魔理沙15



新ろだ46、49、61、73


 「ごうがーい。号外ですー」

 それは、平穏で怠惰な幻想郷に訪れた、異変。

 「喧しいぜ。人がせっかくお茶してるときに…」

 それは、各々に委ねられた、選択。

 「ああ、魔理沙さん。号外、よろしければどうぞ」
 「よろしくなくても置いていくんだろ?」

 それが何をもたらすのか、それは誰にも分からなくて。

 「パチェ、それは何?」
 「天狗が置いていったのよ」
 「いつものゴシップ?」
 「今回は、ちょっと違うみたいよ」

 それでも、何かが変わる気がした。


 図書館はいつも、薄暗い。
 主が日の光を嫌う性質でもあるし、間借りしている館の主人もまた、日光は天敵だからだ。

 「外界への扉を開く、ねえ…」

 この紅魔館の主、吸血鬼のレミリア・スカーレットは頬杖をつきながら、配られた…というか勝手に置いていかれた
号外を眺め、気だるそうに呟いた。

 「あのスキマ妖怪、何を考えているのやら」
 「あれの考えていることが読めるのなら、幻想郷を支配できるわ」

 レミリアの真正面からの小声。白いクロスがかけられたテーブルの反対側に、見た目は彼女よりわずかに年上、といった雰囲気の少女で、
この図書館の管理者にして魔法使い、パチュリー・ノーレッジのものだ。親友にして家主が訪れているというのに、この魔法使いは分厚い
魔法書から目を離すことはないし、パチュリーの5倍は生きているこの吸血鬼も、それを咎める風でも気に障る風でもない。これが二人の、
いつものスタイルなのである。

 「パチェは、どうするの?」
 「…何を」
 「この話、伸るか反るか。まあ、答えは想像できるのだけど」

 言いながら、文文。新聞と書かれた号外を軽く投げ出す。一枚もののそれにはこんな事が書いてあった。

 曰く、幻想と現を隔てる結界の管理者、八雲 紫が、神無月の初めに、その結界を一部、開く。
 曰く、幻想に暮らす人妖は自由に、外界を旅することができる。
 曰く、然るべき用紙に記入して署名し、土産を持ち帰り、なおかつ神無月の終わりまでに戻るのであれば、何も縛りはない。

 「多分、それ、外れてるわよ」

 へえ、と意外そうにレミリアは呟いた。

 「ということは」
 「ええ。あのスキマ妖怪の企みに、乗ってあげるわ」

 突然レミリアの顔が変わった。一転、つまらなそうに息を吐く。

 「なあんだ。私の予想通りじゃない」

 その一言に、初めてパチュリーは本から顔を上げた。目を細め、威嚇するような視線を親友に向ける。

 「どういう意味よ」
 「私に知られてないとでも思ったのかしら?愛しの彼と外界デートに洒落込もうとしてるんでしょう?」
 「…彼って、誰のことよ」
 「あれ」

 レミリアが向けた視線の先には、ハタキを振るって本棚の埃を取り除く、ジャージ姿の青年、☆☆がいた。正確には少年と青年の狭間、といった容貌で、
彼は数ヶ月前から、この図書館でパチュリーの使い魔と共に、雑用として働く身の上である。

 「随分、お熱を上げてるみたいじゃない。妖精メイド達が色めいているわよ?いつ想いが通じ合うのかって」

 魔法使いは何も答えずに、また黙々と文字を目で追い始めたが、その頬の色が全てを語っていた。それに満足したのか、わずかに笑みを湛えて、レミリアは
傍らのティーカップを手に取った。

 「早くしないと、あなたの使い魔に取られてしまうかもしれないわよ?」

 パチュリーの目が僅かに泳いだのを、吸血鬼は見逃さない。その様子がおもしろくて、さらに追撃をかけようとして、それは思わぬ反撃によって遮られた。

 「レミィも、人のこと言えた義理じゃないでしょう?」

 カップを口元に運んでいた手が、止まる。

 「あなたの場合は大変よね。何せ恋敵が盛りだくさんだもの」

 この紅魔館には現在、3人の人間が暮らしている。瀟洒で完全なメイド、十六夜咲夜。図書館雑用にして、パチュリーの意中の人☆☆、
そして──レミリアが森で見つけ、血の提供と雑用を条件に、館で住み込み働く●●。

 その彼の事を、そして彼を取り巻く状況をさらりと口に出されて、レミリアの顔から余裕の色が消えていく。

 「咲夜も、フランも、さらには美鈴もかしら?妖精メイド達が色めいているわよ?誰が彼の心を射止めるかって」
 「…言うじゃない、パチェ」

 そうでもないわ、と軽く流して、涼しい顔で本を読み続けるパチュリー。一方のレミリアは、観念したかのように息を吐いた。

 「そういえば、その●●は?手元に置かなくて大丈夫なの?」
 「美鈴と一緒に、庭の手入れをしてるはずだわ」
 「ずいぶんと余裕じゃない」
 「私には、優秀な従者がいるから」
 「…なるほど、ね」

 レミリアは●●を、自分の力や権力を駆使して手元に置くようなことはほとんどしない。それは自分の他にも、彼に心惹かれる人妖が
いるからだ。別にトラブルを恐れている訳でなく、●●を狙う咲夜や美鈴、フランドールは互いを牽制し合い、結局何もできないのを見越しているのだ。
 しかしこの時、庭ではレミリアの目論見が完全に崩れ去っていた。

