて。

「今、この選択を強いるのは貴女にとって、とても酷なことだということは判っているわ」

「それでも、観せるのね。酷い人」

「現を生きる貴女に、過度に干渉するのはただの御節介にしかならないのだけれどね」

夢の中に生きる彼女──その彼女からの忠告。
それに返す答えを、今の私は持ちえていない。

ただ強く言い返せばいいだけのことなのだ。
至極、簡単なことなのだ。

──今ここに、私以外の誰かが居てくれれば。

私以外に誰も居ないこの世界は、まるでずっと感じていた不安を映す鏡の様で。
だからこその、夢なのだろう。

この簡単な問い掛けに弱い私は、答えられない。
この先に、どういった選択をするべきなのか──どういった選択を選ぶべきなのか。
ずっと、同じ場所で立ち竦んでいる。

そうして、言葉も出せず悩んでいる私を見る彼女は、とても悲しそうな顔をしていて。
まるで、私と同じ様に誰かを待っているかの様な、そんな憂いの表情を浮かべていた。



「大事な方なのね」

「えぇ、順番は付けられないですけど……大事な奴なんです」

歩きながら、説明がてらメリーの特徴を話していると幽々子さんにそんな事を言われる。
見た目通りにとても聞き上手な方だったので、思わずメリー以外にも蓮子や秘封倶楽部のことについても話していた。

そう、大事な仲間なのだ。
だからこそ居なくなったら心配するし、すぐに探しに行く。
これまで長いこと待たせてしまっていたのもある。
もしも何かあったとしたら、きっといつまでも後悔するだろうとも思う。

だからこそ、追い続ける。
もしも離れてしまったのなら、追い付いて必ずその離れた手を繋ぐ。
例えもしも嫌だと言われたとしても──縁は、途切れさせない。
そう、決めていた。

「──一つ、聞いてもいいでしょうか?」

それまで、ずっと黙って傍に付いてきていた妖夢が遠慮がちに尋ねてくる。
もしかしたら嫌われてるんじゃないか、と少し心配だったので言葉を投げ掛けられたのに少しだけ、ほっとする。

「うん? なんだい?」

「貴方の中では……一番大切な方というのは、決まってはいないのですか?」

まだ少し遠慮がちに、ただ確かな真の通ったその瞳。
きっと、彼女にとっては何よりも大切なものがあるのだろう。
だからこそ、俺みたいに同列に大事な存在が居るというのが判らないのかもしれない。

「……そうだね、決まってはいないよ。どっちも欠けたらいけない、大切な人だから」

「そうですか……でも……」


話し辛そうに口籠る彼女。
知らない人に対してどの様に伝えればいいのか、というのにあまり慣れていないのかもしれない。

「一息に聞いちゃいなさいな妖夢。大丈夫、それで怒る様な人じゃないわよ」

隣からその様子を見守っていた幽々子さんが助け舟を出す。
まぁ理不尽に侮辱されたりしなければ、当然怒ったりもするはずもない。
そうして少し立ち止まり妖夢の言葉を待っていると、意を決した表情で聞いてきた。

「大事な……お互いに大事な人達だったら。ううん、だからこそ。いつか……離れてしまうのでは? ──傷付けて、しまうのではないでしょうか?」

「……」

その投げ掛けられた言葉をよく考える。
大人っぽいところを見せて『そんなことないさ』と言葉にするのは簡単なことだ。
でも……真剣に問い掛けてきてくれた彼女には、真剣な言葉を返さなければいけないと思った。

