「ん……」
「あ、起きましたか?」
「あれ? ここどこよ?」
「ここは俺の家ですけど……まさか覚えてらっしゃらない?」
「ん? んー」
なんだっけ。昨日セバスの家に会いに行って、そのまま彼の家に行ったんだっけ。
それで一緒に話をして、お風呂に入って、ベッドで一緒に寝て……。
ついでに自分の格好を見てみると、寝るまで何をしてたか思い出すのは容易だった。
「……」
「どうされました?」
「いやぁ、なんか、その、ねぇ?」
「わけが解らんのですが」
じっとセバスの姿を見てみる。
服着てないし。
「えーと、何で裸なの? アンタ裸族だったっけ」
「昨日のこと覚えてないんですか? そのまま寝ちゃったじゃないですか」
「貴方が服を着ていれば信じても良かったんだけど。えーと、あの」
「……ごめんなさい頂きました」
「わーお」
やりたい放題とはこのことか。
とりあえず、
「……お風呂入らない?」
「狭い風呂でよろしければ」
「わたしを抱っこして入ればいいじゃん」
「言うねぇ!」
「うぜェこのクソセバス」
さっさと入ろうよ。
あとお腹空いたし。
まあそんな感じで。
彼の家に泊まった二日目が始まった。
薄暗い部屋の中、時間的には朝だろう。
小さな小さなテーブルの前に正座しながらキッチンにいるセバスを待つ。
朝ごはんの時間である。
「……それにしてもほんとに狭いね」
見渡す必要もないほどの広さ。
棚と、テーブルと、変な箱がいくつか。
あれはクローゼットかな? 本もちょこちょこと見えるだけ。
ここまで何もない部屋だとは思わなかった。
「退屈しそうなところねぇ」
「もともとあんまり何もせずに生きてきたものですから」
「うわっ!? いきなり声かけんな!」
後ろから白くて大きな皿がにゅっと出てきた。
これは……目玉焼き?
次々と置かれる小皿と、透明なコップに注がれる真っ赤な飲み物。
「それではフラン様」
「はーい」
いただきます。
熱々のトーストに、バターを乗せたお皿と、ハニーシロップ入りの小瓶。
そこそこ小さなテーブルの中央には緑色の葉っぱがたくさん入った銀のボウル。
なんだ、食器は意外とまともにあるじゃん。
バターをべたべたに塗りたくったトーストを齧りながら、目の前のセバスに話しかける。
「ねぇねぇ、これ食べたら外に行ってみたいんだけど」
「はぁ。そりゃかまいませんが。何か欲しいものでも?」
「観光ついでにお買い物ー。とりあえず服と下着かな」
「下着……ねぇ」
「人の胸見て話すなぶっとばすぞてめぇ。他にも下着あるでしょうが」
ただのシャツでも下着だと思う。
いや確かに、セバスが思ってるものは必要ないけどさ!
君が見てる場所にはね! 腹立つけどね!
「服ですか。ただまあ、フラン様のような女の子のための服はちょっと難しいかと。まだ夏なのでどうにかなるとは思いますが」
「わたしのような女の子って、どういうこと?」
「羽のある少女ですよ」
「あー、」
確かに。こっちの世界ではいないのが普通だっけ。
幻想郷だといるのが当たり前だからイマイチわかんないけど。
「基本的に背中を覆う服しかありませんが、デパートにいけばなんとかなるでしょう」
「でぱーと?」
「雑貨屋ですよ。何でも置いてあって大変便利です。
幻想郷のどの店よりも巨大なので、はぐれないようにしてくださいね」
「え、そんなに大きいの?」
「紅魔館よりもでかいですよ」
「すげー!」
行きたい行きたい!
