『集団お見合い』 ―水無月の21―


イッキ! イッキ!

「あの、レミリアさん」
「……何よ」

イッキ! イッキ!

「嫌ならやめておいた方が……」
「ここで逃げたら吸血鬼の、いえ、女がすたるわ」
「けど」
「うるさい。さあ……むぐむぐ、はむ」

イッキ! イッキ!

「よういしなひゃい、しょーせつか」

イッキ! イッキ!

 無責任な人たちの「一気にいけ」コールの中、○○は背中に冷たい汗を流していた。
 目の前には、紅き吸血鬼レミリア・スカーレットが、無防備にも目をつむり、こちらを見上げている。
 ほとんど幼子のものであるその顔は、羞恥のためか怒りのためか、とても紅い。それでいて唇はつややかな桜色に帯びていて、やけになまめかしかった。
 細長いお煎餅をくわえているせいだ。だからまるで接吻を待ち構えているように見えてしまう。

 もし、その煎餅に口をつけてしまえば、ゲームはスタートしてしまう。
 煎餅を食べ進め、レミリアと極限まで顔を近づける――いわゆるポッキーゲームが。

イッキ! イッキ!

 なぜ、こんなことになったのか。

 ○○は大きく唾を飲み込み、こんな状況に至った理由を無意味に探すのだった。



 時間はさかのぼり、数刻前。
 
 6月、水無月のみぎり。
 春が過ぎ、様々なものが盛りを迎える初夏の時分。
 この時期になると、夏花、緑木はもちろんのこと、鳥、虫、動物もそこら中を飛び跳ねまわる。どれもこれも青々と活力に溢れ、いずれやってくる夏に向けての準備運動を始めるのだ。
 動物の一種である人間もまた同じで、温かくなれば人々は活動的になる。家から外へ、1人よりもみんなで。閉じこもってばかりだった冬のうっぷんを晴らすかのように、人々は動き回る。
 それ故なのか。

「そうそう、あそこの呉服屋のおやじさん。また若い子に手を出して」
「こりないものよねえ」
「いくら声かけたって、当たらぬ鉄砲はなんとやらだもの」
「前は甘味屋のお嬢さんに声をかけて、すげなく断られたとか」
「らしいねえ。あ、そうそう。甘味屋と言えば、最近出た新しい甘味のおいしいのなんのって」

 主婦たちの井戸端会議も、初夏の盛りと同じく盛り上がっていた。
 人里の広場にて、3人の妙齢の主婦たちがおしゃべりをしていた。話し続けてもう1刻(2時間)。疲れた様子も、話題が尽きる様子もなく、彼女たちの口は回り続けていた。初夏の陽気が世間話にも熱をもたらしているのだろうか。 
 そんな彼女たちの間に、若い男が1人。

「どう? ○○さんは新しい甘味もお食べになった?」
「それなら3日前に食べましたよ。大福の中にみかんとは、なかなか奇抜でした」

 ○○だった。いつもの着流しを着て、主婦たちの中にに混じっていた。
 用事があって人里にやってきた道すがら、彼女たちに捕まり、離してもらえなくなったのである。
 だが、おしゃべりに付き合わされて困っているというわけでもなく、

「みかんって最初はゲテモノ食いかと」
「そうねえ。餡に合うとは思わなかったものね」
「案外、餡って色々なものに合うものですよ。苺とか」
「やだあ、○○さんってば。まさか苺と餡が合うだなんて」
「ほんとですよ?」

 自然と主婦たちの会話に溶け込んでいた。
 彼はこういう場が嫌いではなかった。そもそも人との会話は小説家としていい刺激になる。彼女たちの話の中にもキラリと光るものがあり、磨けば珠玉のエピソードとなることもある。1人で考えるよりも、外に出ればそんなエピソードに出会える可能性はぐんと高まる。だからどんな会話でも誘われれば積極的に参加するようにしていた。

「前にみかん大福を食べに行った時に聞いたんだけど、甘味屋のお嬢ちゃん、そもそも婚約したらしいじゃないの」
「あら、そうなの? じゃあ、呉服屋のおやじさんったら、それを知らずに?」
「そうそう。あすこのお嬢さん、お見合いしたみたいでね。なかなか良い男を見つけたって」
「お見合いって、もしかして最近話題の?」
「そうみたいよ」

 さっそく気になる話題を発見。何か妙なものが流行っているらしい。
 ○○はすかさず「普通のお見合いじゃないんですか?」と尋ねた。
 すると、主婦たちが一斉ににんまりと笑った。噂話やゴシップの類が大好きな彼女たちが、話の餌を手に入れた時によく浮かべる笑顔だった。

「○○さんも参加したらいかが?」
「あらやだ、○○さんには必要ないでしょうに」
「そうねえ、周りにあんな方たちがいらっしゃるんじゃ、目も肥えてらっしゃるでしょうし」

 おほほほ、と笑う主婦たち。何がなんだか分からないが、○○もとりあえず笑っておいた。
 ひとしきり笑った後、主婦の1人が「けどねえ」とため息をついた。

「目が肥えすぎるのも考えものよ? うちの息子なんて、それはもう高望みしすぎてて」
「最近多いみたいねえ。手が届かない存在に憧れる人ばかりだって、里長も嘆いてたわ」

 里長という名を聞き、○○は「あ」と短く声をあげた。

「あー、すみません。俺、もう行かないと」
「あら何かご用事?」
「里長に呼ばれてまして。他にも色々と」
「もっとお話したかったのに。残念だわ」

 丁重に頭を下げ、○○はその場を辞した。
 結局『話題のお見合い』や『若い人の高望み』といった気になる話の内容が聞けず、消化不良気味。
 道すがら誰かに訪ね回りたい衝動を抑えつつ、○○は先を急ぐのだった。



 今日人里にやってきたのは、何人かの人と会うためだった。

 先日、家に2通の手紙が届いた。差出人は別々の人間。しかしどちらも概要は同じ。『相談があるから来てほしい』というもの。
 何の用事かまでは詳しく書いていなかったものの、○○はすぐに了承の返事を書いた。
 
 里の人からの相談事はよくあることだった。自分も含め、外の世界の人間は幻想郷にはない知識を持っている。斬新なアイデアを求めている人、何か打開策が欲しい人などがそういう知識を求めて、相談してくるのだ。
 相談内容は様々。○○も、薬屋の経営のコンサルタントをしたこともあるし、農家の人たちのいさかいを仲裁したこともある。里全体の方針に意見を言ったこともあった。
 時には身の丈に余る悩みを相談されることもあるし、何かある度に人里まで行くのは一苦労だったが、解決して喜ぶ相手を見るのは嬉しいし、やはりそうところからも小説のネタが出てくる。だから○○はできる限り、この手の相談には応じるようにしていた。

 そして今日もらった2通の手紙の内の1つ、それが里長からのものだった。人里の長であり、齢は60を超える偉いお方。何の用かは知らない。『手紙で書くには長すぎる相談事』と書いてあった。

 いったいどんな話なのか。○○は緊張半分、好奇心半分で里長の家へと向かうのだった。



「そもそも最近の里の若いもんは、まこと世の道理をわきまえておらんもので――」

 向かい合う白髭の老人からとうとうと繰り出される話。○○はできるだけ耳を傾け続けていた。我慢の時間だった。
 人里でもひときわ大きな里長の住まいは、客間ひとつをとっても自分の家より広かった。部屋に2人だけしかいないことがその広さを際だたせている。互いに黙り込むと気まずい沈黙でも流れそうなものだったが、里長はさきほどから怒濤のごとくしゃべり続けていて、○○が口をはさむ隙もなかった。

「わしが若い頃は、年長者の言うことをよく聞き、里のため人のためと粉骨砕身していたもので――」

 多少説教臭くなってきた里長の話。その内容はだいたい以下のようなものである。

 最近、里の若い男たちの中で「かわいい妖怪変化と恋がしたい!」などとのたまう者が増えている。
 困ったことに、彼らは人間の女たちには目もくれず、妖怪変化にうつつを抜かしている。
 例えば、ある者は里を訪れる妖精に声をかけまくっている。大抵は軽くあしらわれて終わるのだが、そのしつこさはお気楽妖精たちからも苦情がやってくるほど。
 ある者は意中の妖怪に恋文と贈り物を送りまくる。大抵は配達業者に断られて断念するのだが、中には直接届けようとする猛者もいる。
 ある者はお気に入りの妖怪の絵を部屋中に貼りまくる。
 ある者は天狗から写真を大量に購入する。

 このように、彼らはかわいい妖怪変化に過剰な情熱をそそぎ込んでいる。なんとかならないのか、というのが、里長の相談だった。
 
「そもそも人間と妖怪というものは、襲い襲われることで成り立っているもの。その道理を破れば何が起こるかは目に見えておる」

 主婦たちが言っていた『若い人たちの高望み』という話を思い出す。きっとあれはこのことに違いなかった。妖怪変化という手の届かぬ存在に恋いこがれること……なるほど、高望みかもしれない。

「無論、わしも近年の人妖の融和について知らぬわけではない。中には本当に妖怪変化と仲良うなっておる者もおる。だが、それでも隔たりというものはある」
「はあ」
「そう簡単に人と妖怪の隔たりが越えられるわけがない。以前はそれをわきまえていたはずだというのに……」

 ここで里長は言葉を切り、じろりと○○を睨みつけた。
 ○○は思わず背筋を伸ばした。

「小説家殿。そなたにも一抹の原因があるのですぞ」
「私に?」
「そなたが書いたものの中に、人妖の恋愛を題材にしたものがあるというではないか。そんなものを書かれては困る。若いもんがいらぬ影響を受けてしまう」

 確かに人と妖怪の恋愛小説を書いたことはあるし、あれはけっこうな数が売れた。ファンレターの中には、あの小説に影響を受けて妖怪たちに興味を持ったという人間や、人間と交流しようと思ったという妖怪もいた。
 だが、たかだか本1冊で世間が変わるなどと、まさか里長も思ってはいまい。これも愚痴の延長みたいなものか。

「ここはひとつ、小説家殿にも責任を果たしていただきたいな」
「と、おっしゃいますと?」
「なに、人と妖怪の隔たりについての論説でも書いていただければいい。若いもんはわしの言うことなんぞ聞きはしないが、そなたの書いたものならば喜んで読む」

 有無をいわさぬ雰囲気に、○○は困ったように頬を掻いた。
 いったい里長もどこまで本気なのだろうか。自分にはそんな影響力なんてないのに。
 ここはきっぱり断る必要がある。

「私なんかより、もっとお偉い方のお話の方が」
「『小説家が書けば桶屋が儲かる』」
「は、はい?」
「そう言われておるのを知らんのか? それほどに影響力があるということ。そなたの小説の中に出てきたものを、こぞって買い集める者すらおるらしいぞ」

 初めて聞いた話に、○○は目を丸くした。

「で、書くのか書かんのか」
「あー、えーと。そうですね。考えておきます」

 結局、あいまいな返事になってしまった。
 だが、それで乗り気でないこちらの気持ちが伝わったのか、里長は「ふうむ」とうなり、さらにたたみかけてきた。

「書いていただければ、ひとつ里の生活に便宜を与えようぞ。里に家でも構えるか?」
「いえ、それは……今の家で満足していますので」
「あんなへんぴなところで満足とは、変わり者だの」

 竹林の傍なんてへんぴなところでも、2年近く住んでいる自分の家だ。そうそう引っ越しなんて考えられない。
 そう説明すると、里長は変なものを見る目で見てきた。慣れているので気にしない。
 「よし」里長がぽんっと手を叩いた。「見合いの席でも設けよう」。話が変な方向に向き出した。

「わしの孫娘がちょうどよい年頃でな。15になる。そなたはもう20はゆうに数えるだろう。そろそろ身を固めてはどうか」
「いやあ……そんなことは考えてみたこともないので」
「そんなはずはない。男なら、おなごと共にありたいと思うのは当然だと思うが?」

 その質問に、○○は乾いた笑い声をあげるにとどめた。否定も肯定もせず、「今は所帯を持つつもりもないので」とだけ答えた。
 だが里長はあきらめてくれない。

「ならば、里のきれいどころを集めるか。その中から好きな者と見合いをすればいい」
「そういう問題じゃないんですが」
「もちろん、最近若いもんがやっているヘンテコな見合いではないぞ。正式なものじゃ」
「ヘンテコ?」

 また、お見合いの話だ。奥様方も話していたが、やはり何か妙なお見合いが里で流行っているらしい。
 その話が聞きたいところだったが、里長が「さあさあ」と顔をぐいぐい近づけてくる中では、尋ねることもできない。
 ○○は考えるフリだけして、丁重に頭を下げた。

「すみませんが」
「むぅ、さすが、普段から据え膳をことごとくはねのけているだけのことはある」
「はい?」
「男として情けない、と言っておる。そもそも男とはな――」

 己の要求が果たせないと分かるや、またお説教をし出す里長。
 これは解放されるまで時間がかかりそうだ、と○○は珍しく他人の話に辟易するのだった。



「ああ、もう日が高い」

 里長の家の前にて、○○は目を細めながら空を見上げていた。すでに多様は1日の後半戦に突入していることを差し示している。なんとも長い戦いだったと、○○は背筋を伸ばした。
 里長はあれから1刻近く愚痴を言い続けた。それで日頃のストレスを解消したのか、最後には「また来ておくれ」と満足顔で言っていたものの、○○はそれに対し「機会があれば」とだけ答えておいた。本当に誘われた時は足が重くなるだろう。行きはするけれども。

 そういえば、気になっていた『ヘンテコなお見合い』のことも、結局詳しく聞くことができなかった。いったいどういうものなのか。
 後々調べようと手帳にメモだけして、○○は歩き出した。疲れていても、他に気になることがあっても、行かなくてはいけないところがある。
 
(とにかく急ごう)

 『話がある』と呼び出してきた手紙はもう1通。
 これは里の若者から送られてきたものだ。顔見知り程度の男性からのもので、やはり内容は『会って話す』とのこと。
 約束の時間は未の刻(14時頃)であり、もう迫っている。あまり時間の余裕はない。

 もし、この話が終わったら、次は慧音の寺子屋にでも行こうか。○○はそんなことを考えながら、足を動かすのだった。



 若者たちの第一声は土下座と共に放たれた。

「○○さんを見込んで、心からのお願いがございます!」

 お願いします! と唱和する男たち。

 ここは人里の建物の中でも、特に会議や話し合いに使われることの多い集会所。いつもはお偉い方々が難しい顔をして並ぶ場所だが、今は代表者らしい若い男が1名、その後ろにいる10名ほどの男たちが、見事な土下座を披露してくれていた。
 何十もの黒い頭が畳と接し、まるで団子のように整列している。そのいさぎよさには感動を覚えると共に、尋常一様でない用事であることがびんびんと感じられた。
 ○○は少々うろたえつつも思った。これは時間がかかりそうだと。

「あの、みなさんとりあえず顔を上げてください。何があったんですか?」
「俺たち、愛に生きるって決めたんです!」
「あっしらの思いは、誰にも止められやしやせん!」
「恋愛万歳!」
「万歳!」

 顔をあげるなり熱い口調でまくしたてる男たち。
 それらは見たことのある顔ばかりだった。里で商売をしている人や、工芸品を作っている人、農業に勤しんでいる人。職業は様々で統一性がない。唯一言えるのは皆、自分と同じ普通の人間だということだろうか。
 今の彼らはやけに熱い。うおー!という歓声すらあがり始め、○○は勢いに負けそうになるのをこらえてさらに尋ねた。

「え、えーと、愛に生きるっていうことは、つまり誰かに恋をしているということですか?」
「そりゃあもう、妖精メイドさんはサイコーです!」
「小兎かわいいっす小兎」
「白狼天狗万歳!」