 「えへへ、●●の背中っておっきいねー」
 「そうですか?」
 「うん。それにあったかい」
 「あ、あの妹様、そろそろ私にも、代わってくれないですかねー、なんて」
 「寝言は寝てからいいなさい、美鈴。次に彼の背中に頬擦りするのはこの私、十六夜咲夜に決まってるじゃない」
 「だーめ。お断りします(AA略)」
 「あ、あの、フランドール様、美鈴さん、咲夜さん?お、落ち着いて…」
 「いまは わたしの ばしょだ。 うばいかえせばよい。…できるものなら」 

 「「こ ろ し て で も う ば い と る !」」

 「…!」
 「どうしたの、レミィ?」
 「何か今、非常にマズい運命が見えたわ」

 カップをソーサーに置いて、立ち上がるレミリアを見たパチュリーは、ああ、また『紅魔館・女のガチンコバトル!~(主に美鈴の)ポロリもあるよ!~』
が始まるんだなと気づいたが、自分に被害が及びそうに無いので何も言わなかった。他人の潰し合いというのは、なかなかにどうして、見てる分には
おもしろいのだ。

 「まだ日が高いから、日傘を忘れずにね」
 「ありがと、パチェ」

 ダッシュで出口へ駆けていくレミリアは、気づかなかった。
 パチュリーが読んでいた本は、魔法書などではなく、魔法書に隠して正面からは分からないようにしていた、タウン情報誌別冊の「おススメデートスポット」
だったことに。




 紅魔館で、人智を超えたキャットファイト(第13回戦)が始まろうとしていた頃。

 「会いに行こうぜ!」
 「誰に」

 魔法の森の中にある、小さな一軒家。
 流しに立ち、洗い物をしていた若者──△△の背中に、威勢のよい声がかかった。

 「△△の両親にだよ!」

 その瞬間、皿を水に漬ける手が止まった。それに気づいていないのか、さらに声が畳み掛けられる。

 「それに、外って一回見てみたいんだよ、私。すごいとこなんだろ?」
 「…まあ、幻想郷と比べれば、魔境みたいなものかもしれないな」

 △△の声が、僅かに暗くなっていることにようやく気づいて、声の主の少女──霧雨 魔理沙は、読んでいた号外から目を離し、
今だ手が止まったままの彼を見遣った。

 「…△△?」
 「そうだな、いい機会かもしれない」

 その独白は、魔理沙へ向けられたものというよりは、まるで自身に言い聞かせているようで。

 「かわいい俺の奥さんに、俺の故郷を見てもらうのも、悪くないかもな」

 言いながら、肩越しに振り返った△△の声は、すでにいつもの調子を取り戻していた。魔理沙は心に引っかかるものを感じたが、
それ以上に恥ずかしいセリフを聞いてしまったので、それどころではなかった。

 「…ば、バカ。真顔でそういうこと、言うなよ」
 「嫌か?」
 「い、嫌なわけないだろ!」

 頬を真っ赤に染めて俯いていた魔理沙は、飛び切りの笑顔で顔を上げ。

 「そうだな。素敵な私の旦那様の故郷、見てみたいぜ!」


 かくして、目的はそれぞれあれど、少女達は。
 幻想郷からほんのちょっと、旅立つことを決めたのだった。



─────



 「ということで、ここで解散にしましょう。いいですか、羽目を外しすぎず、節度を持って行動することが、貴方達に積める善行です。
 そう、貴方達は──」
 「ということで映姫様のありがたーい小姑のお小言はこれにて終了!みんな気をつけていきな!」
 「ち、ちょっと小町!まだ話は終わ」
 「はいはいこんな往来で留まってたら迷惑ですし宿の時間に遅れそうなんでさっさと電車に乗りますよ。ほら、■■も急ぐよ!」

 言いながら、普段以上に生き生きとした様子の死神は、同じく死神に成り立ての見習い、■■の手を掴むと、引きずるようにして
早足で自動改札へ歩いていく。

「ま、待ちなさい小町!■■!」

 肩から提げたボストンバックを揺らして必死に着いていく閻魔様を見送りながら、△△は修学旅行を思い浮かべたが、口にすると
悔悟の棒が飛んできそうなので何も言わなかった。その少女趣味全開なフリフリスカートとか、ボストンバックで揺れているクマさん
ストラップとか、突っ込みたい所は多々あったが、他の人妖達と同じように、小町に引きずられて苦笑しながら手を振る■■に、ただ
手を振り返しているだけに留めた。

 小町は慣れた手つきで自動改札を潜り抜け、続いて■■を改札に通し、いきなりブザーとフラップドアが閉まってオロオロしている
映姫を見かねて係員を呼びにいき、駅員の操作でようやく通過できて、何度も何度もその駅員に頭を下げている彼女の手を掴むと
また早足で歩き出し、二人の手を引きながら、「京浜東北線」と書かれた水色の案内板の階段を上っていき──
そこで姿が見えなくなった。

 慣れたものだなあ、と感心しながら見送っていると、ふいに紫が口を開いた。

「じゃあ、ここでお別れね」

 企画者自身もやっぱりマヨヒガの客人××との旅が嬉しいのか、いつもの胡散臭さが若干薄れた(気がする)笑顔で、口元に
当てた扇子をパタンと閉じた。その出で立ちは、名前のような紫を基調とした着物姿で、聞くところによると、隣でのほほんと
彼女の式の式、橙とじゃれあっている彼の希望だとか。