「……そうだね、きっとそうなんだろうと思う」

その言葉に、三者三様の表情を浮かべる。

妖夢は予想していた様な、少し悲しそうな顔を。
幽々子さんは先の言葉を求めて、楽しそうな顔を。

藍さんは──目を細めた無表情を。

それぞれの表情を見ながらも言葉を紡ぐ。
今の自分の、考えを。

「いつまでもずっと一緒に三人で、なんて都合のいいこと続かないと自分でも思っているよ」

それはきっと、遅かれ早かれ。
大学生活というのも終わりを迎えて、それぞれ別々の道を進んでいく。
それは必ず約束された──未来。

その時に、隣に居るのが誰かは判らない。
まだ顔も名も知らない誰かかもしれない。

でも──

「でもね、一つだけ決めているんだよ」

その言葉に、妖夢は顔を上げる。
真っ直ぐに答えを求めて見つめる少女に、今の自分の答えを伝える。

「自分からは決して離れない、絶対に二人の傍に居るって」

先は、観えない。
先は、判らない。

そんなことは、初めから知っている。
ならば、その為にすることは後悔しないこと。
選ばなければいけないのなら、どれだけ時間が掛かろうとも悩み抜く。

ただ──その先に二人が居ない道なんて絶対に選ばない。
それだけは、決めていた。
ずっと前、出逢ったその時から選んでいた。

「もちろん、二人がそれぞれ俺から離れるかもしれない。先のことなんて判らないしね」

「えぇ、お爺様も……居なくなってしまいました。……未熟な私を、置いて」

泣きそうな表情を堪えながら言う彼女。

恐らく、彼女は大切な人と離れてしまったのだろう。
だからこそ悩むし、だからこそ怖がる。
それを自分の中で未熟さ故だからだと、悩んでいるのだろう。

それなら、伝えなければいけない。

「でもね? 例え離れてしまっても──俺が納得してなければ、絶対に追い掛けるよ」

「──追い掛ける……?」

「うん、追い掛ける。そんで、頭の一つでも一発引っぱたいてやる。勝手に居なくなるなって──手の届く距離まで行って、文句でも言ってやるさ」

離れるならば、追い掛ける。
居なくなるならば、見つけ出す。
文句だって、幾らでも言ってやる。

──大切だからこそ。

「……ちょっと格好付けすぎだったかな?」

惚けた様な表情で、こちらを見る妖夢に頭を掻きながら言う。
少し熱入ると、ぽんぽん恥ずかしい言葉が出てくるんだよなぁ……

「いいんじゃないかしら? 若い身の内はどんどん悩むべきだし、結果なんて後から付いてくるものよ。──ねぇ?」

「──そうね、及第点としておきましょうか。今のところは」

そうして笑う幽々子さんと、無表情を崩して微笑を浮かべる藍さん。
あぁ今の言葉を聞かれてたんだと思うと今更ながらに恥ずかしくなってきた……

「だから妖夢、貴女も悩みなさい──そして、答えを出しなさい。自分自身の悩みは、例え剣を振るったとしても、切り落とせないのだから」

「……はい!」

そう言って元気よく笑う妖夢。
うん、仏頂面で悩んでいるよりも彼女みたいな子は、元気溢れている方がいいもんだ。

「さて、そろそろ時間を潰し過ぎたかしらね。──そろそろお姫様を助けに行きましょうか」

そう言って先に進む藍さん。
その通り過ぎる時に見た横顔は──とても嬉しそうな表情をしていた。



「私はね、本当に今のままがいいの」

「……」

「蓮子が居て彼が居て──私が居る。いつか途切れてしまうかもしれない繋がりだとしても、ずっとこの縁を観ていたいの」

「……」

「選びたくなんてない、離れたくなんてない、変わりたくなんて……ない」

「……」

「この歪な世界で、やっと見つけられた仲間なの。──例え私がこの世界での異分子だとしても……無くしたくないの」

「……でも、世界は何でも許容出来る程、優しくはないわよ?」

「──判ってるわよっ! だったらどうしろって言うのよっ!? 願えば時が止まってくれるわけでもないっ!!
  世界は進んでいく、彼らはずっと私と同じ場所には居てくれないっ!!」