 他にも「花妖精は可憐!」「緑巫女様は奇跡!」などなどと、パトスをほとばしらせる男たち。質問をしてはいちいち叫び出す彼らの、非常に要領の得ない話をまとめてみると、だいたい以下のようなものだった。

 彼らこそ、里長が言っていた「妖怪変化に恋焦がれる者たち」だった。
 彼らは人里に姿を現す妖怪・妖精を一目見て、惚れ込んだ。人と妖怪の溝なんて何のその、「かわいいもの、綺麗なものに惚れ込んで何が悪い!」を信条にし、彼女らとお付き合いすることを目指して、様々な求愛活動を行っているという。里長が言っていたように手紙を送ったり、直接声をかけたり、などなど。
 だが、良い結果にはなかなか結びつかない。話すことができても、気持ちばかりが先だって話題がついていかない。相手のかわいさを前にするとしどろもどろになってしまう。手紙はどこに送ればいいのか分からない。周りの人たち、特に年寄りたちには白い目で見られてしまう。
 根性と情熱だけで女性を射止めるのは不可能だと、彼らは悟った。もっと方法を考えなくてはいけない、と。

 そこで彼らは、妖怪関係の専門家である博麗神社の巫女様に相談を持ちかけたのだという。

「霊夢さんに?」
「はい! 博麗の巫女様は仰られました。『見合いでもしたらいいじゃない』と。俺たちはもう、目からウロコが落ちた心持ちです!」
「博麗の巫女様サイコーっす!」
「博麗の巫女万歳!」
「万歳!」

 また叫び出した男たち。そろそろうるさく感じられてきたので、手で『抑えて』とジェスチャーを送りつつ、○○は聞き返した。

「見合い、ですか」
「はい! そういう場なら無理して声をかけなくても、落ち着いて話もできますし、互いのことをもっと知ることができる。恋愛の第一歩はそこからだって」
「霊夢さんがそんな提案を」

 ちょっと意外な感じがした。あの巫女様は、何か異変があったり、正式な仕事の依頼がなかったりしないと、そうそう動かない。よく言えば人妖に公平、悪く言えばぐーたら。そんなお人がこういう相談事にきちんと応えるなんて、珍しいことだ。

「それもただの見合いじゃないですよ。最近、俺たちの間で大流行してる、集団お見合いです」
「集団……?」
「知らないんですか? 1対1じゃなく、多人数の男女が同席して、食事をしながらおしゃべりするんです。これで結婚した奴多いですよ」
「俺たちは参加したことないっす!」
「妖怪万歳! 人間の女なんていらない!」
「万歳!」

 その説明から、実際の場面をイメージしてみると、ある名称が頭に浮かんだ。

(それって合コンじゃ……)

 数人の男女が集まり、食事をしながら恋人探し。『合コン』と言わずなんと言う。
 ○○はピンときた。色々な人が『話題のお見合い』『ヘンテコなお見合い』と話していたのは、きっとこれのことだ。
 普通のお見合いしかない幻想郷なら、こういう形式の集まりは新鮮だし、流行ってもおかしくない。

「それでですね。ここからが本題なんですけど」

 代表者の男が○○と差し向かいになった。ちなみに彼は「妖精メイドサイコー」と叫んだ人でもある。

「やっぱり彼女たちにも主人とか、その土地の支配者がいるわけで、そういう人たちに許可を取ってから、集団お見合いをするべきだって、巫女様が仰ったんです。例えば妖精メイドさんなら」
「レミリアさん、ですね」

 ○○が応じると、代表者は「はい」と頷いた。

「お見合いですからね。うちの親とか里長なんてどうでもいいんですけど、相手方の親には認められなきゃいけない」

 そのあたりの手順をしっかりと踏むぐらいには、彼らにも常識があるらしい。

「そういうわけで、巫女様が妖怪の偉い方々とお話する場を作ってくださることになりました」

 ますます変な感じがした。あの霊夢さんがここまで骨を折るなんて。いきなり仕事に目覚めたのか?
 首を傾げる○○。と、代表者の男がいっそう真剣な顔で自分を見ていることに気付いた。

「○○さん」

 床に手をついた彼は、懇願の視線を○○に向けた。

「俺たちは正直、弁が立つ方じゃありません。妖怪の偉い人たちと話そうにも、何をどうやって話せばいいか全然分からない。だから」

 勢いよく頭を下げた。

「あなたには俺たちの代表者になっていただけませんか!?」

 そして後ろの男たちも一斉に土下座をした。
 ○○はその一糸乱れぬ動きに再び圧倒され、「俺が?」と普段の口調で答えてしまう。
 代表者が顔をあげ、「はい!」と声をはりあげた。

「○○さんの小説、読ませてもらってます。特に大妖怪との恋愛小説……あの小説を書いたあなたなら、きっと俺たちを理解してくれる、協力してもらえると思ったんです」
「あの小説サイコーっす!」
「それに、○○さんは妖怪変化の方々とも顔見知りが多いと聞いてます。だから彼らとの話し合いも得意かなと」
「いや、それは」

 過大評価だ。妖怪と多少の交流はあっても、それは自分1人で築いたつながりではない。様々な人たちの協力があってこそ、色々な人と知り合い、色々なところを訪れることができたのだ。
 そう説明しようとしたものの、

「お願いします!」

 再びの一斉懇願に圧倒され、○○は何も言えなくなった。
 見れば、後ろの男たちもこれまでの悪戯染みた顔から一転、口を真一文字に結び、射抜くような視線を○○に向けている。

 こうなっては無碍にするわけにもいかない。
 ○○はまず一考。
 そして2、3の質問を代表者に投げかけた。

「本気、なんですね」
「はい!」
「きっと色々な人に反対されますよ」
「どんとこいです!」
「相手にも嫌われるかも」
「む、無視されるよりマシです!」
「もし、女の子たちとお近づきになれたとして、あなたたちはどうしたいんですか? 結婚とか?」
「そ、そんないきなり、……ただ色々と話がしたいんです。最初はそれだけでいい」
「そうだそうだー!」
「花妖精とお話してみたいぞー!」

 やんややんやと叫んでいる男たち。
 だが彼らに共通するのは、それが純粋な好意だということ。誰に否定されようとも、世間の常識に背こうとも、好きな人に近づきたいという想いが見えてくる。 
 ああ、こういう想いを抱ける人が、時にうらやましい。
 これに対し、否定で答えられようか。

「……分かりました。引き受けましょう」
「おおー!」
「ありがとうございます!」
「ありがとっす!」
「○○さん万歳!」
「万歳!」

 男たちの野太い歓声で集会所が揺れる。

 ○○は大変な相談事を引き受けてしまったと思いながらも、後悔はしておらず、彼らのために何ができるかを考えていた。
 里長の言っていたことが頭によぎる。人と妖怪の隔たりは深い――確かにそうだろう。だが、彼らの熱い想いはそんなものを軽く乗り越えてしまいそうだ。
 ここでその感情を無理に抑えつければ、反動で何が起こるか分からない。周囲から反対されれば、愛情はさらに燃え上がり、愛憎劇や悲劇にもつながる。ロミオとジュリエットのように。
 お見合いという1つの道筋をつけることは、彼らの情熱が爆発しないよう、噴出口を作るようなものだ。
 霊夢はそういうことも見越していたのだろうか。だったら里長にも提案してみるか? いや、まずは妖怪の偉い人たちと話をつけなくてはいけない。それが難しいのだけれど。
 
「慧音さんに相談してみるかなあ」

 困った時の慧音さん、とばかりに○○がそう呟くと、ちょうど目の前にいた代表者の男が「いやいや!」と慌てた様子で言った。

「○○さん、これは忠告ですが、今回の話を慧音先生とか、霧雨の娘さんとか、白い髪の人とかに話すのは、やめておいた方がいいと思いますよ」
「え、どうしてですか?」
「そりゃあ、あなたがこのことを知ったら、○○さんがお見合いをすると勘違いして、こう、色々とややこしいことになるかと」
「……はあ、そうですか?」

 いまいち理解していない○○に対し、男たちが一斉に「ちっ」と舌打ちをした。
 鈍すぎだろ―これだから天然男は―俺も美少女3人に囲まれたい―あんな綺麗な人たちに慕われるなんて―俺、前は慧音先生が―俺だってあの白髪の人にあこがれて―
 次々と怨念混じりのつぶやきがあふれてくる。だが自分たちの恩人に聞かせられる言葉であるはずもないので、相手に聞こえないよう、小声で発散しているようだった。
 突然空気が悪くなったことを奇妙に思いつつも、○○は代表者に尋ねた。

「やるとなると色々と準備したいんですが、その話し合いっていつ行われるんですか?」
「今からです」
「……はい?」

 今から?

「よーし! 俺たちで○○さんを博麗神社までお送りするぞ! 妖怪除けのお守りももらってるし、一直線だ!」
「おう!」
「ちょ、ちょっと、せめて準備を、うわ、持ち上げるのはやめっ」

 わっしょい! わっしょい!

 神輿よろしく男たちに担ぎ上げられれば、逃げることもできない。
 なすすべもなく、○○は外へと連れ出されるのだった。

※  

 鳥居をくぐると、玉砂利の敷かれた灰色の地面が目の前に広がる。中央には石畳の道が延び、その上をまっすぐと歩けば目前に本殿が建つ。古くさい建物に、これまた古くさい屋根。金色の鈴から白い緒がぶらさがり、その下には素敵なお賽銭箱がある。今か今かと参拝客を待ち受けているお賽銭箱――そんな、ありふれた神社の風景。
 神社は神聖な場所だと言う。境内に入れば「ありがたや」と拝み始める人だっているし、鳥居をくぐっただけで「何かヤな感じがする」と拗ねる妖怪もいる。
 だが、住んでいる人間からすればありがたみなんてほとんどない。ただただ面倒な家だ。無駄に広いし、無駄に掃除しにくい。境内ひとつをとってもそうだ。周囲が木で囲まれているから葉っぱや小枝がすぐに散らばる。それが玉砂利の間にでも挟まれば、箒で取りにくいからいちいち手で拾わなくてはいけない。なんて面倒くさい。
 だから風が吹くたびに思う。いっそのこと一気に葉っぱを散らしてしまえば、掃除も楽になっていいのにと。

 忌々しい緑の木々たちを眺めながら、博麗霊夢は賽銭箱の端に腰掛け、ため息を吐いた。明らかに罰当たりな場所に座っているのは、うっとうしい初夏の日射しを避けるためだった。可愛い巫女様のお肌のためなのだから、神様だって許してくれるだろう。そうたかをくくっている。
 霊夢はじっと木の枝を見つめていた。また1つ、葉っぱが落ちうる。今日のためにと掃除をしたばかりの境内に。
 少し、いらっとした。

 本当に散らしてやろうかと腕をあげそうになり、我慢我慢と霊夢はすぐにひっこめた。神社の屋根にかぶさるようにして立っている木はただの木ではない。桜だ。花弁が散り、地味な緑色の葉っぱしか茂っていないが、桜の木なのである。
 ここで桜の葉を一気に散らしてしまえば、一時の気晴らしにはなるだろう。だが散らしてしまえば木は枯れる。枯れてしまえば、来年花びらの舞いを肴にした宴会ができなくなる。色々な人妖を集めた毎年の恒例行事だというのに、桜がないから中止だなんてことになってはつまらない。
 だから面倒ではあっても、風に散るに任せたまま、巫女様は毎日せっせと境内を掃除しなくちゃいけないのだ。

 地道なことをやり続けること。それは疲れたり、面倒だったり、イライラすることが多い。けれども、得たいものがあるならやるしかない。そういうことだ。

 そういえば、と霊夢はふと思い出した。
『薬を使って好きにさせるっていうのは、なんか違うんだよな』
 魔理沙の言っていたことも、つまりは『そういうこと』だったのかなと思う。惚れ薬なんて安易なものではなく、もっと地道に関係を築いていってこその、本当の恋は叶う。彼女はそう言いたかったのか? あの魔理沙がそこまで深く考えていたのだろうか。

 霊夢は深呼吸をして心を落ち着かせた。別のことを考えて、気を紛らわせようと思った。
 待ち人はまだ来そうにもない。

 まず、今しがた頭に浮かんだ魔理沙のことでも考えてみる。彼女は今頃何をしているだろうか。多分、アリスと一緒にお茶会でもしているはずだ。久しぶりの2人きりの時間だとアリスは言っていたので、きっと1日中離してもらえないだろう。
 上白沢慧音は寺子屋。毎日子供の相手をしてばかり、ご苦労なことだ。
 藤原妹紅には行商人を警護する仕事を回しておいた。今日1日それにかかりっきりのはずだ。
 うん、と霊夢は頷いた。準備は万端。これからやってくる素敵な時間を邪魔する者はいない。

「我ながらよくやったものねえ」

 霊夢は自分のことながら感心していた。
 面倒な根回しをたくさんした。似合わない相談事も引き受けた。
 全ては、1人の人間のためだ。
 今日という面倒な過程を経てこそ、得られるものがある。と思う。

 賽銭箱の上でぷらんぷらんと足を揺らした。中身のなさそうな木箱に踵がぶつかる度に、軽い音が響く。それがなんとも間抜けな音で、霊夢はまたため息を吐いた。
 さらに霊夢は指を前髪にやり、くるくると毛先をいじくった。気が抜けているなと自分でも感じていた。これから恋の一大行事があるというのに、平静な自分に感心してしまう。
 そもそも、今の自分は普段通りすぎたかもしれない。紅白の巫女装束に、リボンをつけた髪。男性との逢瀬の時に何を着ればいいかなんて分からなかったから、結局これに落ち着いた。今思えば、もっとお洒落をするべきだったかもしれない。

 霊夢はそう考えている自分に、あらまあと再び感心した。
 思いのほか、彼と会うことを楽しみにしている。なんとこの自分が。
 けれど残念。会うのは自分1人だけではない。これなら1対1の時間も作るべきだったかなと、霊夢は苦笑した。
 
「わっしょい! わっしょい!」

 鳥居の方から、たくさんの男の声がうるさく聞こえてきた。
 待ち望んだ人が来たことが分かり、霊夢は「よいしょ」と賽銭箱の上から降りた。服の袖口についた木片を取り、手櫛で後ろ髪をとく。身だしなみを整え、軽やかな足取りで境内の中央へと歩いていった。
 


「わっしょい! わっしょい!」
「うぷ……す、すみません、酔う、酔いますって」
「わっしょい! わっしょい!」
「うぐ」

 文字通り担ぎ出されてどれだけ経ったか。○○を乗せた人間御輿は、現在博麗神社の階段をのぼっていた。
 この御輿、乗り心地が最悪だった。何しろ揺れがひどい。長時間乗っていると三半規管がやられてしまう。御輿にはご神体が乗っているものだが、そこに宿る神様は、もしかしたらいつも車酔いしているのかもしれない。
 とめてくれとお願いするものの、ハイテンションな男たちは気にもとめてくれない。階段を1段昇るたびに頭の中がシェイクされ、○○はもはや息も絶え絶えだった。

「わっしょい! お! 着いたぞ!」
「おう、止まるかぁ、って、うおっ!」

 揺れが収まり、ようやく終わりかと安心したのもつかの間、何があったのか、前列の男たちが急停止した。そのせいで御輿全体が前のめりになり、○○の身体は地面へと放り出されてしまった。
 玉砂利の上に落ちる。したたかに腰をうちつけて、地味に痛い。

「いつつ、いきなり放り出すなんてひどい」
「あらあら。手荒い送迎ね」
「ほんとにそうで……あ」

 顔をあげた先にいた人は、博麗霊夢だった。
 「こんにちは、○○さん」。腰に手をあて、華麗に笑いながら挨拶する霊夢。○○は彼女の姿を見て、ごくりと唾を飲み込んだ。挨拶を返そうにも口が動かなかった。