 「神無月の終わりに、またここで会いましょう」
 「皆さんも、お気をつけて」

 丁寧な口調で紫とその式、藍から旅行鞄を受け取り、踵を返そうとした××と八雲一家に、亡霊の姫君、幽々子が声を掛ける。

 「そっちはどこへ行くのかしら?」
 「ちょっと、西のほうへ、ね」

 信じられないことに、僅かに頬を染めて、どこか恥らうような幻想郷最強クラスの妖怪。普段の彼女を知る他の者…つまりほぼ
全員が目を瞬かせたが、どうやら幻術の類ではないらしい。ただ幽々子は「あらあら、そういうことね」と笑みを深くし、
意外なことに△△も、どこか納得したように頷いていた。それもそのはずである。××とは同じ迷い込んだ身の上で知らない仲
でもなかったし、いつぞやに彼は「出身は西の方」と話していたのを覚えていた。

 (多分、挨拶に行くんだろうな、両親に)

 その性格はともかく、見た目は周囲の一般人の衆目を引くほどに麗しい。そんな彼女を連れての挨拶の意味など、ひとつしかない。

 (ご祝儀、どうするか…)

 気の早いことを考えながら、閻魔、死神組と同じ改札を抜け、東海道新幹線への乗換え口を目指して遠ざかる四人の背中を見ていると、
残りの面々も、ざわざわと動き始めた。

 「お腹すいたわ~。ねえ◇◇、どこかで軽く食べていかない?」
 「あなたの軽くは、ぜんぜん軽くじゃないでしょ。しかも途中のす○家でメガ牛丼食べたばかりでしょうに…3つも」
 「あら、あれおやつでしょう?」
 「そんなこと真顔で言わんでください…」

 ニコニコ顔の華胥の亡霊とは対象的に、うんざりした顔で呟く◇◇。話によると彼らは全国のうまいものを巡って海を越え、山を越え
全国を回るらしい。食費を捻出するため移動は高速バスと普通列車中心で、そのほとんどを安いビジネスホテルなどで過ごすのだとか。
日程的に一番きついのでは、と△△は思う。しかし「惚れた人のたっての願いくらい、叶えてやりたいじゃないか」と笑う彼の
顔を思い出して、彼自身もそれなりに楽しんでいるんじゃないかとも思う。改札へ向かわずに、挨拶を済ませて談笑しながら高速バス
乗り場へ連れ立って歩く二人の顔を見ていると、なおさらそう思う。

 ちなみに幽々子の従者である半人半霊の庭師は、今回主と別行動らしい。お互いに想い人がいるのでどちらが気を回したのかは分からない
が、彼女──魂魄 妖夢は先日晴れて恋人同士となった(と文文。新聞ですっぱ抜かれた)◆◆とと共に、主の一歩後に改札を抜けていた。
雑談したところでは、こちらも妖夢の希望で、関の刃物市や刀鍛冶を見に行くのだという。彼のその隣で、恥ずかしそうに顔を真っ赤にしながらも
恋人繋ぎした手をぎゅっと握る彼女を思い出し、青春してるなあ…と感慨深く呟いていると、新たな声が上がった。

 「私達もそろそろ行くわ」
 「そうか。気をつけてな」
 「ええ。そちらもね。さあ、行きましょう○○、空と燐も準備して」
 「にゃー!にゃー!」
 「もう、うるさいよお燐。静かにしないと置いていくよ?」

 地下に篭る妖怪達が、最近地霊殿に住み着いたという○○を促して、準備を始めた。地底のムツゴ…もとい地霊殿の主にして怨霊も恐れ怯む少女、
古明地さとりは、いつもの園児っぽい…じゃなくて可愛らしいスカート姿に、あの第三の目を隠すためか、カーディガンを羽織って、△△に
微笑んだ。その隣では巨大な登山用リュックを背負ったさとりのペットにして、熱かい悩む神の火である霊烏路 空が、なぜか犬猫用の旅行用
ケージを持ってはしゃいでいる。
 そういえば一人足りないなと思い、切符を確認している○○を肘でつついて、耳打ちした。

 「なあ、お燐ちゃんはどこいったんだ?」
 「ああ、あの中だよ」

 そういって○○が指差したのは、空が「ろぉりんぐじぇっとこぉすたぁ!」と笑いながら思い切り回している腕に握られた、あの犬猫用ケージ
だった。

 「人の形だとどうしても耳とか、尻尾とか隠せないみたいだから、とりあえずはあの中にって、さとりが」

 かわいそうだから、あとでズボンとか帽子とか買って出してやるけどな、と彼は付け足した。なるほど耳をすませば、あの高速大回転中の
ケージの中から「にゃ、に、ゃ…」と今にも息絶えそうな猫の声が聞こえてくる。

 (いろんな意味で可哀想だな…)

 △△が心の中で地獄の輪禍に合掌をしていると、ケージから「ゲェェェェ」と食事中には絶対に聞きたくない断末魔が聞こえた。

 「……」
 「……と、ところで、なんで空のほうは人型のままなんだ?あのでっかい羽、何かの術で隠したのか?」
 断末魔は華麗にスルーして、△△はもうひとつの疑問をぶつけると、○○は今度、彼女の背負った大きなザックを指した。