「外の世界での初デートにしては最高じゃん。今すぐ行こうすぐ行こう!」
「朝ご飯を食べてからにしましょうね。しかし羽はどうしましょうか。
服はいつものでもいいとして。昔使ってた小さなリュックサックがあるので、それに穴を開けますかね」
「それって、わたしに背負わせて中に羽を入れるの? 窮屈だなぁ」
「わがまま言わんでください。ちょーっと羽を折りたたむ必要ありますけど、我慢してくださいね」
「ま、しょうがない」
せっかくのデートが台無しになっても困るしね。
しかし、それにしても、
「今って夏だったの?」
「……らしいですよ」
「あっつーい!」
「そりゃこの炎天下ですから。幻想郷だとずっと紅魔館にいたからわかんないでしょ」
「そんなことないよ? 何回も外に出てたし」
「え? いつ?」
「……アンタが出てった後だけどね」
「しまった地雷踏んだ」
「もうおそーい!!」
日傘を貫通しそうな日差しの中、わたしは隣を歩く彼に飛びついた。
腕を絡ませて一緒に歩く……ふえへへ。
「? どうしたんですか?」
「いやぁ、デートだなぁって」
デート、デート、デートですよ!
ようやく外をコイツと歩ける。今まで見た、どの夢よりもずっと現実だ。
わたしが望んだこと。そして、彼が手放しそうになったこと。
これ以上は、絶対に放してやれないんだから。
「ふへへへ、えへへへへへ」
「……なんつーだらしない表情を。可愛い顔が台無しですが」
「あ、やっぱりわたしって超可愛いよね!」
「この妹様が搭載しているフィルターマジ優秀。いいところだけしか聞いてないし」
「よっしゃー、ちゃっちゃと飛んでいこう!」
「いやいや焼けちゃいますって! 外は快晴ですよ!?」
「かまうもんかそいやー!!」
背中の鞄に仕舞った羽のことなんて気にせず、地面を思いっきり蹴った。
わたしのジャンプ力なら羽なんてなくても余裕で山越えまでいけるし。
地面を蹴って、セバスを引っ張って跳んだ。
ちょっとだけ跳ねただけで、すぐに地面に足が着いた。
「え、あれ?」
浮かなかった。ちょっとだけ。
跳ねるほどもなかった。地面から足が離れて、また地面に足がついただけだった。
「いたた、なにしてんですかフラン様」
「……ん、なんでもないよ。さ、出発しゅっぱーつ!!」
ま、いっか。
こんな違和感くらい、予想してた。
だって外の世界だし。
幻想郷とは違うここだから、予想することは容易だった。
(それにしても、早すぎじゃないかなぁ)
せめて、もう少しだけ保ってくれればいいのに。
「……フラン様、まさか」
「ん?」
「いえ、何も」
さて、やってきました。『でぱーと』とやらに。
「なにこれ広っ。人多っ。あとめっちゃ涼しい」
「大体どこもこんなところですよ」
「そうなの?」
「雑貨屋がごちゃごちゃに詰まってる場所ですからね。食材とか服とか簡単な薬も置いてあります。便利ですよ」
「便利だねぇ」
「さて、それではさっさとフラン様の目的を達成させるとしましょうか。洋服売り場は何階だったかなぁ」
「どこかわかるの?」
「案内板があるのでわかりますよ。ささ、はぐれない様にしてくださいね」
「ここなに?」
「目当ての洋服売り場ですよ。これだけ広ければ気に入るものが一つや二つあるでしょう」
「凄い大きさだねー。あ、あれすっごく可愛い!」
「ああ、ちょっと!
あんまり走り回ったら駄目ですよ。全くもう、はしたない」
「いいじゃん別にさー。
見たことないのばっかりで、すぐにでも着てみたいんだから」
「試着もできますから。さてさて、最初は何を試されます?」
「これー!」
「どれどれ……え、買いますそれ?」
「気に入ったらね。何?」
「いえいえ。可愛いからぜひ買いましょうか。
サイズもフラン様に合ってそうですし、季節にもぴったりでしょう」
「やったー!!」
「お似合いですよ。……値段を考えなければ」
「ここはどこ?」
「下着売り場です。いわゆるランジェリーショップ、みたいな」
「ほっほう。つまりあれか、セバスが選んでくれるわけだね!」
「何でそんなに嬉しそうなのやら。どうせそのへんので十分でしょうに」
「ふふん? そんなに我慢しなくてもいいんだよ?
さっきから君が見ている下着をわたしはちゃんと知ってるから」
「……見てないですよ?」
「言い訳しようともなお、ちらちら見続けるセバスがステキ。じゃあこれにしよっかなー」
「どれどれ……って紐じゃねぇか!? どこで着るつもりだよ!」
「いいじゃん。セバスと寝るときしか身に着けないから。楽でしょ?」
「何が!?」
「外すの。ぴろって」
「昼間。フランドール様、昼間です。今は昼間!」
「知ってますよーだ。あ、これもいいかも」
「透け透けだー! もっと普通の買えよ!
