クラウンピース1
Megalith 2015/08/24
いつにもまして月の海は静かだった。
都の喧騒から隔離されたこの場所で、僕は腰を下ろす。
上空には輝かしく青い星が、いつも通り浮いていた。
そして僕の隣には、地球人の置き土産と言われる旗がぽつんと立っている。
普段、他人と好き好んで接しない僕にとって、彼が唯一の友達だった。
僕はまた、彼に向かって話しはじめた。
都はこれまで何度も襲撃されてきた。
襲撃と言っても月の女神と、彼女に恨みを持つ妖怪(と、言われている)の殴り合いの様なものだった。
結果はいつも女神側の勝利で終わっており、今回もそうであろうと誰もが思っていた。
が、どうも今回は雲行きが怪しく、都を軍人が慌ただしく行き来していた。
そして状況を不利と見た軍は、都民を都から脱出させ地上に避難させる決定を下した。
軍は参加希望者を募集していた。
誰が参加するものかと思っていたが、これが予想を遥かに上回る人数だった。
地球人には友好的に領土を分配してもらうと宣伝しているが、最新鋭の武装を担いで脅して『友好』とは如何なものか。
僕はそういった面倒事には巻き込まれたくなかった。
僕は旗に寄りかかる。
誰にも片付けられず、処分されるわけでもなく、只々ぽつんと立ち尽くしてる彼に僕は共感を抱いていた。
彼がこちらの事をどう思っているのかは知る由もないが、それでも僕は語りかけた。
身の回りの事。人間関係。唯の冗談。……。
そんなあらゆる事を、僕は話しかけ続けた。
数日後。
僕はいつも通り旗へと足を進めていた。
都では、遂に広範囲にわたって防壁を巡らす計画が発表された。
普段、都から出る用事は別に無いので困りはしないが、やはり閉じ込められてる感は否めそうにない。
防壁が張られる前に都を離れ、どこか静かな所で暮らそう。
そんなことをぼんやり考えながら、月の海にたどり着いた僕は、すぐ異変に気付いた。
旗が無い。
場所を間違えた?そんなはずは無い。
誰かが持ち去った?そんな馬鹿な。ただでさえ襲撃事件でどたばたしてるのに。
僕は落胆してその場に座り込んだ。
もはや探す気力も湧かず、上空を見上げる。
そしていつも見ている青い星がそこにーー
「きゃはっ!だーれだ?」
僕の視界は暗転した。
全身が硬直し、上手く声が出せなかった。
突然視界を塞がれる事がこんなにも恐怖を煽りたてられるというのを、僕は身をもって知った。
それを助長するのは、塞いでる者の正体が不明な点である。
声から察するに年端もいかない女の子だと推測できる。
僕にそのような女の子の知り合いはいないし、いたところでこんな所に来るはずもなかった。
『分からない』 僕は静かにそう答えた。
すると僕の目に掛けられた手が外され、視界が広がった。
声の主を確かめようと振り返ろうとした瞬間、紅い瞳が僕を覗きこんだ。
「ねーねー、早くお話してよー」
彼女は当たり前のように僕の隣に座り、会話を要求してきた。
君は誰?何故ここに?そもそも人違いでは?
僕の脳裏にいろんな質問が浮かび、消えていった。
なんとなくだが、彼女はそんな質問形式の会話など要求してない、そう感じた。
「探してるんだ、住む所」
僕は独り言のように話していた。
「もううんざりだよ、都なんて。寝ても覚めても悪夢だよ。
もっとこう……静かに暮らしたいんだ、喧騒の届かない場所で」
彼女は立ち上がると、僕の真正面に向かい合うように立った。
「おめでとう!おめでとう!!」
彼女は満面の笑みで、海一面を揺るがすような拍手喝采を送ってくれた。
『ありがとう』と僕は言い返す。
無論、何がおめでたいのかさっぱり解らなかった。
「この大地を友人様に戴いてから、貴方が初めての来客だわ」
広々とした岩肌の荒野に、ぽつんと無造作に机と椅子が置かれ、机の上には桃が置かれていた。
「さぁさぁ!早くお話してよ」
椅子に座り机に両肘をつきながら、彼女は目を爛々と輝かせていた。
僕は、そんな彼女に笑顔で一言。
「帰るね」
そう言って踵を返した僕をさえぎるように、彼女が立ちはだかった。
「友人様に言いつかってるんだ。月の都から出てくる奴があったら何をしてもいいって」
「ん?何をしてもいいって?」
彼女は松明のようなものを取り出すと、適当な方向に振り下ろした。
そして松明から放たれた閃光は、岩肌に轍を作った。