「は、博麗の巫女様だ」
「な、なんかいつもとちがうくないか? やけに……こう、綺麗っていうか」
「おま、俺たちゃ人間の女なんてどうでもいいんだろ」
「けど巫女様は人間っぽくないし」
「かわいいは正義」

 後ろの男たちが騒がしい。不遜な言葉も聞こえてくるが、彼らがどよめくのも仕方ないぐらいに、今日の霊夢は違っていた。
 いつもの巫女装束ではあるものの、その衣装や身だしなみの端々が、けがれひとつなく整えられていた。派手でも華美でもない。けれども目を引かれてしまう容貌。ゆったりとしていて心安い。
 これが、けだるそうな顔でお茶を飲んでばかりの女性と同一人物だというのか。今の彼女には、まさしく儀式に向かう巫女のような、神聖な気配すら漂っていた。
 霊夢は母屋の方を手で指し示した。

「待ってたわ。もう準備はできているから、行きましょ」
「は、はい」
「じゃ、里のみんなはここで帰りなさい。気をつけてね」

 微笑みかけられた男たちは、浮ついた表情のまま、はい! と答えて回れ右。「頼みましたよ○○さん!」「巫女さんに鞍替えしようかな」「俺にはてゐさんが……」などなどと騒ぎながら、階段下へと消えていった。
 一方、霊夢は神社へと歩き出す。○○は慌ててその後ろについた。

「あの、霊夢さん」
「なあに」
「先方はもう来ているんですか」
「ええ。全員ね」
「そうですか……」

 ○○はゆるみかけた気持ちを引き締めた。あれだけの男たちの想いを背負って、交渉に望むのだ。失敗はできない。
 すでに御輿の酔いは覚め、どうやって話し合っていこうか、そのことだけを考えていた。

 そんな○○を振り返り見た霊夢は、

「ふふっ」

 妖しく笑っていた。



 話し合いは博麗神社の客間で行うとのことだったので、霊夢の先導のもと、○○は母屋に入り、縁側を歩いていった。色のくすんだ縁側は、歩くたびにぎしぎしと音を立てている。

「ここよ」

 霊夢が示した部屋の前に立ち、○○は居住まいを正した。そして、再度頭の中で自分の目的を確認する。
 人間の男たちと、妖怪変化の女の子たちによる集団お見合い。それを行っていいかどうか、妖怪の有力者たちと話し合う。自分の役目は相手を説得し、開催の方向へと持ち込むことだ。
 きっと交渉は難航するだろう。人と妖の溝はもちろんのこと、様々な集団の思惑や利害関係も絡んでくる。それをほぐしながら目的を達成するのは至難の業だ。
 いきなり連れてこられたので、準備不足もはなはだしい。かなり不安だ。
 この障子の向こうにはいったい誰がいるのだろう。霊夢がいる以上、入った瞬間に消し飛ばされるなんてことはないだろう。それでも人間相手に威嚇してくるぐらいはあるかもしれない。相手の威厳に呑まれないように気をつけなくては。
 よし、と気合いを入れて、○○は顔をあげた。まずは遅れてきた非礼を詫び、それから交渉に入る。
 霊夢が音もなく障子を開けると、○○はさっそく口を開いた。

「お待たせしました、遅れてしまったこと、誠に申し訳なく……」

 部屋に入ってすぐ頭を下げようとした○○だったが、3つの特異な視線にさらされたことで、先の言葉が続かなくなってしまった。
 相手を萎縮させる力のこもった視線。その持ち主たちはそれぞれ机の向こう側に並んで座っていた。
 
「……小説家? どうしてお前が」

 まず、向かって左側に座り、退屈そうに頬杖をついている少女。
 レミリア・スカーレット。

「……」

 中央の席に陣取り、じろりとこちらをにらみつけている緑髪の女性。
 風見幽香。

「おや、1人かい? なかなか剛胆な男だ」

 そして最後に、向かって右側に座る、朗らかな笑みを浮かべている女性。
 紫色のボブヘアに、シンプルな赤いセーター、茶色いロングスカート。胸には鏡の形をしたアクセサリらしきものをつけている。
 ○○は最後の女性が誰なのかを知らなかった。だが、長年の幻想郷生活で培った勘ですぐに察した。この人はただ者ではないと。

 いや、他の2人だって、ただ者ではないことは同じだ。

「ほう、こいつが代表者なの。なるほど」

 含み笑いをしているレミリア。彼女は紅魔館の主であり、何百年という時を生きる吸血鬼。幻想郷でも特別な存在として恐れられ、一部では敬われてもいる、まさしく妖怪の貴族だ。
 里の男たちとの会話から、彼女が出てくるのは分かっていたものの、こうして目の前にすれば身がすくむ。
 彼女とは以前から親交があり、多少は馴れ馴れしい間柄ではあったが、こういう場となると話は別だろう。
 「くくっ」と上品な笑みを浮かべる様は、妖怪の頂点に位置する者が、薄弱な人間のもがく光景を楽しんでいるかのようである。

「……」

 風見幽香。向日葵畑の主にして四季のフラワーマスター。その名は『危険度激高の妖怪』としても広く知られている。
 彼女が住む向日葵畑に足を踏み入れ、あまつさえ花に危害を加える所業を行ったが最後、肥料にすらならない塵芥にされてしまう、と人里では噂されている。
 ここに呼ばれたのは、人里にもほど近い花畑付近の妖怪・妖精の頂点であるからだろう。
 ○○は彼女とも知り合いだったし、一時期は取材のための文通をしていたこともあった。そっけないながらも、必要な情報をきちんと教えてくれたことを覚えている。
 だが、彼女が基本的に友好の意志を示さないことも知っている。今回のような交渉を挑むのはかなり難しい。

 そして、もう1人。

「まあ、お座り。立ちっぱなしもなんだからね。こっちの2人は怖いだろうけど、私はもっとフランクだから安心さ」

 何だろう、この人は。明らかに他の2人と違う。
 何が違うかって、全てだ。人外なのは間違いない。けれど妖怪でも妖精でも、超人でもないと直観的に分かる。もっと巨大で、偉大。けれども圧迫感はない。遠いけれども近いような、自分と立ち位置が違いすぎて、理解がおぼつかないような。まるで空の上の雲のような人だ。
 まとっている雰囲気は霊夢が時々かもしだすものと似ていたが、それよりもさらに濃い。ずっとこの空気を吸っていると、無条件にこの人の下についてしまいそうな感じだ。

 以上、3人の『人外』を前にして、○○は「失礼します」と緊張した面持ちで席についた。畳の上に座布団が引かれただけの、簡素な席だった。
 霊夢もまた、自分たちの間の席についた。今回の話の仲介役になるというのは嘘ではないらしい。
 霊夢は○○と女性3人の顔を交互に見て、「では」と話を切り出した。

「始めましょうか。まず、こちらが○○さん。里の男たちの代表者なのは、さっき言ったわね」
「よろしくお願いします」

 ○○は慇懃に頭を下げた。相手方から特に反応はない。紫髪の女性が「ふむ」と頷いただけだ。

「○○さん、レミリアと幽香のことは知ってるはずね」
「はい。けれどそちらの方とは初対面かと」
「でしょうね。紹介するわ。こいつは妖怪の山の」
「おや、この男とお知り合いでないのは私だけか」

 霊夢が説明するよりも先に、女性は自分から名乗りをあげた。

「私は八坂神奈子。妖怪の山の神社で神様をやってるよ。よろしく」
「神社の神様、ですか」

 妖怪の山の神社。そう聞いて腑に落ちた。最近――と言うにはもう半年は経っているが、外の世界から神社ごと幻想郷にやってきた神様と巫女様がいると、聞いたことがある。
 名前は確か守矢神社。
 今、妖怪を中心に急速に信仰者を増やしているとかなんとか。

「おや、神様を見るのは初めてじゃないのかい? あまり驚いていないようだけど」
「初めてではありますが……ただ、納得だなあと」
「納得? 驚くわけでも、疑うわけでも、畏れるわけでもなく、ただ納得したと?」
「はい」

 ○○は正直に頷いた。この尋常ではない雰囲気、神様と言われても驚きはしない。むしろ正体不明でなくなった分、安心できたぐらいだった。

「ふーん、なるほどなるほど」

 今度は八坂神奈子の方が納得顔で頷き、○○を心底興味深そうに眺めだした。○○は何か変なことをいっただろうかと不安になったが、一方でこんな顔をどこかで見たような気もした。
 そうだ。人里の主婦たちが、話題の種を見つけた時の顔。あのニヤニヤ顔とよく似ていた。

「ふふふ、今日はよろしく頼むよ」

 そんな、どこかフレンドリーな笑顔を浮かべる神様。
 だが、この交渉の場に出てもらうのはかなり意味があると○○は推察していた。
 急激に信仰者を増やしているという神社の神様。彼女が妖怪の山の住人に絶大な影響力を持っていることは、想像に難くない。
 妖怪の山は非常に保守的だ。独自の社会を築く天狗や河童たちからは、見合いの参加者なんて見込めはしないだろう。しかし、もし神様が集団お見合いを推奨すれば、参加する妖怪が出てくるかもしれない。
 霊夢はそこまで考えて八坂神奈子を呼んだのだろうか。だとしたら、今日の霊夢は一味違う。

「じゃ、話し合いを始めましょうか」

 その霊夢がパンパンと手を叩いた。皆が彼女に注目する。

「ええと、こんな面倒な集まりに来てもらって、どうもありがと。私も面倒でしょうがなかったんだけど、まあ頼まれたからには仕方ない。ほんと、あなたたちが来てくれて助かったわ。妖怪の山の連中は話すら聞きやしないし、紫はまだ冬眠中だし、もう1人来るはずの奴も来てないし……まったく」

 突然愚痴から入ってびっくり。だが、レミリアや神奈子が「当たり前ね」「そりゃあねえ」と微笑んでいる。霊夢は最初に場を和ませたのだ。上手い。

「ま、来ないなら来ないでいいわ。ええと、皆には事前にどんな話か知らせたけど、改めて説明するわね」

 そうして「まず里の男たちが」と今回の主旨を説明し始めた。
 里の若者たちの事情、集団お見合いを企画していること、妖怪・妖精たちの参加を許可してもらいたい、等々と。
 本題に入る前にしっかりと議題を定めるとは恐れ入る。しかも話しぶりは淀みなくしっかりとしていて、見事な司会進行だ。

「――というわけだけど、まずはそっちの意見から聞きましょうか」

 きれいにまとめあげた霊夢が「そっち側」、つまり妖怪の代表者側に水を向けた。
 すると真っ先にレミリアが「愚問ね」と断じた。

「そんな男共と関わって、私のメイドたちがおかしくなってはたまらない。話し合う必要すらないわ」
「あら、相手の男たちならいたって普通の人間だけど」

 霊夢が問う。これは反論というより事実確認のようなものだろう。
 レミリアは鼻で笑って答えた。

「普通? 妖怪がかわいいだの、愛してるだのと言う奴が、普通の人間と言えると?」

 この言葉には、レミリアの隣の2人も無言の同意を示していた。霊夢も肩をすくめるだけで何も言わない。
 レミリアはさらに続けた。

「集団お見合いだかなんだか知らないけれど、そんな変人どもと付き合うことになるなんて、私なら御免被るし、メイドたちに許すつもりもない」

 厳しいな、と○○は思った。人間の男をあまり信用していないようだ。

「幽香はどう思う?」

 霊夢から話を振られた幽香は、それまで閉じたままだった目を開き、不機嫌そうに眉をひそめた。

「……私はそもそも、この場にいなければならないこと自体が不満なのだけれど」
「一応、あんたは花畑付近の代表者よ。そのつもりはなくても、強いってだけでね」
「面倒なこと。そうね、集団お見合いだったかしら? 別に当人の好きにすればいいわ。そんな得体のしれない行事、私は興味ないし、関与もしないから」

 ばっさりと斬って捨てた幽香は、それ以上何も言おうとせず、また目を閉じてしまった。
 実質認めたと言えないこともないが、これでは彼女の顔色を伺って参加を取りやめる妖もいるだろう。積極的な同意を得ることが、今回の目的なのだ。

「神奈子は?」
「そうだねえ」

 神奈子はその豊満な胸を強調するように腕を組んだ。
 
「やればいいと思うよ。人間と妖怪の交流、大変結構」

 ようやくの賛同意見にホッとするのも束の間、「ただ」と神奈子は付け加えた。

「そこのお嬢ちゃんの言うことも分からないじゃない。付き合う相手は選ぶべきだね。私んとこのもう1人の神様にも時々ラブレターが届くんだけど、『ちっさくて小動物的なお姿が素敵です!』なんて変態的なことが書かれてる。せめて己のロリコン気質ぐらい隠さなきゃねえ」

 ○○は頭を抱えた。情熱有り余る彼らならそういうことも書きかねない。良くも悪くも素直な人たちだから。
 「ろりこん、ってなに?」とレミリアが頭に浮かぶ疑問をそのまま口にしている。彼女が言うとなんだか危ない。神奈子はそれに対して悪戯顔で応えていた。

「あんたみたいな子が好きな男のことだよ、吸血鬼のお嬢ちゃん」
「吸血鬼が好きってことかしら?」

 くくくっと笑う神奈子。訂正しようとしないのは、からかっているからだろう。

「それに、こっちの合コン――もとい、集団お見合いがどういうものか分からないっていうのも大きいね。妙な内容で、男も女も傷つくようなことになっちゃあ、交流も台無しだよ」

 さすが外の世界出身だけあって、合コンのことも知っているようだ。集団お見合いがどういうものか分からないという点も、○○は内心同意した。

 そうして霊夢がまとめに入った。

「妖怪の代表者の意見はだいたい出たわね。3人の意見は主に2つ。ひとつは相手の男たちが信用ならない。もうひとつが、集団お見合いがどういうものか分からないってこと。そんなところかしら?」

 良いまとめ方だった。これで論点がしっかり定まる。

「じゃあ」

 きた、と○○は背筋を伸ばした。見事な司会進行をしている霊夢のこと、ここで人間の代表者である自分に、意見を言うよう促すに違いない。
 何を言うべきか、どんな話をするべきか、頭の中で組み立てる。

 が、ここで霊夢がニヤリと笑ったのを、○○は確かに見た。
 これまでの真面目な顔とはうってかわった、邪悪な笑みだったので余計目についた。
 なんだ? と○○が疑問に思うや、霊夢は3人の女性へと笑顔を向けた。

「提案があるわ」
「なあに?」とレミリア。
「集団お見合い……今からこの面子でやるわよ」

 妙ちくりんな提案に、場は固まった。



 それからの霊夢の話術にはすさまじいものがあった。弁舌のたつ者は話しぶりでもって相手の意識を乗っ取り、いいように操る術を持つもの。霊夢はまさしく言葉でもって自分たちをある1つの方向へと導いていった。
 そう、このメンバーで集団お見合いをしようという方向へ。

 もちろん、最初は反対する者がいた。レミリアは「何を馬鹿なことを」と取り合わなかったし、幽香は無言で睨みをきかせていた。ありえないことだと、○○自身も感じていた。
 だが、霊夢は次々にその反対意見をつぶしていった。

「今、あんた達が言ったでしょ。『集団お見合いがどういうものか分からない』って。だったら体験してみればいいじゃない。いいか悪いかの判断はそこからよ」

「まさか、独断と偏見だけで決めようなんて言う奴が、ここにいるわけがないわね? 上に立つ者として、己の感情に流されない公平な目線って大事なことでしょ?」

「それにあんたたち、男と付き合った経験もないのはどうかと思うわよ。人間からも妖怪からも『あの人って普段は偉そうにしてるけど、実はおぼこなんだって』って、陰で噂されちゃうわ」