判っていた。
何度も、繰り返してきたのだ。
観てきた世界は、いつか来る繰り返された結末。

その何処にも私の居場所がなかったというのなら──
私はこの先の結果なんて観たくない。
イマだけを、夢だけを観ていたい。

彼が居て彼女が居て──私が居ることを、許される夢を。

「貴女はまた──同じ選択を、選ばないという選択を繰り返すのね」

これが何度目なのかは判らない。
ただ、きっと彼女は数えきれない程にこの問い掛けを繰り返してきたのだろう。

くるくると、クルクルと、狂々と繰り返す一人きりのこの世界で。

「私は弱いから……誰かに手を引いてもらわないと、立ち上がれないのよ」

だから、これはまた同じことの繰り返し。
きっといつまでも、この輪からは抜け出せないのだ──


その時、世界に色が加えられた。
何もない真っ白な世界に、緑色の優しい光が──

その変化に驚いていると、誰かに手を取られる。
光で観えないその先によく知っているはずの、その人の輪郭がぼやけて観えて──

「──それでも縁は、巡りゆくわ。その先にあるものなんてその輪を象る者によって簡単に変わり行く。──人は強いものなのよ」

その言葉を聞きながら、私の意識は更に深く、どこまでも堕ちていった。



「メリー! メリー!?」

木にもたれながら、意識のないまま瞳を閉じている彼女を揺さぶる。
木々のない開けた場所で、まるで眠るかのように横たわっている彼女。

それを見た瞬間、走り出していた。
何があったのかは判らない。
ただ、呑気に眠りこけているだけかもしれない。

でも……最悪の想像だけは止まってくれなかった。

こちらの呼び掛けにも反応することなく、ただ夢見るかの様に静かに眠るメリー。
混乱する頭でどうすればいいのか考えていると、傍らに寄り添う様に佇んでいる黒猫に気付いた。

──ペロリ

そんな風に眠るメリーの顔を舐める猫。
そうすると、メリーが軽く身動ぎをする。
反応が少しでもあったことにほっと安堵するが、それでもその一瞬だけで変わらず彼女は目を覚まそうとはしない。

「こんなところにいたのね、橙」

焦っている頭に、後ろからの藍さんの声が聞こえる。
とてとてと、その声に呼ばれるがままに進む黒猫。
そうして、ぴょんと飛び上がると藍さんの腕の中へと飛び込んだ。

「お待たせ、橙。様子見、ご苦労様。それで、○○。その子がメリーさんかしら?」

「えぇ……特に外傷なんかはないみたいですが」

「でも少し苦しそうな顔をしているわね、悪夢でも観ているのかしら」

落ち着いてそう言葉を告げる彼女に、少しだけ自分も落ち着きを取り戻す。
そうだ、混乱してないでメリーが今どういう状況なのかを把握しなきゃ……。

「そうね、これがもし物語なら──王子様のキスで目覚めたりするものじゃない?」

「はぁ!? こんな時に何を言ってるんですか!」

その突拍子のない言葉に、思わず言い返してしまう。
ニヤニヤと面白そうな顔をする彼女と──

「あら、それは素敵なお話ね。もしそうなら夢のある話だわ」

「お二人とも戯れが過ぎます……」

同じく悪戯な笑みを浮かべる幽々子さんと、呆れた様子の妖夢。
確かに黒猫は見付かったのだから彼女達にはもう関係ないのかもしれないが、それでも悪ふざけが過ぎる。
それに怒ろうとすると──メリーが朧げに、うなされる様に、手を伸ばす。