 「あのリュックの背中のとこ切って、あの中に羽を無理矢理仕舞ってる。空が自分で考えたんだ」

 言われてみれば、おそらく容量60ℓクラスと思われるザックは異様に膨れていて、それでも窮屈なのか時折もぞもぞと蠢いている。
確かに傍目には、うまく隠せているように見える。見えるが…

 「お前らも列車使うんだろ?あれ背負ったまま席に座るのか?」
 「…あ」
 「しかもあんなでかいの背負って街中うろつくと目につかないか?しかもなんか中で動いてるし」
 「……ケージの中に入るべきは、空のほうだな」

 冷や汗をかきながら、呟く○○。
 哀れ地獄鴉。燐と立場が逆転することがたった今運命付けられた。おそらく、というか絶対、今ケージの中でリバースしてグロッキー
状態であろう火車は復讐に走る。それも、自身が受けたもの以上の仕打ちを以って。

 (…まあ、自業自得だしな)

 さとり達に切符を配り、他の3組と同じように改札を済ませる彼と彼女達を見ながら、空に合掌をささげない△△は、腕時計──
衣装代の替わりに霖之助に押し付けたものだが、結局返されてしまったものだ──を覗き込み、心配そうに一人呟いた。

 「あいつ、遅いな。もしかして迷ってるのか…」

 死神・閻魔組のありがたい(?)お話の前に、他の面々とともに飲み物を買いに出かけたままの彼女──魔理沙がまだ、戻ってこない。
幸いまだ列車の時間までは充分にあるためその点の心配はないが、この日本有数の大きさ、日本一といっても過言ではないかと思うこの
駅のどこかで、迷ってるんじゃないか。いや、迷っているだけならまだいい。何事かに巻き込まれているんじゃないか。

 考え出すと、キリが無い。探しに行こうかと思い始めたところで、

 「おーい、△△ー!」

 待ち焦がれた声が聞こえた。思わず振り向くと、待ち焦がれたその人が、手に何かを抱えながら走ってくるのが見える。

 「…遅いぞ、探しに行こうかと思った」
 「ここ、広すぎだぜ!レミリアのとこより、デカい、ぜ、きっと…」

 肩で息をしながら、思い切り安心したように笑う魔理沙。どうやら彼女も心細かったようで、空いてる左手で△△の右手を掴んだ。

 「ところで、一緒に買出しに言ったご一行様は?」

 永琳とその伴侶、鈴仙とその想い人、アリスとその恋人、妹紅と慧音、その彼女達の同居人。ともに出かけた面子が見当たらないことを
不思議に思い尋ねると、魔理沙は服選びのとき一緒に調達したトートバックに飲み物を仕舞いながら言った。

 「ああ、なんか別の、カイサツ、って言うのか?のほうが近いからって、そのまま行ったぜ。みんなに気をつけて、って伝えてくれとさ」

 言いながら魔理沙は辺りを見渡し、ほとんどいなくなったなとつぶやいた。

 「みんな私が来る前に行ってしまうなんてひどいぜ」
 「…ほんとはそう思ってないだろ」

 分かるか?と△△を見上げた魔理沙の顔は、心の底から湧き出たような笑みで。

 「こうやって気兼ねなく、△△にぎゅーってできるからな」

 そのまま彼の背中に手を回し、言葉通りに抱きつく魔理沙。家路を急いだり、会社に戻る途中の人の「うわあこのバカップル」
「妬ましいわ」「見せ付けてくれるじゃないの」「ウツダシノウ。オレンジノデンシャ二トビコンデシノウ」という生暖かい視線を
苦笑いで受けながら、できれば気兼ねてほしいななんて思いながらもやめさせるつもりは全く無く、そんな魔理沙の綺麗な髪を、
さらりと撫でた。

 「私が●●の隣よ。そういう運命なの」
 「だめー!●●と私が一緒なの!そんな運命なんて壊しちゃうから!お姉様は咲夜と美鈴と三人で座ればいいじゃない!」
 「ふ、二人とも落ち着いて…」
 「いけませんお嬢様、妹様、下賎な人間と相席など。ここは私、十六夜咲夜が、しっかりと●●と愛を深め…じゃなかった、
 監視のために同席します!」
 「わ、私も隣がいいなー、なんて…」
 「「「な ん か 言 っ た ?」」」
 「な、なんでもないですぅぅぅ」
 「いつまでやっているのかしら…」
 「ホントですね、パチュリー様。その点私達は三人で仲良く座ればいいですもんね」
 「…チッ」
 「?何か言いました?」
 「…何も」
 「ほらパチュリー、行儀悪いからキャリーバッグの上に座って本読まない!」
 「そうですよパチュリー様。☆☆さんの言うとおりです」
 「むきゅー…」

 何か後ろが騒がしいが、魔理沙も△△も他人のフリをした。後ろを顧みることは決してせずに、それぞれ旅行鞄とトートバッグを掴むと、
二人もまた、改札に向けて歩き出した。

 「なあ、△△」
 「どうした、魔理沙」

 繋いでいた手を解かれて、どうしたんだと思った瞬間、左腕がぎゅうっと、暖かい感触に包まれる。顔を向けると、魔理沙が左腕に抱きついて、
思わずドキリとするような笑顔で。

 「いっぱい、楽しい思い出、作るんだぜ!」

 そんな顔されて断れるはずも、断るつもりも毛頭持ち合わせていない。△△も照れたように笑みを返して、頷いた。

 騒がしい方向に駅員と鉄道警察隊の警察官が走っていく姿を視界の端に捉えたが、そんなことはすぐあちこち珍しそうに見回しながら、
いろいろ聞いてくる魔理沙とのやりとりに上書きされて、忘却の彼方に飛ばされてしまった。
 というか飛ばした。