「うん!なんでも!」
彼女はにっこりと笑った。
僕もにっこりと笑い返し、椅子に座った。
「いくよーっ!それーっ!」
彼女の服とよく似た柄のボールは綺麗に宙を舞い、無事僕の手元に届いた。
それを僕は渾身の力で、遥か彼方にいる彼女に向けて放り投げた。
僕が過去にキャッチボールを楽しんでいた事を話したところ、彼女もやってみたいと言い出し、今に至る。
かれこれ往復20回位投げた頃、ボールを抱えた彼女がこちらに向かってきた。
ようやく終わりか、と僕は安堵のため息をもらす。
「じゃあ次!あの岩場まで駆けっこね!」
そう言って、彼女はニッと笑った。
僕も力なく笑い返した。
鬼ごっこ、ケイドロ、かくれんぼ、縄跳び、……。
彼女は次から次へと思いついた遊びを僕に振り、僕もそれに付き添った。
ポコペンを最後にようやく彼女も疲れたのか、腰を下ろした。
「君も疲れたろう?もうお家に帰りなよ。僕も帰るから」
「無駄だよ」
彼女は上空を見上げたまま言った。
「都にはもう結界が張られたから、入ること出来ないよ」
彼女が僕の方を見る。
「だから、ずっと一緒だよ」
彼女の紅い瞳が、よりいっそう紅くなった気がした。
ここに来て3日目。
相変わらずクラピー(僕は彼女のことをそう呼んでいる)と遊んでは食べ、遊んでは寝て、と自堕落な生活を送っていた。
食べ物も飲み物も、クラピーがどこからともなく持ってくる。
クラピーはどのような行為であれ楽しそうに行い、それでいて真剣だった。
彼女は行動一つ一つに生命力を感じさせた。
始めは恐怖心から従っていた僕も、次第にそんな彼女に惹かれていった。
5日目。
今日もまた僕らは疲れ果て、いつもの場所に腰を下ろしていた。
ここに座ると、クラピーは必ず会話を要求し、僕もまたそれに答えた。
クラピー自身について、僕は彼女に問いたださなかったが、彼女の服の柄で察していた。
唯一の友達であった『彼』は『彼女』だった。
そういう事なのだろう。
「ねぇ!次は何する?!どうする?!」
食事をしている僕の顔を覗き込むように、クラピーは問いただしてきた。
癖っ毛のある金髪のロングヘアー、幼さを残しつつ美しい女性のような顔立ち……。
無意識だった。
クラピーの頬に、僕はそっと口づけした。
クラピーは驚いたのか眼を丸くして僕を見つめた。
「今のは何?何?!」
「キスだよ。好きな人にする行為だ」
僕はそう説明した。
「もう一回!もう一回やって!」
先程とは反対側の頬に、そっと口づけをする。
「じゃあ、今度はあたいから!」
そう言って、クラピーは僕の頬に乱暴ながら可愛らしいキスをした。
「えへへ、なんだか照れくさいね」
クラピーは体をくねくねさせながら、ほおずきみたいに紅い顔をした。
後日。
クラピーはよく僕の顔を覗き込むようになった。
遊んでる最中、休憩中、食事中、……。
『キスして欲しい』そういう合図だった。
故にクラピーが顔を覗き込むたび、僕はクラピーの頬にキスをした。
そしてクラピーは満足げに微笑むと、僕の頬にキスをした。
いつもの日常。
いつもの場所で二人して座り込み、上空の青い星を眺めていた。
ちょんちょん、とクラピーが僕の袖を引っ張るので、彼女の方に顔を向ける。
クラピーの紅く大きな瞳と眼が合う。
次の瞬間、クラピーは吸い寄せられるように僕に顔を近づけ、そのまま口づけした。
お互いの口どうしによる初めてのキス。
驚いた僕は、思わず後ずさりする。
クラピーは、無邪気で邪悪な天使の表情をしていた。
「キス……気持ちいいね……」
甘い声を出しながら身体をすり寄せてくるクラピーに耐えられず、僕は彼女にキスをする。
クラピーも僕の背中に手を回しながら、積極的に攻め続けてきた。
静かな海の虚空に、僕らのキスが木霊していた。
どれ程続けていただろうか。
ふと顔を離した瞬間、クラピーは瞳を閉じ、そのまま僕のふとももに頭を落とした。
すやすやと寝息をたてるクラピーの頭をそっと撫でる。
ふと、都を思い出す。
襲撃はまだ続いているのだろうか……。
視線を下ろすと、クラピーの可愛らしい寝顔がそこにあった。
その光景を眼に焼き付けながら、僕は瞳を閉じる。
繰り返す波の音と彼女の寝息は、僕の意識を何処か遠くに連れていった。
最終更新:2016年01月23日 14:21