大妖精5
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新ろだ2-274
まだ日の昇りきらない早朝の幻想郷、野を駆け森を抜け湖の畔を通り抜け、僕は一軒の家を目指して走る。
目指す家にて僕を待つのは、緑の艶やかな髪に青いワンピ、そして大きな羽の可憐な女の子。
時に元気よく、時に御淑やかに、悪戯好きで真面目な君、大妖精こと大ちゃん。いや、大ちゃんこと大妖精だった。
今日は嬉しい楽しい七夕祭り。大ちゃんと一緒に天の川へ願い事ができる素敵な一日。
僕の右手には振動に揺られて音を放つ手頃な大きさの竹の木。今日を大ちゃんと一緒に楽しむのに欠かせない大切な重要アイテム。
別段急がなくてもよいのだけれども、気持ちが抑えきれなくて、ついつい速足になってしまう。
長い距離も走る事に熱中してるとあっという間で、目的の想い人の自宅前に到着。
ひとまず大きく嵩張る笹の木を隅の方に置き、はやる気持ちを落ち着けようと深呼吸。
……でも落ち着ける事ができなくて、僕は目の前の扉を軽くノックした。
「はい、どなたですか」
「大ちゃん! 僕だよ、約束通りきたよ」
「あ、待ってて! 今開ける!」
扉の向こうの声の主は少しあわてた様子で応対し、迫る軽快な足音が声の主の逸る気持ちを主張していた。
ガチャリ、とドアは音を立てて開き、中から現れたのは可愛らしい顔形にヘアピンで止めたポニテがよく似合う、
妖精の中では一際背丈が高く落ち着いた物腰の、でも一番女の子してる女の子、大ちゃんこと大妖精の姿。
「いらっしゃい○○君!」
「こんにちは……いやまだおはよう、かな? おはよう大ちゃん」
僕の姿を生で確認し挨拶する大ちゃんに僕もあいさつで返す。
ちょっと息苦しい、やはりその時の感情に任せて猛疾走すると体に堪えるようだ。
そんな様子をみて大ちゃんは。
「大丈夫? 息、苦しそうだけど」
「うん、大丈夫。ちょっと猛ダッシュした後で疲れているだけ」
「そんなに急がなくてもよかったのに……」
「大ちゃんに、どうしても早く会いたかったからね」
「ふふっ、嬉しいっ! 本当に朝早くから来てくれたんだね」
「約束だからね……大ちゃんのためなら四六時中たとえ火の中水の中ですよ、へへっ」
と僕は胸を張り鼻の下を指で擦った。
今日の約束というのは七夕を一緒に過ごしてお願い事をする……
……のは当然のことながら、せっかくだから僕たちで笹の木の飾り付けからしようというお話。
大ちゃんと一緒に物を作る楽しさ、一緒に願い事をして過ごすことができる嬉しさにこの数日間ワクワクが止まらなかった。
「大ちゃんこそ朝早くから来て迷惑してない?」
「そんな、迷惑だなんて……○○君が来てくれるんだもん。私はいつだって準備は出来てるよ」
大ちゃんもとても楽しみに待っていてくれたようでなにより。楽しい一日になるといいなぁ。
「ねねっ! 早くお家の中に入って!」
「おっとその前に……ほら大ちゃんこれ、笹の木」
と、僕は脇に寄せておいた笹の木を取りだし自慢げに見せる。
「わぁ……凄く大きな笹の木だね……○○君が切ってきたの?」
何の変哲のない笹の木に対しても大ちゃんは目を大きく見開いて歓喜の表情を見せる。
感情の起伏の激しいのはやはり彼女も妖精である故か、はたまたこれも愛の力か。
「うん、いっぱい大ちゃんと飾りをつけて、いっぱいお願い事出来るようにってね……
……ちょっと二人で飾るには大きすぎたかな?」
「ううん! これぐらい大きければいっぱい○○君とお飾り出来るね!
チルノちゃんにも見せてあげたかったなぁ……」
いつも大ちゃんと一緒の湖上の氷精ことチルノ嬢は人間の青年とこれまた彼女の冷却スピードを上回る勢いでお熱な様で、
朝早くから七夕を満喫せんがために逢引へと向かったそうな……
「ははっ……彼女は彼女で楽しんでる事だろうね……さてこの笹、早速立てちゃう?」
「えっ!? もう立てちゃうの?」
「今日は雨降らなさそうだし風も弱いからね。置いておいても邪魔なだけだし、立てちゃうね」
と家前の適当な場所に笹の木を突き立ててゆく。
あわよくば土を掘り起こす必要もあるかと思っていたのだが、程良い柔らかさのおかげで突き刺しただけで笹の木は直立した。
ぎゅっとつかみながら猛疾走してきただけに少し笹の葉の形崩れが気になるが後々整えていけばいいかな。
「えへへ……やっぱり大きいね……○○君と飾り付けするの、楽しみだなぁ」
「そんなに大ちゃんに喜んでもらえると僕も嬉しいよ。僕も楽しみ、大ちゃんと飾り付けして、御願い事書くのが」
「うん、さ、入って○○君!」
と、素敵な笑顔で僕を家の中へと招き入れる大ちゃん。誘われるまま、靴を脱ぎ、家の中へと足を入れる。
目の前に広がるのは、質素ながらもやはりどこか女の子している大ちゃんの部屋。
そして漂う甘い香り。大ちゃんの匂い。大ちゃんの生活空間というだけでこれほどにまで外の空気と違うものなのだろうか。
一先ず僕は、全力疾走したおかげで疲労が蓄積した体の行きつくままに、
適当に体を休める事の出来そうな背もたれに腰掛ける。
すると……
「疲れたでしょ? お茶、注いできたよ」
と大ちゃんがコップに氷を入れた麦茶を2つ持って台所からやってきた。
離れていても視認できる程にガラス容器に結露した水滴が、その麦茶が程良く冷やされている事を物語る。
「はい、どうぞ。○○君」
「うん、ありがとう。ごめん、ちょっと休ませて……なにしろ猛疾走して来たからもう体がクタクタなんだ」
と、息を切らし、呼吸のたびに肩を揺らし、背もたれに体を預けて僕は言う。
安静することによってより強くなってゆく胸の鼓動。胸の悲鳴。
止まれ、止まれと胸の鼓動に念じるものの、僕の意に反してその鼓動はさらに強く速くなってゆく。
「ふふっ、本当に走ってきたのね。そんなに待ち切れなかったの?」
だらしなく、恥じらいも忘れ、疲れを見せる僕の顔を覗き込んで、
可憐な少女は驚き、そして少し心配そうながらも、どこか嬉しそうに僕に語りかける。
「何といっても大ちゃんとの七夕だからね。凄く、すごく楽しみにしてた……。こんな僕は、子供っぽくて嫌いかな?」
「ううん、そんなことない。私も凄く楽しみにしてたよ、○○君との七夕祭り……」
屈託のない笑顔でそんな事を言われると少しドキッとする。
さっきから心臓の鼓動が止まらないのは激しい運動の後だから? それとも……
また少し、胸の鼓動が激しくなった気がする。それなのに嫌な息苦しさは、不思議と薄れゆく。
「うん、そんなこと言われたら、疲れている暇なんて無くなっちゃうね……麦茶……ありがたく頂くね」
疲れ切った体を起こし、氷の入ったそのグラスを掴む。冷たい。とても冷たくて気持ちいい。
まず両手から体へ涼を取り入れる。そして口から、喉から、体の内から、
この火照りきった体を冷やさんがために、一気にコップを傾けて冷えた麦茶を体内に取り込む。
キンキンに冷えた麦茶が喉を潤し、体の内から疾走後の火照りを癒していく。
ただの麦茶じゃない。大ちゃんが入れてくれた麦茶。だからちょっと甘い。体の疲れなんてすぐに吹き飛んじゃう。
まるで体の疲れ切った筋肉が、お茶の中の小さな大ちゃんに直に癒されているような、そんな心地よさ。
「んくっ……ぷはぁっ……ふぅ、生き返ったよ」
「もう一杯持ってこようか?」
「いんや、大丈夫。大ちゃんの麦茶パワーでこの通り」
と僕は腕を振って見せたり、屈伸運動して見せたり、から元気だけど。
「ふふっ、そんなに、無理して体を動かさなくてもいいのに」
「いやいや本当に無理なんてしてないよ。大ちゃんの愛の力のおかげだよ」
「あ……うん、そう言われると……ちょっと恥ずかしい……でも嬉しい」
顔を真っ赤にしながらも頬笑みを返してくれる大ちゃん。その素敵な笑顔がまた、僕の元気となる。
「さ、それじゃあ早速飾りを作る作業に取り掛かかろうか、大ちゃん」
「う、うん。○○君と一緒に……世界で一つだけの笹を作るの……えへへ、楽しみだなぁ」」
背負ってきたナップサックから僕は何枚もの色紙とはさみを二つ取り出す。
「それで、七夕飾りってどんなのを作ればいいの?」
「えーと、まぁ代表的なのは吹き流し、網飾り、くずかご、ちょうちん、あと千羽鶴なんかもいいね。
ほれ、里で集めた資料に作り方が載ってた」
「わぁ……」
手渡した七夕飾りについての資料を見て目を輝かせる大ちゃん。
そんな好奇心旺盛な一面を見ると、いつも大人しい、そして時として僕よりも大人っぽい大ちゃんも
やっぱり妖精の子なんだなぁと思わされる
と、同時に僕自身も偶にはこんな風に童心に帰ってみるのもいいもんだなぁなんて。
「意外と簡単に出来る物なのね」
「ワクワクしてきた? 早速作ってみようか」
「うん、やってみるっ!」
はさみを手に取り、色紙を目的の形に切ってゆく大ちゃん。
その作業をずっと見ていたいのだけれども、彼女だけにやらせては意味がないので、僕も鋏を片手に作業に入る。
一先ず僕は、はさみ捌きが難しそうなくずかご型網飾りに挑戦。ゴミを片付けることから清潔さの象徴だとか。
なんでも飾り作りで生まれる紙くずを入れるための物だとか。よく考えられたものだ。
「くぅ……ふぅっ! はさみとか使うの……何年振りだろっ……」
何しろ幻想郷では事務作業とはあまり縁がないし、普段からこういった素敵な趣味を持ち合わせているわけでもない。
何より僕はかなり手先が不器用だ。こうして挑戦心だけが空回りしてゆく。とても楽しいのだが。
「ふっ……よっしゃ、一つ出来た。ちょっと網目がいびつだけれど
「ふふふ……」
そんな僕を見つめて目の前の可憐な君は、決して手を休めることなく僕に微笑みかけるのだった。
「○○君、とても楽しそう!」
「ん? 物を作るのは好きなつもりなんだよ。ただ手が思う様に動いてくれなくてね……こんなことしたの、幼少期以来」
「物作るのって楽しいもんね!」
そう言っている間にも大ちゃんはまた一つ吹き流しを完成させる。
幾分簡単とはいえどもそのひらひらの一枚一枚が程良い太さで、すっとまっすぐに伸びていて、そして作業が早い。
なんとなく想像が付いていたけれど大ちゃんはなかなかに手先が器用なご様子。
「~♪~~♪~~♪~」
「大ちゃんも本当に楽しんでるみたいだね」
「うん! 私も物作るの大好きなの」
「もしかして大ちゃんって今までにもこういう経験って今までにもあったの?」
「えっと……チルノちゃんとよく工作したりしてるよ?