──────


 「本日はJR東日本、寝台特急──」

 車掌の声がスピーカー越しに、少しくぐもって響いている。

 「ふう、ギリギリだったぜ」
 「あちこち寄り道しすぎたな」

 魔理沙と△△は、顔を見合わせて笑った。

 「見るもの全部初めてだからな。ついついはしゃいじまったぜ」

 シーツが敷かれ、二人文の浴衣と毛布、掛け布団が用意されて、きちんとベッドメイクされたその上に、魔理沙はバタリと仰向けに
倒れた。流れるブロンドの髪が、さらりと白の上に広がる。

 「あのぬいぐるみ、もう少しで取れそうだったんだけどな」
 「あのゲームはなかなか取れないように出来てるんだよ」
 「なあ、最後の日にもう一回チャレンジしてもいいか?」
 「金と時間が、残ってたらな」

 上野の駅に向かったはいいが、時間まで結構余裕があったため、二人は駅の周りで軽くデートを楽しむことにした。

 山手線の車窓に浮かぶ夜の東京に「すごい…ほんとにすごいぜ。こんな景色見たこと無い!」と呆然と立ち尽くしたり、
ホームに降りた後も、5分と置かず次々やってきては人の群れを吐き出しては飲み込んで去っていく電車を彼女がおもしろそうに
見ていたり、初めに立ち寄ったゲームセンターでは、魔理沙がぬいぐるみのつまったクレーンゲームをひどく気に入り、
野口さんがお一人いなくなるまでにのめり込み、財政危機が迫っていると判断した△△が筐体にしがみつく魔理沙を無理矢理引き剥がしたり、
近くのファーストフード店で初めてハンバーガーに挑戦した魔理沙が、「食べづらいけどなかなか旨い!」と顔を綻ばせたり、
雑貨屋やアクセサリーショップを巡る度に「べ、別に欲しいとか思ってるわけじゃないんだぜ!」と強がりながらも羨ましそうな
顔で商品を見回す魔理沙に、「あとでこっそりプレゼントしてあげよう」と心の内で決意しているうちに、あっという間に時間が過ぎてしまい。

 生涯ここまで一生懸命走ったことはないんじゃないかというほどの勢いで二人は走り続け、ベルが鳴る13番ホームから青い客車に文字通り、
飛び乗った。列車はどうも二人を待ってくれていたようで、乗り込んだとほぼ同時に扉が閉まり、今に至る。

 「駆け込み乗車はするものじゃないな」

 △△が苦笑していると、隣で寝転がる魔理沙がなんの気なしに聞いてきた。

 「なあ、これに乗れなかったらどうなってたんだ?」
 「…明日の朝まで野宿、だったかもしれない」
 「間に合ってよかったぜ…」

 ホッとしながら、もう一回笑う魔理沙。本当にそうだなと答えてから、△△は窓のカーテンを開く。

 「…外の世界って、こんなにすごいんだな」

 窓の向こうには、夜を迎えて尚活動し続ける、東京の街並みが流れていく。煌々とその色や形を変えながら輝くネオン。天界にまで続いて
いるんじゃないかと思うほどに高い建物にも余すところ無く明かりが灯っている。高速道路に並ぶ車の列が赤々と連なり、隣やその向こうの
線路を走る長い電車にもぎっしりと、人の形が見て取れた。

 「△△は、こんなところで暮らしてたんだな…」
 「まあ、俺が住んでた所はもっと田舎で、街もぜんぜん小さいけどな」

 不意に車窓が途切れた。どうやらトンネルか何かに入ったらしく、風を切る音が響く。

 「…どうした?」

 声音に何かに怯えるような、少し震えた響きを感じて振り返ると、魔理沙が微笑んでいた。
 だけどそれは、どこか寂しげで。
 その唇が、弱々しく動く。

 「やっぱり、帰りたいか?」
 「何言って──」
 「だって、悲しそうに、外見てるから」

 不意に開けた車窓。止んだ風切り音。

 『次は、大宮です──』

 部屋に響く、車掌のアナウンス。

 魔理沙が気づいたときには、△△はその小さな体に覆いかぶさり、抱きしめていた。

 「△、△?」
 「確かに、懐かしいなって思ってたことは認める。1年も幻想郷で暮らしてないのにな」

 だけどな、と呟いて、心なしか腕に力を込めた△△。その声が、吐息と共に魔理沙の耳に染み込んでいく。

 「俺が今帰る場所は、お前の傍だよ、魔理沙」
 「△、△…」
 「別にこっちの世界が嫌になったとか、そんなんじゃない。ただ、魔理沙の隣がいいんだ、俺は」

 列車がブレーキをかけたのか、部屋が軽く揺れた。流れる景色が徐々に遅くなって、駅の構内を照らす白い光が、窓から差し込む
頃には、魔理沙の腕が△△の背に回され、離すまいときつく抱きついていた。

 「わたしも、だぜ」
 「魔理沙…」
 「私の場所は、これからもずっと、お前の隣だ。絶対、絶対に譲らないからな」
 「望むところだ」
 「お前がこっちに戻りたいって言ったら、意地でもついて行くからな。魔法店も全部引き払って、こっちで魔法使いになってやるぜ」
 「今のとこは考えてねえよ」
 「でも、明日お前の親御さんに何か言われたら、分からないだろ?」