しょうがないから待ってろ、すいません店員さーん!」
「いやー、疲れた疲れた。まさかあんなところでこんなに体力を使うとは」
「お疲れセバス。ところでここどこよ?」
「カフェレストラン、つまり食事場所です。
ささ、何を頼むか決めちゃってくださいな。これメニューです」
「結構いろいろあるねぇ。どうしようかなー。あ、これおいしそう」
「いきなりパフェですか……。せめてもうちょっと肉とか魚にしましょうよ」
「いーじゃん。ところでこれってタダなの?」
「んなわけありますか。ちゃんとお金払わないと駄目ですよ」
「……そういえばアンタ、どこからそんなお金持ってきたの?
帰ったの最近じゃん。どうやって稼いだの?」
「お嬢様」
「え、なに?」
「……世の中には、知らないことがいいこともあるんですよ?」
「何そのアカシックレコードに触れそうな感じ」
「いいじゃないですか別に。あ、すいませーん! 注文したいんですけど」
「えええ、まだわたし決めてないのにー!」
「疲れたねー。とりあえず目的は終わったかな?」
「そうですね。後は帰宅するだけですがどうしましょうか」
「うーん。このまま帰ってもいいけど」
「……それなら、ちょっとだけ歩きません?」
「へ? う、うん」
なんだろ。妙に慎重と言うか……。
いつもの彼らしくないし。
セバスと二人、並んで一緒に外へ出た。
って暑いぃ。
重たい袋。中には私の服とか食べ物とかいろいろ入ってる。
こんな暑い中置いてても大丈夫なものだと思うけど。
いつもよりずっと暗い顔。
「どうしたの? セバス、なんか」
「いえ、ちょっと」
なんか、へん。
雰囲気も、態度も。
冷たくはないけど、怖いって言うかなんていうか。
並んで歩く道。
日傘を差しているのは隣の彼で、わたしは小さな袋を一つだけ抱えて彼と歩く。
たんたんと、たんたんと。
……何か喋ったほうがいいかなー?
「ね、ねえセバスくん?」
「なんでしょうか」
「どこに行くの?」
「……公園ですよ。場所は近いですので安心してください」
「う、うん。って、そうじゃなくてコウエンって?」
「子供たちが遊ぶところです。遊具といって、遊ぶための道具も設置された場所ですよ」
「ふぅん」
「まあゆっくりするにはちょうどいい場所かな、と。
ちょうど着きましたよ。日光は大丈夫ですか? 当たってません?」
「大丈夫だよ。まだ平気」
そうですか、と彼は呟いて近くの……椅子?に腰掛ける。
彼に聞くとそれはベンチという、みんなが使える長い椅子とのこと。
わたしもそれにならってそこに腰掛けようとした。
むぎゅ
「ちょ、ななななな!?」
「フランお嬢様、ちょっとだけ大人しくしてください」
「わかってるけどどどどどしたの!?」
なんか抱きしめられてるんだけど!
周りに見られてるような気がするんだけど!
わたしと彼の身長差は結構ある。座ったままでも彼の頭よりちょっと低いくらいの位置に、わたしの頭がくる。
いつもより近い彼の顔。
どうしたの?
なんで、泣きそうなんだろう?
器用に日傘を持ったまま抱きしめている彼が、彼の肩がなんか震えてる?
「せ、セバス?
よくわかんないけどどうしたの? ちゅーでもする?」
「……」
「え、えっちなことは帰ってだからね!
っていうかわたし、両手塞がってるから抱きしめられないじゃーん!!」
「フラン様、すいません」
「は? なにがって、むぐ」
……いきなり、キスしないでよ。いやいいけどさ。
どのくらいじっとしてたか、
「ぷはぁ。な、何なのよ突然」
「ただキスがしたかったんです」
「家でやろうよ!」
「ははは、いやなに。ちょっと歩き疲れまして。
それに身動きできない貴女にキスができるのもいいかなーと」
「ドSか」
「もちろん。でも貴女が可愛いのが悪い」
「あ、うん。アリガト」
なんか外でキスはちょっと恥ずかしいよ。
でも、さっきの雰囲気はなくなったみたい。
いつものセバス。いつもの笑顔だった。
立ち上がり、セバスの後に続いてわたしも帰り道へ歩く。
それにしても、どういう意味だったんだろう?