でもチルノちゃんはすぐ飽きちゃうから……私が作って、チルノちゃんがそれで遊ぶ事が多いかな」
「なるほど……」
なるほど、チルノ嬢は家に篭って工作するよりは外で暴れまわるタイプなのか。
「しかし……うーむ、負けてる……」
僕も負けじとちょうちんの作成に入るが、いかんせん切りこみがまばらな上に作業が遅い。
やはりはさみというものは使っていないと本当に使えなくなるものだ。
まぁ、はさみの大きさを大ちゃんサイズに統一してしまったというのもあるが。
ちらっと横目で大ちゃんの作品の出来を見るたびに、僕はたちまち劣等感に襲われてゆく。
「せめてはさみを使わないのがあれば……あるじゃんっ! 千羽鶴!」
「えっ! あ、うん。私鶴さんの折り方知らないから……」
「任せて……折り鶴なら指が記憶している」
と僕は一枚の折り紙を取りだし、指が勝手に動くままに任せる。
折り目をつけ、開き、たたみ、めくり、つぶし、持ち上げ、倒し、曲げる。
全ての作業を指先が、そして頭でも覚えている。記憶のままに、ルーチンのままにたちまち1匹の鶴が折り込まれていく。
ちらっと大ちゃんの方を見てみると、はさみを持つ手を止めて僕が鶴を次々に折り込んでゆく様を、まじまじとみつめる大ちゃん。
心の中でガッツポーズをしつつも指先と、そして徐々に鮮明になってゆく脳内の記憶に集中する。
5羽、6羽、7羽……色とりどりの鶴がテーブルの上に並べられてゆく。8羽、9羽、10羽……どれ、一休み。
「わぁ……凄いねっ! ○○君! こんな特技があったんだ……」
と大ちゃんは目を輝かせて驚嘆する。なんだか勝った気分。
いや、別に競ってなんかいないけれど、でも大ちゃんが喜ぶのを見るのは大好き。
「へへっ、まぁ特技という程のもんでもないけどね。折り鶴は結構折っていたから得意なんだ」
「えへへ、うん、私も頑張るね!」
再びはさみを手に色紙を切り始める大ちゃん。僕も再び折り鶴に専念。
1000羽……は流石に無理なので、とりあえず10羽の束をあと4本作ればいいかな。
そしたらやっぱり悔しいので再びはさみを手に天の川網飾りに挑戦しよう。
そんなことこんなこと考えつつ時間は次第に過ぎてゆき……
「よいしょっと、大ちゃんどう? 僕の作った天の川、最初のころより良くなってるかな?」
と僕は会心の出来の網飾りを見せる。ようやくはさみ捌きにも少し自信が持てるようになってきた所だ。
やはり何とかとはさみは使いようとはよく言うが、そのなんとかの僕でもはさみが使いこなせる様になるものだ。
「うんっ……私のより細かい仕上がりなんじゃない?」
「いやそんな事はないよ……でも褒めてくれてありがとう大ちゃん」
「どういたしまして……所で私の鶴さん……どうかな?」
と、おずおずと10羽の鶴を見せる大ちゃん。
折り方を知りたいって言われたので教えてみてついでに10羽分任せてみたのだ。
「どれどれ……うぉっ! これ凄いね! 大ちゃんこそ僕なんかよりずっとずっと丁寧に折れてる」
裏地の白い部分がはみ出た個所が一つもなく、不自然に皺が出来た場所もなく、
ビシッと折り込まれたそれは、僕の経験則とは違う、大ちゃん本来の器用さから来る丁寧さと、
好奇心から来る知識技術の吸収率の高さがうかがえる。
「すごいすごいっ! 僕の鶴なんかよりもずっと綺麗っ!」
「そ、そんなこと……えへへ……ありがとう……」
僕と大ちゃん、互いの自信作をテーブルの上に置く。
と、もはやテーブルの上は全て色とりどりの七夕飾りで埋め尽くされこれ以上置けるスペースがなくなってしまった。
「ふぅ……こんなもんでいいかな……うんっ、立派な笹の木になるね」
『ぐぅぅぅ~~』
「ぁ……」
突然僕のお腹が鳴る。あれまもう正午過ぎ。時がたつのは早いものだ。実に。
大好きな人と、楽しい事を、一生懸命にやるとこうも早く時が立つものなのだなぁ……としみじみ。
「○○君……お腹すいてる?」
「いや僕はっ……すすすすいてないよっ! うんっ! お腹なんて鳴らしてない」
「本当に~?」
と疑いの目を僕に向ける大ちゃん。いや別にお腹がすくのはいいことだけれど、
お腹まで鳴ってしまうというのは恥ずかしいし。
「だ、大ちゃんこそお腹すいたんじゃないのかな?」
「わ、私は別にっ『ぐぅぅぅ~~』 ぁ……」
大ちゃんも必死に否定しようとするがやはりお腹がすいていたみたいで。
恥ずかしさの為か、大ちゃんは顔を紅くしてそのままうつむいてしまった。
「え~っと大ちゃん……その……ごめん」
「……あはは……お互い様だね……お昼にしよっか?」
「うん、時間もちょうどいいし、お昼御飯にしよう」
七夕飾りの、傑作の数々を大きな袋にまとめて僕たちは台所へと移動した。
「えーと、お料理も○○君と二人でするの?」
期待の眼差しを僕に向けて尋ねる大ちゃん。すっかり僕と一緒に何かを作る喜びをしめてしまったらしい。
以前大ちゃんに御馳走してもらった事があったけれどとても美味しかった。
やっぱり大ちゃんは器用かもしれない。それともこれまた愛の力?