ふらふらと、何かを掴もうとする様に、確かめようとする様に。

「メリー! ここに居る、俺は傍に居るぞ!」

その手を、ギュッと掴む。
そして、引き寄せる様に彼女の身体ごと抱きしめて──

「──○、○?」

「メリー! 大丈夫か──」

虚ろに目を開けて、視線を交わしたメリーの顔が近づいてきて──



世界は滲みながらも色を取り戻して。
目の前には、追い求めていた大切な人が居て。
手の中には、心強い感触があって。
それを、絶対に離したくなくて。

──私は、無意識のまま顔を近付けていた。



その柔らかさが、一体何から来るものなのか上手く認識出来ない。
今、どういった状況になっているのかよく判らない。
ただ一つ判るのは、確かな温もり。

そうして混乱した頭のまま、メリーが顔を離すのをぼんやりと見ていた。
そして、安心しきった表情で微笑んで。
彼女はまた、意識を手放した。

「──メリー!?」

ハッとして、またメリーの身体を抱き抱えるが、スースーと寝息を立てている。
先程とは違い、穏やかなその表情にとりあえずは、大丈夫そうだと思う。

「──まったく、お熱いことねぇ」

「まったくだわ。見せつけられた方としては、たまったものではないけど」

「……あぅ」

「──にゃーん」

とりあえず今は、後ろの四者の生暖かい視線は気にしないことにしておいた。
俺だってまだ上手く把握出来てないんだよ、チクショウ……



──夢を観ている。

決まり切っていたかもしれない夢を。
私が、居ない夢を。

でも、今はそれを俯瞰して観ていられる。
それはきっと、手の中の温もりがあるから。
ここに居ると、言ってくれたから。

今ならより強く信じられる。
きっと、彼は……ううん、蓮子だって。

例え私がどこに行ったって、きっと傍に居てくれる。
どこまでも、追いかけてくれる。
もちろん、私だって──

「貴女が思っている以上に、彼らは貴女を想っているわ」

「うん、でも……それに甘えてちゃいけないわよね」

隣で並んでその夢を観ている彼女に言う。
私は、選ぶことが不安だった。怖かった。
いつかその時が来たら、何も選ばず夢に逃げ込むつもりでもいた。

でもそれだけは──しないと、今誓った。

不安はある。
どうしようもないことだって、きっとある。

でも、彼らみたいに。
不安を抱えながら、それでも逃げずに立ち向かう──彼女の様に。
辛い時でも傍に居てくれると言ってくれた──彼の様に。

少しでも、強さを、勇気を持って。
望む未来を、選び取る。

「それが今度の貴女の選択なのね。──勇敢な、その勇気ある選択に敬意を」

そう言って彼女から手渡されたのは三つの石。
いつかあの神社で見つけた様な、石。

その色は無色。
まだ何も決まっていないかの様な、透明な宝石の様な石。

「いつか、それもまた色づいていくでしょう。様々な色合いに染まっていくでしょう。願わくば──その色が後悔の色に染まらぬ様」

「……貴女は、誰?」

彼女は、夢の中のもう一人の私だと思っていた。
意識の奥底にあったものが、語り掛けてきたのだと。
でも……どこか違う気もする。
もっと懐かしい、ずっと昔に出逢った誰かの様な──

「それは、いつかまた巡り合ったその時に。さぁ、もう起きなさい。貴女の帰りを待ち人が心配しているわ」

そうして指し示られたその先に、光が満ちる。
それに恐怖は感じない。
その光の先に。
何よりも安心出来る待ち焦がれている人が居ると、判っているから。

そうして私は、自分の意志で選択して、夢から現へと目覚める。



「──う、うぅん……」

「メリー!?」

ずっと握っていた手に力が籠る。
目に、光が灯るのが判る。
そうして、呑気な眠り姫は目覚めてくれた。

「○……○、○?」

「よかった……本当に、よかった……」

そうして未だに少し寝惚けて目を擦るメリーを必死に抱きしめる。
今まで緊張していた自分の身体が、弛緩するのを感じる。
とりあえずは、大丈夫そうだ。

「ごめんなさい、ちょっと寝惚けてしまっていたみたい。……心配、した?」

「当たり前だ、ばーか」

表情は観えないがその声色に安心する。
そうして、少し落ち着いたら今の状態に気付いて慌てて離れる。

「すまん、苦しくなかったか?」

「もうちょっとこのままでも良かったんだけどね。えぇ、大丈夫よ」

そう悪戯に笑うメリーの顔を見ない様にして。
きっと今の自分は、茹蛸の様に真っ赤だろうから。
恥ずかしさを紛らわせる様に慌てながら後ろに居るであろう、彼女達に振り向く。
迷惑や、心配させてしまったことを謝ろうとして──