 その時、△△の体が、わずかに、ほんの僅かにぴくりと跳ねたように魔理沙は感じた。それきり言葉を発しなくなった彼に不審を抱き、
 声を掛けようすると、それを制して△△が口を開いた。

 「明日、明日まで何も、聞かないでくれないか」

 弱々しい呟きが、魔理沙の耳にかかる。

 「それも含めて、明日、全部話すから」

 それ、というのが一体何を指すのか、魔理沙はよく分からなかった。だが、自分がどうすればいいのかは、分かっていた。

 「分かった。何も聞かないぜ」

 あやす様に、優しい声で△△の背中を撫でながら、魔理沙はゆっくりと言葉を紡いだ。

 「その代わり、待ってるからな。お前が話してくれるのを」
 「ああ。…ありがとう」

 ゆっくりと離れていく△△の顔は、まだどこか寂しそうで、それを見た魔理沙の心が締め付けられたが、少なくとも声はいつもの
調子を取り戻しており、それが僅かな救いだった。

 「…魔理沙の体を堪能してたら、喉渇いたな。飲み物もらうぞ」
 「言い方がやらしいぜ…ってお、おい!」

 魔理沙の静止は間に合わず、トートバックからペットボトルの紅茶を探し当てると、蓋を捻り開け、ぐいっと喉に流し込んだ△△。
それを見てわずかに曇る魔理沙の顔。寝転がっていた上体を起こし、ぶーぶーと抗議の声を上げた。

 「…それ、私のだぜ」
 「知ってる」
 「私も喉、渇いてるんだぜ」
 「知ってる。だから、こうする」

 顔を上にしてもう一度紅茶を口に注ぎ込んだ△△は、そのまま顔を魔理沙に近づけて──

 「ちょ、ちょっと!なにっく、んん、んく…」

 重ねられた二人の唇。△△のそれを通って、魔理沙の口に少しづつ注がれる、ひどく甘くて、ひどく香る紅茶。最初は驚いていた
魔理沙だったが、次第に積極性を増し、彼女の舌が彼の口に僅かに残ったストレートティの残滓を舐め取るように嬲った。

 「うまかったか、紅茶」
 「…甘いな。甘くて癖になりそうだ」
 「そいつは困ったな」
 「困ったぜ。だから、こうする」

 今度は魔理沙が紅茶を口にすると、△△に口付ける。両腕で首を抱き、離れないようにしっかり抱きとめて、紅茶をゆっくり流し込む。
それが飲み干されると、今度は互いの口の中を味わうように、舌が絡み合う。

 「っは…、本当だ、確かに甘いな」
 「だろ?」
 「これは、癖になってもしょうがない」
 「全くだぜ」

 どちらとも無くベッドに倒れ、横になって見つめ合い、照れた笑いを浮かべる二人を邪魔するものは、この個室にはなくて。

 そんな甘い時間を乗せて、夜行列車は遥か北を目指し、大宮の駅を滑り出す。夜を抜け、朝を駆け、日が高く上る頃には着くだろう。
 ただ惜しむらくは──

 カーテン全開で、ホーム上の帰宅客に全て丸見えであったことだ。まあ気にせずに、というか気づかないまま、口付けを再開した二人には
 些細なことなのだろう。



────


 『ご乗車、ありがとうございました。あお──』

 朝の喧騒が一段落した北の終着駅は、秋晴れの穏やかな日差しに包まれていた。
 夜行列車から降りた人々は、乗り換えのため、駅を出るため、ホームの階段を登っていく。

 「だいぶ人が少ないな。昨日とは大違いだぜ」
 「住んでる人の数からして違いすぎるんだから、しょうがないだろ」

 その中に、二人の姿があった。
 旅行用のバッグを手に、東口と書かれた案内板の方へ歩を進める△△と、いつもの白黒エプロンドレス姿──ではない、
 「普通の」魔法使い、霧雨 魔理沙。

 「なあ」
 「どうした?忘れ物か?」

 いつもの有り余るくらいの溌剌さは鳴りを潜め。
 自分の姿をあちこち見回し、縮こまった声で魔理沙は、傍らを歩く△△を向いた。

 「や、やっぱ、私の格好、変なのか?」
 「急に何を……」
 「な、なんか、周りの視線が、な」

 すれ違う人、追い越す人、追い越される人、座る人。その幾人かが二人を一瞥したり、振り返ったりしている。人だかりやひそひそと
話し込まれるほどではないが、少なくとも周りに溶け込んでいるとは言えそうに無い。
 頬を僅かに赤くして、恥ずかしそうに縮む魔理沙を△△は振り返った。

 「そんなに変な服を選んだつもりはないんだけどな…」

 幻想郷から旅立つ前に、香霖堂にて二人で──主に△△が──選んだ服を、魔理沙は身に纏っている。といっても、彼も自身がお洒落なほうでは
ないと自覚しているので、書籍の棚に何冊か並んでいた女性ファッション誌などを参考、というかまんま手本にした結果であるが。
 ヒールの若干高いパンプスにオーバーニー、短めのスカートとファージャケット。魔理沙自身の希望で、暗めの色を基調としているためか、
華美な印象は無く、むしろ地味な感じさえする。
 しかし魔理沙は綺麗だから、何着ても映えるな、と考えが飛びそうになったところで、思い至った。