「うん、一緒に作ろうね」
「えへへ……嬉しいっ! ねねっ、何作るの?」
「今日は折角だからほれっ、七夕そうめんにしようか」
目を輝かせて僕に詰め寄る大ちゃんにサックから白、黄色、緑の三色のそうめんを取りだしてみせる。
簡単に出来がって、お手頃な価格で、でも色とりどりで風情もある。七夕そうめん考えた人は偉い。
「うん! 私そうめん大好きっ!」
「ちょっと冷蔵庫失礼するね……よいしょっと」
冷蔵庫を開けて、色とりどりの物はないか調べる。
「卵と……シソと……カニカマ……あと長ネギ。うん、素敵な七夕そうめんが作れるね。大ちゃん。使ってもいい?」
「うん! ○○君に使って欲しいな……」
卵、しそ、カニカマ、長ネギを取りだし台所の上に並べる。さぁ楽しい調理を始めよう。
手を良く洗って綺麗にする。水が冷たい。でも胸は温かい。大ちゃんの隣だから、ぽかぽかする。
「えっと、大ちゃんには厚焼き卵を作ってもらいたいな。大ちゃんの作る厚焼き卵とても美味しいんだよね」
「わかったっ! ○○君の大好きな厚焼き卵頑張って作るねっ!」
「僕はそうめんを茹でるのと、薬味の千切りと、あとだしを作るかな」
水を鍋に注ぎお湯を沸かす。その間、長ネギを千切りにしてしまおう。
「~♪~~♪~」
鼻歌が耳に入ったのでふと大ちゃんの方をみると、何とも手際よく卵の殻を御椀に開けてゆく大ちゃんの姿。
休むことなく塩、砂糖、出汁を、一切計量することなく、且つ的確に御椀に入れて素早くかき混ぜる。
やっぱり大ちゃんは器用だ。いや、僕が卵割り苦手なのもあるけれど。それにしてもなかなかの芸当。
それになんといっても驚愕すべき事は、僕の好みの味付けを完璧に覚えられてしまったという事だ。
それが天性の器用さ、丁寧さ、徹底さだけでない、それまでに僕が大ちゃんに愛されていると思うと胸が熱くなる。
僕なんか軽量カップがあっても思った通りの味を作り出すことができないというのに。
「○○君……長ネギの千切り速いね」
「向こうでも幻想郷でも料理屋でよく働いたからね……でも僕の腕なんてまだ全然だよ?」
「ううん、凄いよ! 私そんなに速く千切り出来ないもん」
「大ちゃんがそう言ってくれると……うん、凄く嬉しいよ! ありがとう大ちゃん。僕も厚焼き卵、期待してるからね」
「任せてっ!」
と改めて袖を捲って見せる大ちゃん。もともと謙虚な彼女がこうして自信満々に何かに取り組もうというのも珍しい。
それだけに、最大限の実力を余すことなく振わんとする大ちゃんをみると、それほどにまで僕が愛されている事に気づかされて、
とても嬉しい、幸せな気分になれる。つくづくこうして七夕を過ごす事が出来て本当に良かった。
さて、お湯が沸き上がった様なのでサっとそうめんを鍋に入れる。さてどのくらい茹でようか。
「固めと柔らかめどっちがお好み?」
「そうめんはコシがあるのがいいなぁ」
「ラジャー」
僕もカップラーメンは3分の所を1分で開ける派だ。関係ないね、うん。
大ちゃんはアルデンテ――そうめんにこの言葉を使っても良いのだろうか?――がお好みの様なので、
サッと入れてサっと茹でる。さえ箸で硬さを確かめて引き上げる。一本味見、うん丁度いい。
白がすんだら今度は黄色、その次は緑と次々に茹でる。
「それじゃあ私も厚焼き卵を焼くね」
と大ちゃんが隣に立つ。近い、邪魔にならないように気をつけなくちゃ。
四角いフライパンに溶き卵をサッと流し込み、箸を右手に取っ手を左手に、じっと卵を見据える大ちゃん。
険しいぐらいに真剣な表情。こんな大ちゃんめったに見られない。
でもなんだか見ていてとても嬉しい気分。だって僕の為にこれほどにまで厚焼き卵にストイックになってくれるのだから。
卵が手頃に焼けてくると、箸を振りかざしあっという間に丸めこんでしまう大ちゃん。
彼女からすればなんてことはないのかもしれないけれど、オムレツ作ろうとしてスクランブルエッグになる僕からすれば、
到底真似できない匠の技に思わず声が上がってしまう。
「相変わらず凄いね。あっという間に厚焼き卵の形になっちゃった」
「○○君に美味しいって言ってもらうためだから……私頑張るよっ!」
といつもの笑顔。うん、このギャップもいい。やっぱり大ちゃんの笑顔はとても癒される。
さてさて僕もそうめんが茹であがり、ひと束ずつ氷水で冷却する。氷水はとても冷たい、手が痛くなる。
でも大ちゃんが傍に居てくれるとそんなの気にならない。暑くなってきたこの頃に美味しく頂くには冷たいそうめんが必要だ。
シソの葉を細かく刻み、だしを調整して……うん、丁度いい味。
「盛り付け……どうしようか? 大皿一つに盛り付けてだし入れた小皿に取り分ける形でいい?」
「うんっ、○○君に任せるっ!」
食器棚から何とも清涼感溢れる透明な大皿を1つ拝借し、並べるように三色のそうめんを盛り付けてゆく。
シソ、長ネギと薬味を脇に並べ反対側にはカニカマを、最後に大ちゃんの渾身の力作が挟まれる形で盛り付けられていった。
「うっし、これで完成。それじゃあ僕が大皿を持っていくから大ちゃんはだし二つお願い」
「うんっ! えへへ……美味しそうっ!」
先程まで作業机だったテーブルに大皿一つと小皿二つ、そして麦茶の注がれたコップが並べられる。
「ふふっ……なんだか豪華だね」
と目を輝かせて言う大ちゃん。一つ一つの品、付け合わせは質素ながらなかなか大ちゃんの言う通りだと思う。
色合いが鮮やかなのも理由のうちだが、やはり二人の愛情が込められているのは大きい。
なにより二人で調理するのは楽しい。楽しんで作った料理は美味しい。
「それじゃあいただきますしようか、大ちゃん」
「うんっ、いただきます!」
「いただきますっ!」
宣言後、真っ先に僕の箸は大ちゃんの作ってくれた厚焼き卵に食らいつく。大ちゃんの作ってくれた厚焼き卵っ!!
そのままお口へひょいっと。うん、やっぱり美味しい。程良い甘さ、舌に馴染む塩加減、しっかり聞いてるだしの旨味。
あっという間に咀嚼されて僕の胃の内へと収められる大ちゃんの厚焼き卵。大ちゃんの作ってくれた厚焼き卵っ!!
そしてがっつく僕をみて微笑む大ちゃん。
「ふふふっ、そんなにがっつかなくてもいいのに」
「うん。見苦しいとこ見せて申し訳ない。しかし僕の舌が、体が、大ちゃんの作ってくれた厚焼き卵の味を記憶してるので」
「あはっ♪ しょうがない子ね……じゃあ私が○○君のお口に厚焼き卵を運んであげちゃう♪」
「えっ?」
今、なんと! 厚焼き卵を……運ぶ? ……はこぶ? ……ハ コ ブ ?
脳内緊急停止中の僕を尻目に自信作を箸に取り、そして僕の目の前にまで持って行き、
僕の何処かへ飛んだ意識を取り戻すべくか、はたまたその欲望を焦らすべくか、暫く目の前で箸を泳がせ……
「はい、あーん♪」
と彼女はのたまったのであった。
「ん~? どうしたの? 早くお口あけないと厚焼き卵さん逃げちゃうよ~?」
「……はっ……はひっ……あ、あーん……」
とっさに脳内運転を再開し、口を開ける。顎が外れるくらい、最大限。
するとまるで僕の心のうちの欲望に吸い寄せられるかの如く、するすると厚焼き卵は僕の口腔内へと収められていく。
「はい、ぱくーんっ♪」
「ん……ぱくん」
箸の先端ごと厚焼き卵はお口の中へ。箸の先端ごと! 大ちゃんが使った箸!! 大ちゃんが使う箸!!! 関節キス!!!!
そしてお口の中に広がる、先程とは比べ物にならない、尋常じゃないくらいの甘さを持った厚焼き卵の味。
しかし嫌な甘さじゃない。大ちゃんの作ってくれた厚焼き卵っ!! 否っ! 大ちゃんが食べさせてくれた厚焼き卵っ!!!!
するりと箸が抜ける。箸と僕の口との間に銀色の橋がかかる。なんてことだっ! 大ちゃんの橋を僕の唾液で汚してしまったっ!!
あぁお拭きください大妖精様っ! いえ、私目がお拭きしましょうっ! えっ、ちょ、その箸何処へ運ぼうとアッー!
「んふ♪ ○○君の味ー♪」
その箸を口に含む大ちゃん。そしてこの台詞である。反則です……。
僕が使った箸っ!! を口に入れるなんて、なんというひとなんだろう……妖精だけど。
「ねぇねぇ……今度は○○君に……食べさせて欲しいなっ!」
「ええっ!? 僕が……大ちゃんに? 食べさせる?」
「そう、○○君が私に甘えさせられるだけなんて……不公平だよね?」
大ちゃんはいつも恥ずかしがり屋さんだけどたまに吹っ切れると大胆になる所が僕は好きです。
そして大人のお姉さんの様に僕を甘えさせてくれる所も、無邪気な子供の様に甘えてくれる所も大好きです。
「うん、じゃあカニカマ……食べさせてあげるね。はい、あーん……」
「あーん♪」
カニカマを箸に取り大ちゃんの目の前まで持っていくとその小さな口を精一杯広げる大ちゃん。つくづく反則。
そしてまるで僕の意思とは無関係に、吸い寄せられるようにしてカニカマを掴んだ箸は大ちゃんのお口の中へと収められていく。
「ん、ぱくっ♪ むふ……」
口を閉じ、しっかりと箸ごと咥えこむ大ちゃん。カニカマを咀嚼しているのだろうが、どうみても箸に唾液をすりこんでいる。
僕が使った箸っ! 大ちゃんが使った箸っ!! 僕と大ちゃんの唾液が付着した箸っ!!! 関節キス!!!!