このコウエンに何かあったのかな?
――――――――――――――――――――――――――――――――
ここに住むようになって、一週間経ったらしい。
らしい、というのはいまいちハッキリと理解してないからだろう。
彼と一緒に住むこと。
それは同時に幻想郷を捨てるということ。
そして、自分の家族を捨てるということ。
わたしは彼といることを選んだ。彼と暮らし、彼と生き、彼の世界でわたしは死ぬ。
めーりんもパチュリーも咲夜も、お姉さまも、わたしは天秤にかけた。だけどその反対の器に載った彼は、何よりも重かった。
だから選んだんだ。この人を。
どんなに寂しくても、彼だけはいてほしいから。優しくだっこをしてくれる彼の暖かさと、力強い腕が大好きだから。
よって、
「こら、腕を解くな」
「なんでさ」
この居心地の良さは、ヤバイとおもうんだよね。
あぐらをかいた彼の膝の上に、体育座りで背中を預けるように座っている。
この姿勢が私は好きだ。
そして、彼がわたしを囲むように手を回してくれると非常にグッド。
ニホンゴおかしいけど、大体合ってるよね。
しかし反対に彼は困ったような顔だ。
なんだその顔、嬉しくないの?
「嬉しいですよ、そりゃ」
「あっそう」
「でもね、脚が痺れてきたのだよ」
「可愛い彼女のためだ。我慢しろよ彼氏」
「それはエゴだよ彼女」
腕を組み、わたしを逃がさない彼の腕はとても力強かった。
なんだかんだ言っても、彼はわたしを逃がさないようにしてくれる。
離さないで。逃がさないで。
欲しかった場所がここにあった。
幸せだなぁ。なんか。
「それよりも、ねぇセバス」
「なんでしょう」
「これなに?」
「これはテレビですよ」
「てれび?」
なんだそれ。
「幻想郷にはありませんでしたからね。遠くの情報を表示する。電気を使って動きます」
ふーん。
「じゃあここに映ってる人達は、今別の場所で"こんなこと"してんの?」
「ちょっと違いますね。これは映画だから過去に取った映像です。それを記録したものを見てるんですよ。ああ、ちなみに映画というのは、」
そこでセバスがどうたらこうたらと蘊蓄を垂れ流し始めた。いやまあ、正直聞いてないんだけど。わたしの頭は、目の前の"こんなこと"に集中していたからだ。
なんだこれ。
「ちなみに映画にも色々ジャンルがありましてね、ってフランドール様?
俺の話聞いてました?」
「いや、全然」
だってしょうがないじゃん。
このテレビとかいう箱ん中で、どっかの男とどっかの女がキスしてんだから。
いや、まあ、なんというか、ねぇ。
「さっきから視線がテレビに釘付けですけど、そんなに興味津々に見られてもアレなんですが。こういうラブストーリー、好きなんですか?」
ラブストーリーだったのこれ。
そのうち男と女が合体しそうな勢いなんだけど。
「あー、過激ですからね、昔のは」
「セバスは、」
「はい?」
「したくないの?」
「何を?」
「これ」
指で指し示したのは、勿論抱き合ってキスしまくってる男女の姿である。
ちらっとセバスを見ると、なんというかしょっぱい顔をしていた。
「えーと、なんの話ですか?」
「男女が舌を絡ませながら情熱的にキスをしまくる話」
「無駄に修飾しないで下さいよ生々しい」
「495年の引きこもりは伊達じゃないわ」
地下で本とか読みまくってたし。
「495年生は化物か!」
「そりゃ吸血鬼ですから」
「確かに。それにフランドール様は白より紅ですよね」
「でも下着は白よ」
「別に聞いてねぇよロリ吸血鬼」
「聞きたくないとは言わせない」
「なんか最近ドヤ顔多いですね」
「うっさいな! で、どうよ?」
「……はて、なんでしたっけ」
「わたしと性交する話でしょ」
「断じてしてねぇよ!?