「部下から恋愛相談されても、経験0なら何も答えられない。むしろ部下から、かわいそうなものを見つめるような感じで『誰かご紹介しましょうか?』って気を使われる。部下のおこぼれに預かるなんて、そんなのでいいわけ?」

「実際に付き合うわけじゃない、ただ体験するだけ。ちょうど男と女がここにいて、私は集団お見合いがどういうものか、里の男たちから事前に聞いてる……ふふふ、なら、できるでしょ? 今すぐにでも」

 怒濤のごとく繰り出される言葉たち。まるで激流に流されるがごとく納得させられていく。レミリアは「あうあう」と奇妙な鳴き声を発し、幽香は憎々しげな目をしつつも何も言えない。妖怪の頂点に位置する者たちが、言葉で丸め込まれている。
 そして霊夢の最後の一言、

「まさか、男が怖いから逃げるって言うの?」

 これが効いた。彼女たちのプライドをおおいに刺激した。
 やってやるわよ! とレミリアが返せば、幽香はひとつため息をつく。
 唯一、神奈子だけは涼しい顔をしていたが、

「あっはっは! いいね、面白い。やろう!」

 こういうお祭りごとが好きなのだろう、豪快に笑って参加を表明した。

 ちなみに、○○も多少は異議を申し立てていたのだが、女性陣がやると決めるや見事に彼の意見は封殺された。唯一の男が拒否することは許されないと、彼女たちの目が物語っていた。
 ○○が「他の人も呼べばいい」と提案するものの、レミリアの「イヤよ」の一言と、幽香の睨みつける視線と、神奈子の「無粋だよ」というため息混じりの言葉に一蹴された。理不尽だった。

「気に入られてるのね、○○さん。ふふふ、こんな美人揃いとお見合いできるなんて、役得じゃない?」

 霊夢にからかい混じりに言われるも、素直に喜べるはずがなかった。

 当たり前だ。もし、レミリアたちがこの合コンに満足できなければ、交渉は即決裂する。こうなったらせめて「こういう集まりもいいかも」ぐらいには感じてもらわなければならない。
 だが、合コンとは男性が女性を喜ばせるためにあくせくするもの、と聞いている。正直に言って、○○はそういう経験が浅かった。そんな自分が、一癖も二癖もありそうな女性陣を満足させられる自信はない。
 いったいどうすればいいのか。

「あ、集団お見合いは私も参加するから。1人不参加が出ちゃったから、私が代わりに出るしかないし」

 霊夢が何を言っても、もはや驚く気力もない。




 集団お見合いは静かに始まる。

「準備はこんなものね」

 霊夢は司会進行役から合コンの幹事役に鞍替えしたようだ。彼女の手には一冊の手帳があった。里の男たちから聞いた『集団お見合い』のやり方が書かれているらしい。
 そろそろ西日が差し込み始め、約1人の太陽光に弱い少女のことを考えて障子の閉められた居間には、4人の女性と1人の男性が緑茶や和菓子を囲む光景ができあがっていた。床には座布団、外から聞こえてくるカラスの声がBGMとなっている。
 とんだ和風合コンだな、と○○は乾いた笑みを浮かべた。もはやなるようになれという気分にしかなれない。流れに逆らうことはできずとも、目的地にたどり着けるようにするしかない。

「じゃあ、まずは自己紹介ね」
「さっきやったじゃない」

 レミリアが面倒臭そうに答えるも、霊夢は人差し指を振って説明する。

「さっきはさっき。今は今。集団お見合いにふさわしい自己紹介をするのよ。えーと……里の男たちが言うにはね、『最初の自己紹介では名前と年齢、職業ぐらいはきちんと言う。他に【自己流行】を話すと盛り上がる』とのことよ」
「『自己流行』?」

 オウム返しに尋ねる○○。聞いたことのない言葉だった。
 霊夢が手帳を見ながら説明する。

「世間的に流行ってなくても、自分が今すごくはまってるもの、らしいわ。趣味とかそういうものじゃない?」

 意味を咀嚼していると、「『マイブーム』ってやつだね」と神奈子が分かりやすく言いかえてくれた。と言っても、○○以外の3人はなんだそれ?という顔をしていたが。
 霊夢が「とりあえず、趣味やら好みやらを言えばいいってことよ」とまとめつつ、「ていうか、神奈子って自分の年齢覚えてるの? 私たちの中でダントツに年上よね」と突然言い放った。
 ○○はヒヤリとした。本当の合コンなら、年を重ねた女性がいてもそれをわざわざ指摘するのはタブーだ。場が凍り付いて喧嘩が始まってもおかしくない。
 だが、やはりここは幻想郷。

「んー、細かくは覚えてないから、だいたいにしようか」

 平然と答える神奈子からは怒気も見えない。神様ともなれば、もはや年齢を気にするようなことはないらしい。
 いや、レミリアと幽香も同じようなものだろう。大妖怪ともなれば、100年、200年と齢を重ねるのは当たり前。それだけ生きていれば、いちいち自分の年齢なんて覚えていられないに違いない。

「じゃあ、みんなだいたいの年齢にしときましょうか。私からやるわよ」

 霊夢がそう宣言すると、とたんに場が静かになった。どうやらここから本格的に集団お見合いが始めるようだ。
 立ち上がった霊夢がこほんと喉を整えた。
 そして次の瞬間には、髪をさらりとなびかせ、底抜けに明るい笑顔の少女に変身した。

「はじめまして」

 鈴のなるような声。

「私は博麗霊夢、この中じゃ一番若い10代よ。一応、神社の巫女をやってるわ。職業柄、男の人とこういうことをするのは初めてだから、けっこう緊張してます」

 とてもそんな顔ではない。明らかに楽しんでいる。

「自己流行は、そうねえ、急須に淹れたお茶で、最後に出てくる濃いやつだけを飲むこと。身体がすっきりするのよねえ。というわけで今日はよろしくお願いします」

 最後は儀式の時の巫女様のように、うやうやしく頭を下げる。そして裾をきちんと膝下に折り、音もなく正座へ戻った。
 なんだこれは。明るくかわいらしい声。そして立ち上がってから座るまで一分の隙もない所作。なんと気合いの入った立ち振る舞いだろうか。軽めの挨拶内容も親しみやすさにあふれている。
 もし本当の合コンの席にこんな美少女がいたら、男たちに引く手あまただろう。一目惚れする輩も大量に出るに違いない。
 が、○○にはどこかわざとらしい感じがするのは、普段の霊夢を知っているからだろうか。あざといとすら思ってしまい、奇異な視線を霊夢に向けざるを得なかった。
 だがこちらの視線を気にもしていない霊夢は、「ほらほら」と隣のレミリアに立つよう促した。次の番だということらしい。

 レミリアは仕方ないといった顔で立ち上がった。

「お初に」

 やるとなれば真面目にやるらしく、彼女はスカートの端をつまんで、優雅に頭を垂れた。

「レミリア・スカーレット。年齢は500から先はいちいち数えていないわ。職業……由緒正しい吸血鬼の貴族に、そんなものは必要ない。自己流行は、夜のテラスで蜂蜜入りの紅茶を飲みながら、本を読みふけること」

 なんと雅な。
 月明かりの下、メイドさんを傍らに置いて紅茶を楽しむ彼女の姿が目に浮かぶ。
 やはり別世界の人であることが実感できてしまい、肩肘張りそうになる○○だったが、

「本って、○○さんの本だったりするんでしょ?」
「えっ」

 霊夢が横から口出しすると、レミリアの優雅さにひびが入った。

「な、なにを」
「だってあんた、前に持ってた本もそうだったじゃない。っていうか自己流行はこの人の小説だって言う方が、合ってると思うけれど」
「べ、別にこんな男の本なんか……わ、悪くはないけど、他にもいろいろと持ってるし……その、以上よ!」

 赤い顔でしどろもどろになったレミリアは、最後に○○の方をちらりと見た後、あわてて目をそらして座り込んだ。
 なんだろうか。尊大さと幼さが同居しているとでも言うか。やけにかまいたくなる感じがするというか。
 こういう人だっただろうか。


 次に立ったのはフラワーマスター。きっとこの中で最も今の状況に不満を抱いているに違いない人だ。
 彼女はあくまで不機嫌そうに、誰とも視線を合わせず口を開いた。

「風見幽香。年齢は覚えてない。花を育ててる。後は特になし」
「幽香ー。適当にやるのは逃げとみなすわよ?」

 あまりにもそっけない態度に霊夢が釘を刺した。幽香のこめかみあたりに青筋が浮き出たが、やはりプライドが勝るようで、挨拶を続けた。

「今は、別の季節の花を育てる方法を開発しているわ。それにかかりっきりで、今日だって本当は」
「え、それって春の花を冬に育てたり、ってことですか?」

 ○○は思わず口をはさんでしまった。
 別の季節の花を育てる。ビニールハウスもない幻想郷でそんなことが可能なのか。驚きと共に多大な好奇心が湧いてきた。

「魔力を使うんですか?」
「……いいえ。そういう力を使わず、周囲の環境や土壌の状態を整えるだけ。方法さえ確立すれば、人間でもできるでしょうね」
「すごい。完成したらぜひ取材させてください。見てみたい」
「別に……かまわないけど」

 そっけなく答えた幽香は、席に座り直してそっぽを向いた。
 少しの間、沈黙が降りてきた。自分が無理に口をはさんだせいかと○○は思ったが。

「やるねえ、あんた」

 突然、八坂の神様に誉められて、○○はびっくりした。

「相手を乗せるのが上手い。誰とでも仲良くなれるタイプだ」
「は、はあ」
「神奈子、そんなことより次よ次」
「おっと、私の番か」

 霊夢にせかされると、神奈子は神様らしく超然とした様子で立ち上がった。

「八坂神奈子。守矢神社で神様をやってるよ。年齢は……そうだねえ、諏訪大戦が2000年ぐらい前だから、それ以上ってところか」

 2000年。なんと気の遠くなる年月だろう。自分の100倍以上長く生きている存在が目の前にいるとは、これまた興味深い。

「自己流行は、幻想郷で産業革命を起こすこと。花のお嬢ちゃんが今話してた、促成栽培の技術も大いに興味があるねえ。特技は祭りの神様役をやること。ちなみに体型の寸法にも自信があって、上から」
「はいはい、そこまで言わなくていいっての」
「おや、合コンは自分からのアピールが大事なんだよ?」
「だから『ごうこん』って何よ……やめやめ」

 苦い顔をしている霊夢に、余裕綽々の笑みを向ける神奈子。
 この奇妙な合コンに一番乗り気なのは、この神様なのかもしれない。マイブームと言うにはあまりにも壮大な単語が出てきたことといい、やはり人間とは規格が違う。
 ただ、外の世界出身という共通点から、一番話が合うのも彼女のような気がしないでもなかった。

「じゃ、次は○○さん。どうぞ」
「あ、はい」

 ついに順番が回ってきた。
 ○○は立ち上がり、女性たちを見下ろした。色とりどりの瞳が自分を見つめ返している。
 こんな人たち相手に合コンをしているという、その現実感のなさに○○は目眩がしそうになった。
 だが、自分の背中には里の男たちの期待がこめられている。そのことを十分に思い出し、勇気を込めた。
 
「えーと、○○といいます。外の世界出身で、一応物書きをやってまして……その」

「○○さん、年齢」と霊夢。

「あ、すみません。20代前半の若輩者です」

 まずい状況だった。何か言えば言うほど、頭が混乱してくる。

「自己流行、自己流行ですよね。えーと、そうは言っても、家では本を読むか書くぐらいしかしていなくて、珍しい趣味を持っているわけでもないですし……あ、最近食べたみかん大福がおいしかったとかなら」

 口を必死に動かすも、自分が情けなくなってきた。オチもなければ、笑いも取れない。場を盛り上げる挨拶がしたかったのに。経験不足は致命的だった。

「……今日は精一杯がんばりますので、よろしくお願いします」

 これは女性陣の反応も冷ややかだろう。そう居心地の悪さを感じていると、

「はい、ありがと。じゃあ自己紹介はこんなものかしら」

 意外にも霊夢は何も忠告してこなかった。

「これ、意味があったの?」
「お互いを知るのが大事だってことだよ、お嬢ちゃん」

 無駄なことをしたとでも言いたげなレミリアと、そんな彼女を諭す神奈子。幽香は興味なさそうな顔。
 みんな、こちらには何も言ってこない。
 なんとも不思議な感じを抱きながら、○○は再び座布団の上に座った。

「さて、次はどうしようかしら」

 霊夢が手帳をめくりながら、迷う仕草を見せた。「あんたが指示するんじゃないの」とレミリアが揶揄すると、霊夢はお手上げのポーズを取った。

「そりゃあ、色々と遊び方とか聞いてるわよ。けど、こういうのはもっと場が温まってからにしないと。うーん、この辺りは適当に聞いてたからなあ……」
「普通は、自己紹介で知ったことを元にして、色々とおしゃべりするものだね」

 神奈子がアドバイスすると、「じゃあ、そうしましょう」とすぐさま採用する霊夢。

「さあさあ、何か話してちょうだい」

 ぱんぱんと手を叩いて、皆をせき立てる。
 だが、いきなりそんなことを言われても、という白けた空気が場に流れていた。用意周到だったり行き当たりばったりだったり、霊夢がやりたい合コンの流れがいまだに見えてこない。
 それに、みんながこの場を純粋に楽しんでいないように○○には見えた。レミリアと幽香は機嫌が悪く、積極的なはずの霊夢と神奈子は出方を伺っているのか、何も言ってこない。
 そうして気まずさだけが漂い始める。
 これでは誰も楽しめない。
 自分から動くしかないと思った○○は、話題を振ってみることにした。

「え、えーと、みなさんは普段どういったことをされてるんですか? 趣味とか特技みたいなことがあれば」
「何してるって、お掃除かしら」

 きょとんとした顔で霊夢が答える。
 するとレミリアがさきほどの自己紹介の意趣返しなのか、意地悪そうな顔を霊夢に向けた。

「むしろ掃除しかやることないんでしょ。この貧乏神社だと」
「びっ……あのね、参拝客がこなくても、ちゃんと仕事はあるのよ」
「どうだか?」
「私は生活かかってるのよ。あんたみたいに年中お暇で、メイドに全部やらせて自分は何もできないお馬鹿お嬢様ってわけじゃないの」
「おばっ……ふんっ、私は上に立つ者として当然の振る舞いをしているだけよ。私という導く者がいてこそ、あの子たちは安心して紅魔館にいることができる。あなたみたいに年中お気楽で、自分の家で宴会ばっかりの自堕落な生活をしているわけじゃないの」
「はあ? 別に宴会は私が開いてるわけじゃないわ。他の奴らが勝手に」
「そのくせ、鬼の次にたくさんお酒飲んでるじゃない。あ、なるほど、宴会も食費の節約というわけね」
「喧嘩売ってるの?」
「弾幕ごっこでもいいわよ?」

 ああ、険悪な雰囲気。
 なんとかならないかと思い、○○は幽香に視線を移した。先ほどの「ご趣味は?」という質問に答えてくれれば、その話題を膨らませて話をそらせると思ったのだ。
 しかし幽香には「さっき言ったわ」とたいそう冷たい目で言われてしまった。確かに彼女の場合、花を育てることが趣味であり、特技だろう。わざわざ尋ね直すのは愚かでしかない。

「ねえ○○、それって合コンっていうより、お見合いでの話題の振り方だよ。ちょいっと場にそぐわない」

 ついには神奈子に辛口評価を下されてしまい、○○はがくりと肩を落とした。
 この個性の強い女性たちを相手に、いったい自分はどう渡り合えばいいのか。合コン経験豊富な男ならともかく、やっぱり自分に合コンなんて無理なのだ。