おそるおそる箸を大ちゃんの口から抜こうとすると以外にもするりと抜ける。そして透明な糸がするりと架かる。
「うん、カニカマ甘くて美味しいっ! 食べさせ合うのっていいね」
「うん、素敵だね……」
「ほらほら○○君もお箸止めてないでじゃんじゃん食べちゃいなよ」
「うん、いただきます……」
箸をめんつゆに入れかけて……止める。横目でちらっと。大ちゃんの凄い笑顔。怖いくらいに凄い笑顔。
これ以上手を先に動かそうと思ってもその眼力に封じられて動かせない。大ちゃんが許してくれない。
もはや退路はない。大ちゃんのご期待にお応えして箸を自分の口に持って行き、拭う。
甘い、何も付着してない筈なのに、カニカマとも厚焼き卵とも違う得体のしれない甘さ。でもやっぱり嫌な甘さじゃない。
「ふふっ……関節キスだ♪」
「そうだね……うん……凄く、甘いよ……」
大ちゃんと関節キスっ!! 出来た嬉しさと、大ちゃんと関節キスっ!! してしまった恥ずかしさが拮抗して、
僅かに恥ずかしさが勝るようでは自分もまだまだだと思った。もっと抵抗なくイチャつけるスキルを習得したいものである。
そんな僕を尻目に大ちゃんはそうめんを啜り続ける。
「うん、そうめん美味しいっ! 程良い硬さだね」
「本当? よかった大ちゃんに気に入ってもらえて」
どれ、僕もそうめんを一口。うん、確かに美味しい。我ながらナイスな茹で時間だ。大ちゃんにも喜んでもらえて本当に良かった。
「やっぱり○○君と一緒に作って、○○君と一緒に食べると美味しいなぁ……」
「うん、大ちゃんの愛をいっぱい感じるよ」
「そ、そんなぁ……私が作ったの厚焼き卵だけだよ?」
「でも大ちゃんは僕を愛するようにこの料理も愛して作ってくれたから……
……だからこの七夕そうめん全体からとても大ちゃんの愛を感じるんだ」
「そ、そう? えへへ、嬉しいなぁ……」
全体的に、そう長ネギでさえも、仄かに甘い。甘酸っぱい。大ちゃんの味。僕の味。二人の味。
箸は進む。薬味をそうめんに絡めて、口に運ぶ。カニカマ、厚焼き卵がひとつ、またひとつと消えてゆく。
他愛もない言葉を交わし、頬笑みを交わして、楽しい食事のときはあっという間に過ぎ去ってゆく。
『ごちそうさまでしたぁ』
僕と大ちゃん二人ほぼ同時にそうめんを平らげ、目の前には空になった器だけが残る。
「よし、お皿洗いだ。大ちゃんの分も洗おうか?」
そう尋ねると、首を横に振ってこたえる大ちゃん。
「私も、一緒に洗う! ○○君と一緒がいいの」
「うん、一緒にお皿洗いしようか」
お皿を台所へ運び、一先ず流しの上へ置く。食器同士が振動でぶつかり合う心地の良い音が鳴る。
大ちゃんと隣り合っての皿洗い。いっぱい綺麗にしようね。
スポンジに洗剤を含ませ、軽くお皿に水を通してゴシゴシ擦る。
「そうめんだからあんまり汚れてないね」
「そうだね、油汚れとかもないし……これならすぐに終わるね」
「うん、でもちょっと残念……」
楽しそうな表情を見せながらも何処か不満げにそう呟いた大ちゃん。
「どうして?」
「○○君と一緒に皿洗いするの、とても楽しいの。だから、もっと長い間お皿洗い出来たらなって」
「別にお皿洗いにこだわらんでも……でも大ちゃんとお皿洗いするのが楽しいってのは僕も同感」
「本当?」
振り向き、嬉しそうな表情で僕の目を覗き込みつつ、大ちゃんは皿洗いを続ける。
「要は一緒に何かをする事が楽しいんだな。うん。七夕飾りづくりも、お料理も、お皿洗いも、みんなそう。
大ちゃんと一緒になにか、そう本当にちっぽけな事でも大ちゃんと一緒になにかができるって凄く楽しいよ」
「えへへ……」
僕の傍らにいる少女は本当に無邪気に笑う。そんな天使の微笑みの様な大ちゃんの表情が僕は好きだ。
そんな大ちゃんの為なら僕はどんな事でもいい、もっともっといろんな事を一緒にやってあげたい、そんな気持ちになれる。
成程僕ももっともっと皿洗いが続いて欲しくなってきたぞ。でも当然洗わなければならないお皿はどんどん減ってゆくわけで。
というよりも減らないとやっぱり困るわけで、そんなわけで結局最後のひと皿に付着した洗剤を濯ぎ落としてしまった。
「さ、あとは水を切るだけだね、此処に立てかけておくね」
「うん、これも……ありがとう。終わっちゃったね、皿洗い」
大ちゃんからも皿を受け取り、水切りに立てかける。これにて皿洗い終了。
少し複雑そうな大ちゃんの表情。なんとかしなければ。
「そう残念そうな顔しない。皿洗い以外にも二人でできる楽しい事は、もっともーっといっぱいあるんだから」
「う、うん。そうだよね」
「それに、何かが終わって何もしないでいる時間ってとても大切だよ?」
「えっ?」
僕の言葉に対して不思議そうに振り向く大ちゃん。
「何もしない、何もすることがない時間。それはね大ちゃん、これから何をするか、二人で決める事ができる時間だよ」
「えっ……」
「二人で何かをするのはとても楽しい。そしてこれから何をするかを考えるのはもっと楽しい。
そして自分たちで考えた事を実行するのはもっともっと楽しいね」
「う、うん! 私! ○○君と色んな事考えたいっ!」
純粋な笑顔を僕に投げかけ、そして抱きついてくる大ちゃん。
ドキッとする。柔らかい感触。細い腕。そして無邪気な、でもどこか大人びた笑顔。
揺れる髪の毛。漂う甘い香り。白い肌。薄紅の頬。大きな瞳。優しい温もり。
僕は大ちゃんに触れ、触れられるたびに大ちゃんを構成する全ての要素一つ一つが僕を、心から魂から癒してしまう。
「OK、OK。とりあえず居間に戻ろうか」
一先ず、そのまま僕の胸に顔を埋めんとする大ちゃんを制し、先程までいた居間への移動を促す。
夜まで時間はいっぱいある。腰を落ち着けてお話するのがいいだろう。
居間に戻り先程までいた背もたれに腰を下ろす。
「よいしょ……といけない。つい年寄りくさい事を……
いっぱい飾りを作っていっぱいそうめんも作っていっぱい食べたら少し疲れがきちゃったかな?」
「うん、私も、ちょっと休憩に……その……」
「ん? どうしたの大ちゃん?」
「えっと……その……」
ほんのり顔を紅潮させて、僕の目を覗き込み、でも恥ずかしくなって視線をそらし、やっぱり覗き込み……
「隣……座ってもいいかな?」
と不安げに言うのだった。そう恥ずかしがる事かな……と思いかけてやめた。
大ちゃんが横に座る……座る……横に……大ちゃんが……大ちゃんが横に座る。
確かに改めて想起してみるととても恥ずかしい。意外と隣り合って座るって今までしてこなかったんだなぁ。
僕は少し横にずれて丁度妖精一人が座れるスペースを作り、手のひらでそこを叩いて見せ……
「おいで、大ちゃん」
と彼女を誘って見せる。
大ちゃんはやっぱり恥ずかしい様で、おぼつかない足取りで僕の隣にそっと腰を下ろす。
大ちゃんが腰を下ろした事によりソファーの歪が増える。ソファー越しに伝わる大ちゃんの重み。
それはとてもとてもとても軽いのだろうけれど、でもそこにはしっかりと重みがある。
僕の服と擦れ合う、ふんわりとした大ちゃんのワンピの感触。
恥ずかしさの為か、暫く顔を伏せていたが、やがて僕の顔を見据えると優しく微笑んで見せるのだった。
「えへへ……今日、こうして隣り合って座るのは初めてだね……」