ただのキスの話だったろ、捏造すんな!」
「うん、そうだよ。で?」
「開き直った、だと?」
「で!?」
「お、落ち着いて下さいよ。
そうだ、フランドール様はどうなんです?」
「質問を質問で返さないでよ。
……でも、敢えて言うならば、」
「ほう?」
「食べたい」
「よ、妖怪だー!」
なんてことをしながら、わたしたちは一日をなんてことなく過ごす。
そうした日常が思ったよりも気持ちが良く、本当に忘れちゃいけないことまで忘れそうになる。
大丈夫、忘れてないよ。
ただ先伸ばしにしていたんだ。
そのときが来るまでは、ただの恋人でいたい。
「セバス」
「ん?」
「ふへへ、なんでもない」
「キモいですよお嬢さま」
「台無しだよ!」
少しは空気読め。
「ホントにもう、セバスはカイショーが足りないんじゃない?」
「また嫌な言葉覚えましたね。テレビで出た言葉を鵜呑みに覚えるのやめましょうよ。使い方違いますし」
「小さいことは気にしないのー」
「甲斐性がないと言われても、フランドール様の胸よりはあるつもりですが」
「よっしゃーブチコロス表に出ろやクソ彼氏」
「小さいことは気にしないで下さい」
「それはどっちの意味かなセバスくん?」
「胸の話ですよ」
「うっさい!」
普通に飛びかかって、普通にセバスに抱っこされて、普通にキスされた。
不意討ち過ぎる。これはズルい。
「……ぷはぁ! ちょ、いきなりはズルくない?」
「したかったんですよ、仕方がない」
「やる前になんか言ってよ!
びっくりしてなんにもわかんなかった!」
「じゃあ、キスをしてもいいですか?」
「う、面と向かって言われると照れる」
「頂きます」
「話を聞けって、ん……」
今度はゆっくり、さっきみたいな不意討ちじゃなくてしっかりと重なった。
幸せになる。
幸せになれる。
吸血鬼が人間に飛びかかって、普通に抱き上げられたことの異常なんて忘れるほど。
ここでの妖怪の能力が消えつつあるという事実も忘れるほど。
つまりそれは、いつか私が消えるということも忘れるほど。
彼とのキスは甘かった。
何回も、何回も彼を求めた。
呼吸なんて意識しないくらい、食べられてるのか食べているのかというくらい、私は夢中になった。
「あふ、ん」
「……ちょっとがっつき過ぎでは?
なんか口の回りがめっちゃべたべたするんですけど」
「うっさいなぁ、いつものことじゃん」
「まあ、そうですけどね。とりあえず拭くものを何か」
「舐めとってあげようか?」
「変わんないでしょ。これだってフランドール様のものですよ」
「わたしの口の回りだって、アンタのでべたべたなんですけど。まあいいや。ところでさ、」
「はい?」
「最後までしないの?」
「……あのですね、一昨日失神する程度にしましたよね」
「うん。あれから二日経った」
「ええ、二日です。つまり?」
「欲しい」
「直球過ぎて照れます。
とりあえずは、夕飯にしましょうよ」
「じゃあ食前のウォーミングアップでやろう。そんで食べた後に食後の運動で」
「この変態」
「吸血鬼よ」
もっとも、その力のほとんどは……。
吸血鬼という種族なんて、この世界では何の常識にもならないのはわかってた。
わかってたけど、わたしは彼を選んだのだ。
「はぁ、とりあえず買い出しに行ってきますね」
「うん、いってらっしゃーい。
できれば鍋がいいかなー。スッポンとか」
「んな高いもの買えませんって」
がちゃり、とドアに鍵がかかった。
さて。
何時もならついて行くんだけど、今日はそういかないみたい。
「出てきてよ"八雲紫"。いるのは知ってるから」
「あら気が付いてたのね」
律儀に反応してくれる。
何もないところが、黒いヒビと共に突然ばっくりと空いた。
その中から出てきたのは、わたしをここまで導いてくれた張本人だった。
「御機嫌麗しゅうございますわ、レミリアの妹さん。
いつもいつも仲良しこよしで何よりかと。
そこまで幸せになられると、手を回した此方も甲斐がありました」
「そんな御託はいいの。わたしは、何でここに貴女がいるかって聞いてんのよ」
「はて、妙なことを。
私がここにいることと言えば、お節介以外に何もありません」
「いらないわ、そんなもの」