「……あれ?」

だが振り向くとそこには、誰も居ない。
まるで初めから、誰も居なかったかの様に。

「にゃーん」

一匹の、黒猫だけを残して。

「その猫は……」

「あ、うん。メリーを探している途中にコイツを探している女性に出逢ってここまで一緒に探してたんだ。それで、今までそこに居たはずなんだけど」

「そうだったの、どんな人?」

「藍さんって言うんだけど──ってどうした?」

その名前を伝えると、驚いた表情をするメリー。
聞き覚えでもあるのかと思っていると、驚くべき内容のことを言った。

「私も、多分会ったと思うわ。夢の中で、その人に。マヨイガ……あ、そうだこれ」

そう言ってポケットを弄るメリー。
そうして取り出したのは、三つの宝石の様な石。
まだ何色にも染まっていない、透明な石。

そうして、その中の一つを手渡される。

「これは?」

「夢からの贈り物、かしらね。よければ持っててもらえないかしら。伝承通りだったら、幸せになれるんじゃないかしら」

「上手く飲み込めないんだけども……判った。ありがとう。……とりあえず、帰るか」

「えぇ、帰りがてらその夢についてもゆっくり話すわ。貴方や蓮子には、聞いてもらいたいし」

そうして立ち上がると、傍らの黒猫が何やら咥えているのに気付く。
じっと見詰めているとトコトコと近寄ってきて自分の前で立ち止まりそれを離す。

「持ってけって、ことかな」

「きっと、そうじゃないかしら?」

その置かれた物を拾いあげる。

どこにでもある様なその紙切れ。
それに何が書いてあるのかは、生憎とよく判らない。
随分と年代物な気もするが……

まじまじと見ていると、一声鳴いた黒猫が離れた位置でこちらを見ている。
まるで付いてこいと言うかの様にその猫はスタスタと先に進んでいく。
その気ままさに少し溜息を零して、後に続くことにする。

さすがにもう、何か起こったりもしないだろう。
大丈夫そうだと言っても、メリーの体調も心配だ。
彼女の様子を気遣いながら、案内してくれるという黒猫の後を付いていった。



そうして進む彼女の後を追っていくと、見覚えのある風景に辿り着いた。
どうやら、出口までしっかり案内してくれたらしい。

出口に当たる場所で見送る様に座り込む彼女の頭をそっと撫でる。
気持ちよさそうに撫でられる彼女の様子を微笑んで見ながら、彼にもう大丈夫だろうと伝える。

「しっかし、とんだ暇潰しになっちまったな」

「悪かったわね。でもその分面白い体験は出来たから後で話すわ。蓮子もきっと悔しがるんじゃないかしら?」

「部分的に話されると後が怖い箇所があるんだが……」

「それは捉え方次第だから何とも言えないわね」

「またドロップキックをかまされるのは勘弁願いたいもんなんだけどな」

そうして笑いあう私達。
見送ってくれる彼女と別れて、その先へ、現へと続く道へと戻る。

私の居場所は、こちら側だ。
いつか、向こう側に辿り着くのだとしてもそれは今ではない。

──それで、いいのよ

森から抜けるその瞬間、そんな声が聞こえた気がした。




「ずるいわ」

「知らんし、お前が課題終わらせられないのが悪いんだろうに」

「久しぶりに有意義な体験だったわよ」

久方ぶりに課題から解放されて我が家に飛んできて話を聞き終わった蓮子の台詞。
こちらとしては単なる暇潰し程度になればぐらいの考えだったし、そこに蓮子が居れなかったのは正直残念ではある、が事項自得でしかない。