 「ああ、そういうことか」
 「何がだぜ……?」

 恋人繋ぎした△△の左手を、魔理沙の右手がぎゅっと握る。これ言ったらどんな顔するかなと心の中でにんまりとしながら、△△は顔を寄せて、
そっと耳打ちした。

 「……魔理沙がかわいすぎるから、みんな注目してるんだよ」

 わずかな間、呆けた顔をする魔理沙。やがてその頬は急に赤みを増して、俯きながらそっぽを向いた。

 「ば、ばか。そ、そんなこと、ま、真顔で、言うなよぅ……」

 してやったりとニヤニヤ顔でそれを見つめる△△であったが、心の内では割と本気でそう思っていた。
 染めたような不自然さが全く無い、本当に綺麗なブロンドに、どちらかといえば綺麗というより可愛さに針が振れたような顔立ち。
最近はテレビなど見られるはずもないのでよく分からないが、タレントやアイドルにもここまでの容姿はいない気がする。そんな魔理沙が
、衆目を集めるのも致し方ない。彼氏補正が多分に入っている分析だが、何が悪いのか。
 彼は心の中で一人、開き直っていた。



 「で、これに乗って、どこ行くんだ?」
 物珍しそうに車内を見回しながら、無邪気な魔法使いは好奇心に満ちた視線を、隣席から向けてくる。
 「お前のご希望通りだよ」
 「私の……?」
 「俺の両親に、挨拶したいんだろう?」
 「…あ」

 改札を抜けた二人が向かったのは、バス乗り場であった。
 幸いなことに、バスはさほど待たずに来たので、今は二人でバスに揺られているところである。平日の昼間ということもあり、
乗客はまばらだ。

 「こ、こんな格好で、だ、大丈夫なのか?」
 「心配しすぎだ」
 「で、でも、こんなに、スカートとか、み、短いし」

 腿をすり合わせながら、魔理沙はスカートの裾をつかんで、ぎゅっと伸ばした。いつものエプロンドレスよりかなり短いそれは、
白い太腿を露にし、いわゆる絶対領域を作り出していた。

 「大丈夫だよ」
 「そ、それに、わ、私、こ、言葉だって、ら、乱暴だし」

 わずかでも自覚はあるらしい。
 恥じらいの止まらない彼女の頭を、△△はぐしゃぐしゃと撫でてやった。

 「心配するなって。大丈夫、魔理沙は普段どおりにしてればいいんだから」
 「ほ、本当、か?」

 すがるように見上げた魔理沙は、また心を締め付けられるような感覚に襲われた。

 ──また、だ。また──

 頭に手を置いたままの△△は、魔理沙のほうを見ずに、ただ、車窓を眺めている。

 ──そんなに、悲しい顔、しないでくれよ──

 できることなら、聞きたい。なぜそんな顔で外を眺めるのか、吐き出させてやりたい。
 でも、それはできない。約束、したのだから。△△が自分で、全て話してくれるその時まで、待つと決めたのだから。

 だから。

 「……」

 頭に置かれた手を下ろして、魔理沙はその腕を抱きしめると、ただ無言で、彼の左肩に頭を預けた。

 『次は──』

 エンジンの音だけが静かに響く車内に、女性の合成音声が次の停留所を告げる。

 「そろそろだな。魔理沙、降りるぞ」
 「え、あ、ああ」

 急に掛けられた声にドギマギしながら、抱きしめた腕を放し、足元のトートバッグを掴む魔理沙の横で、△△は「降りる」の
ボタンを押した。ブザーが短く響き、車内全ての降車知らせボタンが、赤く灯る。
 外を見るといつの間にか街を離れていたようで、建物の背丈も低くなっていた。その代わり金色の水田や、畑、高い杉の木など、
幻想郷でも見られるような光景が広がり始めている。

 『霊園です。お忘れ物無いようにお降りください』

 ゆっくりとバスは速度を落とし、完全に止まった。同時に前のドアが空気の抜ける音と共に開いた。運転手のアナウンスが聞こえると、
△△は魔理沙を促して、席を立つ。

 「先に降りててくれ。料金払ってるから」
 「ああ、分かった」

 いつもは履かない高いヒールに軽くよろめきながら、二段のステップを下り、アスファルトの硬い感触と、風の肌寒さを感じ、足元を見ていた
頭を上げて──

 「え、これ……」

 目の前に広がる荒涼とした光景に、魔法使いは言葉を失う。

 四角い石碑が、整然と並んでいた。
 大きさは多少の差はあれど、大体同じようだった。どれも台座は大きくとられ、両脇に花束が飾られたものもある。それが細い通路にそって、
かなり奥まで並んでいた。
 これは、幻想郷でも見受けられる。

 これは──墓だ。

 さすがにこれほどの数を幻想郷で見たことは無いが、僅かに違いはあれど、それはまさしく、墓石の連なり。

 死した者への、手向けの証。

 「こっちだ」

 気づくと、△△が傍らに立っていた。バスは彼を降ろすと扉を閉め、排気ガスを吐き出して去っていく。その煙たさに顔をゆがめた
魔理沙だったが、彼が歩き出したので、あわててついていく。隣で歩きながらいろいろ聞きたいが、背中が全てを拒絶しているように
感じられて、ただ△△のすぐ後ろを、無言で歩いていった。
 ほどなくして、目の前に一軒の店の前に出た。