そう言えばそうだ。作業中はずっと向かい合って座っていたし、食事中もそうだった。
大ちゃんに指摘されると急に意識してしまう。意識しだすともう恥ずかしいが止まらない。
顔が熱い。熱く火照る。大ちゃんにばれちゃうかな……
「ねぇ○○君……」
「なぁに? 大ちゃん」
「腕……背中に回して欲しいの……」
薄紅に頬を染めながらも悪戯っぽい視線を含めて、大ちゃんは言った。
僕は何も言わず、否、羞恥に何も言えずただ右腕を大ちゃんの背中に回し、その細い体をそっと抱き寄せる。
軽く柔らかい大ちゃんの体がそっと僕の腕に体重を預ける。僕の肩にそっと大ちゃんの頭が乗っかる。
ともすればその若芽のような緑色の髪の毛が僕の横顔に触れるわけで、これがとってもくすぐったい。
くすぐったくてとても気持ちいい。さらさらした髪に僕の横顔が包まれる。ふわふわする。全身を大ちゃんに包まれたみたいに。
「夜まで……いっぱい時間があるね」
耳元でそっと囁かれる。声を発すると同時に微かに吹き出る吐息がくすぐったい。でもなぜか心が落ち着く。
超至近距離で大ちゃんの言葉が聴ける事に、とても幸せを、安心を感じる。
体を委ねられているのは僕なのに、まるで大ちゃんに心を魂ごと預けてしまいたくなるような、そんな心地よさ。
「それまで……どうする?」
なおも少女は悪戯っぽく囁く。尋ねているのではない、確認しているかのように。
「ずっと……こうしていたいな……」
だから僕も素直な気持ちを大ちゃんに返す。こうしていたい。大ちゃんの温もりを感触を味わっていたい。
「うん。私もずっとこうしていたい」
そう言って僕の体に両手でしがみ付く大ちゃん。ぎゅっと抱きしめられる。まるで僕の感触を存在を確かめるかのように。
僕が傍に居る事を、確認するように、ぺたぺたと大ちゃんの両手が僕の体に触れる。
「う…ん……○○君の……いい匂い……」
「そ、そんな匂いするのか?」
「うん、私の好きな○○君の……私の大好きな匂い……」
いい匂いとか言いいながら顔を埋めて匂いを嗅ぐ仕草を取られると僕としてもかなり恥ずかしいわけだが。
それでも僕の意思なぞお構いなしに僕の胸に顔を埋める大ちゃん。
するとその髪の毛が揺れるわけで、ともすれば僕の鼻孔に甘い香りが漂う。
今日初めて部屋に入ったときに感じた大ちゃんの匂い。暫くいる所為か鼻が慣れてしまったけれど、もっと強く刺激する匂い。
「大ちゃんの匂いも……いい香りがするよ?」
「え? 私の……匂い?」
「そう。僕の大好きな大ちゃんの僕の大好きな匂い。
シャンプーのような、乳香のような、あまい果物の様な……良く口では言えないけれど……
そう大ちゃんの匂い、大ちゃんらしい匂いがする」
と言って僕は大ちゃんの髪の毛を一房、手にすくい取り、目を軽く瞑って鼻を近づけてみる。
「あっ……」
僕の行動に驚きの表情を見せるも、心地よいのか鼻音を鳴らして身を任せる大ちゃん。
意識して呼吸をしなくとも、その新緑萌ゆる森林の様な色をした大ちゃんの御髪を掻き分けるたびに、
大ちゃんの、女の子の香り、妖精さんの香りが鼻を突きぬけ、肺に侵入して、やがては全身をめぐる。
その香りをもっと感じていたくて、その香りをもっと楽しみたくて、
僕はもっともっと大ちゃんの御髪を梳いていく。優しく、丹念に。
さらさらした大ちゃんの天使の髪の毛が僕の指と指の間をスッと通り抜ける。
決して引っかかることなく、サラサラした髪の毛は僕の手櫛を通り抜けて揺れる。揺れて新たな香りを生み出す。
我を時を忘れて大ちゃんの御髪の全てを味わう僕。そんな僕の意識を大ちゃんの声が呼び戻す。
「ん…んぅ…はぁ……ん……」
「ん? ごめん大ちゃん……痛かった? というか髪の毛いじりすぎだよね……ごめん」
「いいの、私○○君に髪の毛触ってもらえて、凄く嬉しいから……
それよりも私は……○○君に頭を撫でて欲しい…な……」
「頭……? ナデナデ……?」
「うん……頭、撫でて?」
僕は大ちゃんを仰向けに寝かせ、左手でその頭をしっかりと支える。頭に血が上らないように、首が疲れないように。
目と目が合う。僕に微笑む大ちゃん。とても可愛い。とても愛しい。そしてちょっぴり恥ずかしい。
額から髪の毛を掻き分けて撫でてあげようか。それとも頭頂から撫でおろしてあげようか。
うん、今のままの髪の毛がいい。今のままが、一番大ちゃんらしい。上から撫でおろしてあげる。
「んっ……んふ」
手を触れた週間、僅かに体を揺らし小さく声を上げる大ちゃん。ちょっと吃驚しちゃった?
でもすぐに僕に笑顔を向ける。催促の視線。ドキリとする。早くして……だって。
可愛いご要望にお応えしてゆっくりと頭を撫でおろす。そっと優しくなでる。全身の溢れんばかりの愛情を手のひらに集中する。
「ふふっ……○○君……なんだか嬉しそうだね」
「うん……大ちゃんの頭なでるのとても嬉しいよ。大ちゃんはどうかな?」
「うん、○○君に頭を撫でてもらうの……とても落ち着いて……とても気持ちよくて……胸がポカポカするの」
目を潤ませて僕に微笑みかけながら頭撫でを享受する大ちゃん。
胸がポカポカする……ってそう言われると僕までなんだか胸が温かく、ぽかぽかしてきた。
ポカポカ……温かい、熱い……どきどき……とまらない。
大ちゃんが僕に笑いかけるたびに心臓の鼓動の勢いは増していくばかり。あぁ、僕はこんなにも大ちゃんが好きなんだ。
だからこんなにも心臓のドキドキが止まらなくて、頭なでなでも止まらなくて……
もっと大ちゃんの感触を味わいたくて、そっと頬に手を添える。
「んぅ! …ふぅん……」
びくっと体を痙攣させる大ちゃん。僕はあわてて手を引っ込める。
「ごめん、嫌だった?」
「ううん……ちょっと驚いただけ……いいよ? ほっぺたもナデナデして……むしろ○○君に……してほしいな……」
「うん……撫でるね……」
そっと、傷つけないように優しく頬に手を触れる。
「柔らかい……大ちゃんのほっぺたとても柔らかい」
「えへへ……○○君の手、温かいね……手のひらで、包み込んで欲しいな……」
「ん……こう?」
手のひらをめいいっぱい広げて、大ちゃんの頬に覆いかぶせる。
手のひら全体で大ちゃんの頬の温もりを、柔らかさを、弾力を感じとる。
そっと手のひらを動かしてみたり、指を動かしてみたり、大ちゃんの頬の全てを楽しむ。
「うん……○○君の手……とても優しい」
「大ちゃんの目がとろんってしてるね……」
寝ぼけ眼の大ちゃん。眠くなってきちゃったかな?
もし僕の手のひらが気持ち良くて、安心できるくらいに気持ち良くて、それで眠くなっちゃったのならうれしいなぁ。
「う…んぅ……眠く……眠くなってきちゃった」
「いいよ……夜までまだ時間があるし……ずっと見ていてあげるから……寝入ってしまってもいいよ」
「うん……眠たい……○○君……好き……○…○君……ずっと…見てい…て……」
「おやすみ……大ちゃん」
僕に喉元を撫であげられながら大ちゃんはそっと目を閉じる。
暫くして聞こえる、安らかな寝息の音。寝ちゃった。可愛い。
僕もなんだか眠たくなっちゃった。でもずっと見ていてって言われたし、どうしよう。
ウトウト、ウトウト、眠気に誘われる。もしかして大ちゃんが誘ってる?