「いるでしょう、こんなことでも」
だって、と彼女は笑った。
「貴女の消滅がかかってるんですもの」
………やっぱり、か。
「あら、あまり驚かれないようですが。貴女自身の死だというのに」
「予想は、してたよ。
変に力が無くなっていく感触とか、いつも見えてた"目"が見えなくなったりとか、今日もセバスに簡単に抱き上げられたりとか。こんなに早く来るとは思わなかったけどね」
「そう。幻想郷で生きる妖怪は、元々外の世界から淘汰されたものたち。しかし逆はどう足掻いてもありえない。
それは私達が常識の外にある存在だから。故に、貴女は今、幻想郷と外界との間にあるズレによって世界からの修正力を受けている。もう空を翔ぶことも弾幕を撃つこともできないでしょうね」
「そっか。よくわかんないけど、なんかおっきい力が働いてるってことだね」
「幻想郷から出るということは只では済まされないのです。でも、貴女はきっとまだ生きられる」
「……」
心当たりは、ある。
っていうか彼しかいないじゃん。
わたしは彼の名前を、ぽろっと溢すように呟いた。
「そうね。貴女の存在を唯一肯定してくれる人がここにいる。
彼の非常識な常識がフランドール・スカーレットを肯定している。彼がいる限り、フランドール・スカーレットは消滅することはないでしょう。ただ、妖怪としての力は失われるのは止まらないけれど」
「……アイツ、わたしのこと妖怪として見てないってことか」
それはそれでどうなのよ全く。
「っで? 結局何をしにきたのよ八雲さんは」
「幻想郷への再勧誘を」
「ハァ?」
「ここに住むまでに失ったのは妖怪の力だけじゃない筈ですが。
紅魔館のみんな、そして最愛の姉。どれも失うには大きいものばかりだった。
このままここに居たとして、貴女の消滅は彼と共にある。
高々五十年程度の余生しか与えられないというのなら、このまま貴女はここに居てもいいのかしら?」
そっか。
この妖怪は、ただわたしのことが心配なんだろう。
一度は送っときながら、今度は連れ戻しに来るだなんて。
なんて、不真面目な妖怪なんだろう。
大方こっちで過ごす事の辛さを伝えたくて、わざわざここまでの道を開いたんだ。
妖怪か、それ以下か。
わたしは人よりもずっと劣った存在で居続ける。
彼がいる限り。それは正しくは間違いだ。
わたしは、フランドール・スカーレットは吸血鬼だ。
妖怪は妖怪らしく生きるべきだ。人を喰い、恐怖させる対象でなければならない。
それならわたしは、ここに間違いを犯して来たのか?
そうよ。
間違いだってわかってた。
でもそれでも、わたしは、彼が欲しかった。
わたしは、笑って言うことしかできなかった。
「ありがとう、八雲紫。
でもわたしはここがいいよ。
例え五十年でも十年でも一年でも、いっしょに居たい人とわたしは居るよ」
「ほう。ですが、貴女と彼では子供も作れない。一緒に暮らすには二人で、今のような時間しか過ぎていかない。残すものもなく、きっと今以上には幸せにはなれないとしても?」
「それでもいいよ」
子供とか云々は気にしてない。
ただ一緒にいられるだけで、価値はあると思ってるから。
でも、
「彼が同じ想いか、まではわかんないけどね」
もしかしたら、彼は子供が欲しいかも。
もしかしたら、もっと大人な女が好きかも。
もしかしたら、今に不満があるかも。
わかんない。彼の考えることをいちいちわかってるわけじゃないし。
そうだとしたら、わたしはどうしようか。
……いや、違うね。
「同じじゃなくても、セバスもきっと、わたしと一緒にいる未来がいいと思ってる。だからいいよ。わたしはここで彼と一緒に死ぬから」
「それが、貴女の望み?」
そうだよ、と言い返そうとして他の誰かに遮られた。
「ついでに言うと、俺の望みでもあります」
……セバス?
おい、買い物どうしたんだよ。
いつ帰ってきたし。
「ついさっきです。
なんか嫌な予感がして、急いで帰ってきました。案の定、嫌な方に会ったわけですがね」
「直感半端ないわね」
「愛ゆえに(キリッ」
「嬉しいけどキモい」
「それが恋ですよお嬢さま」
お前、なんでもかんでも愛でどうにかなると思ってない?