「ええい、だめだわ。こいつらとお喋りなんかすると、いつ弾幕ごっこになるかわかりゃしない」

 霊夢がいらついた調子で言うと、他の3人も同意するように頷いた。頷くタイミングだけはばっちり同じだった。
 
「さっさと余興に移ることにしましょう」
 
 お喋りに見切りをつけた霊夢は、懐から手帳を取り出した。

「ええと、里の男に聞いたのは『神様遊戯』っていう遊びなんだけど。あ、あったあった」

 手帳の1ページをみんなに向け、書かれた図を指し示しながら、説明を始めた。

「まず、竹箸を人数分用意して、1本だけ先端を赤く染めておくの。あとの箸には番号を書いておく。1、2、3ってね。
 そしてその箸の束を籤引きのようにみんなで一斉に引く。赤い竹箸を引いた人が当たりよ。その人は『神様』になり、他の人は『信者』となる。
 で、『神様』は『信者』の番号を指定して、ひとつだけ『神託』を授けることができる。番号指定された『信者』はその『神託』に絶対従わなければいけないっていう」
「ちょ、ちょっと待ってください」
「なあに? どうかしたの、○○さん」
「いや、これは明らかに……」

 首をかわいらしく傾げる霊夢に対し、○○はなんと説明すればいいか言いよどんだ。
 これは王様ゲームだ。クジを引いて、当たった人が他の人に命令する。まさしく定番中の定番。
 なぜ王様ゲームが幻想郷にあるのか。外の世界ではこの遊びも段々廃れていったはずなので、ついに幻想郷に輸入されてしまったのか。
 どちらにせよ、これはまずい。このゲーム、悪くすれば唯一の男性である自分が、女性陣とはちゃめちゃなことをする羽目になりかねない。そうなるとますます場は険悪に……
 ○○はなんとかこの遊びを中止させようと思ったが。

「つまり、当たりを引いたら命令できるってことね。なかなか面白そうじゃない」

 レミリアがすでにやる気になっていて、

「……悪趣味な遊びね。まあ、命令することの楽しさは否定しないけれど」

 幽香も反対するつもりはなさそうだった。
 唯一、このゲームがどういうものか理解しているはずの神奈子も、

「なるほどねえ」

 ただニヤニヤするばかり。明らかに楽しんでいる。
 
「はいはい。じゃあ小道具はもう用意してるから、早速始めましょうか」

 霊夢が懐から竹箸を取り出した。すでに色と番号が振られている。

「あの、この遊びはさすがに」
「○○さん? ここで勢いに乗れないようだと、失敗しちゃうわよ?」

 にこにこ顔の霊夢が、痛いところをついてきた。確かに、みんなが乗り気の中、1人反対をすれば興がそがれるだろう。レミリアなどはさらに機嫌を悪くしてしまいそうだ。
 あくまでこれは人里の男たちのため。○○はそう自分に言い聞かせるしかなかった。

「はい、じゃあ、みんなこれを引くわよ。用意はいい?」

 霊夢が差し出した竹箸に、全員が手を伸ばす。

「ふふふ、何を命令しようかしら」と息巻くレミリア。
「……あなた、自分が絶対に『神様』になれると思ってるみたいだけど、『信者』になれば命令される立場になるのよ」と呆れ顔の幽香。
「だねえ。私が言うのも変だけど、因果応報ってやつだよ。あまり無茶な命令をすると、自分に返ってくるもんだ」と神奈子。

 しかし、レミリアはあくまで自信満々だった。

「ふん、私は『運命』を操ることができるのよ。当たりを引くことぐらい造作もない」
「あ、能力使ったって分かったら、その人は強制的に『信者』にするから。番号を公開して」
「なっ!」

 霊夢の宣言に絶句するレミリア。
 巫女、神様、大妖怪というメンバー相手にはさすがにいかさまも通用しないだろう。普通の人間である○○にとってはありがたいところだった。
 うろたえるレミリアに考える隙を与えないためか、霊夢がすぐさま「決まった掛け声があるから、私がそれを言ったら一斉に引くのよ」とみんなに声をかける。
 全員の手が硬直する。

「神様だーれだ!」



 イッキ! イッキ!

 結果は推して測るべし。
 こういう時、状況は最も面白い(またはおそろしい)方向へ転がるものである。運命の赤い印の箸を引いたのは、このゲームを最も正しく理解している、外の世界の『神様』だった。

「それじゃあ、信者1と3。この細長い煎餅の両端を2人でくわえて、両側から食べ進めてもらうか。限界まで」

 神奈子の『神託』に逆らうことは許されなかった。

 イッキ! イッキ!

 指名されなかった信者が、儀式を盛り上げようと囃し立てている。(と言っても拍子を叩いているのは神様自身と、紅白信者だけだが)
 もはや逃げ道はない。ましてや自ら進んで参加した者は、その心の内でどれだけの不満と怒りを煮えたぎらせても、表情に出すことはできない。プライドがそれを許さないのだ。

「ひゃるひゃよ、しょうしぇつか(やるわよ、小説家)」

 信者1であるレミリアが潔く煎餅をくわえている。その目は語っていた。「私の体に指1本でも触れたら、消し飛ばす」と。

 ○○は途方に暮れた。なぜこんなことになったのか。自分が3番の箸を引かなければ、神奈子が当たりを引かなければ、王様ゲームなんてやらせなければ、こんなことは起きなかった。いや、そもそも妙な依頼を受けなければ……
 巡り合わせが悪すぎる。何かの意志を疑わざるを得ない。

 などと色々考えていたが、結局自分がポッキーゲームの実行を遅らせている理由は、ただひとつしかなった。
 目の前にいる1人の少女。長いまつげを携えた目をつむり、ほっぺたを赤くし、小降りなあごを上にあげている。その可憐な姿。
 煎餅の向こう側にある小さな唇。
 いくら相手がすごい吸血鬼でも、妖怪のお偉い人でも。
 男として、この状況でどぎまぎするなという方が無理な話だった。

「ふふふふ」
「ほらほら、やれやれー」
「……」

 視界の端で霊夢が笑っているのが見えた。手拍子の合間に神奈子がせかしているのが聞こえた。幽香も、唇の端を上げて笑っていた。
 そして最後に、

「……ひょうひぇふか」

 おそらく彼女自身無意識だったのだろう。レミリアの口から乞うような声が絞り出された瞬間、○○は無心となった。

「いきます」

 レミリアの前に立つと、場がにわかに騒がしくなる。が気にしない。
 膝を曲げ、小さな体には触れないよう、顔だけを煎餅の端に近づけた。
 慎重に、煎餅を歯ではさむ。
 レミリアが目を開いた。瞳孔が開き、びくりと身体を震わせ、反射的に○○の身体を押しのけようとする。しかし、その手には力が入っていなかった。決して逃げようとはしない。そこに彼女のプライドがかいま見えた。

 ○○は歯に力を入れた。

 ぱり、ぽり。

 いつの間にか囃し声もなくなっている。煎餅の食べる音だけが響く、奇妙な時間が続いた。
 レミリアは口を動かそうとしなかった。○○の目を凝視し、そのまま固まっている。息も止めているのか、ぷるぷると肩が震えていた。
 なんとも劣情を催しそうな表情をしているが、○○はともかく無心に口を動かした。

 ぱり、ぽり。

 半分を過ぎ、3分の2を過ぎ、どんどんと煎餅は残り少なくなる。

「そのままやっちゃえー。やっちゃわないのは不信心者だからねー」

 巫女さんが巫女さんらしからぬことを言っている。あなたこそいつか神様に不信心者と言われるぞ、と恨み言が言いたくなった。
 4分3を過ぎたあたりで、○○はタイミングを計っていた。そろそろやめておかないと、事故も起きかねない。

(このあたりで折って……うっ)

 予想外の事態が起こった。レミリアが、突然口をもぐもぐと動かし、前に進み出したのだ。
 もはや煎餅は残り数センチ。レミリアの甘い吐息が鼻にかかる距離だ。あと一口、どちらかが前に進めば……

 一瞬だけ、そんな事態を想像して、妙な思考に支配されそうになった。だが、あらんかぎりの理性でそれを振り切り、歯に力を入れた。ぽきりと煎餅が折れ、○○は一気に距離を離した。  
 緊張から解放された瞬間、○○もレミリアも大きく息を吐いた。

「はあ、はあ……」
「あ、危なかった……レミリアさん、どうして急に」
「は、はあ? 何がよ。あなたが焦らすから、早く終わらせるつもりで」
「いや、あのままじゃ距離が0になってましたよ」
「だからそれを一瞬でやるつもりで」
「神様の指示は『限界まで食べ進める』ですから、別にくっつけなくても」
「え」

 今日何度目の絶句顔だろうか。
 レミリアはロボットのような動きで首を回し、神奈子の方を見た。
 神奈子はただ一言、

「いいもの見せてもらったよ!」

 と親指を立てた。

「……う」

 レミリアは耳まで真っ赤にし、ぷるぷると身体をふるわせ、

「うきゃー!」

 少女らしく絶叫した。



「すみません」
「謝るな!……べ、別に私もお前も煎餅を食べていただけ。他にはなにもなかった!」
「は、はい」
「だから忘れなさい。絶対に忘れなさい。いいか!?」
「了解です」

 真っ赤な顔で腕を組み、眉を釣り上げているレミリアと、その目の前で正座をする○○。
 そんな2人を眺めながら、他のメンバーはただ笑うのみ。

「ふむ、これはなかなか緊張感があるわね。里の男たちもあなどれないわ」と感心顔の霊夢。
「下品な命令をすると興ざめするからね。ドキドキとスリルの境界を見極めるのが大切なんだよ」と訳知り顔の神奈子。
「……人間ってどうしてこう、くだらない遊びばかり思いつくのかしら」と呆れ顔の幽香。

 嬉し恥ずかしの神様遊戯はまだまだ続けられた。

 ある時は霊夢が当たりを引き、

「3番が4番の頭を撫でるのはどうかしら」
「はぁ! なんで貴い吸血鬼である私が、こんな腐れ神様の頭を撫でなきゃいけないのよ!」
「そもそも私の頭に届くのかい? お嬢ちゃん」

 ある時は幽香が当たりを引き、

「1番と2番と3番と4番で本気の弾幕ごっこをしてきなさい。そのまま帰ってこなくていいわ」
「いやいや2人だけだってば、あんたルール聞いてなかったの?」
「そもそも弾幕を張れない人もいるんですが……」

 ある時は唯一の男が当たりを引き、

「えと……」
「ほら、○○さん。何か命令しないと」
「うーん……じゃ、じゃあ、4番の人が俺に小説のネタになるような話をしてくれるとか」
「なにそれー」
「4番って誰?」
「……私よ」
「ゆ、幽香さん!?」

 だが意外にも彼女は嫌そうな顔はせず、

「そうね……また、花の話でもいいかしら?」
「そ、そうですね。あ、さっき話していた季節外れの花を実際に見せてもらうとか。スイセンとか、ツバキとか」
「この季節に冬の花って」
「だ、だめですか?」
「……今すぐは無理ね。後日、渡すついでに話もしてあげるわ」
「あ、ありがとうございます! うれしいです!」
 
 神様遊戯は続いていった。
 が、レミリアだけは結局一度も当たりを引くことができなかった。

「なんでよ! どうして私だけ!」

 何度目かの神様遊戯の後、レミリアはたまりかねたように箸を放り投げた。
 が、周りの反応は薄かった。というよりも、わがままを言う子供を見るような顔になっていた。
 唯一霊夢だけが「日頃の行いじゃない?」とちくり。

「うきゃー!」

 そこには妖怪の貴族の面影はなく、ゲームに悔しがる1人の少女の姿があった。



「いやー、存外楽しかったわね」

 霊夢が満足気に言うと、神奈子が「だね」と答え、レミリアが「うー」と唸った。

 10回目を越えた辺りで、レミリアが「もう飽きた!」というギブアップ宣言をし、神様遊戯は終了した。
 神様になった回数がダントツに多い霊夢と神奈子が満足気なのは当たり前だろう。あとの3人は命令されてばかりで少々不満顔。○○も霊夢の肩を揉むとか、1人漫才をするとか、最近あった恥ずかしい話をするとか、色々やらされた。男として破廉恥な行為をさせられなかったことだけは幸いだったが。

 しかし恥ずかしい思いをしただけの甲斐はあった。皆が、とても楽しそうにしてくれたからだ。気まずさやよそよそしさは消えてなくなり、ほどよい感じに場が温まってくれた。

「さて、いい感じに盛り上がったところで、次に移りましょうか。次は……何をすればいいのかしら?」

 またか、と皆がつんのめる。この巫女様はどうも幹事に向いていない。会議の司会の時はすごみもあったぐらいなのに。

「また、おしゃべりでもしたらいいでしょ。余興はもうこりごりよ」と疲れたようにレミリアが言うと、「そうね」と霊夢は笑いながら頷いた。

「けど、何か話題ってある?」
「じゃあ、ちょいっと質問、いいかな?」

 神奈子が手を挙げた。その目は○○の方を向いている。どうやら自分に質問があるようだと分かり、○○は「どうぞ」と答えた。

「あんた、小説家だって言ってたね?」
「はい、一応」
「最初にそのことを聞いてから、ずっとあんたの名前を思い出そうとしたんだけど、やっぱり思い出せない。一度、どんなものを書いてるのか、教えておくれよ。有名なものでも書いたりしたのかい?」
「うそっ、あんた、知らないの?」

 信じられない、という声をあげたのは○○ではない。神奈子の隣に座るレミリアだった。
 レミリアは相手を問いただすかのように詰め寄った。

「ひとつも読んだことないっていうの? 例えば有名どころで――」

 その口から、小説のタイトルがいくつも出てくる。それらは全て○○が書いた小説であり、中でも特に販売数が良かったものばかりだった。
 しかし神奈子は「知らないねえ」と肩をすくめる。するとレミリアは「じゃ、じゃあ」と我がことのように慌て出した。

「妖怪と人間の恋愛話は!? 最初はすれ違いばっかりだったけど、最後は大妖怪が己の立場を捨ててまで人間と一緒になろうとする、っていう話よ!」
「ああ、それなら早苗が面白いとか言ってたような。それに、私が聞きたいのはここでのことはもちろんだけど」
「あの新参巫女も持ってるのね? じゃあ読みなさい。帰ったら即読みなさい。これを読んでいないなんて、あんた、2000年生きてても無駄なもの……あっ」 

 神奈子の話すら遮った強烈な勢いは、急速に尻すぼみしていった。ようやく自分の言動を自覚したのだろう。きょろきょろとみんなの顔を見回したレミリアは、取りつくろうようにひとつの咳払いをした。

「し、失礼。少々熱くなってしまったわ」

 『少々』という度合いを少々超えてしまったしゃべりっぷりだったのに、よそよそしく言い訳する様が微笑ましく、隣の神奈子が「はいはい」と子供を見守るような顔で頷いた。幽香ですら「熱心だこと」と皮肉めいた笑みを浮かべている。
 そして霊夢が「よかったわね、○○さん」とにこやかに笑った。

「集団お見合いでお相手が見つかったみたいじゃない」

 これにはレミリアも、もはや堪えきれないという勢いで立ち上がる。

「ばっ! ち、違うわよ! 別にこいつのことが好きとかそういうんじゃなくて、ただ単にこいつの書いた小説が、ほんの少し私の気に入るところにあると、それだけで!」

 しかし周りはにやにやと笑っている。レミリアはいたたまれないのか、「うぅ」と唸っている。
 ここはフォローに入るべきかと思い、○○は彼女に笑顔を向けた。

「それだけで十分ですよ。小説家にとって、自分の書いたものが認められることは、自分が認められることに等しいですから」

 途端にレミリアが赤い顔でうつむき、着席してしまった。
 しまった、と○○は思った。変なことを言って怒らせたかもしれない。場の空気は和んでいるようだけれども……
 
「じゃあ、私も質問」

 今度は霊夢が手を挙げた。

「最近、その小説のお仕事はどうなの? 前は私生活に影響が出るぐらい、忙しくしてたみたいだけど」

 思いのほか普通の質問だった。流れを変える好機と見て、○○はすばやく答えることにした。

「少し前に、ちょっとしたトラブルが元で原稿の書き直しをしなくちゃいけなくなったことがあって、その時はすごく忙しかったんですが」
「書き直し? ああ、そう言えばあなたの本、発売延期になってたわね」