だが納得出来ないのか、唸り声でも上げるかの様に机に突っ伏して膨れながら上目づかいでこちらを見てくる蓮子。
相変わらず、コイツは感情表現がストレートだ。

「でもそうね。──○○、乙女の柔肌の感触はいかがだったかしら?」

今、飲み物を含んでいなくて本当に良かった。
もし飲んでいたら、さぞかし綺麗な虹が見えていただろうと思う。
慌てて息を整えながら、傍らに鬼が居ることに気付いた。

「──○○? ちょっと詳しく聞いてもいいかしら?」

「ちょ、ちょっと待て。その表現には、多分に誤解が含まれている。だから落ち着いて、その後ろに纏っているオーラを収めるんだ」

「あら、酷いわね。殿方に抱きしめられたのなんて初めてだったのに。遊びだったのかしら?」

「メリー、ちょっと頭冷やそうか」

「いいから。──委細事細かく全て洗いざらい吐き出しなさい」

「だから落ち着けって──」

捲し立てる蓮子。
ニヤニヤと笑いながら紅茶を飲むメリー。
必死に弁解する自分。
久しぶりの日常は、あっという間にその慌ただしさを増していった。
いつも通りに──



いつも通りの、慌ただしい日常。
彼が居て、蓮子が居て、私が居る。

選び取ったこの日常は、儚いものかもしれない。
ふとした切っ掛けでなくなってしまう、淡いものかもしれない。

それでも今はこの世界を。
──私達が居るこの素晴らしい世界を、過ごしていくのだ。生きていくのだ。

いつか、別れが来るとしても。
どこかに、誰かが行ってしまうとしても。

その選択の先に後悔だけはしない様に。
私は、笑って過ごしていくのだ。

その先に、望む未来を彩れる様に。





──ねぇ、なんであんな回りくどいことをしたのかしら?

彼女に聞かれて、その答えを考える。
何故かと問われれば、暇潰しという答えが直ぐに浮かぶ。
実際、それも理由の一つではあるのだし嘘は吐いていない。
ただ、この掴みどころのない親友はそんなありきたりな答えは期待してはいないだろう。

──そうね……老婆心的な御節介かしら。

それもまた一つの、理由。
悩み戸惑う彼女。
それを見て、自分を重ねたから。
在りし日の、想いでを。

──そう、羨ましいわ。私にはそういうの憶えていないから。

誰よりも優しく、純粋だった彼女。
その身に背負った業故に、全てを無くした彼女。
それもまた、選択だったのだろう。

あの時、彼女が選んだ。
あの時、私が選んだ。

その時の選択に、後悔がないと言えば嘘になる。

あの時、もっと力があれば。
私以外の寄り添う誰かが彼女の傍に居れば──

今ではもう詮無きことだ。
起こった過去は変えられない。
下した選択は覆らない。

だからこそ、同じ轍は踏ませたくなかった。
だから、私は何度も干渉しているのだろう。

それがどの様な結果を指し示すのかは、全能ではない私には判らない。
きっと、真面目なあの方やあの子は面倒事を増やすな、と怒るだろう。

──でも、妖夢にも良い刺激になったみたいで僥倖だったかしらね。

そうころころと、花の様に笑う彼女。
確かに、妖忌と離れた妖夢はやはり多少悩んでいたのだろう。
振るう剣の様に鋭くあろうと強がっていた彼女。
少しでも、彼のあの言葉があの子の助けになったのだったら。
それはそれで、またいい縁を生み出したと言えるのかもしれない。

──あまり過保護過ぎるのは良くないわよ。

それは傍から見ていて感じること。
彼女──幽々子の可愛がり様は見ているこちらが茶々を入れたくなってしまう程だ。
……妖夢自身はどう思っているかは判らないが。

──あら? 貴女の式にも言えることでしょうに。……最近は、貴女にもね?

その含みを持った笑みに、同じ笑みを返す。
こういった時に、気心の知れた親友というものはいいものだ。

──当然でしょう、まだ観えぬ縁の先に何があるか。楽しみで、しょうがないのだから。

何色に染まりゆくのか。
まだまだ変わりゆくその先を楽しみにしながら、舞い散る桜を彼女と共に眺めていた。


うpろだ0050
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最終更新:2013年11月23日 00:44