そう言えば昨日は夜まで笹探しに興じていたし、朝は興奮で早起きしちゃったからなぁ……。
ごめんね大ちゃん……せめて顔だけでも大ちゃんの方を向いた…ま…ま……
「起きて……○○君起きて!」
「はぅっ!」
「おはよ♪ ○○君♪」
「あ……うん、おはよう……ごめん寝ちゃっ…て?」
大ちゃんに呼び起されて目を覚ます、と目の前には大ちゃんの姿が。
と、それはいい。だがどうにもアングルがおかしい。確か僕は大ちゃんを膝の上に寝かせて手で頭を支えたまま眠りに就いたはず。
しかし上を見上げれば天井、照明、そして逆光がかかった大ちゃんのなんだか嬉しそうな笑顔。
そして頭には何とも形容しがたい柔らかい感触。
「膝…枕……?」
「ふふっ、○○君ってば私が目を覚ました時まで私が眠っちゃったときと同じ姿勢で寝ていたのに
私が頭を起こした瞬間に横に倒れちゃったんだもの。びっくりしちゃった。」
「あ……うん、それで膝枕を? ……あぐぐっ! 首が痛いっ」
顔を起こそうとすると突然首に鈍痛が走る。
「大丈夫? あんな無理な姿勢で眠るからだよ?」
「ははは……大ちゃんにずっと見ていてって言われたからね」
「あ……うん、嬉しいな……」
「でもごめん。眠っちゃったら約束果たせてないよね……ごめん」
「ふふふ……それっ!」
「……っ……んぅ!」
僕が謝ると、突然不敵な笑みを浮かべ、そして手のひらを僕の頬へと添える大ちゃん。
そう、先程僕がしたように。ただしその手は小さく、白く、そしてとても優しい。
小さい分僕の頬にぴったりと張り付きジャストフィットする。円を掻く様に頬を撫でられる。
「いいの、別に。おかげで○○君の寝顔をいっぱい見れたし、こうやってなでなでも出来たんだから」
「え、あ……うん。大ちゃんが起きてから何分ぐらい立った?」
「うーん、30分くらいかな? ○○君とても可愛い寝顔だね、ついつい起こすの忘れちゃった」
「は、恥ずかしい事言うね……大ちゃんは」
そんなこと言われたら、また胸が頬が熱くなってしまう。
頬がどんどん火照っていく。大ちゃんに感ずかれまいとしても、手のひらを添えられた状態では無理というもの。
意識しだすとどんどん体中が熱くなっていく。気のせいかもしれないけれど、大ちゃんがどんどん嬉しそうな顔になってゆく。
……こんなことしてる場合じゃないな。もうそろそろ天の川が見えるころだ。
「よしっ……起きるか」
「ふふっ、だーめ♪」
「あ、ちょっとっ!」
置き上がろうとする僕の眉間に指を突き立て、再び膝もとへと押し倒す大ちゃん。
「まだ時間は大丈夫だよね? もうちょっとだけナデナデさせて?」
「も、もうちょっと?」
「うん! ○○君だけ私をナデナデするのは不公平だよね?」
「いや僕30分も撫でてない……」
「それは○○君が眠っていたからノーカン……だよ? それとも○○君は……私にナデナデされるのは……嫌い?」
「嫌じゃ……ないよ。むしろ嬉しい……かな? でも、やっぱり……あーもうっ! 好きにしやがれー!」
「うん、可愛い♪ いっぱい撫でてあげるね……」
あーもう凄く嬉しそうな顔だな。でもそんな大ちゃんの嬉しそうな顔……好きだな……。
「ふふっ、柔らかい♪」
僕の頬を両手で包み込み指を1本ずつ押してみたり、回してみたり、つまんで引っ張ってみたりとやりたい放題な大ちゃん。
大ちゃんの好きな形に僕の頬は変形を繰り返す。ただでさえ火照った頬に、大ちゃんの手のひらから熱が注がれる。
「○○君……とても気持ち良さそうな顔してる」
「ん? うん。気持ちいいけど……かなり恥ずかしいよこれ」
「ふふっ、がまんがまん。頭もナデナデしてあげるね」
完全に大ちゃんのなすがままにされる僕。とても恥ずかしい。でもこういうのも悪くない。
だってこんなにも楽しそうな大ちゃんを間近で見る事が出来るのだから。
そしてとても気持ちが良い。 頭の下には大ちゃんの膝、後ろにはお腹、横は手のひら、上には顔。
大ちゃんに包まれてる。大ちゃんの温もりに、香りに、優しさに愛に包まれてる。至福の一時。
「♪~♪~~」
「凄く楽しんでるね大ちゃん」
「うん、とても楽しいの! こうして○○君とこんなにも近い距離で見つめ合って、
○○君のお顔を頭をいっぱいさわさわ出来て……○○君がこんなにも安心して私に頭を預けてくれて……
とても楽しい、とても嬉しい、とても……幸せ……」
「そっかー。僕も幸せだよ。大ちゃんにこんなにも見てもらえて、慕ってもらえて、愛してもらえて……
そして大ちゃんが幸せって言ってくれるのが一番の幸せかな……」
「えへへ……じゃあ私は○○君が幸せって言ってくれたからもっと幸せ」
「それなら僕は大ちゃんがもっと幸せって言ってくれたからもっともっと幸せ」
「それなら私は…「それなら僕は…
幾度か張りあった後、僕と大ちゃんは再び静かに微笑み合う。心の中を愛情でいっぱいにして。溢れないように器を大きくして。
つくづく思う。七夕っていいものだな、七夕をエンジョイできて本当によかった。
いや、違う。大ちゃんと恋人になれて、大ちゃんと七夕をエンジョイ出来て本当によかった。
さぁ、七夕も最終段階だ。メインイベントが残っていた。
「大ちゃん、そろそろ満足した?」
「うん! とても満足したよ。○○君ごちそうさま……ふふっ」
と妖艶な笑みを浮かべ、僕の頭を解放する。うむ、大ちゃんパワーのおかげで首こりも消えているぞ。
頭を起こして立ち上がる。窓の外を見ると、すっかり日は沈み家の中からでも数多の星々が確認できる。
僕たちの自信作である七夕飾りの数々と、短冊と、筆ペンを持って、僕たちは外へ駆けだす。
外で僕たちを出迎えるは、そよ風に煽られながら穏やかにしなやかに揺れる笹の木。
「おぉ、よくぞ立っていてくれた! さぁ大ちゃん、飾り付けを始めようか」
「うんっ! 私達のお飾りで素敵な笹の木になるねっ!」
飾りを入れておいた袋から一つ一つ取り出してはタコ糸をつかって笹に括りつけていく。
低い所は大ちゃんが、高い所は僕が、本当に高い所は大ちゃんに飛んでもらってつけてもらった。
長らく幻想郷にいると見慣れてしまうのだが、やはり大ちゃんが宙を自由に舞う姿は幻想的で映えるものがある。
数多くあった網飾り、吹き流し、ちょうちん、そして折り鶴は次々と飾り入れの袋から消え、笹へと取りつけられる。
「よっしゃ、これで飾りは全部だな」
「わぁ……綺麗だね」
「あぁ、作り過ぎちゃったかなと思ったけれど笹が大きくて助かったね」
「ふふっ……本当に完成したんだ……」
「いやいやまだ“完成”、じゃないな」
「えっ?」
「ほら、こいつなくして七夕はないだろう」
と短冊を取りだす。
「うん、願いごと……だね」
「はい筆ペン。なんでも願い事は知られないように書くのが習わしらしいから後ろ向きに書こうか」
と一本筆ペンを渡し、すぐさま後ろを向く。
僕の描く事は……うん! これしかないね。『大ちゃんと一緒に暮らせますように』っと
僕が書き終えると、そこには笑顔で僕が書き終えるのを待ってくれた大ちゃん。
僕自身相当早く決心したつもりだけれど、それよりも早いなんて。
てっきりこういうものは女の子の方が時間をかけてゆっくり思案する物だと思っていたけれど。
うん、よっぽど切実な、日々日ごろから胸に秘めた願いなんだな。『大ちゃんの願い事が叶いますように』にすればよかったかな?
「さぁ取りつけようか、大ちゃん」
「うん! これでようやく完成するんだね……」
大ちゃんは再び宙を舞い上の方へ、僕はちょうど真ん中ぐらいの高さに短冊を取りつける。
まぁお互いの短冊を見ようと思えばいくらでも見れるのだけれど、それも無粋な気がするので見ないでおこう。
さぁ取り付けも終了。後は大ちゃんと天の川をエンジョイするだけだ。
「おーい! 大ちゃーん! ○○っー!」
「あっ! チルノちゃんだ! チルノちゃーん!」
視線の彼方からやってきたのは、湖上の氷精ことチルノ嬢。逢引の帰りだろうか?