 「そうよ! あの日記本、楽しみにして……いや、なんでもない」とレミリアが自爆しているのをスルーした霊夢が「何かあったの?」と尋ねる。
 ○○は言いにくそうに頬を掻いた。

「あー、ちょっとした手違いがあったというか、燃えちゃったというか」
「燃えた?」
「えー、とにかく、それを乗り切った今は、さほど忙しくないですね。安定してきたと思います。集中するとご飯抜きになっちゃったりはしますけど、それは己の不精のせいでもありますし」
「じゃあ、外に目を向ける時間もあるわけね」
「ええ、まあ」
「人付き合いの方はどうなの? いい方?」
「悪くはないと思いますよ。家が家ですから、ご近所付き合いなんかはありませんが」
「あー、あの家じゃねえ。奇特な奴しか来ないでしょ。じゃあ、家では何をやってたりするの?」
「ええと、そうですね――」

 よい感じに世間話が進んでいく。霊夢がここにきて幹事らしい仕事をしてくれている。
 だが、ふと気付いた。霊夢と自分しか話していない。まさか話題が限定的すぎたかと周囲の様子を伺うと、みんな、霊夢を困惑した様子で見つめていた。あの幽香ですら戸惑い顔だった。

「ねえ霊夢」

 みんなを代表するように、レミリアが声をかけた。

「なに?」
「あなたが、他人のことをそんな風に根ほり葉ほりと尋ねる姿なんて、初めて見たんだけど」

 他の2人も同意するような顔をしている。よほど珍しいことらしい。
 レミリアは仕返しのつもりなのか、意地悪い笑顔でこう言った。

「もしかして、あなたこそ、この男のことが気になってるんじゃないの?」

 きっと霊夢が大慌てで「ち、違うわよ!」と答える様を見たかったのだろう。
 だが、霊夢はまったく動揺していなかった。むしろ、美少女の落ち着いた笑みを浮かべて、答えた。

「……そうね、私、けっこう○○さんのこと、好ましく思ってるかも」
「え」

 予想外の返答に、レミリアの顔が完全に凍り付いた。
 一方、霊夢は○○と視線を交わしてきた。そして、女性が好意ある人に向けて放つ、とても距離感の近い笑顔を浮かべた。
 こんな美少女に微笑みかけられれば、うろたえるほかない。

「あ、いや、ありがとうございます」

 絞り出すように言うと、霊夢は「ふふっ」と笑った。そして「それより、幽香。あなたさっきからぜんぜんしゃべってないじゃない」と話題を変えてしまった。
 あまりの切り替えの早さに、今の言葉が本心だったのか、社交辞令だったのか、○○には見当もつかなかった。



 それから、なんでもない世間話が続いた。○○もできるかぎり会話に参加し、いくつかの話題も提供した。みかん大福やコーヒーの話をした時はみんなの興味を引くことに成功し、場をつなげることができた。
 しかし、あくまで○○は「聞き役」で、主導権はどうやっても女性陣にあった。特に神奈子などは積極的に話を振り、レミリアをからかい、幽香ですら話に加わらせ、○○に色々と尋ねてきた。もともと、こういう宴会・お祭りごとが好きなのだろう。
 場の空気はかなり温まった。最初は「己の誇りのために出ている」という顔をしていたみんなの表情も随分と和らぎ、この時間を楽しんでいるのが見て取れた。机の上にあった緑茶とお菓子も半分ほどに減っている。誰1人帰ろうとせず、むしろ緑茶のおかわりを霊夢にせがんでいる。奇妙な合コンはなんとか軌道に乗ったようだ。
 このまま無事に終わってくれれば。○○はそう願わんばかりだった。

「よし」

 と、霊夢が不意に手を叩いた。

「宴もたけなわといったところだけど、そろそろ大事な話をしましょうか」
「大事な話? ほう、霊夢の大告白劇でも始まるのかい?」

 神奈子がひゅーと口笛を吹いた。霊夢はうろたえることなく、「はいはい」と適当にあしらう。

「あのねえ、楽しんでるのはいいけど、ここに集まった理由を忘れたの?」
「え? あー、ああ」

 神奈子が今思い出したという顔をしていた。見れば、レミリアや幽香も同じような表情をしている。みんな本気で忘れていたらしい。
 「それじゃあ」霊夢が女性陣に向かって言った。「集団お見合いがどんなものか、もう分かったんじゃない?」

 パーティの熱に浮かれ気味だった女性陣が、ここにきて突然顔を引き締め、堂々とした態度を取り出した。
 楽しむ時は楽しむけれど、真面目な時は真面目に。これこそが、妖怪の代表者たる彼女たちの姿なのだろう。

「幽香、どう?」
「……悪くはないわね」

 その小さなつぶやきに、○○は目を見開いた。一番乗り気でなかった幽香が「悪くない」と言ってくれたのなら、この合コンは成功したも同然だ。

 次にレミリアが、仰々しく腕組みしながら言った。

「けれど、結局相手の男次第なのは同じことよ。私たちのような妖怪相手でも、気兼ねなく話ができるような男でなければ、楽しむことはできなかったでしょうね」

 レミリアが○○をちらりと見た。慌てて小さく頭を下げると、彼女はふっと笑って話を続けた。

「メイド妖精が参加する時でも、中途半端な男たち相手に集団お見合いをさせるつもりはないわ」
「つまり、里の男たちが信用に値すればいいっていうことね。そこは○○さんに話してもらいましょう」

 突然霊夢に水を向けられ、○○は慌てた。話してもらうと言われても、何の用意もしていない。ちょっと待ってほしいという言葉が口から出かかった。
 だが、霊夢はあくまでこちらが話し始めるのを待っていた。笑みを浮かべつつも「早く話せ」と告げている真剣な瞳に、ここが勝負どころなのだと○○は悟った。
 集団お見合いが盛り上がり、妖怪の代表者側の悪い印象を拭ったこの瞬間。ここで交渉ができるように、霊夢がお膳立てしてくれたのだ。
 頭の中で、急いで話の内容を組み立てた。思惑や利害関係なんて考慮している暇はない。自分の素直な気持ちを言葉にする。

 お茶を一口飲み、唇を潤わせた。

「えーと、まず、今日はありがとうございます。なんだか俺も純粋に楽しんでしまいました。もっと自分から盛り上げることができればよかったんですが、できずじまいで申し訳ない」

 頭を下げる。結局力強い女性陣に引っ張られっぱなし。積極的に盛り上げることができたとは言いがたい。
 だが、女性陣はそれを非難することもなく、むしろ不思議そうな顔をしていた。

「なぜ謝るのかしら」とレミリア。

「いや、こういうのは男の方が女性を楽しませなきゃいけないと思っていたので」
「ふーん、そういう決まりでもあるの? 霊夢」
「ううん、聞いたことがないけれど。楽しかったんだから別に謝る必要ないんじゃない?」

 霊夢も肩をすくめている。
 ○○はようやく気づいた。この合コンの間、終始抱いていた違和感。その正体が。
 彼女たちは、相手に楽しませてもらおうだなんて、これっぽっちも思っていなかったのだ。男だからと役割押しつけてくることも、相手を品定めすることもない……『一緒に楽しめたんだからそれでいい』。彼女たちの原理はこの1つだけなのだ。

「○○、ここは幻想郷だよ?」

 神奈子が優しく言ってくれた……まさしくそうだ。ここは幻想郷。全ての常識は泡でしかない。
 あるのは、自分より元気いっぱいで、アクティブな女性ばかりだという事実。自分が、話すより聞く方が得意だという事実。「男だから」と肩肘はることがおかしかったのだ。

「そうですね。俺は妙な先入観を持っていたのかもしれません」

 自然体で笑えた○○は、次にたやすく本題を言葉にすることができた。

「そして、先入観を持っていたというのなら、みなさんに対してでも同じです。最初、この部屋に入ってきた時、俺はみなさんのことを少し怖がっていました、偉くて強い妖怪の方々ばかりですからね。けれど、結局それも先入観でしかなかった」

 部屋に入る前に抱いていた緊張感はもはやない。
 
「こういう場がなければ、みなさんのそんな一面を知ることはできなかったでしょう」
「それは、私たちも同じね。○○さんって案外ノリがいいってのが分かったし。ね、レミリア?」
「う……もう思い出させないでよ」

 霊夢にからかわれて渋い顔をしているレミリア。こんな子供っぽい彼女を見ることができたのも、一つの新しい発見。

「つまりは、そういうことなんだと思います。男女がどうの、人と妖怪がどうのというよりもまず、普段話すこともない人と出会える場所、それが集団お見合いなんでしょう」

 前置きとしては長かったかと○○は思ったものの、相手の反応は悪くなかった。ほんわかとした雰囲気になってくれた。

「で、里の男たちが信用に値するかという肝心な問題ですが」

 みんなの注目が集まる中、○○は笑いながらはっきりと言った。

「最初に皆さんが言っていた『変な男たち』というのは、まさしく当たっています」

 ずこっとレミリアがこけた。神奈子が「あはは」と笑っている。

「あのねえ、それじゃあ安心できないでしょうが」

 呆れたように言うレミリア。
 ○○は笑いながら答えた。

「うーん、そもそも、さっきも話しましたけど『どういう人たちと会えるかな?』とドキドキするのも大事ですからね。ここで俺が『この男とこの男なら、こうこうこういう人間だから大丈夫』と説明して、相手のことが全部分かっちゃ、集団お見合いなんてあんまり面白くないですよ?」
「それはそうかもしれないけど……」

 納得のいっていない顔をするレミリア。他の女性陣たちもいぶかしげだ。
 少しピントの外れた話題なのは百も承知。○○はここから本意を語るつもりだった。

「話を戻しましょう。そう、確かに変な男たちです。俺も驚きました。だって、あんな風に誰かを好きになれるだなんて、普通の人には無理ですからね」

 ○○は何時間か前に会った、あの男たちのことを改めて思い出した。
 熱い気持ちを隠すことなくぶつけ、あまり面識のない自分にも躊躇なく土下座した男たち。
 
「里の男たちに、俺はこういう質問をしました。『妖怪の女の子たちと仲良くなって、何がしたい?』と。どう答えたと思います?」

 「ん? 男の欲望全開の答えだったのかい?」と神奈子。
 ○○は首を横に振った。

「いえ。こう答えました。『とにかく、まずはお話がしたい』と」

 女性陣がちょっと驚いた顔をしていた。『たかがそんなことを』とでも言いたいのだろう。
 
「変でしょう? けど、それも当たり前。彼らが持っているのは欲望じゃない。愛です。知ってました? 愛を持った男は変になるんです」

 女性たちが話に引き込まれているのを確認しつつ、○○はさらに続けた。

「変になった男は、愛する人に一目散になる。そしてその人が目の前にいると、かっこつけたり、あたふたしたり、露骨に褒めたり、逆にそっけなくしたり……とにかく平常心でいられなくなる。それでも相手と関わりを持ちたいと思ってしまう。それが『話がしたい』という言葉に表れたんだと思います。
 時には愛情が暴走して、妙なことを口走ったりするかもしれません。けれど大好きな人を傷つけようなんて思う男はいません。そこは安心してください」

 「ロリコン発言をしても?」と神奈子が茶々を入れる。○○は「相手を傷つけないなら、それも1つの愛情ですよ」と答えておいた。そう、ちょっと行き過ぎなところがあっても、彼らの気持ちだけは本物。

「そんな、1つのことが大好きになれる変な男たちを、みなさんはどうか温かい目で見てやってくれませんか? 暴走しがちなところは、『そんなことをしたら嫌われる』とでも釘をさしておけば大丈夫ですから」

 ○○はここで言葉を切った。
 精いっぱいのことは言えたと思う。あとは妖怪側の結論を待つだけだ。
 幸い、レミリアたちから主だった反論は出てこなかった。考えている素振りは見せているが、否定の言葉が出てきそうでもない。

「結論は出たみたいね」

 たっぷり間を取った後、霊夢が口を開いた。

「最初は不安なところもあるでしょう。けれど、集団お見合いの楽しさは実証済み」

 「ねえ、レミリア」と神様遊技の箸を差し出す霊夢。「うっさい」と相手はふてくされてしまい、「ふふふ」と笑いながら続ける。

「そして、里の男たちは確かに変だけど、それは今までの常識と比べて変だっただけ。そこにあるのはただの純粋な愛情だった。妖怪たちも、そんな愛情を向けられて嫌というわけでもないんじゃない?」
「……」

 妖怪の代表者たちは何も言わない。それは肯定を意味していた。
 
「できそうね。集団お見合い」

 今日の霊夢は本当に、どうしたのかと心配になるほど凛々しく、真面目だった。結局司会役を完璧にこなしてしまった。

「何か、意見は?」

 霊夢が確認するように全員に問う。
 レミリアが手をあげた。

「最初の数回はこんな風に霊夢が同席し、問題が起こらないか見張りなさい。これが妥協点よ」
「うっ」

 ん? と○○は目に力を入れた。今、いつもの霊夢がちょこっと見えた気がする。『どうしてそんな面倒なことをしなくちゃいけないの』とでも言いたそうな。
 だがすぐにそんな気配も消え、顔を引き締める霊夢。

「こほん。しょうがないわね。作った舟が沈まないように見張ることにしましょう」

 里の男たちと、妖怪・妖精たち。両者による集団お見合いの開催が決まった瞬間だった。

 ○○は小さく息を吐いた。これで交渉も終わり。うまくいって何よりだった。
 霊夢とレミリアたちは、これからのことを話しあい始めた。色々と準備があるのだろう。その話に加わることもできないので、○○は視線を障子の方へ向けた。
 見れば、障子越しに入ってくる光がほとんどなくなっている。
 ○○は手を伸ばして、障子を開けた。予想通り、空は完全に陽が落ちていた。博麗神社の縁側も薄い暗闇が降りてきていて、灯篭の周りには虫が飛び、庭の草むらには兎がいた。
 兎? と○○は目をこすった。よく見れば、兎なんてどこにもいない。長い合コンで疲れているのだろうか。

 色々と気苦労が耐えなかったが、新しい経験ができ、里の男たちには良い結果を知らせられる。なかなか充実した1日だった。
 
「よし、そんなところね。じゃ、というわけで」

 考え事は霊夢に中断させられた。彼女はゆるんだ空気を引き締めるかのように、ぱんっと手を叩いた。

「ここからは話し合いも何もないわ。変なことをやって疲れたでしょうし、いっそのこと……お酒でも入れておく?」
「え」

 ○○は目を丸くするものの、

「あら、それはいいわね」
 レミリアはにわかに明るくなり、
「おやまあ、本格的に合コンになっちゃうね」
 神奈子は楽しそうに肩をすくませ、
「……はぁ」
 幽香は仕方ないといった様子でため息をついていた。

 男ひとりが反対しても無駄だと、すでに実証されている。

「よっし!」

 霊夢はどこからともなく酒瓶を持ってきて、机の上にどんっと置いた。瓶には「銘酒:水道水」と書かれている。

「さあ、○○さんも飲みなさい! そして盛大に酔っちゃうのよ!」
「え、ちょっと、これってめちゃくちゃ強いお酒……」
「問答無用! 美少女のお酌が飲めないっていうの!」
「ちょ、杯がいっぱいに……!」