 「ちょっと買い物してくるから、ここで待っててくれ」
 「……ああ」

 店の方へ歩いていく彼の背中を、魔理沙はだまって眺めていた。
 どこからか、鳶の鳴き声が聞こえる。風が時折そよぎ、側に植えられた銀杏の枝を揺らす。雲はほとんどない秋晴れで、その空の青さが
どこか悲しげに見えるのは、ここが墓所だからだろうか。
 やがて、買い物を終えたらしい彼が、手招きしているのが見えた。自分が一人取り残されたような感覚を振り払って、慣れない靴も気にせず、
急いで彼の元へと向かう。
 手に花束を持って、△△は佇んでいた。その花束は菊を中心としたもので。

 すでに亡き者へ向けたものであることが、魔理沙には分かった。

 この光景を目の当たりにしたときから、予感はあった。
 そして今、それは確信になった。

 △△の両親は、もう──

 「ここだよ」

 どれだけの時間が経ったかは分からないが、少しは歩いたはずだ。墓石の間の通路を半ばまで歩いたところで、△△は立ち止まった。
 その前には周囲のものより一回り小さい、灰色の墓標があった。

 「俺が幻想郷に迷い込む、少し前にな。事故で、逝っちまったんだ」

 魔理沙は、ただ立ち尽くすことしかできなくて。ぽつりぽつりと言葉を漏らす彼の、蔭の落ちた顔を、何も言わずに見ていた。

 「最後に交わした言葉が、嫁さんの顔が早く見たい、でな。まあ、親父の口癖みたいなものだったんだが──」

 何かを堪えるように、△△は空を見上げ、言葉を紡ごうとして、

 「何で、言ってくれなかったんだよ」
 「……魔理沙」

 震える魔理沙の声に、遮られた。

 「何で黙ってたんだよ!言ってくれなきゃ、わからない、じゃない、か…」

 その目じりに、涙を浮かべて。

 「私、馬鹿じゃないか。何にも考えないで、お前の両親に会わせろって」
 「…悪い」
 「なんで△△が、謝るんだよ…悪いのは」
 「俺だ。家族の話につらそうにしてたお前に変な気回して、結局言いそびれた俺のせいだ」

 魔理沙が家族から半ば勘当のような扱いを受けていることを、△△は知っていた。だからこそ彼はなるべく家族の話はしなかったし、
 彼女もまた、積極的に聞いてくることは無かった。

 「だから、泣かないでくれ」

 嗚咽を漏らす目の前の少女を、△△はだまって抱きとめる。片手を頭に回し、風に吹かれてさわさわと揺れる金糸の髪を梳くように撫でながら。
 諭すように優しくあやす目の前の青年に、魔理沙は縋る。その胸に顔をうずめて、彼の上着を少し濡らして。

 二人の間を、秋風が通り抜けていく。



 どれくらい、そうしていたのか。

 「落ち着いたか?」
 「ああ」

 △△の問いに、魔理沙は顔を上げた。涙の跡ははっきりしていたが、少しは晴れたようで、弱々しい笑顔で、見上げていた。

 「じゃ、親父とお袋に、挨拶してくれないか。ちょっとばかし遅かったが、ようやく親父の心配を、掃けそうだしな」
 「…分かった」

 二人連れ立って、墓の前に並ぶ。

 「親父、お袋、紹介するよ。俺の大切な──」
 「霧雨、魔理沙です」

 言いながら、軽く頭を下げる魔理沙。

 「仕事は、魔法使いです。家事の類は、それなりにこなせます」
 「部屋は片付けられないけどな」
 「あれは片付けられないんじゃなくて、一時的に置いてるだけだぜ」
 「それを片付けられないっていうんだよ」
 「なにをぅ!?」

 はは、と笑った△△の顔は、いつもの調子を取り戻し。

 「この人にこうやっていじめられながら、毎日過ごしています」
 「仮にも親への挨拶でひどい言い草だなお前」
 「同棲生活の事実を伝えてるだけだぜ」

 朗らかに笑う魔理沙の顔も、いつものものに戻っていた。

 「…花束、貸してくれないか」
 「ほら」

 花束を受け取ると、少しかがんで墓前に供えた魔理沙は、両手を合わせて、軽く目を閉じる。

 ──どうか、この人と一緒になることを、許してください。

 そんな願いを、乗せながら。

 「というわけだから」
 「きゃ!」

 きゅうに抱き寄せられ、彼女は思わず声を上げた。

 「俺、こいつと一緒に生きていくことにしたんだ。だから、心配しないでくれ」

 そういって△△は、墓石に笑顔を向けた。

 「まあ、なかなか顔も見せられないだろうけど、孫の顔は見せに来るから、さ」
 「ま、孫って…」

 とたんに赤くなる魔理沙の頬は、風に舞う紅葉の葉のようで。

 「…嫌か?」

 意地悪な笑みで、魔理沙の顔を覗き込む△△に。

 「そんなわけ、ないだろっ!」

 頭上の太陽のような笑みで、魔理沙はぎゅっと抱きついた。

 「……行くか」
 「…うん」

 向き直った二人の手は、しっかり握り締められて。

 「また、来るから」
 「また、来ますね」

 別れの言葉を、墓前に残して。
 魔理沙と△△は、バス停へ、歩き始める。



 そんな二人を優しく送り出すように、冷たくも寒さを感じさせない風が、ふわりと舞って通り過ぎた。


最終更新:2011年03月27日 22:29