今のところなんとかなってるけどさ、実際。
「愛しのお嬢さまはさておき。
八雲紫さん、ここまでのご足労お疲れ様です。俺とフランドール様の愛の巣に何要で?」
なんだコイツ。
台詞が超キモい。愛の巣はないだろ。
なんだコイツ。
そして八雲紫は、わたしのことなどなかったように彼と話を続けた。
「彼女を幻想郷へ勧誘しに来ました」
「勧誘? 拉致の間違いでは?」
「ご冗談を。本気で拉致するなら彼女を拘束すれば終わりですもの。
今の彼女に、私の力に抗う術はありませんから。そして幻想郷に連れ帰ったあと、貴方を殺します。そうすれば、フランドールの心以外は全て元通りです。ですが、」
「妖怪にとっては大事な心、精神の拠り所となる核を壊されたら妖怪としては終わり。結局、穏便に話し合いという手段しかない」
「理解が早くて助かります。貴方ごと幻想郷に連れて行っても良いのですが、それはレミリア・スカーレットとの契約違反ですから。
フランドールの夢を叶えるために、貴方は吸血鬼と悪魔の契約をした。
それは破れない約束。もっとも、フランドールはせっかくの貴方からのお節介を蹴って、たった一人の執事と一緒にいる道を選んだ」
「……」
「どれだけ自分が馬鹿なことをしたのか、少しは嫌味の一つでも言いたくなりますわ。
このままでは自分が死ぬかもしれないのに。妖怪でもなく、人でもない生き方をしなければならないフランドール。
そんな彼女に、私は最後の選択肢を与えに来たのです」
「なるほど、事情は理解しました」
そして彼の顔が、わたしの方をゆっくりと向いた。
咄嗟に俯いてしまう。
だって見ることができないよ。
あんなに無表情で、どこまでも透かしているような彼の顔なんて。
「セバス?」
名前を呼んだ。
ああ、彼は怒ってるんだ。
わたしが彼のことを疑ってしまったこと。
「フランドール様」
「ん」
「俺を見て下さい」
「やだ」
「なぜ?」
「怒ってるもん。見たくない」
「怒ってませんよきっと」
「怒ってる人はみんなそう言うもん」
「本人が言うのだから間違いなく怒ってませんよ」
「怒ってる人は(ry」
「フラン」
うわぁ。
久し振りに呼び捨てされた。
彼が怒ってるか怒ってないかで言えば、怒ってるとわたしは思ってる。
でも誰に対して。何に対して?
わたしに対して……とは違うような。
或は、自分に対して怒ってるのか。
でも、彼が次に言う台詞は分かる。
多分「行くな、ここに居ろ」って言ってくれる。
つーか言え。
言ってください。
さっきみたいに、「俺の望み」って言ってくれたらいいのに。
もしも、彼がわたしに「幻想郷に帰れ」とか言ったら、泣く自信ある。
お願いだからわたしを離さないで欲しいよ。
何も言わない彼に、わたしは痺れを切らして真っ直ぐに見つめた。
黒くて、力強い視線。
そして彼から発せられた台詞。
「絶対にどこにも行かないで下さい」
「あ、うん」
緊張してたあまり、変な言葉で返事をした。
ちらっと八雲紫を見ると、なんともまあ間の抜けた表情をしていた。
そして溜息混じりに口を開く。
「……そう仰ると思っていました。貴方も、彼女もね」
「ってわけで帰って下さい。俺の想いは彼女と同じだ。ここで生きる。それ以外は考えられない」
「それが結果としてフランドールを殺す。
貴方のそれはエゴ、もっと言えば悪意の塊です。
妖怪としての本懐すらも捨てさせ、ただ一時の恋に身を散らせるなんて、ナンセンスですわ」
「エゴでも我儘でもなんでもいいです。
これしかないんです。俺とフランドール・スカーレットが生きる未来はこれしか残ってない。
俺はフランドールが好きだ。例え妖怪でも人間でもどちらでもなくても一緒にいます。それに、」
「ふむ?」
「この想いは終わらせたくないんです。
勢いだと言われてもかまわない。一時で終わっても、次は考えられない。
これが俺達の始まりで、終わりだ。俺達の道の邪魔をしないでくれ。八雲紫さん」
……うわぁ。
今のわたし、絶対顔真っ赤なんだけど。
「そうまで仰るなら、わかりました。
外界で彼女と一緒に生を謳歌し、そして百年足らずで死んで下さい。私も貴方も、お互いに干渉しないことを永久に誓いましょう」
「願ったりです。それでは、」
「ええ、さようなら」
唐突に避けた空間ができ、そこを八雲紫は通って消える。
二人っきりに戻った瞬間だった。
彼は部屋のドアの前から動かず、立ち尽くし、安堵していた。
……なんかもうおかしいよね。
選べたはずの未来。再度開かれた幻想郷への道を。
わたしも、彼も。切って捨ててしまった。
「あのさ、」
「フランドール様」
遮るなよ、ってうわ。
「こら何よ、いきなり抱きついて……」
「実は知って、いました。フランドール様の妖怪の力がなくなっていること」
「……は?」
いつから?