 あふれかえるアルコールの世界に、○○は溺れさせられていくのだった。



 それから先のことを、○○は断片的にしか覚えていない。思い出そうとすると頭が痛くなってくる。
 飲んでも飲んでも杯のお酒が減らなかったこと、
 酔ったレミリアに危うく首を噛まれそうになったこと、
 「要するに甲斐性が大事だってことだね! 男も女も!」と神奈子に背中を叩かれたこと、
 どこからともなく出てきた植物の蔦が、自分の足首を引っ張って幽香の隣に移動させられたこと、
 そして、覚えている限り、霊夢がずっと横にいて、何やかんやと話しかけてきたこと。
 
 そういったカオスフルな光景だけが記憶に残っている。怒涛のごときテンションの波に、なすすべもなく飲み込まれた夜だった。

 次の日の朝、目が覚めた時、○○は自分の家の天井を見上げていた。
 結局酔いつぶれた自分を家まで配達してくれたのは神奈子だと、後日霊夢から教えられた。わざわざ空を飛んで送ってくれたらしい。次に会ったときはちゃんとお礼を言いたいものだった。

 さて、集団お見合いの方はどうなったかというと、あの交渉から1週間ほど経ち、開催に向けて様々なグループが動きを見せている。
 里の若い男たちはお見合いができると聞かされて狂喜乱舞し、張り切って準備を進めている。里の様々なところで、集団お見合いのための食事や、場所、余興づくりにいそしむ彼らの姿が見られるようになった。ちなみに、妖怪相手の会話の助言が欲しい、プラス交渉を成功させてくれたお礼だと言って、集団お見合いの参加を勧められたが、○○は丁重にお断りした。色々と間に合っているからだ。
 
 一方、妖怪側の代表者、つまりレミリアたちはと言うと、各々が別々の動きを見せている。

 レミリアは、集団お見合いに参加したいならすればいい、と妖精メイドたちに宣言したとのこと。「私だけが恥ずかしい思いをしたのが不公平。せいぜい恥をかいてくればいいのよ」と口をとがらせていたが、本番を楽しみにしている妖精メイドたちを見て、とても優しそうな目をしていたのを、○○は紅魔館の図書館を訪れた際に目撃している。

 神奈子は最も積極的に活動している。『人里巡礼の旅』なるものを企画し、妖怪の山の住人たちに向けて大々的な宣伝を行っている。巡礼の旅と銘打っているが、内容を見る限りこれはいわゆる『お見合いツアー』だった。「この旅ですてきな出会いがあるかも!」という宣伝文句のついたチラシを、たびたび見かけている。主催団体は『守矢神社』。きっと信者を中心に参加数が伸びることだろう。

 幽香はやはり「我関せず」というスタンスをとっている。積極的に宣伝もしなければ、批判もしていない。
 ただ、こんな噂が広がっている。
『花の妖怪が、先んじて人間の男と集団お見合いをした。しかもかなり楽しんでいたらしい』
 これが良い影響を与えたようで、草原や花畑の妖怪・妖精の多くが「あの人が出てるなら」と興味を持つようになった。ちなみに幽香はこの噂に対し肯定も否定もしておらず、それがさらなる世間の興味をかきたてている。

 以上、好材料が色々とそろっている中、○○にはただひとつ、里長を筆頭としたそれぞれの集団の保守派からの反対だけが心配だった。
 人間と妖怪の融和がさらに進みそうなイベントなのだから、格好の抗議の的だ。
 しかし意外なことに、ここで霊夢が動いた。彼女が裏で根回ししたらしく、人里はおろか、妖怪の山のお偉い方々からも抗議の声が出てこなかったのだ。
 ある時、里長はこうこぼしていた。「若い者の不満をため込みすぎんためじゃ」と自身が不満いっぱいの顔で。ちなみに「○○殿にはまた相談があるのじゃが」とご招待も受けている。おそらく不満のはけ口にさせられるだろう。これもアフターケアのひとつだと思って、○○は招待を受けることにしている。

 1回目の集団お見合いの開催は夏頃を予定している。盛夏の真っ直中、お熱い異色のカップルが生まれるのかもしれなかった。

 
 ただ、○○の身近にはいくつか問題も発生していて。

「神様だーれだ!」

 あの日できなかった、寺子屋への訪問を果たした時のこと。
 教室に入るなり、授業の終わった子供たちが隅の方で集まっているのを見つけた。何事かとのぞいてみれば、独特のかけ声と共に箸でくじ引きしているではないか。
 慧音に事情を聞いてみると、なんと、あの『神様遊戯』が子供たちの間で大流行してしまったとのこと。

「子供は大人たちの姿をよく見ているからな……まあ、君の随筆も少なからず影響を与えているだろうが」

 教壇の片づけをしながら、慧音は疲れたようにため息をつき、○○をじろりと見つめた。
 ○○は横で手伝いつつ、乾いた笑い声をあげることしかできなかった。
 ○○は数日前、自分にも何か手伝えることはないかと思い、文々。新聞にひとつのエッセイを寄稿した。『集団お見合いと合コン』という題名で、外の世界の合コンと、今流行っている集団お見合いを比較しつつ、ちょっとばかし紹介するような文章を書いたのだ。
 公平な態度をとるために、集団お見合いの参加を促すようなことは一切書かなかったし、人妖の問題にも触れなかった。しかし『神様遊戯』がそこで紹介されたせいで、多少なりとも世間に広まり、子供たちの耳に入ったのだと言われれば、ぐうの音も出なかった。

 非難めいた目をしていた慧音は「こほん」とひとつ咳をして、「でだ、○○。ひとつ相談なんだが」と落ち着かない様子で話し始めた。

「子供たちに注意しようにも、あの遊びのことを詳しく知る必要がある。だが、私はああいう遊びをしたことがなくてだな。君は……あんな随筆を書けるぐらいなのだから、多少なりとも経験があるのかもしれないが」

 ふいっと慧音が視線をそらした。ちょっと機嫌の悪い声になっている。
 そんな経験ありません、と言いたいところだったが、霊夢たちとの『アレ』も経験のひとつと見るならば、嘘になってしまう。
 しかし4対1の集団お見合いのことは誰にも話すことができない。霊夢に『あの日のことは絶対内緒』と口止めされているからだ。なぜかと聞いたら、ものすごく呆れた顔をされた。『私たちの身の安全のため』とも言われた。人妖の問題に絡んでいるのだろうか。
 しかし、あの日のことを話せないならば、どう慧音にエッセイのことを説明するべきか。
 慧音はうつむいたまま、手をグーパーさせている。○○も言葉に詰まっている。
 沈黙が降りる中、○○の着流しの袖が、誰かに引っ張られた。
 視線を下にやると、数人の子供たちのきらきらした目があった。

「○○せんせーもしようよ!」
「え、お、俺も? いや、けどその遊びは……」
「早く早くー!」
「ちょ、ちょっと」

 連れていかれてしまう○○。
 しかしうつむいたままの慧音はそれに気付かず、1人しゃべり続ける。

「こほん、あー、要するにだ、経験を積むには実践あるのみと言うわけだと、私は思うんだ。で、私にも見合いの話が持ちかけられている。里長や、若い男たちがお節介をかけてきてな。しかし、やはりこういうことは私も初体験なことだし、できれば気心のしれた人間とやって慣れておきたいというのもあってだな」

「神様だーれだ!」
「やったー! 私だー!」
「○○せんせーよわーい!」

「友人と一緒だと心強いと思い、魔理沙と妹紅も誘ってみた。だが、ここで問題が起こった。私と魔理沙は別に他の男がいてもかまわなかったんだが、妹紅がどうしても『○○以外とそういうことやるのはやだ』と駄々をこねてだな。いや、勘違いするなよ。私だって他の男と見合いをしたいというわけではなくて、形式上男が1人というのはまずいと思って……いや、話がそれた。つまり、妹紅がああだから仕方ない、私と魔理沙と妹紅の3人対○○とで、一度集団お見合いをしてみないかと」

「○○せんせーはお馬さんにー! 他のみんなが乗る!」
「ちょ、番号を選ばずにそれは反則だって!」

「大丈夫だ。魔理沙は『○○に命令してみたい』と乗り気だし、妹紅は『原稿のお詫びもしたい』と言っていて、『○○のためなら信者にでもなんでもなる』つもりらしい。わ、私もちょっと……君と、そういうことがしてみたいと、ん? ○○? どこに行った?」

 慧音の一世一代のお誘いは虚しくも空を切り、

「それー、乗れ乗れー」
「け、けーねさーん、たすけてー」

 ○○は神様の命で馬と化し、子供たちを背中に乗せて息も絶え絶えになっているのだった。



―終わりに続く話―

 いくら初夏と言っても、盛りの熱はいつまでも持続しないものだ。空から太陽が消え、夜が木々を黒く染めるようになると、昼間に溜め込まれていた熱は冷たい風に連れ去られていく。
 早めの衣替えで引っ張り出した薄手の巫女服の隙間に風が入り込み、肌を撫でる。それは『まだ夏じゃないぞ』と告げているかのようだった。

 だが、そんな風も心地よかった。だから霊夢はできるだけそれに当たろうと思い、神社の縁側に腰掛けていた。両手は湯飲みを包み込み、背中を軽く曲げて、ただじっとしていた。
 先ほどまで熱すぎて飲めないと思っていたお茶が、もうぬるくなっていることに気付いた。あるいは、それだけ長くぼーっとしていたのかもしれない。

 神社はしんと静けさに包まれている。時々、近くの桜の木が葉をこすりあわせる音が、この空間の引き立て役になっていた。 
 霊夢は縁側に座ったまま、身体をぐるりと回した。真っ暗な母屋しかそこにはない。
 今日は自分以外、誰もいない。あれだけのどんちゃん騒ぎをした余熱も、すでに消えてしまっている。それはそうだろう。あの集団お見合いからもう7日は経っている。

「あー……だるい」

 霊夢はこてんとその場で横になった。動く気がまるでしない。今日の今日まで、あの日の事後処理でてんてこまいだったからだ。
 里の若い男や妖怪の女と話をつけ、偉い人たちを平和的に説得し、神奈子たちと相談して――とにかく、集団お見合い実現に向けて奔走させられた。
 なんでこんな面倒なことを、と何度言いそうになったか分からない。
 だが、それも今日で終わった。すでに集団お見合いを主導する役目は里の男や神奈子たちに譲っている。自分はもう見張り役として座っているだけでいい。
 やり遂げてしまえば、疲れと共に達成感の方もそれだけ大きく現れてくる。やった、ようやく終わった。そんな心地よさと共に寝転べることの、なんとすばらしいことか。
 今日はもちろんのこと、明日も明後日も、もう働かなくていい。
 だって目的は達成したのだから。

 霊夢は寝ころびながら空を眺めた。星が散りばめられた空は、明日も太陽が働く場所を確保しているかのようだった。

「明日は雨かな……」
「降るとしたら涙雨でしょうね」

 突然、声が割り込んできた。
 霊夢は身体を起こして周囲に目を配る。こんな時間にどんな物好きがやってきたのか。
 見れば、柱の影に背の高い女性の姿があった。
 特徴的な2トンカラーの服装、帽子につけられた赤十字のマーク。そして三つ編みにされた銀髪の下に、にこやかな笑み。
 八意永琳。竹林に住む月の薬師だと気付いた霊夢は、内心驚きつつ、渋い顔を作った。

「……薬師がいったい何の用かしら。置き薬なら間に合っているけれど?」
「ちょっとあなたと話がしたいと思って」
「何それ、気色悪い」
「あら、ひどいのね」

 永琳は断りを入れることなく霊夢の隣に座った。
 彼女がここに来るなんて、本当に珍しい。別に敵対しているわけではないが、交流が深いわけでもない。特別な用事がない限り互いに行き来はないはずだ。
 つまり彼女が来たということは、厄介事が持ち込まれたということである。霊夢は心底嫌そうな顔をしてもう一度寝転ぼうとしたが、ふと思い出したことがあり、手をつっかえ棒にして身体を支えた。

「そうそう、あんたに文句が言いたいと思ってたのよ。いえ、正確にはあんたのところの姫様にだけど」
「ああ、あの日のこと?」
「そうよ。話し合いのために『来い』って言ったのに、どうして来なかったのよ」

 あの日――つまり、○○との集団お見合いがあった日。
 妖怪側の代表者として招待したのは、レミリア、幽香、神奈子以外にもう1人いた。

 永遠亭の主である『月のお姫様』。

 彼女を、竹林に住む小兎たちの主として呼んだのだ。
 ○○との集団お見合いにも参加させるつもりだったのに、彼女が来なかったせいで、本来は進行役に徹するつもりだった霊夢が代わりをやらざるを得なくなった。そのせいでちょっと緊張して、うまく進行できなかった。
 無駄な労力を使わされた恨みを込め、できる限りの不機嫌そうな声を出してやった。だが、永琳は臆することなく笑みを返してくる。それが霊夢にはうさんくさくてしょうがなかった。

「連絡もせずにごめんなさいね。本人がちょっと嫌がっちゃったのよ」
「どうせ面倒くさがったんじゃないの」
「そういう消極的な嫌がり方じゃないわね。面倒というより、会いたくない人がいたから行かなかった……いえ、これもある意味消極的、か」 
「どういうこと?」
「私たちの姫様でも、人間関係に悩むことがあるということよ」
「ふーん」

 あの場に苦手な人物でもいたのだろうか。不参加の理由としては弱い気がするが、文句だけ言えば満足な霊夢は、そこから踏み込んで聞くつもりもなかった。興味の失った顔でそのまま寝転ぶ。

「それで、お話してもいいのかしら?」
「ああ、そうだったわね。何か面倒事でも持ってきたの? ちなみに肝試しはしないから。妖怪退治のお仕事なら、まずはお賽銭箱に入れるもの入れてからね」
「いいえ、言ったでしょう? お話がしたいだけ」
「だからそれ気色悪いっての」

 どうもいつもの永琳と勝手が違う。うさんくささはあれども、下手に出ているというか。こちらのご機嫌をうかがう素振りを見せているのが、気色悪い。
 霊夢が聞く態勢に入ると、永琳は「じゃあ聞かせてもらうわね」と口火を切った。

「博麗の巫女さん、あなたの目論見は達成されたのかしら?」
「目論見?」
「普段ろくに働きもしないあなたが、色々と世話を焼き、根回しをし、そして……ある1人の男が、女性4人と集団お見合いをしなくてはいけない状況をお膳立てをした、その目的」
「……」

 無様に驚きはすまい。
 だが、どこから集団お見合いの話が漏れたのかが気になる。あの日神社にいた面子には全員口止めしているはずだ。
 あるとすれば……月の変な技術で見られていたとか?