「大ちゃん! 何やってるの?」
「短冊に願い事を書いて笹の木に取り付けるんだよ」
「へぇ……面白そうねっ! あたいにもやらせ『おーいチルノー! 待ってくれ―!』」
と後から現れたのは人間の青年。成程、チルノ嬢のお相手さんかな? ともすれば逢引途中か。
青年はこちらまで走ってきては息を切らし、僕に尋ねる。
「はぁ……はぁ……すみません、チルノが迷惑かけてないですか?」
「あ、大丈夫ですよ。というか息大丈夫ですか?」
「えぇ、これも好きでやってる事なんで……はぁ……ふぅ」
結構ヤバげだが本当に大丈夫なんだろうか? 真に往生してもらいたいものである。
そして青年の服の裾を引っ張るチルノ嬢。
「ねぇねぇ私達も願掛けしようよ!」
「いや、人様の所に迷惑かけるのは良くない」
と案じるチルノ嬢のお相手さんに、
「あ、僕らの事はお気になさらず。というか2人で使うには笹の木が大きいので良ければ貴方がたも書いていかれては」
「さいですか? それじゃあお言葉に甘えて。はい、チルノ。短冊と筆」
「えへへ~」
二枚の短冊と筆ペンを手渡すと、旦那(チルノ嬢のお相手さん。なんか風貌がそんな感じだった)は快く受け取り、
1セットをチルノ嬢に手渡す。チルノ嬢はさることながら、旦那の方もなんだか嬉しそうだ。まぁ当然か。
恋人と一緒に星に願いをする一年に一度の日が嬉しくない人なんていないよな。
「あんたは願い事何にするの?」
「ん? 僕は『チルノと一緒に居られますように』ってね。チルノは?」
「あたいも一緒だよ!」
「あらあら、チルノちゃんったらあんな簡単に願い事教えちゃって」
「なに、あの二人なら七夕の力なんて借りずとも叶えられるだろうさ」
「そうかな……うんっ、そうだよねっ」
「それじゃあ取り付けようか」
「あたいあんたと一緒に一番上がいい!」
「そうか? んじゃそうしようか」
「えへへ……取り付けてくるね!」
おう、手に届く位置に置いたのは僕だけか。いやだからどうというわけではないが。
チルノ嬢は短冊を旦那から受け取り笹に取り付けるために飛んでゆく。うん、ほほえましい光景だ。
「♪~♪~ん? あっ! これ大ちゃんのだっ!」
「!!? ちょっ、チルノちゃ」
「なになに……『いつまでも一緒に○○君と居られますように』?」
「……っ!」
大ちゃんの短冊をチルノ嬢が読み上げると、たちまち紅く染まっていく大ちゃんの顔。
『どうしたの?』と言わんばかりのチルノ嬢に、かなり気まずそうな旦那。
「ぅ……チルノちゃんのばかぁ……願い事が叶わなくなったらどうするのよぅ」
「大ちゃん。それは心配いらないよ」
「ふぇ?」
僕は今にも泣き出しそうな大ちゃんの背中にそっと手を置き宥める。
振り向いて不思議そうな顔をで僕を見つめる大ちゃん。
「僕たちも、彼らと同様、七夕の力なんて借りずとも叶えて見せるさ」
「で……でもっ!」
「なぁに、僕が最大限の努力をする。大ちゃんとずっと一緒に居る努力を、
だから泣きやんで? 心配はいらないから。笑ってくれる大ちゃんを見せて……」
「う……うん! 私……泣いたりなんかしないっ!」
よかったよかった。折角の七夕で大ちゃんを泣かせるのだけは何としても避けないとな。
七夕の為に恋人がいるんじゃなくて恋人の為に七夕があるんだ。持論だけど。
「で? ○○はどんな願い事書いたの?」
「いっ!?」
一段落ついた僕らに追い打ちをかけるかのごとく、チルノ嬢は僕に質問を投げかける。
「大ちゃんのだけ聴かせて○○のは教えてくれないなんて不公平じゃんかー」
「そ、それはそうかも……ねぇ○○君。私にも教えてくれないかな?」
「あ……うん、その……普通に飾ってあるから自己責任で読めばいいんじゃ……ないかな~」
「えーめんどくさいよ~。○○が直接言ってよ~」
ふむ、いままでチルノ嬢には悪戯好きながら純粋なイメージを抱いていたが、
なかなかどうして腹黒いぞ。笑っていやがる。
そして大ちゃんもまた期待を込めた視線で僕を見つめる。大ちゃんに至っては真意が読めない。もしかして楽しんでる?
そして遠くからは手を合わせて頭を下げる旦那。そんなに気にしなくてもいいのに……。
「あー……うん。コホン。1回だけ言うから良く聞いておく様に。一回だけだからね。2度はないから」
と軽く咳払いし、注意を重ね、僕は大きく深呼吸をする。心臓が鼓動する。ドキドキする。
見てる。大ちゃんが不思議そうな目で見てる。少し笑顔なのは好奇心から? それとも僕の事弄んでる?
大ちゃんの視線を意識すれば意識するほどに、想いを打ち明ける事が恥ずかしい事のように思えてくる。ためらう。
ううん。僕も男だ。『一回だけ言う』と言ってしまったからには言わなくてはいけない。意を決して口を開く……
「大ちゃん! 僕は大ちゃんと一緒に、一緒に暮らしたい!」
……言ってしまったぜ。いや別に知られちゃまずいとか知られたから嫌われるなんて話じゃないのだが、
ただただ後から響いてくるね、この恥ずかしさ。やばい、大ちゃんの顔が見れない。
顔が見れないから、情けなくも僕は項垂れて地面を見つめる。
「○○君……」
地面を見つめる僕に、上から僕の名前を投げかける大ちゃん。
足音が近付く。あれ? やっぱり僕嫌われちゃうのかな? まだ早すぎたのかな?
足音はさらに近付き、地を見据える僕の視界に大ちゃんの足が映り込む。
恐る恐る上を見上げると、首の傾きが水平45度に達したあたりから急に何らかの力にぐいっと力を持ち上げられ……
「……ん……ちゅ……」
そして気がつけば――最初に気がついた事は、僕の目と鼻の先に大ちゃんの顔があった事だ。
大ちゃんの白くて、柔らかくて、そして綺麗な大ちゃんの顔が目の前に……。
そして次に気がついたのは抱きしめられた感触。大ちゃんの両の手は僕の背中に頭に回り抱きしめる。
優しく、温かく、僕を包み込む。大ちゃんの優しさ、大ちゃんの愛で僕を、抱きしめる。
そして最後に気がついたのが、僕の唇に触れる何か柔らかく、温かい感触。
大ちゃんの唇。健康的な薄紅色の唇。ぷるんと弾力のある唇。僕の大好きな大ちゃんの、僕の大好きな唇。
軽く触れ合っているだけなのに僕の意識は、思考は、まるで温かく柔らかいパンの上に乗せられた固形バターのように、
僕の理性はじんわりと蕩け始め、そして少しずつ少しずつ大ちゃんの中へと浸透していく。
熱い、唇が熱い、唇から熱さがじんわりと広がっていく。顔全体に、上半身に、そして末端に至るまで全身に。
軽く唇同士が触れ合っているだけなのに、徐々に徐々に僕の頭は酸欠状態へと陥ってゆく。
「……んぷ……」
やがて唇がそっと離される。途端に僕の体内へ大量の酸素が入り込む。今まで吸ったことのない、すがすがしい空気。
もう僕は何も考えられない。大ちゃんの唇に思考を吸い取られてしまったから。
ただ呆然と立ち尽くし、周りの状況を、目に映り耳に聞こえる情報を客観的に評価するのみ。
今日は七夕。恋人同士で願掛けをする素敵な一日。僕と大ちゃんの大傑作である笹飾りが目に映り込む。
横には目を丸くして口を開く事の発端……もとい今回の功労者たるチルノ嬢とその旦那。
そして目の前には、ああこんなにも愛しい人、大妖精その人の御姿。今さっきまで僕に口づけしていた女の子。
彼女は微笑み、目筋から雫を落とし、慈愛の眼差しをもって僕の目を覗き込み、
そして唖然とする僕の意識を、キスの余韻で何も考えられなくなった僕の意識を引き戻すかのように口を開く。
「○○君……うれしいっ!」
と、大ちゃんは感極まった声で言い、そのまま僕の体を抱きしめ、胸元に顔を埋める。
「あっ……大ちゃん」
僕の胸元に顔を埋めたまま、大ちゃんは動かない。否、僅かに体を震えさせるのみ。
それは哀しみや怒り、不安の為ではない事はすぐ分かった。それは喜びを、嬉しさを、幸せを抑えきれない震え。
そんな大ちゃんを抱きしめ返し、頭を軽く撫でさする。幸せを増やしながら、興奮を冷まし大ちゃんのお話を聞くために。
暫くして大ちゃんは上目使いに僕を見つめる。大きな瞳に大粒の涙、嬉し涙を湛えて。そして再び口を開く。
「嬉しいよ……私も……私もずっと前から○○君と一緒に暮らしたかった。
いつか言わなきゃって思っていたけれど……でもなかなか言えなくて……
だから、○○君も私と同じ気持ちで……○○君の方から言ってくれるなんて……とても嬉しいっ!」
まぁ言う事になったのはかの氷精の仕業なのだが。
「大ちゃん……もう一度約束させて。
大ちゃんが僕とずっと一緒に居られますようにって天の川にお願いしてくれたから……
だから僕は大ちゃんとずっと一緒に居られるように最大限の努力をする。僕にさせて欲しい。