そんなに鋭かったっけ、君。
「この前、公園に行ったとき。
フランドール様を抱きしめましたよね」
「う、うん」
「実はあの時、日傘をしてなかったんです」
「はぁ!?」
だから見えないようにわざわざキスしたのかお前!!
吸血鬼相手になんてことをするんだろ、こいつ。
下手したら灰になってたんだけど。
抗議の目を送ると、彼は苦笑いでわたしの頭に手を置く。
「地面を蹴っても空を飛べなかったあのとき、もしかしたらと思ってみたんです。
そしたら案の定、貴女にはもう妖怪の力はほとんどなかったことがわかりました。いえ、妖怪の力というよりは人間に近くなった、ということかもしれません」
「どういうこと?」
「俺は吸われたことないんでわかりませんが。血、ここにきて吸ってないでしょ?
吸血鬼なのに血を吸ってない。でも翼は残っている。多分ですが、俺の頭の中にあるフランドール様に近づいています」
「つまり何、わたしのこと吸血鬼と思ってなかったのかアンタ」
羽は外見的な特徴として、残っている。
要するに、他の力はコイツの中であまり印象に残ってなかったらしい。
「しれっといいますと、俺吸われたことないですからねぇ、血」
「む、確かに。空も目の前で飛んだことあんまなかったし、弾幕もばかすか撃ってなかったわ」
「多分、そういうことです。貴女はもう吸血鬼のフランドールには戻れない。
ここで俺の、俺だけのフランドールになってしまいます。
それでも、貴女はここにいてくれますか? 代わりに貴女だけの俺に俺はなります。どんなことがあっても離れない。
今みたいに他の妖怪がきたとしても、きっと追い払って見せます。この世界で貴女を守り続けます。
俺と共にいて、後悔することがあったとしても、それよりもずっとずっと大きな幸せを貴女に捧げる。俺は、貴女の傍にいる」
「う、あ」
どうしよ。
顔真っ赤だわきっと。
なにこいつかっこいい。やだイケメン。
「わ、わたしはだって。貴方に捧げる。身も心も何もかも。
辛いときはわたしが笑ってあげる。悲しいときはわたしが励ましてあげる。
その代わり、私が辛いときは抱きしめて。悲しいときはキスをしてほしいよ。
いっぱい、いっぱいお話しよう。わたしが今より大きくなっても、おばあちゃんになっても、いっぱいいっぱいいっっぱい!」
ぎゅっと彼の背中を抱く。
わたしの力はもうほとんど人間に近い。多分、彼が持てる物だって、私だって持てないだろう。
身体だって弱い。彼のデコピン一発でおでこが腫れる自身がある。
でもそれでよかったかもしれない。
力をこめて抱きしめても、彼を壊さないで済む。わたしが痛いって思うほど抱きしめられることで、彼の暖かさを感じられる。
痛いほど抱きしめて欲しい。ぎゅっと、そっと、もっと、ずっと。
「フラン、」
「ん、」
おでこに、ほっぺに、そして唇に。
彼とキスをして、立ったままずっと一緒にいた。
離れたくない。一緒にいると誓ったよ。
だから、ね。
もっといっぱい、わたしを貴方で満たしてください。
Megalith 2014/11/27,2015/01/12
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最終更新:2016年01月23日 14:16