「私にも教えていただけない? あなたが知ったことを」
「何のことかしらね」
「お願い。私にも……いえ、私の大切な人のためにも必要なの」

 驚いた。あの八意永琳ともあろう者が、ぷらぷらと銀髪三つ編みをぶら下げて、頭頂部をこちらに向けている。

「月の頭脳にお願いされるなんて、私も偉くなったものね」
「博麗の巫女様はお偉い人じゃなくて?」
「ふん、言ってなさい。話すことなんて特にないわ」

 霊夢は身体を起こし、膝に右肘を立てた。背中を曲げて、気だるそうに頬杖をつく。
 
「じゃあ、私の仮説でも聞いてもらおうかしら」

 そう言って指先をくるくると動かす永琳。その軌跡をたどると、どうもハートの形をしているらしかった。
 
「あなたは集団お見合いを通して、ある男性のことを深く知ろうとした。その人のひととなり、女性に興味があるのか、生活にゆとりがあるのか……特定の女性と付き合わないのは何故か、誰か意中の人がいるのか、などなど」

 とうとうと語る永琳。これが仮説? 違う、彼女の顔は確信めいている。

「女性に囲まれる状況を作ったのは、男色家や女性不信の線はないと判断するため。案外緊張していた彼を見て、それはないと判断した。彼の生活状況を聞いたのは、生活苦から女性と付き合えないという可能性を消すため。人里で聞き込みまでしたらしいわね、熱心だこと」
「別に。話し合いに出席してもらうのにふさわしい人か、里の男たちに聞いただけよ」
「そう。ともかく、生活苦はないと判断したんじゃないかしら」

 くすくす笑いが気に入らず、霊夢は口をすぼめてふくれ顔を作る。何もかも見抜かれているような感じがする。

「きっと鋭いあなたのことだから、他にも色々と掴んだのでしょう。それが、特定の女性と関係を持たない理由なのか、それとも彼の本質なのか、私には分からない」
「……」
「けれど理由は推測できる。あなたがこんなことまでして、彼のことを知ろうとした理由は、ただひとつ。あなたは彼のことを」
「永琳」

 相手の名前を呼んだその声は、いつもの軽い調子ではあった。しかし、霊夢の眼光は自然と鋭くなっていた。

「それ以上戯言を言うようだったら、弾幕ごっこの時間が始まるわよ」
「それは怖いわね。じゃあ、これだけは教えて」

 永琳の笑みが崩れることはない。
 一呼吸入れたのち、永琳はこう尋ねてきた。

「あなたの印象でいい。○○さんって、どんな人?」

 霊夢の脳裏に、○○の顔が唐突に浮かんで消えた。
 すると、途端にいらだちがおさまってきた。すごい効果だ。人の顔ひとつで、こんなにも胸が暖かくなるなんて。

「……優しい人よ」

 無意識に、ぽつりと出てきた言葉。
 これに嘘はない。彼は、大して親しくもない男たちの恋愛のために、身ひとつで大妖怪と交渉に向かう人。
 誰であっても話を聞き、相手に配慮をする人。

「あまりにも我が弱すぎて、心配になるぐらい」

 皆が熱に浮かれていたあの夜を思い出す。

『今ここにはね、幼女、美少女、美女、熟女と揃っているわけだけど』
『はあ』
『あなたのお気に入りは、ここにいる? あなたはけっこう気に入られてるし、抱きつくぐらいは許されるわよ』
『……そうですねー、みなさんすばらしい方ばかりですからー、俺なんかがそんなことするのも失礼ですよー、あはは』

 アルコールで理性が麻痺しても、目の前に出された果実を食べようとしなかった彼。
 もはや筋金入り。笑うことしかできやしない。

「自分より他人を考える。そんな人よ」
「なるほど」

 霊夢の答えに対し、永琳は満足気な顔をし、

「ありがとう、だいたい分かったわ」

 また、頭を下げる。礼を言う姿が似合わないと、霊夢は思った。

「それじゃ、帰るとするわ」
「どうぞ、帰ってちょうだい。私はもう寝るわ」
「1人寂しく枕を濡らして?」
「はあ?」
「ふふふ、じゃあね」

 妖しげな笑い声と共に立ち上がった永琳は、そのまま宙に浮き、神社の屋根を越えて消えていった。
 最後の最後まで胡散臭い奴だった、と霊夢は息を吐いた。いったい何の目的でここに来たのか……

 いや、それははっきりしている。
 彼女『も』知ろうとしているのだ。あの奇妙な人間を。我の弱い、それでいて器の広い彼を。
 どうして探っているか。そんなことも決まっている。あの薬師が動く理由なんてただひとつ、彼女自身が言っていたではないか。『私の大切な人のため』、つまり大事な大事な姫様のため。
 別にどうでもいいけど、と霊夢は思考を打ち切った。

 改めて1人になった神社の縁側は、先ほどよりもさらに静かになったような気がした。
 寂しいなんて思うことはないけれども、夜の風に熱を奪われすぎたのか、ちょっと肌寒い。

 空を見上げると、先ほどより雲が出ている。星灯りが消えて、辺りも暗くなった。
 明日は晴れかな、と霊夢は思った。先ほどと考えていることが違う、と心を読む妖怪がいたならツッコまれそうだ。けど、博麗の巫女とはそういうものである。その時々で気まぐれを起こし、適当に楽しめることしか考えていない、のどかな晴天に立つお人なのである。じめじめしてはいけない。

 そうだ。あれも酒の席の冗談であって、彼の反応を楽しむためにやったに過ぎない。
 全ては自己満足のため。気になったから確かめただけ。

『じゃあ、あなたのことが好きだから抱きしめてって私が言っても、何もしないの?』
『しない? じゃあ』
『あなたの側にいるいつもの【3人】が、同じように言ってきたら?』

 あの時の彼の顔は、きっとそういうことなのだろう。

「さーて、寝るとしますか」

 明日は晴れでも雨でも1日中寝よう。そう決意しながら霊夢は立ち上がり、すたすたと母屋の方へと歩いていった。
 後に残るものは何もなかった。



―間話―

 コンコンコンと、ペンで机を叩く。拍子は統一されておらず、規則性はない。けれどその音を聞いていると無心になれる。ごちゃごちゃした頭がちょっと整う。
 コンコンコン。誰かを呼ぶように何度も叩く。コンコン。呼んでいるのは記事のネタ。私のネタはどこでしょう?

「あ゛ー……ネタがない」

 机を叩くのをやめた射命丸文は、ペンを放り投げて机に突っ伏した。おでこを白紙の紙の上に乗せ、くしゃりと眉間と紙に皺を作る。「う゛ー」とうなる。頭の中にあるものがこのまま紙に転写されればいいのに、と思った文は、それじゃあライバル紙の記者と同じ能力か、と苦笑した。

 文はここ数日、自分の仕事場にカンヅメになっていた。
 理由はもちろん、新聞を制作するためである。一般向けの『文々。新聞』――幻想郷のおもしろおかしな話題をおもしろおかしく書く新聞――と、一部の人に限定販売している『裏文々。新聞』――ある男性と3人の女性の恋模様を中心とした、様々な艶聞をまとめた新聞―、その両方の記事を執筆中だった。
 だが、ペンは一向に進まない。よいネタがなかった。ここ数日の取材で一応の仕込みは行ったものの、いざ記事にするとなるとどれもいまいちで記事にできない。

「うーん、ちょっとまとめてみようかな……」

 文は手帳を取り出し、取材で得たいくつかの情報をもう一度見返してみることにした。何度も見直すことで、意外な切り口の記事が思い浮かぶかもしれない。ひらめきがパッと出てくるまでの根気が大事なのだ。

 手帳にはいくつもの取材結果が走り書きされている。文はそれぞれに目を通していった。

 ひとつ目。これは6日ぐらい前に流しの商売人から得た情報だ。

『人里の薬屋。ヒット商品は外来人の○○と関係あり? 助言だけかも ←裏が取れてない』

 単語の羅列でしかないそれを読みながら、文は取材内容を正確に思い出していった。

 人里の一画にある、人間の男性が経営している薬屋。その店は今まで目立った商品がなく、鳴かず飛ばずの経営だったのだが、ある薬を新たに販売すると、それが大当たり。今では一日中混雑する大繁盛店となった。
 その新たな薬の名を『滋養強壮剤X』という。『手軽に栄養補給。疲れた身体に一発!』が売り文句で、1日1本飲めばたちまち元気溌剌になれるのだとか。
 で、この新しい薬を生み出したのが、かの小説家○○だという噂があるのだ。外来人らしく開明的な知識で薬屋に助言を与え、つぶれかけた薬屋を救ったのでは? と。

 以上、なかなか面白いネタだとは思う。有名な商品の裏事情なんかを記事にすると、読者は目を引かれるだろう。
 だが、いかんせん裏が取れていない。人里の噂話程度でしかないのだ。
 記事にするなら、やはり当人たちに話を聞かなくてはいけない。薬屋か○○、どちらかに取材をしたいところだ。
 しかし薬屋には「店が忙しい」と言われ、○○には「書き物があるから」と断れてしまった。(○○はいったい何を書いているのだろう。以前から手掛けていた日記本は、原稿が燃えるというトラブルがあったものの無事に発売し、好評を博しているし、他に仕事は溜まっていないはずなのに)

「ボツ……いえ、保留ね、うん」

 文はそうつぶやき、手帳に「保留」と書き込んだ。裏をとった後、改めて記事にすることに決めた。

 次のネタに移ろう。
 これは3日前、人里の主婦たちと話していて得た情報である。

『集団お見合いの準備順調。第1回の参加者は数十人程度に制限。←けど参加したいという声はもっとたくさんあるらしい。反物屋の主人、参加がばれて奥さんからお仕置き。鍛冶屋の息子は――(長いので割愛)』

 先月頃、人里の男たちが発起人となって企画され、今も準備が進められている『人妖集団お見合い』。発表されて以来何かと話題になっているこの催しは、新聞のネタとして最高の素材だった。話題性はあるし、時流にも乗っている。実際、これ関連の記事を扱った号は発行部数がすごく伸びた。
 集団お見合い関連の記事はもっと書きたい。それはやまやまだったが、残念ながら『扱いすぎた』感が否めなかった。もう面白そうなネタはほとんど書ききっていて、あとに残ったのは今回の取材で得たような『主婦の井戸端会議』的な話題だけだった。
 もはや新たなネタを掴むには、催しが実際に行われるのを待つしかない。
 それに加え、集団お見合いを扱うことについては、妖怪の山上層部から厳しい目を向けられている。彼らは表立って反対はしていないが、人と妖怪が仲良くはっちゃけるなんて、よく思っているはずがない。新聞に圧力が加えられる可能性も考え、今は記事にするのを控えるべきだろう。

 だがだが、いずれ大がかりな取材もしたいと、文は考えていた。何せ、この催しの開催決定に際してはとても謎が多いからだ。
 例えば、発起人である里の男たち(何の能力も持たない人間たちで、彼らもまた奇妙だ。妖怪が好きだなんて)の相談役となり、妖怪側への橋渡しや、各勢力の長の説得を行った者がいる。こんな大変で忙しい役目、どこの誰がやったのかと思ったら、なんと博麗の巫女なのである。あのぐーたらで、天地がひっくり返ってもお茶を飲んでいそうな巫女様に、いったいどういう心境の変化があったのか。聞いてみたい。
 さらにもう1つ、集団お見合い開催の交渉にあたり、里の男たちは代理人を立てたという情報を掴んでいる。残念ながらどこの誰なのかまでは分かっていないが、その代理人はひと癖もふた癖もある妖怪の代表者たち(例えばレミリア・スカーレットの出席は確認済み)を相手どり、見事開催にこぎつけた。
 これが誰なのか。記者としてこれほど追いたい話はない。いずれ怒涛の取材攻勢を関係者にしかけるつもりだった。

「けれど結局今書けるネタはないわね。これは没っと」

 人里の主婦から聞いた話には『没』と書き、文は次のページに移ることにした。

 次は妖怪の山の哨戒をしている、友人の白狼天狗から聞いた話である。

『木の幹に落書きされる事例多発(内容は人間との交流を拒絶するもの多し)。巡回を増やしても犯人見つからず。集団的なもの? 上層部は放任気味』

 世の中に変化が訪れると、それをよく思わない者は必ずいる。人妖の交流が進んでいる昨今の情勢。妖怪の山上層部は気にくわないと思っていても静観気味だが、妖怪変化たちの中には強烈な拒絶反応を持つ者もいて、それが落書きという形で表れている。というのがこの情報の骨だ。
 ただ、さほど問題視されてはいない。妖怪の山に生えている木の幹に、塗料で大きく『人間と馴れ合うな!』『妖怪の本分を思い出せ!』等々と書かれるだけのことで、直接的暴力的行動に出ていないからだ。白狼天狗たちが掃除に駆り出されて迷惑するぐらいのこと、という見方が大勢だった。
 だが、文としては注視するべき事案であると考えている。こういうのは、最初はなんでもない反抗行動でも、徐々にエスカレートしていくものだ。また、文自身も抗議の対象になりかねない。文々。新聞は人間にも配っていて、人妖融和をあおっていると見られかねないし、個人的に一部の人間と友好関係を築いている。身を守るためにも情報は欠かせない。
 ただし新聞のネタになるかというと、そうでもない。文々。新聞は読んでいて楽しくなる新聞である。こんな重いネタはそぐわない。
 
 没、と文は手帳に大きくバツを書いた。


 他にも色々と手帳に書き込んでいるものの、

『魔理沙、弾幕ごっこ不調? 絶好調? 本人曰く「波がある」』
『山の上の神社の巫女、演劇にはまる? 変な台詞を川辺で叫んでいる姿あり。「お覚悟してください!」』
『ミスティア・ローレライの八目鰻屋台、密かに客が増えている? 有名人も多数来店』

 どれもこれもパッとしない。読者の目を引けるものがない。
 それに、と文は手帳を閉じた。『表』の新聞のネタはそこそこ集まってはいるものの、『裏』のネタ、つまり彼・彼女たちの艶聞が全然ないのが大問題だった。
 取材をしても見つからなかったのだ。どうも最近の彼らは、その関係が安定しているというか、波風がほとんど立っていなかった。以前起きた『家を燃やす』とか『大穴を空ける』とか、そういう笑いを誘うものもなければ、恋愛関係に進展も見られない。
 まるで、4人でいることが当然のようになっている。
 これでは裏新聞が全然書けなくなる。まずい状況だった。

「どうしよっかなー」

 コンコンコン、と再びペンで机を叩く。
 考えすぎて疲れてきた。こういう時は、物事を単純化して考えていくべきだ。

 ネタがないならどうするか?→足を棒にして探せばいい。探して見つからないならどうするか?→考えて、文の頭の中でピンッと何かがはねた。

 見つからないなら、そう、作ればいい。

 と言ってもねつ造ではない。ネタが出てくるような状況、時間を作るのだ。
 集団お見合いなんかはよい例だ。ああいう催しをやれば、たくさんネタが出てくる。

 表のネタも、裏のネタもあふれ出てくるような、そういう催し。
 それこそお祭りみたいな派手なものを。

「……って言っても、裏はともかく表のネタだったら、固い話題も作らなきゃだしなあ。人を集めるなら、相応の内容にしなきゃだし」

 お祭りと言っても、ただ神様を持ち上げるようなものではダメ。新聞を作る者として、もっとこう、知的で、好奇心を満たせるような催しを……文化的祭典とでも言うべきものを行わなくては。

「あ、そう言えば」

 文は机の引き出しから、1枚の紙の束を取り出した。文々。新聞に寄稿された原稿の束だ。そこから数枚の紙を引き抜く。
 文は書かれた文章を目で追った。それは○○が書いたエッセイだった。
 これが書かれた当時、人里で五穀豊穣を祈ったお祭りがあった。それに絡めてちょっと書いてもらった文章だ。
 そこに、こんなことが書かれている。

『外の世界でもお祭りはある。神社やお寺のお祭りはもちろんのこと、それ以外にも「祭典」「おまつり」と名のつくものは多い。それらは宗教的意味を持たず、賑やかな状態を指して比喩的にそう呼ばれている。例えば、学校で行われる「文化祭」、自作の同人誌を売買する「夏と冬の祭典」、特定の地域で行われる花や踊りを主に据えた「フェスティバル」などなど。
 一昔前は大御所の作家が地方に出向き、都会のモダンなお話を披露する「講演会」も、お祭り騒ぎの1つとして――』

「講演会、かあ……」

 文は小さくつぶやき、目を閉じた。
 頭の中で、何かが急速に組み上がっていくのを、彼女は感じ取っていた。


Megalith 2013/12/14
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最終更新:2014年02月20日 00:33