僕はずっと大ちゃんの傍に居たい。大ちゃんの傍に居させて欲しい。いいかな?」
「うんっ! 私も○○君に傍に居てもらいたい。○○君の傍に居たい。大好きな○○君の傍に……」
そう言うと再び僕の服を引っ張る様にして抱きつき、そして顔を埋める大ちゃん。
「○○君の胸……凄くドキドキしてるね」
胸に顔をうずめながら大ちゃんは囁く。
「やっぱり、言うの恥ずかしかった?」
「うん。とても恥ずかしかったけれど、でもこの胸のドキドキとは無関係かな」
「えっ? そうなの……ふふっ、じゃあなぁに? なんで○○君の胸はこんなにドキドキしてるの?」
顔を持ち上げて、純粋な疑問を投げかける好奇心と僕を弄らんとする悪戯心の混ざった視線を僕の顔に向けて尋ねる大ちゃん。
それに僕は、大ちゃんの背中を撫でさすり、月光に照らされて映える緑の髪をかきあげて応える。
「それはね、今日はとても嬉しい事があったからなんだ」
「嬉しい事? なぁに、それ? 私にも教えて」
甘えながら尋ねる大ちゃんの頬をそっと撫で、僕は続ける。
「今まで僕は大ちゃんに対して、十分すぎるほど愛を囁いてきたと思っていたんだ。
でも今日、七夕という日を大ちゃんと一緒に過ごして僕は気づかされた。
僕にはまだまだ大ちゃんに対して出来る事がある。大ちゃんと出来る事がある。
もっともっと伝えなければならない想いが沢山あるって、僕は気づく事が出来た。
だからとても嬉しいんだ。僕にはこんなにも沢山の、大ちゃんを幸せにする方法があるって、やっと分かったから」
「ふふっ! そうなんだ……」
そう言うと大ちゃんは両腕を僕の背中から離し、右手は顔へと、左手は僕の右手を取り、そしてそっと自らの胸へと導く。
「どう? 私の胸」
「柔らかい」
「そうじゃなくって!」
「嘘嘘……うん、凄くドキドキしてる、大ちゃんの胸も」
と僕が応えると少し照れるように笑い、右手で僕の頬を撫でさする。
左手は依然として僕の手を胸に押し当てたまま、軽く目を瞑り語り始める大ちゃん。
「うん、凄くドキドキしちゃってるの。さっきからずっと、○○君が来てから……
……ううん、○○君が来る前から、○○君の事を考えただけで……こんなにも胸がドキドキしちゃってる。」
僕の手のひらの中で、大ちゃんが語り続ける間もその鼓動は衰えることなく力強く打つ。
「○○君といるとどうしても恥ずかしくなっちゃうからそのせいだって思っていた。
でもそれだけじゃないんだよね。さっき○○君が言ってくれたように、嬉しいからこんなにもドキドキが強くなっちゃうの。
○○君とお飾りを作るのも、お料理作って食べて、片づけして、甘えて甘えられてこうしてお話しするのも全部嬉しい」
此処まで言い終わると大ちゃんは再び目を見開いて僕を見つめる。僕の右手を胸から離し、両手でぎゅっと掴む大ちゃん。
「だからお願いっ。ほんとの本当に……ずっと一緒、ずっとずっーといっしょだよ」
「ああっ! 何度でも約束する。大ちゃんの傍に、いつまでも一緒にいるって」
「えへへ……嬉しいっ!」
そして僕たちは再び抱擁を交わす。今度は何も語らず、視線も交わさず、ただ抱きしめ合い沈黙を保つ。
だがもう言葉はいらなかった。お互いの体に通う温もりが全てを解決してくれる力を持っていた。
長い様で短い、短い様で長い間、大ちゃんの細い体を優しく包み、大ちゃんの大きな愛に優しくつつまれて幸せな一時を過ごす。
暫く立った後、大ちゃんは僕の背中から手を離す。同時に僕もまた大ちゃんの体をそっと解放した。
「大ちゃん……天の川、見ようか」
「うん……わぁ……綺麗……」
空に映える無数の星々を見上げる僕と大ちゃん。
星に見惚れ、空にに意識が持っていかれそうになる所を引きとめるかのように、大ちゃんが腕を組んでくる。
絡み合う腕と腕、密着する体と体。先程まで抱きしめ合っていたというのに、また新鮮な感覚がする。
応えるように僕もしっかりと腕を組み直し、体同士をより密着させる。
また心臓がドキドキする。嬉しいから。大好きな大ちゃんと、一年に一度の素敵な夜空を共有できる事が嬉しいから。
今日一日で二人の距離がより近付いた事を、こうも強く実感できる事が嬉しいから。胸が強く鼓動する。
「短冊だけじゃなくてお星様にお願いしないの?」
「あ、うん。そうだね。星にもお願いしようか。大ちゃんと一緒に暮らせますように」
「○○君といつまでも一緒に居られますように……えへへ……」
星空に向かって微笑む大ちゃんに、僕はさらに続ける。
「大ちゃんの願い事が叶いますように」
「あっ……うん、○○君の願い事が叶いますように」
つくづく僕は思わされる。七夕とは本当に良い物だ。
こんなにも多くの事を恋人同士で出来て、こんなにもお互いの距離を縮める事が出来るなんて。
なにより今日一日でどれだけ多くの、大ちゃんの笑顔を見る事が出来ただろうか。
七夕は大ちゃんを幸せにしてくれた。そして大ちゃんが幸せだと僕も幸せ。だからもっと大ちゃんを幸せにしたい。
「ふふっ……チルノちゃんったら」
と星空を見上げる顔を下ろした大ちゃんが、今度は彼方先の方を指さして微笑んで見せた。
見るとそこにはチルノ嬢を肩車して猛疾走する旦那の姿が。彼、大丈夫なのだろうか?
「大ちゃんも……やって欲しいの?」
「えっ、私は……こうしてただ肩を寄せ合っているだけで十分だよ。
こうして、○○君の隣でじっとしているだけで……幸せだから……」
「そっか」
「それとも、○○君の方こそ……あんな風にしたいの?」
「うーん……いや、僕もこうして大ちゃんと一緒に居るだけで幸せだよ」
「ふふっ……一緒だね」
僕の左腕にしがみ付く様にして抱きつき、肩に頭を預ける大ちゃん。
その頭を右手でそっと撫でる。ぎゅっと僕の腕にしがみつく力が強くなる。
僕に頭を撫でられてとても気持ち良さそうに、とても嬉しそうにする大ちゃんを見て、
改めて僕は、ずっとずっと大ちゃんの傍に居る事を星に願い、誓ったのだった。
「さて、そろそろお暇しようか、チルノ」
「うん! じゃあね~大ちゃんっ! ○○っ!」
「チルノちゃんバイバイ~」
手を振って二人を見送る大ちゃんと僕。心配するまでもない事かもしれないが、二人には幸せになってもらいたいものだ。
月光に照らされて映る二人の、仲睦まじく腕を組み合ったシルエットは、どんどん小さくおぼろげになり、やがて闇へと消えた。
二人がいなくなった事により、再び辺りに静寂が訪れる。
聞こえるのは湖が静かに波打つ音。湖畔の森の木々が風に煽られて揺れる音……
……木々といえば僕たちの願いを乗せた笹の葉が揺れる音、そして胸の鼓動、大ちゃんの微かな吐息。
「チルノちゃん達……行っちゃったね」
「あぁ……幸せそうだったね……うん、僕たちも負けていられないなぁ……でもこのあとどうしようか?」
「もう予定は、ないの?」
「うん、お飾りを作って、七夕そうめんを一緒に作って、一緒に食べて、飾り付けをして、お願い事書いて、
願掛けして、すべて終了。今日は色々な事が出来てとてもよかったね」
「えへへ……ついさっき○○君が叩いたドアを開けた気がするのに……もう色んな事をしちゃったんだね」
「色々な事が大ちゃんと出来た。そしてより大ちゃんと近くなれた。僕は幸せだよ。
そして大ちゃん……大好き」
「うん……私も○○君が大好き……」
星空に見守られながら、僕たちは向かい合い、そしてじっと見つめ合った。
とても嬉しそうな大ちゃんの表情。そしてきっと僕もまた嬉しそうな表情をしているのだろう。
「とりあえず、今後の事はまた明日以降にじっくりお話しするとして、今日はどうしようか?」
「私は……○○君に泊っていって欲しいな」
少し照れくさそうにそう告げる大ちゃん。
「僕が……大ちゃんのお家に?」
「うん、もう夜も遅いし……なにより一緒に居たい、一緒に暮らしたいってお星様にお願いした後だもの」
「そうだね、それじゃあ今日は大ちゃんのお家に御世話になるよ。早速今日から大ちゃんと一緒に暮らせるなんて、嬉しいね」
「もうずっと……一緒だよ、○○く『ぐぅぅ~』 あっ……」
大ちゃんのお腹が鳴る。恥ずかしそうに顔を紅潮させ、あわてて両の手で顔を隠す大ちゃん。
そういえばもう夜も遅いというのにまだ晩御飯を食べていなかったなぁ。
「晩御飯……一緒に作ろうか」
と僕が言うと、今の恥ずかしさはどこへやら、目を輝かせて、
「うんっ! また一緒にご飯作るっ」
と返す大ちゃん。今日一日あった色々な楽しい事を思い起こし、そしてこれからの二人の共同生活に想いを馳せ、
僕は大ちゃんと共に家の中へと戻っていった。
最終更新:2010年10月15日 02:04